著者=亀山早苗=
「情熱的な女性」にのめり込んでいった日々
女性より男性のほうが、別れてからも恋を引きずると言われている。女性は、どんなに傷ついてもなんとか立ち直れれば、後はきれいさっぱりその男性を忘れるケースが多い。
まして次に恋人ができれば、前の男性ははるか方へ行ってしまうものだ。
だが、男性はそうはいかない。不倫の恋をする男性は嫉妬深い傾向があると以前書いたが、それは恋が終わってからも同じかもしれない。
女性から切り出され、不倫の恋に終止符を打ったものの、どうしても彼女を忘れられなくつけまわしてしまった男性がいる。
「非常に激しい恋だったんです」
そう振り返るのは、私の知人である熊沢冨生さん(四十一歳)だ。三十五歳のとき、行きつけの飲み屋で七歳年下の独身女性、香織さんと知り合った。
恋愛が始まった当時、五歳のひとり娘がおり、離婚は考えていなかった。だか、香織さんは情熱的な女性で、彼はたびたび彼女のひとり住まいのマンションに泊まっていた。
貿易関係の仕事をしているため、もともと時間は不規則だったから、妻は特に問いただしはしなかったが、薄々感づいてはいたはずだ、と熊沢さんは言う。
「彼女は『今はいいけど、いつか一緒になりたい。私にはあなた以外、考えられない』といつも言ってた。
こんなに激しい愛情表現をしてくれる女性は知りませんでしたから、僕もすっかり彼女にのめり込んだんです。
彼女は僕の携帯電話はチェックするし、スケージュール帳も見る。いつもいつも僕を独占したがっていました。
夜中に『会いたい』と泣きながら電話してくるから、飛んで行ったこともあります。電話は一日何回もしあっていたし、毎日のように会ってもいた。
下品な言い方ですが、盛りのついた犬みたいな状態でしたね。深夜の路上でセックスをしたこともあるし、彼女の勤めている会社に僕が迎えに行って、そのビルの階段踊り場でしたこともある。
彼女はいつどこでも応じたし、いつどこでも求めてくる。そんな彼女に僕は完全に骨抜きにされたんです」
激しいセックスと、情熱的な束縛。彼にとっては初めての体験で、「全身全霊でぶつかってくる彼女」にからめとられていった。それが心地よかったのは事実だという。
二股をかけられていたことがわかっても未練は続いて
ところが三年ほどつき合ったある日、彼女は手のひらを返すように冷たくなった。何が起こったかわからない。
「いつものように携帯電話に電話したら、留守番電話になっているんです。いつもならメッセージを吹き込んでおけばすぐに電話をくれるのに、その日は夜になってもかかってこない。
深夜までひっきりなしに電話しました。それでも彼女からは連絡が来ない。
その晩は気が狂いそうでした。結局、朝まで一睡もできなかったので、妻宛てに『待っている外国からのメールが朝一番で入ってくるから、会社に行きます』というメモを残して家を出て、始発で彼女の部屋に行きました。
しつこくドアチャイムを押したけど応答はない。そんなにべったりとつきあっていたのに、考えたら、僕は彼女の部屋の合いかぎを貰っていなかったんです。
それまでまったく不都合がなかったから気づかなかったんですよ。そのとき、僕は呆然と彼女の部屋の前に立ち尽くし、ふっと独身時代のことを思い返していました。かつては携帯電話なんてないから、連絡を取るのが大変だった。僕はひとり暮らしをしていたから、そのころつきあっていた恋人が、『合いかぎが欲しい』と言い出したんです。
そうすればどうしても連絡が取れないときは、僕の部屋に直行できるからって。だけどなんだかそれが重くて拒否した。
そこからその彼女との間がぎくしゃくしたんですよね。そんなこともあったなあ、とふと思い出して。だけど携帯電があると、連絡が取れてしまうから、合鍵を渡す渡さないでもめる必要もない。携帯電って罪だなと思いました」
そんなことを考えながら、彼は彼女の部屋のドアーをたたき続け、た。だが相変わらず応答はない。
しかたなく、彼は会社に向かった。会社に着くまでの間にも、携帯電話に電話し続ける。会社に着き、九時になるのをもどかしく待って、彼女の会社に電話した。すると今日は休暇を取っているという。
「彼女の実家で何かあったんだろうか、それとも彼女自身が病気なのだろうか、と心配になって仕事も手につかない。
午後になると、今度は連絡をよこさない彼女に腹が立ってきました。それで仕事が終わると、電話もせずに彼女の部屋に直行したんです。
でも彼女はいなかった。彼女の家の近くの喫茶店をはしごしながら、終電の時間まで待ちましたが、ついに帰ってこなかった」
彼はなんと三日間、それを繰り返した。そしてついに三日目に、戻ってきた彼女を、マンション前でつかまえることができた。
「怒りより先に、彼女が無事だったということで涙が出そうでした。彼女を見ると一瞬、はっと顔をこわばらせましたが、次の瞬間、抱きついてきたんです。
『実家のお父さんが倒れて…・。』と涙を流し、そのとき、僕はまったく彼女を疑っていなかったから、『よかったよ、会えて。
心配したんだよ』と言いながら当然のようにエレベーターに乗って彼女の部屋に行こうとしたんです。
すると彼女が、『ごめんなさい。今日はすごく疲れているの。明日、必ず連絡するから』と僕を押し戻そうとする。
今までどんなときも彼女が僕を拒んだことは無かったから、おやと思ったんです。『ほら。こんなことになっているんだ』と僕は彼女の手を僕のズボンの前に持ってこさせました。
正直言って、彼女を見たときから痛いくらい勃起してて。
彼女はそこにそっと手を当てると、『明日ね』と優しく言って、マンションに走り込んでいきました。
僕は置いてきぼりをくったような気がしましたが、とりあえずは彼女と会えた。今日はそれでよしとしょう、と自分になだめて帰ったんです」
もともと知り合いだし、性的なことを含めも話してほしいと頼んでおいたから、ここまで話してくれるのだろうと思った。それにしてもかなりあけすけな内容に、少し訝(いぶか)しい気分にもなる。彼の彼女への思いの強さをそこに感じざるを得ない。
彼は彼女との逢瀬(おうせ)できると信じて、その日は帰ったのだが、彼女とはその翌日もその翌日も連絡が取れなかった。
「そこで初めて、気がついたんです。あの日、彼女は実家に帰っていたと言いながら、小さないつものバッグしかもっていなかった。
それなのに僕はまったく疑いもしなくて…。自分のおめでたさに腹が立ってたまらなかった。
それで四日目に、会社帰りの彼女のあとをつけたんです。すると彼女、あるアパートへ入っていった。少し外で待っていると、若い男と一緒に出てきたんだけど、それが僕も知っている男だった。
彼女と知り合った飲み屋によく来ていた男だったんです。
二股をかけられていた。そう思った僕は、さらに二人のあとをつけました。ふたりはカジュアルなイタリアンレストランに腕を組んで入っていきました。
それを見た瞬間、僕は頭に血が昇って、店の周りを少しうろうろしたあげく、そのレストランに入りました。ふたりを見つけるともう自分を止めることはできなかった。
定員の制止を振り切ると、男に殴りかかり、止める彼女を突き飛ばして大暴れしてしまったんです」
警察が呼ばれ、彼は警察署に連行された。被害者ふたりが訴えなかったから、事件は表ざたにならず、彼は身元引受人の妻に連れられて帰宅した。後日、レストラン側から食器やテーブルを壊した弁償として五十万円要求されて。支払った。
「妻には男同士のケンカだということで押し通しました。妻はどう思ったか、よくわかりません。僕もそのことをきちんと話し合おうとはしなかったし。そこまでしても、実は僕、彼女への未練をまだ断ち切れなかった。彼女が急に冷たくなったことを怒っていたというわけでないんです。恋愛に理屈が通用しないのはわかっているから、彼女が僕でなく、あの男を選んだのはしかたがないとわかってはいる。だけど、とにかく彼女を失うことが耐えられなかった」
気持が落ち着いたのは、精神科に通って三ヶ月後
彼にとって、彼女は本当に大きな存在だったようだ。そこまで女性に焦熱を燃やしたことは無かったと彼は言う。
どこにも持って行き場のない、やりきれない思いで、彼は悶々(もんもん)としながら過ごす。
「事件から二週間くらいたったころかな、夜、気づいたらまた彼女のマンションに足が向いていた。もう自分でもどうしたらいいかわからない状態でした。
心のどこかで、彼女を殺して自分も死んでしまおうか、それでもいいという気がしていた。
だけど、このままじゃいけない、という気持ちも少し残っている、今日が最後、と思いながらそれから連日、彼女のマンションに足を運びました。
だけど彼女本人に会う勇気は出ない。顔を見たら自分が何をするかわからない。それが怖かったんです」
夜、会社を出ると足が彼女のマンションに向いてしまう。自分でも苦しいのに止めることができない。彼女をひと目見たいという気持ちと、見たら自制できないかもしれないという恐怖とのせめぎあいで、彼は食事も喉を通らなくなり、眠れなくもなった。
「あるとき、彼女の家の最寄り駅で電車を降りてふっと駅前のビルを見ると、“精神神経科”という文字が目に入ったんです。
睡眠薬をもらってぐっすりと眠りたいなという気持ちがわいて、そのままその病院に飛び込んだんですね。
医者がすごく感じのいい年配の男性で、うまく誘導されて、初めてなのに今までの事を全部話してしまいました。
誰にも言えなかった彼女への未練、失ったことへのいら立ちも、医者が受け止めてくれた。
すべて話したらすごくすっきりして、その日、彼女のマンションに寄らずにそのまま家へ帰りまし。
それからは週に一度、その病院に通いました、だんだん気持ちが落ち着いてきて、三ヶ月もすると、彼女への思いや怒りも薄らいでいったんです。
あのとき病院に寄らなかったら、今頃僕は殺人という最も卑怯な罪を犯していたかもしれない。妻や子供ことを考えると、身が震えるような思いです」
恋愛感情というのは、時として自分でさえ止めることのできない悪感情をも内包していることがある。自分で自分をコントロールできるとは限らないのが、人間の奥深いところであり、怖いとろでもある。
すべてが終わってから三年ほどたち、今、彼は落ち着いた生活を送っている。娘は十一歳になった。あれから熊沢家では生まれたばかりの犬を飼い、家族は連帯感を増した。娘と一緒に犬の散歩に行くのが何よりの楽しみだという。
「僕が精神科に通っていたことを妻は知っています。一度だけ、『思いつめないでね。私は何があってもあなたの味方よ』といわれたことがある。
そのときはぐっときました。だけどまさか恋愛のことを妻に話すわけにもいかない。妻を必要以上に傷つけまいとするあまり、冷たい態度をとったことはあるかもしれない。でも妻はそれ以上、僕の気持ちを詮索(せんさく)しようとはしなかった。ひょっとしたら妻がいちばんつらかったかもしれません。
あのころは自分の事だけで精一杯だったけど、今になると妻には申し訳なかったと思っています。それ以後の恋愛? 一切しませんよ。でも今は、恋愛を拒絶するつもりもありません。
一時期はもうこりごりだと思っていたけど。落ち着いて考えてみると、あの激し恋愛で、自分の弱さも執着心もわかったから、万に一、また恋愛することになったら今度はもう少し、いい意味で軽い気持ちでできるかもしれません。もちろん、自分から求める気はありませんけど」
つづく
恋愛が挫折という気持ちを生むとき