HEADLINE誰もが記憶していられると思うが、ベトナム戦争の報道写真の一枚に、戦火を逃れようと母子四人が濁流を泳ぎ渡っている写真であった。百万の言葉よりもその一枚の報道写真は、世界の人々に感動を与えた。母親は左腕に幼子を抱き、必死に岸をふり仰ぐ。母にむらがりよりすがる、泣き顔の子供たち。

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人生は、だましだまし 田辺聖子

究極のあらわれ

 これまで私は長い間に短篇の恋愛小説を少なからずものにしてきたが、後期にはともかく、若盛りのころは、(アフォリズムのない恋愛小説なんて、気の抜けたワイン、栓を開けて久しくたったビールのようなものだ)
 と思い込んでいたから、必ず、アフォリズムやそれに類した警句などを創出するのに躍起になっていた。今から思うとそれも若さの気負いである。ナニ、アフォリズムを必要としない書き方もあるのだ。そもそも一つの恋を書こうとすることが、ある主張なのだから、作品全体がアフォリズムの表象であるともいえるのだ。

 しかし私はかなり早くから『ラ・ロシュフコー箴言(しんげん)集』などに親昵(しんじつ)しており、アフォリズムそのものに心酔していた。作家デビューして間もない頃(といっても、万事、不敏で晩稲(おくて)の私はすでに三十歳をすぎていたが)、ある人に愛読書は何か、と聞かれた。で、私は右の書を挙げた。本当のことだからだ。彼は微苦笑を洩らしたが、それは(しゃらくさい)というより、
(しゃーない奴ちゃなあ・・・・)
 と匙を投げた、というようにみえた。
(もっと可愛げあること、いわんかい、女の物書きらしィに・・・・)
 という気配を感じられた。そのころハヤったサルトルや野間宏、埴谷雄高などの名を挙げれば、いかにも文学少女っぽく可憐で、彼は、微苦笑ではなく、微笑して頷いてくれたであろうが。――私はその男性に好意を持っていたから、よく思われたかったのに、どうやら期待に反したらしいと気づき、(まずったか!?)と内心、周章した。

(結果からいえば、私の可愛げなさにもかかわらず、彼はその後も私をよく庇護してくれて、いい兄貴分であった。ついでにいうと私は文筆生活を始めてから、人生的にも文壇的にもいい”兄貴分”に恵まれたのは有り難い。文壇的にいうと小松左京サンといい、筒井康隆サン、眉村卓サン、藤本義一サン、みなそうだ。なぜかそのころ関西には若手の男性作家が創出した)

 ところで「ラ・ロシュフコーの箴言(しんげん)」の向うを張って、私は恋愛小説の香辛料としてアフォリズムを用いたかったのだった。

 いま『ラ・ロシュフコー箴言集』は岩波文庫で読める(二宮フサ訳)。『運と気まぐれに支配される人たち、ラ・ロシュフコー箴言集』という角川文庫もある。ちょっぴりにがくて意地悪なこのモラリスト文学は、いま読んでもやっぱり新鮮でおいしい。

「二人はもう愛し合わなくなっている時は、手を切るのも大そう難しい」(351)
「よい結婚はあるが楽しい結婚はない」(113)
「何かを強く欲する前に、現にそれを所有する人がどれだけ幸福かを確かめておく必要がある」(MP44)
 だとかは今も人を笑わせる・・・そう、アフォリズムは笑いを伴うのである。そして私は、そのかみ〈恋愛小説〉に〈ユーモア〉は不可欠だとも確信していた。それが私をアフォリズムに拘泥させたのかもしれない。
 
 近年、私の小説中のアフォリズムを抽出して、(そこにはたいへんな編集者の辛苦があったろうことは想像に難くない。感謝あるのみ)本に仕立てて頂いたのが何冊かある。それらは世上に送られて若干の読者も得たが、抽出されてみると、言い足りない憾(うら)みもあり、補足の要も発見され、かつ、歳を重ねたいまは、そこからさまざまの想念も湧くようになった。〈アフォリズム〉を飴玉のように口中で転がして楽しみつつ、その〈想念〉をほどき、繰り広げてみようと思う。
 さて、私の提示するアフォリズムはまず、

「零落(おちぶれ)の極北において
 母子は崇高だが
 夫婦はアワレである」(“小説家の手帖”『猫なで日記』から)

――この零落は説明が要る。究極的な生活困難の状況とか、のっぴきならない人生の悲運、避けようのない不幸、というようなときである。

 誰もが記憶していられると思うが、ベトナム戦争の報道写真の一枚に、戦火を逃れようと母子四人が濁流を泳ぎ渡っている写真であった。百万の言葉よりもその一枚の報道写真は、世界の人々に感動を与えた。母親は左腕に幼子を抱き、必死に岸をふり仰ぐ。母にむらがりよりすがる、泣き顔の子供たち。

 母子は無事に救出されたろうか。人生における究極の崇高というべく、人は粛然としてしまう。

 また、あるときテレビを見ていたら、紛争の戦火を避けて国境を越える難民たちが映し出された。それぞれの家族たちの中で、ただ二人、初老の夫婦がひしと身を寄せ合い、膝(ひざ)の上に載せた包みを抱き震えていた。しっかり身を寄せることで、先行きの不安と悲しみをまぎれさせようとするかのように。

 映像は一瞬だったけれども、私はその夫婦のたたずまいが、とても心痛く記憶に残った。〈哀切〉の極北であった。

 老人ひとりで堪えている難儀もあわれだが、それはまわりがお節介を焼いて救われる場合もあって、まだ手の付けようの余地があるといえる。

 しかし夫婦の悲哀の場合の〈哀れ〉はもっと複雑だ。赤の他人だった同士が運命の巡り合わせにより結ばれ、歳月と運命をのりこえ、得たものをすべて失ってまたもとの二人だけになって漂流する。母子の苦境はシンプルに崇高だが、夫婦の苦難は人生の歳月がうしろにあって、しみじみとしたあわれなのである。悲痛や憐憫(れんび)というだけではない、同情ともちがう。ただ夫婦して流浪するといおうか、それこそ夫と妻の相(すがた)といおうか、その愛の深さ、信頼が彼らの運命のつたなさを際立たせ、みじめさ、みすぼらしさに深い陰影をつくり、人の心を打つ。

 母子づれの苦難と夫婦のそれとは色合いが違うけれども、どちらも感動的で人に愛隣の思いをもたらす。
 私が古典で〈夫婦のあわれ〉を感じるのは、『源氏物語』の「御法(みのり)」の巻、紫の上が死ぬ場面である。
 紫の上はもう四、五年前から病いかちで床につく日が多くなっている。源氏に新しく若い妻、女三の宮が降嫁してきてから十年あまり、さまざまなことがあったが、それでも紫の上の寛容でおだやかな性質と、源氏の愛情によって夫婦の危機をのりこえてきた。

 紫の上はもう、いつ死んでもいい、と思っている。天塩にかけて育てた養女、明石(あかし)の中宮は次々と出産し、中宮としての地位も、帝(みかど)の愛もゆるぎなく、もう何の心配もない。

 というより、中宮には、実母の明石の上が後見として宮中に入り、後宮社交を一手に引き受け、取り仕切っている。中宮所生の第一皇子は立坊した。明石の上は、やがては帝のおばあちゃまになるというので、今や現実的な栄達に夢中で、源氏との夫婦関係、というより男女関係から、〈一、抜けた――〉と抜けてしまっているのである。

 読者は「若菜」の巻上・下に至って、やっと作者の紫式部が、理想的な女性・紫の上に子供を持たせなかった理由を知る。
 紫の上は継(まま)しい子に育ての親の愛をそそぐが、それは実母の愛と等質だとは思わない。

 心暖いが聡明(そうめい)な紫の上は、理性的判断にも長(た)けている。病の床で、
(もう、いつ死んでもいいわ。――心にかかる子供もいないし)
 と冷静に思う。しかし源氏を残して死ぬのは心苦しい。

 源氏との愛が確固たるものとなって、夫の過去のさまざまな恋もいまでは二人の笑い話となった時も時、降って湧いたような女三の宮のご降嫁。六条院は新しい女あるじを迎えようとする。紫の上の愛とプライドの戦い。苦しみ、嘆き、それを周囲に知られたくない辛さ。この年になってまだこの苦しみに遭おうとは。

 紫式部は、紫の上に、男と女の相克(そうこく)をとことん味わせるために子供を持たなかったのだ。男の背信(それはどんなに心を込めて弁明とようとも)に苦悩し、男の無理解に絶望する紫の上。源氏は妻の苦しみを思いもやらず、〈あなたはしかし、親の家にのうのうといるようなものだから、のんきな人生だろう。女三の宮が輿入(こしい)れなさっても、あなたへの愛は変りはないのだからね〉などという。
〈そうね、傍目(はため)からもそうみえましょうね。でもわたくしの心には堪え切れぬ悲しみが添うてはなれませんのよ、それがわたしを護ってくれるご祈禱(きとう)になっているかもしれませんわ〉

 紫の上はかくて死ぬまで愛の葛藤(かっとう)からのがれられない。出家を乞うが源氏は許さない。子供に逃げることもできぬ。退路は断たれている。しかしそこで紫の上に転機が訪れる。紫の上が弱りに弱るので源氏はその看病に必死になる。もう源氏の頭からは新しい妻も古い恋人も消えてしまう。最愛の女人は紫の上一人だったとわかる。紫の上の病状に一喜一憂する。

 それを見た時(いつ死んでもいい)と思っていた紫の上は、
(生きよう! このかたのために生きてあげなければ。このかたをあとへ残してはかわいそう・・・・)
 という気になるのである。必死に薬湯を飲みながらも、心の内には自分の亡きのちの源氏のあわれを思いやって悲しむ。

 秋の庭を脇息(きょうそく)に寄って眺める紫の上。源氏はやってきて〈起きているか。よかった。今日は気分がよさそうだね〉と喜ばしげにいう。
(このくらいのことでも嬉しがっていらっしゃる。でもわたしの命は、庭の萩の露のよう。死んだらどんなにお嘆きになるか・・・・)
 紫の上は詠む。
「おくと見るほどぞはかなき ともすれば
  風に乱れる萩のうは露」
その歌のように紫の上は絶え入ってしまう。あとへ残す源氏を紫の上は「あはれ」としばしば表現している。それはながい夫婦の契りの歴史がいわせる言葉である。妻は夫をあとに残すことが辛く、夫をいとおしむ。その心はもはや菩薩(ぼさつ)の心である。そういう男と女のたたずまいは、〈あわれ〉という言葉がぴったりだ。

『源氏物語』は夫婦の小説とも読める。幾組かの夫婦が登場するが、愛と死をめぐって源氏夫妻のたたずまいの〈あわれ〉があざやかに描かれているところ、私には興ふかい。夫婦というものは、しかく、あわれぶかい契りなのであろうか。究極の〈あわれ〉は夫婦にあるのだろうか。

 金属疲労

 人間も金属疲労が出てからがホンモノである。
 これは最近、私の作ったアフォリズムであるが、自分でもあまりはっきりした説明はできそうにない。とくに、「人間も」の「も」の説明はむつかしい。

「人間は」とすべきかもしれないが、そうすると一律に断じてしまうことになる。すべて物事は一刀両断にしてはいけない。――この、すぐ四文字が出るのはムカシ人間の特徴であろう。出すまいと思っても出てくるから仕方ない。それほど昔ながらの四文字熟語は便利にできているのだ。漢字をなくせ、という主張も現代にはあるが、こんな便利な文化はないのである。ただし現実的にいってその伝統は日本文化から次第に消滅しつつある。若い者に、何でもいい、四文字熟語をいってご覧というと、驚倒するような答えが出てくる。曰(いわ)く、非常持出、曰く、共産主義、曰く、外科手術、曰く、調査結果、曰く、金賞銀賞・・・・モウつきあいきれない。文化は一旦断絶すると、その修復は至難の業だ。

 一瞥(いちべつ)で意味も語感も掬(すく)い取られる漢字。しかも長い言語伝統で生み出された明快正確な、成語・熟語も自在に駆使できれば、どんなに文章を操っるの楽であることか。

 尤(もっと)も私自身、文学修行にいそしんでいた若いころは、そういう文化に反撥(はんぱつ)し、昔の教育のせいで四文字熟語の知識が豊富であるのを我ながら忌々しがっていた。そういう成語を手垢(てあか)に汚れた旧弊文化ときめつけ、出来得べくんば”ひらがな”で、安易な日常語で、しかもフレッシュな感じを出そうと四苦八苦していた。
文壇デビューしてからおびただしく書いた短編長編、みなその苦心の結果である。しかしさすがに歳を加えると付け焼刃の修練に疲れてきて、ええい、無駄な抵抗はやめろ、漢字を思うさま使うて何が悪いねん、と開き直り、評伝モノを書くときは、使いたいように漢字を使いまくってやった。

 胸がすうっとした。その代り読者から、〈いつもの本と違うて字引き引き引き読まんならんやないか、勝手が違うて読みづらい〉という叱言を頂いたりしたけれども。・・・・

 それはともかく、「人間は」というと大上段にふりかぶって確信ありげになるので、「人間も」の「も」に自信のあやふやな〈?〉を示唆しているつもり。
〈金属疲労〉という言葉は、昔は聞かなんだ言葉のように思われるが、今は辞書にもちゃんと載っている。手軽な『新明解国語辞書』によれば、
「金属疲労――振動の繰り返しによる、金属の劣化現象。表面の傷の部分が、振動の増加と共に脆(もろ)くなり、やがて亀裂(きれつ)が広がって破壊に至る」

――とまあ、説明のねんごろで丁寧なこと。
 私などは金属という頑丈この上なく、金剛不壊(こんごうふえ)(また出た)のものと思ってしまうが、金属でもヒビが入るらしい。やがて割れめが大きくなって破れ損なわれるとは。

 人間も長い人生を生き擦れていると、あらゆる苦難、辛労がふりつもる、体が傷むから心が弱くなるのか、その反対なのか、そこがそれ、〈劣化現象〉である。平たくいえば心身めいたとなる。若年のみぎりは向こう見ずに強かった鼻っ柱が弱くなってゆく。(弱くならない人もいるのだろうが)

 語尾に、〈・・・・・〉がつくようになる。あるいは〈?〉。
 断言、確信ということができない。
 ましてや、大言壮語などということはとんでもない。喇叭(ラッパ)を吹くなんてどこの世界のことかと思う。

 物事のけじめ、というのが、昔は大事だと思っていた。言い繕って誤魔化そうとする人間を見ると、腹が煮えくり返り、とことん追求して白黒の決着をつけ、ぎゃふんと言わせずにはおかない気であった。(現実にはその通りにならなくとも)
 それがいつか、
(ナアナア、ほどほどもエエやないか)
 と思うようになる。内心で、噓つけ、と思っても、
(適当にあしろうたろうか)
 という言葉も思いつき、面皮(めんび)を剥ぐというような、あざということはしない。
(角が立っては引っ込みつかんようになるのやないか)
 と先々が読めてくる。ここなんである。

 金属疲労は劣化の結果ではあるものの、〈先が読める〉という利点ももたらす。経験を積み、それが若干の見識を与える。

 何かと言うと、〈見逃す〉〈聞き流す〉〈知らぬふり〉という新手の生き方の発見である。世の中は複雑に絡み合っており、引きずり引っ張って、どこへ影響を及ぼすかもしれないということをも学習する。といって、あまりに放恣(ほうし)でもならず、そのへんのかねあいの難しさも、オトナの修行である。
〈金属劣化〉の対応もなかなかに多事多端で、阿呆(あほう)ではできないことがわかる。

〈劣化〉してくると、若い昔、懐抱(かいほう)していた信念も揺らぎ、同時に夢や情感もうすれてくるであろう。夢は達成できないだろうと見極める冷静な理性も劣化のおかげだ。反対に、人によっては叶わぬまでも、挑戦してみようという気になるかもしれない。これも〈金属疲労〉のおかげ。先が短い身、と自覚したら死に物狂いの勇気も出てこようと言うものじゃないか。

 そしてまた、昔の苦労や恨みつらみも、かなり色あせた思い出になる。
 私たちの世代は、昔受けた屈辱を忘れず、艱難(かんなん)に堪えていつか仇(あだ)をうつ、という人生の図式を教え込まれた。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、という語はそういうときに使う。安逸(あんいつ)な生活に馴れて昔の屈辱を忘れぬように、というので、薪の山に寝て、にがい獣の肝を嘗(な)め、そのたびに恨みを新たにするのである。
「遺恨ナリ十年一剣ヲ磨ク」という詩もあった。しかしこうやって昔日(せきじつ)の恨みを忘れず、雪辱(せつじょく)に成功するのは、かなりの才能とチャンスに恵まれた人である。昔日の恨みを昨日の如くに忘れないというのも才能のうちで、たいていの人は時間とともに恨みも風化し、劣化する。

 時々思い出して腹を立てたりするが、そのころには相手も死んでいたり、零落したり、消息もわからずになったりして、今では大っぴらにそいつのワルグチを言挙げできる。

 それにおのずと客観性も生まれるので恨みは笑い話となり、人に話すたびに話術は磨かれてきて、更に面白おかしく語られたりする。臥薪嘗胆して仇を報ずることも要らないわけだ。

 また、わが越しかたの苦労を思って涙ぐむことも世の中にはある。自己憐憫(れんび)の涙は甘い。
 ところがこれも忘れることがあるのだ。時により鮮明に思い出すが、またふっと全く忘れることがあり、人に、
〈ちらと伺いましたが、たいへんな苦労なさったそうですね〉
 といわれ、
〈あ、はいはい。ほんに、そういうこともありました〉
 と答えるが、その瞬間までは忘れていたのである。ここでアフォリズムが二つ生まれる。

 忘れるということはステキなことである。
 苦労は、忘れてしまうと苦労でなくなる。

――忘れる、ということは金属の劣化であるが、それによって余計な負担は消失してゆく。
 苦労や恨みを忘れてはならぬ、と思う年にも定年があるということだ。忘れるというより、気にならなくなってしまうのであろう。

 そしてこの苦労だが、近頃の〈金属疲労〉の出た人間は、ムカシ人間のように、
〈若い時の苦労は買ってもせえ〉
 だの、
〈苦労は人間を大成させる〉
 だのはいわない。その代わりに、
〈苦労は逃げえ〉
 というのである。
 逃げえ、というのは大阪弁では命令形で、逃げろ、になる。苦労した人間は大成するというのは本当かどうか。
 劣化世代の人間としては、よくできた〈苦労人〉も見たが、苦労で人間が押しつぶされ、偏屈になり、片意地になり、ねじけてしまった人間も見た。

 そんな奴が放つ害毒のエーテルと、苦労知らずの甘ちゃんが無邪気にふりまく物知らずの悪、どちらが世の中に有害かといえば、前者だと思う。世の中や人間の裏表を見知っての意地悪は、タチが悪くてえげつない。

 トータルして、〈苦労〉はあまり人間にいいものを与えないようだ。・・・。(この、〈・・・・〉も劣化世代の特徴で、人に訴えようと言い始めたものの、内省的になってしぼんでしまう、尻すぼみの語法である)

 こうしてみてくると、劣化世代人間こそ、真のオトナではないか、と思いつくのである。
 そこで冒頭の、「人間も金属疲労が出てからホンモノである」という私の提案の意味がお分かりいただけたかと思う。
 というのは、私はホンモノ、ニセモノを、〈オトナ〉か、〈オトナでない〉か、に分けて考えるのが好きだからだ。べつにオトナにならなくてもいいじゃないかという考え方もあり、私はそちらが好きであるが、しかしやはり、オトナというものとつきあいやすい。

 今まで述べたことを実行はせぬまでも、皮膚感覚で知っており、夢は達成されぬから夢だと知り、すべてナアナア、ほどほどですまし、適当にあしらい、東へいっては、〈苦労は逃げえ〉といい、北へいってし、〈昔の恨みつらさは笑い話にしろ、受けるぞ〉という。色紙を出されると、
〈酔生夢死〉
 だとか、
〈山川草木(さんせんそうもく) 悉有仏性(しつうぶっしょう)〉
 だの、自分でもよくわからん文句を書き、依頼した側ももとよりわからず、べつに末代までの家宝にする気はないから、蔵(しま)っておきもせず、週末の大掃除にはゴミ袋に入れられてしまうのが、書き手も頼み手もべつに無残なこととも思わない。

 オトナの夢の第一は「墓場に近き老いらくの、恋は恐るる何ものもなし」と歌った川田順の「老いらくの恋」(『恋の重荷』)で、これが理想であるが、まあ夢は夢である。若いときのように理屈もぶたず、人を説得しようと躍起にもならぬ。それは人間の限界を知るから。――そんな風に生きてて、何がおもしろおまんねん、と若い衆(の)にふんしがられるが、内心ニンマリして、案外、世の中をたのしんでいる。してみると、金属疲労ニンゲンこそ、ホンモノのオトナといえるのではあるまいか。

惚れる

「女は自分が惚れた男のことは忘れても、自分に惚れてくれた男のことは忘れない」
――これは昔、私が書いた恋愛長編小説の一節であるが、原文はすこし違っており、
「人は自分が愛した者のことは忘れても、自分を愛してくれた者のことは忘れない」
 というのであった。小説の中ではこのほうが座りがよく雰囲気が出る。
 しかしアフォリズムとしては〈人〉は〈女〉に、〈愛する〉は〈惚れる〉に引き直した方が、意味がよくわかって具体的である。

 女が男に惚れて片思いをするとする。恋は想像力の助けを借りて、相手の男をいやが上にも好ましく思わせてゆく。女はいよいよ思いつめる。

 恋をうちあけようか、自分から口説くなんてはしたないと思われないかしら、しかし積極的に出なければとてもあの〈うすらバカ〉には(もちろんこの悪態には、せつない恋心が裏打ちされているのである。気付いてくれない朴念仁(ぼくねんじん)に、やるせない怨みの涙イッパイ、というところ)通じないだろうし、――と女はためいきをつく。

 遂に思いが、昂(こう)じて爆発し、女は、ええい、イチかバチかやと、積極攻撃に打って出る。と、現代のひょわ男のこと、ビビって逃げてゆくのもいるだろう。個人的嗜好(しこう)もあるだろうし、男の家の事情もあるだろうし。男の中には、
(受けて立ってもええけど、いまは時機が悪い。もうちょっと時機、ずらせまへんか)
 と残念がっているのもあるかもしれない。

 結果として不発に終わった場合、女はイソップのお話ではないが、狐と酸っぱい葡萄(ぶどう)の関係となり、可愛さ余って憎さ百倍、
〈あんなアカンわ。あいつ、アホやっ〉
 ということになってしまうだろう。
 そうして〈あ―、あほらし。あんな男(やつ)のためにイライラ、がつがつして、あたら貴重な人生の時間を浪費してしもた・・・・〉と反省、まあすべて、これ皆人生勉強や、と割り切って開き直る。

 く告って振られただけやんけ、べつにどう、っちゅうこと、あらへん、忘れてまえっ。かくて女は、恋した男を忘れるという段取り。

 しかし、人生いろいろ、である。男の中には、折から時機も適(かな)い、何がな、おもろいこともがな、と待ち受けているのもいる。そういう男には、女から言い寄られるという予期せぬ出来事は、天来の幸運である。待っていましたというように、受けて立つのもいるだろう。男と女、熱のあがりかたに差があるとはいえ、それも恋に陰影をもたらして愉快だろう。

 思いがかなった女は有頂天であるが、男は出遅れたため、いろいろ気持の運転機関の調整をしたり、欠けている部分の調達に忙しい。

しかしやっと運転開始、しばらくは蜜月(みつげつ)がつづく。
 恋がかなって、いうことなしの人生至高至福の刻(とき)である。〈刻よ止まれ〉と思うのはこういう状況の折りの願いであろう。しかし人生にはそういう時間は長く続かぬことになっている。次第に齟齬(そご)をきたし、軋(きし)みはじめる。というもの、――女は注文の多い種族だからである。

 自分と等質の愛や恋を男に要求する。
 しかし男の在庫には、その種類の商品はない。〈男〉という商店には、その〈手〉の商品は扱っておらず、
〈これではあきまへんか。タイプは違(ちゃ)いますけど、性能は同じです〉
 と別のものをすすめたりする。女は承知しない。求めるものを、そっくり要求通り提出すべき、と男を恫喝(どうかつ)する。そのくせに、だ。

 男が自我を矯(た)めて、女に同調すると、女はまた、気に入らない。そこまで惚れてきた男を、こんどは見くびってしまう。

 優しい男、自分の思い通りになる男が好きなくせに、そうなると見くびるとは、何と女とは〈あまのじゃく〉なものであろう。わざとのように逆らってばかりいるが、その実、女にしてみれば真剣なのである。

〈私、まちごうたこと、いうてますか〉という気だから男は助からない。女に尽くせば尽くすほど女は、男を与(くみ)しやすしと呑んでかかり、無理難題をいう。

 やがて好むと好まざるによらず、別れの季節というものがめぐってくる。あらゆる恋は花を咲かせたら萎れるものだから。・・・・・
 別れる予感が感じられたら、女はたいへんなテクニシャンになる。
 ありったけの知恵を絞って男の愛を蘇らせ、男に、今までになく自分を愛おしい、と思わせようと努力する。

 二人の愛をつなぎとめ、至高至福の刻(とき)よふたたび――と意図するためではない。
 じつはそれは〈別れる〉ための工作であるのだ。――いや、女というものは奸譎(かんきつ)意は「最高に美しい意味に於いて――」なものであるのだ。

 男はうまうまとそれに乗せられ、以前より女を愛しているような錯覚を抱かされてしまう。そこで女は別れてゆく。こういうアフォリズムは如何でしょうか。

「女は愛されていると確信した時に別れられる種族である」
 これは『源氏物語』の六条御息所(みやすどころ)を見てもわかる。年上の御息所の情熱を受けとめかねて源氏はたじたじとなっている。御息所は恋に疲れ、物思いに痩せ、伊勢の斎宮となった娘について伊勢へ下ろうと思う。源氏がもしそれを熱心に止めたら、むしろ御息所は安心して下れるだろう。源氏の愛が確認できたら別れ易い。

 あるいは、〈あ、そう、どうぞご自由に〉と冷たくあしらわれたら、これもまた恋を思い切って京を出る理由になる。しかし源氏は、
〈私の気持ちは変わりません。長い目で御覧下さいよ〉
 などと、その場限りのお上手でいいつくろって、よけい、御息所を混乱させるのである。

 御息所は源氏の妻・葵(あおい)の上を嫉妬(しっと)するあまり物の怪(け)となって取り憑いているという世間の噂にも心を痛める。――それは御息所の心柄とは言い条(ながら)、自分の無意識世界のことなので、みずからが負うべき罪ともいえないのだが――。

 御息所としては源氏が、〈伊勢へいかれるとはとんでもない、私が許しません〉
 と強く反対してくれればと思う。それなのに源氏は〈私を捨てていこうと思われるのも尤(もっと)もですがね〉などと持って回った言い方をして、御息所を苦しめるのである。

 そのうちに、御息所の出京の日が近づくにつれ、さすがに源氏も居たたまれずに、御息所を訪れる。
 折しも嵯峨野(さがの)の秋、かれがれの虫の音に松風、ものさびしい夜、二人は語り明す。
原典にはあからさまに書かれていないが、二人は最後のわかれに臨んで愛の時間を持ったと解釈すべきであろう。源氏はさまざま事件で御息所と疎遠になっていたものの、面と向かえばやはり、御息所の魅力に魅せられる。美しく教養高い貴婦人、源氏がいっときは深く愛した女人である。源氏は「あはれとおぼし乱れること限りなし」(「賢木(さかき)の巻)――〈伊勢などへいらっしゃらない下さい、思いとどまって下さい、私のために。愛しています〉。

 ついに源氏はいった。御息所の聞きたかったそのひとことを。その時の感情は嘘ではない。御息所は密かに決心がつく。愛されているから別れられる、と思う。

 夜はようよう明けてゆく。源氏は御息所の手を取って離さない。男は過ぎし日の恋を思い出して今更のように御息所に未練が起き、御息所は迷いながらも、明け方の空の霧が晴れるように別れの決心がついたのを、淋しくも哀れにもおもうのである――。

 自分が惚れた男でも、そんな風に〈別れ〉で完結すると女は忘れてしまう。
 しかし惚れてくれた男は忘れないとは、どういうのであろうか。これは私の思うに、自分の方に余裕があり、その男から熱をあげてきたんだから、取捨選択の自由は自分に或る、という自信のせいであろう。

 惚れてくれたほうは日も夜も忘れないかもしれないが、こちらはついつい失念しており、
〈えー、このあいだ手紙を書いて置いといたんですが、読んでいただけましたか〉
 などと遠慮がちに男に言われ、
〈えーっ、そんなことありましたっけ?! 私、ブティックのセール案内とばっかり思って屑籠に捨てちゃった、ごめん〉
 なんてことになったりする。
 しかしながら、言い寄って来る男、というのはなつかしくも憎めない。
 たとえ自分好みと違うと思っても、だ。
 若年のみぎりは、
(あ、あたしのタイプじゃない)
 となると一刀のもとに切り捨てる。取り付く島もないという手荒い扱いであったが、ひと年拾う、というか、トシが締まる、というか、浮世の諸訳も知り尽くした年ともなると、思いがけぬ恋の告白を聞いても、
〈いや―、うれしいことを聞かせてくれるわねえ、この年になってまだこんないいことがあるとは〉なんてあしらう。これは要するに、現代は女をも〈オジン〉に、あるいは〈サムライ〉にする時代だということであろう。

 働いている女は義理と人情のしがらみで縛られ、心のままに動けないのが、現代人間社会の現状である。女にしっかりした働き手がふえるということは、女も男のような生きざまを踏襲させられることである。
 男に言い寄られて、
〈好意謝するに余りあり〉
 芳志かたじけなく痛み入るが、まわりを見廻して自重自制、自粛を強いられるのが女の人生となってきた。
これを女の〈オジン化〉、女の〈サムライ化〉という。

 巧みに立ち回って厚志に酬(むく)いる、というやりかたもあるが、女の役付になって部下を持ったりし、その部下から言い寄られてもどうしようもない。厚志に酬い得ないのは人生の痛恨事(つうこんじ)である。といって若い時ならいざ知らず、酔余(すいよ)の座興に誤魔化すこともできない。

 実人生で、その男と別れても、口説かれた思い出は内攻して美化される。
 なおいえば、男の惚れ人(て)には〈惚れた弱み〉という引け目がつきまとい、それはなかなかに佳(よ)きものだのだが、女が男に惚れたって〈惚れた弱み〉のいい風情は漂わない。何しろ女は、〈私、まちごうたこと、いうてますか〉の大家だから、鼻っ柱は強い。弱みなんか、クスリにしたくもないのだ。

 女は漠然とそれを感じて、惚れてくれた男に好意をもつ。忘れられない所以(ゆえん)であろう。

寝首

 このあいだ平成十三年の運勢暦をみていたら、私は九紫火星(きゆうしかせい)であるが、〈飛躍運〉となっていて大白星大盛運ではないか。「何事も思い通りに運ぶ」とあるが、今まででも自分なりに〈思い通り〉になったと思っているものを、それ以上の〈思い通り〉というのは、いかなりゆく身の上にやあらん。
 しかし、だ。
 ここでイイ気になってはいけない。
〈勝って兜の緒を締めよ〉
 ということがある。この格言は昔の人の愛好したものだが、現代の若い子にいってもピンとこぬだろう。第一、カブトといっただけで、
〈あ、武具→戦争→軍国主義〉
 とたちまちミリタリズム・アレルギーを起し、声が裏返るという仕儀。話も通じない。
 武者絵(むしゃえ)、というのもあまり見る事はないだろうから、鍬形(くわがた)打ちたる兜のりりしさも知らない。ミリタリズムなんかに関係なく、男の美学の象徴のようなもの、合戦が勝利に終われば、いそぎ重い兜を脱いで気楽になるところだが、安易に気を許してはいけないという教え。勢いを盛り返した敵が夜襲をかけてくるかもしれぬふ。
古来から、戦勝の美酒に酔うているとき敵から反撃をくらって、一挙に滅ぼされた例は数知れない。

 よって勝利を得たときほど、心を引き締め兜の緒を締め直せ、という格言である。
格言は箴言(しんげん)と違い、教訓臭を含む。万人が服用できる万能薬である。宗派に関係ない〈山上の垂訓〉である。――というわけで、大盛運を保証されても私はイイ気になっていられない。

 兜ならぬ、心を引き締めなくてはならぬ。
 それというのも、私は〈運命〉の偏屈さに今までの人生、手を焼いているからである。
 こうなるだろうと予測し、大地を打つ槌(つち)ははずれても、自分の予測ははずれないだろうと思っていると、外れる。
 反対に思ってもいない方向から、ぽろっと綻びが出て、そちらのお手当ては全くしていなかったから、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)、ということもある。

 中小企業の金繰りなどというのは、そういうていのものではなかろうか。アテにしていた入金は成らず、その上、まさかというクレームが起きてお手上げ、というようなもの。

 私などの場合であると、これは絶対、書けると安心しきっていた作品が、取材につれて思惑ちがいのことがふえ、収拾つかぬ騒ぎなったりする。
 それを私は〈運命〉の偏屈さ、といっているが、私はいつも〈運命〉にかたちを与えたくなるクセがあり、これを〈神サン〉とよぶ。
 
私は〈神サン〉についてこれまで小説やエッセーでしばしば書いたから、読書のお目にふれることもあったかと思うが、〈神サン〉は〈運命〉そのものであり〈超越者〉という気分も含む。とにかく人間の手向かいできない存在。――なぜ神様ではなく、神サンかというと、それは私が大阪人で、大阪弁でしか発想できないからである。

 大阪弁にはサマという語はなく、大阪弁の大本である京都弁、それも京都弁のそもそもの大本の京都御所の言葉からして、サマはない。宮サン、禁裏(きんり)サン、春宮(とうぐう)サンなどという。ましてや超越者である存在は、神サンと呼ばねばならぬ。
 この神サンは人間の思う通りに動いてくれない。よって私の考えたアフォリズムをいうと、

 神サンは人の寝首をかく。
 というのである。私の個人的感懐であるが、そこが格言とアフォリズムの違いである。
 寝首は寝ている者の首、つまり武装を解いて油断している人の不意をつき、卑怯(ひきょう)にも名乗りもせず、密かに忍び寄って首を討つのである。それが寝首をかく、ということだが、それはフェアではない、武士道に反しとるやないか、と咎(とが)めても〈神サン〉相手に通じないのである。審判の立ち会う次元の話ではないので、〈神サン〉のしたい放題、跳梁(ちょうりょう)に任せるのみ。

 文句をいったって、もともと、(これも私の想像だが)人の一生は〈神サン〉からの借りものなので〈神サン〉に、
〈そない不足が多いのやったら、即、返してもらおうか〉
 と言われても仕方なし、人は不承不承に〈神サン〉の仕打ちを甘受(かんじゅ)しなければいけない。
 人生は順風満帆というときほど、人は危うい。
〈神サン〉は寝首をかく大家、だということを忘れてはいけない。かつ、自分の方針や見識、実力が成功をもたらしたという自惚れてはいけない。〈神サン〉は桶狭間(おけはざま)に於ける織田信長のごとく、鵯越(ひよどりごえ)に立つ源義経(よしつね)のごとく巧妙に立ち回って、突如、隙をつき、攻め入って来るのであろう。

 寝首かきの〈神サン〉はまた、寝業師でもあるのだ。そうして人が慌てふためくのを見て、
(ぬひひひひ)
 と喜ぶ。――
 そうなっても、無力な人間は天を仰いで悲しむのみ。〈神サン〉は指差しあざけり、手を打って笑う。
 若い者なら、いうかもしれない。
〈運命イコール、神サン、つまり超越者、というのはわかりました。しかし、超越者の上にまた、その超越者を任命しはる超越者、というのは、いやはらしませんか。そうしたら、その超・超越者にたのんで、あまりひどいことせんように、手加減してやれ、というてもろうて‥‥〉

 できませんよ、そんなこと。できないから〈神サン〉なんだもの。このひねくれもんの、寝首かきの〈神サン〉に、張り合って素手で戦おう、なんて考えちゃいけない。それ以上に、仲良しくして浪速名物の〈小倉屋こんぶ〉だとか、〈きつねうどんセット〉なんて贈賄し、手心加えてもらおう、なんて了簡(りょうけん)を起こしちゃいけない。そんなことをしたらかえってよけい、ひどい目に遭わされる。

 私の思うに、寝首をかかれたときの対応はただ一つである。〈神サン〉の無慈悲なる仕打ちに対して、達観すること、これあるのみ。
 而(しこう)こして、これも私の長年、懐抱かせる、私の好きなアフォリズムであるが――

 達観、というのは、心中、〈まあ、こんなトコやな〉とつぶやくことである。
 人間は弱いものであるが、それでもまた、まだまだ未開発の優秀な能力を秘めていると私は思う。思うに足りるさまざまな兆候をこの世界でも、いくつか見ることができる。愛もユーモアもその兆候の一つであるが、〈達観〉というのも、その中でかなり大きな、そしてすぐれた能力であろう。

 大正ごろの古い大阪の川柳に、
「えらいことできましてんと泣きもせず」(詠みびと知らず)
 というのがあるが、これもいわば、
〈まあ、こんなトコやな〉
 という達観の一つのバリエーションであろう。思いがけない災厄にびっくりしつつも、
〈しゃーないな〉
 と気を取り直し、なにやかや、あわててとりつくろう。それも砲煙弾雨(ほうえんだんう)のなか、すべて応急処置である。しないよりはマシ、というようなお手当てながら、できるかぎりのことをする。

 大変でんなあ、と人に見舞いをいわれ、〈まあこんなトコやな〉と主観論をいっても大人げないし、さぞひとサンの目には、
(えらいことやってんなあ、気の毒に)
 と見えている事であろうと、素直に、
〈いや、ほんま、えらいことになりましてん〉
 ととりあえず、見舞に対する陳謝、こういうとき大阪弁には便利な言葉がいっぱいあって、
〈ほんまにワヤですわ〉
 と自分で笑いつついう。
 自分で自分の災難を感心しているようにきこえる。店は倒産、身内に卒中や交通事故がつづいて起き、という羽目になった自分を
〈さっぱり、ワヤクチャでんがな〉
 などといい、それこそ「泣きもせず」である。〈神サン〉としては寝首をかいてやったつもりなのに、当人が〈ワヤクチャでんがな〉と次々にふりかかる不幸に感心しているのだから、当てが外れるわけ、大阪人にはこういう体質があるようである。

 仕事の後始末で、計算が合わぬ時、伝票、計算機、弄(いじ)くり倒して残業を続けてもまだ、どんぴしゃりとならない。一同、暗澹(あんたん)たる思いにうちひしがれている時、ベテラン先輩の一言。

〈あとは明日にしょ。ま、こんなトコやな〉
 まさに鶴の一声である。今までの努力を認め、評価し、ねぎらいつつ、将来(さき)への仄(ほの)かな希望を暗示する。

 関西ではお医者さんでもそうだというのをきいた。医療の実際はわれわれ素人にはよくわからぬものの、手術処置にはおそらく「人事を尽くして天命を待つ」という状態のときも多いのであろう。関西の、さる名医の先生は手術が終わりかけのころに、口癖のように、
〈ま、こんなトコやな〉
 といわれるそうである。(むろんその先生の執刀により寿命や健康をとりとめた患者さんが多いので、名医と呼ばれるのであるが)先生は、(人間の知恵と手でできるだけのことはしとんじゃ)と思って入られるのかもしれない。

 ともあれ、〈ま、こんなトコやな〉には、自分というものを客観視して、それなりに評価している色合いがある。〈神サン〉は〈やんちゃ〉であるからききわけがない。〈泣く子と神サンには勝てぬ〉というところだ。しからばこっちの、大人側としては、できる限りの手は打つものの、ある点までくると、
〈ま、こんなトコやな〉
 とうそぶいていなければしょうがないのだろう。そして自分の頭を自分で撫(な)でてやればよい。

〈神サン〉に意地悪されず、順調に次ぐ順調、幸運に次ぐ幸運という人も世の中にはある。しかしそれは、〈神サン〉に可愛がられたせいではなく、〈神サン〉としてはあとでいっぺんに叩くためなんである。――私のあて推量を〈神サン〉は〈ま、そんなトコやな〉といっているのかもしれない。
 つづく いい男
 女が数人、群れると、盛り上がる話題に、
〈いい男って、いないネー〉


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