支配する女――角田美代子
信田 私ね、あの尼崎の角田美代子の事件には、ものすごく興味があるです。
上野 萌える?
信田 うん、萌える!
上野 萌えポイントがそれぞれ違うね(笑)。
北原 どこに萌えます?
信田 あの「暴力」の効果的な使用ぶり。彼女は小さい頃から、どうしようもない家族の中で、身体で学んできたんですよね。
上野 うん、学習したんだろうね。
信田 男たちを手下のように使い、子供を使って脅して、皆を家族みたいに取り込みながら、暴力で生き抜いていくっていうやり方ですよね。暴力を振るう人って、自分から誰かが去っていこうとする気配にすぐ気づくんです。相手が逃げたら、どこまで行ってもとことん探り出す。角田美代子のやったことは、DV加害者が日常的にやっていることなんです。
北原 確かに角田美代子は、尼崎から東京に逃げた相手を見つけ出したんですよね。池袋周辺に住んでいることが分かったら、ベランダを見ながら車で周囲をぐるぐる回って、その人のきちんとした洗濯物の干し方の癖ひとつで部屋を当てるらしい。怖すぎませんか。
信田 私のクライエントにも、父親がそういうタイプだった人がいましたよ。家族のみならず従業員にも激しい暴力を振るい、従業員が逃げるとどこまでも追いかける。従業員が警察に訴えても、警察は雇い主のいうことを信じるわけですよ。雇い主が「こいつは寂しがり屋でしてね、私が面倒見てあげないとダメなんです」くらい言えばころっと騙されて、「社長さん、大変でしたね。おいおいお前、早く帰りなさい」とか言っちゃう。一度そうされると、被害者の警察権力に対する信頼は地に落ちるんです。つまり、助けを求められなくなる。親が子の虐待でも同じ問題があって、子供が救ってもらいたいと思っても、警察は子供の言う事なんて信じてくれない。角田美代子は被害者のそういう弱みも知ったうえで、どんどんアメーバ状に暴力の支配勢力を拡大していったんじゃないかと思うんです。
北原 何がしたかったんですか、角田は? 知り合った家族たちと自分の身内をハプスブルク家的な感じの政略結婚させたりしているじゃないですか。
信田 彼女に「こうなりたい」なんて願望はなかったと思う。今が寂しいから、とりあえず手元にどんどん人を集めて家族の形を作っていって、そしたらいつの間にかハプスブルク家になっちゃったんですよ。
上野 暴力もある種のアディクッション(嗜癖)よね。人を一度コントロールできたら、もうやめられない。犠牲者がひとり出れば、次を見つけたくなるんじゃないの。
信田 う―ん、暴力をアディクションという風に言っちゃうのはちょっと抵抗がある。厳密に言えば、アディクション的な要素もある、ということですよね。
北原 角田って、連合赤軍の事件と重なりませんか。世代的にリアルタイムじゃないので、あくまでもイメージなんですが。
上野 そうなの。私もすぐに連想したんだけど、口に出すのも恐ろしくて黙っていたのに、北原さんがとうとう言っちゃってしまった‥‥。
北原 だって、角田は頻繫に朝まで家族会議をしてたんですよね。「お前はどう思うんだ」と、繰り返し攻め続けて。
上野 総括っていうのは、そういうものなのよ。
信田 連合赤軍の集団リンチや角田美代子みたいな事件が起こると、家族に模した閉鎖的な集団の持つ危険性をすごく考えますよね。彼らが模擬家族に入り込んで支配していく手口は、DVをふるう夫たちが妻に腐食するように支配していくやり方と同じです。やられた方はもう離れられなくなるんです。この暴力と佳苗のビーフシチューって、支配の道具、ツールっていう意味で似ていますよね。
北原 え、似ています? ちょっと信田さんの思考についていけないんですが。
信田 大丈夫、大丈夫。ちゃんとついてきているよ。
角田のサティアン
上野 あの手口そのものは連赤やオーム真理教と同じものなんだけど、でも山岳ベースやサティアンなしでやってのけたってすごいよね。
信田 サティアンだったんじゃないの。
上野 ふつうの家をサティアンにしたって言うことがすごい。あの連赤だってオームだって、特殊な閉鎖的環境をわざわざ作ってわけだから。
北原 角田のマンションの傍まで行ったんですけど、異様でしたよね。普通のそこらへんにある高級マンションなんだけど、大きなテラスのところに木材で城壁のようなものを作っているので、パッと見ただけで雰囲気がおかしく感じられる。家族以外の人には近寄りがたい雰囲気があるんです。本当に隣の部屋の人が気の毒だった。
信田 やっぱりサティアンだねえ。角田は、他の家族にわあああっとアメーバのように入っていて、そこを暴力で支配して崩壊させていくわけじゃないですか。そこから気に入った女性を自分の息子の妻にして、親を殺させたりして。彼女は暴力ってものを知り尽くしていたと思うし、いわゆる角田帝国でのし上がっていく際には、自分が女であるってことをものすごく効果的に使っていたと思うんです。彼女自身はどうしようもない、力もそうないようなおばあちゃんなのに、屈強な用心棒を従えていましたよね。角田はあの人達のケアを引き出してたわけですよ。だって彼女自身、彼らを殴るような腕力もなかったわけじゃないですか。それをそこまで引きずり込めたって言うのは。無力な中心だったからだと思うんです。
上野 ああ、なるほどねえ。
信田 オーム真理教の麻原彰晃も本当に見えないかどうかわからないけど、視力がなかったでしょう。日本のああいうカルトの中心って、空虚で弱者じゃなきゃいけないんだと思うんだよね。
上野・北原 おお――。
信田 いや、そんなところで感心されても。
北原 たしかに東方神起は空虚だ(笑)。
信田 超空虚だ。カルトだ!(笑)。
上野 あの―、あなたたちと私の間には韓流という深い川があるんだから、その内輪のノリ、やめてもらえる?
北原 すいません。
信田 角田は留置所でも大したこと喋ってないんだよね。だからあの後生きてたとしても、取り調べで真実はあんまりわからなかったと思うけど。
上野 あの死に方も空前絶後だね。留置所で自殺するって、ものすごい意志力がないとできませんよね。段差がなくても死ねるんだっていう実績作ったじゃない。
信田 角田の場合は自分の袖を使ったらしいから、どこかに体重掛けたりしたんだと思うよ。彼女ならやったんじゃない。
脅しの社会
上野 角田がやったのは、近い人たち同士を敵対させて一方を加害者にするって手口よね。連合赤軍もオームも同じことをやった。本人が後ろめたいと思う事をやらせるのね。後ろめたさを伴った行為に共犯化させていって、加害者と被害者とのあいだを分断し支配していく。
『「フクシマ」論――原子力ムラはなぜ生まれたのか』(2011)の著者の開沼博くんは元上野ゼミ生なんだけど、彼の学部時代のレポートに感心したことがあって。彼はスーパーフリー事件(早稲田大学のサークル「スーパーフリー」所属の大学生らが、常習的に行っていたとされる組織的な輪姦事件2003年に14人が準強姦罪で実刑判決。)の研究をやったのね。彼らは、地方支部の幹部が来ると、ギャルを用意して泥酔させるわけ。それで、「お前もいけ」ってレイプを強要する。これは不当な行為という事が、本人たちにもいささかなりともわかっている。しかし、相手を監視下において、共犯的なコミットメントをさせて「これでお前もオレたちの仲間だぞ、抜けられないぞ」っていうような仕組みを作ったと、開沼くんは分析してる。かれの結論が、「これは最強の労務管理術だった」と。感心した。角田も、自分は直接手を出さないで、娘に親を殴らせたりしてよね、
信田 DVもそうだもんね。妻を共犯者にしていくから、逃げられないんだよね。
北原 被害者である妻をですか?
信田 つまり、殴る一方で「逃げたければ逃げれば」と言って、自己選択という契機を与えるんですよ。妻は殴られると思うから逃げられない。そのうえに「お前は選んでこうなったんだよね?」と来るから、DV被害者は逃げられないんですよ。
北原 私たちって、日常的に脅しの文化の中で生きているんじゃないかって強く感じるんです。この間、韓国へ行ったんですが、あの国にいると脅されてる感覚がすごく薄かったんですよね。例えばライブひとつとっても、日本の会場では「写真を撮ったら退場してもらうか、ライブを止めることもあります」なんてアナウンスが流れて、「他の客にも迷惑がかかる」と脅しをかけてきますよね。それに慣れていたんだけど、韓国で流れたアナウンスは「写真は撮らないでください。撮ったらデータを抜きます」って言っていたんですよ。なんかそれだけで感動しちゃって。日本って、論理じゃなく、脅すことで人を規制している社会になっているんじゃないですか?
上野 脅しというよりは、家庭内の事は外に出さないっていう規則の方が強くない? ペナルティが伴うというよりも、角田の場合にはやっぱり家族の恥を外に出したくないという気持ちの方が被害者に強く働いたんじゃないかなって思うけど。
北原 それはそうなんですけど、「脅し」が日常的にコミュニケーションになっているような気がするんですよ。角田の場合も、鞭と飴じゃないけど、脅しと甘い言葉を使い分けてましたよね。人を自分に引き付ける手段として、脅すような言葉、言説が日常的に溢れているんじゃないかなと思って。
上野 なるほどね。たしかに、さっきの韓国の例を聞いて思ったのは、「データを抜きますから」というのもペナルティには違いないのよね。でも韓国のペナルティは、その人にしか関わらないペナルティ。一方で、日本の「公演を中止します」っていうのは共同責任にしてその人を全体の敵に仕立て上げる上手いやり方だよね。
北原 そうなんです、だからしつこいようですが(笑)、電車に乗っててもそうじゃないですか。「他の方に迷惑がかかるので。駆け込み乗車はお止めください」から始まって、いまだに「携帯電話の電源切れ」とか言われる。あの携帯電話の電源を切れと命じる根拠は何だと思って調べたら、そもそも携帯が普及しだした始めの90年代半ばぐらいにできたルールなんですよね。携帯が出始めたばかりで、電話の会話がうるさいと、JRに苦情が殺到したかららしいです。
上野 ペースメーカーを付けている人たちに迷惑かるっていう理由だとばかり思ってた。
北原 それだけじゃないんです。というより、今のペースメーカーは携帯電話で誤作動なんてしません。
上野 本当にそうなの? でも、そのように説明されていないじゃない。
北原 そう、説明されていないんです。でもむしろペースメーカーを付けている人の方が、その事を良く知ってるんですよ。ペースメーカーをつけて、携帯電話使っているから。
信田 実際にね。
北原 それなのに、「ペースメーカーの人がいるから使わないでください」って脅しみたいなことがポスターにまでなっている。まあ、いまは誰も優先席付近で、携帯の電源をわざわざ切ったりはしないけど、その誰もが守っていないことを、いつまでも言い続けていく社会って言うのに、ちょっと病的なものを感じませんか。そこに付け加えて、さっきの「誰かが迷惑をかけたら全体的な制裁を加える」って同じことが、家庭でも社会でも起きてるんじゃないんですかって思うんです。この国全体が原発国家だし、DV国家だし、家庭の空気も、社会の空気も、いつもいつも何か脅されて、びくついて、こんなことを言ったら何か言われるんじゃないかって気分が充満してる。
上野 制裁の主力が権力の顔をしてなくて、あなたは社会全体を敵に回しますよって脅しが来るのね。
北原 そです、そういう空気を多くの人は感じつつあるんじゃないですか。
上野 「空気を読む」ことを強要されるというのはつまり、そういうメカニズムを自分たちがずっと張り巡らせてきたっていうことよね。だから誰が自分の抑圧者で、誰が自分の支配者かがわからない、権力の顔をしていないから。だけど逸脱行為をしたら、あなたが社会全体を敵に回しますよっていう制裁が加えられる。
北原 だからとっても生きにくいじゃないですか。
上野 そうね、いま思い出したけど、高校野球部もそうよね。誰か一人が不祥事を起こしたら、そのチームは甲子園出場を取りやめさせられる。連帯責任を生徒に負わせることは、怨嗟と非難の対象を全部誰か一人に背負わせることでしょう。だから高校野球部の少年たちは、「お前のせいでオレたちがこんな目に遭うんだ」っていう敵を作る構造の中にいるのよ。日本軍も同じ。
北原 制裁のシステムですよね。
貧困は物語を生まないのか――上田美由紀
北原 上田美由紀(「鳥取市を中心に起きた連続不審死事件に関わりがあるとされる。2009年に詐欺罪で逮捕後(当時35)2件の強盗殺人罪で起訴され2012年に死刑判決(即日控訴)」)は、だいたい同時期に事件が起きたせいで佳苗と比較されてきましたよね。ほぼ同年齢ということもあって、同じ「綺麗じゃないカテゴリー」に入れられて一括りにされていた。私は、この人には、はじめは全く興味を持てなかったんです。上田美由紀の背景には暴力と貧困が感じられたから、これまで起きた女性の犯罪と変わらないと思って。でも、2012年9月から上田美由紀の裁判が始まったので、佳苗と比較したくて鳥取まで行ってみたんですよ。
上野 北原さん、鳥取にも通っているんですってね。入れ込み方がすごいね。
北原 上田美由紀には面会もできたんです。
上野 入れ込むだけの値打ちがあった?
北原 効果的だったかどうかというような社会学者的な考え方はしないから(笑)、わからないです。でも、上田美由紀と佳苗の背景の違いが肌で感じ取られたことは大きかったです。むしろ角田美代子との共通点の方が大きかった。貧しい中で、とても差別されて生きてきているんですよね。佳苗にあった、女の子であることでお金を得られたり、自分が商品であるという価値を持っていたりするところから遠く外れている感じ。同じ世代なのに、上田美由紀が生きてきた社会っていうのは、佳苗が見ていた時代や社会とはまったく違ったんじゃないか。彼女が日本のリアリティだし、もしかしたら上田美由紀のほうがマジョリティなんじゃないかって思えるくらいでした。上田美由紀は中卒で、19歳で結婚して、それから5人の子どもを生み続けているわけですよね。母親の証言によれば、最後の方のふたりの子供の父親は誰か知らないそうです。というか、もう誰なのか聞かなかったんじゃないでしょうか。美由紀の父親も早いうちに亡くなっていて、友達によると、実家の中はがらんとして何もなかったと。普通はテレビがあるだろう場所にテレビが無かったり、テーブルがあるべき場所になかったり、がらんとした家の中にすごく寂しそうに上田美由紀が居たと。上田美由紀のことが好きだという友達も誰もいませんでした。
鳥取の女の子たちが中学を卒業した後にどこで働くかというと‥‥仕事がないんです。しかも鳥取市内には風俗業もない。「上田美由紀はフリーで売春していたのでは」という記事も出ましたが、女の未来に選択肢があまりにもないように見えました。3.11以降、日本中漏れなく「絆」という言葉や「地元」という概念がすごく大事にされる空気の中で、鳥取市街にも「この街で生きる」とかいう銀行の広告とかが飾られていましたが、ここでどう生きろと言うんだ! って感じですよ。
上野 おまけに彼女もシングルマザーでしよう。子どもがいるんだよね。男ができたら、その子どもに「お父さん」って呼ばせてたんだってね。私生活丸抱えのヤンキーの結婚よね。地元から出て行かないし出て行けない人たちで、そこに佳苗と全然違う。上昇志向の有無以前に、上昇さえできないっていう構図。
信田 鳥取の事件って今の貧困の実像だと思うんですよ。貧困には言葉がないんですよね。金と食べ物さえあればいいという、言葉にない生活が貧困なんじゃないかと思う。そういう上田美由紀が味わったような貧困さが、今日本では膨大に増えていますよね。なのに、貧困のただ中にいる彼らは、絶対カウンセリングには来ないし、援助を求めるという発想も無い。一番の問題は、言葉もない最貧困の人たちの中から生まれた犯罪が、無数に広がっていくことだと思いますよ。佳苗の事件から近代家族が生き延びる知恵ってものを学ぶことが出来ると思うし、ある種の意味やヒントを与えてくれるけど、あの鳥取の事件はそういう意味では対極だと思うんですよ。時々、地方の公的機関に赴いてカウンセリングのスーパービジョンなんかやると、出合う事例が都会とは全然違うんですよね。もう悲惨そのもの。一つの家族の中に問題が四つも五つもあって、どれもが重篤なのにみんなあっけからんと暮らしている。これは、恐ろしいですよ。あの頃現れた女性の犯罪者の中で、佳苗がやっぱり特殊に思えるのは、私たちの世代や北原さんをも引き付けるような、ある種の「語れる言葉」を彼女が持っていたことなんですよね。架空かもしれないけども、ある種の幻想を構築しているすごさが、やっぱり魅力なんじゃないかな。
上野 佳苗は、中産階級的な価値観で理解可能な犯罪だってことよね。
ヤンキーと母性の世界
北原 上田美由紀は5人の子どもを持つシングルマザーなのに、どうやら母子手当も家庭の生活保護を受けてないんですよね。でも、他人から障害年金を奪ったくらいだから、社会的なシステムはよく知っていたはずなんですよ。それなのに、自分は社会に関わろうとせずに、手続き的なことを一切しないで生きてきたんだと思います。
信田 子供の出生届は出している?
北原 子供の出生届はだしています。自分と違って、子供は社会とかかわらせていたと思う。だって、家庭教師を付けたんですよ。長男に。
信田 げえ!? びっくり!
北原 自分が味わってきた差別を、子供には味わせたくなかったんでしょう。子供には一生懸命だったように、私には見えるんです。
上野 家族に対する幻想は、彼女にもあったのね。
北原 そうかもしれません。男たちに対しても彼女自身への助けは一切求めていないし、男の人からお金をとことん奪ったというよりは、男の方が5人も子供がいる彼女を助けたいし、助けられる俺、という気持ちで関係してきたところもあるんじゃないでしょうか。ケアしてあげたい気にさせてたって事ですよね。5人の中には前の彼氏の連れ子なんかもいたんですよ。それでも、新しくできた男に、その子たちを幼稚園まで迎えに行かせたりとかして、ちゃんと子育てに参加させるんですよね。
斎藤環が『世界が土曜の夜の夢なら―ヤンキーと精神分析』(2012)という本の中で、ヤンキー文化とは究極のところ母性だし、その精神は天皇制の人気にも繋がっている、という風に書いているんです。この鳥取の事件とも繋がるよね。
北原 本当に、上田美由紀の世界は、ヤンキーの世界だと思うんですよ。美由紀と同居していて、一緒に詐欺を働いた男性がいるんですが、妻子持ちの車の営業マンで、一ヶ月で車を7台も売れるって、ちょっとすごすぎるんですけど、その彼が仕事も辞めて妻子も捨てて、上田美由紀のところに行っちゃった。たぶんね、楽しかったんじゃないかと思うんですよ。
信田 美由紀の家って、ごみ屋敷なんですよね。
北原 そうなんです。その同居していた男性の自宅は塵ひとつないような、綺麗なに掃除されているお宅だったんですよ。彼が営業職を辞めて美由紀たちと何をしていたかと言うと、毎日海で遊んだり、ユニバーサル・スタジオに行ったり、車の中で寝てみたりとか、子供みたいな生活をしていたんです。借金取りが来る日になると、先回りして取り立て屋の自転車の空気とか抜いているんです。本当に、中学生レベルの犯罪なんですよ。ヤンキーの「やっちまおうぜ!」みたいなノリで、近所の人のタイヤを勝手に売ったり。そういうヤンキー的な楽しさがあったから、美由紀との生活を抜けられなかったんだと思うんです。部屋で脱いだ洋服を洗濯機にも入れずにそのままにしてても、誰にも怒られない。鍋を食べたら、洗わずそのまま鍋ごと捨てちゃっても、誰も何も言わないし、朝ごはん用におにぎりを20個コンビニ買い出しに行くとか、そういう生活をしていて、自由だったと思うんですよ。中学生レベルの自由ですけど。
上野 なんか楽しそうな生活ね。
北原 そうそう、本当に楽しそうなんですよ。
信田 合宿生活だよね。それに、ここでは俺が必要とされているという実感も味わえたんだろうね。
上野 ケアされてたってこと? じゃあ、その男性は死ぬ直前まで幸せだったんじゃない。
北原 その人は亡くなっていないんです。
上野 あら、そっか。
北原 今回亡くなってるのは、街の電気屋さんだったり、美由紀とはちょっとした知り合い程度の、性的な関係があるかどうかは不明な男性たちです。その殺人現場に男性がいたかいなかったかという事が今回の裁判では重要な争点になっていました。やっぱり裁判って、全然ジェンダーフリーじゃないと感じたんですよね。供述調書ひとつとっても、上田美由紀だけが方言でしゃべっているんですよ。上田美由紀に関する記述箇所は、「なんでだ―? と小太りの女が言った」とかっていう調子なのに、男性については「それに対して男性は、おいくらですか?と聞いた」となる。男だけが標準語でしゃべっているわけないじゃん!
信田 おかしすぎる(笑)。
北原 そんな風に女が裁かれていくなんて、一体なんなって思います。ああいう裁判で死刑判決が出てしまうなんて、本当に酷いと思う。
上野 物証はゼロなのよね、上田美由紀も佳苗も。
北原 上田美由紀は5人の子どものお母さんだから、さすがに情状酌量で減刑されると思いきや、それも一切なく、判決では「母親としての責任を放棄した」女とされてしまう。佳苗のことは本当に面白いと思ったし、「わかんない、わかんない」って言ってきたけど、上田美由紀には同情することがすごく多かったですよね。
上野 本人と会ってみてどうだったの?
北原 美由紀には全部で二回面会できたんですけども、嘘をついて生きることが平気になっちゃっている人、という印象を強く感じました。たとえば、初めて会った時に「東京来たことありますか?」って尋ねたら、「ないです、私は精一杯生きてきました」って答えが返ってきたんです。二回目にあったとき、私が飛行機の時間を少し気にしていたら、美由紀に「東京行の最後何時ですか?」って聞かれたんです。それで「〇時です」って返したら、「ああ知っています、私も東京に行ったことがありましたから」と言う。あれ? と思ったけど、あまりにも堂々と嘘をつかれると人って返事に困って、その嘘を呑み込んじゃうじゃないですか。そうやって彼女は、誰にも突っ込まれずに嘘を事実として生きてきたんだなってことを感じて悲しかった。彼女が飛行機に乗ったのはおそらく、スナックのママに連れて行ってもらった沖縄旅行の一度きり。それ以外は旅行することなく、35歳で捕まるまで生きてきたんですよね。佳苗は憧れていた東京に出て、キラキラしたことをブログに書いたりしたけど、美由紀の周囲では、20代でもみんな「東京はまだ行ったことない。ディズニーランドに行きたい」って言うんです。地方の女の子にとって、東京って自分の夢を叶えるとか仕事に行くところじゃなくて、ディズニーランドになっちゃったんだなと、それもすごく悲しかった。でもそれが地方の現実なんですよね。佳苗と上田美由紀を追いかけたこの1年間は、事件や裁判から10代20代の日本の女の子の生きてる現実をみたなと思います。
警察を信じない人たち
信田 上田美由紀は男たちから取ったお金を何に使ったんでしたっけ?
北原 それははっきりとは分からないです。散財とゴミ屋敷って原因と結果みたいな感じで繋がりますよね。佳苗はとても潔癖だったけど、上田美由紀も下村早苗も畑山鈴香も角田美代子もゴミ屋敷で暮らしていたじゃないですか。美由紀は特に、食べ鍋はそのまま捨てるくらいだから、お皿も洗わなかった。そんな彼女が何にお金を使ったか全く分からないんです。この人とは佳苗のようなブランド物とかは買っていないですけど、総額数千万円は取ったんじゃないかと言われてますよね。
信田 どこで使ったんだろうね、家?
北原 住んでいる所は、6000円の県営住宅だったんです。
信田 実家に貢いでいたとか?
北原 実家のお母さんとの関係が良かったとも考えられなくて。
上野 ギャンブルもしていない?
北原 していない。
上野 貯金もしいない?
北原 していない。そもそも貯金通帳がない。正確には、昔使っていたゆうちょ通帳はあったんだけど、そこにお金が入った形跡が全くないんですよね。
信田 そうなんだ。
北原 上田美由紀は、お金のだまし取り方が角田美代子と似ています。美由紀の被害者の方が美由紀に送った手紙を読ませてもらったことがあるのですが、相手の小さな非をネタに脅したり。または同情を誘うようなことを言って、お金を引き出していく。結果的に400万円くらい騙し取られてしまうのですが、被害者の人達も、お金は返ってこないと分かっていたのではないかと思います。でも、警察へ届けて問題にする人はほとんどいなかった。美由紀の周辺を取材すると「被害者」はぞくぞく出て来るんですが、警察沙汰になっていないんです。みんな、警察にはいかず、その代わり、美由紀と直接交渉する。被害者の方々が美由紀に書いた手紙は、例えば「上田美由紀へ。敬称をつける価値もない女へ」と書かれたものもありました。または、「なぜ、連絡をくれないのですか?」と悲痛な手紙もあった。彼ら警察や弁護士に、相談していない。後に「なぜ、警察に相談しなかったのか?」と尋ねられた時に、「やっても意味がない」と諦めが先に立っているんです。「どうせお金は返ってこないし、恥ずかしい、だから警察には言えない」と。
信田 ここまで警察が信じられないってこと自体、面白いよね。
北原 脅しには脅しで返すほかは交渉の方法はない、みたいな感じなんですよ。
上野 美由紀って、看護師さんなの?
北原 いえ、違いますた。資格は何も持っていないです。そもそも社会的なことをするという発想がなくて、何かされたらヤクザを使って暴力で返すとか、そういう発想しかないんです。
上野 情報もないし、支援も無いのね。
北原 はい、そこでは誰もが、支援なんて全くない状況で生きている。
信田 あとは、さっき北原さんが言っていた、「社会に脅されている感じがする」ってことと無縁じゃないんじゃないの?
北原 この人たちが?
信田 そう。社会に脅されている感じがするっていうことと、警察権力を信じられないって事は、表裏一体じゃないですか。一般的には、自分たちがお金をだまし取られたら警察に訴える、という方法を取るけれども、彼らはそういう権力が自分たちを救ってくれるものだとは考えていない。むしろ自分たちを脅すものだと思っているわけで。いわゆる公権力を全然信じられていないから、いわゆるアンダーグランドの暴力団みたいな暴力の方を信じるのよね。
北原 確かにそうなんですよね。あとは、狭い社会だと、公的な権力と言っても、訴える先の警察官が自分の親戚縁者だったりするわけですよ。地元の警察の人の顔がよく見えすぎて、身近すぎて、頼れないって言う事もあるんじゃないでしょうか。
信田 「一升瓶持っていけば、すぐに言うとおりにやってくれるよ」みたいな世界?
北原 いや、そこまで身近でないと思うけど(笑)。けど、美由紀が勤めてたバーのママの息子が警察官だったりして、逆に近いところに警察がいてもやるんだなとは思いました。
男が嫌う「母の事件」――下村早苗
上野 私は、オヤジ・メディアが萌える女の犯罪と萌えない女の犯罪ってのがあると思うのね。上田も木嶋も角田もいろいろ書かれたけど、大阪二児置き去り餓死事件の下村早苗(「大阪市内のマンションで、幼い姉弟(3歳と1歳)が死亡した事件において、死体遺棄容疑で逮捕された母親(当時23)。子供に食事も与えないまま、50日間にわたり外出して餓死させたとされる。その後、殺人罪で懲役30年の刑が確定。)は無視されたよね。
北原 あれにはメディアが萌えなかったってことですか?
上野 勿論報道されたけど、他の事件の報道が私生活に微に入り細を穿つような書き方だったのに対して、早苗についてはそうでなかった。男がみたくない、聞きたくない事件だと思った。まず彼女に子どもを託したまま、父親であることから逃げた男が一人いるわけよね。離婚した後、養育費を払っていない。早苗の父親も、娘が最後の命綱として頼ったときに自分から切った。自分の子供を捨て、娘を捨て‥‥捨てるのよ、男って。その後、他の男が、捨てられた女を食い物にするわけでしょう。あの事件は、男が一番触れられたくないイヤなところだったんだと思う。
信田 男がそういう酷薄なことをするという事実が、男のアキレス腱だということ?
上野 そう、そこに子供がついてくると本当にアキレス腱になるんだと思う。さっきの理解可能な犯罪かどうかの話だけど、下村早苗の例は、理解可能なボーダーラインなんだと思う。だって自分のブログで「よい母でありたい」って母性幻想をいっぱい書いているから、家族幻想構築の小道具は知っているわけよね。父親もそういう中産階級の人だよね。教師だっけ?
信田 高校のラグビー部の監督だったよね。
上野 そう、人望も厚い人だってね。
信田 でも実際は、家庭で暴力を振るっていたんじゃないかと思いますよ。中学のとき早苗は、ぐれてテレビのインタビューに出ているのよね。お父さんからの暴力がひどかったんじゃないかと思う。
上野 そういう過去があっても、幸せな家庭像を演出できる幻想を持っているわけね、早苗さんも。そこは私たちにとって理解可能な範疇に入る。本当は幻想だったことはわかっているのに、もう一方で妄想に引っ掛かる犠牲者もいるわけよね。
信田 妄想というか彼女が加工した現実ですよね。
上野 妄想ってそう言うもんでしょ。
信田 う―ん、妄想って言えるかな。妄想ってある種現実から乖離しているじゃないですか。現実のある種異様さとか病理性を妄想って言っちゃうと、つまんないなって思うんですけどね。
上野 社会学者は、妄想が現実を作るというんです。
信田 わかりました、はい(笑)。
北原 最初の方で信田さんは「殺人事件にならない家庭でも近いことが起こっている」っておっしゃつていましたよね。そういう家庭には、早苗の家庭のような、DVも振るっていただろうけど、物事をちゃんと見ようとしない父親が多いんですか。
信田 具体的に言えば、家族の中には暴力というものが偏在しているんだけど、それは被害を受けている当事者しか語り得ないんです。つまり、暴力を振るっている側には、振るっているという自覚があまりない。それに、家族の中の暴力っていうのは、家庭に誰よりも長くいる母親が加害者になるというか、されてしまうケースが多くなる。家にいる時間の少ない父親は何やっているかといったら、佳苗のパパみたいに「うちの家族良い家族だよね」「日曜日は一緒にテニス行こうね」ってな感じで、自分の家で暴力が起こっているという事実が目に入らないんですよ。80年代から注目されたのは「家庭内暴力」と呼ばれた子供から親への暴力ですが、そういう場合でも、夫は妻が子供から暴力を振るわれている様が目に入らないんですよ。妻が悲鳴を上げている横で髭なんか剃って、「じゃあ僕、行ってくるからね!」みたいな感じで出かけちゃったりする。
家族の中で見ている、見えている現実が違うのは当たり前です。でも特に、見たいものの取捨選択ができるのは、やっぱり父親じゃないかなって思うんです。彼らからは、「僕の家族としてあるべき姿以外のものは見ないぞ」とでも言うような、強固とは呼べないけど、なんだか変な意志のようなものを感じるんです。
上野 やっぱり妄想が現実を作っているんじゃないですか。
信田 またそこ(笑)? こだわりますね。理論的に反論できないけど、なんか私の中でヒットしないのよね。妄想って言っちゃうと、なんかすごくつまんないというか。
上野 まあ、別の言い方をすると、男は現実を自分に都合よく捻じ曲げて解釈する特技があるとか。
信田 そうね。でも、う―ん…本人は正論だと思っているでしょうからね。それは妻とか娘や息子から見れば、捻じ曲げてると感じて、あれは父の妄想だって言うんでしょうしね。
上野 ご自分でお答えを出しておられるじゃありませんか。
母が子を殺すとき――畠山鈴香
上野 畠山鈴香(「2006年に秋田県で起きた2人の児童殺害事件において、自分の女児とその友達の男児を水死させたとして殺害容疑で逮捕(当時33)2009年に無期懲役判決。)って何をした人だっけ? 思い出さなきゃいけない。
信田 自分の子供を殺して、自分の子供の友達だった男の子も殺した人です。
北原 そう、子殺しです。女の人が殺す相手って、子供が一番多いんですか。それとも男ですか?
信田 子供と交際相手が多いですよね。でも、それは男が殺す相手も同じでしょう。
北原 実際は、殺人被害者って女性より男性の方が多いんです。男同士で殺し合っているんですよね。
信田 家庭内での事件では、男は大体妻を殺していますよね。もしくは虐待で子どもを殺すかですね。
北原 そうですか。下村早苗のときと同じように、やっぱり畠山鈴香のときもメディアの騒ぎ方が問題になりましたね。実娘を殺したということで、メディアが毎日わんさか押し寄せて、それ以前まではあった、いわゆる報道の防波堤みたいなものが崩れて、まだ刑も確定していないのにいきなり実名報道もされましたよね、早苗のときは、たぶんメディアは少し控えてたんじゃないかと上野さんはおっしゃっていたけど、畠山鈴香のときは違いましたね。
上野 下村さんの報道で遠慮したところがあったとすれば、立派なお父さんがいたからでしょうね、きっと。
信田 ラグビー部の監督の父ですね。
上野 そりゃ、畠山鈴香と下村早苗の扱いは違うでしょう。この人は子どもを殺した上で、悲劇の母親を演じ続けていたわけでしょう、早苗に対して、メディアは、控えたんじゃなくて、あの事件に男メディアは発情しなかったという事だと思う。発情しにくかったって言うか。
信田 下村早苗のときは、母性の欠如という名目のバッシングは盛り上がったじゃない。
上野 盛り上がり方はやっぱり他の事件に比べれば高くなかったと思う。お父さんの要因は二の次で、はっきり言ってメディアは発情しなかったのよ。だいたい、あのお父さんは早苗が子育て中に助けを求めたときに見捨てたって非難されたけど、そもそも早苗が子ども時代に離婚して、一度娘を捨ててるのね。早苗が大きくなってピンチに陥ったときに見捨てたんじゃなくて、とっくの昔に捨てていたのよ。
信田 一般的にだって、世間体を大事にして娘を見捨てるなんてこと、どこの父親もやるよね。娘が夫からDVを受けて実家に逃げて帰っても、「お前、好きで結婚したんだろう」みたいに父親から責められるケースはままありますよ。「女は、一度出た家に帰って来るな」なんて言って。
上野 そうやって、父親は娘の退路を断っていくんでよね。
信田 畠山鈴香は、村中の男たちと関係してたんじゃないかって噂も飛ぶくらいの人だったらしいですけど、私は彼女が、父や兄からの性被害者なんじゃないかと考えている。どこにも書かれていないけど、たぶんそうだろうと思う。彼女は逮捕されたあとも、実家のことをずっと許していないですよね。父親からもすごい暴力振るわれて、たぶん性被害も受けてたと思うんですよね。
上野 関係どころか、性虐待なんてね。
北原 鈴香と早苗は、逮捕後の報道で「母性のない女」とか「性的にだらしなかった」というところを強調されていましたよね。畠山鈴香は最初に事件が報道されたときには、子供が殺された可哀想なお母さんとして同情を買っていたし、早苗も子どもが生まれたときのブログではとても幸せな母を演じていた。私は演じなければいけなかった事自体にとっても同情したんですけど、早苗は演じきれなかったところが壊れちゃったんですかね。
上野 早苗のあの演じ方も、捨てて逃げる方も、みんな現実逃避のよう。自分にとって困った現実は見たくない、聞きたくない、考えたくない。とりあえず、その場を去る。子どもを置き去りにしても、殺す気はなかったって、その通りだったと思う。たんに現実逃避したいだけだったんだから。
北原 もしかしたら、鈴香も同じだったんじゃないですか。最初は子供を殺そうなんて思っていなかったんじゃないかな。
情報の貧困層
信田 やっぱり下村早苗も畠山鈴香も、私は貧困の問題だと思いますよね。だって早苗や鈴香の当時の生活を知ると、なんかもう無政府状態くらいの信じられない状況じゃないですか。こういう最貧困層の家族は、水面下にはもっとたくさんいると思うんですよ。そこではもう、私たちが想像できないことを起こっているんです。
上野 たしかに貧困の問題ではあるわけだけど‥‥。例えば、早苗や鈴香や美由紀が、制度的なセキュリティネットに繋がっていればどうなっただろう。「あなたが子どもを育てられないんだったら、児童相談所に頂ける手もありますよ」という助言を、彼女に情報として伝える人が誰もいなかったという問題があるんじゃないの。
信田 生活の貧困層っていうのは、情報の貧困層とまったくぴったりと重なるんですよ。「それは虐待ですよ」とか「児童相談所がありますよ」とか「生活保護がありますよ」なんて情報すら得られないのが貧困層なんだから。
上野 そうか、その情報にさえアクセスできない人が本当の貧困ということよね。
信田 スマホは持っていても、携帯で公的機関を探すなんて発想がないんですよね。もしかしたら彼女たちは、そもそもそういう社会的な制度で自分たちが救われるはずがない、という絶望感を持っていたのかもしれない。私ね、公的機関の事例検討会なんに行くと本当に息を呑む。わけがわからないんですよ。子供の下着を売買サイトで売ってお金を稼いでいるお母さんとかいるわけ、普通に、他にも、これまで3人の男と結婚した母親が、4人くらいと結婚した男と再婚して、連れ子の連れ子と暮らしていたりして、そのわけのわかんない中に祖母まで住んでいて、その若いおばあちゃんが自分の夫とやっちゃってて‥‥みたいな、そんなことが平気で起こっているんですよね。かつてはそういう例は都市部に多かったけど、いまは栃木、群馬あたりも多くなったし、もう日本中にかなり広がっていますよね。どれだけ児童相談所が頑張っても、ザルですくったみたいにこぼれ落ちる貧困家庭が沢山ありすぎるんです。そういう中で、下村早苗や畠山鈴香のような事件が起こると、そういう貧困層の問題に、パッと焦点が当たるという側面がありますね。
上野 にもかかわらず、彼女たちのような事件がフレームアップされたときに、すべての原因が母に帰せられる、というのがメディアの言説よね。
信田 だいたい、そのメディアの言説に賛同する人たちが沢山いるんじゃないですか。
上野 母が悪いって、一番わかりやすい言説だから。最近も、杉並区の男の議員が、待機児童について変なことを言っていた。
北原 田中ゆうたろうという30代の杉並区の議員が、杉並区のお母さんたちがやった待機児童に対するデモについて批判して、ブログが炎上したんですよね。「自分がなんでこの歳まで結婚していないかというと、父親として責任が取れる資格がないからだ。子供を自分で育てられない母親たちが、権利を振りかざして困っているから区に助けてくれなんてお門違い。ものを頼む態度に問題がある」というのが彼の言い分。
上野 ロジックが幼い子と同じね。男のメンタリティっていうのは、今も昔もそう変わっていないのか。
北原 自分も子育てしている男が何を言っているのかと思ったら、童貞っぽいんですよね。「婦人公論」(2013年4月22日号)で「女性と付き合ったことがありますか?」と聞かれ、「ありますよ」と答えたけど、そんな質問をしたくなるほど、女へのファンタジーを語っているだけ。でも、ネット上では彼を支持する人も割といたりして、愕然としますね。
上野 自分は賢いとカン違いしたおニイさんが、区議に当選しちゃったのね。次の選挙では絶対に落とせよ、杉並区民(笑)。
信田 対して、デモを起こしたお母さんは仕事できそうだよね。
北原 曽山恵理子さんですね。冷静で論理的。この人が区議になればいいのに。
母親を叩く社会
北原 貧困と暴力の中で母親をつとめて、結果的に殺人を犯した女の人に対して、あまり女性からの同情の声が上がらないことに私はちょっと驚いちゃうんです。下村早苗のとき、なかったんですよね? すごく同情して、この人を助けましょうとか言った人もいました?
信田 私はテレビの取材ではそう言いましたけど、必ず「とんでもない」と語る対極の意見とセットでないと放映されませんでしたね。両論併記しようとしますよね。
上野 そもそも、同情的な女の声なんて出ないですよ。メディアに。
北原 マスメディアはやっぱり男社会だからですか。
上野 そうです。わかりやすいストリーリーを作って、犯罪者を他者化していくっていうやり方しかない。そうやって市民生活の安全を守るという、大義名分で働いているから。
信田 じゃあ、女の声を届けるには、両論併記の中に食い込んでいくしかないって事ですか。
上野 ただ、両論併記することは、すなわち、強者の論理に与することになるけどね。
北原 大きなマスメディアの話だけじゃなくて、いま、ネットのSNSでは個人で発言できるわけですよね。それでも女性たちの同情するような声っていうのは、かなり薄かったような感じがするんです。弱者の女の人に対して、目線はやっぱり厳しくなるんだなあと。
信田 母になった途端に厳しくなるのよね。
北原 そうか、世間はやっぱり「母」に対してとても厳しいのか。
信田 男性に限らず、女性も厳しいのよね。「私はちゃんとやっているのに、何なのよ」みたいな感じなんですよ。
上野 80年代後半に「アグネス論争(歌手・タレント)の子連れ出勤をめぐる論争」が起こったとき、当時私が教えていた女子短大生たちが学んだことは、「母親が仕事をして権利を主張すると、ここまで社会からバッシングされるのか。なら自分はやらないでおこう」という事だったのよ。「それならば、自分も権利を主張していこう」という学習にはならなかった。
信田 最近ほら、アグネスの二番煎じみたいな論争がありましたよね、飛行機の中で騒ぐ赤ちゃんをどうするかっていう‥‥。
北原 二番煎じ(笑)。ありましたね、さかもと未明さんのコラムですよね。未明さんが乗っていた飛行機の離陸前に赤ちゃんがずっと泣いていて、それに耐えきれずに「降ろしてくれ」と叫んだという話です。そして、赤ちゃんを飛行機に乗せる事自体がおかしいって書いたら、そのときはいろんな反論も出て、結構な論争になりましたよね。
上野 同時期に、ベビーカーを混雑した電車に乗せていいのかっていうのも論争になりましたね。私はあれにも啞然とした。いまだにベビーカーに文句を付ける人がいるなんて、アグネス論争から四半世紀、社会は変わっておらんのかと。少子化対策が叫ばれながら、なんだって当事者の母親たちが遠慮しながらベビーカーを電車に乗せなきゃいけないのか。この前も、お母さんである女性とその話になって「そんな文句を言うヤツがいたら、『あんたもみんなこうやって大きくなったんだ』って一言言い返しなさい」って言ったら「そんなこと思いつきもしませんでした」だって。「子供は静かにさせます、すいません」っていう気持ちで、遠慮がちに乗っているんだって。
北原 そうなんですよ。でも、この問題も、実は女性の方が厳しいんですよね。
上野 同性として、女性が周囲に迷惑をかけているのに耐えられない感覚なんだろうか。
北原 そういう人は、自分が、そういう悔しい理不尽な思いをしてきたんでしょうね。
信田 正直言うと、私なんかそういう気持ちもちょっとありますよ。やっぱりね、満員電車にとか乗るときなんかは、いろんな玩具とか本とか食べ物持って絶対に子どもが騒がないように用意していったものです。今の母親はあやす道具もiPhoneぐらいだし、泣きわめく赤ちゃんがいたら、もうちょっと芸を使って静かにさせろって思うもん。そういうときは、「今の母親はなっていないよね~」くらいは言っちゃうかも。すいません(笑)。
北原 よりによって信田さんが、母親たちの敵だったなんて(笑)。
信田 だってさ~、泣いている赤ちゃんに「シーッ」とか言っているだけで、芸がないと思うんだよね。
北原 芸の問題なのか(笑)。ベビーカーについてはどう思います?
信田 ベビーカーは、私は全然オーケーですよ。赤ちゃんが歩けるようにベビーカーに乗せているじゃないか、というすごく批判もありますよね。
北原 なんでそんなことにいちいち文句をつけるんでしょう。
信田 まあ、2歳から3歳の子供ならね、「歩けるなら歩かせろ」って意見が出るのも分かるかな。あ、すいません(笑)。
迷惑をかけないという規制
北原 批判する人たちは、基本的に「迷惑をかける存在」っていう目線でしか、子供を見ていないってことですね。
上野 いやでもね、実際に迷惑なのよ。私だって泣いている子どもがいたら迷惑だよ。でも、私はいつも思うんだけど、誰にとっての迷惑かって、子どもが一番迷惑しているんじゃないの? あんな空気の悪い満員電車に、しかも狭いベビーカーに乗せられてさ。子どもが自分に迷惑かけられているけど、周りにも迷惑をかけるもんなのよ。「みんなこうやって迷惑をかけて育ってきたんだ、あんたもな」ぐらいは母親が言えよ、って思う。アグネス論争のときに自分で書いたエッセイをこの前読み返してみたら、我ながら結構いいことを言ってんのよ(笑)。「みなさんが、平安女学院短大のアグネスになって下さったら良いんじゃないんですか。子どもさんを連れて授業に来て下さい。(当事上野は平女の大学助教授)それは迷惑ですよ。迷惑が掛かりますよ。誰が迷惑かって子どもが一番迷惑ですよ、連れてこられたら。子どもが泣いたらどうしたらよいかって? じゃあ授業を受けるのに託児所作ってくれって大学に掛け合ってください。そこから始まるんだから」って。あの当時の私はすでに、迷惑かけろって言ってたんです。
北原 じゃあ、そのときと何も変わらなかったですね、本当に。
上野 だから、変わっていないという事に、さらに啞然とするのは、あのアグネス論争の頃は、日本はまだ少子化という恐ろしい現実に直面していなかったんだよね。少子化がここまで進んで、それなのに、なおかつ日本の社会が変わらないというのがショックを深める。
北原 山手線にベビーカーで子供を乗せられるようになったのって、90年代からと言われています。
信田 私が子育てしていた時代は、おんぶしてたもの。
北原 2000年代になってだいぶ認知されてきたのに、最近になって突然迷惑だって言われ始めた。
上野 私は障害者運動とずっとかかわりがあったんですよね。同じように、「障害者が車椅子乗って街に出て来るな」って言われた時代があった。電車の問題でいう、ベビーカーへの規制と同じで、「車椅子はラッシュのときに乗るな」って言われていた。
北原 同じ問題ですよね。
上野 ラッシュのときなんて、誰も電車に乗りたくないですよ。でもそれぞれ事情があって必要があるからその時間に乗っているんだから、ラッシュのときに乗るなって言われても、空いている電車を何時間も待たなきゃいけないのかって話になる。そういう圧力を押しつけて、抗議してきた障害者運動が、今日の活路を開いたわけ。当事者じゃなきゃできないことってある。だから、お母さんたちも遠慮するなよと思うんだけど。
北原 でも遠慮しちゃうんだよね。
上野 そこがわからない。責任が自分に帰されると思っているから?
北原 それもあるだろし、声を上げることによって、周りの空気を乱したくない、ノイズを作ってはいけない、とかそういう変な規制が掛かってるんじゃないですかね。
上野 インターネットの力も大きいよね。
北原 そうですね、ネットを介して母親同士が繋げられた、繋がったというのは期待できるかもしれない。
女子柔道を押した力
北原 声を上げた女性に対する制裁、ということでいえば、日本柔道連盟の話もしたいです。指導陣の暴力(「2013年、日本女子柔道の国際試合強化選手15名が、全日本女子ナショナルチーム監督・園田隆二他指導陣による暴力行為やパワーハラスメントを告白した」)を告白した15人の女性に対して、「文句言うなら顔を出せ」とか「こういうことを言うのは売名行為だ」とかいう非難がありましたよね。
上野 おそらく、柔道に限らずありとあらゆるスポーツのジャンルで同じような暴力が行われている事でしょうね。今回の柔道という分野で女子が声を上げたわけだけど、たぶん男の柔道選手もずっと同じ目に遭ってきたんだろうね。だけど、男は自分を被害者だと認められないから、声を上げにくい構造が強化されてきてしまったんでしょう。
信田 男性が性被害を受けたケースでも、そうですよね。恥ずかしいという事になってしまうから。
北原 性被害を受ける事が恥ずかしいこと?
信田 はい。つまり、「加害者になるべき立場の俺が」性被害を受けたって事は本当に恥ずかしいという事じゃないですか。もちろん、そんなことは当事者とは言わないですけどね。
北原 でも実際、そういう気持ちなんじゃないですか。佐野眞一さんも、木嶋佳苗の裁判傍聴記では、日本男児が騙されて情けない、と言うようなことを書いていますもんね。今の話と同じように「本来なら加害者であるべき男が」という前提がある気がしました。
信田 女子柔道の15人には、たぶん結束を崩すための圧力がたくさん掛ったと思うんだけど、崩れなかったのが本当に良かったよね、偉いよね。
北原 溝口紀子(「1971年生まれ。スポーツ社会学者。元・女子柔道銀メダリスト」。)さんが書いていたんですけど、柔道界そのものが権力や暴力や脅しで支配されて、選手は何も言えずに行き詰っていたところに、女性たちが声を上げたことは大きなパラダムシフトだったと。この状況を変えるのに必要なものは、大選手でなく、日本柔道をサポートするシンクタンクであって、語学力、教養、インテリジェンス、交渉力、政治力であるとも書いていて、まさにフェミニズムじゃないですか。現場が声を上げたところを、さらにロジックで攻めていくという、この方、柔道界の上野千鶴子ですよ。
上野 彼女は元・銀メダリストであり、さらにちゃんとスポーツ社会学っていうバックグランドを持っているから、こういうことを言えるんですね。
信田 男でメダルとって、こういう風に頭の良い人はいないよね。女はいるけど。
上野 男にはいない、いない(笑)。
信田 この柔道の問題は、今までは暴力ではなく、ちゃんとしたトレーニングだって言われていたってところですよね。DVが「家庭内の問題」とされてきたのと同じ構図だよね。
北原 そうなんです。暴力は当たり前だとされている場所で、暴力が暴力であるってことを認識するところから始めなきゃいけないという、気の遠くなるような話だと思うんです。柔道の話に限らず、私たちの世界には、ここまでの暴力なら全然オッケー、みたいなレベルで生きている人が多すぎるんです。上田美由紀や角田美代子の取材をしていたときに、ものすごく実感しました。彼女たちの周囲の誰もが「これくらいは暴力と呼ばない」とか、さらっと言うんですよ。暴力への我慢の閾値(いきち)が高すぎる。
上野 溝口さんも書いているけど、女子柔道の暴力告発の背景には「時代が押す力」があったと。
北原 どんな力ですか?
上野 痴漢は犯罪であるとか、DVは暴力であるとかいう認識が、世の中にようやく上げ潮のように共有されてきたんじゃないかな。それに伴って、ガマンの閾値が下がってきた。
信田 女子柔道が金メダルを取ったロンドンで、男子柔道は金を取れなかったっていうのも、大きな推進力になったんじゃないの。一本勝ちじゃないとダメだとか言って、全部負けちゃってさ。
上野 それもあるでしょうね。あの世界にはやっぱり「勝てないお前が何を言うか」っていう空気もあるだろうし。
信田 だから、女子はちゃんと勝ったんですよ。
上野 それも時代が押す力、なんでしょう。
北原 ただ、時代の押す力で、例えば痴漢が犯罪であるという認識が広がったのはいいですが、そうなればなったで冤罪の話が大きく前に出てきますよね。
上野 本当にそうよね。メディアはすぐそういうのばっかりとり上げたがる。
信田 DVの問題だって同じです。テレビで「殴る妻」を特集したいって相談に来たことがありましたよ。他にも、コメンテーターとして出たDV特集番組で、「絶対に男から女への暴力って言わないでください」って厳重注意されました。はっきり言いますが、DVは基本的に男から女への暴力なんです。女から男への暴力って、どんだけわずかだと思っているんだよ。
北原 彼らメディは、バランスを取りたいって言うんですよね。
上野 それはバランスじゃない、完全に男目線です。
北原 男にとっては、バランスを取っているつもりなんですよね。
上野 そういうエクスキューズでね。
北原 そうか、そういうエクスキューズで「女性専用車両なくせ」とか日の丸持ちながら運動したりするのか。
絶望の先
北原 さっきも若い女の子たちに、男への絶望があるんじゃないかって話をしましたけど、この絶望を溜め込んだ先には何があるんでしょうか。木嶋佳苗や上田美由紀の事件が同時多発のように起こりましたけど、表面化していない佳苗が、たぶんまだまだいるんじゃないかなって思うんですよ。角田美代子も沢山いるんじゃいるんじゃないかと思う。また何年後かにシリアルキラーが出現するのかしら。
上野 男への怒りが蓄積したらどうなるかって? 女がアホらしくて男と付き合うのをやめたら、女子会と負け犬が増えていくばかりじゃない(笑)。
北原 でも怒りはどうなるんでしょうか、男と付き合うときのやりきれなさとか。
上野 男の方もバーチャルに向かっていて、生身の女から撤退しているんだから、女の方も男から撤退すればいいんじゃないの。戦後初めて、長期にわたる性経験低年齢化に歯止めがかかったという調査結果も出たじゃない。
信田 ただ、男って十把一絡げにされると嫌だと言うような男性たちも増えてきているじゃない。
上野 どこに?
信田 例えば男の暴力について何か私達が発言すると、ネットとかで「僕は暴力に反対なのに、なんか信田さんって偏ってないですか?」みたいな反応が増えたような気がするんですよ。「北原みのり、うぜ―んだよ」とかね。
北原 え、偏りと「うぜ―」って全然種類が違いますよ! ちょっとひどい(笑)!
信田 ごめんごめん(笑)。だけど、そういう男性もいるから信じたいなとは思うんです。
上野 私、信田さんのオチをじ―っと待ってたのよ。「そういう男って許せないわね」って言うと思ったら、まさか「信じたい」なんて、耳を疑うわ。
信田 いやここは、信じられる男性もいるんじゃない? って希望で諦めようと思って。
北原 信田さん、男性に媚び売って何か良いことあるんですか。
上野 違うわよ、これが信田さんの新しいマーケットなのよ。
北原 あ、カウンセリングに来て欲しいってことですね(笑)。そうかそうか、私はバイブ屋で女のお客さんしか相手にしないから、全然男の人に気を遣わないで楽なんですけど。
上野 男のクライアントは、カウンセリングにとってこれから急成長するマーケットよ。
信田 はい、これを戦略的位置取りと呼んでください。
北原 美しい男限定ですよね。
信田 本当にそう願います。電車の中で大きな声でくしゃみするような中年男性は嫌いです(笑)。
団塊世代の息子たち
北原 団塊世代のロマンチック・ラブイデオロギーで育てられた娘は木嶋佳苗になったわけだけど、息子はどうなったんでしょうか。
上野 そうよ、息子たちはどこに行ったものか。
信田 私はね、男たちは例外なく父と手を結んでいると思っているんです。家庭の中にもともといない、不在の父だったからこそ、そのハリボテである様を息子はあんまり見なくて済んでいるっていう変な逆転が起きているんじゃないでしょうか。私たち世代の母親たちは、息子をマザコンにしたくないっていう気持ちが働くから、わりと距離を取るんですよ。その分、娘にわ―っと依存するんですけど。
上野 私にはそうは思えない。
信田 そうですか? 団塊世代の息子たちは、父と同じような道を歩んでいるんじゃないかなと思います。意外と彼らは弱者を嫌悪するんです。例えば、DV被害を受けた「弱者」である母を嫌悪するの。残酷ですよ、息子たちって。社会的地位のある父親と手を結んで、共に母を蹴落としていく、みたいなことやるんですよ。
上野 へえ、そうなの。私の知っている範囲では、父・息子連合はありえない。成り立たないと思うけどね。
信田 上野さんと私は、見ているサンプルが違うんですね。
上野 違うみたいね。
信田 もちろん、田中角栄とか笹川良一みたいに、貧しい家庭で育った息子が立身出世した末にお母さんを背負ったりとか、ああいう息子の物語はなくならないでしょうが。
上野 う―ん、母・息子連合ができるかどうかは別としても、母・息子連合よりも父・息子連合の方がはるかにハードルが高くて難しいと思う。連合が出来る以前に、父は家庭から排除されているよね。やっぱり、形骸化された夫婦関係の中の母から父への侮辱っていうのは、全部息子に移転してるんじゃないの。
信田 その侮辱はむしろ、娘に引き継がれるんじゃないですか。
上野 息子にも行くでしょう。
信田 行きはすると思うけど、その息子が社会人になってそれなりの年齢に達したときに、父が感じていたであろうある種の社会的達成感を、身をもって理解して、共闘するようになるんです。だから、これはある意味、父の社会的達成度が高い息子の話ですよ。会社のそれなりの地位を持った父親とか弁護士とか。
上野 共闘って何をするの?
信田 父親が「お前の母親は馬鹿だったよなあ」って言うと、「本当にそうだったね。お父さん。よくわかるよ」みたいな会話をやるわけですよ。
北原 それわかります。うちの親戚の話なんですけど、幼いとき母の気持ちをすごく汲む優しい男の子だったのに、年取ってくるごとに「親父も大変だったよな」みたいな話をしたがるんですよ。自分が親父化していく過程で、親父に自分が寄り添っている。その意識のまま母を見て、母親じゃなくてひとりの女として侮辱していく感覚がとてもよくわかるなと。
信田 それは彼が、ジェンダー意識に染め上げられていくプロセスと同じなんですよ。
北原 そうなんですよね、ジェンダーなんですよね。
上野 そういう風に母を侮辱した息子は、どういう配偶者選択をするの?
北原 支配しやすい女の子を選びますよね。
信田 わりあい月並みな選択をしますよ。
上野 母と同じように愚かで卸しやすい女を?
信田 必ずしも母と同じじゃなくて、意外と歳の差婚だったりするんですよ。12歳年上の女とか。
上野 年上? へえ。
信田 弱者としての妻じゃないんです。
上野 ああ、それはあるかもね。自分が価値ある男だと感じる男は、自分の価値に見合うだけの社会的価値のある女を選ぶ、っていう風になっていくね。
信田 だから、木嶋佳苗の父親に選ばれたお母さんも、そういう価値のある、インテリジェンスのあるお母さんだったんじゃないですか。
北原 なるほど。じやあ、男を侮辱している今の若手女の子から息子が生まれたらどうなりますか? 母親の侮辱を感じ取るわけですよね。
信田 う―ん、これからの若い人は変わっていくんじゃないかっていう無根拠な期待がありますね、私には。だから、彼らには母の侮辱を利用しながら生きてほしいですよ。母に負けない息子になって欲しい。基本的なところで男に対する侮辱感情を深く持っている母にも負けず、成長してもらいたい。非暴力的な男にね。
上野 そういう期待ぐらいは抱きたいわよね。
ケアされたがる男たち
北原 木嶋佳苗と上田美由紀って全く違うタイプの犯罪者だったけども、私が取材で会った、お金取られた被害者の男性たちってみんな同じ顔に見えたんですよ。本当にひとつの顔なの。どんな男かというと、これが完璧に過保護に育てられた男の子たちなんですよ。大多数が長男で、「あなたは何もしなくてよいわよ」ってとてもとてもお母さんに大事にされたであろう男たち。
上野 セオリー通りね。ケアされてきた男たちが、ケアされたくて佳苗たちと付き合ったんだ。
北原 本当にそうなんですよ。まさにそういう男たちが、彼女たちにどんどんお金を払っていった。被害者の一人の男性の話ですが、一緒に食事に行ったとき、ご飯のメニューを決める時間がとてもとても、とてもかかった。あんまり時間がかかるので、私が「もうヒレカツにしてください」って言うと、「じゃあ、そうします」って素直にそうするんですよ。私、いらいらしちゃうんですよ。でもそういう男たちとっては、上田美由紀とか木嶋佳苗のように「こうしなさい、ああしなさい」ってお母さんみたいに世話されていくと、すごく楽だったんだなあということがわかったんです。たぶん、日本の男の半分ぐらいはこんな感じなんじゃないですか。女の任せでケアされるのが当然と思っているんだけど、何か大事な時は「俺が出ていく」みたいなそういう自意識だけは持っている人たち。
信田 母親にそういう風に仕立てられているのよ。
北原 そう、仕立てられているんです。だから、木嶋佳苗がブスだろうがなんだろうが本当に関係なかったんじゃないかって思います。
信田 つまり、彼らのそういう要求をいち早く先取りしてやってくれるだけで、男たちは佳苗や美由紀を受け入れちゃったと。
北原 そうなんですよ。今って、男たちは女子高生の風俗を求めているんじゃないですか。お散歩一緒にしてくれるとか、一緒にお茶飲んでくれるとか耳かきしてもらうとか。
上野 耳かきってすごいねえ、どんだけ無防備か(笑)。
北原 ねえ、怖いよねえ。
信田 でも考えてみたら、子どもにとって一番気持ち良いのが、お母さんからやってもらう耳かきだよね。耳かきやると、かならず子供は眠りそうになるよね。
上野 もっとも無防備な姿勢よね。
信田 突き刺したら脳まで行くもんね。
上野 もうアウトだよ。
北原 16年前、援助交際していた男たちはケアを求めたかもしれないけど、もっと性的な欲求だっただろうし、女の子を支配していた感じがする。だけど、今、男たちって、ケアを求めて買春をしているんですよね。
信田 買いケア?
北原 そうケア交際!
上野 え、じやあ、ケアワーカーの賃金をもっと上げなきゃ(笑)。
信田 男たちは普段よっぽどケアされていないのかかな。
北原 いや、普段からケアされ過ぎているんじゃないですか。私は普段、あんまり男の人と一緒にいる機会は少ないんですけど、(笑)、たまに飲みの席で一緒になったりすると、男の話を聞いてあげる体質の女が必ずいるじゃないですか。まず男の話を聞いてあげて、喜ばせてあげて、そうでないと男が不機嫌になる場面って多いですよね。
上野 そうよ。男たちはケアされ過ぎているのに、今ではそのケアをタダで調達できないから、わざわざお金で調達してるのよ。
信田 男ほど人の話聞いてもらって当然と思っている人種っていないよね。
上野 そう。自尊心のお守りさえやってもらえれば、男はどんな女でもいいのよ。
北原 女たちの取材をして、見えてきた日本の男の姿ですよね。
つづく
第三部
性と女たち
彼女たちは傷ついていたか