イ 協議離婚に至るケース
自助努力による関係修復が不可能になり、夫婦それぞれの結婚生活へのコミットメント意欲がなくなると、協議離婚という選択肢をとることになります。離婚した夫婦はそれぞれの喪失体験を抱えながら、別々の道を歩んでいくことになりますが、離婚の決断を意義あるものにするためには、自分の来し方をしっかり見つめ直し、子どもの養育など離婚に伴うさまざまな責任を引き受けて、前途多難な中にあっても新たな生き方を再統合してゆく姿勢と覚悟が必要となります。しかし、これは苦しく困難なことですから、離婚後も心身の不調が長引くケースが少なくありません。
ロ カウンセリングを求めるケース
近年は、わが国でも家族・夫婦カウンセリングに対する敷居が低くなってきており、離婚を視野に入れながらも、関係修復のために、あるいは子どもの為にカウンセリングを求めて来る夫婦もいます。不和の期間が十年来の長期にわたっておらず、婚外異性関係がないケースであれば、夫婦カウンセリングによる関係改善の可能性はかなり高いといえます。
その場合、悪循環による関係悪化のメカニズムやその背景にある要因を多角的に見立てることができ、効果的な援助のスキルと経験をもった家族療法家が関与することが必要です。
ハ 子どもの問題などが生じるケース
夫婦関係が悪化すると、子どもの行動上の問題や精神的症状が顕在化することが少なくありません。それが離婚の決断の後押しになる夫婦もあれば、いったんは休戦状態になる夫婦、さらには、我に返り、意を決して家族関係を立て直してゆこうとする夫婦もまたあります。この際にも、自助努力には限界がある場合が多いため、家族療法がおおいに助けとなります。
二 経済安定や家族の形態維持を優先して葛藤に耐え続けるケース
いわゆる家庭内別居や一部の熟年離婚ケースなどが、これに当てはまります。総じて、夫の社会的地位や収入が高いケースが多いようです。こうした形骸化した不自然な夫婦関係の中では、さまざまな三角関係化や、夫婦が子どもを介してコミュニケーションを維持する「迂回連合」。子どもが親に過度な気遣いや心配をしたり、あたかも親の親であるように振る舞う「親薬代行」といった不健全な状態に陥りやすくなります。
ホ 家庭裁判所に調停が申し立てられるケース
夫婦の一方が離婚を強く望み、他方がそうではない場合は、調停が申し立てられることになります。また、離婚には合意していても子どもの親権者、あるいは財産分与や慰謝料、養育費で折り合いがつかないといった場合も同様です。
調停はあくまでも両者の話し合いと合意によるものですが、そもそも話し合いが難しい当事者にとっては、家裁での調停は「争い」同然で、事後になんらかのしこりを残してしまうことも少なくありません。
申し立ての動機はいろいろです。ある種の駆け引きや主導権をとろうとする意図があったり、互いに譲らない意地の張り合いであったり、恨みや憤怒を募らせた結果であったり、破綻した関係にさえもしがみつかざるを得ない脆弱性などが絡んでいたりなどです。そのような事情をふまえて、家庭裁判所では必要に応じて、家族関係や人間関係のもつれの見立て・介入の専門家である家庭裁判所調査官が関与する制度が整えられています。
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3〇「縮小・背信」への落差が深刻な場合
決定的な異性関係や顕著な暴力、虐待など深刻な出来事があった場合には、それだけで、「縮小・背信」への転落が大きく、関係修復が相当難しくなります。この場合、その事実が消えるということはありませんから、そのうえで、結婚生活を継続するかどうかの自己決定を迫られます。また、そうした問題が生じる背景には、多くの場合、相手の性格的な特異性や原家族に由来する根深い問題も絡んでいますから、いったん離婚が意識されると、再度、関係を修復しようという意欲はほとんど失われます。
民法770条には、配偶者の不貞、暴力などの悪意の遺棄、回復の見込みのない強度の精神病などが、裁判離婚の条件に挙げられていますが、それらの事象が結婚生活上、耐え難いものであることが前提とされているということでしょう。
したがって、離婚後の夫婦が現実を直視したうえで、各人がいかに自分なりの成長を成し遂げ新たな生き方に開かれていくか、そして何よりも子どもへの影響を最小限に抑えられるかなどが援助の焦点になります。
しかしながら、離婚される側が現実を受け入れられず、自殺(未遂)や自傷、暴力行為、ストーカー的なつきまとい、その他、子どもや双方の実家を巻き込んでの深刻な紛争などが起こりやすい状況でもあります。
「自己分化」という観点から
最後に、「自己分化」という観点から、離婚について考えてみたいと思います。
自己分化とは、私たちが情緒的にも知性的にも多様な機能を細やかに働かせられるようになる内的プロセスです。その度合いが低い場合には、情緒と知性が融合してしまうため感情的に振る舞いやすく、対人関係において適度な依存的になったり、周囲を感情的に巻き込んだり巻き込まれやすくなったり、逆に相手を一方的に排斥(はいせき)してしまったりします。
他方、自己分化度の高い人は情緒的に豊かであると同時に知性をバランスよく機能させることができ、自立的で場に応じた感情コントロールに優れているという特徴があります。ですから、対人関係においても精神的結びつきと自立的な言動のバランスがとれており、柔軟に対応できるのです。つまり、自己分化度の高さは、家族などの対人関係における心の成熟度とも、自立性の度合いとも、親密性な関係を築きやすさともいえるのです。
したがって、まず、自己分化度の高い夫婦よりも、低い夫婦のほうが離婚の危機は生じやすくなります。そして、低ければ低いほど混乱や紛争が深刻になり、離婚の悪影響が長引きます。また、M・ボーエンによれば、自己分化度は世代を越えて伝達され、人は自分と同じ程度の自己分化度の配偶者を選びやすいとされていますから、ある家系では次々と離婚が繰り返されることになります。
そのような離婚が建設的な再出発につながることは少ないのですが、自己分化度が相当に低い夫婦は、そもそも結婚生活自体に問題が蔓延していますから、一概にそこに踏みとどまればよいものだともいえず難しいところです。実際、そのような夫婦は援助ニーズが相当に高いのですが、家庭カウンセリングはもちろん家庭裁判所の調停手続きにものらないことが少なくありません。
しばしば、家族間暴力や経済的困窮、非行、犯罪などを通じて、福祉機関や司法機関の援助を受ける事になります。しかし、当事者らには離婚や異性関係などは相対的に顛末な問題として認知されがちです。このような離婚をめぐる現実やその犠牲になっている子どもたちの数は、無視できるほど少数ではありません。私たちはあらためてこの問題をしっかりと考えてみる必要があるとおもいます。
また、いずれにしても、夫婦関係の修復のプロセスを有効に機能させ、良好な結婚生活を長続きさせるためには、互いが関係上の困難に対処したり乗り越えたりしてゆくことを通じて、自己分化を高めてゆく努力が必要ということになります。
実際は、当初から夫婦の自己分化度に差があるとか、結婚生活を通じて一方の自己分化度が高まり、他方のそれが相対的に低くなるというケースも少なくありません。このような場合、離婚を切り出した自己分化度の高い側の配偶者は、離婚により自分らしさを取り戻し、新たな人生を前向きに生きていくようになるケースが一般的です。
逆に、自己分化度の低い配偶者の方から離婚が主張されるケースもありますが、そこには、相手を巻き込むための駆け引きであったり、現実から目を背けて過度に他罰的になっていたり、自分の甘えを満たしてくれない相手を排斥してしまったりなどという心理が働いていますので、離婚がさらなる不幸を招いてしまうということになりがちです。
つまり、良好な結婚生活を維持してゆくためにも、離婚を通じての自己実現を成し遂げるためにも、自己分化度を高めてゆく努力を放棄してはならないといえましょう。
4 いかに危機を乗り越えられるか?
たとえ結婚に満足している夫婦であっても、互いの性格や興味や価値観には大きな違いがあり、家計、仕事、子ども、家事、性生活、互いの原家族の問題などについての多くの口論や衝突があり、それは離婚する夫婦と同等程度であるとの研究結果があります、そのうえで、夫婦間の問題の多くは二人育ちの原家族、それまでのライフスタイルや性格などの違いという根本的なものに根差しており、実は夫婦間で解決できないものが多く、良好な夫婦関係の維持には、問題をそれ以上大きくしないように心がけが非常に大切です。
つまり、夫婦が離婚してしまうか否か、その修復(「和解」)のプロセスがうまく機能するかどうかにかかっており、そのためには夫婦が共同生活者として互いに尊敬や喜びを分かち合えるような友愛性(友情のような関係)をもてることが大切になってきます。
それは毎日の小さなやりとりのなかで相手への気遣いを示し、相手の良い面を認めてそれを褒め伝え、相手の不十分な点や弱いところに寛大であろうとする心がけを持つことが決め手となります。
夫婦間の問題に介入援助においても、まず何よりもコミュニケーション悪化の悪循環を食い止め、夫婦の友愛性を取り戻すことが、深刻な危機を防いだり、乗り越えるために非常に大切なことです。この点で夫婦療法が効果的なのは、カウンセラーが夫婦のコミュニケーションの悪循環を的確に把握し、即時的かつ積極的に介入すると同時に、互いの関係修復に向けての働きかけが有効に機能するように配慮するためであり、
さらにその上で必要に応じて、夫婦それぞれの苦悩や感情のもつれに対処したり、問題を深刻化してしまう考え方や言動に働きかけたり、自己分析や原家族との関係などの個人的要素が強い側面に介入するといった多次元的、統合的なアプローチがなされるからです。
そのような働きかけも結果的に二人が友愛的かかわりを取り戻し、自助努力による修復機能を回復させることを最終的な目的とした援助であると言えるでしょう。
とはいえ、夫婦の少なくともどちらか一方が、相手のありようや自分との価値観の違いをどうしても受け入れがたかったり、ともに暮らすことがひどく苦痛だったり、自分が自分らしく生きられなかったりするとしたら、離婚という決断ももちろんあってよいことです。
あまり幸せでない結婚生活も、結果として離婚という選択も、その背景にはいろいろな要因が絡んでいて、巡り合わせの運、不運があり、個人ひとりの責任には帰せません。しかし、自分の身に起こったことは誰にも身代わりにはなってくれません。したがって、悲しみとともに現実を引き受けてゆくしかありません。
離婚を通じて自分らしさを取り戻し、新たな人生に開かれていった人は、そのような意味での人生の責任をしっかり引き受けていった人たちです。
藤田博康
恋愛サーキュレーション図書室