〆忘れてはならない能力
“大抵の女は家庭的より魅力的と言われる方を喜びとする。だがそのことくらい易しそうで難しいことはない”
妻に求める夫の考え方
家庭的な女というイメージは、男にとっては永遠の憧れであるらしい。独身時代は、顔の美しさや、肢体の魅力的なことに惹かれるけれど、一度、結婚してみると、妻の上に求める夫の要求はすべて家庭的なものとなってしまう。
才能があり、経済力があり、社交的であり、いつまでも若々しく美しくても、その女の掃除が下手で、料理が下手で、洗濯が嫌いだと、夫は、お百度をふんで求婚した情熱も忘れ、隣りの美栄えのしない妻女の、掃除好きを羨ましがったり、向かいのチビで色黒の妻女の、いつか届けてくれた漬物の味を羨ましがったりする。
日本の女が世界の男たちの憧れであるゆえんは、風呂場で三助のように男の背を流すとか、肌がなめらかで口ひげが生えていないというディティル(細部)が問題なのではなく、日本の女がいかに家庭的な躾をうけ、先天的にその血が流れていて、夫に犠牲的に奉仕するとかいう点が、聞き伝え語りつがれている結果であろう。
たいていの女にとって、家庭的だといわれるより、魅力的だと男にいわれる方を喜びとする。日本の女にとって、家庭的という評価は、いかにも他に能がないように思われているのである。ところが、本当に家庭的な女になる事くらい易しそうで難しいことはない。
さすがにこの頃の若い女性は、その母親の時代よりは頭も進歩していて、「家庭的な女」の実体が、どんなに難しいかを心得ている。よく働いている、仕事熱心な若い女性から私は相談ともつかず打ち明け話ともつかない感想を述べられることがある。
「結婚に対して情熱がなさすぎるのが不真面目で生意気だっていわれるんです。でも、いわゆる家庭生活とか結婚生活ってものに、大して興味がないんです。見合いして、ある程度のところでがまんして結婚する。家庭って、そんなに我慢してまで持つほど魅力があるものでしょうか」
その点においては見事な失格者である私は、何とも答えられないで言葉につまってしまう。
ひとりでいる男も惨めったらしいけど、家庭を持ってみるとなおさら鈍感で不潔にみえると、彼女たちは口をそろえて言うのである。
それから「どうせ、あたしはドメスティック(家庭的)じゃありませんから」という、その語調にはどこか昂然(こうぜん)とした調子があり、誇らかでさえある。ドメスティックでないことをイコール才能があるとでも言いたそうに見える。
もっと突っ込んで聞くと、「家事なんて、お金さえ払えば、それを職業にしている人にやってもらえるもんですもの」という。
ところでそういうアンチ・ドメスティックの彼女たちのやっている、いわゆる社会的な仕事というのは何なのだろうと聞いてみると、男の子なら、高校生でもできる、使いはしりみたいな仕事である。
偉いのは、彼女たちの仕事の才能ではなく、たまたま入れた会社の名前なのである。
本当に家庭的というのはどういう女性なのだろうか。男が思い描く、理想の家庭的な女性というのを挙げてもらおう。
1、 ヒステリックでないこと
いついかなる時でも感情の波長に乱れがなく、おだやかな微笑みをたやさないでいられること。つまり、たった今はヒステリックに怒なりつけないでいられるほど鈍感であらねばならならぬ。
なぜなら、夫というものは、一歩外に出れば、常に生命の危険にさらされ、上役に憎まれ、手下に陥れられる危機にさらされているのであるから、せめて、家の中でなりと、ヒステリックな空気には触れたくないに決まっている。
2、 料理がうまいこと
今の世の中は、すべてスタミナの競争である。たいていの人間がたいてい同程度の教育を受け、同じ試験にパスし、同じ程度の力量や才能をもって一所に集まって、同じ仕事をしているのである。
同じスタートから走り出した人間が、ほんの半歩でも他の者から先んじ、抜きんでるには、あとはただ本人の体力のスタミナしかない。その源泉は餌にしかない。いかに日常の餌を美味しく安く、食べさせてもらえるかということは、妻の手料理の腕にかかっている。
家庭料理というものはインスタント食品を上手く使う事ではなく、原料をいかに原形のまま仕入れ、原形の味を損なわず料理をするかということにかかっている。
料理の学校の献立やテレビ番組を並べるのではなく、いかに料理の三百六十五日、九百回の食事に当意即妙(とういそくみょう)の、独創を発揮できるかということである。
3、 素直であり、信じる能力をもつこと
あなたの息子を信じなさいという歌の文句ではないが、何よりもまず夫を信じる能力を持つことである。たとえ夢想であっても、騙されているのであっても、信じる能力を持つということが、家庭的には絶対である。
信じるという脳力は文明の進化につれ失われる、つまり、教育が高まるにつれ失われる。信じる能力は文明とは逆行するのである。そう知ってなおかつ、夫の全てを信じられるということは、つまりあまり物事を考えないたちでなければならぬ。もっと平たく言えば、理知的であっては困るのである。
4、 理性的であるより感情的であること
今どきの家計が、夫のサラリーだけで十分まかなえるだろうか。家族それぞれの欲望を並べてたてたら、とうてい一家の主人の収入では足が出るに決まっている。
足りないところを気の葉っぱのお金で誤魔化し、足りて見せるような幻想的なところがなくてはならない。今の世の中の庶民の生活は1+1=2ではなく、1+1=6であり、10-5=8ではなくてはならないのである。それは芸術の不思議さと同種類のメタフィジックス(形式上的)な魔物であって、高尚な才能である。
5、 掃除上手であること
清潔好きをことさら自称したり、お化粧好きだったりする女にかぎって、掃除が下手だということは、不思議な現象である。化粧品を買い込む癖のある女の鏡台にかぎって鏡は曇っているし、引き出しの中は汚れたパフや、使い残しのルージュや、ファンデーションで汚れたガーゼなどでごった返している。
香水をぷんぷんさせている女に、えてして、何日も風呂に入らず平気でいられる女が多かったりする。
おしゃれの女は、掃除が下手とみて、だいたい間違いがないようである。おしゃれの女、つまり、自分を美しく飾ることの効果を知っているような女は、どんなにつつましそうに振る舞っていても心が外向的なのであって、そういう女は本質的に掃除などに心が向かないのである。
6、 批判精神があってはならぬ
正しい批判の目などはもともと女には希薄なのだけど、教育の進歩で、女が次第に男性的になるにつれ、批判精神がめばえてきた。ひとたび、批判精神で家庭をふりかえってみたら、どうだろう。1+1=6にしなければならない家計にまず疑問を抱くであろう。
そんな家計を維持できない夫の才能に、疑問を抱くであろう。そんな夫に仕え、そんな夫に生涯繋がれなければならない自分の立場に疑問を抱くだろう。
次々抱く疑問は果てなくつづき、答えを出せばこんな家庭は一日も早く解消すべきが本当であろと結論が出てくる。要するに、それでは家庭的とはいえない。
7、 視野は狭くてなくてはならぬ
家庭の妻は、観念の上にすべて「私の」という言葉をつける。
私の夫、私の子供、私の庭、私の犬、私の猫、私の花etc、・・・・・・・。
家庭的な女は、家庭が宇宙なのである。隣に火事があっても私の家さえ焼けなければよかったと思い、向かいの人がコレラで死んでも、ああ、私の誰彼ではなくてよかったと喜ぶ。
私の夫はあちらの夫より頼もしく、私の子供は、誰の子よりかしこくて美人だ。
上役が交通事故で死んだため、うちのお父ちゃんが役付きなれた。それで結構万々歳なのである。
宮沢賢治の詩のように、よその不幸にいちいち心を痛めてかけつけていた日には、家庭はお留守になってしまう。
8、 引っ込み思案でなければならぬ
およそ社交的では困りものである。PTAの役員になりたがったり、町内の奥さんを集めて手芸の会を作りたがったり、歌をつくったり、木彫を習ったり、家事以外のことにエネルギーをつかい果たすような意欲家であっては困るのである。
誰かが何かをすすめたら、まず、「宅に相談してみて」と逃げをうつくらい億病でなければならない。自主性がないなどと罵られても、そんなおどしやおだてに乗らないくらい引っ込み思案の方が家庭的なのである。
なまじっか、意欲的な向上心や勉強心はない方がいいに決まっている。第一、本気で家事をぬかりなく、ドメスティックな妻と言われるくらい心を込めてやれば、雑用以外にとれる時間なんて、絶対にみつかりっこないのである。やれ、家庭電化だ、便利になったと、宣伝文句につれられ、ついうかうか、買ってしまう。今どきの主婦は昔にくらべて楽になったなどと思うのは浅はかな計算というものである。電気釜や、電気湯沸かし器のなかった時代と、今では、一時間の内容が三倍くらい重くなっていることを忘れてはならない。
江戸から京都まで水盃で旅だった時代と、宇宙を飛んで帰ってこられる時代の差を忘れ、電気洗濯機や電気掃除機くらいでごまかされ、本当に主婦は楽になったなどと思うのが、大間違いなのである。いつでも主婦の仕事は、社会の足並みからみれば、重すぎる荷を背負って、よたよた遅れがちについていっているものだ。
9、 セックスの要求の薄いこと
夫の要求は決して拒まず、我がからは決して求めない昔の女大学のセックスが、家庭生活を安定にたもつ。今や、セックスの知識過剰時代で、世の中の主婦は一種のセックス・ノイローゼになり、常にセックス被害妄想にかられ、夫のセックスの性能において、強さにおいて、つねに懐疑的になっているのは、およそ家庭的ではない。
天下の夫族が生存競争の過酷さに負けて、ほとんど不能に近づきつつあるとき、妻族ばかり、セックスの机上の論にウンチクをかたむけられては、ますます夫の方は萎縮してしまうだろう。世の夫族に、せめて妻とのベッドでくらい自信をもたせるためには、妻たちはもっとセックスに淡白であらねばならない。
10、 山内一豊の精神を受けついでいなければならない
そんなことは、赤字がきまりの亭主の収入では無理だなどと理論的な答えを出す妻は、初めから家庭的ではないのである。10-5=8のマカ不思議の計算で家計をきりもりすれば、絶対にヘソクリというものは捻出できる仕組みになっている。もちろん、夫や子供の下着や、妻の下着だって、満足なものは用いられない。人さまの目にふれなければ、そんなところは、つぎはぎだっていいわけだ。
あるいはそれは、夫の情事の尻拭いのお金を使わなければならないともかぎらない。
それだって家庭の危機を救うことに間違いはないのである。
ざっと十か条思いつくままにあげてみても、家庭的な女ということが、如何に生易しいものでないかがわかる。
それでいて、冷静にこういう長所をすべて備えた女を描いてみたら、男にとっては何と魅力のない女が出来上がるだろう。だからこそ、家庭的な女に家庭を守らせながら、男は、外で非家庭的な女と情事を楽しみたがるのである。
男にしろ、女にしろ、本当に仕事をしようと思う人間ならば、家庭の安定などかまっていられないのが本当ではないだろうか。社会的な仕事と、家庭の幸福とは絶対に相容れないようである。私は、物好きで好奇心が強いので、チャンスがあれば、大臣とか大実業家などという人に逢うこともある。そのたび理想の女は? という愚問を発してみると、申し合わせたように家庭的な女というのである。もっと問い詰めれば、うちの女房という答えが出て来る。
さらに問い詰めると、おおよそ前に掲げた十か条は最低守っていられるような夫人のイメージが浮かんでくるのである。彼らの言い分を聞くと、家庭とは、休むところで、家のうるさい相談事など持ちかけられるのは真っ平だと申し合わせたようにいう。
それなら、彼らが、本当に家庭で休んでいるかというと、どうも、「休むところ」は他にあるというのが実状で、本当に男を休ませてくれるのは非家庭的な女のようである。家庭的な女が幸か不幸かは、当人の自覚次第で、自分を不幸だと考えるような女ならば、すでに、もう家庭的でなくなっているのである。
家庭的な女の条件に、虚栄心の少ないことをあえて入れなかったのは、虚栄心こそ家庭的な女の最大の武器だと思うからである。夫を社会に目立たせ、夫を有能な人間にするためには、「愛」ではたりない。虚栄心という薬味がきかなくては引き立たないのである。
家庭的な女が、安心して、家庭の中に引っ込んでいられる最大の拠り所は、有能な「私の夫」をみて下さいという虚栄心に外ならない。けれども、こういう家庭的な女という男の理想像も、女の経済力の確保につれ、次第に急激に少なくなっていくのは防ぎきれないようである。家庭的な夫になって、妻を社会的にした方が楽な暮らし方だと男たちに気付かせるのは、果して女にとって幸福か、不幸かは、まだ結論や答えの出る段階まで至っていないようである。
“物を知ることは、悲しいことである。いつの時代でも、女は愛されることを望んでいるが、男の愛したい女は、自我に目覚めた聡明な女ではないからである”
秘められた女の表情
文楽の人形の頭をつくる人に大江巳之助さんという名人がいる。もう文楽の人形の頭をつくる人はこの大江さんと、天狗久の孫にあたる人くらいになってしまった。大江さんは戦災で文楽の人形の首がすっかり焼失した後、一座の頭全部をひとりで彫り上げ、つくりあげた人である。
もう四十年もこの道一筋に生きてきた人だ。阿波の鳴門の町外れにひっそりと暮らしていられる大江さんを訪ねたことがある。
その時大江さんは人形の頭をつくる苦労話を話してくれて、
「女の首のことで、私の修業の戒めにしている事がございます。なくなられた吉田文五郎さんが、私に注意してくださったことですが、女の顔は、ぼんやりした表情に彫らなあかんで。女の顔がひきしまっていたら、遣いにくうてかなわん。女の性格を人形遣いが入れるのは、人形の頭はぼんやりした方がええのやと、こう言われたことです。なるほど、女の口元をしかりしまって彫ると、何とのう人形の首にしっかりした表情が出てきます。それ以来、私は、女を彫る時はいつもぼんやり、ぼんやりと、その表情を心がけております」
ということであった。
なるほど大江さんの仕事場にある老(ふけ)おやまも、笹屋(ささや「若い娘」)の首も、目も眉も目鼻も、おだやかで、口元は半開きにして、駘蕩(たいとう)とした表情をしている。
文五郎さんは女の人形を遣わしたら日本一だった人で、女の哀しさや心の悶えが、その肩や首筋からいのちあるもののように溢れて、文五郎さんの人形は、生身の女よりもはるかに艶(な)めかしく、はるかにいじらしいのだった。晩年には耳が聞こえなくなっていたのに、舞台で人形をもつと、ちゃんと、歌や三味線に人形の振りが寸分たがわずのったという名人である。その文五郎さんが、女の顔はぼんやりした方がいいとはさすが名人の言葉である。
実社会でも、ぼんやりした表情で嫁ぎ、夫に魂を入れられて性格づけられる女は、結婚生活でも幸せにゆくのではないだろうかと考えさせられるのである。
才女という言葉が一時流行り、その言葉の中には一種の男性側からあてこすりや皮肉が含まれていて、あなたは才女ですねといわれて、無邪気に嬉しがるような才女は一人もいなかったものである。
今では、世の中の女という女は聡明になり、しっかりとした顔になっている。男たちは、通勤ラッシュにもまれてへとへとになり、新聞もろくに読めないほど、消耗している時、妻族たちは、電化生活からうみだした時間で、大いに読書し、テレビの教養番組もみのがさず、新聞はもちろん、隅から隅まで目を通し、夫より博学になっている。PTAでも一家言あり、教育熱心なことはこの上もない。
けれども女の顔がしっかりとひきしまり、その目が教養と知性できらめき、その顔は博学にずしりと重くなっていくにつれ、女の心の中の潤いや、感性は次第次第に干からびているのではないだろうか。
物を織(し)ることは、哀しいことである。物を織ることは、物が見えてくることである。
夫の欠点や夫の甲斐性のなさが、額面通りにありありと見えてくることである。
心の柔らかな頼りないほどの心の方が、男には結局扱いやすい女で、愛情も深くなるというのは、昔も今もあまり変わっていないのではないのだろうか。
聡明すぎて不幸になる女の例は多いけれど、頭が悪いために不幸になったという女の例は案外少ないのである。
源氏物語の有名な雨夜の品定めの中にも、夫を教育するほどの学問のある妻や、何をやらせてもそつなくこなす頼もしい妻などの例が出てくる。そして結局は男たちは、そういう女の聡明さや抜け目のない頭の良さには心の一部で惹かれたり、実生活では結構重宝に思って利用しながら、結局は煙たがって、別れるチャンスを窺っているというように描かれている。そして頼りないほどの、素直な内気な夕顔のような女のいとしさを強調して、男心を捕らえるのは、結局はそういうような女だとも受け取られるような書き方をしているのである。
もともと紫式部は、女は才があってもそれをひた隠しにする方が慎ましくていいと考える性で、清少納言のように、才のあるままをすっかりさらけだすような才女をはしたないし見苦しいと日記の中で軽蔑している。
けれども所詮は、紫式部自身は才能のありあまるような女だったから、自分の才能の重さを自覚し、自分と反対のようにぼんやりとした大人しなやかな女に憧れを寄せたのかもしれない。源氏物語の中で源氏の恋人として次々あらわれる女たちの中でも、才ばしった女には不幸な運命を与えている。
女の理想像のように描いている紫の上が。まだ子供のうちから源氏にひきとられ、個性も何も現れていない頃から、源氏の思いのままに教育されていって、理想に近い女に仕立て上げられていったのを思うにつけ、
「女の顔はぼんやりしていんと、思うように遣われへん。性根を吹き込むことが出けへん」
といった文五郎さんの言葉の意味深さが味わえるのである。
明治以来、わが国でも女が自我に目覚め、徳川の封建時代の女たちから見ると考えられないくらい自主的なり自由になり、学問も社会での発言も男並みにするようになってきている。
けれども、それだからといって、女が封建時代より幸福になっているかというと、大いに疑問も出て来るのである。
明治生まれの自我に目覚めた秀れた女性たちの伝記を次々に書いてきた私は、彼女たちのきり開いてくれた道が、どうしても私たちの歩んでゆかねばならい道であると自覚しながらも、彼女たちが自我に目覚めたばかりに、自ら選んだ生涯の苛烈極まりない生を想う時、やはり慄然と背筋が寒くなる想いもする。
いつの時代でも、女は男に愛されることを望んでいるし、男の愛したい女は、決して自我に目覚めた聡明な女ではないようだ。
さきほどの雨夜の品定めの中にすでに、聡明な女は、浮気心を楽しませる一時の情事の相手には面白いが、本当に愛したい女は、頼りなくてすててはおけないような女がいいとあげている。そしてどうやら何千年経っても、そういう男心はいっこうに変わりはないようにも思える。
“悪女が虫も殺さず貞淑そうに見えるのと対照に、本当の愛情深い女は、決して誇示したり量を計らせたりはしない”
「悪女の深情け」ということばがある。
女の情けが深いということは、男にとってはいい条件の筈なのに、なぜその上に悪女がつくのだろう。
深情けの女というと、美女は浮かばず醜女のイメージが浮かぶのも考えてみれば奇妙なことである。
情の濃い女と、情けの深い女はちがうようだ。情の濃いということはセックスの濃厚さに結びつき、情の深いということは、たぶん精神的なもので、いいイメージとしては近松の女が浮かんでくる。冷たい女、温かい女というのも、「情」にかかっていることである。
男は、日常生活では、情の深い女を便利だと喜び、その恩恵に浴していながら、冷たい女に憧れる身勝手な気分がたぶんにある。
「恋」の性質の中には征服欲がある。これは男の側には特に強いもので、男は猛烈にファイトを燃やして恋する女を獲得することに熱中するが、一旦獲物を手中に収めると、実にあっけないほど、獲物への興味を失ってしまう。それは赤ん坊が這い這いしながらみつけたものに猛烈に突進し、一旦手にしてしまうとポイと捨てて顧みないのと同じようなものだ。
女は、たいてい男が自分を獲得するまでに示した情熱や誠意や賛美や、時には泪を大切に胸の底におさめ、それを反芻(はんすう)することによっていきているようなものだ。
男は、現在進行中の恋人の手紙を友達に見せひけらかすようなことはしても、昔の女の恋文などは決して見せないし、第一、手許にとっておいたりはしない。ところが女は、よく過去の男の恋文を見せたがる。
幸福な人妻が、恋愛時代の夫の恋文をしきりに見せたがるのに私は何度出逢ったかもしれない。そういう過去の甘い想い出に頑強にしがみついて、女は現実の男の心変わりを断乎として認めまいとする。
吉行淳之介さんの文章の中に、今、こういうのを見出した。
「大部分の女性にとって、無意識の領域を探ることは甚だ苦手のようである。ことによると女性には意識下の世界というものが客観的にも存在しないのではないかとさえ思えることがある」
まったくその通りで、大概の女は、物事を形而上的(けいじじょう)に考えることが苦手である。だからこそ、自分にとっては理由のわからない男の心変わりがどうしても納得できない。
なぜならば、自分は、相手がかつて熱愛してくれたままの自分であり、少々、歳月に皮膚や顔の構造は古びてきていても、目も鼻も口もあの頃のものであり、胸も手足もあの時のものである。何よりも心が、あの時のままである。いや心というより愛そのものが、熱烈にこまやかになりこそすれ、衰えてなんぞいはしない。彼があれほどの熱意をこめてひざまずき、泪を流して求めてきた自分である――という、形而下(けいじか)のことしか考えつかない。熱心に考えれば考えるほど、かつて彼から受けた、ささいな愛の証しばかりがつぎつぎ思い出されるのである。
こういう時、女は自分では気づかず、一途に深情けぶりを発揮してしまう。
悪女の深情けとか醜女の深情けとかいう言葉は。勿論、男のつけた言葉である、男のやりきれなさの気持ちの表現である。
悪女も醜女も、この場合文字通りに、受け取るべきではないだろう。善女も美女も、男にとって、女の情が深情けと感じられたとたん、悪女、醜女の面をつけてしまうのである。
深情けの女はすべてやさしい心情の持ち主の筈である。
やさしい女を嫌いな人間、いや男がいるであろうか。やさしさは紛れもない美徳の一つである。それなのに、やさしさから生まれる深情けが、必ずしも男にとっては女の美徳になり得ないところに、永遠の男女のズレがあり、悲劇がおこる。
恋のはじめは、女も本能的に相手の心を引き寄せるテクニックを心得ていて、無意識に自分を謎めいて見せようとするし、情けも小出しにする技術を心得ている。
ところが一旦、男にすべてを許してしまうと、その瞬間から、女は男に秘密をなくし、自分のすべてを明け渡してしまう。正直で、ナイーブで、やさしい女ほど、その度が強くあらわれる。本当にベールが必要なのは、この時からだということをほとんどの女は気づかない。
家庭的な女ということばも、また、男にとっては永遠の郷愁である。けれども、大方の男は家庭的な女を得てみると、きまって、非家庭的な、コケティッシュで奔放な女と浮気のひとつもしてみたくなる。素直な女ほど、男の為に家庭的であろうと努力する。味噌汁もつくるし、ぬか味噌もつけるし、梅酒もつくる。
日本の女ほど男に尽くす女はいないといわれるけれども、永い間の習慣がまだ日本の女の血の中には残っていて、男は縦のものを横にもしないのが男らしいという考え方がある。
靴下からネクタイまで毎朝選び、着ればいいように夫の傍に出しておく。もっと徹底しているのは、ネクタイ迄結んでやる。靴下をはかせてやる妻だってある。女には足の爪を切らせてのうのうとする男なんて、何ていやらしい奴だろうと思うけれど、女は案外それをさせられたがっているのである。
生活能力のある男は、こういう献身的な女の深情けをはじめは都合よく感じていても、次第に鼻についてきてうるさくなるものだ。そこでバーなどで、気があるのか、まったく打算的だけの甘えか分からないような娼婦的な女の子なんかに魅力を感じていく。
日本の女ほど、愛のためには自分を卑しめ、自分を犠牲にすることを何とも思わない女はいないのではないだろうか。
いつでも全身で献身的に男に尽くしている女が裏切られた場合、怒るより先にそういう女は自分を反省してしまうのだ。
どこが男の気に入らなくなったのかと思い、いっそう、彼に尽くすこと、彼に愛情を降り注ぐことに精を出す。それが愛情の押しつけになっていることには気づかない。
心を込めてつくった料理を男が食べ残しでしようものなら、
「これ、どこがまずかったの? あなたの好きなものでしょ? 今日のはどこか悪かった? 気分でも悪いの? お薬は何を呑む?」
と、自分の納得するまで問い詰めないでは気が済まない。そうされればされるほど、男はうるさく、息苦しくなるのが分からないのである。
よく、夫がもちだした離婚話をどうしても受け付けない妻をみかける。夫の心が離れきっているのを知っていても、あれは夫があの女に騙されているからで、いつかはあの女に捨てられるから、その時こそ、自分が待ってやらねばなどと、一見、筋の通ったようなこともいう。
これくらい男にとっては迷惑な深情けはないのである。
私自身、どっちかと言えば深情け型なのでよくわかるのだけど、こういう女の押しつけがましい深情けは、決して男を男らしくさせないものである。ほんとうに男らしい男は、こういう深情けにはうるささを感じるし、女性的で弱い男は、こういう女の深情けに足をすくわれ、溺れきってしまって、世間から脱落する。
それにまた、一見いかにも献身的で犠牲的に見える深情け型の女は、はたして、夫をそんなに愛しているのだろうか。
本当にそういう女の無意識下の世界にわけていってみれば、案外猛烈な自己愛だけが、とぐろを巻いているのではないだろうか。自分の愛しいものに尽くすということは美しく貴く見えるけれども、それが女にとってはそのまま歓びになるのだから、献身も犠牲も、自分の幸福のためなのである。
深情けの女にかぎって嫉妬深いのもそのためで、つまり、相手そのものが惜しいのではなく、相手に注ぎ込んだ自分の愛情、自分の親切、自分の努力が、惜しいのである。
それは、若い女に大金を注ぐほど、その女と別れようとしない老人と同じような心理なのではあるまいか。だからこそ、自分の愛情をたてにとって、別れまいとする。
本当に愛情の深い女、本当に犠牲的な女ならば、相手の立場を考えて、自分の愛がどれほど報われなくても、自分の方が身を引いてしまう。
室生犀星(さいせい)氏の『かげろう日記遺文』に萩野という室生氏の理想の女性が創り出されているが、その女は、男の身辺の平和を想って、愛のあるまま、ある日、密かにひとり行方をくらまして消えていくのである。
こういう女の行為こそ、本当の意味の情の深さであり、男は永遠にその女の俤(おもかげ)を忘れることが出来ないであろう。
「深情け」と男に厭(いと)われる女の愛情の押し売りの中には、こういう意味の本当の犠牲はない。
自己愛の変形と、自己満足が、深情けの押しつけがましさになって、男をヘキヘキさせるのである。
深情けの女は案外セックスもひとりよがりが多い。
男が多淫(たいん)だからという言い訳を自他につけて、自分の多淫はみとめようとしない。
男の愛情の証はセックスでしか認めることが出来ないのも、深情け型に多いから奇妙でもある。
ある男が、ある芸術家の女性と熱烈な恋に落ち、家庭を壊してまで一緒になったところ、女がたちまち、自分の芸術までほっぽりだして、朝から晩まで男に奉仕したがる深情け型に変貌してしまった。
すると、男には恋愛のとき彼女の上にみていた、妻とはまったくちがったイメージ、仕事をもち、自分を持ったインテリ女性としてのイメージが跡形もなく消えはて、世帯やつれして、厭毛(いやけ)がさして別れた妻の俤(おもかげ)が、次第に新しい女の上にはりついてきて、恋心さめてしまった。
女の愛の押し売り、嫉妬、束縛、ぐちのすべてがいつのまにか別れた妻とそっくりになっていたという事件があった。
男の覚めてきた恋が、女にはまったく理解も察知も出来ず、仕事を捨てた自分の愛の犠牲の強さだけを、今でもうっとりと喧伝している。
愛する男のために、捨てられるような女の仕事は、仕事といえるほどのものではないのである。男は、決して愛の為に仕事を捨てたりはしない。
男に対して深情けを押し付ける女は、子どもに対しても母性愛の名によって、深情けを押しつけたがる。
そうしておいて、後でこれだけ尽くしてやったのに、あの子は嫁をもらうと私を邪険にするとか言って、姑根性で怒り出すのである。
深情けの女の愛情には、いつでも、金で換算した方が分かり易いような打算がからまっている。
彼女の愚痴は、これだけの自分の愛に相手が相応に答えてくれないという事だけである。
決して彼女は、可愛い女でもやさしい女でもないのである。
自分の愛イコール自己愛しかないくせに、自分ほど、欲の薄い者はないと錯覚しているに過ぎない。
世間の夫が、他人の目から見れば、あれほど尽くすいい奥さんを捨てて、何であんなあばずれ女に引っかかったかと言われるようなことをしでかす陰には、いつでも、こういう秘密が隠されているのではないだろうか。
悪女のレッテルを貼られるような女に、本当の悪女なんていはしないのである。
本当の悪女が、虫も殺さぬやさしい顔をして貞淑そうに見せているのといい対照に、本当の愛情の深い女というものは、決して、世間に自分の愛情深さを誇示したがり、相手の男に、自分の愛の量を量らせたがったりはしないものである。
空気の存在を忘れるように、愛そのものの形を忘れさせてくれて、空気のような軽さと透明さで包んでくれることこそが、男にとっても、また女にとっても本当に欲しい愛の相手ではないだろうか。
多くの母親は、報いられることのない子への愛を自分でもそうと気づかないほどの大きさで降り注ぐように、本当の女の愛は、幸福な時、自分の愛の重さや量について考えるものではない。
女が自分の深情けぶりと、相手の薄情ぶりを秤にかけ、首をかしげる時には、すでにその愛は何らかの意味で崩壊の兆しが見えてきた時である。男の愛が意識下の世界に根を下ろしているのに、女の愛があくまでも現実的な現象的なことでしか感得出来ないという宿命のつづくかぎり、深情けの女にからみつかれる男の有難迷惑さは、消えないであろうし、可憐な少女が、深情けの鬼婆に変貌し得る女の悲劇もあとをたたないであろう。
その上、一夫一妻制という不自然で、きゅうくつな規制が、世間のモラルとして、通用しているかぎり、妻が深情けの悪女になる可能性は、ますます強いといわなければならない。
与えよう需(もと)むるなかれ。
こんな神さまのような心になり得たら、愛は光り輝くだろうけれど、そんな心の女は、男にとっては、気味が悪くなるだけではないだろうか。結局、ほどほどの情けというものは、与えよ、而(しこう)して奪わん、といった正直な態度に存在するので、やたらに与えてみせたがるのは、男女ともに、眉唾の深情けと警戒した方がよさそうである。
“女はいつでも「優しい夫」という理想像を心に描きながらも、男が態度であまり優しさを示すとかえって軽蔑の心をおこすものである”
ちかごろの若い夫婦の間では、夫が台所でオムレツをつくったり、お皿を洗ったりするのは珍しいことではなくなった。共稼ぎの夫婦などは、炊事当番は妻と夫が交替でうけもっていたりするくらいである。
デパートの食料品売り場では肉を買っている男や、西洋野菜を選んでいる男をしばしば見かけることがある。そういう夫を持つ妻は、
「うちの人は、優しいし、まめなんです。ああいうことをするのが好きなのよ」
と、得意そうにいう。
「まあ、いいわねえ、羨ましいわ。うちの亭主ときたら、亭主関白で、わざわざ大声で台所にいる私を呼びつけて、何かと思えば、すぐ側にある新聞を取ってくれというんでしょ。たいてい頭に来ちゃっていますよ」
と女客は羨ましそうな声を出す。けれどもそういう女客は、家に帰って、縦の物を横にもしない夫に、あれ持ってこい、これ持ってこいといわれながら、今日訪れた友人の家の優しい夫のことを思い出し、あなたのような横暴な夫はいないわよとは決して話さないだろう。彼女は遊びに来たもう一人の女友達に向かって早速つげる。
「××さんの御主人って、女みたいな方よ。お炊事もするし、奥さんのパンティまで洗ってくれるんですって」
「ヘェ、いいわね。でも、あたしは嫌だわそんなの、気持ちが悪いわ。男は男らしくしてくれてなきゃあ」
「そうねえ、男が家庭的になるっていうのもほどほどだわね」
女というものは、いつまでも「優しい夫」という理想像を心に描きながらも、その優しさはあくまでも心の問題で、男が態度であまり優しさを示すとかえって軽蔑の心をひきおこすようである。男から大切に扱われることに馴れて育っている西洋の女たちは、当然として受け入れている男の具体的な優しさに、日本の女は、戸惑ってしまう女が多い。日本の若い娘たちが、外国人といえばたちまち、ぼうっとなって、とんでもない目に遭わされてしまうまで、身をのめり込ませるのも、男の具体的な優しさに、馴れていないかららしい。
私の友人に、大そう優しい夫と何年か幸福な結婚生活を送った後、突然その優しい夫をふりすてて、別の男と再婚した女がいる。日頃、彼女から夫の優しさをいやというほど聞かされていた私たちは、ことの次第に愕(おどろ)かされ、あっけにとられてしまった。
「前の人は、それは優しい夫だったのよ。私がしてほしいと心に思うことは、何でも口に出す前に見抜いてくれて、さっと与えてくれるの。痒いところに手が届くっていう言葉があるでしょう。これは女の人によく使われる言葉だけど、私の前の夫は全くそういう神経の持ち主だったわ。いっしょにいた間、あたしは不平らしいことは一言もいう必要を感じなかったし、ただ、したい放題に振る舞って、何の不自由もなかった。ところが、ある時、気がついたら、あたしは自分が女でないような気がしたし、夫が男でないような気がしてきたの、女らしい女というものは、相手の男をより男らしい男に仕立てる女のことをいうのではないかしら。
あたしが本当に男性的で活動的な女だったらそれでよかったのかもしれないけれど、あたしは、自分に女らしさを望む女のタイプだったから、やっぱり考え込んでしまったわ。いいかえれば男らしい男というものは、相手の女を否応なく女らしい女にする男のことといえるでしょう。
互い中から、真の男らしさ女らしさを引き出せるのが、男であり女であるのではないかしら。そんな時も今の夫と知り合ったんです。
今の夫は、自分本位で我儘で、横暴で、神経が太くて、一緒にいると、実にいらいらさせられるし、かっかと腹を立せられるんです。でも彼といると、私は自分の中から、女が滲(にじ)みだしてくるような気がして、丁度別れた夫があたしに示してくれたような痒いところに手が届く心遣いを今の夫にせずにはいられなくなるんです。
そして、この方があたしは自分に安定感を得て、何だか居心地がいいんです。ええ、今の夫があんまり我儘で思いやりがなくて情けない想いをさせられる時は、前の夫をしみじみなつかしく思い出すわ。でも、また前の夫と暮らしたいとは決して思わないんです。理由? やっぱり私は女でありたいし、男らしい男とくらしたいんですもの」
優しい家庭的な夫というものは、優しい家庭的な妻と同様、一時間でも早くわが家に帰り着いて、家族の中に身をくつろがせることを無上の喜びと愉(たの)しみに感じる。家庭の居心地がいいのであって、家族との談笑の中に生き甲斐を認めている。家族が少しでも快適にすごせるために、終始、家庭の冷暖房の装置を研究しているし、戸締りに気を付けているし、四季の庭木や草花が目を愉しませてくれるようにかんがえてもいる。
新しいレコードの出たことにも注意しているし、家族と一緒に見るテレビ番組にも、そこに出てくるタレントの名前にも通じている。妻や娘や息子たちが取り交わす、談話のきれっぱしを耳に入れただけで彼らが何を笑い、何に憤慨しているか即座に納得できる。しかし、これだけ家庭に心や神経を愛に奪われている男が、社会に出て、有能な男として活躍出来るだろうか。
彼は、職場の同僚が目の色を変えて昇進に神経をすり減らしているのを見て、或いは後輩が、あっという間に自分の地位を追い越すのを見て、無関心ではいられないけれど、そんな時も和やかな家庭の団欒を想い浮かべると「命あって物種だ。家中で病人一人ないわが家に何の文句があるだろう」
と、自分の不安をなだめてしまう。
男らしい男が決して片時も忘れることのない社会的な競争心というものが、彼の中では次第に影を弱め、本当の幸福とは家庭の中にだけあるような気がしてしまう。家庭は仲よく貧しく名も無くとも健康に暮らすことが、この世の幸福だと思う。
私は、訪ねてきた女友だちの本当の訪問の目的を訊くのを忘れていた。彼女はようやく本題に入った。
「今度の夫は、本当に頼もしくて、ばりばり仕事をするし、働きもいいんだけど、私以外の女たちにも女らしい気持ちをおこさせる名人で、女出入りが絶えないのよ。その苦しさったら、何度くり返しても馴れることが出来ないわ」
ため息をつき、急に五つも老けて見えてきた友人を見て、私もため息が乗り移るようであった。
“年上の女を選ぶ男と男らしい頼もしい男か寄生虫的な卑劣な男か、その両極端である。はじめから気にする男は持つ資格のない下らない男”
ある雑誌で、《もしも未亡人になったら》という仮定の下に、現在、自他ともに幸福で円満な家庭を営んでいる著名な主婦に手記を書かせるという、ユーモラスな企画をしていた。
その中に選ばれた幸福な主婦のうちで、年上の姉女房が多かったのに気づいた。佐藤愛子さんであり、牧羊子さんである。その他、ちょっと思い浮かぶだけあげても、世紀の恋のシンプソン夫人、高峰秀子さん、越路吹雪さん、南田洋子さん、北原三枝さん、高千穂ひずるさん、(もっと他の分野の人もあったら探してください)etc…‥。
以外に、年上の女と年下の男の結びつきが円満に幸福につづいていることの多いことに気づかされる。そして、これらの人々が、文化的な仕事をしているにしても、芸能人にしても、いわゆる仕事を持った女たちが多いのも意外である。
世間に名を知られない無数の年上の女もいることだろう。けれども、とにかく世間に名を知られるような仕事をする女に、年上の女が多く目立つというのも、面白い現象である。
仕事を持っているから、いわゆる適当な年上の男と付き合うチャンスも無く婚期を逸して、気づいたら、年下の男しかいなかったという場合もあるだろうし、仕事を持っていたらから、年齢など忘れてしまって、恋をしてしまった後で聞いてみたら、相手がはるかに年下だったという場合もあるだろう。
いずれにしても、年上の女が、年下の男を愛するようになるのは、その九十九%が恋愛の上になりたつもので、常識的なお見合いとか、人の引き合わせでは、はじめから年上の女を選ぶというようなことは、まあ、あり得ない。
いったい男より女の方が年下の方が、カップルとして自然だし、適当だと考えれてきた伝統の根拠は何なのだろう。
男の方が平均四、五歳、女より短命なのは、ある統計によって発表されているが、大体、昔から、おじいさんよりおばあさんの方が長生きするようである。
だから、四、五歳、年上の女と一緒になった方が、ほぼ同じ頃に死ねるわけで、ちょうどよいはずである。
『源氏物語』などみても、男と女の結びつきは、年などあまり構っていなかったようだ。
封建時代に入って、女が男の私有財産の一つのようになって、結婚が政略的になって以来、年下の女をほとんど売買するように、やりとりしたことから、男と女の年齢の差が、男が年上の方が自然に見えるようになったのかもしれない。恋の貴賤(きせん)のへだてがない以上に、恋に年齢などはないのではないか。
初婚は年下の女として、世間普通の感覚の上で自然な結婚したのが上手くいかず、離婚後の恋や、再婚で年上の女になって以来、すっかりうまく収まっているという例が、意外に多い。
一昔前は、妻が年上の場合は、妻自身も夫も、世間に何だか恥ずかしい思いをして、本当の年を隠したがったりしたものだけど、戦後、年上の女が、平気でそのことを公表するようになったのは、いい傾向ではないだろうか。
昔、女子大生の寮にいた頃、たまたま、男女の年齢の差の理想論について論じあったことがある。その時、ほとんどの女子大生が、世間の通念通り、男の方が、四、五歳か、中には、九歳か十歳でも年上がいいという考えだった。彼女たちの言い分は、
「年上の男の方が、頼もしくて、何でも教えてもらえるし、社会的にも安定していて、経済力もあっていい」
ということだった。
その時、同席していたアメリカの二世の女子学生たちが、口を揃えて、私たちの考え方を不審だと言った。彼女たちは揃って、同年もしくは男が一つ二つあるいはもっと年下がいい、というのである。
その理由は、
「ゼネレーションの違いがあると、物の考え方、感じ方、人生観、すべて違ってくる。四つ五つの違いでも、ずいぶん違うだろう。同じ物に、同じように感動し、同じ時代の出来事に、共通の感銘や記憶を持つことは生きていくうえで何より大切なことだと思う。それから人生とは、二人で築いていくものだと信じる。だから、初めは力のない二人が、力をあわせて、無から有を築くことにこそ、ふたりで生きる意義も愉しさもあるのではないか。
はじめからすでに男がすべてを持っているような年上の完成した人間なら、女は、二人で築く喜びも得られないし、それだけに、愛情の絆も、弱いように思う。断然、同じゼネレーションがいい。
それに男は、女よりどうみても頭がいいから、年下でも、結構、年上の女と対等に話ができるし、頼りになる。もっと大切なのは、子供を産んだ場合、年下の男だと、子供が成長した時、もうおじさんになってしまってこんな心細いことはない。子供の父は、年下の男で、いつまでも若々しくあってほしい」
というのである。
開拓精神のアメリカ人らしい考え方で、私たちはなるほど、と感心したのを覚えている。
日本の女には、はじめから男に頼るものという考え方が基本にある。けれども、事実、年々歳々、男の実力が低下している現実の上にたって、いつまでも男に頼ることばかり考えている女は時代遅れになるし、取り残されるのではないだろうか。
昔から下世話に「一つ姉は金の草鞋を履いても探せ」という諺がある。昔の人の知恵で、年上の女とよさをいっているのだろう。
年上の女というと、いかにも母性愛の典型のような女を空想しがちだけど、それはあんまり単純な考えである。「年上の女」なる女が、必ずしも母性的でないばかりでなく、むしろ、年齢より無邪気な可愛い女が多いことに気づかされる。
ということは、年上の女と愛し合う年下の男が、必ずしも「可愛がられ型」ではなく、むしろ、年齢よりませた、男らしい男の場合が多いということになる。甘え型は、意外に年下の男は少ないタイプである。
年上の女と、世間体など気にせず、あるいは年上の女の当然持つ社会的地位や財力に気後れせず、堂々と対等に愛し合う自信を持つという事は、まだ今の日本の社会では、いくぶん男の側に勇気のいることである。
ところが案外、年上の女には、むしろ、男にリードされたがる性質が多く、無意識のうちに、男を立てていることになる。うまくいく例は、そこのところのかねあいで、ざっと見回してみても、年上の女をもつ年下の男は結構一癖もある、ひとかどの人物であることが多い。
年上の女だから、年齢に対するコンプレックスがあるだろうと思うのも、これも勘ぐりすぎなく。「年上の女」になるような女は、気持ちの上で年齢よりも若く、精神は瑞々しいので、たいてい年を気にしていない。
はじめから、女の年上のことを気にするような男は、「年上の女」を持つ資格はないくだらない男なのである。
年上の女の効能は、無邪気であろうと、素直であろうと、やはり、いざという時は、対等に話し合えるという点である。
人生二度結婚説をとなえる林髞(はやしたかし)氏は、「男は最初、年上の女と結婚し、性の技巧もおそわり、彼女の財産をそっくり貰い、年上の女が死んでしまってから、今度は年下の女と結婚し、もう一度人生をやり直せばいい」と言われた。
この場合の年上の女は、男を一人前にするための踏み台のようなもので、この女は、これまでの年上の女のコンプレックスをすべて持った哀れな女になりかねない。
年上の女が、自分との年齢を気にしないような、楽天的で、ある程度、無頓着な女ならうまくいくけれど、いつでも自分と男の差を気にする限り、不幸におそわれる。
たとえば。女の三十代は、がぜん年齢の差が意味を持ってくる。男の三十代はまだ若々しく、女の四十代はすでに人生の坂道をのぼりつめ、あとはだらだら下り坂が見えて来るだけである。
さらに、女の五十代に、もう新しい恋の可能性は望めないのに、男の四十代は二十代の娘との恋も可能性がある。否むしろ、男の恋の本当のアバンチュールは、地位も名も金も揃った四十代からはじまるといっていい。
年上の女を、思い切って恋人や妻にするほどの男は、あらゆる点で女に魅力的な要素を持っていると見なしていい。
年上の女が、生理的な自分の凋落(ちょうらく)を自覚しはじめ、それに反比例して、相手の男の精神的、肉体的充実に気づいた時、よほどの覚悟と聡明(そうめい)さがないかぎり、年上の女は惨めさからぬけ出すことができない。
恋のはじめ、「今はいいけれど、十年先、二十年先を考えてごらんなさい」といわれた周囲の忠告が初めて意味を持って思い出されて来る。
金を出して買う事もできない若さに、急に猛烈な嫉妬がわいてくる。
女は急に、おしゃれに気を付け始める。
少なくとも年下の男の心を、若い娘たちをさしおいて捕らえることのできた年上の女は、当時は十分魅力的であったはずである。
急に美容院通いの度がふえたり、高価な化粧品を買いこんだり、若々しいデザインの服をつくってみたり・・・見苦しい焦りに捉われる。凋落しはじめた肉体の上にどうしても昔の魅力を再現しようとする。密かに皺(しわ)をとる手術や、落ちくぼんだ目ぶたに肉を入れる手術までしようとする。
それらの虚しい試みやあがきに捕えられる時、年上の女の惨めさが極まってしまう。結婚と同時に、あるいは間もなく、仕事から離れ、男に尽くすことだけに熱中した女ほど年上の女としての肉体的凋落に見舞われる度が速い。
何気なく言った男の、若い女への肉体的礼賛や、自分の老け方に対する心安だての軽い冗談を、執念深く覚えていて忘れようとはしない。そうなると、年下の男を選んだことに対する後悔だけしか残ってこない。
本当に年上の女としての魅力を持ち続けた女たちを考えてみると、彼女たちはきまって、自分の仕事を捨てはしない。
恋より仕事を大切にするかぎり、年上の女の精神的若さは失われることがなく、肉体内は若さに打ち勝って、心の瑞々しさが、いつまでも女の魅力の輝きを弱めなくなるのである。
岡本かの子は、夫一平のほかに、何人か、若い年下の恋人を死ぬまでそばに惹きつけておいた。三浦環(たまき)も五十歳をこえてから三十も年下の若い男を恋人として、死ぬまで傍(かたわら)から離さなかった。二人とも、男の未来の可能性を根こそぎにして、自分のそばに惹きつけ、自分との恋に殉(じゅん)じさせた。
怖ろしい自信であり、凄まじい自己愛である。
かの子も環も、男たちの未来を自分が奪い取ったことに対する憐憫(れんび)の気持は持ってはいたが、それ以上に、自分の恋の成就に対する執念の方が強かった。恋の為に、ふたりとも、いささかも自分を犠牲にしなかった。仕事も辞めはしなかった。むしろ、自分の仕事をより豊かにするために、若い男のエネルギーと、肉体的慰めと、奉仕と献身を必要とした。
環は死ぬ間際になってようやく、まだ三十を超えたばかりの男に、若い女と結婚させようとするそぶりを見せたけれど、それは、あくまで男の心を確かめる手段であって、本気でそれを実行する気持ちは持っていなかった。
かの子は、死ぬまでそんなことは考えもしなかった。自分に必要な相手は、相手の思惑など考えることもなく、自分に引きつけておいた。その強烈な自我と我欲に、男たちは、磁石に引きつけられる鉄くずのような無抵抗さで吸い続けられてしまうのである。
かの子も、環も、五十、六十を超えた死の直前まで女としての生理は、滞らなかった。肉体的にも年齢を超えた若さを持っていたのである。
彼女たちの恋人の打ち明け話を聞くと、死ぬまでセックスの欲望も衰えなかったという。
「あんな女らしい、そして可愛らしい女は、その前にも、後にも、二人と見たことがありません。女の蜜をたっぷりと持って生まれた稀有(けう)な女でした」といっている。
仕事をする女は、えてして、女らしさを忘れるほど、仕事に精気を吸い取られがちだが、彼女たちは、仕事をすればするほど、自分の中の女を大切にした。そしてふたりとも恋人にみとられ、恋人の腕の中で死んでいっている。
「年上の女」が、男との年齢の差が多いほど約束される最後の幸福は、男より早く、男に看取られて死んでゆけるということである。
後に残される淋しさとか、空虚とかを、味わなくて済むということは、女にとっては何と幸せなことだろう。
自分の死んだ後で、男がほっとしょうが伸び伸びしようが、あるいは何か月も泣いてくれようが、それはもう、どっちでもいいことである。
かの子や環の例を見ても、年上の女としての立場を一度人生の途上で選び取った以上は、死ぬまで、年上の女の矜持(きょうじ)を忘れないことが、その立場を完了する一番いい方法である。
恋の始め、年齢の差など気にしなかったことを死ぬまで貫き通せばいいのである。
あくまで男を追う立場に立ってはならない。執着があっても、いざという時は、去る者は追わずの覚悟をつけ、むしろ新しい恋への夢を捨てないで、男に追わせる立場をとらないかぎり、年上の女は不安と焦燥の虜になってしまう。
年上の女とともに生活をしようとする男は、よほどの男らしい頼もしい男か、でなければ、まったく寄生虫的なヒモ的な卑劣な男か、その両極端であることをかんがえることである。そして、前者がいつでも、後者に「変わり得る」人間の弱さをも、あわせて忘れないことである。
年上の女が、自分を惨めにしてまで年下の男を追う立場になった時、客観的に見れば、相手の男は、むしろ前者から後者に変質していることが多いのは、人生の皮肉であり、悲しさである。
“妻は、夫という鏡が曇ってきて、自分の姿がぼんやりしか映らなくなったとき、もっと精巧な、曇りのない、自惚れ鏡が欲しくなる”
女の貞操が生命より大切だと信じ込まされていた頃は、たとい未亡人でも、再婚したら、何となくふしだらなような目で見られる、非難がましく世間はみつめたものだ。
妻が恋するなど、もってのほかで、たとい、男から言い寄られたとしても、そういうすきをみせたことで、その妻は非難がましい目で見らなければならなかった。
けれども、そんな時代でも、ある種の妻たちはやっぱりやむに已(や)まれない恋をしたし、打ち首、はりつけ、さらし者になっても、恋に殉(じゅ)じた。そして非難しながら、世間は彼女たちの恋の激しさに内心感動し、羨(うらや)み、憧れ、それを後世に語り継いだ。
人間の愛などいうものが、そもそも不確かなもので、心は移ろい易いものである以上、一人の男と女が、一生にただ一人の相手しか愛さないなどいう方が。むしろ奇跡的で、そういう心の方が、何か欠けているのかもしれないのである。
人間が人間を理解しきるなどということは不可能に近い難事業だ。男は社会に投げ出され、命がけの仕事の場で、それをいやでも知らされている。
女は幸福な生い立ちの無傷の心を持った女ほど、生きるという事は人を愛することであり、愛されることであり、愛するということは相手を理解し、理解される事であると信じている。
女の幸福は、一人でも多くの人間が自分を理解してくれたと思うことだ。自分でも気づかない自分の「好さ」というものに女は本能的に憧れていて、それを指摘してくれる他人が現れると、まるで神の啓示にあったような新鮮な感動を覚える。
おとなしいと思われている女は、自分の中には悪魔的な野生が潜んでいるのだと思いたがっているし、バイタリティの固まりのように思われている女は、本当に自分は男に支えられなければ生きていけない弱いしおらしい女だと夢みたがっている。
本当の女たらしは、外観にあらわれた女の感じと、およそ正反対の盲点や特徴をあげてやって、まず女の心をとらえてしまう。
娘時代というものは、女自身が混沌(こんとん)として、性格も定まらないかに見えるから、男たちが勝手にその娘の上にかける夢やイメージがそのまま、娘自身の本質のように、娘自身が思いたがる。
結婚して妻になったときから、女は一つの型にはめ込まれる。その夫によって決められた型に入り込みながら、女の心のどこかで、自分の夢をすてきっていない。
男は相当馬鹿な男でも、自分を見る自分の目というものを持っているものだが(つまり自分の意見を持っているが)、女は相当賢い女でも、男を鏡にしなければ自分というものが映し出せない。
妻が恋するのは、夫という鏡が曇ってきて、自分の姿がぼんやりしか映らないときである。結婚生活に馴(な)れ、疲れ、面倒くさくなって、鏡を拭(ふ)くということを投げやりにしだす。それに、その鏡はいつでも変りばえのしない、一つの自分しか映してくれないのだ。そこで妻は、もっと精巧な、曇りのない、自惚れ鏡が欲しくなる。
妻が恋するときは、妻が自覚しているといないとにかかわらず、自分の生活の単調さにあきあきしているときだ。
夫が、不行跡で、生活能力がなく、子供が病身で、家の中は火の車というようなとき、妻はむしろ、生活そのものに必死に挑んでいて、恋など受け入れる余地がない。
他人が聞いて、なるほどあんな夫なら妻が他の男に見限るのも当然だと思うようなケースはほとんどない。
たいていの場合、妻は他人の目には夫より劣る地位や身分や才能の男に誘惑されてしまう。妻は、ことに日本の妻は、姦通(かんつう)が極刑だった歴史が長いので、母や祖母の代からつづいている姦通恐怖症が血のなかに流れていて、姦通罪がなくなった今でも、そうそう自分から姦通に飛び込みたがる性情は持っていない。
たいてい、心は姦通に憧れめざめていても、他からの積極的な誘惑の手が差しのべられないかぎり、それにふみきることは少ないようだ。
誘惑者は、夫はもう決して口にしなくなった妻の美点や、「他の女とのちがい」を、くりかえし聞かせてくれる。口にしないまでも眼差しで語ってくれる。
男と女の性愛がどういうものであるかを知っている女にとって、誘惑者のことばは、たとい精神的なことしか語らなくても、すべてベッドにつながって、妻の心には落ち込んでゆく。
おとなしい妻が、
「あなたは本当に情熱的な人なのだ、それをあなたの外見の優雅さが隠しているにすぎない」
と誘惑者に囁かれたとする。
するとその妻は、ベッドのなかで自分がどのように情熱的に、放恣な姿態をとり得るかを一瞬夢見ることができる。
夫に肉体的に需(もとめ)られることが大好きで、年中、妊娠に怯えている妻が、あなたは精神的な珍しくプラトニックな心の人だと誘惑者に囁かれると、こんどは、いつでも肉欲の固まりみたいな夫の犠牲になって、子供ばかり産まされているような錯覚を覚え、ベッドのなかで兄妹のように躯(からだ)を温めあう、清らかな関係を夢み、自分は七年でも十年でも空閨(くうけい)が守れるような貞操堅固な女のように思い込んでしまう。
女というものは、世界中の男から恋を囁かれる可能性を心の奥深くで期待しているから、夫以外の男から言い寄られることは決して不快ではないのだ。
もう、自分の何から何まで知り尽くしてしまったような顔をして、髪型を変えようが、口紅の色を変えようが、気の付かない夫に、夫以外の男が自分の魅力にひきつけられていると知らせてやりたい欲望――それは、夫を愛している妻ほど強い感情だ。
ここまでは大丈夫、という安心と自信が妻にはある。男の愛撫がすすんでくるのをちゃんと見極める冷静な目を自分が持っていると思うとき、妻は自分がたいそう大人になったような自信を持ち、よくぼうを制御できない誘惑者がたとい自分よりはるかに年上でも、まるでやんちゃな可愛らしい子供のように感じる。
そのとき、すでに誘惑者に第一の鍵を盗まれてしまったのに気づかない。
夫以外に男の肉体を知らない貞淑な妻ほど、はじめてふれる夫以外の男の肉欲の手管のちがいに好奇心をそそられる。男が自分の肉体のどこにいちばん魅力を感じるか、夫と比較して知りたくなる。
その扱いが乱暴であれ、丁寧であれ、少なくとも、夫の扱いと少しでも異なっていれば、妻はもっとその違いを知りたいという誘惑にうちかちがたい。
姦通のすべての理由は後になってつけられる。
妻が恋をするときは、哲学的理由や、情緒的理由がいくらでもでっちあげられるし、それを他にも自分にもくりかえしているうち、妻は本当のその理由を信じ込んでしまう。
けれども姦通に踏み切る時の妻の状態は、十人が十人同じもので、要するに好奇心に負けたのである。秘密を持つこということが、単調な妻の生活に、精神の緊張を与える。
嘘をつくりスリルと、秘密を保つためにめぐらす小細工や策略の為にいつでも頭は、ぬけめなく廻転しはじめる。惰性で目をつぶっていても手順よく運べていた日常の家事が、ちょっとした秘密の時間の捻出のために、急に、いきいき精彩を帯びてくる。
一つの小さなウソが、次のウソを生まなければならないし、そのウソのために、またもっと大きくウソをつかなければならない。女が一番いきいきと魅力的にみえるときは、ある目的のために、ウソをついて、必死に演技するときだろう。
そういう、スリルと、苦心のはてに得た秘密の時間が、どれほど濃密な色と匂いいを持つものになるかは説明するのも野暮だろう。
その時、妻にとってはもう相手の男は問題なく、事件そのものが生活なのであり、そこで必死に知恵をふりしぼり、姦通に溺れこむ自分自身がヒロインなのである。
たいていの場合、恋の相手の肉体などは、妻にとって期待外れのことが多い。本で読んだり、噂に聞くような異常な男にそうそう出くわすわけはない。
実際に精力に満ち溢れた男は、面倒な手管をふんだり、危険を犯したりして、人妻を口説くのに時間をかけるようなことはしないのだ。
人妻を満足させるほど、人妻を姦通への誘惑に引きずり込むため、情熱的になってくれる男は、どちらかと言えば、精神的プレーボーイで、人妻をものにするまでの過程を愉しんでいるのであり、ものにした女は他の多くの女同様、大して珍しくも美味しくもない女なのを知っている。
妻たちの深層心理
女の恋のなかで、人妻の姦通ほどスリリングで情熱的で、他人の目にも面白いものはないからこそ、古今東西、いつでも姦通小説は、ベストセラーになり得る可能性がいちばん強い。
『クレーヴの奥方』から『アドルフ』、『ボヴァリー夫人』、『アンナ・カレーニナ』、『赤と黒』、『源氏物語』、『美徳のよろめき』等々、時代を越え面白く、何度読み返してもそれにたえ得る小説というのは姦通小説なのがそれを説明している。
自分にできないからこそ、憧れるのであって、小説や映画の面白さというものは、自分に代わってヒロインが自分の隠れた欲望を満たしてくれるところにある。
その証拠に、ある婦人雑誌に私が人妻の姦通について書き、編集部がその題を「人妻に姦通をすすめる」としたところ、内容はお粗末っまっというもので、その題はあくまで反語的な皮肉なものなのに、カンカンになって私を攻撃する投書が編集部に山積した。そのなかの一通も、夫が怒って来たものはなかった。
残念ながら、世間の、殊(こと)に日本の妻たちは、まだまだ臆病で、誠実で、貞淑で、自分の安全な地位や名誉や、可愛い子供たちと引き換えに姦通の快楽をとろうとするような冒険心はない。
姦通罪がなくなったとはいえ、やはり姦通には罪の匂いがするし、世間は姦通した妻に寛大ではありえない。今でも姦通は、妻にとってはいわば生命がけの大事業である。それが魅力的に思えるのは、危険を伴うからで、身の破滅ともなりかねないスリルがあるからであろう。
けれどもそれも、女の貞操が唯一無二の最後の女の武器のように考えられ、信じ込まされていた時代の名残りではないだろうか。
今はそれも徐々に変わりつつあるようだ。
男女同権が、性の上でも平等に解放されたとき、女は、姦通に今ほど魅力を感じないだろう。
現に妻のなかの一部では、もうそこまで到達している人も少数はいて、彼女たちは、姦通を自分の現在の地位や、社会的名誉や子供たちと引き換えはしないで、家庭を無傷にそっとしておいて、家庭の外で浮気の愉しみを味わうように、手際よく愉しみはじめている。
男がとうの昔に精神的愛と、肉欲の使い分けをしているように、女もそれに近づこうとする考えが出来てきたようである。
ケッセルの『昼顔』のなかのヒロインのように、夫は夫として愛しながら、肉欲の対象としては、夫より身分の低い逞しい男を、あいまい宿で客にとるような心理が、あらゆる妻たちの深層心理のなかに隠されていないとかは言い難い。
性を重要視し、性が人生の中で最大の関心事のように考える風潮は、マスコミの扇動のせいもあるけれども、それに乗せられやすい女たちの浅薄さのあらわれで、今の人妻の多くは、自分から性の自縄自縛にかかっているようなところもある。
夫の不貞が、感覚的に許せないといって、いって一度や二度の、あるいは、ある時期の夫の浮気以来夫との性交渉を断つというような、潔癖な妻は滅多にいるものではない。
ある時期、思い出すたび、口惜しさと、不潔感に、泣いたり、わめいたりしても、いつのまにか夫を受け入れているし、男とはそんなものだというあきらめで、あきらめてしまっている。
決して相手につけこまれない自信と、事をバラさない周到さと、万一バレたところで夫を我慢させる自信があるならば、世の中の妻のすべてが、夫以外の男を肉体的に知った方が、夫婦生活はかえってスムーズにいくのではないかと思う。
夫にとって何でなくすぎる浮気は、妻にとっても、避妊の用意さえ、確かだと、なんでもなくすぎることなのである。
肉体の傷などが大したことのない証拠に、打ったり蹴ったりの夫婦喧嘩などは、あっけないほどあっさり仲直りしている。
心に受けた傷の深さの執拗さ、怖しさを身に染みて知った者が、はじめて不幸なのであって、愛の場において、肉のしめる地位など、精神のそれにくらべたら、ものの数でないことがわかるだろう。
自分は、妻以外の女とさんざん寝ておきながら、妻が生涯自分ひとりを守り抜くのを望んでいる夫達の身勝手な願望は、永遠に男からはぬけないものだろうけど、妻はもうそろそろ、その都合の悪い習慣からはみ出すことを本能的に望んでいる。
妻たちがそういうものを見向きもしなくなるとき(必ず近い将来それはやってくるだろう)、妻たちは、上手に、手際よく、姦通を愉しんでいることだろう。
姦通して、妻たちは、おそらく生々と今の妻より若くなり、会話もウィットがこもり、反応も敏感になり、そして今よりはるかに夫や子供に優しくなるだろう。
危険と苦しみと、嫉妬と、姦通につきもののそうした条件ほど女を美しくする秘薬はないのだから。
そのとき、妻たちは、今よりもっと生々と蘇ることだろう。ちょうど多情な夫たちがいかに魅力的なのと同様に。
“男の性が画一的で女のそれは千差万別である、それだけにいつの時代にも、女のドラマが際限なくうまれる”
先日、林髞(はやしたかし)氏にお逢いした時、氏は、
「童貞と処女の結びつきくらい、肉体的につまらないものはない」
と断言された。
これは氏の提唱された結婚二重説(青年は第一結婚で、年上の経験者と結婚し、その女が死んだ後、年下の処女と結婚せよという説)から出た論旨だった。
「実は、私、その童貞と処女の結婚だったのですが」
「ほう、それはまたお気の毒な・・・・」
氏は実に同情に堪えないと言った目つきで、まじまじと私の顔をみられた。
私はその時の夫と、子供を残して、結婚後五年目に家を出てしまった。法律上の離婚成立はずいぶん後のことになったが、事実上、私の結婚生活は五年しかなかったわけだ。
家を出る時、私には若い恋人ができていたので、私の周りの世間では、夫より恋人の肉体に惹かれたのだろうと、穿ったような批判をしていた。
ところが、その時の恋は、まったく精神的なものであった。私たちは肉体的結びついてはいなかったのだ。
私に性の意味が、精神的にも肉体的にも会得されたのは、離婚後何年か経ってからである。
別れた夫も、その頃は、再婚の女性と新しい結婚をして、円満らしいという噂を聞いた。私は、自分の経験から、別れた夫も、今度の結婚で、はじめて真の性の意味を会得し、幸福になってくれたことだろうと、密かに祝福した。
嘘のような話だけれど、女二人姉妹の私は、結婚後も、夫が大病して下の世話をしなければならなくなるまで、成長した男のそれを、まともに見たことがなかった。
けれども性交ということについては、結婚前から、さまざまに空想していたし、そんな医学書をずいぶん読んだ、女子大に入った年の夏休みには、父の知人の道楽者の薬屋の主人から、密かに、会員制の秘密出版のそういう種類の本を大量に借りてきて乱読した。
天金で上質のビロードばりのそれらの本は、パリパリ音のする重い紙にブルーやサモンピンクや、濃緑の文字で印刷され、実に美しかった。印度やアラビアや支那の性典を、私はそんな華麗で豪華な本によってたいてい読んでしまった。
私はそれらを読みながら、時折悩ましい性の興奮を感じた。すると私はいっとき、それらの本を投げ出し、仰向けにひっくり返って、両手を頭の下にあてがい、目をつぶる。私はその頃すでに、オナニーが身体になんの害も及ぼさないことを、知識として織っていた。けれども、私は自分にオナニーを禁じていた。自分で自分の体を汚すという行為が、自分に対して恥ずかしくて厭だったのだ。
私の家は商家で、父は職人気質で子供には放任主義、母は子供にカンの虫が起きたら、お灸をすえてれば退治できると信じている女であった。事実、私は「頭がよくなるために」悪いこともしないのに、時々背中にお灸をすえられた。
そんな父母だったので、性教育などは意識していなかったようだ。改めて性教育をされた覚えはない。ただもの心ついた頃から、「戯作(げさく)なこと」を言ったりしたりするの「戯作な人間」になってはいけないと、終始聞かされていた。
私の生まれた徳島県地方では、戯作なことをいうのは、野卑なことのすべてをさしていたが、直接には性的なことを意味した。ワイ談も性交も恋愛さえ戯作なことであった。「戯作」という字を当てるのだろうか。
町内に一人「げさくな子」と陰で呼ばれる年上の女の子がいた。古道具屋の一人娘だった。子供たちは、親に叱られながら、その少女に支配されることに、何とも言えない快感を感じていたようだ。私たちはその少女の命令で、よく古道具屋の薄暗い納屋の中で「げさくな遊び」にうつつをぬかした。それはお医者さんごっこだったり、芸者さんごっこだったりした。
そのころ、私は幼稚園に上がる前だったので、数え年四、五歳のはずである。私はお医者さんごっこをみる誘惑には勝てなかったが、するのは厭だった。戯作なことをすれば、お嫁に行けなくなるという母の口癖が、身に染みついていたのだろうか。私は頑強に患者にされるのを拒否しつづけた。そんな私は、仲間の誰よりも、ませていたのかもしれない。
その幼児期をすぎ、小学校に上がって童話を読み始めるまで、私の性に関する記憶は空白のようだ。
童話、とくに外国の童話は、私に性的な興奮を与えた。雪の女王や、眠り姫やアラビアンナイトから、私は息苦しいほどの性的圧迫を受けた。とくに、雪の女王の、氷の宮殿に閉じ込められた真っ青な顔の少年を想う時、全身が悩ましさにうたれ、恍惚とした。私は、そんな感情は決して人に語ってはならないと思い、無邪気を装うっていた。学校の受け持ち教師は、そんな私の読書好きを、文学的才能があるのだと勘違いして、わざわざ自宅から童話の本を持って来てくれたりした。
小学三年になっていただろうか。私は六年生の一人の少年に片想いの恋をしていた。その少年を好きになって以来、物語りの王子や少年は、いつもその少年の俤(おもかげ)であり、王女や少女は、私自身でなければならなかった。
少年の短いズボンの下からすっきりのびた素足をみると、私は頭の中で少年に小公子の黒のビロードの服を着せ、うっとりとなった。少年が中学生になり、小倉の不格好な長ズボンをはいたのをみたとたん、私の初恋は、狐が落ちたような具合に、ころりと冷め果ててしまった。
南国のせいか、六年のころはクラスにもう何人か初潮をみた人があった。私も卒業まぎわ、それがあった、母に教えられてはいなかったけれど、婦人雑誌をよんで、私はすでに、そのことについては知識はもっていた。
けれども、想像していたものは、目の覚めるような口紅だったので、実際のものの不潔な色を見て、そんな色が、私一人の現象ではないと、しばらく悩んでいた。母から、誰もがそうだといわれたが、かえって、それを疑い、自分の性的な劣等生ではないかとひがんだ。
あのことの報いではないかと悩まされた。
あのこと――いつのころからという確かな記憶は薄れてるのだけれど、かなり早くから。私はふとした機会に、自分の肉体の一部が、何か堅いてものに圧迫されると、奇妙に甘美な恍惚感に、全身がひたされる経験をもっていた。学校の机のへりとか、椅子の背の横木、二階の出窓の窓枠・・・・・そういったところに、ちょうど、立ったままとか、ひざつきの姿勢で、ふっと自分のあそが当たった時、ほんのわずか自分の重心をそこに集めるだけで、その快感がわいてきた。それは、童話の王子と王女の恋に心を燃やすとき襲ってくる、あのしびれるような激しい陶酔感ではなかった。
まるでぬるま湯に全身が浸かり、徐々に湯のあたたかみが毛孔の一つ一つから身内の中へ染みとおって来るような、もどかしいやるせない快感であった。
それは、ぜんぜん他人に気取られる所業ではなかった。私がその隠密な快感に頭をしびれさせている最中でも、すぐ側にいる大人の誰の目にも気取られることはなかった。その姿勢が何気ないものであり、少しも不自然な形に見えないからだ。ただそこが圧迫されるだけでよかった。
初めて偶然、その経験をした時、私はそれがひどく恥ずかしい行為だと直感した。二度と繰り返してはならないと、自分を戒めた。人間は生まれ出た時、すでに、衝動と、衝動を阻止するもの(半衝動)とが、あらかじめ形成せられて存在しているという。この時、私にその行為を禁止するよう命じたものが、私のこの意識下の半衝動だったのか、子供心にそれを「戯作な快楽」だと感じた羞恥(しゅうち)の感覚だったのか、わからない。
とにかく、私はその後、何年間も、時々、一ヶ月に一度とか三ヶ月に一度かの割で、おそってくる、そうしたい欲望と戦うのに苦労した。十度に三度はその誘惑に負けたが、それはすでに、後ろめたさをもっていたので、最初の、あの完全な恍惚感は得られなかった。
初潮を見た時、もう私はすっかりそのことを忘れていたと思ったのに、反射的に思いだしたのは、やはり、それが性に強くつながっている衝動だったからだろう。私は漠然と、その快感が、コイトスの快感につながるものと想像していた。二十年後になって、はじめてコイストを経験した時、それが、どんなに現実のものと縁遠い感覚だったかを知った。ちょうど男のそれを、写真や図解で、知ったつもりでするのと、実物をみた時の差のようなものであった。
私の読物は、すでに童話ではなく、私は『復活』のネフリュードフが忍んでゆく夜、川の氷に割れる音のくだりを読むと、性的に感動し、『女の一生』の、新婚旅行の泉の個所では、何度も性的身震いをしたほどであった。
いわゆる思春期と呼ばれるハイティーンの時代に、私は性的な何の目ざめも感じなかった。
女学校が、厳格な県立高校であった故だろうか。スパルタ式校風は、男の子とたあいないラブレターのやりとりをしただけで、休学だと大騒ぎするのだから、文字通り、女学校の五年間は格子なき牢獄に入れられたようなものだ。意識下でリビド(性的衝動)は抑圧されていただろうけれど、私は運動と、エスと呼ばれる同性愛遊戯にそれらを発散したらしい。
めんめんと、エスにラブレターを書いて暮らし、その交際であらゆる恋の模擬修練をしていた。ただ、私たちの女学校のエス遊びでは、肉体的接触は何もなかった。
そんな欲望も起こらなかった。嫉妬したり、思い詰めたり、眠れなかったり‥‥そんな感情や状態は、本物の恋となんのかわることころもなかった。
女子大では寮に入った。やはり恋をするチャンスも相手もいなかった。その頃、太平洋戦争に突入していたので、私たちの対象になるような男性は、内地には殆どいなくなっていたのだ。
もしもあの思春期に、エスの遊びがなかったら、まったく灰色の青春という言葉でしかいい表せない、私の「年ごろ」であった。
私は女子大の二年に見合いをし、三年の時、学生結婚をした。学校を休んで郷里で式をあげ、夫と上京し、私はすぐ学校につづけて出た。その時の私の持ち出した条件は”式はあげても、卒業まで肉体関係は持たない。もしそうなったら、学校で恥ずかしいから”というものであった。
三十歳の童貞の夫は、私の条件をいれ、二人でホテルに何日泊まっても、私たちは何もしなかった。
私は、そんな状態が、夫にどんな犠牲を払わせているのか、感覚的に理解できなかった。
私は、何の間違いもおこさず、品行方正な男子と結婚できるのが、非常に得意であった。
二十で結婚し、二十一で子供を産んでも、私の精神状態は、ハイティーンのままで眠っていた。
私は初夜にも、その後の結婚生活の性生活にも、一種の失望を感じた。けれども同時に、
「これが人生の現実だ。私の想像したものは、小説の中のお話だ」
と、自分に自分でいって聞かせていた。そしてその大人びた解釈を、自分で満足していた。
今私は、ようやく私が思春期やそれ以前に、なかば本能的に感じていた性の真の姿が、決して、「小説の中のお話」ではないのを織っている。
女の中には、生まれた時にすでに、未来の経験に対して、ある直感的な予感を具えているのではないだろうか。
「こんなはずはない」というボヴァリー夫人の身悶えは、すべての女の中に隠されている叫びかもしれない。
解剖学的には、男のセックスが画一的で、女のそれは、千差万別であると言われる。それだけに、性への目ざめも、性への理解の道筋も、女の方が複雑で、千差万別かもしれない。いつの時代にも、女の新しいドラマが際限なく、生まれているゆえんだろうか。
若い女の人に、結婚前に何をよめばいいかと聞かれたら、迷わず私は、まずボーヴォワール女史の『第二の性』をお読みなさいといっています。
小説ではない、いわば、女性論の大そうぼう大なものですけれど、私はボーヴォワール女史の小説よりも、はるかに面白い本だと思います。私たち、女として生まれてしまった者たちにとっては、ぜひ読んでおいていい本だと思うからです、
この本には彼女の学識と経験と研究のすべてを傾けて、女はどうしてつくられたか、女はどういう歴史の上に生きつづけてきたか、これから女はどう生きるべきか、ということをこの上なく執拗(しつよう)に情熱を込めて解き明かしてあります。
先ずあなた方に浮かぶ疑問でしょう。けれども果たして今の私たちが生きている、国家、社会、世界の中を見渡した時、私たち女は、女である前に人間だと、威張って、あるいは安心して言えるでしょうか。
私たちはまだまだ、女としてのあらゆる制約やハンディキャップの中で、男よりはるかに損な条件の中で生きています。まず女は、なぜこうなったかを見つめ、自分たちの置かれた立場、自分たちの置かれた現実を直視し、認識すべきではないでしょうか。
ボーヴォワールは、身をもって女の立場の不合理や、男との比平等性を体験したからこそ、ああいう、大作に取り組み、女というものについて、想いを凝らしたのでしょう。
だからといってボーヴォワールが男性的で戦闘的で、色気もしとやかさもなない男のような女かというと全くそうではありません。
昨年サルトル来日した女史の講演を聞いたり、テレビでご覧になったりした方もあるでしょう。また新聞はあの頃、演壇に立つ毎にちがう女史の服装についても、くわしく書き尽くしていました。
私も彼女の講演を、聞きにゆき、ある粉塵雑誌の座談会で親しく女史と話す機会を、持ちました。その時の女史は、今はやりの言葉でいうTPOに適ったおしゃれで頭のてっぺんから足の先まで神経をゆきわたらせていました。
けれども私は、彼女が美しく化粧し自分に最も似合う髪型を整え、流行りの短いスカートの服をきこなし、真赤なマニキュアをし、すがすがしい模様入りのストッキングをはいていたすべてに、好感を持ちました。
彼女が、自分の中の女らしい女を持て余すほど持っているからこそ、「女」についてああまで真剣に、執拗に考え、追求しなければならなかったのではないでしょうか。
自分の中の女としての弱さ、甘さ、惨めさを、厭というほど知っているからこそ、女として生まれた宿命と、どうとり組み、どうやって自分にうち克(か)って、女としての可能性の全幅をおしひろげ生きてゆくべきかを、考えたのではないでしょうか。
人間の中にはどう処理しようもない矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)が、みちみちています。それだからこそ、人間は果てしなく悩みながら生きつづけて生きなければならないのです。
ボーヴォワールの偉さは、自分の中の女らしさに甘えず、女らしさを武器として生きようとしなかったことだと思います。かくあらねばならないことを彼女は私たちに『第二の性』の中で説いています。
実生活では、人も知るサルトル氏の公認の恋人として、結婚はせずに、互いに協力しつつ暮らしています。しかも長い恋愛の途上では、二人ともお互いに別々の恋人を持った時期もあります。
そっちのことも、女史は、自伝の中ではっきり書いています。男と結婚することによってのみ、女の幸福があるという考えの古さに、私たちは思いいたらねばならない時に来ているのではないでしょうか。
ボーヴォワールとサルトルの愛の型が。果して女にとっても男にとっても、真に自由ないい関係かどうかという事はまだわかりません。互いの創作活動のために二人は子供をあえて生まなかったという生活も、果して、女として、人間として、幸福かどうかも疑問がありましょう。
それでもボーヴォワールが身をもって、女のひとつの新しい生き方を試み、勇敢にひとつの突破口を開いて見せてくれたという事だけは認めざるを得ないのではないでしようか。
いずれにしても、今世紀の上で、女の為に、彼女ほど真剣に考え、書き、行動してくれた人は少ないと思います。
つづく U 愛からの自覚
〆におそわれる不可抗力のとき
“理解することには疑りがあり闘いがおこる。幸福とは、その苦しみに裏打ちされた傷だらけの愛を自分の孤独の中にしっかり握り締めることはないだろうか