素早く服を整えると、余韻をたっぷり滲ませて真田が、そんなに良かったの、訊き返した。喉の奥から言葉が込み上げてきた。飲み込もうとした瞬間に恋人のようなキスをされて、抑制が外れた。「私に触らないで」

本表紙島本理生著

5章

「広告」
スレンダーかつ鈴木京香似の白肌美人がハイヒールを履き颯爽と去る後ろ姿は思わず後ろを振り向き二度見する男たちは多いだろう。恋多き京香さん50歳の雰囲気はしませんよね、美肌と躰の手入れには怠らないエクササイズ(骨盤底筋強化等)に励み、尚ハイヒールを履きつづける女装は立派。ハイヒールは美しい姿勢作り他にも「中国、秦の始皇帝時代高官や豪族たちの妻や側女は纏足(てんそく「爪先立」の木靴)を四六時中履かせられることで膣の締まりの強化のために履いた」)膣の締まり効果がある。

鈴木京香さんと随分前に恋人関係を一時絶っていたイケメン俳優長谷川博己さんといつの間にか復縁し同棲(2020年)しているという。モテモテの長谷川さん何で復縁したの! 近頃多くの40、50代の独身女性たちがずっと年下の男をゲットしている事例が多い、男の心と躰を充分に満足させる秘は、日々辛い修練の賜物による女力があるからだと思う。
官公庁や大企業や有名企業に就職している大卒新入社員で将来高給取り有望な若い男たちは、既に大学のサークルや学内で女に粉をかけられ恋人あり・婚約中。残り物には福があるというが、グローバル化した現在ではそれは完全に無い。日々辛い修練をせず、30歳前後の負け犬の女は男性新入社員を横目で見て指をくわえて悔しがることしきり。ならば、外国に語学留学して国際結婚の道しか残されていないのかと焦る。

湯山玲子著『女装する女』記述ペニスバンドを装着すれば禁断の快感をえられるという。ということは日々辛い修練しない女性でも楽しめるということか! 膣にソフトノーブル避妊具を挿入しておけば禁断の快感を男も女も得られ楽しむことが出来る。ということは30歳前後の負け犬の女でももしかしたらソフトノーブル避妊具を秘して使うことで男をゲット出来るかも! 」
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 駅前は日差しを遮るものがなくて暑かった。遊歩道に入ると木陰が増えたので。真田はほっとした。前髪が汗でべたべただ。今から洗ってもらうのだと考えたら少し気分が良くなる。
 水色の外観はいかにも若い女性向けだった。手作りのボードにカットやパーマの値段が書き込まれている。

 窓越しに覗くと、土曜日だから二つの椅子はお客で埋まっていた。オレンジ色のTシャツを着てピアスをした男と比紗也が並んで手を動かしている。
店内に入ると、先に男が気付いて、いらっしゃいませっ、と勢い良く声を出した。髪を茶色く染めていて目鼻立ちは整っているものの。顎や体についた肉が精悍(せいかん)さを奪っていた。田舎町の八百屋や漁港にいそうな男前という印象を抱く。
比紗也が微笑みながら振り向いて、動きを止める。
露骨に嫌そうな顔をした。
真田は早くも来店した事を後悔しつつ、予約していないんですけど、と店長らしき男に告げた。
「すいません。ちょっとお待ちいただけますか? 十分くらいで案内できるので」
「じゃあ、お願いします」
 と今さら引っ込みもつかずに答えた。
 真田がソファーに腰掛けると、比紗也は何事もなかったように鏡を向き、中年の女性客との会話を再開した。ぴったりとした白いパンツを穿いているために腰から下のラインが目立つ。
 真田はふと、『髪結いの亭主』っていうエロ映画が昔あったなあ、と思い出した。店内のどこからかのんびりした曲が流れてきて、忘れられたBig Wave…という歌詞を耳が拾った。
 店長が男性客のカットを終えて、店の外に送り出してから、真田のところへやってきた。
「大変お待たせしました。さ、どうぞ。初めて、ですよね?」
 と愛想よく尋ねた。はい紹介で、と適当に告げてカードに住所を書き込む。
 店長に渡しながらふと、正直に住所を書いた比紗也に迷惑がかからないかと心配になった。比紗也がまったくこちらを見ない事に気まずさを覚えながらも、窓側の椅子に案内されて腰掛ける。
「どれくらいにします? けっこう伸びた感じですか?」
「そう、ですね。一ヶ月半前とかかな、最後に切ったの」
「じゃあ、普段はわりと長めですか。でも短いのも似合いそうですね。もし長さを変えたくないなら、ちょっと緩くパーマかけたりかしても」
「いやもうそんな歳じゃないですよ」
 と真田は笑って答えた。
「いやいや。むしろちょいワル風とかにあいそうじゃないですか、真田さん」
 するとカットを終えた比紗也がすっと戻って来て
「店長と真田さん、同世代だったはずですよ」
 
と淡々と指摘したので真田は店長と鏡の中で視線を合わせた。
「え、てか比紗也のお客さん? そういうことは先に言えよなー」
 店長が驚いたように返した。
「真田さんに気を遣わせるかと思って。男性のカットのほうがいいでしょう?」
 といきなり質問されて、真田は戸惑いながら相槌を打つしかなかった。その涼しい顔を見て、嫌な奴だ、と思いながら、やっぱり綺麗な女だ、と実感する。
 昨晩のキリコの電話が蘇る。
 どうして一週間前に泊まらずに帰ったのか、比紗也に尋ねてもキリコに尋ねても、はっきりとした回答は得られなかった。

 こういう時に共犯みたいに口を噤む女同士の空気は何歳になっても苦手だ、とげんなりしつつ仕事をしていたら、昨晩ようやくキリコから電話があった。
「なんだよ。心配するだろ。メールの返事もろくにないし」
 キリコはさえない口調で、ちょっと思う所があっただけ。と返すと黙り込んだ。珍しいとは感じた。ほかの女のように思わせぶりな態度をとる性質ではないのに。
「ねえ、真田君」
「なに?」
「あの比紗也って子、何者なの?」
 何者、という言い方に面食らいながらも、真田は即答出来なかった。
「母親は出て行って、言ったけど、父親はどうしているの? それに息子さんの父親の親族は一人もいないの?」
「親父とは仲悪いみたいだし、本人もあんまり言いたがらないから詮索してないよ。結婚するはずの男に捨てられたりもして、親族とも縁切れてるんだと思ったけど」
 電話の向こうでもキリコが大げさにため息をつく。ようやく責められているのは自分のほうがだと気づいた。
「目、覚ませなよ」
 はっきり言われて、覚ませって大げさな、と濁すと、キリコは真剣な口調で続けた。
「何か今までの女遊びとは違って、真田君には、背負いきれないものがある気がするのよ」
「背負いきれないって、俺だって一応、いい歳の大人なんだからさ」
「取り敢えず、あの子の職場だけでも様子を見に行きなよ。あの子は絶対に店長ともやってるわよ。自分の目で現実を確かめて来なさい」
 そして今、渋々髪を洗われているのだった。

 視界を覆うタオルの向こうには比紗也がいる。シャンプーの香りが鼻を掠める。細い指先が頭皮を柔らかく掻く。覆われた視界の数日前の情事が映り込む。
――真田さん‥‥この角度、ちょっと、キツい。
――嘘つけ。だいぶ慣れてきはただろう。
「変なこと考えている?」
 弾かれたように上半身を起こした。ぐっと額を押さえつけられる。
「濡れますよ、お客様」
「君、あれ、知っているか、『髪結いの亭主』って映画」
 と動揺して口走ると、比紗也は事もなげに、知っている、と目隠しのタオルを外しながら答えて
「美容室に来て、あの映画の話をするの、おじさんだけだからね」
 と一蹴したために真田は閉口した。

 シャンプーを終えると、比紗也はあっさりと昼飯に出てしまった。午前中だけ紡を預けているお宅に迎えに行くついでに、言い残して。
 店長のカットは丁寧だった。短髪が好きなのか予想よりもずいぶん切られたが、仕上がにそこまで文句はなかった。
 前髪を整えながら
「比紗也って気難しいでしょう。悪い子じゃないんですけどね」
 と親のように言われたので、真田は内心勘ぐりながらも、ええまあ、と頷いた。
「でも旅先で偶然出会ったとか運命的だよなー。思いませんでした?」
「いや、はい、まあびっくりしたね。東京で再会したときも」
「あのイベントって俺が行くように勧めたんですよ。比紗也にはもっと東京で友達を増やしてほしいって。出来れば本当に運命の人にも出会えたらいいんですけどね」
 と話す店長の口ぶりは嘘はないように感じられた。念のために
「はは。でも店長さんと付き合っているんじゃないですか?」
 真田はちょっと白々しいかと思いながらも尋ねた。
「まさか。比紗也から見れば、俺なんかもうおっさんですよ」
 と言い切られて、真田は少し傷ついた。思い出したように、真田さんは違いますよ、とフォローされる。
「いい感じで大人の男って雰囲気だし、俺と違ってモテそうじゃないですか」
「いやいや、モテないですよ」
「シャツのボタン二つ開けて、夜のバーとか行っちゃいそうじゃないですか。いっそ行っちゃってます? おすすめの店あるんで」
 などと肩を揉みながら言われて、真田は、なんだこの合コンみたいなやり取りは、と若干疲れて首を振った。
 ワックスを両手に擦り込んだ店長は善人そうな笑みを浮かべて、ほんとに比紗也
をよろしくお願いします、と髪をつまんだ。
「…‥あ、真田はさんだ」
 驚いたような声が聞こえて、真田はぱっと振り返った。比紗也に手を繋がれた紡がきょとんとしていた。
 よ、と声をかけると同時に
「真田さんはね、今日、洗濯物が乾いていなかったんだよ、だから昨日と同じシャツなんだよ」
 と店長に向かって言った。
 真田は慌てたものの、店長があっさり受け流して
「そっかそっか。紡、昼飯は唐揚げ食えたかー?」
 と尋ねると、紡は慣れ親しんだ相手に対する素早さで、うん、と頷いた。比紗也は荷物を置きにバックヤードへ消えてしまった。
 立ち上がって財布を出し、会計する店長の顔を眺める。たしかに爽やかとはとは言い難いし、自分よりはいくぶんかおっさん臭くあるが。
 正直、勝てる気がしなかった。

   ☆
 Tシャツを被りながら、ねえ、と尋ねる。真田は誤解したのか、顔を覗き込んだ。
「どうした。どこか痛いのか」
 痛くはない、と比紗也は小声で答えた。ただ寝室で眠っている紡が気がかりだった。
 薄明かりの中、真田の裸の背が遠ざかっていく。広い肩幅、そのわりに意外と腰回りは細い。棚に置かれたティッシュを引き出すところで、目を逸らす。
「どうして店に来たの?」
 むき出しの太腿に冷房の風を感じた。たしかに痛いところはない。真田の抱き方は基本的に優しい。荒っぽく見せるときでさえ背中を支えてくれたり、適度に力を抜くことを忘れない。そうやって大切なものを扱うようにするから、女が錯乱しそうになるのだ。

 それでも抱き合った余熱が引けば、我に返る。ああ、この人はちょっと自分の外見を気に入って口説いて来ただけだと。
「いや、べつに。どういう所で働いてるか気になってさ」
 比紗也はふうん、と呟いた。肝心なことは追求しようとしないのに、ほかの男の存在は気にするんだな、と内心思いながら
「店長の事、なにか気づいた?」
「気付かなかったらいいけど。あえていう事じゃないし」
「比紗也のことはくれぐれもよろしくって言われたよ」
 と振り返った真田が言った。まるで仕返しのように。男の髪はすぐに短くしたがる店長の趣味って、ずいぶん印象が変わった。
 真田が帰ってから、店長が、さっきのカットは大成功だよな、と自慢していたが、たしかに前の中途半端な優男風よりずっといい。

「髪、似合うね」
 とだけ告げて、セミダブルのベッドから下りる。
 シンプルな間接照明のスタンド。ベージュ色のラグには波のような模様。頑丈な作りの棚はたしか北欧家具のだったのか。典型的な独身貴族のインテリアに、短く息をつく。
 一緒に暮らし始めて数週間が経つと、真田の言動に悪気ないことは比紗也にも分かってきた。どちらかと言えば無頓着に気前が良くて迂闊で、だからキリコが訪ねてきたりもするのだ。思い出すと傷が疼きかけたので、忘れるふりをする。
「そういえば、さっき君宛ての速達は?」
 真田に訊かれて、ドアノブに手を掛けた比紗也は
「例の神父さんから、チケットが届いた」 
とだけ答えると、彼は怪訝な顔をした。
「チケット? なんの」
「ピアニストの。赤坂のコンサートホールで」
「なんで神父がそんなものを送ってくるんだ。教会関係のイベントかなにかか?」
 という疑問はもっともだと比紗也も感じたが、上手く説明することはできなかった。
――頭の中で、変な声が聞こえるんです。
――女性の名誉を汚しました。
先日見た悪夢を思い出す。彼に対して、救ってくれるかもと希望を抱いた自分を比紗也は嫌悪した。こんなにすぐに期待するから傷が増えるのに。
 それでも、喫茶店で泣いてしまったときに彼が見せた顔が、今も瞼の裏に残っていた。
 まるで彼自身が痛めつけられたような目をしていた。
「お礼?」
 
と真田が案の定、不思議そうに訊き返した。
「そう。でも困ってて、気を遣って紡の分も同封してくれたんだけど、まさか連れて行けないから。また店長のご実家に頼むのも心苦しいし」
 と切り出したのは、真田が二、三時間でいいから見てくれないかなという期待もあった。紡もすっかり懐いているし、指定席で一万二千円もするチケットを貰って、今さら断るわけにもいかない。
 そのとき真田がはっと何かを思いついたように言った。
「紡の分も、てことは二枚あるんだよな? 俺が行くよ。一晩くらいベビーシッター雇うから」
 待ち合わせの十分前にコンサートホールに駆け込むと、比紗也は女子トイレの鏡の前で化粧と髪を軽く直した。
口紅を塗り、さっとサイドの髪を編んで、一、二本のピンで留めると、近くにいた女性客たちが尊敬のまなざしを向けて来た。こういう視線には純粋に嬉しくなる。
 やってあげましょうか、と言いたくなる気持ちを抑えてトイレを出た。ベージュ色のワンピースに深い赤のベルトを締めて、サンダルもヌードベージュ。ワンピースの裾は柔らかい。

コンサートホールの入り口で待っている間に、ちょっと緊張した。歓も真田も実際は自分と知り合ってまだ間もない。その二人を成り行きとはいえ引き合わせることに、少し抵抗を覚えた。
 先にやって来たのは歓だった。かっちりした紺色のブレザーがいかにもだと思った。比紗也が頭を下げて
「今日は誘ってくださってありがとうございます」
 と告げると、彼は控えめな笑顔を作った後に
「今日はすごく素敵ですね。あ、いつもすごく素敵です。ただ、今日はとくに、初秋の夜に相応しい装いだと思いました」
 たどたどしくも、真っ直ぐに褒めた。言い慣れていない分、かえって本心だと感じた。
「如月さんって、普段は女性と出かける機会も結構あるんですか?」
 と思わず尋ねると、は、いえ、と即答した。
「信徒の女性と二人きりなってはいけないのです。贔屓(ひいき)だと言われて、ほかの信徒の女性たちが嫉妬してしまうので」
 贔屓という単語が小学生のようで妙におかしく、比紗也は微笑んだ。
「女子修道院に指導に行くことはありますけで、シスターたちと外出することは滅多にありませんから」
「シスターって、やっぱり特別な資格みたいなものが必要なんですか?」
 と比紗也は気になって尋ねた。黒いベールを被って修道院にこもる女たちを想像すると不思議な気持ちがした。
「本当に適性があるか三年ほどかけて試します。シスターになってからも強制ではないので、自分が合わないと思えば止める事も出来ます。シスターになるには、いくつかの条件がありますが。まず、洗礼を受けること。未婚であること。子供がいるなら育児が一段落ついていること。既婚の場合は、配偶者と死別していることが」
 と歓が説明した時、コンサートホールの入り口に到着した男を見た比紗也は小さく、真田さん、と声を漏らした。
 真田は大きな歩幅でやって来た。ダークグレーのスーツに真っ白なシャツ、深い青色のネクタイ。伏し目がちになってネクタイの首元を指先で緩めると、髪が短いために太い首が目立った。男らしい顔立ちに柔らかな皺が混ざり、大人の陰影を宿していた。ほかにも男性客はたくさんいたが、真田程の色気と雰囲気を伴った男はいなかった。
 真田が手を振ったので、比紗也は戸惑いながらも歓から離れた。
「お待たせ。どうした。迷子みたいな顔をして」

 比紗也はさっと首を振った。朝出て行ったときにはカジュアルなジャケットだったのに。クリーニング店で引き取って会社でスーツに着替えて来たのだろうか。
 真田を褒めるのは気恥ずかしいので黙っていると、いつもの不機嫌だと勘違いしたらしい真田は取りなすように
「例の神父さんはどこ?」
 と尋ねた。
「名前、如月さんだって」
「その如月さんは? あ、あの人か。見ればわかるな」
 紹介するよりも早く、真田は足を前に踏み出していた。比紗也は慌てて振り返った。
 控えめに佇む歓は、異邦人を見た子供のように怯えて見えた。
「どうも初めまして。徳永さんの友人の真田幸弘と言います」
「あ、初めまして。僕は如月歓と申します。今日はわざわざ、ありがとうございます」
 
と歓は口ごもりながら頭を下げた。
「まだ始まるまで時間があるな。軽く、飲みますか」
 真田はバーカウンターを指さした。歓が、僕はちょっと、と断った。
「そうですか。宗教上の理由で難しいですよね」
「あ、いえ。イエスもぶどう酒を飲んでいましたから、お酒は大丈夫です。ただ始まる前に飲むと寝てしまうので」
じゃあ、コンサートが終わったらどこかで飯でも食いましょう。君は飲むよな?」
 と訊かれて、比紗也は、あ、うん、と頷く。軽く酔いたい気分ではあった。
「でしたら僕は座席に荷物を置いていますので、二人でゆっくりしていてください」
 
と歓は遠慮したように一足先に会場に入って行った。
 バーカウンターで真田はビールを二人分頼むと、テーブルに肩肘つき
「おつかれさん」
 とグラスを向けた。おつかれさま、と言い返して、すっきり苦い炭酸を飲む。ちょっと遅れて胃が熱くなる。楽だ、と思った。歓のそばで緊張していたのもあり、真田と二人きりになった今、自分がいかにこの男に馴染み始めているかに気付く。
「また、なにか怒ってる?」
と訊かれて、比紗也は、なにが、と反射的に強く訊き返してしまった。
「君が険しい顔をしてるから」
「べつに」
 とあしらいつつも、一つ屋根の下で暮らすとことはこんなにも強力なのかと実感した。
「もしかして、デートっぽいから意識してくれているのかな」
「デートって。三人でしょう」
 と指摘しながらも、たしかに久しぶりの真田との外出で高揚していた。
 ブザー音が頭の上から鳴り響いた。
 座席に着くと、歓と真田に挟まれた。なんて対照的な二人だろう、と思う間もなくピアニストがステージに現れた。
 コンサートは素晴らしかった。演奏の終盤で、比紗也は感動して涙を流した。
 惜しみない拍手を送ってから、三人で会場を出た。暗がりの道に着飾った観客たちの高揚感が広がっていくようだった。真田がスマートフォンを出して、提案した。
「店も俺が選んでもいいですか。そうだな、赤坂はあんまり詳しくないけど、一軒」
 あ、あの。僕はここで失礼します。祈りの時間もあるので。お二人でどうぞ」
 と歓は慌てたように遮った。
「そうですか、残念だな。チケットを取ってもらったお礼でもと思ったんですよ。また次の機会にはぜひご一緒させてください」
 と真田は紳士的に歓が同席できないことを惜しんだ。
 比紗也はちらりと歓を見た。遠慮しているというか引いている気配を察する。
 申し訳なく思いながらも、真田の隙のない強引さに負けて
「本当に、今日はありがとうございます。またぜひ」
 とお礼を告げた。歓は、またぜひご一緒したいです、と気弱な笑みを浮かべると、その場をすぐに立ち去った。
 コンサートホールの周辺は都会のわりに闇が濃く、裏通りを歩いていると、遠くに見える高層ビル群だけが異様に輝いていた。

 真田が砕けた口調になって
「しゃぶしゃぶの店なら一軒美味しいところを知っているけど」
 と言った。比紗也は、暑いのにしゃぶしゃぶ、と心の中で思いつつも
「うん。行ってみたい」
 と答えた。
 ビルの地下にある豚しゃぶの店内は照明が薄暗く、ワインセラーまであってお客さんは恋人同士ばかりだった。
 半個室の席で真田と向き合う。いざメニューを開くと、冷房が強すぎるほど効いているから、しゃぶしゃぶの写真を見てお腹が空いてきた。
 かしこまった店員にオーダーをする真田を見て、自分は東京にいるのだと実感する。
 一杯目はシャンパンで、辛口なせいか爽やかで美味しかった。地元にいた頃はサワーやカクテルくらいしか知らなかったことを思い出す。
薄い胴の鍋が運ばれてくるのを見ながら、真田に訊いた。
「真田さんって、今までどれくらいの女の人と付き合ったことがあるの?」
 彼は曖昧に笑った。ボタンを開けたシャツの首元に目がいく。
「歳相応くらいかな」
「相応にも個人差があるでしょう」
 と比紗也は箸や取り皿を手渡しながら返した。
 真田はさんきゅ、と受け取った。
「いや正直な話、経験はあっても、そこまで本気で好きになったことはないよ」
「それって最初に会ったときに私が指摘した気がする」
 
と言うと、真田ははっとしたように、そうか、と頷いた。
「じゃあ君には最初から見抜かれていのか」
 自分だけじゃなくて、キリコだって昔の彼女だったことを見抜いている。だから恋人よりも、女友達という位置のほうが遥かに気楽で得なのだ。
 もしかしたら自分はキリコにそれで嫉妬したのかもしれない、と今さら気付く。女性としての役割を求められることもなく、気が向けばいつでも頼れる関係に。
「真田さんって、何歳のときに初めて女の子と付き合ったの?」
「俺? 全然遅かったなあ。大学の時だよ。初めての彼女だったから、結婚するもんだと思って、親の反対を押し切って大学の近くにアパートを借りて同棲して。結局、就職が決まった先輩に乗り換えられて別れたんだけどさ。一人取り残されてアパートの片付けしていたときは虚しかったな。今でも覚えているよ」
「酷い話だね。恨んだりしなかった?」
「まあ、そのときは腹立ったけど。仕方ないよ。好きじゃなくなったもんは」
 あっさり言われて、比紗也は
「そのときの彼女は結婚するくらい好きだったの?」
 と尋ねた。
「いや、今から出会ってつき合うとしたら、正直そこまででもないかもしれないけど。初めての彼女っていうのは、男にとってそれだけ加点が百点くらいあるんだよ」
「それ何点満点のテスト?」
 と比紗也はからかって訊いた。何点でもいいけどさ、と真田も笑い返した。
「でも思えば、その時にあんまり期待するのをやめたのかもしれないな」
「恋愛とかに?」
「永遠とかに?」
 と真田が淡々と答えたので、比紗也は黙った、自分もかつては永遠というものを信じていたことを思い出しながら。
 もしかしたら初恋というのは巨大な呪いではないかと考えていたとき
「君の好きだった相手は?」
 真田が真正面から比紗也の顔を捉えて、突然、訊いた。
 とっさに目を逸らし野菜の載った大皿を見つめる。しゃぶしゃぶの鍋はとっくに煮立って昆布が揺れている。
 菜箸で野菜やキノコを入れながら、どうしたのいきなり、と返した。
「紡の父親のことを訊いてなかったと思って」
「話さないといけない?」
 訊き返すと。真田は困ったように黙ってしまった。
 如月さんが相手なら、と比紗也は考えた。性別を超えて同じ重さを共有できたかもしれない。でも真田とはどこまでいっても男と女ので、内面をさらけだすことはいっそう傷つくかもしれない危険をはらんでいる。

「今日ね、如月さんにシスターになれる条件を教わってたの」
 と比紗也が話題を変えた。
「君が? だって君、キリスト教徒じゃないだろう」
「そうだけど。洗礼を受けて、育児が終わってからだったら、なれるって。何かそれってすごくないと思わない?」
「君がシスターか。俺にとってはちょっと困るよな。だって君と会えなくなるんだろ」
 と真田は独り言みたいに呟いて、真顔になった。
「俺たち、ちゃんと付き合っているようなものだよな?」
「そう、ね」
「いつもでセフレとか、良くわかない定義にして置くのかと思って。俺は別にいいけど。嫌‥‥本当は良くないんだ。もし店長とか、好きな男がいるんだったら、君の力にはなりたいと思うけど、俺はちゃんと身を引くから」
 と言い切ったことに、比紗也は胸を打たれた。
「店長のこと、本当になにも気付かなかった?」
「正直、俺も偵察に行ったようなものだから、なにも思わなかったわけじゃないよ。君の旦那のポジションを本気で狙ってるって?」
 とすねたように苦笑した真田が気の毒になり、比紗也は思い切って口を開いた。
「店長、ゲイだから」
 真田は啞然としたように言葉をなくした。
「私あんなに親切にしてくれるのか気になったの。だけど真田さんが店に来てくれたたときにやけにテンション高くて、あんないい男と付き合って羨ましい、て言われて、本人もべつにバレてもいいぐらいの気持ちだったけど仕事とは関係ないから黙ってたって」
「いや、だって全然オネ言葉じゃなかったぞっ?」
「喋り方は昔から普通にああみたい。で、その店長のご両親もご存知なんだって。だから私が勤め始めてから、諦めていた孫が出来たみたいですごく喜んでいるって。いくらでも頼ってくれて構わないって言われた」

 真田は混乱したように頭を抱えた。その姿がちょっと面白くて、比紗也は微笑ましい気持ちらになって鍋の野菜やキノコを器に取り分けた。
「はい、どうぞ」
「さんきゅ。じゃあ、なんだ。俺は心配しなくていいのかな」
 と訊かれて、ふいに胸が温かくなった。
「少なくとも店長と私がどうにかなることはないと思う」
 と頷くと、真田はちょっと笑って、分かった、と相槌を打った。この人なりに真剣なのだ、と比紗也はようやく実感した。多少迂闊だったし性欲が先行しているところもあるけれど、真っ当な男の人だと。

 食事を終えて店を出ると、散歩でもしていこうか、と真田が誘った。比紗也は素直に頷いた。
 通りから草木が生い茂った広い公園に入ると、切り離されたように静かになった。
 淡い闇の中をふらふらと踊るように歩く。真田が、君は自由だな、と愛しいものを見る視線を向けてからかった。比紗也は笑いながら返してか、街灯に照らされた巨大な滑り台を見つけた。
 比紗也は懐かしさを覚えて滑り台に向かっていった。背後で真田の呼び止める声がしたものの身をかがめる。
 滑り台の下は空洞で、トンネルになっていた。中に潜り、トンネルの途中で座り込む。
 外部からの遮断された闇に視界を塞がれる。靴の裏でざらざらと砂が鳴る。遊具特有の冷たくて硬い感触。
 四つん這いなった真田がトンネルの中に来て、となりに座った。
「君は本当に、時々、子供に戻るよな」
 表情は暗くて見えず、声ばかりが響く。肩を抱かれた。スーツを着ているのに平気で自分を求める真田に、妙な迫力を感じて俯く。顎を持ちあげられて激しくキスされた。舌が押し込まれる。喘ぐ声を漏らす間もなく、服の中に手が入ってくる。
 真田はばっと上着を脱いで、比紗也の腰の下に敷いた。横たわる。嫌では、なかった。真田がベルトを急いたように外すのも、自分の下着を下ろされるのも。

 砂のついたコンクリートに太腿と尻が触れる。真田がなにかがさがさと探ってたかと思うと避妊具を取り出したのでちょっとだけ笑ってしまった。封を切る。耐えきりなったように入って来る。思わず呻き声が漏れる。きつかった。でも、すぐに馴染んた。真田はいつもそうだ。
中の奥の奥まで溶け合う。真田が耳元で漏らした。
「俺の方がもう変になりそうだ」
 狭いトンネル内に声が反響し、ざあっと快感が波立つ。
 後頭部を支えられ、楽だけど真田の手の甲が下敷きになっているのが気に掛かかった。怪我しないだろうか、と心配になる。
 顔にかかった髪を、真田はそっと払ってくれた。なぜか泣きそうになった瞬間、快感が精度増した。
「え。あっ…‥真田さん」
 どうした、という問いに答える間もなく、比紗也は大きく痙攣した。真田が察したように慎重に動きを続けた。
 声すら出せずに最後まで感じていた。
 息切れしながら仰ぎ見ると、真田の笑みを浮かべて頭を撫でて来た。現実が引き返して比紗也は離れた。
 素早く服を整えると、余韻をたっぷり滲ませて真田が、そんなに良かったの、訊き返した。喉の奥から言葉が込み上げてきた。飲み込もうとした瞬間に恋人のようなキスをされて、抑制が外れた。
「私に触らないで」
 闇の中でまともに目が合った。真田は表情をなくしていた。理由を訊いてくれたら、と比紗也は思った。もし真田が、どうしてだ。と問い詰めてくれたら、長い呪文から解き放されるかもしれないと切望したとき
「悪かったよ」
 真田は吐き捨てるように言ったので、比紗也は口を噤んだ。
「そうだよな。君にしてみたら、俺はただの大家みたいなもんだもんな」
 珍しく厳しい口調で断定した直後我に返ったように
「とにかくこんなところで、悪かった」
 と下に敷いていた上着をはたきながら呟いた。比紗也は俯いて
「自分の家に帰る」
 とだけ言った。
「もうすぐ一ヶ月経つし。いつまでも居候しているのは悪いから
「そうだな、さすが変な男もいないだろうし」
 と真田はおざなりに同意した。
 マンションに戻り、ベビーシッターから紡を引き渡されると、比紗也はすぐに床に座り込んで衣服を鞄に押し込んだ。紡がびっくりしたように振り返っても
「またな」
 と真田は手を振るだけで、止めなかった。
 マンションのエレベーターの中で、紡が
「真田さんのおうちにはいつ帰るの?」
 と訊いた。比紗也は、今から自分たちの家に帰るよ、とだけ答えた。
 電車を乗り継いでいるうちに紡は眠ってしまい、暗い川べりの道をおんぶして歩いた。
 もうじきアパートだという所で、近くに団地の公園に小さな赤い光が灯っているのに気付いた。よくよく目を凝らすと暗いベンチに誰かが腰かけていた。煙草の火が揺れる。つかの間、呼吸が止まる。比紗也たちに気付いて影が立ち上がる。
 闇のむこうから大股でふらふらと歩いてくる。逃げたいのに、思考が真っ白になって足が止まった。
 暗がりでも分かるくらいによれよれの茶色のTシャツとチノバンを穿いた中年男が細い目をいっそう細めて、笑った。
「なんだあ、こんな夜中に。また遊び歩るいてたか」
 口が動くたびに皺が伸び縮みする。老けて、えぐみだけが増した顔。髯はパサついている。その人の生活は髭の健康状態を見ればわかる。
「‥‥なにしてるの?」
 と問いかける最中も足が震えた。芳紀君、と心の中で名前を呼ぶ。助けて。助けて。助けに来て。叶わないことなど分かっているのに。それでも心の中で繰り返す。男が口を開く。
「何度連絡してもいないから、引っ越したのかと思ってさあ。大家を訪ねたら一ヶ月くらい留守にするって言っていたと教えてくれたよ。だから先週くらいから様子を見に来ていたんだよ。紡がいるから夜中だったら家にいるだろうと思たんだけどなあ」
「会いに来て、なにするの」
 と感情のない声で問いただした。だけど男はあっさり否定した。
「べつにそういうつもりじゃないよ。俺だっていい歳なんだから、それよりさ、金頂戴。いや、お前だって困るだろうから、余裕があればいいんだよ。ただ明日までに三万円払えなかったら、俺、左目がなくなっちゃうかも知れないんだよ」
 三万程度でそんなことになるわけない、と思いながらも、左目がなくなるという表現の恐ろしさに勝てずに頷く。

 この男はいつもそうだ。余裕があれば、と言いつつ、絶対に断れない選択を突きつける。いつだって親子であることを盾にして脅迫のように。
「じゃあさ、家にあげてよ。ほら、土産に。ビール買って来たから。もうぬるくなっているけどね」
 コンビニの袋を見せられる。三万も用意できないわりにはエビスビールのロング缶が詰まっている。自分の金がどんな使われ方するのを悟りながらもアパートに向かう。
「比紗也のアパートは狭いけど綺麗でいいよなあ。俺のところなんて台所から下水道の臭いが上がってきて最低だよ。となりのばばあの家がゴミ屋敷で、変な羽虫もしょっちゅう入って来るし。こんなんだったら。いくら震災で仕事がなくなったらって東京に稼ぎにこないで、仮設住宅入ったほうがよほど良かったかもなあ」
 比紗也はようやく、お願い、と呟いた。
「紡が起きるのには帰って。お父さん」
 男ははいはい、とおざなりに相槌を打つと
「俺、育児得意なんだけどなあ。おまえのことだってここまで育てたくらいなのに
 つづく 6章 キーワード 育児放棄、神、神の沈黙