人はなぜ結婚するか、それはね、男女ともに、”恐れ”からだよ。経済的に不安、年をとっていくことの恐怖、孤独への恐れなどなど。だから人生のあらゆることに恐れを感じていない人間は結婚する必要がないだ
本表紙男が離婚を語るとき亀山早苗

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第四章 男と女、どう違う?

◆男の結婚観

  結婚に対する男女の考え方の違いはかなり大きいように思う。
見出し「人はなぜ結婚するか、それはね、男女ともに、”恐れ”からだよ。経済的に不安、年をとっていくことの恐怖、孤独への恐れなどなど。だから人生のあらゆることに恐れを感じていない人間は結婚する必要がないだ」

 と三十代独身の男友だちが言ったことがあった。愛情のために結婚するというよりよほど現実的である。確かに愛情を優先して考えるなら、別に結婚という方法を取らなくてもいいはずだ。結婚はある種の社会的契約であり、愛情とは別のものと考えることもできる。ただ、ひょっとしたら彼の意見は、彼自身が独身でいるための方便かもしれないが。

 もちろん、人は常に恐れを抱きながら生きているはずだ。恐怖感をもたずに生きている人なんているはずがない。恐怖感があっても独身でいつづける人と、結婚に踏み切る人とだはなにが違うのだろう。

 私が話を聞いた限りでは、女性はやはり「相手に対する愛情」から結婚すると考えている人が多いようだ。「恋愛の延長線上に結婚がある」と信じ、相手が好きだから一緒になって家庭を築きたいと思うようになる。その考え方自体がどこから来ているのかというと、「女はそういうものだ」という刷り込みからかもしれない、という気はするのだけれど。

 私自身も、相手への愛情から結婚した。言い換えれば、相手を縛り付けるために結婚したのだ。その後にやって来る日常の家庭生活などなにも考えなかった。ただただ、一緒にいるために結婚したのだ。そのくらい好きだった人と。

 だが、男性たちは、それほどの思い込みはなさそうだ。もちろん相手の愛情はペースにあるが、どちらかというと、いろいろな意味で「そろそろいいか」と踏み切ることが多い。たとえば、自分自身の年齢、会社での立場、給料面、ひとり暮らしの寂しさ、あるいは彼女とつきあっきた年数、彼女の年齢、周りの認知度なども結婚に踏み切る材料となる。周りの認知度というのは、「親にもだいぶ前から紹介している」「親もそろそろ結婚しろとうるさいし」「友だちも『お前ら、まだか』と言っているし」などだ。

 自身の転勤がきっかけになるケースもあるし、最近多い「できちゃった婚」もある。なにか物理的もしくは精神的なきっかけがないと、男性はなかなか結婚には踏み切れない。そこには「なにかを決めてしまいたくない」
「先が見えてしまうのは嫌だ」
 という男性特有の考え方がある。一般論だが、女性が先を見据えて今を生きる動物であるのに対し、男性はなるべく決定を先送りしたがる傾向があるようだ、特に結婚に対しては。

 言い換えれば、男性はそれだけ「結婚」というものに関して、責任を感じ、そこからさらに重圧を覚えるのだろう。

「男の多くは結婚を先延ばししたいと思うんじゃないでしょうか。僕も結婚前は複雑な気分でした。結婚したい、彼女と一緒になりたいという気持ちはあるんだけど、それで自分の人生がすべて決まってしまうのは怖かった。時間的にも経済的にも縛られることが多くなるでしょう? 

自由を奪われることには抵抗がありましたね。だから僕が結婚したのは三十二歳のとき、ようやく観念したな、と友だちに言われたくらいです。彼女とは結局、五年くらい付き合いました。彼女が四歳下だったから待っていてくれたようなものだと思います。結婚を決めた直接のきっかけは、彼女が妊娠したからです。両方の親は。結婚前から子供がいるなんて、という顔をしませんでしたけど、妊娠しなかったらいつ結婚したかわかりません。そういうことに関しては優柔不断ですからね、男って」(三十五歳)

 ひとり暮らしは飽きた、夜暗い部屋に帰るのは寂しい、家事もうんざり、といった理由をあげた男性もいる。相手の愛情そのものや「この女性と一緒になれなければ人生は終わりだ」

というような決意は男性からはなかなか聞けない。彼女のことは好きだ、それにプラスαとして家のことを任せられる人が欲しい、と彼らは言う。だが、
「本音を言えば、男もだんだん仕事が忙しくなってきて、仕事だけに没頭したいと思うようになる。だから、結婚相手は、性格的にも容姿的にある程度の水準を満たしていれば、誰でもいいような側面があると思う。そこまで言うと冷たく聞こえるけど、だからこそ見合い結婚というのが成立してきたわけでしょう」

 と冷静に話してくれた男性もいる。男性にとって恋愛はともかく、結婚は非常に現実的なもののようだ。
「結婚するということは、古臭い言い方だけど、一家の大黒柱になるということでしょう? 現実問題として、結婚したら生活はどうするのか、僕の給料でやっていけるのか、親と同居とまでいかなくても、僕の両親とうまくやってくれそうかどうか、子供をちゃんと育てられる女性か、いろんなことが気になります。

好きだから、という理由だけでは結婚という行動に移せないんですよ。好き嫌いというよりは、僕と上手くやっていけるかどうかの相性みたいなものを重視しました」(三十八歳)

 男性にとってやはり結婚と恋愛は別なのだろうか。結婚後に恋愛しても「それはそれ、これはこれ」と分けて考えることができるのかもしれない。

◆男が離婚を決意する瞬間

  長年、結婚生活を送っている夫婦でも、一度や二度は離婚を考えたことがあるという。だが、その頻度が高いのは女性のほう。男性の結婚生活に対する考え方は、「滞りなく、つつがなくがいちばん。老後は縁側で黙ってお茶をすするような関係になり、最後に妻には看取ってもらう」というものだ。つまり、大きな問題がなければそれでよしよしとしてしまう傾向がある。
「もっと夫婦で出かけたい」
「もっと話をしたい」
 と、パートナーとの密接な関係を望む女性とは違いがある。
 
知人の男性はこう言っていた。
「なにが怖いって、奥さんの機嫌が悪いのは一番怖い、下手すると子供に当たったりするしね。だから奥さんの機嫌を損なわないように、機嫌よく過ごしてもらえるためになにか頼まれればするよ。奥さんの機嫌が悪くなりそうなことはどんな手を使っても知らせないようにする。家の中がごたごたするのが嫌なんだ」

 他の男性にも聞いてみたが、みんな似たり寄ったり。積極的に関係を深めようとするよりは、妻を怒らせるようなことがないよう、あるいは起こっても発覚しないように努めるという消極的思考が目立つ。

 だからこそいざ離婚という話になっても、男性はなかなか離婚を決断しないのだろう。もちろんその裏には責任感もある。子供のこともある。だが一般論として、男性はドラスティクな変化を求めない。それは男性社会である政治の世界、伝統ある企業などをみても歴然としているのではないだろうか。もちろん、中にはそうでない男性もいるが少数派だ。離婚を経験して、今は別の女性と家庭をもっている男性はこう言った。

「前の結婚のときは、僕も家庭のことは君に任せる。オレは仕事をする、という意識たでした。でも今は考え方が変わりましたね。お互いに何かあったらすぐ話をする、問題は先送りしない。これが鉄則です。些細であっても。問題は先送りすると、後からもっと大きくなって自分を襲ってくるとわかったから。何か問題があった時とき逃げるのは男の悪い癖だと思う。逃げたくなる気持ちはわかるけど、逃げてもなにもいいことはないと今は僕も思いますね」

 なるべくなら問題を見たくない、その中に巻き込まれたくないというのは、男性の処世術のひとつかもしれないが、家庭ではそれが逆に問題を大きくすることにつながっていく。

 よくも悪くも惰性と習慣で結婚生活がずっと続いて行くと信じている男性が、妻に離婚を言い渡されたとき、まず感じるのは「大いなる疑問と驚き」のようだ。それから多くは抵抗が始まる。妻の意思を聞かなかったふりをしたり、何事もなかったように振る舞ったり。通常の生活を崩したくないという気持ちの表れなのだろう。女性に捨てられたということに過敏な反応を示して、急に居丈高になる男性もいるし、開き直ってしまう人もいる。

 そしてそんな男性たちが決断するのは「根負け」という状態になってからが多い。自ら決断して、潔く別れるというよりは、妻の意志の強さや無言のプレッシャーに根負けして、離婚届けにサインするのだ。

一方で、妻と別れてもいいが、子供と離れたくないという男性も多い。高野彰さん(四十八歳)も、妻から離婚を言いだされてはいるが踏ん切りがつかないでいる。

「私は結婚が遅かったので、子供たちは今、十歳と六歳なんです。妻は自分が子供をひきとって実家に帰ると言っているけど、彼女の実家は北海道。僕は東京で仕事をしていかなくてはいけませんから、子供たちと遠く離れてしまう。性格的に合わないところが多いので、妻と別れることには異論はないんですが、やっぱり子供たちと会えなくなると思うとつらくて決断がつきません。

私自身は別に妻のことが嫌いと言う訳じゃないから、このままやっていけないことはない。でも妻としては今の家庭生活は決して幸せじゃない、と。私にもっと家庭を大事にしてほしいというのですが、時間的に難しいのが実状なんです。

それがいつもの口げんかの原因になっていますね。別れるほどの事じゃないと私自身は思っていますが、妻にとっては重大事らしい。毎日が不平不満の連続なら、別れることも選択肢のひとつかなあとは思いますが踏ん切りがつかないでしょうね」

 高野さんは、終始、どこか他人事のように話していた。男性にとって、家庭や結婚というのはその程度のものなのだろうか。子供のいる専業主婦にとって、家庭はすべてといっていいような存在だろう。働く主婦であっても、子供がいなくても、結婚している女性には「家庭」の存在は大きい。だが男性にとってはあまり大きな存在と感じられないのはなぜだろうか。

「いや、家庭の存在は大きいですよ、男にとっても。だけど照れくさいからそうは言えないということじゃないでしょうか。あるいはやはり仕事がいちばんというところがありますから、家庭は平穏無事に存在していればよしとする面もありますね、僕にとっては家庭の存在は大きいけれど、寝ている時間以外に家で過ごす時間は本当に少ないから、存在の大きさを実感できないんですよ。ただ、子供と離ればなれになる、めったに会えない状況になるということについては、現実的に考えると、大きな恐怖感と寂しさがありますよ」

 高野さんはそう話してくれた。家庭は結婚している人の基盤といっていい。だが、妻側は、家庭という漠然とした言い方ではなく、「夫と子供の存在」を念頭においている。それに対して、夫の方は子ども存在についてはくっきりとしているものの、妻の存在が「家庭」というものの中に曖昧に組み込まれたものとなってしまっている。

妻個人の人間性やその存在自体を重視するというよりは、家庭の象徴としての妻、と見ているのだ。だからいなくては困るが、ひょっとしたら、それはA子ではなく、B子でもいいのかもしれない。そんな雰囲気がある。

 アニエス・ヴァルダというフランスの女性監督が撮った『幸福(しあわせ)』という映画がある。夫婦とは、男女とは何かを考えさせられ、最後は背筋が寒くなる。一九六五年、すでに三九年前の作品だが、今見てもちっとも色あせてていない。あらすじを紹介すると、大工の夫は、妻とふたりの幼子との四人家族で幸せな毎日を送っている。ところが彼は近くの郵便局の事務員である女性と恋に落ちてしまう。実直がゆえに、ある日曜日、家族で近くの森にピクニックに行ったとき、彼は妻に自分の恋を打ち明けてしまう。「信じられないくらいときめく恋をしているが、家庭を壊す気はない。ただ、きみに僕の本当の気持ちを知っておいてほしかったんだ」と。恋をしている夫の顔は生き生きとして明るい。

その直後、妻は森の中にある池に落ちて死んでしまう。自殺か事故かわからないままに、夫は恋をした事務員と一緒に暮らし始める。幼い子供たちはいつしか新しい母になついている。そして、恐怖のラストシーン。新しい妻と夫の間に幼い子供ふたり、四人で手をつないで森に出かけていく後ろ姿が静かに、だが延々と映し出される。新しい女性の姿を前妻に入れ替えれば、前にもあった家族四人の後ろ姿だ。

 つまり、男にとっては、妻が替わっても家庭のあり様はまったく変わらないというわけだ。これほど怖い映画はない。もし前妻が自殺だとしたら、彼女はなにを思って死んだのか。ひょっとしたら夫の恋を成就させるために身を引いたのか。あるいは当てつけか。彼女としては、自分のことを忘れさせるために自殺だったとしても、現実は女性が入れ替わっただけで日常生活は滞りなく回っている。命まで懸けた彼女の気持ちなど、誰も考えないままに。

 いろいろなことを考えさせられる映画だ。ただひと言えることは、洋の東西を問わず、夫と妻の「結婚」「家庭」への考え方は、いつの時代もすれ違っているという事実である。

◆男の離婚、メリット/デメリット

  女性が離婚を決断しようとすると、いちばんネックになるのは経済的な問題だろうか。自分が働いていればいざしらず、専業主婦という立場の女性が離婚するにはまず経済的な問題が浮上する。中には本気で離婚を考えたところからこつこつと貯金をし、さらに数年がかりで手に職をつけ、計画的に自立していた女性もいるのだが。

 結婚時、夫の姓に変えた女性が、元の姓に戻すのも大変な作業だ。日本では夫の姓を名乗る女性が九十パーセントを超えるから、これを離婚後のデメリットにあげる女性は多い。仕事をしていれば姓を戻したことを会社に届け出、周りにも旧姓で呼んでくれるように頼まなければいけないし、それが浸透するまでは時間がかかる。

取引先の相手などにも新しい名刺を渡していちいち説明しなければいけない。離婚は個人的なことなのに、仕事まで影響を及ぼしてくる。それゆえに結婚時に別姓という選択を望む女性は多いが、法律はいまだに改正されていない。先進国では夫婦別性を強制しているのは日本だけだ。

 また、銀行、クレジットカード、免許証など、性が変わるたびに煩雑な手続きを経なければいけない。時間的にも精神的にも大変な作業だ。その煩雑さを考えると離婚する意欲を失わせる、別居だけでいいと真剣に話す女性もいる。
 
 一般的に男性にそこまでのデメリットはないだろう。男性にとって、対外的にはなにも変わらないかもしれない。だがそれだけに、もしかしたら精神的には区切りがつけにくいということはないだろうか。

 男性にとって離婚のメリット/デメリットというのはあるのだろうか。言い方を変えれば、離婚で得たもの、失ったものはなんだろうか。

「ひとりになるのが嫌だというのはありましたね。独身時代、暗い部屋に帰るのが嫌で寂しかったという気持ちがあるから、またあの状態に戻るのか、ということが怖かった。家族がいるとうるさいと思ったこともあるし、ひとりになりたいと切実に願ったこともあるけれど、いざひとりになるとわかったら、やっぱり辛いなと思いました。

本音を言うと僕は結婚しているとき、日常的に家事をやったりしませんでしたから、ひとりになったら家事をやるのも面倒だなと思いました。実際、離婚してひとりになってみると、寂しさはあるけど、慣れなければしょうがないと思うからなんとかやっていけるものなんですけど」(三十五歳)

「僕は会社の言うのが嫌でしたね。うちは妻と子供が扶養家族になっていたから、会社には言わざるを得ない。かなり緊張して嫌な思いをしながら届出たのを覚えています。離婚なんて珍しくはないけど、周り人間全員が離婚しているわけじゃなくてやはり離婚しない方がおおいわけだから、僕の被害妄想も手伝って、周りがみんな好奇心を持って自分を見ているような気がしました。それに、影ではいろいろ噂されるわけですよ。『奥さんに逃げられたらしい』とか『他に女性ができて、奥さんの逆燐に触れたようだ』とか。

夫婦関係って他人はもとより、自分たちさえよく分からないことはあるはずなんだけど、それを他人にいろいろ言われてしまう。とても嫌でした。僕だってこうなんだから、女性だったらもっと嫌な思いをするんだろうと思いました。いちいち名字を変えなくちゃいけないような会社だったらなおさらですよね。

離婚という個人的なことを名字の変化によって誰でもわかってしまうというのは、本当に気の毒だなあと思います。僕が離婚によって失ったものは、家族、それがよかったかどうかまだわかりませんが。具体的に言うと、妻は子供の小学校受験に走り、僕はずっとそれに反対し続けていた。結局、子供は私立に落ちたんですが、その結果、妻との意見の相違も致命傷になってしまった。妻は中学でまた私立を受験させるという。子供も妻に洗脳されたように、『僕は私立に行く』と言い張るようになった。だから僕はもうついていけない、という感じでしたね」(三十七歳)

 もう少し、男性たちの意見を聴いてみよう。離婚がもたらした影響について、彼らはどう考えているのか。
「離婚から数ヶ月は荒れていましたよ。もちろん仕事に支障をきたすようなことがあってはいけないと思っていましたが、さすがに離婚前のごたごたに疲れてしまったんですね。離婚したのは春だったんですが、夏に心身ともに疲れ果てて、働き出して初めて、十日間の夏休みを貰いました。

ひとりで北海道に行ってバイクで走り回って、ようやく何かが吹っ切れたという感じ。
家庭ひとつ守れないような男になにができるんだ、という昔ながらの考え方に支配されているところがあったんです、男として。でもそんな思いにとらわれていても仕方がない、自分は自分で生きるしかないと思えるようになりました。バツイチの男は女性にもてるなんていう話がありますが、それは僕に関する限りは当てはまりませんでした。月々の養育費のことを考えると、そう気楽にまた結婚しようと思えないし」(三十七歳)

「離婚して気づいたことはあります。僕自身が前の妻のような女性を本当に望んでいなかったんです。僕は幼稚園からずっと共学で学んできて、女性も仕事を持つのが当たり前、家庭も協力して築き上げていくもの、と思っていた。だから前の妻もばりばり仕事をしていたし、ひとり息子の世話も夫婦で協力してやってきた。

妻とは徹夜で議論することもありました。女だから一歩引くとか、男だからリーダーシップをとるか、そういうのは間違っていると僕は思っていたんです。だけど離婚して思ったのは、僕は本音では、従来の結婚に憧れているのではないかということでした。理想の妻は専業主婦で、僕が遅く帰っても待っていてくれて、適度に嫉妬もしてくれるようなかわいい女性。

こういう言い方をすると女性の反発を食らうと思うんですが、男はどこかそういう女性に惹かれるところがある。僕はそれを否定してきましたけど、僕の心の中では『利口な女』より、『ちょっと抜けたところがあるかわいい女性』を求めている。そのほうがほっとするんですよ。離婚したのは五年前ですが、僕、一年半前に再婚したんです。

今度の妻は、ちょっと抜けたところのあるかわいい女性です。家に帰って妻の笑顔を見ると心もなごみます。離婚したことで、本当の自分の気持ちに気づいたのは悪いことではなかったと思っています」(三十九歳)

 仕事に多忙な男が、従来の「妻役割」をしてくれる女性を求める気持ちはよくわかる。時間的にも精神的にも肉体的にもかなりぎりぎりのところで働いている同世代の女たちが集まるとみんな、「働き者で口答えしなくて従順で、押しつけがましくなく尽くしてくれる妻が欲しい」と言う。つまり忙しく働いている人間は、誰もがそういう「妻」という存在を欲しているはずだ。男のみならず女でさえも、仕事と日常生活を両立させることはそれほど大変なことなのだから。

 私は、男女はすべてにおいて平等でなければいけないとは思っていない。平等な権利は有すべきだが、基本的に男女は同じところもあれば違う所もあると思っている。だから夫婦が、それぞれ従来の「夫役割」「妻役割」を望んでいるなら、夫が家事を手伝わなくてもいいし、専業主婦の妻が夫に経済的に頼るのはやむを得ないと思う。もちろん、家事が大好きな男が専業主夫になってもいいわけだ。それぞれの個性に応じた、ふたりが納得する暮らし方をみつけるのがいちばんいい。

 きっかけがあって好きな人と思える人と結婚したが、離婚することになった、好きな人とうまく生活していける人は違う、と気づく男性がいても不思議ではない。実際、私自身も、好きな人とうまくいきそうな人とのギャップにあれこれ考えを巡らせたこともある。

 才気煥発、目から鼻に抜けるような利発な女性が妻になると、外で必死に働く男性にとっては「癒されない」結果になるかもしれない。男性から見ると、妻向きの女性と、恋人向きの女性がいるということなのだろうか。

 ちょっと抜けていてかわいい女性が好き、というのは正直な彼の気持ちだろう。今の世の中でそういうことは言いにくいはずだが、自分の求めている女性が本当にそういうタイプなら、やはり臆せず探し求めるしかないと思う。

 現代では、男性はダブルスタンダードにならざるを得ない面がある。もちろん本当の意味で男性も女性も従来の性役割にとらわれずに解放されて、もっと個々に合った生き方をしながらパートナーシップを結べるのが理想的だが、それは言葉にするほど簡単なことではない。女性が「私は働きたくないから、お金持ちの男性と結婚したい」と言っても、おそらくそう非難は浴びないと思う。

陰で『何言ってるの』と同性に陰口を叩かれる程度だ。だが男性の場合、公に『僕は従順でかわいい奥さんに専業主婦になってもらって、身の回りの世話をしてもらいたい』と言ったら、女性陣から非難囂々は目に見えている。男性は今やそういうことを口にしてはいけないのだ。しかし、実際には、そういう価値観をもっている男性がいても不思議ではない。

だから、彼らは本音と建て前を使い分け、ダブルスタンダードになるしかない。もちろん、本人が意識して本音と建て前を使い分けているなら、それは処世術として認めるしかないし、善悪では裁くことができないだろう。

◆離婚後の男の心理を追って見ると

  すべてのマイナスのできごとがそうだと思うが、事実をありのままに受け止めるのは難しいことだ。特に妻から離婚を言い出された男性が心の中を整理していくには、かなりの時間がかかる。

 話を聞いた実感としては、離婚後の男性の心理の経過はふたつに分かれるような気がする。ひとつはある程度考えたものの、自分の何がいけなかったかわからず、あっさりと「考えるのをやめる」タイプ。もちろん、あまり考えず考えを止める人もいるが。離婚を言い渡された理由がわからず、妻とも充分な話し合いのないままに別れてしまうと、自分自身をどう振り返ったらいいのかさえわからないということはあるだろう。現に取材を拒んだ男性たちは、「何をどう話していいかわからない。なにが起こったか自分にさえわからないのだから話せることはない」という理由を挙げていた。

 こういう男性は、その後も『再婚するなら、優しくてきれいで上品な女性がいい』と、女性に幻想を抱き続ける傾向が強い。離婚したのは、相手が悪かったからだ、と責任を元妻になすりつけたまま、自分は変わろうとしないこともある。

 一方で、自分を責め続けてしまう男性もいる。「なぜ離婚ということになったのか」と考えるところまでは同じなのだが、理由が釈然としないものだから、自己否定へと結びつけてしまうのだ。これは傍目にもつらい。

 男性はプライドが高いから、あまり弱みを人に見せたがらない。それだけに、考えが内向し二重三重に心がねじれていくこともある。

 私が出会った田口健太郎さん(五十五歳)がまさにそのタイプだった。二十八歳のときに、一歳年下の女性と職場結婚、子供をふたりもうけてごく普通の家庭生活を営んでいたが、四年前かに妻が強硬な申し出で離婚に至った。理由は、「一緒に暮らしたくなくなった」というシンプルなもので、彼がいくら「悪いところがあったら直す」と言っても聞き入れてもらえなかったという。

「男が出来たのか、変な宗教にでもひっかかったのか、いろいろ探ったんですが、結局わからなかった。最後には『生理的に嫌になった』といわれました。若いときにそう言われたのなら、『なに言ってんだ』ですむかもしれませんが、この年で言われると響きますね。今、二十五歳と二十二歳になる娘がふたりいるんですが、娘たちも最後は私を毛虫でも見るような目で見て‥‥。家族が女性ばかりですから、私はけっこう気を遣っていたんですよ。

下着姿で家の中を歩いたりしないようにしていたし、いわゆる『オヤジ臭い』感じにならないように気つけてていました。それでも嫌われてしまうんですね」

 田口さんはそう言って、さびしそうに微笑んで見せた。外見的にはごく普通の男性で、脂ぎってもいないし、今はひとり暮らしなのに身ぎれいな感じだ。電車の中などはもっと脂ぎった、田口さんの言うところの「オヤジ臭い」オヤジがごまんといる。なのに彼らが離婚しないで、なぜ田口さんのような人が妻に捨てられてしまうのだろう。

「いろいろ考えました。私の何がいけなかったのか。でもわからないんです。特別出世はしなかった、だけどまあ会社の中ではそこそこにやってきた。本当にごく普通の典型的なサラリーマンだと思うんです。おそらく人間としてもごく平凡でしょう。その平均的過ぎるところが嫌われたのか」

 考える手がかりすらなさそうだ。そこで、夫婦関係がおかしくなってきていると気づいたのはいつごろか、と尋ねてみた。だが、田口さんは実はそれにも気づいていなかった。

「子供ができてからは、父親と母親として、これまたごく平均的な家族関係だったと思うんです。娘たちが小学校のころには、年に一度は家族旅行もしていましたね。娘たちがふたりともバレエをやっていたんですよ。妻はせめてどちらかをプロにしたいと思っていたようで、それは熱心にレッスンを受けさせていました。もちろんなにかひとつ打ち込むことは大事ですが、早くからひとつの道に定めてしまうのは私は子供たちの将来を狭めてしまうような気がしてもいました。

ふたりは十代後半で挫折してしまった。プロになれるのはほんの一握りですからね。私は子どもたちに、『これからは自分で自分の道を探しなさい』と言ったんです。妻や娘にして見ると、それが冷たく聞こえて、どうもそのころから私を毛嫌いするようになったらしい。多感なころですから、父親を嫌う時期はあると思うんです。でもそれがずっと続いたのは、やはり妻と娘たちの関係が密着しすぎていたんでしょうか」

 一説によると、娘が多感な思春期に父親を嫌うのは、「近親相姦を避けるため」という理由があるらしい。男性への興味があふれ出てくるこの時期に、本能として父親を避けるのには、そうした裏付けがあるとか。だからそれは大人になる過程として正常なことで、もう少し成熟すると、父親をひとりの人間として見られるようになり、父娘関係も落ち着いていくケースが多い。

ただ、その揺れ動く思春期に、母親が夫の悪口を娘に吹き込んだりすると、娘は父親を嫌い続けがちになると! 母親は得てして、夫の悪口を娘に吹き込む傾向がある。本人は単なる愚痴のつもりなのだろうが、それが思春期の娘にどういう影響を与えるかまったく考えていないのだろう。同性だからわかってもらえると思いがちだが、夫婦の問題を娘に転化させていいことはなにもない。娘の男性観を歪める結果となりやすい。

 田口さんの場合、そういったことはなかったのだろうか。
「ああ、そういえば、妻が娘たちを扇動している雰囲気はなきしもあらずでした。ただ、私はなるべく娘たちに自立した女性になってほしかった。会社でも寿退社なんていう言葉を聞きましたが、結婚して仕事を辞めていくと、どうしても夫に依存するようになるでしょう? 娘たちにはなにか好きなことを職業にして、自分一人でも食べていけるようになってほしいという気持ちがあったんです。

だけど、バレーで挫折した娘たちは、そんな私の気持ちが冷たいと感じられたのかも知れませんね。妻にとっても同じでしょう。私へのある種の憎しみみたいなものが生まれた可能性はありますね。ただ、本当のことを言うと、それがきっかけで妻子が離れていったのかどうかはわからないんですよ。気づいたらなんとなく家の中に居場所がない感じがして、気づいたら離婚されていた、というのが正直なところで。ただただ自分が情けない。家庭をまっとうできなかった、責任をまっとうできなかった、という思いがありますね。

五十過ぎての男のやもめ暮らしも情けないし。当初は年甲斐もなく荒れました。毎晩家で酒を浴びるように飲んで、会社に行ってもろくに仕事にもならなくて。しかもこの年になると、周りも慰めようがないでしょう? 学生時代の友だちだってかなり疎遠になっていますから、急に呼び出して、そう簡単に『女房と娘たちに逃げられた』と打ち明けるわけにもいかない。結局、人の気持ちがわかりました。それで踏みとどまったのは、私が臆病だからですが」

 結局、時間が経つのを待つしかなかった。と田口さんは言う。年を取るというのはある意味、残酷なことだ。自分の年齢を認識して客観的な目を持っていればいるほど、友だちに盛大に愚痴をこぼすこともできなくなる。聞かされたほうも困るとわかっているし、そもそもこんなプライベートなことで他人の時間を割いてはいけないと自制が働く。だからひとりで自分をますます追い込んでしまう。

「時は偉大な薬だから、しばらくすると、ひとり暮らしに慣れてはいきました。ただ、不思議なことに感情に蓋がされたみたいで、なにを見ても喜怒哀楽の感情がわいてこない。生きる屍だ、と自分で感じました。離婚して四年たちますが、あれからずっと笑ったことがないような気がします。なにか楽しいと思えることがない。なぜ生きているんだろう、これで生きていかなければいけないのか、先の見えた人生をどうやって過ごせばいいのか、そんなことばかり考えています」

 熟年離婚というのは、片方が先の見えてきた残りの人生を自分の思うように生きたいと願うところから申し出るのだろう。だが言われたほうは、先が見えている分、すべての気力をなくしていく。「前向きに生きなければ」とわかってはいても、体力も精神力もそんな思考についていけない。本当は五十五歳からでもなにかはできる。

だが、それは気力が充実している場合だ。円滑に回っていくはずだし信じていた家庭という歯車を外されると、他のすべてもがたがたになってしまうのは、想像に難くない。だから感情が止まってしまうのだろう。「なにも感じなくなった」というのは痛烈な心の損傷を感じさせる。自分がいけなかった、と責めてみてどうもならない。それでも責めてしまうつらさを、他人が慰める術はない。

「悔しいとかつらいとか、そういう感情はないんです。ただの心の中がすべて空洞になってしまった感じ。いちばんひどいときは食べ物の味を感じませんでした。それを思うといくらか回復はしているんでしょうけど、いつぽっくり死んでもいいや、という気持ちはありますね」

 見た目も決して老いた感じではないのだから、人の中に入っていって、新しいコミュニケーションを図ってみてはどうなのだろう、という気もする。だがそういうことを気軽に言わせない硬さが、田口さんにはあった。それだけ離婚の痛手は大きいということだ。一時期の激しい痛みはなくなってきたとしても、離婚というウイルスはじわじわと田口さんを蝕み続けている。

「妻や娘たちにはまったく連絡がとれません。離婚した時点で引っ越した場所の連絡先は知っていたんですが、それからまた引っ越したみたいで。上の娘は二十五歳になるのだがから、近い将来、結婚ということもあるでしょう。でも私はきっと娘の晴れ姿もこの目では見られない。結婚したことさえも知らせてもらえないかもしれない。もしかしたらもう結婚してしまったかもしれない。寂しすぎますよね」

 離婚した時点で、田口さんは妻に慰謝料も払っていない、下の娘は大学に入ったばかりだったので、今後四年間にかかりそうな学費分は払った。妻は「それ以外、何もいらない」と言った。上の娘は大学を出てもう働いているだろう。下の娘は来年には卒業だ、結婚しているとき、妻はパートに出ていたが、連絡が取れなくなってから、そこに電話してみたらパートも辞めていた。今はどこか別の場所で働いているのだろうか。田口さんの想像はとどまるところを知らないが、結局は家族のことばかり心配している。せつなすぎて、私は口を挟むことが出来なかった。

 夫婦のことは夫婦にしかわからない。田口さんにも本当はもっと思い当たる節があるのかもしれないし、まったく知らないのかもしれない。妻から見れば許せない「なにか」があったのかもしれない。だか、真実は想像からは導き出せない。今、私の脳裏に浮かぶのは、田口さんの苦渋に満ちた口調と、眉間に深く刻み込まれた縦皺だけだ。

◆元夫婦、離婚を語る

  友だち夫婦が離婚した。それぞれ知っているので、離婚の過程を、ひとりずつ聞いてみることにした。一緒に暮らしていながら微妙にすれ違う感情、あるいは感覚の違いなどが浮き彫りになっていくのではないだろうか。

 井上孝俊さんは四十一歳。元妻の雅美さん同い年。彼らは学生時代からの友だちだ、卒業して五年後に再会、当時は双方につきあっている人がいたものの、一年後にはそれぞれが恋人と別れて付き合うようになっていった。ふたりとも三十歳直前で結婚。二年後に長男、その二年後に長女をもうけた。今は長男が九歳、長女が七歳になる。ずっと共働きで子育ても家事も協力しあってやって来たという。離婚の原因なと、どこにもなさそうなきがするが、ふたりは一年ほど前に離婚した。子供たちは雅美さんがひきとっている。

 孝俊さんは言う。
「長男が学校に上がったあたりから、なんとなく夫婦の仲がしっくりいかなくなってきたんです。原因はなんだろう、よくわからないんですよね。ただ、長男が入学してほっとしたというのはありました。ふたりが保育園に行っていることは毎日が時間との戦いで、夫婦ともども疲弊しているところがあった。だけどそういうときのほうが、励まし合い協力していける。ほっとしたときに、お互いに急にわがままが出てきたのかもしれません」

 だが、雅美さんの意見は、孝俊さんのそれとは異なる。
「下の子が生まれてから、私は『本当にこの人とやっていけるのかしら』と思うようになりました。育児で私のほうに負担が大きいのは、ある意味ではしょうがないと思うんです。どうしたって、子供には母親の比重が高くなるものだから。だけど、彼は自分が『すごーく協力している』つもりでいる。私にしてみたら、私の十分の一もやっているかどうかという感じなのに。私は本当に自分の時間がほしかった、せめて土日のどちらか、ほんの少しでいいから、『子供をみているから、どこかに行っていいよ』と言ってほしかった。

子供を抱えている母親って、結局、二十四時間、母親でいるわけですよ。たとえ職場で仕事をしていても、どこかに『母親モード』は残っている。だからこそ、休日にひとりの時間が少しでもあれば、気持ちをリフレッシュできるんです。もちろん子供と一緒にいるのは楽しいんですよ。だけど週に二時間、ううん、一時間でもいいからひとりでぼうっとする時間が欲しかった。彼は土日は家事をやってくれたりもしたけど、『あ、オレ、本屋に行ってくる』『パチンコしてくる』ってひとりで出かけてしまう。それがいちばん許せなかった。

あるとき、『私もたまにはひとりになりたい』と言ったことがあるんです。そうしたら彼は驚いたような顔をして、『子供たちが可哀想だろう』って。彼の中では『女が子どもと離れたいと思う瞬間があるわけはない。そんなことを言うのは母親失格』という気持ちがあるということに気づきましたそれ以来、彼のことを少し距離を置いてみよう、となった気がします」

 孝俊さんにその辺りを聞いてみると、まったく記憶にないという。彼女は子育てを楽しんでいるように見えた、と。

「子育ては楽しんでいましたよ、確かに。なにを置いても子供を愛しているし。だけど、それでもうひとりの時間がほしいものなんです。かれにはわかってもらえないでしょうけど」
 雅美さんはため息をつきながらそう言った。お互いが仕事をしながら子供ふたりを育てていくというのは生半可なことはない。しかも孝俊さん。雅美さんはともに地方出身者で、東京で手伝ってくれる親きょうだいもいなかったのだから。

「だから保育園に夕方どうしても間に合わないというときや、子供が熱を出したけどどちらも仕事で抜けられないときは本当に困りました。結局は住んでいた賃貸マンションの大家さんに頼んだり。近所の銀行の掲示板に、『ベビーシッター募集』の張り紙をしたこともあります。

それに応募してきてくれた保母さんの卵の学生さんに緊急の時はお願いしたりもしていました。彼女の友だち数人も紹介してもらって、学生たちにはかなり助けてもらいました。ときどき、バイト代以外にもプレゼンしたり家に招いてご馳走したり。彼女たちとは今もいい友だちなので、そういう出会いには感謝しているんですが、当時は本当に藁にも縋るおもいだった。だけど彼はそういう手はずを調えることには協力的ではありませんでした」

 孝俊さんき、学生バイトのことはなんとなく記憶にあるという。

「僕はベビーシッターならプロに頼んだ方がいいんじゃないか、と言ったような気がします。だけど彼女はプロは高いと言って、確か学生に頼むようになったんです。学生とどやって知りあったか? いやあ、それは覚えていません。誰かから紹介してもらったんじゃなかったかな。え? 銀行の掲示板に張り紙? あ、そうでしたっけ」

 確かに育児に対する夫婦の情熱には、温度差が感じられる。
「それを百歩譲ったとしましょう」
 雅美さんの言葉にはだんだん熱がこもってくる。
「翻って、夫婦関係そのものはどうだったか。下の子が生まれてから、彼とは夫婦生活がほとんどなくなりました。彼が迫ってくるのは、酔って帰ってきた時ぐらい。だけど私はそんなセックスではちっとも感じない。腹が立ちますよ。私は彼の排泄処理機械じゃないんだから。自分の都合のときだけ、酔って妻を襲う。妻なら応じて当然だと思っているんでしょうけど、それは私の人間性を否定しているのと同じこと。彼はそれに気づいていないのです」

 どうやら雅美さんの怒りの元はそのあたりにあるようだ。敏孝さんに聞くと、妻との性生活がなくなっていったのは、妻が拒絶したからだという。
「いつ頃か忘れたけど、下の子がまだ乳飲み子のころです。ある晩、求めたら、彼女に突き飛ばされた。確かに酔ってはいましたけど、突き飛ばすことはないでしょう?

あれはショックでしたね。拒絶するにしても仕方があるんじゃないか、と思った。その件は僕にとってはかなり尾を引きました。
酔った夫に迫られて、自分は彼の排泄処理機械じゃない、と叫びたくなる妻の気持ちもわかる。一方、夫は、酔っていたとしても、受け容れられず、あげく突き飛ばされたことが傷になっている。勝手だと思いながらも、男の性への繊細さを考えると、その傷も分からないではない。

「それから確かに僕は彼女を求めなくなったかもしれない。怖かったんですよ、セックスを拒絶されるのが。でもしなけばしないで日常は過ぎていくから、彼女がセックスの件でそんなに悩んでいるようには見えなかったけど」

 だが雅美さんは女としての自分を振り返る時期にきていた。
「下の子が三歳くらいになったころから、妙にいらいらして情緒不安定になっていったんです。おそらく私はすごくセックスをしたかったんだと思う。だけど夫からは求めてこない、たまたま私が迫ると渋々するけど、義理でしている感じが伝わって来て、終わってから泣けてしまうんです。

 自分が惨めでたまらなかった。これは彼にも言えないことですが、私、そのころ他の男性と関係を持つようになりました。そうでもしないと生きていけなかった。その人も家庭があったから、お互い割り切った関係です。それでも一緒にいると体も心も満たされた。その人は実は今も続いています。これは彼には言えませんが」

 一方の孝俊さんにも、外での情事はあったようだ。
「浮気? うーん、なかったとは言えませんが、妻は気づいていなかったんじゃないでしょうか。そんなに長続きした関係はありませんでしたから。やっぱり僕には家庭がすごく大事だったし、子供たちへの責任感もあったから、家庭を壊すような真似はするまいと思っていましたよ。

自分から妻を求めるのは控えていましたけど、妻から求められれば応じました。ただ、正直言うと、妻とのセックスが面倒になっていたのは確かですね・拒絶されたことが尾を引いていたのも事実なんだけど、それ以上に家庭内でセックスをすることが妙に不自然なもののように思えてきて。している最中だって、子供が泣けば妻はそっちに飛んでいくわけだし。

もちろん、それは当然そうするしかないんだけど、なにもそんな状況でセックスをしなくてもいいだろう、という気持ちが大きくなっていったんです。子供はふたりでいいと思いましたしね。男女のつながりも夫婦の絆も、別にセックスがすべてじゃない。むしろセックスなんて適当に外ですませてもいいんじゃないか、と。妻は浮気なんてしないでしょう。子供がふたりいて浮気なんて気分的にできるはずがないと思いますよ」

 妻の、他の男性との関係は今も続いている。夫はそれを知らず、妻が浮気をするはずがないと思っている。妻の気持ち、夫知らず。妻の行動も夫は知らないし、知ろうともしなかった。一方、夫が「セックスなんて外で済ませればいい」と割り切って考え方をするようになっていったことに、妻は気付かなかった。

「ふだんは夫は夫であり父親だし。私も妻で母親だけど、ときどき、男と女になりたくなる。夫にはそんな気持ちはわかってもらえなかったでしょうね」

 雅美さんはそう言う。徐々にふたりは男女としての微妙なバランスを欠いていった。離婚の直接のきっかけは雅美さんの心の変化だった。

「これは夫になじられてもしょうがないんですが、上の子が小学校に入って暫くしたとき、ある日突然、『もういいや』って思ってしまったんです。もう結婚生活に疲れた、放り出してしまってもいいんじゃないかって。ひとりで子供を育てていく方が時間的にも経済的に
もずっと辛いとはわかっていましたけど、夫の存在自体が非常にストレスになってきて。もういいやと思ったきっかけは、トイレなんですよ。

男の人って洋式の弁座をあげて用を足すでしょう。たいてい元に戻しませんよね。夫もそうでした。それはいいんですが、ある日、便器の縁に夫の垂らしたおしっこがついていたんです。それを見たとき、非常に生理的な嫌悪感が走った。でもそのときはペーパーで拭いて、部座を下ろして自分が用を足しました。何日か後、夫の後に入ったら、また便器に水滴が垂れていたんです。それが何度か続いて、ある日突然、もう嫌だっておもったの。それまでももしかしたら、夫の後には便器に水滴がついていたかもしれない。でも気づかなかったんですよね。

だけどある日気づいて、それがすごく嫌で、トイレに入るたびに嫌悪感を催して。自分で自分が信じられないような気がしました。そんなこと大したことじゃない、と言い聞かせました。

夫の下着も一緒に洗っているのだし、自分が疲れているだけだって。だけど、トイレで夫が用を足してから、性器を振って水滴が便器につくことを想像してしまうと、いてもたってもいられないくらい嫌な気持ちになってきて」

夫への妙な嫌悪感はどこから来たのかわからない。だがそれは彼女にも抗えない感情だったし、生理的なものだから話し合ってなんとかなるようなものだとは思えなかった、と雅美さんは言う。

「そのうち、彼に対して過剰反応するようになっていったんです。夫の体臭が我慢できなくなった。もともと体臭なんて感じられない人だったのに、夫が帰ってきただけで同じ部屋にいられないくらい息苦しくなる。夫がそばを通るだけで体が硬くなる。最初は何だかわかりませんでした。でもあるときようやく気づいたんです。私はもう夫を好きじゃないんだ、むしろ嫌いになっているって。それを自分で認めるまでに一年くらいかかりました」

 苦しい日々だったという。戸惑い、悩み、自分を責めた、それでも夫への嫌悪感は止まらない。夫は変わっていない、自分が変わってしまったんだ、とわかっても、自分を元に戻す術はなかった。

「セックスしてくれないなんだのって不満があるときのほうがまだ楽だった。相手と一緒にいたくない、一緒にいたら自分がおかしくなってしまうという気持ちを認めるのは本当につらかった。だけどそのうち、私は体中に酷い発疹がでるようになってしまったんです。

痛がゆくかきむしって血がにじんで、食事も取れなくなって、体が弱ってしまったんですね。それでついに私の母に来てもらって、私は一週間ほど入院しました。夫もたまたま出張で、一週間のほとんどをひとり病院で過ごしたんです、そうしたら、発疹も治って、心身ともに元気になれた。

やっぱり疲労が原因だった、夫への嫌悪感もきっと疲労のせいだ、と思って退院したんです。ところが家に戻って、夫も帰宅したらまた三日後には発疹が出始めて。それでとうとう観念しました。もうダメだって」

 しかし一緒に暮らしいるだけで妻の発疹を誘発してしまうとは、孝俊さんもさぞ複雑な思いだったんだろう。と思いきや、彼は妻から本当のことは聞かされていなかった。ただ、もう一緒にやっていけない、と言われただけだったという。だからもちろん、私はその事は孝俊さんには言わず、雅美さんから離婚を言い渡されたときの気持ちを聞くにとどめた。

「驚きましたよ、そのときは。子供だって下まだ小学校にも上がっていない。なにを言ってるんだ、と思いました。でも彼女は話し合う余地もなかった。あるとき彼女の肩に手をかけたら、異常に興奮した面持ちで、手を振り払われました。理由はわからないけど、とにかく激しく嫌われている、ということだけは感じました。彼女の目が焦点をなくしている気さえしたので、これ以上刺激しないほうがいいとっさに思ったんです。それから数日後には、僕は同じマンションの別の部屋に移ってひとまず別居という形をとりました。彼女が落ち着いてくれることを願いながら」

 ふたりが向き合って話し合えないまま、半年後には離婚。それが去年の春のことだ。だがその後は比較的、いい関係が続いているというから、男女はわからない。変化があったのは雅美さんだ。

「離婚したら、なんだか憑き物が落ちたみたいに気持ちが落ち着いたんです。彼は同じマンションの小さい二DKに今もいます。私は子供たちと一緒ですが、私がどうしても仕事で遅くなるときは、彼に家に来てもらうこともあります。どちらかが夜は子供たちと一緒にいるようにしないといけないから。

子供たちもなにか生活に変化があったことはわかっているようなので、『パパの仕事が忙しいから、同じマンションの中に別の部屋を借りたの。あなたたちはいつパパの部屋にいってもいいし、パパを呼んできてもいいからね』と言ってあります。

もう少し大きくなったら話そうと思いますが、大人に話しても分からないことを子供たちがどこまで理解してくれるか疑問ですね。今は彼が同じ部屋にいても息苦しくなることはありません。もう夫婦じゃないと思うと、案外気楽に言いたいことも言えるし。私の体調も良好です。あの頃はいったい何だったんだろうと私自身も思うんですが」

 ふたりの間にセックスの関係は今もない。だがそれも、「離婚したのだから、夫婦じゃなくなったのだからセックスしなくて当たり前」と思えるようになったら、気が楽になった、と雅美さんは言う。ただ、彼が風邪をひいたといえば、額に手を当てることもあるし、彼がなにげなく雅美さんの肩を抱くことがあるという。今はそれが決して不快ではない。

 彼女の場合、あるとき突然、それまでの結婚生活でのストレスが夫への嫌悪感という形で、一気に吹き出してきたのではないだろうか。「離婚してから気楽になって、言いたいことも言える」と雅美さんが言ったのが印象的だった。結婚しているとお互いに気まずくなりたくない、家庭内にもめごとを起こしたくない、子供の手前、いい父母でいなければいけない、というように夫婦にはさまざまな制約と重圧がかかる。雅美さんはそれに押しつぶされてしまったのではないだろうか。

 だがふたりとも、いつかまた一緒に暮らすことを視野に入れながら今の生活を楽しもうとしているそうだ。こういう家族の形があってもいいのかもしれない。一度結婚したらもう別れてはいけない、一緒に暮らさなくてはいけない、と「~すべき」にとらわれていると、きっと人は辛くなっていく。状況に応じて夫婦や家族の形を変えながら、自分たちにとって、どういう在り方がいちばん居心地がいいのか探っていってもいいのではないだろうか。

 離婚が増え、事実婚も多くなっている。家族のあるべき姿は、今、大きな過度期を迎えているのかもしれない。

 従来の家庭の在り方にしがみついているだけでは、逆に家族がバラバラになっていく可能性もある。女性が強くなり、わがままに生きてゆく欲求が募った分、男性も従来の「妻や母」を女性に押しつけているだけでは、意思の疎通が図れない。多くの人たちの取材を通して、「家族はどうあるべきか」「結婚とはどうあるべきか」と論じるのはもう違うと思わざるを得なかった。今考えるべきなのは、「自分たちはどうしようか。どうしたら私たちは幸せになれるか」ということに違いない。

エピローグ――胸に秘める男たち

 男は離婚でたいして傷つかない。してしまった離婚を悔やんだとしても、たいして悩みはしない。男性に対して、私はそんなイメージをもっていた。もちろん、あまり悩まずに「次に結婚するときは優しくて上品な女性がいい」と相変わらず夢をみているような男性もいないわけではない。だが、実際に話を聞いてみると、実は男性たちも想像以上に複雑な心理に陥り、苦しんでいた。それはまず。取材拒否が多かったことにも表れている。

 以前、離婚した女性たちに話を聞いたことがあるが、話すのを拒否されたことはほとんどない。むしろ話して自分の気持ちを整理したい、自ら名乗り出てくれた人が多かった。ところが男性は違う。ひとつにはプライドが邪魔して、「離婚などというみっともないことを他人に話す気はない」という気持ちがある。

更には、「何が何だかわからないうちに離婚してしまったので、話すことはない。いまだに家族を失った寂しさだけをひきずっていて、気持ちの整理ができない」という理由も多かった。いずれにしても、人に自分の感情を話すのが苦手な男性たちの姿が浮き彫りになる。それは年齢立場を問わず、男性の共通項のようだ。

 それでもなんとかつてを頼って、離婚した男性たちを捜しては話を聞いた。彼らは苦しんでいた。自分を責めていた、いきなり妻に捨てられた夫たちでさえ、妻への恨みつらみはあまりなく、結婚生活をまっとうできなかった自分のふがいなさを嘆き、降ってわいた災難に驚くとともに苦悩していた。

 結婚生活のことも夫婦のことも他人にはわからないものである。私が聞いたことが彼らの本当の言葉だったのかどうか自信はない。ただ、男性たちも離婚後はいろいろなことを考え、いろいろな苦しみを抱いて生きている。

女性が友達に話して解消しているストレスさえ、彼らは誰にも話せない。自分の胸の内に秘めたまま、淡々と仕事をし、淡々と日常を生きているように見せる。話を聞かせてくれた方々には、この場を借りて心から感謝したい。個人的な事情を鑑み、登場していただいた方々はすべて仮名にしたことをご了解いただきたいと思う。

 この本を読んでくれたあなたへ――。本当にありがとうございます。今、あなたがどういう立場にいるのかわからない。既婚か未婚か離婚経験者か。ただ、きっと恋愛や離婚に対して迷いや悩みがあるに違いない、という気がする。

理想の結婚なんて、ひょっとしたらどこにもないのかもしれない。一生添い遂げよう、と決意した相手と、いつしか、なぜか、気づいたらすれ違っている。そして離婚という経験に至ってしまう。理由はそれぞれだし、当事者にもわからないことがたくさんある。ただ、人間は日々変化していくのだということは実感する。同じように変化していけばいいのだが、夫婦であっても、変化する方向性が違っていたり速度があまりに違っていたりすると、一緒に歩んでいけないと思う日が来るのかもしれない。

 それでも私は思う。「離婚」から、人は何かを学べるはずだ、と。それをスタートとしてまた新たな自分自身を作り、新たな人生を築いていけるに違いない、と。

亀山早苗 1960年東京生まれ、明治大学文学部卒。フリーライター
 男が離婚を語るとき 二〇〇三年一月発行 
 恋愛サーキュレーション図書室の著書