著者=亀山早苗=
「ダブル不倫」・出会ってから二ヶ月後の決心
お互いに家庭のある男女の恋愛を、今は「ダブル不倫」という。
かつてはやむにやまれぬ情熱のために命懸けの恋とさえなっていたこのケースも、今何となく、欲求不満の人妻と、それを受け止めかねたままずるずると引っ張り込まれる男性、という構図があるような気がする。
だが、そんな中でも、お互いの決意のもと、静かに、だが深く愛情を育んでいるカップルがいる。
藤田康雄さん(三十九歳)は、三歳年下の人妻である美和子さんとつきあって三年近くなる。ふたりが知り合ったのは異業種交流会。藤田さんは大学の先輩に誘われて、美和子さんは職場の同僚に誘われて、それぞれ初めて参加した。そこで挨拶を交わしたのが最初の出会いだ。
「お互いに家庭は共働きで、偶然、同じ四歳の男の子がいた。それで意気投合してしまったんです。
ビジネスの延長のような気持で、『今度、食事でもしませんか』と誘いました。彼女はあっさりと、『夜は無理ですけど、ランチならいつでも』と言っていた。
早速、次の日に会社に電話をして、三日後にはランチを一緒に取ることになったんです。会社も遠くなかったし、ふたりとも外に出る仕事があるので、ランチタイムもそんなに時間に縛られているわけではない。
話をしながら食事をとって、気づいたら二時間もたっていました。
こんなにリラックスして楽しみながら人と食事をしたのは久しぶりだな、と気づいたのは彼女と別れて会社に戻ってから。
また会いたい、という気持ちが自然とにじみ出てきたんです。
一週間後、今度は彼女から電話がきました。ランチを一緒にとったとき、彼女が面白かったという本の話をしていて、『今度、貸しましょうか』と言ってくれた。
本なんて大きな書店に注文すれば手に入るけど、彼女が貸そうと言い、僕が借りたいと言った。
そこである種の共犯関係ができあがったような気がするんですよ。
もちろん、恋愛関係になるかどうかはわからないけど、お互いに『また会おう』という暗黙の約束をしたわけですから。
そして彼女は一週間後に電話をくれた。そして、『もし都合がよければ、私のほうは今日の夕方以降でもかまいませんけど』と言う。
子供は、と聞くと、『今日はたまたま近くにすむ夫の両親が面倒を見てくれると言うのでお願いしたんです』って。そこで早速、その日のうちに会いました。
僕はいくら子供の面倒を両親が見てくれるといっても、彼女のそんなにのんびりするつもりはないだろうと思っていたんです。
ところが喫茶店出会うと、彼女は、『よかったら食事をしませんか? それとも無理かしら』と言う。
僕のところは彼女と反対に、妻の両親との二世帯住宅なんですよ。だから時間的には自由が利く。そう答えると、彼女はにこりと笑って、『私たちって境遇が似ていますね』と。
『本当にそうだね』と、僕はいつのまにか言葉遣いもラフになっていて。
なんだか彼女といるとリラックスした気持ちになるんです。
食事中にも、彼女とは話題が尽きませんでした。
彼女も何度となく、明るい笑い声を上げていました。帰り際、とても楽しかったと告げられると、彼女は、『私も。こんなに笑ったのは何年ぶりかしら』と言ったんです。
あまりにもさりげなかったので聞き流してしまったのですが、後から考えると、結婚生活は楽しくないという意味なのか、それとも友だちと食事をする時間などないから久々にプライベートでこういう時間がもてて楽しかったという意味なのか、と悩みました。
だけど彼女はいつでも子供を預けることが出来るようなことを言っていた。比較的、時間の自由は効きそうだ。
となるとやはり、結婚生活に問題があるのだろうか。考えてもしょうがないことをなぜこんなに考えてしまうのか、気になってしまうのか。
そのとき初めて、自分の心の中に恋愛感情のようなことがあると気づきました。
でもそれは決して許されることではないし、ふたりにとってためにならない。
こうやってたまに会って食事が出来ればそれでいいじゃないか、と僕は自分に言い聞かせることにしたんです。
だいたい、彼女の気持ちもわからないのに、何を若い男みたいにひとりで早合点しているんだ、という自嘲(じちょう)的な思いもありました」
だが、こちらが好きと思えば、向こうもこちらが好きだったりするのが恋愛の不思議なところ。
それだけ楽しい時間を過ごせば、彼女の方も彼を気に入っている可能性は高い。
ふたりにはまだ会うだけの十分な“用件”がある。彼が本を読み、返却しなければならない。
お互いに会う言い訳を作ってあることで、会いやすかったのだろう。彼が本を返却するとき、気に入っているCDを彼女に貸した。
そうやって貸し借りをしている間は、自分自身にも言い訳がたつ。
だが、いい年をした家庭ある男女が、いつまでそういう“言い訳”のもとに会い続けるほうが不自然だ。
ふたりきりで会うようになって五回目、最初に出会ってから二ヶ月後、彼はある決心をしてデートに向かった。
「僕、実はそのころにはもう彼女と会わずにはいられなくなっていたんです。好きだという気持ちが強ければ強いほど、彼女と寝たいという気持ちが抑えられなくなっていた。
勝手だとわかっているけど、このままではどうしょうもない。
だから一度でいいから、ベッドをともにしたい、と言おう思ったんです。断られたら諦めもつく。もし気まずくなっても、彼女とならいい友達でいられるような気がしたし。
あるいは、彼女が怒ってもう会いたくないというならそれでもしかたがない。僕はそこまでせっぱつまっていました。
彼女に会って正直にそう話しました。そういう話を聞くとき、多くの女性なら目を伏せると思うんですが、彼女はまっすぐに僕を見つめて時々うなずきながら聞いていた。
そして『あなたはどう思う?』と聞くと、『私も同じ気持ちよ』って。『だけど、それを実行に移せるかどうか、移したとして後悔しないかどうか今は自信がないの。
私から言うまで、今のままでいられないかしら』とも言いました。彼女のこういう素直さと思慮深さに、僕はますます好感をもちました。同じ気持ちだからって、すぐに寝てしまったら、僕らは二年も人目を忍びながらつき合うことはできなかったと思うんです」
ふたりの約束
「結局、彼女と結ばれたのはその一ヶ月後。十日から二週間に一度くらいの割りで会っていたんですが、あるとき会うと、彼女は、『私はあなたと寝たい。今すぐ』って、彼女の目がとても澄んでいて、彼女自身、考え抜いたあげくの覚悟なんだということがわかりました。
ベッドを共にしてわかることって多いような気がするんですよ。
肉体的な相性云々(うんぬん)というよりは、その人の持っている感性みたいなものが直接伝わってくると思うんです。
そういう意味でも彼女は素敵だった。とにかくしばらくは彼女と離れられないと直感しました。
人に知られたら当然、そしりは免(のが)れない。妻にばれたらどうなるだろう。
妻の両親はどういうだろう。考えると悪い方向ばかりいってしまう。それがわかっていながら自分を止めることができない。
そんな経験は初めてでした。それまでも軽い浮気はありましたけど、酒の上でのことだったり遊びの気分だったりしたので、妻に後ろめたいと思ったことがないんです。
だけど彼女とベッドをともにした夜は、家に帰って妻の顔をみるのがつらかった。
たまたま妻は子供と一緒に早寝をしてしまつたみたいなんですが、ふたりの寝顔をみながら、心の中で頭を下げたい気分でした・その一方で、彼女のことも忘れられなかった。
彼女は先のことは何も言わなかったけれど、二度目に寝るかどうかは男にとっては大問題なんですよね。
二度そういうことがあるというのは、既成事実を作るようなもの。もう自分に対しても言い訳はきかない。
彼女とは三日に一度くらいは電話し合っていました。お互い、携帯電話をもっているからそのへんは便利ですね。
十日ほどして僕が残業している時、彼女から電話が来たんです。「私、あなたとはもう会うまいと思っていたの。だけど正直言って会いたい。あなたと一緒にいたい。私はどうしたらいいの?」と彼女は困惑したような声を出しました。僕も実際、まったく同じ気持ちだった。
とにかく『会って相談しよう』ということになり、会いました。それでやはり、僕は自分を止めることが出来ずに彼女をホテルに誘ってしまった。彼女も自分自身を止められる状態ではなかったんですね。
『行けるところまで行こう』
別れ際、僕は彼女に言いました。彼女は落ち着いた表情で力強く頷きました。それが僕らの関係の本当の始まりだったと思います」
二年間、家庭ある男女が人に知られないように関係を続けていくのは大変だったはずだ。
実際、ふたりの間で別れ話が出たこともあるしふたりで死ぬしかないと思いつめたこともあるという。
「別れ話が出たのは、僕が彼女の夫婦関係のことを責めたとき。僕だって彼女を責めるような立場にはないのに、彼女が夫とも寝ているんだろうと非難してしまったんです。彼女はそれについては肯定も否定もせず、『そういうことを言っていたらつきあうことはできないわ。別れましょう』と一言。
僕は猛烈に反省しました。こういえ関係は、ふたりだけの時間と空間を大事にすることに意味がある。
ふたりだけの時間と空間に、余分なものを入れてはいけないんです。
それでもこの二年間に、ふたりとも妙にいきづまった時期があって、『それぞれ家庭があるし、子供いる。
両親など周りの人たちも巻き込んで仕事と家庭を両立さているのに、みんなの協力を無視するかのように、離婚して再婚するのは無理』という結論に達して、『一緒にいるためには死ぬしかないんだね』と話したことがあります。
だけど、お互いに生きている相手と一緒にいたいわけで、死んであの世で一緒になろうなんていう逃げはよくない、とも話しました。最初のうちは三日にあげずに会っていました」
日常生活をともにすることない関係。それでもいいから、別れたくない。
それなら、相手の立場や感情を理解して思いやっていくしかない、と美和子さんとつきあい始めて半年くらいに、藤田さんは覚悟を決めた。
といっても、表面的なつきあいに終始するという意味ではない。
お互いの人生に深くかかわりあいたいから、なるべく自分の身に起こったことは話そう、自分が聞いて不快にならないと思ったら言おう、と約束した。
家庭があるのは厳然(げんぜん)たる事実だ。
もしも家庭に一大事が起こったら、遠慮なく相手に助けを求めよう、ひとりで苦しむのはやめようと話は一致した。
もうひとつ、約束したことがある。それは子供が成人したら一緒になろうということだ。
その言葉からわかるように、ふたりは「ずっとつきあっていこう」と決めたのである。
いちばんいい状態を選択しつづけていく決意
ところが関係を持って一年後、事情は変わった。ふたりの気持ちが変わらなくとも、周りの状況が変わるということを、藤田さんは身に染みて感じる。
「昨年春、妻の母親が体調を崩して、子供の面倒を見てもらえなくなったんです。
幸い、大事にはいたらなかったけど、今もリハビリに励んでいて、むしろ介護が必要な状態。義母の面倒は義父が見ていますが、妻は両親の心配をしつつ、息子の面倒を今まで以上にひとりで見ることになりました。
それでも仕事は辞めたくないという。その気持ちは僕もわかるので、週に一度はプロに掃除を頼み、週に三回はベビーシッターさんを頼んでいます。
あとは僕と妻とが分担しながらなんとか家事と育児をこなしている。だから彼女に会える回数も激減してしまったんです。
一週間から十日は一度は会っていたのに、それ以来は、月に二度がせいぜい。去年の夏は、妻の仕事が忙しかったり、僕に出張が多かったりしたので、七月と八月の二カ月で一回しか会えなかった。
それでも僕の気持ちは変わりません。お互いの配偶者には絶対にばれないように細心の配慮を重ねながら、ふたりで会える時間をなんとかとる。
携帯電話、メールのやり取りをすることもありますが、受け取った方は読んだらすぐに必ず削除しておく、というも絶対的なルールですね。
そんな思いをしてまで離婚しないのは、かえって不誠実という意見もあると思います。
僕も他人事だったら、『離婚して、本当に好きな人と一緒になればいいじゃないか』と言うと思う。
だけど、当事者にしてみたらそうはいかないのが現実です。僕だって別に妻に対して嫌悪感があるわけじゃない。
彼女もおそらくそうでしょう。しかも、ふたりとも子供の親です。
僕らの勝手で、子供から母親や父親を奪い取ることはできない。それに万が一、離婚したとしても、子供はどうするのか、それぞれの家庭で、親同士が子供の奪い合いをするのは目に見えています。
彼女も僕も、自分の子供がかわいくてたまらないから。さらに万が一、僕たちがそれぞれ自分の子を連れて再婚したとする。
突然、同じ年のきょうだいができてしまったことを、子供たちはどう受け止めるのか。うまくいけばいいけれど、同い年の連れ子同士がこの先ずっと上手くやっていけるとは思えない。
だいたい、日本には血のつながらない家族が少ないでしょう? 周りの中傷などで子供が傷つくことも考えられる。
そういうとき、僕らは子供に対して責任をとれるのか。僕自身、堂々としていられるだけの勇気がないだけかもしれない。だからこそ、冒険はやめようと思うんです」
つづく
ふたりの潔い決意と正直な選択