著者=亀山早苗=
「女の産む決断」と結論を出せない男
そんな関係が二年ほど続いたころ、彼女の様子が少しおかしくなった。いつもはあまり感情的にはならない彼女が、些細なことで涙ぐむ。
いったいどうしたのかと彼は訝(いぶか)るばかりだった。
そしてある日、彼女は今まで見たことのない真剣な面持ちで言った。「私、妊娠したの」と。
「驚きましたよ。ピル飲んでいれば安心だと思っていたから。すると彼女、一日だけ飲み忘れたと言うんです。
彼女は意図的に妊娠を画策(かくさく)するような女性ではありません。僕は彼女をまったく疑わなかった。
本気で彼女を愛していましたから、真っ先に『どうする?』と尋ねたんです。すると彼女、僕の目を真正面から挑むように見つめて、きっぱりと言いました。
『私はもう三十五歳よ。産めるのはこれが最後かもしれない。
しかも今までの人生の中でいちばん愛する人の子供なの。だから産みます。別れましょう』って。
彼女の口調は有無を言わせぬ強さと迫力がありましたから、僕はとても『堕ろせ』とは言えなかった。ただ、『君の気持ちはわかった。ただ、子供はきみと僕、ふたりの子供だ。だから僕にも考える時間をくれないか』としか言えなかった。彼女は黙って頷(うなづ)きました。
それ以後、彼女から電話もかかってこなくなりました。
そういうときの女性は不安だと思うんですよ。それなのに、彼女は僕が決断を下すまで待っていようとしている。
彼女の『産む決断』の強さがそこにあると思いました。
だけど僕にはすでに家庭がある。子供もいる。認知はどうするんだ、妻に何て言う、子供たちは異母兄弟ができることを子供たちはどう思うのだろう…・。
どんなに考えても、考えても答えは出ない。
僕があんまりぼんやりしているので、妻は、『あなた、疲れているんじゃない?』と言うし、娘たちは交互に肩を揉んでくれる。
そうやって労(いた)わってもらうとつらくて…・。
僕のせいで家族に迷惑はかけられない。だけどあれだけ産むときっぱり言う彼女に、堕ろせとはやはり言えない。たっぷり三週間、僕は悩み抜きました。
そして出した結論が、『彼女に任せよう』ということだった。情けないですね、男って、最終的には子供を産む産まないは男には結論を出せないということだけははっきりわかりました」
「認知はいらないと」彼女は言った
彼は久しぶりに彼女に電話をかけ、会うことにした。美味しいものでも食べよう、と。
彼女は妊娠十一週。待ち合わせたホテルのロビーで会うと、つわりもなく元気そうだった。
だが、ホテルを出て予約したレストランへ行く途中、彼は見てしまった。まるで肌に染み込むように濃くなっている彼女の目の下の隅(くま)を。
彼女の苦悩を悟った彼は、レストランへ向かうタクシーの中て早口に言った。
「例の件だけど、結論はきみに任せる。どういう結論を出そうと、僕は全面的にフォローするよ」
彼女の顔がぱっと輝き、白い歯がこぼれた。その日、レストランではその話はしなかった。
この三週間のお互いの仕事の事、彼女が家で見たビデオの話しなどに終始した。帰りに彼女の部屋に寄ると、彼女は鍵を開けて家に入るなり、彼に抱きついた。
「彼女はちょっと湿った声で、『ありがとう。あなたには迷惑はかけない。二度と会わない決心もついているの』と言うんです。
おいおい、ちょっと待てよ、と僕は焦りました。『僕がフォローするといっただろう』と彼女の目を見ると、『冷静に考えて。ふたつの家庭を持つことになるのよ。
誰がそんなことを許してくれるの』と彼女は落ち着いた声で言いました。『だから認知もいらない。いくらか貯金があるから、経済的な援助も必要ないわ。
産むのは私の勝手なの。だから別れたほうがいいのよ』と彼女は強硬に言う。だけど正直言って、僕は彼女と別れたくない。
別れる別れないで、そのときはかなり揉めました。『オレのことが嫌いになのか』としまいには僕も怒ってしまったほど。だけど彼女にしては僕に迷惑をかけたくないの一点張り。
僕が迷惑だと思うかどうかは、僕の問題であって彼女が考えることではない。
僕はそう言い切りました。そこまで言うと、彼女はようやく自説を引っ込めました。
本当に強情な女性なんです。精神的に本当に強いんだと思う。だけど僕は妻の妊娠時を知っている。
女性としては非常に不安定になるはずなんです。まして彼女の立場で平静でいられるはずがない。強がっている裏には、強がっていないとやっていけないという面があるからでしょう。
それを無視できるほど、僕も若くなかったということなのかもしれません」
少し照れたようにそう話す浜田さんだが、実際にはそれほど彼女を愛していたということなのだろう。
それでも、その時点で、妻にこのことを話すかどうかは決めていなかった。できれば子供のためには認知したい。
だが認知すれば彼の戸籍にその旨が書かれてしまう。
「いろいろ調べました。認知しても本籍地を変える転籍という形をとると、認知の事実は前の本籍地に残るから、新しい戸籍には書かれないんですよね。
だけど本籍地を変更すると、パスポートを取ったりするとき妻にばれてしまう。本籍地なんてそう簡単に変更しない、するのであれば普通、妻に相談しますからね。
そうすると妻にしられずに認知する方法というのはやはりないんです。
ただ、この問題は、彼女の強硬な反対に遭いまして、結局、認知はしないという方向で決まりました」
彼女は臨月まで働き、産休に入って一週間で子供を産んだ。働いていたせいかかえって安産だったが、彼に連絡がきたのは生まれて二日後だった。
「彼女はもうご両親もいないんです。近くに妹さんが住んでいるので、いざとなったら妹の世話になると言っていたから僕も安心していた。
ところが陣痛の間隔が狭くなってから、自分でタクシーに乗ってひとりで病院に行ったんだそうです。
夜中だったから、小さな子供がいる妹を起こすのが悪くて。
あとから『一人でもなんとかなるものよね』と笑った彼女を見て、僕は胸が締め付けられました。
子供は男の子で、僕の名前を一字とって命名しました。
彼女は涙ぐんで、『この名前、絶対つけたかったの』って」
それから彼女はひとりで退院し、産休と育児休暇を使って子どもを育てた。彼もときどき彼女の家に寄り、子供の顔を見る。子供が十ヶ月を迎えるころ、ちょうど保育園に入ることができ、彼女は仕事に戻った。
男として、やるせなさ、切なさが募る日々
「子供は今、一歳四ヵ月になります。僕は週末は彼女の家には行けない。
ごくたまに仕事に出た土曜日、夕方、彼女の家に寄るくらいしかできない。
平日は夜しか会えない。子供は寝ているだけですからね、保育園の送り迎えだって僕がしてやれるわけじゃない。
経済的な援助だって雀の涙。サラ―リマンだからそう自分の自由になるお金はありません。子供が急に熱を出しても、僕はすべて事後報告で聞くだけ。
彼女の助けになってやることが出来ない。父親らしいことも何もしていないんです。
それが妻との間にできた子とはまるきり違う。彼女は『たまに会いに来てくれればいいのよ』と言うけれど、本当にこのままでいいのか、と思わざるを得ない。
これから大きくなっていく息子に、何をしてやれるのか。
一方で、娘たちもだんだん難しい時期にさしかかってきて妻も教育の事や躾についていろいろ悩んでいる。
そんな妻からはあれこれ相談されて、一緒に考えて一緒に決断を下していくわけです。
同じ自分の子に違いないのに、すごく不公平なことをしているようで、それが辛いんです」
浜田さんはそう言って目を潤(うる)ませた。彼女が何の文句も言わずに、子育てに仕事にとがんばっているだけに、僕としてはやるせなさ、切なさが募るのだろう。
いつかは妻に話さなくてはいけない時が来るかもしれない。
彼自身の気持ちとして、話さざるを得ない日が…・。
そのとき、妻はどんな反応をするのだろう。そして娘たちは。
「彼女に子供を産むなと言えばよかったとは思っていません。子供ができたとき、彼女が言うように別れてしまえばよかったとは思わない。
だけど今の状態がベストだとも思えないんですよ。じゃあ、どうすればいいのかというと、これもまたわからない。だけど僕は浜田家の夫として父親として責任を果たさなければならない。
じゃあ、彼女との関係、彼女と子どもことに関する責任はどうやったら果たせるのか。
それを考えると夜も眠れなくなるんです。彼女は、『考えすぎ、私は今のままで幸せなのよ』と言うけれど、僕の気持ちはそれではすまない。
ただ、今は本当にどうしたらいいかわかりません」
第三者からみれば、こういう生き方もあっていいのではないか、いつかは家族もわかってくれる日が来るかもしれない。そう簡単に言いたくもなるものだが、当事者の苦しみは生半可なものではない。
どんなに愛情を持っていても、それを示す具体的な行為が出来ないとしたら、浜田さんのように自分を責めるしか道はない。
だが彼女のほうは本当のところ、どう思っているのだろう。ひょっとしたら言葉通りに受け取ってもいいのではないか。
子供を産んだことで、彼女の人生はより満たされているのではないだろうか。
出たとこ勝負、彼女は何があっても責任を取る覚悟あるように感じられる。
もちろん、立場が違えば思うところも異なってくる。彼が自分を責めることしかできなくても、やむを得ないのかもしれない。
これから彼女の所に寄って帰ると言う浜田さんの後ろ姿を、私はしばらく見送った。背中がどんどん小さくなり、闇に溶けていくように見えた。
つづく
第五章 恋に幕が下りるとき