「広告 セックス最中小さなチンコ、緩いマンコだなと感じるあなたも、他人にあれこれ言えない持ち主である。生出しで雰囲気を損なわず刺激と興奮に満ちたセックスで性戯も自然に上達し上手になれ男と女の深い愛情に繋がっていく。
挿入避妊具なら小さいチンコ、ユルユル膣であっても相手に満足させ心地よくイカせられる」
夢の中から比紗也を引きずり出したものは、彼女自身のうめき声だった。
目を開くと、天井に夜明けの青白い光が揺れていた。シーツに涙が落ちていて、悲しいはずなのに、清らかな水が流れ出たような清々しさを覚えた。泣くのは久しぶりだ。
紡ぎがタオルケットからはみ出して、枕に足を乗せて眠っていた。梅雨のせいか涼しいくらいの朝だったが、紡の額は汗びっしょりだった。
どうして子供って寝ている内に必ずお腹を出すだろう、と比紗也は紡ぎのムーミン柄のパジャマの裾をズボンの中に押し込んだ。
ベッド代わりのマットレスから起き上がり、タンスの引き出しを引く。寝間着を脱ぐと、裸の胸にひんやりした空気を感じた。下着を身に着けて、青いストライプのシャツのボタンを留める。黒いワイドパンツを穿く。
鏡の前に座り込んで、ヘアアイロンで髪を直していると、一瞬、痺れたように頭が動かなくなった。比紗也はヘアアイロンの電源を切って床に置いた。陰った天井で揺れる光をぼんやりと見つめる。紡と二人きりの生活になってから、たまに時間が止まってしまう。
背後で紡がめそめそと泣く声がしたので、我に返って
「起きて、朝だよ」
と呼びかけると、紡はぎゅっと抱きついて、起きない、と首を振った。時間を気にしながらも背中を叩いて抱き上げ、となりの和室へと連れていく。
型抜きを使って花や動物の形にしたリンゴを皿に入れて卓袱台に置くと、紡はようやく機嫌を直した。
紡がトーストにジャムを塗っている間に、比紗也は急いで化粧を終えた。外見に気を遣わなければならない職業をちょっと疎ましく感じながら。
自転車を飛ばして保育園に着くと、同じクラスの佑都が中庭から
「つむぐん、おはよう」
と手を振った。佑都の母親は、おはようございます、とさっぱりした挨拶だけして、すぐに息子の手を引いていってしまった。比紗也は気にしないようにして教室へ向かい、紡を先生に任せて、自転車置き場へ戻った。
佑都の母親は、最初のうちこそシングルマザーの比紗也にやけに親切にしたがった。家に遊びに行き、お茶を飲んでいて、比紗也の職業が美容師だと分かったときだった。
「えー、じゃあ、うちの子の髪切ってもらえない?」
と言われて、比紗也は言葉に詰まった。
「あ、ごめん。図々しかったよね」
と話を打ち切った。それから何となく距離ができた。
自転車で走りながら、彼女は区役所に事務をしているっていっていたけど、と比紗也は考える。それならうちで溜まった書類の整理をしてよ、などと私が言い出したらどうするのだろう。
そんな事を考える自分がひねくれているのだと分かっても、上手く受け流すことができない。昔から自分の面倒臭い性格が嫌いだった。
比紗也が勤めているのは、自宅から自転車で十五分ほど走ったところにある、都内の西武新宿線沿いの美容室である。水色と白のペンキで塗られた可愛らしい外観で、日中のお客は地元の老人や主婦や子供が多い。
自転車を停めて美容室のドアを開けると、定番のBGMが流れていた。君を守ってやると神に誓った夜なのに‥‥という歌声の音量を店長が調節している。
「おはようございます。サザンが似合う季節になってきましたね」
「だろー。まあ、厳密には今日はソロアルバムだけど」
と店長は笑って訂正した。比紗也もつられて笑いながらバックヤードにバッグをしまう。
掃除を始めながら、お洒落な内装のわりにローカルな雰囲気が漂うのは朝から晩まで流れる桑田佳祐の歌声のせいだな、と考える。店長が来世はサザンのお抱え運転手に生まれたいくらい大ファンなのだ。
午前中は年配のお客ばかりだったが、夕方近くなると若者が増えてきた。
フリーのWEBデザイナーで休日の趣味はDJだという藤巻が、髪を切っていた店長に向かって
「そういえば来週の土曜の夜に婚活イベントでDJするんですよ。店長さんも来ませんか?」
とスマートホンの画面を見せて誘った。
店長は愛想よく覗き込んでから、ていうか婚活でDJってなんだよ、と思い出したように突っ込んだ。
「ただの婚活イベントだと味気ないから、広い会場で国産ワインと音楽イベントをかけあわせたようなことをやるとか。お祭りみたいなもんですよ」
「いや、全然わかんないだろ、それ。俺、派手なの苦手だしなー。店もあるし」
最近は顎や背中に肉がついてきたものの、店長は四十歳間近にしては見た目がいいので、そういう誘いは多い。
「店長、仕事終わったら、最近飼い始めた子猫と遊ぶので忙しいですもんね」
比紗也がパソコンで明日の予約客の確認をする手を止めて呟くと、店長が思いついたように口を開いた。
「そうだ、比紗也が行って来いよ。どうせ土曜日は夕方上がりなんだから」「はい?」
途端に、藤巻も笑顔になって言った。
「ぜひ来てくださいよ。女性の参加が足りないみたいで、比紗也さんが来たら、めっちゃモテますよ」
「でも私は子供がいるから」
と比紗也はやんわり断ったが
「夜だけなら俺の実家でみてやるよ。うちの親、引退してすっかり暇してるし」 と店長が割り込むと、藤巻が若干引いたように
「え、店長ってまだ実家なんですか?」
と訊き返した。店長が、実家のなにが悪い、と開き直ったので、比紗也は心の中で笑った。
藤巻がトイレに立った時に、素早く床に落ちた髪の毛を掃いていた比紗也に向かって店長が冗談めかして囁いた。
「たまにはお客さんに付き合って、人脈を広げるのも仕事だって」
「でも紡はちょっと難しいところがあるし、あんまり頻繫にお世話になるのは申し訳ないんです」
「だからこそ、たまには比紗也も気分転換して、もっと友達増やしたり恋愛したらいいって」
それを聞いて、ああ心配されているんだな、としみじみ実感した。縁もゆかりもない土地で、小さな息子ひとり抱えて、仕事と育児だけの自分は。
仕方なく比紗也は戻ってきた藤巻に、たぶん行きます、と伝えた。
店長がブローを終えて白いケープを外すタイミングで会計の伝票を書きながら、着ていくものはあっただろうか、と考える。音楽イベントとワインと婚活なんてTPOが全然分からない。今の季節は光熱費がかからないからH&Mでワンピースくらいは購入しても‥‥と頭の中で計算していることなど知らない藤巻は無邪気に喜んで、詳細をメールしますからアドレス教えてくださいね、と告げた。
☆
渋谷駅前の交差点を縦横無尽に行き来する人々を避け、案外、面倒な道玄坂を上がって脇道を入ったところにあるライブハウスを貸し切った婚活イベントは、開始直前には受付前に行列ができるほどの賑わいを見せていた。
その中には見知った顔もとらほらあった。真田は受付前で腕時計をちらりと見る。パーティが始まるまであと十分程度だった。
背後から、さ・な・だ・くんっ、と声高な口調で呼びかけられた。
「ちょっとー、なに、誰か待っているの」
派手な赤いワンピースにじゃらじゃらとしたネックレスをぶら下げたキリコがからかうように訊いてきた。もともとは男好きな顔だが、やや流行遅れの感は否めないと感じつつも真田は親しみを込めて、その名を呼んだ。
「すっごい人じゃん。今日のパーティって、真田君まわりが企画してるんでしょう。函館ワインって最近人気出てきてるもんね。甲州とか」
「まあ、俺は今回は頼まれて、ちょっと手伝っただけだから、気に入った相手とワインを見つけて購入したら、持ち込みOKの二軒目の店も紹介するから。キリコはもう受付済ませたのか?」
「済ませたわよ。でも、こんなダサい自己紹介カード、ぶら下げる気にならなくて」
と彼女はハンドバックから紐付きのカードを取り出した。そこに記された数字を見て、それなりの人数が集まっていることに、よしよしと安堵する。
パーティが始まったので二人で中に入ると、早くも酔った大人の男女が入り乱れて好き勝手に喋り始めていた。イベントとしては盛況で婚活の色合いは薄いな、と真田は思った。DJブースで回している若者は趣味程度と聞いていただけあってつたない。次回からもっときちんとした人間に頼むようにアドバイスしておこうと心の中で思う。
飲み物のグラスを手にした後も、キリコが壁から離れなかったので
「誰か気になる相手でもいたら、俺にかまわず行っていいよ」
と促すと、キリコは苦笑いした。
「どうせ年齢言ったら相手にされないし」
「なんだよ、自虐的なこと言うなんて珍しいな」
と真田は返した。
「だって最近さすがに自分の年齢を感じるもん。三十八歳でこれなんだから、四十代とか想像すると恐ろしいんだけど」
「そうか? 可愛い女子は、四十歳になっても五十歳になっても可愛いから問題ないって」
「本当に真田君って頭悪いよね」
キリコはあきれ顔をしつつも、まんざらではない口ぶりだった。真田はグラスに口を付けながら目だけで笑ってみせた。
ひとりの女目の前を通ったので、真田は心惹かれて視線を向けた。
爽やかなブルーのワンピース。シルバーのバングルが揺れる手首はいっそう細い。生地を適度に押し上げた胸も、腰回りの張りも魅力的だった。髪を綺麗に編み込んでいるので体のラインが出ているわりには清潔感がある。顔まで確認して、タイプだな、と真田は思った。どこかで見たような気もして、ついまじまじと眺めた。コーディネートの中で、胸元のネックレスだけがちょっと浮いていた。銀色の十字架。ロザリオ。
真田は目を見張り、大急ぎで歩み寄った。キリコが、どうしたの、と呼びかけるのを無視して
「君っ。俺のこと覚えているかな。ほら、何年か前に函館で」
と声をかけた。
女は思い出したように口を開いて、ためらいながらも
「あ、もしかして、一緒にビールを飲んだ」
と返した。真田の中でいっぺんに記憶が蘇る。妊婦で、言動がちょっと突飛で人懐こい――今日まで忘れていたにも拘らず、急激に懐かしさがこみ上げた。
「ビールを飲んだのは俺だけだったけどな。元気にしてた? たしか地方に住んでいたはずだけど、どうして東京に」
「色々ありまして。その節は、どうも」
いきなり打ち切るように会釈をされた。唐突な他人行儀に戸惑った真田はとっさに、いえこちらこそ、と返した。
彼女はそのまま足早に遠ざかっていった。真田は取り残されたように立ち尽くした。
「ちょっと、真田君、あの子、知り合い?」
キリコの台詞で我に返った。
「あ、いや。数年前に旅先でちょっとだけ飲んだんだ」
「マジで? ナンパしたの。すごい偶然じゃん」
笑っているわりには白けた口ぶりだったので、真田はごまかすようにワインを取りに動いた。名前はたしか、何だっけ。ちょっと変わった名前だったよな。
目を離したすきに彼女は数人の男達に囲まれていた。笑顔で相槌を打っているのを見て、真田は呆然とした。もしかしたらあの晩を特別に感じていたのは自分だけで、向こうは鬱陶しいナンパ野郎だと思っていたのか。そう考えたら気持ちがしぼみ、もう忘れることにした。適当にほかの参加女性との会話を楽しむうちに二時間は過ぎていた。
カップル候補の男女たちを残して、一人また一人と参加者は引き上げていった。真田たちもライブハウスで出て久しぶりに飲みに行こうと言い合った矢先、彼女が出入口までやって来た。
夜の中で街の灯りに照らされた横顔を盗み見ると、数年前にくらべて輪郭がシャープになっていた。目元には大人の憂いと色気が足され、それでいてピンク色の唇はあどけなさを留めている。真田は悔しくなる。ますます好みの雰囲気になっている。
ふいに目が合うと
「じゃあ、私、お先失礼します」
と彼女が頭を下げた。真田はやはり名残り惜しくなり
「あ‥‥君は、誰も気に入った相手はいなかったのかな?」
と訊いた。それから、そもそも結婚はどうなったんだと疑問に思った。子供の事がきにかかったが、さすがに面と向かって訊くわけにはいかない。
「今日は付き合いで来ただけだから」
と答えた表情はいくぶん柔らかく、胸に揺れるロザリオはたしかに自分が買ってやったものだった。そうだよな、と真田は考え直した。嫌な思い出だったら、わざわざこんな物取っておくことないよな、と前向きに解釈した真田はキリコには悪いと思いながらも
「もし時間があれば、君も一緒に飲みに行かないか? 偶然、再会できたことだし」
と誘ってみた。
「こっちはキリコっていって、大学のときからの友達。君は、えつと」
「徳永比紗也です。真田さん」
名前を覚えられているなんて想像もしていなかった真田は、腹立たしさが消え去るのを感じた。一方のキリコからはあからさまに不穏な気配が漂っている。
「そもそも前は地元に勤めてたみたいだけど、どうして東京に?」
と尋ねつつも、地元はどこだったかまでは思い出せなかった。たしか函館ではなかったはずだが、と記憶を辿っていると
「三年前にこっちに出て来たんです。渋谷の美容室に勤めた後、一年前から個人経営のお店に」
という台詞キリコも興味を抱いたのか、美容師なんだ、と遮るように言った。
「そうだったな。じゃあ、せっかく渋谷にいるんだから、いい店紹介してくれないか。なあ、キリコ」
「え、あー、うん」
とキリコは乗り気ではないものの、気を遣ったように渋々頷いた。
三人でコインロッカーに荷物を取りに行ってから、会場の外へと移動した。夜の渋谷は若者だらけで、真田は二人を公平にかばいながら移動するのに苦労した。
比紗也の案内で半地下のバーに到着すると、三人でテーブルについてから自己紹介をかねて話した。
比紗也が真田に素っ気ない態度を取るので、キリコの警戒心もじょじょに和らいだようだった。真田は内心すねながらも、取り敢えず元気でやっているみたいだな、と生のミントがたっぷり入ったモヒートを飲んだ。
奥の壁で終始ダーツの音が響くのはいただけないが、値段の割に酒の美味い店だと思っていた時、最低―っ、と声高に叫びながら階段を下りてくる客がいた。まわりがざっと振り返る。比紗也もそちらを見た。
肩の出るニットを着た茶髪の女が驚いたように大げさな笑みを作って駆け寄ってきた。
「比紗也!? なに、ひさしぶりじゃんー」
比紗也は瞬時ににっこり笑って、本当にひさしぶり、と答えた、啞然としていた真田たちに向かって、茶髪の女は調子よく挨拶した。
「どうもー、はじめまして。えみりです。え、一緒に飲もうよ、迷惑じゃないよね」
茶髪の女よく見ると相当化粧が濃かった。若いわりには年季の入った作り込み。真田はすぐに、素人じゃないな、と察した。となりには、後から階段を下りてきた金髪の男が面倒くさそうな顔をして立っている。
まるで状況が読めないまま仕方なく大きなテーブルに移ると、キリコが大っぴらにあくびをした。真田も帰りたい気持ちだったが、比紗也を残していくことを気の毒に思って付き合うことにした。
最初は穏やかに会話をしていた。けれど仕事の話になると
「よく比紗也には髪盛ってもらったよねー。美容室代浮いてすっげえ助かったし。ていうか今はどっちでやってんの?」
えみりが前のめりになって尋ねた。比紗也は水を一口飲んでから、美容師、と早口で告げた。
「へえー。ま、もうキャバで働ける年齢じゃないもんね。私もそろそろ引退考えているし」
やっぱりキャバ嬢だったのか、と納得する反面、真田はますます比紗也のことが分からなくなった。
「比紗也さんって、あんまキャバ嬢っぽくないですね」
金髪の男が煙草を吹かして言った。
えみりが美味しい獲物を前にしたハイエナみたいに、にっと笑った。この女、と泥酔した口調で指をさす。
「大人しそうに見えるけど、すんごいビッチなんだから! 騙されちゃだめだからね」
真田はグラスを持ったまま、とっさに比紗也を見た。彼女は怒りも否定もせずに人形のように笑っていた。
その間に、日比谷公園の公衆トイレでやっている最中に捕まったんだっけ、比紗也の締め付けすごすぎて男がどハマりするていう伝説だったから、などと聞くに堪えない暴露話が続いた。
真田はこの薄暗い空間が悪夢なのか、それともあの雪の夜が美しすぎる夢だったのか、判別がつかなくなりかけた。
「そろそろ、私帰るね。明日早いから」
比紗也はべっだん気分を害した様子もなく切り出した。けれどえみりが
「あっそ。ざーんねん」
と手を振ると同時に
「全然残念じゃないでしょう?」
と言い返した。真田とキリコは面食らいながらも席を立った。ひどいー、という茶々を背中に受けながら会計を済ませる。
比紗也は一足先に店の階段を上がっていった。
路上に出ると、混雑はいっそう酷くなっていた。誰かがデモやテロだと叫んだら信じてしまいそうなほどの人混みを避けるようにして、比紗也は道の脇に立つと二人に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。えみりっていつもあんな感じで」
すっかり毒気を抜かれたキリコが、べつに気にしていないから大丈夫よ、とフォローした。
「ありがとうございます。じゃあ、また。もし良かったら、今度お店にカットに来てください」
と、ショップカードを差し出しながらぎこちない笑顔で告げると、去り際に真田にだけ聞こえる声で
「さようなら」
と囁いて、交差点を渡っていった。真田は眉をひそめた。さようなら、て、まさか、これっきりのつもりか。
「なんか変な夜だったわねえ」
とキリコは我に返ったように言った。
「あのさあ」
と真田は半ば上の空で、キリコに告げた。
「俺ちょっとここで。これからもう一件、約束があるから。送ってやれなくてごめんな」
「は!? なにそれ。今からって絶対に女でしょう。真田君のことだから」
また遊ぼうな、とまったく関係ない返事をして、愛想代わりにキリコの頭をぽんぽんと軽くたたく。不服そうな彼女を残して、雑踏の中へと飛び込んだ。
人の流れとネオンが溢れ返って、比紗也を捜すのは困難だった。取り敢えず駅に向かうと、改札の前でぱっとブルーのワンピース姿の比紗也を見つけた。
「徳永さん!」
と真田は声をかけた。
比紗也は振り向くと、びっくりした顔で
「真田、さん?」
と訊き返した。
「うん。俺も、帰ろうと思って。山手線のこっち?」
「はい」
「じゃあ同じ方向だ」
本当は逆だったが、真田は酔った勢いも手伝って噓をついた。
比紗也の背中を押して階段を上がる。見上げると、夏の連続ドラマの巨大な広告が飛び込んできた。比紗也からはなんの反応もなかったが、手を振り払われることはなかった。
電車に乗り込むとも真田は吊り革につかまりながら、思い切って尋ねた。
「そういえばさ、あのときの、子供のことだけど」
比紗也の表情が少し明るくなった。
「元気ですよ。もうじき三歳になる」
その言葉に、真田はようやく安心した。一方で子供がいるにも拘らず乱れた生活をしていたらしいことに不安を覚えた。
「今日は、どうしているの」
「勤め先の店長の実家で見てもらってる。うちの店長って一人息子で独身だから。孫がいなくてつまらないからいつでも預かるよ、てご両親が言ってくれて。母子家庭だから気の毒がってくれてるんだと思うけど」
「そうか。東京にも親身になってくれる人はいるんだな」
と感心しつつも、比紗也の口からさらっと、母子家庭、という単語が出たことに内心戸惑った。
「あのとき話していた彼とは、うまくいかなかったのか」
「うん。いかなかった」
比紗也は即答した。硬くなった横顔に、真田はすべて察した。
彼女はきっと捨てられたのだ。あるいはやっぱり子供を堕ろせと言われたか。どちらにしても、あれほど信頼していた相手に裏切られたら、自棄を起こしたくもなるかもしれない。
「じゃあ、ここで」
比紗也が降りようとしたので、真田は慌てて胸ポケットを探った。
「これ、俺の名刺。携帯番号も書いてあるから、良かったら連絡ください。あの時の子供の顔も一度見てみたいし」
連絡するつもりはないという気配を滲ませていた彼女が瞬きをした。
「子供の、顔」
そう告げると、ようやく比紗也の表情がほどけた。
「分かった。取り敢えず、メールする」
人混みに紛れた背中が遠ざかるのを見送るよりも先に、電車は走り出した。
つづく
2章 キーワード
自分が生きる意味、先端が埋もれかけた瞬間、吸い上げられるような快感を覚えた、セックスの相性、性的嗜好の一致