断金の契り、刎頸(ふんけい)の交わり、という言葉がある。金属を切断するほどの堅い友情、首をはねられてもその友人のためなら悔いないというような友情、などと。辞書には書かれている。古い中国の言葉だから、もちろん男同士の友情だろう。女に友情など、あるはずない、そんな〈社会性〉は女にはない――というのが、古住古今来、中国・日本を問わず、男たちの信じて疑わない偏見である。

トップ画像田辺聖子著

恋と友情

――と、まあこれは現代の常識。
 尤(もっと)も古い昔でも、女同士に友情があることを早くに主張したのは紫式部である。
『源氏物語』では、はじめは対立していた紫の上と明石(あかし)の上は、小さい姫君を仲立ちに、次第に宥和(ゆうわ)し、友情を結ぶ。

 また、源氏の古くからの妻の一人、花散里の素直なやさしみを紫の上は感知し、よい友となる。
 だいたい、紫式部は小女時代から女同士の友情を信じていたようだ。『百人一首』に採(と)られている。
「めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月影」
 は、『新古今集』によればその詞書に、
「早くよりわらは友だちに侍(はべ)りける人の、年ごろ経てゆきあひたる、ほのかにて、七月十日ごろ、月にほひて帰り侍(はべ)りければ」
 とある。幼な馴染(なじ)みだった友達と、久しぶりに逢えた。(これは友人の父が遠国へ赴任していたためであろう。当時の官史は一家。郎党あげて引き連れ、赴任する)しかし都へ帰ったばかりの友人は、またもや次なる父の赴任地へ伴われてゆく。
・・・・・ほんのつかのまの再会。月が雲に隠れるように、あなたはもう、いっちゃうのね、という歌である。

 現実の紫式部は、こんな幼な馴染みのほかにも、中宮彰子に仕えているあいだ、朋輩(ほうばい)の誰かれと友情を楽しんだようだ。ただ清少納言は朋輩ではない上に、プロフェッショナル・ジェラシイから、紫式部は彼女のことをボロクソに罵(ののし)っている。
(千年のちの私たちが読むと、作家の内面がうかがえて、大いに興をそそられる箇所だが)

 紫式部には男性の友人はいなかったらしい。夫に死に別れてから、恋人はいたようだが。
 一方、清少納言の面白いところは、男友達を持って、友情を楽しんでいる。それも藤原行成(ゆきなり)や斎信(ただのぶ)といった錚々(そうそう)たる当代の才子たちである。彼女の機智と学殖は充分、彼らと拮抗(きっこう)する。男たちに一目おかれるのが無上の楽しみ、というわけ、男たちも、これが同性同士なら、言い負かされ、してやられては複雑な気分になるところ、女性にやり込められるのは、むしろ痛快である。そういう存在は珍重に価する、というところだろう。ゲーム感覚とはいえ、異性間の友情も存在し得ると清少納言は証言してくれたわけである。

 そういう清少納言にしてみれば、恋人よりも、才子と渡り合うほうがずっと面白いのは当然だろう。だから『枕草子』に寸描されている彼女の恋人のたたずまいはまことにがさつで、清少納言の軽侮を誘っている。そっと秘めやかに来ればいいものを、簾(れん)をがさがさと鳴らして入って来るやら、夜あけに帰るときは、何がない、かにがない、といって枕辺を叩きあるいてあわてふためくやら・・・・とさんざんである。

 恋人より、才気を誇り合う男友達のほうが面白い、というのは、しかし、女性の本然からいえば、特殊であろう。たいていの女は、和泉式部風になるのではなかろうか。

 和泉式部は恋だけで人生はもうイッパイ、というところ。
 男を友達に持つひまもなく、恋人に仕立ててしまう。同性の友人など、目にも入らない。
 女同士の友情は水みたいなもので、豊醇(ほうじゅん)な酒のような男とくらべれば、話にならない、というところだろう。

 近代になって女の友情を考察したのは古屋信子である。信子は、そのタイトルも『女の友情』という小説を書き、それはベストセラーになって、女性読者の心を揺り動かした。タイトルだけでも、昭和初期の日本ではショッキングだった。女にも友情があるのかと発見。

 頑迷な家族制度の中で苦しむ女たちは、女同士の連帯をうたいあげるこの作品に、目がさめる思いを味わう。しかし女たちがほんとうに、〈女の友情〉をたのしむには、やっぱり終戦後の思想改造を待たなくてはいけなかった。

 そして現在。
 女性に職場はかいほうされ、社会進出が果たされ、女の友人、男の友人、などという区別さえ、取り払われてしまった観がある。(私の場合は、飲み友達、というのが多いから、なおのこと、両性入り混じっての友人である)

 女同士の友情、男との友情、区別もなにもない。それに現代人は、用向きによって、自分のさまざまな相(すがた)を取っかえ、引っかえ、出す。ゴルフ友達、飲み仲間、仕事関係、同窓の友、趣味仲間、どれもソコソコにつきあう。全方位外交の友情となった。

 断金の契り、刎頸(ふんけい)の交り、という、ぬきさしならぬ仲は、持ち重りして、誰も手に触れたがらず、
〈そういうものがあることは知っていますが・・・・〉
 とか、
〈は、いや、聞いたことがあります。え? 字は書けません、辞書を見ればわかりますけど〉
〈いや、意味もおぼろに。――しかし日常とは縁遠いですな〉
 と骨董品扱いされてしまう。堅い〈友情〉は、任侠映画の〈義理〉と同じく、
〈あることは聞いていますが・・・・〉というよな隅っこに押しやられてしまった。

 友情は、男同士、女同士を問わず、現実から消滅した。人生のある部分だけの一瞬の共鳴、というものはあるが。
 それは男と女が入り混じり、男と女の間に気さくな交遊関係が出来、一見、友情とまぎらわしくなっている現在の雑な人間関係の中で、ごく自然の推移であろう。

 とこで私自身の場合、男にも女にも、本当に友情を感じたのは、はるか昔、同人雑誌を作って、皆と切磋琢磨(せっさたくま)していたころだった。

 みんな若くて、みんな独り者で、みんな小説が好きで、みんな小説がヘタだった。
 大阪の労組が母胎となって文学学校というのが出来、生活記録など書かされていたが、そこを出てから自然にさまざまなグループに分れ、私達の場合は、〈自由に好きなものを書こう〉ということになった。タイプ印刷なんかあったころで、皆の作品を集めて本になると、赤提灯の店の隅っこで合評した。これは楽しいが、得てして酔ってくると酷評になる。

 喧嘩になりそうなところを、ひとりが、
〈しかし椎名麟三(しいなりんぞう)はええぞ〉
 と割って入り『永遠なる序章』をちらつかせたりした。あるグループはどこやらの会館の一室を借りて植谷雄高の読書会をやり、またあるグループは喫茶店の片隅でサルトルの研究をつつましくやっていた。

 私はどこのグループへも顔出ししたが、籍は赤提灯屋の居酒屋グループにあり、男の子の小説をこてんぱんにやっつけ、私の作品もやっつけられた。
 
 私一人は落語小説で、あとはみな、私小説であった。
 彼ら彼女らの小説によって、私はみんなの家庭状況をすっかり、知悉(ちしつ)してしまった。
〈兄貴がついに、アカンらしい・・・・〉
 とぽつんという仲間の青年は、父のない家を母と共に支えてくれた兄貴が結核の末期だったのであり、暗い顔で、
〈お袋が妹連れて出ていきよった・・・・〉
 という男の子は、険悪な両親の仲を、彼の小説によって、私たちによく知られているのであった。我々は彼の小説を貶(けな)しながら、彼の境遇に同情していたわり、ある青年は、
〈オマエなあ、それ、書け。書くことで救われるぞ〉
 なんていい、〈おばはん! 酒や!〉などとどなっていた。

 時代劇に出て来る飲み屋のごとく、椅子は細長い床机様(しょうぎよう)のもので、木綿の小さい座布団が並べてあるだけだった。私はしめ鯖や葱(ねぎ)と油揚のぬたあえなどを食べ、手酌で熱燗をついでは、〈理想の落語小説〉を語っていた。そうして、
〈小説は、究極のところ、落語やしィ・・・・〉

 と叫んでいた。外へ出ると寒くて寒くて、上六(上本町六丁目)電車通りは空っ風が吹きまくり、私は両横を男の子に釣りあげられるように挟んでもらって、
〈うわ、暖(ぬく)〉
 なんていっていた。男の子が自分のかぶっていた毛糸編みの正ちゃん帽を私にかぶせてくれることもあった。みんないい奴だった。さっぱりした〈気良し〉ばかりだった。いい友達だった。男の子との友情を、私はあの若い日に味わい尽くした気がする。

 なのに、そこから、恋は生まれなかった。これほどのグループもそうだった。彼らの私小説を読まされ、生活環境を熟知していたから、というか、いろんなことに同情したり、いたわったり、しすぎたから、というのか・・・・。

 友情のきわまりは、同胞愛、になってしまうのだろうか。べつのサークルでただ一組、結婚まで漕ぎつけたのが居り、双方、いい書き手であったが、男の子のほうは会社がいそがしくて、文学志望は二の次、三の次になったらしい。

 女の子は詩も書き、しゃれた感覚の美少女であったが、あるとき会うと、茄子の糠漬けについてくわしく講釈した。それは背の君がいたく茄子の漬物が好きだからであるそうな。・・・・

 あのころの男の子たちとの友情こそ、もう二度と私には持てないものである。
 今回は郷愁をこめて、友情と恋についてのアフォリズム>

いたわりが恋に昇華しない如く、友情も恋に化学変化しない。

捨てる

ひところ、モノを捨てるノウハウの本が出て話題になったことがある。
 なにさま、近年の経済効果でどの家にもモノが溢れかえっている。新製品を買いたくてもすでに買ったものがぎっしりある。新しいのを欲しいと思えば、古いのは捨てるしか、ない。
 そこへ、〈捨てる〉という技術と発想の開拓を示唆する本が出た。これは斬新(ざんしん)なアイデアであった。

 世間ではいっせいに、
〈モノを捨てる〉
 という新発見に浮かれていたころ、いちばんにがい顔をされたのは、史学界の学者先生がただったように思う。
〈安易に捨てる、という現代の風潮は危険だ。家財のガラクタはどうでもいいが、公的私的の関係資料、末端些末(さまつ)の反故(ほご)にしろ、資料価値は現代の尺度で計り知れないものがある。”捨てる”のは文化的営為ではない〉

 というご意見もあったように思う。これも尤(もっと)もなことであった。
 そういう関係はさておき、以後、若い人々は〈捨てる〉ことに抵抗がいっそう無くなったように思う。歯止めがきかなくなったというべきか。

 この間も中年のイチブン氏が来て一驚していた。彼のいるマンションの、粗大ゴミ置き場に、ある日、彼はとんでもないものをみつける。
 黒張りの美しいソファである。
〈どこも傷んでない。本革やがな。・・・・・ぼくトコ欲しい、思ったが、何しろこれ以上。ウチも置き場がないよってな〉
 と彼は昂奮さめやらぬ面持。一も中年なれば、ムカシ人間であるから、
〈まず、胸にきたのは”勿体ない、こんな高価(たか)いもんを・・・・”ということやった。お天道サンのバチ、当たらんか、とほんまに思いましたデ〉

〈おやおや、御婆ちゃんくさい感慨やこと〉
 とフィフティちゃん、これだって中年であるが。
 しかし私も〈お天道サンのバチ当る〉という発想に同意する。モノにはモノの生命と使命がある。それとつき合い、完(まっと)うせしめてこそ、モノがこの世に生み出された責務が果たされるのだ。それはまた、縁あって、そのモノと人生を同じくして歩んできたヒトにも、満足感をもたらすというものだろう。それをぞんざいに途中で打ち切り、ポイ捨てるというのは天を恐れざる仕打ちといってよい。昔風にいえば〈弊履(へいり)の如く〉というか。・・・・

〈うわ。どんどん大げさになっていくのねえ。ムカシの言葉ってオーバーアクションですねえ〉
 フィフティちゃんは自分だけ若いつもりでいる。そうして、
〈でも、どんどん新しいの買うから、経済も活性化するんじゃありません?〉
〈しかし、勿体ないもは勿体ない〉とイチブン氏。私と二人〈天を恐れざる仕打ち〉などというのは時代遅れだとフィフティちゃんに笑われてしまう。

 しかし考えてみると、私も、ほんとに、モノを捨てない女だ。それなのに〈来るものは拒まず〉だから、せまい陋屋(ろうおく)に、どんどん、モノはたまってゆく。

 私は小道具やうす汚れたぬいぐるみや本に埋もれ、僅かな空間の中に身を押し込んで、目ばかり出して書いている状態である。

 どんな小さなモノ(ガラスの水差しやら、白磁の筆立てやら紫水晶の八角錐(すい)やら)にも、一つ一つの歴史と思い出あり、手馴れのなつかしいもの、捨てるに捨てられない。

 机上に何も置かない、とか、パソコン一台あればという人もいる。ホコリがつくから、高価な飾り物、愛玩品(あいがんひん)、コレックションのたぐいはみな大きい戸棚へ蔵(しま)っておく、という人もいて、世の中はさまざまである。しかし、蔵っておいて、日常、目にできない、手に触れない。私は、汚れてもホコリがついても、いつも触ってひねくり回し、愛玩したいほうなので雑然と机上に並べているのである。だから、それらはいつまでもある。

 阪神淡路大震災でいくつかは壊れ、また、ウチへ遊びにくる縁辺の子らが、いかにも欲しそうにみるものがあった。躾がいいのか、頂戴とはいわなかったが、欲しそうなさまが愛らしかったので、やったこともある。私は、それらの品に、〈かわいがってもらうのよ〉といって送り出した。その子は大喜びだったけれど、私は、私の所有物が誰かに欲しがられているだけで、もう、その気になってしまうときがある。

 これも〈捨てる〉ことの一つの変型かもしれない。それが在ったときの私の人生と、ないときの人生は、また違ってくる。そこで、私の、フト考えたアフォリズム。

 ものを一つ捨てるのは、人生を一つ、捨てることである。
『源氏物語』で、紫の上を死なせたあとの源氏は、そのかみの紫の上の手紙を破り、焼いてしまう。紫の上を失ってももはや生きる望みも断たれた源氏は出家して、新しい人生に入ろうとする。思い出を捨てたことは今までの人生を捨てたことである。

 それで思い出したが、坂本龍馬が暗殺されたのち、愛人のおりょうは、龍馬の姉乙女を頼って土佐へゆき、更に、土佐の郷土に嫁いでいる妹の婚家先に身を寄せた。しかしそこでも居辛かったのであろう。やはり江戸しか自分の生きられるところはないと、決心して江戸に発つ。その前の晩、龍馬からもらったたくさんの手紙を、ひとり川原で焼き捨てたそうである。

 土佐びとはいまもその話をして口悔しがる。龍馬の恋文なら、どんなにか面白いものであったろうに、と、彼岸の空へたちのぼった煙をいまも惜しむ。

 しかしおりょうにとっては、龍馬の恋文を捨てることは、今までの人生を捨てること、源氏と同様に、新しい人生を手に入れるためには捨てなければならぬ旧(ふる)い人生だったのであろう。

 そしてまた捨てる時期、というものも、ある。
 いまでなければ、という、〈捨てどき〉というものもあるだろう。私も、なんということなく、そういう時期に遭遇したことがある。

 私の持ち物など、ひとさまからご覧になれば、なんの値打ちもないものだろうが、それでも精神的波長があうのか、
〈あっこれ、いいわね〉
 という友人がいる。たまたまその友人によろこびごとがあり、私は思いついて、かねて彼女の執着していたものをお祝いに献呈した。瑪瑙(めのう)の兎である。彼女は大いによろこびごとがあり、兎もうれしがり。私も満足だった。これは捨てるに時宜(じぎ)よろしきを得た、ということであろう。

 長い人生、できればこういう時宜に適(かに)った捨て方ができれば、上々である。そこでアフォリズムその二。

 一つずつ捨てるところに人生の妙味がある。捨てる時期にも妙味というものがある。
〈へーえ、じゃ、目星をつけて申し込んでおけば、いつかは、ということですね〉
 フィフティちゃんその目星も、一つ二つではなさそうであった。

〈どれか一つでもいいですから、そのうち、風の吹きまわしで、”妙味”がまわってきますように。あたしの欲しがっているもの、ごく、ささやかです。黒真珠のリングとか、青いガラスのボンボン入れとか・・・・〉
〈わたしが捨てるという言葉で思いつくのは、ですね・・・・〉

 私は、フィフティちゃんの言葉が聞こえないふりをして言い重ねた。
〈それはもう、小説を書くときですよ。プロットやアイデアをいくつも考えるわね、そこからひとつずつ、捨てていく・・・・〉
 枝葉を切り落とし、しているうちに、小説は、はじめての意図とは似ても似つかぬものに変貌(へんぼう)してしまう。

 これはいけないと、また組立てなおす。このアイデアだけはどうしても使いたい、といつまでも捨てずに残しておいたもの、それを使おうと、必死で、ああでもない、こうでもない、と考える。

 そしてそれに固執し、何かなんでもと意地になってこだわっているとき、どうしても解決の曙光(しょうこう)はみえない。
 どうやってみても不自然になってしまい、混沌として収拾つかなくなる。
 ついにそのアイデアを捨てる。何百年もの昔からいうではないか、
〈身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ〉
 捨てて、もとの木阿弥(もくあみ)になってしまうと、あーらふしぎ、という感じで、アイデアが湧然(ゆうぜん)とわいて出る。勇んで組み立て始めるが、今度はスラスラと筆が走りすぎ、読み返してみると、どこかで何度も読んだような話になっていました。ということになる。――これもダメ、と捨てたところが、フト浮かぶ情景あり。

 やみくもに書き出して、これがうまく当たって、ということも多い。〈捨てる神あれば拾う神あり〉・・・・
 してみると、人生は〈捨てる〉ことにより、形を成しているのかもしれない。少なくとも人生で、
〈捨てる〉
 ということは大きい意味をもつ。捨てたそれのない生活に堪えつつ、馴れてゆかねばならない。そこでまた一つ。

 人生の喪失感、というのは、味のあるものなのだ。
〈いや、ぼくは何ンやがっくりきて〉というイチブン氏。〈れいのシロモノ、二日後にもう、ありませんでした。ゴミのトラックに積まれてどこかへいったそうです。この喪失感は深いです。人間はなんのために生きとるのやろ、ソファ一つ、よう救えんと、――と思ってしまいました〉
〈味のある感慨じゃありませんか〉
〈喪失感を薄めるには、これしか、ありませんな。――失礼します〉
 とイチブン氏は腕を伸ばしてウイスキーの壜(びん)をとりあげた。

おっさんとおばはん

 私は、ひところ、
〈おっさんとおばはんになり生きやすし〉
 というフレーズを作り、求められた色紙や記念の和綴(わとじ)の帳面に書いていた。――そのような帳面は前ページをみると、ローマ字のサインに添えて、英語の単語があったりする。愛、とか、平和、とか。前の講演者のそれであろう。それに比べると、右の私の、川柳まがいの句はいかにもダサく、しかも説明不足で、人を面食らわせるかもしれぬ。

〈おっさんとおばはん〉より〈オジサンとオバサン〉にすれば、という声も出るかも知れないが、私の思うところ、共通語っぽいオジサン・オバサンでは感じが若すぎる。

 現在(いま)の私から見れば、すでにもう、オジサン・オバサンですら、若い世代である。
 私はもはや、〈おっさん・おばはん〉世代に入った。この大阪弁は、年齢を意味するというより、精神風景の世界を示唆する。

 そこで今日は、老いをめぐってのアフォリズム。 
前にも〈老い〉について考察したが、私は老いてゆくいまが、わりに好きだ。
 私はファウストおじさんではないからして、いくらメフィストフェレスに誘惑されようが、
〈いや、いまのままで結構です〉
 と、ことわってしまうだろう。アホやな、とメフィストさんは嘲笑するに違いない。私は、
〈アホちゃいまんねん、パーでんねん〉と逃げてしまう。
 何となれば、老いてこそ、生きやすい、という嬉しさがある。
 なぜ生きやすいか。私は前に、こんな感懐をつくった。
〈老いぬればメッキも剝げて生きやすし〉
 メッキが剝げてならぬ、と思うのは、まだ雄心勃々(ゆうしんぼつぼつ)たるオジサン・オバサンたちである。されば、今回は、おっさん・おばはんに対する、オジサン・オバサンの考察、ということもできる。

オジサン・オバサン世代は、まだ壮年時代の夢を引きずっている。つまり見栄っ張りの殻が尻尾にくっついている。実物以上に自分をよく見せようと策を弄(ろ)し、さまざまに粉飾し、自己宣伝も開陳する。気忙しい、とは思っていない。

かくて中身の足りぬところは糊塗(こと)され、パテで埋められてゆく。その上に塗られるペンキ。
見てくれはいいが、それを維持させようとすれば、年中、メンテナンスとの戦いである。

 あるいはホテルの営業政策として絶えずリニューアルしているが、そのように、いつも清新な印象を与えるため、努力を怠ることができない。

これをいいかえれば、〈人は、我が身を粉飾し、そのメンテナンスに生涯を費す種族である〉ということもできる。
 そして、オジサン・オバサン世代は、まだそれが面倒でない世代、むしろ、それが、
〈生きる喜び〉
 というような世代になっているのである。
(むろん、若者からみれば、オジサン・オバサン世代も、おっちゃん・おばはん世代もあるか、〈要するに、みな老人じゃっ〉と思うであろうが、さてあらず。一律に老人世代でひっくくれないのである)

オジサン・オバサンらには、身を飾る気持(目に見えるファッションや化粧のことではない)が躍動している。
これが、おっさん・おばはんになり、
〈メッキが剝げたほうが楽じゃっ〉
 と、居直れば、どうなるか。粉飾も作為も面倒になり、やりたいことをやり、いいたいことをいうて、何がいかんねん、と居直ってしまう。
 すると世間では、かえって、
〈その、メッキの剝げ具合に味がある〉
 などと珍重してしまったり、する。そうなると、今までは世の中の流れに合わせていたのもやめて、物の考え方、ネーミング、社会現象のさまざまにまで、大っぴらに〈いちゃもん〉をつけて憚(はばか)らない。

 今日び、新聞の投稿欄に、七十歳代、八十歳代の老男老女投稿者がふえたように思うのは、私だけの僻目(ひがめ)であろうか。これが、孫に感謝するとか、曾孫(ひまご)がふえてうれしい、というような他愛ないものがあるが、時に赤唐辛子のように辛辣(しんらつ)なのもあって、〈メッキの剝げた人生的快楽〉を味わっているなあ、とつくづく思わせられる。
 手近なところで対立してみる。これはアフォリズムというより、人生報告である。

 オバサンはすでに〈スニーカー〉という世代である。おばはんは、〈運動靴〉といって憚らない。オジサンは〈全天候型ドーム〉と呼ぶが、おっさんは〈雨天体操場〉という。
 
 オジサンはジョッキングに命を賭ける人、ゴルフに身を張る人、とりどりに、すべてまじめにうちこむ。ダンスに夢中、という人もいる。太極拳と漢方薬に身命を賭し、毎年の年賀状に凝る人もいる。

 オバサンは教養こそいのち、と思う。何某先生について萬葉散策を試み、スニーカーを履いて山の辺りの道など探り、甘樫の丘にのぼって、『萬葉集』を朗読したり、〈『源氏物語』を原文で読む会〉をもう何年も続けたりする。あるいは東南アジア留学生支援のための音楽会を開いてボランティア運動に精出し、老人ホームへいっておむつをたたむ。その一方、パーティ好きで、ダンスに励む。水泳教室へ通い、顔の皮を一枚剥くエステや、下腹の贅肉を取る手術の情報にくわしい。
 これらオジサン・オバサンらを見て、おっちゃん・おばはんは何というか。

 オジサン・オバサン世代は、まだ、「ねばならぬ」に捉われている世代である。
 と憫笑(びんしょう)する。

 見よ、体力づくりに励まぬばならぬ、漢方薬でなければならぬ、年賀状は出さねばならぬ、ジョッキングをして足腰を鍛えねばならぬ、古典の教養を積まねばならぬ、下腹をへっこんでいなければならぬ。ボランティアは社会人の義務であらねばならぬ・・・・。
 みい。
〈ねばならぬ〉の羅列(られつ)の人生やないか。
 粉飾人生とは、このこっちゃ、と、おっちゃん・おばはんは嗤(わら)う。
 いまや、おっちゃん・おばはんは、あらゆる桎梏(しつこく)から放たれたと思う。
 思うが、うれしくはない。
 単に、只今のところ、〈生きやすく〉なっているだけだ、と思う。もうすぐに(それはいつかわからぬが)確実にくる、死にやすい年代に向かっている。しかしそれまでが〈生きやすければよい〉と思う。

 おっさんは、ダンスパーティの代りに、町の場末の居酒屋に集う。そこには、一皿同じ値段で、トマトや煮ぬき卵、竹輪の切ったの、しめ鯖などが、ガラス戸棚に並んでいる。

 指でさしてとりってもらい、更に、ぐつぐつ煮えているおでん鍋の中から、すじ肉、厚揚げ、蛸、牛蒡天(ごぼうてん)などを指して、皿に盛ってもらう。焼酎の湯割りなんぞ飲みつつ、同じような年配者と時世を慨嘆する。
 
〈このごろ、祝日や、連休や、いうたかてちっともピンとけえへん〉
〈そやわ、紀元節、天長節、なんていうほうが、季節感あって、ええのにねえ〉
 と、これは、おばはん。このごろはおばはん世代も充分、若々しい。昔の〈老婆〉の面影は今や、たいていのおばはんにはない。喜寿といえどもシミシワも少なく、肌はツヤツヤし、ルージュなど塗りたてている。これは、近頃、キスしても落ちないと広告している口紅である。

 おばはんは一人住まいであるゆえ、毎晩この居酒屋へ通って、同世代のおっちゃんと交換し、晩御飯もすます。
〈うん、それに二月の紀元節、四月の天長節、十一月の明治節、正月の四方拝、これが四代節や。昔は小学唱歌の歌もよかった、乀菜の花畠に入日暮れ・・・・やら、村の鎮守の神様の・・・やら〉
 この手合いは、昭和戦前の小学校出身であるゆえ、国定教科書の、「サイタサイタ、サクラガサイタ」「コイコイ、シロコイ」で育った世代である。

 しかし、戦地へはやられていない。兵役の年齢には達してなかった、という微妙なところだが、結構、苦労はしている。学生の工場動員、飢餓、空爆、満目焦土の都会。長い歴史を見て来て、
〈こうであらねばならなぬ〉
 で必死に生きて、日本を復興した。しかし、いまの子らを見るに、
〈学力落ちるわ、礼儀は知らんわ、公的秩序の観念ないわ、善意の判断、倫理観ないわ・・・・目も当てられん〉とおっちゃん。

 別のおっちゃん、〈大ッけな声でいえんけど、昔の「教育勅語」はビシッとしとったデ。父母ニ孝ニ。兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ・・・・〉
〈おお、夫婦相和シ、朋友相信ジ・・・・・〉
 とすぐつづけるのは、昔、暗唱させられたから。
〈兄弟仲よう、友人も夫婦もみんな仲ようせい、そんで勉強して知識を身につけて仕事を習うて独立して、人格を磨いて世の中のために尽くせ。――ええこと、いうたはる。子育ての理念やないか、どこがいかんねん〉

 おっさんは鬱懐(うつかい)を吐露(とろ)する。
〈勅語、というのが、ダサく聞こえるんやろうねえ、博物館いきやと思われてるんとちがう?〉
〈ほな、ワシらも、博物館の遺品か〉
 あはあと笑って、いよいよ宴はつづく。

 オジサン。オバサンは節酒禁酒をめざすが、おっさん・おばはんらは、おのずとそうなってしまう。人生の戦線を縮小する意志をもつ世代に対し、水の低きにつくが如く、または花のおのずとしぼめる如く、品よくおとろえてゆくのが、メッキの剝げた世代である。

 三々五々、ねぐらめざして別れるおっちゃん・おばはんらの後ろ姿は生きやすげなのである。

ヒトと暮らす

 私は元来、結婚は、してもしなくてもいい、思っている。ひと昔前のように、国民階結婚、という社会の思潮がそもそもおかしい。そしてその規約からはずれた(あるいは、はずれることをやむなくされる境遇に置かれた)人を、さながら人生的欠陥者であるように貶(おとし)める風潮に反撥(はんぱつ)を感じていた。いた――というのは、最近はややにその弊風あらたまり、恣意(しい)的シングル志向が市民権を得たから。

 ただ、それはそれとして、男と女が共棲(ともず)みしたとき、これは両方に、実にさまざまな感懐を強いるものである。

 それも、同棲するのと、結婚するのとはまた、微妙に違うだろう。近頃は同棲しても敢えて入籍せず、しかし社会的地位では夫婦、として世の中を押し渡っている人々もいるからまぎらわしい。ここでは、籍をいじるか、いじらないかは棚上げして、一応は社会的に一組の夫婦として申請受理されたカップルについて考えることにする。

 まず、悪夫・悪妻、というから考えてみたい。
 私に言わせると、DV男や、ギャンブル好き、浮気癖、酒乱、などは、これは一応、圏外である。誰が見ても〈困りもの〉という男はさておき――。
ワルイことはしないのに、存在するだけで妻にとってワルイ夫とは。

 悪男とは、妻にホトケごころを出させる男をいう。
 女房をひたすら頼りにしている男。あたしがいなけりゃ、このひと、どうするんだろう、見てくれも平凡、働き、ったって、そんなに大した腕があるわけじゃなし、あたまだってごく普通の出来合いアタマ。自分でもそれ、わかっていて、何かというと、あたしの意見を聞き、人にあたしの口移しを得々としゃべったりしてるけど、これが自分では無意識のところが可愛いのね・・・・。

 シマッタ、可愛い、なんて言葉を思わず使ってしまった。これが出るといけない。始末が悪いのよね。ああ、もう、しょうがない、やっぱりこの人のために、〈面倒見たらんならん〉――面倒見てやらなきゃいけない、なんていう気を女に起こさせてしまう。

 女にホトケごころは禁物である。相手にとって悪い、というより、女自身、ホトケごころのために身をすり減らし、自滅してしまう。自分の希求していた人生、あれもこれも、ホトケごころでついつい尽くしたばっかりに、空しい夢、と消えてしまった。ふと気づけばもう人生の先はみじかい。

 その報酬は、といえば、臨終(いまわ)のきわに男に、〈オカーチャン、おおきに。おおきに、やで〉なんてお礼いわれるのが関の山。野心ある女は、ホトケごころの出そうな男には近づくべからず、である。他日、何か為すあらんことを期す女にとっては、〈可愛い男〉は悪夫である。

 では、男から見て悪妻とは何だろう。

 悪妻とは〈信条〉をもつ女である。
 昔、弱いもの、といえばきまり文句に、〈平家・海軍・国粋派〉――というのがあった。
 都ふうの軟弱文化(ぶり)に染まった平家は、東国のあらえびす、源氏ざむらいの剽悍(ひょうかん)には勝てず、開明的で融通の利く海軍は頑迷固陋(ころう)の陸軍に勝てず、包客性に富み、国際親和を旨とする国際派は排他的で姦佞(かんねい)邪智の国粋派に敗れてしまう、というのである。

 それをもじって、昔、私はあるところに、〈当世強いものは〉を書いたことがある。
〈主婦・エイズ・阿保〉
 というのである。
 主婦は強し。母はなお強し。主婦はもう、いまや源氏・陸軍・国粋派を凌(しの)ぐ。エイズはどうかな。医学の進歩により、多少は抑制できたかもしれないが、これを服用(のめ)ばイッパツで効く、という特効薬はまだ発見されないようである。やっぱりまだ、強者であろう。

 阿保は、学歴や出目、資産、職業に関係なく、どんな階層にもいる、自分の現在地点の分からぬ手合いのこと。指図したがり、仕切りたがり、非難、追及、糾弾したがる。この輩は浮世に恣意的な波風を立てるだけで、ちっとも人の世の発展宥和(ゆうわ)に寄与しない。そのくせ浮世では強者である。というのは、
〈ワシはまちごうたこと、いうとらん〉
 という〈信条〉があるから。
 私は信条を持ってもいい、と思う。〈持つべきかどうか、という議論はここでは措(お)く〉

 あれば渡世の目安になるし、他の人との〈信条〉のぶつかり合いを楽しめる。
 〈信条〉と〈信条〉が交錯して光耀(こうよう)を放つのも人生の面白さであろう。
 ただしかし〈信条〉は人に押し付けるものではない。
 それを、だ。妻の中には夫に〈信条〉を押し付ける人がいる。そこでは〈信条〉というコトバではなく、〈絶対〉というコトバが使われる。
〈絶対、こうすべきよ、あなた〉
〈絶対、それだけししちゃ、ダメ〉
 夫は、はじめは従う。〈阿保〉のおっちゃんではないが、まあ〈まちごうたことはいうとらん〉と思えたし・・・・。
 しかし人生は長い。
 夫が見る社会、妻が見る社会、微妙に空気が違う。感触が違えば結論も違う。
 年経て、妻の〈絶対〉が正しいとはいいきれぬ時がくる。見解がくい違い、そういうとき〈それもそうね〉という反応が、精神構造上、どのボタンを押しても出てこぬ、という妻もいる。(このほうが多い)

 まあ〈信条〉に関係なく、絶対に〈ごめんなさい〉といえない妻もいる。これは性格というより、生育歴の問題ではないかと思われる。お母さんがお父さんにそういうのを見たことのない人なのだろう。

 長い年月、それが積り積もって、男は自分が妻の〈信条〉の〈被害者〉だという感を抱かされる。そのことにつき、心懐の一端を洩(も)らすと、これが〈異論〉の引き金になる。悪妻は議論好きである。夫の被害妄想を払わんとしゃべりまくる。
 ここで、第三のアフォリズムとしては、

 議論してまで〈夫婦〉をやっていることはない。――と思う男もいる。
 男は家に帰ってまで、議論をしたくないと思う。しかし妻は唯一の論敵は夫であるから議論を吹っかけたくてたまらない。

 説得したいていう情熱は、〈信条〉からきている。異同があればマチガイを正すべきと思う。べきはつまり、〈信条〉そのものである。
 こまったことにたちいたった。
もう、ここまでくれば、どうしょうもない。
 男は、看破してしまったのだ。
 妻が、
〈べき〉
 のお化け。〈信条〉のお化けであるとこに気付いてしまった。本当はかなり前から気付いていたのであろうが、わざと気づかぬふうに、自分自身にもそう思わせ、言い聞かせていたのであろう。

 こうなったとき、どうするか。
 ここから先は、小説家の想像であるが、(今まででもそうだが)私は、「結婚は、外交」の章で、
「家庭円満のコツは”見て見ぬフリ”に尽きる」
 と紹介したことがある。これはコツというもので、〈アフォリズム〉の範疇(はんちゅう)にいるほどのモノとは思えない。ホームドラマにもホームドラマのコツがあり、脚本家はテレビ視聴者のために、おのずとこんなコツをたくさん持っていられて、面白いドラマを作成されるのだと思う。

 しかし、妻が〈べき〉のお化け、〈信条〉のお化けであると気づいたとき、男はどうすればよいか。
 オマエは〈べき〉のお化けだから、別れたい、というのは離婚理由にならないだろう、と小説家は空想する。抽象的すぎて、社会の仕組みに馴染まない。また、男も、既成のかたちを今更、ぶっ壊すのも〈大義〉だ。

 この〈大義〉というのは、あらゆる感情を左右する大きな理念である。
――で、こういうのであれば、夫婦の関係についての、アフォリズムになるだろうか。

 夫婦の間では〈われにかえる〉ということは、
 見合わせたほうがよい。

 フト、われにかえってみれば、
(ワシ、何しとんねん)
 と思ってしまう。
 われにかえる、というのは怖ろしいことである。すべてを浄玻璃(じょうはり)の鏡に映してみれば、(何だ、こりゃ・・・・)ということになる。
 小説家としての忠告は、
(われかえっては、ヒトと暮らしていけない)
 ということになる。
 見て見ぬフリ、どころではないのだ。
 ホントのことを直視しない、というどころではない、いっそのこと、あらまほしいイメージを思いえがき、〈夢見心地〉で生きる方がいい。
(そういうことのできる能力が与えられていれば・・・・であるが)

 そして一瞬、〈われにかえった〉としても、しばらくすると、また忘れてしまえるのがいい、腓返(こむらがえ)りのようなものだ。一時的な筋肉の痙攣(けいれん)――神経的な――と思えばいい。
 今回はずいぶん独断的アフォリズムだったので、私一人の独り言である。いつもの連中に披露したりすると、喧喧囂囂(けんけんごうごう)の騒ぎになってしまうだろう。

〈ぼくだって、いつも”われにかえって”ますよ。べつに目新しくありません〉
 とイチブン氏は反芻(はんすう)するかもしれず、
〈悪妻と自覚してる確信犯は、悪妻じゃないかもしれない〉とフィフティちゃんは同性を弁護する――かもしれない。
 そこでラストのアフォリズム>

悪妻を自認するのは一番始末が悪い悪妻である。
 さまざまな悪徳の上に、居直りという悪弊も加わっている。

オトナ度
 夫婦でいるかぎり、夫婦仲よく、幸福でありたいと思わぬ夫婦はないだろう。ケンカしようとて、夫と妻になったのではないから。
 それでは、夫婦の幸福、というのはどういうものだろうか。
 この、〈幸福〉というコトバからして吟味しないといけないのだが、元来が昔からある言葉ではないので、古くからある形態の〈夫婦〉とは馴染まない。

――幸福という語の、うさんくささは、土俗的な大阪弁には、それに相当するのがないことを見てもわかる。昔(正確にいえば昭和四十一年だった)、加山雄三が歌った「君といつまでも」という歌の、中に挟まれるセリフ、
「幸せだなァ・・・・
 僕は君といる時が一番幸せなんだ
 僕は死ぬまで君を離さないぞ
 いいだろう・・・・」(作詞・岩谷時子)
 歌はともかく、右のセリフは、その当時から大阪者(もん)には抵抗があって、どんな店へいっても、酔い客の多くはセリフを飛ばすか、勝手に変えていた。何と改竄(かいざん)したか。
〈ワイは、エエ調子やなァ〉
 なんていうのだ。
 幸せ、(大阪弁では、しやわせと発音する)なんてコトバは口語ではなく、”書物(ほん)に書いたァる”文語であるから、日常坐臥(ざが)や酒間の席で用いるには不適当という判断を下したものらしい。

 幸せに相当するコトバとしては、〈エエ調子〉とか、〈按排(あんばい)よう、いってる〉とか、〈あんじょう、やってる〉というようなものであろう。大阪弁は大体に於いて、物事を朧化(ろうか)する気味があり、(なくなったといえばよいものを、”ないようになった”といったりする)〈エエ調子〉も〈按配よう〉も〈あんじょう〉(この語は味良(あじよ))うから出ているという)も的確な説明といいがたい。

 しかし何となく、天地万物の運行がなだらかに円滑に、あるべきさまで営まれている。という暗示を受ける。而(しこ)うしてそのことに深い充足感、満足感を持っている、というのが、
〈ワイは、エエ調子やなァ〉
 というセリフになるのであろう。ついでに大阪モンに続けさせると、
〈ワイはオマエといる時がいちばん、エエ調子やねン。
 ワイはいてもうても、オマエ離さんんデ。かめへんやろ〉
 ということになる。

 夫婦が〈いてまう〉(死ぬ)までエエ調子で、または按配よう、あんじょうやっていくには、どうあればよいであろうか。私の発見したアフォリズムは、

 うまくいってる夫婦とは、お互いに〈話しかけやすい〉人柄であるところに特徴がある。
 というもの、
 人間には二つのタイプがある。
 一つはとっつきにくい人、一つはとっつきやすい人、このとっつきやすい、という言葉は世間では余り使われず、もっぱら、
〈誰それさんは、とっつきにくてね・・・・〉
 と陰口でこぼされるように否定的用法が多い。世間でとっつきにくくても、夫婦の間でとっつきやすければいいのだが、夫婦になっても、話しかけにくい雰囲気の男や女はいるだろう。――社会的歴史からいえば男にそれは多い。そして社会的黙契として、男はぶすっとしていても、女が愛嬌(あいきょう)よく機宜(きぎ)に応じた取り回しで男の心をやわらげ、不機嫌を上機嫌にしてしまう、そんな才覚を持つことを女に強いられる。

 日本の社会は従来、ずーっとそれだった。
 こんなところで男女同権などというコトパは、それこそ〈文語〉であるから使いたくないが、女にばかりその役目を負わされるのは不公平であろう。

 日本男は、今までの歴史からいっても、決して不愛想ではないはずで、それは江戸時代の小説類をみてもわかるよう。庶民の男たちはそれぞれの嬶(かかあ)相手によくしゃべっている。明治時代の薩長(さっちょう)ザムライ風が、男に都合よくねじまげられて、日本の家庭の風通しをすっかり、悪くしてしまった。現代では男も女も、〈話しかけやすい〉人柄、というのが望ましい。これはもう、むしろその人間の才能であろう。能弁である必要はないが、人がモノをいいたくなるよな、柔和で安穏(あんのん)な雰囲気が、いっも、身の回りをとりまいている男や女。

 リッパなこともつまらないただごとも〈こっちのほうが、人生ではずっと大切だ〉何でも、〈ねえ、あんた〉あるいは、〈あのな、オマエな・・・・〉と話しかけたくなる、こういう男や女が一生連れ添う相棒であれば、どんなに人生は藹々(あいあい)たる和気に満ち、気安く、生きやすいことであろう。

 話しかけられやすくなるには、どうすればいいですか、どういう修業が要りますか、と問う人枷あるかもしれない。(何でも訊ねたがり、何でも問い合わせたがり、その答えをスグ欲しがり、しかも事物の即効性を期待するのが、現代人のクセである。自分の力でできる限り考える、ということは、はなから放棄している)

 生まれつき、人が話しかけやすい、柔媚(じゅうび)な性質の人もいるが、自分で自覚して、そうあろうとつとめる人もいる。

 そういう人々を観察して、考察した私の、〈エエ調子でいってる夫婦者〉の人生の秘訣、アフォリズムとしては、

 人生には〈ナアナア〉ですます、ということが時として必要であるが、その〈ナアナア度〉が一致するのが仲のいい夫婦である。

〈ナアナア〉という言葉は悪い意味に使われることが多い。厳しく処理せず、適当なところで手を打って安易に妥協し、こっちの言い分も通させ、時には黒を白といいくるめて、内々でうやむやにしてしまう、というイメージがある。悪徳政治家や利権亡者の為にある言葉のようであるが、しかし夫と妻という人生のパートナーの間では、〈ナアナア〉は、一つの賢い規準であることが多い。

 相手に落ち度があるとき、とことん追求して、ぐうの音も出ぬまでやりこめるタイプの人もいる。(自分は、そういう落度はない、今までなかったし、これからもないという確信をもつ)

 こういう人が、人生の伴走者であると、いたく、やりにくい。完璧主義者というのは、性急で偏狭である。白・黒、勝ち負け、がはっきりするのを好む。

 しかし人生は数字の試験ではないので、割り切れなかったり、なんとなくこうなっちゃった・・・・・ということも多い。人はよく、
〈いゃ、べつに、そんなつもりは、元々、なかったんやけど、なンかこう、気ィついてみると、こうなってしまった・・・・〉
 ということもある。はじめから結果を見越していれば、ここへ駒をすすめられなかったのに・・・・という後悔、あるいは反省の念がしきり、ということも間々、あるだろう。それを慰める、あるいは憮然(ぶぜん)としつつも、
〈ま、しゃーないやん〉
 と片方が発想すれば、一件落着、になってもらいたい。〈しゃーない〉発想は想像力から生まれる。その発想力は、愛と智慧から生まれる事が多い。
 あたまの中身に、面子(めんつ)や自尊心や見栄、倨傲(きょごう)、などがいっぱい詰まっていると想像力が生まれる余地はない。スポンジ状のあたまはどうか分からないが、私は、人のあたまはマカロニタイプがいいと思う。まん中がスースーと抜けていて、時宜に適うってそこへ、愛や叡智(えいち)が詰め込められ、そこからさまざまの想像力が生まれる。生まれるとどうなるか。

 落度に対する考察がゆきとどく。(また、この手のタイプの性格は、想像力ゆたかで、想像をめぐらすのも好きだ)
 さまざま考えて、掌(たなごころ)を指すが如く、思いめぐらす。
 そのとき、人の落度は、即、その本人の罪とならず、本人は罪の犠牲になった、という感触で捉えられる。その結論が、
〈ま、しゃーないやん〉である。

 ぎゅうっととっちめないと気が済まない、という人は、そういう生まれつきだから、しょうがないが、人生の面白いところは、或る一瞬、ふと転機がおとずれることがある。

 それは何ごころもない、他人のひとことであったり、読んだ本の一行であったりする。
〈私は、そんなガラではない〉とか、〈ガラにもなく、こうしてしまった〉とか、世間の人は何気なく使う言葉だが、〈自分のガラ、って何だろう〉と考えたりする。
(かもしけれない。――少なくとも私はそう考えるが好きだ)

 そして、(自分のガラ)が、相手の落度をゆるせないと思わせるのであり、落度と思われることをしでかすが〈相手のガラ〉なのである、と思うと、これまた、
〈ま、しゃーないやん〉
 にならないだろうか。
 それが〈ナアナア〉である。
 以前、私は〈だましだまし、人生を保ってゆく〉という言葉を考えた。しかしそれはかなり作為的であって、人生的腕力が要る。いわば壮年の人生心得である。中年・初老に達すれば、〈ナアナア〉の付き合いが望ましい。理路整然と決着をつける、というのは、世の中の仕組み上、必要な場合もあろうが夫婦という、最もむつかしい〈世の中〉にとっては、ナアナアの度合いが大事である。
ナアナアの度合いというのは、
〈オトナ度〉である。

 こんなことをいう私が、〈オトナ度〉は至って低いのだと、自分でわきまえている。ホントのオトナなら、そんなコトバは、あたまに浮かばず、やりたいようにやり、いいたいことをいい、して、おのずと天然の理にかない、相棒に〈話しかけやすい〉人柄と思われ、相棒の落度もナアナアですまし、何があっても〈ま、しゃーないやん〉でやりすごすであろう。そして世間には何も知られぬけど、この上なき〈エエ調子〉の夫婦として、地上の生を愉快に楽しみつくしてお浄土へ向うにちがいない。

気ごころ

 私はこのごろ時々、講演をするようになったが、それは日本の古典をもっと皆に――というのは日本人自身に――知ってほしい、愛してほしい、と思うからである。なんでこう、日本人が古典ばなれしてしまったか、その原因は、終戦以来の歴史教育なり、国語教育の責任でもあるが、私としては若い人や子供たちに、今からでもおそくない、古典知識をもってほしい、と願う。面白がってほしいと願う。

 それでも私は子供向け(正確にいうと小学校高学年から中学生向け、という出版社の意向だが、本を読む子は小学校低学年でも読むし、高校生だって取っつきやすいだろう)に『小倉百人一首』を書いた。私の持論をいえば、「百人一首」を小学生の必修科目にして、小学校を卒業するころにはもうみな、諳(そら)んじいる、というふうにしてほしい。

中学校を出る頃には歌の意味も分かり、高校を出る頃には作者の人生や経歴のあらましを知る、というようになってほしい。ついでにこれに、中世・江戸の文学史を加えれば、かなり日本という国の文化が体に馴染んでくるはずである。いまの若い子の体内水分には、日本の国のエッセンスが何ほど、含まれているだろうか。

――こんなことをいうのも、近頃の若い子、いや、かなりの年輩層にいたるまで、交流してもどこかピンと来ないことがあるからだ。日本の故事来歴の知識を共有していないので、話がかみ合わない。知っているのはバソコンやメールやと、機械のことばかりで、日本歴史に何ひとつ興味もなければ知識もない。通じ合うのは、使用する言語、日本語だけ、言葉を通じてわずかに意思の疎通は果たせるけれども・・・・という感じで、私はまるで、長いこと私自身が外国くらしをしている異邦人のような気がする。

〈長年、滞留のおかげで日本語はペラペラになりましたが、底の底までわかりあえませんなあ、なにしろ私はこの国では”外国の方”ですから・・・・〉と、いいたくなる。

(私は先日、ある公共の場所で、”外国の方は云々(うんぬん)”という貼り紙を見た)
――われわれの年代は多くの人がこんな感じでいると思う。この物淋しさ、物足りなさは、何だろう、と考えて、ふと思いついたのは、〈気ごころ〉というコトバである。

 そうだ、〈気ごころが知れない〉日本人が増えているのだ。日本人同士で、気ごころが知れなっくちゃ、仕方ない。
 ところで私は、講演のテーマを〈日本の古典〉に限っているけれども、いまどき求められるのは、〈女性が元気の出るはなし〉とか〈女性のこれからの心がまえ〉といったことが多い。私の任ではありませんので、――とおことわりすることにしているが、こういう即効性を求める発想が、日本中に瀰漫(びまん)しているのは、これも〈気ごころ〉に関係がある。私の本も、まだいくばくかは書店に出回っているはずだし、ちょっとぐらいはそれらに触れて、
〈気ごころ〉
 をわかってくれていれば、〈女性のこれからの心がまえ〉とか、〈女性が元気のでるハナシ〉なんて、求めてくるハズはないのだけれどなあ、・・・・と思ってしまう。私がそういう、現実的、建設的、奮起的の人間ではないことは、私の書いたものを瞥見(べっけん)すれば、すぐに看破できるのに。
〈気ごころ〉を知ってもらえないと、こういうことになる。
 ところで私は、夫婦としてというかたちを、別の言葉でいうと、

 夫婦とは、気ごころの知れた関係である。
 ということがいえる。(と、思っている)
〈気ごころ〉は、とても大切で、しかも摩訶(まか)不思議なものだ。浅いつきあいでも、すぐ〈気ごころ〉が知れるときもあるし、長い交じりでも、(いまいち・・・・)というところはあるだろう。

〈気ごころ〉が知れる、というのは、では、どういう場合をいうのだろう。多分、それは自分の理解圏内に相手が矢を飛ばしてくることだろう。
(こう言うだろうと思ったら、やっぱりだった)
 などと当方は安心する。それによって相手を安く踏んだりしない。かえって親和感を増す。
〈いや、それはこうじゃないか、だから、こうしたほうがいい〉
 と思いの外の示唆を与えられても、
(ほんに、それは思いつかなかった)
 と気付き、その〈思わざる矢〉の方向も、元来自分の許容範囲で、しかも自分が意識下的に望んでいたこと、自分の言い出すべかりしことであったと思うと、それは、はじめから自分の思惑と合致したことになり、いよいよ相手が好もしくなってくる。

 そういう時が度重なり、時間がそこへかけ合わされ、人生的歳月や夫婦の歴史として積み重なると、
〈気ごころの知れた夫、または妻〉
 となるのであろう。
 これこそめでたしめでたしの夫婦であるが、しかし世の中、たいてい時間をかければ何とか、こうなる。双方あゆみ寄り、出たところは叩いて平らにし、凹んだところには、パテをつめたり、紙粘土をこねてガムテープやボンドで貼り付け、塗料を施して何とか誤魔化し、そのうち補填(ほてん)が本物になって、はじめからそうだったように同化してしまう。オトナのチエで、白を黒といいくるめてしまうことでもある。

 気ごころとは、あゆみ寄りのチエの成果である。
 ということもできる。
 あゆみ寄れない、というのは、相手の矢の飛びかたが、自分の許容範囲を超えるからである。
 まさか、というところへ、矢は飛んでくる。
(そう、くるか、うぬっ)
 ということになる。
 手に負えない。
 そのとき、親善情誼(じょうぎ)、合歓和合のしるしであるはずの矢は、許容範囲を超えたというだけで、確執の種になる。
(へーえ。そこへくるか、なんてまあ、思いがけない・・・・)
 と関心と興味をかきたてられることはない。(かき立てられる人なら、前者のごとく、その思いがけなさに、かえって相手に関心と興味をもつが)

 許容範囲を超える対応を、許せない人もある。それは男にも女にもある。しかし中には、
(そういう人なんだ・・・・)
 と敏(さと)く悟って、どこへ矢を射られてもいいように、心を武装する人もある。これも男にも女にもいる。

 そういう人の連れ合いは、相手が折れて順応してくれているのも気づかず、自分が思うままにふるまっても相手に受け入れられたと思い、
(これまでワシらも――あるいはアタシらも――気ごころ知れ合った夫婦になった)
 と安心し、満足している。
 しかしそれは、片方が耐えているからである。
 その忍耐がどうかした拍子にぷっつり折れる時が来る。
(気ごころ知れたはずだったに、豹変(ひょうへん)した!)
 と相手を罵(ののし)る人もいるが、それは〈気ごころ〉についての認識が足りぬほど、迂愚(うぐ)だったのである。

〈気ごころ〉と簡単にいうてはならぬ。〈気ごころ知る〉ということは、かなりの人生的叡智(えいち)がなくてはかなわない。人間の五官、感性を総動員して、感知しなければいけない。

 鈍い人はセンサーが作動しないから、とんでもない方向へ矢を飛ばし、飛ばされた人が狼狽(ろうばい)して、
(お、お、お、・・・・そこへくるか)
 と混乱しつつも、事態を、どうにか収拾しようと、心砕く。
 その内部事情を、反射的にわからなければいけないのだが、その能力のない人は、またつづけて、思わざる、許容範囲以外の方向へ矢を飛ばす。
(やれやれ、またか)
 と、思いつつ、またもや連れ合いは調整に走り回る。・・・・もはや修復不能という断崖に来て、〈離婚を〉ということになり、片方は、
〈気ごころ知れ合った、うまいこと、いってる夫婦と思っていたのに〉
 と、がっくり、くるのである。

〈気ごころ〉という言葉の、いかにも気安げな、日常茶飯的な、吹けば飛ぶような軽々しさに、惑わされてはいけない。
 人間社会にとって〈気ごころ〉知れる、知れぬ、ということは重要で、特に夫婦にとっては大事である。

 しかし一面〈気ごころ知れること〉はそれはそれで、重い部分もあるのだ。
 お互い、気ごころ知れあった夫婦であってみれば、知れ合わない夫婦のように、我を張ったり、奔放にふるまう、という所業も、すこし控えめになってしまう。

 忍耐はしないまでも、踏み込んだ場合の、相手の混乱、失望について想像できてしまう。
 この、〈できてしまう〉ところに重要な点がある。
 人は、神や仏ではないから、自我(エゴ)も欲も持ち合わせているが、ちょっとだけ、神や仏に似ているのは、相手を愛していれば、そして相手の気ごころ知っていれば、
(すこし、エゴや欲をひっこめる)
 ということができる点である。
 それは相手に対する想像力ともなる。愛あるとき、気ごころ知れた者に対するとき、人は想像力は生まれる。
 そこで、こんなアフォリズムは、いかがであろうか。

 気ごころ知れるということは悲しい。相手に多く要求してはいけないと悟るから――。

そやな

 今までは夫婦という関係を、少し消極的・退嬰(たいえい)的。悲観的に見すぎた憾(うら)みがあるので、今回は、反対に、進取的・楽観的・建設的、かつ世の中に有用的に考えようと思う。

 人間と世の中に対し、役立つことを考えなくちゃ。
 人生を僻目(ひがめ)で見て、貶(けな)してばかりいるのは、オトナのとる態度ではないであろう。
――というのも、今夜は久しぶりにイチブン氏やフィフティちゃんがいるから。

 しかし、ここでいうておきたいのは、実はここだけの話、私は世間知らずである。大人ではない。世の中に有用な事が考えられるだろうか。

 私は大体が〈流されてゆく人生〉であって、〈ひとつ、こうやってみようか〉とねじり鉢巻して、手に唾(つば)して勇み立つ、ということは絶えてない。必ずどこかネジが緩んでいる。
 何や知らんけど、いつのまにか、こうなった、――という人生であるから、建設的・有用な箴言(しんげん)はどうかなあ。
〈いや、夫婦というものは全て”流されてゆく人生”ですからな。”背中押された人生”という〉とイチブン氏。〈そやから、それでエエのんちゃいますか。夫婦で建設してて、どないなりまんねん〉

〈へーえ。だってまず、家庭を建設してるじゃないですか〉とフィフティちゃん。
〈いや、建設しとるは女房(よめはん)やな。男は、株式会社”家庭”の係長クラスで小(ち)っこうなってる〉とイチブン氏は重々しくいう。〈つまり、どっちへまわっても、男は使われとンねん。社長にも株主にもなられへん〉

〈まあ、それはそれとして〉と私。
〈夫婦という関係で、これは人生に於(おい)て有益、という要素は何か、――というと、・・・・〉
〈ハイっ〉と手を挙げる気短かなイチブン氏。私の話の腰を折り、
〈忍耐――”忍”の一字とちゃいますか。”忍耐”を勉強できます。そらァ職場でも”忍”の一字で耐えることはあるけど、しかし”家庭”のほうが忍耐度はキツい。”忍”の一字を胸に刻む家庭生活。――せつなく、かなしい修業ですが、その代わり、人間ができまっせ。建設的でっしゃろ〉

 自慢することと違うやろう。いったい、イチブンめの家庭はどうなってるねん。独裁国の政治犯収容所ではあるまいし。

〈”忍”の一字なんか勉強できたって、つまらないじゃない。人間ができようができまいが、あたしは知ったことじゃないわ、結婚って、人間ができるためにするんじゃないでしょ、幸福になるため、人生を楽しむためと違う?〉
 フィフティちゃんは、年こそ重ねたれ、まだ結婚の夢が冷めやらぬようであった。
〈そうね、”忍”の一字もいいけど、ホントは、そんな、ごつい信条なんか、要らんのとちゃうかなあ・・・・〉
 信念なき私は、いつもあやふやな語尾になる。
〈どんな人間を、できてる。できていない、というのか、よくわからないけど、夫婦ってエエなあ、と思うのは、どっちかがこうしよう、というと、すぐ、それに賛成できること・・・・〉
〈そやから、そういうとき、相手は”忍”の一字になってる、いうてまっしゃないか!〉
 とイチブン氏が叫んだのと、
〈賛成できないときはどうするんですか!〉
 とフィフティちゃんが怒鳴ったのは同時だった。おまけにフィフティちゃんは昂奮(こうふん)のあまり、ブランディの水割りのグラスを少し傾けてしまい、お酒がこぼれた。それは高価(たか)めの酒だから、ぞんざいに扱わないでほしい。
〈”忍”の一字があるのは、これだけは譲れぬ、というところがあるからでしょ〉と私。
〈当り前ですよ、それを胸を擦(さす)って・・・・〉
〈そんなん、放下(ほか)したらしまいやないの〉
 信念なき私は平気で放言してしまう。

〈べつにどっちへ転んでも、人生、あんまり変れへんやろし。・・・・どっちかが、こうしようか、いうたら、そやそや、そやね、と。ああしようか、いうても、そやわ、そうしましょうと。こんなんできるの、夫婦だけやないかなあ。おもしろいやん〉

〈あほらし。おもろいですまんことも、ありますよってな〉
〈けど、あんただって、結局は、おくさんの意見に従うわけでしょ〉
〈そやから、胸をさすって、”忍”の一字で・・・・〉
〈結果として同じことになるんやったら、はじめから、賛成しとけば手数が省けてええじゃないの〉
〈いや、昼めしをうどんにするか、そばにするか、という議論ならともかく、子供の進学とか、ローン組んで家買う、なんてときは・・・・〉
〈でも結局おくさんの言い分が通る、というのは向うの言い分、筋道だってるんやない?〉
〈うーむ〉とイチブン氏は唸(うな)り、〈向こうが無理無理に通さしよる〉
 フィフティちゃんは、理解できないという。

〈なんでそこで、双方、納得するまで議論しないんですか? 賛成できないなら、できない、とハッキリいって、どの点が折衝の余地はあるのか、ここは譲れない、という一点はまずハッキリしておいて・・・・〉

〈営業の仕事なら、それはできるけどなァ、女房あいてにしてもはじまらへんし〉
 とイチブン氏はげんなりしている。
〈だから、どっちかの提案を、片方が必ず、そやそやという。スラスラ、シャーシャーと、OKする・・・・〉と私。
〈どうしてもそう、いいたくないときは、どうしますか、譲れぬ一点で〉
 フィフティちゃんはその一点にこだわるようである。

〈そこはもう、演技力ね、”夫婦するには演技力”なあんて〉
〈夫婦に演技力が要るんですか、それはまやかしじゃありませんか、偽りの夫婦ですよ〉
 フィフティちゃんは、憤然、愕然(がくぜん)、という風情である。
〈なーに、そのうち演技力が地になってしまいますよ〉

〈それまでに演技力が尽きるかもしれない〉
〈なら、別れたらいいでしょ、合せモンは離れモン、って昔の人はええこと、いうてはる――ところで、そうやって、譲れない一点をなくしてしまうと・・・・〉
〈なくすとどうなりますか〉
〈肩肘張らなくてラクでしょ〉
〈それはそうやろうけど、しかしわだかまりがやっぱり残るな、”忍”の一字のわだかまりが・・・〉
 とイチブン氏は彼なりにその一字にこだわりがあるらしい。
〈はやくその、肩肘張るクセがなくなるといいんだけどねえ〉
 と私は心底、残念である。

〈お昼ごはん、うどんにするか、そばにするかというのは、これは自分の好みやから、大問題ですよ。そうして相手とべつべつのものをとってもいいけど、そのホカのことは、どっちにしてもあんまり大きな問題やない、思うけどねえ、肩肘張ってるだけ、世の中が損する、と思うわ〉

〈なんで世の中が損なんですか?〉
 と、これはフィフティちゃん。
〈うーん、夫婦が仲良くて、お互い”忍”の一字なんてモノがなくて、気持にわだかまりなくてスースーしていて、肩肘張らず、ニコニコしてたら、周りの人も、おのずと肩肘張らなくなるでしょう。世間にも、そういう気分がハヤります。ほかの夫婦にも伝染(うつ)って、大阪じゅうが肩肘張らないようになり、ニコニコし、何かあると、そらァよろしなあ、と賛成し・・・〉

〈でも、賛成か反対か、自分でもよくわからない人っているじゃないですか〉
 フィフティちゃんは細部にこだわる。
〈そういう人は、わからない、といってもらいます〉
〈今日びは、正直にいうとバカにされるんですよね〉
〈なに、正直一途、というので尊敬されますよ。――ともかく肩肘貼らず、ニコニコと、――というのが国の方針となり、ついに地球上の方針となり・・・・〉
〈なんか、悪酔いしてきました〉
 とイチブン氏はやけくそのようである。

〈これによって、よき夫婦関係は、世の中に貢献し、建設的、かつ有用である、ということに・・・・なりませんか〉
〈なりませんよ、そんなもの。ぼくの”忍”の一字、のほうが、よっぽど夫婦関係、かつ世の中のためになってる〉
〈でもおたくが、じっと堪えて黙ってる、というのだけはいいところもありますね。私、夫婦はお互いに黙ってられるところに、いい部分がある、と思うんです。沈黙の責任をとらなくてもいい気楽な間柄、いうことやから〉
〈そんなむつかしいもんやおまへんよ、一日、外で働いてしゃべり倒して、家でまでモノいうてられへん、というた゜けですワ。女房がなンかいうても、”そやな”というだけ、それも、夕刊見ながらやから、半分、うわの空でね〉
〈あ? それ、それです!〉
 私はそこで一つのアフォリズムを思いついた。

 夫婦円満、それを発展、拡張させて世の中を融和させる究極の言葉はただ一つ、〈そやな〉(または”そやね”)
 である。夫からでも妻からでもよい。これで世の中は按配(あんばい)よく廻る。

 ついでにいうと、右の調和と安定の世界を暗示する言葉の対極は、前章に挙げた破局と別れの言葉〈ほな〉である。
 私は甚だ満足であったが、イチブン氏とフィフティちゃんは、
〈あほらし〉
〈”そやな”ですんだら、世の中、苦労はないわ〉
 と、やけになって私の秘蔵の高価(たか)めのブランディをぐいぐい飲(や)りだした。こればかりは”そやね”といえない。

人間のプロ

 私は来年の春が来れば(四捨五入して)八十歳である。そこで人間にとって”八十歳”とは何だろうか、と考えた。
 これは、自分のことをいうのではなく、人間として”あらまほしき”八十歳のことである。

 人間が”人間のプロ”になれる頃には、八十にはなっているだろう。
 人間のプロ、なんてべつにならなくてもいいようなものだが、私は何によらず、プロというものに敬意を払っているので、人間のプロになれたら、生きやすいんじゃないか、と思う。

 元来、生きるに難きこの世を、生きやすく過すとしたら、その人は生きることのプロではないか。
 それって、どんな人だろう?
 私には、その貌(かお)はつかめない。人間のプロは”神サン”に近いのかもしれないが、しかしやはり”神サン”とは、断固ちがう。私は今まで〈人間は神さまの招待客だ〉といいつづけてきた。今でもそう思っている。あるとき、何かの本で、西洋の先哲もそういっていると書いてあった。同じようなことを人は考えるものだ。人間はこの世のお客だから、気随気儘(きずいきまま)なことはできないようになっている。ヨソの家へ上がり込んで、
〈あれ、下さい〉
〈これ、使わせてもらいまっさ〉
 などとはいえないのと同じ。
 こういう窮屈な現世で、ともかく生きやすく、できる範囲でたのしみ、この本のはじめに書いたような金属疲労をおこさず、まあまあの暮しの煙を立てるとしたら、
 それは”人間のプロ”であろう。(しかしあんがい世の中にはプロも多いかもしれない。しかも何食わぬ顔で生きていられるようだ。プロを誇示しないから、プロ、ということもできる)
 ただ、そういう境地に達するころにはすでに八十歳に達しているだろうと私は思うのである。――残念ながら私はとてもそこまで到達し得ない。八十は目前に(五年なんて、すぐたってしまうだろう)迫っているというのに、だ。
 そこでせめて、”人間のプロ”の条件を考えてみる。

(人間のプロ曰(いわ)く)年歳(とし)なんか、四捨五入することはない。
 まあ、たしかに。四捨五入すればいいのだ。もっと若年でも年齢のとりかたに個体差がある。
 なるべく怒らぬよう。怒ると人生の貯金が減る。

 今までの過ぎ来(こ)しかたを思うに、怒る、というのはすごいエネルギーが要ることで、しかも知恵も、あるいはカネも要るかもしれない。怒ったあと始末を、誰かが引き受けてくれるならいいが。・・・・席を蹴立(けた)てて起(た)つ、というのは爽快(そうかい)で、人は人生で一度二度たのしく空想するが、あとのお手当てを如何にせん。

 昔、子供の頃、一月一日、四方拝の日、講堂でおごそかに斉唱させられる小学唱歌、
乀年のはじめの例(ためし)とて 終わりなき世のめでたさを、松竹立てて門(かど)ごとに 祝う今日こそ楽しけれ(作詞・千家尊福)
 子供たちは学校から帰るなり、即、唄い直す。
乀松竹ひっくり返して大騒動 あとの始末は誰がするゥ・・・・

 全くその通り。世の中には、〈ひっくり返し屋〉と〈もとへ戻し屋〉が要る。誰も戻してくれないなら、はじめからひっくり返さないほうがエネルギーを消耗しなくてすむ。

 しかし怒りをこらえるエネルギーと、どちらがか大きいか、ということになろう。そういうとき、人間のプロはどういうだろうか。

 夜道に日は暮れぬと心得よ。
〈急いでもしかたないやおまへんか。
 いつか、また、どっかで、必らず、パーッと発散するときも、おまっしゃろ。こらえて、こらえて〉
――なんていうかもしれない。怒らないでいると、人生的貯金がたまってゆく、というのだろうか。
 人間のプロになるのも、また、難いかな、である。
 プロは強い人である。なぜなら、自分の体調、自分の気分だけに忠実だから。
 そこまでフツーの人間は強くなれない。強いからプロなのか、プロだから強いのか。

 私が文句をいうと、元来、不親切ではない〈人間のプロ〉のこと、同情して考えてくれるあんばい。
〈そうでんなあ、弱い、フツーの人間を、どないして、強うするか〉
 と瘦せ腕を組んで考え込む。ここに至ってやっと、”人間のプロ”が眼前に姿を見せる。

 一見どういうことなき、ただの爺さんである。婆さんはすでに死に、一人息子は離れ住んでいるが、当分のご時世では暮らし向きは楽ではないとみえ、嫁がちょくちょく来て、爺さんから小遣いをせびる。貸してくれというが返ったためしはない。あるとき断ったらそれこそ席を蹴立てて「帰りよった」。

 その後、息子一家から音沙汰なし、爺さんは結句、気楽である。その頃から爺さんの〈プロ度〉はたかまったらしい。
 爺さんはいう。
〈苦労からは逃げること〉
 そのチエも、よく聞いたもの、「艱難(かんなん)。汝(なんじ)を玉にす」なんて格言は、昔はあったが、いくら苦労をしても、玉の如き人格にはなれなんだ。

 苦労して人間はできない、ということを、今や、人はみな、身をしみて知った。
かえって人が悪くなり、感性も情熱もすりきれゆく。ただのこるのは憎悪や屈辱感。怨みつらみばかり。
 とても人間のプロには遠い。
〈いや、そういう意味ではないのやが〉と爺さん。それから、ハタと横手を打ち、
〈うん、こういうたら、ようわかるやろうか〉
 と示したのは、もっと簡潔なことばであった。

 目立つな。
 爺さんはにんまりする。
〈あンたら、目立ちたい、いう苦労をしているのをわすれるやろ、この、”目立ちたがり欲”いうのは、厄介なもんやデ〉
 目立ちがり欲、ねえ。・・・・ある人もない人もいるんじゃないかしら。男の人の出世欲、向上欲は強い、と思うけど、女は・・・。
〈あかんあかん、女の人も結構ある。女の人は、まわりと”比べ欲”というもんがある。ヨソはヨソ、うちはうち、という気ィにはならんので困るんや。目立とうとするから、あきまへん〉

 そういえば、マラソンの先頭なんて目立つなあ、長丁場へさしかかり、みな、だれているとき、後方から彗星(すいせい)のように走り出てきた選手。風を捲いて、トップを抜け去る、なんて目立つなあ。
 それから、最後尾、というのも目立つ。

 みな忘れた頃に、やっと場内一周する、なんてのも一種のヒーローであるが、目立つことであろう。
 あっ、そうか、トップもビリも目立つ、とすれば、まん中の団塊で、ごちゃごちゃと走っているのが、まぎれていいのか。〈そうそう〉と爺さんは頷き、ついで〈プロ〉の心得もう一つ。これを心得ると苦労せんですむ、という。

 まぎれてしまえ。
 といったのか、それとも、
 まみれてしまえ。

 といったのか、判然としない。
〈うん、ワシ、入れ歯の具合悪うてな、ときどき、落っこちよりまンねん。まあしかし、まぎれる、と、まみれる、どっでもよろし。おんなじこっちゃ〉
 人生のプロは、人生コースのマラソン、団塊の真ん中あたりで、目立たず、粒立たず、その他大勢の中に「まぎれ」入り、あるいは「まみれて」しまうのがよいという。人まみれ、世間まみれ、動物の保護色よろしく、あたりにまぎれるというのが――生きやすし、という。
 なるほど。
 そうやって、実はひそかに、こっそり幸福の蜜をなめているのがいい、ということだろうか、自分の家族や友人、自分の手に合うほどの仕事を愛し、大切にする。目立たず、人にまぎれ、世にまみれよ――ということか。

 ねえ、そうなんでしょ、とフツーの人間たる私は、”人間のプロ”たる爺さんにいってみたが、もうそのへんにいず、声ばかりきこえてくる。
〈へへ、いま、神サンからケータイで呼ばれましてな。呼ばれたら、まだ早いやの、なんであいつよりワシが先やねん、などとゴテたりせず、ハイハイと、すぐ起(た)っていく。これがラストの、”プロのコツ”でんなあ・・・・〉
 爺さんの声はたのしげながら、遠くなっていく。ははあ・・・・。

 引き際にもプロのコツが要るのか。どうも八十歳だからプロになれる、というものではないような気がしてきた。私など、いま、神サンのケータイが鳴ったら、あわてるだろうから。

別れ

 久しぶりに、一、フィフティちゃんのメンバーで、お酒を飲んでいた。
 今夜のテーマは、
〈男と女の別れかた〉であ。
 一は、私と”おっちゃん”みたいな別れ方がベストだという。それは何かというと、片や。”おっちゃん”は、
〈ほな〉
 と起(た)っていき――この、ほなについては前に詳述した”ほななら”の短縮形で”そんならサイナラ”の意味もあるし、ほんまは別れとうないのやが、宿命と天体の運行により(何でここへ天体が出てくるのやらわからないが)本意やないがお別れさせて頂きます。イロイロの意味゛ありがとうサン”でした、という風合いの言葉である――そして私もまた、
〈ほな〉
 と送る。それがいい、という。そうかなあ。私と”おっちゃん”は〈ほな〉同士かなあ。
〈そやないですか〉とイチブン氏。〈ま、古風にいうなら、おっちゃんは従容(しょうよう)として死んで、おせいさんは新盆(にいぼん)やというのに、ぼくらと酒飲んであはあは笑てる、いうのは、これこそ”ほな”の別れ、いうもんと違いますか。サッパリしてて、あとくされないやないですか。男と女の別れの最高の形です〉

 ま、片方は、冥界(めいかい)へいったのだから、あとくされもへちまないわけであるか。
〈すると、男と女、あとくされなく別れようとすれば、どっちかと死別しなきゃ、だめということになるじゃない?〉とフィフティちゃん、〈でも、双方、ピンピンしてて、相手を殺すわけにもいかず――というときが困るのよ〉
〈双方、その気になってればいいけど、片方に未練があったりすると、かなり、じたばたするでしょうね〉と私。

〈いや、そこですワ〉とイチブン氏は、自分のグラスに、ウイスキーをどんどんつぐ。つぐたびに濃くなってる気がする。氷をそこへ抛(ほう)りこみ、グラスを揺すってまぜ合わせ、
〈男としては、――一般的な場合の話でっせ――、”飽きた”とひとこと、いいたい、しかしそれをいうと血の雨が降るかもしれん〉

〈当たり前でしょう〉とフィフティちゃんは、一より濃い目にウイスキーをグラスについで吠えたける。どちらのも、私のウチの、私のウイスキーである。
〈だって、双方、恋し合ったからの仲でしょ、男が勝手にストーカーになったわけではないでしょ、それを”飽きた”とは何よ〉

〈それはそやけど〉
〈恋愛って、期末決算じゃないからして、ハッキリ結果を出しゃいいってもんじゃないでしょ、粉飾決算しろというんじゃないけど、うやむや、なあなあ、のうちに、くしゃくしゃにして――きっちり折りたたんじゃだめ――、ポケットへねじ込んでしまう、という終わり方しか、ないのん違う? それが男の器量やわ。”飽きた”なんてミもフタもないわ〉

〈しかし別れるときには、女の器量も要るでしょう?〉と私。
〈そう、そこですがな〉と強調するイチブン氏。
〈女の器量は年齢(とし)にもよりますな。若い女は”気散(きさん)じ”です。あ、気散じ、っていうのは明るうてパッパとしてて、好奇心や関心がすぐホカにうつりやすいこと。いったんはキッキッと怒っても、別口あったらひょいとそっちへ関心が向いて、あとくされない”ほな”になります〉
 イチブン氏は一口すすって舌をしめらせ、

〈中年のご婦人となると、転んでも自分て゜起きる気力体力がある。老年のご婦人は・・・・〉
〈え、あんた、守備範囲広いねえ、老年のご婦人まで営業品目に入ってんの?〉と私。
〈いやいや、物のたとえ、ですがな。老年のご婦人は新文化の導入より、今までの蓄積をあとからじっくり、思い出で追体験うるほうをお好みですよって、深追いはなさいません。――そこへくると、いちばん困るのは、”中年でおぼこ”なんていうタイプ〉

 と、イチブン氏がいったので、彼の人生戦線の戦況も、そこはかとなく、かんぐられる、というものであった。
〈こういう人は、一途になりがち。学問・研究に一途に励む、とかいうのはよろしいが、人生の一途は手のつけようがえまへんな。――こういうとき、双方、納得、しゃないな、ほな、といえる、別れのキメ言葉、というのは、ないもんでっしゃろか〉

〈それは男からむつかしいかもしれない〉
 とフィフティちゃん。
〈何ですか、それは〉
 イチブン氏は恥も外聞もなくむさぼり聞く。
〈女から”別れ”をいわせること〉
〈そんな高等テクがありますかねえ〉
〈そう持っていくのね。女のほうから、ゴメンナサイ。もう愛していないって、いわせると無理なく別れられるわよ〉
〈そう、スマートにいくかなあ。それに〉
 とイチブン氏はすこし考え、
〈そういわれると、男のほうはかえって、なにをッ!・・・・なんて、逆効果になったり、せえへんやろか〉
〈なにさ、鈍くさい。未練たらしい、往生際のわるいこと、いわないでよ〉
〈男はな、大体が、鈍くさい、未練たらしい、往生際のわるいもんなんじゃ!〉

 べつにイチブン氏とフィフティちゃんが別れる、切れるというのではないのに、言い合いになってしまう。それぞれの人生の反映であって、みな、あちこち、古疵(きず)やほころびがあり、なんぞというと、つい、そこに引っかかるのであろう。

〈まあ、さ〉と私は割って入り、〈昔から、別れろ切れろは文学のモチーフの一つでね、”別れろ切れろは芸者のときにいう言葉”って、『湯島の白梅』にあるでしょ。別れのセリフなんて、いちばんむつかしい。人間の力量を問われることですからね〉

〈口説くのはやしいんやが〉
 とイチブン氏がいえば、フィフティちゃん、
〈あ、そっちだってむつかしいわよ、簡単に口説ける、なんて思ったって、そうはいかないわよ、男と女、関心と興味のありどこは違うし〉

〈まあ、な。逢うときでも、女は、何を着ていこうかと着るものを考えるらしいけど、男は、逢うたら、服を脱がすことしか、考えてえへん〉
 どうも今夜は、揉めやすいようだ。
〈私、フト考えたんだけど〉
 と私はいった。
〈双方、揉めずに別れるには――というのが、大人の命題でしょ〉
〈ま、そうなりますなあ〉
〈昔、はやった、「ラヴ・イズ・オーヴァーなんですね。あの中に、
 乀終わりにしょう きりがないから・・・・(作詞・伊藤薫)
 という文句がありますね〉
 フィフティちゃんは唄う。
〈その、「キリがない」というのは、男からでも女からでもいえるんじゃないかしら、別れのセリフとしては、ですね〉
〈どういう意味や、と開き直る女もいるでしょうな〉イチブン氏は懐疑派らしい。
〈キリまで来たら、また、ピンから始めたらエエやないか、とゴロまく女もいるかもしれん。何にしても、女からはいえても、男からはいえまへんなあ。男がキリがないからやめようか、なんていうたら、はっ倒されてしまう〉

 そうか。
むつかしいもんだなあ。別れのセリフって。
〈でも考えようによっては、簡単やけど〉
 イチブン氏は述懐する。
〈実をいうと、つくろうから、言いづらいのでありましてねえ。・・・・・キリがないとか、”ほな”とか、いろいろ考えるんやけど、ホンマのとこは、タマがつづかんのですワ〉
〈タマ?〉
〈中年のナニは、金、かかりますよってな〉
 そッか!
 そこがある。中年の恋は金がかかる。夢中のときは夢中で持ち出すが、後方の補給が続かないと、戦闘能力は下向線を辿る。
 そういうとき、自省してふと、〈ワイ、何やってんねん、キリないやないか〉となるか。
 これは、持ち出し側から嘆息であろう。
(よってかつての絶唱、「ラヴ・イズ・オーヴァー」は、女からの持ち出しの歌であったとわかるのである。持ち出される側の年下男はキリがない、とはいわないだろうし)
〈正直にそういえばいいじゃない?〉フィフティちゃんは、毫(ごう)もイチブン氏に同情はないらしい。〈タマが続きません、って〉

〈しかし男には、見栄もあればテレもあり・・・・〉
 イチブン氏の嘆息はおいて、この原稿も、キリがないというところで、ひとまず措(お)こう。

 さりながら、私とフィフティちゃんがイチブン氏を慰めてやった言葉は、〈ま、人生はだましだまし保ってゆくもの、ゴチャゴチャしてるうちに、持ち時間、終わるわよ〉であった。
平成十五年三月十日 初版発行 人生は、だましだまし 田辺聖子著
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