夜の夫婦生活での性の不一致・不満は話し合ってもなかなか解決することができずにセックスレス・セックスレス夫婦というふうに常態化する。愛しているかけがえのない家族・子どもがいても別れてしまう場合が多いのです。トップ写真

不倫する男、しない男

本表紙 著者=亀山早苗=

ピンクバラ男でいたいかそうでないかの違い

「浮気は男の甲斐性」

という言葉があったのは、女性が社会進出していない時代のことだ。
 浮気したら相手の女性に家をもたせたり生活の面倒をみたりするのは当たり前。だから、経済的な甲斐性のある男しか浮気ができないというのは当たっている。男の甲斐性としての浮気がある以上、妻と言えども、「食わせてもらっている身の上」では何も言うな、という意味合いもあるのだろう。
 もう一つ家庭を持つくらいなのだから、確かに経済的な甲斐性もある。昔は女性の考え方も、今よりずっと「男の理論」に支配されていたから、浮気のひとつふたつで、妻たるものが騒ぎ立ててはいけないといった風潮もあっただろう。いずれにしても、男が浮気をするのはよしとされている部分があったわけだ。

 今は、そんな言葉はめったに聞かない。代わって科学が進歩したせいで、男性の浮気は動物的にしかたがないということになっている。
 つまり、「男は精子をばら撒きたい、女は限られた卵子を有効に使いたいから男を選ぶ」と言う考え方。
 もちろん、動物のオスメスとして、それは正しいのだと思う。

 だが、こと浮気や不倫に限って、人間になぜ動物としての本能をやたらあてはめたがるか、そこが不思議でもある。
 性欲は本能の一種だから? だったら食欲や睡眠欲について動物の例があてはめられないのは何故だろう。
 しかも、人間は(男は)、昨今、バイアグラなどにも頼っているような状況。動物の中でバイアグラを使う種が他にいるだろうか。
 人間の性欲は、すでに「動物としての本能」を離れたところにいつてしまっているのではないか、と私は思っている。
 「セックスは脳でするものだ、想像力が性を活性化させる」とよく言うではないか。
 この場合の脳は、動物としての本能を司る脳ではなく、ヒトならではの大脳新皮質、つまり本能ではない部分の脳を指している。
 ストレスで性欲が減退するのも、この大脳新皮質のなせるわざ。それほどヒトというのは、他の動物に比べて複雑な生活を送っている。
 だから浮気に限って、動物の本能を例に出すのは、男にとって都合のいい理論に過ぎないような気がしてならない。

 そんなことから、女性たちも「男は浮気をするものだ」と認めてしまっていいのだろうか、といつも疑問を覚えてしまう。
 実は男女の性欲に関しては、思春期は別としても、大差はないのではないだろうか。
 「ばれなければ、他の異性とも付き合いたい」と思うのは、男女の差ではなく、個人差ではないか。
 あとは社会的な立場とか経済力とか、そういった副次的ことが影響を及ぼしているだけなのではないか。

 それならばなぜ、不倫する男としない男がいるだろうか。
 痛い目に遭っても不倫をしつづける男と、結婚したら浮気をしない、と断言する男性。その違いは何なのか。
 それはやはり、「男でいたいかそうでないかの違い」のような気がする。もちろん結婚生活の中で「自分の男としての魅力」を示せる、あるいは実感できる場合もあるだろう。

 特に新婚のときはそうだ。だが家庭生活が長くなり、夫、父親という役割で家庭に接する機会が増えていくと、妻との間で男女の雰囲気をもちにくい。
 それにずっと一緒に暮らしている家族に、異性としての色気を感じろというのも無理な話。
 以前、「愛は四年で冷める」という話があったが、あれは愛が冷めるのでなく、色気が冷めるのだろう。家族愛はおそらく一生、冷めるような種類のものではない。だが、男女としての色気は早々と冷めていく。

ピンクバラ「不倫しないと言い切る男」の表と裏

それでも、絶対に不倫はしない、と言い張る男性たちは、失礼ながら、早々と「男を降りる」と宣言しているにほかならない。
 結婚して十年、十五年という年月がたっていながら、「不倫したことがない」という少数派の男性たちに、なぜ他の女性と恋をしないのかと尋ねると、みんなただ一言、
「めんどうだから」
 と言い切った。
 だが、この一言は多くの意味がある。

「知り合う機会がない。そういう機会を積極的に持とうとも思わない」
「職場では色恋はご法度。それで飛ばされた知人を見ると、何があっても恋愛はするまいと思う」
「家庭に波風を立てたくない」
「金がない」
「今さら相手にしてくれる女性がいるとは思えない」
「女性と知り合って恋愛して、何が変わるんだ、何も変わらない。めんどうなことには手を出さないのが賢明」

 などなど、理由はさまざまだが、ここで気になるのはすべての言葉が、「〜ない」という否定形になっていること。
 英雄色を好む、とは言わないが、社会の第一線にいる男としては消極的すぎないだろうか。
 もちろん、「家庭が一番。妻を愛しているから、妻以外に目が向かない」というのなら、それは最高の答えだが、残念ながら、私が身近な人に聞いた限り、それは皆無だった。
 事なかれ主義が悪いとは言いたくないが、「男を降りるのをよしとする」のはいかがなものか、と女としては思う。一方、女性は、“女”であることを忘れたくないと思っている方が大多数ではないか。なるべく早く女を降りたいと思っている女性も中にはいるだろうが、少数派のような気がする。男は“男”であることが苦痛なのだろうか。

 知人でも、実際に、結婚して十年、妻以外の女性とふたりきりで食事さえしたことがないという男性がいる。
「だって誰かに見られて噂をたてられると、言い訳がめんどうじゃない? ましてやつきあったりするのは考えただけでもめんどうだよ。
 一度ウソをついたらいいつづけなければならない。俺にはそれだけの根気と緻密(ちみつ)さがないから、下手なことはしない方が無難っていうこと。俺、後ろめたさを抱えながら生きていくのが嫌いなんだよ。妻に悪いというより、そうやってコソコソしている自分に耐えられないと思う」

 男を降りると尋ねると、彼は「うん」と気弱な返事をする。
 もうひとり、風俗にはいくけど、普通の女性との恋愛は絶対しない。と言い切る四十歳の男性もいる。
 彼の場合は、不倫や浮気への罪悪感はまったくない。だが、自分の性分をわかっているから、恋愛はしたくないという。

「僕はわりと一直線なタイプなんですよ。だがもし恋愛したら、絶対に本気になって簡単に妻子を捨ててしまいそうな気がするんです。
 そういうことになったら責任感のない男だというそしりは免れないでしょう。それで結婚するとき、子供が二十歳になるまでは絶対に恋愛はするまいと決めたんです。
 風俗? それは恋愛とは別ですよ。だってお金で解決するし、あと腐れがないでしょう。
 なぜ風俗に行くの? う――ん、それはやっぱり女性と触れ合いたいからかな。
 妻とはもう殆んどそういう関係はないんです。その気になれない。
 だけど、女性とはまったく接しないで暮らしていくのも寂しい。だから風俗に行くんだと思います。」

 妻とは男女の関係はない。恋愛するとのめり込んでしまう自分を分かっている。だから恋愛はしたくない。そこで彼は風俗に行く。風俗で彼は本当に満足しているのだろうか。恋愛を自ら遠ざける裏には、実は恋愛への多大な期待と憧れがあるのではないか。
つづく 不倫男が恋に落ちたとき