プロローグ――なぜ今、男の「離婚」なのか
二〇〇一年の日本における離婚件数は二八万五九一七件。つまり、その倍の男女が、今後「離婚経験者」となるわけだ。パツイチかバツサンかはわからないが。
バブルがはじけてからというもの、離婚件数は毎年、異常なまでの右肩上がり。これほどのうなぎ登りは、他のどの分野でも見られないものではないだろうか。だが、経験者の声として聞こえてくるのは、女性の話ばかり。同じ数の男性が離婚しているというのに、なぜか男の声は聞こえてこない。男女の問題に関しては、おしなべて男の声というのはめったに表面に出てこないのであるが。
離婚、という言葉を聞くと、誰でもイメージとして「身勝手でひどい夫と、それに耐えてきた妻」を思い浮かべがちではないだろうか。昔ながらの男女のあり方が影響するのか、そんな印象が固定化してしまっている。昨今、夫による家庭内暴力、言葉の暴力なども問題化しているのも事実である。夫の借金、浮気などもあとを断たない。それは現実ではあるが、果たして離婚した夫婦は、本当に「ひどい夫と、ついそれに耐えられなくなった妻」ばかりなのだろうか。
最近の離婚は、裁判で決着をつけるケースにおいては、女性側からの申し出が圧倒的に多いという。協議離婚の場合はデータがないのだが、廻りの意見や専門家の話を聞くにつけ、やはり女性から切り出すことが多くなっていると判断せざるを得ない。しかも、言い出された夫側は青天の霹靂というケースが増えているようだ。「誰それが離婚した」と聞いてリサーチしてみても、男性が離婚を申し出たという例はほとんどない。
もちろん、夫の借金、暴力、浮気などわかりやすい離婚理由で離婚を申し出る妻たちもいるだろう。だがその裏で、実は、夫にきちんと理由を説明せずに離婚を告げる妻たちも増えているのではないだろうか。結果、夫たちは「訳が分からないまま」離婚に追い込まれてしまう。
女性が強くなったと言われる時代だ。実は「ひどい目」にあっている男性も相当数いるのではないだろうか。ただ、男性はプライベートなことは友達にもあまり話ないようだし、ましてや自分の弱い面をそう簡単に他人に聞かせはしないだろう。だから男性が「離婚」をどうやって受け容れたのか、それについてどう思っているのか、その後、自分の結婚生活を振り返ってどう考えているのかは声として上がってこない。
なかなか聞こえない男達の声に耳を傾けてみることで、今の時代ならではの男女関係、結婚というものが多少なりとも見えて来るのではないだろうか。そんな気持ちで、私は「離婚」にまつわる男性の「生の言葉」を探していくことにした。
第一章 突然、離婚を切り出されて
◆妻に離婚を切り出されたとき
あなたが男性であっても女性であってもいい。想像してみてほしい。ある日突然、配偶者から「別れたい」と言われたら、どんな気持ちになるだろうか。あるいはあなたが独身なら、昨日まで仲良く話していた、信頼していた恋人にある日突然、冷たい口調で「別れよう」と言われたら‥‥。
妻に離婚を切り出された人の中でも、いちばんパニックになったのは、「ある日突然の申し出」だったと、男たちは口を揃えて言う。
重い口を渋々ながら開いて、離婚経験を話してくれたのは、酒井義弘さん(三十九歳)だ。
彼は一流メーカー勤務。二歳年下の妻とは、彼が二十九歳のとき結婚した。翌年、長女が生まれ、彼自身はなんの問題もない家庭生活を送っていると思い込んでいた。
妻が突然、「別れましょう」と言ったのは
八回目の結婚記念日の翌日だった。その年の春に娘が小学校に入り、ゴールデンウィークには家族揃って旅行にも行った。それらの写真は居間に、仲のいい家族写真として誇らしげに飾られていた。そして六月の初めの結婚記念日は家族三人で家で夕食をとり、娘が寝たあと、酒井さんは妻が欲しがっていたブランドもののスカーフをプレゼントした。その夜は、疲れた体に鞭打って妻を抱いた、と酒井さんは言う。
「その翌日の朝のことです。妻が、『今日、何時に帰ってくるの?』というとまったく同じ口調で、『ねえ、私たち、別れない?』って言ったんです。僕は自分の耳を疑いました。『わかれない?』が『わたれない?』に聞こえて、どこを渡るんだろうって思ったぐらいです。こっちはまだ眠くて頭がぼっとしているし、理解できないままにキッチンにいる妻の後ろ姿を眺めていました。
頭の隅では『昨夜はオレもがんばったよなあ、記念日だしなあ』なんてことさえ思っていた。すると妻はくるりと軽やかに振り返って僕を見て、『私たち、別れた方がいいと思うの』ともう一度、言ったんです。それでも僕は返事さえできなかった。何を言われているのか理解できなかったんです。妻の話す言葉がわからない‥‥。そんな気分でした」
別れる、という音声は耳に入ってきても、その言葉が意味するところが酒井さんは理解できなかった。時間がきたので、いつものように着替えて家を出た。背後から、妻の「行ってらっしゃい」という声が聞こえたのは記憶にある。
いつものように駅まで行き、いつものように電車に乗った。ふだんなら、電車の中でその日の仕事の段取りを考える。ときには上司への報告、部下への指示などを電車内でメモすることもある。ところがその日は仕事のことは何も考えられなかった。妻の「別れましょう」「別れた方がいいと思うの」という言葉だけが頭の中でこだまする。
「何の冗談を言っているんだ、という気持ちが半分。あとの半分は僕の理解不能なこが起こりつつあるのかもしれない、という奇妙な胸騒ぎ。ふっと現実に戻ったのは、昼休みになってからですね。別れるって離婚するっていう意味か、と突然気づいたんです。離婚、という言葉がなんだか重くて押しつぶされそうな気がしましました。だけど次の瞬間、『オレが何をしたって言うんだ』と腹立たしい気持ちが押し寄せてきました」
酒井さんは心の中で、これまでと現在の結婚生活を素早く回想したという。今のご時世の常として、決して給料が高いとはいえないから、自分の収入だけで楽に暮らしていけるだろう、と自慢たらしく言う事はできない。だが妻も子供の成長に応じて派遣社員として働いてきて、家計的には苦しいわけではない、家計は妻に任せていて、自分ではうるさいことは言ったことはない。そのころに住んでいたマンションも、妻の言いなりになって買ったようなもの、日ごろはなかなか家事をすることはできないが、週末は台所に立ってパスタやカレーを作ることも多い。
妻や子供はそれを喜んでいたのではなかったか。いろいろなことが頭よぎった。だが「あんなに軽く離婚しようと言われるほど、自分が何かいけないことを仕出かしたとは思えない」という結論に達するしかなかった。
「正直言って、浮気したことはあります。だけどそれはほんの遊び。長く続いた関係は一切ないし、トラブルになったこともない。妻は気づいていないはずです。子供の教育を巡って、多少妻と意見の違いはあったけど、それはどこの家庭でもあることでしょう。他のことで妻と言い争いをした記憶はありません。どう考えても理由がまったくわからなかったんです」
その日、酒井さんは早めに仕事を切り上げて帰宅した。娘が寝てしまうと、彼は妻に問いただした。今朝の一件は何だったのか、と。
「そうしたら妻が言ったんです。『私は本気よ。真奈(娘の名)が小学校に入ったら離婚したいってずっと思ってたの』と。理由を聞いたら、『あなたと一緒にやっていけないと思う』って言うんです。『一緒にやっていけないってどういうことだよ。今までやってきたじゃないか』と言っても、『だからこれからのことを考えると、一緒にやっていけないってことよ』と抽象的な言葉を返すだけ。僕が聞きたいのは具体的なことなのに、いっこうに理由をはっきりしない。次の日も、その次の日も同じことの繰り返し。だからといって、彼女は子供の前では、以前と変わった様子はまったく見せないんです。その週末は、僕の作ったパスタ料理を美味しそうに食べて‥‥。
だけど夜になると、『別れましょう』と始まる。一週間くらい経った頃かな、ついに僕がキレて、『オレが何をしたっていうんだ』と怒鳴ってしまったんですね。そうしたら急に妻の態度も変わって、冷たい目と冷たい口調で、『何をしたかじゃないの、あなたは何もしなかった。それが耐えられなかったのよ』と言いました。具体的に僕の何がいけなかったのか、と聞いても、『いろいろなこと。すべて』と言うだけ。また埒の明かない話に逆戻りです」
こんな状態が三ヶ月近く続き、酒井さんは果てしなく続く不毛な会話に、すっかり疲弊してしまった。そしてとうとう、妻がつきつけてきた離婚届にサインすることになる。どうしてまともに話し合いをしなかったのか不思議でならないのだが、酒井さん自身も当時は問題から逃げたい一心だったような気がすると振り返る。
「ろくに理由も言わないままに、毎日のように夜になると『別れましょう』の繰り返し。そんな生活を続けることを想像してみてください。頭がおかしくなりますよ。だんだん追いつめられていって、ある日、もういいや、という気分になってしまったんです。まるで昔見た刑事ドラマで、しつこく刑事に対して、何もしていないのに『はい、撲やりました』と自供させられるようなものです。それで僕もつい何も考えられなくなって、離婚届を書いてしまった。子供の親権は彼女。養育費も慰謝料もいらないという彼女が言うから、僕はいつでも子供に会えるという条件だけ求めました」
とはいえ、妻子を追い出すわけにはいかない。彼は別にアパートを借り、マンションの残りのローンも払い続けることになった。
「最初は妻に好きな男ができたのか、と疑ったんです。それで別れてからもときどき電話したり、マンションまで行ってみたりした。だけど男の影はないんですよ。十歳になる娘とは今でもよく会っています。たまにですが、週末は妻と三人で過ごすこともある。この前、妻になにげなく聞いてみたんです。『俺たちの離婚の原因は何だったんだ?』って。妻は軽やかに笑って、『結婚していることが重荷になったの。ごめん』って。今でも彼女が何を考えているのかわからない。だけど彼女自身は、『離婚して気が楽になった』と言うんです。結婚の何がそんなに重たかったのか…‥。彼女は結婚生活を壊して何を得たのか、僕にはまるでわからないんですけどね」
確かに酒井さんからの話からは、妻の気持ちはわかりにくい。突如、誰かと恋に落ちたために離婚して再婚したいという気持ちが芽生えたわけでもなく、酒井さんと暮らすことに生理的に耐えられなくなったわけでもなさそうだ。 だが『結婚していることが重荷だった』という妻の心情が、同性としてなんとなく理解できる。
さらに話を聞いてみると、妻と、酒井さんの両親や親族との折り合いはあまり良くなかったらしい。酒井さんの実家は東北地方にあり、彼は長男だ。両親はいつかは彼が戻って来て一緒に住んでくれると信じている。
だから、離れているとはいえ、彼の妻にも「酒井家の長男の嫁」であることを要求してくる。酒井さんは、「一緒に住んでいるわけではないから、それが妻にとって大きな負担になったとは思いにくい」という。確かに、それだけが原因とは言えないだろう。だが、それも原因の一端であるとはいえないか。
「結婚とは忍耐だ」
と長い結婚生活を経験してきた人たちは言う。だが、今の時代に生きている女性たちに「忍耐」という言葉は似合わない。私も含め、「忍耐」を美徳だとは誰も思っていないだろうから。惚れた相手なら「忍耐」もつらくない。だが、結婚生活も数年たてば、惚れた、はれたとは言っていられない。
現実の生活の中で、しじゅう忍耐を強いられるのは精神的によろしくない。コップの水が少しずつたまってついに溢れるときがくるように、酒井さんの妻も、ある日、忍耐の水が溢れてしまったのではないだろうか。
離婚して二年余り、酒井さんは「結婚ってなんだろう」「家族ってなんだろう」と考え続けているという。
「妻や娘に会っていると、僕たちは紛れもなく家族なんだって思うんです。だけど結局、僕はひとりでアパートに帰る。妻も娘とふたりきりで過ごしている。ひょっとしたら妻は外で誰か男性と会っているかも知れませんが、少なくとも再婚の意志はないようだし。妻とは性的な関係はないけれど、でも会えばほっとする部分もある。
じゃなぜ一緒に暮らしていけないのか。やはりわからないんです。僕自身はまた一緒に暮らしていいんじゃないと思うんですが、妻の方はまったくそういう気持ちはないみたいで」
酒井さんが一緒に暮らすことを考えるのは「家族だから」という理由だ。だが妻は一緒に暮らさない方が家族という実感をもてるのかもしれない。とどのつまりは、酒井さんと一緒にいることじたいに飽きたのか、結婚が手枷足枷に感じられて自由になりたくなったのか、どちらかなのだろう。あるいはその両方かもしれない。
最近、特に三十代の女性たちに、こういった「なんとなく離婚」の意識が高まってきているような気がする。相手の顔を見るのも嫌になったというほど毛嫌いしているわけではない。だが、結婚生活を続けていく理由や意義も見いだせない。社会人、母、そして自分自身という三つの顔があれば、妻としての顔は必要ない。むしろそれは自分の生活にとって邪魔になる、という無意識の意識が働いているのかもしれない。
今思えば、三十歳で離婚した当時の私も、「なんとなく離婚」だったような気がする。いろんな理由づけはしたけれど、シンプルに考えれば「一緒にいる理由が見いだせない」ということだったかもしれない。のちのちまで、相手から「離婚の理由がわからない」と嘆かれたが、冷静になって考えれば私自身にもよくわかっていなかったのではないか。結婚という枠の中に入っている自分がとても窮屈で、「私は私。誰かの何かではない」と反抗していたのは確かなのだが、一昔前だったら、そんなことが離婚理由になるはずはない。結婚とはそもそも束縛や足枷を含んでいるものだから。
だが今は、「自分が自分でいられない」ことは、女性たちにとって大問題となりうる。ひょっとしたら、結婚前は男性のほうが「自分の人生がこれで決ってしまっていいのか」とか「まだひとりの女につかまりたくない」とか逡巡するかもしれない。だが、男性は覚悟さえ決めれば、急速に責任感ができて、結婚生活をまつとしようと努力していく人が多い。
女性は独身のときは結婚に向かって一目散に走っていく。ところが、そのレールに乗っかってから「何かが違う」といったん思えば、案外簡単にそのレールを自らの手で外そうとしがちなのではないだろうか。
結婚イコール責任、と考えがちな男と、結婚イコール心の満足ととらえたがる女。そのあたりのずれが、女性側からの「なんとなく離婚」を生む背景としてあるかもしれない。
◆人生の伴侶ってなに?
ある日突然、妻に離婚を切り出された男性たちはたくさんいる。だが、実際には多くの人に取材を断られた。
「理由がまったくわからないので、離婚して三年たつ今も心の整理がついていない。だからお話できることはないんです」
と電話で話してくれた男性もいた。四十に入ったばかりの彼(吉田太輔さん・会社員)に、それでもしつこく聞いてみた。彼の場合、三歳下の妻が「離婚したい」と言ってからつけ加えた言葉が、「あたしはあなたの何なの?」だった。「奥さんだよ」と彼は答えた。だが、その一言は彼の妻をさらに刺激したらしい。
「奥さんって何?」
「人生の伴侶ってことだろう」
「人生の伴侶ってなに?」
「一緒に歩いて行く人という意味だ」
などと禅問答のような会話の繰り返しのあったあと、妻はため息をつきながら言ったらしい。
「あなたは何も話してくれないのに、どうやって一緒に歩いていけというの?」
中年と言われる年代にさしかかった夫婦なら、誰もが思い当たることではないだろうか。会話は子供のことや家族の行事のこと、あるいは親戚関係のことなどに終始しがち。特に「お互いの心の中を語り合うような会話」というものがなくても、どちらかがどちらかに何を伝えるだけで生活が滞りなく回っていく。
お互いの心の深淵に迫るような会話をしなくなって早数年。そんなことはどこの夫婦でも起こりうるし、実際、日常生活の中でそう心の深いところを話してばかりいられない。だが、それでも妻はやはり夫と全人格とをからめあいあい、ぶつけあって過ごしていきたいと願っているのではないだろうか。
吉田さんの勤める会社は、景気低迷の中、五、六年前から経営悪化していたという。リストラもおこなわれ、仲のよかった同僚や信頼する先輩たちが次々と会社を去っていった。吉田さん自身、配置転換で慣れないコンピューターに係わらなければいけなくなった。去るも地獄残るも地獄、という状況だったとき、彼はそのことを妻には話さなかった。話したら自分自身が崩れてしまうことを知っていたからだ。だが、あるとき、妻は夫の会社があまり順調でないことを知ってしまう。
「大丈夫なの?」
と問う妻に対して、夫は一笑に付してみせた。
「妻に心配をかけたくなかったから話さなかったんです。それに家に帰ってきてまで会社の話、したくない。慰められても惨めだし、後輩にコンピューターの特訓を受けているなんて話、とてもじゃないけど妻にはできなかった。根掘り葉掘り聞かれたら、傷つくのは私自身だし」
と吉田さんは言う。だが妻は、以前住んでいた社宅で仲良くしていた同僚の妻から、会社の状況や夫の立場を知らされた。吉田さんは当時、妻から何度かさりげなく「あなたの立場は大丈夫なの?」という疑念をもたらしてしまったということを知ったのは、離婚の話し合いをしている最中だ。
だがその頃にはすでに吉田さんは新しい部署でもやっていける自信が付いていたので、
「どうしてそんなことが離婚理由につながるかわからない」と反論した。
「あなたは自己完結している人なの。私はあなたに必要ない人間なんでしょう?」
妻は淡々とそう言った。結婚したら一生添い遂げるもの、離婚なんて自分にはあり得ないと吉田さんは思っていたので、ただただ妻の主張に面食らうだけだったという。
「妻がどうしても離婚するというから、最終的には判を押しましたが、やはり私には何が原因でどこから歯車が食い違ってしまったのか、まつたくわからないんです」
専業主婦だった妻は、九歳になるひとり息子を連れて実家に戻った。別れて三年、吉田さんは息子とは月に一度、日曜日を利用して会っているが、妻とは顔を合わせても挨拶する程度でほとんど話はしていないという。
「夫婦が他人なんだなと改めて思います。だから私が離婚の申し出についていまだに心の整理がつかないとしても、それはそれで仕方がないのかなあと最近は思うようにもなってきました。それでも守るべき家庭を壊してしまった、男としてこれは許されることなのだろうか、という気持ちが強くて、週末、仕事もなくひとりで家にいるときは考えが堂々巡りしてしまうんです」
自分はどうすればよかったのか。妻は自分にどんな「夫像」を望んでいたのか。苦しいときにひとりで乗り越えようとするのは間違っていたのか。だが、ひとりでがんばったから新しい部署でも多少の成果が出せたと思っている。それは間違いなかったはずだ。何もかも話していたら家族総倒れだったかもしれない。それでも妻はそれを望んだのか。家庭の妻の手に委ねて男が必死で仕事をすることが間違っているのか。
黙って見守るのが愛情ではないのか。そう考えると、妻には自分に対する愛情がなかったのではないか、というふうにも思えてくる。だが妻の言い分は、「あなたはいつもひとりで何でも決めてしまう。あたしなんていても居なくても同じだったような気がする」ということだった。それは違う、と思ったが、違うことを証明する術はない。だから言葉を呑み込んだ。せつない男の心情だ。
理で詰めていく男性と、感情的になりやすい女性との違いも窺える。男が証明できないから黙り込むと、女性は認めたから黙ったのだと思い込む。
吉田さんの妻から離婚を言い出したのには、おそらくもっとたくさんの小さなことの積み重ねがあったのだろう。それらがすべて「あなたは自己完結してしまう」の一言に集約されているのだと思う。女から見れば、確かに自己完結してしまう男性の傍にいるのは寂しいかもしれない。「頼り頼られて愛し愛され」というバランスが崩れるからだ。だが常に仕事に忙殺され、リストラの嵐の中で戦うしかない男性側からみれば、
「心配させたくなかった。慰められたくもない。ひとりでがんばってきたから家庭もうまくいっていたはずなのに、妻の言い分はまったくわからない」ということになる。
双方の気持ちが分かるだけに、第三者としては胸が痛む。そこにはどちらが正しい、とは言い切れない、小さいけれど根の深い夫婦ならではの問題が山積しているような気がしてならない。
◆妻からの離婚の申し出を翻すことはできるのか
妻に離婚を切り出されたことがあるという男性は多いが、みんながみんな離婚しているわけではない。妻の性格にもよるが、ひょっとしたら「離婚」を最初に口にしたとき、妻は案外本気ではないこともあるのかもしれない。
離婚を言い出されて、それが納得できないものだった場合、夫たちはどうやって話し合い、修復しようとするのだろうか。五十嵐芳雄さん(四十歳)は、五年前に妻から離婚を切り出された。当時、妻は三十二歳。ひとり息子が幼稚園に入ったばかりだった。
「息子はかわいかったし、僕自身は仕事も順調だった。何の問題もないと思っていました。それなのに息子の七五三が終わった翌日かなんかに突然、離婚したいと言われたんです。最初はまとも受け止めていませんでした。その日は妻と長い時間かけてセックスした記憶がある。忙しくてなかなか時間がとれなかったからきっと苛立っているんだろうと思ったんです。
だけどどうやら妻は本気だった。一週間ほどして、また『いろいろ考えたけどやっぱり離婚したいの』と言われたんです。だけど理由を聞いても、「あなたと一緒にいる意味がわからなくなったから」の一点張り。僕には離婚をする意味がわからない。だからそれからは極力、時間を作って話し合おうとしました。飲みにはいかずまっすぐに帰って、子供が寝てから、『とにかく理由がわからない。オレの何がいけなかったのか聞かせてほしい』と言い続けました。僕は離婚したくなかったから、あの時期はかなりがんばったと思います」
二週間ほどそんな日々が続き、妻は重い口を開き始めた。子供が幼稚園に入って、昼間、自分の時間が少しだけもてるようになったとき、ふっと「私って何だろう」と思うようになったのが発端だったらしい。
「このままでいいんだろうか、という不安があったみたいですね。『考えて見たら、結婚はしたけど、何をするにもひとりだった。ひとりで出産して、ひとりで子育てして。あなたと心の絆があるのだろうか、と考えてみたら、それもないような気がしてきた。正直言ってお金さえあれば、あなたがいても居なくても同じかもしれない、と思うようになった』と妻は言いました。ショックでした。確かに出産のとき、僕はそばにいてやれなかった。だがそれは出張だったから仕方がなかったから、出張に行かないわけにはいかなかった。
確かに出産のとき、僕がそばにいてやれなかった。十日遅れで生まれたから、出張へ行かないわけにはいかなかった。妻の出産だから出張は取りやめますって、日本の企業では言いづらいですからね。子育てだって、僕としてはかなり一緒にやったような気がするんだけど、彼女にしてみたら、『ひとりで閉鎖的な状況に置かれていた』というふうにしか受け止められなかったんでしょう。
そのときのSOSを出してくれればよかったのに、と思ったけど、彼女としては出していたのに気づいてもらえなかった、という話になる。六年も一緒にいて、お互いに何も分かっていなかったということに愕然としました」
結婚してすぐに妊娠、ふたりの生活基盤を固める前に育児という重圧が彼女にのしかかってしまった。彼は「家族を守る」という気持ちでより仕事に励むようになり、妻はますます孤独な生活に忍従する。典型的な現代の核家族のありようが、いつしか妻の気持ちを歪めていったのかもしれない。
「結婚したとき、彼女は専業主婦を望んだ。僕はどっちでもよかったけど、役割分担をしたほうが僕も仕事に打ち込めるとは思った。だからふたりで選んだ形なんです。でもそれは変えていくこともできるはず。だから、『じゃあ、きみはどういう家族の在り方を望んでいるんだ』と聞いたんです。すると妻はうつむいて答えない。結局、彼女はただ現状に不満があるだけで、それが何なのか、なぜ不満なのか考えようとしない。だから離婚すれば、何かが変わると思っている。正直言って、僕は腹が立ちました。子供もいるのに、なぜそんな自分勝手で短絡的な考え方をするのかわからなかったから」
妻は子供を連れて実家に戻った。彼はすぐに実家まで追いかけていき、妻の両親ともじっくり話した。妻の父親は彼に同情的だったが、とにかく彼女は疲れているようだから、しばらく様子をみようということになったらしい。
別居して三ヶ月、彼は毎週、週末を妻の実家で過ごした。妻も少しずつ落ち着きを取り戻しいった。
「そんなとき、妻のお母さんが僕にだけぽつりと言ったんです。『あの子はあなたに愛されているかどうか不安なんじゃないかしら。女って母親になっても、いつまでも心は女なのよ。特にあの子は末っ子で甘えん坊だったから』って、目から鱗が落ちたような気がしましたね。
僕は彼女に”母親”でいることを求め過ぎたのかもしれない。その晩、子供を妻の両親に預けてふたりでドライブに行ったんです。独身時代、よく行った横浜で港のあたりを散歩して、途中で彼女をぎゅっと抱きしめて、『ずっと一緒にいたいんだよ』って言いました。僕自身、独身に戻ったような気持ちで素直にそう言えた。すると彼女、急に号泣しはじめたんです。ようやく心がほぐれていったように見えました。泣いている彼女の背中をずっとさすっていましたね。
僕にそれしかできなかった。しばらくして泣き止んだ彼女、『私、泣きたかったんだって今わかった』って照れたように笑ったんです。彼女は生真面目なところがあるから、母親として妻として自分ががんばらなくちゃいけないとずっと肩肘張ったんでしょうね。それに気づいてやれなかったのは僕の責任だと思う」
五十嵐さんはそのとき初めて、自分たちが本当の夫婦になれた、と感じたという。もし妻の言い分をあっさり受け止めて離婚していたら、きっと一生後悔しただろうと思っていると話してくれた。
その後すぐ、妻は二人目を妊娠。今十一歳になった長男と、五歳の長女を育てながら家庭生活も順調にいっているという。
「あのあと、ふたりで徐々に話し合っていくうちに、『家庭とはこういうもの』という決めつけはやめよう、ということになったんです。彼女も僕も完璧な人間ではない。だからお互いに完璧でいようとがんばったり、完璧を求めたりするのは違う、もっと正直に、自分のできる事とできないことを話し合いながら、力を抜いてやっていこうって。僕自身も、父親として夫としてきちんとやらなければ、という意識がかなり強かったんですね。でもあれからふたりとも、なんだか少し気が楽になりました。
今、妻は朝だけ新聞配達をしているんですよ。ダイエットと貯金、両方の目的から、下の子が小学校に入ったら、いろいろ習いたいことがあるから。以前だったら、口ではいいよと言いながら、内心母親なんだから自分のことは後回しにしろよって思ったんじゃないかな。でも今は、少し柔軟になってきましたね」
夫婦は他人、育った環境も違えば考え方も違う。ましてや初めて家庭を持ったとき、その家庭をどう築いていくかについてふたりとも未知の世界なのだから、話し合いは欠かせない。ところが結婚というものは妙なもので、新居に越して生活を始めてしまうと、大事なことは話さないままに時間だけが過ぎていってしまうことが多い。夫の方は仕事に行く、といういちばん多くの時間を費やす部分が独身時代と変わらないから、生活パターンも大きな変化はない。
だが妻の方は専業主婦であれ働く女性であれ、生活は激変することが多い。ましてやすぐに妊娠となれば、慣れない妻という立場の他に母親としての意識も重くのしかかる。夫にSOSを出しているつもりでも、夫の方は気づいてくれない。
まじめな女性ほど、そこで「結婚したのだし、母親になるのだから、もう甘えてはいけない」という思いも強まって、逃げ場がなくなっていく。そのために育児が一息ついたとき、それまでのストレスが一気に吹き出してしまうのだろう。
五十嵐さんの場合は、すんでのところで手遅れにならずにすんだ。『妻も女だし、人は誰でも弱いところがあるんだ』と気づくことで大事なものを失わず、むしろ絆を深める結果となった。
◆あの結婚は何だったのだろう
だが、そううまくはいかないケースもたくさんある。夫婦が話し合うことを諦めてしまうからだ。
「諦めたと言われれば確かにそうかもしれません、僕の場合」
そう言うのは、田村洋司さん(三十六歳)。三年ほど前、結婚四年で別れた。妻だった女性とは大学時代に知りあい、七年もつきあった末に結婚したのに「分かり合えなかった」と言う。
「彼女は結局、僕より仕事を取ったんだと思う。仕事関係で好きな人ができたかもしれないけど、それは最後まで分からなかった。彼女はひとつ年下でした。僕が浪人していたから同級生だったんです。結婚したとき、僕らは勤め始めて七年目。仕事の面白さも怖さもわかってくる時期ですよね。
僕の方はなんとなく早々に出世コースから外れた感じがあったんです。僕を可愛がってくれた上司が、派閥争いに破れたりしたことがあったから。でも彼女の会社は女性が働きやすい職場で、能力があればどんどん出世できる。彼女は人一倍やる気があった上に勉強熱心だったから、二十代で、すでにあるプロジェクトのチーフ扱いでばりばり働いていたんです。結婚してからは精神的に落ち着いたのかますます仕事に励むようになりました」
そんな彼女がまぶしくて、田村さんは心から応援していたという。だが、日が経つにつれて時間も気持ちもすれ違っていくようになる。
「彼女は週末も仕事だと言って出かけるようになりました。でも仕事のことを尋ねても詳しく話してくれない。僕、家で夫の帰りを待つ妻の気持ちがすごくよくわかりますよ。不安だし寂しいんです。自分だけが取り残されていくような感じ。まさに僕がそうだったから本当によくわかる。『仕事とオレとどちらが大事なんだよ』と叫んだこともあります。
彼女には軽く『辞めてよ、そういうこと言うの』とかわされましたけど。彼女、残業と休日出勤合わせて一ヶ月に二百時間を超えたことがあるんですよ。そのころは尋常じゃなかった。でも結局、きちんと結果を出すんですよね。それで彼女は三十二歳にして課長職についたんです」
彼女は営業だったから、中間管理職になってからはますます多忙を極めた。夜は接待も多く、帰ってくると話もせずにお風呂に直行、出るとベッドに倒れ込む。風呂に直行する元気がないときもよくあった。
「気づいたら半年も夫婦関係がなかった。それどころかゆっくり話した記憶もない。『このままじゃオレたちダメになるよ』って僕のほうから何度も言いました。『もう少ししたら時間がとれるから、そうしたら旅行にでも行こうよ』と彼女も言っていたんです。だけどまた半年同じような日々が続く。
僕自身はわりと『人生を楽しむために働く』という感覚があったんだけど、彼女はまさに『働くために働いている』状態でしたからね、だんだん心配を通り越して憤りさえ覚えるようになっていったんです。それで僕の心のどこかで、こんな時間は長くは続かないと思っていたし、離婚なんて考えていませんでした」
結婚三年が過ぎた頃、妻は「ひとりになりたい」と言い出した。ひとりになって、誰にも何も言われずに仕事に没頭したい、と。彼女は彼女なりに彼の気持ちを重圧に感じていたのだろう。
「僕の想像だけど、彼女、会社の上司と不倫していたんじゃないかと思うんです。一度、寝言で上司の名前を言ったことがあって…‥。それも問い詰めたけど、彼女はガンとして認めなかった。ただ『ひとりになりたい』と言い続けていましたね。それ以上、彼女を苦しめてもしょうがないし、僕自身ももう完全に疲れていた。じっくり話し合うというよりは、彼女の『ひとりになりたい』発言を機に、お互い一気に離婚に向かって突っ走ってしまったという感じです」
だが、妻を失った衝撃は強かった、と田村さんは言う。結局、納得できないまま別れてしまったため、自分の気持ちが整理できずにいる。
「共通の友人の女性から漏れ聞いたところでは、相変わらず彼女は仕事でがんばっているようです。再婚する気なんて全くないって言っているらしい。その友人に、『彼女、恋人はいるのかな』となにげなく聞いてみたんですが、『何も言っていなかったわよ。恋愛より仕事って感じだわね』って言っていました。不倫していたら、つらいから、友だちにはつい喋るんじゃないか、いや、友だちにも言わずにひとりで処理していく女かもしれない、なんていろいろ考えましたね。
そうしたら、彼女がどういう女性なのか、僕は実は何も知らなかったんじゃないかという気がしてきたんです。七年間のつきあいは何だったのか、四年間の結婚生活は何だったのか。彼女にとって僕という存在は何だったのか。そう考えるとどうしても自分を否定する方向にいってしまう。僕がダメ人間だから彼女に見限られたんじゃないかって。
実は一年ほど前から、カウンセリングにかかっています。どう頑張っても気分が鬱々として、自分で自分を受け入れることができなくなって、苦しくてたまらなかったから。今は前よりは少し気持ちが楽になりましたが、それもときどき、頭の中で今までのことを考えてどうすればよかったのか、と堂々巡りをしていることがあります」
結婚や、長く続いた恋愛が破局に終わった時とき、人は誰でも「あの結婚(恋)はなんだったのだろう」と考える。特に終わり方が納得できなかった場合、長い間、それが心のしこりとなるケースは多い。時間がたつにつれ、「あれはあれでよかったんだ」と自然に思えることもあるが、田村さんの場合は、通算十一年間も一緒にいた相手が、自分にとって何だったのか、彼女がどんな女性だったのか、彼女にとって自分の存在が何だったのかがまるきり見えなくなっていた。
しかも別れ際には疲弊が先にたって何も考えず離婚届に判を押した状態だったから、ひとりになってからあれこれ考えてしまうのも仕方ないかもしれない。いつかはここから抜け出さなければいけないことは本人がいちばんわかっているはずだ。それでも彼はまだ過去にこだわり、過去から脱しきれない。その苦しさは充分想像できる。
だが正直言って、私は離婚についてこれほど悩み苦しんでいる男性がいるとは思わなかった。もちろん恋愛にしろ結婚にしろ、実は男の方がずるずると感情をひきずるものだと知ってはいたが、そこにある種の恨みつらみだったりナルシズムが働いていたりすることが多い。
悩んでいる自分が好き、という雰囲気が見え隠れするものだっだ。男の後悔や悩みはどこか「酔い」が見えるような気がしてならなかった。だが田村さんの場合はそうではない。彼は純粋に納得できなかったもの、答えの出ないことを考え続けている。それがせつなくもあり、男にとって「理不尽な離婚」が与える影響の大きさを目の当たりにした瞬間でもあった。
◆妻には本音を言ってはいけない?
妻が離婚を言い出した際、話し合ってうまく解決できた人、できなかった人とさまざまではあるが、話し合う余地のない問題もある、と断言する男性もいる。
「結婚して一年ほどしたころかなあ、学生時代の友だちと集まって飲んだ挙句、つい風俗店に繰り出したことがあったんですよ。それが妻にばれたとき、『離婚よ、離婚』と叫ばれました。風俗といっても本番をしたわけでもないし、男同士の遊びなんだからいいじゃないか、と言ったらもっと怒られた。
軽く許してくれるだろうと思っていたから、それはちょっと意外でした。あの一件で、妻という存在は男の本音を言ってはいけないと学びましたね。そのときはもちろんただひたすら謝って許してもらいましたよ」
と話したのは、佐藤裕一郎さん(三十四歳)。三十歳のとき、一つ年下の女性と結婚した。彼女は付き合っているときからさばけたところがある女性だったから、結婚してから風俗店にいったことがばれたときも、「しょうがないわねえ」と許してもらえると佐藤さんは信じ込んでいたのだという。もちろん積極的に知らせるつもりはなかったが、やむを得ずばれてしまったときはあっさり許してくれると予想していたのだ。ところが実際にばれてみると、そうはいかなかった。
「あのときの妻の怒り方は半端じゃありませんでした。お互い独身だったら、彼女の反応も違ったんじゃないかなあ。あれ以来、女性がいる飲み屋に行ったことさえ言わなくなりました。あのときの彼女の『離婚よ』っていうのはただの脅しだったと思うんですが、それでも相当な迫力がありましたからね。
僕は離婚はしたくないけれど、たまには外で自分を解放もしたい。だから妻には何も言わずに遊んでいます。夫婦ってそうやってだんだん距離を置いていくようになるのかなあと思い始めているところです」
夫が風俗店に行っているのを知って、何も感じない妻などいるはずがない。ところが夫は天真爛漫。男は家庭と、外で遊びをきちんとわけて考えているのだろうが、妻からみればやはり「私がいるのに」ということになる。女は未婚既婚にかかわらず、相手の男にとって常にオンリーワンなおかつベストワンという存在でいたいのだろう。
「こういうことって話し合ってもたぶん解決はできないと思うんです。たとえばキャバクラにしろヘルスにしろ、僕たちはノリで行っちゃうからいいとか悪いとかは考えない。だけど女性は嫌な思いをするわけでしょう? お互いに言い分はわからないと思うし、だから行ったことを内緒にするしかしかないんですよね。
どうしてそんなところに行くか? う――ん、どうしてなんだろう。やっぱりちょっとした気分転換ですよ。うちの妻はときどきエステなんかに行っているみたいだけど、それと変わらないんじゃないかなあ。風俗に行ったというと、女性は『私という存在があるのに』って思うんだろうけど、そう言われても困るんですよ‥‥。それとこれとは全然違うから。本当に単なる遊び。ぱっと自分を開放して、また日常に戻るとなんとなくリフレッシュするというだけのことですよ」
とはいえ、風俗に行かない男性も世の中にいる。また風俗をひとまとめにしているが、実際には佐藤さんのようにヘルスやキャバクラには行ってもソープには行かない、という男性もいれば、あらゆる風俗が好きという男性も存在する。
「僕はやはり本当にセックスをしてしまったら妻に悪い、という気持ちどこかにあるんですね。僕の遊びの範疇は、セックスはしない事、という一線がある。『本番したわけじゃないんだし』っていうのは、『だから大騒ぎすることじゃないだろう』って言うことなんです。男の中には、当然、ソープでのセックスはスポーツみたいなものだから裏切りなんて大それたものじゃないと考えるヤツもいるんだから。そのあたりは個人差が大きいんじゃないでしょうか」
風俗に行く男を許せるかどうかは、女性の個人差があるだろう。やはりどうしても許せなくて離婚を決意した、という女性がいるというので話を聞いてみた。
山野祐子さん(三十六歳)が結婚したのは十年前。夫とは友だちの紹介で出会い、意気投合して半年後には結婚する。最初に夫の風俗行きがわかったのは結婚して一年も経たない頃。たまたまゴミ箱から、ソープの割引券が出てきたから夫を問いつめた。
「そうしたら彼は、知らないと白を切ったんです。たまたま道でもらったんだとか何とかうまく言い訳してくれれば、私も、『あ、そう』ですんだんだけど、『知らないという言い方が妙に白々しかった。それで問いつめたら、『遊びなんだからそう目くじらを立てなくてもいいんじゃない?』と言ったんですね。それで私はキレちゃって。たまたま共通の知り合いに会う機会があったので、なにげなくその彼に、『うちの人を悪い遊びに引っ張り込まないでよね』ってカマをかけてみたんです。そうしたら、『なんだ、奥さん公認なの? だけど引っ張り込まれたのは僕の方だよ。彼は本当にあちこち出没しているから』なんて言われて。ひどくショックを受けました。
帰宅して主人が寝静まって財布とか鞄とかチェックしてみたら、本当にあちこちの割引券とかチラシとか出てきたんですよ。しばらくひとりで考えていたんです。生理的にも感情としても嫌なものは嫌」
祐子さんは夫に真正面から話し合いを挑んだ。女性をお金で買うような人と一緒に暮らしていきたくない、自分がいるのになぜ他の女性と関係をもつのか、と。だが夫は終始、きょとんとしていたという。
「彼には私の言っていることがわからなかったみたい。金で女を買っている。という感覚がないんですね。遊園地に行っているのと同じ感覚。『どこへ遊びに行ったってお金は払うでしょう? それと同じじゃん』って。『きみはたとえば僕がどこかの遊園地に行って、あそこのジェットコースターが凄かった。もう一度行きたいと言ったら、ジェットコースターに嫉妬するのか』と言うんです。
あまりの感覚の違いに呆然としてしまいました。だから言ったの。『じゃあ、私が女性向けの風俗で男と寝ても構わないわけね』って。そうしたら、『男と女は生理的に違う。同じ次元では話せない。男の遊びは遊園地と同じなんだよ』って。何度話しても埒が明かなかった。
『好きとか嫌いの感情じゃないし、きみと比べるようなこともない』と言われても、実際、することはしているわけだから、私には理解不能でした。そうやって半年くらい揉めたかなあ。彼はセックスで解決しようとして求めて来るんだけど、そのうち私、体が拒否反応を示すようになっちゃって、彼が近寄ってきただけで過呼吸になってパニックを起こすんです。それで、もう一緒にいられないと思って実家に戻りました。結婚して二年半くらいで別れました」
離婚後は一時期、男性不信になり、誰を見ても、「この人も恋人を裏切っているに違いない。結婚したら妻を裏切るだろう」と感じてしまったという。
だが、風俗に行くことをなんとも思っていない男性は、妻を裏切っているなどというたいそうな気持ちは持っていない。彼らにとってはまさに気分転換、仕事の合間に一服するのとたいして変わらないのだから。
確かにそのあたりは話し合うのは難しいだろう。感情的な落差がありすぎるから。
先の佐藤さんも、結局、妻にばれないように気を遣うのが最上の方法という結論に達したと話す。
「僕はそんなことで離婚するのは愚かだと思うから、ばれなきゃなかったも同然でしょう。知らないでいいことはお互いに知らない方がいいんだろうな、と思うようになりました。夫婦の間にも秘密をもたないなんて、無理ですよね、寂しい気はするけど」
夫婦は異文化交流と同じ。さまざまなことで互いの価値観の相違を見出す。そこで納得はできなくても理性で理解できれば、なんとか妥協点を見出すことができる。だが、一方が自分の価値観を押し付けたら、話し合いの余地はなくなる。
もともと話し合いの余地がない問題だと思ったら、佐藤さんのように「何も言わない、告げない」がいちばんいい方法なのだろうか。確かに知らぬが仏ではあるけれど、万が一、知ってしまったとき、妻のショックは何倍にもなるのだろう。秘密の期間が長くなればなるほど、裏切られていたという感情も倍増するのだから。
だからといって、風俗通いが好きな男性に「やめろ」と言ってやめさせることは可能なのだろうか。やはり男性自身が、「もう行くのはやめた」と思うまでは、力ずくでやめさせるのはむずかしいとしか思えない。ただ、女性側が「自分は、風俗に通う男とパートナーシップを結べるかどうか」、あるいは「認めることができるかどうか」を認識しておいたほうがいい。時と場合に応じて、相手に自分の思いを告げておくことも必要かもしれない。
◆離婚を決意するきっかけ
「妻という存在が、一方的に夫の価値観を押し付けてくることはとても多いと思いますよ」
と話すのは、渡邊学さん(四十五歳)だ。彼にとって、家は今や安らげる場所ではないと言う。長い間、妻に離婚を迫られてもいる。そろそろ決断しなければならない、とわかっているのだが、どうにもやりきれない気がしてならいそうだ。
「妻は家庭内ではやはり女王様なんですよ。僕はタバコを吸うんですが、数年前から家の中では吸わせてもらえない。吸うならベランダで、と言われています。十五歳と十三歳の娘も妻の味方。自分の部屋がないから、室内で吸うことはできない。タバコに関しては、もちろん家族の健康に影響があるとわかるから、まだいいんです。でも妻が何かを吹き込んでいるのかどうかわからないけど、いつの間にか娘たちが僕をバカにするようになってきてね‥‥。まあ、そういう年頃ともいえるでしょうが、このところ娘たちと直接の会話がほとんどありません。
『最近、何がおもしろい?』と聞いても『別に』と自分の部屋にこもってしまう。娘たちは妻とは話しているのに。お風呂だって、『お父さんのあとは嫌』と言って入ろうとしない。だから必然的に僕が最後になります。以前、腹が立ったので、妻に『娘たちの教育をなんとかしろ』と言ったことがあるんですよ。そうしたら、妻は『ずっと私ひとりに家庭のことを任せてきたのは誰? あなたは子育てから逃げていたじゃない』とひどくきつい口調で言われました。
確かにたいして甲斐性のない男だけど、それでも家族のために精一杯働いてきました。それなのに家庭の居場所がないって寂しいもんですよ」
渡邊さんは、苦い顔をしながら、ゆっくりとタバコの煙を吐出した。妻が離婚を切り出したのは、下の子が中学に入ったら―昨年春のこと。
「妻の言い分としては、意思の疎通がない、家族としてやっていけない、というものでした。だけど僕の何がいけないのかわからないんです。父親としての役割を果たしていないと言われました。確かに娘たちとはいつの間にかコミュニケーションが取れなくなった。だけどそれは果たしてオレだけの問題か、と思うんですよね。思春期に入って娘たちの一時的な問題かもしれない。
逆に妻が娘たちにオレの悪口を吹き込んだためかもしれない。ずっと仕事三昧で、子どもたちの教育や家のことについて妻に任せてきました。でもそれは役割分担として仕方がなかったはずです。実際には妻は、仕事を辞めて家に入ったことを今さらながら後悔しているんですね。それが僕のせいだと思い込んでいるところがある。今ひどく宙ぶらりんの状態です。
妻とはまったく話さないわけでもなく、家で食事をすることもある。だけど、家族揃ってどこかに行くとかみんなで何かするということはない。やっぱりアパートでも借りて家を出たほうがいいのか、とも思っているんですが、娘たちは教育費もまだまだかかる。それを考えると、アパート代だってバカになりませんからね。そういう経済的なことを妻がどう考えるのかよくわからないんですよ。気が重いから、こっちもついついそういう話をするのを先延ばししちゃうしね」
離婚してもいいと思っているのだろうか。そう尋ねると、渡邊さんはしばらく宙をみつめてから、ようやく口を開いた。
「人生って何なのかなあと思いますね。子供たちが小さいことはそれなりに家庭生活も楽しかったような気がするけど、バブルがはじけてからは、ただ汲々と仕事を失いまいと働いてきて、いつしか家庭で疎まれるようになって‥‥。僕自身が、言い方は悪いけど、妻を丸め込めるくらいの度量やリーダーシップがあればいいんでしょう。でも僕は浮気もしないかわり、妻にとって面白い男でもない『器の小さいヤツ』と思われているんじゃないでしょうか」
離婚してもいいと思っているのか、という問いに、渡邊さんは答えていない。近い将来、おそらく有無を言わさず決断を迫られるだろう。調停に持ち込まれるかもしれない。だが、自分に決定的な非があったとは思えないから、離婚という決断を自ら下すこともできないでいる。
決してただの優柔不断というわけではない。本人が言うようにまじめに働き、がんばってやってきた、いい人なのだと思う。だが話していてわかったのだが、彼は何を考えているか分かりづらいところがある。妻はそんな彼に苛立っているのかもしれない。本音をぶつけ合うような夫婦ゲンカをしたことがあるかと尋ねてみた。
「ないですね。妻が一方的にまくし立てて終わり、ということばかりです。実は僕が育った家庭は、オヤジが横暴だったんですよ。おふくろに手を上げることもしょっちゅうで、おふくろいつも台所の隅に座り込んで泣いていた。それを見て育ったから、女性に対して強く出ることができないんです。オヤジの横暴な血がオレにも流れていると思うと、それを出さないように、とがんばるのが精一杯で。
言い争いに近い状態になると、僕は黙ってしまうんです。ケンカするのが嫌だし、激昂して万が一、手を出してしまったらとんでもないことになると思うから、黙るしかない。妻と知りあったころにはオヤジはもうなくなっていたから、そのことは話していません。話せばよかったんでしょうけれど、話しそびれたまま結婚してしまって」
話しながら、ひょっとしたら渡邊さんは、自分の本音を人に思い切りぶつけたことがないのではないか、という気がしてきた。
渡邊さんは、横暴だった父への憎しみや、その血が自分にも流れているという恐怖感があるからつい黙ってしまうという。だが、そういった恐怖感がなくても、本音を覆い隠したり感情を表現しなかった男性たちは多いはずだ。
かつて「男は黙って‥‥」というコマーシャルがあった。日本では男は寡黙がいいとされてきた歴史がある。ぺらぺら喋る男は軽いだけ、沈黙は金なのだから、と私も子供のころ大人に言われた記憶がある。男も女も言葉でコミニケションをとることが大事だと考えられるようになったのは、比較的、最近の傾向なのではないだろうか。
男であること、女であること、そして男女の関係がどうあるべきか。そういった価値観についてはこの十五年ほどで激変しているのではないかと思う。少なくとも二十年前は、「男は寡黙がいい」し、「女は処女で嫁にいったほうがいい」という価値観が残っていたのだから。実際にそうするかどうかは別としても、一般的な基準として、そういった価値観が残っていた。
そう考えると、ゆるやかだった離婚数の上昇線が、ここ十年ちょっとで急激な右肩上がりになっているのも頷けるような気がする。日本人の男女に関する価値観も変わったものの、それに代わる新しい価値観がしっかりできあがっているわけではない。一方で中途半端な個人主義が横行して、「人は好きなように生きて行けばいい」という考え方が主流となった。子供のころから個人主義を身の内に取り込むような教育をされているならいざしらず、日本の学校教育も家庭教育もまだまだ「みんなと一緒。横並びが安心」だ。
それなのに大人になっていきなり、「人は自由に生きていくべき」と多数の選択肢を押し付けられても、それを選ぶ我々は、「責任感という裏付けのない個人主義」しか知らないのだ。結果、単なる身勝手とならざるを得ない。
それでも男性たちはまだまだ保守的な環境下で社会人として生きていくことを要求されている。だからごく普通の結婚をして、従来の役割分担の結婚生活が多少緩和された程度のところにとどまっていることが多い。
緩和というのは、たとえば専業主婦の妻が数千円のランチを食べても怒らないとか、妻が夜友だちと出かけても咎めないとか、その程度のことだ。それは、自立しあった個人が一緒に生きていく、というスタンスではない。夫として多少は度量の広いところを見せないと、妻の機嫌が保たれない、と言うくらいのものだ。
一方、女性たちの自由度は格段に増えた。高等教育を受けたり留学したりする女性の多いこと。学生生活を終えたら女性は社会に出るのが当たり前、社会に出てから転職する人もいれば、留学する人もいる。女性の生き方はバラエティに富んでいる。
どれを選択しようとその人次第。結婚せずに独身でいても咎められることもなくなった。私が子供の頃は三十歳過ぎて初産もそう珍しいことではない。出産しなくても、社会的に肩身が狭い思いをすることはまずないだろう。しかも恋愛は自由だ。きちんとした性革命も実現しないままに、日本はいつのまにか自由なセックスが当たり前になった。
二〇〇三年の男性誌には「彼女にふたまたをかけられないために」という見出しが並ぶ。また、産婦人科医のところには堕胎を希望する女性と「産めと説得してください」と医師に頼む男性のカップルが多くやって来るという。
そんな男女が結婚したら、女性の方が「こんなはずじゃなかった」と思うのは当然かもしれない。
「恋人時代は素敵だった彼がただのオヤジになっていくんですよね。私は女としてがんばっているつもりなのに、彼のほうはすっかりオヤジとして開き直っている。たまたま子供がいなかったから、結婚して五年で離婚しました。私は恋愛したかったし、ひとりで自分の生き方を試したくなったから」と言った三十三歳の女性がいた。
女性たちはいくつになっても恋愛をしたいと思っているし、人生においてもやり直しがきくと信じている。それは、一面の真理であろう。仕事を手放さない、もしくは再就職するスキルさえあれば、今の日本は女性が一人で生きていくのに何の不自由もなくて。
そういった女性の意識の変化を、どうも男性たちは感情として理解していないように思う。もちろん社会生活をしている限り、頭ではわかっているのだろうが、それはあくまでも「一般の女性にとってあり得ること」であって、自分の妻がそんなわけのわからないことを言いだすなんて思ってもみないに違いない。
だからこそ、妻に離婚を切り出されて、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのだ。今の世の中、あらゆる意味で男女の感情的格差は広がる一方ではないだろうか。
◆自分に悪いところはなかったはず‥‥
男女の感情的なギャップが激しいからこそ、妻に離婚を言い出された男性たちは、
「僕のどこがいけなかったんだ、何も悪いことはしていないはずなのに」
との思いからなかなか脱することができない。男性たちは、離婚してもあまり自分を振り返らない、と私は長い間思っていたが、どうやらどう振り返ったらいいのかさえ分からないというのが真実のようだ。
ひとつには、女性側が「なんなく別れたくなった」という理由で離婚を言い出すケースが増えたこと。離婚理由がはっきりしていないのだから、振り返りようもない。もうひとつは、女性側の「夫に対する理想」が高くなったことがあるような気がする。
男性からすれば、そんな理想を押し付けられても、急に自分が変わるわけにもいかない。だから戸惑っているうちに離婚が成立してしまい、やはり振り返る術もないということになる。
以前なら、「亭主達者で留守がいい」という言葉が生きていた。その裏にあるのは、夫はお金を持っている存在、妻は家庭を切り盛りして適当にへそくりを作ってそこそこうまく役割分担していけばいい、という考え方だろう。
「外で働く夫と家庭を守る妻」が当然だった時代は、役割分担などという意識もなかったかもしれない。「結婚というものはそういうものだ」と人は思いつつ、淡々と日々を暮らしていったのだろう。
だが今では淡々と暮らすことが許されない時代になってしまった。夫婦はコミニケションをとらなくてはいけない、女性から見れば、実際、友だちのような、あるいは恋人時代に近いような雰囲気を保っている夫婦も周りに見かけるだけかもしれないが、傍からみれば羨ましいようなカップルも存在する時代だ。
夫婦であっても、恋愛時代の甘い雰囲気も持ち続けたい、夫に一生、きちんと女として見てもらいたいという欲求が、女性の中では大きくなっている。実際に女性が本気でそう考えているか分からない。ただ「いつまでも恋人のような夫婦」が、女性にとっては憧れの男女関係であることは間違いない。
物質的にも精神的にも欲望は高まり、淡々と生活していくだけでは満たされないと嘆いても不思議でない時代になってしまった。人生、欲張ったほうがいい、と女性たちは考える。
しかも女性の我慢が美徳には数えられなくなった。だから定年になってからの離婚も増加の一途をたどっている。
「配偶者とだけは一緒の墓に入りたくない」
「老後はひとりで自由に暮らしたい」
そう言い出すのはたいてい女性だ。そして男は思う。
「せっかく老後を夫婦水入らずで気楽に暮らそうと思っていたのに‥‥」
長い年月の間に、妻は自由になることを夢見るようになり、夫は妻と水入らずになる日を迎えてほっとする。年を取ってみたら、ふたりの意識は天と地ほど違っていたというわけだ。
実際、定年退職したその日に、離婚を言い出された男性はいる。加藤憲一郎さん(六十三歳)がその人だ。三年前の定年の日に、加藤さんは妻に言うべき言葉を考えながら帰宅した。
「もうしばらくは嘱託として週に数日、働くつもりでいましたが、けじめとして妻に今までのことを感謝しようと思っていました。感謝の言葉なんて妻に言ったことがありませんでしたから緊張しましたけどね。定年というのは複雑な思いです。
今までよくがんばった、と自分自身に言ってやりたいけど、心の隅には、『結局、会社から飛び出すことも出来ずに終わった自分』への多少の苦い思いもあるわけです。それでも一応、定年まで無事に勤めたことを誇りにしよう、と自分自身に言い聞かせながら帰宅しました。
会社の若い人たちから貰った花束をそのまま妻に手渡すと、妻は『お疲れ様』と言ってくれたんです。思わず感傷的になって、『今までありがとう』と言いました。妻は一瞬、あれ、と言うような表情をしましたが、そのときは特に何も言わなかったんです。その日は娘夫婦もきてくれて、下の息子と五人で食事をしました。娘夫婦が帰り、息子が自分の部屋に引き上げると、妻が突然言ったんです。『別れてほしいの』って」
話し合いの余地はなかつた。妻はとにかく、「もう疲れた。老後はひとりで自由に暮らしたい」
の一点張り、加藤さんはどうしたらいいかわからず、考えあぐねて息子や娘に相談したが、ふたりとももう大人だから、距離を置いた客観的な意見しか言わない。娘などは、
「そろそろお母さんを自由にしてあげてもいいんじゃないの?」
とつれないことを言う。加藤さんは他の男性たち同様、こう嘆いた。
「物質的にも精神的にも妻を意図的に苦しめたことはない。そりゃあ、夫婦ですから口げんかくらいはありましたが、決定的に傷つけたことはないと思うんです。ところが妻が言うには、一度たりともねぎらってくれたことがない、と。赤ん坊だった子供たちが夜泣きしたとき、私は『うるさい。どうにかしてくれよ』と言ったことがあるらしいんです。自分では覚えていないんですが、当時は残業続きでいつも疲れていたから、いらいらしてそんなことを言ったかもしれない。妻にとっては、そのときの恨みがけっこう大きかったようです。あの一言で私という人間を信じられなくなった、と言っていました。
子供たちは年子ですから確かに育児は大変だったと思います。そんなに傷ついたのなら、そのときに言ってくれればよかったのにと私は思いましたが、妻にして見たら、『当時はそんなことを言ったら、お互い若いんだもの、私たち夫婦は修復できないくらいこじれたと思う』って。それもそうかもしれません。だけど、そんな昔の話を引っ張り出されても、こちらだってどうしようもないでしょう」
育児で疲弊しているとき、夫が協力してくれなかったことに対して恨みを募らせる妻は多い。特に夜泣きで責められると、妻としては「私が悪いわけじゃないのに、どうしてすべて私に押し付けるの?」という気持ちになるのだろう。もっとも夫としては、妻は子供と一緒に昼寝できるかもしれないが、自分は一日中仕事をしなければいけない、だから体を休めたいんだ、と苛ついてしまうのだろう。
加藤さんの場合も、決して悪意があって言ったことはない。だが、彼が忘れていることを妻はおぼえている。そんなことが積み重なって、妻は、夫が退職した時には離婚しようと長年の間に決意を固めていたようだ。定年退職の日に、お礼を言った夫に対して見せた不可解そうな表情は、ふたりの間にいつしか深くできた溝を感じさせる。
熟年といわれる年齢になってから離婚が最近とても増えている。離婚件数が最も多いのは結婚五年未満だが、伸び率の高さでいえば結婚十五年、二十年以上の離婚が目につく。夫の定年を機に離婚を言い出す妻たちはあとを断たない。男性たちは、「今まで連れ添って来のだから、あとは悠々自適、夫婦でのんびり暮らしていこう」という思いが強い。
だが妻たちはやはり「残りの人生は自分の思うように過ごしたい」と願う。その違いは一年や二年で確立されたものではない。だが日常生活は、感情的なすれ違いを浮き彫りにしないまま、よくも悪くも習慣と惰性で流れていく。お互いの不満や違いを際立たせることを避けるのが、家庭円満の秘訣なのかもしれない。だが、最終的にはその不満や違いを抱え込んだままでは死ぬに死ねない、というのが女性側の理屈だろう。
◆妻に逃げられた男
定年退職後、やはり妻から突然離婚を言い渡された、結論を出さずにいたら妻がよそにマンションを借りて出て行ってしまったという男性がいる。
柴田俊雄さん(六十四歳)は、現在、家族で住んでいた東京近郊の四LDKのマンションにひとりで暮らし。二人の娘は結婚してひとりは都内に、ひとりは東北地方にいる。二年前、妻は都内の娘の自宅近くに部屋を借りて出ていった。
「私は離婚するつもり何てありませんでした。だから妻の言い分も真剣に取り上げなかったのかも知れません。だって、離婚する理由がないんですから。うちはずっと共働きでしたから、私も多少家事はやってきたし、子供たちが大きくなってから妻はしたいようにしてきた。それについて私が文句を言ったことはありません。友だちと映画に行ってきて遅くなっても何も言わなかったし、旅行に行くと言えば気持ちよく出したつもりです。自由にしてきた彼女が、どうして今さら離婚という選択をしようとするのか、まったくわからないんです」
柴田さんの妻は七歳年下で、現在五十七歳。ご自宅で写真を見せてもらったが、活発そうな生き生きした女性だ。今もフルタイムで働いていて交友関係も広く、趣味も多いという。柴田さんは典型的な会社人間、最近になってようやく趣味として碁を始め、少し友だちができてきたというが、それまでは仕事に関わる人間関係しかもてなかったという。
「妻が出ていって一年くらいは、ただひたすら腹が立って、昼間から酒ばっかり飲んでいました。そうしたら具合が悪くなって、娘に病院に連れて行かれたんです。医者に、『アル中寸前』と脅かされました。何度か通ううちに、医者から『何か自分でできること、楽しめることを見つけたほうがいい』と諭されて碁を始めたんです。夢中になると言うほどではないけど、少しずつ顔見知りもできてきました。
でも妻に出ていかれてしまったことは誰にも言えずにいるんですよ。妻とはここ一年くらい会っていません。たまに電話で話すことはありますが、ほとんど事務的なことですね」
そう話す柴田さんの表情はやはり暗い。ああ、と私は思い当たった。彼は「妻に出ていかれてしまった自分」が他人を気にしている。それについて腹を割って話せる友人もいないから、突然の離婚を言い出した妻に対処できずにいたのだろう。もちろん、「妻に逃げられた男」はかっこいいものではないが、もし誰かに話せたらもうもう少し肩の荷は軽くなるのではないだろうか。
「ずっと苦しんできました。なにより寂しいですよ。定年後がこんな生活になるなんて思ってもいなかった。でもの半年くらいかなあ、いろいろ考えたり思い出したりしているのです。
いつの間にかこうなってしまったのか。私はどうすればよかったのかって、いくら考えても答えは見つからないし、見つかったとしても若い時ときに戻れるわけではないし、人と人としての接点は少なかったかもしれない。でも夫婦として、二人の娘たちを一緒に育ててきた。力を合わせてやってきたような気がするんです。だからこそ、私は離婚なんてする必要はないだろうと思う。
だけど、妻の方はだからこそ、もうひとりになりたい、と言うんですよね。彼女今は離婚という形にしなくても、このまま自由に暮らしていければそれでいいと思っているようですが。ただ、私にしてみれば、家にいるときから彼女は自由だった。私は決してやたらと手のかかる亭主だったわけではない。それなのになぜひとりにならなくちゃいけないのか。それがわからなくてずっと考えているんです」
柴田さんは妻が自由だったという。それにもかかわらず妻はひとりになりたいという。ということは、妻は二人一緒にいてもどこか寂しさや虚しさを感じていたのではないだろうか。一緒にいて寂しいくらいなら、ひとりでいる孤独感のほうがずっと気楽だ。妻はそれを選択したのではないだろうか。
年齢にかかわらず、妻たちはよくも悪くもわがままだ。自分に正直なったとも言えるし、それが許される時代でもある。だがそのつけを背負わされているのは男性かもしれない。妻に離婚を言いだされた男性の眉間には、みな深い皺が刻まれている。突然の申し出にどう対応したらいいのかわからない。結局、離婚届に判を押して離婚したものの、その事実をどう受け止めたらいいか分からない。そんな戸惑いや苦悩が皺を深くしているのではないだろうか。
彼ら自身が今後、変わっていくのかいかなのか、結婚観はどうなるのか、そして再婚するのかしないのか、それはわからない。だが妻に離婚を言い出されたことで、彼らの平穏だった心に波風が立ったのは事実。それが自分自身を振り返るよすがになれば、とも思う。柴田さんのように六十歳過ぎてからそれを余儀なくされるのも気の毒ではあるが。
これからの時代は、安穏とした結婚生活が死ぬまで続くわけではないと覚悟したほうがいいのかもしれない。それに気づいたとき、離婚を回避できる可能性もあるのではないだろうか。
つづく
第二章 自分から離婚を望んだ男たち