退屈というものを最初に経験したのは小学1年の時だったと思う。
夏休みに祖父の家に一人で遊びに行ったのだが、日中は祖母と私の二人しか家にはいない。祖母が常に身体を動かして家事をしている間、私はテレビの前に座り、中村扇雀か山田五十鈴が出てきたら、おばあちゃんを呼びに行くことだけが仕事だった。しかし、それしかすることがない生活に飽きが来たのだろう。ある日、身をよじるような苦悶が起こった。畳の上で七転八到する私に、祖母が身体のどこが痛いのかと心配して声を掛けた。
「どこも痛くない。退屈で退屈で苦しいだけ」
それで仕方なく親の家に戻った。
家には『スケートをはいた馬』という買ったばかりの本があり、それも実に退屈な本だったのだが、スケートをはいた馬たちがいろいろな村を探検する中で「なまけものの村」を訪れる場面の頁だけは飽きずに眺めていたものである。
「なまけもの村」では、村人は目が覚めてもベッドから起き出すこともせず、互いの家を結んだ糸電話の先についたラッバスイセンのような受話器を耳と口に当てると、寝たまま話をし、話がすむとまた寝てしまう。
「退屈な人たちは、一日ベッドから出てこないのだ」
そう思うと、退屈が少し和らぐ気がするのだった。
トロッコ列車のような家族旅行
中学の時、それが生まれて初めてだったのだが、家族4人で山陰地方に旅行に行った。
結構長い期間、海水浴や温泉巡りをしたのだが、小泉八雲の家を訪れた時、いきなり「退屈」が襲ってきた。大人2枚子ども2枚の入場券を親が買い、4人で靴を脱いで中に入る時、身悶えするような恥ずかしさを覚え、「私は入りたくない。外で待っている」と宣言して、石のように立ち尽くした。
「入ろう、一緒に。一緒に見ないと何もなれへんやろ。早くおいで。どうしたんや?」と、オロオロして私の腕を引っ張ろうとする父の手を、力任せに払いのけた。
それは思春期にある性的な嫌悪ではなく、「型通りの家族旅行」を演じている自分に対する羞恥心からである。自分の前に「家族」という路線が敷かれ、その上を「トロッコ」に乗って進んでいく。そういう人生が喩(たと)えようもなく恥ずかしく、平和で平凡な家族が耐えられないのだった。
大学に入った18歳の時、東京藝術大の声学科1年の友人ができた。彼女は「マリア・カラスはね」と、常にカラスの考えを私に聞かせてくれるのである。
「マリア・カラスはね、お鍋の底を磨きながらマリアを歌う事なんてできないと言うのよ」
「家族になることは、特急白兎の4人がけのシートに収まって旅行をすること」と思っていた私にまだ性別役割の意識はなかった。そこに「結婚とは、台所でお鍋の底を磨くこと」という定義が加わったのである。
その彼女が珍しく日本人作家の本を読んだことがある。
「曾野綾子はね、若い時に縁側で日向ぼっこして、何もしないことを咎められてね。どうせ年をとったら縁側で時間潰しをしてもいいなら、若い時から縁側でボーッとしてもいいじゃないかと書いているのよ。人生は退屈との闘いよね」
長い余暇時間を、マリア・カラスにならない人間はどうやって潰せばいいのだろうと、二人して暗澹たる気持ちになったものである。
入場券を買い、靴をビニール袋に入れ、家族で小泉八雲の住んでいた家に入らないと、人間は時間を潰すことはできないのだろうか。そんなことばかり考えて生きてきた。
後に「犯罪」の講義を持った時、「犯罪」の定義についてまず語らねばならないのだが、「犯罪」というものが行為に内在しているわけではないので困ったことがある。
「人を殺すより、人を産む方が罪が重い」というフロベールの言葉がよほどよく理解できると思った。
すると、法学部の女子学生が出席カードに書いてきた。
「人を殺すより人を産む方が罪が重いという言葉に似たもので、『人が子どもを育てるのは復讐である』というものを思い出しました」
親が子どもに求めていることの中に親の社会への無意識の復讐が潜んでいることを、悲しいことに子どもは見抜いてしまう。
だから子どもは作らない
結婚の理想について書いてもらった文章の中にこういうものがあった。
「私は3人姉弟で、私の下に高校生と小学生の弟がいます。母は、彼女のほとんどの時間を私たち子どもに費やしています。下の弟はサッカーをしており、いくつものクラブに所属していますが、週末は必ず試合があるために母は必ずそれに付き添います。
平日も、夜遅くまでクラブチームの練習があり、それが電車で1時間近くかかる場所にあるため、週に何度も弟を送り迎えしています。その他にも、小学校のPTAなどの役職に就き、その上、母は通っている教会の仕事まで引き受けています。
にも拘らず、母は家事を怠りません。彼女はもはや完璧な主婦という名の機械であると言っても過言ではありません。そのような母を私は尊敬しています。それが、家庭を持つ母としての務めなのかもしれません。
しかし、夜、蛍光灯の光の下でお皿を洗う母の後ろ姿をみていると、私は母のように自分の時間をすべて捨てて子どもたちの為に生きるという事が出来ないと思うのです。母にはとても失礼なことだと思うのですが、私しは自分の時間を自分の為に使いたい。家庭や子どもに縛りつけられることは、とてもできないと思うんです。
それなら果たして結婚する意味があるのだろうかと疑問に思うこともしばしばありますが、そもそも結婚とは、なぜするものなのでしょう。母は家庭と子どもを持ち、だから孤独ではないということになるのでしょうが、そのためにそこまでする義務があるのかと思うと、私はどうしていいのか分からなくなります。
私の結婚の理想、というより夫婦の理想は『西萩夫婦』私はかねがね、漫画家やまだないとの作品が好きで愛読しているのですが、中でも『西萩夫婦』が好きなのです。題名のとおり、西萩窪に住む30代の夫婦の話です。会社員の妻と漫画家の夫の淡々とした何気ない毎日が描かれています。彼女たちは孤独です。しかし、どこかで孤独を愛しています。そして、二人は慣れ親しんで他人でなくなってしまうことを恐れています。だから二人は子どもを作らないのです。二人はいつも手をつないで歩きます。一人でいるときにそれぞれを感じ、二人が他人であることを認識し、安心するのです。二人は固執せず、しかし、最後に辿り着くのはその相手しかいないのです。
このように書くとどこか重々しい雰囲気が漂ってきますが、むしろ私にとっては世間一般の、私の両親のような夫婦の方がよほど重々しい毎日を送っているように感じられます。私の母のようにスーパー主婦にはなりたくありませんし、なれないでしょう。
ただ一つだけ確信しているのは、私の父のように月に一度は海外に出張に出てしまうような人ではなく、いつも近くにいてくれる人と結婚したいということです。誰よりも側にいること、それが愛情であり、夫婦だと思うのです。私は両親のような夫婦にはなりたくありません」
一人の学生によって、私はやまだないとの『西萩夫婦』を読むことになった。2001年に初版が出ている。
そして、誰であれ自分の結婚像は自分の親の結婚の影響を免れるものではないと思い知ったのだった。
やまだないとは書いている。
「でも私がうしろめたいのは、生まれない子供にではないのだ。
私たちの両親にたいしてうしろめたく思っている。
私たちの為に確実に、自分の時間を費やしてくれたその人たちにもらった時間を、わたしたちときたら、まるっきり自分のためにだけ使っているのだから。
私たちは私の両親が手をつないでいるところを見たことが無かった。
キスをするのも見たことが無かった。
いつも父親と母親で、私たちの親で、私たちを育ててくれている人だった。
二人きりの暮らし。地元の慣れた道を手をつないで歩くこと。行きつけの本屋で同じ本を並んで立ち読みすること。もしかしたら親達は、知らなかったのかもしれない。
デパートの、よそ行きの紅茶も、ぜいたくなお総菜も、冬に買う真夏のシャツも。そしてまた一日が終わったと、二人で共通の物悲しさを覚えること。知らないかもしれない。
それがうしろめたい」
エリザベスになりたい
「分別臭い結婚をするのは嫌いですが。分別のない結婚をするのはもっと嫌いです」と若い人が言う。
世の中に「分別ある結婚」を目指すほど揺るぎのない結婚観はない。
「分別」とは何なのだろう。
「お金の為に結婚するのはよくないが、お金がないのに結婚するのは愚かな事である」
それが「分別」である。自分と自分の親と子の住む環境を美しく保つ上には当然のことである。
18世紀イギリスの中流階級の人々にとって、「近所に自慢できる結婚」か「近所に隠しておきたい結婚」が、結婚は2種類しか存在しなかった。
「分別のない結婚をするのは嫌」と言い切った人は、「私は、エリザベスになりたい」とも訴えた。
エリザベスは世の中に一杯いるが、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』の主人公のエリザベスである。
エリザベス・ベネットのような女性になりたい。あの痛烈な諷刺を発することのできる、心の中に毒を隠し持った女性に私はなりたい。そして、エリザベスのような文句のつけようのない結婚がしたい。オースティンの世界はどれほど魅力的でしょう。もちろん、卒論はジェーン・オースティンにするつもりです。
作家は第一作にその生涯のテーマを既に書いているというが、作家にはならない人の場合、卒論のテーマがその人が生涯抱えて本人の知らないテーマであると思う。
「お金の為に結婚するのはよくないが、お金がないのに結婚するのは愚かなことだ」というのは、ジェーン・オースティンが生まれた18世紀の結婚観である。道徳と現実が一致していた時代の家族の常識である。結婚と恋愛が区別されていた時代と言ってもいい。
英国恋愛小説の傑作
ジェーン・オースティンは1775年生まれ、1817年に亡くなった。父は牧師である。兄や弟のほとんども牧師か軍人になっている。ジェーン・オースティンは、41歳でアジソン病で亡くなっている。人生最後の7年間に多くの小説を書いたが、作者名は隠されていた。
『高慢と偏見』は、オースティンが20代初めの頃、20歳の女性を主人公にして寄稿されたものである。
イギリス文学史の中に位置づけると、ジェーン・オースティンは時代的にはロマン派に属する。しかし、「彼女には時代色といったものがない」(『イギリス文学史』J・Bウィルソン著)。
「彼女は初めての重要な女性小説家として古典派とロマン派の両運動の上に立ち、ある意味で18世紀と19世紀の橋渡しをするものであるが、しかし彼女をどのグループに属することもできない――彼女は独自である」(前掲書)
ジェーン・オースティンに時代色がないのは、彼女が書いたものがイギリスの当時の中流階級の、地方の家族の小さな世界で起こったことだけを材料にし、その外部の具体的な世界には超然としているからである。近代になってからも、いやそれ以前からずっと、結婚そのものへの女性の意識には変化はないと言うこともできる。
当時、イギリスはナポレオンの制圧を警戒して軍隊を配置して緊張していたが、『高慢と偏見』(全61章)がナポレオン戦争のことに触れているのは、一箇所だけである。第39章の、エリザベスの妹のキティとリディアがロンドンの宿屋で「見張りに立っている衛兵を眺めたり、キュウリのサラダにドレッシングをかけたりしながら、姉たちの到着を待っていた」というくだりのみである。
『高慢と偏見』はそれ以外すべて、結婚の話題だけで成り立っている。男性は階級(身分)と職業と年収と教養で評価される。登場人物のうち4人(ぐらいしかいない)の男性のプロフィールはこうである。
エリザベスの父であるベネット氏――ハートフォードシャー州ロングボーン村の地主、年収2000ポンド
ダーシー氏――ダービービシャー州の大地主。年収1万ポンド(現在の約1億円)。母は貴族の娘。28歳。
ビングリー氏――父の代に商売で財を成した。年収4、5000ポンドの独身青年。
コリンズ氏――ケント州ハンズフォード教区の牧師。25歳。
この村の人たちは舞踏会とディナーとトランプをして毎週を過ごしている。そうしながら、結婚相手を探し、求婚したり、失恋したり、婚約したり、結婚したりしていく。それ以外には一切何も起こらない。かくして結婚に対する意識だけが増殖していく、これは一種の観念小説である。
「英国恋愛小説の傑作」と評されているが、『高慢と偏見』は、「恋愛小説」ではなく「結婚小説」と呼ぶべきであろう。「恋愛」とは違って「結婚」は、女性から見て「上を望む心」が生じないと起こらない。エリザベスはいつも思っている。「ほんとに愛せる人間なんてほとんどいないし、本当に立派と思える人などますますいない」。
エリザベス(愛称リジー)は5人姉妹の2番目である。父親のベネット氏は「みんなばかで無学で、そのへんの娘とちっとも変らん。だがリジーは違う。頭の回転が違う」と、リジーだけを特別視している。
《ベネット氏は、頭の回転の速さと辛辣なユーモアと冷たさと気まぐれが奇妙に混じった複雑な人物だった》
要するに、リジーは「父の分身」なのである。英米文字に繰り返し見られる型であるが、「物を書く娘」が自分を投影する女性主人公は常に父に同一化し、その父に愛されている。そしてその分、母を心の底から軽蔑している。
《一方のベネット夫人は、大変単純な人物だった。頭は良くないし、教養もないし、情緒も不安定で、ちょっとでも自分の思いとおりにならないことがあると、自分は神経を病んでいるのだとすぐに思い込む。ベネット夫人にとって、人生の目的は5人の娘を結婚させることであり、人生の楽しみは、親戚や友達の家を訪問して、世間話に興じることだった》
エリザベスは徹底的に母を笑うのだが、母は女性ゆえに知る人生の智慧を確かに娘に教えているのだ。
結婚と感謝の関係
エリザベスは登場人物の中で身分が高く、最も年収の高い男性であるダーシー氏と結婚する。そうでないと、父の世界を去る意味がないからである。ダーシー氏は階級と年収と身長と文字の美しさにおいて父を超えている。
エリザベスがダーシー氏に初めて会ったのはお屋敷の舞踏会である。ダーシー氏はエリザベスを見たが、視線が合うとすぐに目を反らして、友人に冷たく言い放った。
「まあまあだけど、あえて踊りたいほどの美人じゃないね」
エリザベスはこの言葉を忘れられない。だから、彼からのちにダンスを誘われた時「せっかくですが」と軽く拒絶している。しかし、ダーシー氏の方は「こんな魅力的な女性に会ったのははじめてだ。彼女の身分がこんなに低くなければ、恋の虜になりそうだ」と瞬時に恋に落ちている。
身分が低いと言うのは、《田舎弁護士や商人をしている親戚に問題があるという意味だとエリザベスは思った》。
エリザベスの母の父は事務弁護士であり、母の弟はロンドンで商人をしていた。そういうことが「高慢」なダーシー氏の階級意識に触れるのである。
この時代、結婚は同じ階級にいる者同士が行うものであった。
それでも、ダーシー氏はエリザベスへの思いを抑えられず、結婚を申し込む。そして、その時にこう言ってしまう。
「僕は噓が嫌いです。どんな嘘でも嫌いです。だから、身分違いの結婚に悩んだということも、全然恥じていません。悩むのが当たり前です。あなたの親戚の社会的地位の低さを、僕が喜ぶと思いますか? 自分より階級が低い親戚ができることを、僕が喜ぶと思いますか?」
エリザベスは怒りを抑えて、つとめて冷静に彼のプロポーズを拒絶する。それでもまた、ダーシー氏によって助けられることになる。
「分別のない結婚」(駆け落ち)をした一番下の妹に、ダーシー氏が金銭的な援助をしてくれたのである。エリザベスはダーシー氏が本当はいい人なのだと言いたいのだが、家族はみんなダーシー氏に「偏見」を持っているため、その話を信じるとは思われない。
ダーシー氏への「偏見」を解かせた理由は他にもある。ダーシー氏の召使いであるレイノルズ夫人が旦那様の態度を褒めたのである。
《聡明な召使いの賛辞ほど重要な賛辞はないからだ》
《兄として、地主として、一家の主人として、多くの人々の幸せがダーシー氏の手に委ねられている。多くの喜びと悲しみが彼の手に委ねられている。彼の気持ち次第で、多くの善も悪もなされうるのだ》
これがエリザベスの結婚の動機である。
上の階級から梯子を降りてきたのは、エリザベスの美貌のせいである。それでも、エリザベスは、上の階級の者(ダーシー氏)「高慢」を許すことが出来ない。同時に、下の階級の者(自分の家族)の「偏見」をなくすこともできない。二つの階級の間に挟まれてエリザベスは孤独である。立派な人は愛せない。愛する人は立派ではない。幸福になるには、愛ではなく分別に従って決断しなければならないのだ。
この小説の中で、聡明で誠実な人として描かれている唯一の人は義理の叔母のガーディナー夫人である。彼女はエリザベスに忠告を与えてくれる。
「お金ない人同士が好きになっても不幸になるだけ。そういう無分別な恋に落ちてはいけないし、愛をそういう気持ちにさせてもいけないわ」
しかし、やがてエリザベスはこう質問する。
「ねえ、叔母様、お金目当ての結婚と、分別のある結婚とどこが違うの? どこまでが分別で、どこからがお金目当てだと言えるの?」
結婚について、女性が抱える普遍の問いである。
TSTAYA族の告白
先生に言っておくが、雑誌「JJ」は分厚くてとにかく重い。
なぜかと言うと、豊富な情報量の中にはオシャレを楽しむこと以外にも、読者である10代・20代女性が理想とする”いわゆる女の幸せ”を掴むための術が詰まっているから。
たとえばゴルフなどを習うお稽古特集。「JJ女子部」という小さなコーナーでは、手芸や料理にモデルがチャレンジしている。
また、女子大生に人気の企業への就職活動の仕方や、彼ママに会うためのお洋服やメイク、マナー、手土産に何を持っていくべきかまで事細かに紹介それている。
後半には”マダムのOGの幸せのウェディング・JJ育ちの結婚神話”という、タイトルそのままの結婚に至るまでのストーリーと、幸せな新婚生活の様子が載せられている。
「JJ」で採り上げられる女性は、そこそこ名の知れた大学出身で、家柄も申し分なく、お金もある女子大生や社会人が多い。
しかし、目標はセレブ婚なので、旦那は経済力のある人で、家族公認が必要である。
頭、顔、家のいい男が理想。また、専業主婦になってもお稽古に通い、自分を磨きを欠かさない。
最近では、習ったお稽古を活かし、自宅で教室(サロン)で主宰するサロネーゼになることが新たな目標になっている。
どちらにしても、結婚しなければ始まらない。いつでも優先順位は先ず家庭、次に仕事なのである。
そこで思う。私を含め「JJ」読者にとって”結婚”とは何なのか。本当に好きな人と一緒になるためにするものなのか、それとも、”いわゆる女の幸せ”を手にするためのワン・ステップであり、専業主婦やサロネーゼになりたくて結婚するのかと。
結婚、それは肩書でしかないように思える。世間体や親の目線から見た女の幸せであり、それで本当に幸せになれるか分からないが、とりあえず結婚という肩書を手にすることで女は幸せになれると自分に暗示をかけているように思える。
しかし、「JJ」のいう結婚という肩書に縛られた”いわゆる女の幸せ”を手にすることが本当の幸せではないということに、「JJ」読者はもう気がつきはじめていると思う。
それは世間体や親の決めた”いわゆる”女の幸せだということに。
我を忘れてみたいのに
私は「JJ」族であると同時に、TSUTAYA族でもある。
TSUTAYAに何時間も入り浸ったり、夜中にわざわざ日付が替わってから行って借りるというセコイ手を使ったりする。
「レンタル半額」の日には、必ずDVDを10本ぐらい借り、最近我が家に来た亀山モデルの巨大テレビ画面に食いついている。明け方まで見続けることもしばしばだ。
映画が大好きな私は、もちろんピカデリー族でもある。毎週水曜日は私にとって映画の日にあたる。
レディスデーのおかげで、女性であれば1000円で鑑賞できるからである。女性でよかった。
映画から学ぶことは多い。「JJ」のキーワードである「モテ」と同じように、映画もまた恋愛教則本並みの力を持っている。私はラブストーリーを好んで観る。
最近ハマッたのは「ベガスの恋に勝つルール」である。これはラブコメディである。
あらすじをまとめると、登場人物はフィアンセにふられたキャリアウーマンのジョイと、父親が経営する工場を解雇されたジャックである。
ウサ晴らしに親友とラスベガスにやってきた二人は、偶然知り合い意気投合する。
翌朝目が覚めると、なんとジョイの指には結婚指輪が・・・・。酔った勢いで結婚してしまっていたのだ。
もちろんすぐ離婚するつもりだったが、別れようと話し合ったその時、何の気なしに回したスロットマシンが大当たり。
転がり込んだ300万ドルのために、離婚するわけにはいかなくなった二人は、どうにかしてうまく離婚しようと、裁判を起こしたり、嫌がらせをしたり、浮気をするように仕向けたりもした。
しかし、二人はだんだんと心を通わせていくことになる。自分を飾らないでいられる相手が実は本当に大切だということに気づいたからである。
この物語の結婚は、見ず知らずの相手と勢いで結婚してしまうというとても非現実的な結婚である。現代でいう「ノリ」が原因である。
私はこれを「ノリ婚」と名づけたい。
「ノリ婚」は果たして上手くいくのだろうか。この映画では「ノリ婚」は大成功に終わるが、大抵の人は失敗に終わるのではないだろうか。
この結婚は必ずしも恋愛と結びついているわけではないし、経済的なものと絡んでいるわけでもない。
ここで大事なのは、自分と他者との境遇の一致である。両者の境遇が一致していることで安心感を得、距離は簡単に縮んだように見える。ジョイはフィアンセにふられ、ジャックは親に勘当される。二人とも、傷ついた心を癒すためにベガスにやってきたのだ。そんな二人が我を忘れた。だから「ノリ婚」が成立したのだろう。二人の一種の精神異常状態により、結婚が成立する。
愛と欲望が義縮されたほんの数日が過ぎ、いざ夢から覚めると離婚したいと両者は思うわけである。
「あの時、自分はおかしかった。気が狂っていた。結婚は何かの間違いだ。取り消そう。僕らは愛し合っていなかった。数日で結婚なんて、やはり正気じゃないよ」
二人の意見は一致したはずだった。それを一気に撥ね除ける出来事、それがスロットマシン300万ドル大当たりなのだ。大金のおかげで離婚できなくなった。
「夫のものは奥さんのものでしょう」とジョイは言った。
そもそもジョイがフィアンセにふられたのは、彼女が完璧すぎるからである。
男よりも仕事ができて、スタイルも顔もよく、性格もよく、非の打ち所がない。フィアンセは、そんなジョイのことを「自分には重い。素晴らしい女性だが、結婚はできない」と言っていた。
バージンロードを歩くとき
社会的に自分と同等もしくは上の相手と結婚することは男性にとって重荷なのだろう。ここでは、恋愛と結婚は切り離されている。
現代でも、女性は家の中にいて、男性を立てることを求められている。女性に優秀な人材が多いのはいいことではないのか。
でも、フィアンセがよりを戻したいと言い出すシーンがある。ジョイをフィアンセと浮気をさせるために、ジャックがフィアンセにジョイをベタ褒めするからだ。フィアンセは、やはりジョイは「いい女性だった」と考え直し、わざわざ会いに行くわけである。
自分のものになったと思った瞬間に愛は終わるが、他の人に「彼女、いいね」と言われると、「そうなのか」とまた好きになってしまう。
私はいつも頭で恋愛しようとしてきた。
そのことがおかしいと思ってはいても、「男の人には経済力がなければ結婚できない」という呪文が聞こえるのだ。
この世の中に心で恋愛している人がいるなら、私は頭では哀れみながら、心の底では死ぬほど妬ましいのだ。
私が映画でラブストーリーを観るのを好むのは、私たちにとって結婚が恋愛から切り離されて現実化した分、どこかで純愛を求めているからだと思う。
結局は、純愛願望を想像の世界で満たしているのだ。
私は仮想世界でしか理想的な恋愛が出来ない。
そう、その仮想の世界の極致が結婚式なのだと思う。
結婚式の日、花嫁である私は純白のドレスに身を包み、美しい花束を両手に抱き、厳かな教会で”バージンロード”を歩く。
そこに行き着く過程はどうあれ、結婚式のその日には花嫁は確かに神聖で汚れなきものなのだ。
それは合理的であって、とても寂しいことでもある。
私にはずっと彼氏がいなくて、すごく好きな人もいない。
男友だとは普通にいて、その中でカッコいいと思う人はいるけれど、特別好きになる人はいない。
顔と将来の年収の対照表とを睨めっこしながら、自分にとっての最高の王子様を必死で探している。
それが、つまりは結婚というものだと信じているからだ。
失恋して泣いている友達や、ご飯を食べられなくなっている友達を見ると、どうやったらご飯が食べられなくなるまで恋愛に夢中になれるのかを教えてもらいたかったと思う。
私は友だちの心境を理解するのに苦しんでいる。
古典の活用表を暗記するよりも、方程式の解き方よりも、顕微鏡の使い方よりも、どうしたらそこまで人を好きになれるかを教えてもらいたかった。
でも一番知りたいことを、大人は一番教えてくれようとはしなかった。
私は今、友だちどころか、私のことを好きなのかどうかさえ分からないでいる。
大人になれば、ハッピーな毎日が遅れると思っていた。恋人がいれば、毎日は会わなくていいけど、会える日は会いたい。そう思っていた。
私は果たして結婚できるのだろうか。
今月も、私は重い「JJ」を買ってきた。
気がつけば、またもやTSUTAYAに通っている。
和歌山の母
子どもを結婚させて手放した後に親がうつ病になることは、実は日本ではしばしば起こっていることであるる。そのようなうつ病の存在が世間に大っぴらにされることがないのは、子どもの結婚が社会的には望ましい「自立」であり、家の発展つまりは子孫の継続に繋がるためでめたいことであるという規範が親の意識の表層部分に行き渡っているからである。
しかし、子どもが結婚によって家を出ていく前であっても、たとえば子どもが大学に進学をして家を出て行く場合でも、親にとって、それも母親にとってそのことがうつ病の原因になるということがある。
私が教師をしていた時に最初に勤務していた学校では、既に担任制が導入されていたので、自分の担任のクラスの60名の学生のことは委細洩らさず知っておかなくてはならなかった。
そのために定期的に学生の個別面談をして、「何か今困っていることはないか?」「授業で解らないことはないか?」「卒業後はどんな仕事に就くつもりなのか?」親の期待は何なのか?」「どんなアルバイトをしているか?」と言うような質問をして、学生の悩みを常に把握しておくのである。
当時30歳だった私に対して未成年だった学生は素直に気持ちを打ち明けてくれた。
娘のいない部屋でなく
娘のいない部屋でなく
紀伊半島南端のある町から来ていた学生は、父親にはそもそも娘を大学に進学させる意思などなかったが、両親に「どうしても大阪に行かせてください」と頼んだことで、母親が自分の貯金から受験料と入学金を支払ってくれて今ここにいるのだと語った。
「お母さんにお金を出してもらって学生生活をしていると思うと、私は一生懸命勉強して、資格を取って、お母さんが喜ぶような就職をしないといけないと思うんです。そうしないと、一生お母さんはお父さんの前で小さくなって生きて行かなくてはならないでしよう」
お母さんは和歌山に生まれて高校を出て暫く働いて、親の決めた地元の公務員の父親と20代前半に結婚して子供を二人産んで育て、舅と姑にも仕えている。和歌山から一度も出たことがないという。
「お母さんは私の部屋に入るといつも淋しくて涙が出ると言うんです。私の部屋は、私が高校に行ったままにして置いてあるんです。兄が大阪に出ていった時にはそんなことはしなかったのに、私には早く帰ってきてほしいとしょっちゅう手紙が来るんです。
私は就職で地元に帰らなければならないのか、大阪で就職してもいいのか悩むんですが、地元で就職することは無理なんです。お母さんはいつまで待っても私が仕事を見つけて和歌山に帰ることはできないということを知らないんです」
その学生は就職活動のために訪問した地元の公立幼稚園で、そこの園長に断言されたという。
「一年後、二年後、いえ三年後まで、採用する人は決まっています」
地方の日本は中国以上のコネ社会であることを知っている娘は、都会で就職を見つけるしかない将来を親に隠していなければならない。
しかし、田舎の方が就職は狭き門だと言うことを知らないお母さんは、次には結婚のためにも娘に帰ってきてほしいと望んでいるというのである。
母親にとっては、女性の就職先がない地方であっても、就職している男性を見つけて、その男性の家と自分の家が釣り合い、首尾よくその男性に娘を気に入られさえすれば、娘は地元で永久就職でき、自分の側にいてくれる。
となると、大阪に娘を出したのは結婚のための箔付けだったのかもしれないということになる。
この学生は大阪に就職し、5年たつと親の決めた地元出身の男性と結婚はしたが、大阪で専業主婦になった。
こういう場合、母親の真の希望が娘の就職の成功だったのか娘の結婚の成功だったのか、娘の判断次第で娘の人生への態度は徐々に変わっていく。
私が知っている学生の例で言えば、「お母さんの本当の期待は、私の仕事上の自立だったのではなく、世間に自慢できる結婚だったのではないか」と、40歳を過ぎてはじめて、つまり後半生になってからやっと気づく娘たちは思春期遷延症になる。その怒りは多くの場合、身体の病気となって現れる。学生が卒業後も、私はその生活を見聞きして知っているのである。
親の願望が熱い学生は、9割が和歌山出身、1割が高知県出身である。
大阪府の母親はもっとドライだし、京都府や広島県の母親は最初からウェットで、娘の価値観はあまりブレることがない。娘はダブル・バインド状態に置かれることなく、子どもの頃から親の価値観に対して免疫ができているのである。が、和歌山は違う。
勿論こういう傾向は私が大阪府にある学校にいたからと思う事であって、福岡県にある学校の教師であったなら、佐賀県が何割とか、熊本県や宮崎県が何割というように、全く違った結果になるであろう。
しかし、実際に和歌山という具体的な地域に、そういう母親の熱い想いに応えようとして頑張って就職活動をし、その後に親に逆らわらない結婚をして家庭に収まっていく女子学生が多いのは何故なのだろう。
その和歌山出身の学生の親友である大阪出身の学生に尋ねてみたことがある。彼女は即答した。
「黒潮のせいですよ」
和歌山にあるその学生の家に遊びに行くと、お母さんは娘の友達というだけで大阪では考えられないほど手厚いもてなしをしてくれた。
「あれも食べて、これも食べて」と山海の珍味を食卓に並べて、「うちの子になっていつでも泊まりに来て」と頼み、帰るときには泣いて別れを惜しんでくれたという。
「うちのお母さんは笑いはしても、泣きません」
メランコリー型性格
「先生、黒潮の流れるところの人は血が濃いんですよ。お母さんが子どもを思う気持ちにも、子どもが親を思う気持ちにも、大阪の人間には想像もできないほど熱いものがあって、だからお互いに離れると淋しくてたまらないんだと思います。もともと和歌山の子はみんなすごく情が厚いじゃないですか」
そう言われる、確かにそうなのである。
娘が進学で家を出た後、お母さんが娘の部屋に入ると泣いてしまうという話は学生から何度も聞いたことがあるが、いずれも和歌山出身者である。
東京の大学に進学して、初めてのゴールデンウイークに帰省した時、「地元のJRの駅ではなく新大阪駅で母が早くから待っていました」と言った学生もやはり和歌山出身だった。
しかし、こういうことが黒潮のせいですべて説明できるとはとても思えない。和歌山は政治の保守王国でもある。
和歌山県のお母さんたちは、「親しみやすく、人づきあいがよく、同調的で、相手に親切」なのだ、そういう性格はクレッチマーの指摘するうつ病の病前性格にとてもよく当てはまる。
血が濃いとうのは情が濃いということであるが、私の知っている和歌山のお母さんたちは、母親であることに関してとても模範的なのである。
ある時、和歌山の学生が私に言ったことがある。
「好きな男の人がいたとして、その人と結婚もしていないのに、何かするとするでしょう。そういうことになりそうな雰囲気になったことがあるんです、一回。でも、先生、その時、私、部屋の天井の四隅にお母さんの顔が見えたんです。本当に見えたん。お母さん、ごめんなさいって言葉にはしなかったけど、お母さんを裏切る事はどうしてもできなかった。私、自分でもアホかと思うんやけど、お母さんを悲しませることは、どうしてもできんかったん」
部屋の四隅に猿がいて自分を監視しているという小説を読んで深く共感した私には、母親が猿に取って代わることは想像もできない事だった。しかし、彼女はその母親にとっての優等生なのである。母親もまたその母親にとっての優等生なのであろう。
古典的なうつ病論であるテレンバッハの『メランコリー』改訂版によると、うつ病者は性格として、秩序愛、仕事上の几帳面さ、入念さ、良心的な義務責任感など共に、対人関係において「他者優先」的配慮を持っている。
メランコリー型の対人関係の要点は、他人の為に尽くすという形で他人のためにあるという事である。
それはハイデッガーのいう『尽力的顧慮』のプロトタイプである。
マトゥセックらが述べているように、既婚の女性の場合には、妻として、母としての仕事を果たすという規範が、何の説明も要せずに身についている。夫や子どもが一日の仕事を終えて帰宅してからでないと、彼女たちの生活は始まらない。
クラウスが適確に指摘するように、この種の人は自分の在り方自分で決める自由をも回避して、他人が自分に対して示してくる要求のうちに自己同一性を見出している。
特に、子どもに対する関係は、共感を通り越して、共生的である。誰かに尽くし、誰かを喜ばすことができれば満足感が得られる。人から受け入れられないことがあると、それが頭にこびりついて離れない。メランコリー型の人は、ものをむやみに受け取らない。何かを貰うと、何倍ものお返しをする。明白な行為を伴わないで、ただ純粋に相手のためを思うだけという在り方は、この種の人には考えられない。
マトゥセックも言う通り、彼らが人を愛するのは、相手の個性、相手の人格を肯定するという事ではなくて、相手からも同じように尽くしてほしいという要求をかかげて相手に尽くすということである。この型の人は独りでは暮らせない。独りでいると自殺のことが頭に浮かんでくるのである。
これは、まるで日本人の模範的な母親の特性を記述したようなものであるが、母親としての役割同一性を完全に取り入れた女性は母親であるがゆえに抗うつと悲しみを抱えているのだ。
真の恋人同士は役割アイデンティティとは無縁であるが、結婚生活とは役割同一性を取り込むことである。
恋愛はより統合失調症に、結婚生活はよりうつ病に親和的なのだが、模範的母親は更にうつ病に親和的である。
愛情深い母親を見ると、いつもその翳(かげ)にある悲しみを思う。
計画通りに動かない人たち
「クーラーの修理に来た人に、彼女がお茶を出したのを見た時、彼女と結婚しようと決めました」
現代における、女性版「結婚の才能」である。
つきあっていても、結婚を決めるにはなかなか至らなかったと言うのではない。こういうことは、つきあってすぐの時期に起こることである。
彼女の部屋にいる時に、彼女が業者の人に示した礼儀と思いやりが結婚の決め手になったという男性の話をすると、女性は大抵その彼女に怒りを覚えていろいろなことを言う。
「彼女一人だったら、お茶を出さないですよ」
「男性って、なんて単純なんでしょう」
「お茶も急須も茶托もない私はどうすればいいんですか」
「私なら、食事まで出します」
いずれにせよ「結婚の才能」というのはそういう具体的な挙措にあるというところが、女性の癇に障るのである。世の中には、恋愛の才能はあるが、そういう結婚の才能はないという女性がいる。
「内面的には、自分の方がその彼女よりずっと優しい」と思ってはいても、ホスピタリティを分かりやすく示さなければ男性には何も伝わらないということが、どこかに不愉快なのである。そういう行為をしなければ結婚できないのなら、結婚しなくてもいいと思っている人も少なくないだろう。
お茶を出すような人は、「結婚のプロ」なのだが、多くの女性は「結婚のアマ」で、間違った方向で自分磨きをしている。たとえば、経済力や学歴を身に着けるとか。
経済力があってしかもお茶を出す女性は別として、経済力があってお茶を出さない女性と、お茶は出しても経済力のない女性なら、男性はどちらを選ぶだろう。
「その彼女は他人にお茶を出す前に、彼にお茶以上のものを出しているんじゃないですか。それは計画犯じゃないですか」と、怒った女性もいた。
人間には屈辱的な場所に帰るぐらいなら、どんなこともする可逆性に富んだ生き物である。
それを計画犯と言うなら、ある集団の中で自分の上位にいる人に気に入られるために、その命令に従順に行動している人は全員計画犯ということになる。
刑務所にいる模範囚も、そういう意味では計画的であるかもしれない。いや、頭のいい囚人なら模範囚になるだろう。
内心がどうあれ、表面に現れた行動が模範的であれば懲役期間が短くなることについて、人は行動で評価する以外の方法はあるのかと刑務官は言うだろう。
それに、模範囚は優遇されるという規則がなくなれば、刑務所から模範囚は消えてしまう。
つづく
第4 兵隊の才能
昔の日本には、恋愛感情がなくとも結婚はしなければならないものと思って結婚し、