第四章 圷家の、 あるいは今橋家の、完全なる崩壊
サラバ! 上巻
1995年.
僕はこの年を、忘れることが出来ない。
1月7日の早朝、僕は自分のベッドで、飛び上がった。印象として、地底から大きな拳で突き上げられたような感覚だった。
「え?」
声を出す前に。もう揺れ始めた。
それが地震だと気づくのに、数秒はかかった。僕の部屋の、あらゆるものが揺れていた。棚から本がバサバサと落ち、枕元に置いていた目覚まし時計が、意思を持つように動いていた。僕は半身を起こしたまま、とにかく呆然としていた。
「歩(あゆむ)!」
母の声が聞こえたのと、ほとんど同時に、扉が開いた。
母は真っ白な顔をしていた。暗闇でも分かった。
「うん」
状況と裏腹に、僕は間抜けな声を出していた。母は僕に駆け寄り、僕の頭から布団をかけた。僕の足は無防備に、布団から飛び出した。
「貴子!」
布団の向こうから、母の声が聞こえた。
僕はやっと、恥ずかしくなった。
母は、僕を守ろうとしたのだ。しかも、布団をかぶせるという頼りない行為で。
僕の身長は、ゆうに母を越えていたし、布団から出た足には、黒々としたすね毛が生えていた。それでも、扉に母の姿を認めた瞬間、僕はほっとしたのだった。恥ずかしさの余り、力任せに布団をはねのけ、そのままの勢いで廊下に飛び出した。
母は、姉の部屋の扉を叩いていた。揺れはまだ続いていた。信じられなかった。こんなに大きく、長い揺れを経験したのは、初めての事だった。
「貴子!」
母は、姉の部屋の扉を叩き続けていた。でも、姉からは反応はなかった。そうしているうち地震は収まり、母はへなへなと廊下にしゃがみ込んだ。廊下に飛び出したものの、僕は何も出来なかった。ただ壁につかまり、ぼんやりと突っ立っている以外は。僕は全く、みっともなかった。
母と僕は、リビングでラジオを聞いた。
地震速報が流れていた。兵庫の方で大きな地震が起きた以外は、何も分からなかった。とにかくラジオから「外に出なでください」という言ばかりが聞こえた。
姉は結局、その後も部屋から出てこなかった。
目を覚ますと、夜はすっかり明けていた。
母は、一睡もしていなかったようだった。ラジオは切られ、代わりにテレビがつけられていた。それから数週間、テレビでは信じられない光景を映すことになった。
ドミノのように倒れた建物、巨大に千切られたような高速道路、その先端から半分飛び出したバス、あちこちから上がる炎と、増えつづける死者の数。
学校に行くと、皆落ち着かなかった。
何人かは、どこかワクワクしているようにも見えた。不謹慎だと嫌悪する反面、そういう奴がいてくれることに、感謝もしていた。僕はどんな反応をしていいのか、ずっと分からなかった。誰が身近な人が死んだわけではなく、家の被害も、大したものではなかった。結局僕は、クラスメイトと、延々揺れた瞬間を話し続けた。どんなに揺れたか、何をしていたか。テレビで見た映像のことは、決して触れる事はなかった。
須玖(すぐ)は結局、その日の学校は休んだ。
裕子(ゆうこ)には、夜連絡を取る事が出来た。裕子は熱心に話した。とても怖かったこと、お互い無事でよかったこと。僕は裕子の声音のどこかから、いつも以上に甘やかけに気配があることを、感じ取っていた。裕子はこの状況に酔っていた。自分たちを、思いがけない災難で離れ離ればなれにされた恋人同士、と思っているようだった。このような状況で、いかに僕に会いたかったことを告げることで、裕子は僕への愛を証明しようとしていた。
僕は裕子と話しながらも、ずっと須玖のことを気に掛けていた。本当は、真っ先に須玖に連絡を取りたかった。でも、そうするには気が引けた。裕子は、連絡する順番にこだわるだろうと思った。僕がどういう順番で電話をかけたのか、裕子は知るはずもなかったが、僕はそうした。先に須玖に連絡をすると、後で裕子の声を聞きたくなるだろうと、どこかで思ってもいた。
何とか裕子との電話を切って、僕は須玖の家にかけた。お母さんが出た。
「今橋君」
とお母さんは、ちょっと涙ぐんでいるようだった。声音から分かった。お互いの無事を伝え合うと、すぐに電話を代わってくれた。
須玖は、
「ごめん、ごめん」
いっそ明るく聞こえる声で言った。レコードや本、自分の家には落ちてくる危険なものがたくさんある、そんな風に冗談を言う余裕があるようだった。でも、しばらくして、
「兄ちゃんと連絡がつかへんねん」
そう言った。
須玖の兄ちゃんが神戸にいるということは、僕も知っていた。僕が一番恐れていのは、そのことだった。須玖が休んだ理由もそこにあるのだろうと思っていたし、どこかで須玖の兄ちゃんはだめなのではないかと、すでに諦めている自分がいた。そんな自分が嫌だった。
「そうか」
僕には、それしか言えなかった。
結局、須玖のお兄ちゃんは、翌日、神戸から家まで歩いて帰ってきた。玄関に立ったお兄ちゃんは、泥だらけで、まるで戦争から帰還した兵士みたいだったそうだ。
須玖からそれを聞いたとき、僕は心から喜んだ。亡くなった人や、その家族には申し訳なかったが、自分の手に届く範囲に、誰も被害を受けた人間がいなかったことが、卑しくも僕の心を軽くしたのだ。
「良かった、よな?」
僕がそう言っても、須玖は、
「せやな」
小さい声でそう言うだけで、あとは黙っていた。家族が無事に戻ってきた人間には、到底見えなかった。
それから、須玖は静かになった。
元々、自分からべらべら話したりはしない。静かな男ではあった。だが、その静けさに、より強い陰影が加わるようになった。須玖は水のように静かになり、それから沼のように静かになった。死者が増えるたび、須玖の沼は深度を増し、1ヶ月もたつと、学校にあまり顔を出さなくなった。
須玖の繊細さは、知っているつもりだった。
須玖は僕たちと違い、ささやかなことを喜ぶことに長けていた。学年でも全然目立たない奴の不調を見つけ、気に掛けてあげられる奴だった。
初めは僕も、地震に関する様々なことに敏感になった。ならざるを得ない状況だった。テレビでは企業CMが流れず、代わりに公共広告機構のCMばかりが流れた。ニュースでは地震がどのように起こったか、被災地はどのような状況にあるのか、同じ映像が何度も放映された。
自然家にいる僕も口を噤みがちになり、姉も、閉じこもった部屋から重苦しい空気を放つようになった。母は、それがきっかけで恋人と別れたようだった。地震後の連絡がなかなかつかなかったのだ。連絡が出来ない状況にあったのか、そもそも家庭があったから出来なかったのかは分からなかった。
とにかく母は、四六時中家にいるようになった。服を着替えたりしなかったし、化粧もしなかった。時々祖母と夏枝おばさんがやってくる以外は、母は外部との接触を断った。
そんな中にいたから、僕だってもちろん憂鬱だった。道を歩いていると、時々あの、突き上げられるような揺れを思い出し、しばらく立ち尽くしたりした。そういうときは、何故か喉が渇いて仕方なかった。
でも、学校へ行くと、いつもと変わらない景色がそこにはあった。地震に心を囚われていた連中も、徐々に元の生活を取り戻していた、それに感化され、僕も段々あの瞬間のことを忘れるようになった。そして、企業CMが流れるようになってからは、まるで地震などなかったかのように、健やかな日々が戻って来た。
だから須玖の不在に、僕には辛かった。
空いている須玖の席を見ると胸が痛んだし、兄ちゃんが助かったのだから、もういい加減立ち直ってくれよと、苛立ったりもした。須玖の兄ちゃんは、すでに職場に復帰していた。自分が助かったことを喜び、それ以上深く考えることをしないで、とにかく神戸の復興に尽力していた。僕は須玖にも、そうであって欲しかった。
でも須玖は、ますます深みにはまっていくように見えた。
僕が須玖に気を取られていることに気付いているのか、上の空でいる僕と裕子は、段々うまくいかなくなっていた。休みの日は、裕子ではなく須玖の家に行くようになったし、須玖に会った後は、裕子に連絡することが億劫になった。
須玖はもはや、真っ暗で大きな深海にいる人みたいになった。どうして学校を休んでいるのか訊くと、親に内緒でボランティアに行っているということだった。
「時々考えるねん」
須玖は、須玖の小さな部屋で、僕にしか聞こえない声で話した。
「なんで俺やなかったんやろうって」
気詰まりなのが嫌なので、僕は夏枝おばさんに借りたレコードを持って来ていた。レコードに針を落とすと、ニーナ・シモンの低くて乾いた声が流れ始めた。
「死んだ人は、なんで死んだんやろう」
須玖の問いは、おそらく僕に投げかけられたものではなかった。僕は何も答えられなかったし、答えなかった僕に、須玖は何も言わなかった。
もちろん僕は、須玖に何か言える自分でありたかった。
お前は生きているんだ。
前を向かなきゃだめだ。
でもそんな言葉は、僕ののど元までも、やってこなかった。それらは体の奥の方でじわりと浮かび、須玖は消えて行った。須玖の繊細さが怖かった。ここまで他人の死に寄り添える人間を、僕は初めて見た。
ニーナが「Feeling Good」を歌っていた。
新しい世界がこれから始まる、最高の気分よ、と。
須玖は、そのとき初めて僕の存在に気づいたみたいに、僕を見た。ニーナの声が須玖の何らかに響いたのだと思った、僕は嬉しかった。
「おばさんは元気?」
「元気やで」
須玖は、しばらく考えるような顔をした。
「みんなは? おばあちゃんとか、お母さんも? 姉ちゃんも?」
「うん、元気やで」
母が家から出なくなり、姉が部屋から出て来なくなったことは、言わなかった。須玖をこれ以上苦しめたくなかった。須玖は僕の家族と、まるで本当の家族のように親しくなっていた。特にあの姉が「サトラコヲモンサマ」信奉者以外で普通に話せるのは、ただひとり、須玖だけだった。
「姉ちゃん、ほんまに大丈夫か?」
須玖が言った。
「いろいろ感じやすいところがある人やからな」
li’s a new dawn
li’s a new day
li’s a new life
ニーナは歌い続けていた。
Ane l’m feeling good
最高の気分よ
須玖の心配は的中した。
いや、それは半分正しくて、半分は正しくなかった。
地震によって危うくなっていた、感じやすい姉の心を、のちに起こった事件が徹底的に砕いたのだった。
3月20日。
東京の地下鉄で、ある宗教団体が、サリンという毒ガスを散布した。その団体は、以前から様々な疑惑の渦中にあった。テレビでは連日、彼らの活動が報告された。
その団体はテレビを見る機会が多くなった頃から、サトラコヲモンサマにも変化が訪れていたようだった。
サトラコヲモンサマでは、ネドコの維持や様々な慈善活動の資金は、昔からの寄付によって賄われていた。それはお布施といわれなかった。そもそも寄付行為を強要する者は、ネドコの中にいなかった。寄付はすべて自主的に行われるはずだったし、その行為は、矢田のおばちゃんの家の祭壇に、お酒や封筒を持ってくることの延長戦上にあった。
サトラコヲモンサマは、何ら事件とは起こしていなかったし、地域の中にすっかり馴染み、静かな風景としてそこに在った。だが、の時期、サトラコヲモンサマという得体の知れない名前や、ネドコ内部で行われていることが一切外部伝わってこない不気味さが、皆を刺激した。それは、仕方のないことだった。
サトラコヲモンサマは、大きくなり過ぎたのだ。もはや「宗教団体ではない」と言えるような逃げ場は何処にもなかった。教祖なき団体を、ある人たちが疑い、そうなると早かった。ネドコには、雑誌が挙って取材に来るようになった。
サトラコヲモンサマ信奉者たちは、はっきりと「信者」と呼ばれ。結果矢田のおばちゃんは「教祖」という事にされた。そして姉が、そのご神託を授かった少女として、一度だけ雑誌に掲載された。姉はその時、すでに21歳だった。少女と呼ばれる年齢ではなかったが、姉は「少女A」と記載された。おそらく、その方がセンセーショナルだからだろう。写真などは載らなかったし、姉の身元を匂わせる記述はなかったが、それに並ぶ「洗脳」や「異常」という言葉に、姉は大きなショックを受けた。
ネドコには、誹謗中傷の手紙が届き、中には物騒な脅しまであった。姉を除くサイコザンやコザンは、皆で会議を開いたが、そんなことではもはや数百人に及んでいた信奉者の統率は取れなかった。
地震の前後から、姉はだから不安定だった。
自分が心から信じているサトラコヲモンサマから、次々に人が去ってゆく、そのうえ去って行く人は、今までサトラコヲモンサマを信じていた事を恥じた。中にはサトラコヲモンサマを、それを信じさせた姉たちを憎み始める者までいた。
「騙された!」
姉には、なす術がなかった。
今まで自分を見てくれていた数百人の瞳が、あっという間に減っていく。それだけでなく、最後に姉を、忌まわしい目で見る。姉は、その視線を無視できるほどにタフな人間ではなかった。
そこにあの事件が起こった。
サトラコヲモンサマ信奉者と「彼ら」に共通点がひとつだけあるとすれば、それは「何かを信じる」ことだった。ネドコに来ていた人たちも、サトラコヲモンサマを周囲から見てきた人たちも、恐らくただその一点で、サトラコヲモンサマ信奉者を、恐怖の対象として見た。
姉は、言葉を失った。
そして、部屋から出なくなった。姉は社会的には大人の領域に入る21歳の女性だったが、それ以前に感じやすい少女だった。姉はこの世界で起こっている様々なことに打ちのめされ、決して自分の殻から出てこなかった。姉は深みにはまれば、いつまでもそこに居続けられる人だった。
今橋家にまた、暗黒の時代がやって来たのだ。
1995年の1年間を、だから僕は、あまり思い出したくない。
恐らく既婚の恋人と別れ、ふてくされた母と、二十歳を過ぎてまた、部屋に閉じこもるようになった姉との三人暮らしは、われ関せずを貫くことで生きてきた僕でも、流石に揺さぶられざるを得ない状況だった。僕の唯一の光明は須玖だった。だが、その須玖が深海に潜ってしまった今、僕は、情けないほど揺れた。
まず、裕子とは完全に駄目になった。裕子と会っても、心が晴れなかったし、それを隠すことが出来なかった。裕子はやがて、被害者の顔をして、僕に別れを告げた。仕方なかった。
サッカーの練習にも、身が入らなくなった。須玖が練習にも参加しなくなってから、僕らのチームはどんどん弱くなった。つまらないことでミスをし、ミスをしたチームメイトに腹を立てた。溝口が気を使って僕たちを笑わせてくれても、そのことを心から感謝することが出来なかた。
震災の影響がすっかりなりを潜めても、須玖の不在は、僕たちチームを、そして僕たち学生全体を、どこか暗くしていた。皆遠慮がちに笑い、遠慮がちに冗談を言った。須玖の席は、ずっと空いたままクラス替えが行われ、僕たちは別のクラスになった。そしてそのことに、どこかホッとしている自分を、僕は嫌悪した。
僕は夏のサッカー部引退を待ち、逃げるように受験勉強に身を入れるようになった。東京の大学を目指したのも、この頃だった。
須玖と僕が親友だったことは。まるで過去のことになった。
サッカー部の連中と会うと、初めの頃は「須玖は元気か?」と訊いてきたが、やがて、それもなくなった。僕がうまく返事をすることが出来なかったからだ。
僕は須玖に、電話もしなかった。
親友だった須玖のために、たった一本の電話をする努力すらしなかったのだ。
僕は怖かった。
須玖の声を、あの深海からの声を聞くことが怖かった。僕に絶大な影響を与えた須玖に、深海に引きずり込まれることが、どうしても怖かった。「自分がどうして死なず、生きているのか」なんて、考えたくなかった。もうすでに生きてしまっている自分の、その現実だけを信じていたかった。死んでいった人のことを考えるのは苦しいだけで、そして意味のないことだと、ふてぶてしく思っていたかった。
秋になると、誰も須玖のことに触れなくなった。
先生すら諦めて、須玖の話はしなくなった。学校中の人気者だった須玖は、いつしかその存在を、形跡もなく消えてしまった。
須玖を忘れる事の罪悪感から逃れたくて、僕は勉強に取り組んだ。気を抜くと、須玖の気配、沼のようなそれに、足を取られそうになった。僕はその度、心にムチを打って英単語や年表に打ち込んだ。
僕はとにかく、この土地を離れることだけを考えた。
姉も、この街を離れた。
きっかけはやはり、矢田のおばちゃんだった。あんな騒動の渦中にあっても、おばちゃんはいつもと同じように生活を続けていた。雑誌に悪意ある取材をされても、「知りません」を貫き、元信奉者から憎しみの目を向けられても(「洗脳」が解けた元信奉者たちは、もはやおばちゃんを堂々と見る事を憚らなかった)、表情をぴくりとも動かさなかった。サトラコヲモンサマから、一番遠い存在になったおばちゃんこそが、サトラコヲモンサマを心から信じ切っている人に見えた。おばちゃんには、鉱石のような強さがあった。
だが、そんなおばちゃんも、姉の身だけは案じた。
姉の記事に怒り、姉のために心を乱した。部屋から出なくなった姉を、おばちゃんは毎日訪ねてきた。そして姉の部屋に、ずっと居座った。姉の部屋の前を通っても、話し声はしなかった。おばちゃんは只々、黙って姉の傍にいるのだった。
おばちゃんの無言の訪問は、半年ほど続いた。姉がどうなっているのか、僕には分からなかった。僕はもう、姉の動向を知ろうとする事を止めていたし、姉の食べるものは夏枝おばさんが部屋まで運んでいた。姉は、母と接することを、頑なに拒絶していた。母もそうだった。
夏の暑い日、僕が廊下を歩いていると、姉の部屋から、初めて声が聞こえた。
矢田のおばちゃんの声だった。
おばちゃんは長らくの沈黙を破り、姉になに事か話していた。僕の心は、そのことで久しぶりに動かされたが、それだけだった。僕はその頃、須玖の不在に苦しんでいたし、なのに須玖に電話一本も出来ない自分を許せなかった。おばちゃんが姉に何を話しているのか、知りたいと思う気持ちはあったが、わずかだったし、僕は僕で、すぐに自分の沼に潜った。どうせ、姉は変わらないと、投げやりな気持ちでもあった。
だが、その日、姉は姿を現した。
長らく部屋から出ていなかった姉からは、異様なにおいがした。髪が伸び、その髪は自ら絡まって、複雑なドレッドになっていた。
姉の目は皿のように虚ろだったが、底にギラギラした光が見えた。サトラコヲモンサマを信じているときの光とは違った。そこには、徹底的に傷つけられた者だけが持つ。ほかの暗い頑なさがあった。それは、誰も介入できないものだった。
リビングに現れた姉の後ろで、おばちゃんは堂々としていた。
驚く母と、そして僕を見て、頷いた。それは小さな仕草だった。数百人の人間を黙らせる力を持っていた。おばちゃんは、何かをなさずして神の様になれる、数少ない人だった。
ちょうどその頃、父の転勤が決まった。
行き先は、アラブ首長国連邦、ドバイだった。ドバイはその頃、経済成長著しく、世界中の企業が参入していた。いわばバブルの只中だった。
おばちゃんと父、または母の間で、何らかの話し合いが行われたのかもしれなかった。それとも、姉が自主的に父に連絡とったのかもしれなかった。
とにかく、姉は父についてドバイに行きたいと言った。
姉はサトラコヲモンサマから離れるべきだったし、僕のように、この土地そのものから離れるべきだった。そしてそれを決意させたのは、絶対に矢田のおばちゃんだった。ぼんやりしていた母に代わり、矢田のおばちゃんはせっせと、姉の渡航準備を始めた。
最初の数日は、姉の体を綺麗にすることに努めた。体を洗うのは、夏枝おばさんとふたりがかりだった。風呂の排水口は姉の垢で詰まり、姉の髪は洗ってもほぐれなかった。結局おばちゃんは、姉の髪の毛を坊主にした。姉は抵抗しなかったし、それは不思議なほど姉に似合った。ぶかぶかの服を着て、坊主頭の瘦せた姉は、あれほど憧れたアンネ・フランクたちのようになった。
でも姉は、死ななかった。生きていた。
姉が望む望まざるに関わらず、生きていたのだ。
姉を空港まで送って行ったのも、矢田のおばちゃんと夏枝おばさんだった。空港で、父と落ち合うことになっていた。母はそれを理由に、やはり家から出なかった。痩せ細った姉とは対照的に、母はだらしなく太り、動きも緩慢になっていた。
地震と、それによる恋人との別れ、そして娘の宗教的ショックから、母自身もまだ立ち直っていなかった。
僕はつまり、母すら捨てようとしていたのだった。
だが、僕が東京の大学に行きたいと宣言し、姉も今橋家を去った頃から、母が思いかけず回復の兆しを見せ始めた。この家でひとりになること、孤独への予感が、却って母を動かし、いつしかキビキビと行動するようになった。
そして夏枝おばさん、祖母の協力を得て、僕が東京に旅立つ日には、母は元の通りの美しさを取り戻していた。母は、強かった。
東京に発つ日、手を振る母を見ながら、僕は1995年という年を、今ここで忘れようと誓った。僕は、弱い男だった。
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東京は、僕にとっては避難場所だった。1995年的悪夢から立ち直る場所だった。
大学の入学費用、学費、一人暮らしにまつわる様々なものや仕送りは、やはり父が出してくれた。悲しい男・圷憲太郎(あくつけんたろう)に負担をかけるのは忍びなかった(その上父は、あの姉まで背負い込むことになったのだ!)。また、逃げるように上京してきた手前、僕はどこかで罪悪感を抱えていた。
初めの頃は、これから全力で勉強するんだ、決して馬鹿なチャラい大学生にはならない、そう固く決意していた。だが、それも、たった2ヶ月で破られた。僕は簡単に馬鹿なチャラい大学生になり下がった。
まず、サッカー部には入らなかった。勉強に身を入れるために、という言い訳を自らにしていたが、真実僕は運動部の厳しさに疲れていた。元々熱い情熱がある訳ではなかったし、サッカーをやることで須玖のことを思い出すのが怖かった。
毎回律儀に通っていた授業も、ある日は休講があったり、講義の90分間ずっと黒板に向いてぶつぶつ言っているだけの教授がいたり、とにかく、出席しなくても大したダメージにならないというこが分かってきた。
僕を拘束するものは、事実上無くなった。過去を切り捨て、有り余る自由を、僕はありったけ甘受しようと思った。歯車が回転するように、僕は前だけ見て日々を過ごした。
大学は、京王線沿線にあった。
僕は高井戸という駅に住んだ、駅から徒歩20分ほどかかる1Kのアパートで、家賃は4万円だった。東京では破格な部類に入る。だが、それには理由があった。とにかく、ボロかった。築年数40年で、名を「さつき荘」といった。僕が住んだのは2階の7号室。僕の誕生日が5月7日だから、ここに決めた。さつき(五月)の七。何かの縁を感じたのだ。
毎月何がしか壊れた、電気、風呂釜、トイレ。その度僕は奔走したが、その労力や、駅までの距離が苦にならないほど、僕は一人暮らしに救いを見出すようになった。狭い部屋だったが、空間すべてが自分のものだという事実に興奮したし、自分のテリトリーに、ヒステリックな女の母親が居ないということが、僕を何より安心させてくれた。
畳敷きの汚い部屋だったが、僕はいろいろ工夫した。カーテンの代わりに麻の布をかけ、ホームセンターで買った木の板でテーブルを作った。ベッドは置かず、マットレスの布団を敷いた。レコード棚や本棚は座った目線位に来るようにした。そうすると、狭い部屋ではなんとなく広く見えた。そして、押し入れの上部分を勉強机にした(もっとも、そこで勉強したことは、数えるほどしかなかったが)。汚いなぁと思っていた浴槽も、一度入ってしまえばなんてことはなく、手で回して点火する風呂釜も使いこなすようになった。そして、夏になる頃には、僕はこの家に、あらゆる女の子を連れ込むようになった。
幸いにも、そして悲しいかな、僕は人気があった。珍しく出た授業でも、学食でも、可愛い子がいると思ったら、片っ端から声をかけた。裕子と別れてから、久しく封印していた性欲を、僕は爆発させたのだ。
今までの僕だった、考えらない事だった。大学は広い。確かに驚くほど広いが、それでも次々と女の子に手を出していたら、後に何か痛い目を見るのは決まっている、以前の僕なら、そう思ったはずだ。でも、実家を離れ、さらに暗黒の1995年を生き延びてきた人間として、タガが外れていた。この時期は、僕の人生で唯一、理性より野性が勝った日々だった。
ガールハントは、学内では収まらなかった。僕はクラブで遊ぶことを覚えた。有名なDJが回しているイベントに出かけ、そのDJに抱かれることが目的で来ている女の子の自意識に訴えて、最終的には難なく家に連れ帰った。女の子は、初めはアパートのボロさにびびったが、僕がはにかみながら「さつきの七」にまつわる話をすると、大抵キュートだと思ってくれた。僕は簡単にコトに及ぶことが出来たのだ。
唯一心配しなければならなかったのは、壁の薄さだった。
さつき荘はぼろかったから、僕のような男子学生ばかり住んでいた。真下の部屋の奴がかけるエミネムや、隣の部屋の奴が咳をしている声が、簡単に聴こえる環境だった。それに、見ている限り、僕以外で、こんなボロアパートに女の子を連れ込んでいる奴はいないようだった。
あのときの声を。連中に聞かせるのは忍びなかった。性欲を溜め込んだ連中への当てつけに思われるのは嫌いだし、僕はアパートで平穏に暮らしたかった。
でも、いくら声を落としていっても、女の子のあのときの声をコントロールすることは難しかった(僕のテクニックが凄かったと言っているわけじゃない)。女の子の中には、いくら静かにしてくれと言っても、お構いなしで叫ぶ子もいた。特に酔っぱらった女の子は、抑制が効かなかった。
僕が最終的に選んだのは、大きめの音で音楽を掛ける事だった。それだって近所迷惑な話だったが、女の子の声を聞かせるよりはましだった。
なるべくアッパーで、でもエロいものがいい。というわけで僕が選んだのは、カーティス・メイフィールドだった。つまり「Move On Up」が流れ始めると、僕の部屋で性交が始まるという合図だった。カーティスのアグレッシブな声は、カモフラージュにも最適だったし、静的な高まりを促すものとして、とても優秀だった。曲と曲の間は攻撃をゆるめ、僕はアルバムの波に合わせて性交した。あまりにもルーティンでかけていたので、外でカーティスの声を聞くと、自然に勃起してしまうようにすらなった。
こんな感じで、1年が過ぎた。
つまり、ヤリまくった1年だった。
僕はステディの彼女を作らなかった。僕の家に来る女の子は、体のいいセックスフレンドだった。女の子同士被る事は絶対にしなかったし、僕は女の子を徹底的に管理した。僕はピンプではなかったが、気分はスヌープ・ドギー・ドッグだった。
遊びの終わりのきっかけは、サークルに入ったことだった。
僕は映画サークルに入った。僕の精神状態であったなら、もっとチャラいサークル、テニスサークルとは名ばかりのイベントサークルや、イベントサークルとは名ばかりの合コンサークルに入っても良かった。でも僕は、そこまで落ちぶれる気はなかった。
僕の中には、悲しいことに、まだ須玖がいた。
須玖は時々、僕の脳裏や、ときには夢に現れた。僕をじっと見つめ、ただれた生活を送っている僕を、思いっ切り恥じ入らせた。僕はその度「あ!」と大声を出して飛び上がった。慌ててレコード棚からクールなレコードを選んでかけ(大抵ア・トライブ・コールド・クエストだった)、本棚から文豪の作品を取り出して(大抵ウラジーミル・ナボコフだった)、開いた。
音楽も言葉も頭に入らなかったが、文化的なものに接して、自分の穢(けが)れを祓(はら)いたかった。それは須玖に対する、自分なりの贖罪(しょくざい)だった。トライブが近所に住む最高にイカした女の子のスリーサイズを歌っていたとしても、ナボコフが娘ほどの女の子に性的に興奮する男の話を書いていたとしても、関係なかった。そのとき世界で唯一発情しているのは僕で、一番穢れているは僕だった。
その映画サークルに入ったのは、ある貼り紙がきっかけだった。
校内には、様々なサークルの貼り紙が貼られていた。春だ。校内では、至る所で新入生の勧誘が行われていた。どのサークルの貼り紙も、似たようなものだった。
『夏はテニス、冬はスキーを楽しみましょう!』
『アットホームなサークルです!』
『他校との合同飲み会あり!』
結果何も言っていないこのような貼り紙か、あとは何かを言い過ぎている貼り紙だった。
『授業料値上げ絶対反対!』
『革命はまだ終わっていない!』
『今こそ怒れ! 日本男児!』
そんな中、僕が入ったサークル、「キネマクラブ」の貼り紙には、ジャック・ニコルソンの白黒の写真に、気翼館3階という所在地しか書いていなかった。ジャックは水兵の帽子をかぶり、葉巻を持っていて、とても若かった。「さらば冬のかもめ」のときのジャックだと、すぐに分かった。須玖が好きな映画だったからだ。
「ランディ・クエイドが手旗信号で別れを告げるシーンがええねん。最高に悲しくて、最高に笑えるねん」
本当は、それだけで十分だった。
1年間放蕩(ほうとう)を繰り返した結果。僕は須玖的なものに飢えていた。馬鹿になるのにも、才能が必要なのだ。散々ただれたことをしてきた僕でも、時折襲ってくる鉛のような羞恥心には抗(あらが)えなかった。「大学生なんてこんなものだ」と思うとしても、それ以上に自分を責めることを止められなかった。
僕はまた、須玖のような人と会いたかった。映画の話や音楽の話や小説の話を、女の子をひっかけるという目的無しで、純粋に話したかった。そのとき僕は、一人暮らしを始めてから、初めて泣きそうになった。須玖の不在が悲しかった。須玖が恋しかった。それなのに僕は須玖に未だ連絡をせず、須玖から逃げ続けているのだった。
須玖がどうしているのかは、僕には分からなかった。でも、おそらく彼は、まだあの海の中にいるのだろうと思った。深い深い海の底に。
それから僕は、「キネマトクラブ」の貼り紙を、至る所で見た。
貼り紙はすべて素っ気なかった。情報は希翼館3階、それだけ。一緒に載っている写真だけが変わっていた。「こわれゆく女」のジーナ・ローランズ、「女は女である」のアンナ・カリーナ、「パリ、テキサス」のハリー・ディン・スタントン、映画の説明は書いていなかったのに、それが分かる自分が誇らしかった。
最低限の情報しかない、閉鎖的なサークルだと踏んでいたが、貼り紙の映画をすべて分かっているのであれば、僕も入っていいのではないかと思った。何より、貼り紙の映画がごとく、須玖と、ときには夏枝おばさんが好きなものだったが、僕の心を動かした。
僕は勇気を出して、サークルの所在地へ向かった。
希翼館というのは、学内にあるサークルの部室のための建物だった。マンモス校だったので、そのような建物はいくつかあったが、その中でも希翼館は小さく、汚かった。入るだけでも勇気がいるような佇(たたず)まいで、そのうえ中にあるサークルは、正直関わりたくないような名ばかりだった。『女性問題研究会』『宇宙サークル・コスモ』『オーパーツ研究会』『鉄道サークル轍(わだち)』などなど。
正直「キネマトクラブ」の扉の前に着いても、僕は迷っていた。
もの凄くヤバい奴がいたらどうしよう。2年になってからわざわざサークルに入ることを馬鹿にされたらどうしよう。でも僕は結局、扉を開けることになった。
中から、ニーナ・シモンが流れて来たからだ(それがカーティス・メイフィールドだったら、僕は勃起した性器を隠しながら、早々に退散していただろう)。
あの、ニーナ・シモンだ。
「Feeling Good」、ではなかった。だが、ニーナの低くて乾いた声は、須玖との時間を思い出させるのに十分だった。
新しい世界が始まる、最高の気分よ。
僕は弾かれたように、扉を開けた。
結局僕は、このサークルにどっぷり浸かることになった。
大学に来ても、授業にはほとんど出ず、大抵この部室で過ごした。部室は8畳ほどの部室だった。真ん中に会議室のようなテーブルが置かれ、壁じゅうに映画のポスターが貼られていた。須玖と夏枝おばさんのおかげで、相当の映画を知っていると自負していた僕でも、知らない映画がたくさんあったし、部員たちは皆、驚くほど映画に詳しかった。僕は彼らに石井聰亙を、ヴィターリー・カネフスキーを、神代辰巳に教わった。
僕が当時一番好きだった映画監督はスパイク・リーだったし、もちろんクエンティン・タランティーノだった。知識が豊富な皆の前で、こんなポピュラーな映画監督の名を挙げるのは恥ずかしかったが、誰も僕の事を馬鹿にしなかったし、それどころか、
「ああ、いいよね! 僕がタランティーノで好きなのは‥‥」
とことんまで、話に付き合ってくれるのだった。
このサークルが好きだったのは、もうひとつ理由があった。東京に来てから、女の子(特にひっかけた女の子)によく言われる言葉が、
「歩君って面白いね」
だった。しかも、
「やっぱり関西人だから?」
の、おまけつきだった。彼女たちはどうやら、僕が関西弁で話すだけで面白いと思ってくれているようだった。例えば、「今日暑いから、学校までビール飲みながら行っちゃったよ」と言われれば、自然出てしまう、「おっさんやん」という言葉それだけで、女の子は手を叩いて笑った。
最初は、そんな簡単なものか、と思った。僕は恥ずかしげもなく関西弁を武器にして、女の子をナンパしまくった。でもそれも、やがて恥ずかしくなってきた。
第一僕は、全然面白くなんかなかった。
僕の中で面白いのは溝口だったし、オーツだったし、誰よりも須玖だった。僕はいつも、皆が言うことを聞いて笑っているだけで、僕発信の笑いなんて、ひとつもなかった。関西弁であるというだけで面白い人と思われる状況に、僕は危機感を覚えていた。
その点、サークルの皆は、僕が関西人であることなど、まったく頓着していないようだった。僕に面白い事を求めなかったし、僕の「なんでやねん」にも、「そうだよね」という、まっとうな相槌を返してくれた。
きっと彼らは、映画でさんざん方言と接して来たのだった。中には、映画を心から理解したくて、南部なまりの英語や聖書の引用などを調べている奴らもいた。つまりみんな、オタクだった。
高校にも、オタクはいた。
鉄道大好きな阿部がそうだったし、アニメばかり見ている山岸がそうだった。そういう奴らは大抵「ダサイ」と馬鹿にされていた。唯一馬鹿にしないのはもちろん須玖だったし、須玖はごく自然に彼らと交流していた。
「すぐいねん、めちゃくちゃ詳しいねん!」
そう感嘆している須玖が、僕は誇らしかった。
このサークルの皆は、オタクだったが、ダサくなかった。服装にだって構っていなかったし、みんなヒョロヒョロと痩せていたり、すごく太っている奴もいたが、誰もダサくなかった。少なくとも、馬鹿にしていい人種には見えなかった。
それもとても、不思議な感覚だった。
高校生にとって、特に男子高校生にとって、運動神経がない奴は、最低辺だった。須玖がそういう価値観を優しく、そして劇的に覆したのだった。須玖自身誰よりもスポーツマンだったし、それはきっと、稀なことに違いなかった。
でも今サークルのみんなは、明らかに恰好いいのだった。
知識が人を輝かせることを、須玖以来の実感を持って、僕は知る事になった。
サークルの中には、映画だけでなく、音楽や小説、絵画などに関しても、異常に造詣が深い奴がいた。音楽が好きな連中は、やがてバンドを組むようになったが、その文化的な佇まいは、男である僕でもさえ痺れさせた。
僕は僕で、拙いDJ技術を披露し、皆の仲間に入る事が出来た。ある人は僕の家にレコードを見に来たし、ある人はスクラッチのやり方を教えてくれた。
ラップを作る人間もいたし、絵を描く奴もいた。サークルを中心として、僕の周りには何かクリエイティブなことをしている奴ばかり集まった。
そんな中で、僕は、人生で初めて、小説を書く奴に出会った。
僕の中で小説は、間違いなく「読む物」だった。映画だって音楽だってそうだったが、音楽に関しては、DJをする、バンドを組むという行為が身近にあったし、映画に関しては、8ミリフィルムを使って映画を作っている先輩がサークルにいた。
でも小説を書く奴は見た事もなかった。
僕が驚いたのは、そういえば小説は、紙と鉛筆があれば書けるということだった。音楽や映画を作る行為に対して、僕が屈託なく接することが出来たのは、楽器が出来たところで、フィルムに触れたところで、実際の音楽や映画を作るのには、途方もない技術と才能を必要とするだろうと思っていたからだった。つまり僕はどこかで、僕を含めた皆、絶対にプロにはなれないと思っていた。
でも小説には、そもそも習得すべき技術が見当たらなかった。
ターンテーブルもいらなかったし、ギターのコードを覚えなくても良かった。8ミリフィルムを指紋がつかないように切り貼りしなくても良かったし、俳優たちを思い通りに動かす必要もなかった。
僕が読む小説の中には、難しくて分からない言葉ももちろんあったが、大抵大学2年生の僕が理解できる。つまり見知った言葉だった。その言葉をつなぎ合わせて、小説が出来ているのだった。
小説は書こうと思えば、たった今からでも書けるのだ。
僕は衝撃を受けた。その用意された感じ、間口の広さにおののいた。そしてだからこそ、今まで書こうなんて思ってもみなかったし、書いている奴を見たこともなかったのだろうと思った。小説を書こうという行為は、あまりに身近にあり過ぎたのだ。誰にも気づかれずやってのけられるという点では、小説の右に出るものはなかった。だがまさか、自分がその行為に触れるなんて、思いもしなかった。
小説があるという事は、間違いなく、「書く人」がいるのだ、その「書く人」は、「警察官」みたいなもので、僕にとってはまったく関係のない人だったし、そういう人たちは生まれながらにその「 」の中にいるものだと思っていた。でも、もちろん違う。生まれながらの警察官がいないように、生まれながら書く人もいない。いつも誰かが、書く人になるのだ。音楽を奏でる人や、絵を画く人と同じように。
小説を書くことに関して、こんなに言葉を尽くすことを、皆は訝るだろう。
「何で、急に?」
申し訳ない。
でも、僕が後ろ手を染めることになる文章を書くという行為に、僕が初めて触れた瞬間を、きちんと書いておきたいのだ。小説は、僕にも書けるものだと知った瞬間を。
感銘を受けながらも、当時の僕はもちろん、書くことなどなかった。ただ、書いている奴がいるということに驚いていたというだけだった。
そいつは「キネマトクラブ」にいる同級生だったが、同時に文芸部にも所属していた。若田(わかた)といった。
僕は、大学に文芸部があること自体知らなかった。でも若田は文芸部に真っ先に入部し、怒涛の勢いで小説を書きつづけていた。そもそも、この大学に入学したのも、文芸部の客員教授が自分の好きな作家だったからだった。教授で大学を選ぶ奴がいることにも、もちろん僕は驚いた。
どれくらい書いているのか僕が訊くと、若田は、
「大学入ってからは17偏くらいかな」
そう言った。
「その前から書いていたってこと?」
「うん、俺、小学3年から書いていたよ」
僕は、絶句した。作文じゃなく、誰に強制されたわけでもなく、小学生のときから小説を書いているなんて。
勝てない。そのときそう思った自分が不思議だったが、でもその感情は真実だった。
勝てない。
小学3年生の時に好きなものに出会い、それを二十歳過ぎても(若田は一浪していたので、僕よりひとつ上だった)好きで続けていられるなんて。
しかし僕は、そんな連中をそれからたくさん見る事になった。大学は、東京は、とても広かった。僕は、誰もプロになんてなれないという思いを、覆さざるを得なかった。
こいつらは、もしかしたらプロになれるかもしれない。
プロがどんなものか分からなかったが、もしプロになれる人間がいるならこういう人間だろう。若田のような人間だろう。僕は思った。
35
お気づきの方もいるだろうか。
僕がサークルの皆ことを、「奴」とか「連中」などとしか書かないことを。
僕が入ったサークル「キネマトクラブ」は、実質男ばかりのサークルだった。もちろん、女人禁制なんて決まり事があったわけではない。でも、あまりにも情報が少なすぎるチラシのせいか、希翼館の胡散(うさん)臭さのせいか、女の子がほとんど寄り付かなかったのだ。
一応、女子部員は3人いた。
4年生に一人、3年生に二人だ。4年の水木さんは、同じく4年の高崎さんという副部長の彼女だったし、3年生の二人は、ほとんど幽霊部員で、たまにしか部室に来なかった。つまり僕たちに、部内の恋愛チャンスはほとんどなかった。
でも、散々(下半身の方で)遊び呆けてきた僕にとって、この環境は心地よかった。男だけの空間は、僕を心安らかにしてくれた。
僕たちは、あからさまな下ネタの代わりにフランス映画のセックス描写を笑い。暑苦しく肩を叩き合う代わりにアメリカン・ニュー・シネマの男たちの友情について語った。学内に貼るチラシも、「兵隊やくざ」や「人情紙風船」のワンシーン、「ディア・ハンター」の狂った後のクリストファー・ウォーケンなど、どう考えても女の子が好みそうにないものをあえて作って、ゴダールやトリュフォーのチラシ(女の子が好きそうなものだ)と張り替えた。
僕は純粋な男同士の喜びに没頭するたび、日々自分の身体が浄化されていくような気がした。まるで、毎日教会やお寺にお祈りに行っているようなものだった。
もちろん、部員たちが皆、恋愛をしていなかったわけではなかった(僕だってやっと、きちんと恋愛していた。それは後述する)。オタクっぽい連中でも、恋人はいる奴はきちんとデートしていたし、(大抵映画館だ)、中にはほとんど同棲している奴もいた。ディズニーランドに行く奴はクズだ、という謎の不文律だけはあったが、皆、オタクなりの恋愛を楽しんでいるようだった(それは高校では考えられないことだった。オタクが恋愛するなんて!)
ただ、それを部室に持ち込まないというのが、暗黙の了解になっていた(高崎さんと水木さんは、長年連れ添った夫婦のような雰囲気があって、つまり性的なにおいがしないので、許されていた)。
もちろん部員の中には恋愛を楽しむどころか、まっさらの童貞もたくさんいた。彼らは諦めていなかった。おそらく高校のときまで、恋愛的な辛酸を舐めて来たのだろう彼らも、大学という奇跡にかけていた。つまり、オタク的な人間にスポットライトが当たり、あまつさえその知識が恰好いいとされる瞬間を、切実に待っていたのだ。
大学には、高校生のときと変わらない体育会野郎がいた。アメリカ映画の表現を借りれば「ジョックス」という連中だ。彼らは相変わらずモテていたが、そんな男たちに群がるのは、やはりアメリカ映画の表現を借りれば「チアガール」的な女の子たちだった。つまり、そんな女には、オタクは見向きもしなかった。(表面上は)。
オタクたちは、只々、自分たちの趣味を認めてくれる、あわよくば尊敬してくれる優しい女の子を捜していた。そしてそういう女の子たちは、高校生のときより多く存在していた。
童貞であろうと太っていようが、わが愛すべきオタクたちは、希望を全く失っていなかった。たくさんの、本当にたくさんの恋愛パターンを映画から学んで、ちょっとワクワクしてすらいた。さしてそのワクワクワをお互いの瞳の中に見出しても、誰もそれをからかわなかった。それどころか、深い共感をもって優しく頷くのだった。
でも、そんなサークルの平和が、ある女の子の登場で崩れた。
夏の暑い日、部室の扉をノックする音がした。
部室の扉など、誰もノックしなかった。するとしたら入部希望者だけだ。それまでにも、何人か入部希望者はやって来ていた。30人ほど来た中、残ったのは、小杉という法学部の生徒(彼は異常なSF映画マニアだった)と、六田という社会学部の生徒だった(彼は映画にはそんなに明るくなかったが、つげ義春に関しては、誰にも負けない知識を持っていた)。他にも5人くらいは一応入部した学生がいたが、大抵幽霊部員だった。皆最初は、「キネマトクラブ」の文化的な雰囲気を気に入るが、いつしかあまりの色気なさから逃れるため、結局イベントサークルや合コンサークルに鞍替えしてしまうのだった。
何人か、女の子も来ていた。本当に映画が好き子、怖いもの見たさでやって来た子、様々だった。でも、どの子も大概続かなかった。
「みんな、今橋君が目当てなんだよ」
そんな風に言う奴もいたが、結局、僕たち部員が女の子に優しく接することが出来なかったことが原因だった。
まず女の子が来ること、誰が話しかけるかで、目配せが始まった。率先して話しかけたり、積極的に受け答えすると、どこかで「あいつ媚びてやがる」の無言の圧力があった。つまり僕らは、硬派を気取っていた。これから始まる恋愛に、あれだけワクワクワすることには寛容だったのに、いざそれを行動に移そうとすると、現実のあまりの濃厚さに、皆尻込みしてしまうのだった。
女の子の中には、それでも頑張って部室に通う子もいた。でも、夏が来る前に、大抵ギブアップした。だから僕たちはまた、男だけの天国を謳歌していた(心のどこかでは、皆残念に思っていたに違いない)。
そんな中、鴻上(こうがみ)なずながやって来たのだ。
あの日、ノックをした扉をゆっくり開けた鴻上は、麦わら帽子を被っていた。それで日除けになるのか、と思うような小さな帽子で、のちに僕らはそれを「デレク・ジャーマン・タイプ」と呼んだ。鴻上は室内にいても、デレク・ジャーマン・タイプを脱がなかった。
「あの、入部はまだ、大丈夫ですか‥‥?」
鴻上は、小さな声でそう言って、首を傾げた(のちに聞いたところによると、その仕草だけで何人かもう、鴻上に恋していたということだった)。
鴻上は、渡された入部希望者へのアンケートを、熱心に書いた。好きな映画は? 好きな映画俳優派?どうしてこのサークルに入りたいのか? どれも簡単なものだったが、鴻上は驚くほど時間を掛けていた(チラリと見ると、好きな俳優のところに、「イザベル・アジャーニ」と書いていた)。
鴻上は、くるりとカールしたボブで、おそらく古着だろう、細かいビーズの刺繡が施された、白いコットンワンピースを着ていた。その恰好に似つかわしくない大きな大きなトートバッグを持ち、足元はコンバースのポロポロのスニーカーだった。それでも。自分の足より、だいぶ大きな男用の靴を履いていた。
鴻上がいるだけで、男子部員は落ち着かなかった。皆、会話もしなかった。またあの目配せと緊張の時間が始まったのだ。いたたまれなくなった僕は、古いコンポに音楽をかけた。
「あ」
その音楽を聞いて、鴻上は顔を上げた。
「大好き」
もちろんそれは、僕がかけたセルジオ・メンデスに対して言った事だった。でも、大好き、というまっさらなその言葉に、そしてその後の鴻上の笑顔に、その場に居た皆が射抜かれてしまった。
そのとき、僕には恋人がいた。
アルバイト先のCDショップで知り合った、1歳年上の女の子だ、昌(あきら)という、男の子みたいな名前で、髪の毛をひっつめて縛っていた。昌は化粧もしていないのに、すごく美人だった。音楽に詳しかったし、かといってその知識を誇るようなこともなく、つまり僕は彼女の事をとても気に入っていた。放蕩の揚句、きちんとしたステディを持って、僕はふたりだけの関係がこんなにもキラキラしたものかと、改めて驚かされた。僕たちはカーティス・メイフィールドをかけることなく静かにセックスすることが出来た。時には彼女が泊まって行ったし、時には僕が都立大学駅に近い彼女の家に泊まりに行った。
僕は満たされていた。とても。
そんな僕でも、鴻上の「大好き」には、そしてその笑顔には、ドキリとさせられた。ひねくれ者で百戦錬磨(セックスにおいては)の僕ですらそうなのだから、いわんや童貞をや、だ。
鴻上はそれから、毎日のように部室にやって来るようになった。
鴻上はいつも個性的な恰好をしていた。5サイズは大きいTシャツをワンピースにして着ていたり、着物柄のスカートを穿いていたり、当時は珍しかったゴスっぽい恰好をしたり。そして必ずあのデレク・ジャーマン・タイプを頭に載せて、足元は男物のコンバースだった。鴻上はだから、遠くから見てもすぐに分かった。
鴻上が毎度、丁寧なノックをして扉を開け、にっこり笑って空いている椅子に座った。それだけだった。
最初の頃は、慣例通り、誰も鴻上に話しかけなかった。鴻上のような女の子に夢中になっていることを、悟られたくなかったのだし、言葉を交わそうものなら、その夢中がたちまちにして知れ渡ってしまう。
だが鴻上は、自分が奇妙な無視の対象にあることを、まったく気にしていなかった。それどころか、どこか気持ちよさそうに見えた。鼻歌さえ歌いそうな涼しげな顔で、ただ何もしていないのだった。
最初に話しかけたのは誰だっただろうか。いつの間にか鴻上はれっきとした部員になっていた。飲み会に参加し、ときに自分が好きな音楽のCDを持って来てかけ、秋になる頃には授業をさぼって部室でダラダラするという、僕たちの伝統を守るようになっていた。
それだけなら良かった。我がむさくるしい「キネマトクラブ」に、やっと女の子が入った。華が加わったという、ただそれだけの健やかな結果であれば良かった。いや、もう、遠回しに書くのはやめよう。
鴻上は、股のゆるい女の子だった。
アメリカ映画の表現を借りるなら「ビッチ」だ。
酒が入ると、なんとなくいやらしくなるなど、飲み会を通して思つてはいた。例えばカーディガンを脱ぐ動作ひとつ取っても、ため息をつきながらゆっくり肩から落とし、暑いからカーディガンを脱ぐこと以上の何かを示唆しているように見えた。
鴻上は酔うと、目の周りが赤くなった。泣き腫らしたような目で、でも口角を上げていつも笑っているので、なんだか頼りなかった。実際飲み過ぎるとすぐに眠ってしまい、誰かが鴻上に肩を貸してやらないと動けなかった。
鴻上は、大学から二駅離れた駅で一人暮らしをしていた。
飲み会の後は、大抵誰かが鴻上を家まで送ってやった。送って行った部員と鴻上が関係を持っていると僕が知ったときは、もう鴻上は、ほとんど全員とヤッていた。アメリカ映画の表現を借りるなら「ファックしていた」のだ。
鴻上のことを、「とんだ女だ!」と憤慨していた奴も、次の飲み会では、つぶれた鴻上を率先して家まで送り、結局恩恵に与っていた(枯れた夫婦のようだった高崎さんと水木さんも、鴻上によって別れることになった。風紀が乱れる事をよしとしていなかった高崎さんも、結局鴻上の魔力に抗えなかったのだ)。
鴻上は部に入って1年の間に、14人いた部員のうち、12人ヤッた(そのうち7人は童貞だった)。驚異的な記録だ。
鴻上が部室にやって来ると、皆落ち着かなかった。自分たちが鴻上を共有してしまったことを悔い、でも結局それをやめられないことを恥じた。お互いが、お互いの鏡だった。皆はお互いを避け、お互いを憎んだ。部室は最悪の雰囲気になった。そんな中鴻上は、毎日のように部室を訪れ、好きなCDをかけて、ただニコニコニとしていた。
僕は、鴻上の不遜さが信じられなかった。
自分が原因で部がこのようなことになっているのに、鴻上はまるで自分は何も関係ないというような顔をしているのだ。自主映画を制作している先輩を手伝い(鴻上は3作品で主演を務めていた)、時には、
「今日飲みに行きません?」
自ら部員たちを誘ったりした!
最悪の雰囲気であっても、鴻上のその誘いを断ることのできる人間は、残念ながらいなかった。
特に童貞を鴻上に奪われた連中は、鴻上から逃れられなかった。奴らは、部室以外でも鴻上と会っているようだった。鴻上の家に急に訪れ、誰かと鉢合わせするというようなことも起こっていたらしい。地獄だ。中には鴻上のことで思い悩みすぎて病んでしまう奴もいたし、「兄弟」と顔を合わせるのを避けたいあまり、部室に来なくなった奴もいた。
僕は、鴻上に腹を立てていた。僕の楽園を、たった1年で鴻上が地獄に変えてしまったのだから。
僕だってゆるかった。鴻上が女だからといって「ビッチ」と責めるのは、完全に間違っている。だが、少なくとも場所と相手を選ぶべきだと思っていた。僕も節操がなかったが、鴻上には、節操のなさに加え、身近な人を見付けるという、悪い癖があったのだ。
「今橋さんって、私のこと軽蔑してますよね?」
鴻上にそう言われたとき、僕は思わずむせてしまった。
その日、僕は学食でひとり、昼ご飯を食べていた。それまではパンやおにぎりを買って部室で食べていたのだが、あまりに雰囲気が悪くなった部室にいることが、耐えきれなくなってきたのだ。
麻婆豆腐を口に運んでいると、僕の目の前に鴻上が座った。それだけでも、十分むせていい状況だった。
「今橋さん、ひとりですか」
僕の返事を待たず、鴻上はもう座っていた。袋からサンドイッチを出して、かぶりついた。購買でも人気のある、卵のサンドイッチだ。夏だった。鴻上はポリバケツのように青いポロシャツを、きちんと上までボタンを留めて着て(もちろん、デレク・ジャーマン・タイプは忘れていなかった)、ベージュのチノの膝丈スカートを穿いていた(足元は‥‥もう書くまい)。珍しく優等生っぽい恰好をした鴻上を見ながら、僕は自然に「騙されないぞ」と思っていた。はっきりと、警戒していた。
「サンドイッチなら、部室で食べればいいのに」
幾分、トゲのある言い方だった。暗に、お前とは一緒に食べたくない、と言っているように聞こえたかもしれなかったが、実際そうだった。鴻上と一緒にご飯を食べているところを、誰にも見られたくなかった。鴻上はその頃には、学内でも有名になっていた。だから僕は、部室でも飲み会でも、鴻上を避けていた。
「そう思ったんですけど、今橋さんの姿が見えたんで」
鴻上はそう言って、紙パックの牛乳をすすった。
「今橋さんこそ、いつも部室で食べているのに、珍しくないですか?」
「そうかな」
僕はできる限り、そっけない返事をすることに努めていた。僕はもはや、初日に鴻上の笑顔にドキッとしたことすら恥じていた。だから鴻上を、出来る最大の力で軽蔑していた。そうすることで、自分の身を浄化した(部員の中で、鴻上の毒牙にかかっていないのは、僕と尾上(おのうえ)レイというハーフだけだ。尾上は敬虔(けいけん)なカトリックだった)。
「そうですよ。部室行きたくないんですか?」
鴻上がめげずに話を続けて来ることが煩わしかった。ちらりと周囲を見回すと、何人かと目が合った。
「行き‥‥」
返事をしようとすると、
「私と一緒にいるの、見られたくないんですか?」
鴻上が言った。小さな声だったが、鋭利だった。思わず鴻上を見ると、鴻上は、予想に反して笑っていた。
「今橋さんって、私のこと軽蔑していますよね?」
僕はむせた。もちろん図星だったからだし、いつも無口な鴻上が、臆せずまっすぐ、僕の目を見ていたからだ。
「むせている。図星だからだ」
鴻上はそう言って、声に出して笑った。全然傷ついているようには見えなかった。むしろ、楽しそうですらあった。
僕は、そんな鴻上が怖かった。何を企んでいるのか、全く分からなかった。
「別に、軽蔑なんて‥‥」
僕がそこまで言うと、
「いいんです。無理しないで。分かってるし」
鴻上は、牛乳を飲み干した。
「軽蔑されるのって、楽だから」
そしてやっぱり、にっこりと笑った。
36
皮肉なことに、鴻上は、僕の人生において初めての女友達になった。
男子校で育った僕にとって、女の子はおしなべて性的な対象か、そうでないかだった(表向きは彼女にしたいか、そうでないか、だったが、それだって結局、ほとんど性的な欲望を孕(はら)んでいたのだ)。
大学のキャンパスで、男女入り混じったグループが「いかに友人同士!」という感じで楽しそうに話しているのを見つけると「噓つけ」と思ったし、「友達になりたい」と言って近づいてきた女の子に、やがて告白されると、「やっぱりな」と鼻白んだ。
だから僕にとって鴻上という純粋な女友達は、とても貴重な存在だった。
少なくとも、僕は鴻上に恋愛感情も、性的欲望もまったく抱いていなかった。それはおそらく、目の前で繰り広げられていた鴻上の性的な歴史が、男としての僕を徹底的に萎えさせたからだろう、そして鴻上も、僕がそう思っていることを分かっていたと思う。
「軽蔑されるって、楽だから」
僕と鴻上はその度、僕に話しかけてきた。初めは警戒していた僕も、鴻上のあまりの屈託のなさに、段々心を許すようになった。
無口だと思っていた鴻上は、実によく喋った。映画のこと、音楽の事、そしてほとんどの部員と関係を持ったいきさつまで。
「酔うと、なんかそうなっちゃうんですよね」
鴻上は、あっけないほど正直に、自分の性欲について語るのだった。
「でも、セックスした後は、みんな自分のことをすごく話してくれるから、楽しいんです。小さな頃のこととか。なんていうか、壁がなくなる感じ?」
セックス、とはっきりいう女の子にも、僕は初めて出会った。
「壁がなくなった奴が、多すぎるんとちがう?」
僕が嫌味を言っても、
「私、50人くらいの過去と悩みを知っていますよ!」
そう悪びれずに言う。そして僕が心底呆れると、鴻上はにっこりと笑う。
「私、神社みたいでしょ?」
だから僕は結局呆れるのをやめ、噴き出してしまうのだった。
僕は自分が鴻上と話すと、妙に落ち着くことに気づいた。
男同士で話す芸術談義は楽しかったが、どこかで虚勢を張らなければいけないような気持ちにもなった。時に知識の披露合戦みたいなこともあったし、自分の無知を馬鹿にされるのではないかと怖れる事もあった。何より僕は、1年生のときの性的放蕩のことを、誰にも言っていなかった。そんなことを言ったら、皆に軽蔑されると思ったからだ。だから、鴻上が暴走を始めたとき、僕は実は、皆の反応にびくびくしていた。
「最低な奴だ」
「穢(けが)れてる」
皆の言うことは、概(おおむ)そういうことだった(皆鴻上と関係を持ったにもかかわらず、だ!)。まるで魔女狩りだった。僕はその言葉に怯えた。絶対にあのことは言うまい、と心に決めながら、男と女は違うという言い訳に逃げていた。
僕は男で、鴻上は女だ(つまり僕は、魔女じゃない)。
そして鴻上を誰より軽蔑した。憎んだ。僕の楽園をぶち壊した悪魔として。そうすることで精神の安定を保っていないと、やっていられなかったのだ。
でも、鴻上と仲良くなってから、僕はなんともあっさりと、そのことを話してしまった。
「俺も1年のとき、よく遊んだわ」
「セックスしまくったってことですか?」
鴻上にかかると、なんでもこうなのだった。なんていうか、身も蓋もなかった。でも、その身も蓋もなさが、僕にとって心地よいものだと、いつしか気づいてしまった。
「だって、声かけたらほいほいついてくるから」
「男でそれって、なかなかないですよ。今橋さんはミバがいいからなぁ。私、胸も小さいし、恰好もこんなだし、最初持ち込むまで結構かかるんですよね」
「どうするん?」
「とにかくたくさん飲ませてしなだれかかるんです」
「直接的すぎるやろ!」
そういえば鴻上は、僕が鴻上を軽蔑していたことを認めても、「知ってた!」と笑っているだけだった。
「だから今橋さんとは普通に話せるんです」
鴻上と一緒にいると、鴻上を知っている奴は必ず、胡散(うさん)臭い目で僕らを見た。きっと「ヤッてる」と思われているんだろうなと思った。特に、部内で仲良くするのは憚られた。
鴻上と関係を持った奴は、大きく二派に分かれていた。
鴻上のことを信用する奴か、鴻上を忌む奴か。
二派とも、もう鴻上とは関係を持っていなかった(何人かは、たまにあってみたいだが)。それなのに両者の間には、驚くほどの断絶があった。
前者は、鴻上を女神のごとく扱った。鴻上は確かに優しかったし、簡単に体を開いてくれる女の子は、少なくとも二十歳前後の男たちにとっては、天使のような存在なのだ。
僕にとっての問題は、後者だった。
彼らは鴻上と関係を持ったにもかかわらず、いや、恐らく持ったからこそ尚、鴻上を憎んだ。鴻上を憎むことでしか、自分を正当化出来なかったのだと思う。
「ほら、キャバクラとか風俗行ってんのに、なんでこんなとこで働いてるんだって女の子に説教するおじさんいるでしょ? そんな感じですよ」
鴻上の言うことは当たっていると、僕も思った。
僕がもし鴻上と関係を持っていたら、僕も同じように鴻上を憎んだと思う。自分を堕落させた悪魔として。その証拠に、僕はかつて関係を持った女の子とは、二度と会いたくなかった。
その女の子たちは、悪くなかった。自分が嫌いになることが怖かったのだ。
僕には。経験した女の子たちを思い出して、自分の性的技術を誇るような余裕も精神力もなかった。いわゆる「○○人斬りしてやったぜ」などとのたまう人間を、僕は軽蔑していた。
僕は只々、自分のしたことが恥ずかしかった。大きなキャンパスだったし、細心の注意を払ってやっていた事だから、滅多にあることではなかったが、偶然女の子のひとりを見かけると。僕は逃げた。悪い時には「まだいやがる」とさえ思った。つまり僕は、最低だった。でも、そんな最低な気持ちも、鴻上には言うことが出来た。
「俺、昔関係あった子と絶対会いたくないわ」
「え、私全然平気です」
そしてそんな鴻上を、後者の連中が憎む気持ちも、分かるのだった。
僕は部室に行かなくなった。
今や僕は、部室よりも鴻上といる方が心地よかった。鴻上は映画や音楽についても詳しかった。ただ単に、文系のオタクたちをこましてやろうとして「キネマトクラブ」に入ったわけじゃなかったのだ。僕と鴻上は、映画についても、セックスについても、いつまでも話すことが出来た。
ふたりで飲みに行っても、鴻上がゆっくりカーディガンを脱ぐなんていうことはなかったし、僕もそんな気持ちはさらさらなれなかった。僕たちは、純然たる友人同士だった。それは僕にとって新鮮で、そして誇らしいことだった。
でも、そんなふたりの関係を、昌にだけはどうして言えなかった。
そもそも昌には、鴻上という人間の存在すら伝えていなかった。
昌の中では、僕は男ばかりの映画サークルに入り、いつまでも映画について議論している男、ということになっていた。鴻上が入部してきたことも言わなかったし、もちろん鴻上が部内の人間とヤリまくっていることも言っていなかった。そんな話を、昌としたくなかったのだ。
「彼女さん、元気ですか?」
鴻上は飲むと、必ずそう訊いた。おそらく、鴻上なりの「私と飲んでいて大丈夫ですか」だったのだと思う。僕たちがそういう関係になるということはなかったが、鴻上なりに僕の恋人に気を使っていたのだ。
「大丈夫」
僕はいつも、それだけ言った。昌には、噓をつく必要はなかった。つまり昌は、毎日電話してきて、「今日はどうしてたか」と訊くような女じゃなかった。だから僕は、鴻上と飲んでいたことを報告せずに済んだし、たまに、「今日はどうだった?」と昌が訊くことがあっても、「サークルの奴と飲んでた」と言うと、昌は「そう」と納得し、そこで話は終わりにしてくれた。
昌は、本当にいい女だった。美人で、スタイルが良くて。知識が豊富で、そんな完璧な女の子が僕の恋人でいることを、僕はたびたび感謝した。そして、完璧な恋人だからこそ、僕は昌によく思われたかった。下半身面で暴れ回っていた過去を知られたくなかったし、鴻上と下ネタで笑っていられることを知られたくなかった。知的でお洒落で硬派な、年下の恋人でありたかった。
「そうやって恰好つけてて、しんどくないですか?」
僕と鴻上は、渋谷の焼き鳥屋で飲んでいた。僕も鴻上も、飲みだすと食べなくなるので、鶏皮ポン酢と枝豆に、ちょこちょこ手に付けているだけだった。
「恰好つけて、て‥‥。でも、やっぱりええとこ見せたいんやん?」
「えー、でも限界ないんですか? そもそも今橋さんと彼女さんって、ふたりでいるときって、どんな話をするんですか?」
「音楽の事とか、映画のこととか。あとは、彼女が就職活動せなあかんから、進路の事とか」
「ああ、彼女さん、一個上でしたっけ? どっか行きたいとこあるんですか?」
「出版社とか、レコード会社とか狙ってるみたいやけど」
昌はいつもジーンズとか、カーゴパンツとか、男っぽい恰好ばかりしていた。だから、スーツ姿は眩しかった。僕は何度もお願いして、昌にスーツを着てくれるように頼んだ。昌は笑いながらも、僕の言うとおりにしてくれた。性交のときも、僕が何度もストッキングを破るので、そのたび昌は新しいものを買わないといけなかった。
「彼女さん綺麗だし、すぐに決まりそうですよね」
「どうやろうなぁ」
時代は未曾有の不景気で、就職先などなかなか決まるものではなかった。昌はマスコミに絞って何社も受けていたが、さすがに美人だからというだけでは決まらないようだった。
「また駄目だったよ」
僕と会うたび、昌はそんな風に言って笑っていた。だが、日を追うごとに、昌の表情に疲れが現れていることが、僕には分かった。僕にはどうする事も出来なかった。大丈夫だよ。と安易に言うのは違うと思ったし、かといって何か他の有益なことをアドバイスできる立場でもなかった。だから僕はいつも、「そっか」と神妙に呟いて、黙っているだけだった。
僕はというと、来年始まる就職活動に関して、実は何の危機感も覚えていなかった。昌には散々、3年の終わりから活動するのは遅い、早くからやっていたほうがいいと言われていたが、3年生の夏になっても、僕はまったく、何も考えていなかった。
僕はアルバイト先のCDショップをやめ、レコードと本を売っている小さな店に移っていた。本当の音楽好きや本好きが来るマニアックな店で、つまりお洒落で、僕はそこで働いている自分に、とても満足していた。オーナーは唐島(からしま)さんという30歳くらいの男の人だった。レコードや洋書の買い付けで飛び回っている唐島さんは僕の憧れで、僕もどこかで唐島さんのようになりたいなと、ぼんやり思っていた。
「そういえば、鴻上って、将来やりたいこととかあるん?」
鴻上は、鶏皮をつついていた。3杯目のビールは、すでになくなりかけていた。
「いやー、特にないんですね。なんかずっとこんな感じで生きていけたら、て思っていますけど、まあ、無理でしょうね」
鴻上は水みたいな奴だなぁと、前から思っていた。求められている通りに形を変え、透明だった。ビッチであることには間違いなかったが、そういった理由で僕は時々、鴻上を天使みたいに思ってしまうことがあった。
「私、昔誘拐されたことがあるんです」
「えー?」
鴻上は、とんでもない告白をしておいて、
「すいません、ビールくださぁい」
とても吞気だった。
「誘拐?」
「そう、あ、でも、ほんの数時間ですけどね。2歳のときとかだし」
「誰に? ニュースとかなったん?」
「なってないです。地元のことで」
残り僅かなビールを意地汚く飲んで、鴻上は新しいビールを待っていた。まるで今からする話より、ビールの方が大事、といった感じだった。
「私はこう見えて、小さい頃はめっちゃ可愛かったんですよ。信じられないでしょ?」
「うん、まあ、せやな」
「肯定しないんですね。いや本当に、可愛かったんですって。で、両親から溺愛されて。姉もいたんですけど、9歳上だったし、両親は本当に私を可愛がって。姉にはだから、よく苛められたんですよね。耳を摘ままれたり、叩かれたり、そのたびに母が姉を怒って、余計私を可愛がる、ていう」
「誘拐の話は?」
「ああ、それで、私たちは学生街に住んでて、近所に学生用の寮とかアパートとか結構あって。そん中の学生の一人にね、ある日誘拐されたんです」
「どうやって?」
「リビングに寝かされてて、母がどこにいたんだろう、なんかひとりで。その学生は、庭から入って来たみたいです。私を抱えて、それで連れ去ったんです」
「男?」
「はい、結構有名な大学の学生で。近所でもけっこう好青年だって評判で」
「うわ、ありがちやなぁ」
「その学生のアパートに連れて行かれたんですけど、泣くでしょう。凄く。その間には母が家でパニックになってて、すぐ警察に通報して。私の泣き声ですぐに近所の人がおかしいって。学生のアパートだから。それで2時間くらいで、家に帰れたんですけどね」
「その男、どないなったん?」
「なんか、実家がすごいお金持ちみたいで、示談、ていうんですかね、もちろん引っ越しましたけど、公にはしなかったみたいです。とにかく私が可愛かったから、て」
身も蓋もない鴻上だったが、「何かされたのか」とは、訊けなかった。それと同時に鴻上は2歳だ。憶えていないに違いなかった。なのに、
「男の部屋にいたときのこと、なんか憶えてるんですよね。信じられないと思いますけど」
鴻上はそう言った。
「何された、ていうわけじゃなく、ただただ私を見ているです。私は床に寝かされていたから、見下ろしているはずなんですけど、なんていうか、見上げているような顔をして。有難いものをみている感じ。私はずっと泣いているんですけどね。その泣き声もうるさがらなくて。あやしたりしないし、ただずっと見ているんですよ」
僕はビールをお代わりした。トイレに行きたかったが、鴻上の話を聞きたかった。
「家に戻ってから、両親の溺愛ぶりが、もう、半端なくなって。私、今までの人生で両親からダメって言われたことが一度もないんですよ? やばくないですか? 姉は中学からグレて、私から見ても、申し訳ないくらい私ばかりを贔屓(ひいき)するんですよ、特に母親が。もう、なずちゃん、なずちゃん、て。その時の顔が」
新しいビールをもってきた店員、鴻上は「あ、すいません、私も」と言った。店員は、少しだけ面倒くさそうな顔をした。
「なんか、男の人と似てて」
「似てる?」
「うん、なんていうか、見上げてる顔。もう、あがめている感じなんです」鴻上は、自分のことを話しているのに、まるで知らない誰かの話をしているようだった。
「それが嫌で」
そう言って、鴻上はゲフッとげっぷをした。きっねぇな、と笑うと、鴻上は、ゲフッと、またげっぷをした。
「お姉さんは?」
「え?」
「鴻上のお姉さんは、今どうしてるん?」
鴻上は、新たにやって来たビールを一口飲み、ちょっと顔をしかめた。
「死にました」
もちろん驚いたが、でも、どこかでそんな気もしていた。つまり僕は、酔っていた。
「飛び降りたんです、二十歳のとき」
鴻上の唇が、ビールで濡れていた。居酒屋の汚れた床には、お客が落とした焼き鳥の串が散乱していた。
「今の私と、同じ年」
そのとき、僕の携帯電話が鳴った。昌からだろうと、何故か分かった。僕は電話に出なかった。鴻上も、出ないんですか、とは、言わなかった。ただ、
「もうすぐ姉を越しちゃうな」
小さな声で、呟いた。
37
我が姉、貴子は、父の住むドバイで、安定した生活を送っているようだった。
紆余曲折あったが、姉はもともと、父の事が大好きだったし、父も、母娘の諍(いさか)いがない分には、姉の存在は海外駐在の慰めになった。姉はかいがいしく、父の食事を作ったり、身のまわりの世話をしていたようだった。
僕も、父と連絡を取っていた。当時はLINEやSkypeなんてなかった。もっぱら、安いFAXでのやり取りだった。
『今日のドバイの気温は41℃。日中は外を歩けません』
『今日街で皇太子を見かけました。治安のいい国です』
送って来る内容は、当たり障りのないことだった。そこにはたまに、姉からのひと言も添えられていた。
『みんな香水臭い』
『ふくよかな人がモテてる』
ときには、緻密な絵も描かれていた。モスクやアラブ人、アラビア湾の景色など、姉の絵は、どんどん進化していた。つまり、上手くなっていた。正直捨ててしまいたかったFAXを、結局すべて取っておいたのは、姉のこの絵のせいだった。
僕もふたりに返事を送った。
『今日は休みだったので一日中DVDを観ていました』
『日本もすごく暑いですが、41度には負けます』
やはり当たり障りのないものだ。
もはや父と姉は、僕の人生から遠く隔たった存在だった。ドバイと日本という物理的な距離が、その気持ちを後押ししていた。父は間違いなく僕の父だったし、姉も間違いなく僕の姉だったが、実家を離れ、自分だけの生活を始めていた僕にとって、遠く離れたふたりは、徐々に思い出の人になり下がっていた。
父の記述で多かったのが、姉がモスクの礼拝に行った、というものだった。イスラム教徒でもない姉が、しかも女性である姉がモスク入る事が出来るのかどうか疑問だったが、僕には姉がイスラム教徒の女性がかぶるヘジャブを被って、体をチャドルで覆い、深刻な顔をしてアッラーに祈っているところが、簡単に想像できた。
つまり姉は、なんでも良かったのだった。
サトラコヲモンサマという大きな糧をなくした姉には、何かすがるものが必要だったのだろう。それがキリスト教であろうが、イスラム教であろうが。
姉が祈りの真似事をしていた小学生のときからだったし、特にイスラム教は身近にあった。姉は今、モスクにいる女性の日本人として、たくさんの人たちの視線を浴びているに違いなかった。姉はそこにいるだけで、絶対的なマイノリティになれるのだ。
正直、姉にはこのままずっと遠くにいてほしかった。
圷家は空中分解していた。だが、僕は、今このときが、我々にとって一番心安らかな状態だとも思っていた。
母は、いつのまにか新しい恋人を作っていた。おそらく僕が放蕩を繰り広げていた間に、母も母なりの放蕩に飛び込んでいたのだろう。新しい家にいるのは母だけだったし、母はもはや誰に遠慮することなく、恋人に会うことが出来た。夏枝おばさんや祖母がどう思っているのかは分からなかったが、あのふたりのことだ、ぼんやりした態度で、母の遣ること全てを受け入れるのだろう。母はまた、女として輝きだしたのだ。
それでも母は、母の役目を忘れていなかった。とはいっても、時々僕に電話をかけて来るくらいのことだったが。
母は、ちゃんと食べているのか、勉強はきちんとしているのかなど、いかにも母親っぽいことを訊いてきた。だが「食べていない」とか「勉強していない」などと言うことは、全く想定しいないようだった。
母の電話は何故か、いつも僕が昼寝している時に掛かって来た。
例えばその日、僕が授業をさぼっていた。電話が鳴ったのは、午後2時を回った頃だった。
「もしもし」
僕の2回目の「も」の辺りで、母が、
「大変やってんから!」
そう言った。母はよく、こういう話し方をした。まるで僕が、母の身に何が起こったかを、すべて把握しているかのように、母とずっと会話をしていて、その続きを話しているかのように。
「もう、ほんまに、大変やってんから!」
だから僕はその度、
「何が?」
そう訊かなければならなかった。
「何って、大変やってんから、もう。治夫さん自殺して」
自殺、と聞いて僕の脳裏に浮かんだのは、もちろん鴻上だった。鴻上の姉さんが自ら命を絶ったと聞いたのは、つい最近の事だった。その奇妙な符号に、僕は息をのんだ。
「自殺?」
「そうよ、治夫さん!」
治夫さんが誰だったか思い出すまでに、数秒かかった。そしてそれが好美おばさんの旦那さん、つまり僕の伯父さんに当たる人だと思い出した。母は僕の為に、「治夫おじさん」と言ったりはしなかったのだ」
「自殺? なんで?」
正確には、自殺でなかった。自殺未遂だった。
紅茶や食器の輸入業をやっていた治夫おじさんは、随分羽振りのいい生活を送っていたのだったが、バブルが弾けて数年、会社は衰退の一途を辿っていた。おじさんはそのことを、好美おばさんにも家族にもひた隠していた。だがとうとう命運尽きたと思ったのか、昨晩、睡眠薬を大量に飲んだのだった。
「好美ちゃんが気づいて、すぐに吐き出せたから助かったらしいけど」
この言葉にたどり着くまで、1時間近くかかった。それまで、母は相当な寄り道をしていた。好美おばさんの贅沢な暮らしについて。まなえの容姿について。そして治夫おじさんの偉そうな態度などについて。その中で僕を一番驚かせ、そして同時に納得させたのが、
「義一君がオカマなんやって!」
母が言いたかったのは、正確にはゲイだということだった。だが、その言葉を聞いた僕は咄嗟に、
「文也君も?」
そう訊いていた。僕はもちろん、幼かった僕にあの雑誌を見せ、そして後にわざわざカイロにまで送ってきたふたりを思い出していた。
「文也君? なんでよ?」
「違うんや」
「知らん、とにかく大変やってんから!」
母の話は終わりそうになかった。だから僕は、
「とにかく、助かったんやろ?」
話を終わらそうとした。母はそれから何か言っていたが、最終的に、
「お金を信じてると、いつか痛い目に遭うんよ」
きっぱりと言った。
母がお金を盲信しないで済んでいるのは、毎月きっちりと送金してくれる父の御蔭だ。金に執着することなく、のびのびと暮らせもらえるのは、誰でもない、父ただひとりの御蔭なのだ。母の言い方に、だから僕ははっきりと鼻白んだ。
結局治夫おじさんの借金は、親戚、義一、文也、そして父が手分けして返済することになった。特に義一は、おじさんのことをとてもよく助けた。義一がゲイであることを知ったおじさんは、ほとんど勘当せんばかりに義一を軽蔑していたのだったが、ここにきておじさんは、男らしさの何たるかを、改めて考え直さなければならなくなった。
それにしても、父の忍耐力と懐の深さには、本当に恐れ入る。
厄介な長女を引き受け、別れた妻とその家族を援助し、ほとんど関係なくなった親戚の借金まで共に返済、そして長男を東京の私立大学に行かせるのだから。
海外の駐在員は待遇が良い。家賃はもちろん、その他様々な援助が出るので、駐在員が海外駐在の間にもらった給料は、ほとんど貯金出来るなどとも聞く。
父は50過ぎてから赴任で、重役として赴いていた。だから特に厚遇されていた。父と姉は、ふたりで6LDKの家に住んでいたのだ。しかも、ハイアットリージェンシーの住宅部分に!
とはいえ、父が自分の給料を、僕と母にぶんどられていたことは間違いなかった。それでも文句を言わず、再婚の兆しも見せず、何より父は、驚くほど質素な暮らしをしていた。
例えば父が食べるのは、このようなも物だった。
朝は日本から取り寄せた玄米に味噌汁、自分で漬けた漬物。昼は姉が握った玄米のおにぎりを持参し、夜は出来るだけまっすぐ帰宅して、また玄米、味噌汁、漬物に、何らかの野菜を煮たもの。重役としての父には、パーティーへ顔を出すことや食事会などの仕事があった。だが父はそれをできる限り断り、部下に行かせ、どうしても参加しなければならないときは数十分だけ顔を出して、翌日の食事を断った。
父がどうしてそこまで自分を追い詰めていのかは、後に知る事になる。だがもちろん、そのときの僕に知る由もなかった。分かっていたのは、父がドバイというキラキラした国の、ハイアットリージェンシーの6LDKの豪邸で、出来うる限り質素な暮らしをしていた、ということだけだった。
後年、退職した父はとうとう出家するに至るのだが、静かな山寺で行う修行よりも、ドバイという欲望にまみれた街で、そこから遠のいた暮らしをする方が、何倍も修行になったと言っていた。
姉も、後に宗教的放浪を繰り返すことになる。つまり、サトラコヲモンサマに代わる、何かを探す精神の旅に出るようになる。だが、ドバイにいる間は、瘦せた父の修行に付き添い、たびたびモスクに赴いては、自分には幾分なじみのあるイスラム教に身を捧げるただの変わり者だった。そしてその生活は、姉の精神状態を安定させていた。姉は、ずっと、ドバイにいるべきだった。
だが、駐在員は、駐在員である限り、いずれ必ず帰るのだ。僕たちがカイロから帰って来たように。
僕が4年生になった夏のある日、父からFAXが届いた。
『年内で赴任が終わります』
僕はもちろん、憂鬱だった。あの姉が、帰って来るのだ。
「お姉さん、東京に来るんですか?」
僕はまだ鴻上と飲んでいた。
僕は就職活動をしなかった。よくもあんなに堂々としていられたなと今になって思うが、当時は未曾有の就職氷河期で、フリーターも多くいた。僕のような人間が目立つことはなかったし、母も自分の恋愛にかまけていて、僕の就職のことなど、まったく気にしていなかった。
それに当時の僕は、就職したところで何か良いことが起こるとは、とても思えない状況にあった。その原因は、昌だった。
昌は、数十社受けて、やっと小さな映像プダクションに入社していた。朝から晩まで働かされ、安い給料で、日に日にやつれていた。
「アルバイトのときの方が、儲かったよ」
電話でそう呟く昌を見ていると、無理に就職しようという気持ちも、だから起きなかった。僕はまだ、あの本屋兼レコード屋でアルバイトしていた。店のフリーペーパーのコラムを任せてもらえるようになったし、常連の人に誘われて、来日したアーティストのライブや、渋谷のDJイベントに連れて行ってもらったりした。毎日、楽しかった。単位もほとんど取ってしまったし、就職活動もしていない僕には、だから時間がたくさんあった。昌とは休みの日もあまり会えなくなっていて、いきおい僕は、鴻上と過ごすことが多くなった。
「大阪に実家があるのに、東京に戻るんですか?」
「いや、実家は母が住んでいるし、ほら、仲悪いって話したやろ?」
「はあ。でも、仕事は?」
「姉ちゃんは仕事せんけど、うちの父が、東京勤務を希望したんやって」
定年まであと数年しかない父の願いは、思ったより簡単に叶えられた。父は東京支社で(父の会社は、本社は大阪だった)、ほとんど仕事という仕事をせず、ある程度の地位を貰えることになった。
「多分、姉ちゃんのためやと思う」
姉がまた母と二人で暮らしてうまくいくわけがないと、父も確信していたのだろう。だからといって、生活力のない姉は、26歳になった今でも、一人暮らしが出来なかった。父は姉の為に、東京勤務を希望したのだ。
そして姉も、それを望んだのだと思う。母と離れてよかったのだろうし、何より、サトラコヲモンサマと距離を取るべきだと思ったのだろう。
僕はそのときまだ、矢田のおばちゃんが姉に何を話したのは知らなかった。姉がどうやって、あれだけ盲信していたサトラコヲモンサマを手放すことになったのかを。
サトラコヲモンサマは、風前の灯火だった。
ネドコは売りに出され、だがあの異様な外観のため買い手がつかず、廃墟になっていた。壁には卑猥な落書きがされ、窓ガラスは石で割られた。地元のヤンキーたちのたまり場になり、たびたび警察車両がネドコの前に停まっていた。ネドコの負の遺産になり下がったのだ。
衰退はしていたが、サトラコヲモンサマは完全に消滅してしまったわけではなかった。つまり、信奉者はまだいた。だが、ネドコを失い、例の事件によって肩身が狭くなってた信奉者たちは、もはやどこに集まることをせず、各々で祈るようになった。
元々サトラコヲモンサマは、ご神体がなかった。祭壇に「サトラコヲモンサマ」と書かれた紙が置かれてあるだけだった。つまり自宅でも、すぐに再生可能だった。それすらはばかれる人は、心の中で祈った。ご神体がない分、心の中で「サトラコヲモンサマ」という文字を思い浮かべれば、それがもう、祈りだった。つまり文字が読める人であればだれでも、サトラコヲモンサマに近づくことが出来たのだ。
矢田のおばちゃんは、相変わらずあのアパートに住んでいた。風呂のない、あの二間の小さなアパートに。
負の遺産に関して、糾弾されるべきはおばちゃんのはずだった。おばちゃんを責める人はいなかったし、よしんばいたとしても、近所のおばちゃん達が守った。皮肉なことにおばちゃんは、サトラコヲモンサマ全盛期のときよりも、衰退した後の方が、教祖のような扱いを受けることになったのだ。
おばちゃんの家には、祭壇の代わりに新しい棚が置かれ、雑誌やドライヤーや、その他こまごましたものが積み上げられていた。あれだけ巨大になったサトラコヲモンサマがここで始まったことなど、もはや誰も信じられないほどに、おばちゃんの家はみすぼらしかった。近所の人は、また昔のようにおばちゃんの家を訪れ、悩み事を打ち明けていくようになった。もう誰も、祈らなかった。祈る代わり、時々やって来る野良猫を撫で、勝手にミカンなどを食べて、いつまでもゆったりと過ごしていた。
祖母とおばあちゃんの友情も、すっかり元の姿を取り戻し、ふたりは、お互いの家をたびたび行き来した。おばちゃんは祖母といろんな話をした。その話の合間、合間に、よく姉のことを訊いていたそうだ。おばちゃんは、姉の事だけは、ずっと心配していた。
「お姉さんは、その矢田さん? に、会いたくないんですかね?」
鴻上は、髪を短く切っていた。露わになった耳が、赤くなっていた。
「いや、会いたいと思うよ。めっちゃ好きやったし。でも、なんやろ、やっぱり会うたらあかんと思ってるんと違うかな」
「やっぱり、矢田さんが、お姉さんに何か言ったかがカギですよね」
鴻上は、こうやって姉の話になると、途端に熱心になった。姉の様々なことを聞きたがり、挙句全然嫌な顔をしないので、僕は姉に関して知っているほとんどの事を、鴻上に話していた。
「カギと言うか‥‥。まあ、おばちゃんの言うことは絶対、みたいなところがあったからなぁ。ほんまに尊敬していたから」
「お姉さん、素直なんだろうな。本当に、ちょっとびっくりするくらい」
鴻上はこうやって、姉の事を良く言うことが度々あった。鴻上の死んだお姉さんと、姉を重ねているのではないだろうかと、何度も思ったことがあった。そうではなく、鴻上は単純に姉に興味があるようだった。
「素直って言うより、劇的やねん。何でも。そうせんと気が済まんのと違う? とにかく、ほんまにいろんな人を巻き込むからな。そうしたいんやろうし、ひとりで生きていかれへんし、26やで? やばない?」
僕はもちろん、姉には否定的だった。
鴻上が姉を過大評価していることが、なんとなく怖かった、僕はそのとき、どこかで、いつか鴻上と姉が会うことになるだろうと、思っていたのかもしれなかった。鴻上が姉に会ったときに、がっかりしてほしくなかったのだろう。姉をできるだけ低く見積もり、鴻上に変な期待をさせたくなかった。姉はいつだって、自分を「自分」より大きく見せる人だから。
「家族だったら確かに大変かもしれないけど‥‥、でも、なんだろう。お姉さんはきっと、いろいろ感じやすい人なんだと思います」
鴻上は、もう何杯目のビールを、ぐぐぐと飲み干した。僕はもちろん、その言葉で、須玖のことを思い出していた。
「いろいろ感じやすいところがある人やからな」
震災の後、姉を気遣った須玖。それなのに、誰よりも傷ついていたのは須玖だった。須玖はいつしか、僕の手の届かない人になってしまった。
僕は須玖の話を、まだ鴻上にしていなかった。高校の話になると、サッカーの話や当時付き合っていた彼女の話なんかして、何となく誤魔化していた。僕は須玖ことを捨てたと思っていた。僕の心には、ずっと須玖に関するトゲがあった。須玖のことを思い出すと、僕は苦しかった。そしてそうやって苦しんでいる自分を、恥じた。
「鴻上って、なんか恥ずかしいことあるん?」
鴻上って、天使であり悪魔でもあり、つまりとても天真爛漫に見えた。見たところ女の子の友達はいなそうだったし、何より学部でビッチと言われていることを気にしないなんて、相当のタマだ。
「なんですか、なんか私のこと、恥知らずって思ってるんですか?」
「いや、違うよ。違う違う。鴻上っておおらかやから、なんていうか、ちっさいことで恥ずかしがったりせんやろうなと思って」
「なんだろう、あんまり恥ずかしいことないんですけどね」
鴻上はビールをやめて、安い芋焼酎に突入していた。僕は店員を呼び、280円のビールを追加した。まだ9時を回ったところだった。僕は鴻上がそれ以上言うのを聞かず、トイレに立った。そんな事をしても、鴻上はもちろん怒らなかった。
小便をして、席に戻ると、鴻上はさっきまでと同じ姿勢で座っていた。手に焼酎の入ったグラスを持ち、ぼんやりと頬杖を作っていた。
「でも」
そして、さっきの話の続きを、まるでずっと話していたかのような口調で、話し始めた。
「なんか、ものが増えて行くのとか、恥ずかしいです。私、変な洋服好きだし、面白いT
シャツとかあれば、絶対に買っちゃうんです」
その日鴻上は「AKIRA」の鉄雄が印刷されたTシャツを着て、床まで擦るレモン柄のスカートを穿いていた。
「それが、部屋の中にどんどん増えちゃって。靴も靴箱に収まり切れないくらいあるし、食器とかも、増えて、おかしなもの、面白いものがあると、どうしても欲しくなるんです」
「それが、恥ずかしいん?」
「はい。恥ずかしいです」
鴻上は酔っているのだろうと思った。自分でも言っている事がよく分からないのだろう。と。鴻上は酔うと支離滅裂になったし、突然テーブルに突っ伏して、眠ったりした。
「ものが増えるのが、恥ずかしいし、捨てられないのが、恥ずかしい」
鴻上は、小さなしゃっくりをした。思いがけず可愛い声で、僕は声に出して笑ってしまった。
「鴻上んち、汚そうやもんな」
「はい、汚いです」
「それは恥ずかしいかもな」
「いや、汚いのは恥ずかしくないんです」
鴻上は焼酎をちっと飲んでいなかった。ちらりと鴻上の顔を見ると、目がボンヤリと潤み、唇を噛んだ。
「昨日の夜も、学部の男の子が来たんですけど」
「え?」
「今名前ド忘れしちゃったんですけど、あの、男の子が来て。久しぶりに。それでまあ、ヤッたんですけど」
グラスを持った鴻上の手が濡れていた。グラスについていた水滴だろう。ただの水なのに、妙に生々しくて、僕は目を逸らした。
「部屋が汚いのはいいんです。大丈夫なんです。でも、その子が前来た時より、モノ増えてない? て言ったんです。それが、すごく恥ずかしくて」
いらっしゃいませー、と、店員が言う声が聞こえた。
「モノがどんどん増えて、それが捨てられないのが、すごく恥ずかしくて」
鴻上の声は、わずかに震えていた。泣いているような、苦し気な声だった。
僕はビールを飲み干した。何も言えなかった。
僕は、驚いたのだ。
鴻上が、男が昨日の夜家に来た。と言ったことに、僕ははっきりムカついていたのだった。鴻上がビッチだということは冗談に出来たし、鴻上の家に男が来るという事だって知っていた。なのに、昨日の夜という、具体的な日時が判明した途端、僕は恥ずかしいほどその男にもそして鴻上に、腹を立てたのだった。
僕は動揺した。すごく。
鴻上は、そんな僕の様子には気づかなかった。隣でグラスを持ったまま、やはり、小さい声で、呟いた。
「恥ずかしいです」
38
その年の冬、僕は昌と別れた。
鴻上が原因ではなかった。鴻上と、「昨日の夜の男」に嫉妬したことは確かだったが、僕は踏みとどまった。僕が鴻上と関係し、あまつさえ鴻上のことを好きになるなんて考えられなかった。あってはならなかった。
僕は、鴻上が今までやって来た数々の放蕩を、ひとつひとつ思い起こした。鴻上がどんな風に部内を荒らしたか、鴻上が情事のことをどんな風に言っていたか、鴻上と歩いているとき、皆が僕等を見る視線がどんなだったか。
そして、鴻上のことを十分軽蔑することが出来てからまた、恐る恐る鴻上を飲みに誘った。酔った鴻上の姿を見ても何とも思わなかったし、もし、今日これから男が家に来る、と言われても平気だと思った。よし、僕は心の中でガッツポーズをした。危なかった。
鴻上は、僕にとって大切な友達だった。
僕の話を飽きることなく聞いてくれ、映画や音楽の話が出来、あの姉のことまで共有し合っていた。まるで、須玖のような存在だった。でも、鴻上が女であるというだけで、僕は鴻上を軽蔑しなければならなかった。鴻上を自分より下に見なければ、対等に付き合えなかった。
「今橋さんって、私のこと軽蔑してますよね?」
鴻上が最初に言ったこの一言は、のちの僕らの関係のことを、言い当てていたのだ。
「軽蔑されるのって、楽だから」
鴻上は、初めからずっと、優しかったのだ。
昌と僕は、長らく会っていなかった。
たまに会うことが出来ても、昌は連日の激務で疲れていた。始めの頃は、アルバイトの方が良かったとか、雑務が多すぎるとか愚痴を言っていたが、それも段々言わなくなった。その代わり、
「これはのちのちの私のキャリアになる」とか「何かを発信する側にいることを、誇りに思う」とか、前向きのことばかり言うようになった。
昌は、アルバイト時代からよく働き、社員よりも仕事が出来た。僕は、デキる昌が好きだった。昌も、仕事に誇りを持っているようだったし、そんな昌を僕は好きでいる事を、きちんと分かっていた。
でも、その頃の昌の前向きは、どこか虚勢を張っているように見えた。
久しぶりに会った僕に、職場の誰かの作る映像がどれだけ素晴らしいか、この会社にいることが出来てどれほど幸せなのか、訊いていないのに喋った。僕はもちろん、昌が自分にそう言い聞かせているのだろうと分かっていた。激務に追われ、アルバイト時代よりも安い給料で働いている自分に、やりがいのある仕事だと言い聞かせないと、やっていられないのだろう、と。だから僕も、昌の話にはきちんと付き合っていたつもりだった。
でも内心は、まだ愚痴ってくれていたほうが楽だと思っていた。
昌は弱みを見せるような女ではなかった。だからこそ昌の愚痴は尊かった。弱っている昌を、僕は可愛いと思った。でも昌は、ある時期を境に、まったく愚痴を言わなくなった。言うまい、としている昌の頑なさが、僕らの間の空気を何か尖った、硬質なものに変えてしまった。
別れのきっかけは、僕の一言だった。
昌はその日、いつものように、自分の仕事がどれだけ素晴らしくて、遣り甲斐があるかについて話し続けていた。若干の鬱陶しさはあったものの、久しぶりに会えた美しい恋人に、嫌な思いははさせたくなかった。僕は、うんうんと熱心に、いや、熱心なフリをして、昌の話に耳を傾けていた。
でも、昌が「昨日は朝まで編集作業を手伝った」と言った時、僕は思わずこう言ってしまったのだ。
「あんまり無理せんときな」
その一言で、昌の顔色が変った。
「どういうこと?」
しまった、と思った。何かマズイこと言ったに違いなかった。
「いや、昌の体が心配やし‥‥」
僕はそう言いながら、目を伏せた。テーブルの上には、昌が淹れてくれたコーヒーが置いてあった。昌はどんなに忙しくても、コーヒーを豆から挽くことを止めなかった。
「私の仕事は、ある程度無理しなきゃだめなの」
昌の声は、静かだった。決してヒステリックにならないところ、うるさいことを言わないところは、昌の大きな美点だった。
「うん、まあ、そうやな、それは分かるけど、でも、やっぱり、ちょっと心配やし‥‥」
嘘だった。僕は、軽い相槌のつもり言っただけだった。昌の話は終わりそうになかったし、だから他の話に変える勇気はなかった。うん、うん、と相槌を打っているだけでは、話に興味があるように見えないだろうと考え、ふんわり浮かんだ言葉の中から、一番当たり障りのない言葉を選んだのだった。
実は前日、僕の働いている店に、ある雑誌の編集者が来ていた。店のフリーペーパーを見て、僕のコラムを面白い、と言ってくれたのだ。カルチャー系のその雑誌は、昌も学生時代から好きなものだったから、僕は嬉しくて、携帯でメールを打った。
昌からは、しばらくして、
『良かったね! すごいね!』
という返信が届いたのが、今日、僕が昌の家に来た時から今まで、昌の口からその話が出る事はなかった。
『心配って、そんなこと思ってないでしょ?』
昌の声を聞いていると、昌が最初から僕に何事か言うつもりだったことが分かった。「無理せんときな」は、ちょっとしたきっかけであって、他の何であっても、きっとこうなった。つまり昌は、最初から臨戦態勢だったのだ。
昌は、コーヒーのカップに、手をかけていた。その、骨のような白いカップは、ふたりで出かけた美術館のスーベニアショップで買ったものだった。僕はそのカップを見て、胸が苦しくなった。おそらく、そのとき僕はもう、別れの予感を強く感じていたのだ。
「歩って、いつもそうだよね」
「え?」
女の子が「いつもそうだよね」と言う時は、悪い事に決まっている。放蕩の時期に、僕は嫌ほど経験していた。その言葉に続くのは、きっとこうだ。
「何考えてるか分からない」
「自分の意見がないの?」
「どうしたいのかはっきりしてよ」
その言葉は、はるか昔から、僕は圷家の女ふたりに言われてきたことだった。だから僕は、今まで答えて来たときのように、こう言うしかなかった。
「うーん、まあ」
この態度のせいで、女の子はますますヒートアップすることは分かっていた。でも、僕はそれ以外の言葉を発して、積極的にその雰囲気に介入することを避けてきた。僕はいつでも受け身でいたかった。
「歩は、いつも、頑張ってる人のことを見下している」
でも、昌の口から放たれたのは僕の予想外のことだった。
「え?」
「自分はいつも、努力していないのに選ばれる、そう思ってるでしょ? いつだって、受け身で。それで、努力して努力して、何かを得ようとしている人を、馬鹿にしてる、んじゃないの?」
昌は、さすがに言い過ぎだと思ったのか、語尾を躊躇していた。
「歩が就職活動をしないのは、歩の決めた事だし、オッドのアルバイトで十分楽しいと思ってるのは分かる」
オッドというのは、僕が働いている、例のレコード屋兼本屋だった。
「でも、だからって、頑張って就職活動して、自分の遣りたい事じゃなくても、それでも頑張って社会の一員として頑張って働いている人のことを、馬鹿にするのは、おかしいんじゃないかな?」
昌は、「頑張って」という言葉を、3回も使った。
「でしょう?」
昌の中で、僕は「頑張っている人を馬鹿にする男」になっているようだった。疑問形でも、昌ははっきりと断定で話していた。
「私、8ヶ月働いてみても大変だけど、改めて働くことの大切さに気づいたよ。アルバイトではなく、社員になることで、社会の責任を持つってことの意味を」
昌の口からは、それらからもスラスラと言葉が出てきた。憶えていないのは、腹が立っていたからだし、ショックだったからだ。
受け身である、と責められことはあったが、受け身であることの原因を糾弾されたことはなかったし、自分でもそんな風に思った事などなかった。
僕が受け身でいたのは、ことを荒立てたくなかったからだ。能動的に何かに参加するのではなく、つまり何かの渦中に飛び込むのではなく、しばらく静観して、ことが収まるのを待つのが、そんなに悪いことなのだろうか。
僕はよほど、昌に言い返そうと思った。でも、やはり何も言わなかった。ここで何かいったら、昌と同じレベルになってしまう。
その日、僕は昌と別れたのだった。昌が別れの言葉を発する前に、もう昌のことを嫌いになっていた。あれだけ好きだった。素晴らしい女性だったのに、「同じレベルにいたくない」と思えるほどに。昌は、遠い人だった。
僕らの付き合いは終わった。
僕は昌の家から私物を持って帰り、僕の家にあった昌の僅かな私物を宅配便で送った。大学生にとって2年弱の付き合いは長かったが、別れはあまりにも呆気なかった。
実質フラれたのだから、僕は傷心だった。
部屋の中に昌とは痕跡を探して落ち込み、惰性で携帯を見ては、ため息をついた。
この数ヶ月、昌とはほとんど会っていなかった。メールだけはなんとかやり取りしていたが、もともとも僕も昌も、メールというツール自体を、あまりよしとしていなかった。
昌と離れることは、僕の生活に物理的な影響を及ぼすことはないはずだった。だが、その不在は、思いのほかこたえた。
昌はいい女だった。
オッドのオーナーも、昌のことが好きだった。昌に会った事のある常連の人も、必ずみんな褒めてくれた。僕にとっても昌は、自慢の彼女だった。綺麗で、頭が良くて、僕を信頼してくれていて、何より優しかった。
別れの日、昌のことをはっきりと嫌悪した僕だったのに、時間が経つと、いいところばかりが思い出された。恥ずかしいが、時々泣きそうになることもあった、中学のときも、高校のときも、彼女との別れを経験してきたつもりだったが、僕は生まれて初めて、失恋したような気持ちだった(フラれた、という点においては、実際初めてのことだったのだが)。
そんな矢先、父と姉が帰国してきた。僕的に最悪のタイミングだった。
父は巣鴨に2LDKの家を借り、姉とまた、質素な暮らしを始めている所だった。帰国してから数日後に、僕はふたりに会った。
待ち合わせ場所の喫茶店に現れた父は、すっかり日に焼け、ますます精悍になっていた。瘦せているのは前と変わらなかったが、前のように痛々しい感じではなく、どこか荘厳な雰囲気を湛えていた。つまり、僧侶のような佇まいを、グレードアップさせていた。
「歩、遅れてごめんな」
父の後ろには、姉が立っていた。
僕は会う前から覚悟していた。父に対してではない。姉に対してだ。
父が瘦せているだろうことは想定内だったが、あの姉がどのようなことになっているのかは、まったく見当がつかなかった。ふたりは一時帰国をしなかったし、写真を送って来ることもなかった。
会わない数年の間に、二十代の女性がどれほどの変化を見せるのか、僕には分からなかった。何より相手はあの姉なのだ。どんな珍妙な恰好をしているのか、どのような容貌に成り下がってしまったのか、分かったものではなかった。イスラム教徒の女性のような恰好をしていても驚かないつもりだったし、万が一、イスラム教徒の男性のような恰好をしていても、声に出すまいと、決意していた。
だが、目の前に現れたのは、あの姉だった。
ドバイに発った時の姉が、そのまま現れた。そのあまりの変わらなさに、僕は変ってしまったことよりも強く驚いた。
「変わってへんな!」
思わず、そう声に出してしまった。
「そう ?」
ドバイでもずっと、家でバリカンを使っていたそうだ。
姉は化粧もしていなかった。父と同じように日に焼け、相変わらず男物の、ブカブカした服を着ていたから、一見して両性具有的な雰囲気があった。僕達は新宿の喫茶店で会ったのだったが、店に入ってきた姉を、誰も見なかった。
僕は東京の、こういう所が好きだった。姉のようなおかしな人は掃いて捨てるほどいた。だから、誰も注意を払わなかった。姉は東京に来たのは、そういう意味で正解かもしれなかった、
「ほんまに変わってへんな」
姉は、僕の言うことを無視して、メニューを開いていた。そして、父に何も訊かず、ウエイターを呼んだ。
「オレンジジュースふたつ」
父は、僕に会えて嬉しそうだった。
「歩は、なんかえらい大人になったな」
「大人って‥‥もう22やし」
「そうか、酒も飲めるんやもんな」
僕はそのとき、父に「ふたりで飲みに行こう」と誘われるのではないかと思っていた。成人した息子を持つ父親は、大抵そうしたがるものだからだ。
「お父さんは、酒やめてしもたけどなぁ」
でも父は、もう、普通の父とは違うようだった。穏やかな顔をして、酒を断ったことを告げる、静かな人だった。
姉は、ウエイターが持ってきたジュースを、ごくごくと、半分まで飲んだ。
「東京って、どう?」
そして、僕の目をまっすぐに見た。
僕は正直、ふたりに人見知りしていた。4年も会っていなかったのだ。その上相手は、僕の父と姉だ。家族という呼び名から、こぼれてしまうようなふたりを前にして、僕はずっと照れていた。なのに姉は、まるで昨日会っていたように僕に接し、じっと目まで見つめてきた。僕はひるんだ。
「どんな、て、都会?」
「どうして歩が訊くの」
姉は、意地悪心からではなく、本当からそう訊いていた。細い目が、僕をまっすぐに捕らえていた。
「いや、都会やなぁ、ほんまに」
父は、相変わらず優しかった。そういえば僕は、父に会ったら真っ先に、礼を言おうと思っていた。学費を出してくれてありがとう。一人暮らし部屋の援助をしてくれてありがとう。そして、これは僕が言うことではないかもしれないが、治夫おじさんの借金を返してくれて、母と、祖母たちを養ってくれてありがとう。
でも、言えなかった。それを言うことすら、恥ずかしかった。
「都会って、ドバイも都会ちゃうん」
僕はぶっきらぼうにそう言って、コーヒーをすすった。
「うん、めちゃくちゃ都会やけど、基本外を歩かへんからなぁ。こんなようさんの人とすれ違うなんて、考えられへんわ」
「ふうん」
「歩の学校も、人はようさんおるやろ?」
「うん、まう、新宿ほどやないけど」
「歩の家の駅も?」
「いや、新宿は特別やって」
父はそこで、やっとオレンジジュースの存在に気付いたようだった。ストローに口をつけ、ほんと少し口を湿らせた。
「巣鴨は?」
「巣鴨も、人ようさんおるで。お爺ちゃんとか、おばあちゃんばっかりやけど」
「なんで巣鴨にしたん?」
「うーん、会社が探してくたれた家の中で、一番良さそうやってん」
「へえ」
あとはもう話すことがなかった。僕は頭の中で、22歳の息子と57歳の父と久しぶりに会った場合、どのような会話をするのか考えた。でも、どうしても浮かばなかった。浮かんでも、母の事しかなかった、僕は母の事を、父に話したくはなかった。何人目かの恋人と恋愛のさなかにある、母の事を。
僕たちは、無言だった。
何人かの客が店を訪れ、何人かの客が帰って行った。新宿は、本当に人が多かった。
居たたまれなくなって父を見ると、父は唇にうっすら笑みを浮かべ、オレンジジュースを見ていた。まるでオレンジジュースの中に、世界の真実が内包されているかのように。
「歩」
姉が、大きな声を出した。びくっと、体が震えた。
「白い砂糖って、体によくないよ」
姉はそう言って、銀色のボットに入った砂糖を指さした。
姉は本当に、変わっていなかった。
39
大学を卒業した僕は、相変わらずオッドにいた。そして、簡単なライターの仕事をするようになった。
昌が好きだった雑誌「VOL」の編集長、僕のコラムを面白がってくれたその人が、僕に仕事をくれるようになったのだ。
僕は、ページの一枠を与えられ、オッドおすすめのレコードや本を紹介したり、自分の日常の雑事を記録した。オッドの知名度のおかげだったし、400字程度の、ページの片隅のコーナーだったが、昌が大好きだった雑誌で連載を持つということで、僕は昌を見返すような気持ちだった。
僕は、書くのが好きだった。
そのことに初めて気づいたのは、オッドで売っているレコードや本の推薦ポップを書いたときだった。オーナーに初めて頼まれたポップは、ディアンジェロの『Brown Sugar』というアルバムだった。
ほんの数行で、そのアルバムの、ディアンジェロの良さを伝えるには、どうしたらいいだろう。僕は、精一杯知恵を絞った。正直、大学のテストより努力したと思う、考えても、考えても何も浮かばず、書いては消し、書いては消しを繰り返した。そうしながら、僕は結局、須玖の言葉を思い出していた。音楽や物語を称賛するとき、須玖はどんな風に話したかを。
「ダニー・ハサウェイの声って、なんというか、その場所にしかない感じがせぇへん?」
「オーセンティック・レゲエって、もろリズムのための音っていうのが渋いねん」
「モリスンは、この世で一番美しい言葉を使って、戦っている人や」
僕は須玖の言葉を脳内で混ぜ合わせた。
『Brown Sugar』が発売されたのは僕が18歳の時だ。すでに須玖とは連絡を絶っていた。だから須玖がこのアルバムを聴いたらどうかは、分からなかった(悲しいことだが、きっと聴いていなかっただろう。須玖は、深い海の底にいたのだから)。
でも僕は須玖が彼の声を聴いたらどんな風に言うだろうかを、頭の中で想像することが出来た。須玖の声で、正確に、再現することが出来た。
やがて書き上げたのが、この文章だ。
『甘い、甘い声の奥に、どうしようもない男臭さが漂う。ディアンジェロは彼女らのための、だけではなく、僕らのために、そして何より音楽のための音楽を歌っている』
かなり観念的で、スカした文章だ。
でも、僕は当時二十歳だった。恰好つけたい年頃だった。何より僕には音楽の専門的な知識がなかった。ギターがどう、とか、ミキサーがどうとか、何もわからなかった。レーベルやプロデューサーの名前を出すのが当たり前だったポップに、だから僕は、自分の言葉だけを書いた。
恐る恐る渡した紙を見て、オーナーは、
「いいじゃん、面白いよ」
そう言ってくれた。
そのときの喜びを、今も覚えている。受け身だった僕が、能動的に導き出した言葉を、誰かが価値のあるものだと認めてくれた、その瞬間を。
「いいじゃん、面白いよ」
オーナーが僕に頼むポップが1枚増え、5枚増えしてゆくと、僕の胸は初恋に手を染めた女の子のように高鳴った、店長が渡してくれるポップの四角い紙は、僕と世界を繋ぐ大切なチケットになった。
僕は結局、オッドで数百枚のポップを書いた。大学の課題を気にせず、ずっとポップを書いていたこともある。それはまったく苦じゃなかった。それどころか、大きな喜びだった。あまりに観念的なポップを書いて、初めて来た客に、「これ、どういう意味ですか?」と訊かれて赤面したこともあるし、オーナーに8回ほど書き直しを命じられたこともある。
「歩、これはさすがに分かんねぇよ」
でも僕は、まったくへこたれなかった。描き続けた。フリーペーパーの文章を書くようになった頃には、僕の推敲(すいこう)は文豪のレベルに達していた。さしていつしか、常連客の中で、僕のかなり偏った文章を楽しみにしてくれ人も現れ始めた。その中の一人が「VOL」の編集長、池井戸さんだったのだ。
「400字って分かる? 原稿用紙1枚。それで、好きなことを書いていいよ」
僕には池井戸さんが、神様に見えた。
しかも原稿は、オッドに来る客だけでなく、不特定多数の人に読まれることになるのだ。俄然僕は張り切った。だが、その気概は、イコール世の中へ何かを発信する、というような大義には結びつかなかった。僕はただ誰かに読んでほしかったのだし、その無邪気さを、そして大義からこぼれ落ちた僕のふわふわとした文章を、編集長は面白いと思ってくれたのだと思う。
「歩の文章って、書くのが楽しくてたまらないっていうワクワク感が滲み出ているからいいんだよ」
それは正直、僕が望んだキャラではなかった。僕はもっとクールにいきたかった。でも原稿用紙を前にすると、そんな虚勢はどこかに吹っ飛び、僕はただ書いていることに没頭してしまうのだった。
こんな感覚は、正直初めてだった。サッカーをやっているときも、DJをやっているときも、僕はいっだって全力を出しているつもりだった。でも、どこかひとりの自分が、冷静に自分を見ていた。須玖のように、心から楽しんでやることは出来なかった。後から思い返すと、きっとサッカーもDJも、人がたくさんいる中でプレイしなければいけなかったからだ。サッカーのときは、チームの足を引っ張ることを怖れたし、DJのときは、自分が踊れる曲ではなく、格好よく見られる曲を選ぶのに必死だった。
文章を書くときは、ひとりだ。
結果誰かに読まれ、ジャッジされる文章だとしても、書くときはひとりだ。誰の目も気にすることなく、それに没頭することが出来た。
当時の僕は、文章のプロではなかった、今でも僕は、文章のプロというものが何を指すのか、はっきり分かっていない。でも間違いなく言えることは、そのときの僕は、「誰にどう読まれるか」ではなく、「書きたい」、そう思っていただけだった。その思いだけで、筆を進めることが出来た。頭のどこかで「編集長が褒めてくれるかな」という思いがよぎってもそれは一瞬で、その後はただ「書きたい」という欲望に背中を押された。
書くために、僕はたくさんの本を読んだ。オッドにある本がほとんどだったが、読みたいものがない場合、鴻上に大学の図書館で借りてきてもらった。
僕が惹かれたのは、音楽と同じように、アメリカの文芸作品だった。特に、アーヴィングは別格だった。
思えば、須玖が読んでいる本を初めて見せてもらった時、須玖の手にあったのはアーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』だった。あのときの出会いがなかったら、僕がこうやって文章を書く事なんて、きっとなかった。
アーヴィングのことを、須玖はこう言った。
「アーヴィングは、物事をすべて等間隔で見ている感じがする。出来事に優劣をつけんと、同じ紙の上に置いてる。それって、小説の出来る、素晴らしいことやと思わへん?」
アーヴィングの他に好きだったのは、例えばミルハウザー、サリンジャー、カーヴァーやダイベックだった。
まず、物語に出てくる食べ物や登場人物の名前が、もう異世界だった。僕とは全く違う世界で、全く知らない物語が始まっているのだと思うと、ワクワクした。そして、そんな中、自分にどうしようもなく寄り添ってくれる一行を見つけると、体中が悦びに震えた。この言葉は僕だけのものだ、そう思えた。
思えば、僕がコラムを書くとき、誰かのエッセイではなく小説を参考にしたことは、とても意味あることだったように思う。エッセイの存在を知らなかったわけではもちろんなかったし、それどころか、伊丹十三や内田百閒など、好きなエッセイはたくさんあったが、それでも僕はあくまで小説を、または小説のようなものを、書くつもりでいたのだ。
世間的にはフリーライターでも、僕は毎日楽しかった。
それどころか、この世の春を謳歌しているような気分だった。オッドのアルバイト代と、素人がかく400字の原稿料では、当然豊かな暮らしは出来なかったが、僕は高井戸の1Kのアパートで十分だったし、ご飯はコンビニのものでも全然かまわなかった(豪勢で手の込んだ「母的料理」よりも、チーブな味を好むのは、小学生のときから変わらなかった)。
オッドに来てくれる常連のDJや編集長のおかげで、行きたいクラブイベントにはゲストかディスカントで行けたし、クラブに行けば顔見知りの先輩たちがビールを奢ってくれた。時にはいらなくなった服も譲ってもらったし、究極、金に困ったときは、部屋に或るレコードを売ってしのいだ。
そんな風に過ごしながらも1年経ち、2年経ち、きがつけば僕は、なんとなくフリーのライターということになっていた。オッドでまだ働いていたが、週5が週2に減り、ときには週1度になり、残りの時間をライターの仕事に充てるようになった。「VOL」内のインタビューページや、他の雑誌のカルチャーページ、そして25歳になる頃にはオッドを平和的に辞め、ライターの仕事に専念するようになった。
そこそこの金を得て、僕は家を引っ越した、僕の新しい家は、三軒茶屋にある2DKのコーポだった。追い焚き機能があるバスタブがあって、トイレは洋式だった。小さいながらベランダもついていたし、洗濯機を室内に置くことが出来るようになった。
恋人も出来た。昌と別れてから、数人と付き合っては別れ、付き合っては別れていたが(断っておくが、性的放蕩ではない)、その時期出来た恋人とは、その後長く続いた。
僕の恋人、紗智子(さちこ)は、ふたつ年上で、やはり美人だった。耳が出るほどのショートで、時々それを綺麗な金髪に染めた。フリーのカメラマンをしていて、「VOL」でも写真を撮っていた。僕よりしっかりしたキャリアがあったし、業界でも顔が広かった。僕は紗智子と飲み会に参加し、クリエイティブな人たちにお似合いのカップルとして認識され、着々と仕事を増やしていった。
フリーのライターとして順風満帆の日々を送っていた僕が、衝撃的なニュースを聞いたのは、僕と紗智子が行った、ある飲み会でだった。
「最近、面白いアーティストがいるんだよ」
誰が言い出したのだったか。話題は最近界隈(かいわい)を騒がせている(らしい)あるパフォーミングアーティストの話になった。
「友達からの聞いたんだけど、この間とうとう俺も会ってさ」
そのアーティストは、東京の様々な駅やスポットに出没するらしかった。
ひとりが話し出すと、皆そのことを知っていた。
「あたしの彼氏も見たって言っていた」
「松田さんも見たって」
当時僕らの携帯電話では、カメラ付きなんてあまりメジャーではなかった。だから今のように、ほら見てこれ、という風には行かなかった。僕らは人の言うことから、話の全貌を想像しなければならなかった。
「初めはみんな、あれ、こんなとこにオブジェあったっけ、みたいに思うらしいんだけど、いるんだよね、中に」
その人は、大きな巻貝を被り、じっとしているらしい。
「外から人がいろいろ声をかけたり、飴をあげたりして、中から出て来るのを待っているんだって」
そして、巻貝のお尻の部分から、大きな鼠の尻尾が出てくるらしい。
僕はこの辺りで、すでに青くなっていたと思う。
「おかしな人もいるもんだよねぇ」
姉だ。
巻貝。尻尾。
間違いなかった。それは幼少の頃、姉が自分の部屋の壁に彫ってたアレだ。
「へえ、そんなの知らなかった。歩、知っていた?」
紗智子が僕にそう話しかけた。僕は返事をせず席を立ち、トイレにこもった。
姉、貴子は神出鬼没のアーティストとして、ちょっと有名人になっていた。
あるときは渋谷のモヤイ像の横に、あるときは上野公園の噴水の前に、そしてあるときは国会議事堂の前に、姉は巻貝として現れた。
巻貝は大きく、精巧だった。発泡スチロールと小さなタイルで出来ていたが、そのあまりの完成度の高さに、誰も、蹴ったり燃やしたりといった乱暴や悪戯をすることが出来なかった。巻貝から出ている尻尾は、スライム状のもので出来ていた。赤の混ざった灰色で、とても不気味だった。触ろうとすると、まるで生きているように動き、ときには巻貝の中に引っ込んで出て来なかった。
巻貝の中の人(僕にとっては姉だが、世間の人とっては巻貝の中の人だった)は、この上なく優しい言葉をかけると出で来るそうだった。姉がそう言ったのではない。いつからか、そういうことになったのだ。
「世界で一番優しい言葉をかけることが出来たら、中から出てくるらしいよ」
姉の遣っている事はいつしか、増え続ける引きこもりや学校拒否児童の問題提起行動である、ということになった。姉のパフォーマンスにはつまり、意味が付加された。
皆、姉を中から出したくて躍起になった。女子高生の間では、姉の姿を見ると永遠の若さが得られるらしいというまことしやかな噂が流れ、巻貝の写真を撮っただけで両想いになれるというジンクスがめぐった。
「あなたのことが大好きだよ」
「あなたがいるおかげでこの世界は美しいんだ」
巻貝の周りでは優しい言葉が飛び交い、巻貝の前には綺麗な花や可愛らしい布やボタン、ありとあらゆる美しいものが置かれた。
そしてとうとう、姉が出て来るまで、そばでキャンプを張って待つ者まで現れた。姉はどういう訳か、誰にも目撃されていなかった。巻貝はいつの間にか現れ、いつの間にかなくなっているのだった。
姉にはシンパが出来ていた。姉をかくまうため、シンパは姉を現場までワゴン車で運び、姉の巻貝を設置した。そして姉が巻貝から出てくる頃には、その姿を白い布でかくして、現場から走り去った。
匿名性とミステリアスさにおいて、姉はだんだん、街の神話のようになっていった。
僕は姉の遣ってることに怯えていた。
とうとう姉が本格的に狂ったのだと思った。僕はその頃姉と連絡を取っていなかったが、姉の情報は、つまり巻貝の情報は、至るところから入って来た。
「巻貝、今日は神保町にいたって」
「巻貝、今日は六本木交差点にいたって」
そのたび、僕は震え上がった。
巻貝の中身が僕の姉だとは、誰も知らなかった。僕も言うつもりはなかったし、姉には、つまり巻貝には口がなかった。
僕はまた、姉が僕の人生の邪魔をし始めたと思っていた。
「あれって、歩のお姉さんなの?」
そう、興味深げに僕に訊いてくる皆の顔が浮かんだ。あんな奴が肉親だなんて、とてもじゃないけど耐えられなかった。順風満帆にいっていた僕の生活に、再び暗雲が垂れ込めたのだ。
あいつはどうして、いつも、ああなんだ。
僕は姉を恨んだ。心から、姉はもう29歳だった。30を目前にした女が、どうしてまだあんな恰好をして「私を見て!」と訴えるのだ(皆が言うように、姉のパフォーマンスに意味があるとは、僕には思えなかった。姉はただ目立ちたかっただけだ)。
腹が立って。情けなかった。どうしてドバイに居てくれなかったんだ。そう思って初めて、僕は父の事を思い出した。
姉は、父と暮らしているはずだった。
あんな大きな巻貝を作って、毎日出かけている姉を、父はどうして止めないのか。
ドバイから帰国してから、父とは数回会っていた。父はその度、貴子は元気だ、と言ったが、貴子が巻貝になっていると、とは言わなかった。決して。
僕は父を恨んだ。姉に関わりたくなかったから、僕は父に怒りをぶつけることにした。
だが、電話に出た父に巻貝のことを問い詰めると、
「楽しそうやぞ」
吞気な答えが返ってきた。
「姉ちゃん頭おかしなったんと違うん?」
僕がそう言っても、
「ははは、普通やで。楽しそうやから、ええんちゃうか」
つまり父も、頭がおかしいのだった!
電話を切ってから、僕は部屋の床にへたりこんだ。
圷家はどうなってしまったんだ!
元々おかしなところがある家族だった。皆それぞれに個性的で、その個性によって、僕は散々苦しめられてきた。それでも、僕は耐えて来た。僕は僕の人生を、粛々と歩んできたのだ。
なのに今、それは決定的になった。
僕の家族はおかしい。
そして今や、それが僕の邪魔をしようとしている。
僕は何かに縋りたかった。だが、
縋りたいものが何なのか、僕には分からなかった。
40
頭のおかしな圷家の、(元)一員である母は、何人目かの恋人と上手くやっていた。
母は、元夫がまるで高僧のようになっていることも、娘が大きな巻貝を被っている事も知らなかった。あるいは知っていたとしても、それに全く関わろうとしなかった。だから僕も、母と積極的に関わろうという気を、すっかり無くしていた。
そんな僕が久しぶりに実家に帰ろうと思ったのは、ある雑誌の編集者から、こんなメールが届いていたからだった。
『巻貝アーティストの取材をしませんか?』
日程が決まっていたら「その日は別の仕事があるので」と、言うことが出来た。こういう依頼を、フリーである僕が理由なしに断る事は難しかったし、まさか「実の姉なので嫌です」とは言えなかった。
だから僕は、この仕事をしてから初めて、嘘をついた。
『母の具合が悪いので、しばらく実家に帰ろうと思っています』
家に帰るのは、3年ぶりだった。
突然の連絡に、母は戸惑っていたが、それなりに嬉しそうでもあった。
「じやあ、ご飯用意して待っているわ」
長らく簡素なものしか食べていなかったから、ここにきて母の豪勢な料理は、確かに嬉しかった。
地元の駅は、少しだけ綺麗になっていた。駅前にスターバックスが出来ていたのは驚いたし、ローカルのスーパーは、東京でも名前を聞く全国チェーンに代わっていた。駅から伸びる商店街を歩くと、なんだか不思議な気がした。自分が今、東京に住んでいて、ほとんど最先端と言っていい様々な雑誌で仕事をし、ときに芸能人に会い、ときにそういう人たちと飲んでいる現実が、なんだか信じられなかった。
僕は、この街を出なかったかもしれない自分を想像した。地元の大学に通い、25歳になった今でも実家に住んで、この商店街を行ったり来たりしているところを。でもそれは、どうしてもうまくいかなかった。この街にずっとい続けることなんて、考えられなかった。僕はもう「東京の人間」だったし、心のどこかで、ずっと地元を出ていない同級生たちのことを軽んじていた。
東京に出てから数年の間に、中学の同窓生の連絡が、何度も来た。
僕はそのどれも断っていた。面倒くさかったし、同窓会に行って旧交を温めるなんてことが、恥ずかしかったのだ。
でも、今の状況になってみると、ちょっと出たいような気もしてきた。電話で話した同級生に、いつか、レコード屋で働きながら、雑誌でライターの仕事もしていると言った時、そいつはずいぶん驚いたものだった。
「何それ、恰好ええなぁ!」
そいつは、中学のときには、こうやって幹事をやるようなタイプではなかった。地元に残り、地元の奴と恋愛して、地元の奴とつるんで、事あるごとに地元の奴に会いたがった。名前も覚えていなかったが、話しているうちに、石崎という奴だったと思い出した。
「ライターって、インタビューとかする人やろ? 芸能人に会った?」
その時の僕はまだ「VOL」で例のコラムを書いているだけだった。だから「いや」と言うしかなかったが、今では、いろんな「芸能人」に会っていた。それどころか、海外へも取材に行くようになったのだ。アメリカ、イギリス、オランダ、ドイツ、僕は世界中のクリエイターと会っているようなものだった。
「なんや、会ってへんのかぁ」
そんな風に言った石崎を、今こそ本当に驚かせられるのではないか。でも、だからといって、自分から同窓会を開こうなどという気は、さらさら起きなかった。どうせまた、石崎がすぐに連絡してくるだろう。何度も断っておいて、僕はそんな風に考えていた。
久しぶりに会った母は、少し若返っているように見えた。
「あんた、髯なんか生やして! 嫌やわ!」
僕の顎髭(あごひげ)を見て、母は女子高生のように嫌がった。母は僕にいつまでもベビーフェイスの可愛い男の子でいてほしかったのだろう。そういえば高校の時、すね毛の生えた僕の脚を見て、残念そうにため息をついていた母のことを、僕は覚えていた。
家の中は、綺麗に片付いていた。テレビが新しくなり、ソファのカバーも変わっていた。
「歩、トイレ見て、ウォシュレットにしてん」
その金は父の財布から出ているのだ。そう言いたかったが、嬉しそうな母を見ていると、結局、何も言えなかった。
僕の部屋と姉の部屋は、出て行った頃のままそこにあった。
ほんの数年しか経っていないのに、住む者のいない部屋は生気がなく、所在無さげに見えた。母が時々掃除をしてくれているのだろう。埃などは溜まっていなかったが、それでもここに「誰かがいる」という感じは、全然しなかった。僕は思い切って、姉の部屋にも入ってみた。
扉を開けると、嫌な臭いが鼻に広がった。
カビと、数ヶ月体を洗わなかった姉の体臭が、まだ残っていた。母が、姉の部屋を僕の部屋ほど頻繫に掃除をしていないのかもしれなかった。でも、よく見ると、部屋の隅に埃が溜まっていることはなかったし、窓も透明だった。
姉の臭いが、よほど強かったのだ。
姉の部屋は、まるで修道院の寄宿舎のようだった(行ったことはなかったが)。つまり、とても禁欲的な雰囲気があった。姉はベッドではなく布団で寝ていたので、一見して部屋には何もなかった。母がクローゼットにすべて入れてしまったのかもしれなかったが、そこを開けてまで見るのは、さすがに良心が許さなかった。
小さな本棚を見ると、大体が哲学書か宇宙に関しての本、それに交じって生物辞典や世界地図があった。隣の棚には絵の具やクレパスなどの画材が置かれ、スケッチブックが数冊並んでいた。
瞬間ひるんだが、僕は結局、スケッチブックを取り出した。「アーティスト」として活動を始めた(と本人が思っているかは分からないが)姉に、かつてその萌芽(ほうが)があったかを見たかったのだ。
中を見ると、この部屋の窓から見た景色や、大量の猫が描かれていた。絵はどれも驚くほど精緻で、不気味だった。僕はもちろんドバイから送られて来たFAXを思い出していた。姉の絵の腕は確かだ。だが、だからといって、巻貝を被って至る所でじっとしている理由にはならない。絵の中には、巻貝の絵はなかったし、この部屋の壁にも、巻貝の絵は彫られていなかった。
僕は、姉が目立とうとしてあれをやっているのだと確信を得た。皆が優しく解釈してあげた社会的意義みたいなものは、姉には微塵もないのに違いなかった。あの父ですら、姉のことを「楽しそう」と、そう言ったではないか。
忌々しい思いで、僕はスケッチブックを閉じた。そして乱暴に棚に突っ込み、部屋から出た。
夕飯には、祖母と夏枝おばさんも来た。母は張り切って、テーブルに並べられないほどの料理を作った。僕は改めて、母が恋愛の渦中にあることを思い知った。母はあまりにも生き生きとしていたし、数才しか変わらないはずの夏枝おばさんと、10ほども違うように見えた。
「歩君の書いた雑誌見つけたら、買うてるで」
どこの雑誌に何を書いたかを、僕はいちいち母に報告するような男ではなかったが、夏枝おばさんは健気にも、いろんな本屋に出向いて、いろんな雑誌を購入してくれていた。
「いつかのあれ、ロバート・ジョンソンのことを書いてあるのん、すごく良かったよ」
そんな風に言ってくれる伯母など、日本にふたりといないだろう。僕は改めて、夏枝おばさんのことが好きだと思った。
祖母は瘦せて、髪も薄くなっていた。相変わらずよく話し、元気そうではあったが、祖母は完璧なおばあちゃんになっていた。もちろん、祖母がおばあちゃんであることには間違いなかったが、その急激なおばあちゃん化に、僕はひるんだ。
「貴子は元気なん?」
祖母はそう言った時、母は何も言わなかった。黙って、自分が作った豚バラ肉の香草蒸しを食べていた。僕は姉の近況を言おうかどうか迷った。だが、「巻貝に入って東京のあちこちに出没しているよ」などと、言えるはずもなかった。
「最近お父さんに会ったけど、元気みたいやで」
祖母は、そっか、と小さく呟いた。その声があまりに祖母らしくない、つまりおばあちゃんそのものの声だったので、僕はドキリとした。
「姉ちゃんから、連絡ないん?」
「手紙はくれるよ、ようくれる」
祖母は、姉に会えない事を、寂しく思っているようだった。
「元気なんやったら、ええねんけどな」
夏枝おばさんも、姉のことを恋しく思っていた。
あんな姉なのに。
僕は思った。小さい頃から、圷家を、今橋家をかき回し、散々勝手なことをし、心配かけてきた姉のことを、祖母も夏枝おばさんも、こんなにも愛していた。僕は改めて、姉に腹が立った。よほど、巻貝のことを言ってやろうかと思ったが、ふたりが傷つきそうなので、なんとか我慢した。
「歩帰って来たし、ちょうどよかったんやけど」
母は、姉の話をしたくないようだった。
今や母にとっての姉は、ぼくにとってのそれと似た位置にあった。つまり、幸せな自分の生活に暗雲をもたらす存在だ。そのときの僕は、そう思っていた。でも母の思惑は、違う所にあるようだった。皆が黙るのを確認してから、母が箸を置き、厳かな口ぶりで、こう言ったのだ。
「結婚しようと思います」
誰も、何も言わなかった。僕は箸を持ったまま夏枝おばさんを見、夏枝おばさんは、ゆっくり首を回して祖母を見た。
「聞こえた? 結婚する。つきましては、彼がこの家に引っ越してきます」
祖母は静かに目を瞑っていた。まぶたが瘦せ、暗い影になっていた。
「ご報告でした!」
また食べだした母に、祖母は、
「そうでっか」
それだけ言った。
祖母と夏枝おばさんが帰り、母と二人きりになってから、僕はやっと事態を呑み込むことが出来た。
母が再婚する、そして、その再婚相手がこの家に住む。
「なんでなん?」
頭の整理をして、僕にやっと言えたのは、でもそれだけだった。
「なんでって、あんたももう大人でしょう」
母は、僕の質問に、何にも答えていなかった。母の中で再婚することはもう決まっており、相手の男がここに住むことも決まっていた。そしてそのことに、誰も反対する権利はないと思っているのだ。
「歩、家もほとんど帰ってきいひんやん? 貴子かって東京やし」
「そうやなくて、なんで‥‥」
「なんでて恥ずかしい、そんなん言わさんといてよ」
母は、洗い物を終え、テーブルを拭いていた。話しながら、僕のことを一切見なかった。
「この家って、お父さんが買ってくれた家やん」
僕はそのときになって、やっと腹を立てる事が出来た。父に散々世話になり(僕もだが)、様々な放蕩を繰り返し(僕もだが)この期に及んでこの家で新婚生活を始めようとしているなんて(僕はそんなことは絶対にしない)!
「だから何?」
そのとき、母の耳で何か光った。それはイヤリングではなくて、ピアスだった。母は、50を過ぎてピアスの穴をあけたのだ。僕はそれを知って、何故か絶望的な気持ちになった。
「だから何って。ようこの家に男住まわせられるな」
僕はわが高僧、父を思い浮かべていた。痩せ細り、姉の為に慣れない東京勤務をしながら、母と家族を支えている、哀れな父の事を。
「散々金の面倒見てもらって。ろくに働きもせんと」
僕が母に、こんな攻撃的なことを言うのは、生まれて初めだった。でも僕はそのとき、父の代わりに怒っていた。もはや母と僕、そして姉だけのために生きているような父の代わりに。
「それで彼氏作って結婚して、相手をこの家に住まわせるって。そもそも、お父さんの気持ち考えたことあんの?」
母は、もうすっかり綺麗になったテーブルを、何度も拭いていた。手の甲と静脈が浮かび、それがかろうじて母の年相応の女性に見せていた。
「離婚したとはいえ、夫婦やった人やろ? なんでこんなこと出来るん?」
僕は素面(しらふ)だった。夕食の時飲んだ一杯のビールでは、酔うはずもなかった。でも僕は、酔わなければ言えないようなことを言っていた。
「お父さんが可哀想や」
そのとき、母がやっと僕を見た。
「歩」
母のこめかみが、びくびくしていた。怒るサインだ、そう思って、僕の体は強張った。
「あの人の事は、あんたには分からへんの」
しばらく考えないと、あの人というのは父のことだと、分からなかった。
「あの人と、あたしのことは、あんたには、分からへんの」
母は、まるで自分に言い聞かせるように、一文節ずつ区切った。
「絶対に、分からへんの」
そして、話は終わりだとばかりに、雑巾を持って台所へ引っ込んだ。暫くして、流しの水が流れる音が聞こえた。
僕は水音を聞きながら、動けないでいた。僕ははっきりと怯えていた。母が怒るのが怖かった。25歳になって、顎髭を生やし、母よりうんと大きくなってもなお、母を恐れる自分が、僕は恥ずかしかった。だが、どれだけ恥じても、その事実は消せなかった。
その夜、僕は3年ぶりに自分の部屋で寝た。
巻貝の夢を見た。鼠の尻尾をだらしなく出した巻貝に、僕は攻撃をしかけようと近づいている。手に武器を持っているのだが、それが何か分からない。あと一歩と近づくところで巻貝が急に持ち上がり、中から人が現れる。それは姉ではなく、僕だ。
小さな頃の、僕だった。
41
僕が実家に滞在していた間に、祖母が死んだ。
朝、トイレに入ったまま出てこない祖母を見に行った夏枝おばさんが、動かなくなっている祖母を発見したのだ。心筋梗塞だった。
夏枝おばさんはとても気丈だったが、母の取り乱し方はすさまじかった。だから通夜や告別式の諸々を、僕と夏枝おばさんが手分けしてやった。嘘をついて仕事を休んでいた僕だったが、図らずも帰省は事実上必要なことになってしまったのだ。
通夜にと葬儀には、様々な人が来た。
渦中の好美おばさんと治夫おじさんは、どこか申し訳なさそだった。特におじさんは痩せ、かつての威厳のようなものをすべて手放していた。金を信じて裏切られた人が皆ああなるのかは分からなかったが、少なくとも僕は、昔のおじさんより、今の治夫おじさんの方が好きだった。反対に堂々していたのは、おじさんの子供たちだった。特に義一、文也が立派になっていることに、僕は目を見張った。
「歩君、久しぶり」
そう挨拶されて、正直ひるんだが、文也と義一のどちらがゲイであるのか、一見しては分からなかった。ふたりともおおきな企業に勤め、僕には到底持ち得ないような威厳を振りまいていた。ふたりとももう、30の半ばなのだった。
まなえは、夫と子供を連れて来ていた。相変わらず太っていたが、今の太さは、まなえの年齢や生活にマッチしている気がした。つまりまなえは、どこにでもいるおばさんみたいになっていた。30にもなっていないはずだったが、10歳年上の旦那さんと、そう変わらないように見えた。まなえの二人の娘もまるまる太って、まるで小さな頃のまなえのコピーだった。つまり、愛されているイルカ、といった風だった。まなえは、僕への挨拶もそこそこに、姉に話しかけていた。かつてライバルだったふたりは、今では生活圏に絶対に関わることのない、対極の人間同士だった。
葬儀場は、人で埋め尽くされた。近所の人たち、そして矢田のおばちゃん。
矢田のおばちゃんは、車椅子で来た。
脚を悪くしているという事だった。だが、少し太った体で、レースが垂れ下がった帽子を被ったおばちゃんは、ますますボスの貫禄を増していた。
喪主は、好美おばさんの意向で、夏枝おばさんが務めた(好美おばさんは、とことんまで謙虚な人になってしまった)。
夏枝おばさんは葬儀の間じゆう一度も泣かなかったし、喪主挨拶のとき、淡々としたものだった。まるで、祖母が死ぬことは前々から分かっているようだった。出棺の際も、お骨上げのときも、泣き女みたいに泣いていた母と好美おばさんとは、まるで対照的だった。
祖母は、僕の人生の中で初めて「死んだ人」だった。
僕にとって死は、テレビの中や、どこかよその家で起こることだった。鴻上のお姉ちゃんが自殺したという話を聞いたときも、僕はだから、鴻上の体験に寄り添うことが出来なかった。その事実に、ただ驚いていた。でも、祖母の遺体、まるっきり死んでいる死体を前にして初めて、死が僕の手の届く場所に突き付けられた。皆死ぬんだ。そう思った。火葬の文化は知っていたが、カラカラになった祖母の骨を見て初めて、人間が本当に燃えることを実感した。
通夜の夜、祖母の遺体を前にして、僕と姉とふたりきりだった。
母は取り乱して家に居たし、母は父が付き添っていた。夏枝おばさんも一緒にいたが、疲れているだろうから、2階で寝てもらった。
姉も、涙を流さなかった。
誰よりもおばちゃん子だった姉なのに、姉は祖母の遺体に体面してらずっと、何も話さなかった。そういえば母に会った時も、軽く会釈しただけだった。姉はその風貌もあいまって、まるっきり宇宙人みたいになってしまった(姉は例の坊主頭に、黒いスーツの上下を着ていた。それも、つるりと光沢のあるジャージー生地だ)。
姉は時折、祖母の周りに敷き詰めてあるドライアイスに触れていた。火傷するのではないかと思ったが、長らく触れても、姉に何も反応しなかった。
明け方、眠気がピークになっていたとき、僕はやっとこう言った。
「巻貝」
姉は、僕の方を見なかった。
「あれ、どういう意味なん?」
十分批判的な声色だったと思う。でも姉は、全く表情を変えなかった。
「もっと作ろうと思っているの」
僕はそれ以上、何も訊かなかった。
親族席に座った姉の姿は、界隈の人たちを静かに賑わせた。姉の風貌に驚いているのではないのだと、僕には分かった。皆、サトラコヲモンサマの騒動を覚えているのだ。
ネドコはやっと解体されていたが、まだ広大な空き地のままだった。図書館が建つとか、ショッピングモールが建つとか、様々な噂が流れたが、そのどれも実現していなかった。ぽっかり空いた空間は、そのままサトラコヲモンサマの不気味な存在感を露わにしていた。だからなのか、姉は、矢田のおばちゃんとも話さなかった。矢田のおばちゃんも、姉に話しかけなかった。
式の後、会場でちょっとした宴会が始まった。
僕は、顔も知らない人たちにお酌をするのに忙しかった。姉も母も役立たずだったので、離婚した父が動かなければいけなかった。近所の人や親戚は、久しぶり父に会えて、嬉しそうだった。美人だが気の強い母を辛抱強く支え、大きな愛情で包み込んでいた。しかも今や、別れた妻の義兄という、ほとんど関係ない人物を助けることになったこの静かな男の事を、皆大好きだったのだ。
「憲ちゃん、元気やったか?」
「えらい瘦せて」
いろんな場所から、父に声がかかった(治夫おじさんは、父に土下座せんばかりだった)。父はそのたび、静かに微笑み、まるで聖者のように空間を移動していた。
しばらくすると、皆、めいめいで楽しみだすようになった。ほっとして会場を出ると、焼き場の前に、矢田のおばちゃんが立っているのが見えた。驚いた。おばちゃんはそもそも、車椅子で来ていたはずだった。
「おばちゃん」
僕が声をかけると、おばちゃんはゆっくりと振り返った。杖をついていたが、やはりきちんと、立っていた。
「足、大丈夫なん?」
「大丈夫や」
葬式の会場は、おばちゃんの家から近かった。併設されている墓地には、おばちゃんの知り合いが埋葬されているらしく、おばちゃんもよく来ていた。僕と姉も何度か、おばちゃんに連れられてこの墓地に来たことがあった。まさか十数年後、祖母をここで焼くことになるなんて、そのときはもちろん、思いもしなかった。
「大変やったな」
おばちゃんは、限りなくボスっぽく、僕をねぎらってくれた。僕の肩に置いた手は、分厚くて温かったが、たくさんの染みがあり、数本の爪が紫色になっていた。おばちゃんは、相当年を取っていた。
「座りたいから、ちょっとええか」
おばちゃんは、僕の肩に頼りながら、墓地の入り口に置いてあるベンチへ移動した。よっこいしょ、と言いながら腰を下ろすと、おばちゃんは少しだけ遠くなった火葬場を、もう一度見た。カラスが一羽飛んでいた。とても不吉なその姿は、でも、祖母の死を悼んでいるようにも見えた。
「最後に歩君の顔見れて、嬉しかったと思うで」
おばちゃんは、僕を慰めてくれた。
僕はというと、祖母が死んで悲しいというよりは、身内が死ぬということにショックを受けていた。今日そのときが、僕の人生で一番死に近づいたときだった。そして僕はそれが、これからやってくるたくさんの死の前触れに過ぎないことを、すでに分かっていた。
会場では、誰か知らない人の告別式も行われていた。黒い服を着た人たちが、たくさん通った。
「姉ちゃんに久しぶりに会ったやろ」
僕がそう言うと、おばちゃんは、フーッと、息を吐いた。
「せやな。あれ以来や」
どうして姉の話をしようと思ったのか、分からなかった。自分から話しかけて置いて、僕はしばらく考えるために黙った。おばちゃんは、僕が黙っても、何も言わなかった。ただじっと、煙突から出る白い煙と、その周りを旋回しているカラスを見ていた。
祖母とおばちゃんは、親友だった。自分の親友が、こうやって白い煙になっているのを見るのは、どんな気持ちだろう。
「姉ちゃん、今、巻貝かぶってんねん」
口からこぼれるのは、そんな言葉だった。
沈黙が気まずかったわけでもなかったし、おばちゃんに気を遣ったわけでもなかった。僕はそのとき、自分の唇に、なりゆきまかせた。
「そうか」
おばちゃんは、素っ気なかった。カラスが急カーブを描き、それに寄り添うように、祖母の煙も湾曲した。
僕はそのとき、急に思った。
おばちゃんも、いずれは死ぬのだ、もちろん、僕も。
皆死ぬのだ。
僕はおばちゃんを見た。おばちゃんは、座っているだけなのに、ふう、ふう、と、息を荒らげていた。
おばちゃんの死は、そう遠くない未来にやって来るだろう。
地区のゴッドファーザー、姉のヒーローにも、間違いなく死は訪れる。おばちゃんが死んだら、この地区はどうなるのだろう。何より、姉はどうなるのだろう?
僕は、おばちゃんがあの日、姉に何を言ったのかを知りたかった。
長らく部屋から出てこなかった姉に、おばちゃんは何と言ったのか。どうしておばちゃんは、姉を部屋から出すことが出来たのか。姉はどうして、あれだけ信じたサトラコヲモンサマから、離れることが出来たのか。
「姉ちゃんに、なんて言うたん?」
自分で驚くほど素直に、そう訊くことが出来た。あらゆるものの死の気配に、興奮していたのかも知れなかったが、それよりも、おばちゃんを目の前にすると、自然とそうなるのだった。
昔からそうだった。
僕だけではなく、たくさんの人がおばちゃんの前で素直になってきた。どうしようもなく、自分をさらけ出して来た。おばちゃんには、そういう力があった。
「あの日、姉ちゃんが出てきた日あったやろ? おばちゃんが家に来て」
おばちゃんは、煙から目を逸らし、眩しそうに目を細めた。もう夕方で、僕らの周りには、ぼんやりした光しかなかった。
「姉ちゃん、あんなにサトラコヲモンサマを信じてきたやろ? なのに、おばちゃんと話して、あの日急に部屋を出てきた。ドバイに行って、帰って来て、今は巻貝を被ってる。おばちゃん、何を言うたん?」
巻貝の件は、おばちゃんには関係ない筈だった。でも、現在の姉、また迷走を始めた姉の原点には、おばちゃんの言葉がある筈だと思ってしまうのは、仕方がないことだった。おばちゃんは、姉のヒーローだった。ずっと。
僕は、おばちゃんの言葉を待った。おばちゃんは、目を細めたまま、じっと何かを見ていた。
「おらんかなぁ」
「え?」
おばちゃんは、ゆっくりと目を動かしていた。どうやら、何かを捜しているようだった。僕は一瞬、おばちゃんがボケてしまったのかと思った。ドキリとした。
おばちゃんは、短い首をわずかに伸ばして、本格的に何かを捜していた。怖くなった。おばちゃんは、祖母の霊魂や、この世ならずものを捜しているのではないか。僕はおばちゃんを見つめたまま、動けなかった。
「おった」
おばちゃんは、嬉しそうな声を出した。
しっかり定まったおばちゃんの。目線の先を辿った。墓地と道路を隔てる塀の上に、一匹の黒猫がいるのが見えた。黒猫はのんびり塀の上を歩き、やがて低い民家の屋根に登って、丸くなった。猫という、この世に普通にあるものだったことに、ホッとした。でももちろん、その意味は分からなかった。
「歩君、びっくりしたやろ?」
「え?」
おばちゃんは僕を労わるように見ていた。
「びっくりしたやろ。あんたがエジプトみたいな遠い国から戻ってきたら、おばちゃんちに、サトラコヲモンサマがあって。な?」
おばちゃんの口から、初めて、「サトラコヲモンサマ」という言葉を聞いた。おばちゃんが始めたことだったはずなのに、おばちゃんがそう声を出すと、それが何もかも幻だったのではないかと思ってしまうから不思議だった。
サトラコヲモンサマは、何だったのだ?
「…‥びっくりした。でも、あれは何なんって、よう訊かんかった。訊いたらあかんと思ってたから」
おばちゃんは、ふふ、と笑った。
「あんたは、大人になるずうっと前から、大人にならんなあかんかったもんな」
それを聞いて、僕は図らずとも、泣きそうになった。
僕は自分がレゴを作っていたこと、矢田マンションの一室で、声を出さず、静かに、レゴを組み立ていたときのことを、はっきり思い出した。
僕は当時、3歳にもなっていなかった。そんな幼い頃のことを、自分が覚えていること自体おかしかった。そんなはずはなかった。それでも、僕の脳裏に浮かぶ赤や青のレゴは光って、とても綺麗だった。今そこに在るみたいに見えた。そしてその景色には、どうしても、静かな寂しさが付きまとうのだった。
「サトラコヲモンサマ、なあ」
おばちゃんの目には、涙が溜まっていた。だが、泣いているのではなかった。おばちゃんは相当の老婆だった。鼻からはじわりと鼻水が出ていた。おばちゃんの緩んだ体からは、あらゆる水分が、滲み出てしまうのだった。
「何でも良かったんや。うちに来る人たちの為なら」
僕は、おばちゃんの言う「うちに来る人」のことを、覚えていた。その記憶は、疑わなくてよかった。僕はその人達の顔を、ひとりひとり、はっきりと思い浮かべることが出来た。女の人がほとんどだったが、中にはおじいさんもいたし、泣いている人も、そして、幼い僕でも分かるくらい、危うい人もいた。
親が残した借金に苦しめられている人。夫に暴力に怯えている人。家が全焼して、生きてゆく意味を見出せない人。
どんな人にも、おばちゃんは、平等に接していた。話を聞き、頷き、いつまでもその人に、寄り添っていた。
「うちに来る人たちが、信じられるものなら、何でもな、良かったんや」
おばちゃんは、様々な言葉をはしょった。それはおばちゃんの、いつものやり方だったが、僕はそれが嬉しかった。おばちゃんが、僕のことを認めてくれている、それは証拠だと思った。僕は自分の頭で考えた。
何でも良かった、というおばちゃんの、その言葉の裏にある意味を。
信じられるものなら、何でも良かった。
あらゆる人の、たくさんの苦しみ。決して解決できないものであったし、どうしても納得できない残酷な出来事もあった。きっとそういう人たちのために、信仰はあるのだろう。自分たち人間では、手に負えないこと。自分たちのせいにしては、生きてゆけないこと。
それを一身に背負う存在として、信仰は、そして宗教はあるのだろう。
だがおばちゃんは、それを既存のものには求めなかった。
おばちゃんは聡明な人だった。いや、聡明である前に、危険なこと、誰かに苦しみを与えるものを、見極める力を持っていた。
「何でも良かったんや」
既存の宗教に頼ると、また新たな苦しみが生まれると、おばちゃんはきっと思ったのだ。宗教の違いで、たくさんの悲劇的な抗争が起こっていること「教義」の名の下に、迫害されている人々がいることを、おばちゃんはニュースによってではなく、ほとんど体感として分かっていたのだ。
サトラコヲモンサマには、教義がなかった。そもそも、宗教ではなかった。サトラコヲモンサマは、ただそこに在るだけのものだった。紙だった。祈る人に何も強要せず、何も与えず、ただそこにあった。皆はすべてをサトラコヲモンサマに預け、サトラコヲモンサマのせいにすることが出来た。
「じゃあ、なんで、サトラコヲモンサマやったん?」
サトラコヲモンサマは、何なのだ?
「見てみ」
おばちゃんは顎をしゃくったほうを見ると、さっきの黒い猫が眠っていた。
「何?」
「あれや」
「猫?」
「そうや。でも、黒やない」
「何?」
「チャトラや」
僕は黙っていた。黙って、衝撃に耐えていた。僕の腕には、びっしり鳥肌が立っていた。
「うちの家によう来ていたチャトラがおったやろ、憶えてるか?」
覚えていた。おばちゃんの家にたくさんの猫たち、中でもチャトラの猫は、よく見た。それは何処にでもいる、普通の猫だった。何の神々しさもない、ただの猫だった。
「あの子が伸びをしたら、お尻の穴が、ぶぶぶって震えるねん。それが可愛くてなぁ。それを見てたら、おばちゃん、なんでもどうでも良くなるんよ」
おばちゃんは、思い出したように笑った。その拍子に、鼻水がだらりと垂れたが、おばちゃんは気にしなかった。
「チャトラの肛門ってこと?」
僕は、恐る恐るそう言った。
「せや」
「サトラコヲモンサマ?」
「そう」
そのときには僕は、我慢できず、僅かに震えていた。結果何百人を巻き込み、一大宗教(おばちゃんはそんなことは一言も言わなかったが)としてこの街を、地域を熱狂させたものの正体が、実はチャトラ猫の肛門だったのだ。
「なんでもどうでも良くなるんよ」
それこそが大切だった。立派なものであってはいけない。こちらを畏怖させるものであってはならない。この世で起こっている様々な出来事を、「どうでも良くなる」と、思わせるもの。
「あの日姉ちゃんに言うたのは、そのこと?」
僕は、姉の部屋の、閉ざされた扉のことを思い出した。
いつだってひっそり静まり返っていたあの部屋で、あの日、おばちゃんは初めて話した。あの部屋の中で、姉は、きっと僕と同じような、いや、それ以上の、比べ物にならないほどの衝撃を、受けていたに違いなかった。
「姉ちゃんは、なんて言った?」
「黙ってた、じっと、おばちゃんを見ていたよ」
僕はその言葉だけで、姉の心が分かるような気がした。
自分が信じたもの、心から信じ、寄り添ったものは、大いなる力ではなかった。偉大なる何かではなかった。
それは、猫の肛門だったのだ。
今まで散々見てきた、どこにもある、取るに足りないものだったのだ。
あの日、部屋から出てきた姉の姿を、僕は思い出していた。ほとんどドレッドになった髪、垢じみた皮膚、そして、強烈なにおいを。
姉は飢えていた。小さい頃から、あらゆるものに飢えていた。
おばちゃんは、姉のそんな姿を、いつも見ていた。おばちゃんは、姉を愛していた。そして自分が創作した「サトラコヲモンサマ」、取るに足らないそれに心を奪われている姉を、いつまでも見守るつもりだった。
「愛されない」と思うことを、「足りない」と飢えていることを、姉は自分のせいにすることはないように、だから姉にとって「サトラコヲモンサマ」は必要なものだと、おばちゃんは思ったのだ。後にあのような終焉(しゅうえん)を迎え、それは姉を決定的に傷つけたが、それはもちろん、おばちゃんが姉を見捨てるはずがなかった。おばちゃんは姉を愛していた。
「あの子には、自分で、自分の信じるものを見つけなあかん、て言うたんや」
僕の鼻孔には、姉の部屋の強烈な臭いが、まだ残っていた。そしてそれは、自動的に、壁一面に彫られた尻尾の生えた巻貝を、思い出させるものだった。
「自分で、自分の信じるものを見つけなあかん」
姉の宗教的放浪は、こうして始まったのだ。
姉は自ら動き出した。「サトラコヲモンサマ」に代わるもの、自分の信じるものを見つけるために。
僕は葬式で見た、姉の後ろ姿を、綺麗な坊主頭を、思い出していた。
煙突から出る祖母の煙は、いつまでも途絶えなかった。
42
祖母が死んで、失意のどん底だった母は、でも再婚を諦めなかった。
僕は結局、2週間ほど実家に滞在することになったが(フリーのライターとして、致命的な日数だ)、母は僕が滞在している間に、なんとか相手の男と僕を会わせようとした。
僕はさすがに、母にはついていけなかった。
通夜、葬儀と、全く使い物にならないほど泣き崩れていた母が、喪中どころか、喪中になりたての数日中に、自分の再婚に向けて精力的に動き出そうとするなんて。
当然ながら、僕は相手と会うのを拒んだ。
「ほな、勝手に結婚してもええわけ?」
母はほとんど、喧嘩腰だった。信じられなかった。もはや、怒る気にもならなかった。ただ、どうしてそんなに焦るのかを知りたかった。ほんの数日前に祖母が死んだばかりなのだ。母だって、あれほど泣いていたではないか。
「なんでそんなに焦るん?」
キッチンカウンターの上には、祖母の写真が飾られていた。我が家に仏壇はなかったし、母はインテリア的に仏壇の存在を認めていなかった。祖母の遺影は当然ながら夏枝おばさんが住む家の仏壇に置かれ、毎朝と毎夕の水とご飯は、おばさんがあげていた。
「焦ったりなんてしてへん。もうだいぶ前から決めてて、あんたらに言うのを待っていたくらいやねんから」
勝手に待たれて、勝手に焦られても、僕には知った事ではなかった。でもそんなことが、こういう状態になった母には通じないことは、僕には悲しいほど分かっていた。
「おばあちゃんが死んだとこやんか」
「おばあちゃんかって、絶対に喜んでくれる」
僕はそれ以上、何も言わなかった。黙って自分の部屋に引っ込んだ。どうにでもしてくれ、という感じだった。母は僕の背中に向かって、追い討ちをかけるように、
「私は幸せになるからね」
そう言った。そう言えば母は数年前から、自分のことを「お母さん」と言わないようになった。ずっと、「私」と言っていた。
「私は幸せになるからね」
母の強固な意志は、どんなことがあっても、絶対に折れなかった。
僕が帰る日、母は新幹線乗り場に婚約者を連れて来るという暴挙に出た。
東京行きのぞみ、自由席のホームで待っていた僕の前に、ふたりは急に現れた。驚きすぎて、声も出なかった。どうやって僕が乗る新幹線を探したのか。そして、この広いホームで、どうやって僕を見付けたのか。母の衝動はいつだって凄まじかったが、こうなると、もはや母には不思議な力があると思わざるを得なかった。
「歩。この人、小佐田(おさだ)さん」
母は、僕の顔色などお構いなしに、隣にいた男の人の腕を取った。
小佐田さん、と呼ばれる人は、
「小佐田です。よろしくお願いいたします」
そう言って、頭を下げた。
小佐田さんは、若く見える母よりも、うんと若く見えた。後に年齢を聞いたら、44歳ということだった。つまり母より8つも若かった、そして、とても悲しいことに、小佐田さんは若い頃の父に、驚くほど似ていた。背が高くて、凛々しい顔だった父に。
僕は小佐田さんを無下に扱うことは出来なかった。小佐田さんは、明らかに困った顔をしていた。恐らく、母に無理やり連れてこられたのだろう。こういう状態になった母を、決して止められないことを、小佐田さんはこれから悲しい気持ちで学んでいくのだ。僕はすでに、小佐田さんに同情していた。
頭を下げた僕に、小佐田さんは、
「すいません。こんなときに」
そう言って、深々と頭を下げた、小佐田さんはきっと、いい人だった。とても、だが、いい人だからと言って、祖母が死んですぐの僕らの家に、住んでいいことにはならないはずだった。
「はあ」
曖昧な返事をして、僕はホームに滑り込んできたのぞみに乗った。絶対に振り返らないと決めていたが、空いている席に座った僕の所まで、母は小佐田さんの手を引いてやって来た。そして窓越しに、じっと、僕を見ていた。僕はそのとき、ほとんど恐怖を感じた。母の、異常といっていい幸福への執着に、背筋が寒くなった。
「歩、また帰ってきなさいよ」
母は、窓越しにそう言った。暗に、小佐田さんが一緒に住むことになるが、あの家は僕の家でもあるのだということを、言いたかったのだろう。でも僕はもちろん、戻るつもりはなかった。
母の余りの暴挙を、許せなかった。
小佐田さんは、最初から最後まで申し訳なさそうに、母の隣で立っていた。グレーのスーツの、腋(わき)のところが、汗で変色していた。小佐田さんは離婚したばかりで、ふたりの娘は、まだ小学生だった。
かえりののぞみで、僕は久しぶりに酔った。
売り子が通るたびにビールを買い、新横浜に着くころには、9本のビールを空けていた。僕は泥酔したまま東京で降り、駅のトイレから、しばらく出られなかった。朦朧(もうろう)とした頭で、便器のつるりとした白を、ずっと見ていた。
母は本当に、すぐに再婚した、小佐田奈緒子として、生きてゆくことになった。
長らくのブランクを埋め、僕はすっかり仕事のリズムを取り戻した頃には、巻貝は、つまり姉は、都内のいたるところをジャックしていた。
「もっと作ろうと思っている」
と姉の言葉通り、姉は大量の巻貝を作っていた。大きいものもあれば、小さなものもあった。姉は姉のシンパはそれらを、東京のあちらこちらに設置し、設置できないときは、壁にスプレーで巻貝の絵を描いた。姉は、まるで覆面のグラフィティアーティストだった。
僕が断った姉へのインタビューは、結局別のライターがやったようだった。どうやって連絡を取ったのは分からなかった。だが、サブカル系のカルチャー誌、白黒ページの4分の1という扱いで、確かに姉は名前と顔を伏せて、インタビューに答えていた。太字のタイトルはこうだった。
『巻貝は、私が小さい頃から心の拠り所にしていたものでした』
それだけ読んで、僕は雑誌を閉じた。
出来る事なら、今橋家の女たちと、縁を切りたかった。山でも籠りたい気持ちだったが、「どうして俺が」と、腹が立った。僕はこの世界で、しっかり生きていた。クリエイティブな人たちと会い、原稿を書き、はっきりと社会と繋がっていた。
この世界から去るべきは僕でなく、ふたりだ。
僕は心の中で、山寺にこもり、静かな隠遁(いんとん)生活を送っているふたりを、何度も想像しようとした。言うまでもないが、それは不可能だった。あのふたりが、自ら進んで自分のステージから退場するわけはなかった。
僕の想像をやってのけてしまったのは、父だった。
父は会社を退職し、山寺に籠る事になったのだ。
「出家するってこと?」
父から報告を受けたのは、父が山寺へ行く、ほんの週間前のことだった。父はもう、会社を辞めていた。
「出家というほど大袈裟なことではないんだけどな」
父はオレンジジュースを飲んでいた。グラスについた水滴を見ながら、僕の脳内では「圷家」という文字が粉々に砕けていた。
「でも、家を捨てて、財産も捨てて、山寺にこもるんやろ? それって出家と違うん?」
「家は貴子が住むし、財産は3人に託すから、退職金、結構もろてんねん」
「そういうことが聞きたいんやない」
僕は興奮していた。
なんなんだ。圷家はどうなっているんだ。
それは以前も思ったことだった。僕の家族はおかしいと、完全におかしいと、以前も、いや、何度も思った事のはずだった。
でも今、僕は、初めてそう思ったように激しく傷ついていた。
姉はおかしな巻貝を造り続け、母は祖母が死んですぐに再婚し、唯一まともだと思っていた父は出家するなどと言い出す。
この家族は、一体なんなんだ!
「なんなん、ほんま、なんなん」
僕は頭を抱えた。つい先日、26歳の誕生日を迎えたばかりだったが、5歳も10歳も老けたような気がした。
「報告が遅くなってごめんな。でも、出家というても、そんな本格的なとこやなくて、もし会いたいと思ってくれたら、会えるから」
「そんなええねん。なんで、なんでやねん。あの人が再婚したから?」
僕は、母の事を「お母さん」と言うつもりはなかった。母が自分の事を「私」と言い、私らしく人生を歩んでゆく気なら、僕が母の事を、「お母さん」と呼ばなくてはならない義理はなかった。
「なあ、あの人が再婚したからなん?」
父は僕の言うことを聞いて、言葉を詰まらせた。苦しそうに見えたが、それはもともとの父の表情なのかもしれなかった。
「そうなん? それがショックなん?」
「違う。お母さんが再婚して、幸せになってくれ、ほんまに嬉しい。お父さんは、ほんまに嬉しいんや。それで安心した。貴子も、自分の遣りたい事を見つけたみたいやし、金は、お父さんの退職金で、しばらくなんとかなると思う」
「ちょっと待って、前から出家したかったこと?」
「…‥そうやな」
父は、正直に話そうと、決意を固めたようだった。
「でも、あの人が一人やから、姉ちゃんもあんなやから、我慢していたってこと?」
「我慢やない。お父さんが勝手に心配してただけや。あのふたりは悪くない」
「悪くない? お父さんの金で悠々暮らして、おばあちゃんが死んですぐに結婚するんやで?」
「それは、悪くないよ、お金はお父さんがそうしたかったんやし、お母さんは」
「結婚だけと違うねんで? あの人、ずっといろんな奴と付き合ってたんやで?」
止められなかった。言ってしまってから、僕はどうして、こんなに父を傷つけたいのだろうと思っていた。
「ひとりと違う、何人も何人も男作って、それで、あの家に住んでたんやで? お父さんの金で?」
「それでも、お母さんが幸せやったら」
「知ってたん?」
「…‥」
「お父さん、あの人が男作りまくってんのん、知ってたん?」
「作りまくったって言うほどないやろ。でも、うん、知っていたよ」
僕は、は、と言ったまま、固まってしまった。
離婚してから、母が数々の恋人を作っていたこと、自分が身を粉にして働いた金を使って母が自分を着飾り、新しい男に会いに行ったことを、父に知っていたのだ。
「お父さんの金で、男に貢いでたかもしれんへんで」
僕はどうして、どうしても父を傷つけたいのだろう。母が男に貢いでいたなんて、そんな事実はないはずだった。少なくとも、僕は知らなかった。でも、目の前で背中を丸めた父を見ていると、僕はどうしようもなく、残酷な気持ちになるのだった。
「どうやろな」
「腹立たへんの?」
「立たへんよ。お母さんが幸せやったら、それでいいのや」
僕はそのとき、「私は幸せになるからね」と言った、あの夜の母の事を、思い出していた。父が不幸でも、娘が、息子が苦しんでも、自分だけは幸せになる。母はそうは言わなかったが、そう言っただけの強さと残酷さを湛えていた。
「お母さんが幸せやったらな」
僕は、自分を落ち着かせるため、コーヒーをすすった。甘いコーヒーを飲むと、白い砂糖が体に悪いと言った姉を思い出すので、嫌だった。
「それで、あの人が幸せになったから、安心して、それで? 出家?」
父は、すでに頭を綺麗に剃り上げていたる白いTシャツにグレーのスエットを穿いた父は、喫茶店に入って来たときからもう、出家した僧侶の雰囲気をまとっていた。
いや、今日だけではなかった。父は随分昔から、在家の僧侶として修行してきたようなものだった。僕だって、何度も何度もそう思っていたはずだった。でも、「僧侶のような父」と、「僧侶になる父」とでは、違った。全く違った。
父は、まだ僕の父でもあるのだ。
「なんでそんな大切なこと、何も言わんと決めるねん」
僕はもう、父を見なかった。
「家族やろ、なんでみんなそうやねん」
父は、父だけはまともだと思っていた。つまり、僕の気持ちを分かってくれているのだと。父の異様な寛容さは、ただ父の驚くべき優しさからくるのだと思っていた。でも違った。
「なんでそんな勝手やねん」
家族がバラバラになる話は、呆れるほど聞いたことがあった。でも、それがこと自分に降りかかって来ると、絶望のあまりの生々しさに、おぞっけが立った。そう思うのが恥ずかしい事だと分かっていても、自分が世界で一番不幸だと、どうしても思ってしまうのだった。
「歩」
父が身を乗り出すのが、気配で分かった。次の瞬間、父は僕の肩に手を置いた。思いがけない行為に驚いて、そして恥ずかしくて、僕は父の手を振りほどいた。Tシャツ越しでも、父の手がとても冷たいことは分かった。
「すまん」
父は、深々と頭を下げた。つるつるになった頭をみて、父が本気だということは、嫌というほど伝わって来た。
「ほんまに、すまん。許してくれ」
そうされると、ますます腹が立った。
父は、ずっと頑張ってくれた。僕たちのために。僕たちのためだけに、父はあるときから、働いて得た金を、決して自分のために使わなくなった。母の為に、姉の為に、僕の為に、そして祖母や夏枝おばさんの為に、働いてきた。
それなのに、こうやって父が初めて、自分のしたいことをしようとしている今、僕は、今までにない力で、父に腹を立てているのだった。
「勝手に離婚して」
僕は26歳だった。大人だった。頭を丸め、これ以上不可解なほど瘦せ、全ての財産を僕らに託して社会から退こうとしている父に、こんなことを言う筋合いなどなかった。それでも僕は、止められなかった。
「勝手に出家すると言うて」
僕は父への怒りと、自分への嫌悪で、わずかに震えていた。
「歩、ほんまに、すまん」
父は顔を上げなかった。頭のてっぺんについた傷を見て、僕は泣きそうになった。父は自分で頭を剃ったのに違いなかった。ナイキのマークみたいな傷は、小さかったが、きっとしばらく残るだろう。
父は、関東近郊の山寺にこもった。
しばらくしてから、僕の通帳に、金が振り込まれていた。悲しくなる程の大金だった。
つづく
第五章 残酷な未来