夫婦の仲は一朝一夕にできあがるものではない。壊れるときは瞬時かもしれないが、壊れるまでさまざまなことが積み重なってきているはずだ。夫たちは「できれば別れたくない」という気持ちを常にどこかにもっているものだし、生活習慣を変えるエネルギーも女性ほど強くない。男性は「いつもあるもの」「長く一緒にいたもの」に案外、愛着をもっているものだ。

本表紙男が離婚を語るとき 亀山早苗

第三章 僕らの離婚――ケース・スタディ

◆浮気の代償

 妻に浮気がバレ、気づいたら追い出されていた、という男性がいる。思わず笑ってしまうような話だが、もちろん本人にとっては大問題。おとなしい妻の大逆襲といえる。

 片岡陽治さん(三十五歳)は、友だちの紹介で知り合った三歳年下の女性と、三十一歳の時に結婚した。彼は冷静で、芯のしっかりした女性だったという。

「よく結婚式を巡ってケンカしたりするけど、僕らの場合はそれもなかった。彼女はシンプルで飾り気のない披露宴を望んでいました。僕も異論はなかったからほとんど女性に任せきり。もちろん話し合いはしましたが、実際細かいことは細かいことは彼女に任せてしまった。でも彼女は冷静にすべてうまく対応してくれました。彼女は仕事のできる女性だから、式の段取りなんかについても的確に希望を出して、会場側と意見をすりあわせて。披露宴も温かい感じのいいパーティだったとみんなに言われました。ひとえに彼女のおかげだと思いますよ」

 結婚生活も順調だった。共働きだから、待ち合わせて一緒に帰ることもあった。あるいはそれぞれ別に友人たちと外食したり、どちらか早い方がテイクアウトの総菜を買って帰って簡単にすませたり。お互いの予定に合わせてフレキシブルに日々を過ごしていたが、妻は必ず腕によりをかけて食事を作った。

「彼女、料理が旨いんです。作るのが好きだから、時間があればいろいろ作って冷凍保存しておくこともありました。僕も台所に立ってよく一緒に料理をしたんですよ」
 子供については、彼女が三十代になってから考えようと話し合っていた。まずは夫婦としての絆を強めるのが先だとふたりともかんじていたから、そして結婚生活二年間、何事もなく順調に過ぎて行った。

「彼女は忙しいのに、僕の両親の誕生日には自分でプレゼントを選んで送ってくれる。時間があればわざわざもっていくこともあったし、自分が出張に行けば出張先からおいそうなものを両方の両親に送るんです。そういうところは本当に優しい気遣いのできる女性でしたね。僕は日常生活においてなにも不満はなかった」

 かれがちょっと言いよどんだ。ひょっとしたら、と性生活のことを聞くと、彼は少し小さい小声になった。
「彼女、あまりセックスが好きじゃなかったんです。なければなくてもいいというタイプ。求めれば応じるけど、それで我を忘れるというようなことはなかったみたいです。でも僕は不満というわけじゃなかったんですよ、ただ‥‥」

 そう、結婚生活が三年目に入ったところ、彼は出会ってしまったのだ、運命を変えてしまうような女性に。彼女――麻里さんは彼より三歳年上、当時三十六歳。彼がときどき行くバーのママだ。バーといっても接客は彼女一人の小さな店。板前の修業をした弟が、小さな店とは思えないくらい創造的な料理を出す。バーというよりは洋風小料理屋と言った方がいいかもしれない。

小さめだが個室もあるので、気の置けない取引先なら接待としても使える。プライベートで友達を連れていったりひとりで行ったりしても値段は手頃だ。片岡さんは、週に一、二度はその店に顔を出していた。

「そこを知ったのは結婚してから。料理もおいしいし、くつろげる店なのに、なぜか妻と一緒に行ったことはないんですよね。ここは僕だけの空間にしておきたいという気持ちがあったのかもしれない」

 彼が麻里さんとわりない仲になってしまったのは、その店に通うようになってから一年が経過したころ。結婚三周年の記念日を夫婦で祝った直後にあたる。

「仕事でちょっと嫌なことがあって、帰りにその店に寄ったんです。そうしたら飲み過ぎて潰れてしまった。そんなことは初めてだったから、麻里も何かに気づいたんでしょうね。ふっと目が覚めたら、厨房の裏にある小さな三畳くらいの部屋に寝かされていたんです」

 そこは物置兼麻里さんがときどき足を伸ばしてくつろげるように作られた部屋だった。片岡さんが起き上がって時計を見ると、午前二時を回っていた。店はたいてい十二時過ぎには閉める。迷惑をかけてしまったとあわてて店の中へ戻った。麻里さんはひとりでコーヒーを飲んでいた。

「酒場のママなのに、彼女はあまりお酒が得意じゃないんですよ。客に勧められれば少し口をつけるという程度。僕を見ると、彼女はにこっとして『コーヒー、飲む?』って。それでコーヒーを飲みながらぽつりとぽつりと話したんです」

 彼女は客に対して一切、自分の私生活を話さない。酔客が、『ママ、結婚したことはあるの?』『恋人はいないの?』しつこく尋ねても、適当にさらりとかわすだけ。常連客の間ではいつしか彼女のプライベートを詮索してはいけないと暗黙の了解ができていた。客たちは、自分の愚痴をママに聞いてもらって帰るのが常だった。

だがそのとき、麻里さんは一度結婚したことがあると話した。夫の暴力がひどかったが、自分が更生させる、自分ならできると信じていたという。だが結局は、内臓破裂寸前というほどの殴るけるの暴力を受け、彼から離れた。自分の愛が、彼を追い詰めたのではないかと今でも思っている、と。

「そんな話を聞いているうちに、急に彼女が欲しくなったんです。好きとか愛とかそういう言葉では説明できない。ただただ、彼女に深い共感を覚えると同時に、強烈な欲望を感じて自分を抑えることができなくなった。気がついたら彼女を抱き寄せて唇を寄せていました。最初、彼女は抵抗して唇を固く閉じていたんですが、こじ開けて舌を入れると、急に激しく応えてくれた。

どのくらいの間、キスしていたのかわからない。とにかく、とても濃厚だったのを覚えています。そうしているうちに彼女の体から徐々に力が抜けていくのがわかったので、抱き上げて僕が寝かされていた部屋に連れて行ったんです」

 優しく、荒々しく彼女を抱いた記憶がある。彼女の反応の激しさに彼の欲望は衰えることがなかったという。気づいたら、初夏の夜はすでに明けていた。

「独身時代はそれなりに女性とつき合ってきた自分では思うんです。風俗の店にも行ったことがある。だけど彼女ほど肌が合うというのかな、それを感じた女性はいませんでした。もちろん妻も含めて」

 麻里さんとは何も約束もせず、いったん自宅に戻ってほとんど寝ずに出社した。妻には泥酔して終夜営業の飲み屋で潰れていた、と言った。半分本当で半分は嘘だ。そんな状態で出社したにもかかわらず、彼は疲れを覚えなかった。むしろ仕事に集中することができたという。

「それで気づいたんです。僕は以前からずっと彼女のことが気になっていたんだ、と。だけど自分の気持ちを見せないようにしていた。結婚生活はそこそこ幸せだったし、わざわざ妻を傷つけるようなことはしたくなかったから。心のどこかで『自分だけの落ち着ける店に、気に入った女性がいる』ということだけで満足しようとブレーキが働いていたんでしょうね。だけどあの強烈な欲望には勝てなかった」

 彼女の何が、片岡さんの欲望に火をつけたのだろう。それは彼本人もよくわからないという。たとえば香水の匂いに触発されたとか、彼女のうなじに色気を感じたとか、そういう表面的なことではないと彼は断言する。話しているうちに、彼女の存在そのものに対して体の奥から湧きあがって来る熱い何かがあったのだ、と。

「それが単に体の欲望だけという意味ではないんです。彼女のすべてがほしかった。その手段としてのセックスだったんですが、結果的に予想もしないくらいの快楽と愛しさを覚えてしまって‥‥セックスを通して、彼女自身の心と触れあった感覚がありました。それが肉体的な快感を強めたというか。とにかくなんともいえないくらいの強烈な体験だったんです」

 だからこそ、彼はしばらく店に足を向けなかった。自分とああいうことがあったのだから、他の客ともあったかもしれない、と自分自身に言い聞かせ、一夜の過ちですませようとがんばった。だが、心身ともに刻み込まれた記憶は強烈過ぎた。十日後、彼は店の扉を開けていた。

「彼女は一瞬、眼をみはりましたが、ごく普通に客として迎えてくれました。僕もなにげなく振舞った。その日はたまたまどしゃぶりの雨で、夜十時くらいにはもう客足も途絶えちゃったんです。彼女は、弟に『もう今日は店じまいしましょう』と言いました。そして僕に向かって、まだいて欲しいというジェスチャーをすると、弟を帰したんです。そしてその前と同じ小部屋で、また関係をもってしまいました」

 一度が二度になり、三度になったらもう引き返せない。そのつど、情が深まって男女の関係は蜘蛛の巣にからめとられたような身動きできなくなっていく。片岡さんたちの場合は肉体的な快楽もとめとどめなく深まっていった。

 正直に自分の快楽を追求し続ける麻里さんに、彼はどんどん惹かれていく。ときには彼女が店を休んで、外でデートすることもあった。麻里さんは気っ風がよくて姉御肌。それなのにときとして非常に繊細で、少女のように研ぎ澄まされた感性をもっていた。かつてはお互いに文学好きだった、映画好きだったところから話も弾んだ。ある日、映画を見に行ったときは、帰りに何時間もその映画について話し続けた。

「こんなに真剣に楽しく話せる女性に、僕は初めて会いました。妻は穏やかでいい性格だけど、議論みたいなことは好きじゃない。僕は妻にないものを彼女に見出して引かれていったんだと思います」

 妻の目を盗んで八か月ほど関係は続いたが、結局は妻にばれてしまう。彼の態度を怪しんだ妻が興信所を使って調べさせたのだ。それを突きつけられたとき、彼は自分が悪いことを重々意識しながらも、妻に幻滅したと本音を話してくれた。

「証拠写真と報告書を突然見せられました。いきなり逃げ場のない状態に追いつめてきた妻が、今まで僕の知っている妻とは別人のように思えて‥‥。追い込まれてつい、『しばらく別々に暮らさないか』と言ってしまったんです。妻は泣くでも騒ぐでもなく、黙っていました。そうなると僕ももう引っ込みがつかない。

彼女自身が動く気配がないので、僕が身の回りのものをバッグに詰めて、その夜の内に出ていったんです。夜中に妻を追い出すわけにもいかないけど、外に出たとき、『何でオレが出て行かなくちゃいけないんだろうなあ』と思いましたよ。その日はビジネスホテルに泊まりました。麻里には連絡しませんでした。彼女のことと家庭のことは別ですから」

 かれは三日ほどビジネスホテルで過ごした。その間、一度だけ麻里さんの店に行が、「仕事で明日、早いから」と言って早めに切り上げホテルに戻った。妻からは何も言ってこない。自分が悪いのはわかっていながら、彼は妻の沈黙にいらついた。

 四日目、午後九時ごろ、意を決して家に帰ってみると、妻はまだ帰宅していない様子だった。マンションのドアの鍵を開け、中に入ったところ、なんとなく以前と雰囲気が違うことに気づく、台所のテーブルの上に妻の書き置きがあった。

「その書き置きがひどいんですよ。僕の荷物をすべて、とあるアパートに移した、と。鍵を置いて出て行っていったら連絡ください、と書いてあるんです。アパートの地図もありました。つまり彼女は僕の留守に、勝手にアパートを決めて、僕の荷物を全部そこに移しちゃったんです。自分は僕が引っ越し終わるまで、友だちの家に避難しているから、と。避難、ですよ。いくらなんでもものには言い方っていうものがあるでしょう。僕は別に疫病神じゃないんだから」

 失礼ながら、この妻のやり方の潔さに、私は頬が緩んでしまった。浮気発覚、即追い出す、夫の住処を移してしまう。この行動力とあっ気からんとしたやり方に、呆れる前に「あっぱれ」と思えてしまったのだ。

 片岡さんが少し笑いながら続けた。
「妻はしっかりしていて冷静だけど、性格的には優しいところがあるんですよ。だけど敵に回すと怖い女性の典型ですね。どう頑張っても勝ち目はない、とおもったので、そこにあった離婚届に判を押し、鍵をドアポストに入れて出ていきました。外に出てから妻の携帯電話に電話したのですが、留守電になっていたので、『これからアパートに行く。さようなら』と言い残しておきました。それっきり会っていないんです」

 何度か電話で話したが、妻は非常にあっさりしていて、自分への未練も結婚生活への情もまったく感じられないという。

「元の妻がどういう人間だったのか、女としてどういう性格だったのか、今でもまったくわかりません。だって浮気がばれるまでは本当にうまくいっていたんですから。セックスを除いてはね」

 私はふと気づいた。以前、離婚した数多くの女性に訊いたことがあるが、「夫がどういう人間かまったくわからなかった」という発言はほとんどなかった。むしろ、「夫がこういう性格だからこうなって」という分析ができている女性のほうが圧倒的に多かった。

ところが男性たちは、一様に「妻がどういう人間かわからなかった」と話す。女性という性は男にはわかりにくいものなのか。あるいは男が「妻である女性」を真正面から見ようとしないのか、原因はわからない。だがそんなところにも男女の違いよく表れているような気がしてならない。

 片岡さんは結局、今もひとりで暮らし。麻里さんとの関係は続いているが、麻里さんは仕事があるし、再婚の意志もないという。もちろん、そういう男女の関係を続けていくのも悪くはない。結婚だけが人生でないのだから。

◆妻が男と出奔

  男女の仲は何が起こるかわからない。信じていた妻と後輩、ふたりに裏切られたら、男として立ち直る事ができるだろうか。

 安西孝俊さん(三十七歳)の話を聞きながらそう思わざるを得なかった。安西さんが結婚したのは二十九歳のとき。相手は同じ会社に勤めるひとつ年下の美絵さん。同じ部署で働いているうちにお互いに惹かれあい、二年間の交際を経て結婚した。結婚と同時に美絵さんは退社、派遣社員として別の会社で働くようになった。ごく普通の恋愛、ごく普通の結婚生活だ。

 安西さんは営業職で平日は帰りも遅い。必然的に家事は美絵さんがやる事が多かったが、
「彼女も僕も子供が大好きだったので、早く子供が欲しくてしかたがなかった。だけど結婚して二年たっても子供ができない。それで彼女は病院へ行ったんです」

 美絵さんには特に問題がなかった。それで、安西さんは、自分の責任かとびくびくしながら病院に同行した。ところが安西さんにも特に問題はないとわかる。

「医者に言われました。不妊の原因は四割が男、四割が女、そして残りの二割はどちらにも問題がないんだ、と。妊娠の確率って意外と低いものだから、あまり焦らずに普通の生活を続けるしかないんです。ただ、病院の帰りに妻が、涙ぐみながら『私たちの相性が悪いってことなの?』と言ったのを妙に覚えています。僕は『そんなことがあるわけないだろ』と一蹴しましたが」

 彼らのようなケースは、積極的に不妊治療をするわけにもいかず、非常に中途半端な立場になるのだという。原因がはっきりすれば対処する方法もあるのだが、安西さん夫婦は、はっきりしないだけにどうしたらいいか分からなかった。

「子供だけが人生じゃない子供好きな夫婦にできないって皮肉な話ですよね。でもいずれ養子をとるという選択もあるし、気を落とさずに仲良く暮らしていこうと話し合ったんです」

 美絵さんも一時はひどく落ち込んだものの、少しずつ立ち直っていった。子供がいないとなれば、今の生活を楽しんで暮らすのもひとつの方法。ふたりは週末にテニスをするようになった。友だち夫婦とホームパーティを開いたり、外で食事をしたり、となるべく開放的な生活を心がけた。

「テニスをするようになったとき、会社の後輩カップルにも声をかけたんです。彼は僕よりふたつ下なんですが、気持ちのいい奴でよく一緒に飲みにも行く。彼の恋人も明るくてからっとしているので、美絵と性格も合いそうだなと思って。彼らは一緒に住んでいるんですが、結婚という形態はとらないとよく言っていました。オープンでなんでも話せるカップルなので、美絵ともすっかり仲良くなって、四人でよく一緒に遊びに行くようになりました」

 後輩は小倉さん、その彼女は佳奈さんという。当時小倉さんも佳奈さんも三十歳、ふたりは一緒に暮らして二年ほどたっていた。いわゆる事実婚といっていいカップルだ。

「美絵と佳奈さんはふたりで仕事帰りに待ち合わせて食事をしたりするようにもなっていきました。新しい友だち、しかもとびきり明るい女友だちができて、美絵はすっかり明るくなったので、僕もすごくほっとしたんです」

 週末はたびたび四人でテニスをしたりドライブに行ったり、と楽しんだ。ときには違う友だちも交えてみんなでキャンプに行ったこともある。

「ところが、かれらそうやって遊ぶようになってから二年近くたったところで、美絵が突然、置き手紙をしていなくなってしまったんです。僕が仕事から帰ってきたらいなくなっていた。手紙にはただ、『あなたと暮らしてきて幸せだった。探さないでください』と書いてありました。最初は悪いいたずらなんじゃないか、としか思えなかった。本当に何が起こったのか理解不能でした。

探さなくちゃいけないと思ったんだけど、どこをどうやって探せばいいかわからなくて、あわてて佳奈さんの携帯に電話したんです。彼女なら何かを知ってるんじゃないかと思って。『うちの美絵がいなくなったんだけど』と言った瞬間、佳奈さんが息を吞むのがわかりました。
『何か知っているの?』と聞いたら、『きっと小倉と一緒だと思う』って。何のことか僕にはまったくわからなかった。あとから考えたら、小倉はその日、会社を休んでいました。だけどまさか、なぜあのふたりが? という思いでいっぱいだった」

 美絵さんと小倉さんはいつしかふたりだけの秘密の関係をもっていた。佳奈さんは薄々勘づいていたようだが、安西さんは疑って見たこともなかったという。

 安西さんはすぐに小倉さんの携帯電話に電話したが、つながらない。もちろん美絵さんの電話もつながらない。二人は何処に行ってしまったのか。安西さんは佳奈さんと会って話してみたが、なす術もない。翌日まで待って連絡がなかったら家出人ということで届出を出そうと話はまとまった。

 届出をだしてからも、ふたりの行方は杳(はっきり)として知れなかった。ふたりの実家、友だち関係にも連絡をとり続けたが。やはりどこにも消息を伝えるような連絡はない。しられたくない関係のふたりが失踪したのだから、そう簡単に知り合いに連絡してくるはずもないだろう。安西さんも佳奈さんも疲弊したが、「とにかく安否を知りたい」と探し続けた。ふたりの実家を尋ね、小中学時代の友だちにまで連絡をとった。

 ついにふたりが見つかったのは二年後だった。小倉さんが佳奈さんと住んでいた自宅に電話をかけてきたのだ。佳奈さんは自分がいなくなるわけにはいかない、とふたりで住んでいたマンションに住み続けていたのが幸いした。ふたりで払っていた家賃をひとりで払うのは大変だったが、どうしても動きたくなかったのだと言う。

「小倉は佳奈さんに電話してきたとき、泣いていたそうです‥‥」
 安西さんの声がふと途切れた。目にうっすらと浮かぶものがあった。私は見て見ぬふりをして待った。

 実は美絵さんが体を壊していたのだ。だが保険証ももたずに出たふたり、医者にかかる余裕もない。美絵さんは無理して働き続けていたが、とうとう勤め先の飲食店で倒れ、救急車で運ばれたのだという。

 安西さんと佳奈さんは、ふたりがいた山陰地方のある街へ飛んでいった。迎えた小倉さんを見た瞬間、安西さんは腹の底から怒りがわいてきたという。

「近づいて思い切り彼を殴りました。倒れたところをまた殴りつけて。佳奈さんが止めてくれなかったら僕はヤツを殺していたかもしれません。小倉はまったく歯向かってこなかった。ただただ、土下座して泣いて謝っていました。佳奈さんは非常に気丈で冷静に振る舞っていましたが、内心は相当悔しかったはずです。でもあのときは佳奈さんに救われたと思う」

 数日後、恵美さんの容態が落ち着いたので、三人で美絵さんを東京にへ連れ帰り、大きな病院に入院させた。しばらく検査をしたあとに知らされたのは、美絵さんがガンに冒されているということだった。

「誰も何も言えなくてなりました。しかも進行性の胃がんで、余命半年あるかどうかだという。まだ三十四歳だったんですよ。ふたりで逃避行していたことがどれほど美絵にとってストレスだったのかわかるような気がしました。僕ら三人はそれを受け止めるだけで精一杯だった。僕は小倉を憎んでいましたが、おそらく美絵が愛しているのは、僕じゃなく彼です。

告知された晩、僕はただただ泣きました。佳奈さんが黙ってそばにいてくれた。明け方になって、僕は言ったんです。『小倉と美絵を一緒にさせてやったほうがいいんだろうか』と。佳奈さんも泣いていました。彼女もまだ、小倉を思っていた。僕は美絵を入院させてから、小倉に、『オマエと美絵は他人なんだから、これからはすべてオレが彼女の面倒を見る。オマエは来るなと言ったんです。

僕がいない時は誰にも見舞いに来させないように病院にも頼んでおきました。美絵は、僕とはほとんど話さない。彼女が小倉を待っているのは明らかでした。でも僕はふたりを会わせないようにしていたんです」

 ガンを告知された晩、そんな狭量な自分にも腹が立った。もし余命が半年ならば、本当に好きな人と一緒にさせたほうがいい。しかし、それは自分の気持ちを完全に殺すことになる。安西さんは迷い、苦しんだ。

「小倉と佳奈さんは東京に戻ってきてからは別々に暮らしていました。小倉は友だちのところ居候していたんです。出奔したとき、会社も首になっていましたから。僕は数日、夜も寝ずに悩み続けまし。でも美絵には時間がない。そこで小倉に連絡をとって、『美絵のことはオマエに任せた』と告げました。経済的には僕も援助する、だけど僕は頻繫には病院に行かない。だから…‥」

 安西さんの声がまた途切れた。彼女のことを思うからこそ身を引いた彼の気持ちを考えると、私も目頭が熱くなるのを抑えることはできなかった。

 安西さんは美絵さんと小倉さんの前に、籍を抜こうと思う、と言った。佳奈さんも同席、同意してくれた。
「半年たったら、小倉美絵になれ、と美絵に言いました。美絵は自分の残りの命を知らなかったけど、きっと気づいていたはず。だからこそ、そうやって希望を持たせたかったんです」

 耐えきれなくなったんだろう、安西さんは「なんだか暑いですね」と言い訳のように呟くと、ズボンのポケットからハンカチを出して顔をごしごしとこすった。自分の愛する者を他人の手に委ねる決断。それができる人は本当に少ないと思う。

 愛というものをどう定義したらいいのか、私にはいまだにわからずにいる。とことん好きだから自分のものにしたい、という欲求はわかりやすい。だが、自分から離れることで相手がより幸せになるだろうと思えたら、自分はその人を手放すことができるだろうか。

人間の愛情は所詮、エゴイズムの上に成り立っているのではなかろうか。だから人は愛する者を縛り付けたくなる。それだけに安西さんの決断には心底驚かされるし、尊いものだと感じさせられる。

 小倉さんは再就職もせず、美絵さんのそばで日々を過ごした。安西さんも佳奈さんも週に一度は顔を出した。

 三ヶ月ほどで美絵さんは一時退院。もちろんよくなって退院したわけではない。手の施しようがないから、薬を飲みつつも普通の暮らしをさせていたほうがいいという医者の判断だった。安西さんはこのとき、自宅をふたりに提供し、自分は都内の自分の実家に戻って生活することにした。

「親には馬鹿だって言われました。逃げた女房にそれほど未練があるのか、お人好しもほどほどにしろ、と。だけどその頃の僕は、ただ、美絵に少しでも長く生きてもらいたかった。人間って不思議なものですよね。僕も苦しんだし悩んだし、正直言ってふたりを見つけたらぶっ殺してやると佳奈さんに向かって叫んでいたこともあるのに、いざとなったらやはり美絵には長く生きてほしいと心から思えるようになった。生きているからこそ憎しみも喜びもあるんだってわかってきましたよ」

 小倉さんは近所のコンビニで働きだした。誰もが美絵さんの奇跡を祈りながら、なるべくなにごともなかったような日常を送ろうとしていた。そうすれば美絵さんの病魔がどこかへ去ってくれるのではないかと信じたかったのだ。

 半年もつかもたないか言われた美絵さんだったが、小倉さんだけでなく。安西さんや佳奈さんに見守られて一年ほど、普通の生活を送ることができた。痛みに耐えられず入院して一週間後、美絵さんはあっけなくこの世を去った。

「亡くなる二日前、たまたま病室でふたりになったとき、美絵が『あなたはどう言ったらいいかわからない。私はあなたに出会えて本当によかった。ありがとう』と言ったんです。
僕は何も言えずに痩せ細った美絵の手を強く握り続けるしかなかった。その直後、絵美は意識をなくして、二日間、意識が戻らないままに最後は静かに息を引き取りました。まるで微笑んでいるかのような穏やかな顔でした。

結局、最後に彼女と言葉を交わしたのは僕だった。小倉は、『最後に彼女が話せたのは先輩でよかった。心からそう思います』って号泣しながら言ってくれた。いろいろあったけど、僕も美絵に会えてよかったと今では思います。ただ、美絵も小倉も僕に遠慮したのか、結局、籍を入れることはありませんでした。ふたりが決めたことならそれでいいけど、僕に遠慮した結果だとしたらちょっと残念ですね」

 美絵さんが亡くなってから、小倉さんは九州の実家に戻り、親の仕事を継いだ。佳奈さんはもう小倉さんが住んでいたマンションから引っ越したが、東京でがんばって仕事を続けている。そして安西さんは美絵さんとの思い出の自宅、小倉さんと美絵さんに提供していた時期もある自宅を引き払い、別の場所でひとりでくらしている。

 それぞれがそれぞれの思いで美絵さんの死を受け止めた、いや、ひょっとしたら誰もが受け止めきれなかったのかもしれない。わかっていたことはいえ、身近な人の死はそう簡単に心の引き出しにしまい込めない。しかも、彼らの場合は、いろいろな感情が渦巻いていたはずだ。

「不思議なことに、僕らは今後どうするかということを何も話さないままに別れました。小倉から九州に帰ったと連絡が来たのは三ヶ月後。僕自身もずっと『僕らはあれでよかったのか、もっと何かしてやれたのではないか』『そもそもどうしてこんなことになったんだろう』とよく考えましたよ。眠れない日々も過ごしました。酒を飲んで荒れ狂った晩もある。それでも時間は流れていくんですよね。僕ら三人は、連絡をとりあって一周忌に集まりました。自分がどういう感情になるのかわからなくて怖かったんですが、顔を合わせた瞬間、なんだか懐かしいような不思議な気持ちになったのを覚えています。

先日の三回忌にも会ったんです。きっと七回忌にも三人で会うと思う。よくわからないんだけど、三人ともそれぞれ別の人生を歩んではいてもどこか戦友みたいな気持ちがあるんですよ。僕も佳奈さんも裏切られたには違いない。でも時間とともに、そういう恨みは消えていきました。むしろ、美絵を通して、僕らは人を思いやることを精一杯学んだような気がする。

不思議なんだけど強烈な体験でした。再婚? うーん、僕はあれから恋愛もしたことない。まだ二年しかたっていませんから、すべてを自分の中で消化するにはまだまだ時間がかかるような気がします」

 仲のいい後輩と自分の妻が恋に落ちて行方不明。それだけでも衝撃的なのに、さらに妻の病気が重なり、彼は妻の幸せを願って身を引き、自ら離婚を申し出た。こういう形のせつない離婚もある。この過酷な数年間で、安西さんは人の悲しみ、情け、悲しみなど、多くのことを学んだのではないだろうか。聞いているだけでつらい体験だが、何かを耐え忍んで乗り越えてきた彼は、大人の男としての魅力をたたえているように見えた。

◆性的に満足させられなくて

 「セックスがないとやっぱり夫婦関係は継続できないのかなあ」
 以前からの知り合いが離婚したと聞いて早速会いに行ってみた。すると彼はいきなり私にそう問いかけてきたのだ。

 落合正昭さん(四十四歳)は、二十五歳のとき結婚した。相手は仕事仲間だった三歳年上の律子さん。十六歳になるひとり息子がいる。彼が三十代のとき、一度、『最近、性的にダメになってきた』という話を聞いたことがあった。だがそれは単に仕事上のストレスが原因だったらしく、その後は、若い女性と浮気したりしてもいたのを私は知っている。

 いつ頃からセックスレスだったのかを聞くと、ここ十年くらいは年に一度あるかないかという状態だったという。

「うちのカミさん、独身時代からあんまりセックスが好きじゃなかったんだよ。セックス好きな女性ってオレは苦手だから、あんまり好きじゃないっていうカミさんに惹かれたというところもある。何でか? だってセックス好きな女性って怖いじゃない? 女性が積極的だとオレ、すぐに気持ちが引いちゃうんだ。ここ十年、極端にしなくなっていたんだけど、本当はね、子供が生まれてから、する気をなくしていたんだ。オレ、出産に立ち会ったんだよ。それでちょっとショック受けたのと、子供が生まれてきた神聖な場所に、オレのモノなんか入れたら申し訳ないという気持ちが重なって、したくなくなった」

 出産に立ち会ってショックを受けたという男性は多い。もともと男性は血に弱い。女性は毎月、自分の身体から血が流れるのを受け入れざるを得ない性だから慣れているが、男性はそうはいかない。妻の壮絶な苦しみを見て卒倒しそうになったという男性もいるし、出産後の妻の悲鳴やうなり声を聞いて怖くてなったと真顔で話す男性もいる。しかもある種、神聖な出産というものに立ち会ってしまうと、自分の「汚れた」ペニスを、子供の出てきた場所に入れることがひどく罪深く感じられるようになるという。

ペニスを入れたから子供ができたのにと思うと、不思議な思考回路ではあるが、男性は女性が思っている以上に、自分の性を汚らわしいものだと感じているようだ。ペニスに自分のプライドを托しているようなところがある半面、理性でコントロールできない性欲を経験しているだけに、男の性は象徴であるペニスを美しいものとはとらえられないのだろう。

 落合さんは子供が生まれて以来、極力、セックスを避けてきた。だが、子育てが一段落した妻は、セックスがなくなっていることに恐れを抱く。もともとセックスは好きじゃないといっても、あまりに間遠くなると、女性は夫が自分を女として見ていないのではないかと苦しむようになるものだ。

 彼の妻、律子さんは三十代半ばころからかなり焦りを感じていたらしい。エロティックな下着をつけて深夜に帰った彼を出迎えたり、妙な滋養強壮剤を朝のテーブルの上に置いていたりするようになった。

「朝起きると、テーブルの上に強烈なまむしドリンクみたいなものが置いてある。次の朝はまた別な滋養強壮剤。これ、怖いよ。本当に。脅迫されているように感じ。だけどカミさんは、どっかで変な道徳に縛られているから、自分から直接、欲望を口にすることはなかったんだ。オレもドリンク剤に脅されて『しなくちゃいけないなあ』とは思っていた。だけど、どうしても家ではする気になれない。

ところがあるとき、酷く酔っぱらって帰って、カミさんの寝顔を見たら、急にしたくなった。それで襲いかかったんだけど、いざというとき、カミさんと薄暗がりでぱっと目が合ったわけ。そのとき、彼女の目がぎらって光ったような気がして、ひゅんって萎えちゃったんだよ」

 彼の口調に私は笑い転げてしまった。長い間の知り合いだから、失礼を顧みず笑ってしまったのだが、彼自身も笑いながら話を続けた。
【広告】男と女というのは、実は結婚した時から飽きる方向にしか向かって行かない。いくら好きだからと言って、年中すき焼き食わされたら、誰だって飽きます。夫婦関係を永遠に繋ぎとめておくために、多種多様な戦術を利用する。そうした戦術の大きな基盤の一つとなるのは、配偶者がもともとどんな欲求を抱いていたかという点だろう。配偶者の欲求を満たす、そして例えば愛情とセックスによって繋ぎとめられるのが理想だが、大概の男女はオーガィズムの奥義をほとんど知っていないという実情がある。オーガィズム定義サイトから知ることができる。
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 「だけどさ、いざというとき萎えたという事実は、オレにとってすごくトラウマになっちゃったわけ」

 そのころなのだろう、彼から「オレ、ダメになっちゃったよ。どうしよう」という話を聞いたのは。だがその後、浮気していたということは無事に復活したのだろう。

「外では復活したんだけど、カミさんとだとダメなわけ、やっぱり。仕事がいそがしくてほとんど寝ていなくて、疲れきっているときなんか急にしたくなるんだけど、カミさんと、と思っただけで萎えてきちゃう。

そういうときはひとりで処理してたんだよ。だけどあるとき、夜中にエロビデオを見ながらひとりでしてたら、それをカミさんに見つかっちゃって。カミさん、悲鳴をあげてビデオを消すと、オレの顔を平手打ちにしたんだ。それから実家にしばらく戻ってしまった。オレは謝り倒して帰ってもらったけど」

 彼は決して妻を嫌っているわけではない。むしろ、子供の母親として、完璧な主婦として尊敬さえしているのだ。だが、それが逆にセックスする上ではネックになっているのだろう。

 常に揺れ動く夫婦関係の中、決定的だったのは、ここ数年の妻の微妙な変化だった。
「カミさんが夜中にオレの上に乗っかって来るようになったんだよ。自分も偏見だってわかっているけど、外でつきあっている女性が積極的なのはすごく嬉しいわけ。でもカミさんが積極的なのはどうしても許せない。カミさんには聖母でいてほしい、という気持ちがあるんだよね。

だから乗っかってこられると、露骨に押し戻したりしちゃんだ。そういう妻を見たくない、という気持ちが大きい。妻には女でいてほしくないんだ。わかっている、それがおかしいってことは。だから怒るなってば」

 彼はあわてて私を制した。何それ、と私が口を挟んだからだ。妻だって女性だ。妻である前に女性でもあるかもしれない。そんな風に妻に接するなら、妻が浮気してもいいのか、と私が思わず腹を立ててしまったのだ。

 そんな状態が数年続き、五年前、四十二歳の妻は、子宮筋腫のために子宮摘出手術を受けた。以前から手術を勧められていたのだが、できるだけ手術はしたくない様子を見ていたのだ。だが筋腫は数も増え、大きくなりすぎたために日常生活にまで支障が出るようになっていた。

そこで、子宮摘出手術を余儀なくされたのだ。入院の前日、妻は悲愴な顔で、「私を抱いて」と夫に訴えてきた。子宮が亡くなる前に女として完全な状態で、夫と交わりたいというせつないほどの女心。彼ももちろんそれはわかっていた。だからがんばったつもりだったが、またしても肝心なところで充分に役目を果たすことが出来なかった。妻は背を向けて泣き出したという。

「泣きたいのはオレのほうだったよ。あんなときにはしなくちゃいけない。それはわかっているけど、どう頑張ってもダメなんだ」

 手術は無事にすみ、妻は健康を取り戻したが、夫婦仲は戻らなかった。表面上、何事もなかったように過ごしていたが、妻はそれ以来、寝室を別にするようになった。

「ほっとしたと同時に、やっぱりこれでいいのかと思った。寝室を別にすると、急に気持ちも通いあわなくなるような気がしたから。だからといってオレが彼女の部屋に襲いに行くようなことはできなかった。相変わらず外ではできるけど、家ではできそうになかったんだよね」

 外でできるといっても、彼に特定の恋人がいるわけではない。たまに風俗に行ったり、飲みに行った先で知り合った女性と一回限りの関係を繰り返す程度だ。

 だが一方、妻の気持ちはどうだったか。子宮摘出手術の前日さえ、夫のペニスは起たなかった。もう自分に女として何の関心も抱いていない証拠だと絶望的な気持ちになってもおかしくない。四十を過ぎて夫に顧みられなくなった自分。振り返ってみれば、女としての自分の人生は、これで幸せといえるのだろうか。

そんなふうには考えなかっただろうか。あとは更年期が来て、ただ年をとっていくだけ。三歳年下の夫は、まだ充分男としてやっていけるだろう。きっと自分以外の女性相手であれば、欲望を募らせているはず、というところまで妻は見越していたのではないだろうか。

 もちろん夫婦の関係はセックスだけではない。実際にセックスはどうでもいいという女性もいる。彼の妻だって、もともとそんなに「好き」というタイプではなかったのだから。それでも女性として愛されたいと願う気持ちがセックスを求めるという具体的な欲望に向かわせた。

 中には、セックスこそがふたりの関係を集約したもので貴重だと言い切る女性もいる。夫婦それぞれがパートナーとのセックスに重きを置くかどうかは非常に重要な問題だと思う。しかも今の時代、多くの女性は性的な快感を得る事は決していけない事など思っていない。

むしろそれはごく自然なことであり、性的な快楽を追求することをためらわない女性のほうが多い。むしろ暴走気味の女性も増えているのではないか。若いころからセックスを知り、「セックスできれいになる」と雑誌で啓蒙を受けてきたのだから。しかも女性はもともと男性よりずっと快楽が深い。少々下世話だが、昔の人は「四十女とお寺の鐘は、突けば突くほど唸りだす」と言ったとか。言い得て妙ということか。

 落合さんの話に戻ると、二年ほど前から、妻がとうとう離婚をほのめかすようになった。だが、妻は専業主婦、実際に離婚はするまいと彼は高くくくっていた。

「オレは何を言ってるんだよって感じで取り合わなかったんだよね。だけど今年の夏、とんでもないことが起こったんだ。子供が合宿で家にいなくて、オレは仕事で遅くなって十一時半ころ家に帰ったら、玄関の電気が消えている。カミさんは一時前には寝ないし、自分が起きているときに玄関の電気を消してしまうことはないから、なんだかおかしいと思ったんだ。

家の中にはいると、リビングのテーブルの上に手紙があった。走り書きなんだけど、「いろいろお世話になりました」って書いてあって‥‥。家出か、と心臓がどきっとした。どうしたらいいんだろう、と思わずタバコに火をつけて、窓の外にふっと目をやったとき、何かがぶら下がっているのが目に入った。慌てて窓を開けると、カミさんが外のベランダの鴨居みたいなところに紐を縛り付けて首をくくってたんだ。

だけど幸いだったのは、その紐がうまく首に入ってなかったこと。とにかく慌てて彼女を抱きおろして、家の中に入れた。カミさんはただひたすら泣いているだけ。あとから考えれば、家の中はエアコンを消したばかりでまだひんやりしていたから、どうやらオレが帰って来たと同時にやったみたいなんだよね。

おそらくもともと死ぬ気はなんかなかったんだと思う。だけど、オレにしてみたら、あのロープと、彼女が足をばたばたさせていた光景が目に焼き付いてしまった。それからしばらく心臓がばくばくしていたね。カミさんは泣いているだけ、オレは自分が心臓麻痺でも起こすんじゃないかと自分でも思うくらいだった」

 首が赤くなっていたので、年のために次の日、妻を病院に連れていったが、特に治療が必要なケガはなかった。彼はそれを聞いてほっとしたという。

 ひょっとしたらそろそろ更年期にさしかかり、精神的に不安定なところもあったかもしれない。子供も大きくなって、ふと自分の生き方に思いを馳せ、急に絶望的になったのかもしれない。だから、すべて彼だけのせいとはいえないだろう。だが、彼女をそこまで追い詰めた一端に、彼との関係があるのは確かだ。

 彼自身もそれを強く感じていた。だが感じれば感じるほど、妻という人間が怖くなったという。
「だからその後、『本当に別れて。私は人生をやり直したい』と言われた時は、実はそのほうがいいだろうなと思ったんだ。離れても子供の親であることには変わりないから、お互いに関係は絶たないという条件つきで別れた。カミさんは子供を連れて、車で十分程度の実家に戻った。今は落ち着いているみたいだよ。子供はうちとカミさんのところを行ったり来たりして、けっこう自由にやっている。子供の学費はもちろんオレが負担しているし、彼女にも毎月、少しだけど渡しているんだ。彼女も近所でパートを始めてたと言ってた。

離婚したことで、お互いに楽になったんじゃないかなあ。彼女は最後まで、『どうして私を抱いてくれなかったの?』というようなことは聞かなかった。聞いてくれればいろいろ話せたかもしれないし、話せなかったかもしれない。それはわからないね。でもそういうことを言わないのが、彼女のいいところだし‥‥。

また怒らせちゃうかもしれないけど、妻という存在は少なくともオレにとっては神聖なものだったんだよ。他の男はどう思っているか知らないけど。大事な存在だった。日常生活が平穏にうまくいっていればいるほど、そういう大事な存在とセックスなんてできなくなるわけ。女の人はそういう男の気持ちをわかってくれないと思うけど、セックスしたくないっていうのは妻に女を感じなくなった、魅力がないって言う事だけじゃないんだ。女を越えた存在として見ているということもあるんだよ」

 わかるようなわからないような理屈だ。と思うのは、私が女だからだろうか。
 とても大事に思っているなら、相手が望んでいることを叶えてあげるのも愛情ではないのか。矛盾したことばかり言っている。と私は言った。もちろん、彼もそれを認めた上で行っているのだ。
「結局、オレの矛盾した性格に、彼女を巻き込んでしまったんだろうなあ。結婚って難しいよ、本当に。今はそれが実感」

彼はそう言って、タバコに火をつけ、大きく息を吐いた。若いころから知っている彼の顔が、少しくたびれて見えた。

◆理想の女性を求めて

  結婚四回、離婚も四回。現在独身、会社員、四十八歳という男性がいるという話を聞いて、私は早速会いに行くにした。

 今やバツイツは驚かない。「バツニ」もときどき耳にする。「バツサン」もいなくもないだろう。だがさすがに「バツヨン」となると珍しい。珍しすぎて語呂も悪い。安定感がない。それにしても彼はなぜ結婚と離婚を繰り返しているのだろう。

 東京から数時間、列車に乗って移動した先の地方都市に、その人は住んでいた。竹中純一さんだ。ホテルのロビーで待ち合わせたのだが、事前に訊いた特徴から彼だとすぐにわかった。身長百七十五センチくらい、瘦せても太ってもいず、グレーのスーツをきれいに着こなしている。四十八という年齢からみると随分若々しい。電話での印象と同じで、彼も私を認めるとすぐ立ち上がって笑みを浮かべる。人当たりのいい感じ、身のこなしもことなく軽やかで、これならもてるだろうと第一印象にして感じさせる、男の色気のようなものがある。

だが待てよ、と私の中の経験則が黄信号を点滅させた。こういう「いい感じ」の人ほど、実は優柔不断だったり、女を苛立たせたりするかもしれない…‥。
 ティールームに落ち着き、話を聞き始めた。確かに結婚歴も離婚歴も四回だと彼はちょっと照れたように話した。

最初の結婚は二十四歳、大学を卒業して一年ほどしてからだという。
「実は僕の結婚はけっこうバラエティに富んでいるんですよ、自分で言うのも変だけど、最初の結婚は、子持ちの人妻だったんです。そう言うとみな『とんでもない』って顔をしかめるんですけど、僕としては純粋だったし必死だった。大人になって初めて人をあんなに好きになったんだから。

僕は就職後、仕事の関係で英会話の必要性を痛感して、英語学校に通い始めたんです。彼女とはそこで知り合いました。当時、彼女は八歳年上の三十一歳。小学校に入ったばかりの子供がいました。夜や土曜日に学校で顔を合わせるうちによく話すようになって。

土曜日の帰りにお茶に誘って、そこで彼女が子供のいる既婚の女性だと知りました。でもそのときに僕、かなり彼女に惹かれていたんです。お茶だけというデートを三ヶ月くらい繰り返してから、ようやく土曜日の夕食をともにするようになりました。子供は彼女の実家に預けてくるので、彼女は時間的にはけっこう自由がきいたのです。

あるとき、少し酔った彼女を強引に口説いてホテルへ連れていきました。いざとなったらすごく抵抗されたけど、僕としても彼女がほしかった。だから徹底的に口説きまくりました。それでも彼女は『私にはできない』と言っていた。あとは懇願するしかありませんでした。
『一度だけ。一度だけね』と彼女は呟くように言って、決心したように上着を脱いだのを覚えています」

 あとから知ったことだが、彼女の夫は以前から浮気を繰り返しており、彼女は精神的にも非常に寂しい状態だった。そのぽっかり開いた心の中に、竹中さんの口説きがすっぽりと入り、彼女を動かしたのだろう。それでも最初は拒んだのは彼女の理性であり、最終的には落ちてしまったのは彼女の弱さだ。一度だけだ、一度きりにならないことを、お互いにわかっていた。

「それから関係は深みにはまっていきました。こういう言い方はよくないかもしれない若かった僕にとって、彼女の性的な魅力はすごく大きかった。彼女は熱烈な愛撫だけでイッてしまったこともあります。僕自身も体力があったから、彼女の求めるままに何度でもがんばれた。

今思えば、彼女は心身ともに愛情に飢えていたんです。数ヶ月たつうち、僕は、もう彼女から離れられないと思うようになっていった。情熱がピークに達したんですね。僕は彼女に離婚してくれるように頼みました。だけど彼女にしてみたら、添い遂げようと決意して結婚したのだから、なかなか踏ん切りがつかない。もちろん経済的に僕よりご主人のほうが安定しているということもあったでしょう。そうこうしているうちに彼女が妊娠したんです。僕の子です。

妊娠が分かった時点で彼女も踏ん切りがついたみたい。僕が『ご主人にすべてをぶちまける』と脅したら、結局、彼女自身がご主人に切り出して離婚を成立させました。そんなに揉めなかったところ見ると、夫婦としての関係はすでに破綻していたのかもしれませんね」

 そしてふたりは結婚。彼はいきなり一児の父となったが、子供ともとてもうまくいってた。
「男の子だったんだけど、よく一緒にキャッチボールやサッカーをしました。『無理にパパと呼ぶ必要はないんだよ。これからはきみと僕とで一緒にママを守っていこうな』と言ったら、彼はうれしそうな顔をしていましたね。子供はそれまで父親とあまり交流がなかったみたいなので、一気になついてくれて。下の女の子が生まれたんですが、それから三年くらいがいちばん幸せな時期だったなあ」

 その後、竹中さんはアジアのとある国に駐在することになった。家族を連れて行きたかったが、妻が子供の学校の問題、帰国後の教育のことなどを考えて難色を示した。竹中さん自身も、それは理解できたから。結局、家族を残して単身赴任することになった。

「家族を連れて行くと、駐在が延びるという暗黙の了解もありました。単身なら二年くらいで帰って来れる。だから僕も単身で行こうと。仕事のキャリアという点では、いっそ家族連れで長い間、住んだほうがいいのかもしれないけど、当時は若かったし、やはり早く帰国できるほうを選んだんです。

最初は月に一度は帰国していました。だんだん向こうでの仕事が忙しくなって帰国もままならなくなっていって。そのころはメールもなかったから、せいぜい電話と手紙。僕もがんばったんだけど、知らない国で仕事をしていくのはとても孤独で、つい現地採用の女性社員と関係をもってしまったんです。二年後、ようやく帰国したんですが、直接にその女性が追いかけて来て、会社にも妻にも僕のことがばれてしまった。

結局、妻からあっけなく離婚を言い渡されました。最後に、『私がどんな思いで離婚してあなたと一緒になったのか、あなたはまったくわかっていなかったのね。あなたはそんなことをする人じゃないと思って信頼していたのに』と泣きながら言われたのが強く印象に残っています。でも僕に言わせれば、異国の地で仕事をしながらひとりで暮らしをする苛酷さを彼女も分かっていない。追ってきた彼女とは結婚しませんでした。

彼女も日本に来てみたものの、こちらで暮らしていく自信はなかったようで、納得して帰っていきました。僕か帰国するとき、現地で彼女は理解のあるようなことを言っていたのに、実際ひとりになるといてもたってもいられなくなって来てしまったんでしょうね。

先輩に『別れ方が下手なんだよ。相手が誰であれ、愛想を尽かされるように仕向けなくては』と言われました。とはいっても、僕はなかなか自分が悪者になれなくて。どこかでいい人ぶってしまうところがあるんです。そのときは彼女さえ来なければ、僕ら夫婦の関係にヒビが入るようなことはなかったのに、と一瞬、思いましたが、それは責任逃れというものなんでしょうね」

 ただ、駐在時の不祥事には違いなかった。会社からは厳重注意ですんだが、私生活は壊れてしまった。先輩たちは、『遊ぶなら素人はやめろ』と言われたが、彼は金で女性を買うということができないタイプ。近くにいて一緒に仕事をしていた女性に、寂しさからつい心を許してしまったんだろう。

 離婚したときも彼は二十九歳。もうしばらく結婚はしたくない、と思っていた。それなのに三十三歳のとき、彼はまたも結婚する。高校の時のクラス会に出席し再会したのが、かつて大好きだった女性。しかも彼女がバツイチになったばかりだということを知った。結婚はもうこりごり、という彼女に、同じ思いだったはずの彼の猛烈なアプローチが始まる。毎日のように手紙を書き、電話をし、花を贈り、せっせとデートに誘った。

「僕自身も結婚は当分したくない、と思っていたに、彼女と出会ったら結婚を考えていた。僕の心の中に、やはり男女はちゃんと結婚しないといけないという気持ちがあるんでしょうね。それで初めて『関係が成就した』といえるような気がするんです。相手を自分のものにするためには結婚という手段がいちばん確実だという気持ちもあります。

彼女自身は、『離婚して一年もたっていないから、また結婚するのは怖いの』と怯んでいましたが、『前のことはお互いに忘れて、新しく一緒に生き直そう。きみと僕ならきっといい家庭が築けるよ』と一生懸命口説きました」

 何が何でも「結婚」と考える彼は、責任感が強いのかもしれない。結婚や女性に対して、限りない幻想が潜んでいるような気がする。

「実は僕自身は、父親の存在を知らないんです。僕が二歳のころ、父が急死したから。母は女手一つで姉と僕を育ててくれました。父親がいないことに不満を覚えたことはないけど、大人になって自分が結婚してみると、夫婦というのがどうやって暮らしているのかよくわからないところがあるんですね。

なかなか慣れ親しむことができない。どこかで心に線を引いてしまう。だいたい結婚というものも、男の役割みたいなものもよくわからない。ただ、僕としては好きになったら一緒に暮らしたい、だから結婚して社会的にも認められたい状況で一緒に暮らすのがいちばんいい、という単純な考え方しかできないんです」

 同級生だった彼女とは、結局再会して半年後には籍を入れていた。その二度目の妻とは、生活感覚が合う、という言葉を彼は使った。互いにバツイチ、高校生のころの自分を知られているから取り繕う必要もない。ずっと前から、一緒に暮らして来たような感覚に陥ることさえあった。

結婚がどういうものなのかもわからないと感じていたけど、こうやって日常を穏やかに暮らしながら、結婚生活というのは過ぎていくものなのか、と竹中さんは感じるようになった。その中で夫婦の絆も深まっていくのだ、と。そんな結婚五年目、妻の裏切りが発覚した。

「妻が前の夫と会っていたんです。そんなこと、考えられます? 夫婦って関係が終わったから離婚するはずなのに。僕らは当時東京に住んでいたんですが、妻の前夫が東京に出張で来たとき、うちに昼間、連絡をとってきたらしいんですね。すべてがわかったとき、『なぜ会ったんだ』と責めましたよ。僕との生活に不満があったから前夫に会ったのではないか、と思って。

彼女は『私たちは八年一緒に暮らしたの。別れたのは彼が他に女性を作ったからだけど、私はやっぱり彼がずっと好きだった』って言われてしまって。ショックでしたよ。
『あなたには悪いことをしたと思っている。でも離婚してぼろぼろになっているとき、あなたが救ってくれたからつい縋ってしまった。もちろんあなたのことは好きだけど、前の夫に再会したら、どうしても自分を抑えることができなくなってしまったの』とも言われて、二重にショックを受けました。

僕は彼女と残りの人生を過ごしていく決意で結婚したのに、彼女はかつて酷い目に遭った男に再会してそちらに心惹かれている。『僕より彼の方がいいのか』と聞いたら、『あなたと一緒にいたほうが私はずっと穏やかで幸せでいられると思う。だけど、彼に惹かれる強い気持ちはどうしようもない』と。再会して関係をもってしまってからは、寝ても覚めても彼のことばかり考えていた、と彼女は言っていました。
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 彼はそのときフリーだったので、しきりに『もう一度やり直そう』と彼女に迫っていたようです。『もしよりを戻しても、彼は浮気者だからまた捨てられるかもしれないじゃないか。それでもいいのか』と言ったら、彼女はきっぱりと『それでもいい』って。これはもう何を言ってもダメだなと思いました。人間の感情って複雑ですよね」

 大事にしてくれるとわかっている人がいるのに、あえて浮気者の男に戻ろうとした彼女の気持ちが、竹中さんはまったくわからなかったという。
「女性は幸せにしてくれる男が好きなんだと思っていたけど、人によってはそうではなく、あえて火中の栗を拾うような女もいるんだな、と感じました」

 と竹中さんは言う。愛されて幸せを感じる人もいれば、自分が愛することで充実感を覚える人もいる。もともとのタイプで分かれるだけではなく、どうしてもこの人にだけは固執してしまう、ということもあるだろう。彼の二度目の妻は、理屈ではなく前夫に惹かれていたのだろうと思う。

 私自身にも覚えがあるが、人はどうして時として不実な人を好きになってしまうのだろうか。冷静に考えれば、あるいは他人事として考えれば、「そんな相手はやめておいたほうがいい」とわかっているのに、自分のこととなると吸い込まれるようにその相手に惹かれていってしまう。あとでつらい目に遭うかもしれない、という予感はある。それでも惹かれているときはそんな予感さえもものともしない。傷つくとしても、今、突っ走らないと一生後悔するという脅迫観念にかられてしまう。恋にはそれほどの力がある。

 恋愛は理屈では問えない、大人なのだからそんな理不尽な恋にはまらなくてもいいのに、と本人でさえ感じている筈だ。若い頃なら、「私が彼を変えて見せる」などという理屈をつけたりするのだろうが、ある程度、分別がつく年齢になると、「不実なのはわかっている。それでも好きなんだからしかたがない」と現実を受け止めるようになる。端からみたら、いい年をして分別があるのかないのかわからないような行動としか思えない。本人は客観的になっているつもりなのに、実は自らその客観性をかなぐり捨てて、あえて火中の栗を拾うような、確信犯的な行動をとってしまうのだから。

 その辺りが若い頃の猪突猛進の恋とは違う。結婚していたり何かを失う恐れのある年齢になっていたりすると、確信犯にならざるを得ないのだ。だからこそ、恋は恐るべき魔力が働いているしか思えない。彼の二番目の妻も、「もしやり直しても、またきっと裏切られて泣くことになる、とわかっている」と彼に話したという。そこまで分かっているのなら、誰も彼女を止めることはできない。

「二度目の離婚の直後、会社を辞めたんです。三十八にしてすべてを捨てて、人生を一からやり直そうと思って。それまでは商社に勤めていたんですが、友人たちと貿易関係の会社を興しました。計画自体は数年前からあったんですが、年齢的にも実行できるのは最後かもしれないとおもったので、自分を鼓舞して会社を立ち上げました。最初は軌道に乗らなかったし、脱退者も出たりして大変だった。半年で五キロも体重が減って、人相も変わったといわれましたよ。

だけど二年くらいしたところで少しずつ好転してきて、なんとなく光が見えて来たんです。ほっとしたそのころ、あるバーで一回り年下の女性と知り合って一目惚れしました。妙に勢いが付いてしまって、付き合うようになって三ヶ月で結婚したんです」

 まさに電撃結婚だった。彼女は二十八歳、外国育ちで、外資系の会社でばりばり働く女性だった。

「それまで会ったことのないくらいストレートな女性でした。会ってその日に、『うちに来てもう少し飲まない?』と誘ってきたのも彼女だし、つきあって一ヶ月も経たないうちに『一緒に住もう』と言い出したのも彼女。すべてが彼女の主導権のもとに進んでいったという感じです。

僕はそれまで女性にリーダーシップを取られることは嫌だったんですが、年齢的なものもあったのか、女性に身を委ねる心地よさというものを味わいました。それに彼女とはそれまでに感じたことがないくらい肌があったし。言いたいことを言い合える感じもすきでした」

 ところが結婚前に感じていた彼女の美点が、結婚してからすべてマイナスに転じていく。ストレートな彼女の性格は、がさつで無神経に、主導権を握る彼女のてきぱきとした性格は、ただ単にせっかちでわがままに映るというふうに変わっていった。

「彼女とのセックスは刺激的で大好きだったんですが、結婚しても彼女は毎晩求めて来る。あらゆる意味で彼女は非常にエネルギッシュな女性だったんです。スレンダーでにこやかで外見的には『おっとりした日本的な女性』にしか見えないんだけど、仕事になると非常にタフになり、さらにセックスとなるととことんまで追求するエネルギーがありました。深くつきあうと
『情熱的でエネルギッシュでとことん議論好きな女性』なんですよ。一年くらいはそれも面白かったけど、だんだん疲れてきてしまったんです。結婚生活ってもっとのんびりしたとこがあってもいいと思うんだけど、彼女は平日目一杯働いて、週末はとことん遊びたいという。決して家でのんびり、とはならないですね。

ホームパーティも大好きだし、外での集まりにもやたら積極的に出かけていく。話題も広いから話していても楽しいんですが、自分が納得いかないところがあるととことん説明を求めてきます。よくも悪くも、『なあなあ』ですまそうとなんて微塵もないんですよ。

一年半後には、僕の方が『ごめん、もう付き合い切れない』という状態になっていました。それでだんだん彼女との関係も気まずくなっていって。彼女には、『私と真正面から向き合って』と何度も言われましたが、心身ともに体力が違う。こちらはすでにへろへろだったんです。彼女のエネルギーも少しはダウンして、なんとかもっと穏やかに暮らしていけないかなあと思っていました。

彼女にもそう言ったことがあります。『家庭ってもっとリラックスできる場所じゃないの』って、でも彼女に言わせれば、違う。『家庭といっても子供がいるわけでもないし、私たちだけなんだから、もっと刺激的でもいいと思うわ』と、

百八十度、僕とは違うんです。ある日、『あなたはもう私を愛してない。そういう人と一緒に暮らしていかれない』と断言されました。そして翌日には彼女はさっさと荷物をまとめて出ていったんです。僕には引き止めるエネルギーも残ってはいなかった」

 三度目は、正確には一年八か月の結婚生活だった。彼女と互角に渡り合えなかった自分を顧みて、竹中さんは、自分自身が女性に何を求めているのかわからなくなったという。

「好きだと思うとすぐ結婚という行動に出たのが間違いだったのか、と悩みました。そもそもオレは女性に何を求めているのか、結婚によって何を得たいのか、分からなくなってきたんです。

周りも『いい加減にしろよ。短い結婚を繰り返すことに何の意味があるんだ』って言うし、別に意味を求めて結婚しているつもりはなかったんだけど、確かに振り返ってみると、自分の人生には何もなかったような気がして‥‥」

 三度の結婚とも、竹中さん自らがピリオドを打ったわけではない。常に相手から離婚を言い出され、彼はそれを飲んできただけだ。あるいは飲まざるを得ない状況にいただけともいえる。
「僕自身がどこかバランス感覚の悪い女性に惚れてしまうというところはあるかもしれませんね。女性に対して何か強要することはないんだけど、それが女性にとって物足りなくかんじられて、とにかく真正面からぶつかってくるようになる。あのね、三度も離婚すると、自分がどういう人間かもわからなくなってくるんですよ」

 最後の一言に、私は思わず笑いそうになってしまった。気持ちはよく分かる。彼は自分の好きなタイプの女性に固執しない。「こういう女でなければダメ」というのがないから、ストライクゾーンがとても広い。強烈に惹かれるともう止められなくなる。それは第三者から見ると決して悪いことではないのだが、本人としては悩むだろう。自分の好きなタイプがはっきりしないから結婚がうまくいかないのではないか、自分の性格分析をきちんとしないから結婚が続かないのではないか、と考えてしまう気持ちもわかる。

 それでも竹中さん、さらに四回目の結婚に踏み切ったのはどういうわけなんだろうか。
「結局、僕は衝動的なんでしょうね。四十四歳のときだから四年ほど前ですが、三十七歳の女性と結婚しました。半年ほど同棲して、今度は大丈夫だと思ったから結婚したんで。でも結婚してからまたいろいろ問題が出てきて」

 彼女とは仕事仲間と一緒に行ったカジュアルなレストランで知り合った。隣のテーブルに数人の女性グループがいて、その中のひとりが彼女だった。たまたま彼女たちがとった料理がおいしそうだったので、「それは何ですか?」と竹中さんが聞き、彼女が答えたのが始まり。ふたつのグループは一緒に食事を楽しみ、帰りにはカラオケボックスへと繰り出した。

「翌日が休みだということもあって、午前二時くらいまで遊んでしまいました。帰りに僕はタクシーで彼女を送って行ったんです。本当は方向が違っていたんですが、彼女の家の場所を聞いてから、『あ、同じ方向だ。じゃあよかったら一緒に』って言って。

『素敵な女性だ』と思ったら後先考えずに行動してしまうところは二十代の頃からまったく変わってないんだよね。それは自分でも呆れます。彼女はとても知的で素敵な女性でした。三十代前半だと思っていたら、後半だというから驚きました。とてもわかくみえるんですよね。

それからしばらくつきあって、一緒に住むようになって結婚しました。結婚までは何もかもうまくいっていたんです。僕自身も『今度こそは』という思いがあった。彼女は僕が三回離婚したと言うのを聞いて不安そうだったけど、半年一緒に暮らしてみて、『私たちは大丈夫ね、きっと』と言ってくれたたんです。でも結婚してから三ヶ月後、彼女のお父さんが亡くなった。そこからいろんなことが変わっていきました」

 彼女はひとりっ子だったため、お母さんをひとりにしておくのが気になってしかたがなかったようだ。とはいえ、新婚家庭に母親をひきとるのも彼女自身、気乗りがしなかったらしい。そんな自分を責めているところがあったという。

「たまたま同じ時期に、僕のほうも姉夫婦と同居していた母が妙に僕と一緒に暮らしたがるようになっていたんです。どうも姉夫婦との折り合いがもともとうまくいっていなかったみたいで。彼女の母親と僕の母親、僕ら夫婦がみんなで住める家を買おうということになったんです。

彼女はとても喜んでくれました。両方の母親も最初はとても控えめにして、みんながうまくいきそうな感じだった。だけど同居して半年もたつと、これが大変で。彼女の母親と僕の母親があまり合わなかったのと、お互いの母親同士もどうもうまくいかない。僕の母も女手ひとつでがんばってきた人だから、けっこうキツイんですよ。彼女は両方の母親の間に立ってとりなし、僕の母の嫌味も笑って流し、すごくがんばってくれました。僕も彼女には感謝して、なるべくふたりで過ごす時間をとるようにしました。だけどしまいには彼女、自分の母親と言い争いが絶えなくなってきて。僕の親を立てれば自分の親が文句を言う。だから実の母娘でのケンカがいちばん激しくなってしまうんですよね、遠慮もないし。

こんなことなら近くにそれぞれの母親のためにアパートでも用意して、別々に暮らした方がよっぽどうまくいったんじゃないかと思うくらい、みんな疲れていきました。だけどそれぞれの母親が、家を売ってこちらに来ていたので、そう簡単に追い出すような真似はできません。けっこう大きな家を買ってしまったものですから」

 互いの母親を巻き込みつつ、竹中さんと彼女の関係も少しずつおかしくなっていく。結婚して一年ほどたったころ、彼女が妊娠。彼女自身も周りも、年齢からいってあまり期待していなかったので、これには家族一同が大喜び。孫ができれば母親同士の関係も変わってくるだろうと竹中さんは期待した。

 ところが妊娠四ヶ月目、彼女は流産してしまう。彼女自身も落ち込んだが、彼の落胆もそれと同じくらい大きかったという。

「流産を知ったとき、すべての希望が失せてしまったような、体中から力が抜けるような脱力感を味わいました。でも僕は彼女を支えなくてはいけない。だから自分真悲しみには蓋をしました。そんなとき、彼女の母親が彼女に僕のことをこう言ったんだそうです。『子供を失ったのに、あの人はちっとも悲しそうじゃない』って。彼女はそのことを僕に告げながら、『私もそう思うわ』とつけ加えたんです。

ああ、彼女はちっとも僕のことをわかっていない、とがっかりしました。なんだかそれ以来、母親同士の関係に気を遣ったり、彼女を気遣ったりすることが負担に感じられるようになってきたんです。気づかれないように表面上はがんばっていましたけど。そして去年、僕の母が亡くなったんですよ。それでもうすべてがキレました。僕の中で」

 竹中さんはひとり家を出て、会社近くのアパートに寝泊まりするようになった。すべてに疲れてしまったことを彼女にわかってほしかったという甘えもあったが、彼女は彼に連絡すらとろうとしてこなかった。二週間ほどたってから彼が意を決して自宅に電話を入れて見ると、彼女は素っ気ない態度で「荷物はいつ取りに来るの? 離婚するつもりなんでしょう」といい放った。

「僕は離婚するつもりなんてありませんでした。ただ、子供も母親も亡くしたことで、急にすべて虚しくなって日常生活から逃れたかっただけ。彼女は失った我が子については嘆き悲しんでいたけど、母親を亡くした僕のことにはついてはほとんど関心がなかったみたい。それも引っ掛かっていましたね。

そのことを彼女に言ったら、『親が死ぬのは当たり前でしょう? 子供を失うほうがどのくらいつらいか。あなたはわかっていない』と言われて。子供のことでは僕だってどれだけ嘆いたか。結局、わかってもらおうとした自分が間違いだったんだって思いました。

三度の結婚で、どうも僕は自分をわかってもらおうとする努力が足りなかったのではないかという反省があったので、今回はなるべく自分の気持ちもわかってもらおうとしたのだけど無理でしたね」

 男女が分かり合うといのは幻想なのだろうか。もし子供を流産したとき、彼がもっと悲しみを表現していれば、彼女は彼を少しはわかってくれたのだろうか。

「でもあのときは彼女の嘆きが半端じゃなかったから、僕も一緒に悲しみの中に埋没したら、夫婦関係はあっという間に終わってしまったでしょうね。僕もいろいろ『タレバ』を考えましたが、どちらにしても上手くは行かなかったんじゃないかという結論しか出ませんでした。

結局、住んでいた家を売ることにしたんです。売却したお金の内、彼女とお母さんに三分の二を渡して別れました、それで僕は今ひとりになったわけです。もう人生すべて、やり尽くしたような気がします。一時期は本気で、会社から引退して、出家とようかと思ったんですよ。何度離婚してもまた女性を求めてしまう自分の業の深さみたいなものに嫌気がさしていたし、すべてに疲れたという思いがあって」

 だが、仕事仲間に救われた。彼らは彼の力を認め、会社を去らないでほしいと説得してくれたのだ。異性は裏切っても仕事は裏切らない、と竹中さんは感じたという。

 竹中さんは自分に嘘をつかず、一生懸命生きて来たし、恋愛にも誠実に向き合ってきたつもりだと話してくれた。それでもうまくいかなかったのは、やはり彼自身に我慢が足りなかったのだろうか。それとももっとはっきり自分の意思を示していればよかったのだろうか。

「自分自身に明確な家族像というものがなかったんですね。しかも、よくも悪くも僕は我慢という事があまりいいことだと思っていない。それはお互いに、ということです。相手が我慢していることが見えたら気持ちが引いてしまいませんか? 少なくとも僕は引いてしまいます。

我慢しなければやっていけないような関係なら壊した方が、お互いに新たな人生を歩んでいけるでしょう。でも人によっては、『それを乗り越えてこそ夫婦だ』と言うんですよね。そいう意味では僕は忍耐力がなかったかもしれないという気はしています。それに僕は相手に何かを強制するような関係は嫌いなんですよ。

束縛して一緒にいるのはよくないと思う。お互いに精神的に自由でありながら一緒にいることを選択するような関係がベスト。それが女性から見ると不安になることもあるんでしょうかねえ。結婚は社会制度のひとつだけど、僕にとっては個人的感情と密接に結びついたものだった。

だから結婚・離婚を繰り返すことで、他人の目を気にするというよりは、やはり何か『続かない理由が自分の中にあるのだろう』とは思いますが。今後ですか? うーん、人って誰かを好きになりたいと思ってなるものじゃないでしょ。気づいていたら好きになっている。そういう意味ではこれからも分かりません。明日にも誰かを好きになっているかもしれない。そのときになってから考えますが、五回目の結婚はもう少し慎重になったほうがいいかもしれませんね」

 人に何かを強制するのは嫌い、自由でいながら互いを思いやって関係を築きたい、という竹中さんはもしかしたら理想主義者なのかもしれない。好きになると一緒にいたい、だから結婚というストレートさが四回の結婚・離婚を生んだのだろうが、それ自体は決していけないことではないように思う。日本ではどうしても結婚・離婚を繰り返す人を、忍耐のない人ととらえがちだ。

それが男性だと、まるで金にあかせて次々と新しい女性を取っ替え引っ替えしているようで、あまりいいイメージはもたれないかもしれない。だが、実際に会った竹中さんは、苦悩しながら無骨なまでに自分に正直に生きようとしている人だった。初対面の人当たりのよさは、彼の心の中の何かを隠すためではなく、実際に人に会うのが好きで、人を構えさせない処世術なのだろう。それに彼が選んだ女性もまた、みんな自分に正直な人だったような気がする。

 竹中さんのような生き方しかできない男性もいるのだ。ご本人はつらいかもしれないが、私は出会ったあとになぜか温かい気持ちにさえなってしまった。それは彼がいつも真摯に自分の人生と向き合い、恋に落ちる自分をごまかさないでやってきたから、そしてどんなときも、すべての責任はきちんと自分で取って来たからだ。

 過去の四人の妻たちとは、今もときどき連絡を取り合うことがあるという。
「彼女たちは僕を通り越して、それぞれ幸せになっているようです。それはそれでいいのかな、という気がしますけどね」
 少しせつない気もするのだが‥‥。

◆定年退職、妻に去られて

  定年退職してから妻に離婚を言い渡される男性たちが増えてきているといのは前述した。女性側からいえば、「これ以上、縛られたくない。自分の責任は果たしたのだから、もう自由になりたい」という気持ちを押さえられなくなるのだろう。

 坂巻陽一さん(六十五歳)は、現在都内でひとり暮らしをしている。五年前、三十五年間連れ添った妻と別れた。妻は現在六十二歳、やはり都内に住んでいる。

 六十五歳とはいえ、坂巻さんは非常に若く見える。背も百七十五センチくらいあるだろうか。白いシャツにジャケットを羽織り、背筋もピンと伸びていて、「おじさん」という印象はまったくない。
「妻は再婚してるんです。私たちは結局、いわゆる仮面夫婦というものだったんですね。表向き、夫婦という形態を保っていたけど、なにもない夫婦だったんでしょう。私自身はそうは思ってなかったけど」
 のっけから彼はそう言って私を驚かせた。五年前に離婚して、妻がすでに再婚しているというのは何か複雑な事情があるに違いない。

 坂巻さんが二十六歳のときふたりは結婚。三人の子供をもうけた。坂巻さんは一生懸命働いた。妻も子供たちが学校に上がるとパートにでて働き、四十代で都内に一軒家ももった。三人の子供たちも全員大学を出し、それぞれが夢を持って羽ばたいていった。

「ようやくほっとしたのが五十代半ばになってから。それまで無我夢中でした。もちろんたまに酒を飲んだり、飲んだ勢いで浮気のひとつふたつ、なかったわけでもない。だけど私にとっていちばん大事なのは仕事と家庭でした。自分のできる範囲でどちらも一生懸命やって来たと思います。六十歳で定年になったとき、あとは妻と旅行したりお互い好きなことをしたりしながら、第二の人生を楽しもうと思っていたんです。妻との関係も悪くはないと自分では信じていたから」

 ところが定年になって一週間もしないうちに、いきなり妻から離婚を告げられる。
「理由は『ひとりになりたい』というものでした。でも信じられなかった。それで私はへそくりをはたいて興信所に妻の素行調査を頼んだんです」

 怪訝な顔をしている私を見て、坂巻さんは言葉を継いだ。
「実は以前から、妻に男がいるんじゃないかと私は疑っていました。普通、亭主というものは『うちの女房に限ってそんなことあるはずがない。だいたい男が寄ってこないだろう』と言うんですよね。だけど私は四十代の頃から、なんとなくうちの女房は危ないと思っていた。ことを荒立てて家庭が崩壊するのが怖かったから、見て見ぬふりをしてきましたが、私の定年に合わせて離婚を言い出すというのは、男がらみに違いないと思ったんです」

 なぜ彼はそうも妻の浮気を疑ってきのだろう。いくらことを荒立てたくないって言っても長年、見て見ぬふりをしてきたというのはどういうことなのか。もうひとつ納得しかねている私に気づいたのか、彼はしばらく考えてからまた話し出した。

「実は、私たちの最初の子は、私の子じゃないんです。妻は私が知っていることに気づいてないと思いますが。こうなったら最初から話しましょう。私と妻は職場結婚でした。でも当時、妻は付き合っている男性がいたんです。それは私の上司でした。

三十五年前にも不倫というものはあったんですよ。私はたまたま上司と彼女が、当時のいわゆる『連れ込み(旅館)』から出て来るのを見てしまった。私は彼女を気に入っていましたから、それを見て非常にショックを受けた。若い正義感から、『彼女を救わなくては』と思ったんです。それで彼女に接近し、デートに誘い、一年ほど付き合ったところで結婚を申し出ました。その間、彼女は私と上司、両方と付き合っていたんだと思います。その上司がまた、仕事も出来るし男ぶりもよかったんですよ。

そういう同性から彼女を奪いたい、という気持ちもあったんですね、私には。上司には家庭がありましたから、私が武器にできるのは『結婚』だけだった。私がプロポーズしたとき、彼女はとても嬉しそうでした。いつまでも結婚できない人とつきあっていてもしかたがない、という計算もあったんでしよう。彼女は私のプロポーズを受けてくれました」

 結婚式がすむまで、坂巻さんは彼女に指一本触れなかった。初夜を迎え、ふたりが結ばれたとき、坂巻さんは新妻が性的に非常に成熟していることを知る。

「私も独身時代はそこそこ遊んでいましたから、最初の夜に彼女が満足していないのはなんとなく感じ取りました。もちろん、当時の女性はそんなことをおくびにも出しませんが、それは男にもわかるものです。おそらく、遊び人の上司に相当仕込まれていたんじゃないでしょうか。私は新婚初夜にまったく眠れず、何かこの結婚に不穏なものを感じられたのを覚えています」

 結婚後も妻はその職場で働き続けた。坂巻さんは、自分の妻が上司と切れていないと確信する。
「証拠はありません。カンです。妻は結婚してからもごくたまに、『友だちと会う』と言って遅くなることがありました。私は妻を信じよう信じようと自分に言い聞かせましたが、どうしても信じられなかった。あるとき、友だちと会って来た妻をいきなり押し倒したことがあったんです。

妻の肌はかすかに石鹸の匂いがした。『男に抱かれてきただろう』と私は妻を責めました。でも彼女は頑として認めようとしなかった。責めながら私は異常に興奮し、彼女も責められていることに興奮しているのが伝わってきた。悔しかったのですが、私も彼女から離れられない、と感じました」

 その後、妻は妊娠しましたが、妊娠を聞かされた時点で彼は自分の子ではないと直感したという。出産を機に彼女は退職、そのとき初めて、上司との仲も終わったのではないかと坂巻さんは考えている。

「生まれた子を見たとき、やはり自分の子じゃないという気持ちがむくむくと沸き起こったのを覚えています。だけどそれを言い出したらどういうことになるか怖かった。それに生活していけば、自然と子供にも情がわいてくる。だから自分の疑いの気持ちを封印しようと決意したんです。

やはり私は妻に惚れていたんだと思います。彼女を失いたくなかった。それからはまあ、平穏無事な人生だったと思います。妻も三人の子育てに忙しくて、浮気どころじゃなかったと信じているんです。ただ、いちばん下の子が小学校に上がったころから妻がパートに出るようになった。それでまた、妻の浮気を疑ったことはあります。でも当時は私も仕事上責任ある立場にいて多忙でしたし、あれこれほじくりかえして、家庭に揉め事が起こるのも嫌だった。だから問つめたりはしませんでした」

 四十代、五十代と妻は子供の手が離れるにつれ、社交的に外に出かけることも増えていく。学校関係の行事、自分の趣味、パート仲間とのつきあいなど、言い訳はいくらでもあったはずだ。

「決して美人というわけではないですが、明るくて話がおもしろい。さっぱりしていてつきあいやすい、そういう女性なんです。育児や家事で忙しかった時代も、私は妻が愚痴をこぼすのを聞いたことがない。ただ、人間って必ず表の顔と裏の顔があると思うんですね。亭主に愚痴をこぼさずに生活していけるわけがない。言い換えれば、そのストレス、当時はストレスなんていう言葉はありませんでしたけど、今風に言えばストレスをどこかで発散させなければ人はやっていけない。それが妻にとっては浮気だったんじゃないかと私は思っているんです。

 というのは、私が五十代に入った頃ですが、ある晩、夜中にふと目が覚めてトイレに行こうとしたら、リビングが薄明るいことがあったんです。小さなライトを消し忘れたのかと思って、リビングに入ろうとしたら、妻の低い声が聞こえたんです。電話していたんですね。

何を言っているのかは聞こえませんでしたが、すすり泣いているのがわかった。非常に深刻な雰囲気で、あんなに切なそうな泣き声を聞いたのは初めてでした。そのとき、そこにいる妻と私の間には透明だけど大きな壁があって、私はとてもその壁の中に入り込むことはできないと感じたんです。

翌朝、妻はまるきり何もなかったように、私の顔を見て、『おはよう』といつもと同じ元気な声をかけてきました。昨晩見たのは私の夢だったのだろうか、と思ったくらいです。あのとき、妻は私の知らない部分がある、と痛感しましたね。

無理にでもそこに押し入って行くべきだったのか、と今になると思いますが。ただ、夫婦であっても人の心の中にずかずかと入り込めないものなんですよ。私はそう思ってしまう。妻が何かの形で私にSOSを出していれば別ですが」

 夫婦仲は悪くはない。家庭もうまく回っている。だが、妻は夫の知らない関係をもち、苦しんでいる。それをたまたま知ってしまったら、夫は何をしてやれるのだろう。
坂巻さんが言うように、見て見ぬふりをするしかないだろうか。もしそこで夫が妻の心に踏み込んでいったとしても、ふたりの関係が悪くなる可能性のほうが高い。なぜなら、妻は夫を嫌っているわけでもなく、夫婦関係を壊そうとともしていないのだからだ。

あくまでも夫の気づかないところで自分で処理しようとしているのだから、気づかないふりをしてやるのが優しさというものかもしれない。

「もちろん、私が何度か『オマエはオレの知らないところで何かしているだろう』とか『浮気してるんじゃないか』とか言いかけました。だけど彼女は私の前では本当にいつもごく普通の妻だったし、子供たちもめいっぱい愛情表現をするごく普通の母親だった。だからいつも、私はかすかな不安を感じながらも、彼女を信じるしかなかったんです。夜中に電話しながら泣いていた件も、たった一回のことですしね」

 ところが定年直後、妻は離婚を申し出てきた。坂巻さんにとっては、青天の霹靂ではあったが、一瞬後には「ああ、いつかこんなことが起きるような気もしていたなあ」と思ったという。

「正確にはむしろ、デジャヴュというんですかね。こんなことが過去にあったなあという気分。驚いたけど、心の中ではどこか納得しているような不思議な気持ちでした。妻はきっとどんなに私が詰問しても、男がいるなんていうことは言わなかったでしょう。それがわかっているから、『ひとりになりたい』と言い張る妻に理由を問いただしてもしかたがないような気がしました」

 妻が離婚を言い出したのは、春の晴れた日の昼下がりだった。お金も要らない、身の回りのものだけもって、今すぐ出ていかせてほしいという妻に、彼は一つだけ質問した。
「オマエにとって、オレとの結婚生活は何だったのか?」と。

 妻は微笑を浮かべながら即答した。
「とてもいい夢だった」
 と。
「どういう意味か、いまだに考えているんです。私にとっては現実そのものの結婚生活、家庭生活が、彼女にとっては夢だった。それは『ただの夢だった』という意味なのか、あるいは『夢のように素晴らしかった』という意味なのか。いずれにしても、彼女は『いい夢』から醒めて現実に戻りたくなったわけですよね。夢と現実はどちらが重いのか、どちらが大事なのか」

 坂巻さんはそこでふっと黙り込んだ。いったい彼がどういう思いで妻を送り出したのか、私には見当もつかない。なぜ引き止めなかったのか、過去の時間の積み重ねが自分たち夫婦にとって大事だということをなぜ訴えなかったのか。

「黙って送り出すって大変でしょう? あとから子供たちに言われました。『お父さんは何考えているんだ』って。実は子供たちさえ何も知らなかったんです。上と下は男で、真ん中は娘なんですが、娘も『お母さんは私にも何も言ってくれなかった』って、私たちはみんな妻が、母親がどういう人間なのかわからないままに平凡な生活を送ってきたんです。

ただ、私は子どもたちに言いました、『お前たちにはわからないだろうけれど、この年になってみると、もう先が短いのは実感している。社会的な責任問題果たした。それなら残りの人生は、本当に心の趣くままに生きていくのが幸せなんじゃないか』と。彼らが納得したかどうかはわかりませんが、離婚しようがどうしようが、彼らの母親は妻だけだし、妻も母子の縁を切るつもりはなかったでしょう」

妻が出て行って一ヶ月後、離婚届けが送られてきた。手紙が同封されており、連絡先と近況が書いてあったという。

「そこには『ある人と一緒に暮らし始めました』と書いてありました。その『ある人』が、例の私の上司です。さすがに私もそこまでは知らなかった。というのも妻が最初の子の出産を機に退職した後に、その上司も会社を辞めていたんです。親が亡くなったので、実家に帰って家を継ぐという理由でした。実際に帰ったのか、あるいは転職しただけなのかわかりませんが、妻と彼は断続的にではあっても。ずっと続いていたんですね。

妻の手紙には、『あなたが私を疑っていることはときどき感じていました。でも私は知らないふりをしていたし、あなたも私を問いただしたりしなかった。そのことを深く感謝しています。それでも私は彼を忘れることはできなかった。

彼の奥さんが十年前に亡くなってから、私はあなたが退職したら暇をもらおうと思っていました』と書いてありました。その元上司は妻より十五歳ほど年上ですから、五年前でもう七十代。妻にとって私との結婚生活は三十五年で終わりましたが、妻との関係は四十年以上続いていたわけですよね。

実は今も妻とはたまに連絡をとりあっているんです。彼は七十代後半になっていますが、今も元気だそうです。私には悪くて顔向けができない、と毎日言っているとか。当時、私は妻の手紙を詠んですぐに離婚届にサインして役所に出しました。子供たちにも正直に話しました。

なんだか妻も元上司にも恨む気にはなれなかった。もちろんもっと若くて血気盛んなころなら妻や元上司に何をしたか分かりません。だけど、ふたりが四十年間、耐えて忍んで関係を続けてきたなら、最後は添わせてやってもいいんじゃないか、と思ったんです。だって大変なことですよ、お互い家庭をもちながら関係を続けていくということは。それだけ縁が深かったんでしょう。

彼女が私との生活が夢、と言ったのは何だろうと今でも思いますが、少なくとも私との縁より、元上司との縁のほうが深かった。それだけは認めます」

 こんな話が世の中にあるのか、という思いと、あっても不思議じゃないという思いが私の中で交錯した。どう受け止めたらいいのかわからずに、私もしばらくぼっとしていた。

 坂巻さんの元妻と元上司との関係は、断続的にでもあっても、四十年以上続いていた。ひょっとしたら年に一度も会えなかった時期もあるのかもしれない。細々と、それでも途切れることなく続いてしまった関係には、坂巻さんがいうようによほど強い「縁」があったことしか思えない。あるいは彼らの「強い意志」か。そうだとしたら、たとえ結婚生活を続け、子供までなした夫婦であっても。入り込めないものを感じてしまうのは止む得ないのかもしれない。

だがもしも、坂巻さんが二十年前に妻の素行を徹底的に調べていたら、そして彼らを別離に追い込んだとしたら、今ひとりで暮らすことは避けられたのではないだろうか。夫婦として、
もっとお互い理解しあえた可能性もある。むろん、それは夫婦を早めの破局に導いただけかもしれないけれど。

 夫の定年という区切りを迎えて離婚を要求、家を出ていった妻、と聞くと老いた夫を捨てる身勝手な妻、あるいはそれまで虐げられてきて一念発起した妻という印象が強いが、坂巻さんの場合はどちらにも当てはまらない。最もっと複雑な事情と感情が入り混じったものだ。

 それにしても元妻はどういう思いで結婚生活を続けていたのだろうか。いつか添う事ができるかもしれない恋人を思いながらも、家庭の中では明るく妻と母としての役割をきちんと果たしていた彼女の強さを思うと、誰にも彼女を責めることはできないとしか言いようがない。

「不思議と私は、妻に長い間裏切られ続けてきたんだ、という思いはあまりにないんですよ。きっと結婚生活は不幸ではなかったからですね。と同時に、私自身、四十年も忍び続けて恋をしていた妻に、どこかあっぱれと思うことがある。それに妻のことはやはり今も好きなんです。惚れたはれたの感情があるわけじゃないけど、しみじみと愛しいというか」

 いい人過ぎる。もちろん何か達観したところがあるのだろうが、もっとどろどろした気持ちも心の底ではあるのではないか、と私は尋ねた。

「そりゃ、ありますよ、人間だから。心の中で思っているんです。もしその元上司が私より早く亡くなったら、ひょっとして妻は戻ってきてくれるんじゃないか、と。そう思うそばから未練たらしい自分、だれかの死を願うような自分の気持ちに嫌悪感を覚えることがあるのですが」

 それを聞いて少しだけほっとした。坂巻さんは自分の中のマイナスの感情もきちんとわかっているのだ。あまりにも自分の感情を押し殺していると、あとでおそらく鬱状態になってしまう。自分の負の感情をありのままに見つめるのは男性には難しいのか、男性たちはマイナスの感情をみないようにするのが常だ。男性の自殺が女性の数倍も多いのはそういうことに原因があるのではないだろうか。

 坂巻さんのような人になにを言ったらいいのか私には見当もつかなかった。ただ、人生にはなにが起こるかわからない、ということだけが深く印象に残った。

つづく 第四章 男と女、どう違う?