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第二の性 Ⅱ体験 ボーヴォワール 中嶋公子・加藤康子監訳
母親になる事によって、女はその生理的運命をまっとうする。それは女の「自然的な」使命である。
女の身体は全体が種の維持のために方向づけられているからだ。しかし、既に述べたように、人間社会はけっして自然のままになっているわけではない。とくにここ百年ほど前からは、生殖機能は単に生物学的偶然のみに支配されるのではなく、意志によってコントロールされるようになっている(*1)。
膣外射精
いくつかの国ではバースコントロールの適切な手段が公式に採用されている。カトリックの影響下にある国でも、密かに行われている。男が膣外射精をしたり、女が性交の後で精子を体外に除去したりするのだ。これはしばしば恋人たちや夫婦の間で争いや恨みの種になる。男は自分の快楽を見張っていなければならないことに苛立ち、女はわずらわしい洗浄を嫌がる。
男は女のあまりにも多産な腹を恨み、女は自分の体内に生命の種子が残されてたかもしれないと心配する。そして、用心したにもかかわらず「できてしまった」ときは、二人とも茫然としてしまう。こういうケースは、避妊方法が初歩的な国ではよくあることだ。そういう場合、反・自然はとりわけ深刻なかたちをとる。妊娠中絶である。しかしフランスでは、中絶は多くの女たちの性生活につきまとっている。
ブルジョア社会がこれほどその偽善をあらわにしている問題は少ない。中絶は嫌悪すべき罪であり、ほのめかすだけでも慎みがないという。作家は、出産した女の喜びや苦痛を描写するのは結構だが、中絶をした女のことを語ると、品性下劣であり、人間はおぞましい味方で描くと非難される。ところが、フランスでは毎年、出産と同じ数の中絶があるのだ。
これは非常に広まっている現象なので、女の条件が普通に含んでいる危険の一つとして考える必要がある。しかしながら、法律はあくまでも中絶を犯罪とみなす。この慎重を要する手術が非合法で行われるよう強いているのだ。中絶の合法化に反対する議論ほど不合理なものはない。
反対論者は中絶は危険な手術だと主張する。しかし、良心的な医者たちは、マグヌス・ヒルシュフェルト博士[ドイツの性科学者。1928年、ハヴェロック・エリスと共に「性改革世界同盟」を設立]を支持して、「中絶は、病院で必要な予防措置を施したうえで正規の専門医が行う場合には、刑法が主張しているような重大な危険を伴うことはない」と認めている。
養護施設の虐待
逆に、現状のようなやり方だからこそ、中絶が女を大きな危険にさらしているのだ。「堕し屋」の力量不足や手術の行われる条件のせいで、時には致命的な、多くの事故が生じている。不本意な出産しても、親には養育能力がないだろうから、養護施設のいけにえか「被虐待児」になる虚弱な子どもを世の中に放りだすことになる。さらに、胎児の権利を擁護するのにこれほど熱心な社会が、生まれた子どもたちには関心を示さなくなる事も指摘しておかなければならない。
擁護施設という名の、この破廉恥な施設の改革に取り組む代わりに、無資格の中絶施術者たちを訴追する。だが、孤児たちを体罰執行者に引き渡す責任者たちは自由の身にしておく。「少年院」や私宅で児童虐待者が行っている酷い横暴には目をつぶっている。
そして、胎児はそれを宿している女のものであるとは認めないのに、生まれた子供は両親のものであると認めるのだ。同じ週の内に、中絶手術で有罪になったために外科医が自殺するという出来事があり、息子を半殺しにするほど殴打した父親を執行猶予付きで三ヶ月の禁固刑に処するという判決があった。
最近では、ある父親が小児ジフテリヤにかかった息子の手当を怠り、死なせてしまった。ある母親は、神の御意志に無条件にお任せするということで、娘のために医者を呼ぶのを拒否した。墓地で子どもたちがこの母親に抗議の石を投げつけた。しかし、数人の新聞記者たちが憤慨の声をあげたのに対して、一団の善良な方々は子どもは親のものだ、他からの干渉はどんなものであれ許せない、と抗議した。
『ス・ソワール』紙によると、今日、「100万人の子どもが危機に瀕している」。『フランス=ソワール』紙は、「50万人の子どもたちが肉体的・精神的に危険な状態にあると指摘されている」と書いている。北アフリカでは、アラブの女は中絶することができない。彼女が産む子どもの内10人に七、八人は死ぬが、それを気にする者はいない。
苦しく無意味な出産を繰り返すうち、母性的感情は殺されてしまったのだ。こちらの方が道徳的だとするなら、このような道徳をいったいどう考えればよいのか。胎児の生命をこの上なく尊重する男たちはまた、成人男子を戦場での死へと追いやるのに最も熱心な人たちであるということを付け加えておかなければならない。
中絶合法化に反対して持ち出される実際的な理由は、なんら重要性のないものだ。道徳的な理由はというと、これは古くからのカトリックの論法に過ぎない。胎児にも魂があるのに、洗礼もせずに殺してしまうと、天国への扉を閉ざすことになるというのだ。注目すべきことに、キリスト教会は成人を殺すことは場合によっては許可している。
戦争や死刑囚の場合である。しかし、胎児については断固として人道主義を保持している。胎児は洗礼によって聖(きよ)められていないという。だが、異教徒たちと対する聖戦の際、彼らもまた聖められてはいなかった。そして、そのために殺戮は公然と奨励されたのだ。宗教裁判の犠牲者もおそらく誰も神の恩恵に浴してはいなかったし、今日ギロチンにかけられる犯罪者や戦場で死ぬ兵士たちも同様だ。
これらの場合はすべて、キリスト教会は神の恩恵に託している。協会は、人間は神の手の中の道具にすぎないこと、魂の救済は教会と神によって決定されることを認めている。それではなぜ神が胎児の魂を天に召すことを教会は禁じるのか。もし宗教会議がそれを認めれば、インディアンの敬虔な虐殺が行われた良き時代と同じように、神が反対なさることはないだろう。
実際、ここでは道徳となんの関係もない頑固な古い伝統にぶつかっているのだ。また、すでに述べた男のサディズムも考慮にいれるべきだ。1943年にロワ博士がペタン元帥[第二次世界大戦中の対独協力フランス政府(ヴィシー政府)の首班]に献じた著書は、一例である。
悪意の記念碑とも言える。彼は中絶にともなう危険を親切そうに強調するが、帝王切開ほど衛生的なものはないと思っている。彼は、中絶は軽罪ではなく重罪と見なさるべきだと主張する。治療的なもの、すなわち妊娠の母体の生命あるいは健康を危険にさらすような場合に関するものでさえも、中絶は禁じるべきだと希望している。
彼は、二つの生命のどちらか一方を選ぶとは不道徳だと言明するが、これまでの論法からすれば、母親の方を犠牲にするように勧めているのだ。胎児は母親のものではなく、独立した存在であると彼は言明する。しかし、同じ「正統派の」医師たちは、母性を賛美するときには、胎児は母体の一部であり、母体を犠牲にして育つ寄生物などはないと断言する。
いく人もの男たちが女を開放する可能性のあることは何でも拒否しようと示すこの執念は、反フェミニズムの思想がいかに根強いものかをわからせてくれる。
そのうえ、多くの若い女を死や不妊や病気に追い込んでいる法律は、出生率の増加するうえではまったく無力なのである。合法的中絶の支持者も反対派も一致して認めている点では、抑圧は全面的に失敗であったということだ。
犯罪だということになっている中絶は50万件
ドレリス、バルタザール、ラカサーニュ諸教授によれば、フランスでは1933年当時、年間50万件の中絶があったようだ。1938年に作成された統計(ロワ博士が引用したもの)では100万件と推計されている。1941年にボルドーのオーベルタン博士は、80万件から100万件のあいだと推定している。この最後の数字が最も現実に近いと思われる。1948年3月の『コンバ』紙の記事で、デブラ博士はこう書いている。
中絶は風習化している・・・・抑圧は事実上、失敗した・・・・セーヌ県では、1943年、1300件の取り調べがあり、750件が告訴され、360名の女が逮捕された。513件が一年未満から五年以上の有罪判決を受けたが、県内で1万5000件と推定されている中絶数に比較すると、この数は微小である。フランス全土での告訴件数は1万件である。
さらに、
犯罪だとなっている中絶は、偽善的社会が認めている避妊政策と同様に、あらゆる社会階層になじみのものになっている。中絶した女の三分の二が結婚している・・・・概算して、フランスでは出産と同数の中絶があると言える。
手術がしばしば悲惨な条件のもとで行われるため、多くの中絶が妊婦を死に至らしめる。
一週間に二人の割合で、中絶した女の遺体がパリ法医学研究所に届く
また、治癒の見込みのない病気を引き起こす場合も多い。時には、中絶に「階級犯罪」だと言われてきた。それは大体において真実だ。避妊法はブルジョア階級の方がずっと普及している。家に化粧室があるために、水道のない労働者や農民の場合に比べて、「膣内水道洗浄」避妊の実行も容易である。
差し込み文章
男にとってセックスは自分の立場、男としての有能感を賭けた戦いの場。
それですべてがうまくいき、満足できればけっこうなことだが、“戦い”に敗れたときは悲惨である。失われた自信はそう簡単に回復できない。まして、女性から「あなたヘタね」とテクニックを批判されたり、「もうイッちゃったの?」と早漏を指摘されたり、「けっこう小さいのね」とペニスの小ささを笑われたりすると、セックスすることがすっかり怖くなってしまつたりする。
演技せざるを得ない女性
ところで、「どうだった?」「イッた?」と男性から聞かれた女性は、いったいどう答えてよいものか戸惑ってしまうものだ。
「イカなかった」「ダメだった」と答えれば男性が落ち込むのは目に見えている。
だから本当はイッていなくても、「うん、いっちゃったよ」などとウソをつくか、「イクってどういうことかよくわかんないけど、気持ちよかったよ」などと答えてお茶を濁すしかない。
もうこんな無駄な低いレベルでは一生涯本当のオーガズムを得られるとは思えない。ペニス十二センチ以下で小ささではどう頑張っても膣内オーガズムをえる女性は少ない、特殊のインナーエクササイズを数年以上行っている女性でもオーガズムに達するのは難しいかも・・・・。
そもそもオーガズムを知らない男女が多すぎる、オーガズムに達しやすい技能を学び誰かれも知り感じることができる軟質シリコーン製の避妊器具と膣挿入温水洗浄器使った方法がある
ブルジョア階級の娘たちは、他の階級の娘たちよりも用心する。夫婦の場合にも、子どもの為の負担は他の階級ほど重くない。貧困、住宅難、女が家庭外で働かなければならない事などが中絶の原因のなかで最も多い。夫婦が出産を制限しようと決心するのは、二回目の出産の後が最も多いようだ。
だから、醜悪な顔をした中絶女は、腕に二人の金髪の天使を抱いてあやしているあの美しい母である。同じ女なのだ。1945年10月の『現代』誌に載った「大部屋」というドキュメンタリー記事で、ジュヌヴィエーヴ・サロー夫人は、彼女が入院していた病院の一室のさまを描いている。
その病室は搔爬(そうは)を受けた患者が多く、18人中15人が流産で、その半数以上が故意に起こしたものだった。9号の患者はパリ中央市場の運搬作業員の妻で、二度の結婚で10人の子を産んだが、そのうち3人しか残っていなかった。7回流産したが、うち5回は故意のものだった。彼女はよく「金属棒」のテクニックを用いたが、それを得々と説明したり、使用した錠剤の名前を同室者たちに教えていた。
16号は16歳で、既婚だったが、何度か浮気をし、中絶が原因で卵管炎にかかっていた。35歳の7号の患者は、こう言っていた。「結婚して20年になるけど、夫を好きだと思ったことは一度もないの。20年間品行方正よ。それが3か月前に恋人ができて。一度だけ、ホテルの部屋で。妊娠してしまって・・・・だから仕方ないでしょう。堕したの。このことは誰もしらないわ、夫も・・・・彼も。これでおしまい。もう二度とこんなことはしないわ。とても辛いもの・・・・搔爬のことを言っているんじゃないの・・・・ちがう、ちがう、それとは別よ。つまり・・・・自尊心、ね」。
14号は5年間に5人産んだ。40歳だというのに、老女のように見えた。どの女にも絶望からくる諦めがあった。「女は苦しむためにできているのよ」と、彼女たちは悲しげに言うのであった。
この試練の深刻さは、状況によってかなり違ってくる。ブルジョア的な結婚をしたり、男の援助を受け、扶養されて快適な生活をしている、お金も縁故もある女は有利である。まず、ずっと容易に「治療上」の中絶許可を手に入れる。必要とあれば、中絶が自由に認められているスイスまでの旅費を賄う事も出来る。
堕胎の現状
では、衛生上の措置を万全にし、場合によっては麻酔を用いて、専門医が行なえば簡単な手術である。公的援助を得られない場合でも、こういう女たちは同じくらい確実な裏の手を見つける。適切な連絡先を知っており、十分なお金をもっていて妊娠の月が進まないうちに良心的な手当を受ける事ができる。
彼女たちは手厚く扱ってもらえる。これらの特権的立場の女たちの中には、この程度のことなら健康にいいし、肌につやを与えるなどと言う者もいる。それに反して、独りぽっちでお金もなく、周囲の人たちに許してもらえるはずのない「過ち」を隠そうとして、「罪」へと追い込まれていく娘の苦境ほど哀れなものはない。
フランスでは毎年、約30万人の事務員、秘書、学生、工場労働者、農家の女たちがこういう目に遭っているのだ。婚外出産はまだ恐ろしい汚点なので、未婚の母になるよりは自殺や嬰児殺しの方がましだと思う女が大勢いる。
どんな刑罰も彼女たちに「子どもを堕す」のをやめさせることはできないだろう。何万もの同じようなケースでよく出会う一つの例が、リープマン博士の収録した告白のなかに語られている(*2)。靴屋と女中の間に婚外子が生まれたベルリンの娘の話である。
10歳年上の近所の息子と知り合って・・・・愛撫されるのは初めての経験だったので、されるままになっていました。でもそれはまったく恋愛なんかじゃなかったのです。彼は、私にいろいろと手ほどきしました。女のことを書いた本を私に読ませたりして、結局、彼に処女を与えました。二ヶ月待って、スプーズの幼稚園の先生の職に就こうという時、私は妊娠していました。
その後の二カ月間も、月経はまったくありませんでした。私を誘惑した男が手紙で、是非とも、月のものが戻って来るようにしなければならない、石油を飲み、軟石鹸を食べるように書いてきました。私が耐え忍んだ苦痛をここでお話することは、もうとてもできません・・・・私は独りぽっちでこの悲劇の行くつくところまでいかねばなりませんでした。子どもが生まれる心配は私に恐ろしいことをさせました。そのとき、私は男への憎しみを知ったのです。
紛れ込んでいた手紙でこの事情を知った幼稚園の牧師が長々とお説教をし、彼女は男と別れたが、まるで汚らわしいものを避けるように扱われる。
一年半、少年院にでも入っていたようでした。
その後、彼女はある教授のところで子守りになり、そこに四年間いた。
その頃、私はある役人と知り合う事ができました。本当に愛せる人ができて幸せでした。愛情をこめてすべてをこの人に与えました。彼との関係の結果、24歳のとき、元気な男の子を産みました。その子はいま10歳です。
父親にはもう9年半会っていません・・・・私は2500マルクという額は不十分だと思ったし、彼の方では、子どもが彼の姓を名乗るのを拒否して認知してくれなかったからです。私たちの仲は終わったのです。もうどんな男も私に欲望を感じさせることはありません・
女に子どもを始末するように説得するのは、多くの場合、誘惑した男自身である。或いはまた、妊娠に気づいたとき、女が既に捨てられていることもあれば、自分の不運を寛大にも男に隠そうとしたり、男にどんな助けも見いだせないでいることもある。
時には、女が渋々子どもを宿したままでいることもある。すぐには子どもを堕す決心がつかないとか、どこですればよいのか連絡先をまったく知らないとか、お金がないとか、役にも立たない薬を試していて時期を逸したとかいう理由からである。
子どもを始末しようとする頃には、妊娠三ヶ月、四ヶ月、五カ月にさしかかっていて、中絶は初期の数週に比べるとずっと危険で、苦しく、厄介なものになるだろう。女はそれを知っている。しかし、こうした苦悩と絶望の状況の中で、女は思い切って処置をするのである。田舎では、ゾンデの使用はほとんど知られていない。
「過ちを犯した」農家の女は納屋の梯子から落ちたり、階段の上から身を投げたりするが、たいていは怪我だけしてなんの成果もない。こうして、垣根や、茂み、汲み取り便所の中などに首を絞められた小さな死体が見つかる事になるのだ。都会では女たちは互いに助け合う。
しかし、「堕し屋」を見つけるのは簡単ではないし、請求額を工面するのはもっと大変だ。妊娠した女は友達に頼むか、自分で処置する。これらのにわか外科医はたいてい、ほとんど知識がない。彼女たちは金属棒や編み棒で、ややもすると傷をつけてしまう。ある医者が私に話してくれたことだが、一人の無知な料理女が子宮に酢を注入しようとして、膀胱に入れてしまい、ひどい苦痛を引き起こしたという。
乱暴な誘発作用と、手当ての悪さのせいで、しばしば流産は普通の出産よりもずっと耐え難いものになり、癲癇(てんかん)の発作に近い神経障害を併発したり、重い内科の病気を誘発したり、出血死を招いたりすることもある。
コレットは『意地悪女』のなかで、ミュージック・ホールの踊り子が無知な母の手にかかって苦しみながら死んでいく場面を描いている。それによれば、よく使われた手段は、濃い石鹼水を飲んで15分間走ることである。これで子どもを始末する代わりに母親を殺してしまう。あるタイピストが、人を呼ぶのが怖くて、飲まず食わずで、三日間、自分の部屋で血まみれになっていたという話を聞いたことがある。
死の脅威と罪や恥の脅威が交錯するなかで見捨てられている状態ほど恐ろしい遺棄を想像することはできない。貧しい女でも、結婚していて、夫と同意の上で事を運び、必要以上の良心の呵責に苦しめられない場合には、試練の過酷さは少なくなる。
あるソーシャルワーカーの話では、「貧民街」では、女たちが互いに助言しあい、道具を貸してやり、足の魚の目を取るときと同じくらい簡単に助け合っているという。しかし、彼女たちも激しい肉体的苦痛を免れることはできない。病院は流産しかかっている女を受け入れる義務があるが、陣痛のあいだも搔爬手術のあいだでも一切の鎮痛剤を与えるのを拒んで、残酷な罰を与えるのだ。
とりわけG・サローが集めた証言にあるように、あまりにも苦しむことに慣れてしまった女たちはこのような迫害行為に憤慨さえもしない。しかし、彼女たちは浴びせられる屈辱には敏感である。手術が闇で行われ、犯罪になるという事実が、危険度を倍加し、この手術をおぞましく、不安なものにしている。
苦痛、病気、死の懲罰のあいだには大きな違いがある。女は自分が引き受ける危険を通して自分に罪があると感じるのであり、とくに耐えがたいのは苦痛と過失にこのような解釈が与えられることなのだ。
このドラマの道徳的側面がどれくらい強く感じ取られるかは、状況に応じて差がある。財産や社会的地位、自分の属する自由な環境のお蔭で非常に「開放されている」女たち、また、貧困や悲惨によってブルジョア的道徳への軽蔑を学んだ女たちにとってはあまり問題にならない。多かれ少なかれ嫌な時期を過ごさなければならないが、その時期をやり過ごせば、それでおしまいだ。
しかし、多くの女たちは道徳に脅えている。彼女たちにとって道徳は、それに自分の素行を合わせることはできなくても、やはり威厳のあるものに見えているのだ。彼女たちは内心では掟を尊重していて、それに背いたり、罪を犯すことに苦しむ。さらに、自分のために共犯者を見つけなければならないことにいっそう苦しむ。まず、人に懇願しなければならないことに屈辱を感じる。連絡先、医者や助産婦の手当てについて懇願しなければならない。
偉そうにがみがみと言われたり、品位を汚すような共謀に身をさらしたりもする。故意に人を罪に引きずり込むこと、このような状況を大部分の男は知らぬふりをしているが、女は恐れと恥の交錯するなかでそれを経験するのだ。女は、手術を求めながらも、本心は拒否していることも多い。
彼女の内面は二つに引き裂かれている。彼女の自然な欲求は、生まれるのを彼女自身が拒んでいるその子をそのままにして置きたいという事であるかもしれない。母になる事を、たとえ積極的に望んでいないとしても、自分のしている行為の両犠牲を感じている。というのも、中絶は殺人だというのは本当にないにしても、ただの避妊手段と同一視することも出来ないからだ。
罪悪感が病的憂鬱症、不感症へ
一つの絶対的な始まりである事態が起こり、その発展を止めてしまうのだ。生まれなかった子どもの記憶に悩まされる女たちもいる。ヘレーネ・
ドイッチは(*3)、ある既婚女性のケースを例に引いている。
その女性は心理的には正常で、生理的条件のせいで三ヶ月の胎児を二度なくしたのだが、二つの小さな墓を作らせ、後に何人もの子供を産んでからも、敬虔に弔っている。
まして流産が人工的なものである場合、女は罪を犯したという気持ちを抱くだろう。子どもの頃、新しく生まれた弟に嫉妬して、死ねばいいと願った後で感じた後悔の念が甦る。それに今度は本当に子どもを殺してしまったことで、女は罪を感じるのだ。
この罪悪感が病的憂鬱症となって現れることもある。人の命を奪ってしまったと考える女とならんで、自分自身の身体の一部を切断されたように思う女も多い。そこから、この切断に同意したり勧めたりした男への恨みが生じる。H・ドイッチはまた、ある娘のケースを例に引いている。その娘は恋人を心から熱愛していて、二人の幸福の邪魔になるだろうからと、子どもを処分することを自分の方から主張した。
ところが、退院すると、自分が愛していたその男に会うことを永久に拒絶したのだ。このようにきっぱり別れるのは珍しいが、逆に、男全体に対して、あるいは自分を妊娠させた男に対して、女が不感症になることはよくあることだ。
男が中絶を軽く扱う傾向がある。彼らは中絶を自然の悪戯(いたずら)が女に運命づけている数々の事故の一つだとみていて、そこに関わっている価値については考慮しない。男の倫理が最も根源的に自らに異議を唱えるとき、まさに、女は女であることの価値、自分自身の価値を否定する。
女の道徳的未来はそれによって動揺する。実際、子どもの頃から女は産むためにできているのだと繰り返し教えられ、母性の賛歌を聞かされてきた。女であるための不便――月経、病気に――、退屈な家事、これらすべては子どもを産むという女だけのすばらしい特権のために当然のこととされてきた。ところが、男は自分の自由を守るため、自分の将来が不利にならないようにするため、自分の職業上の利益のため、女に雌としての勝利をあきらめろと要求する。
もはや子どもはかけがえのない宝ではなくなり、産むことは神聖な役割ではなくなる。この繁殖は偶発的な、煩わしいものになる。これもまた女であることの汚点の一つなのだ。それに比べれば、月経という月毎の苦役も祝福されたものに思える。こうして、少女を恐怖に陥れたあの赤い排泄物がまた戻ってくるようにと心配しながら待ちわびるのだ。
以前には子どもを産む喜びのためだと慰められたのに。たとえ中絶に同意し、それを望んだとしても、女は自分が女であることを犠牲にするのだと感じる。結局、女は自分の性を、持って生まれて不運、一種の欠陥、危険と見なさなければならなくなる。
中絶による心的外傷(トラウマ)の結果、同性愛者になる女もいる
この否定を極端にまで推し進め、中絶による心的外傷(トラウマ)の結果、同性愛者になる女もいる。
しかし、男は、自分の男としての人生を成功するために女に女の肉体がもつ可能性を犠牲にするよう要求するとき、同時に、男の道徳規範の偽善を暴露しているのだ。
男たちは一般論としては中絶を禁止しているが、個々の場合にはそれを便利な解決策として認める。彼らは軽はずみな臆面のなさで矛盾したことを言うことも可能だ。しかし、女はこの矛盾を自分の傷ついた肉体をとおして体験する。
女は普通は臆病で、男の欺瞞に敢然として反抗することができない。女は、自分が不当な仕打ちの犠牲者で、不本意にも有罪にされていると思いながら、汚され、辱められたと感じる。男の過失を具体的に、それ自体として体現するのは女なのだ。
過失を犯した男は、それを女に押しつけて厄介払いをする。男は、哀願あるいは脅しの口調や、理性的あるいは怒り狂った口調で、ただ言葉を操るだけだ。それでも言った後ですぐに忘れる。これらの言葉の意味を苦痛と血によって表現するのは女である。時には、男は何も言わず、立ち去ってしまう。けれども。その沈黙と逃走は、男の作った道徳規範の矛盾をさらにいっそう明白に反証するものだ。
女性軽視の男たちの好むテーマだが、女の「不道徳性」ということに驚いてはいけない。男が公には標榜しながら蔭では本心を暴露するこの尊大な原則に対して、どうして女が内心の疑念を感じないでいられようか。彼女たちは、男たちが女を称賛して言うことも男を称賛して言うことも、もう信じなくなる。
確かな事は唯一つ、この引っ掻き回された血を流している腹、この赤い生命の断片、子どものこの不在である。女が「さとり」始めるのは、最初の中絶のときだ。彼女たちのうちの多くの者にとって、もはや世界はけっして以前とまったく同じ姿では有り得ない。しかし、今日フランスでは、避妊方法が普及していないために、中絶は、貧窮で死んでいくことになる子どもを産みたくない女に開かれた唯一の方策なのだ。
シュテーケル(*4)の言ったことは正しい。「中絶禁止は不道徳な法律である。なぜなら、それは毎日、毎時、否応なく侵犯されざるを得ないのだから」
バースコントロールと合法的中絶
バースコントロールと合法的中絶は女が妊娠・出産を自由に引き受けることを可能にするだろう。実際は、女の妊娠を決定するのはしっかりした意志による部分と、偶然による部分がある。人工授精が一般化された医療行為となっているかぎり、女が出産を望んでもそうできないこともある――
男性とのつき合いがなかったり、夫に生殖能力がなかったり、自分に欠陥があったりという理由で。逆に、産みたくないのに産まなければならない場合も多い。妊娠・出産は、反抗や締めのうちに進行するか、あるいは満足、感動のうちに進行するかに応じて非常に異なった体験になるだろう。
若い母親が告白決意や感情は必ずしも心の奥底の願望と一致していないということに留意しなければならない。未婚の母になった女が、突然降りかかって来た負担に実質的に押しつぶされ、嘆きを隠さないにしても、密かに育んできた夢の充足を子どものなかに見出すこともありうる。
逆に、妊娠を喜びと誇りの気持ちで迎える若妻が、口には出さないが妊娠を恐れ、自分でも認めたくない、小児期の強迫観念、幻想、思い出などをとおして妊娠を嫌悪していることもありうる。こうしたことが、この問題について女があまり口を開きたがらない理由の一つとなっている。
彼女たちの沈黙は、一つには、女だけに固有のものである経験を神秘のヴェールで包んでおきたいからだが、また、自分の心中に起こっている矛盾や葛藤に当惑しているからでもある。「妊娠時の不安は、分娩の苦痛の夢と同じように完全に忘れてしまう夢である
(*5)」と、ある女は言っている。彼女たちが忘却のなかに埋めてしまおうとするのは、そのとき彼女たちに明かされた複合的な真実なのだ。
すでに見たように、女は幼少期や思春期に母性に関していくつかの階段を経過する。ごく幼い頃には、母性は奇跡であり、遊戯である。所有し支配する対象を人形に見出し、将来生まれるだろう子どもにそれを予感する。思春期には、逆に、そこに自分の大切な人格の完全性を脅かすものをみる。
コレット・オードリーの作品(*6)の女主人公が打ち明けているように、猛然として母性を拒否するのだ。
「砂の上で遊んでいる小さな子どもたちはどの子も女から出てきたのだと思うとぞっとした。この子どもたちを支配し、下剤をかけ、お尻を叩き、洋服を着せ、あらゆる方法で堕落させる大人たちもぞっとした。ぐにゃぐにゃ柔らかい体からいつでも赤ん坊を繁殖できそうな女たちや、自分の子ども女たちのぽっちゃりした体を満足げに無関係と言った顔で見ている男たちを嫌悪した。
私の体は私だけのものだった。自分の体が日に焼け、海の塩にまみれ、ハリエニシダでひっかかれるのが好きだった。私の体は硬いまま、封印されていなければならなかった」
思春期の娘はまた、子どもを望みながらも恐れていて、そのために妊娠妄想やあらゆる種類の不安に駆られる。母性のもたらす権威を振りかざすのは好きだが、その責任を十分に果たすことはできない少女たちがいる。H・ドイッチュが例に引いているリディアの場合もそうだ。
彼女は16歳で外国人の家で女中になり、任された子どもたちを驚くほど献身的に世話した。それは彼女が自分の母親と一緒に子どもを育てているつもりになっていた小児的夢想の延長だった。ところが突然、彼女は仕事を怠るようになり、子供たちに無関心になり、出歩いたり、ボーイフレンドとつき合ったりし始めた。
遊戯の時期が終わり、自分の本当の生活を気にかけるようになったのだが、その生活のなかで母性願望はほとんど場所を占めていなかったのだ。子どもたちを支配したい欲望を一生ずっともっているのに、出産という生物学的な任務には嫌悪感を拭えない女たちがいる。
そういう女たちは助産婦や看護婦、教師になる。彼女たちは献身的な小母さんだが、子どもを産むのは拒むのだ。また、母になることが嫌で拒否するわけではないが、恋愛とか仕事に夢中になっていて、生活の中に母性の占める場所のない女たちもいる。あるいはまた、子どもが自分や夫にとって負担になりはしまいかと心配する女もいる。
性的関係を避けたり、バースコントロールをしたりして、意図的に妊娠しないようにしている女も多い。しかし、自分では認めていなくても子どもが出来るのを恐れていて、心理的防衛プロセスが妊娠を妨げているケースもある。そういう女には、医学的検査で認められるような神経性の機能障害が生じる。アルテュス博士はそうしたケースのなかでも顕著な例
(*7)を引いている。
H・夫人は、母親のせいで、女としての生活の準備ができていなかった。この母親はいつも彼女に、妊娠するようになったら最悪の不幸だと言っていたのだ。H・夫人は、結婚した翌月に妊娠したと思ったが、誤りだったとわかった。それから三ヶ月してまた妊娠したと思ったが、これも誤りだった。一年たって、婦人科医に診てもらいに行ったが、医師は彼女にも夫にも不妊の原因になるようなものは認められないと言った。
三年後に、別の医者に診てもらったが、その医者は、「あまり気にかけないようにすれば、そのうち妊娠しますよ」と言った。結婚後五年たち、H・夫妻はもう子どもはできないだろうと認めた。六年後に子どもが生まれた。
妊娠を受け入れるか拒否するかは、妊娠一般と同様の要因によって左右される。妊娠中には、本人の小児期の夢想や思春期の不安などが甦る。妊娠は、妊婦が母親や夫や自分自身とどういう関係にあるかによって、非常に異なる体験になる。
女は今度は自分が母親になることで、いわば自分を産んだ母親の立場に立つことになる。これこそ女にとって完全な自由である。女がこの自由を心から望んでいる場合は、妊娠したことを喜び、独力で産み月まで頑張ろうと努力する。まだ夫や親の支配下にとどまっていて、それでも構わないと思っている場合は、逆にふたたび母親の手に自分を委ねてしまう。
生まれた子は、自分の子というよりも弟か妹のように思える。自由になりたいけれども勇気がないという場合、女は子どもが自分を救ってはくれず、束縛することになるのではないかと恐れる。こうした不安が流産の原因になる事がある。H・ドイッチュは、夫の旅行に同行するため、子どもが生まれたら自分の母親に預けざるを得ないということになったある若い女が死産した例をあげている。
彼女は自分が失った子どものことをあまり悲しまないのに驚いた。というのも彼女は子供をとても望んでいたからである。だが、おそらく彼女は、子どもを通して自分を支配するであろう母親に子どもを預けることがひどく嫌だったのだ。
前に書いたように、思春期の娘は母親に対して罪悪感を抱いていることが多い。この感情がまだ根強く残っていると、自分の子供や自分自身に呪いがのしかかるのではないかと気をまわす。子どもが生まれるとき自分が死ぬのではないか、また、生まれるとき子どもの方が死ぬのではないかという不安、若い女に多いこうした不安を引き起こすのは良心の呵責である。H・ドイッチュが報告している例を見ると、母親との関係のせいでいかに重大な結果にいたる可能性があるかがわかる。
スミス夫人は、子だくさんだが男の子は一人しかいない家族の末っ子に生まれた。男の子を望んでいた母親には歓迎されなかったが、父親と姉が可愛がってくれたおかげで、あまり気に病まず育った。しかし、結婚して身籠ったとき、子どもを熱烈に欲しがっていたにもかかわらず、自分が以前母親に対して抱いていた憎しみのために自分自身が母親になるという考えを憎むようになった。
出産予定日の一ヵ月前、彼女は死産した。二度目に妊娠したとき、彼女はまた同じようなことが起こるのではないかと怖がった。幸いにも仲の良い友人の一人が同じ時に妊娠していた。その友人にはとても優しい母親がいて、若い二人の妊婦を守ってくれた。しかし、その友人の妊娠は一ヵ月早かったことがわかり、スミス夫人は一人でやり遂げなければならないかと恐れた。
驚いたことに、友人は予定日から一ヵ月過ぎてもいまだに
出産せず(*8)、二人は同じ日に出産した。二人は次の子も一緒に妊娠しようと約束した。そしてスミス夫人は心配せずに次の妊娠を始めた。ところが三ヶ月目に入った時、その友人は町を離れなければならなくなった。それを聞いた当日、スミス夫人は流産した。彼女はその後もう子どもをもつことができなかった。母親の思い出があまりにも重く彼女の上にのしかかっていたのである。
女とその母親との関係に劣らず重要なのは、女とその子どもの父親との関係である。すでに成熟し、独立している女は、子どもを自分だけのものにしておきたいと思うことがある。私もそういう女の一人を知っているが、彼女は男性的な男をみると目を輝かせるのであった。男に性欲をかんじたからではなく、男の種馬としての能力を値踏みしていたのだ。
こういう女たちは母性的なアマゾネス[ギリシア神話。戦闘と狩りを好んだ女人族]であり、人工授精の奇跡を熱狂的に歓迎する。子どもの父親と生活を共にしている場合でも、彼女たちは子どもに対する父親の権利を拒否し――『息子と恋人』[D・H・ロレンスの小説]のポールの母親のように――子どもと二人だけの閉鎖的なカップルを形成しようとする。
しかし大抵の女は、新しい責任を受け入れるために男の支えを必要とする。誰か男が自分のために献身してくれないと、女は生まれる子どもに喜んで献身することはできない。
女がまだ子どもっぽく、内気であるほど、こうした欲求は強い。たとえば、ドイッチュは、ある娘が15歳で16歳の男と結婚して妊娠した話を語っている。その娘は幼い頃、いつも赤ん坊が大好きで、母親が弟妹の世話をするのを手伝っていた。
しかし、ひとたび自分自身が二人の子どもの母親になると、パニックに襲われた。彼女は絶えず夫に傍にいてほしかった。夫は長時間家庭にいられる仕事に就かなければならなかった。彼女はいつも不安のなかで暮らし、子どもたちの喧嘩を大げさに訴え、毎日のささいな出来事を途方もなく大袈裟に考えるのだった。
多くの若い母親がこんなふうに夫の助けを求めるが、彼女たちの心配事にうんざりした夫を家庭の外に追いやる事になる場合もある。H・ドイッチュは他にも興味深い例をあげているが、そのうちの一つは次のとおりだ。
つづく
第六章 Ⅱ 束の間の浮気