神尾信明(かみおのぶあき)との縁組が決まったとき、民恵(たみえ)は嬉しい反面、気が重かった。
ずっと気になっていた家格のちがいが、きつめの帯のように胸を締め付ける。
民恵の父の島崎彦四郎(しまざきひこしろう)は、御目見以下の徒目付(かちめつけ)。一方、神尾の家は家禄四百石とけっして大身(たいしん)ではないものの、れっきとした旗本であり、しかも両番家筋(りょうばんいえすじ)である。
五千二百家余りの旗本でも、遠国奉行や町奉行に上がり詰めるための登竜門である両番、即ち小姓組番と書院番組(しょいんばんぐみ)の番士に取り立てられる家筋の家は。千五百家しかない。
祝言の日取りが決まってみれば、いっそ信明(のぶあき)も自分たちと同じ御家人ならばよかったのに、と思う事もしばしばで、そもそも女だてらに漢詩など詠もうとしなければ、しりあうこともなかったのだと悔いる事すらあった。信明には惹かれるが、望んでいない玉の輿に乗って、要らぬ気苦労を背負い込むのはなんとも億劫である。
生強い稽古事ではもはや箔にならないと、母の直(なお)が漢詩の詩社(ししゃ)を見つけて来たのは四年前の天明四年の春だ。俳諧や和歌はもう当たり前だけれど、漢詩ならばまだ女の姿は珍しい、その上、漢詩が武家のたしなみの王道だから、きっと良い行儀見習先につながるはずだと母は言い、あの夫(ひと)も魚釣りになどかまけていないで、漢詩をやるべきだったのです、とつづけた。そうすれば、どなたかのお引き立てに与(あずか)って、今頃はもう御勘定方に取り立てられていたかもしれないのに。
目付配下の徒目付の役高は、百俵五人扶持。一方、勘定所の中堅である勘定のそれは百五十俵。一人分の扶持(ふち)は五俵だから、差は二十五俵ほどしかない。さまざまな案件の検索に当たる徒目付には、脛(すね)に疵(きず)持つ輩(やから)や、痛くもない腹を探られたくない輩からさまざまな音物(いんもつ)が届くから、実質的な実入りはおそらく勘定にも引けを取らない。にも拘らず直が勘定に憧れるのは、いくら潤っていようと徒目付はあくまでも御目付以下の御家人であり、そして勘定が旗本だからだ。
御家人でいる限り、徒目付より上はもう望みようもないが、勘定の席に連なれば役料含め四百五十俵の勘定組頭が、さらには役高五百石役料三百俵の勘定吟味役さえ視野に入ってくる。そして何より、御家人と旗本では、周りから向けられる眼差しがちがう。
江戸は畢竟(ひっきょう)、旗本の町である。三代つづいて御家人としては天井の徒目付を務めてきた島崎の家にとって、御家人と旗本を分かつ壁を越えるのは悲願であり、だからこそ一人娘の直の婿(むこ)に、算盤に明るいという触れ込みだった彦四郎を迎えた。案に相違して彦四郎は勘定所の資格試験である筆算吟味に落ち続け。気づけば齢(よわい)五十を越えて、もはや望みを託すのも栓(せん)ないと、常に上に向いている直の目は十一になった息子の重松(しげまつと)、十八の民恵に注がれたのだった。
重松のお供のような形で通ってみれば、しんし、漢詩は民恵の肌に合った。
李白(りはく)や杜甫(とほ)のような盛唐詩(せいとうし)を女が詠むのはいかにもそぐわなさが付きまとうが、9四年前はまさに、そうした士大夫(したいふ)の古文辞格調詩(こぶんじかくちょうし)から、どうということもない日常を思うままに詠む、清新性霊派(せいしんせいれいは)の詩に切り替わろうとする潮目だった。
民恵が学んだ西湖吟社(さいこぎんしゃ)はその清新性霊派の牙城の一つであり、本当にこんな物でよいのかと訝(いぶか)りながら詠んだ詩は、西湖吟社を主宰する北原星地(せいち)から男には望めぬ景色と認められ、以来、民恵の手はまるで枷(かせ)を解かれたかのように、次から次へと七言絶句や律詩を紡(つむ)ぎ出したのだった。
初めはどうにも馴染めなかった男ばかりの吟社の臭いも、詩にのめりこむほどに気にならなくなり、強張(こわば)りがちだった唇も次第に緩んで、詩友(しゆう)としての会話にもようなく馴れた三年前の秋、その年の初夏に誠子吟社に加わった神尾信明から声をかけられた。
「あなたは、有り合わせの材料で、そこそこ旨い料理をつくるのが上手ではありませんか」
信明の言葉はあまりに唐突で、どうしてでしょうか、ちと聞くと、あなたの詩はそういう詩だから、と答え、すぐに、あわてた風で付け加えた。
「いや、これは誉めているのです。誉めの言葉です」
神尾信明の詩名は、彼が前の詩社にいた頃から伝わっていた。
そのどれもが、清新性霊派の牽引する若手の要という類のもので、そういう信明から、有り合わせの材料で…‥指摘されれば、いくら褒め言葉と念を押されても、自分の詩がいかにもまちまちましく映るのだろうと思わざるをえなかった。
気落ちから立ち直れないまま家路を辿ったものの、考えてみれば、自分の詩はたしかに有り合わせの材料でささっと仕上げた詩でしかなく、やはり皆から嘱望されるような人は、言うべきことをきちんと言ってくれると思い直した。
信明のように、人が嫌がる事を口にしてくれる人はめったにいるものではない、次に会ったら、どうすればもっとましな詩を作れるようになれるか聞いてみようと、心に決めたのだった。
「いや、なにも変えることはないのではありませんか」
けれど、六日後に顔を合わせたとき、信明は言った。
「いまはともかく、詩が次々に浮かんでくるでしょう?」
「それはそうですけど‥‥」
「ならば、変える必要はありません。筆が止まって動かなくなったら。そのときまた考えましょう」
信明はそう言って、武家とも思えぬ、白花の山吹のような笑顔をよこした。
気持ちが軽くなったものの、その涼(すず)やかな笑顔にはぐらかされているような気もして、思わず民恵は、お稽古なんです、と言っていた。
「踊りや三味線と同じお稽古事なんです。すこしでも良い行儀見習先が見つかるように、漢詩を習っているんです。詩が縮こまっているのも当たり前なんです」
言い終わってから、そんでそんな言わずにもがないことを口に出してしまったのだろうという想いがどっと押し寄せ、知らずに涙が滲んで、己のみっともなさに打ちひしがれていると、信明がすっと唇を動かした。
「同じですよ」
あの白花の山吹のような笑みが、また、合った。
「わたしもそうです。この時代、武家が人とつながるのに、いちばん効くのが漢詩です。わたしにしても、すこしでも良い御役目に就けるように、漢詩を学んでいるのです」
そして、ややあってから言葉を足した。
「でも、いいじゃないですか。詩をやるきっかけなんて」
繕っている声には、聴こえなかった。
「詩を詠むのが好きならば、それでよいではありませんか。あ、それにあらためて言い添えておきますが、わたしの先日の発言はほんとうに誉め言葉です。有り合わせの材料だけでそこそこ旨い料理を作るのはすこぶる難しいことで、生強の者に望めるものではありません」
それからは繁(しげ)く、言葉を交わした。
この人にはどうせ見透かされているんだと思うと気が楽で、回を重ねるほどに唇が緩んでゆき、家の中のことを洩らすことにも抵抗がなくなった。
父が一向に母の期待に応えられずにいること、それでも、いつも飄々(ひょうひょう)としている父を、自分は嫌いじゃない事などを話した。
そのようにしてふた月ほど過ぎた秋の終わり、信明が不意に、行儀見習先を探していると言っていましたね、と口を開いた。
「ええ」
民恵は答えた。
「ならば、神尾の家はどうでしょう」
「神尾と言われますとつまり、神尾様のお宅ですか」
御屋敷、ではなく、お宅と言ったのは、そのときまで、神尾の家筋をしらなかったからだ。腰の大小から、信明が武家であることはむろん分かっていたが、あるいは浪人かもしれないとさえ思っていた。
「さようです。ただし、行儀疑見習ではなく、嫁としておいでいただきたい」
共揃えもなく、旗本の徴(しるし)である袋杖(ふくろづえ)も手にしていない、ただ詩にのめり込んでいる様子の若者に四百石の旗本は重ならず、まして、両番家筋であるとは、想いもつかなかった。
信明が望んでくれたところで、御家人の娘が両番家筋の嫁になれるはずもないとは思った。
すでに先代は逝去して信明が当主になっていたが、姑が認めるわけがないし、同じ両番家筋がひしめく、神尾の一族の承認が取れるとも考えられなかった。当然、同格以上の家筋との縁組を求めるはずであり、また親戚の家の中にも、信明との縁組を望む娘もいくらでもいるだろ。
そのようにさまざまな想いを巡らせていると、いつしか疑心暗鬼にもなって、あるいはよく耳にするように、嫁が携(たずさ)えてくる持参金目当ての縁組なのかとも疑った。けれど、御家人にしてはゆとりがあるとはいえ、旗本が望む額の持参金を徒目付の家が用意できるわけもない。念のために、そういう話になっていないか、父母に確かめてもみたが、めっそうもないという風に、首を横に振るばかりだった。
半信半疑のまま話はとんとんと進んで、形をつくるために然るべき旗本の家にいったん養女に入る、という煩わしさを求められることもなく、明けた早春に祝言を挙げる運びになった。おそらく信明が、島崎彦四郎の娘のまま嫁入りできるように配慮してくれたのだろうが、こちらになんの波風も当たらないのは、信明がその波風を一身に受け止めてくれているからに他ならない。それとなく感謝の気持ちを伝えると、しかし信明はぽつりと、いや、どうということもありません、と言った。
そのようにさりげなく、しかし力強く、風除けになってくれるほどに、民恵の胸は塞いだ。
信明にそこまでしてもらうほどの価値が、自分に備わっているとは、とうてい思えない。そもそも、信明が自分に声を掛けてきたのも、男ばかりの詩社のなかに女が一人混じっていたからだろう。どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、自分の姿形は、鈴木春信の錦絵に描く笠森お仙や柳家お藤とは程遠い。人によっては、あっさりとした顔の造りが可愛いと世辞を言ってくれるものの、誰も綺麗とは口にしない。漢詩をやっていたからこそ、金魚が緋鯉(ひごい)に見えたのであり、詩社という瓶(かめ)から掬(すく)い上げて池に戻せば、たちまち金魚は金魚でしかなくなるだろう。
そのようにぐずぐずと案じつづけたが、年の瀬になって。新年と嫁入りの支度の慌ただしさに紛れているうちに、ま、仕方ないと観念した。あれこれ考えても、いまさら信明が差し向けてくれた舟を下りるわけにはいかない。こうなったからには、辿り着くところまで辿り着いて、自分が先行きどうなるのかを見届けよう。せめて、信明の気持ちに報いるために、すんなりと男の赤子を授かればいいが、などと思いながら年を越した。
それから二年半近くが経って、いまは天明八年七月の盆である。
民恵が奥様に収まった神尾家の屋敷は、芝は愛宕下(あたごした)の藪小路(やぶこうじ)にあって。この時節になると、江戸では珍しい盆踊りが見られる。程近くに構えられた越後長岡藩を預かる牧野家の中屋敷前に、増上寺で俗勤(ぞくづと)目をする人たちが三々五々集まってきて、やがて円を描くように踊り始めるのである。僧侶にならずに増上寺に詰める者たちの八、九分は越後衆であり、やはり越後の新発田藩を治める、久保町の溝口侯(みぞぐちこう)の屋敷前にも盆踊りの輪が生まれる。越後が延びる芝愛宕下は、盆踊りの街でもある。
両侯の屋敷のあいだにある神尾の家にも、越後の唄が、太鼓の音も届く。例年ならば、芝の初秋の風物として耳を楽しませることもできるが、五年前の浅間山が噴火して以来の、飢饉の疵(きず)が癒え切らない時節の盆とあってみれば、なにやら音色も物哀しい。けれど、神尾の屋敷の門を潜れば、そこには喜びに包まれている。当主の信明が、二十八歳にして、本丸書院番三番組に初出仕したのである。
両番家筋とはいっても、誰もが書院番頭と小姓組番に番入り出来るわけではない。資格を持つ家は千五百家ほど。そして本丸と西ノ丸の両番二十組を合わせた番士の枠は千名である。巷(ちまた)では半数を越える六、七分ほども番入りするからこそ、けっして残る三、四分の五百家のなかに数えられてはならない。両番家筋の家は、嗣子(しし)が御当代様の初見(しょけん)に与ってから番入りするまで、張り詰めた時を送る。信明が将軍家第十代徳川家治に初御目見したのはもう七年前であり、それだけに、神尾の家は安堵の色に染められていた。
加えて、神尾家は六日ほど前に世継ぎを得ていた。幼名、進次郎、民恵が男子を産んだのである。
番入りと嗣子誕生が重なって、神尾家は二重の喜びに浸っているが、民恵の顔は浮かない。赤子の産声を聴き届け、男の子であることをたしかめたのも束の間、熱に襲われて臥(ふ)せってしまった。意識も途切れとぎれで、ようやくはっきりと目覚めたのは、五日が経った昨日の午(ひる)過ぎである。すぐに進次郎を抱いて乳を含ませたいと姑の隆子(たかこ)に訴えたが、医者に止められていると退けられた。母体の熱を上げさせた産褥(さんじょく)の毒が子に回らぬよう、大事をとると言う。夕になって城から戻った信明も案ずる顔を隠さずに、しばらく床は上げずに躰を休めてください。と言い、そはて、おもむろにつづけた。
「危なかったのですよ」
夫婦(めおと)になっても、信明は詩社にいた頃と変わらぬ丁寧な物言いする。それを怪訝に思ったこともあったが、やんわりと諭されてみれば、まだ躰の奥に危うさの微のようなものが残っている感覚があって、そのときは、信明の角の丸い言葉がありがたかった。
今朝になって、隆子自ら進次郎を抱いて部屋を訪れてきてくれて、怖いほど柔らかい躰を両の腕に包んだ。目を瞑(つぶ)って眠っているのに、時折、にやりと笑う。
思わず、寝間着を介してあるものの、重みを増した左の乳房を真っ赤な頬に押し当てると、まだ微(かす)かに痛みの残る躰の深くから愛おしが噴泉のようにこみ上げてきて、一刻も早く、乳房を覆う薄布を退(しりぞ)けて、その唇に乳房を含ませたいと思った。それに、赤子を産んだだけでは、信明の気持ちに報いたことにはならない。しっかりと、自分の手で進次郎を育て上げなければならない。これからは臥せっていた分も取り返さなくてはと、知らずに進次郎を抱く腕に力が入ったとき、傍らで見守っていた隆子が不意に言った。
「お乳は心配いりませんよ」
隆子は五十を越えてもなお美しく、物腰柔らかなのに気丈で、いかにも旗本の奥方らしく、民恵は顔を合わせるたびに、自分はこんな風になれそうもないと思わされる。
「遠縁の者で、瀬紀(せき)という妻女(さいじょ)に乳を与えてもらっています。すでに四人の子を育てているので、赤子の扱いは十分に心得ており、進次郎もそれは力強く乳を飲んでいます。安心して、いまは躰を休めることに専念なさい」
ゆっくりと頷(うなず)いて、わずかに腕の力を抜いた民恵は、隆子はつづけた。
「実は。もともと、瀬紀殿には乳付をしてもらおうと思っていたのです」
どういうことかと、民恵は想う。
「当たり前のことですが、初産の母は乳をやるのも初めてです。母も赤子もお互い初めてなので、どこかぎこちなく、赤子は落ち着いて乳を飲むことが難しくなります。つまり、なかなか上手になりません。赤子が乳を吸うのが下手だと、母の乳の出が悪くなる。乳が出ないという悩みの元は、赤子の下手さにもあるのです」
そのように言われてみれば、そういうものかと思わざるを得ない。
「ですから、最初の乳は縁戚の手慣れた者に頼みます。慣れているから、赤子も安心して吸いついて上手になったところで、母親に戻します。初めからその予定だったのですから、貴女が気にされることはありません。しっかりと養生して、すっかり回復したら、貴女が乳をおあげなさい。もう、進次郎もすっかり乳首に慣れて、とても上手になっていますよ」
姑が気を遣って言ってくれている事は伝わってきたが、それでも自分の意識が朦朧としているあいだに、我が子が乳の吸い方が上手くなっていると知らされれば、どうにも釈然としない。いくら仕方なかったのだと思おうとしても、やはり、それは自分がするべき事だったのではないか、という想いがどうしても残る。
縁戚とは聞いたが、いったいどんな女(ひと)が進次郎に乳を含ませていたのかも気になって、その瀬紀様にいまお会いできないか、と隆子に願った。自分のわだかまりはわだかまりとして、この六日近く、自分の子もいるにもかかわらず、乳を付けつづけてくれたことについては、深くお礼を申し述べなければならないと思った。
「そうですね」
けれど、姑は首を傾げて言った。
「でも、最初の顔合わせは床上げのあとの方がよいでしょう。縁戚とはいっても、やはり家人(かじん)とは違いますから。いまの貴女のいちばんの務めは養生することですよ。気持ちは伝えておきます」
そう告げたあとで、躰の負担になるかと姑は両手を差し伸べ、進次郎を抱き受けようとしたが、民恵は、もう少しだけ、と乞うて、気取られぬように乳房に押し当てた。
瀬紀と顔合わせたのは、それから三日が経った七月十七日の朝四つだった。
前日の送り盆に、思い切って布海苔と小麦粉で髪を洗い、風呂を頂いて、髪結いを呼んだ。それだけで半日以上が過ぎてしまったが、夜具を片付け、茶殻(ちゃがら)で拭き清めた座敷につくばって、結い終わった丸髷(まるまげ)に気に入りの笄(こうがい)を差し、ふっと息をついて、まだ咲き誇りつづけている庭の百日紅(さるすべり)の花に目を遣ると、早く明日が来ればいい、と思うことができた。きちんと瀬紀に御礼を伝えて。けじめをつけ、時間を元に戻さなければならない。
けれど、日が替わってみれば、民恵の想うとおりには運ばなかった。
藪入(やぶい)りの昨日も屋敷から出ずにいてくれた女中の芳(よし)が呼びに来て、姑の座敷へ出向いてみると、隆子と共にいたのは、二十二の民恵と同じ齢格好の若い女だった。肌が白磁のように白く、肌理(きめ)細かく、同じ女でも魅入られてしまうほどに輝いていて、いかにも細く華奢(きゃしゃ)な腰つきが、まだ子供を産んでいない事を訴える。
顔の造りは小振りだが目は大きく、その大きさを恥じて小さく見せようとしているのか、常に瞼を伏せがちしている様が憂いを仄(ほの)めかす。文字通り錦絵から抜け出てきたようであり、旗本のお姫様を絵に描いたようでもある。この女(ひと)は誰なのだろうと訝りながら膝をたたんだ民恵に、しかし隆子は言った。
「早速ですが、紹介いたしましょう。こちらが瀬紀殿です」
すぐに、女が名乗った。
「瀬紀と申します。ご挨拶もせぬまま、御屋敷にお邪魔いたしております。以後、お見知りおきくださいませ。奥様におかれましては、すっかり回復されたのこと、恐悦至極に存じ上げます」
間近から届く声がまた涼しくて、残暑を忘れるほどに快く、とたんに民恵はうろたえた。
すでに四人の子を産んでいる、と聞いていたので、勝手に四十近い婦人を想い描いていたのだが、あれは姑の言い間違いだったのだろうか。それとも、早々と十五、六で母になったのだろうか。それにしても、まるで娘のようなこの姿形はなんなのだろう。
ともあれ挨拶を返し、なんとか用意しておいた例の言葉を述べたものの、そのあとで、どんなやりとりをしたのか覚えていない。見れば見るほど、目の前の美しい女と進次郎に乳を付けてくれた女が重ならず、混乱するばかりの頭がようやく堂々巡りを辞めたのは、芳に抱かれていた進次郎が鳴き声を上げた時だった。
思わず腰を浮かせた民恵を遮(さえぎ)るかのように、隆子が初めて孫を授かった姑の顔をあからさまにして、あらあら、お乳がほしいのかしらね、と言い、瀬紀殿、とつづける。瀬紀は一瞬躊躇(ちゅうちょ)して民恵のほうに目を向けたが、再び隆子に促されると、芳から進次郎を抱き受けて、縞縮緬(しまちりめん)の単衣の胸をはだけた。
柳のような腰には似つかぬずっしりとした乳房が現われ出て、進次郎が吸い寄せられるようにその先を頬張る。
初産の自分の乳首は褐色に変わって濃さを増しているのに、瀬紀のそれは四人の赤子を産んでいるにもかかわらず、淡い桃染(つき)色に染まっている。その桃染色の広がりに、進次郎は自分には目もくれずに顔を埋めて、ほくほくと頬を膨らませた。傍らでは、隆子が柔らかな笑みを浮かべて眺めている。
知らずに民恵は、ほんとうはこうだったのだと感じる。
目の前の光景には、何の違和感もない。瀬紀はその絵に収まっている。自分よりも遥かに旗本の奥様らしく、隆子との関わりも自然だ。
隆子がいて、瀬紀がいて、芳がいて、そして進次郎がいる。足らないものはなにもない。自分だけが、よけいだ。
いたたまれない思いが込み上げる民恵に、不意に隆子があげてみますか、と声をかけた。民恵が答える前に、瀬紀が進次郎を乳房から離し、笑みを浮かべながらにじり寄る。どうしようかと思う前に、瀬紀の両手が伸びて。むずかる進次郎を抱き受け、吸ってくれ、出てくれと念じながら乳房を与えた。
進次郎は色の違う乳首を嫌がることなく咥えて、初めて知る強さで吸う、思わず安堵したが、吸われるたびに乳首ではなく体の深くに痛みが走って、この痛さはなんなのだろうと民恵は思った。
気休めに腰をずらしてみるが、去る気配はない。脈打つ痛みを、民恵は忘れようとする。痛みくらいで、進次郎の唇を離したりはしない。抗(あらが)うように右の腕に力を送ろうとしたとき、しかし、進次郎が乳首を避(よ)けた。
そして、すぐに鳴き声を上げる。
そうではないと思ってはいたが、やはりそうらしい、乳が出ていないらしい。もう一度、乳首に導いてみるが、もはや進次郎は頬張ろうとしなかった。
「ゆっくり、ゆっくりね。焦ることはありません」
隆子が言って両手を差しだす。拒もうとしない自分を歯がゆく感じつつも、民恵は進次郎を戻した。
再び、瀬紀の乳房にありついた進次郎はとたんに泣くのを忘れ、吸うのに没頭する。その小さな頭の中に、自分の居場処はまったくないのだろう。今日でさっぱりと戻そうとした時間は、まだまだつづくようだ。
瀬紀の白い胸元に浮かぶ仄青(ほのあおい)い筋を認めながら、民恵は不意に、この女(ひと)を会わせてはいけないと思った。この女を信明に会わせてはいけない。この女を見れば、信明はたちまち、己のまちがいに気付くだろう。
そうはいっても、民恵がなにをできるわけでもなく、それでも瀬紀と信明の時間が重ならずに七日が過ぎた七月二十四日の午七つ、乳を付け終えて戻る瀬紀と、城から帰った信明が門を入った辺りで顔を合わせるのを、民恵は見送りに出た玄関先から見た。
隆子からは縁戚と聞いていただけなので、瀬紀と信明どう繋がりになるのか民恵は知らない。知らないけれど、軽い挨拶を済ませればすぐに自分の立つ場処へ戻ってきてくれるはずだという期待に反して、信明は久々の瀬紀との再会を心から喜ぶように顔を崩し、唇を動かしつづける。屋敷内とはいえ、奉公人の目もある。他家の妻女とあまりに親しくしすぎるのは、差し支えがあるのではなかろうか。
信明はしばしば、旗本の当主の枠からはみ出す振る舞いをする。信明のなかで、清新性霊派の詩人が、書院番組番士に勝つのかもしれない。とはいえ、だからこそ自分はいまこの屋敷の奥様でいるのだなどと思いつつ、民恵は二人に目をやりつづける。
声は届かない。それで、御役目から戻った夫を出迎えている若妻のようだ。
そんなことはない。自分だと民恵は思おうとする。こんな離れた処で立ち尽くしてすることはない。自分もそこに行って、話に加わって構わないのだと叱咤するが、足は動こうとしない。
七日前の床上げ以来、瀬紀の姿が見えなくなったあとで、進次郎に乳房を含ませているが、やはり乳は出ない。しびれを切らした進次郎がむずかるほどに己の居場処が狭まっていく気がして、だんだんと民恵は隠れるようにして胸をはだけている。与えてはいけないものを、与えている気になっている。
まだ、産褥の残っているのかもしれない。だから、鬼子母神(きしぼじん)が乳を止めているのかもしれない。躰の深くの痛みは、きっと鬼子母神のこえなのだ。
ようやく信明が戻って、民恵は言葉を待つ。瀬紀との縁繋がりを説く言葉を待つ。
けれど、信明の唇から出てきたのは西湖吟社の様子だった。城の帰りに立ち寄ったらしい。共に知る名前が次々と出てきて、民恵はいちいち相槌を打つが、懐かしさもそこそこである。それよりも、今しがたの瀬紀との話の中身が知りたい。
「瀬紀様はお美しいですね」
民恵は思い切って口を挟む。
「はあ」
けれど、信明からは力ない返事が戻ってきた。
「そうですね」
そして、すぐにまた詩会の話に戻ってしまい、もうそれ以上は訊けなかった。明らかに信明は、自分と瀬紀の話をするのを好んでいない。
自分はおそらく‥‥と、民恵は思う。夕餉(ゆうげ)のあいだも、進次郎に湯浴みをさせているあいだもずっと、自分はおそらく…と、思いつづける。…‥信明に瀬紀との縁を尋ねることはできないだろう。訊けば、訊けばよかったことを、たんと聴かされることになるにちがいない。なにも、この屋敷を出て行く時間を自分から早める事はない。自分は進次郎に乳を与えていない。乳を与えないまま、出ていくわけにいかない。
三日前、よければ一緒に炊きなさい、と言って、隆子がいかにもついでの風で、鬼子母神のお札と一緒に洗米を渡してくれた。わざわざ雑司ケ谷(ぞうしがや)まで、願掛けに行ってくれたらしい。
「雀(すずめ)にあげてもよいですよ」
別に出なくてもよいと気遣ってくれる姑のためにも、自分の乳で進次郎をお腹いっぱいにさせなければならない。
きっと唇を閉ざしつづける民恵に、信明がぽつりと、言ってみれば乳縁ですか、と言ったのは、床を延べ終えた夜五つだった。
「瀬紀殿とは遠縁で、どういう縁筋になるのか、きちんと覚えていません」
とたんに、民恵は、耳に気を集めた。
「でも、割と近しいのは二人が同い齢で、同じ縁者の女(ひと)に乳を付けてもらったからです。母は乳が出ず、瀬紀殿の母御は瀬紀殿を産む際に命を落としておいででした。不思議なものですね、覚えているはずもないのに、同じ乳房を分け合ったと知らされると、とても近い人に感じられる」
ならば、あの近しさもしかたないのだろうと、民恵は己に説こうとした。
「しかし、まさか進次郎が瀬紀殿に乳を付けてもらっているとは知りませんでした。たしかに瀬紀殿は、初めての子を産んだ時は乳が出なかったと聞いた覚えがあります」
「そんなことまで殿方の耳に届くのですか」
思わず問うた民恵に、信明はあの白花の山吹のような笑顔を浮かべて言った。
「わたしは清新性霊派の詩人ですよ」
そのときふと、なんで今日、信明は西湖吟社に顔を出したのだろうと思った。
番入りしてからは、そうそうは足を向けることはできず、たまに詩会に出るときは必ず民恵にひとこと言っていくのだが、今日に限っては聞いていない。世間ではどうということもないことだが、信明らしくはない。
しかし、ま、信明もいつまでも自分の妻にいちいち律儀を通してもいられないだろうと、気持ちはまた瀬紀のことに戻っていった。
瀬紀も乳が出なかったというのは、ほんとうだろうか‥‥。
翌朝に乳を付けに来てくれた瀬紀に、民恵は意を決して切り出した。
「不躾なことを伺ってよろしいでしょうか」
「どうぞ、なんなりと」
瀬紀の目尻には、笑みがあった。
「失礼とは存じますが、瀬紀様も初産の折、乳が出なかったと耳に挟みましてございます。それはまことのことでしょうか」
「ええ、まことです」
瀬紀はためらいなく答え、ややあってからつづけた。
「民恵様は小夜(さよ)様をご存知ですね」
すぐに頷いたが、相槌の声は出なかった。聴くのが辛い、名前だった。
祝言を挙げて、初めて親しく口を利く機会があった神尾の縁者が、小夜だった。そのときは、名前とは裏腹に、雌牛(めうし)のように頑丈そうな体躯が目に裏に焼き付いていて、すぐに名前を覚えた。けれど、一昨年のちょうどいま頃、小夜は三度目のお産に臨み、産褥の熱によるたらつきから戻らぬまま息を引き取った。民恵が神尾の家に入ってから、初めて参った葬儀は、小夜のものとなった。
春に会ったときは、わたしは戌年ではないのですが、まるで犬のようで、と言って、からからと笑っていた。
「初産のときも二度目も、ほんとうに呆気ないほど安産でした」
その小夜が逝った。
信明から、自分も危なかった、と聞かされたとき、思わず浮かんだのも、小夜の死化粧だった。女の死は、日々の暮らしの傍らにあった。
「もう八年も前のことですが、最初の赤子は小夜様に乳を付けていただきました」
瀬紀は言った。
「わたしは二十歳。小夜様は二十三になっておいででしたが、そのときは我が子に乳を付ける小夜様が、それはそれは美しく見えましたね」
その先を言ったものか、瀬紀は思案しているように見えたが、結局、唇は動いた。
「わたくしは悋気(りんき)いたしました」
「悋気…‥でございますか」
思わず、民恵は言葉を挟んだ。逆はありえても。瀬紀が小夜に嫉妬するなど有り得ない。
「ええ、悋気いたしました。小夜様に夫を盗られてしまうのではないかと怖れました」
瀬紀は真顔だった。
「わたしの悋気は激しゅうございます。生半可ではございません。それで疎(うと)んぜられたのでございましょう。三年後、二人の子を残して婚家(こんか)を出ることになりました」
初めて聴く、瀬紀の来(こ)し方だった。
「いま縁あって、他家で再び妻(さい)にしていただいておりますが、乳が出るようになったのは、その家で三人目の子を授かってからでございます。自分は乳の出ない女なのだと諦めておりましたので、出た時はほんとうに驚きました。なにやら、自分が別の者に入れ替わったようで、女の躰は怪しゅうございます」
その日もよく晴れ渡って、真夏を想わせる陽が降り注ぎ、百日紅(さるすべり)の花弁の韓紅(からくれない)が薄藍(うすあい)の空を抉(えぐ)っていた。
小夜の弔(とむら)いのときも百日紅が咲き誇っていて、なんでこれほどに鮮やかなのだろうと思ったことを覚えている。
「初めて我が子に乳を与えた時は嬉しいというよりも、あ、こういうことなのかというような‥‥。それよりも、小夜様の残されたお子に乳を付けさせていただいたときのほうが、ふつふつと嬉しさがこみ上げてきました。小夜様は亡くなられましたが、お子様はご無事でした。こちらの母上様のご指示で、わたくしがそのお子に乳付けさせていただいたのでございます」
瀬紀は変わらず美しかったが、もう、若い娘のようには見えなかった。そこにはたしかに、己の躰を痛めて四人の子を産んだ女がいた。
「なんと申し上げたらよいか、自分が勝手に悋気をしていた罪滅ぼしをさせていただいているよう気持ちもあったのでしょうが、それだけではございません。もっと広がっていると申しますか、際(きわ)がないと申しますか、乳を付けるほどに己というものが薄くなっていって、なんとも心休まるのでございます」
瀬紀が己の悋気を語り始めたとき、民恵は見透かされたのかと訝った。己の身の上話を介して、自分の悋気を諌(いさ)めているのか、と。
けれど、話に耳を傾けるほどに、そんなことはどうでよくなった。自分の躰のなかの女が、瀬紀の話の先を急かしていた。
「そのようにさせていただいて、なんとのう感じるようになったことがございます」
瀬紀の言葉は、躰に染み入るように入ってきた。
「女は悋気をする生き物でございます。ですが、それだけの生き物でもございません。狭いようでいて、実は、際もなく広い。わたしのこの双(ふた)つの乳房はわたしのものであって、わたしのものではございません。また、我が子のみのものでもない。小夜様の子の乳房でもあり、進次郎様の乳房でもあります。これからも、何人ものお子の乳房になっていくかもしれませぬ。女の乳房はけっして一人の女ものではなく、一族の乳房なのでございます」
一族の乳房…‥。
「民恵様もいま乳が出ないからといって、くれぐれもご自分を責めることのないよう。いまがすべてではございませぬ。わたしのようなことも多々あるのでございます。あるいは明日出るやもしれませぬし、次のお子の時に、いやというほど出るやもしれませぬ。そのときは民恵様が一族の赤子に、たんと乳をお付けなさいませ」
「もしも、これからも出ぬときは‥‥」
出るやもしれぬ。けれど、出ぬやもしれぬ。
「姑の隆子様は、信明様の二人の妹御のときも出なかったと伺っております。それでも気にかけることなく堂々として、一族の乳付けの差配をされておいでです。乳付けの差配は神尾本家の奥様の御役目で、いずれは民恵様がその役を継ぐことになります。わたくしはいつも恬淡(てんたん)として役をこなされている隆子様を、心より尊敬申し上げております」
やはり、この女(ひと)こそ神尾家の嫁に相応しいと思いつつ。民恵は言った。
「瀬紀様にも赤子がいらっしゃるのに、進次郎に分けていただいて、心苦しく存じておりました」
「民恵様」
瀬紀は言った。
「わたしの四人目の赤子は、生まれはしましたが、ついぞ声を上げる事はございませんでした」
ひとつ息をついてからつづけた。
「お産は酷(むご)い仕業でもございます。母も亡くなるし、子も亡くなります」
小夜の死化粧がまた浮かんだ。母の死も、子の死も、傍らにある。
「乳の要る所に乳はなく、乳の要らぬところに乳がある。わたしたちは乳付で、その酷さに挑まなければなりません」
赤子を亡くしたことを一言も語らずに進次郎に乳を付けつづけた女の顔を、民恵は正面から見た。
昔、激しい悋気をしたことも、離縁されてから後添えに入ったことも、瀬紀の美しさの彫りを深めているようだった。やはり、信明は見誤ったのだと、民恵は思った。
その日の夕七つ、瀬紀が戻るのと入れ替わるように、民恵の父親の島崎彦四郎が姿を見せた。非番の日は決まってそうであるように、軽杉(かるすぎ)を穿き、継ぎ竿と魚籠(びく)を手にしている。
探索という仕事柄なのか、それとも、もともと性分なのか、彦四郎はすっと人のなかに入っていく。すでに信明はむろん、隆子まで釣りの輪に取り込んで、目の前の芝の海は言うまでもなく、羽田のおき相模の川崎くんだりまで舟を繰り出していた。いまや、神尾の家の誰もが、彦四郎がいつ顔を出しても当たり前と思うようになっている。民恵と目が合って、井戸端を借りるぞ、と言った時は。もう隆子とのやりとりをひとしきり済ませてき後だった。
「今日はどちらまでおいきでした?」
彦四郎が台所ではなく、井戸端を借りると言った時は、なにか話があるときである。民恵はなにげない言葉を並べながら彦四郎の傍らにしゃがみ、まだ胸に残る瀬紀殿との語らいを脇に退けた。
「羽田の六郷だ」
彦四郎は器用に石鰈(イシガレイ)を捌く。魚籠(びく)のなかには鱸(すずき)とハゼも入っている。
「いまの六郷は、夏の魚と秋の魚が共にいる」
すでに五十を越えているが、彦四郎の横顔は崩れていない。いまなお端整と言える顔立ちは人の気持ちに分け入っていくには邪魔となりがちなものだが、そうなっていないのは、彦四郎が己の容貌にまったく関心がないからだろう。
「まもなく殿様もお戻りになると存じます。みな、大の好物で、さぞお喜びになりましょう」
初めて、信明との縁組の話をしたとき、彦四郎は即座に、あのお方は良い。と言った。なんで信明のことを知っているのかと思ったら、御当代様への初見に先立ち、予見(よけん)のために調べに当たったのが彦四郎だった。
両番家の嗣子(しし)の齢が頃合いになって初御目見を願い出ると、徒目付が身辺の調査をして上で、御公儀御留流(おとめりゅう)の手練と儒学者の二人が事前に接見する。たまたま、神尾の家から願いだされとき、担当に回った徒目付が彦四郎だったのである。民恵が信明との話を受け入れたのは、そういう縁もあった。
「昨日だが‥‥」
民恵の言葉には応えずに、彦四郎は言った。
「信明殿は御城でのことをなにか言っておらなかったか」
目は俎(まな)板の上の石鰈に向けられている。包丁を握る手も動きつづけている。
「いえ」
民恵は目を石鰈から彦四郎の横顔に移した。
「いつも御城のことはなにもお話になりません。昨日もそうでした」
「さようか」
「なにか。ございましたのでしょうか」
問いながら、民恵は、昨日に限って信明が自分には言わずに誠子吟社に立ち寄ったことを思い浮かべた。あるいは御城で、なにかあったのだろうか。
「信明殿とは直には関わりない」
彦四郎は石鰈(いしがれい)を五枚に下ろし終える。
「しかし、まったく関わりのないとも言えない」
「有り体におっしゃってくださいませ」
「実は昨夜、西の丸書院番組の四番組で刃傷(にんじょう)があった」
「えつ」
民恵は信明からむろん、噂にも聞いていない。
「同じ書院番組でも、信明殿は本丸だから事件の場にはおらない。しかし、当然、事の次第は知っているはずだ」
「どういうことでしょう」
「くだらんことだ。実にもって、くだらん」
顔を曇らせながら。彦四郎は言った。
「四番組に、父君がそこそこに重い御役目を務められている番士がおってな。来月実施の運びとなっておる御当代様御出(ごしゅつ)の鷹狩りに際して、栄えある役を仰せつけられた。それを不服とする他の番士たちが、親の威光を笠に着て、よってたかっていびり抜いたのだ」
彦四郎は石鰈(いしがれい)を大皿に盛って、鱸に取り掛かる。
「御当代様を御護りする天下の書院番組とはいっても、この平時にあっては実際にやる事は何もない。ただ、城内虎間に控えて、刻(とき)が過ぎ去るのを待つだけと言えなくもない。おのずと、いったん人との仲がこじれると、いじめは陰湿なものになる。おまえ言って聞かせるのも憚れるほどの非道が繰り返された」
民恵は、自分が昨日の事件というよりも、信明の御役目自体何も知らないことを知った。それを誇ってきたわけでもないが、両番組は世間の目の通りに、御旗本のなかの御旗本なのだろうとは思ってきた。そこで非道が行われるなど、想像すらできない。
「さすがに堪えかねたのだろう。昨日、その番士がいじめを首謀した同僚三名を脇差で惨殺した」
「そのお方は‥‥」
即座に。民恵は訊いた。
「どうなりましたでしょう」
「その場で自裁(じさい)した。介錯(かいしゃく)もなしに、辛かったであろう」
「まったく、存じませんでした。まったく、なにも」
民恵と共にいるときの信明は顔を曇らせたこともなければ、溜息をついたこともない。祝言の前と変わることなく、民恵の風除けでありつづけてくれている。しかし、昨日もそういういつもの信明であるためには、家に戻る前に詩社に寄り、しばし、御役目からいちばん遠い話を交わす必要があったのかもしれない。
「まだ病み上がりのお前の耳に入れる事できないのだが、あえて話したのは、信明殿を支えられるのは、神尾家の用人でも母君でもなく、おまえだからだ」
「こんなわたしがでございますか」
「ああ」
「お戯(たわむ)れにしか聞こえませぬ」
「儂(わし)が言ったのではない。信明殿が言ったのだ」
「殿様が…‥?」
「ああ、おまえを頼りにしていると言っておられた。寄りかかっておるとな」
「まさか」
「儂もそう言ったが、まことのことです、と真顔で言葉を返された」
彦四郎が両手を動かして、大皿の石鰈(いしがれい)の隣りに鱸(すずき)が添う。
「信明殿に親の威光はないが、頭抜けた詩漢の才がある。ご重役には詩漢を嗜む御歴々が多いので、信明殿の覚えは殊(こと)の外めでたい。つまりは、同僚の嫉妬を招きやすいということだ。信明殿は溝口派一刀流の遣い手でもあるゆえ、いまのところあからさまな動きは見えないが、こういうことはある日突然、頭をもたげる」
彦四郎は沙魚(はぜ)にかかる。皮一枚残して頭を断ち、腹に包丁を入れて頭を捻るときれいに腸(はらわた)が取れた。
「くだらさも極まるが、それが現世だ。くだらなくて当然。諸々のくだらなさを捌いて前に進まなければならん」
民恵も沙魚に手を伸ばす、なにかをしていないと落ち着かない。いつも父にまつわりついていた民恵は十歳を廻った頃にはもう魚を下ろすことができた。信明が言っていたように、民恵は有り合わせの材料で、そこそこ旨い料理を作ることができる。
「そうはいっても、それは理屈だ。くだらんものは、ただただ、下らん。堪えるのも限度があろう。かく言う儂には、とても勤まらんかもしれん」
そうしている間にも、沙魚の艶やかな身が、つぎつぎに並ぶ。
「だがな、幸いなことに、書院番が詰める日はけっして多くない。番の日がいかに堪え難くとも、他の日を笑って過ごせていれば、自裁せねばならなくなるところまで切羽詰まることはないはずだ。信明殿がおまえを支えてくれているように、おまえが信明殿を支えて差し上げろ」
そう言うと彦四郎は腰を上げて新しい水を汲み上げ、両手を洗った。
「わたしはどのようにすれば‥‥」
「取り立てて。することはない」
「はっ?」
「また、できるものでもない。ただ、心に溜めて、お前らしくしておればよい。信明殿はな、おまえの詩は開いていると言っておられた」
「開いている‥‥」
「戸が開けっ放たれていて、風通しのよい詩だとな、なおかつ、躰で、身の丈で物を考えるから、頭が走っていない、自分の詩がはたしてこれでよいのか迷ったとき、いつもおまえの詩に立ち戻っているそうだ」
「まことでございましょうか」
「躰で物を考えるから、詩だけではなく、さっとつくる料理もすごぶる旨い、とも言われておったぞ」
「よく分かりませぬ」
民恵も沙魚の皿を洗い流して言った。
「儂もようは分からん。では、これにてな」
「殿様にお会いになってゆかれないのですか。きっと、この造りを見て知ったらがっかりされます」
「いや、今宵はこれから御用がある。また、寄らせてもらおう。よろしくお伝えしてくれ」
そう言って魚籠を拾い上げると、照れたような顔を浮かべてつづけた。
「躰を大事にな」
「父上」
そのとき、民恵はふと思った、自分は信明だけでなく、彦四郎のお勤めについても、なにも知らない。
「なんだ」
「もしかしたら、父上はわざと、勘定所の筆算吟味に落ちつづけたのではございませんか」
「馬鹿な」
「ふっと息をついて、彦四郎は言った。
「儂にそんな器用な真似はできん」
その日の夕餉(ゆうげ)き、石鰈(いしがれい)と鱸の造りと沙魚の天麩羅で話に咲いた。
父上の包丁は相変わらず見事ですな、と信明が言い、その上、御父上は美男でいらっしゃいます。と、少し酒が回った隆子が言った。隆子は相当にいける口である。
そうでしょうか。民恵は混ぜっ返すと、そうですとも、ときっぱりと言い、もしも御父上が独り身であれば、わたしが後添えに入りたいくらいです、とつづけた。
「今宵は、母上はいささか御酒が過ぎたのではありませぬか」
信明が笑い、なんの、なんの、そう申さば、もう沙魚釣りの季節に入ったのですね、と隆子が天麩羅を頬張って、信明、近々、三枚洲(さんまいす)辺りに舟を繰り出しましょう、と話が跳ぶ。
「三枚洲もよろしいですが、わたしはこの前、初めて相模の川崎へ行ったので、次は本牧辺りまで足を延ばしてみとうございます」
「よいですよ、本牧でも。島崎の御父上とご一緒なら、どこでもよろしい」
民恵は、そんなことが父の耳に入ったら、ますます頭に乗ります、などと茶々を入れながら、ともあれ、たしかにここには笑いがあると思ったりしていた。
隆子が彦四郎を話題にするほどに、井戸端での話が甦って、夕餉(ゆうげ)のあとで少し話すことが出来ればよいがと思ったのだが、佐渡奉行所に赴任する詩友へ贈る詩を仕上げねばならぬからと言って、信明は書斎に入った。
ま、今日は今日、話さなければならぬものでもなかろうし、出ぬなら出ぬでもよいからと、寝所で新次郎を抱いて乳房を玩具(おもちゃ)にしていると、妙に熱心に、新次郎が乳首を吸う。
もしや、と思って確かめようとしたが、新次郎は唇を放さない。
そのうち目で認めずとも、自分と新次郎が乳で繋がっているたしかな感触があって、昼間、瀬紀が初めて我が子に乳を与えたときに、あ、こういうことなのかと感じた、と言っていたのは、こういうことなのかと、深く得心が行き、そのまま乳を与え続けた。
すっかり満腹になって、新次郎が眠りに就いた頃に、殿様がお茶をご所望になっています、と芳が言いに来る。しばし新次郎を看てくれるように頼んで水屋に行き、茶を点てて書斎へ運ぶと、民恵の顔を見るなり、信明が、どうしました? と問うた。
「はあ?」
「いや、なにか良いことでもあったように見えますが…‥」
そのときは咄嗟(とっさ)に、いえ、なにもございませぬ、と答えてしまったのはなぜだろう。あるいは、その夜ひと晩くらいは、新次郎と自分だけの秘密にしておきたかったのかもしれないが、よくは分からない。
「捗(はかど)り具合はいかがでございますか」
なにやら背信を犯したような気になって、顔が赤くなっていないか気にしつつ、茶托を置く。
「九分通り上がりました」
信明は茶碗を手にしてゆっくりと口に含んだ。
「あの、ひとことだけ申し上げておきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
いきなり信明に、どうしました? と問われて忘れかけてしまったが、廊下を歩んでいる間中、そのことだけは言っておかなければと思いつづけていた。
「もちろん。なんでしょう」
「はい。あの、わたしは悋気(りんき)いたしました」
「悋気、ですか」
「はい、瀬紀様に悋気いたしました。まことに申し訳ございません」
「そうですか」
「きっとお叱りになってください」
「いや…‥」
信明はお茶を含み、遠くを見やってから言った。
「人は悋気をするものです」
そして、ひとつ息をついてつづけた。
「そう言えば、明日は二十六夜待ちでしたね」
「そうでございました!」
二十六夜待ちは藪入りから十日が経った七月二十六日、暁(あかつき)八つの頃に上がる月を遥拝(ようはい)する行事である。月の出とともに、竜神(りゅうじん)が神仏に捧げる灯火である竜灯と、阿弥陀山尊の御姿が漆黒(しっこく)の空に現れるとされる。
「今年は、あるいは、二十六夜待ちは無理ではないかと案じていました。せっかくですから、明日は新次郎を芳に頼んで、品川辺りに繰り出しましょう。久々に、二人で詩を詠みませんか」
「是非!」
顔を綻(ほころ)ばせながら、民恵は、なんで、なにもございませぬ、などと噓をついてしまったのだろうと、くよくよと思っている。
つづく
ひと夏