結婚というものがもつ重みが軽くなって来ているとよく言われる。だが、そもそも日本においてそんなに結婚は重かったのだろうか。平安時代は女系家族で通い婚、男は気に入った女性を訪問すればよかったのだし、女性側だって気に入れば数人の男性を受け入れることもあったのではないか。江戸時代の長屋には「マドンナ」的存在のおかみさんいて、隣の亭主やそのまた隣の亭主が入れ替わり立ち替わりやってきては、彼女と仲良くやっていたという説もある。

本表紙男が離婚を語るとき 亀山早苗

第二章 自分から離婚を望んだ男たち

◆結婚してから「運命の女性」に出会ってしまった

  離婚は妻から言い出されるとは限らない。自ら離婚を望んだ男性たちもいる。男が離婚に踏み切るのはどんなときなのだろうか。

「僕は結婚なんてあまりしたいと思っていなかったんです。でも三十歳を目前にして、ふっと周りをみてみると、みんなどんどん結婚して遊び仲間も減ってくる。社会的にも、そろそろ結婚して安定したほうがよさそうだし、子供のことを考えると、あまり年取ってからの子だと経済的にもつらくなる。三十歳っていうのが考え方のひとつの転機ですね。当時、一年半くらいつきあっている二歳年下の女性がいたんです。結婚ということを意識したとき、彼女とならうまくいくのではないか、と思えたから踏み切った」

 栗林啓史さん(三十五歳)はそう話す。妻となった女性とは同じ会社に勤めていた。彼女が短大出で二歳年下なので彼とは同期だ。穏やかで明るい性格の女性だった。長男である彼を慮って、近い将来、親との同居を考えてもいいとまで言ってくれた。彼自身は自分の親ともつかず離れずの距離がいいと思っていたから同居する意志はなかったが、彼女の気持ちは嬉しかった。

 結婚式もその後に始まった結婚生活も、何の問題もなく過ぎでいった。子供はしばらくたってから考える、まずは二人の生活を楽しもうと決めた。ところが結婚三年目、彼は仕事で知り合った五歳年下の二十八歳の女性に強烈に惹かれてしまう。

「最初はてきぱきして仕事ができる女性だなという印象しかなかったんですが、一度、うちの会社の人間三人とあちらの会社の三人で、ビジネスランチをしたとき、非常に気配りがいき届いていることを感心したんです。男ばかりで彼女は紅一点だったためか、注文から飲み物の配慮までさりげなく気遣ってくれて。

だけど彼女はそういう気配り要員として派遣されたわけではなくて、きちんとビジネスの話も加わってくる。むしろ男たちの理屈ばかりの話をうまく整理して現実的な話に戻してくれ、展開させていく能力に長けている。男で気配りしつつビジネスの話もうまく展開させていけるような人はいませんからね。

僕らはただただ感心していました。あちらの会社の部長が、『彼女はうちのホープなんです』と言っていたのも頷けました。その後しばらくして、たまたま会社の後輩と近くの居酒屋に行ったら、そこに彼女も同僚たちと来ていて一緒に飲んだ。そのとき、『今度、ふたりでランチでもしませんか』って彼女の方から誘ってきたんです」

 ランチがディナーになり、酒になるのに時間はかからなかった。積極的な彼女にどんどん彼に傾斜してくる。それがわかっていながら、彼は彼女に会うのを止められなかった、いや、やめなかった。

「僕自身、それほど恋愛にのめり込むたちじゃないと思っていたんですが、彼女のことが妙に気になってしかたがない。結婚しているんだから自制しなければならないと頭ではわかっていても、つい電話をしてしまう。苦しいんです、彼女のことを思うと。

これが恋愛というものか、と初めて感じました。ふっと彼女のことを思った瞬間に、体中が痛くなるんですよ。やるせない感じというかなんというか。とにかく僕とって初めて経験した感情でした」

 相手を思って悶々とする感情。まさに彼は恋に落ちてしまっていた。それでも彼は理性を駆使して、自分を律しようとがんばった。
 ふたりが深い関係になったのは、初めて出会って一年近くたってから。僕が必死に守ってきた自制心が崩れた瞬間でもあった。そして彼女が、ついにすべてをかなぐり捨てたときでもある。

「飲んでいたら、突然、彼女が言ったんです。『私と寝たくない?』って。彼女はコースターの表にイエス、裏にノーと書いて、『どちらかを上にして見せて』と囁いた。それで僕は腹をくくりました。女性にそこまで言わせたらもう引けないし、それはまさに僕が望んだことでもあるわけですから」

 イエスの面を表にして彼女に見せた。彼女は微笑んで頷き、「一度だけよ」と言った。彼も頷く。共犯関係は成立した。

 彼らは店を出て車を拾い、ホテルに向かった。最初はお互い一度だけのつもりだったが、そこは男と女、快楽を分かち合えば一度で済まなくなる。それがわかっていながらも、男女は「一度だけ」と言いながら関係を持つのだ。自分自身への言い訳として。

 彼らの関係も、一度だけと言ったにもかかわらず、その後は堰を切ったように深く進んでいった。セックスの相性も抜群によかったし、なによりも彼女といると単純に楽しい、と栗林さんは言う。

「彼女はけっこう言いたいことずばずばと言うんですよね。切れ味のいい毒舌家という感じなんだけど、独特のバランス感覚と心の奥に持つ優しさのために厭味にならない。たとえば一緒に映画を観ても、面白くないと思ったらどういうところがおもしろくなかったかはっきり言う。その言い方にユーモアがあるのでこき下ろしている感じがしないです。

つい笑ってしまう。彼女といるといつも笑っているような気がしました。その一方で、彼女と一緒でないときの僕は悲惨でした。関係を持ったら胸の苦しみが治まるかと思ったんですが、治まるどころかますます辛くなる。

家でも会社でも僕は彼女のことばかり考えてしまう。恥ずかしいんですけど、中学生のときの純粋だった片思いを思い出したりして。大人になってから妙に計算高く、冷静に振る舞っていたから、僕の中にこんな熱いものがあるということにも驚きました」

 栗林さんの恋の病はますます酷くなっていく。自分が気づかないところで、どういう表情をしていたのか、家の中でおかしな行動をとっていなかったか、と今になって考えてみても思い出せない。だが、「恋に落ちた」夫の変化を見逃すはずがない。

 恋に落ちるというのは無防備になることだ。妻にはなにもかもお見通し。妻が穏やかな性格ではあったが、それはふたりの関係性を信頼しているという基本があってのことだ。妻は、夫と彼女が深い仲になってから半年もたたないうちに彼の携帯電話のメールを発見し、すぐに詰問してきた。

「白を切ることもできたかもしれない。でも僕は否定しなかった。ばれてしまったことで、少しほっとしたんです。いくら恋に落ちて客観的になくなっているとはいえ、妻への罪悪感はありましたから。『別れてよ』と言われて『わかった』と言いました。でもその後、どうも話がかみ合わない。妻は、彼女と別れて、と言っていたのに、僕は離婚する前提で話していたんです。

それに気づいたとき、自分が離婚をして彼女と一緒になりたいと思っていることにはっきり気づきました。それで『彼女とは別れない、きみと別れたい』と言ったんです。妻を傷つけることはわかっていた。でもそのときは妻を傷つけても、彼女を選びたいという一心でした」

 恋は良くも悪くも人の冷静さを奪う。たとえ誰かを傷つけても自分の恋を成就させたいと願ってしまう、彼もひどい男だと非難するのは簡単だが、私としてはそうせざるを得なかった「恋の魔力」の不思議さのほうに目がいってしまう。

 妻とは揉めに揉めた。何の罪もない妻からみれば納得できないのは当然のことだ。妻は恐怖と絶望のどん底に突き落とされ、毎日泣いていたという。

「妻への嫌悪感はありませんでした。追いつめたのは僕だから、彼女は納得するまでとことんつきあうしかない。だけど、正直、早く目覚めてくれ、と思っていた。いくら結婚したといっても、その後に好きな人と出会うことはあるわけだし、それはしょうがないことなのだから。でもそう思えばそばから、自分の冷淡さにぞっとしましたね」

 妻の両親までもが彼らの間に介入してきた。妻の父親に殴られ、母親には「人でなし」と罵られた。それまで彼は「別れたい」と妻に懇願し続けた。

 半年後、妻は「もう疲れた」と言い残して実家に戻って行った。彼は退職し、虎の子の貯金五百万を妻の口座に振り込んだ。そしてふたりは借りていたマンションを引き払い、彼女と新しい船出をすることにした。彼女のほうも妻と別れた際に揉めた男と結婚するなんて、と両親に罵られ、勘当同然家を出てきた。

 お互いすべてを捨て、互いにすべてを捨て、互いの存在しか頼るものがない中で生活を始めた。そんな生活もそろそろ二年になる。

「僕は離婚して半年後にようやく再就職が決まったんですが、彼女は文句ひとつ言わずに生活を楽しもうとしてくれました。
 彼女には頭が上がりません。だけど正直なことを言うと、最近、彼女とはあまりうまくいっていないんです。何でもぽんぽんと言う彼女の性格が刺激的で好きだったのに、一緒に暮らすとなるとやはり精神的につらいときもある。

そうすると前の妻が気になってしかたがないんです。よりを戻したいとかいうんじゃない。だけどあの穏やかな妻を切り捨てるような真似までして、ようやく手に入れたこの結婚が果たして正解だったのか、という気持ちがふっとわいてくることがある。もちろん、前の妻のためにもこの結婚をまっとうするのが僕の責任だと思うんです。だけど‥‥。すいません、うまく説明できなくて」

 後悔ではない、と彼はしきりに言っていた。だが彼がそう言えば言うほど、離婚という決断を急ぎすぎたのかもしれない、という彼の気持ちが滲み出てくるような気がしてならなかった。

 他に好き女性ができたからといって、一途になってすぐ離婚を選択する既婚男性は少なくない。心のどこかに彼女のことを気にしつつも、家庭を自ら壊そうとはしないものだ。身体は彼女のほうを向いているのに、顔は家庭を見ている。そんな男性が多いのではないだろうか。男にとっては両方うまくいけばそれに越したことはないのだから。「ずるい」と言われればそれまでだが、既存の関係に波風を立てずに、別の関係をも手中に収めておきたい、というのが男の本音ではないだろうか。結婚は安定、恋愛は刺激、まったく別ものなのだから。

 栗林さんの一途な正直さが、むしろ彼自身の決断を誤らせたかもしれない。人とは選択しなかったもう片方の道について、いつも悩むものではあるが。自分に正直になるのもいいことだが、やはり早まった結論を出す必要はなかったのではないか、という気がしてならない。

 実は彼はひそかに前妻のその後を友だちに聞いて調べていた。前妻はまだひとりでいること、前の会社に勤めていること、仕事に邁進してかなり出世したことなどなど。だが恋人がいるかどうかまではわからなかったらしい。

「こんなことをしている自分はどうかしているってわかっている。でも前の妻の動向を知らずにはいられなかったんです。ここで行動を起こしたら、今度は今の妻を傷つけることになるから、自分からはなにしないつもりです、もちろん」

 彼はそう言ったが、心なしか声は小さかった。
 結婚していても他に好きな女性ができることはある。そのときに妻にそのことを言ってしまう男性は精神的に幼い、正直がいいことだというのはその場合、欺瞞に過ぎない。自分の重荷をかるくしただけなのだから。ただ、相手の女性と関係が続き、家庭と引き替えにしても彼女と新しく人生をやり直したいと思うこともあるだろう。だがそれは妻、自分、恋人の三者の人生を変えてしまう決断だ。どんなに熟慮を重ねすぎることはないはずだ。

 ただ、栗林さんを擁護することも非難することも誰にもできない。彼は自分の欲求に正直に従った。だから今の逡巡も彼自身が受け止めていくしかない。

「すべての責任は僕にあるとわかっています。ただ、もしあのとき、携帯メールを発見した妻があと少し黙っていてくれたら、僕の恋は案外あっけなく冷めたかもしれない。もちろん、これは僕の勝手な意見です。それはわかっている。わかった上で、それでもなお、『あのときメールが見つからなかったら』ってよく思うんですよね」

 自嘲気味に話す彼の目には、やはり後悔という苦いものが浮かんでいるように思えてならなかった。

 結婚というものがもつ重みが軽くなって来ているとよく言われる。だが、そもそも日本においてそんなに結婚は重かったのだろうか。平安時代は女系家族で通い婚、男は気に入った女性を訪問すればよかったのだし、女性側だって気に入れば数人の男性を受け入れることもあったのではないか。江戸時代の長屋には「マドンナ」的存在のおかみさんいて、隣の亭主やそのまた隣の亭主が入れ替わり立ち替わりやってきては、彼女と仲良くやっていたという説もある。

 厳格な一夫一妻制が庶民にまで浸透してきたのは明治時代になってからだろう。それまで実際には西洋文化が入ってきたこと、富国強兵のために惚れたはれたと言っていられる時代ではなくなったことなどが影響しているのではないだろうか。

 そもそも「神に誓って」結婚するという認識は日本ではなかっただろうし、今のカップルにもないだろう。どちらかと言えば「自分の心に誓って」結婚するのだろう。神と自分と対峙という観念は敬虔なクリスチャン以外の日本人にはまずいない。人の心ほど当てにならないものはないから、他に好きな人ができて気持ちが変われば今の結婚生活を解消したくなるのは、ある意味で自然である。

 自分の心に素直に従うとなると、結婚離婚を繰り返すのはやむを得ない。ただ、通常、人は理性で自分を抑圧する。我慢できることは我慢しようと思い、百パーセントの満足はないと自分に言い聞かせて日常を送るのだ。その我慢が出来なくなったとき、人は離婚という二文字を思い浮かべる。我慢して結婚生活を続けていくことが必ずしもいいこととは限らないというのは、すでに人々の共通認識になりつつあるだろう。

 結婚離婚を繰り返すにはエネルギーがいるが、それができる人はやればいい。そうする人が増えていくことで、結婚の在り方は変わっていく。何の努力もしなくても愛情は長続きするもの、結婚は永遠のものという観念が覆されれば、むしろ結婚というものは重みを持ち始めるのではないだろうか。

◆妻の家族との問題

  最近、意外とよく聞くのが、妻の両親と夫の折り合いが悪い、という話だ。子供が少ないこと、以前のように親は息子の嫁と暮らすのではなく実の娘と暮らした方が気が楽という風潮もあいまって、妻の実家の親が結婚生活に介入してくるケースは多い。

 都内に住む伊藤正徳さん(三十八歳)は、妻の両親に振り回されて生活していると嘆く。離婚を望んでいるが、なかなか妻に言い出せずにいる。

 結婚したのは七年前。伊東さんが三十一歳のときだった。当初は伊東さんの会社の社宅に入居していたが、一年もしないうちに、妻が社宅での人間関係に疲れたと言い出してげっそりと痩せた。それで社宅を出ようと思ったのだが、まだマイホームを買えるほどの余裕はない。伊藤さんは九州の出身で都内に親戚も少ないが、妻は東京の出身。疲れた妻は、『実家の傍に住みたい』と言い出す。妻の両親も大賛成で、伊藤さんが知らないうちに妻と両親とで、実家から歩いて十分ほどのマンションを決めてしまった。

「僕は賃貸マンションのつもりだったんですが、妻が言うには分譲マンションを買った、両親が頭金を出してくれた、と言うんです。僕としたら『なんだ、それは』という感じですよ。だけど、妻は、『別にいいじゃない、頭金くらい出してもらって』と意に介さない。

彼女には弟がいるんですが、この弟がひとつところに落ち着くタイプではなくて、世界中あちこち放浪したあげく、今はアメリカにいて滅多に帰ってこないんですよ。だから両親はどうしても長女である妻に頼ることになる。妻も両親も何かと甘える。結局、ことを荒立てるのもよくないと思ったので、そのマンションに入りましたが、帰ると毎日のように義理の母親がいるんです。あるいは妻が両親の家に入り浸って、僕が帰宅する時間にもいない。引っ越した直後から、そういうことが続きました」

 社宅生活で疲れた妻が元気になるまでは仕方がないと、伊藤さんは黙って見守っていた。一年後、すっかり心身ともに回復した妻は妊娠。これでようやく家族水入らずになれると思った伊東さんは、その考えが甘かったとすぐに知ることになる。

「つわりだといえば、母親が僕に『だんなさんが優しくしてくれないと』『労わってやってね、大事なときだから』と毎日やって来ては言うんです。僕だってわかっていますよ、そのくらい。なんだか妻がふたりいるみたいで、鬱陶しくてしかたがない。義理の父親なら男同士、話をわかってくれるかというとそんなことはなく、やはり娘かわいさでしょうね。

『きみの会社はあまり景気がよくないようだね。これから子供が生まれることだし、どこか紹介しようか』って言い出して。かれにはカチンときました。どこまでオレを撮り込めば気が済むんだ、と思った。『僕は今の仕事に誇りを持っていますから』と言ったら、『誇りじゃ充分な生活はできないよ』ってニヤリとされました。確かに義理の父は、優秀な官僚で、定年後は天下りしながら優雅な生活を送っていましたが、だからといって人の仕事にまで口を挟むというのはやりすぎでしょう。

肝心の妻まで、『お父さまに紹介してもらえば、もっといいお給料をもらえる仕事はいくらでもあるわよ』と言い出す始末。僕たち、同じ会社ではないんですが、仕事関係で知り合ったんです。当時はもっと自立した女性だと思っていたけど、結婚して仕事を辞めたら急に一人前の人間ではなく、『親に依存する娘』に戻っちゃったんですね。協力しあって家庭を築いていかなくちゃいけないのに、何かあると親頼み」

 長女が生まれてからは、妻はほとんど実家に入り浸りで、親子三人でゆっくり過ごす時間はめったにない。週末も彼女は子供を連れて実家に行ってしまう。

「土曜日は泊まってくることも多くなりましたね。僕はたまに同行しますが、あちらの両親にとってしょせん僕は邪魔者。いないほうがいいという雰囲気になってしまっている。だから僕は週末も仕事をしたり、スポーツジムに通ったりしています。自分の時間が持てるのはありがたいことなのかもしれないけど、家族がいながらひとりで過ごしていると虚しくなりますよね」

 一緒に過ごす時間が少ないせいか、娘も彼にはなつかず、祖父母が大好きなのだという。娘の話がでたとき、彼の目は一瞬、潤んだように見えた。

「娘が三歳くらいのときかな、このままではいけないと思って、週末をなんとか娘と過ごしたいと妻に言ったんです。すると妻は娘に、『パパとふたりだけで遊園地に行く?』と尋ねた。そういう聞き方は子供に不安を与えますよね。どうして『三人で遊園地に行こう』と言わないんだ、と妻を𠮟責しました。すると妻は、『遊園地はこの間、お父さんとお母さんと四人で行って来たのよ。だから私はもういいわ。彩花は行きたいの?』って。娘が『行かない』と言わざるを得ないように仕向けている。

もともと娘と過ごす時間の少ないから男親は不利ですよね。娘は母親の言うことを聞くに決まっている。でもこういう環境は娘の為にもよくないと思いました。何度も妻と話し合おうとしているんですが、妻は『いいじゃない、あなたも疲れているんだから週末はゆっくり過ごしたら?』と実家に行ってしまう。家庭を築いていく意思がないのか、別れたいのか、と問いつめると、離婚する気などまるっきりないという。妻の気持ちがわからないんですよ」

 娘は来年、小学校に入る。それでも妻と実家との関係は変わらないだろう。両親はまだ六十代、心身ともに元気だから、密着状態はまだまだ続く。

 伊東さんは自身もうひとり子供が欲しいと思っているが、妻はひとりで充分と断言、産む気はない。それどころか娘が生まれてからはセックスもほとんど拒否。

「スポーツジムで知り合った女性がいるんです。彼女は今三十五歳、バツイチなんですが、子供はいません。二年ほど前から付き合うようになって…‥。土曜日たいてい一緒に運動して映画を見に行ったり食事に行ったりします。彼女はひとり暮らしだから、夜は彼女の家で過ごすこともあります。最初のうちは、妻から電話がかかってきたり、急に帰ったりするとまずいから必ず帰っていたんですが、まずそんなことはあり得ないと思うので、最近は泊まることも多くなりました。

ただ、彼女には僕の家庭の状況はあまり詳しく話していないんです。上手く行っていないことは薄々感じていると思いますが。週末にひとりでスポーツジムに来て夕飯まで一緒にとって、ましてや泊まっていく男なんて、独身か単身赴任か家庭がうまくいってないかのどれかですよね。

彼女はバツイチだから、結婚にはもう興味がないって言っています。それが本心かどうかわかりませんが。でもずっといい関係なんです。僕としてはきっかけがあれば離婚してもいいんじゃないかという気持ちになっていますね。子供は可哀想だけど、考えたら今の方がずっと歪んだ環境だから、いっそ、祖父母と母親と四人で住んだほうがいいんじゃないか、と。僕は彼女と再婚したくて離婚を考えているわけじゃないんです。

この結婚生活にまったく意味が見いだせないし、自分の存在価値さえ否定されていると思うようになってきた。どこかで決断しないと自分がダメになっていくような気さえしはじめている。ただ、自分から言い出すと彼らのことだから慰謝料を相当ふっとかけられると思うんです。できる限りの養育費は娘のために出したいけど、むしろこちらが妻から慰謝料をもらいたいような状態ですからね」

 現代の離婚は、言い出した方が慰謝料を払わなければならないというものではない。こういう家庭になったのは妻のせいだということが立証できれば、彼は慰謝料を払う必要はない。それが難しいところではあるが。何しろ離婚に関しいては妻に有利なように法が機能するから。しかも付き合っている女性がいるとわかったら、彼が家庭を壊した責任者と決めつけられる可能性は高い。

 ただ、彼の言葉で興味深かったのは、「自分の存在価値さえ否定されている」というところだ。家庭を構成しているメンバーは、お互いに敬意を払う必要がある。結婚していながら、夫が自分の存在価値を否定されているときに感じる虚しさを、妻はどう思っているのだろう。」自分がダメになっていくような気さえしている」という夫の声を、妻はどう聞くのだろうか。

 人が人を全面的に否定すること、関心を払わなくなるということは、とてつもなく罪なことだと思う。もし結婚生活が上手くいかないのなら、修正するなり、一度白紙に戻してやり直すなり、別々の人生を歩むなり、そこは話し合いをして決断していくしかない。大人同士なのだから、知恵を出して合って何らかの解決を図っていくべきだろう。だが、彼のような「生殺し」状態は、まさに全面的な否定であり、無関心の表現でしかない。人が人に対してそのような対処をしていいものか、と私は思う。

もちろん、男性が妻に対して「非人間的扱い」をする場合も同じだ。だが、最近は女性側が夫をないがしろにしすぎるケースが目立つような気がしてならない。夫という存在だから、妻がへりくだらなくてはいけないなどとはまったく思っていないけれど、最低限、人としてのマナーはあるだろう、と思ってしまう。伊藤さんは妻に対して憤りの感情は見せなかったが、むしろ私の方が沸々と怒りがわいてしまった。そんな私を見て、伊藤さんは申し訳なさそうな顔をしていたのが印象的だったのだが。

◆夫に「親」を求める妻

  妻が実家にべったり、という話はいくつも聞いた。中には出産後の退院時に実家に戻って、それきり帰ってこなかった妻もいる。また、毎日の夕食を子連れで実家へとりにいき、夫の分は容器に入れて持ち帰るだけという妻も。自立できない妻は、夫という他人より親を選ぶ。そういった家庭環境は確かに子供たちにもよくない。

 嫁と姑の諍いは巷でよく話題になるし、それは結婚生活における永遠のテーマと誰もが認識している。だが、妻の両親と夫との関係も、現代の家庭に暗い影を落としていると思う。必ずしも核家族でなければならないという意味ではない。妻の自立度が問題なのだ。

 男性はいろいろ矛盾を抱えている。結婚前に望んでいた理想の女性像にぴったりだと思って結婚したものの、結婚してから妻を見る目が変わるということがあり得る。やはり現在、妻の実家依存が高くて苛立っているという三十代初めの野村康則さんこう言った。

「妻はとても素直で控えめなタイプでした。つきあっているときも僕に対していつも誠実だった。彼女なら僕は裏切らないと確信したから結婚したんだ。だけど結婚してみると、まるで自立していない。何かあるとすぐに会社に電話してくる。たとえば、『今、隣の奥さんがこんなこと言われたんだけど、これって嫌味よね』とか。そんなこと帰ってからしてくれよ、と思うけど、彼女は何かに迷ったり困ったりすると、すぐに答がほしくなる。

新聞勧誘員が帰らなくて困るという電話がかかってきたことがある。僕はてっきり玄関に勧誘員を入れてしまったんだと思って、『何で入れるんだ』と言ったら、『違うの、玄関前にいてインターフォンで話しているんだけど、しつこいのよ』って。だったらインターフォン、切っちゃえばいいだけのことでしょう? そうしたら『なんだか悪くてできない』と彼女は言う。

優しい女性なんだと思うけど、自分で対処するということがまったくできないのは生活していく上ではマイナスだよね。僕が一度、『よほどのことがない限り、会社にいちいち電話をしないでほしい』と言ったら、それ以来、そういうことはすべて実家に頼るようになった。『彼が冷たいから助けて』って。素直に従順だけど芯がしっかりしている、と思っていたのは僕の買い被りだった。素直で従順ってことは、自分では何も決められないことだったんだ」

 ときとして、夫に「両親的なもの」を求める妻がいる。そいうケースは、両親の元から夫の元へ、と庇護を求める場を変えただけの結婚になりがちだ、もちろん男女の間は常に対等でなければならない、と堅苦しく考えていたら、家庭では安らげなくなってしまう。時には黙って受け容れたり、優しく励ましたりすることも必要だろう。

夫婦が、親子のような関係になる瞬間もあるだろうし、兄妹や姉弟のような関係になることも、友だちのような関係になる場合もあるだろう。だが、どちらか一方が相手に常に固定化した役割を求めていたら、夫婦は思いやりをもちあえる関係ではいられなくなってしまう。たとえば妻が夫にいつでも「親」を求めていたら、結婚生活は成り立たない。

 一時期、「クローン母娘」という言葉が注目された。実際、私の知り合いの二十代半ばの独身女性は、母親が世の中でいちばん好きと断言したことがあった。

「両親の価値観の中で育ってきたんだから、私は両親の言うことが絶対だと思う。母は私自身より、私のことをよく知っていると思うし。だから結婚するときは、必ず両親が大賛成してくれる人でないと私は結婚しないと思います。人を見る目は親のほうが勝っていると思うから。どこへ行くにしても母親と一緒がいちばん落ち着く。母は何があっても私を傷つけたり裏切ったりしない」

 絶対的な親子関係、というのは羨ましい半面、危険だと思う。結局、他人とは関係が創れなくなってしまうから。他人は不用意に自分を傷つけることがあるのだ、ということは学ばないまま大人になってしまったら、社会ではとても生きていけないではないか。本人は親さえ意図しないうちに自分を傷つける可能性もあるのだが、甘やかされて常に言うことを聞いてくれるような親に育てられた場合、人はそれを知らずに大人になっていく。それでは他人であり、しかも性が違う「男」というものとうまくつきあっていけるはずがない。

恋愛は一寸先は闇だし、互いに無防備な分、傷つきやすくもなるのだから。
 知り合いである彼女は、恋愛らしい恋愛をしないままに二十代半ばになっている。何度かデートすると、たいてい男のアラが目について嫌になってしまうのだとか。人間なんて誰も欠点だらけだ。それでも「好き」と身を焦がすのが恋なのに、彼女は相手を減点しつづけ、すぐに関係を断ってしまう。こういう女性が仮に親の大絶賛のもと結婚したとしても、とても夫婦という関係を作っていけそうにはない。

 男性は社会にでると嫌でも上下関係を学び、建前と本音を学ぶ。それは「大人」としては仕方ないことなのだ。そいう世間のあら波の中で、自分がどうやって生きていくかという処世術を学び、人は抑圧と開放のバランスをうまく取りながら社会生活を営んでいく。だが女性は、本人が望めばそういった社会のあら波に無関心でもなんとかやっていける。

だから自立の機会を逸することもあり得るのだ。そしてそんなありかたが、男性の目に「純粋で素直、結婚するにはいいかも」と映る。男性自身が、「女は弱いほうがいい、リーダーシップをとるのは自分」と考えているから、そういう女性に目が行ってしまうのだろう。とすれば、お互いに責任はあるのだが。

 それでも結婚したら、女性は「自分たちの家庭を自分たちでつくり上げていく」という意志を明確にもたなければいけないはずだ。親子関係が緩んで友だち関係になってしまっているせいで、自立した家庭を営めない女性たちが増えているのではないだろうか。

◆妻の暴力、借金から逃れたくて

  女性が強くなったと言われて久しい。確かに今は男性に遠慮してものも言えないという女性は減っただろう。だが、本当の意味で女性は強くなったのだろうか。ひょっとしたら、ただ我慢がきかなくなった。わがままになっただけではないだろうか。

 もちろん私は不必要な我慢などしない方がいいと思う。だが、すぐに「キレる」妻が多いのはどう考えたらいいのだろう。

 妻の暴力が原因で別居中という男性の話を聞くことができた。彼、松井英生さん(四十二歳)は結婚して十四年。二歳下の妻との間には、十二歳と十歳のふたりの子がいる。

 妻が彼に暴力を働くようになったのは、五年ほど前から。彼の浮気が発端だった。
「飲み屋で知り合った若い女性と数回関係をもってしまったんです。僕としては家庭を壊すような気はまったくなかった。でも妻は僕の手帳から携帯電話から財布からすべて調べて証拠をつかんだ。それで彼女に嫌がらせの電話をかけまくって…。結局、僕は彼女と別れて、妻とも仲直りしたんです。でも妻の気持ちは修復できなかった。

最初に妻に殴られたのは、僕が彼女と別れた、と告げた日です。顔をパチン、と平手で。そのときは、それで妻の気がすむならしかたがないと思っていました。だけどそれ以後、ことあるごとに妻が酒を飲んでは暴れて僕を殴ったり蹴ったりするようになった」

 以前、妻が夫をフライパンで殴り続けて殺してしまったという事件が世間を騒がせたことがあった。松井さんも真剣に身の危険を感じたという。

「たいてい酒が入っていますから、荒れ狂うとものすごい力を出す。僕は包丁を突き付けられたことがあります。だけど素面のときの妻は反省するんですよ。かといってアルコール依存症というほど飲むわけではない。ただ、このままじゃ家庭崩壊だから、病院にも連れていきました。

カウンセリングにも通わしたんだけど、それもなかなかよくならない。三ヶ月ほど前、妻が、
『あなたの顔を見ているだけでイライラすることがある。気分がいいときは大丈夫だし、一緒にやっていこうと思えるんだけど、気分がすぐれないと急に凶暴な気持ちになってしまうの』と言ったんです。それで医師と相談して、とりあえず僕が家を出ることにしました。今は妻のお母さんが来てもらって監視兼家事を手伝ってもらっているという感じなんですが、少し落ち着いてきたようですね」

 松井さんがいちばんつらいのは、子供たちに自由に会えないこと。妻が嫌がるからだ。夜遅く、自宅近くのアパートにひとり帰ると、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と頭を抱えることが多いと言う。

「もちろん発端は僕の浮気。僕が悪いのはわかっているけど、少しの間放っておいてほしかった…。まるで探偵のように持ち物を調べたり僕の後を尾行したりして、証拠をつかもうとしたんです。あんなに根掘り葉掘り調べなければ、妻自身、あれほど傷つかずに済んだのに」

 松井さんの意見を身勝手だと断罪することもできるだろう。だか、夫婦としての長い人生を平穏にすませたければ、見て見ぬふりをするということもときには必要なのかもしれない。

 もちろんそれまでの夫婦関係にもよるのだろう。日本的な「家族としてうまくやっていければいい」という夫婦関係を望んでやってきたのか、それとも夫婦であっても「男女」でいたいと強く願いながら関係を育んできたのか。家族という一体感を大事にしたがる妻なら、ひょっとしたら夫の浮気を疑っても見て見ぬふりができるかもしれない。だが家族の核は夫婦であり、その夫婦は男女としての愛情で成り立っている。と考える妻であるなら、浮気は一大事。決して許すことはできないだろう。浮気されても何とも思わず許す妻などいるわけはない。

だが、夫の浮気が発覚したとき、「なぜ自分は悔しいのか、どうして腹が立つのか」と一歩ひいて考えてみることも必要なのではないだろうか。それは夫への配慮ではなく、自分の「夫への気持ち」を見つめ直すために「妻だから夫の浮気を怒るのは当たり前」と考えるのと、「夫を好きだから腹が立ってどうしょうもない」というのとは、その後の夫婦関係が微妙に違ってくるような気がしてならない。

 そのあたりの自分のあり方や願望をはっきり認識していない女性が、実は多いのではないだろうか。
 中には、夫の浮気が発覚すると、高級ブランドのジュエリーやバッグを買わせて一件落着、とする妻もいる。彼女の夫は会社を経営しており、今のご時世にあっても会社はそこそこ順調なのだという。その妻はこう話す。

「浮気がわかるたびに頭に来ますよ。だけど、彼にはどこか憎めないところもあるんですよね。しかも家庭を壊したら子供たちに充分な教育を受けさせてやれない。私だって今のような生活はできなくなる。だったら割り切って夫の経済力を頼って、私は私で楽しく過ごそうと決めたんです。

結婚して五年くらいたってからでしょうか、そういう心境になったのは。なんだかんだ言っても、夫の公の場には私しか連れていけないわけですよね。正式な妻なんだから。浮気はしていても、私や子供たちに冷たくなるわけでもないし、もうこれは彼の持病なんだと思って諦めています」

 心の底に嫉妬はあるだろう、悔しさもあるだろう、だが彼女は夫のことを憎めないでいる。
こういう心境になると、「いつかは戻ってくるだろうから好きにさせておこう」という達観した感情も少しは出て来るのかもしれない。

 だが松井さんの妻はそうはいかなかった。夫の浮気によって、彼女は精神的バランスを欠いてしまった。
「もちろん彼女の怒りはわかります。でも女性の反発を買うのはわかった上で正直に言っちゃうと、心の底では『たかが浮気なんだから』という気持ちもあるんですね。これを言ったらお終いだとは思うけど」

 松井さんはふうっと大きなため息をついた。いつになったら家族は元の形に戻れるのか。彼自身、子供たちと過ごす日々がまた来るのだろうか。妻は落ち着いてきたとはいえ、彼とは顔を合わせようともしないという。

「もともと自分の感情をぶつけているタイプではないんですよ。結婚するならなるべく感情的でない女性のほうがいいかなと思っていたのですが、実際には結婚生活にはいろいろなことがある。ときには感情的になったとしても、言いたいことをちゃんとぶつけてくれる女性のほうが上手くやって行けたかもしれませんね。妻が少しでもそうやって心を開いてくれたらいいなと今は願っているところなんです」

 松井さんの気持ちの中では、離婚したい気持ちとしたくない気持ちが半々だという。
「今後、もし僕が家に戻ったとしても、僕も妻に対して腫れ物に触るような気持ちは一生消えないと思うんです。そう考えると、お互いの為に離婚した方がいいかもしれないと思う。

でもそう思う傍から離婚したい気持ちは僕の責任逃れなんじゃないかという恐怖感も出てきてしまう。離婚したくない気持ちのほとんどは、子供のことを考えてです。でも子供たちももう僕のことは信用していないかもしれない。それなら結婚自体にしがみついていてもしかたがないという気がするんです。結局は、ひどく宙ぶらりんの状態で、何をどうしたらいいのかわからないんですよね」

 人には誰でも間違いというものがある。松井さんの初めての浮気が妻に知られなかったら、知られても大ゲンカした結果、元に戻れたら‥‥。タラレバは言っても詮無いことではあるが、突然、ひとりになってしまった松井さんの気持ちを考えると。もう少し妻として対処のしようがなかったのかとつい考えざるを得ない。

◆男としてのプライドをズタズタにされて

  日常的に暴力を振るわれている夫は最近増えているという。夫からのドメスティックバイオレンスは表面に出てきたが、妻からのドメスティックバイオレンスも問題だ。力の強さが違うから、実際に生傷が絶えない夫というのは少なくないのだろうが、夫のプライドがずたずたにされているケースはある。

「妻の暴力で離婚なんて、格好悪いから話したくない」
 と言い続けた小林清志さん(三十九歳)だが、数回に分けて少しずつ話を聞くことができた。
 結婚したのは小林さんが三十歳のとき。妻も同い年で、出会ってすぐに大恋愛となり、交際半年で結婚ということになった。六歳になるひとり娘もいたのだが、二年前に離婚。原因は妻の暴力だった。といっても手が出ることは少なく、どちらかといえば言葉の暴力が主だった。
「もともと彼女は非常にわがままなお嬢さんなんですよ。僕はそこに惚れたんですが、結婚に向いている女性ではなかった。他人を尊重するということができないんですね。結婚して三年ほどしたところから、何かと言うと、『あなたって本当に鈍いわね』『頭悪いんじゃないの』とバカにする。人前で頭を叩かれたこともあります。僕だって黙っていたわけじゃない。何度もブチ切れました。『人をバカにするのもいい加減にしろ』と一度だけ平手打ちをしたこともあります。

気の強い妻は、真っ青になって僕を睨み付け、料理で使う麵棒を取ってきていきなり殴りかかってきたんです。かなり滅多打ちされました。こっちも必死で取り上げましたが。お互い暴力はやめよう、ということでそのときは話し合ったんですが、妻の罵詈雑言はひどくなる一方。しまいには娘まで、『パパはバカだから』と言い出すようになったんです」

 三年ほどそんな生活に耐えたが、小林さん自身、だんだん自分が卑屈になっていくのを感じていた。家ではほとんど口を開かなくなり、週末もわざと会社に出たりした。

「もう家族としての形態をなしていなし、妻との心の交流もない。どうしてこうなっちゃったのかよくわからないんですけど、僕から離婚しようと言いました」

 妻は待っていましたかのように応じた。慰謝料を五百万円と言われたが、彼自身には慰謝料を払うつもりはなかった。別居後、互いに弁護士をたて、離婚に向けて全面戦争となる。だが、ことは意外な方向にいく。妻に結婚前から関係が続いている男性がいることが判明したのだ。小林さんは、この話は本当はしたくなかった、と言いながらも「話の流れでしょうがない、全部しゃべります」と腹をくくってくれた。

「妻の浮気はショックでした。むしろ知りたくなかった彼女は独身時代から家庭のある男性と不倫していたんですよ。その男を忘れるために僕と結婚したものの、やはり忘れられなくてよりを戻して、ときどき会っていたようです。その男がかなりのエリートらしくて、妻はよけい僕と比較してしまったようですね。僕は全然気付かなかった…‥。おめでたい話ですが」

 最初は強気で娘と一緒に小林さんを罵っていた妻も、浮気の件では相当ショックを受けたらしい。妻の両親は小林さんに謝り、慰謝料を払うとまで言ったが。だが、小林さんは、そのお金があるなら。娘の教育費に使ってほしい、と言い残した。

「もちろん、父親の責任として、娘の養育費は月々三万円、払っています。月に一、二度は娘に会っています。妻は両親に叱責されて相当こたえたんでしょう、例の男とは別れたと言っていました。本当のところはわかりませんが。相変わらずわがままで自分勝手な女ですが、少しだけ前とは変わったような気がします。娘だけは普通の女の子になってほしい。僕はこれからは娘の成長だけを見守りながら生きていきたいと思っています」

 男性にとって、妻の浮気を他人に話すのはかなり勇気がいるはずだ。だが、腹をくくって全部話してくれた小林さんは、案外すっきりしたような表情を見せた。
まさに彼は被害者なのだが、妻を恨むでもなく、自分の人生を愚痴るわけでもなく、淡々としていた。

「結局、彼女を選んだのは僕自身ですから、いろいろ言ってもしょうがないですよね。自分の人生に責任をもつというのは、こういうことかと身をもって体験した。ただ、自分自身、結婚した最初の段階でもっと妻ときちんと話し合って、こういう家庭を作ろうというビジョンをもったほうがよかったんだろうと今は思います。

妻にとって、魅力的な男でいられなかったから、彼女は不倫相手とよりを戻してしまったんじゃないかという気がして‥‥。僕、その男の写真を見てしまったんです。知的で、しかも背が高くて顔もなかなか。オレには勝てるところがない。と思ってしまったくらいです。そういう意味では、男としてのプライドはずたずたにされましたよ」

 妙に淡々として見えたのは、それを悟らせないためだったのか、と私はようやく気づいた。
彼がひどく冷静なので、二年たった今ではすっかりすべてをクリアになっていると私は思い込んでしまったのだ。だが、実は「男のプライド」はまだ復活していないのだろう。

「離婚してから恋愛と呼べるようなものはしていません。なんだか自信がなくなっちゃって。今は仕事に全神経が向かっています。女性は怖い、というのが染み込んでしまったんですかね。女性がいるような店にも飲みに行かなくなった。最初は友達にも会う気もなかったけど、最近はようやく会って酒を飲めるようになりました。だから男同士でつるんでばかりですよ」

 彼は最後、ある種、自嘲的な笑みを浮かべていた。家庭がありながら不倫していた男と、結婚後もダブル不倫を続けていた妻に対して、恨みつらみはもっていない。その分、彼は自分自身を責めている。

 男はいくつになっても女性にある種の夢をもっているのかもしれない。現実を見れば、男だって女だって同じ人間に変わりはないと思うのだが、女性に夢を見続けてしまうのは、男性が生来もっているロマンチシズムなのだろう。それを女の私が否定してもしかたがない。ただ、小林さんは心根の優しい人だから、自分を責め過ぎずに男として自信を取り戻してもらいたい。そう願うしかなかった。

◆妻が男に貢いでいる

  夫が気づかないうちに妻の借金が増えていて、どうにもならなくなったというケースもある。
最近は、キャッシングローンというのが簡単にできる。デパートのカードでさえ借金ができるようなシステムだ。「借金」という思い感じがするが、キャッシングと言うとなぜか大したことのないような印象がある。その辺りが曲者だという気がしてしまう。

 妻に打ち明けられたときは、すでに借金が四百万を超えていた、というのは木村孝信さん(四十八歳)だ。ふたりの子供は大学生と高校生。確かに学費はかかるけれど、借金しなければならないほど生活に困ってはいなかったはずだという。

「その借金を何に使ったんだ、と言っても、妻は答えないんです。『はっきり言ってくれればオレも対処する。だけど言えないような金なら協力はしない』と言いました。どんなに詰め寄っても、妻は最後まで白状しなかった。当時高校生だった娘なら女同士、何か聞いているんじゃないかと思って、『最近のお母さん、おかしなところはないか』と尋ねてみたんですが、何も知らないと言う。娘は娘でそうそう親離れする時期。自分の青春を謳歌するのに精一杯だったんでしょう」

 それが五年前のことだ。そのときは、ただひたすら謝る妻が哀れになり、何も聞かないまま木村さんは借金を清算した。子供たちのために、あるいは自分たちの老後のためにと少しずつ貯めてきた社内貯金を取り崩してきれいに払った。

 ところがそれから二年後、たまたま妻の留守に宅配便が来て、印鑑を探しているとき、木村さんは借金の督促状を見つけてしまった。二度目となると黙ってはいられない。
「とにかく説明しろ」
 と妻を問いつめた。その結果、わかったのは妻が男に貢いでいる、という事実。
「お恥ずかしい話ですが、妻は下の息子の家庭教師と関係をもっていたんです。信じられませんでした。妻は私より二歳下ですが、その当時、四十三歳ですよ。大人の分別があってもいい年でしょう。それもよりによって息子の家庭教師だなんて。

彼は大学生だったんですが、妻は生活の面倒から洋服、靴に至るまで買い与えていようです。驚くというより呆れました。そのときは二年間で二百万程度の借金がありましたから、もうオレは知らない、勝手にしろと言いました。若い男が自分から離れて行かないように金と物で釣っていたんでしょう。あまりにも哀れな女だと思いました」

 木村さんの言い分はよくわかる。不惑を過ぎた妻が、若い男に惑っていると分かったら、夫たるもの『勝手にしろ』と突き放したくもなるだろう。だが、本当に妻だけが悪いのだろうか。妻は寂しかったのではないだろうか。

子供たちも大きくなり、それぞれに巣立ちの準備を始めている。夫は仕事で多忙な時期だし、すでに自分を女として見てくれなくなっていることも感じている。四十代に入ると、女性はとたんに自分の衰えを感じ始める。肌も「皺ができた」と騒ぐ段階を過ぎ、どんどんたるんでくるのが目に見えてわかるようになる。これはほとんど恐怖感といってもいい。そんな女性の気持ちを、木村さんはわかっているのだろうか。

「それは理屈ではわかりますよ。老いというのは男だって怖い。女としての老いへの恐怖感というのは男以上でしよう。だからといって人として、していいことと悪いことは厳然としてあると思うんです。どうしても生活が苦しくて、家族のために借金してしまったというならまだわかりますよ。だけど、息子の家庭教師と関係をもち、さらに貢いでいたなんてどう考えても許せなかったんです、私は」

 それでも木村さんは離婚する気はなかった。ただ、妻には自分がしたことについて責任を持たせようと思い、「自分で働いて返せ」と告げた。その一週間後、妻は突然、失踪した。あわてて既に出入り禁止を言い渡していた家庭教師である大学生に連絡をとろうとしたが、彼も行方がわからなくなっていた。

警察に届けを出したものの、木村さんとしては腹立たしさだけが募っていく。子供たちも動揺している。特に下の子は大学受験が控えていただけに、家庭教師と母親といっぺんに裏切られたあまりのショックに引きこもるようになってしまった。

「なぜ家庭が一気に崩壊してしまったのかわからない。私が何をしたんだ。という気持ちでいっぱいでした。うちはごく普通の家庭だったと思うんです。私は妻に手を上げたことはないし、経済的にも精神的にもそんなに負担をかけた覚えがない。比重は仕事にありましたが、それは男なら誰でもそうでしょう。遅くなる時は先に寝てほしい、というタイプですからそんなに手がかかるというわけでもなかったはずです」

 家計の管理は夫がしていたという。生活費は充分に渡していたはずだと彼は言うが、妻としてはどこか信用されていないという不安と不満があったのではないか。

「だからといって、若い男と出奔していいということにはならないでしょう」
 確かにそうだ。だが、妻は精神的に相当、追いつめられていたのではないか。そうでなかったら、子供二人を置いて家出などするとは思えない。それまではごく普通の「いいお母さん」だったのだから。

実は半年後、妻はぼろぼろになって帰ってきたという。結局、若い男に捨てられ、他に行くところもなく、げっそり瘦せて帰宅した。一ヶ月ほど入院、体調が回復して自宅に連れて帰ったところで、入れ替わりに、木村さんは家を出た。

「妻もようやく目が覚めたんでしょうが、どんなに謝られても、やはり私には受け入れられなかった。娘が理由を知りたかったので、私は娘だけは話しました。もちろん、それで母親を軽蔑することになってはいけないから、慎重に話したつもりですが。私は自宅近くのアパートに越しました。子供たちのことを考えると、そう遠くにも行けなくて。でも結局、すぐに子供たちも私のところに入り浸りになってしまったんですよ。それで結局、私と子供たちが以前の自宅に、妻がそのアパートに住んでいます」

 妻とは正式に離婚した。離婚を申し出たとき、妻は「当たり前よね」と自分を嘲笑うように呟いた。彼女は都内の飲食店で働いて生計を立てているが、家賃は木村さんが払っている。

「離婚したものの、子供がいるから、まるきり縁を切るというわけにもいかない。あれだけげっそり瘦せた姿を見れば、放っておく気になれなかった。家族だから、とか愛しているから、という理由ではなく、人としてあんなに弱った人間を放置はできない、という感じでしたから。今は回復して働いていますが、あの当時、妻が何を考えていたのか、それはいまだにわからないんです。
私ももう聞く気はないし、聞きたくもない。だけどよく考えますと、私の結婚は何だったんだろう。私の人生は何だったんだろうって」

 仕事ではある程度、出世した。だが家庭の崩壊ぶりは彼自身、予測もつかなかったことだったに違いない。

「つらいですよね、わたしはどうすればよかったんだ、とときどき叫びたくなりますよ。一生懸命に働いて家を買って、子どもたちを育てて、妻は専業主婦を望んだし、私も妻には家にいてほしかった。子供たちはごく普通に健康で明るく育った。夫婦仲だって特別べたべたしていたわけじゃないけど、悪くもなかったと思う。会話があったかどうかと言われたら困っちゃうんですが、

四十代の夫婦なんてどこもそんなもんじゃないですか? 今思うと、私がどんな人間なのか、全く分かっていなかったんでしょうね。そんな大胆なことをする人間だとは露ほどにも思っていませんでしたから、本当に呆れたし困惑したし、腹が立ちました」

 二度目の借金二百万も、結局、木村さんがすべて払った。合計六百万円を支払ったことになる社内貯金はほとんどなくなってしまった。

「唯一の救いは、高校にも行かなくなって引きこもっていた息子が、その後ようやく立ち直って大検の試験に受かったことです。今度、大学を受験するとがんばっているのを見ると、私もがんばろうと思えてくる。息子は一切、母親に会おうとしませんが、娘はときどき様子を見に行っているようです。娘と話ができれば、妻も少しは寂しさが紛らわせるんじゃないかと思うんですが」

 木村さんの中では、彼女はやはり「妻」なのだろう。彼はついに「元妻」「前妻」という言葉を使わなかった。ずっと「妻」と言い続けていた。これはどういうことなのだろうか。さり気なく聞いてみると、
「あ、そうですか。ただの習慣だと思うけど‥‥」
 とだけ言った。しかしその後、ふっと私から目を逸らして沈黙した。ひょっとしたら彼自身、自分が「妻」と言い続けていることに驚き、自分の心の奥を覗き込んでいる時間だったのかもしれない。しばらくしてから、彼はようやく私を見て、再び口を開いた。

「離婚はしましたが、二十年近く連れ添っていたわけですからねえ。他人になったという気はしないところがありますね。正直言ってどうつきあっていいかわからないんですが、今のところはつかず離れずという感じです。今だって腹立たしい気持ちはありますけど、それでも子供たちの母親ですから」

 このところが木村さんの冷静なところだろう。腹立ち紛れに元妻の悪口を子供に吹き込んだりするようなことはすまい、と決めているという。ひょっとしたらそうやって何とかプライドを保とうとしているのかもしれないが。彼自身がもし感情を露にしたら、おそらくこの家庭はものすごい勢いで崩壊し、子供たちの人生もひどい方向に狂っていったに違いない。

彼がかろじて自分自身を保つために、子供たちも救われたのではないか。だがもっと考えると、その「常に自分を保つ」姿勢が、妻にとっては自分を無視されているような寂しさにつながっていったかもしれない。

 夫婦のことは夫婦しかわからない。私は妻が寂しさを感じて若い男性に走った原因として、セックスレスを疑ったのだが、木村さんは「妻の方が三十代後半以降、拒絶していた」と言う。そのあたりは確かめようがないけれど、いずれにしても性的な関係もなかったことだけは確実だ。

もともとセックスが嫌いな女性がいる。だが、彼女が若い男性に溺れたのは、おそらくセックス中心だったのではないか。だからこそ年上であることが引け目となり、突き放されるのが怖くて貢いでしまったのではないだろうか。そうなると彼女自身は、セックス嫌いではなかったと予想できる。もし木村さんの言うのが正しいとするなら、夫とはしたくない何かが彼女の中にあったのだろう。それが何かはわからないが、少なくとも妻は夫を心身ともに受け入れられなくなっていた。

 夫婦の仲は一朝一夕にできあがるものではない。壊れるときは瞬時かもしれないが、壊れるまでさまざまなことが積み重なってきているはずだ。夫たちは「できれば別れたくない」という気持ちを常にどこかにもっているものだし、生活習慣を変えるエネルギーも女性ほど強くない。男性は「いつもあるもの」「長く一緒にいたもの」に案外、愛着をもっているものだ。

その気持ちを日常的に表現することは下手だけど、いざというとき、ぎりぎりまで「それでも離婚は避けたい」と願うのは男性の方が多い。だから夫から離婚を望む場合は、恋愛経験が少なくて、「運命の女性に出会ってしまった」と錯覚して突っ走ってしまう場合と、妻がよほどひどいことをした場合に限られる。

 女性たちが、「なんとなく離婚」を望むのに対し、男性にそういうタイプの離婚はまずないと言える。
 つづく 第三章 僕らの離婚――ケース・スタディ