目を開けた瞬間、せわしなく回るファンが目に入り、ああそうかと思いながら体を起こす。日本の夢を見ていたせいで、軽い混乱が残ったまま携帯を手に取り時間を確認する。頭ががんがん痛む。昨日の夜に眠れずにワインを一瓶、ウォッカを数杯飲んだのを思い出す。枕元にあったグラスと携帯を持ってキッチンに行き、コーラを一杯飲み干すとトイレに入った。携帯でメールをチェックしていく。迷惑メールを削除した後、SNSのメッセージを確認する。セイラを送ってから返事をしようと思いながら、友達申請が来ているのに気づいてページを開いた。知らない男だった。ブロックしようとした瞬間、メッセージが浮き出た。
「人づてに連絡先を聞きました。イギリスでの生活、応援しています」
何この人、と呟いていた。気持ちが悪い、と意識的に言うと、私は股を拭いてトイレを出た。
ちょうど寝室から出て来たセイラが私を見つけておはようと言う。
「おはよう」
「ママ、起きるの早いね」
「夢見ていたの。日本の夢。起きたらイギリスでびっくりした」
「ほんとに? セイラ、もう日本の夢は見なくなっちゃった」
「私も、久しぶりだったよ」
「あ、そうだ。宿題まだだった」
「まだ早いから間に合うよ」
教科書とノートが詰まったコロコロと引きずるキャスター付きの鞄を開けて、セイラはダイニングテーブルについた。
「ポエム?」
「うん。書き取りと、暗記」
「暗記も? 一人でできる?」
「大丈夫」
最初は泣きそうな顔で行き始めた現地校だったけれど、数日後には数人の友達ができ、一週間後には英語の単語単位で話し始め、数ヶ月後には友達との簡単な会話には苦労しなくなっていた。未だに先生の話をきちんと理解できなかったり、複雑な話にはついていけないようだけれど、今の所留年は免れている。
イギリスに来てもう少しで二年になる。最初の半年は気が狂いそうなほど大変で、英語が話せないせいであらゆることが上手くいかず、怒りに任せて帰国してしまおうかと思った事も何度かあった、でも帰る事を現実的に考えるとそれもまた猛烈に大変で、これから引っ越し業者を探して荷造りをしてアパートの解約手続きをしてセイラの学校を辞める旨の連絡をして賃貸に出してしまった日本のマンションをどうするか、
不動産屋と相談して航空券を取って、とその先のことを思えばむしろ前に進むほうがまだいくらかましかなという惰性でイギリスで生活している内、英語も話せるようになってきて、最近はもう生きる場所なんてどこでもいいやと思うようになった。最初の一年、週五で語学学校に通い必死で勉強した英語も、二年目からは週に二度、二時間ずつにペースを落した。
まだ不自由はあるし、いつまで経っても聴き取りが苦手で何となく相手の言いたいことに確信が持てないまま話してばかりだけど、必死さがなくなったという事は、今の英語力で何とかなるという事なのだろう。
「ママ、最近パパと話している?」
「ああ。二週間くらい前にSkypeしたかな」
「セイラもう一ヶ月くらい話してない」
「今日か学校から帰ったらすれば?」
「いいの?」
「いいよ別に」
「Wi-fiのある家でのみ、セイラにも自分専用のタブレットを使わせ、メールやSkypeが出来るようにしている。祖父母や実の父親、日本で三年間一緒に暮らしていた私の元彼、日本の友達なんかは勝手に連絡を取っていいと言っているのに、何故かセイラは私の元彼に連絡を取る時は必ず私に承諾を求める。彼女が三歳の時に付き合い始めてから三年間、事実婚状態だった元彼の事を、彼女は今でもパパと呼び懐いている。
実の父親ともイギリスに来るまでは時折会っていたけれど、元彼と過ごす時間の方が彼女は楽しいようだった。子供と親というのも相性だなと思う。例えばいつかセイラに妹や弟が出来たとしたら、私は彼らとの付き合いの中で、こっちの方が話しやすいとか、こっちの方が気が合うなどの関係性の違いに戸惑ったりするのかもしれない。
「パパに会いたいなあ」
「今度行こうかって言ったよ。クリスマスの頃には遊びに来るかも」
「パパがいれば夏休みも旅行に行こうよ」
「冬休みには二人で小旅行に行こうよ」
「海のある所に行きたい」
「でもさすがに泳げないよ」
泳げなくてもいいの、と言うセイラに分かったよと言いながらゆで卵とトーストを出す。携帯をいじりながら化粧をしていると、途中でメッセージが入った。「僕も妻子を京都に移住させています」またさっきの男かと思いながら、一体誰から連絡先を聞いたのだろうと疑心が湧いていく。申請を拒否するべきか、誰からIDを聞いたのか問いただすべきか、悩みながらビューラーを目元に押し付ける。
「ねえママ。またマリーの家に行ってもいい?」
「来てもいいって言っているの?」
「「うん。マリーがおうちに来てって言うの、来ないと嫌いになっちゃうって」
何それ変なの、と言いながら、書き取りを続けるセイラを見やる。
「マリーって、どうしてそんなにセイラが好きなのかな?」
「え? セイラのことは皆好きだよ」
「そうだけど、マリーは特別、すっごくセイラが好きでしょう?」
皆すっごくセイラのことが好きだよ。とセイラが真顔で繰り返す。イギリスに来て以来、セイラは男女問わずたくさんの友達にちやほやされてきた。去年、舞台観劇の遠足に付き添いで行った時も、ずっとセイラの隣を離れない男の子と女の子がいて、二人とも競うようにしてセイラに話しかけていた。
小学校へ行くときは大抵、登校途中で友達がさっとセイラの手を取り、ねえねえ昨日は○○だったね、今日は○○しようね、などと姉と妹にするように延々と話しかけている。セイラはまだ英語が不自由であるし、言葉が少ない方ではあるけれど、それが逆に同級生たちの何かを煽るようで、常にセイラの周りには彼女をフォローし、愛してくれる子たちがいる。それは、現地の小学校に入れてよかったと思う理由の一つだ。
化粧を終え、家を出る。セイラと手をつないで、小学校と家の間を七分の道のりを一日二回歩く。それは、イギリスに来て以来私たちの日課だ。
「ママ。おうちに帰ったらお菓子作りたいな」
「今日は駄目。お買い物して帰って、宿題やって、ご飯作らないと」
「えー? セイラ、お菓子作りたいなあ」
「じゃあウィークエンドにやろう。何がいい?」
「チョコレートケーキ。で、作ったらマリーに持って行ってあげたいの」
「マリーのママがいいって言ったらね」
「持って行くだけだからー。いいでしょ?」
「クロエにメールしてみるよ」
セイラの手の温もりが、ふっと離れる。見やると、リアナの手を取っていた。リアナはハーイと私に笑いかけ、すぐにセイラの耳元で何かを囁いた。二人はくすくすと笑って、今日はあれしようとこれしようと相談しているようだった。後ろを振り返り、リアナの母親にモーニンと言う。リアナの妹の手を引いた彼女はハィとクールに言って、ぐずって歩かない妹を叱り始めた。リアナの母親は苦手だ。いつも不機嫌そうな顔をしている。
最初は、娘がアジア系の子と付き合うのを嫌がっている差別主義者かと思ったけれど、すぐにそうではなくいつも不満そうな顔でむすっとしている人なのだと気づいた。最初の頃こそ話しかけてようと努力したけれど、笑顔で話しかける私に「分からないわ」と冷たく言い放つ彼女に凍りついて以来、無理にコミュニケーションを取らなくなった。
イギリス人にも冷たい人と優しい人がいて、下手な英語で頑張って聞き取ろうと努力してくれる人と、分からない、それが英語? と、日本でぬくぬくと育ってきた人間にとってはしばらく立ち直れないような言葉をかける人とかいる。そういえば、リアナの誕生日パーティーの時、写真を撮ったから送るわと言われて半年以上が経つが、写真はまだ送られてこないままだ。
子供たちが少し先を歩く道には、色とりどりの野菜の並ぶ青果店、肉屋、魚屋が軒を連ねている。帰りに肉でも買うかなと思いながら、天を見上げる。まだまだ暖かい陽気に、気分が高揚していく。たまに分からなくなる。今自分が、何故ここにいるのか。自分が何を求めているのか。何のために生きているのか。
ここでは何も変わらない。文化と伝統が重んじられ、日本に比べるとそこそこ世論が固まっていて、新しいもののない世界。二年前イギリスに来た時、私は目新しいものに目を奪われあらゆる店に惹かれたけど、二ヶ月もするとすぐにつまらなくなった。ここには何もない。心が躍るものが何もない。そう思った。心が躍らないという事は、粛々と、淡々と生きていくという事だ。
日本いた時のように、好きなブランドの新作バッグに欲望をたぎらせる事もなければ、化粧品の新作や限定品を狂ったように買う事もなく、友達と飲みすぎて羽目を外したりすることもないという事だ。慎ましく、一本十ポンドのスパチュラを買おうかどうか、もっと安くていいものが見つかるかもしれない、と思いながら半年も買わずにいたり、なかなか理想に合った靴棚が見つからず、散々店をハシゴして何カ月も探し続けた挙げ句、蚤の市で理想に合ったものを見つけて担いで帰ったり、どこどこ通りのレバノン系肉屋の砂肝は新鮮で安い、という情報を友達から得て隣町まで砂肝を買いに行ったり、そういう生活を送るととう事だ。
大抵の物の価格が軒並み破壊され、何でも使い捨て出来、どこにでも百円ショップや三百円ショップがあって、どこにでも空車のタクシーが走っていて、本屋でもコンビニでも商品が次から次へと入れ替わり、どこのレストランも大抵料理が美味しくて、あらゆる店が次から次へと出来ては潰れて行き、欲しいものがあればネットで一瞬で買える世界。それが東京だ。
最初は、何て不便で非効率的で時代に乗り遅れた国だと苛々したけれど、数か月もすると慣れてきた。水道屋やお風呂、電気系のトラブルがしょっちゅうあって、バスもチュープ゛も完全に時刻表を無視していて、眼科の予約を取ろうとすると一番早くて二週間後だったり、日本のぴりぴりした空気に慣れていた私は、この国で自分まで停滞してしまったような危機感を抱いたけれど、こののんびりした空気にも慣れきってしまった。
普通に生きていく。という事が前提にあるから、欲望も、娯楽も必要ない。24時間営業の店などなく。日曜には軒並み店が閉まり、会社員は夕飯時に帰宅し、十二時前にはほとんど見渡す限り家の電気が消える。淡々と日常が過ぎていく。いま日本に帰ったら、私はあの国に巣くう焦燥感に体を端々から食われて消えてしまいそうな気がする。
「ねえこの長芋ってどこで売っているの?」
長芋のポン酢掛けを食べながら聞くと、近くのハイマートだよ、と真里が答える。へえー、長芋って久しぶり、と呟きながらしゃくしゃくと嚙み砕く。日本人の主婦は信じられないほど日本食の情報に通じている。イギリスに来てから半年くらいお米すら食べなかった私には、彼女たちの和食への希求は狂気のように感じられる。
「こういうの、高いんじゃない?」
「うん。このくらいの長さで七ポンドかな」
七ポンド! と目を見開く。よく買うなあと呟くと、何か長芋って時々とり憑かれたように食べたくなるんだよねと真理は笑った。
テレビには、日本のテレビドラマが映っている。iPadと繋げているから画像は悪いけど、真里の家にいると日本にいるような気がしてくる。日本で放送されたドラマは放送終了後すぐにネットにアップされるし、Skypeもある。日本のニュースはネットでいくらでも見れ、国際電話も固定電話に対しては基本無料だし、SNSでリアルタイムにメッセージを送る事も出来る。
あともう少し航空券が安ければ海外の壁はもっと低くなるだろうけれど、インターネットの普及していなかった時代に留学や駐在をしていた人の事を考えれば、随分恵まれた環境と言えるだろう。
その恵まれた環境が仇となり、過酷な海外生活に耐えきれず、家に閉じこもってネット中毒になってしまう駐在妻なんているらしいが、オンラインネットワークの普及が多くの海外生活者の支えになっているのは間違いない。
「エリナ、年末は帰国するの?」
真里は今年の年末、四歳の娘の美和ちゃんと旦那さんと一時帰国する予定だという。駐在家庭は、会社から補助が出る事もあって、ほとんどの家庭が年に一度、夏休みか年末年始に一時帰国するが、どこからも補助が出ず、長芋に七ポンド出す気持ちも理解できない私にとっては一時帰国なんてお金のかかる上に大した意味もなく、旅行はもっぱら国内やEU内で済ませてしまっている。
「しないよ」
「帰りたいとも思わないの?」
「思わなくはないけど、帰る場所も何ていうか、どこも微妙だし」
「そっか、マンション賃貸に出してるんだよね」
「そろそろ、実家も何か居づらいし、ホテル暮らしするとお金がかかるし、元旦那が大体アメリカにいるから、一時帰国するんだったら自分のマンション使ってもいいって言ってくれるてるんだけど、何かやっぱりそういうの嫌じゃん?」
「実家でいいんじゃん。お父さんお母さん、孫に会いたがらない?」
「会いたがるけど。まあ色々面倒でさ」
「まあね。最初の一週間は良いんだけど、段々うんざりしていくよね」
震災後一度だけ、ビザの申請に千代田区の大使館に行った帰りに実家に寄ったけれど、持って行ったガイガーカウンターが0・30マイクロシーベルトを表示し、警告音を鳴らしてから、あの家に行くことは私にとって憂鬱な事になってしまった。実家は東京の。いわゆるホットスポットに入っていた。
「エリナは何か、捌けるねえ」
「そう?」
「会いたい人とかいないの?」
「別に、いないな。今は彼氏もいないし、友達はまあ、こっちにもいるし」
「家族とかは?」
「わざわざ家族に会うために帰国しようとは思わないよ」
真里は怪訝そうな顔のまま何度か頷いて、エリナがシングルだって事が何となく理解できるよ、と苦笑まじりに言った。もちろん私にも、ここで持て余している虚しさはある。イギリスに来て二年。薄い塩酸に浸って生きているかのごとく、少しずつ自分の中の何かが溶けていくのを感じている。
多分それは、何かを目標に生きる事への気力だ。今の私には、生きていく、生活をしていく事しか考えられない。生活のために生活する。生きるために生きる。それに付随する事、子供の送り迎えや家事、英語の勉強、煩雑な事務手続き、それしか私のやるべき事はない。
ではじゃあ日本にいる時私は何を目標に生きて来たのだろうと考えると、大したものは思いつかなかった。楽しいものは、ショッピング、ネイル、美容、映画、飲み会、カラオケ、友達や彼氏も交えてセイラと外食したり、遊園地やピクニック。そのどれも私は心躍らせ、今思えばせわしない毎日を送っていた。
でもかと言ってそれらが人生の目標とか目的だったわけではなく、ただ単に楽しい暇つぶしであり散財でしかなかった。二十代も後半になり、もうそういう楽しみはそんなにたくさんなくてもいいやと思っていたけど、実際に喪失するとそういう無意味なあれこれではしゃいで笑っている事こそが私の生きる意味だったのかもしれないと感じるのも不思議な話だ。
結局のところ、人は虚無にしか生きていない、その事実を認めたくなくて、あんなに忙しく予定を詰め込んでいたのかもしれない。楽しくて楽しくて、走って走っていた頃は良かった。何のために生きているのかなんて考えなかった。立ち止まった瞬間、私は全てを喪失した気になったけれど、実際の所、元々何も手にしていなかったという事なのだろう。突っ走っていられなくなったのは、立ち止まったのは、きっと震災があったからだ。いや、本当はその前から薄々感づいてはいた。でも、日本でぼんやりと生きている間、私はそれを認めずに済んでいた。
イギリスに行こうかなと話したら、元旦那はビザを取るために外務省に勤める知り合いに掛け合ってくれたた。でも、そうして人を巻き込んで突っ走って面倒なあれこれをやり遂げ実際にイギリスに来たら、何にもない生活しか待っていなかった。それでも異国の地で生活基盤を作る大変さを知ってしまうと、じゃあ止めたやっぱりフランスかな、などとも思えず、やっぱり惰性でここにいる。私はいずれ、日本に帰るのだろうか。
これまでに、何人もの日本人が帰国していくのを見てきた。駐在の人、現地で働いていた人、ロンドン在住を売りにして日本市場に働いていた人、留学生、あらゆる日本人が帰国していくのを見てきた。永住組だと思っていた人が、あっさりと日本で仕事が見つかったからと帰国したり、イギリス人と結婚していた日本人女性が、離婚するために別居しなきゃいけないからと子供を連れて日本に帰って行くのを見て、何とも言えない気持ちになった。
人生とは結局、自分自身で左右しようのないものなのだろう。自分で行き場所を選び、特に絶対的な必要に駆られてという訳でもなくイギリスに来たというのに、私の人生の左右できなさを痛感していた。
「私はもう待ちきれないよ」
「帰国?」
「うん。美味しいものいっぱい食べて、友達と飲みまくって、歌いまくって、買い物をしまくるんだ」
「何か、欲望の国日本、て感じだな」
真里ちゃんは浮かれた表情でワイングラスを傾けている。確かに日本は楽しい。楽しいことが頂点に置かれ、楽しい素を追求し、追求し尽くされた挙句楽しいことがつまらないことにすげ替わり、つまらないことが楽しい事にすげ替わる現象が起こるような、とにかくにも楽しいが指標となり構成されたような国に見える。
イギリスには、コンビニもなければ24時間営業の店はほぼ皆無、ネットカフェもなければカラオケもゲームセンターもなく、数少ないエンターテイメントはボーリングや映画、ホームパーティーなどで、日本に比べれば随分慎ましいものだ。夜中の二時三時まで大騒ぎするホームパーティーを上の階でやられると辟易するけれど、外で泥酔している人はホームレスとアル中くらいだし、店でも外でも大人が騒いでいる所は目にしない。
駐在員の奥さんたちは皆、日本に帰りたいという。放射能の事を気にしている人は全くいない。原発が爆発したから避難したと言うと皆が目が点になる。イギリス人も、原発が爆発したから逃げて来たと言うとぽかんとする。この二年いろんな人と話してきて、東京の放射能汚染を危険と感じている人が限りなく少数であることはよく分かった。
原発事故当時は日本食レストランにキャンセルが相次ぎダメージを受けたというけれど、今やそこら中のSUSHIの店にたくさんま客が入っているし、以前ナンパしてきたイギリス人シェフは今年東京の新店舗に転勤になるんだ、と嬉しそうに話していた。とりあえず逃げておいて損はないだろう。そう言う、普通の感覚で避難したにも拘わらず、事故から二年半が経った今、私は駐在の人たちに変人扱いされ、イギリス人にも奇異な目で見られ、時々年配の人に家族一緒にいるべきよと諭されたりもする。
放射能について話せば話すほど人に引かれ、引かれている内に段々私も放射能について話さなくなり、話さなくなるのに比例して考えなくなっていった。こんな事でいいのかという気持ちもあるけど、海外生活の渦中にあっては今自分の考えなければならない事は他に生じてしまう。
最初は私にも、慣れ親しんだ土地を離れる事に抵抗があった。でもやっぱり選択肢はなくて、私自身の選択で沖縄に行ったわけでも、イギリスに来たわけでもなくて、そこに自分自身の選択など皆無だった。
イギリス行きを検討していた時もたくさんの親戚や友達が、誰も知り合いの居ない土地で生活するなんて無理だ、絶対やってはいけない、と私に忠告した。絶対に三ヶ月で帰国する事になる、振り回される子供の気持ちを考えなさい、と私の人格を批判する類いの言葉をかけた。
そういう事を言われるたび、違和感が残った。家族や友達や親戚、そういうものが身近にないと人は生きていけないのだろうか。もちろん、沖縄にいた時も、イギリスに来てからも、最初は知り合いが一人もいない事にひどい孤立感を抱いた。でも、どうしても友達が近くにいないと嫌、とは思わなかったし、親戚とか家族とかを頼るのも何か違うような気がした。
私の人生は個人的なものでしかなく、いや、その人生に於ける岐路を自らもまた選択出来ないという点を鑑みればそれは個人的というよりも、岐路が浮上した時点で既に結果は出ている自然現象のようなものであり、誰が絶対に無理だと言おうが、その決定事項に私も他人も何ら変更は加えられないのだ。
私は彼らが、まるで私が自分自身の強い意志の下イギリスに行くことを決意したかのような言い方をして、それを決定した私自身を批判している事に違和感があったのだ。私は一度も選んだ事はない。私はただ、決められた一本道をひたすら歩いて来ただけだ。私の意思や努力でつかみ取った道ではない。私の性質と状況との兼ね合いで決まった現実だ。私の道は、私が決める前に既に決定していた。
「セイラちゃんは、日本に帰りたいって言わない?」
「言わない。一時帰国も嫌みたい」
「本帰国になったら大変だねきっと」
「本帰国することになった時中学生になっていれば、あの子をどこかの寄宿学校に入れて私だけ帰ることも考えるけどね」
「寄宿学校?」
「セイラの父親は寄宿学校を強く推してるんだよね」
「寄宿学校かー。辛くない?」
「もちろんセイラの意思も考慮するよ」
「ていうか、気持ち的に? セイラちゃんとエリナの」
「気持ちは大丈夫だよ別に。バカンスとかに会いにくればいいし」
「寂しいだろうけど、寂しさを考慮に入れたらもしたい事も出来なくなっちゃうじゃん? 留学したいです、でも彼氏と離れるのは寂しいです、だから行きません。って言ったら一生彼氏の傍で生きて行かなきゃいけなくなっちゃうんじゃん。そんなの自由じゃないでしょ」
「寂しいから一緒にいる、を決断すのも自由じゃない?」
「でもやりたいことを諦めて人に対する執着で一生を左右する決断をするなんて、何かおかしくない?」
「やりたい事が、誰かと一緒にいる事だったりするんだよ」
「もちろん留学を諦めて彼氏と一緒にいるのはいいと思うけど、でも本当に後悔しないのかな?」
「後悔もふくめて人生ですよ」
「私は後悔する人生なんて絶対に嫌だけどなあ。そうだ。真里、朱里(あかり)さん帰国するって聞いた?」
「あ、聞いた聞いた。もうそろそろだっけ?」
「いつだったか忘れたけど。だから今目一杯イギリスを楽しんでいるってすごく嬉しそうに言ってて。で、帰国したら介護するんだって。旦那の親の」
「知ってる知ってる。旦那さんのお父さんの介護するんだよね?」
「うん。何かそれ聞いた時私ぽかんとしちゃって。旦那が転勤だから、ってイギリスは最悪だ最悪だって言いながら嫌々イギリスに住んで、やっと帰国と思ったら嫌々介護? 自分の意思でやってるならいいと思うけど、あの人いつも愚痴ってるじゃない?
自分の人生が旦那と旦那の親によって最悪な形決められていくなんて、なんか悲惨過ぎない?」
「それが専業主婦の運命だよ。旦那の親と旦那の生活を支えるのが仕事だからね」
「会社行きたくないなー、 って言いながら会社に通ってる人と同じって事?」
「そう。世の中にはそんな人がほとんどだよ。会社辞めたら人生終わったも同然だし、今朱里さんが離婚したって子供と路頭に迷うだけでしょ。もうそこしか居場所がないんだよ」
「なんか、話聞いててすっごく絶望的な気持ちになったんだよね。とにかく彼女は何でもいいからパートにでも出て、そのお金で弁護士雇った方が絶対いいって思うんだけど」
「ま、私だったらそうするね。でも、旦那さんの意向とか、お義母さんの希望だったりするんじゃない? 育児とか介護とかって、嫌だ嫌だで何とかなる問題じゃないからね」
「そうかな。朱里さんって、そういう下らないあれこれに自ら縛られてるような気がするんだけど」
「まあ、そうやって縛られて生きていく事がむしろ幸せだと思っている節はあるかもね」
「そんな飼い殺しの奴隷じゃない?」
「でもさ、それって状況によって左右されるものじゃなくて、例えば朱里さんが仕事してたとしても嫌だ嫌だ、って愚痴ってる気がするし、旦那に単身赴任させて子供と日本に残っていたとしても、辛い辛い、って愚痴ってる気がする」
「どんな状況にあっても自分の不幸を探して出してアピールする人ね。もう根本的に受け入れられない」
「エリナはさ、こっちの生活費って元旦那が送ってくれているの?」
「元旦那からもらったマンションが青山にあるから、賃貸に出したら結構いい不労所得になってさ。それプラス養育費。欲しい物がある時だけ東京にいた頃バイトで貯めていた貯金崩してるかな」
「すごいね。元旦那さんって金持ちだったの?」
「金も持ちだし、本人もずっと海外で仕事をしてるから海外生活についてはすごく応援してくれてて。セイラが生まれた時から海外の学校に入れたいって言った人だから、こっちに居続けるためにお金が必要だって言えばもっと送ってくれると思う。就労ビザが取れれば働くけどね」
「何か不思議だね。元旦那さんの関係」
「ビザの事もフォローしてくれたし、すごく世話になったの。元々、離婚した後もアメリカにおいでよってずっと言ってて、私は震災まで海外生活なんて考えた事もなかったから、絶対嫌って言い張ってたんだけどね」
「でも何でイギリスにしたの? そんな仲のいい旦那がいるなら、アメリカの方が楽だったんじゃない?」
「アメリカは、母子じゃちょっとあれかなって感じがしたんだよね。でもやっぱフランスとかイタリアだと言葉が全然分からないし、って思ってイギリスに来たらほんと英語通じなくて焦ったけどね」
「まあ、ちょっとアメリカは母子で生活するの怖いかもね」
「あと、友達のお姉さんがスウェーデンの人と結婚してて、震災があって二人ともすぐにスウェーデンに逃げて、その後はずっとスペインにあるお城に暮らしてるみたいで、海外避難するなら広いお城だから住んでいいよって言ってるよって言われて、一時期はちょっと真剣にスペインも考えたんだけど、何かやっぱりちょっとイメージが湧かなくて」
「何か、エリナの周りって変わった人が多くない?」
「でも、その友達のお姉さんの結婚式にも行ったけど、スペインにお城持っている旦那さんだなんて知らなかったからびっくりしたよ」
「お城を持ってるイケメン外国人と結婚したかったなー私も」
真里はおどけたように言って笑った。初めて放射能避難でこっちに来たと話した時、真里はへえー、と言った直後に別の話題に切り替えた。それはただ単に彼女がその話に興味がなかったからだ。放射能には全く興味を示さず、旦那との喧嘩や小さい諍いが最重要課題であるかのように旦那の愚痴を熱く語る彼女の態度は潔く、私は彼女に好意を持った。放射能の話をスルーして、ねえ聞いてよ旦那がストリップって検索したの、と騒ぎ立てる真里を見て私は彼女が好きになった。
でも、彼女と話していと常に孤独感がある。この孤立感は物心ついた頃から持っていた。人が大事にしている事が、私には馬鹿げた事に感じられる。私が大事にしている事が、人からは馬鹿げた事に見えている。私が真剣にする話ほど人は興味を持たず、私がするどうでも良い話に人は喜ぶ。好きだ好きだと寄って来た人も、話せば話すほど私を嫌いになり、最後には私を突き放して去っていく。私の人生はそういう事の繰り返しだったような気がする。
「あ、もうないねこれ」
真里はそう言って、新しいワインを開けてキッチンに向かった。真里はとてもいい子だ。彼女とは、ずっと仲良くしていたい。
「ねえこの間食べたトルティーヤチップないのー?」
あ、あるよ食べるー? と言う真里に食べたーい、と言って私はグラスを持ってキッチンに向かった。新しいワインを注いで真里と乾杯する。
「あ、冷蔵庫にサルサソースあるから出してくんない?」
はいはい、言いながら冷蔵庫に向かうと、冷蔵庫に貼り付けてあるホワイトボードに、ロールキャベツ、ミートソース、サバ2、と書いてあるのが目に入る。ここには家庭がある。お父さんとお母さんと子供で、完成された家庭がある。真っ暗な肌寒いアイスリンクの中に一人しゃがみ込んでいる自分の姿が頭に浮かぶ。私には、この家庭というものに所属しているという意識が芽生えた事がない。
両親と姉と暮らしていた、幸せであったはずの子供時代も、最初の夫とセイラと暮らした三人の家庭にも、その後事実婚状態だった彼と暮らしていた三人の家庭にも、その意識を持ちえなかった、私は幸せだった筈なのに、何故か皆から切り離され、孤立して生きてきたような気がしてならない。一貫して、私は私が所属したはずの集団、小学生の頃入っていたテニス部、中学、高校と続けていたバスケットボール部、学校外でのサークル、どれにも所属していたという意識を持っていない。
もっと言えば、私は自分が日本人であるという意識、女性であるという意識、二十代であるという意識、母親であるという意識、それらも同時に持っていない。私に付されたどんな情報も、私のアイデンティティになり得なかった。今も昔も私は何者でもなく、強いて言っても強いなくて言っても私は私でしかなかった。
皆が私を受け入れようとした。皆が私に心を開く。とても幸せな思いをした。でも私が心を開けば開くほど、私は疎外された。幸せそうな家族写真写っていない私の足だけが別の世界に立っているような違和感を抱いた。真里の持っている幸福は、私には永遠に手に入らない。それは人間が水の中に生きられないのと同じように、物理的に不可能な事の一つだ。だから私にとってそれは、取り立てて悲しい事ではなかった。
「東京は暑いです。そちらはどうですか?」最初のメッセージが入ってから二週間。メッセージは一方的に送られ続けていた。顔の見えない相手に返事をする気になれないまま、放置してきた。でも、放射能汚染を気にして自分も妻子を移住させている事や、仕事のために東京に残ったのに仕事が出来なくなっている事など、個人的な話を一人で続けている彼に、少しずつ抵抗がなくなっていた。
「ロンドンは気温が上がったり下がったりです」
私はそう入れると、送信ボタンを押した。ぽこんとウォールに映し出される自分の文章を一瞬見つめて、すぐにトップ画面に戻した。自分が身知らぬ相手にメッセージを返した事に、自分でも驚いていた。
「初めまして。保田修人といいます。デザイナーをやっています」
返信の早さに驚いていると、立て続けに画像が入った。私が良く飲んでいたジンの広告だった。
「今までの仕事の中で一番気に入っているものです。これで自己紹介にさせてください」
ネットを開くと、コピーした名前で検索すると。保田修人1976年東京生まれ、グラフィックデザイナー。Wikipediaに名前の載っている人である事に安心すると同時に、本当にこの人なのだろうかという疑問も芽生える。画像検索をすると、たくさんの広告や本の画像が出て来て、その中に本人の画像を見つけた。見覚えはない。
「ずっと一方的にメッセージを送ってすみませんでした。僕はあなたの事を応援しています」
一方的に送られてくる事に耐えられなくなり、メッセージ欄をタップする。
「誰から何を聞いたんですか?」
そこまで打って、消去する。誰が私の情報を漏洩させたのかなんて、考えてみれば聞きたくなかった。「このジンよく飲んでいました」そう送ると、私は携帯を充電コードに繋いだ。何となく落ち着かず、キッチンに行ってグラスにワインを注ぐ。戻って携帯を見ると、返信は来ていない。もう一度携帯を手に取ると。SNSを開いた。
「奥さんと娘さんは元気ですか?」
そう送ると、大きくため息をついてワインを飲んだ。彼の妻は、私とセイラと同じように、母子で身知らぬ土地で暮らしている。彼の話によるとそうだった。「とても元気です」「あなたとあなたの子供が、彼女たち同様、元気にイギリスでの生活を送れるよう祈っています」立て続けに二通入ったメッセージに、何と返して良いか分からず。携帯を放り出した。
そうだ、翻訳をしなきゃ。来年度からアクティビティのシステムが変わると小学校から通知が来ていたのを思い出して、バッグを漁る。普通のプリントのパターンは分かっていても、こうした珍しいタイプのお知らせはいつも戸惑う。書類文化のせいか、イギリスのこういう通知はやけに小難しい文章で書かれているのだ。電子辞書とペンを取り出して、分からない単語を調べていく。
ふと気づくともう三時半過ぎで、私は慌ててバッグを手に、鏡で化粧を確認する。ティシュで少し顔を押さえて、アイラインの滲みを綿棒で拭うと、サンダルのストラップを留めてアパートを出た。帰り道でいつもお菓子を食べたがるセイラのために、ベーカリーに寄ってドーナツを二つ買う。
「どう? 英語は」
顔見知りのおばさんが聞いてくる。もちろん頑張ってるけど、と尻すぼみで言うと、素っ気なくドーナツを渡される。
「続けることが大切よ」
分かってる、と肩をすくめて店を出た途端、エリナに声を掛けられる。クロエだった。いつもはマリーの祖父母かシッターが迎えに来るため、お迎えの時にクロエに会うのは珍しかった。
頬に頬をつけてエアキスを二回する。語学学校に通っていた時、ユーロ圏内の友達はほとんどエアキスをしていたのに対して、イギリス人は意外としないなと思っていたけれど、クロエは初対面の相手に対してもこの挨拶を欠かさない。もう仕事は終わったの? と聞くと、今日は休みなのよと言う。
「今日はチューブに乗らなった? ストライキなの」
ロンドン地下鉄で働いているクロエはそう言って肩をすくめた。そうだったの、全然気が付かなった、そう答えて、いい休日を過ごせた? と聞くと、今日は旦那がいないから、本当に一人きりでゆっくり本を読んで過ごせたのよと嬉しそうに彼女は言った。
「日本では会社の休みは五月に一週間、夏に一週間、年末に一週間。なのよ」
海外の人にうける日本の話の一つに完璧に暗記してるその文章を口にすると、クロエは目と口を大きく開いて信じられないと呟いた。疲れないの? と至極真っ当な言葉を口にするクロエに、日本人は皆いつも疲れてるの、と言うと彼女は笑って、エリナはイギリスでスローライフを楽しみなさいよ、と笑った。日本人はいつも疲れているから、疲れているのがスタンダードで、彼らにとって最早それは疲れているという事ではない。英語で言うのが面倒で、飲み込んだ言葉が頭に染み込んで消えていく。
「ねえ、来週うちにセイラとディナーに来ない?」
「いいの? 私は相変わらずこんな英語だけど」
もちろん大丈夫よと言うクロエに、セイラも喜ぶと思う、と答えた。クロエはにっこりと笑って、後にメールするわと言った。クロエは本当に優しい。母親でロンドンに住んでいると話してから。何不自由はないか、寂しくないか、としょっちゅうメールや電話をくれる。でも彼女と会う度彼女のその優しさが、何となく私を憂鬱にさせる。
四時になると、学校のドアが開く。それまで保護者は外で待つため、小学校の前には親とシッターの人だかりが出来ている。終業のベルがジリリンと鳴り、子供たちが次から次へと出て来る。セイラの姿を捜していると、クロエがマリー! と声を上げた。いつものように、マリーと一緒にセイラも出て来た。セイラ! と呼びかけると、セイラも私を見つけて手を振り、マリーと共に駆けてきた。次々に、親に駆け寄って行く子供たち。
外観だけでは小学校とは分からないほど飾り気のない白い校舎。ゆるりと揺れるイギリス国旗。まだまだ暑く照りつける太陽。激しい車のクラクションがどこから聞こえる。何とも慣れ親しんだ風景。何とも慣れ親しんだ日常。異国の地で母子生活を送っているにも拘わらず、私は終わりなき日常に蝕まれ始めていた。
交差点でマリーと別れ、セイラと買い物をして帰宅すると、私はワインを飲みながら料理を始めた。携帯で何か音楽を掛けようと思って手に取ると、メッセージが表示される。
「そちらで何か不自由があれば言ってください。自分に出来る事なら何でもします」
Shuという名前はそうか修人だからか、と改めて思いながら、もちろん自分の妻子と同じ状況にある人を応援したいという気持ちがあるのはわかるけど、何故この人はその気持ちをここまで私にぶつけて来るのだろうと不思議に思う。自分の妻子の事だけ考えていればいいものを。私はまた少しずつ保田修人という人に疑心を抱き始め、メッセージを無視して音楽を掛けた。
「ねえママ」
なあに? ひき肉を捏ねながら返事をすると、セイラはキッチンに入って私を見上げた。
「ダイって何だっけ?」
「dieのことかな。死ぬって意味だよ」
「今日マリーがね、ママdieすればいいのにって言っていたの」
何それ、と素っ気なく言いながら何となく引っかかってセイラを振り返る。
「ママって? マリーのママ?」
「セイラのママ」
「何それ。どういうこと?」
「セイラのママがdieすれば、マリーとセイラは一緒に暮らせるって言うの」
私は返す言葉が見つからずしばらくぽかんとした後、そんな事はないよと呟いた」
「ママが死んだら、おじいちゃんおばあちゃんか、パパがお迎えに来る。それでセイラはおじいちゃんおばあちゃんと日本に帰るか、パパとアメリカに行く」
そうだよね、セイラは小さく言って、マリーはセイラにパパがいるって知らないのかな、と独り言のように言いながらキッチンを出ていった。そんなにセイラのことが好きなんだね、と笑って言うと、私はまたひき肉をハンバーグの型に形成し始めたけれど、オーブンに入れたハンバーグが焼き上がった頃、唐突に薄気味悪くなった。
マリーの姿を思い出す。くりくりとカールした長い金髪の、背の高い女の子。手足は見ていてどきどきするほど長く細く、小さい顔に似合わないほど筋の通った鼻と、エルフを思わせる、少し尖った耳。控えめで、いつも戸惑ったような微笑みを浮かべるあのマリーが、本当に私が死ねばいいと言ったのだろうか。ご飯だよと言うと、DVDを見ていたセイラはリモコンで停止させて椅子に座った。
「ねえ。ご飯が終わったらパパとskypeしていい? さっきメッセージしたらパパがいいよって言っていたの」
セイラの言うパパは、さっき私が死んだらお迎えに来ると言ったパパではなく事実婚だった元彼の方だ。二人ともパパと呼ぶけれど、私はセイラの口ぶりだけでそれがどちらのパパなのか分かる。
「いいよ。掛けなよ」
やったあ、と言いながら、セイラはハンバーグを食べ始めた。セイラ、保田修人、マリー、クロエ。静かに一人で過ごしたいのに、それぞれが私の心をざわつかせていた。この毛羽だった心をどうしたら良いのか分からない。一人になりたかった。人と共にいる事に、唐突に耐えがたくなる事がある。たとえどんなに楽しい日常を送っていても、私は時々、自分が一人でこの地球に存在していない事が耐え難くなる。
去年語学学校が一緒だったエジプト人のクレアとパブで軽くランチをした後、久しぶりのウエストエンドを散策するためにサングラスで目を保護して高い位置で髪を縛った。ショーウィンドウを流し見て、リージェントストーリーのベーカリーでフォカッチャを買った。ここのフォカッチャはどうかしている、と思うほど美味しい。フォカッチャに合うおかずは何だろう、今ご飯を食べたばかりで全く想像力が働かない。
ステーキ、ミネストローネ、と無理矢理考えながら、さっきまで曇っていたのに突然照りつけ始めた太陽の暑さに堪えかねて、近くのスターバックスに入ってラテを頼んだ。店内は微弱であるけれどエアコンが効いていて、二階で椅子に座ると私はほっと携帯を取り出す。夏もそこまで気温が上がらず、湿度が低いため、イギリスでは店にも家にも冷房はほとんどない。
冷房があるのはホテル、デパート、スターバックス、という観光客の訪れるスポットばかりだ。日本の猛暑も地獄だけれど、外に居ても家に居ても暑さから逃れられないという状況もまた地獄だ。
「そちらはまだ昼ですね。東京は今日三十度を超えました。熱中症で運ばれる人はまだまだ多いです」
取り出した携帯に浮かび上がった保田修人からのメッセージにはそう書かれている。二年間日本の夏を体験していないだけで、もうそれがどれほど過酷なものであったかが想像出来なくなっていて、蘇るのはクーラーの効いた部屋独特の匂いだけだった。あのキンキンにクーラーの効いた、しんとした空気が恋しい。
「今年はロンドンも夏が長引いています」
何だかんだで彼とは時々メッセージを交わすようになった。何気ない天気の話だったり、放射能被害についての彼の考え方だったり、日本の政治の話題など、彼は考えたことをそのまま送っているように感じられた。私が返信する数は少なかったけれど、彼は私の返信の有無に拘わらず一日に数回メッセージを入れてくる。まるで私は、彼のメルマガでも取っているかのようだ。
「この間、久しぶりに新規の仕事の依頼を受けました、上手く行くか分からないけど、やりたいと思えただけで何か一つ乗り越えられたような気がします。」私は一瞬何か祝福の言葉を返そうか考えを止めた。彼が震災以来出来なくなっていたデザインの仕事を再開させたことに、私は何の感想も抱いていなかった。
ハーイ、と声をかけられ、反射的に声の主を見上げハーイと返す。
「ここ座ってもいい?」
「どうぞ」
椅子が十以上ある大きなテーブル席とはいえ、空席もたくさんあるのにわざわざ隣に座った青年に、軽く疑心を抱く。
「ちょっと話さない?」
人懐こい目で覗き込まれ、私は一瞬で疑心を忘れいいよと答える。柔らかそうな髪の毛と大きな目がレトリバーを思わせる。彼の服装を見て、何となくイギリス人ではないかもと思った。
「学生?」
「ううん」
「日本人?」
「そう。よく分かったね」
「僕はベルギー」
「ベルギー? 前にブリュッセルに行ったことがある」
「本当に? 僕は日本に行ったことはないんだけど、僕のイヤホンは日本製だよ」
「ソニー?」
「ううん。パナソニック」
「使い心地は?」
「最高だよ」
彼は嬉しそうにほらとポケットの中からイヤホンを取り出して見せた。何だかコントみたいな会話だと思ったけれど、彼が奇をてらわず話しているから、私も自然と話していた。
「ベルギーっていったら、今ストロマエが人気だよね?」
「知っているの? すごいな。イギリスにいる日本人の女性が知っているなんて」
「語学学校でEU圏の生徒たちがよくストロマエの話をしていたの。私フランス語知らないから歌の意味は分からないんだけど。ベルギーの公用語はフランス語だっけ?」
「オランダ語とフランス語とドイツ語だよ。僕は南ベルギーの出身だし、ママンがフランス人だから家族は皆フランス語を話しているよ。オランダ語も話せるけど、フランス語の方が楽かな」
「すごいね。私は英語だけで精一杯」
「アジアの言葉はアルファベットじゃないから、大変だよね」
「うん。特に日本は島国だから、皆英語も喋れなかったりして」
「英語の勉強しないの?」
「するよ。中学から、大学まで」
「それでも話せない人がいるの?」
「皆ちょっと話せるけど、英語教育に問題があるの」
「でも君は上手だね」
「そう? よく窓口とかでひどい英語?って呆れられたりするけど」
「そんなことないよ。すごく綺麗な発音だよ」
「あなたも」
そう? と彼は言って、突然自己紹介を始めた。僕の名前はユーリ・ニールマン、ドイツ出身のベルギー人で、父親はドイツ人で母親はフランス人、姉が二人いて、一人姪もいるよ。ずっと唇の端が上がっていて、にこにこしているのがデフォルトみたいな彼の表情に、自然と警戒心が解けていく。
「私は日本人の両親から生まれた、日本生まれ日本育ちの日本国籍」
語学校の通い始め、最初に皆で自己紹介をした時、八割以上の生徒の出生地と国籍が一致していない事に驚いた。ブラジル生まれの台湾人、ロシア生まれのフランス人、中国生まれのカザフスタン人、ユーロ内だとごちゃごちゃ度はさらに加速し、ルーツを辿って行くと一世代ごとに国籍が違っているような人も多かった。彼もきっと、そういう複雑なルーツを持った家系なのだろう。何となく、南スペインやポルトガル辺りの血も入っていそうに見える。
「すごい。ピュアだね」
「ベルギーから、何しに来たの?」
「ダンスの留学なんだ」
「クラッシックバレエ?」
「元々はクラッシックだったんだけど、五年前にコンテンポラリーに転向したんだ」
へえ、と言いながら思わず視線を合わせてしまう。言われてみれば、引き締まった身体をしている。何歳? と聞くと二十一と答える。二十五くらいかと思っていた私は、思わず苦笑して若いんだねと呟く。
「君は何でロンドンにいるの?」
「理由を聞いたら不思議に思うよ」
「どういう事?」
「ベルキーにいたなら色々知ってのるかな。日本で原発事故があったでしょう? 放射能が心配で、子供と移住したの」
「知っているよ、チェルノブイリの事故のとき、僕の上の姉はもう生まれてて。あの時はパニックだってママンが言っていた。姉はまだ赤ちゃんだったから、ママンはすごく心配して家に閉じこもっていたって。だから君の話は全く不思議じゃない」
「そう?」
「家族はどうしているの?」
「夫はいないの。だから子供と二人で来た。両親は東京にいる」
「寂しくない?」
「寂しくない、そう答えると彼は不思議そうな顔で私を覗き込んだ。距離が近くて落ち着かない。
「どうして?」
「仕方ない事だから」
「仕方ないから寂しくない?」
「そう。仕方ないから、寂しくない」
「僕はすごく寂しいよ」
夜ひとりでベッドに入ってるとすごく恋しくなるんだ。僕は今一間の部屋に住んでて、最上階の屋根裏だから、こう、斜めになった窓があってね、そこから月明かりが差し込むんだ。その光をベットから見つめていると故郷の街並みとか、自分の家が頭に浮かんで、胸が痛くなる。僕の家のリビングには、ママンが飾った庭の花があって、もうずいぶん古いんだけど柔らかくて寝心地のいい緑のソファがあるんだ。
ママンの作る料理はどれもとても美味しくて、僕が一番好きなのはトマトソースのパスタ。僕の部屋は小さくて、デスクの脇に写真立てがあって、家族の写真がたくさんある。僕はドアーズが好きで、ドアーズのポスターがドアに貼ってあるんだ。それで、上の姉はもう出て行っちゃったんだけど、二番目の姉はよく僕の部屋に遊びに来て、僕のベッドに座って最近ダンスはどうなの? 上手くいってるの? って話をきいてくれて、最後には必ず僕に才能があるから大丈夫絶対上手くいくって言ってくれる。
二番目の姉は先にバレエをやってて、小さい頃はよく、お姉ちゃんが先生役、僕が生徒役で二人でバレエのレッスンごっこをしてたんだ。中学までは彼女もやってて、コンクールでよく賞を取ってて、きっと僕よりも才能があったんじゃないかなって思うんだけど、彼女はいつも僕を励まして前向きにさせてくれる。ママンもね、いつも僕を励ましてくれて、今も毎日メールと電話をしている。
僕の家はすごい田舎にあって、近所の人は皆顔見知りなんだ。近所の皆が、まだこんなに小さいかった頃の僕を知ってるんだよ。堰を切ったように優しい声のまま懐かしそうな目をして大きなジェスチャーを交えて話す彼に驚きながら、たびたび相槌を打つ。
「だからこのロンドンは、僕にはあまりにも寒すぎる」
柔らかく包むみ込むような声のままそう言って、彼はようやく初めて笑顔を崩した。
「留学はいつまでなの?」
「とりあえず一年のつもりで、今は半年目。オーディションも並行して受けていって、軌道に乗ればしばらくこっちにいたいんだ。いずれはニューヨークでもダンスをしたいと思っている。
でも心が痛いんだ。ここから僕の故郷まではユーロスターで二時間もあれば着くけど、アメリカにはすごく時間をかけて飛行機で行かないといけないし」
「大丈夫だよ。Skypeも出来るでしょ? メールもあるし、Facebookはやってる?」
「やってるよ。でもママンはskypeが苦手だって言ってあんまりしてくれないし、僕がちゃんと教えてあげたのに、Facebookも全然見ていないなんだ。もうやり方を忘れちゃったかもしれない」
「お姉ちゃんとは?」
「お姉ちゃんとはよくskypeするよ。上の姉ちゃんは、たまにskypeで姪を見せてくれる。まだ一歳なのに、彼女は僕を見るとサリュー! ってはっきり言うんだ」
「寂しいかもしれないけど、今はダンスを頑張って。ダンスと仕事がうまくいけど、寂しい時間も減っていくよ」
「分かってる。きっと全部うまくいく。僕はいつも楽観観的なんだ。でもたまにどうして寂しくなるんだ。学校の仲間はイギリス人が多くて、友達はたくさんいるけど、孤独を感じるよ」
肩をすくめて大げさに悲しいと言う彼は、とても孤独な人には見えなかった。例えば多くの日本人が喜びを表現する時に微笑むのに対し、この人は歓声をあげ誰かを抱きしめキスをして飛び跳ねそうだ。
「写真見る?」
言いながら彼は財布を取り出し、小さな写真を引き抜いた。これがママン、パパ、上の姉ちゃんに、二番目の姉ちゃんは。これが僕ね。と一人一人説明して、彼は満足そうに微笑んだ。
まだ、彼が十代の頃だろうか、優しそうな家族だった。皆が皆、自分がその家族の一員である事に深く満足しているような、自分が自分である事にそれ以外の可能性を考えもつかないような、そんなしっかりした人間性を感じる。でも私だって今自分の家族写真を見せれば、彼は同じような印象を持つのかもしれない。
「これも見て」
彼は携帯を取り出し、画像のフォルダを開くと「ロンドンに来る前に撮っておいたんだ。きっと寂しくなるって分かってたからね」「これが僕の家、庭ではママンが野菜と花を育ててる」
「これが僕の町だよ。本当に何もないんだ。この場所から振り返ると後ろは見渡す限り山なんだよ」「見て。これが僕の姪だよ。マリーヌっていうんだ。とっても可愛くて、僕に懐いてるんだ。でもどうかな、skypeも頻繫にはしてないし、次に帰った時に僕の事を覚えてるかな。お姉ちゃんが僕の写真をよく見せてるといいんだけど。僕たちも撮ろうか?」
え? と言っている内に彼は携帯のカメラを起動させレンズの向きを内側に変えた。
「ここだよ、見て」
レンズの位置を指差し、ぐっと肩を抱き寄せる彼に呆然としながらレンズを見つめる。にこっと笑った彼と、戸惑いが薄く見える私の顔が保存された。
「君にも送るよ。携帯番号は?」
十一桁の番号を伝えると、彼はテキストで送るねと言ってすぐに写真を送りつけた。見せて見せて、と覗き込んで私の携帯に届いた画像を確認すると、二人ともいい顔だねと満足げに言う。
「まだ聞いてなかったね。君の名前」
暴走車が衝突したようにふっと静かな口調になって彼は私をのぞき込んで言った。
「エリナ」
「エリナ? リナって呼んでいい?」
「いいよ」
「僕はユーリだからね」
「分かった」
「君は恋人がいる?」
「いない」
「じゃあ今度食事に行かない?」
「恋人はいないけど、子供がいる」
「じゃあランチに行こう。ピクニックでもいいね」
「いいよ。でも」
「なに?」
「私とあなたの世界は違いすぎると思う」
「ここに僕たちが居て、二人で話したよね? 話しながら僕たちは一つの惑星に立ってたと思うんだ」
頭の中の消しゴム翻訳機が戸惑うのを感じる、今本当に、この人はplanetと言っただろうか。
「どうして私に声を掛けたの?」
「僕にそんな事を聞くの?」
君は面白いねと言いながら彼は腕を私の首に回し、右左右、と三回エアキスをした。ぼんやりしながら、私の頬に走る彼の柔らかい髪の感触に心地よさを感じた。
「いけない。もう行かなきゃ。生物の授業があるんだ」
生物? ダンサーなのに?」
「ダンスに使う筋肉についての授業なんだ」
「そんな事勉強するの?」
「そうだよ。机に向かって受ける授業も全てダンスの為なんだ」
「すごいね。ダンスのために生きてるみたい」
「僕もそう思う。僕は踊るために生まれてきたんだと思う。音楽を聞くと身体が反応して、勝手に動き出す。パッションが生まれるんだ。だから美しく整頓されたクラッシックには向かなった。クラシックでの挫折は僕にとってとてもショックな出来事だったけど、今となってはあの時に転向して良かったと思って入る。
僕はずっとオペラ座バレエ団に憧れてたんだけど、そもそも太ももの長さと足の形からして、入団することは不可能だったんだ。オペラ座バレエ団には身体的な条件が細かく決められていて、それをクリアしない事には入団も出来ないんだ。でも踊るのを止める事は考えなかった。僕の内側にあるインスピレーションを身体で表現する。それをしなければ僕は僕じゃない。死んでるって事なんだ」
「あなたはどんなダンスをするの?」
「今度見に来てよ。群舞だけどこの間、仕事が決まったんだ」
「本当に? すごい」
「毎週オーディション受けてるから、たまには受からないとやってられないよ。約束だよ。絶対来てね」
夜だと出かけづらいな。と思ったけれど、うん分かったと頷いた。ここで言葉を濁したら何分かけて説得しし始めるか分からない。
「もう行かなきゃ。会えてよかった。本当にいい時間だった」
立ち上がった彼は身をかがめて三回キスをして、鞄を肩にかけた。
「今度電話するね。メールもするよ」
分かったまたねと手を振ると、彼は慌ただしく階段を下り、見えなくなる前にまた振り返って手を振って出ていった。嵐に直撃されたような気分だった。急激に訪れた静けさに胸が震えるような空白感を抱く。何だったんだろうあの人は。改めて彼の登場から退場までを思い返し、私はこみ上げていた何かが鎮まっていくのを感じた。
あれ、もう夜? と急激に焦って窓を見やる。外には燦燦と日差しが降り注ぎ、見上げた時計も午後二時を差していた。何でそんな勘違いをしたのか考えて、もしかしたら彼が太陽のように私を照らしていたのかもしれないと思い至る。同時に、そんなことを考えている自分に動揺した。
スターバックスからチューブの駅まで歩きながら、強烈な虚しさに襲われた。さっきの彼のような人と一緒にいたら楽しいかもしれない。新しい体験や新しい視点、新しい関係性の中で色々な事が楽しいと感じられるかもしれない。十代の頃は、私も多大な好奇心でもって人と知り合った。次から次へと新しい体験を積み重ねる事でしか生きるためのエネルギーを生産出来ないような気がしていた。
楽しい日々を過ごし事。それだけが私を生かしていると思っていた。でも今、私にとって楽しいという事はそれほどの麻薬ではない。私はもう楽しさの先にある虚無を知っている。結局、全てが徒労に終わる。全てが暇つぶし。人はどうせ生まれて食べて糞して死ぬ。楽しみが多い少ないかにさほど大きな意味はない。粛々と生きて粛々と死んでいく。どんな人生を送ったってそれしか出来ない。
カート・コバーンみたいに壮絶な人生を送ったって、農家に生まれて九十歳まで農業やって死んでいったって、さして変わらない。皆等しく、自分の出来る事しか出来ない。そんな人生の中で、楽しさなんてものはほとんど無意味だ。そんなものにうつつを抜かせるのは若い内だけで、それが無意味だと気づいた瞬間から、長い長い余生が始まる。
真っ直ぐな人でありたいと思い続けてきた。下手にアイロニカルだったり、斜に構えたりする人にはなりたくなかったし、今だってそういう人にはなっていないと思うけど、自分の内面に巣くう倦怠、諦念、無力感は否定出来ない。
震災があって、買ったばかりだったワイングラスが全て割れ、原発事故が起こり、なんやかんやでイギリスに来て、英語が下手なせいで馬鹿みたに大変な毎日を過ごし、全ての手続きが上手くいかない事に怒り、悲しみ、英語を勉強し、新しい環境に放り込まれきっとひどいストレスに苛まれているであろうセイラのフォローもしてやれない事を申し訳なく思いながら毎日毎日倒れるようにして眠り、そうして震災から一年が過ぎた頃、ふと、唯一無の存在だと思ってた自分自身が、いつからか多数の人々に埋もれる一つの点になっている事に気が付いた。
元々、私は点だったはずだ。自分は唯一無二であるという私の幻想、思い込みが打ち砕かれただけだ。でも幻想という無味無臭無形の物を打ち砕かれたくらい何だ、とは思えなかった。震災よりも原発事故よりも移住よりも言葉が通じない生活よりも、私にとって最も辛かったのは自分自身やセイラ、そして自分自身を取り巻く環境を唯一無二と思えなくなった事だった。自分を唯一無二と思うその幻想は、余裕の象徴なのかもしれない。
例えば裸族や戦争中の国に中に病やひきこもりがいないように、自我の病はある一定の水準を満たした環境に於いてのみ発症する、私は自我の病を、自分が唯一無二の存在であるという思い込みを、この異国の地で喪失した。それがとてつもなく辛かった。私が直面したのは、既に震災でも原発事故でも放射能でもなく、それによって浮き彫りになった己の本来性の問題だった。
私は埋もれる点として生きていく事の難しさに直面していた。これまで生きてきた世界とは、何もかもが違っていた。生の価値も、死の価値も、愛の価値も、祈りの価値も、全てがこれまでとは違っていた。その事に気づいたのは、こんな世界で生きていけないと悲観するほど早くはなく、大丈夫これまでも上手くやってきたんだから、と楽観するほど遅くもなかった。
お父さんはいないの? と聞くとマリーは、そうなのパパは休暇をとって別荘に行ったのよと肩をすくめて言った。イギリス人は子供もよく肩をすくめる。マリーとママはウィークエンドに二人で追いかけるの、と続けるマリーに、今年は仕事が忙しくてクロエが肩をすくめて付け加える。イギリス人が集まると肩をすくめの嵐だ。
「心配だったの。英語が下手な私が来ても大丈夫なのか」
「大丈夫よ。エリナはちゃんは話せてる」
「本当はもっとしっかり勉強したいんだけど」
「私と話すのが勉強よ」
クロエはオーブンに向いていた視線をくるりと私に向けて笑った。マリーとセイラは子供部屋に行ってしまったようで、奥の部屋からきゃっきゃと遊ぶ声が聞こえて来る。
「あの二人は本当にぴったりね」
「ぴったり?」
「息が合っているの。双子みたいに。リトルラビットの遊び知っている?」
「リトルラビット、ケイムトゥー?」
セイラがよく家で歌っている、日本でいうアルプス一万尺、のような二人組でやる手遊び歌だった。
「そうそう。二人があれをやっているところ見た事ある? この間お迎えの時に見たんだけど、あの二人、鏡に映したみたいにぴったりおんなじ動きをするのよ」
「へえ。後でやらせてみよう」
「セイラはこの間まで英語も喋られなかったのに、彼女たちのハートがここまで通じるのはすごい事だと思うの。運命の出会いね」
大袈裟だなあと思いながら、私はこの間マリーが言っていたという、私が死ねばいいという話を思い出していた。何となく、この家でディナーをする事に、私は気後れしていた。まさか毒を盛られるとは思わないけど、マリーのブラウンともグレーともつかない薄い色の瞳を見ていると、彼女が何を考えているのか分からなくて怖くなる事もある。
イギリスのいい所は、人種差別のない所だと私は思って来た、それは治安のいい場所に住んでいるからであって、低所得者の住む地域に行くと剥き出しの差別を受けると聞いた事もあるけれど、とにかく私はイギリスに来て以来、人種差別的な扱いを受けた事は一度もなかった。
でも、移民社会で住んでいると、相手が何を考えているのか分からないという不安がつきまとう。生きてきた文化、環境が違う人たちが道を行き交っている。紛争下から命からがら逃げて来た人もいれば、貧困と飢餓から逃げて来た人もいれば、イギリスが好きで移住する欧米の富裕層もいれば、私みたいに放射能を気にしてやってきた日本人もいて、日本人の中には真里みたいに駐在で来ている人もいれば、学生ビザでやってきて不法就労している若者もいる。
たくさんの人種がいて、その中には貨物船に忍び込んで不法入国する人もいて、相手がどんな思いや過去を抱えどんな人生を生きているのか私には想像もつかないし、向こうも私たちの事がよく分からないだろう。そうしてあらゆる人種と入り交じって暮らしながら、次第にその分からない状況にも慣れがきて、どんな人と話してもさほど動じなくなっていくものだけど、私はいつまで経っても白人の小さな子供の薄い色の瞳が苦手だった。
見ていると、吸い込まれそうになる。いつも何か疑問符を浮かべたような、自分に対して持っているのが悪意なのか好意なのか判断のつかない目を見ていると、時々一瞬にして頭が真っ白になるのだ。
一年前くらい前、セイラがマリーとアンナという女の子の話をしていた。マリーとアンはトイレでセイラを見つけると、いつもセイラがおしっこをした後に拭きたがるの、と話していて、何ともヨーロッパ的な話だなと思っていたけれど、それを聞いてときも私は二人の色素の薄い瞳を思い浮かべ、何か言葉に出来ない振動が胸が走るのを感じた。幼稚園児ならまだしも、八歳の子供がそんなことをするなんてと違和感を抱きながら、自分でしなさいよと妙な印象を与えないように素っ気なく言うと、だって二人が拭いてあげる、って言うんだもん、とセイラは無邪気に答えただけだった。
その習慣が今でも続いているのかどうか知らないけれど、イギリスに於ける羞恥と、人との距離感、気持ちの表現法が、日本におけるそれと意外にかけ離れている事は、イギリス生活が長くなるほど実感する。
きゃっきゃっと声が聞こえる。彼女たちは何をしているんだろう。彼女たちは、何を面白いと思っているのだろう。時々セイラの事までもが分からなくなる。現地の学校で荒波に揉まれるように生きている彼女が、今自分や周囲や環境をどう定義しているのか、分からない。日本にいた頃には全くなかった、娘の気持ちや考えが分からなくなっていく感覚は、もちろん成長によるものもあるだろうが、イギリスに来て一気に波になって押し寄せてきたように思う。
「エリナ、ムニエルをそこのお皿に並べてくれる?」
はっとして、ぼんやりと傾けていたシャンパングラスを置き、オーケイと答える。
「エリナの英語は可愛いわ」
「これでも日本人の間では発音はいい方だって言われるんだけど」
「発音が悪いって事じゃないのよ。可愛いの。語尾が何て言うか、丸い感じ? ナーシサスの上の一滴の水みたい」
ナーシサスが何だったのか思い出せないけれど、何となく植物であろうことは予想がついた。
「クロエはロマンチストね」
苦笑いして言うと、クロエは本当よ、と木製のスパチュャラを手渡しながら微笑んで言った。サンキュ、と小さく呟くと、ほらね、とクロエは笑った。居心地の悪さを押し隠すようにして、私はムニエルをフライパンから注意深く掬い上げ、横に用意されていた野菜のマリネを盛り付ける。
「旦那さんは、先に別荘に行って何をしてるの?」
「何かしら。きっとまず掃除をして、読書かしら」
「日本人は別荘って聞くとすごくリッチなイメージを持つの」
「それは間違いよ」
「私も最近知ったの。読書、散歩、がほとんどなんでしょ?」
「そう。読書、散歩、料理をして、ゆっくりと眠るの。クルージングとか、豪邸なパーティとか、そういうことをするわけじゃないの。私たちがウィークエンドにしているような日常を、自然のある場所に持って行くだけよ。ロンドンの公園空気も悪いし、美しくないでしょ」
正直、青山に住んでいた私はロンドンに来た当初、公園の多さと広さ、綺麗さに驚いたのだけど、実際住んでいる人たちの評価は意外に低くて二重の驚きだった。適当に相槌を打ちながらムニエルとマリネを盛りつけ終え、テーブルに運んだ。カリッと焼き上げられたムニエルとマリネは、南蛮漬けを思わせる。
マム!マム! 大きな声がして、セイラとマリーが出て来る。二人とも長いドレスを着て、手には口紅を持っている。イギリスの女の子は、何故か自分のワードローブに何枚もドレスを持っている。日本ではハロウィンの時しか着ないような、ディズニーストアで売っているような、シンデレラとか、ラプンツェルとかのドレスだ。ミナは七枚持っているだって、セシルは六枚、セイラはまだ四枚しかないでしょう? と、この間も新しいドレスをねだられた。
「これやって。綺麗にね」
いつも、私の前ではほとんど英語を喋らないセイラが、今日ばかりは英語でお願いしてきた。ご飯食べたら落ちちゃうよ、ご飯の後にしたら? と言うと、やだ今したいのマリーも同じ色にしてねもと口紅を渡された。派手なピンクだった。小さい女の子が口紅を引くと、私は上唇と下唇をすり合わせる仕草をして見せた。
んー。ってやってごらん、と言うと二人は私の真似をして、どぎつくなった顔を見合わせて笑った。マリーがレッツプレイと言ってセイラの手を取り二人は部屋に戻って行った。きっと、二人で鏡を見て、くるくる回ってはしゃぐんだろう。
鮭のムニエルとマリネ、ローストビーフにクスクスのサラダ、デザートは子供にティラミス、私たちはチーズだった。クロエは、クスクスは日本ではお米と並ぶメジャーな食材だと思っていたようで、勘違いだったと知るとエリナのためにクスクスのレシピを探したのにと大げさに残念がった。子供たちはローストビーフの辺りでもう集中力が途切れ、二人でソファに座って手遊び歌をやったり、カードゲームをやったりして、デザートの時間まで遊んでいた。シャンパンが一本空き、ワインが一本空いた頃、私は随分リラックスしてクロエの家に馴染んでいた。
食後にウィスキーを飲み始めた頃、セイラとマリーはソファで一枚のブラケットに仲良く潜り、手をつないだまま眠っていた。まだドレスを着たまま、口紅はよれて、寄りかかり合うように眠っている二人を見て、私は思わず携帯で写真を撮った。あら可愛い、クロエもそう言って、携帯をかざした。もちろん文化の違いなのだろうけど、日本人の子供たちと比べて、イギリスの子供たちは随分と子供っぽい。
思考も学びも話も、幼く感じられる。それこそ二年前、イギリスに来る前のセイラの方が、今のセイラよりも大人びていたようにすら思う。私が九歳の頃は、もう友達と手をつなぐ事もなかったし、お姫様みたいなドレスになんて興味がなかったし、友達とブランケットにくるまって一緒に寝てしまう事だってなかった。
でも、食事中にセイラの唇が汚れるとナプキンで優しく拭うマリーの姿は、子供っぽい戯れのようでもありながら、どこか艶めかしさを感じさせた。彼女たちは肉体的だ。意識で繋がっているのではなく、その触れている唇が、その触れている体が、直接的に彼女たちの繋がりを作っているように見える。
来たばかりの頃、お迎えの時に仲良しの子から慣れていないエアキスを一方的に受け、よれよれになって友達の輪を出てくるセイラを見て心配したけれど、彼女はあっという間にハグとキスの文化に慣れ、好きな子の両頬にエアキスをするようになった。この習慣に染まったら彼らの身体は、愛する者を見るとそれに触れたくなるのだ。肉体が触れたがり、キスしたがるのだ。
「煙草を吸わない?」
うん行こうと答えながら、バルコニーに灰皿があるから、という彼女に付いてキッチンからバルコニーに出ると、デッキチェアが二つ並べられていて、反射的に私もバルコニーのある家に住みたかった、と呟いていた。
「天気のいい日はここでビールを飲むの」「クロエは旦那さんと仲が良いのね」
「そうでもないわ。彼には愛している人が他にいるの」
愛している人が他にいる、という言葉がうまく理解出来ない、イギリスに於いて男女関係の基礎知識が足りないため、どんな言葉をかけるのが適切なのか私には分からなかった。
「私たちはきっと近いうちにお別れする事になるわ」
「離婚っていうこと?」
「そうよ」
「でも、別居しなきゃいけないんじゃない?」
「そうね。きっと近いうちに別居を始めるわ」
「でも、二年? 別居しないと離婚出来ないんでしょ?」
イギリスでは二年の別居期間がないと、双方の合意があっても離婚出来ない。片方が離婚を望んでいる場合は五年の別居機関が必要だという。そのせいで事実婚の夫婦が多いとも聞く。
「そう二年待つの。彼は今の恋人と暮らし始めるだろうし、私にも、きっと恋人が出来ちゃうわね」
「私も昔離婚したけれど、日本では、紙一枚提出すればその日に離婚できるのよ」
「本当に?」
「本人たちが合意してれば」
「イギリスにそんな制度が導入されれば大変な事になるわ」
私たちは顔を見合わせて笑った。確かにそうかもしれない。女性は離婚後半年間再婚が出来ないという制度についても話したかったけど、その理由である妊娠出産などについて正確に伝えられる自信がなくて諦める。
「でも意外だわ。日本人の女性は、夫に全てを捧げるようなイメージがあるから」
「今はちょっと違うかな。日本でも、イギリスほどじゃないけど、女性が働くようになってきたし」
「それはいいことね。うんざりする事はたくさんあるけれど、働くのは大切な事よ」
男も女も基本皆働く国であるイギリスに於いて、専業主婦というのはよっぽどの金持ち
と結婚した女性だけが持っているステイタスで、そういう女性は働かない代わりにボラテ
ィア活動や社会活動をしたりする。家に籠って家事と育児だけの生活は何十年も続けるよ
人はこっちにはほとんどいない。
イギリス人は男も女も、知り合ってすぐに「仕事は何をしてるの?」と聞く。そして、就労出来ないビザだと話すと、可哀想にと皆口を揃えるのだ。就労していない人間は、まだ学校に通っている子供たちと同じように無力なもので、大人としての人権を剝奪されているかのように捉えられているのがひしひしと伝ってくる。
「クロエは。もう彼を愛していないの?」
「もう愛していないわ」
穏やかな表情でクロエは言った、隣のデッキチェアから真っ直ぐ私をみつめた。イギリ
ス人は、何故かこんなにもじっと人の顔をみるのだろう。来た頃からずっと思っていた。
クロエの赤茶の髪が風に吹かれている。きつめのアイラインが引かれた大きな目が、じっ
と私を見つめている。
「彼は好きよ。でもそれは愛じゃない」
イギリス人はよく、愛していると愛していないを区別する。あなたへの愛がなくなった。他の人を愛してしまった。彼を愛してしまった。その恋愛感情はまるで生理現象のように捉えられ、相手が心移りをした事、他の人を愛してしまった事。自分ではどうしようもない事実として受け止めているように見える。
愛情に対して、とうしても何故もなく、ただ愛してしまった、それだけ、という態度で愛に向き合っているように見える。子供たちを見ていてもよく思う。この子達は自分の思ったことを言っている、と。日本の子供たちは、空気を読んだり、誰々の手前だからこう言おうとか、かっこいいかっこわるいも計算に入れて、言う事を決めているようにも見える。
それに対して、イギリスの子供たちは、思ったことがそのまま口から飛び出しているように見える。頭と口が直結して、分からないことは分からないと言い、分かる事は「知っている私それ知っている!」と勢い込んで喋る。
「私は一人になるわ。マリーと二人で生きるの」
またいい人が現れるはずと言おうとした瞬間、クロエの手が私の髪に触れだ。温かいその手が髪と頬を撫で、クロエの唇に重なった。自分がレズであると勘違いさせる要素が自分にあったのだろうかと記憶を巡らせると同時に、頭が混乱していく。押し戻す事も応える事も出来ずに、甘嚙みするようにまとわりつく唇に困惑しながら、唇のずれた隙間から待ってと短く言うと、クロエは私の髪に触れたまま少しだけ顔を離した。私はクロエの肩を軽く押して、ノーと呟いた。
「ごめんなさい。エリナが綺麗だったから」
これも、彼女の正直な言葉なのだろう。
「セイラは今日預かるわ。エリナは、泊まっていってもいいし、明日迎えに来てくれてもいいから」
「いいの、今日は帰るわ。バスもまだ走ってるし」
それだけ言うと私は煙草をポケットに入れて立ち上がった。リビングに戻ってセイラの手の甲をパチパチと叩き、帰るよと言う。ここに来てから初めて日本語を発した事に気がついて、解放されたような気分になる。起きて、家に帰るよ、セイラ。日本語を話せば話すほど、気持ちが楽になっていく。セイラ、セイラ、頬を叩くと、セイラは薄っすらと目を開けて、お泊まりしたいと日本語で呟いた。
「エリナ、可哀想よ。あんなに遊んで疲れているだろうし、きっと歩けないわ」
「でも」
「大丈夫よ。ベッドに運んで、朝になったらご飯を作るだけよ、朝ご飯が終わる頃、八時か九時にお迎えに来て」
分かったと答えると、私はバッグと上着を手に持ち、料理とても美味しかったわと言って玄関に向かった。
「また遊びに来て」
もちろん、私は微笑んでそう答えると、ドアを開けた。そしてキスもせず、ドアを閉めた。
一人で夜のロンドンを歩くなんて、いつ以来だろう。人も風景も、いつも目にしているものとは別物に見える。いつもの道が、どこか知らない地のように感じられた。バスに乗ろうかどうか迷って、十五分ほどの道を歩くことにした。歩きながら携帯を見ると、修人からメッセージが入っていた。「久しぶりの仕事、順調に進んでいます。前のようにはいかないけど、ちょっと希望が見えてきました。」
おめでとうも、良かったねも、上っ面な言葉でしかないように思えて、返事をせずに携帯をバッグに仕舞った最悪な気分だった。カフェのテラスに座っている客たちは、皆気分が良さそうだった。カフェの目の前にあるチューブの看板を見上げた瞬間、私は何かにとり憑かれたように階段を下りていた。夜出かける事自体珍しい上に、そういう時は大抵歩いて行ける距離か、遠い時はタクシーに乗ってから、夜のチューブに乗るのは初めてだった。騒いでいる若者、暗い面持ちの物乞い、カップル、私は中流から貧困層が入り乱れるチューブに乗り込んだ。
一回乗り換えてオクスフォードサーカスでチューブを降り、地上に出ると、家の方よりもずっと明るかった。まだ開いているレストラン、バー、カフェが多く、私は少しだけ気分が楽になったのを感じる。でもこの灯りも、あと二時間もすればほとんどなくなるだろう。しばらく歩いて、不意に前に真里と行った事のあるスペインバルを思い出した。確か、トッテナムコートロードの近くだったはずだ。行ってみようかなと思い、マップを見るため携帯取り出すと、トップ画面にメッセージが映し出されていた。
「お父さん再発したみたい」
千鶴ちゃんだった。お父さんの癌は、十年前食道がんから始まり、肝臓に転移し、二度の手術と放射線治療によって完治したはずだった。ここ五年ほどは、半年に一度の検診だけで、特に症状もなく安定していた。またかという苛立ちと諦めのため息が出る。千鶴ちゃんも私も海外にいる中で、お母さんは一人でお父さんを看病出来るのだろうか。お父さんに症状が出ているのだろうか。色々な思いが浮かぶ中、また携帯がぶるって震えた。「今度は肺」。千鶴ちゃんはどうするのだろう。帰国する気はあるのだろうか。
人が死ぬという事は、とても悲しい事だと思っていた。子供の頃か、近所に住んでいたおばあちゃんの家によく遊びに行っていた私はおばあちゃん子で、十歳の時に彼女が死ぬと、私は世界の全てのものが信じられなくなった。こんな悲しみが存在する世界で、私はもう生きていかれないと思った。
三年前、千鶴ちゃんの息子が死んだときそうだった。フランスで出産した千鶴ちゃんの息子には、会った事もなかった。写真だって、親が画像を転送してくる事が何度かあっただけで、千鶴ちゃんの自身からは息子が生まれましたという連絡一本しかもらっていなかった。でもその会ったことのない小さな赤ん坊が、千鶴ちゃんの子供が死んだという事実に、ひどい苦しみを抱いた。
夜になると涙止まらなくなり、抱いた事もないその小さな体を想った。その悲しみは幾日も続き、当時一緒に住んでいた元彼氏はそんなに辛いならお姉さんに連絡して、悲しみを共有したらと言った。悲しみを共有するという事に私は意味を見出せなかったし、彼に対しては何と勘の悪い人だろうと驚きを持った。
でも何故か父親には、全く違う気持ちを持つのだ。癌をやる前にも結石や痛風などに悩まされ、転移を繰り返している父親に対して、私は何の悲しみも持たない。ただひたすら脳裏に「ぽんこつ」という言葉が残るのだ。私は父親の事が好きだ。私たちが一緒にいる様子を見た人は大抵、お父さんと仲がいいんだね、と言う。父親には何の恨みもない。でも病気を繰り返す父親に、何故か悲しみは全く生じず、使い古された車やパソコンにどんどんトラブルが増えて行くのをみているような、そんな乾いた感想しか出てこないのだ。
機械はいい。自分で捨てる時期を決められる。でも人間は、捨てるわけにもいかない。どんなぽんこつになっても、誰かが世話をし続け、お金をかけ続け、治すなり、看取るなりして、死んだら死んだで燃やしたり埋めたりしなければならない。不謹慎だと言われるのが分かっているから誰にも言わないけれど、そういう印象を抱く人は少なくないだろう。
こっちが壊れたあっちが壊れたと、体一つに右往左往している人間は滑稽だ。もちろん何んとかしてあげたいと思う。何んとかして、彼の苦しみを減らしてあげられないか。自分にできる事はないかと考える。でも、いつも心に残るのは「パパは壊れた」という残念な気持ちだった。
何と答えていいのか分からず、私はSNSを開かないまま携帯を鞄に入れた。前から歩いてくる酔っ払いの若者がチャイニーズ? と聞く。無視しているとジャパニーズ? と重ねて聞く。無視して通り過ぎようとすると、彼は私の前に立ちはだかり俺はチェコから来た。と言った。連れの二人の男たちが止めろと呆れたように言って彼の肩を掴んだ。
「君は君の国を愛していないの?」
彼は目を見開いて不思議そうな顔で聞いた。私は何故か一瞬にして顔がかっと熱くなり、堪えきれないほど激しい怒りが湧いていくのが分かった。私は黙ったまま男をすり抜けて足を速めた。男は後ろで何かを喚いていたけれど、意味は分からなかった。多分、語学学校の先生は教えない、口汚い言葉だ。スペインバルは閉まっていて、私は人気のなくなって来た道を見やり、その場に呆然と立ち尽くし、ふと思いついてまた携帯を取り出した。
「ハイ」
「リナ?」
「うん。大丈夫?」
「もちろん。リナ、今どこにいるの?」
「トッテナムの辺り」
「ご飯は食べた? 子供は?」
「子供は友だちの家に泊まるの。ご飯は食べた」
「じゃあワインを飲みに行こう」
「今大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。どうして大丈夫じゃないの?」
笑いながら言って、僕の家はわりと近いから歩いて行くよ。リナも僕の方に向かってくれる? それともどこかお店で待っててもいいよ、あ、ピカデリーサーカスに僕のお気に入りのアイリッシュパブがあるんだ綺麗な店ではないけど店主がすごく気さくな人でね、ちょっと待ってアドレス分かるかな? ああ分からないな、じゃあピカデリーサーカスの駅で待ち合わせにしようか? と一方的に話すと、私の分かったじゃ駅でねという言葉を確認してバイ、と呟き電話を切った。
ピカデリーサーカスまでの道を歩きながら。ポケットの中の携帯に触れる、不思議だった。泥沼を歩いているような足の重さが消えていた。一歩一歩足を踏み出すたびに、乾いた泥がぱらぱらと地面にこぼれ落ちていくようだった。
「リナ!」
広場で待っている私を呼んだユーリは、横断歩道の道路の向こうを軽い足取りで歩きながら大きく手を振った。子供の頃には感じたことのなかった、疲れるという感覚、自分の意思で動かないような身体の重さ。そういうものを最近よく感じる。五分も走れないし、二時間も歩けば足が痛くなるし、アルコールの消化力も落ちている気がする。
子供の頃、家族で登山に行った時、パパとママ全然歩けないんだね、と千鶴ちゃんとくすくす笑い合いながら駆け上がっていったのを思い出す。ちょっと待ってよー、と苦し気に言っていた母に、私はどんどん近づいている。横断歩道をとっとっとっ、と軽いステップで走ってくる彼を見て、そんな事を考えていた。
「リナ」
彼は嬉しそうに名前を呼んで走ってきた勢いのままぎゅっと抱きしめ、右左右とエアキスをした。
「電話してくれてありがとう」
本当は今夜僕も電話しようかと思っていたんだよ。そうしたらリナから電話が来た。だからすごくびっくりしたんだ。一つ宿題があってね、それが終わったら電話しようと思っていたんだ。そういう彼の頭は濡れていて、私は思わず彼の髪に手を伸ばす。
「寒くない?」
「うん。大丈夫。練習の後帰って寝ちゃって、起きてシャワー浴びてさあ宿題やろうって所だったんだ」
「宿題いいの?」
「大丈夫だよ。こう見えても僕は結構頭が切れるんだよ」
行こう、と言って彼は私の腕に腕を絡めてこっちだよと歩き始めた。弟がいたらこんな感じなのかもしれない。元気で溌剌としていて、甘え上手で、誰からも愛されるような、そんな弟がいたら私はきっと可愛がっただろう。きっと彼のお姉さんたちにも、彼の事が可愛くて仕方ないのだろう。
「ベルギーでは何歳からお酒が飲めるの?」
「十六だよ。日本は違う?」
「日本は煙草をもお酒も二十歳から」
「随分遅いんだね」
「やっぱりベルギー人はビールが好きなの?」
「大好きだよ! でも僕はワインも大好きだし、ウォッカも大好きだし、大抵どこの国の料理もお酒も好きだよ。リナは?」
「私は、毎日ワインを飲んでいる。あとはたまにジンとウォッカ」
「日本のお酒とか、料理が恋しくなったりしない?」
「しない。私も何でも好きなの」
「良かった。これから行くパブのソーセージはすごく美味しいんだよ。僕のパパはドイツ人だから、僕もソーセージにはうるさいんだ。いつかベルギー一のソーセージを食べさせてあげるよ。僕の家の近くのブーシュリーは多分世界一なんだ」
腕を組みながら彼は肩に頭を載せてくる。その甘えぶりは幼いセイラを思い出すほどだった。セイラは本当に、いつも自分の世界に入り込んでいるかニコニコしているかのどちらかで、困らせた記憶は一切ないと言っても過言ではないほど扱いやすい子だった。自分の世界に入っている時は周りが見えず、ちょっと空想好きが過ぎるような気もしたけれど、私はセイラのその空想話を聞くのが好きだった。
まだ四歳か五歳の頃、透明な定規を真横から見つめている彼女に何してるのと聞いたら、この定規に閉じ込められている人たちがいるの、その人たちがいつも喧嘩していて、どうしたら皆で仲良く暮らせるのか話し合っている所、と話した。
セイラのベッドの下に住んでいる男の子とお母さんが居て、そのお母さんが物凄く怖い顔の人で、この間覗き込んだら目が合って動けなくなったの、とぞっとするような話をしていた事もあった。十歳近くの彼女はもう、私に空想の話をしてくれなくなったし、私にべたべたと甘える事もない。イギリスに居るからスキンシップは多い方かもしれないけど、かつての心身とも結びついているような関係をもう私たちは持っていない。
まだ身体がふくふくと柔らかかった彼女が、ママ、ママもといつもニコニコしながらまとわりついてくるのが、私は嬉しくて堪らなかった。どこを触ってもマシュマロのように柔らかかった彼女の体がどんどん大きく伸びていき、成長期特有の骨ばった形になり、私よりもほっそりとしていくのを見ながら、私は軽い喪失感を抱いて来た。
ここだよと彼が手を掛けたのは、何となく洞窟を思わせる漆喰塗りの外壁の、上が丸くなっている木製のドアで、ホビットの家みたいと思いながら私は彼に続いた。
「ボナセーラ。ミシェル」
席に着く前に彼はカウンターから出てきた太ったおじさんにそう言って、両手を大きく広げてハグをしてキスをした。本当に誰でもキスするんだなと思っていると、その勢いで私もおじさんにキスをされた。彼はイタリア語でおじさんと話し、注文もイタリア語ですると隣に座った。
「彼はイタリア人なんだ」
「ユーリはイタリア語も喋られるの?」
「中学生の頃イタリア人の友達と仲が良かったんだ」
「何国語話せるの?」
「オランダ、フランス、イタリア、英語、あとスペイン人の友達も何人かいるから、スペイン語もちょっと喋られるよ。イタリア語とスペイン語は読み書きは出来ないけどね。リナに教えてもらえば日本語も加わるね」
彼にとってのイタリア語やスペイン語は、きっと東京人にとっての関西弁や、東北弁程度のものだろう。
「日本語は難しいよ」
「僕もカンジを書けるようになりたいんだ」
「カンジねえ」
「リナもカンジ書けるんでしょ?」
当たり前だよと笑うと、ちょっと書いてみてよと彼は鞄の中を漁って手帳とペンを取り出した。リナの名前を書いてと言われて、私の名前は、苗字は漢字だけど名前はカタカナなのと言うと、彼は不思議そうな顔でカタカナって何にと聞いた。
「何て言ったらいいのかな。日本語には三つの文字があって、一つが漢字、中国から入って来たものね、平仮名は日本独特の文字で、基本的に日本語は漢字と平仮名で書かれているんだけど、カタカナっていのは、英語とか、外国から入って来た言葉に当てられる文字なの」
「じゃあ日本人は三つの文字を使ってるの?」
「まあそういう事になるね」
ノーン、と両手を上に向けて開いてみせ、落胆を示す彼に笑ってしまう。
「僕にはそんなの無理だよ」
「だから日本人の頭はいっぱいいっぱいで、外国語がなかなか入らないのかもね」
まずはインターネットで日本語の成り立ちから勉強するよと言うユーリに、フランス語も難しいんでしょ? と聞くと、そんな事はないよRが独特な発音だから最初は話しにくいかもしれないけど、リナもすぐに喋るようになる、フランス語は三つも文字の種類がないからね、と笑った。おじさんが持ってきたワインが注がれ、私たちは同時にチアーズ、と言うと、チアーズって日本語で何て言うの?
フランス語では? と私たちは言い合った。何だか、子供たちの話みたいだ。難しい話がなくて、ただ思った事を言い合う。それだけでいい関係は物足りなくもあるけれど、心地よかった。日本人同士だったら、九十%が共通の知識としてあるものが、相手が外国人であるだけで新しい発見に満ちた話になる。
こういう話は、聞き取りやすくていい。市役所や学校なんかでするシビアな話と違って、簡単で、無理がなくていい。それに、彼の英語はとても聞き取りやすかった。私が日本人だから簡単な言葉で喋っているのだろうけど、発音に全く癖がなかった。
「私、何となくベルギー人は無口だと思ってたんだけど、ユーリは全然違うね」
「僕のママンは南フランスの人だからね。とっても明るい人なんだよ。パパはドイツ人だけど、お酒を飲むとよく喋るよ。上の姉ちゃんはパパに似てて、ちょっと静かな方だけど、二番目のお姉ちゃんはすごくおしゃべりで僕と似ているんだ。リナにはきょうだいはいないの?」
「一人お姉ちゃんがいるよ」
「リナのお姉さんはどんな人?」
「うーん、真面目でもしっかりしてる人」
「何をしてるの?」
「多分、シンガポールにいる。彼女の旦那さんが仕事で派遣されていて。一緒に行ってる。そうだ。お姉ちゃんはシンガポールに行く前はフランスにいたの」
「でも子供が二人とも海外に行っちゃって、ママンとパパは寂しいね」
思わずさっきのメッセージが思い出されて、憂鬱が胸の底から押し上げられてくる。
「私のパパは死ぬかもしれない」
「リナのパパが?」
「癌なの。もう何度も転移してて」
「本当に? 日本に帰らなくてもいいの?」
「もし死んだらお葬式には行くと思う」
「生きている間に会わないと」
「今はSkypeもあるし、顔を見て話すことも出来るし」
「駄目だよ。人は触れ合わないと何も伝わらないよ。ほら、手をつないでると相手の気持ちが分かったりするでしょ?
テーブルの上に置かれた私の手を取って彼はじっと私を覗き込んだ。
「日本人にはスキンシップの習慣がないから、触れなくても相手が何を考えているか分かるの。一つの視線の動き、一つの動作で、相手が何を考えているか分かる」
「魔法みたいだね。本当かな?」
「本当だよ。ユーリが今何を考えているかも分かる」
「僕はリナが何を考えているか分からないよ」
もっと触れ合えば分かるかな、と続けて肩を抱くユーリはまったく人たらしという女たらしというか、人をたらさずには生きていかれないような性を感じるし、おじさんの持ってきたソーセージにほらね美味しいでしょ? さあ食べようと喜んでいる子供のような姿にも同じく天性のものを感じる。かれは本当に、自分で自分をコントロールしようと思っていないような、ただ思うがまま草原を駆け回って狩りをして食べて寝る動物のように、自分がなぜ生きているのかなんて考えたことが無いような人に見える。
私もそんな風に言われてきた。エリナは自然体でいいね、自分の好きなように生きられていいね、人の事なんて全然見えていなんだね。傷ついたわけではなかったけれど、その言葉はとても印象的だった。誰の言葉だったか、昔の友達だったか、いや、千鶴ちゃんだ。いつ、どうしてそんな事を言われたのか思い出せないけれど、突き放すような言葉の響きをよく覚えている。
千鶴ちゃんは私の事を何も分かっていない。改めて今思う。私はユーリのような自然体で生きているわけじゃない。それは私の美意識が作り上げた自然体であって、ジャングルの中から自然発生したものとは成り立ちが違う。
ソーセージは、肉汁がぼたぼたと垂れて困るほどジューシーで、程よい焦げ目がじわっと染みるスモーキーな味を出していた。ワインに脂ぎったソーセージ。私は食べながら自分が獣になったような気分になるけど、ぽくぽくと口に運び、付け合わせのザワークラウトもしむしゃむしゃ食べるユーリを見るとやっぱり私は獣というより小動物だなという気になる。
「リナはいつも何をしてるの?」
「いつも? 家の事と、英語の勉強」
「仕事はしていないの?」
「就労出来ないビザだから。いずれは就労ビザを取りたいけど、そもそも今のビザもどこまで出るか分からないし。更新の時期は本当に生きた心地がしなくて。イギリスは本当にビザに厳しくて」
「僕もビザ取るのに苦労したよ。移民局で何度もひどい扱いを受けて」
「それはどこの国の人も同じなんだね」
笑い合うと、彼は又私の肩を抱いてもう一方の手を私の膝に置いた。彼はきっと、ずっとこんな風に本能の赴くままに生きてきたんだろう。
「ベルギー人はこんなにスキンシップをするものなの?」
「僕はいつもこうだよ」
言いながら彼は私の肩に頭を載せた。
「リナと会ってからずっとリナの事を考えていたよ。僕はすきなものがあるとそれについて考えずにはいられないんだ。ダンスの事もママンの事も友達の事もリナの事も考えなきゃいけないから大変だよ。
でもダンスをしているとき僕はダンスの事しか考えないし、ママンと一緒にいる時はママンの事は考えてなかった。今こうしてリナと触れ合ってる時は僕はリナの事を考えない。リナを感じて、見つめて、伝えたい事を伝えられるそれは僕にとってとても幸せな事だよ」
「私は、一緒にいてもユーリのことを考えている」
「何を考えているの? 僕はリナみたいな人の心が読めないんだ」
「ユーリは太陽みたいだったと思うの。一緒にいると太陽に照らされて、あなたがいなくなると恐竜が皆死んでしまったように、私も死んでしまうような気がする。この間あなたがバイバイってカフェから出ていった時、私は生きていくために必要な何かを失ったような気がした」
「いいと思うよ」
「いいって思うって‥‥」
「僕なしで生きていかれなくなればいい」
真面目そう言う彼に、私は言葉に詰まって何も答えられなかった。
「僕たちが望む限り僕たちは一緒にいられるんだから」
本気で言っているのかと呆れてため息が出る。二十一歳田舎育ちのベルギー人の思考にはついていけない。でも、私たちは国籍も違うし、私には子供がいるし、彼はまだ子供みたいだし、そもそも生きている世界が、という私の戸惑いを口にするのも、それはそれで馬鹿げているような気がした。
「太陽の光を浴びたらリナはもっと元気になるよ」
「浴び過ぎて死んじゃうよ」
「たまに雲に隠れてあげるよ」
私はだまったままワインを飲み、小皿に載ったオリーブに銀のピックを突き刺す。私はオリーブが好きじゃない。でも今は一つだけ食べてみようかなという気になった。
「僕が太陽なら君は空だ」
現実味がなかった。オリーブを嚙みしめながら思う。私は何故異国の地で、若い男の子に口説かれているのだろう。本当に私は、あの青山のマンションにいた私なんだろうか。不意に震災の記憶が思い出された。あの時私は外を歩いていた。揺れがどんどん強くなるのを感じて立ちどまり、上下にぶんぶんと振れる標識を見上げてぞっとした。倒れたり割れたり落ちそうな物がない所に行きたかったけれど、大きな揺れの中で倒れないようにガードレールに摑まっている事しか出来なかった。
こんなに大きな揺れは生まれて初めてだ。冷静にそう思ったけれど、やっぱり慌てていたのかもしれない。次第に揺れが収まっていく中で、私は携帯を取り出し何かしようとしたけれど、何をしたかったのかを思い出せず時間だけ見て携帯をしまった。セイラの学校はどうなっているのだろう。大丈夫だったのだろうか。すぐにお迎えに行った方がいいだろうか。それともまず家の様子を確認した方がいいだろうか。
揺れが収まると、私は迷った挙句、家に帰った。エレベーターが止まっていたため階段で七階まで上がった。ワイングラスが食器棚から落ちてキッチンがガラスの海になっていた以外は大した被害はなく。心配だった本棚も倒れていなかった。早急に転倒防止の突っ張り棒を買わないと思いながら、私はテレビを点けた。携帯をしばらくお待ちくださいの表示出たまま、誰からの連絡も受け付けず、発信も出来なかった。
パソコンを起動させてみると、数通の安否確認のメールがきていて、私は全てに大丈夫ですと一斉返信した。マンションの免震構造のせいで、激しく軋む音が、ずっと寝室の方から聞こえていた。大きなサイレン音にびっくりして顔を上げると、エレベーターが止まっている事、復旧の目処が立たない事を知らせるマンション警備員のアナウンスが流れた。
テレビの中では津波警報が鳴り響き、余震を知らせる警報音も立て続けに何度か鳴った。アナウンスと揺れとマンションが軋む音とサイレン音の中で、私は酔っていた。はっとして、ガラスの破片を箒と掃除機で片付けると、食器棚に残っていた食器をコンロ下の棚に避難させ、またコートを羽織ってセイラの学校に向かった。
外にはたくさんの人がいて、車も渋滞していた。電車も止まっているらしく、バスはもうこれ以上は無理だろうというくらいぎゅうぎゅうに人が詰まっていた。学校に行くと、同じように迎えに来ていた保護者の姿が目に入った。子供たちは体育館に集められ、それぞれ防災頭巾を持っていた。セイラの姿を見ると私は手を挙げ、セイラはママっ、と嬉しそうな声を上げて駆け寄ってきた。その様子は、思わぬ事故で早く家に帰れることを喜んでいるようでもあった。でもセイラがじゃあねと友達に手を振り私の手を握った瞬間、そうではないのかなと思った。
よく分からないけれど、地震を機に、セイラは何か変わったたように感じられた。それは、交通事故で親を亡くした子や、日照りで自分の畑が全て駄目になってしまった農家の人、津波で家や家族がた流された人、そういう人たちの抱く諦念のようなものを身につけた瞬間だったのかもしれない。家に帰るまで元気だったセイラは、帰宅して余震がきた瞬間火が付いたように泣き出した。
家が壊れちゃう、みんな死んじゃうの? どうしてこんなことになったの? とテーブルの下で目を見開き私にしがみいた。大丈夫だよ。大丈夫。絶対に大丈夫。そう言いながら私自身、ぎしぎしと軋むマンションの音に蝕まれていく感覚があった。揺れよりも、どんどん増えていく死者数よりも、津波や買い占めや帰宅難民の様子を流すテレビよりも、何よりも私は、永遠に続くんじゃないかと思うほど止まらないマンションの軋む音に神経を蝕まれていくような気がした。
夜八時過ぎ、インターホンが鳴った。帰国中と知っていたから来るかなと思っていたけれど、元夫だった。セイラはパパっと彼に抱きつき、彼は会社の備蓄品にあったからと言って抱えていた段ボールを置いた。中には保存食や水が入っていた。今日の打ち合わせが流れたんだ。ついさっきまで行こうと思ってたんだけど、誰とも連絡がつかないし、電車も走っていないし、歩いて行くとしたら何時間かかるかなって計算してたんだけど、結局お流れでほんと助かったよ。
彼の何でもない話を聞いている内に、私は気が楽になっていったし、セイラも嬉しそうに彼にまとわりついた。彼と離婚してから、自分がシングルマザーでありセイラに父親がいないという状況に何か負い目や不都合を感じた事はなかったけれど、こういうシビアな状況に於いて、男は一つの風穴になるのだなと思った。
「ねえ、原発が電源喪失してて、何度かニュースでやってた」
「爆発するの?」
「知らないよ。でもするかもね」
「爆発したら、エリナどうするの?」
「チャーター機でニューカレドニア辺りにひとつ飛びさせてよ」
「何言ってんだよ」
彼は笑って、じゃあ俺は歩いて帰るかなと言って手を振った。でも次の日の朝、原発の状況が悪くなっているらしいと彼は電話をかけてきて、本当にニューカレドニアに行くなら今すぐチケット取るよと言った。しばらく言葉に詰まって黙っていると、じゃあとりあえず沖縄行きのチケットとホテル取るからと言って彼は一方的に電話を切り、数十分後、ニューカレドニアじゃないけど南の島を楽しんでおいでという言葉と共に、Cチケットを添付したメールをくれた。
私はそのメールをもらってから一時間考えた。そして一時間後セイラに海に行こうと宣言し、保険証、母子手帳、パスポート、セイラの学校の教科書、一週間分の服をトランクに詰めて出発した。飛行機を降り、タクシーでホテルに向かっている時、私はラジオから流れるニュースで原発が爆発した事を知った。
あれから二年半、私は東京でもニューカレドニアでも沖縄でもなく、イギリスにいる。あの時元夫が沖縄行きのチケットを取らなければ、私は今でも東京に居ただろう。あの日、一時間考えて出発した瞬間、私はベルトコンベアに載り、ほとんど自動的にイギリスに入国したのだ。
「ベルキーには地震はある?」
「ないよ。何十年か前に小さな地震があったみたいだけど」
そう。と言いながら彼に握られている手に力を籠める。二年間、地震のない土地に暮らしただけで、地震というものがとても恐ろしいものに感じられる。
「地震って、どんな感じ?」
私は子供のような無邪気さで発せられた彼の言葉に顔を上げて、彼の目を見つめる。私は地震のある国に生まれ育ったんだ、生まれて初めて、その事を強く感じた。
「世界が信じられなくなる感じ」
そう言って、私は彼の肩に頭を載せた。
がんがんと痛む頭を傾けたまま、半身を起こしてアラームを止める。飲み過ぎたと呟きながらベッドの下に手を伸ばしキャミソールをたぐり寄せる。いかないでとむにゃむにゃ言う彼の手に引っ張られ、彼の額にキスをすると駄目だよと手を解く。子供を迎えに行かなくちゃと言いながら、ズボンを穿いた。
「途中まで一緒に行ってもいい?」
彼はそう言ってベッドの中から私の手を取って甲にキスをした。いいけどそんな時間ないよと言う私に、大丈夫と笑って、彼は起き上がった。私が鏡の前で滲んだアイラインを直している間に、本当に彼は支度を終えていた。昨夜来た時には気づかなかった、本棚に並んだダンスの本や、身体についての本、壁に貼られたダンサーのポスターや、家族の写真がどんどん目に入ってきて、途端に彼が生身の人間なんだという事を思い出す。
昨夜の夜、セックスをした後、斜めになった窓から差し込む月明かりの中、彼は私を抱きしめていた。ママンと離れてパパと離れてお姉ちゃんと離れて友達と離れて大切な故郷を離れた。僕はもう誰とも離れたくないんだ。背後で彼が肩を震わせている事に気づいて振り返ると、私は彼の方に向き直り彼を抱きしめた。リナは僕から離れない? と聞かれて曖昧に返事をすると、彼は私の手を握り、泣きながら眠ってしまった。
五階から螺旋状の階段で下まで下りる間、彼は本当に身軽で、踊るように足を踏み出していた。時々くるっと回ったり、ステップを踏んだりする彼に、いいなあ私もそんな風に階段を下りたいよと言うと、リナもやってよと彼に手を引かれた。駄目駄目絶対に転ぶ、という私を踊り場で抱き上げてくるくる数回回ると、彼は壁に私を押し付けてキスをした。
アパートの重たい扉を開けて外に出ると昨日の夜の記憶とは全く違う明るい街並みに目がくらみそうになる。
見てみて、あそこに市場があるんだよ。ほら綺麗でしょ? この市場はとても広いんだよ、ちょっと見に行かない? まだ時間大丈夫でしょ? と言って、彼は私の手を取った。肉、魚、野菜、美味しそうなものが並んだ市場は、見ていて飽きない。ここのソーセージは美味しいんだよ、あとね、前に一回すごく美味しいホットワインを売っている店があったんだけど、もう出てないかな? まだ暖かいし、飲まないかなー皆、リナは何か買いたい物ない? ユーリの矢継ぎ早な言葉に微笑みながら、私はふと立ち止まる。
「野菜買って行こうかな」
色とりどりの、艶やかな野菜を見ながら、今日の夕飯を考える。最近、料理のネタが行き詰まって新鮮みのない夕飯ばかりで、セイラにもご飯時に「またあ?」と言われてばかりだった。私はぎざぎざの野菜を見つけて、足を止めた。
「アーティチーク買ってみようかな」
「リナ、アーティチョーク好きなの?」
「うーん、昔一回か二回食べたことがあるはずなんだけど、あんまり味を覚えていなくて。自分で料理はしたことないの」
「本当に? 日本にはないの?」
「うん。日本では見たことがない」
「そんな残念な事はないよ。アーティチョークは本当にしんじられくらい美味しい野菜なんだよ。今すぐママンに電話してレシピを聞いてあげるよ」
「待って待って、今はまだ早朝だしママンも困るよ」
「そっか、じゃあ後で聞いてあげるよ。実を言うと僕は料理の事はあまり詳しくないんだ。でも茹でたやつが一番美味しいよ。確かレモンの香りもしたな」
こんなに大きいけど食べられるところはすごく少ないんだ、だからたくさん買ってもすぐになくなっちゃうよ、と言う彼に従って大きなアーティチョークを四つとレモンを三つ買った。アーティチョークはこの上の部分を切ってから茹でるんだけど、ここは本当に本当にすごく硬くて、いつも家ではここを切るのは僕かパパの仕事だったんだ。リナが怪我したらいけないから僕が切りに行ってあげるよ。いつ食べる? 今晩? と立て続けに聞きながらユーリは後ろから私をぎゅっと抱きしめた。きゃっきゃっと笑って、まとわりつくユーリとじゃれながら、私たちはゆっくりと市場を見て回った。
市場を見終えると、カフェでクロワッサンを食べて、チューブの駅で私たちは手を振った。私はチューブでクロエの家までセイラをお迎えに行き、ママ、と満面の笑みで駆け寄ってきたセイラを抱きしめ、クロエとマリーとキスをして手を振ると、セイラと共に家に帰った。アパートのドアを開けると、何だかものすごく久しぶりに帰ったような、不思議な感覚になった。
あらゆる事が頭から吹き飛んでいて、私はただ、今日の晩アーティチョークを食べに来る、ユーリの事を考えていた。震災で、私の視線は移ろった、大きな衝撃に吹っ飛び。空を泳ぎ、天を仰ぎ見て、いつの間にかイギリスに来ていた。彼に会って、私の視線は再び移ろった。交通事故に遭ったように、見ていた景色がぐるっとひっくり返って、今はまだ、どこ着地するのか分からない。私の次の世界は、一体どこになるのだろう。まさに生まれ落ちようとしている今、生まれ落ちる先の世界を気にするなんて馬鹿げているのかもしれない。明るい日差しが差し込む九月のアパートメント。セイラは鼻歌を歌いながら絵描きをしている。煙草を吸おうとキッチンの窓を開け身を乗り出すと、足がぶつかってワインの空き瓶が倒れた。タイルに倒れこむ音が、キン、キンキンキンと響く中、私は飛行機雲が何本か残る空を見上げて煙草に火をつけた。
つづく
朱里