実際、日本のテレビ各局の報道も、中国のこの「戦後70年」記念行事の本質をこぞって、膨張する中国による「強大な軍事力の誇示」と大々的に報じた。特に軍事パレードで登場した。米海軍の空母、日本列島やグアムにある米軍基地さらには米本土を直撃する中国軍の最新鋭ミサイル戦力が、日本の安全保障やアメリカによる日本への「核の傘」にあたえる深刻な脅威を、各メディアは専門家の解説入りで詳しく報道していた。
当然、こうした認識を踏まえれば、現行の日本の安全保障体制は根底から揺らいでいることがわかり、安全法案は最低限の必要を満たすもの、ということもわかるだろうと思ったのである。
ところが、あれほど差し迫った調子で膨張する中国の「軍事脅威」を報じていた当の同じメディアが、安全法案の報道になると、まるで手のひらを返したように旧態依然の非武装的平和主義の議論を繰り返している。あたかも「あれはあれ、これはこれ」とまったく無関係の話題として扱っているかのようである。この際立った二面性は一体、どこから来るのか。
それには大略、2つの理由があろう。1つは「世界認識の誤り」である。
現代の世界では、国民の安全を守るための最も重要な手段は依然として軍事力をはじめとする国家の持つパワーに依存せざるを得ず、今のところその各国家の力を互いに均衡させることによってしか平和は保てない。しかしこの認識が戦後日本では極端に希薄なのであり、その根底に2つ目の理由、すなわち「歴史認識の誤り」がある。
つまり、かつてのあの「邪悪な侵略戦争」をしたこの日本の軍隊(自衛隊のこと)は、他のどの国の軍隊よりも「悪い存在」「特に警戒すべき存在」と日本人自身がとらえてしまうのである。
そうすると、たとえ外界にどれほど深刻な変化があっても、それにたいして日本が軍事的な抑止力を高めようとすると、むしろそれこそが平和を壊す「異次元の悪」として忌避すべきものとなる。ここに、いつまでも自虐史観に囚(とら)われることの恐ろしさがあるのである。
あの日、天安門の上に並んで軍事パレードを閲兵していたのは、クリミアの侵略者となったロシアのプーチン大統領と、南シナ海と東シナ海で現に侵略を進める習近平主席の両首脳であり、この巨頭たちの姿は、かつて多くの衛星国の首脳を従えクレムリンの台上に並んでいたスターリンと毛沢東の姿にまさに二重写しであった。
それゆえ9月3日付けの産経新聞『正論』本欄で西岡力氏は、今こそ「冷戦は終わっていなかった」という認識の大切さを強調しておられた。
氏はそこで私も委員の一人として関係した安倍晋三首相の戦後70年談話のための「21世紀懇談会」の報告書を取り上げ、「安倍談話とは違って(同報告書には)納得できない部分が多い」と指摘している。
(実は私も同意見だが)その理由の一つとして、同報告書がこの東アジアの冷戦も含め、過去100年間の共産主義による大規模な虐殺や主権・人権侵害をまったく捨象している点を挙げ、報告書を厳しく批判する。
正鵠(せいこく)を射た意見と思うが、関係者の一人として(すでに多くの委員が私の名前を含め懇談会での議論の内容をあきらかにしておられるので)信義則に反しない範囲で言及すれば、実は私は西岡氏の至適する諸点についても懇談会で繰り返し提起したが、中国共産党への迎合からか、報告書では取り上げられることはなかった。
これ以外にも、同報告書の当初案には中国の和解に必要な具体策の提言として、靖国神社のいわゆる「A級戦犯」分祠(ぶんし)の推進ないし「代替施設」建設の必要性を謳(うた)った箇所があり、さらに慰安婦に対する日本政府の一層の謝罪と補償のための新たな基金を日本政府が設けるようよう求める趣旨の提言もあった。
これらは私を含む複数の委員の反対によってかろうじて最終的には削除されたが、もはや表面上、痕跡をとどめていなくても、こういった際どい箇所が他にも多数あったのである。これ以上詳しいことは時が来るまで語れないが、歴史問題での無原則な譲歩がやがて国の安全保障を根底から危うくすることを知るべきだ。
外国製の歴史観に則(のっと)って過去の(嘘にまみれた南京大虐殺=クリックして観たら詳しく日本軍からの報告がある) l日本を一方的に断罪し、それを誤って”歴史の教訓”とすることと、強大なミサイル戦力を見せつけられても、なお「非武装」の理想にしがみつこうとするのは、国家感の喪失という点で同根の危うさを宿しているのである。 京都大学名誉教授 中西 輝政=写真=
歴史戦 事実を曲げ「共産党が対日勝利」
「歴史を改ざんするなと日本にさんざん要求しておきながら、これは恥知らずな歴史観だ」
中国版ツイッター「美博」などに珍しく批判の発言が並んだ。
「抗日戦争勝利記念日」の3日、中国国内で公開された映画「カイロ宣言」のポスターや宣伝画像に、1943年11月のカイロ会議に出席していた。 蔣介石=と毛沢東=写真右=
、さも「主役」のように登場したことを指す。映画は中国人民解放軍系の撮影所で今年、制作された。
戦後処理の方針を討論し、カイロ会談には米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルのほか中国国民党の蒋介石=上右=が英語を流ちょうに操る夫人の宋美齢を伴って出席。日本降伏後の領土処理などを内容とした「カイロ宣言」を発表した。
毛沢東は当時、中国大陸の陝西省延安におり、カイロ宣言には関係ない。毛はその後の国共内戦に勝利して49年に中華人民共和国を成立させ、その後初代の国家主席に就任した。
しかし、ポスターではルーズベルト、チャーチルのほか、毛と同様に会談に参加していないソ連のスターリンの4人に扮した俳優まで登場している。
「まるで毛主席がカイロ会談そのものを主催したようだ」(中国版ツイッターへの中国人の若者の投稿)との印象まで与える作りになっている。
中国共産党は自ら政権の正統性を主張する基盤として、「共産党が抗日戦争に勝利した」ことをアピールしている。これに対し、台湾総統の馬英九は「8年間の抗日戦争は中華民国が主導した」と反論。蒋介石率いる中国国民党が主役だったと繰り返し述べている。 台湾のある有識者は憤りを隠さない。
「抗日戦争を中国大陸で戦った主役は誰かとの論争に、誰もが知っている歴史の事実まで、映画を使って捻じ曲げる動きを平然とする党がある」
中国共産党中央党史研究室の幹部は北京での8月13日の記者会見で、「(共産党が)全民族の抗戦で大いに役割を確実に発揮し、中国人民の抗日戦争勝利の中心となった」と主張。さらに、「(蒋介石の)国民党も重要な役割を果たしたことは否定しないが反共だった」などと述べ、共産党中心の歴史観こそが正しいとの考えを曲げなかった。
映画をめぐる騒動は、8月28日に中国全土で公開された「百団大戦」でも起きている。中国のネットメディア「網易」によると、40年に起きた共産党の八路軍と日本軍の戦闘を描いたこの映画で”大ヒット”を装うための興行収入の水増し発表や、観客の組織的な動員があつた疑いがある。上映回数は連日、各地で全映画館の10%前後だったにもかかわらず、興行収入は連日のように全体の30%近くを記録。公開から5日で1億9200万元(約36億5千万円)の興行収入を稼いだなどと公表された。
報道によると、共産党中央宣伝部が政府機関などに対し、この映画の団体鑑賞を重要な活動として動員を指示したほか、映画館に対しとは興行収入の達成目標を課しているという。目標未達の映画館は興行収入の水増しに追い込まれた。
毛沢東が50年代後半に発動した経済建設運動「大躍進」では飛躍的な生産性向上を要求され、成績を競った農村の幹部が「農地1平方㍍当たりで数トンのコメ生産に成功した」などと虚偽の報告を行った結果、農村そのものが各地で疲弊して多数の餓死者を出した。
国内総生産(GDP)統計発表をめぐる疑惑もそうだが、何らかの成果を訴えるための意図的な「数字の水増し」は、今も繰り返されている。
産経抄より引用
一定の共通認識という土台がないと、議論も対話も成り立たない。歴史問題が面倒なのは、認識の共有それ自体が難しいことにある。歴史は「勝者が書く」といわれる不平等なものであるだけになおさらだ。かくして、正義の戦勝国を僭称(せんしょう)する歴史修正主義国が現れる。
▼16年前の夏、ロシア極東のカムチャツカ州を訪ねた。通訳の地元の青年は、学校で「南千島4島は日露戦争で日本に奪われた」と虚偽を教えられていた。日本に留学して初めて明治8年以降、千島列島全体が日本領だったことを知ったという。
▼中国の抗日戦勝70年記念行事は、歴史修正主義の見本だろう。「抗日戦争の主役は国民党が主導した『中華民国』の国軍だった」(台湾・国防部報道官)だからだ、共産党は後方や辺境でゲリラ活動をしていただけである。
▼外務省の中国課長経験者に、中国首脳らは歴史事実を踏まえたうえで歴史偽装を試みているのだろうかと聞いたことがある。答えは「首脳らも案外、本当の歴史は知らないと思う」だった。
首脳自身が偽の歴史を信じ込んでいるとしたら、和解のハードルはあまりに高い。
▼「両国が経験した苦しい歴史が、今日の友好の大切な土台になっている」韓国の朴槿恵大統領は2日、中国の習近平主席との会談でこう述べた。中国は韓国にとって朝鮮戦争における侵略軍である上、いまだに「謝罪」も「反省」も示さない国なのである。韓国は、都合の悪い歴史には目をつむる。
▼日本は隣国には恵まれていないが、世界は中韓露ばかりではない。米調査機関がアジア太平洋地域の11か国で「好意的に見ている」国を調査したところ、日本は71%でトップだった。日本はもっと戦後の歩みに自信を持っていい。
2015年9月5日
侵略戦争と断罪する不自然さ
考案者は孫子を愛した鄧小兵だったか。長年にわたって、最も安上がりで効果的な魔術にかけられた日本にもようやく覚醒の機会が訪れた。「歴史認識」、と一言、北京が示唆しただけで日本の世論はばらばらになり、政府は審議会をつくって日本の侵略はいつから行われたかなど、今頃になって短時間で怪しげな検討を始める。
ニュースの報道者は居丈高になって「お詫(わ)び」などのキーワードが入っているかと政府に迫る。迫られた方は知恵者が寄って各方面をなるべく刺激しないような語法をひねり出す。お笑いではないか。どこの国も要求しないのに10年ごとに首相談話を出し、旧連合国にお詫び状を提出する義務が日本にあるわけがない。自縄自縛に陥ってしまっているのだ。
謝罪御免! と安倍晋三首相は啖呵を切ってくれた。戦後70年談話の核心は「あの戦争には何ら関わり合いのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」で、けじめはついたと思う。国が明確な非を詫びるのは当然だが、一時期騒がれた「土下座外交」は勘弁してほしい。
日本が卑屈になっていた根本には、東京裁判による満州事変以降の侵略戦争史観がある。首相の「戦後70年談話」の内容を検討した有識者懇談会「21世紀構想懇談会」の報告書で気になるのは、「日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し」云々(うんぬん)の「向こう側」に立った表現である。
歴史観は統一できないので「こちら側」の解釈があって然(しか)るべきだ。歴史には複雑な要素が絡み合って因果関係が形成されていくのであって、満州事変の少し前に定規を当て剃刀(かみそり)で切り取って1945年までの15年前までの15年間を日本の侵略戦争と決めて断罪する不自然さに、学問的な疑問を感じないのか。
この間の事情を実態的に調べ上げたリットン報告書以上の詳細な調査結果はない。日本陸軍の暴走を正当化する理由は全く存在しないが、満洲問題の複雑性は一言で片付けるにはあまりにも重い。
「こちら側の」の立場を貫く東京裁判の弁護側団長だった清瀬一郎氏は冒頭陳述2部の最初に「本紛争に包含せられる諸問題は、往々称されるごとき簡単なものにあらざること明白なるべし。
問題は極度に複雑なり、いっさいの事実およびその史的背景に関する徹底せる知識ある者のみ、事態に関する確定的意見を表示し得る者ありというべきなり」とのリットン報告書の表現を引用した。
安倍首相は有識者会議の報告書を尊重すると述べながら、満州事変に関しては「こちら側」の立場を貫いた。「事変、侵略、戦争いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」は国際連盟規約、不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)、国連憲章、日本国憲法第9条第1項に貫かれている一貫とした原則だ。
「向こう側」の論理と日本の歴史学界が覆っていたマルクス主義史観の合作は歴史教科書だった。この是正を求めて発足した「新しい歴史教科書を作る会」が直面したのは、中学校の歴史教科書全てに「侵略」の二文字が躍っていた異常な事態だった。
しかし、いま「侵略」を変えていないのは、中学校歴史教科書8社中3社にすぎない。安倍談話はこのキーワードなるものを取り入れたが、違う文脈で使用した。賢明だと思う。
安倍談話は「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と当然の常識を述べたが、チベット、ウイグルなど事実上の植民地を持っている国はどう反応するか「痛切な反省」が入っているかどうかは「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」を読めば一目瞭然だ。時世は現在完了だ。
今回の談話に限らず、政府関係の文書に「先の大戦」との曖昧な言葉が無神経に使われているのに辟易(へきえき)している。戦争は日中、日米、日ソのそれぞれ性格の異なる戦から成っている。日中、日米については触れている紙幅がないが、当時の日ソの凄惨(せいさん)さに目を背けるわけにはいかない。
戦いの仲介を愚かにもソ連に依頼し、日本の意図を確認したあと日ソ中立条約が1年残っていたのにも拘わらず、旧満州、樺太、千島列島にソ連の大軍が侵入した。その結果生じた悲劇は、北方四島の強制編入、60万人の関東軍の強制抑留、在満邦人150万人のうちの老幼婦女子が被った凄(すさ)まじい被害など涙なしでは語れない。談話は被害者日本に触れていない。
戦後の日本が貫いてきたのは不戦条約の精神尊重の一点だと思う。これを犯している国々から歴史戦を挑まれてきたのに対し、穏やかに応じたのが安倍談話だと私は理解している。
015年8月19日産経 オピニオン
杏林大学名誉教授 田久保 忠衛
米国「首相は現実的戦略家」/ 韓国「高度に設計」/中国反応控えめの報道
前後70年の安倍晋三首相談話発表から一夜明けた15日、新聞各紙は社説で論評した。
「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきでなかった。改めて強くそう思う」
こう断じたのは朝日新聞だった。社説では「談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだったと」強調した。
だが、迷走したのは朝日新聞の談話報道だ。朝日は9日付1面トップで、「安倍談話『おわび』盛らず」と報じ、7日夜に安倍が自民、公明両党に示した原案には「『おわび』に類する言葉は入るっていなかった」とした。ところが、一転して11日付けで「『おわび』の文言を入れる方向で調整している」と伝えた。
産経新聞は10日付けで「侵略」に言及するも謝罪に関する文言は「直接盛り込まない」とし、12日付けで村山富市首相談話を引用する形が「お詫びも言及へ」と伝えた。
政府高官によると、7月20日ごろに作成された談話の原案には「おわび」は盛り込まれていた。
「わが国は痛切な反省とお詫びの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」
「次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせるわけにはいかない」
安倍はこの2つの決意を盛り込むことで「お詫び論争」に区切りをつけようとした。安倍が与党の調整に入った8月5日以降も「この部分は何ら変わらなかった」(同高官)。
談話の閣議決定についても、朝日は6月23日付で「安倍談話、閣議決定しない方針」と書いた。それが8月7日付で「首相一転、周辺に配慮」「安倍談話閣議決定の方向」と、政府が軌道修正したかのように報じた。もっとも、6月下旬の段階で、政府中枢は「閣議決定する可能性は十分ある」と述べていた。
朝日と「おわび」などで同様の主張を繰り返してきた韓国の反応はどうか。
「物足りない部分が少なくないのは事実だ」
韓国大統領の朴槿恵は15日午前、日本による朝鮮半島統治の解放から70年を記念する「光復節」の式典で演説し、70年談話について語り始めた。
朴は、日本の歴代内閣が侵略と植民地支配、元慰安婦への「お詫び」「反省」を歴史認識の根幹としてきたと指摘した上で、談話についてこう続けた。
「歴代内閣の立場が今後も揺るぎないものであると、国際社会に明確にした点に注目する」
対日批判を抑制していることは明らかだった。
慰安婦についても「速やかに適切に解決することを望む」と言及したにとどまった。「問題解決が関係改善の前提になる」とした昨年の演説に比べると、その差は歴然である。
に関し、14日夜に出された韓国与党セヌリ党報道官の反応が注目された。
「反省とお詫びなど言及した点では意味のある談話だ」と一部評価したからだった。
日本専門家からも、韓国側が求めてきた4つのキーワード(植民地支配、侵略、お詫び、反省)が曲がりなりにも全て含まれていた点は評価すべきだとの見解が相次いだ。
大統領、朴槿恵の演説の調整を続けていた大統領府の関係者は頭を抱えた。「高度に設計された談話だ。分析が必要で世論も見極めなければならない」
結局、15日の演説まで公式見解は出なかった。韓国メディアは談話を批判的に報じつつも、日韓関係は談話を超えて進んでいかなければならないとする主張を展開した。
東亜日報は社説で「安倍の恥知らずな歴史認識に失望と憤怒を感じる」と激しく批判しながらも、朴に注文をつけた。
「談話に失望した韓日関係をさらに悪化させることが国益になるのか朴政権は熟考する必要がある」
最低条件クリア
15日付の中国各紙も、談話について「直接的なおわびを避けた」「誠意なき曖昧表現に終始」と批判した。
各紙とも日本専門家のコメントを引用して分析したが、14日夜に配信された国営新華社通信の記事と変わりなく、独自の視点は皆無だった。共産党宣伝部による指導が事前にあったことは明らかだ。中国政府の公式反応は控えめだった。
談話発表直後、筆頭外務次官、張業遂は駐中国大使、木寺昌人を同省に呼んだ。張は「被害国の人民に誠実におわびすべきだ」との中国の「厳正な立場」を表明したものの、談話の評価には踏み込まなかった。
中国の外交事情に詳しい学者は「中国政府にとつて談話の内容には不満はあるが、『お詫び』などの文言が入ったことで最低限の条件をクリアした。談話は、今後の日中関係にプラスにもマイナスにもならない」との見方を示した。今後の日中関係について、共産党関係者は「党内では、日本との関係修復について、指導者によって大きな温度差がある。これからの中国の経済、社会安定、外交がうまくいくかどかによって変化するだろう」との見通しを示した。
談話発表が14日早朝だった米ワシントンの日本大使館では大使,佐々江賢一郎らが手分けして国務省やホワイトハウスの高官に談話の中身を説明した。米側は極めて高く評価した。
米戦略国際問題研究所(CSIS)の日本部長、マイケル・グリーンも「侵略や植民地化への言及や反省に関する表現は多くの人が予想した以上に力強かった」と語った。米国内には安倍について「国家主義者」か「現実的な戦略家」かの論争があったが、グリーンは今回の談話は安倍が後者であることを示すものだと強調した。(敬称略) 015年8月16日 産経新聞朝刊
70年談話21世紀懇報告書
客観事実 踏み込む。植民地支配や中国の反日教育
「21世紀構想懇談会」のメンバー
西室 泰三 日本郵政社長 「座長」
北岡 伸一 国際大学 「座長代理」
飯塚 恵子 読売新聞編集局国際部長
岡本 行雄 外交評論家
小島 順彦 三菱商事会長
古城 佳子 東大大学院教授
白石 隆 政策研究大学院大学長
瀬谷ルミ子 日本紛争予防センター理事長
中西 輝政 京大名誉教授
西原 正 平和・安全保障研究所理事長
羽田 正 東大教授
堀 義人 グロービス経済大学院学長
宮家 邦彦 立命館大客員教授
山内 昌之 明治大特任教授
山田 孝男 毎日新聞政治部特別編集委員
21世紀懇全7回の主な議論テーマ
2月25日①首相から5つの論点の検討要請
3月13日②20世紀の日本の歩みと教訓
4月 2日③戦後70年の評価
22日④日本と欧米・豪州との和解
5月22日⑤日本と中国・韓国との和解
6月25日⑥21世紀のアジア・世界のビジョンと日本の具体的貢献策
7月21日⑦報告書とりまとめ
■「新記述」随所に
「戦後70年たって、(政府関係文書)やっとここまで書けるようになった。欧米がこういう(戦前の)世界を作ったのだと、戦後は言えないできた」
安倍晋三首相は、戦後70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」が6日提出した報告書について周囲にこう語った。
その指摘通り、報告書にはこれまでの政府関係文書にない踏み込こんだ記述が随所にちりばめられている。
冒頭、欧米諸国によるアジアの植民地化の過程を描いた上で、明治38(1905)年の日露戦争に関してこう評価した。「日本が勝利したことは、ロシアの膨張を阻止したのみならず、多くの非西洋の植民地の人々を勇気づけた」
客観的事実を指摘したものだが、政府高官は「今まで政府関係文書に書けなかったことだ」と意義を語る。また、欧米による植民地支配に関連してこんな記述も盛り込まれている。
「20世紀初頭、世界は独立国家と植民地に大きく二分されていた。(中略)日本はアジアの解放を意図としたか否かにかかわらず、結果的に、アジアの植民地の独立を推進した」報告書には、先の大戦を肯定しているわけではなく。
「国策として日本がアジア解放ために戦ったと主張することは正確ではない」と戒めるが、一方で日本が果たした客観的な役割についても卑下することなく記しているのが特徴だ。
焦点とされた「侵略」表現に関しては「大陸への侵略」と地域
を限定する形で書き込まれた。侵略と植民地支配を謝罪し平成7年の村山談話は「あの戦争」との記述がどの戦争を指すのか明確でなく、「国策を誤り」との表現も「いつ何をどう誤ったのか分からない問題があった」(政府高官)からだ。
また、「侵略」に関しては複数の委員から、国際法上「侵略」の定義が定まっていないことや、他国が同様の行為をしていた中で日本の行為だけを「侵略」と断定するのには抵抗があることなどを理由として異議が出たことも明記した。
米国との和解に関する記述では、対日占領の在り方について「勝者による懲罰的な要素が存在する」と踏み込んだ。特に占領前期に関しては「米国が日本に対して徹底的な民主化と非軍事化を求めた時期であり、1946(昭和21)年に制定された日本国憲
法体制がその象徴である」と位置づけた。憲法が、米国による日本非軍事化政策の一環として作られたことが読み取られる記述になっている。
中国との和解では、日本と経済関係を強化した鄧小平副首相(当時)がまず国内で歴史を強調し、今日に至る反日的な歴史教育を進めたことに政府文書では初めて言及、村山談話についても次のように記し、大きな効果はなかったとした。
「日本は歴史に対する謙虚な姿勢を示したが、愛国主義を強化し
ていった中国がこのような日本の姿勢に好意的に反応することはなかった」
韓国の朴クネ大統領に対しては「就任当初から心情を前面に出し」などと厳しく評価。また歴史認識をめぐって「韓国政府が『ゴールポスト』を動かしてきた」と指摘した。
戦後70年周年に当たってわが国がとるべき具体的施策については、安全保障関連法案を意識してか「日本は自らの防衛体制を再検討するとともに、日米同盟をさらに充実すね必要がある」と促している。
21世紀懇には、必ずしも安倍首相と考えの近くないメンバー
も少なかった。その中でこれまでのような自虐的でない報告書がまとめられたことには一定の意義がある。
015年8月7日産経朝刊 阿比留瑠比
慰安婦の証言や資料をまとめた「慰安婦白書」を予定通りに発刊するという。
歴史をゆがめる反日宣伝をまだ続けるのか。日韓合意を真摯(しんし)に守るべき韓国政府の姿勢を疑わせるものでしかない。
「白書」と、韓国の女性家族省が一昨年夏に発刊計画を発表していた。慰安婦関連の資料などを基に「慰安婦被害の実態」を整理、分析するといい、韓国側の主張を内外に広める意図で準備されてきた。韓国の外務省報道官は今月5日の記者会見で、白書の発刊は日韓合意とは「無関係」と述べた。だが、発刊されれば慰安婦問題について国際社会で互いに非難、批判を控えるとした合意に反する。
菅義偉官房長官は「韓国が適切に対応されると考えている」と述べるにとどめているが、事実を歪(ゆが)める行為を制止し、日本の名誉を守る発信を続けることを躊躇(ちゅうちょ)すべきではない。 そもそも慰安婦を「日本軍が強制連行した」などとする韓国側の主張に根拠がない。これまで「強制連行」の論拠に挙げられてきた河野洋平官房副長官談話や国連人権委員会のクマラスワミ報告書は、実証されたものでなく、慰安婦の実態と異なる。
河野談話の作成経緯では、日本政府が内外で集めた慰安婦に関する公式文書に強制連行を示す証拠はないことが分かっている。
クマラスワミ報告書で取り上げられた元慰安婦らの証言も、事実確認されていない。引用された「慰安婦狩り」に関わったとする吉田清治証言は、嘘であることが判明している。
慰安婦問題は、こうした事実のねじ曲げによって、日本への不当な避難と要求を生んできた。
本来、昭和40年の日韓請求協定で慰安婦問題も含め戦後補償問題は解決済みである。韓国政府は国際法を順守せず、蒸し返し、反日を助長してきた責任こそ自覚すべきだ。
在韓日本大使館前の公道に設置された慰安婦像について、韓国政府が撤去を明言しないのか。「民間が設置したもので政府はあれこれ言えない」といった逃げ口上は受け入れられない。
昨年暮れ、両国外相が記者会見して最終解決を表明したのは、国際社会に向けた約束でもある。韓国が問題を蒸し返せば、その信頼を失墜し、自ら首を絞める。
2016/01/10日 産経新聞
元朝鮮総督府官史100歳証人ねじ曲げに憤り
韓国が慰安婦問題で攻勢を強める中、元朝鮮総督府官史の西川清さん(100)=和歌山市田辺氏=が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかった」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。昨年、朝日新聞が慰安婦記事の一部誤報を認めたものの、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安婦の少女像が設置され、誤った史実として広がっている。“生き証人”の証言は、「慰安婦狩り」が創作だったことを改めて示す突破口になるか。
差別感情存在せず
「80年もたってまさかこんな状況になるとは…」満開の桜の下で肩を組む男性4人の写真。昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道の春川で撮影された。当時、朝鮮総督府の見習い官史だった西川さんはセピア色の写真を手に、ため息をついた。
同僚と行った花見で日本人と朝鮮人が2人ずつ記念写真に納まった。うち一人が西川さん、8~20年に総督府に勤めていた。
「朝鮮人への差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」
正式に総督府江原道の官史になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる郡と府、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面があった。職員の多くは朝鮮人、同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。
「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはない。ましてや、女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません。
韓国は慰安婦問題をめぐり、「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」と主張している。この誤った強制連行説は平成5年の「河野談話」を根拠に世界に流布され、朝日新聞などメディアの報道も後押しした側面がある。
河野談話は、慰安婦問題で「軍の関与」を認め、募集について「官憲等が直接加担したこともあった」とした。しかし、政府が集めた公式資料に強制連行を裏付ける証拠はなく、信頼に足る証言もない。
西川さんは「併合時代の朝鮮はむしろ治安が良かった。何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定する。
昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。
西川さん
西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当てて、郡、邑(ゆう),面におりていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。
「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった」と振り返り、こう断じた。
11月上旬の日韓首脳会談では慰安婦問題の交渉加速化で一致したが。日韓の隔たりは大きい。事実がねじ曲げられた現状を正さない限り、真の理解と友好は得られない。西川さんはそう確信している。
2015/11/16日 産経新聞夕刊
「軍は総督府と指揮系統が別だったが、仮に軍が慰安婦を強制的に集めていたなら、われわれの耳にも入ってくるはず。でも、そんな話は全くなかった」
安倍首相に「直訴」
西川さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。
「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もし日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書が残っているはずだ」
国際的に誤った史実として広がっていることに憂慮を深め、2年余り前、日本軍や官史による強制連行を否定する手紙を安倍晋三首相に郵送したこともある。
「当時の朝鮮の仕組み知るものからすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論だ」
【一方その頃の日本の状況は、こんなことだった。
岡田啓介内閣の発足から約3か月後の昭和9年10月1日、昭和天皇は、皇居内につくられた水田で稲刈りをしていた。《まず農林1号、続いて信州早生の稲を刈り取られ、終わって愛国・撰一・小針儒等の成熟状況をご覧になる》
昭和天皇が自ら稲作をするようになったのは、天皇になって間もない昭和2年の春からだ。赤坂離宮に住んでいたころは2畝20歩(約265平方㍍)を耕し、皇居に移ると面積を2倍に広げ、全国から取り寄せたさまざまな品種を毎年育てた。
多忙な公務の合間を見て、春は水田に膝まで没して苗を一つ一つ植え、秋はたわわに実った稲穂を鎌で収穫する。そのあとも脱穀から精白まで、米作りの全作業を待従らとともに行った。昭和天皇は、農家の苦労を少しでも分かち合いたかったのだろう。
この年、昭和9年の東北地方は冷害で記録的な凶作に見舞われ、幾つかの小村が飢餓に直面するなど深刻な状況にあった。岩手県などの農村を視察した社会主義者の山川均が、こう書いている。
「子供は驚くほど生れて、驚くほど死んでゆく。(中略)岩手県の御堂村は、乳児死亡率90%だといふから驚くのほかない。奥中山でも、栄養不足のためだらう、目の見えなくなるのが、ことに年寄りに多かった。こうなると飢餓の問題でなくて、なし崩し的な餓死なのだ」
「蒲団(ふとん)のある家は、まづ一軒もないと云つていいだらう。(中略)ただ床張りの片隅に、長いままの藁(わら)が置いてある。でなければ鼠(ねずみ)の巣のようにボロ屑(くず)が積んである。その中へもぐって寝るのだ。(中略)新家新町付近の農家を訪づれたときのことだが、ふとその中のボロ屑が動いたので、私は猫かと思ったが、よく見ると赤ん坊だつた」*=山川均著「東北飢餓農村を見る」(雑誌『改造』昭和9年12月号収録)から引用
発足したばかりの岡田内閣も、農村救済に予算をつぎ込んだが、社会保障制度が十分でなかった当時、政府のできることには限界があった。
「今思い出しても涙を催すような哀話ばかりだった。東北地方から上野に着く汽車で、毎日のように身売りする娘が現れたのもそのころで、身売り防止運動が盛んに行われていた」と、のちに岡田自身が述懐している。
こうした中、常に国民と苦楽をともにしようとする昭和天皇の姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与えたに違いない。
昭和天皇は地方に行幸すると、分刻みのスケジュールで現地の小中学校や商工業施設を視察して回った。その姿を見て、国民がどれほど励まされたかが、各地の郷土資料などに残されている。
11月上旬の日韓首脳会談では慰安婦問題の交渉加速化で一致したが。日韓の隔たりは大きい。事実がねじ曲げられた現状を正さない限り、真の理解と友好は得られない。西川さんはそう確信している。
2015/11/16日 産経新聞夕刊
私は縁あって韓国の現大統領とその父親の朴大統領の二人と知己がある。歴代の大統領中では傑出していたと思われる朴正熙大統領とは、実にしげしげと面談し打ち解けた会話を持つことができたものだった。彼は特に当時結成していた青嵐会を高く評価してくれていて駐日大使をしていた李厚洛を通じてしばしば我々の仲間を招待してくれていた。
ある時は福田赳夫さんを交えて限られたメンバーで休日のゴルフ場を借り切りにしてプレーしたりしたものだった。彼の娘さんで現大統領との知己を得たのは、彼女父親が暗殺された時、福田さんと同行し朴さんの自宅に弔問に出かけた折のことだった。両親を暗殺で失い孤独に留守宅を守って私達を迎えてくれた彼女の印象は実につましく質素なもので強い印象を受けた。
その彼女が女ながら大統領になりおおせたのは、父親の後にろくな大統領続かず北に比べて押され気味の政情に飽き足らぬ国民が彼女の父親への畏敬の念を絶ちやらずの故とも思われるが、それにしても娘さん方はさしたる指導力も発想力も感じられず、政治は財閥関係の不祥事にも介入できずにお手上げで、特に日韓関係に関しては言う事やること父親とは大違いで昔思うと感無量なものがある。
私は最近列強の植民地支配について研究しているというイギリスの学者の『朝鮮が瞬間的に幸せになった時代』なる本を贈られてきて読んだが、それはまさに日本の朝鮮統合についての記述だった。断っておくが、日本の朝鮮統治は植民地支配でなしに、あくまで彼らの議会が採決し自ら望んで行われた合併であって、それによってこそ朝鮮の近代化は進みロシアの属国化は免れたのだ。
ある時酒の席で朴元大統領は思いがけぬ述懐をしてくれたものだった。
「自分は貧農の息子で勉強をしたくてもできずにいたが、日本人がやってきて子供を学校に通わせぬ親は罰を食う、ということで親も嫌々許して小学校に通うことができた。
そこでの成績がよかったので日本人の校長に勧められ、ただで通える師範学校にいかされた。さらにそこの校長が私を見込んで、これからは軍人の時代だからと推薦されて満州の軍官学校に送られ首席となった。
そして、他にもいた日本人の子弟をさしおいて卒業の際の答辞を述べさせられたものだ。あれだけの事をさせる民族はあまりいないと思うな」と。そしてまた突然私に「あの竹島は厄介なことになるよ、あれは李承晩が国際法を無視してやった線引きで、その内必ず困る火種になると思うから、今のうちにお互いダイナマイトでも仕掛けて無くしてしまったらいい」と。
彼なら今問題の慰安婦について果たして何と言うだろうか。
当時人口2千万人しかいなかった朝鮮で20万人もの若い女性たちを官憲が本当に拉致していったとしたなら、当時の朝鮮の男たちは無為のままにそれを看過していたのだろうか。
敗戦後の日本の街で在日のいわゆる三国人たちが暴れ回っていた頃、戦争帰りの若者たちは絶対の支配力を奮っていたアメリカ軍のMPにも逆らって自警の組織を作り彼らに対抗して戦ったものだ。それが後に暴力団化して『安藤組』や『銀座警察』ともなったものだが、当時の朝鮮にはこうした気骨のある男たちは果たしていなかったのだろうか。
従軍慰安婦の問題は歴史の名を借りた意趣晴しの作り事でしかありはしない。それは歴史という冷厳な現実への政治的歪曲であって真実への冒瀆(ぼうとく)に他ならない。あの朴元大統領がもし存命ならお互いの将来のために少し頭を冷やせと言ってくれるにちがいないが。
2015/11/16日 産経新聞 石原慎太郎 寄稿
ドイツの社会学者、ウェーバーは、解決不可能で不毛な過去の責任問題追及に明け暮れる態度を「政治的な罪」と呼んだ。
そしてこう訴えた。「政治家にとって大切なのは将来と将来に対する責任である」(『職業としての政治』)
▼韓国の朴槿恵大統領は13日までに共同通信などの書面インタビューで慰安婦問題について、被害者が受け入れ、韓国民が納得できる解決策の提示を日本政府に要求した。相変わらず視線は過去に固定されている▼日本側にも言いたいことは山ほどある。
11日の日韓外務省局長級会議では、日本側がソウルの在韓日本大使館前の少女の慰安婦像の撤去を求めた。像は外国公館の威厳の侵害防止を定めたウィーン条約に抵触するが、韓国側は「民間団体が設置したもので関与できない」と拒んだ。韓国外務省報道官も「解決策を日本が先に提示すべきで、順序が違う」とにべもない
▼像を建てた反日団体、韓国“挺対協”は「政府の政策について最終的な拒否権を持つ」(元韓国外務省幹部)という有力圧力団体だ。日本政府に対して、責任者の処罰や国家賠償などを「法令上できない要求をしており、事実上、妥協する気がない」(東京基督教大の西岡力教授)とみられる
▼結局、朴氏が言う「納得できる解決策」はどこにもないのではないか。たとえ日韓政府が歩み寄ろうと、挺対協が否を言えば振り出しに戻る。挺対協は、慰安婦像の撤去にも応じないだろう
▼朴氏はこれまで日本に繰り返し「誠意ある行動」を要求してきたが、その具体的中身には言及しない。実現可能なことを口にすると挺対協の反発を買うかもしれないが、げたを預けられた日本にとっては難儀な話である。
「独立検証委が報告書」朝日新聞・慰安婦報道の主なポイント
・1992(平成4)年1月12日前後に「92年1月強制連行プロパガンダ」が完成
・プロパガンダが事実でないことが証明された後も、「広義の強制性」論を展開し、責任を回避
・プロパガンダが日本の名誉を傷つけているのに、第三者委員会も朝日の責任を回避する議論に終始
・第三者委員会が広義の強制正論議を批判したのに、朝日は受け入れていない
朝日新聞の平成3年から4年1月にかけての一連の報道について「強制プロパガンダ」と断じ、数々の虚偽報道によって事実無根の「日本軍による朝鮮人女性の強制連行」を内外に拡散させたと主張している。
検証委員が重視したのは、4年1月11付朝刊トップの「慰安所 軍関与示す資料」という記事だ。これは、国内で誘拐まがいの悪質な慰安婦募集を行う業者を取り締まるように求めた軍の通達に関し、「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行」「人数は8万とも20万ともいわれる」などと事実と異なる説明文を付けた内容だった。
また、朝日が翌12日付社説で「挺身隊の名で勧誘または強制連行され」とも重ねて記した点にも着目し、「全国紙の中で、社説でこのような虚偽をかいたのは朝日だけ」と指摘した。
昨年12月に報告書を出した朝日の第三者委員会は、前者の記事について「宮沢喜一首相訪問の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題になるように企図して記事にしたことは明らかである」と認めた。ただ、後者の社説に関しては特に問題視していない。
さらに、朝日の第三者委は、同誌報道の海外の影響は「限定的」などと低く見積もったが、独立検証委の見解は大きく異なる。
例えば、米紙への影響を調べ島田洋一福井県立大教授は19日の会見で、米3大紙の報道を検証した結果を明らかにした。
それによると、慰安婦の訳語としての「comfort woman」と「性奴隷」、朝日が虚偽と判断して関連18本の記事を取り消した朝鮮半島での強制連行の証言者である「吉田清治」の3つのキーワードは、「4年1月以前は全く出てこない」という。
同様に、独立検証委は朝日報道が韓国や国連に与えた影響の大きさも実例を挙げて指摘している。
今月18日には、朝日報道によって「精神的苦痛を負った」などとして、在米邦人らが朝日に慰謝料などを求める訴訟を東京地裁に起こしている。これに関連して、米国で調査した高橋史郎明星大教授は会見で「いじめの具体例は私が聞いただけでも10件以上ある」と説明した。日本人子弟が中国系の生徒から日本人であることを責められたり、韓国人の男子からつばを吐きかけたりしているという。
独立検証委は結論の中で「国際社会に蔓延しているプロパガンダを消し去るため、朝日が応分の負担することを求める」と訴える。
朝日には、一連の誤報が引き起こした事態から逃げない真摯な対応を願いたい。阿比留瑠比。
米「慰安婦」教科書で日本総領事館「間違い」共著者に削除を求める。
米国の公立高校で使用されている世界史の教科書に「旧日本軍による慰安婦強制連行」など事実に異なる記述がある問題で、ハワイ州ホノルルの日本領事館は9日、教科書の共著者のハーバート・ジーグラー・ハワイ大学准教授に事実誤認を指摘するなどの申し入れを昨年12月に行ったことを明かした。
10日の米紙ワシントン・ポストは申し入れについて報じた。
それによると、ジーグラー氏は昨年暮れ、日本総領事館職員から「教科書について協議したい」との申し入れを受け、これを断ったが、職員2人が大学を訪れ、「間違い」を指摘されたという。
日本政府が教科書の文章の削除を求めることは「私の言論と学問の自由に対する侵害」だと批判している。
一方、日本総領事館は9日、産経新聞の取材に対して、ジーグラー氏とのやり取りの詳細は明かせないとしながらも「昨年12月に慰安婦問題に関して執筆者に申し入れを行い、事実誤認や、我が国の立場と相いれない部分が存在することを指摘した」と述べた。
米歴史学者19人が発表した、教科書にかんする「いかなる修正にも応じない」との声明をまとめたコネティカット大のアケクシス・ダデン教授もポスト紙に「声明は日本たたきでなく、日本の仲間を支援するためのものだ」と述べた。
記事は、慰安婦問題で日本政府の責任を追及する吉見義明・中央大教授の研究が声明の根拠になっていると紹介。教科書を出版した米大手教育出版社マグロウヒルが「記述は史的事実に基づく」として修正を拒否したことも伝えている。
「慰安婦問題 米から支援の声」ワシントン駐在客員特派員マイケル・ヨン氏といえば、全米で知られたフリーのジャーナリストである。
2003年から米軍のイラク介入で前線に長期滞在し、迫真の報道と論評で声価をあげた。09年ごろからはアフガニスタンでも同様に活動し、米国内での知名度をさらに高めた、名前からアジア系を連想させるが、先祖は欧州系、数世代が米国市民だという。
ヨン氏のリポートは米紙ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズや雑誌多数に掲載され、大手テレビ各局でも放映された。
「イラクの真実の時」といった著書なども集めてきた。
そんな著名な米国のジャーナリストが日本の慰安婦問題の調査に本格的に取り組み始めた。 米国、日本、韓国、タイ、シンガポールなどでの取材をすでに済ませた段階で、ヨン氏は「米欧大手メディアの(日本軍が組織的に女性を強制連行して性奴隷にした)という主張は作り話としか思えない」と明言する。
ヨン氏はこの趣旨の調査報告を間もなく米国系のメディアで公表するというが、自分自身のホームページでは「慰安婦問題での日本糾弾は特定の政治勢力の日本叩きだ」とまで断言する。
慰安婦問題での世紀の冤罪を晴らそうとする日本の対外発信の試みにとっても、やっと一条の光が米国側から差してきたようだ。
そのヨン氏と10月前半、2回にわたって東京で会った。慰安婦問題などの情報や意見の交換ということで、かなりの時間をかけて話し合った。
日本では慰安婦問題の研究や調査の関係者に多数合い、日本側の資料にあたったという。 米国でも、国立公文書館での資料調査や、グレンデール市の慰安婦像設置の経過取材などを済ませたとのことだった。
「日本軍が組織的に20万の女性を強制連行して性的奴隷にしたというのならば国家犯罪となるが、そんな事実は出ていない」
「どの時代でも軍隊に売春はつきものであり、日本の慰安婦も大多数は普通の意味の売春婦だったのだろう」
「それでもなお(日本軍の強制連行による性的奴隷)と断じる主張は政治的意図のにじむ捏造であり、日本を同盟国の米国や韓国と離反させるための日本叩きだろう」
ヨン氏のこういう主張は、米陸軍の1944年のビルマ(現ミャンマー)での慰安婦尋問書や日本の新聞の慰安婦募集広告の検証の結果だともいう。
そのうえで同氏は現代の日本について以下のようにも述べるのだった。
「現在の日本ほど人道主義、民主主義、平和主義に徹した国は全世界でも珍しい。
米国にとっても貴重な同盟国だ。であるのに米側が慰安婦問題で日本を叩くのは敵対勢力を強め、友邦を弱めるに等しい」
ヨン氏は、オバマ政権が安倍普三首相の靖国神社参拝を非難したことも日本側の慣行への干渉だからおかしいとして、「自国の戦死者の霊に弔意を捧げることは万国共通であり、戦犯という概念もその当事者が死ねばなくなるはずだ」とかたる。
ヨン氏も10月中旬、靖国神社を参拝した。 今度は各国の元軍人たちに呼びかけて、集団で靖国参拝をしたいともいう。
米国側にこうした意見が存在することは日本側の官民も改めて認識するべきだろう。「朝日新聞の2度目の転機なるか!!!?」
韓国が以前、今の朴クネ大統領の父の朴チョンヒ政権のころ、日本のマスコミは韓国から「韓国を独裁政権と批判しながらなぜ北朝鮮の独裁は批判しないのか」とよく非難された。
当時、日本では北朝鮮支持の朝鮮総連や韓国の反政府・野党勢力の主張が幅を利かし、その影響を強く受けていたからだ。
背景には、過去の軍国主義日本を否定し、ソ連や中国などの社会主義や共産主義を新しい時代の理想とする戦後的な雰囲気があった。
韓国・朝鮮に対しては昔、日本が支配したことを「申し訳なかった」とする”贖罪意識”が強かった。
とくに北朝鮮にたいしては「社会主義幻想と対外的贖罪意識」が重なり、腫物に触るような尊敬と同情みたいな不思議な感じがあった。
筆者も歴史的贖罪感から韓国・朝鮮に関心を持ち始めた一人だから、これは実感でもある。
そんな中で、”反共産主義”の論調で知られた産経新聞はほぼ唯一、反共と経済発展で頑張る韓国を支持し北朝鮮には厳しかった。
これに対し過去の日本に対する否定や「社会主義幻想と贖罪意識」が強かった朝日新聞は北朝鮮への同情と支持を惜しまなかった。
朝日は長い間、親・北朝鮮的とみられてきたが、それが日本人拉致問題の表面化で大きく変化する。
「北朝鮮がそんなことをするはずがない」という姿勢だった朝日も、拉致事件が事実として確認されることで北朝鮮報道を軌道修正せざるをえなかった。
それまでの朝日は、北朝鮮からの亡命者証言や脱北者が伝える北朝鮮の実態、さらには韓国の情報機関の北朝鮮情報などにはきわめて冷淡で、大きく報道することは無かったように思う。
大韓航空機爆破など北朝鮮のテロに対しても「北の犯行される」などと、微妙に断定を避けた曖昧な書き方が多かった。
北朝鮮への遠慮、配慮からである。
しかし拉致事件をきっかけに朝日は”北朝鮮幻想”から目覚めた。
慰安婦問題での検証、訂正、おわびのような明確な態度変化の表明は無かったが、 その後の北朝鮮報道はより客観的で厳しいものになった。脱北者の証言などもよく紹介されるようになった。
今回の慰安婦誤報問題は朝日にとってそれに次ぐ第2の転換点だと思う。
誤報の最大の原因は韓国・朝鮮に対する過剰な贖罪意識にある。
被害者の主張はすべて正しく正義であり、加害者の日本の主張は虚偽で悪であるという観点から、被害証言に過剰に肩入れした結果である。
被害者に対する同情や「申し訳ないことをした」という贖罪感そのものが悪いわけではないが、それが過剰になって目が曇り、本当のところが見えなくなったのだ。
従って第2の転換には「過剰な贖罪意識からの脱皮」が不可欠になる。
ただこの過剰な贖罪意識は歴史における日本悪者論というか過剰な日本否定論につながっている。
したがって問題は韓国・朝鮮との関係を超えて日本の歴史をどう評価するかという話になってくる。
いわゆる”反日的”といわれる歴史認識だが、朝日新聞がその転換にまで踏み出せるかどうか。(ソウル駐在客員論説委員)黒田勝弘
つづく