なぜかつきあう男はダメな男を渡り歩いてしまう女性を『だめんず・うお~か~』に描いていますが、その発想のもとになったのは、私の体験からでした

本表紙斎藤孝、倉田真由美

第一章 ああハズレ!な男ばかり好きになってしまう

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齋藤孝 倉田真由美
斎藤孝、       倉田真由美

第一章 ああハズレ!な男ばかり好きになってしまう。

懲りずにだめんずに惹かれていくのはなぜなの?
私も「だめんず・お~か~」なんです

    倉田真由美
 なぜかつきあう男はダメな男を渡り歩いてしまう女性を『だめんず・うお~か~』に描いていますが、その発想のもとになったのは、私の体験からでした。
 それまで付き合った男といえば、噓ばっかりつくヤツだったり、別れ際にひどくイヤな思いをさせられたり・・・・。こと男のことでは、ほんとうにイヤな目に遭っていて、そのことがずっと自分の中に針が刺さったように何年間も残っていたんですね。思い出すたび、当時の自分を鼻血が出るまでぶん殴ってやりたいわ、みたいな感じで。
 それぐらいダメ男とつきあったことは、恥ずかしい過去だったのです。
 ちょうどそんなことを感じている時でした。週刊誌の『SPA!』から連載のお話があったわけです。そのときは、もう結婚もしていましたし、そろそろ封印を解いてもいいかなという気になって。それが私の”だめんず・うお~か~”ぶりを描こうと決めるきっかけとなりました。

 いざ描き始めたら、読者の方から次々とお便りをいただいたり、友人たちからも、じつはというので、出てくる、出てくる。毎回、題材にするには困らないほどたくさんの「だめんず」例が私の元に寄せられました。それと同時に、取材もしたのですが、いろいろお話を聞いてみると、女性の経験がかなり二極化していることに驚かされました。
 ダメ男にばっかりいってしまう人は、何度恋愛をしても、ダメ男を選んでしまう。ところがダメ男に思い当たらない人というのは、見事なくらい全然ない。

 どうしてそうなるかと考えた結果、気づいたことがあります。ダメ男ばかりという人は、その人もダメな子だからというと、そんなことはない。逆にダメ男にはまる女の子はいい子が多いということです。それは何を意味しているかというと、計算づくでは男を選んでいないことなんですよ。

 一方、ダメ男体験のない人は、ある程度の計算があってつきあう相手を選んでいる女の子たちなんです。彼女たちは自分が納得したイメージ以上に相手に期待をしないし、それだけ冷静に相手を観察しているから、思い違いや思い込みで失敗することは少ない。つまりそれだけダメ男を選ぶ確率も少なくなるわけです。

 計算づくでは男を選ばない女の子が、どうやって相手を選んでいるかというと、オスのフェロモンであるとか、嗅覚なようなもので選んでいるわけですよね。そうするとダメ男に引っかかりやすくなるわけです。

 たとえば、誰の目から見ても、その男にすごくわかりやすいキズがあるのに、「この人はいいところがある、欠点を凌駕するだけの魅力がある」って勘違いしちゃって、つかんだら大ハズレということになったりする。でも、そうなるのは、観察力や洞察力がないからというのではないらしい。そういう女の人の話を聞いてみると、むしろ目立ったキズがあるほうに惹かれていくクセがあるみたいなんですね。

 よくある例は、「私がついていないと、この人はダメになる」っていう心境になっていくこと。どんなに辛い状況に追い込まれていても、「あの人は嘘ばっかりつくけど、私には優しい」などと、本当の問題をすり替えてちゃって、逆にいいところを探そうとする。
 いいとこ探しているときっとダメ状態ですね。

 たしかに恋愛って走りはじめたら、今度はそれを終わらせないように努力するものじゃないですか。だから客観的にはかなり辛い状況でも、慣性の法則が働いてしまって、「私が何とかしてあげよう」と、相手が酷いことを言ったり、自分勝手をしたりしている現実から目をそらして、何とか関係を続けよう続けようとしてしまう訳です。

 その気持ちは、別れてしばらく経って、「なんであんな男とつきあったんだろう」と呪縛が解けるまで続きます。それまではその相手との関係を終わらせないぞと、じっと頑張ったり、耐えたりする。その気持ちはよくわかります。だってみんな列車に乗っているときは、なかなか途中で降りられないものですから。

 もうひとつ、ダメ男に惹かられてしまう理由として、いい男があまりにも少ないということもあります。いい男って数がものすごく少ない上に、女がみんな集中して好きになるということもあるし、そうなると、自分が一人のものにするのは非常に難しくなるんですよね。

 その上、いい男というのは恋愛にだけ関心があるわけでないので、恋愛にあまり固執しない傾向もありますよね。言ってみれば、恋愛の耐用年数がどんどん短くなっている。一人の人となかなかじっくりつきあえない、つきあわない。それでは本当につきあったことにはならないのになあと残念に感じることもよくあります。

 私の経験では、女の人は誰でも、この人だと思える男性一人と長くつきあいたいと願っていると思う。次から次へ相手を取替、数をこなしたいなんていう人はほとんどないのではないでしょうか。そこが男性と違うところかもしれませんね。

 でも、そのたった一人、ベストな男を、と思うから、男を見る目が厳しくなってしまって、状況を難しくするということもあります。でもいい恋愛がしたいですよね。一人の人と長く深くつきあって有意義で幸せな時間を過ごしたい。

 死ぬまでにどれだけいい恋愛をするか、人生の勝敗はそこにあると思うんですけど。そのための鍵が、じつは「喫茶店」にあるんだということを少しずつ説明しましょう。

1、 キズつくのが怖い!を乗り越えて、恋愛ゲームに参加しているという「ヤル気」を見せていますか?

「好きな人ができない」「出会いがない」は言い訳の一つ     倉田真由美
 恋愛相談でいちばん多いのが「好きな人ができない」「出会いがない」という悩み。「長続きしない」という悩みもありますが、たいていはつきり会ってどうこうではなく、付き合い始める以前の問題で、みんなつまづいているようです。

 この間もある共学の大学に講演に行ったのですが、女子学生500人の中で恋愛をしていない人が60%以上もいました。その理由を聞いたところ、第一位が、「出会いがない」でした。男子学生があんなにも沢山いるのに、おかしな話ですよね。だいたい、大学生で出会いがないとしたら、いったいいつ出会うんでしょうか。社会に出たら、それなりにいろいろ制約ができて、もっと出会いが少なくなってしまいますから。

 それで恋愛していないと言っている女の子たちに細かに聞いてみると、「あの人は彼女がいるし」「○○だし」「××だから」という答えが返って来ました。つまり、出会いはあるんですね。でも、出会ってちょっといいなと思う人がいたとしても、少しでも条件が合わないと、それ以上、相手を自分に近づけて考えてみようということをしないで、この人は違うと、簡単にはねつけてしまっているんですね。

 出会いがないのではなく、諦めが早いんですね。一つでも条件が合わないと、つきあい始めない。それはたぶん自分がキズつくのがイヤだから、最初から臆病になっているからではないでしょうか。誰かを好きになる前に、もう、自ら気持ちをセーフブしてしまっている。みんな自分を自分で守り過ぎていますよね。

 私は昔から自分を守るためのストッパーが弱くて、相手にガーンと向かっていっては、ガーンと跳ね返されて、振られるというパターンを繰り返してきました。もちろん振られるたびに大きくキズつきますよ。キズつくけれど、振られたことで学習できることがたくさんあるんですね。

 振られた経験は恋愛というものを考えるのに、とてもいいサンプルになると思います。
仕事上、失恋したことや痛い思いをしたことが漫画のネタにできるという別の意味での収穫がなくはないのですが、純粋に自分の気持ちということから言って、「あのときあれで失敗したんだな」とか「あんなことをしたら、そりゃ嫌われるよ」とか、時間が経てば経つほどよくわかるようになります。

 失敗していなければ、キズつくこともないけれど、そういう反省をすることもないわけで、恋愛のスキルは上達していかない。だから、振られることを恐れないほうがいい。むしろどんどんふられたほうがいいと思う。恐れないで、とにかく自分のアンテナに引っかかった人を大事にすることです。そうして、いいなと思った人には積極的にどんどん会いに行けばいいと思う。

 女子大生に限らず、日常生活でいいなと思う人なんて、そんなに現れないし、「この人と一緒にいて楽しい」と思える人はそんなに沢山はいないはずです。たとえその人に彼女がいようと、なにか障害があろうと、とにかくコンタクトを取っておくべきだと思います。

 限られた人生の中、自分と合う男なんて、限られた人数しかいません。いいなと思ったら、その人を手放すな、あきらめるな。これが恋愛をうまく成就させる法則のひとつ。とりあえずご飯でも一緒に食べるとか、なんでもいいんですから。

 いまとか、ここ1ケ月とかではなくて、長い期間を想定していると、案外、出会いが実るときがやってくることもあります。なぜかというと、男と女のことには波があります。だから、そのとき、弾まなくても、そのまま手放さずにしばらく寝かせておくと、その波が自分のほうに来ることがあるんです。

 たとえば、いいなと思った相手に、すでに彼女がいたとします。それを「彼女がいるから、恋愛のターゲットにするのはやめよう」と諦めてしまわないで、その場では、彼女がいてもその人のことを「好きだ」とメッセージを一応伝えておくようにします。そうすると、時間が経って、いつかその彼女と上手くいかなくなる時が来ることもあるわけです。そのときに、「じゃあ、私とちょっと飲みにいこうか」ということがきっかけで、そこから付き合いが始まるなんてことも可能性としてはあります。彼女とすっと入れ替わるわけですね。別に不思議でも何でもありません。

 一般的には男のほうも臆病なので、自分から仕掛ける事が少ない。そうやってお互い遠慮していたら、ほんとうだったら二人はすごく相性がいいかも知れないのに、それに気づかないまま、そのうち会う事もなく終わってしまう事だってあり得ます。せっかく出会ったのに、忘れていくなんてもったいないじゃないですか。

 ロールプレーイングゲームにたとえれば、せっかく無敵の剣があるのに、取りにくいところにあるから使わずにいるみたいなもの。そうして先に進んでいくうちに、剣の存在すら忘れて生きていくことになるなんて、本当にもったいない。その剣はやっぱり手に取れないかもしれません。取ろうとしてケガを負うかもしれない。そんないい相手は一応取りにいかないといけないと思う。獲得する努力は必要ですよね。

 いままでのように待っているだけではダメ。みんな「待っている私をいいと思ってくれる人がいい」というようなことを言いますが、それはかなりムシのいい話。女の人も積極的でにないといけない時代だと思います。

 あるとき、講演会に集まってくれた人の中に、黒いセーターにジーンズという地味な服装の女の子がいました。どうして地味にしているのか疑問に思い、「いつもそんな格好なの?」と聞くと、「そうだ」という答えが返ってきました。もったいない! その子は胸が大きいという立派な恋愛アイコンを持っているのに、外から見るだけでは分からないだろうなっていう、体のラインが出ない、色気のない格好をしているわけです。

「あなたは胸も大きいのに、どうしてそんな地味な格好なの?」と重ねて聞くと、「でも、そういうことで男の人に寄ってきて欲しくないんです。胸を出したりして、軽い女だとかすぐやれる女だとか思われたくない」と言っていました。

 でも、それはかなり傲慢な考え方。そこには何の光も当たっていないのに、自分の存在に気がついて、内面の良さをわかってくれる男がいいと言っても、無理ですよ。男の人はそんなに親切ではない。それでは恋はできないよ、と思ってしまいますね。

 まずは男の人に寄って来てもらわなければ。そのために私はここにいるとサインも出すし、自分の方からも寄っていく。お互い歩み寄っていかないと。黙って立っていれば、男の人が集まってくるというものではないですよね。

恋愛というゲームに参加しています! の意思表示なしでは始まらない―――斎藤
「胸が開いた服装をしたりしていると、軽い女と思われるのではないだろうか。そうは思われたくない。セクシーな格好で寄って来るような男はろくなものではない」

 これは、あくまでも先入観です。むしろ的外れちと言ってもいいでしょう。男は虫みたいなものです。女の人が華やかな格好をするというのは、虫にとっての灯りみたいなみもの。灯りが点いたところに、いい虫も悪い虫も集まってくるのです。

 こう考えるといいかもしれません。いい虫を選ぶのには、「たまにやってくる2~3の中から1を見つける」のではなく、「わんさか寄ってくる50、100の中から1を見つける」ほうが簡単だと。とりあえずはどんな虫であろうとも、虫を呼ぶことが大事です。その中から悪い虫はパンと弾き出せばいいのですから。悪い虫を寄せ付けないつもりで地味な服装をしているのはまったく意味がない。なぜかと言うと、それはいい虫も寄って来なくなるからです。

 いい出会いが欲しい、恋愛をなんとか叶えたいと思っているならば、「恋愛というゲームに参加しています」っていう意思表示をすること。

「恋愛の機会がない」「いい男と出会えない」と言っている人たちは、恋愛というゲームそのものに参加している空気を放っているかどうか、まずチェックしてください。誰が好きという以前に、ゲームにエントリーするという雰囲気をアップさせることが大切です。そもそも恋愛とは、エントリーしたものどうしのゲームだということをしっかり確認してほしい。当人に魅力があるかどうかを意味する前に、とにかくエントリーしているかどうかを自分で診断してみてください。

 ときどき、「参加していません」っていう風情な女の子を見かけます。
 たとえば流行とかに関心なんてないとでも言いたげな、自分の存在を隠すような目立たない服を着て、髪もそれほど手入れされているわけでもなさそうという様子だったりすると、この人は男女のことに関してやる気がないんだなと見られてもしょうがない。

 そういう地味な服装をするほうがカッコイイという美学があるのかもしれませんが、男のほうも、女の人が「私はヤル気があります、ゲームに参加しています」と手を挙げてくれないと、どう判断していいものかわからない。恋愛がしたいのだったら、まずは手を挙げて、恋愛モードの格好をする。やる気を見せることです。

 派手なミニスカートなんか穿いていれば、それはもう臨戦態勢、やる気十分と映ります。胸が大きかろうが小さかろうがかまわない。スタイルがモデルのようだろうが、そうでなかろうが関係ない。美人であろうがあるまいが、そんなことではなく、「男性に対する意識がありますよ」という意思表示が大事です。それがあれば、とにかく恋愛ゲームの出発点にいるのですから、男のほうも「おお、そうか」と思うものなのです。「エントリーしている」という標識のようなものが必要なのです。

洋服以外にもやる気を見せる方法はいろいろあります。笑い方のタイミングひとつとっても、やる気を感じさせることは出来ます。

 話しているときに相手の女の子が過剰に笑ってくれると、男は、「あ、この子、こんなに笑ってくれる。ということはいけるかな、恋愛ゲームに参加しているのかな」と思いますから。それは、「あなたに関心がありますよ」という一つのサインになる。ちょっとしたことでも笑い転げるということは、「あなたに関心がありますよ」というメッセージでもあるわけで、すごくつまらない話なのに、一人の女の子だけがすごく笑ってくれたりすると、男は脈があるなと思うものなのです。逆に笑わない女の人っていうのはそのぶん損をしていることになります。笑いは大きなポイント。それも微笑むという程度でなく、声を上げて笑ってくれたりすれば、もうその女性は身体を半分開いてくれたかのように思うところが男性にはあります。

 スキンシップの上手い女性というものも、やる気があるように見えますね。私なんか典型的なんですが、男はだいたいにおいて自分の都合よく考えるカンチガイ野郎が多いですから、女の人が何気なくポンと体を触ってきたり、しなだれかかってきたら、「この女の人は僕に気があるんだな」と思うものです。自分のほうにはそれまで、その女性を好きだという意識はまったくなくても、スキンシップをきっかけに、「あ、彼女エントリーしてきたな」と感じる。内面が変化するわけではなくて、それまで見えなかったものが突然浮かび上がって見えてくるのです。男性の場合、そこから相手をほんとうに好きになることもありますからね。カンチガイから始まるものもあるのです。

とにかく、まずは、ヤル気」を見せること、これが大切です。

2 恋愛経験値の高い男をねらえ。「フェロモンいっぱい=危険」に見えても意外とダメ男は少ない。

女性は恋愛経験値の高い男が好き―――斎藤
 女性にモテる男にもいろいろなタイプがいます。客観的に見ると、どうしてコイツが、と思うようなダメ男なのに、女の人にはなぜかモテる男とか、「この人には私がついていないとダメだわ」と思わせるようなタイプとか、遊び慣れしている感じで、ダメ男なんだけど、他のことはともかく、「得意科目は女」という男なんかもいる。ちょっと矛盾していますが。

 彼らは、言ってみれば、ダメ男ということを悟られないまま、女性の気持ちに入り込める、つまり、女の人に上手に呪縛を描ける力のある男なのです。もちろんその裏側では女性にまったく呪縛をかけられずに不自由な思いをしている男もいることになります。女の人に呪縛をかける力のある男と、かける力のない男。どちらの男を選ぶかでそれからのつきあい方に大きく影響します。

 ダメ男なのに、呪縛をかけるのは上手という男は、けっこういろいろな女性からモテます。では、そんな現象がなぜ起こるのかというと、女性経験の豊富な男性と少ない純粋な男性のどちらかといったら、経験豊富な人のほうを取るからです。

 女性とつきあった回数が多いということは、ある意味では、遊んでいていい加減だったりする可能性も高いのに、なぜか女性はそちらを選ぶ。

 呪縛をかけられる男というのは、フェロモンのある男性と言い換えることもできるでしょう。フェロモンというと、なにか生まれつきのもののように考えられますが、僕らがフェロモンと呼んでいるものは実は恋愛値だと思います。女性とたくさんつきあった男性というのは、女性に対して自信を持っていて、その自信が体から溢れ出ている。それをフェロモンと呼んでいるのです。

 女性は明らかに経験値の高い男が好きです。だから経験値の高い、フェロモンのある男が一人で何人もの女性を相手にしてしまうことになり、なかなか女性が廻ってこない男も出て来るわけです。男性にとっても、一線を越えるかどうか、そこには大きな垣根があります。その垣根を上手にクリアして、セックスとは、こういうものだとわかってしまえば、あとは余裕をもって上達していけばいい。最初の垣根を乗り越え損ねてしまうと、乗り越えるのが大変なことになり、妙に妄想だけが膨らんでしまったりするのです。資本主義の論理と同じで、経験値の高い男はどんどんどんどん経験を増やしていくのに、出だしに失敗した男はいっこうに経験が積めない。そういう二極化構造が進んでいるわけです。

差し込み文章
 つまり、経験値の高い男は女性をオーガズムに達する力を持っている男のこと、経験値とはセックスでの持続力・テクニック値が高い。それに加えてペニスの形の張り具合の良さ、色合いや太さ、長さも女性に受ける要素である。
テクニックに自信があってもペニスがどうしても貧弱であっても女性はそこそこまで心地よさを感じるもの。しかし、最後のステージのオーガズム(エクスタシー)に達しきれないイライラが募ってしまうということもあり得る。
 一般的傾向として妻となって子をもち、子供が手許から離れていく頃になると、オーガズムをあまり良く知らないと自覚している女は(35歳前後)に達すると、不惑の性欲の炎を燃えたぎらせる瞬間が誰しも一度は考えるという。
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女が引いてしまうのは自信のない男――――倉田真由美

 たしかに女性は、恋愛経験値の高い男を好きになります。そういう意味で経験値の低い男性の代表とも言える、全日本童貞連合という童貞君たちのグループを取材した例を挙げてみましょう。もちろん風俗の経験もない、32歳で童貞というような人たちです。

 彼らはほんとうに女性のことを知らない。それはこちらがびっくりするくらいです。女性の体の構造も、セックスの知識も、誤解して覚えていたりするので、これはこの先なかなか大変だなあという印象を持ちました。

 彼らが言うには「女の人と最後までいくようになるのが、自分で想像もできない」。ましてや「飲み会で盛り上がって、途中で二人がしゅっと消えるなんて、信じられない」「お持ち帰りなんてどうしたらいいの」というわけです。
 
 この場をどう盛り上げるかというよりも、何を話したらこの人は興味を示してくれるのかということよりも、いま自分がしなくちゃいけないこともわかっていない。こういう人を相手にしたら、やっぱり不安になってしまいますよね。

 彼らを見ていてわかったのは、こんなふうに、たとえ向かいあったその人が童貞でなくても、自信のなさが垣間見えると、女性はしらけるということ。だからといって、「じゃあ私がちょっと教えてあげるわ」という心境には女性はなかなかなりません。

 童貞連合の人たちにだけ言明すると、彼らはこそこそせずに童貞連合に入ろうという、謙虚さがある童貞君たちなので、じつを言うと好感が持てなくもなかったのです。

 そうであっても、「私が面倒を見てあげるわ」とまで思えませんでした。それができるのは、かなりこなれた女性でしょ。しかも数少ないですよね。

 結局。元気で、恋愛経験豊富な男の人には一極集中で女の人たちが集まってしまうし、女に縁がない男には女性はまったく寄り付かないことになる。悪循環ですね。

男が、いい女=経験値の高い女を敬遠する理由―――――斎藤
 女性がなぜそこまで、男性の経験値を問題にするか。それはひとつには、女性の方が異性経験が豊富だと男が引いてしまうからです。残念ながら女性に上手に教えてもらいたいと思っている大人の男性は少ない。そうなると女の人のほうも引け目を感じてしまうんですね。ということは、いい女ほど、相手が少なくなってしまうわけです。これがおかしい。ここはひとつ、女性に自分のほうが経験値が高いのは当たり前なんだとわりきってもらうことも必要かなと、最近、僕は思っています。

 なにしろ、女性は経験値を積むのが早い。男女ともある程度の容姿であるという前提で、1年間その方面に徹底的になりふり構わず突き進もうとしたら、1年経ったとき、女性のほうはすべてを知る立場にあるわけです。女の人は一気にくわしくなる。

 それに女性の場合は、つきあう男の経験値がすべて流れ込んで蓄積していくから、100人付き合えば100人の経験値がその女性の中に蓄積している。女性の方が経験値を積み上げやすく、優位な立場にあるわけです。だから、それ以上の経験値を男性に求めるとなると、非常に苦しい戦になってしまうのです。

 男性は、いい女を敬遠する傾向があります。理由は簡単。経験豊富だと判断するからです。つまり女性の場合は経験値の高さが裏目に出ることになる。
 どうしてそうなるかと言うと、男はその女性がいままでつきあってきた男たちと比較されるのがイヤだからです。女性に対して優位に立ちたいというより、比較されている恐怖のほうが大きいと思います。

 男性は多かれ少なかれ性的能力に不安を抱えているものです。あまりにそのことに執着しているので、ときどき、女の人は呆れかえるという話も聞きますが、こればかりはどうにもならない。どいつもこいつもそればかり気にしているのですね。もちろん当の女性はそこまで気にしていないのにも拘わらずなんです。それは男の脳の中に古代脳のなせるワザです。仮に自分のイメージを絵に描かせると、他の部分に比べて、手とか足の先、性器の占める割合が大きい。それほど自分の性的能力に関心が強く、不安を感じているんですね。

 経験豊富な女性というのは、男性をたくさん知っているわけですし、そういうこなれた女性と付き合うのは男性の中でもかなり能力が高い方です。そのメンバーの中に自分が参入するとなると、経験値の低い男性はちょっと遠慮気味になる。「こんなもの?」って言われるのが怖い。「これだけ? それで?」なんて言われたらもう大変です。「もうそれ以上ないんですけど」って可愛く笑えればいいんでしょうが、そうは笑い飛ばせない事情がある。その深刻さについては、女性にはもうひとつ理解されない面があると思います。だから、男はもう一歩が踏み込めないわけでもあります。

 だったら、経験値の少ない男性経験の少ない女性にいけばいいじゃないかという考えるかもしれません。が、これがまた難しい。処女が童貞好きかと言えば、そうじゃないし。双方とも経験値の高い男女の間の川にはたくさんの橋が架かっているわけです。出会うための、ありとあらゆる種類のいろんな橋が架かっている。でも、経験の少ない人たちは同士の間には、ほとんど橋がない。フェロモンが未成熟だと、お互いにそのフェロモンを嗅ぎ取れませんから。
<経験値の高さで判断する>

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 ではどうしたらいいのか。僕は、女の人の眼力に頼るしかないと考えています。もともと女性の方が眼力というか、男を見る目があると思うのです。女の人が「だめんず」を選ぶのは、どちらかというと、眼力がないというより、わかっていて付き合っている面もあると思います。

「だまされた」とか「大どんでん返し」とかいうよりは、「じっはうすうす知っていたんだけど」という感じだと思うんです。ところが男が「だまされた」という場合は、みごとに騙されている。その騙されっぷりたるや、豪快なものがあります。ほとんどの男には女を見る目がないといってもいいぐらいです。

 でも、女の人には、男が見えている。その男の人の現在だけではなく、未来までが見えているのです。女性は男性を見るとき、いまだけではなく、この男の5年後10年後はどうなっているのか、要するに将来ものになるかどうか、時間軸で判断しています。一方、男には女の将来を見るという観点がありません。この人は5年後10年後経ったら素晴らしい人間性の持ち主になるだろうとか、45歳ぐらいになったら最高だろうという見方はしない。

 だから、結論を言うと、男は女に選んでもらうのがいちばんなのです。女の人の眼力で「あなたはこういう男なのよ」と見通してもらい、「ああ、そうだったんですか」と己を知る。女性の立場に立てば、女性は男に選ばれるのを待っているのではなく、女の方から男を選んで、イニシアチヴをとりなさいということですね。たしかにまわりを見ても、女性に選ばれて成立しているカップルって、いいカップルのような気がします。

 経験を積むというのは大事なことです。その経験も中身が問題。ちゃんとした経験であるかどうかです。瞬間的な出会いの一晩だけとか、付き合っても1、2ヶ月で別れていては、経験があまり積み重ねられない。

 よく経験した女性の数を自慢している男がいますが、それは深まった経験とはとても言えません。一人の人とじっくり付き合う事で、経験値は積み上がっていくものですから。
 そうやって、きちんとした経験を積んで、いろいろなことがわかると、異性を見る目ができ、感覚も深まっていきます。

 例えて言えば、小さい子どもは、ものの味がわからないから、お寿司屋さんに行ってもなにを食べたらいいかわからない。たとえ大人に進められても食べたとしても、美味しいと感じられないことが多い。ところが、その状態はずっと続くわけではなく、成長していくにつれ、イカの味を覚え、中トロと大トロの味の違いにも目覚め、アワビはうまいなど、それぞれの素材の持つ微妙な味の差が分かってきて、美味しく食べられるようになり、味わい方も深くなっていきます。それが成熟というというものです。

 感覚は小さい頃のほうが鋭いと思われがちですが、そんなことはない。大人のほうが繊細で微妙な違いがわかるぐらい、感覚が鋭くなっているのです。

3 相手の兄弟姉妹構成を徹底的に熟知せよ! 中でもチェックするのは長男。

男はなぜとことん騙されるのか――倉田真由美
斎藤さんから、「女のほうが男を見る目がある、かたや男性の騙されっぷりはすごいものがある」という論が出ましたが、そのとおりだと思います。どうしてあんなふうに男は客観性がゼロなのか、前から疑問に思っていた事でした。

 ひとつ、例を挙げてみます。知り合いのお金持ちの男性が、キャバクラ嬢に入れあげて、それでも旅行に行く約束を取り付けました。当日、彼はクルマに大きな荷物を積んでそわそわと待っていましたが、彼女は何時間経ってもやってこない。携帯も繋がらなくて、その日は結局現れず、翌日になってようやく連絡が取れたそうです。「どうしたんだ」とさすがに怒ったら、「いきなりそんなに怒鳴らないで。入院しているんだから」と、病院に入っているようなことを言われて、彼はそれを信じている。彼女は病名さえ言わないっていうのに、「そう言えば、1週間くらい前に、お腹が痛いって言っていたんだよ」などとにやけているのです。私が「それは入院していない。間違いない」と言っても、聞く耳を持たない。なぜこんなにわかりやすいウソに騙されるのか、女にはちょっと理解できませんね。

男はその場しか生きていない――――斎藤
 男性はもともと、客観視ができにくい動物なのです。数学であるとか、抽象的思考には向いていますが、現実的ではない。これが対女性という事になるしと、いろいろ妄想を膨らまさないと、事に及べないところがあります。分かりやすい例を言うと、相手の女性がじつはスチュワーデスだとわかると、俄然やる気が出るとか、そういうことです。性的な記号というか、刺激が必要なのです。それは、相手の男性がじつは○○財閥の御曹司だとわかると、女性がやる気を出すというのとは根本的に違う。

 その場合、女性は非常にクールに未来を見つめているわけですが、男はその場でそういう妄想が必要な生き物なのです。決して未来を見て、いいとか、これはやる気になったとか判断しているわけではありません。現実を捉える能力の低さが恋愛の局面にも出てきてしまうのですね。

あるタイプのダメ男には長男が多い―――――倉田
 客観視ができないというのは、恋愛に限らず、ダメ男の共通点です。
 たとえば、「オレはいまに役者になってやる。日本の役者なんて目じゃない、ライバルは
デ・ニーロだ」などと大言壮語するタイプ。そういうタイプにはあきれるほどダメ男が多い。

 自分を客観視するということは、結局大人になるということだと思います。その能力が欠けている、大人になれないダメ男には長男が多いというのが、最近の発見です。どうしてダメ男には長男が多いのか、私なりに分析してみると、男性は幼いうちに他の男に負けた経験がないとダメになるんだと思う。小さい時に、他の男に負ければ、自分がNo1ではないことを受け入れざるを得ない。負けをちゃんと受け入れることが出来るようになります。でも、たとえば長男で、父親が不在の家だったりすると、負けを知らないまま大人になってしまう。
そういう男性は、「オレ、天才、すげえ」のまま年を重ねてしまうわけです。自分をすごいと思うのも、どこかに根拠があればまだいいのですが、その根拠のないまま、やたら自信過剰の大人になると、「オレが上手く行かないのはオレを認められない社会のせい、日本が狭いせい、上司の能力が低いせい」と責任を他の押し付けるようになる。

 その点、弟は否が応でも目の前に自分より身体の大きい、能力も進んでいる兄貴がいるわけです。そうすると、幼くして自分より強い存在というのが内面化できている。だから次男とか、三男とかは他人に負けられない「オレすごい」系のダメ男にはなりにくいような気がすます。

負けているのがわからないヤツ―――――斎藤
 恋愛に限らず、仕事場でもどこでも、負けているのに負けていることがわからない男はたしかにいます。本来は自分のほうが負けているのにも拘わらず、会社を退職するにあたって、「オレに見捨てられた会社」というように、会社のほうを負けたことにする。就職試験に落ちても、「オレを落とすなんて、見る目のない会社だ」とする。

 たしかにどんな基準で落とされたか分からない。落とされた中の1万人に一人ぐらいはほんとうの天才がいるかもしれません。でもそれはいずれ歴史が証明することです。芸術家はまた別かもしれませんが、一般に仕事をしている場合、会社に拒否されているのに、自分が会社を拒否したようなアクションを作り出して納得している人がいますが、それは単にものすごいマイ・ワールドなわけですよね。よく安い呑み屋などで、二十代後半ぐらいの人たちがグチともつかない、語りに入っていますが、正直聞くのがつらい。まず現実を直視するところから始めろと言いたいのですが、気の毒な面もあるのです。

 いまの若い世代は「晒される」という経験があまりありません。ここ20年ぐらい、教育は子どもの実力を表に晒すことを避けてきてしまいました。学校内で実力をはっきりさせるのは辞めようとしてきたために、子どもの逃げ道がいくつもあることになった。加えて学力というものも正体がよくわからなくなってしまったし、学歴もなくてもいいということになってきたので、まったく実力を試されることなく、二十代後半を迎えている、という人はけっこう多いのです。就職していなければ、ますます力を試される機会はありません。僕はその人たちが悪いというより、むしろ可哀想だと思っています。就職すればまだ救われていたのです。

 日本の場合、学校はもともとさほど教育的ではありませんでした。とくに大学は教育をまったくしてこなくなっていた、最近は就職難で会社まで教育機能を放棄してしまっています。門戸を閉ざし、新しい人材を入れることをしなくなったせいで、20代後半の男性の質が低下してしまったと思いますね。その自覚できていないと、余計にまずいことではあります。

 男と女の関係にもこのことが大きく影響しているわけです。

4 男をかわいいと思ったことはありませんか? “だめんず”への底なし沼に入ってしまうまえに、 「自己客観視&自己肯定力チェック」を試みる。

相性早見座標軸を活用しよう――――斎藤
 男性が客観性に欠けているというのは倉田さんの鋭い指摘でしたが、自分を客観視する能力というのはなかなか深い問題を孕(はら)んでいます。

 人のキャラクターや能力や嗜好性および行動を見極めるのには、その自己客観視力にもうひとつ自己肯定を加えて検証するととても分かりやすくなります。
 自己客観視力というのは、自分の容姿、体力、精力、仕事の能力、生活力などなど、自己の力について、どれくらい客観的に自分を位置付けられるかという力。

 自己肯定力というのは、自分を「いい」「大丈夫」と思う力。逆境のときでも、自信を失わない。たとえ能力が劣っていても、それを含めて気落ちせずに生きていける力です。たとえば、「劣等感」が強い人はこの力が低いと見なしていいでしょう。逆に「自惚れ屋さん」はこの力が高すぎる例。

 この二つの力を基本にして、自己客観視力が高い人、低い人、そして自己肯定力が強い人、弱い人ということで、それぞれX軸Y軸に沿って座標軸を作ってみましょう。タテ軸に自己客観視力、ヨコ軸に自己肯定力をとると図1のように4つのゾーンに分類されます。
<自己客視力と自己公定力で見極める>
図1

写真
 自己客観視力が高くて、自己肯定力が強い人はAゾーン仮にここまでは「モテモテゾーン」と名づけましょう。何かにつけてデキるヤツで、自信にあふれていて、魅力的で、誰からもモテるタイプです。

 自己肯定力がやたらと強くて自己客観視力は低いBゾーン。これは「はりぼてゾーン」と呼びましょう。困ったことに、このゾーンも、意外にというか、ウソのようにモテる。自己肯定力がやたらと強くて自己客観視力がまったくできないゆえに自信を失わない。とんでもない男たちが、このゾーンにたまっている。そういう意味で「はりぼてゾーン」なのです。いわば”だめんず”ゾーンでもあって、ここにどういう女性が引っかかってしまうのかというと、自己客観視力が高くて自己肯定力が弱いCゾーンの女の人たち。これが斜め下(Bゾーン)の男にどっとなだれ込むわけです。それぐらい、女の人は不自由していると言っていいでしょう、自身のある男に。

 このCゾーン、つまり「フェロモンなしゾーン」の男は自信がない男、つまりフェロモンの出ない男です。だから基本的にはモテない。でもフェロモンはなくても、この人たちは能力は必ずしも低くない。Bの「はりぼてゾーン」と比べてどっちがいいかというとCゾーンの「フェロモンなし」のほうが、質が高い。自己客観視力できる時点で、こちらのほうが素晴らしいのに、女性にはモテないのです。

 自己客観視ができないうえに、自己肯定力も弱いのがDゾーン。ここが、おわかりのように「ダメ男ゾーン」です。女とつきあえない人たちです。

 自己肯定力がやたらと強くて自己客観視がまったくできないがゆえに自信を失わない男たちっていうところに女の人たちはガーンといっちゃうんですよ。それぐらい自己肯定力は男の魅力になっている。

 自己肯定力というのは、生まれつきの性格も影響して、持っている人間はずっと持ち続けているものです。でも、いちばん理想的なものは、自分を客観視できて、たとえ自分の負けを知りながらも、なおかつ自己肯定力をその経験と実績によって積み上げてきたような男ですね。さっき説明したCゾーンから徐々にAゾーンに成長していく男。これは恋愛対象としても面白いし、つきあいがいがあります。でも、そういう男はなかなか見つからない。
 そしてもともとAゾーンの男は、残念ながら全体の1割を切ると思います。

 魅力ということから言っても、ここに女が集中してしまうのは当然ですが、そこにもある面、問題がなくならない。というのは、ここの男はできるヤツですから、当然仕事にも精力を注いでいるわけで、女の人ばかり夢中なわけではありません。女の人と時間をどれだけ共有できるかという現実的なことからいろいろな生活の場面で、思うようにいかなくて、不満が生じることもあるかもしれません。

 それで満足いかない女性が、行き場を見失って、いきおい「はりぼてゾーン」の男たちのところに、どどっといく。これが、いまのよくあるパターンで、いろいろ問題を引き起こしているのもこのケースです。

 最近は、自信もないし、自己客観視もできない、ここでいうDゾーンの男が増えてきている感じがしますね。それが問題で、この状態で日本が開国したら、危険な事になる。いまは、日本は性的には開国されていないも同然ですが、性的開国がされて、世界のある程度の水準の男たちがどっとなだれ込んできたら、日本の男たち、とくにこのダメ男ゾーンの男たちは太刀打ちできなくてどうにもならなくなってしまう。Bの「はりぼてゾーン」の自信だけはあるけれど実力は怪しいといったタイプの男性も苦しくなってくる。力がはっきりさせられる状態になりますから。

 詳しくは第二章で触れますが、いまはいろいろ障壁があって、なんとか開国されなくてすんでいますが、その大きな障壁のひとつが日本語障壁なんですね。日本語を使っているから、日本の男にはまだ日本の女がゲットできている。これが英語になったり、フランス語になったりしたら、もう日本の女を手に入れることが難しくなるでしょうね。

 言葉なんです。
 だからそう考えると、日本語というものが日本の男性にとって、どれほどありがたいものかということを、ここで見直してほしい。そして、満足に使えなくなっている日本語をなんとか習得し直してほしいですね。それだけでも男たちはモテ始めること請け合います。

 このような状況では、開国前のいまでさえ、自己肯定も低く、客観視もできない男についていく女は滅多にいないし、視界にも入りにくい。だから、女の人は基本的に男に不足してしまうのです。「いい男いない」症候群が蔓延している原因も実はこんなところにあるのかも知れません。

 繰り返し言いますが、ほんとうは、Cゾーンあたりの客観視ができる男のほうがいいわけで、そこに選ぶと適度に幸せになれるのですが、なぜかいかない。そのかわり、Bゾーンのような自己肯定力が強くて、客観視できない男の人にいく。そういう男を可愛いって思ってしまう気持ちというのがどこにあるのでしょうね。

<自己客観視力と自己肯定力で見極める>
図1

写真
 きっと女の人の母性とかお世話欲といったものが関係しているのだろうと思いますが、この人はまるで少年のようだわ、みたいなものを感じると、丸投げで惹かれていくことが多い。ちょっといたずらっぽい仕草がいいとか。どちらかと言うとナルシズムに酔って行動しているような男ですね。「この人はまるで少年のようだわ」「かわいい!」とペットのように愛してしまう傾向があります。

 ところが実はそういう男は単に成熟していないだけで、みずみずしい才能にあふれているとか、新鮮な発想を持っているとかではないケースも多い。可愛い、私が面倒をみなくてはという気持ちにそそのかされているだけなのです。冷静になるとわかるのですが。

 日本の場合、男の人の魅力の中に、”子どもっぽさ”というのがあるんですね。少年のようと言うか。それは大人の中にある少年ぽさではなくて、少年そのものだから。子どもそのものだから、当然のことですが、待っているわけです。そうすると、強烈に日本の女性が求める男的なるものは、子どもが持っていると言っても過言ではないでしょう。日本の女の人は、そういう意味では、優しいと思っていますね。子どもみたいな男の人をかわいがりたいという気持ちをどこかにもっているわけですから。

 Aゾーンの自己肯定力が強くて、でも客観視力があるタイプは全般的に大人っぽい。大人で、成熟度が高い。そういう男に対して、女は可愛い!とは思いにくいのです。それでたとえラッキーにも、aゾーンの男と出会えたとしても。Aゾーンの男よりBゾーンを選んでしまうこともあるのです。

たしかに「可愛い!」は危険の始まり――――倉田
「この人、まるで少年のよう」と思うのはちょっと危険なことで、さらに男を「可愛い」と思った時には警報が鳴っていると、私は思っています。相手が「モテモテゾーン」のタイプなら、それも問題ありませんが。でも、このゾーンの人たちは基本的に大人だから可愛いという感じではないし、あまりに数が少ないので、そういう男を可愛いと思って付き合っている女の人は宝くじに当たっしまったようなもの。

 だから普通「可愛い」と思った時は、ほとんどが「はりぼてゾーン」の男だと思って間違いないのでしょうね。Cの「フェロモンなしゾーン」の人たちは、どうしたって可愛いと思えないタイプ。

 私の経験からいっていも、今まで付き合っただめんずについては、「子どもみたいで可愛いい」と思っていました。その人たちはBゾーンだったのかな。Cゾーンの客観性のある、自己肯定力のちょっと弱いタイプの人とも付き合ったことがありますが、彼のことは1回もかわいいと思ったことがない。

 その人は全然ダメ男ではなかったし、いまでも嫌いになっていない。いい付き合いだったとは思いますけど。だから、自分のことを振り返って見ても、「可愛いい」は危険だなと思います。

 女の人には、子供みたいな男をかわいがりたい気持ちがどこかにあります。犬とか、子どもとか、他に代替えできるものがあるとそう思わないで済むのかも知れませんけど。
私自身は、息子ができてから、男を可愛いと思う事が少なくなったきがします。息子の可愛さは、男とは全然比べものにならない。まれに可愛いと思うことがあっても、それは常軌を逸したものでもありませんね。昔、独身で男を可愛がっていた時は、年上の人でしたが、ベタベタのアマアマで可愛がっていましたから。きっとこの人とは長く続くだろうと思ったりしましたが、結局、違いましたね。

「少年のように」という言葉にひそむワナ―――斎藤
 女の人が命を捨ててまで愛せる対象というのはやっぱり息子だと思いますね、同じ子どもでも、娘じゃなくて、息子のほうが強烈だと思う。娘は同類でセクシャルな関係になりませんから。

 前にも言いましたように、日本の男の良さの中には”子どもっぽさ”というのがあると思うのです。「少年のように」とよく褒め言葉に使うけど、それは少年そのもの、子どもそのものだから。言ってみれば、当然のことなのですが。それで男が好き放題に何かやっているのを見るのがすきだというメンタリティがあります。

 その男が仕事ができれば問題ありませんが、全然できない男でも、その幻影を追いかけてしまうのが問題。だから、人生の早いうちに男の子を産んでしまったら、そういうダメな男にひっかからないですむ。そうすると、落ち着いた恋愛ができるのではないでしょうか。あくまでも鍵になるのは、男の子ですけど。

 昔から日本は子どもの楽園と言われていたようです。外国から来た人の目から見ると、子どものお祭りがあったり、子どもは7歳までは神の領域とされていたり、とにかく子どもを可愛がる伝統がある。

 とくに男の子は女の子に比べて、ませていないので、小学校4,5年といっても犬っころみたいなものです。一方、女の子は小学校高学年になると、かなりのレベルに達しています。成熟度が高いわけです。

 僕は私論としては、だから小学生の男の子じゃ相手として幼すぎる。いまの小学生5、6年の女の子は、知的成熟度としては高校生や大学生ともつきあえると思っています。いい悪いということは抜きにしてです。

 そいう状況も影響してか、小学生の男の子には相手がいないんですね。それだけ母親が相手になりやすいお膳立てができている。

 しかも男の子はかわいい時期が長いので、すぐに関係を変える必要にも迫られないまま安心していっしょに暮らしていける。要するに男の子は、母親にとっては満足いく存在なわけです。

 満足いき過ぎて、ずっと家で可愛がった結果、30歳過ぎてもお家にいたりする場合も少なくありません。そこに根っこがあるんですね。男性にどうしてAゾーンが少ないかという理由の根っこが。

 このような日本の教育や家庭のことが相まって、自己客観視力が強くて、自己肯定力も高い大人に成長していくステップに踏み切るまでに時間がかかってしまうわけです。中には踏み切れないまま終わってしまう人だっているような気がします。

5 ほめられたり、プレッシャーをかけたり。伸び悩んでいる男を変えるために勇気と手間をかけるのは嫌い?

 相手を変えることができるのか?――――倉田
 自己客観視力と自己肯定力の両方が大事だというのはわかりましたが、自分にとって客観視力がもっとも強い男のほうが相性がいいのに、現実の相手は客観視力が弱い。でも、この人とうまくやっていきたいと思った場合、相手の力をアップさせるのが恋愛を成就させる意味で近道なのでしょうね。だってAゾーンの男がいくらいいからと言って、その男を狙おうとしてもすごく人数が少ないわけですよね。出会うチャンスがない。それを待っていると、やっぱりいつまでも「いい男がいない」状況になっているだけで、何も変わらないわけです。で、いまの条件の中で、いい関係を作ろうとしたら、相手に力をつけさせることがいいのだろうと思います。それにはどうしたらいいのでしょうか?

どう考えても、お話を伺っていると、女が男を育てていくという前提でしか、相性のいい男と出会えないような気がします。BゾーンやCゾーンにいる男をAゾーンへと移行させるには、やっぱり女が育てていくしかないのでしようね。

 育てていくしかないか・・・・・。でも、ひとつひっかかるのは、客観視することと自信を持つことは、ある種対極にある要素ですよね。だから男の人に自分のことを客観視させつつ、自信を持たせるのは難しい。言ってみれば、「あなたはいま勉強ができない」ということをしっかり教える教育と、「あなたはほんとうはできる能力がある」という教育ですから。

まずほめる。次にプレッシャーをかける――斎藤
 自己客観視力にしろ、自己肯定にしろ、それを育てるにはやはり両方を、並行でやらないといけないでしょう。鉄を鍛えるみたいに、冷やしては熱し、冷やしては熱しを繰り返すとだんだんタフになっていきますね。褒める教育と、客観視教育と、どちらかに偏らずに、クルマの両輪のように均一なリズムでいく。

 たいてい、小さい子どもは、自分は何でもできるんだという全能感、つまり自己肯定力をみんな強く持っています。それが成長するにつれ、何度も挫折して、自分はダメだと思わされることに出会い、徐々に自己肯定力が弱まっていく。そのときに、現実を見据えながら、しかし自分を肯定する回路を失わないように、自己肯定回路を新たに作り直さないといけない。これに成功した人は、生涯にわたって、魅力的でいられると思います。

 手っ取り早いのはまず褒められることです。褒めるにはタイミングが大切で、いつ褒めればいいかと言うと、変化率を重視すればいい。どんなに低レベルでも変化する瞬間というのが必ずあるもので、その変化率の高い瞬間を取り上げて、評価していけばいいのです。

たとえば、現在の状態は客観的に見て、100番中82番という現実があるとしても、なにか調子の良かったときとか、努力したときに、76番になったとする。そのときに褒めてやればいいのです。そうすることで、この変化を質的に維持すればいいんだとほんとうに分からせることが出来れば、伸びていくものです。自信というものは恐ろしいもので、こうすればいいんだとわかった瞬間に、安心してすごくできるようになるものなのです。

 第二にはプレッシャーをかける。男の中にはプレッシャーをかけられるのが好きな男がいます。そういうタイプの男にはどんどんプレッシャーを与えた方がたいい。
 たとえば、公務員試験を受けようかどうしようかと迷っている男がいたとします。「そんなもの受からないで一人前の男と言えるの!」という具合に、プレッシャーをかけてやる。そうすると、その場ですぐに諦めて、辞めてしまおうというのと、そんなふうに言われたなら見返してやろうと奮い立つタイプと、まさにふるいにかけたの如く、反応します。そこで土壇場に強いかどうかわかるわけです。

 それだけではなく男はたいがい「できるようになりたい」と思っているものなのです。できれば、みんなの期待を集めたいと。ただ諦め切りのない原稿は書けないのと同じで、そのきっかけがなかなかつかめなかったりする。そこでプレッシャーの出番となります。

 締め切りを、作家にとっての編集者のように、誰かが設定してくれると、なんとかやり遂げられる。つまり、プレッシャーとは締め切りみたいなものです。そいうプレッシャーを好む男は、編集者役、つまりプレッシャーをかけてくれる女の人と結婚する確率が高いですね。

プレッシャーをかけるのも能力のうち―――倉田
 妻が口うるさい家は非常にうまくいっているケースが多いのも、一種のプレッシャー効果でしょうか。男の人にとってはプレッシャーにさらされる状態というのが、窮屈だけど、気持ちいい場合も多いのかも知れません。プレッシャーをかけるのも能力だと思います。

「あんた、そんなことじゃダメでしょ。何とかしなさいよ」と、ぎゅんぎゅんハッパをかけるのも、ひとつの才能。それを持たない女の人って多いのではないでしょうか。あるいはそんなことはマイナスにしかならないと控えている人も多いでしょう。

“だめんず・うぉ~か~”はまさにそうです。「それくらいできなくてもいいわよ」。相手の男に金がなければ、「いいわよいいわよ、私が出してあげるわ」。そんなこと言っていると、男がとめどなく堕ちていくからダメなのに。とかく言う私も相手にプレッシャーをかけるのが苦手です。恋愛に限らず、たとえば仕事で編集業に就いたとして、締め切りというプレッシャーをかけるのも苦手でしようね。

なぜなら相手に期待するより、自分でやってしまった方が速いから、プレッシャーをかけるのは、専業主婦の仕事のひとつでもあります。彼の収入イコール自分の収入だから、ハッパをかけることが自分の今後にもつながりますから。ところが自分で仕事をしていると、実際その必要に迫られない。彼の収入が多少増えようが減ろうがあんまり関係ないとなると、そんなに熱心になれないというわけです。

お皿一枚洗うにしても、自分がやった方が早い。口うるさいことを言うぐらいだったら、やってしまえとね。これは私が抱えているちょっとした問題で、前の結婚が上手くいかなかったのも、それがひとつの原因かもしれません。私がプレッシャーをかけなかったことが、彼に楽をさせているようで、かえって苦しめた気がする。

 彼が勤めていた会社を辞めたときも、あまりうるさく言えませんでした。1回は言っても、3回は言わない。だんだん「いいんじゃない、そんなに大変な思いをしなくても」となっていく。好きな相手ほどそうなりやすい。この人が働くより、私が働いた方がお金になるという気持ちが、どこかにあった気もします。彼にしてみれば、そのときは楽だったかもしれませんが、期待されないと感じていたかもしれませんね。

 期待するのが下手というのは、”だめんず・うぉ~か~”の女性たちの抱えている問題ではあります。

抵抗のかけ方が大事――――斎藤
 男というのは、期待されると、興奮する生き物なのです。期待が大きいすぎると、逆に潰されてしまったりもするが、教育にしろ男女のことにしろ、抵抗のかけ方が大事だと思います。抵抗のない状態は、意外に力が出しにくいもの。上手に抵抗をかけてくれると、ぐぐぐっと力が出しやすい。100㎏だと重すぎるベンチプレスでも、25㎏だったらちょうどいい、じゃあ次の週は30㎏にしてみようというふうに、上手く抵抗設定してくれるトレーナーが欲しいわけです。上手く抵抗をかけてもらうと、自分に力がついてきたよな力感が身体に生まれて、その充実感が快感になります。

 そこで、「25㎏なんて重いもの、持ち上げなくてもいいわよ」などと言われたら、自分の身体に力がみなぎらない。そうすると、なにかイヤになって来るものです。それと同じで、恋愛も抵抗のない恋愛って、持続させていくのが、かなり厳しいのではないでしょうか。
 女の人がたくさん稼いだりすると、男が頑張れないのも同じことです。

 男は女の人に鍛えられないと、とどめなくダメになっていく確率が高い。女の人はまだ、子どもを産むという使命があるせいか、下げ止まりがある。でも男はどこまでも堕ちていきますから。そこはやはり、女の人にしっかりしてもらって、男を甘やかさないようにしないと。女の人の観る目が男を育てるという所がありますね。

 恋愛経験知の高い男ばかり女の目が集中してしまうと、経験値の低い男はいつまで経っても伸びない。後は雑草が生い茂るばかり、になってしまう。女性にちょっと視点を変えて頂ければ、いままで伸び悩んでいた男性も違って来るのではないでしようか。

 新しい女性像というのは、そういう教育力を前面に出して、男に質だけではなく量で勝負する心意気というのを持っていただいてもいいのではないかと思います。
 とはいっても、男の数をこなせばいいというのではない。あくまでもたくさん恋して、経験値を高めて、そして男を見る目を肥やしてほしいという意味ですが。

6 恋愛、とくにセックスに関して、男性から教育されたいという願望がどのくらい強い?

教育されたい欲望を持っている女性は多い――――斎藤
 倉田さん曰く、童貞君を相手に「じゃあ、ちょっと私が教えてあげるわ」みたいなことにはなかなかならないという事でしたが、確かにそれが言えるのは相当こなれた女性だと思います。でも実状では、「私が面倒見てあげる、教えてあげる」という女性を、「男はみんな待っているのです。要するに、経験値の低い、冷凍マグロみたいなものが、「誰か僕を溶かしてくれないかなあ」と思いながら、そのへんに転がっている。

 たしかにそこまで心意気のある女の人は少ないでしょう。だからこそ、非常に価値が高い。普通の女の人は童貞君より、経験知の高い男性の方を選びますからね。

 なぜかというと、僕が思うに、恋愛は教育だからです。たとえば、顔や性質がいくらよくても、30歳で童貞だったら、その事実の奥に、女性に対峙したときの自信のなさを見抜いて、女の人は引いてしまうでしょう。そこには、自分はこの男によって教育してもらえないんだという心理が働いているように思います。要するに、女性の多くは教育されたがっている、非教育欲が非常に強いと言えます。

 教育欲という概念は僕が作ったものですが、性欲、食欲については欲望だという理解があるけれども、この教育欲というのはじつは非常に大きな欲望で、75歳以上になったら、性欲を上回ります。そういう物差しで考えた時、女性は男性に対して、恋愛、とくにセックスに関して、教育をしてもらいたい、より広い世界を見せてほしい、より深い世界を体験させてほしいという病みがたい願望があるように思います。

 かたや教育誘発性というのがあって、教育欲を誘発する存在というのがあるんです。これから教育するのに、素晴らしい存在だな~とそそられる教育誘発性の高い女性がいる。

 ところが、ところがです。いまはそういう一般論が当てはまらなくなってきている。残念なことにいまは男のほうが、本当の意味で女性を教育するだけの水位の高さを持っていなのです。むしろ女性の方が水位が高くて、だからどうしても教育ということになると、女性が男性を教育するほうが自然になってくるわけです。だから教育誘発性は男に当てはまるのかな。そういったほうが早くいくらいでしょう。女性の方が経験豊かになってしまっているわけですよね。教育されたがっているどころか、男に誘発されて教育しなければならなくなっているわけですよね。自信を持ってお付き合いしていくために、まずお話しするところから始めましょうなどと導いてくれる存在が男には必要なのです。

 差し込み文章
 性生活を深く探求し、オーガズムに達しやすい方法を具体的に文章化すると、猥褻(ワイセツ)と社会は断罪し、または、有害図書という憂き目に遭うし、サイト上でも掲載不可となりますから具体的に示されない。だから男性は暗中模索した結果、一般社会では危険を孕んだ間違った性戯も見受けられるのだ。ただ言えることは、女性はオーガズムに達するにはセクシャリティ(性欲を望む)雰囲気の下であっても日々によって反応の良し悪し、というふうに複雑な身体の持ち主なので男性は質の高い優しい前戯を施してセックスに一極集中できる性戯をまずしっかり習得。そして女のあらゆる性感帯(オーガズムの定義)を知りそこへ、手入れされた綺麗な指・舌を使い十全に愛撫し、女の秘所にある性感帯を手の平で圧をかけて押し揉みとか等、あるいは同時に性用具を用いより深いオーガズム(エクスタシー「部分痙攣、或は全身痙攣を引き起こす」)に達してあげられる前戯を用い必ずや1・2度はイカしてあげる。それから次に自らを挿入し二人一緒にオーガズムに達する快感を微睡む。

教えてあげてもいいかな――――倉田
 恋愛は教育欲だという話をうかがっていて、合点がいったことがあります。童貞連合の人たちと会ったとき、いままでだと、「童貞なんて気持ちが悪い」と思っていたはずなのに、彼らを前にすると、ちょっと優しい気持ちになる自分がいたわけです。「そうかあ。なんにも知らないだったらなあ。ちょっと詳しく教えてやりたいなあ」というような気持ちの芽生えを感じました。

 20歳の頃ならとてもじゃないけど、気持ちが悪いだけだったと思います。それが優しい気持ちになっていることに、自分でもびっくりしました。年を重ねてたせいだと思うのですが、あるときから女も教育される側から、教育する側に立ちたいと思うところが来るのかも知れません。
 でもそれも相手によります。

 取材して別の童貞の人たちは不快だったので、とてもそんな優しい気持ちにはかれませんでした。彼らには謙虚さがない。

「僕は、頭がでかすぎる女はダメ。松嶋菜々子みたいな、小顔で、スタイルがよくて、足が長くて、大和撫子じゃないと嫁にはできない」と言いたい放題。それがちょっと瑕疵(かし)があろうものなら、スーッと自分から引いていく。少しのキズが見つかろうものならさっさといなくなっちゃうんです。女性に対する自分の要求ばかりきつくて、理想像にしがみついていて、気がついたらひとりってことになるのだろうな、と思いました。

 その彼が、あるとき、なにかの間違いで、すごく素敵な役員秘書たちと合コンをしたらしいのですが、カラオケでモーニング娘。を熱唱する秘書さんの姿を見て、「こんな慎ましやかでない女の人は、外見は好みだけど、僕の嫁にはしたくはない」と引いてしまったのだとか。あげくに「でも、やるべきことはやっとかなきゃいけなかったんですかねえ」と言うに及んで、ふざけるな!と思いました。

 童貞連合の人たちは「僕たち自信がなくて」みたいな謙虚さがあったら、教えたくなる衝動も芽生えたと思うんですが、彼らみたいに女性に対する要求ばかりきついと、そんな気にはなれませんね。

いまの男には女を教育できない――――斎藤
 教育する側と教育される側。それには図2のように、X字に交差するような組み合わせだといい関係が生まれるかも知れません。X字攻撃とでも言いましょうか。

 たとえば処女の場合、相手には童貞の男が相応しいわけではない。処女と童貞では様子が分からない同士ですからね。何をしたらいいか分からないし、上手くいかない。処女にはもののよくわかっている男性が相手になってゆっくりやるほうがいいわけです。童貞の男性のほうも、面倒をみてくれるこなれた女性が相手になる、というようにクロスする、Xの形になるほうが理想的なのです。
図2<理想の組み合わせ――X字型>
図2
写真
 前に言いましたが、いまは男のほうが、ほんとうの意味で女性を教育するだけの水位の高さを持っていない時代だと思います。昔は、経験の少ない女性に男性の方が「オレが一から十まで全部教えてやろう」ということだったのでしょうが、いまは女性の経験が豊富になっています。男は教育するどころじゃない。どうやって誘い、なんて言って最後まで持ち込んでいくか想像できない。そのためには技術が必要になっていきます。苦労も伴います。

 そこでプロの女性集団の出番になる。たとえばキャバクラ嬢。僕は最初なぜキャバクラがうけるのかわからなかったんですね。まず話をするところから始めましょうということで、練習をさせてくれるわけです。それでやっと納得がいきました。あそこはまさに男の学び舎です。年頃の女の子との話し方やらなにやらを実施で教育してもらう教育の場です。

 男性は何とかして女の子を落とそうとしているわけですが、キャバクラの女の人を落とすのは、普通にお勤めしている女の子を落とすより大変です。向こうは口説かれることに経験豊富な相手ですから。それを口説き落とすっていうのはよほどのこと。だからこそ技術が磨かれるわけです。

 口説くというのは、言葉が相手をその気にさせることです。でも、最近はしっかり口説ける男が少なくなっています。何がしたいのかわからないとか、もう少し雰囲気よく言ってほしかったとか、女の人をいらつかせているという状況があります。口説き方の技術が低下している。それを磨くにはキャバクラはいい場所だと思います。

 また、口説くには自分のほうが身を捨ててでも邁進するという心意気が必要です。「この後、次の店、どうですか」と誘ったときに、「けっこうです」と言われたら、それは引き下がらないといけない。いつも伝わるとは限らないわけです。それでも挫けず、次の日もまた九九を数え続けるというような、断られても行く心意気が必要ですが、現実には断られそうだからやめておくっていう男性が増えています。
 だから、ますます女の人は相手に不自由することになるわけです。

僕も一緒に成長していきたい!―――――斎藤
 それとは反対に、中には女によって教育されたい、女によって鍛えられたいと願っている男がいます。そういう男は、ちょっときつめの女、男に対して厳しい女を歓迎するのです。なぜならそのほうが、自分の為になると考えるからでしょう。

 ここでも座標軸を使うと分かりやすい。ここでは男の人のためのマップ図3を想定します。ヨコ軸に「一緒にいて居心地が良いか、悪いか」、タテには「付き合っていると伸びるかどうか」をとります。
<非教育欲の強さで見極める>
写真
図4
 右下の「居心地が良いけれど伸びないゾーン」。ここはその女の人と一緒に居ると居心地はいいわけですから、幸せかもしれませんが、男としてはいまひとつ充実していないかもしれません。こういう男のひとには「あなたすごい、素敵だわ」「あなたがいなくてはやっていけない」と寄りかかって甘えてくるのが上手な女の人ならば、上手く行きます。

 この対極にいるのが、非教育欲に富んだ男。自分のお尻を叩いてくれる人を待っているタイプです。
 図で言うと、「居心地は悪いけど伸びるゾーン」に入るひとです。「何をやっているの、しっかりしなさいよ」とか、「そんな肝っ玉の小さいことでどうするの!」と言ってくれる女性が好きなんですね。ビシビシ言ってくれない女は、かえって刺激のないつまらない女に映ってしまうというタイプです。甘えてばかりの女には興味をそそられません。

 これはある研究会でのことですが、ある才能豊かな若い男性に対して、一人だけ、いつでも手厳しいコメントをする女性がいました。僕は「なぜこんなに喧嘩を売るような物言いをするんだろう」と思っていたのですが、それからしばらくたって、その二人が結婚したと聞いて、なるほどと合点がいきました。

 伸びたいと思っている男性にとっては、彼女は意地悪どころか、本質をついた意見を述べてくれる人だったんですね。だから他の女性よりずっと輝いて見えたし、頼りになった。彼女と結婚したいと思ったのも当然でしょう。もちろん、その前提には彼女はその男のことを認めていたという事実があったわけですが。

 だからいつでも男にいいなりではなく、この男に見所があるなと思った時は、多少きつい女に見えても、刺激になるようなことを言ってあげた方がいいのです。
「このくらいで満足しないで、もっとできるんじゃないの」という感じで刺激してあげると、男もやる気になる。この女の人といると、もっと力が出そうだなと奮い立つタイプもいます。当然、こういうタイプには、いくら甘えていっても無駄。寄りかかっていくことがすきな女性は向かないでしょう。

7 セックスをしたら、それっきりはイヤ。
 避けていたら自然消滅!ももったいない。「1回きり男」かどうかを見極める法。

「1回きり」のバカ男は避けたい――――倉田
 ある席で男性の恋愛論を聞いていたら、「1回セックスしたらもう気がすんじゃう」と言ってはばからない男の人がいました。「この山は征服した、じゃ次の山!」という感じで、事が済んだ途端に相手の女性に興味が持てなくなるらしい。

 女性の立場からすると、とんでもないヤツですが、だからと言って、いつまでもそういう関係になるのを拒み続けているうちに、「それはイヤなのか!」と誤解して、別の女性に気持ちが移ってしまったなんてこともある。

 セックスするタイミングはどう計ればいいのか? 相手がセックスを目的の1回きり男であるかどうか見極めるにはどうしたらいいの?それこそが女性にとっては、いつになっても解決しない大きな問題なんですね。

 ある程度話してみたら、最初はこの人はそうじゃないと確信していたのに、「え、この人、1回やると、どうでもよくなるタイプだったんだ」と話を聞いて、意外な感じを受けたこともありました。

男は相手の経験の少ないのを良しとするのですが・・・・――――齋藤
 1回きりのセックスで後はどうでも良くなるケースには2つあります。
 ひとつは、「これは相性が良くないな」と気づいた場合、これには2回目はない。僕はこれはリコール期間というか、許されることだと思います。女の人にも同じようにリコールする権利があるし、お互いしょうがないことです。

 もう一つは、その経験の良し悪しにもかかわらず、1回のことですべてが終わった感じになって、相手に興味をなくすというタイプ。こちらは問題だと思います。1回したという事実によって征服したと思うのは男のカンチガイ。女性を完璧に満足させることができたのであればまだ征服したと言う資格もあると思いますが、ほとんどの相手の女性は満足していないでしよう。

 にもかかわらず、男の側からすると、相手の経験の少ないのを良しとするというところがある。女の経験の豊富さを全く評価しない。1回目はいろいろな面でテンションが高いから少々のことがあっても大丈夫ですが、相手に経験があれば、2回目、3回目となると、化けの皮が剥がれます。そして「この女性は経験がたくさんある」と知った途端に、別れてしまう男が多い。誠に身勝手な論理ですが、これは避けられない。

 その理由は、決して潔癖性だからとか、純潔さ信奉とかではなく、もっと単純なものです。女の人は非常に奥行きが深いので、回数を重ねるうち、「これはダメだ」というのと、「どんどんよくなる」というようにわかってくるようになる。だとすると、化けの皮が剥がれてしまいそうな男の人は、2回目3回目は避けたくなるんですね。だから、1回目はいちばんいい、1回きりで終わらせて気分よくいたほうがいいということになるのです。
 それとは別に好みの問題もかかわってきます。

 相手のレスポンスを求めたがるタイプか、そんなことにはおかまいなしのタイプかといことが関係してくる場合があります。後者のおかまいなし派、言ってみれば自己満足で終わるマスターベーション派と出会ってしまうと大変です。もちろん1回きり男に多いのは、このマスタベ派です。
 前者のレスポンス派で「1回きり」を最初から想定してセックスにいたる人は少ないのではないでしょうか。

じらし上手な女――――倉田
 むずかしいと思うのは、その男性が見た目では判断つきにくいこと、ちょっと話したぐらいでは分からない。「1回きり男」かどうかは、実際ことに及ばないと見極めようがないことなんです。女性は事前に何としてでも見極める事に精力を使います。それは基本です。なぜならことに及んでリスクを負うのは女性の方だからです。好きだったのに、セックスしてしまったがために、すぐに捨てられるのは避けたいことです。事がすんでから、その人のことを考えるようになったり、好きになったり嫌いになったり、「この人とはこれっきりでいいわ」ということは、女性の方にはあまりないでしょう。

 女はセックスよりまず愛。好きだとか、いっしょにいたいとか、そういう気持ちのほうが先で、それにセックスがちょっとついているだけ。セックスによって、ますます愛が増幅されることはあっても、愛そのものが浸食されることはないと思います。

 でも、男の人の場合、セックスそのものが愛に与える影響がとても大きい。だからセックスした後の付き合いがどんなふうになっていくのかは男の人次第、女の愛の明暗はそこにかかっていると思います。

 この間、若い女性タレントと対談してびっくりしたのは、若いのに、男の心のつかみ方がツボを得ていること。たとえば「好きな男とデートしても5回目まではやってはいけない」とか、「少なくとも3回目までは、もっといっしょにいたい、でももう帰らなきゃって、帰るべきんなだ」とか、細かなテクニックを披露してくれたのですが、たしかに、そうすることで「あ、簡単にはやれない女なんだな」と男の人は思うようになり、相手の女性が大事なものに見えてくる。簡単に1回目で「はい、できました」ということになると、大切にされにくいわけです。なるほど、と思って、急いで心のノートにメモをしたりしてみました。

誘ってくれなくなる可能性のほうが高いかもしれない。でも、そのときは自分から誘えばいいだけの話で、要は簡単にやれない女を演出したほうが、相手との付き合いを長引かせる、あるいは出会いを恋愛関係にまで持ち込んでいくのに、有効な方法ではないかと思いました。

 やれそうでやれない女のほうが、やれなさそうに見えてやれる女よりも価値が高そうな印象がありますよね。好きだからといって、すぐセックスしても構わないのですが、そちらのほうは誤解されやすい。軽い女だとか、誰とでもセックスに応じるとか。本当はそうではないんでけどね。なんとか相手といっしょにいたい気持ちの純粋なん成り行きなのですが。

 私自身はそんな余裕のあるワザをうまく使いこなせないけど、じらし上手な女が男心をひっぱっていくのは間違いないみたいです。

8 出会いからセックスへ。
 1回目をいつにするか、彼の心を読み間違っていませんか?

1回目はいつ、どんなタイミングがいいのか――――倉田
 最初のセックスのとき、「1回きり男」を避けたいというのもあるし、好きな人を失いたくないし、女はいろいろ考えます。たとえば、いちばん最初からいろんなことに積極的すぎる男を引くかしらとか、悩みは尽きない。

 これはよく女どうしで話すことなのですが、この間もある女性が「私、ワザが上手すぎて引かれたことがある」と告白したら、別の女性も「私ね、一番最初にしたとき、あんまり上手くなくて、嬉しいと言われた」と受けて、妙に納得した。

 男性は最初から全開でいいと思っているのです。そう言う余裕があるかどうかはともかくとして。女性の方はいろいろ抑えたり加減できると思うので、どこまで解放するかを考えて行動しなくてはならなくなる。本能のままというのはレアケースと言えるでしょう。

「あんまり積極的過ぎると引かれるのかしら」とか、「あまり上手すぎると引かれるのかな」とか、どこまでがちょうどいいのかが知りたいところです。ポイントは、最初で男の人に引かれたくないということ。

 繰り返しますが、女にとってはまず愛ありき、セックスはそれにちょっとついて来るものでしかないからです。

男の処女信仰、この足かせはなかなか外せない――――斎藤
 男が女の経験があるのを良しとしないのは、究極的に言うと、男がどれだけ処女性を重んじるかということです。男の処女信仰度。これは男によってすごく差があるし、段階があります。女の人をこなしている数とは関係ない。すごく経験のある男でも、「僕は処女信仰なんだよね」って言ったりしますからね。

 処女信仰というのは、男が克服しないといけないひとつの課題でもあります、そういう概念は、明治以前の日本の中にはなかったので、これはごく最近になってかけられた呪縛。この呪縛から解き放たれていくのが男の成熟でもある。

 処女を信仰している男たちにとっては、きれいなものがだんだん汚れていく、というイメージがあるのでしょう。真っ白いカーペットに一人の男の足跡がつき、いまやいろんな男の足跡がつきまくっている、というような。  真っ白なままだと、前人未踏の地に踏み込んだ、自分の足跡だけが残る、と思うのでしょうが、それは錯覚で、単にイメージの問題。たとえば、鍬の入っていない未開の畑があるというイメージしたら全然違ってくるわけです。そのままでは何も植えられないやせた土地だったのに、いろんな男の鍬が入って耕され、ようやく土が生きてきた、作物がぐぐっと育つ、いい土地になった。そんなイメージで捉える事だって可能でしょう。

 イメージ次第で、女ざかりは30代、あるいは40代と、頂点をもっと後ろに持ってくることも可能です。現に女性は男性に対して、こなれているほうがいいんだという目で見ているわけですね。それなのに、男性が女性を見る場合には、圧倒的に、白い無垢の花嫁衣装は美しい、みたいになっているのが良くないのです。矛盾しています。

 男性経験の少ない女性をいいと思うのが極端になると、ロリコンになっていく。もちろんメディアの功罪もあるのでしょう。テレビをつければ12、13歳の子がスポットライト浴びているわけですから、影響を受けている人は多いに違いない。それまでみんなみんな幸せならかまいません。でも現実には男女ともに不幸でしょう。
女の人は自分の恋愛経験に対してネガティヴになるし、男性も対象がどんどん低年齢化して、下手をすると犯罪になっていく。だとしたらこの考え方を変えたらみんなが幸せにかれるはずです。

 処女信仰の中には、前に言ったように、相手が処女だったら自分は誰とも比較されないという安心感があるのかも知れません。生まれたからにはできるだけ多くの女性と経験した、という人数に対する征服欲でもあるのでしょうか。汚れているというイメージが良くないのかもしれない。

 なにか人間の身体に対する非常に浅簿な思い込みがあるような気がします。それは改めないといけない考え方でしょう。白いカーペットが汚されていくということではなく、身体は経験の貯蔵庫のようなものであって、それが豊かになるのは祝福すべきことだと思えればいい。もし貯蔵庫が豊かであることを喜ぶ文化、男のほうにできたら、世の中も活性化します。

全般的に日本人にはナイーヴ信仰があって、無垢であるとか、素朴であるということに価値を与える傾向があることは否めません。実際そんなことはないのに、「プレッシャーをかけないほうが、いい個性が育つ」というような思い込みがあります。上手にプレッシャーをかけられたり、いろんな経験を積むことで性格が形成されていくのが成熟というものなのに、その観念がまったくない。

身体に関しても同じです。記憶の貯蔵庫という観念がないのです。恋愛を単なる二者の関係だと思わずに、その人に過去の他者が入り込んだ痕跡のようなものまで含めて愛することができたら、どれほど世界が広がることか。

 僕は文学という物は何の為にあるのかというと、1対1なのに、多対多であるような、不思議な贅沢さを味わうコツを学ぶためだと思っています。文学を全く知らないと、人間というものの奥深さがわからない。その人はその個人だけに見えてしまうわけです。

 たとえば、恋愛関係においても、女性は、過去に付き合った男性というものによって変化した存在として現在ある。そういうものとして見るのが、イヤだなと思ってしまったら、もうそこで終わり。そうではなくて、「あ、過去にこんなふうに手が加わっていたのか。付き合ってみて初めて気が付いた」「それって、自分の体験では決して出会えなかったことだろう。知ることが出来てよかった」みたいな見方ができれば、豊かな世界が開けて来る。

 そういう意味も含めて、男の人に文学的素養がなくなってきていることが、なによりも問題で、薄っぺらで貧相な感覚の関係が増えてしまっていることの原因となっているのではないかと思っています。

 甘いのと、苦いものはわかるけど、ちょうど中間の複雑なニュアンスはわからないという、単調な嗜好しか持ち合わせていない人で溢れるようになってしまっている。それではつまらないでしょう・黒と白だけしか見えない世界なんて味気がないですよね。

 人間を奥行きのあるものとして見る、あるいは一人の人間に関して第3の項目を楽しめるようになれるとがぜんぜん違って来ます。楽しくなってくるはずです。カップルという2という関係から、プラス一人で、3でつながりを持つ、相手が過去の男に嫉妬するのは、ばかばかしい。

 長年にわたって生きてきているのですから、いろいろな事情があります。それを排除しないで、ともにあるという考え。そのほうが、現実に即していると思うし、トラブルやイヤな感情を持たないですむようになります。

 女の人はすでにそれを受け入れているのではないでしょうか。少なくとも、相手の歴史を受け入れる。人の過去を忘れ去るのではなく、また排除するのではなく、豊かな奥行きとか刺激を受け入れることができるようになっていけると、人間関係も素晴らしいものになっていくのです。もちろんいまからでもそうなれるトレーニングしていく。それがいま、大事なのではないでしょうか。

9 本命にされる女をめざすなら、
 巨乳、アンダー15、セーラー服のような記号に寄ってくる男を見抜け!

本命にされない女って悲しい―――――倉田
 男性の処女信仰には征服欲がからんでいるというお話でしたが、女の人には数をこなしたいという欲望は無いように思います。ただ、寂しくてとりあえず誰かいたらいいという感じで、そんなに恋愛感情にこだわらないでセックスをする人はいるかもしれません。

 でもそれも大勢の、違う男である必要はないんですね。もちろん特定の人でも構わないような気がします。ただそういう簡単にしてしまう女の人からは、なにか自堕落な匂いを嗅ぎ取って、男の人が本命にしない傾向がある。本命にしてもらえないのは女にとってはありがたくないことです。できれば、いつもつきあう男性の本命でありたいのが、女性の偽らざる望みではないでしょうか。

「だめんず・うぉ~か~」の会員には、もちろんみんながみんなというわけではありませんが、男に大切にされない、本命にされないタイプの人がいます。どうしてそうなるのか。ここで、会員に巨乳が多いことに注目してみます。

 取材した会員が連続7人、Eカップだったこともあるぐらい。それから推測するのに、どうも、巨乳に寄ってくる男が良くないのではと思い当たりました。巨乳が好きというのはまだいい。「巨乳だから」という理由だけで寄ってくる男が、ダメ男なのです。

 いまの時代、「イエローキャップ」の面々が注目を浴びていて、どっちを向いても、Iカップだの、Hカップだのとか、極端に大きなバストが話題となっている現象と切り離せないかも知れませんが、とにかく男たちは巨乳に群がり、巨乳を追いかけるという具合。巨乳に対しての偏愛ぶりが、声高に堂々と語られるようになっています。

 ある女の子は道を歩いていたら、すれ違った男の人にいきなり「つきあってくれ」と申し込まれたのだそうです。その男は彼女の揺れる大きな胸を見て、追いかけて来たらしいのですが、すごくいい男だったので付き合ってみたものの、みごとにダメ男だったそうです。でも、そんな男はダメに決まっている。巨乳という記号にだけ寄ってきてしまうのですから、それではうまくいきません。

セーラー服も記号の一つでしょう。男の人はもともと、昔、少年或いは青年の頃に発奮した材料をそのまま持ち続けるクセがあると聞きますが、セーラー服好きもそうだと思います。中学、高校時代にいいなと性的に目覚めた経験を大人になっても引きずっていて、マスコミが同種の情報を発信すればするほど、反応していくわけです。

 同じようにローティーンの女の子たちがスポットライトを浴びれば、自然とそこに目がいく。私はハロー・プロジェクトやらつんく♂やらは、大罪を犯していると思っています。

 ただでさえ、日本はロリコン王国なのに、最近はアンダー15という言葉さえ出てきました。いわゆる15歳以下の女の子たちに欲情する男たち。彼らが、これからますます増えて行くのかと思うと、どうするんだ、日本、と腹立たしい気持ちになります。

 その一方で「20歳超えたらもう死にたい」とうそぶく10代が多いという事は、「女の子のほうも自分たちの価値をすでに意識しているわけです。世の中じゅうに「女の子は15歳がいちばんキラキラ」というようなメッセージが溢れている。冗談じゃないと言いたい。

 これはもう男女ともに不幸なことだと思う。10代の女性にとっても、20代の女性にとっても、30代の女性にとっても、もちろん男性にとっても、不幸な事です。この状況を変えるには男の人変わってもらうしかない。もともとはと言えば、男の問題なんですから。

 とにかく女性の内面に興味を持つものではなく、あくまでも記号に寄ってくる男たちには要注意。彼らとは最初から恋愛なんて成立しません。

呪いのお札をはがす―――――齋藤
 巨乳を克服するところから、男の成熟は始まる。大げさに言うと、僕はそう考えています。
 巨乳好きというのは、男がもともと宿命的に持っているもので、だんだん年を取るうちに好きになるというものではない。じつはそこをどう克服するかが男の成長の過程で、とても重要なファクターなのです。そして呪縛が解けると、一気に目の前が開けるようなところがあります。

 巨乳やアンダー15ばかりに目がいって、ちゃんと女の人を見る目がない、つまり眼力がないというのは、見る目を妨げているものが周囲にあるわけです。その妨げている呪いがなにか、それがわかればいい。巨乳を巨乳の呪いのお札を剥がせば、呪いから解き放たれて、冷静にものを見ることができるようになる。ただし30歳過ぎても、呪いがかかったままだと問題は深刻です。

それを男の問題だとほっておかないで、女の人も自ら伝道師となって、呪いを解くのに協力しないといけないかもしれませんね。

いろいろある呪いのお札――――倉田
 巨乳に限らず、いくつか呪いのお札になっているものは思い浮かびます。アンダー15はもちろん、フィギュア好きやアニメファンにもお札が張り付いているように思います。

 アニメの熱狂的なファンは、現実から乖離(かいり)しているのがありありとわかる。アニメに出てくる女の子たちはみんな、現実には有り得ないウェストの細さで、ありえない巨乳で、ありえない目の大きさで、しかも金髪。そこに夢中な男の人は、きっとリアルな女の人と対峙できないのではと想像します。

 男性も女性も、最初は誰でも呪いのお札が貼られているものです。実際私も高校時代まではスネ毛の生えている男がダメでした。女性みたいなつるっとした肌の質感でないと、受け入れられないと思っていたのです。

 でもいろいろ実践を積むうちに、そんな呪いが解かれていきました。いまなら胸毛もハゲもOKです。
 男も女も呪いのお札を剥がすことで本質を見る眼力がアップする。大人としてステップアップするわけで、皆が呪いから解き放されれば、世の中ずいぶん風通しが良くなるでしょうね。

10 相手のエネルギーの器をはかる。
 高エネルギーどうしはもちろん、低エネルギーどうしも相性がいい。

重要なのは身体感覚―――――齋藤
 巨乳にしろ、ウェストの細さにしろ、いま身体に対する注目度はすごく高まっています。でも、それは要するに物としての身体、見られるものとしての身体であって、じつは身体にとってあまり重要なことではない。重要なのはむしろ身体感覚、感度とも言い換えられますが、そちらのほうだと思う。

 実際に男と女がつきあうときには、身体でやりとりをするわけですから、感度が大事になってくる。巨乳だけれど感じない相手と、胸はそんなに大きくないけど感じる相手がいたとすると、全然感じない相手というのに男はまいるものです。自分のワザがきいていないような気がするから。反応がないので、あれこれやってみたりするのですが、そのうちなんだか虚しくなってくる。つまり、女性にとってももっとも重要なもののひとつは感覚。見られるものとしての身体よりも、触れられるときの身体感覚のほうを重視すべきだと思います。

 巨乳であるとか、ウェストが細いとか、見た目がどうだこうだは、あまり脳とは関係ありません。だから脳と脳とのつきあいにならない。それに比べて、感覚は脳との関係が深く、経験を積むことで、脳の中の電流の走る道が増えていきます。

 もともと、女性は男性より身体のあちこちの感覚が優れているので、柔軟に対処できる。男の人のやり方によっては、電流の流れやすい脳になって、より快感を得られるようになります。一度女性はそこにはまると抜け出させなくなるほど。

ただ、それによって俗に言う「クセがついてしまう」ということも起こるわけです。相手の感覚と交流するということは、相手の脳に踏み込むということ。つまり脳と脳との深い付き合いになるからです。

 男性の心意気としては、三世一身の法のごとく、以前付き合った男がつけた道ではない、新しい道を開拓しよう、ぐらいの気持ちでいけばいいのですが。

男性のポテンシャル―――――倉田
 男性の性的ポテンシャルは、個人個人によってずいぶん違いがあるように思います。
 極端な例で言えば、私の知り合いの夫婦は、まだ若いのにもう2年間セックスがないらしい。夫のほうがそれで別に構わないと聞きました。これはかなり極端なケースかもしれませんが、人によっては、月に一回でもいい男性もいれば、週に3回はした人、毎日でもしたい人がいる。男の人はほんとうにいろいろ、バリエーションが豊富です。女の人はそこまでバリエーションがない。逆に言うと、女は男性にいくらでもあわせることができるということです。

 男の人のポテンシャルも、実際に蓋を開けてみないとわからないもの。
 そういったことも含めて、恋愛を成立させるには、相性があるんです。性格だけではないし、才覚だけではない。人間としての、器量も関係してくるし、ここにエネルギー量も入って来るわけです。うまくいかせるためには、それぞれの要件がどう合っているか確かめつつがいいのではないかと思います。

 ポテンシャル、エネルギー量にしても、多い少ないかの単純な問題ではなくて、エネルギーの総量はすごく多いのに、性的なものは低いという男の人だっているわけです。そういう男性は生活の他のこと、たとえば仕事に注ぐエネルギーはすごく多いとか、人によってバランスのとり方はさまざま。だとしたら、そういう男の人には性的なものは期待しないで稼ぎに期待するというように、女の人もバランスを理解した上で付き合えば、うまくいく気がします。そのへんを見極めることが、男と女の関係を長続きさせる、ちょっとした秘訣かもしれません。

エネルギーの器があっていますか?―――齋藤
 たしかに男性の性的なポテンシャルは千差万別です。これも相性に深くかかわるのですが、エネルギー量が少ない者同士、淡白な者同士、あるいは多い者同士ただったら、うまくいく。たとえば女の人が淡白なのに、男が異常な精力家だと、うまくいかなくなるし、その逆もあるでしょう。そういうことは、たしかになかなかわかりにくいですし、だいたいいままでエネルギー量で相手との相性をはかるなんていう観点がなかったかもしれません。価値観が合うとか、顔が好みだとか、年収がどうのこうとかいろいろ言いますが、エネルギー量という観点はなかなか持ちえない。

 言ってみれば、これはエネルギーの器で人を見方です。エネルギーの器がちょうどバランスがとれている者同士が付き合うと上手くいくというセオリーです。

 いまは総じて女性の方がエネルギーが高い。そのことを前提に考えて行くと、エネルギー量の高い女性には、どんな男が合うかというと、一番合うのは、同じエネルギー量の男。ただ女性によっては、自分はエネルギー値高く行動しているけれど、エネルギーの少ない人といるとほっとするという組み合わせはなくはありません。ですが、一般的には同じほうがうまくいく。しかし、現代ではなかなかハイ・エネルギーの男を見つけるのは難しいので、結果としては、多少自分よりエネルギー量が少ない相手と付き合っていくことになるのですが、そのことを承知したうえであれば、だいたいうまくいくでしょう。

 身体の中に7つぐらいエネルギーのツボがあるとしたら、いま女性のツボはかなり開いています。4つ、5つ開いている女の人も珍しくないと思いますが、男性の方はほとんど開いていないんですね。それがエネルギー量の多さと関係して、開いていたほうが多くなるわけです。男性が、どうして、いつから開かなくなったのかというと、子どもの頃、ツボを開く遊びをしなくなったのと連動しています。正確に言うと、開かなくなったというより、開き損ねているのです。

 たとえば、長い間水中に潜っているとか、高い所から飛び降りるとか、7つのツボ全部を開いてエネルギーを全部使わないと間に合わない、限界まで挑戦するような遊びをしていない。だからツボが閉じたままになってしまっています。

 もし2つぐらいしか開いていなかったりすると、4つ開いている女の人とは、エネルギー量のバランスが悪くて、なにもしても関係がギクシャクしてしまう。価値観はOK、好みもほとんど大丈夫なのに、どうもいつも嚙み合わないとか、お似合いのカップルだと他人から思われていても、なぜかいつも不満がある。そういうときは、エネルギー量の差を疑ってかかると簡単に出口が見えてくるかもしれません。

 昔は、「気」というものがけっこう実感できるものでした。胆力とか、「気が満ちている」ということは、体感できるものだったのです。男同士、会った瞬間に、相手の気のエネルギーを判断するのが、ひとつの芸でした。あれこれ話さなくても、ひと目見たら「むむ、この人はできる、ひとかどのものだ」とか、「こいつは大したことはない」とか、そういう気のエネルギーで相手の器を見る風習があったと思います。

 男女の場合には、昔は男が女の人のエネルギー体として見ていなかった。そういう深い見方をしていなかったでしょう。でも、いま恋愛にその見方を持ってくると、別の関係が芽生えるかもしれない。自分が合うと考えている女性とは別に、エネルギー量のバランスがとれた、そういう意味で合う女性がいるのではないか・・・・・。価値観だなんだというけれど、エネルギーの値で人を見る、これはなかなかいいのではないでしょうか。

つづく 第二章 長続きさせてこそ恋愛の醍醐味がある。途中下車しない、させないためのメソッド。
どうしても途中で失速していく。なんとか長続きさせたい!