北方四島は「日本の固有の領土」との日本側の主張は強化され、大統領が二重基準をとることを許さなくする。首相は歴史問題談話でのことに触れ、70周年記念を機に連携行為に出ようとする中露両国に対し前もって理論的攻撃を行うべきだろう

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あえぐロシアを攻める「好機」だ

昨年末、モスクワでひとつの小話がささやかれた。
2015年に、もし3つの63が揃ったら大変なことになる、と。プーチン大統領が63歳。原油価格が1バレルあたり63ドル。1つ目は確実だが、後の2つがそうなると予想したものはいなかった。このジョーク(?)が、すでに14年12月にいとも簡単に現実のものになった。

継続する米欧のとの「ミニ戦争」

このような原油安、ルーブル安がもし今年中続くならば、それはロシア内外政に一体どのような影響を及ぼすのだろうか?
ロシア経済は今日、国内総生産(GDP)で世界第8位、国民一人当たりGDPで52位。だが、ヒト、モノ、カネ、イノベーション(技術革新)、いずれの点でも急速かつ大幅な改善は期待できず、今後は衰退の道をたどる。この一般的な予測に加えて、14年から3重苦が加わった。すなわち、ウクライナ介入に対して先進7か国(G7)が科している経済制裁、原油価格の暴落、ルーブル安である。

これらの事態は、主として「外的要因」、よりちょくせつに言うならば米欧諸国による「陰謀」によって引き起こされた結果。プーチン大統領はこう主張して、「最悪の場合でも2年」でこの危機から脱出すると国民向けに説明している。

だが、2年後に果たしてロシア経済が上昇基調に転じるのか、楽観する者は少ない。とはいいながら、ロシア人の忍耐は強く、プーチン氏の支持率も未だ高い。たとえインフレが高じても、ロシアの被冶者が「レジーム・チェンジ(政体変更)」を要求して立ち上がることは、少なくても当分は考えられない。
ただし外交分野では、変化が生まれるに違いない。「ウクライナ危機」は泥沼状態から脱出しえず、ロシアと米欧間の「ミニ冷戦」は続くだろう。ロシアは米欧諸国以外の諸地域、とりわけアジア方面での動きをますます活発化せざるをえなくなるに違いない。

外交の主要ターゲットは日本。

プーチン氏がロシア外交の軸足を西から東へ移す場合、その主たる標的は中国になる。今年は、第2次世界大戦終結70周年の節目にあたる。ロシアは中国と協力して同祝典を盛大に祝い、露中連携をとりわけ誇示しようと試みるに違いない。他方、中国との関係を現在以上に緊密化することは、ロシアに数々のマイナスをもたらす危険が否めない。

例えば、モスクワは今や北京のジュニア・パートナーに堕したとのイメージを世界に広げるだろう。また、実にタフな交渉者の北京は、当然ロシア産資源の購入に際して国際水準を下回るバーゲン価格を要求するだろう。単純な引き算の結果、15年のロシア外交の主要ターゲットは日本になると見て、間違っていない。

とりわけプーチン大統領の訪日を実現できれば、ロシアは一石三鳥の利益を入手可能。第一は、G7の分断、第二は、アジア地域で中国と日本を競わせる利益。第三は、日本に恩を売ること。あわよくば日本に領土を返還することなく、ロシア極東開発に関する何がしかの協力の言質を取り付ける。

ところが冷静に考えてみると、安部晋三首相のほうが、プーチン大統領に比べ強い立場に身を置いている。歴史上稀な位に有利だと言ってよい。同首相は、まず有権者から政権継続のお墨付きを新たにしたばかりの強力・安定政権である。また、現ロシアは経済低迷一般にプラスして、冒頭にのべたような「三重苦」にあえいでいる。

「訪れた3度目のチャンス」

さらに、プーチン大統領は3月18日クリミア半島をロシアへ併合するに当たり、同半島が歴史的に「ロシアの固有領土」であるとの正当化理由を用いた。この言葉の逆手にとれば、北方四島は「日本の固有の領土」との日本側の主張は強化され、大統領が二重基準をとることを許さなくする。首相は歴史問題談話でのことに触れ、70周年記念を機に連携行為に出ようとする中露両国に対し前もって理論的攻撃を行うべきだろう。

日本側は、振り返るとこれまで2度ばかりチャンスに恵まれたことがあった。1つは1970年代初めに米中接近という国際政治の地殻変動が発生したとき、2つ目は、ソ連崩壊によってロシアが弱体化し、日本の経済支援その他を必要としたときだ。だがいずれの場合にも、せっかちな、もしくは弱体な指導者(田中角栄氏、細川護熙氏)が、その好機を十分生かそうとしなかった。

安部首相は、日本側により3番目のチャンスを迎えようとしている。もとより、今年中に4島返還が実現できるというのではない。
だが、滅多に訪れない好機に恵まれていることは間違いない。
このことを十分自覚し、ゆめゆめ日本側がもつ有利なカードを安売りして、安易な妥協で満足する誘惑に駆られないように心すべきである。北海道大学名誉教授 木村 汎(ひろし)

「ロシアが相変わらず不誠実であることを端的に示す」
十数年前、知床半島から東を望んだことがある。晴朗な空と濃紺の海とが接する境に、長い島影が横たわっていた。国後島はアイヌ語で「草の島」の意味という。わずか十数キロ先で、波穏やかな海と品よく合う姿に「和」の風情を感じたものだ。
かつてロシアが北方四島に抱いたのも、異国情緒であろう。

日本と帝政時代のロシアの間に択捉島とウルップ島の間を国境とすることが確認され、1855年2月7日に結んだ日魯通商条約では、択捉を加え、国後、歯舞、色丹の四島は日本領と認めて握手している。「ひとり返還運動」に奔走した作家の上坂冬子さんも産経抄に書いていた。

「この国境を変えねばならぬ状況は何も起きていない」戦後70年の今年は、ソ連・ロシアが北方四島を不法占拠して70年の節目でもある。歴史の歯車を回すどころか、「横車」を十八番とするかの国は、西でクリミア半島をウクライナから奪い、東では尖閣諸島を狙う中国と手を結ぶ。「同悪相助」の醜い握手である。

『北方領土権利書抱いて古老逝く』上坂さんは平成16年2月の小紙「正論」で、元島民が詠んだと思われる痛切な一句を紹介している。それから11年、4島に先祖伝来の土地を持ち、島々の花鳥風月に親しんだ人たちが、帰郷もかなわぬまま春秋を過している。元島民のうち約1万人がすでに墓籍に入った。望郷の念を抱いた約7千人の平均年齢も80歳に近く、10年後の節目まで不法占拠を甘受する猶予はない。
得手勝手に歴史の歪曲をくり返す国が、許されて良い理由もない。
「ひとり返還運動」家の上坂さんの心意気をかみしめる。

長期の不誠実さに驚く

ソ連は、先の大戦終結直前の1945年、当時有効だった日ソ中立条約を破って対日参戦し、日本のポツダム宣言受諾後に武力により4島を占領した。それ以来、不法占拠を続けている。
56年の「日ソ共同宣言」では、ソ連は平和条約締結後の歯舞、色丹両島の返還に合意したが、ソ連、その後継国ロシアとも、この約束を履行しなかったのはもちろんこと、択捉、国後両島の返還にも応じなかった。ソ連は、「領土問題は解決済み」とするなどかたくなな姿勢を崩さず、今もって平和条約も結ばれてない。

冷戦時代があったといえ、そうした態度をこれほど長期間続けてきたソ連、ロシアの不誠実さには、只々驚くほかはない。
ソ連末期の91年、ゴルバチョフ大統領は4島が平和条約締結に向け解決されるべき領土問題の対象であると文書で初めて認めた。
ロシアのエリツィン大統領も93年、細川首相との間で交わした「東京宣言」で、両者合意のうえ作成した諸文書と、「法と正義の原則」を基礎に解決を目指すことに同意した。

返還交渉が進展するのではないかという期待は高まったが、プーチン大統領が2000年に登場した後、交渉は停滞し、過去約15年間進展をみていない。プーチン氏は01年に、「東京宣言」などに基づく交渉をうたつた「イルクーツク声明」を森喜郎首相との間に発している。だが、ロシアが相変わらず不誠実であることを端的に示すできごとが最近みられた。ロシアが一方的にクリミア半島を併合し、軍事介入を続けるウクライナについて、岸田文雄外相は訪問先のベルギーで、北方領土問題と同様に「力による現状変更だ」と非難した。

ロシアはそれに対し、北方領土は先の大戦の結果、ロシアに政党に帰属したとし、「日本は歴史の教訓を学ぶことを望んでしない」と根拠のない反論を展開した。本音が表れたと見るべきだろうが、許し難い態度だ。菅官房長官が「歴史を歪曲したとの批判は全く当たらない」と述べたのも当然で、歴史を歪曲しているのはロシア側であることを忘れてはならない。
安部首相は、プーチン氏とウマがあうといわれ、領土交渉の進展を念頭に、個人的な関係の強化に積極的に取り組んできた。

第2次安部政権発足後の約2年間で7回会談した。トップ同士の意思疎通が重要なのは理解できる。しかし、その強固な個人関係が領土返還交渉に生かされなければ、ただの「友人」にすぎず、何の国益ももたらさない。
クリミア併合などを受け、日本政府は計5回にわたってロシアへの制裁を科してきた。先進7カ国(G7)の一員として当然の判断だろう。その一方で、日露両首脳は昨年11月、北京での会談で、今年の「適切な時期」に大統領訪日を実現させるよう準備を始めることで合意した。

ロシアに対し欧米各国が強い態度を貫いているなか、それらの懸念を押し切ってまでプーチン氏を迎えるのであれば、首相はウクライナへの介入をやめるよう厳しく伝え、何より領土問題での進展を実現させなければなるまい。一方、日本政府のなかに、歯舞、色丹の「2島返還論」や「面積折半論」など、4島返還を断念するかのような発言があるのは残念なことだ。領土交渉は数合わせでない。4島返還の主張に日本側から水を差す愚を繰り返してならない。
 産経新聞から引用
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露の身勝手な歴史観

「暴論報道」に厳重抗議を

 多くの日本人が真摯(しんし)に歴史を振り返り、祖国の来し方、行く末に思いを致す2015年夏。ロシアは、日本が8月15日に終戦を迎えた事実にすら目を閉ざし、「勝てば官軍」とばかりに身勝手な歴史観を振りまいている。 メドベージェフ露首相が北方領土・択捉島に乗り込んで日本側の反発を招いたが、こうした暴挙の根底にも歴史認識の問題がある。

 ロシアでは今夏、米国による広島、長崎への原子爆弾投下を、「犯罪」と糾弾する高官の発言や報道があふれた。米国が唯一の「非人道的な核使用国」であるとして自国の核保有を正当化し、さらに日米分断を図る意図がある。半面、旧ソ連による国際法違反である日本人の強制抑留に触れたメディアは皆無に近かった。

「米国の原爆投下ではなく、ソ連の対日参戦こそが第2次大戦を終結させた」との論調も目立つ、1945年8月9日、当時有効だった日ソ中立条約(41年締結)を破って開戦した事実をかき消す意図からだ。日ソ中立条約は開戦時すでに無効だった―と嘘をつくメディアもあった。

 原爆に比べてはるかに存在感が低かったのが、安倍晋三首相の「戦後70年談話」や終戦の日に関する報道だ。主要通信社は談話について、「日本の首相、大戦中の自国の行為を謝罪」と簡潔に報じ、中国と韓国から内容に不満が出ていると伝えたのみだった。

 しかし、これには「ただし書き」が付く。「日本の裕仁天皇は8月15日、ラジオで国民向けに降伏を宣言した。しかし、公式の降伏(文書)は9月2日、東京湾の米戦艦ミズーリ号上で調印された」といつた具合だ。ロシアにとって、「終戦」が8月15日では不都合だからにほかならない。

「わが国は同盟国の責務として極東での戦争に入った。ソ連軍は短期間で日本の強力な部隊を粉砕し、中国東北部と朝鮮は占領から解放された」。ラブロフ露外相は国営ロシア新聞への寄稿でこう述べた。「同盟国の責務」とは米英ソがソ連の参戦を密約したヤルタ協定(45年2月)を指す。

 現実にはしかし、日本がポツダム宣言受諾を通告した8月14日の時点で、満州(中国東北部)の重要都市は全く陥落していなかった。ソ連は日本降伏後に満州や朝鮮半島、樺太での一方的侵略を続けたのだ。北方4島の占領を完了したのは、実に降伏文書の署名よりも遅い9月5日だった。

 ロシアは、ヤルタ協定を根拠に北方領土占拠の正当性を図り、異議には「日本は第2次世界大戦の結果を見直そうとしている」とか「歴史を歪曲(わいきょく)していると」と主張する。「歴史の歪曲」をしているのはどちらなのか。次のような奇想天外な論説が、定評あるリベラル紙ノーバヤ・ガゼータにでたのにも驚かされる。

<日本は「無条件降伏」した。つまり、現在の日本はかつての日本の継続ではなく、領土「返還」を要求する権利もない。国際法では、戦争状態によってあらゆる国家間の条約が効力を停止する。日露の国境定めていた19世紀の条約も日露戦争で抹消された>

 こうした暴論を流布している限り、ロシアが北方領土交渉への理解が広がることはない。事実誤認の報道、論説には厳重に抗議し、「歴史の歪曲」を許さない地道な取り組みが日本外交には求められる。(モスクワ)遠藤良介015年8月27日 

産経抄 国民的歌手“三波春夫さん”抑留者の一人

 かつて満鉄調査部で活躍し、ロシア語も堪能だった山本幡男(はたお)さんが、旧ソ連の強制収容所で亡くなったのは、昭和29年8月だった。9年間にわたるシベリア抑留の果てだった。それから2年4か月後、遺族のもとに一人の男が訪ねてきた。山本さんの遺書を持参したというのだ。
◆1通、また1通と、次々に別の遺書も届く。収容所では文字を書き残すことはスパイ行為とみなされ、紙切れ一枚まで没収された。遺族が受け取った遺書は、山本さんを慕う仲間たちが、分担して暗記し、帰国後に書き溜めたものだった《『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん著、文集文庫》 

◆それほど厳しいソ連当局の監視を潜り抜けてきた、まさに「収容所から来た歌謡曲」である。きのうの小紙は、昭和史の貴重な資料となり得る、日本語の「闘争歌謡曲」の発見を伝えていた 

◆抑留者に共産主義を植え付ける、思想教育に使われたらしい。持ち主は、収容所の楽団でアコーディオン奏者をしていた。24年11月に帰国した際、楽器の中に隠して持ちだし、66年間大切に保存して来た 

◆平成13年に世を去った三波春夫さんも約57万5千人と推計される抑留者の一人である。やはり楽団に所属し、各収容所を巡回して浪曲を語っていた。共産党への入党を促す宣伝歌を創作していたから、歌曲集を手にしたことがあるかも知れない

 ◆「眠れる農民よ、労働者よ、新しい時代めざめよ」。 帰国後もしばらく、三波さんの浪曲には、こんなスローガンがあふれていた。 「赤色化」の呪縛(じゅばく)から逃れてからは、政治や歴史の本を読みあさった。晩年になって増えた講演では、ソ連の非道と戦争中の偽政者の無能を激しく批判していた。
 2015/12/25日 産経新聞

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