彼女の事件に惹かれた理由
北原 私の話から始めますが、私にとって「女とセックス 」というのは、とても大事な人生のテーマです。10代の頃から上野さんや小倉千加子さん「(1952年生まれ。評論家。専門は心理学。88年に初の著作『セックス神話解体新書―性現象の深層を衝く』を発表。ベストセラー『結婚の条件』2003年など、独自のジェンダー論を展開している)」の本を読んで、20代で女性向けにセックスグッズを売る仕事を始めて、自分は女であることについてず―っと考えてきました。ですから、女とセックスの関係を考えさせられるような事件には、非常に引き付けられてきたんです。とりわけ2009年に木嶋佳苗「(2009年、当時34歳が、婚活サイトで知り合った男性たちを騙した詐欺罪で逮捕。交際した6人の男性が不審死を遂げたとされ、うち3件の殺害容疑で逮捕・起訴、100日に及ぶ長期裁判の後、2012年4月死刑判決(即日控訴))」の事件が起きた時は、まさに取り憑かれてしまって。友人曰く、あの頃の私は香苗の事しか喋っていなかったらしい。
上野 そうでしたか。「10代の頃から上野さんの本を読んでいました」っていう人に出会うとね、あなたそんなにつらかったの‥‥と言いたくなる。
北原 「女とセックス」を真剣に考える女の子なんて、つらいに決まっています!
上野 かわいそうに、と抱きしめてあげたいくらい。私の本の愛読者が、幸福な人生なんて送っているわけないじゃない(笑)。
信田 私も上野さんの本の愛読者でしたよ。結婚してからですけど。
上野 不幸な結婚だったのでしょう?
信田 ふふふ‥‥(笑)
上野 やっぱりね(笑)。そういう北原さんが100日裁判に通い詰めて、本まで書くほどのめり込んだ木嶋佳苗って、何なんだろう。私は、佳苗の事件を最初に知ったとき、なんら新しい要素がないと思ったの。「婚活詐欺」なんて昔からあるどうということない事件なのに、なんでメディアは発情するのかなって。
北原 メディアはすごく扇情的に佳苗を語りましたよね。スポーツ紙なんかは、本人の写真をでかでかと出して、「こんな女に?」とか連日のように書いて。
上野 ブスだ。ブスなのに、ブスのくせに! と騒がれてたけども、女は別に美貌だけでもてるわけじゃないことは、誰でもが百も承知のことでしょうに。
北原 はい、佳苗の容姿と犯罪のギャップについては、私もそんなに驚かなかったんです。でも、彼女の手口を少し調べてみたら、実に不思議なことだらけで。それまで私には「結婚詐欺師」というと、騙す相手の同情を引いたり、じっくり騙していくイメージがあったんです。でも、佳苗はものすごいスピードで男からどんどん金を引き出す。しかも、彼女の常套句は「援助してください」なんです。佳苗は1974年生まれで、逮捕時に34歳ですから、援助交際の走りの世代なんですよ。援助交際世代の女からこの事件が生まれた。そうすると、彼女に男って何だったんだ、結婚って何だっただと考えるようにな って。佳苗は警察に対しては完全黙秘を貫いていましたけど、一体何を考えているのか知りたくてたまらなかった。
上野 私は「援助交際」する子たちが出てきたとき、その中から新しい表現者が登場することをずっと期待してたのよ。そしたら、出てきたのは木嶋佳苗という犯罪者だったなんて。
北原 私、佳苗と同世代の女の子たちに、自分たちの世代とは違う「男への苛立ち」をすごく感じるんです。その苛立ちの延長に、佳苗の事件があったとしたら、大変なことが起きているんじゃないかっ思ったんですよ。だから私は彼女の動機を知りたかったし、裁判に行くようになったのです。
木嶋佳苗と「東電OL」の共通点
北原 それで、木嶋佳苗の事件をしった当初から頭にあったのが、1997年の「東電OL
事件『1997年3月東京電力勤務の女性(当時39)が殺害された事件。殺害当時、女性が渋谷区円山町界隈で売春行為をしていたとして、過剰な報道がなされた。ネパール人は、2012年に無罪確定。』」だったんです。あのときもマスコミの騒ぎ方が凄まじかったですよね。彼女は被害者なのに、毎日毎日、顔写真や裸の写真までがメディアに晒されていた。あの頃私は26歳で、アダルトグッズの仕事を始めようとするタイミングだったんですが、東電のOLの報道を見聞きして一番強く感じたのは、絶対に、何かあって殺されたくないって恐怖でした。もし、いま私が殺されたら、「この女はバイブ屋をやろうとしていた!」とか中吊り広告に書かれてしまうんだろうなって。セックスすること、ふしだらであること、女であることはこんなにも裁かれるのかと、とても恐ろしかった。
その一方で、事件当時「東電OLは私だ」っていう女性たちの声が本当にたくさん聞こえてきましたよね。私も、彼女の女としての生き方を思うとすごく心が痛かったし、あれからずっと、東電OLと自分を重ねる女性たちがこんなにも多い社会って一体なんだ、女にとってこんなに生きづらい世の中って何なんだって、考え続けてきました。その答えが出ないまま12年後に佳苗の事件が起きて。東電OLと佳苗は被害者と加害者の違いもあるんですけど、どちらもセックスを売っていたし、17歳の差があるけどふたりとも90年代の渋谷でセックスを売っていたんですよね。そして、東電OLと同じように、佳苗にも共感する女性たちがいっぱいいた。東電OLの事件から15年間の歳月が経ったけど、日本の女性たちの生きづらさや痛みは全然消えていないんですよね。だから、この15年間って日本の女にとって一体何だったのか、彼女たちの事件を点じゃなくて線で繋げて考えたいんです。
信田 私は正直言うと、当時、東電OLには興味が持てなかったんです。あまりにもマスコミの騒ぎ方がすごかったからあえて距離を置き持ちたかったし、どの評論を読んでも違和感があった。特に、「東電OLは私だ」という言葉に、すごく抵抗があったんです。あれって、評論家なんかが勝手に言っていたんじゃないの?
上野 いや、実際にそういっていた女性たちがいたみたいですよ。自分たちだって、もしかすると東電OLと同じようなことに二重生活をやっていたかもしれない、って。
信田 う―ん、そうですか。ただ、その人達は、二重生活はやっていたかもしれないけど、でも、殺されるところまで行っちゃうのは嫌なわけですよね。
上野 あたりまえでしょう。多くの人達は殺される事なんて望んでない。
信田 だったらそんなに簡単に「私 は東電OLだったかもしれない」なんて言えないよな、と私は思ってしまうんですよ。木嶋佳苗についてもね。最初は「ふうん?」という感じだったんです。女性の犯罪に興味がないわけじゃないけど、毎日カウンセリングでクライエントから色々話を聞いていると、罪を犯さない女性たちの方が実は結構すごいんですよ。実際に殺すか殺さないかの違いだけだし、もしかすると目の前にいるクライエントも実は殺しているんじゃないか、みたいなことを日々思っているので。
でも、佳苗はね、知れば知るほど面白くなりましたよね。殺害したであろう方法とか、あのあっけなく殺しちゃう感じとか。あまり性的な匂いがしないところも興味をひく。私は、なぜ彼女は男たちを殺さなきゃいけなかったのかって、さっぱりわからないんですよ。
女目線で事件を語る
北原 そうなんです、全然わからない。わからないから裁判に通っていったら、傍聴そのものが面白くなってきちゃって。法曹界って、弁護士も検事も裁判長もほとんどが男なんですよね。おじさん裁判長や検事たちが明らかに佳苗にイラついていて、怒りを露骨に表して佳苗を責めたりする。でも、佳苗はその中でひとり胸を大きく開いたヒラヒラした服を着て、平然と座っているんですよね。くだらない質問への切り返しも見事だし、どんどん夢中になって『毒婦。――木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(2012)という傍聴記まで書いてしまいました。
信田 私もあの傍聴記の連載はしつこいくらい愛読していましたよ。「この裁判長、一体何んなの!?」とか叫びながら読んでだ(笑)。
北原 私の傍聴記は連載時から「女目線が新しい」とか言われていたから、最初は「いや、〈私〉目線だよ」と反発してたんです。でも、裁判自体にあまりにもジェンダー視点がないものだから驚いてしまって。直接証拠がない裁判だから、検事や裁判官が、木嶋佳苗が男性を愛していないこととか、何人もの男性とセックスしたこととか「貞操観念」みたいなことを責めるんですよ。売春していたでしょ! とか、ソープで働いていましたよね、あなた! とか大声で恫喝するみたいに。婚活サイトで何人もの男と同時進行で付き合って、どれがいいか選ぶなんて当り前じゃないですか。
上野 法制度には明らかにジェンダーバイアスがありますからね。社会正義だと呼ばれるものは、しょせんオヤジの正義、です。
北原 はい、その事がよく分かりました。だから私も途中からあえてジェンダーを意識して書いていました。そしたら、『東電OL殺人事件』(2000)を書いた佐野真一「(1947年生まれ。ノンフィクション作家)。」さんも佳苗についてのルポを執筆中で‥‥因縁ですよね。それで、二人の本が出たら、私の本は「わかりやすい」、佐野さんの本は「骨太で執筆が見事だ」と比較して佐野さんを持ち上げた書評が出て、不快だった。女が加害者で男が被害者になるなんて、「日本男児が情けない」と佐野さんは書いているのに、誰も「男目線」とは言わないし。
上野 「女目線」って言われて傷つく必要は何もないのよ。「おまえらは、オヤジ目線。自分がわかんねえことは書くな!」っていってやればいいだけの話じゃない。実は佐野さんだって、あの東電OLの本では、「女」の謎については何一つ書いていないのよね。東電という女性差別企業の中で惨憺(さんたん)たる思いをした彼女は、「プレ均」つまり、男女雇用機会均等法より前に社会に出た世代だった。高学歴で中産階級のエリート家庭出身で、由緒正しい東電社員の娘が上昇志向を持って、会社に入ってみたらこんなはずじゃなかった、という目に遭った。そういう人の怨念は巨大なのよ。だから、まだ東電OLは忘れられていないし、本当に成仏していないのよね。北原さんが当時、あの東電へのメディアの発情を見て、「殺されないようにしよう」って思ったのも、よくわかる。一度は加害者によって、二度目は警察とメディアによって、東電OLは二度殺された‥‥・本当にそんな感じがしたくらい、性的犯罪の被害者になると、自分のプライバシーをどんどん暴かれて、こんなにも不当な目に遭わなきゃいけないのかっていう時代でした。犯人とされた人が冤罪(えんざい)だったことに関しても、日本の検察はきちんとした謝罪もしていない。そう考えると、東電OL事件は何も終わっていない。
信田 東電OLの亡くなった殺害現場には、今もずっと花が絶えていないんですよ。
上野 あら信田さん、興味がないとか言って、ちゃんと知っているんじゃない(笑)。東電OLについては桐野夏生さんも『グロテスク』(2003)「『東電OL殺人事件』をモチーフとした桐野夏生の小説。主人公のひとり、一流建設会社のエリートOLが娼婦となり殺害される」という小説を書きましたよね。桐野さんは稀代のスートリーテラーだと思うけど、あの作品は萬話で終わってしまった失敗作だと思う。最初からロールプレイングゲームのようにキャラクターに初期値が与えられていて、予想外の展開をしないもの。中村うさぎさんが、『私という病』(2006)というぶっ飛んだ本の中で東電OLについて書いた文章は、とても読ませました。私も『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』(2010)の中で2章文あて書いたけど、たぶん東電OLさんを成仏させるような作品は、まだ書かれていない。この事件は、忘れられない、あるいは忘れてはならないっていう事件かもしれない。だから、わざわざこの三毒婦(笑)で東電OLと木嶋佳苗について話すんでしょ。
北原 はい、そうです。徹底的に女目線で語りたいんです。毒婦目線で。
木嶋佳苗は新しいか?
上野 さあ、東電OLから木嶋佳苗までのこの12年間に何があったのか、という北原さんの問いにちゃんとつきあってみましょうか。最初にひとつ対比しておくと、東電OLと木嶋佳苗の大きな違いは、一方は被害者で他方は加害者ってこと。これはもう、絶対的な違いだ。もひとつ、佳苗には笑える要素があるけど、東電OLに笑える要素がないこと。東電OLは笑えないし、痛ましすぎる。小倉千加子さんによると、あの事件の時「ポス均世代」の比較的高学歴の女たちから深夜に電話がかかってきて、「東電OLは私だ」とうめくように言っていたって。同じ時代を生きた女として、わかるのよ。北原さんは佳苗の事が全然わからなかったのでのめりこんだ、って言っていましたね。何があなたを魅惑したんだろう。まずは佳苗のことから語ってみようか。
北原 やっぱり私はずっと、ちょっとだけ自分より下の援助交際世代の人たちがどう20代や30代を生きて来たのか気になっていたんですね、直感的に、こんな新しい犯罪ないなって思ったんです。
上野 その「新しさ」に、私はいまいち乗れないんだよね。昔からある「お水系」の女の「婚活」とどう違って、何が新しかったの?
北原 佳苗の裁判には「佳苗ギャル」って呼ばれる追っかけみたいな女性たちまで出てきたんです。彼女たちって、男性社会や男性に対する苛立ちを隠さないんですよ。ちょうど裁判が始まったころ、オーム真理教の平田信と斎藤明美が出頭したんですが、「うちの旦那は、佳苗よりも斎藤明美の方が面白いっていうんですけど、あっちの方が美人だからですよね!」と憤ってたり。確かに、週刊誌なんかは木嶋佳苗よりも斎藤明美に紙面を割いてたんです。「佳苗ギャル」たちは木嶋佳苗を応援するような気持ちだったと思います。木嶋佳苗は学費という名目で男から金を奪ったお金を、実際はベンツや高い鞄を買うのに使っていて、裁判では堂々と「私は男性にしてあげたことの対価としてお金を頂きました」とか言う。「佳苗ギャル」たちはそこに共感したりもする。そんな現象自体、これまでなかったことです。
上野 話に介入してもいい?
北原 はい、どんどんしてください。
上野 援交世代が長じてのち、援助の額はどんどん上がっていって、もっと規模の大きい援交を続けた。援交世代はセックスに対価が発生するのは当然だという考えを持っていた。無料(ただ)でセックスするなんてありえないという考えは、ひと昔前でいう「玄人(くろうと)」のものよね。ほんとにバカみたいな話なんだけど。昔は女には素人と玄人がいたのよ。信じられないよね、「玄人の女」って何なんだよ(笑)。そして、援交世代がその玄人と素人のボーダーラインを溶かしたから、佳苗は「溶けた後」の世代ということになる、ここまではいい。でも、佳苗の場合は、その援交が多方面にわたり、かつ金額が大きくて、それだけで食っていたんだから、素晴らしいプロであり「玄人」ってことになる。結果的にはやっぱり「お水系」の結婚詐欺と変わらない。それに、物証も無いから、彼女が有罪かどうかは私にはわからないんだけど、もし本当に殺してたとしたら、すごく合理的じゃない。
北原 合理的ですか?
上野 自分の安全の為に殺したんじゃないの? だって、ちょっとでも関係を持った男性に軽く別れを匂わせたら、その男がストーカーに転じて復縁殺人、ってのが異性間殺人でもっとも蓋然性の高い殺人だから、そこから自分を守ろうとすれば、自分が身を隠すか、向こうに消えてもらうかどっちしかないでしょ。復縁殺人予防で殺したっていう、ものすごく合理的な殺人じゃないの。
北原 合理的な殺人って(笑)。
信田 上野さんは、佳苗は男と別れるために男を殺したっていう前提なの?
上野 そう。別れるための、スーパー合理的な行動だと思う。だから私は、佳苗には東電OLにある暗さとか謎とかを感じないの。
信田 謎がないですか? しかし、木嶋佳苗はビーフシチューを男性の為にコトコト煮て食べさせてからとか、手間暇かけて殺していますよね。合理的と到底思えないんだけどなあ。
北原 それに佳苗は、最後は楽しんで殺していたんじゃないかと思えちゃうんですよ。「どうやったら死ぬのかなあ」みたいな感じで。練炭のレイアウトとか変えてたんじゃないかなってくらい。
信田 だって、男たちを苦しめないで殺したんだもんね。
結婚詐欺から殺人へ
北原 佳苗にとって男性って何だったんでしょうか。
上野 ツールだったんじゃない?
北原 ツールですね。
上野 ツールをハメるためのテクニックとノウハウに習熟していたことでしょう。狙った相手には速攻でメールを送ったりして、その文章もほとんど文案のパターンが決まってる。定形文を送っとけば、ほとんどの男から同じような反応が返って来るんだから、ほぼ入れ食い状態じゃん!
信田 それならば、なぜ殺さなければならなかったんだろう。
上野 一番危険な相手だもん。
信田 すごく高額なお金を男たちに振り込まさせてるわけですよ?
上野 だからさ、それだけの額を振り込まさせているわけだから、他の男とできてるとか、別れを匂わせたりしたら、今度はその男が最大のリスクに転じるでしよう。
信田 実際に、同時に何人もと付き合ってはいましたよね。
北原 佳苗は18歳から34歳までずっと、セックスで生活をしてきたんではないかと言われているんです。彼女は、出会い系サイトでは「桜ちゃん」という別名を使っているんです。そこで出会った男たちからも「桜ちゃん」としてお金を取っていたわけで、最後の方は結構、男を脅してお金を取ったりもしてるんですよね。中絶に二回も失敗したと脅迫されてお金を取られた男性たちがいるんですけど、彼らの実名が佳苗への振り込み記録に残っているんです。そういう男性は大体妻子持ちだったりするから、今回の裁判では一切訴えたりはしないで沈黙を守っていますけど。
上野 あなたの子を堕ろしたと脅すなんて、すごく古い手管よね。
北原 はい、古いですよね。その一方で、彼女は本名で結婚詐欺を始めるんですよね。殺人なんかせずに、出会い系サイトと結婚詐欺の両方でがんがんお金を稼いで生きればよかったのにとか思うんですが、そうしなかったのは、彼女にとって「結婚」はお金だけじゃない別の意味を持ってたからじゃないでしょうか。佳苗には本名の彼氏もいたんですよ。彼の方はすごく結婚したがっていたらしい。佳苗もブログでは「結婚したいです」と書いているけれど、彼と結婚するつもりは全くなかった。その一方で、結婚詐欺で出会った人たちには本名や住所も教えてお付き合いしていて、その中に亡くなった方が3人もいる。裁判には、他の騙された男の人たちも検察に頼まれて裁判に証言しに来ているけど、彼らは自分から訴えることはしていない。もしかしたら、もっと被害者がいる可能性だってありますね。だから、男の人がリスクになるという感覚は佳苗にはなかったんじゃないですか。
上野 出会い系サイトでの相手が既婚者だったっていうことなら、向こうの男も結婚のルールを破っているという前提があるから、別れを告げても安全よね。でも、婚活だと、独身の相手から引き出す金額の桁が出会い系とは二桁ぐらい違うわけだから、少々のリスクを背負っても、と思ったんじゃないの。
北原 でもそれだけだったら‥‥・
上野 それに、リスクとエイジングを秤にかけたって部分もあると思うよ。佳苗の側も若くないから賞味期限もあるし、相手の男たちは年齢が高い。小金を持った、ちょっと年を取った男性たちがターゲットになってる。このマーケットは大きいですよ。
北原 上野さんの話を聞いていると、なんかだんだん佳苗がつまんなく感じられてきちゃったんですけど(笑)。
信田 ほんとほんと(笑)。
懲りない男たちと女の容姿
上野 社会学者は市場原理で説明するから、話がつまんないのよ。でも、カウンセラーから「心の闇」で説明してもらいましょう。
信田 木嶋佳苗からは男性に対する強烈な憎悪みたいなものを感じますよね。
北原 感じますよね。
信田 佳苗のあの何食わぬ上品な物言いとか、ぽっちゃりした外見とかに男はやられて、彼女のケアをすごく欲しがっているけど、その満足した男を見ながら内心「あんたの命は、あと一時間だよ‥‥」みたいな感じで殺しちゃうわけですよね。憎悪する対象でもないんだよね、自分に言い寄ってきた男に対する‥‥あれは嫌悪だ。
北原 なるほど。「バ―カ」という佳苗の声が聞こえて来るような気がしますね。
上野 そこはもう、100パーセント同感。佳苗に限らず、援交やってきた女の子たちの中には、男に対する「バ―カ」っていう気持ちがあると思う。男ってこんなに都合のいい、騙しやすい生き物なのかという侮りの一方で、その男たちが自分をここまで弄ぶ生き物だということに対する嫌悪と憎悪があると思う。援交のスケールの大小はあるでしょうけれど。
信田 佳苗は男に弄ばれたとは全然思っていないと思うんです。あの人はむしろ、男を弄んでやったみたいな感じですよね。私が一番面白かったのは、佳苗と付き合った男性は小さかったたっていう話。‥‥あ、身長ですよ!
上野 はいはい!
北原 わかっていますよ。もう、下ネタはやめてください(笑)。
信田 すいません、つい。小さいじゃなく、低いって言えばいいのか。
北原 そうですよ!
信田 失礼しました(笑)。だからね、男たちの背が低いっていうのがすっごい印象的だったの。いざってとき、男が向かってきたときに絶対自分が身体的に勝るという自信のある男としかやらなかったのかって。
北原 裁判中、埼玉地裁のレイアウトが結構雑だので、証言台の向こうの男性とかが仕切りの隙間から見えちゃったりするんですよ。髪の毛もじゃもじゃの汚い恰好をして、イン・ジャージしちゃっている男性が、肩から汚い鞄下げてきて、一生懸命しゃべっている。その人が婚活サイトで知り合って、睡眠薬で佳苗に二回眠らされちゃった人だったりするわけですよ。
上野 一回で懲りないのかしら(笑)。学習能力が低いのね。
北原 その後に、佳苗が「皆さまご覧になったように、あの方は髪の毛も梳(と)かさないで汚い恰好で初めてのデートにいらしたんです」みたいな証言をするんですよ。「とても失礼だと思いました」って。証言する男たちを見ていると、木嶋佳苗の相手はみんな年を取っている小柄なタイプで、やっぱり彼女はふたりきりになっても怖くない人を選んでいるんだなと感じるんです。私も取材の為に婚活サイトに登録してみたからわかるんですけど、ああいうサイトって「年収」とか「年齢」とかの条件でしか検索しあえない仕組みなんですよね。その人がもてるとかもてないかなんて、サイトでは絶対にわからないですよね。だけど、男性メディアは「木嶋佳苗はもてない男をあえて探した」とか「女の嗅覚だ」とか書く。
信田 どうやって探すのよ(笑)。
北原 だから、佳苗は身長の低さでしか相手を選んでいなかったんじゃないかと思ったんです。
上野 ちょっと待って。ミもフタもない市場原理で語ると、佳苗は結婚市場の中で相対的に不利な人達を選んで、ターゲットにしていたと。彼女は美人じゃないっていうことで、メディアではいろんなことを言われたけれど、美人じゃないって事は男たちの関係においてはメリットになったと思う。「このオレでも手の届く程度の女」という安心感を与えたという意味で。
北原 それはあったと思います。
信田 スーパー美人だったら、これは夢じゃないだろうか、嘘だろうっていう風に、男たちにためらいが生まれて、警戒されてしまうからね。上野さんの言う通り、別に女性は美貌でもてるわけじゃないから。こう言っちゃうとなんですけど、彼女が美人でなかったから、男たちは上から目線になれたし、つまり無防備になれた。美しい人がいいっていうのは、世の中がつくった神話ですからね。
北原 ほんとにそうですよね。しかも男に媚びる必要がないってことも佳苗は教えてくれたわけです。男性に対して何もニコニコしたり、この人を傷つけないようにしなきゃいけないと頑張る必要は一切なく、私に会いたいんだったら、何月何日までお金を振り込んでください。って毅然と言えばいいんだって(笑)。
信田 男はギャップに弱いですからね。とっても頭いい女なのに馬鹿みたいなふりをするとか、とってもブスなのに高姿勢であるとかね。
上野 童顔に巨乳とかね。
信田 そうそう。まあ、私もギャップのある男には超弱いですけど(笑)、とにかく、そういうギャップを意図的にどこまで作り出せるかという戦略に木嶋佳苗は長けていたんじゃないですか。太って美人でない女性が、毅然とパシッと物を言う。彼女の知性。頭の良さが際立ちますよね。
北原 佳苗は整形もしていないし、ダイエットもしていないんです。「自分を磨く」とか「女子力」とか絶対に言わないと思うんですよ。佳苗を支持して裁判を傍聴しに来る女性たちにとっては、そういう毅然さへの共感があったと思う。それと、男が女や結婚に対して相変わらず求めているロマンみたいなものへの苛立ちがあったと思います。料理のできる女らしさを求める一方で、容姿はこの程度の女がいいとか言ってしまう、そうやって男がいまだに自分たちを馬鹿にしていることへの怒りが溜まって、世の中の女たちは爆発寸前なんですよ。対して、男性はこの裁判の話になると、10人中9人が「俺だったら絶対に騙されない」って、それしか言わないんですよね。あんたが騙されるかどうか、そんなの誰も聞いてねえし!
信田 男性が、こういう事件を自分に引き付けて考えられないって言うのが不思議なんですよね。佳苗の事件に限った話じゃなくて、たとえば連続強姦魔の事件があったとしますよね。なんで多くの男性は訳わかんないとか、自分とは別の世界の話だって思うんだろう。実際にね、こいつは4人やったけど俺だったら5人できる、とか思ったり本当にしないのかな。
上野 だから、単純すぎるのよね。男の反応は。びっくりするぐらい、東電OLの時代からいままで男は変わっていない。
北原 変わっていないですよね。
信田 女性で摂食障害気味の人なんかは、佳苗が太っているって事に関して、「ずるい!」って感じるみたいです。「どうしてあんなに太っているのに、あんなに大勢の男とセックスできるの‥‥!」みたいなことを言う女性に、何人も会いました。
上野 やっぱり、痩せなきゃモテないと思っているってこと?
信田 そう、そういう強迫観念にとらわれている女性からすると。
上野 東電OLも摂食障害だったと言われていますね。病的に痩せたって。街頭で男に声をかけられると、着ていたバーバリーの上等なトレンチコートをぱっと脱ぐらしいんだけど、あばら骨まで見えたと。それを見ても引かないなんて、男ってすごいね。
信田 痩せた女でないとだめって男もいるからね。
上野 だから別に、佳苗に寄って来たのが「デブ専」で、東電OLの相手が「ヤセ専」っていうわけじゃなくて、痩せていようがデブであろうが、ついているもがついていればよいっていうことじゃないの。結局、男は女を顔とかボディとかじゃ判断してないのよ、性器のついたフクロだと思ってる。
信田 ‥‥超つまんない、それって。
上野 だからつまんないでしょ。わかりやすぎて。
信田 ほんと、男たちはつまんない。
団塊世代の罪と罰
北原 佳苗のことを調べてみると、やはり父親や母親との関係が気になります。両親は団塊の世代で、まさに信田さん上野さんと同世代なわけなんですけど。
上野 そうなの、そうなの。佳苗は私たちの世代が育てた。近代家族の落とし子なのよ。
信田 そこは興味深いよね。
北原 佳苗の父親は北海道から東京の大学に入るために上京、学生運動にも関わり、卒業後に北海道に戻ってからは、地元のちょっとした名士的存在だったんですよね。娘にはテレビは見せない、朝日新聞を読ませ、居間にはクラッシックがいつも流れていた。私が佳苗に興味持ったきっかけの一つは、彼女が高校の文集に「小倉千加子が好き」と書いていた事なんです。父親はいつも読んでいた「朝日ジャーナル」に小倉さんの名前を見つけて興味を持ったと。小倉さんを好きだった女の子が、成長してこんな事件を起こしたのはなぜなんだろう。もし彼女が好きだったのが上野千鶴子だったら、この人はどうなっていたんだろう。
上野 以前、オウム真理教の女性信者が「上野千鶴子も読みました、小倉千加子も読みました、でもフェミニズムは私を救ってくれなかった」と発言したそうです。あったりまえだろう、フェミニズムは宗教じゃないんだ!
信田・北原 (笑)
北原 佳苗が上野さんを選んだら、フェミニズムになったかもしれない。だけど、心理学が好きだった佳苗は、その結果「自分」を深めていった。長女ですから、父親にすごく期待されてそだっているんです。北海道の小さな町で父親は佳苗にクラッシック音楽を聞かせ、読み終えた本には蔵書印を押し、内容について検討していた。大学への進学も当然で、4にんきょうだいで佳苗のふたりの妹と弟は学費を出して貰ってるんですが、佳苗だけは高3のとき数百万円の盗みをした罰で学費を出してもらえずひとりで東京へ出てきています。父母は近所に「佳苗はケンタッキー・フライド・チキンの幹部候補生になりました」って言っていたらしいんだけど、それは佳苗自身の嘘だったのか、父親の嘘だったかわからない。けどやっぱり、彼らは特別な家族が常に演じなければいけなかっただろうし、佳苗はそんな家では自分の本音を出せなかったと思うんですよね。だから私、佳苗に死刑判決が出た日に彼女の手記を読んで、一気に興味が醒めちゃったのですよ。「全国の放置所では職員に支えられ、ヨガと瞑想で心身の健康を保っています」みたいな感じの、ほとんど夢の世界に生きているような内容で。
上野 あれは、すごい文章力でしたね。
信田 字は本当に綺麗でしたよね。誰かが代筆したんじゃないかと思っちゃったんだけど、自分で書いたんですかね?
北原 はい、もともと字はとても綺麗で、子どもらしくない大人びた字だったそうです。字とか箸の持ち方とかそういう建前的なところはすごく大事にする家庭だったんだと思います。手記は文章も字も綺麗だったけど、私からすると嘘のように美しすぎた。
信田 木嶋佳苗はブログにも、ありもしないファンタジーの理想的な家族像を書いていたんですよね。
北原 父親は実際には、朝日新聞が大好きな、リベラル、左翼、反体制イコール正義というような、でも目の前にいる妻には冷たいという、よくいる団塊の世代の男性だったんだと思います。
信田 ロマンチック・ラブに対する愚直なまでの信頼があった世代ですからね。しかし、彼らにも子どもが生まれ、ロマンチック・ラブイデオロギー(近代に発生した、恋愛に基づいた結婚を正しい男女関係も婚姻関係の中でのみ行われるべきものとする考え方。)が非現実的なものであるという事がだんだんわかってくるわけです。
上野 幻想が破れた後に結婚をキャンセルするっていう選択もあるけど、そうしなかった人達よね。愛が破れても生きていかなきゃいけないから、だんだんわかるどころか、さらに妄想に走るんじゃないの。
信田 そうですね。その過程と子供の成長がパラレルなんですよ。幻想に破れた荒野のような家庭生活に子どもがいるわけ。だから母は娘に対して、結婚を「あんなもの」と貶め、「手に職をつけなさい、やっぱり女は経済力よ」みたいなことを言うくせに、どこかでロマンチック・ラブの抜け殻でも持っていないとこの世では生きていけないという処世術を持っている。母親というのは、ずるいんです。
北原 家族の中に在る嘘をまざまざと見続けている人達が、援助交際をはじめた‥‥?
信田 そうなりますね。団塊の世代の家族って、嘘ばっかりの家族ですから。
北原 嘘ばっかりって、そんな言い切りますか(笑)。
上野 だって、ロマンチック・ラブってそもそも到達不可能な幻想だもん。
信田 そのハリボテの理想を愚直なまでに実践しようとしたのが、団塊世代なんですよ。
上野 最初で最後の世代だね。だから、次の世代の女性が男に期待しなくなって、「金ずる」としてだけ付き合うのは、ある意味正しい選択。いま「婚活」している女性たちも、恋愛願望で働いているわけじゃなくて、あくまでも結婚願望なんだから、ロマンチック・ラブ信仰はもう終わりでしょう。
北原 団塊世代がすごく理想を持って子供たちを育てた結果、長女として佳苗が犯した罪って読み解き方もできますね。
空虚しさ共有する家族
北原 佳苗は手記に「8歳で初潮を迎え、10歳でフィジカルなピークを迎えた」と書いていましたが、小学校の文集を見ると実際に他の子よりずば抜けて身長もあり、胸もお尻も大きい。幼い頃から性のにおいというか、女としての視線を浴びてしまっていたんだと思うんです。性虐待を受けていた可能性もあるんじゃないでしょうか。
上野 どうなんですか、信田先生?
信田 可能性は考えられますよね。早熟で性的な存在だったんだろうし、その早熟さが想像世界にとどまらないで、実際に幼いころから男性に会うとか体を売っていたとかいう現実的な方向に行っているのは、一般的には性虐待を受けた子の早熟さと重なりますよね。彼女自身も生に対する捉え方はすごくアンビバレントだと思うんですよね。一方ではツールとして、生きるよすがとして使える。一方で、性に対する嫌悪もあったでしょう。要因のひとつとして、父親に対する二律背反的な思いが非常に強かったんじゃないでしょうか。「父の娘」だった佳苗にとって、父親は手記にあったような尊敬する理想の父でありながら、どこかで彼女はお父さんの空疎(くううと)さを軽蔑していたろうし。
上野 木嶋佳苗は自分の肉体が男に対して性的な価値を持つという事に、うんと小さい時から気づいていただろうし、誰かに気づかされたって可能性もある。そしてその性的な価値を自分で操って来たんだろうと思うけど。もともと父親が期待をかけた娘だったのに、その期待に応えることができなかった。それにしても、父親は18歳で東京に出て行った娘が、その後、仕送りゼロで暮らしていることに対して、何の不信感も持たなかったのかしら? もし持たなかった、あるいはあえて不問に付したとしたら、どういう男になのよ。さっき信田さんがその父親の「空疎さ」って言ったけど、タテマエで家庭とか世間とかを守ってきた男が、自分に具合の悪いこと、自分にとって認めたくないことがあるときに、彼らはとにかく見たくない・聞きたくない・考えたくないっていう現実否認と逃避に走るのよね。
信田 あらゆる家族で、しょっちゅう起こっている事です。
上野 そうよね、信田さんは現場をよくご存知だから。佳苗の父親は、まさに現実を遮断してしまったっていうことね。父との関係を遮断されたことによって、父親が作って来たものの空疎さを佳苗は感じたのだろうし、そういう空疎な男と離婚もしないで何十年も一緒にいた妻との関係が上手くいっているわけがないよね。
北原 おそらく父親は、娘に対して自立とか小倉千加子を薦めながら、妻に対しては「家にいてほしい」と言っていたんですよ。家庭の中の嘘ですよね、
上野 それはウソじゃないのよ、男のホンネ。妻はどれだけ差別してもよいの。でも娘が差別されたら怒るの。
北原 え、何ですか?
上野 当然じゃない、娘は身ウチで、妻は他人だからよ。妻がパートやなんかで賃金差別されても、「おまえのやっているような仕事なんて、その程度のものだ。いつでも代わりがいるんだ」とかって言いながら、娘が就活で差別を受けたら怒り狂うのが父親っつ―もんよ。
信田 娘に対して結構冷たい父親もいますけどねよ。
上野 いる、それもいます。
信田 上野さんが「現実否認」とか「逃避」っていう風におっしゃったけど、今ここにある現実を見ないっていう、ものすごくはっきりした傾きは、佳苗と父親と母親との間に奇妙な連帯感を感じますよね。3.11以降、日本の社会で言いふらされている、家族を大事にしましょうというような「絆原理主義」と同じですよね。みんなで「よい家族像」を共有している。だけど木嶋家の現実は、すごく悲惨だったわけですよね。親は佳苗にお金も送っていないし、東京へ行くっていうときに見送りも行かない。18か19歳の娘が初めて東京行くっつのに、本当に冷たい行為ですよ。そういう何とも言えないちぐはぐさみたいなものを、佳苗は空気のように身につけてずっと生きてきたんでしょう。彼女の手記もその延長を考えると、ものすごく空疎な内容なんだけど、佳苗のある種の現実が書かれていたんだと思うんです。つまり、今でもたぶん拘置所でね、「全国の拘置所の皆さん‥‥」っていう気持ちを彼女は本当に持ち続けていると思うんですよ。きっと第二弾も書くと思います。
上野 一方で、彼女はそんなにも空虚な家族とか結婚とか家族とかいう記号に、こんなにも簡単に人が操られるっていうことを学んでたわけでしょう。
信田 そうなんですね。その学習をビーフシチューで生かしたんでしょうね。
上野 そう、家族らしさを演出するための手作り料理ね。小道具はいっぱい持ってたんだろうし、舞台装置もノウハウも自分の家庭で学んだのね。
北原 そういう舞台装置を使って、ケアしてあげて、本当に男性をケアするように殺していったんですよね。ここまではっきりしたケア殺人ってなかったと思うと、やっぱりとても興味深いんですよね。
信田 佐野眞一にはまったく理解できない部分ですよね。
北原 そうですよね! 男の人たちに「ケア」っていうキーワードで佳苗を語っても、「何を言ってるのか全然わかんない」って返ってくるんですよ。私からすると、わかんない理由がわかんない(笑)。
母娘の愛憎の果て
北原 母親との関係はどうだったんでしょうか。佳苗はお母さんのことが大嫌いだったと思うんです。
上野 どうなんですか、信田先生?
信田 母親も、というか母親は、産んだ瞬間から佳苗のことが嫌いだったと思いますよ。母性は「本能」ではありませんから。これも推測ですけど、佳苗は母親からも虐待を受けていたんじゃないでしょうか。直接的な暴力なのかネグレクト(虐待の一種であり、幼児や低学年の子への心理的無視や育児放棄を指すことが多い。)なのか、もしくは暴言を吐いていたのか、どういう虐待かわからないけど。
上野 どうしてそう思ったの?
信田 彼女の手記を読むと、あの過剰なまでの父親への記述に対して、母親については何も書かれていないに等しいじゃないですか。何も思いを感じられないし、奇妙な空白がある。誰しも、一番大事なことは書けないんですよ。佳苗が高校生の時、お母さんが足を切断するほどの交通事故に遭ったけど、佳苗はそのことを聞いても振り向きもせずにお見舞いにも行かなかったという話がありましたね。そこまでの拒絶感があったという事ですよね。
北原 取材や佳苗のブログを読むと、母親はむしろ過干渉なんじゃないかと思ったんです。
信田 過干渉だけど心理的にはネグレクトというのは両立するから。
北原 母が娘を嫌う場合、母親自身が罪悪感を持つんですよね?
信田 罪悪感? 持たないでしょう。
北原 持たない? 母は嫌うままに娘を嫌えるんですか?
信田 「娘を嫌いな私って、母親として変じゃないですか」って悩む時点で、すでにましな母親なんです。だから、そういう母親はやましさゆえに、ことさら頑張って可愛がりますけど、それがまた虐待の兆しだったりもするんですよね。実際に娘を嫌う母親は、もっとあっけ~どんとしています。娘に対する嫌悪ほど露骨なものではないと思います。
北原 どんな嫌悪を母は娘に向けたんですか。性的なところ?
信田 性的なところもあったと思うし、もしかしたら単に顔つきが嫌いだっただけかもしれない。母娘にも相性がありますから。お母さん自身の女性であることに対する嫌悪みたいなもの、ミソジニー的な自分への眼差しと微妙にシンクロするんだと思います。
上野 そうよね、特に思春期に色気づいてくる娘っていうのは、母親にとってほんとうにおぞましいでしょうね。
信田 特に彼女は小さい頃からかなり性的な感じがする娘だっただろうしね。
北原 そういう場合、娘ってすごく潔癖症になるか、拒食症になるんじゃないですか。
信田 どちらになりやすいのは確か。
北原 でも佳苗は、どちらにもならなかった。
信田 拒食症っていうのは、母親からの禁忌(きんき)が徹底した時になるケースが多いんですよ。佳苗のお母さんは自我意識がかなりはっきりしていた人だったみたいですから、一見愛情深い母親のふりをしながら娘の成果を防ごうとか、娘に対してどうこうしようっていうよりも、あからさまに嫌いだってことを出していたんじゃないかな。
北原 あからさまに嫌いだってどういう風に出すんですか。
信田 う―ん、やっぱりきょうだい間で差別したかと思う。お姉ちゃんだからと過剰に負担を負わせたとか。妹にすることを絶対にやらないとか、「父の娘」であるという佳苗に対して、あからさまに嫉妬するとか嫌悪して、夫と一緒に排除するとか。
北原 佳苗のお母さんはすごく体裁を大事にする人で、他人にどういう風に思われるかとか、長女が太っているからご飯これだけ作りましたとか、そういうケアをしていることはいっぱいアピールしているんですけど。
信田 その嘘っぱちっさを、佳苗はよく解っていたんじゃないの。
北原 嘘っぱちって決めつけて良いんですか。
信田 嘘だと思うよ。自分がデブの娘の母だってことが嫌いなだけでしょう。
北原 佳苗は、東京ではじめたブログにはお母さんのことを書いてるんですけど。
上野 母と娘、どちらもそれぐらいのおつとめはするでしょうよ。
信田 彼女、ありもしないファンタジーの家族像が売り物だったわけですからね。そりゃ登場人物としてお母さん出てもらわないとまずいんじゃない。
木嶋佳苗のパワー
北原 性虐待の話に戻りますが、内田春菊(1959年生まれ。漫画家、作家。性を隠さない、とらわれない漫画家作品でカリスマ的人気を誇る、1993年に発表した義父からの性虐待体験を描いた小説『ファザーファッカー』がベストセラーとなる。)さんが「週刊新潮」で佳苗をモデルにしたフィクションを書いたんです。実際に佳苗は知人宅から計300万円ものお金を盗んだんですが、そのことは「隣のおじさんにずっと私やられていた、だから盗んだんだ。それなのにお父さん、謝って馬鹿みたい」というフィクションにしていた。読んでハッとしちゃつて。もしかしたら佳苗が誰かに性虐待されていたことをみんな気づいていたかもしれないけど、誰もちゃんと向き合っていなかったとか、そういうことが佳苗の家族に起きていたんじゃないかなって。
上野 現実にそういう被害経験があるとしたら、私が差し出したものには対価があって当然なのに、向こうが差し出さないなら自分で奪ってやる、っていうこと?
北原 仮にそうだとしたら、説明がつくと思ったんですよ。
上野 つくよね。
北原 子どもがよその家から盗む額としては、300万って考えられないほど大きな金額ですよね。佳苗は中学校の制服を着てその家に行って、通帳と判子を持って出て、車に乗って郵便局にお金をおろしに行ったんです。いったいそんな大金、何に使おうとしたんでしょう。取材で近所の人が「タクシー代だったんじゃないか」っていうのを聞いたときには、そうか別海町から出るためのお金だったんだという風に思ったけども、やっぱりそうじゃなくて自分の対価だったんじゃないか。結局一回目の盗みは周りの大人たちの配慮でなかったことにされ、高校を出た時に二回目をやって成功しちゃう。それで大学のお金も出してもらえなくて、お父さんが全部肩代わりで盗まれた相手にお金を払った。そういう一連のことに対して「お父さん馬鹿みたい」って書いた内田さんはすごいなと。
上野 なんかすごくわかるな、それは。
信田 よくわかります。
上野 手近な女の子のボディにはいくらでも手を出してよくて、代わりに小遣い銭やっておけばすむだろう、というような気持ちを持った男たちは、家族にも近所のおじさんやお兄ちゃんたちの中にはいますからね。地方都市に限らず、どこにでもね。そういうことをものすごく早いうちから、女の子たちは学ぶんじゃうんよね。
信田 それをどういう形で学ぶかですよね。相手が本当にまだ少女であったとしても、男たちは発情しますからね。性虐待された側は、まだわけわかんないですよ。これは私の想像ですけど。もし佳苗の初潮が本当に小学2年生だったとしたら、佳苗はもう大人の身体だったということだから、残念ながら性虐待の意味がある程度わかったんじゃないだろうか。だから、相手に300万要求したんじゃないか。幼い頃に受けた性虐待なんて本人にとっては本当に意味がわかないし、消化不良な記憶として残るんです。ある種のトラウマにもなるでしょうけど、彼女はそれを男に対価を要求するって形で解消したんじゃないですかね。
上野 出さないなら奪ってやるって。
信田 それは佳苗の力だと思うのよね。彼女はだから被害者にならず加害者になったっていうことは、褒める褒めないの問題ではないし、こういうこと言うと倫理的にどうかわかんないけど、やっぱりすごい彼女の‥‥力だと思うんですよ。
北原 そうだと思います。
上野 それはそう。
北原 だから東電OLは被害者で、佳苗は加害者って私もさっき言いましたけど、でもやっぱり加害者になるための被害者であった歴史が、佳苗からは感じられるんですよね。
上野 パワーについていえば、普通は婚活詐欺って言ったらひとりを狙うもの。婚活詐欺であれだけの人数の男たちを、それぞれつじつま合わせしながら同時にマネージメントする力量だけでも、大したもんよ。
信田 だから殺人じゃなくて別のことをやっていれば、相当にすごいことが出来た人かもしれないよね。
東電OLを女目線で語り直す
北原 話を東電OLに移してもいいでしょうか。はじめに上野さんが東電OLは悲しくて痛々しかったけど、佳苗には笑える要素があるとおしゃいましたよね。私もそう思っていたんですけど、もしかして当時から女目線で語ることが出来れば、東電OLのことも笑える要素があったんじゃないですか。佐野眞一さんみたいに、男のロマンたっぷりに彼女のことを「堕ちた天使」なんて呼ぶんじゃなくて。
上野 「ブラック・マリア」とも呼んでいました。
信田 げ―、やめてくれっつ―の!
北原 私たちは、東電OLは拒食症であったとか、家族を養う必要があったとか、彼女の痛々しい面をいっぱい読まされたんですよね。
信田 なんかトルストイの小説の劣化版みたいだよね。
上野 妄想することにかけては、男に負ける(笑)。
北原 私は2011年3月11日の東電原発事故の後、東電OLのことを改めて調べたいと思って、当時の97年頃のスポーツ紙や週刊誌を読んだんです。そしたら、東スポの女性記者が東電の女性社員に取材して、とても良い記事を書いていた。東電OLは社内で「いきおくれ」って呼ばれてて、その女性社員も馬鹿にしていたけど、今となったら気の毒だったと言っているんです。あと、この女性社員は「(東電は)病気になって辞める女性が本当に多い」と証言している。こういう面は、佐野さんが書かなかったことだと思って。東電という会社は当時から超嘘つきの会社だから、東電OLのことも最初は「特別変わったことのない、普通の社員でした」とか証言しているけど、実際はものすごく変わった女性だったことが後からわかりましたよね。ものすごく厚い化粧で出社して、机の上で寝ちゃったとか。「ガラスの天井」に阻まれて出世がもたついて苦しんでいたという話は聞いてたけども、彼女は会社で一般職の制服を着ていたんですよ。それが不思議なんです。総合職で出世したいと思っている女の人が、会社の制服着ますか。意味わかんない。
上野 そもそもあの会社には、女性が出世できるようなキャリアパスがないから、選択肢もないのよ。「負け犬」と呼ばれる自由な女たちが今みたいに続々と出ている時代じゃないし、会社に居座ったら「お局様」と言われて、後からどんどん入って来る若い子にオヤジがそのお局様を指して「ああだけはなるなよ」って言うの。
北原 東電OLは慶応大学を出て、男性的な価値観が内面化されてきたんじゃないでしょうか。「私は男性とイコールであるはずなのに」って思っていたんですよね。渋谷でセックスを売っているときには、東電の名刺を渡して、経済の話をぶつけたりしたという話ですけど、当時の3000人いる社員の中に女性管理職は10人しかいないわけですから、そんなことするとすぐにバレるというか、すごく目立ったはずなのに。
上野 勤めて10年もいれば、その会社の中の自分の位置取りなんかわかっちゃう。一般職の女向け指定席しかなくて、ガラスの天井どころかはっきり見えるバンブー天井よね。この会社には自分の居場所がない、居場所がないから頑張っても報われないとなれば、会社にイヤがらせするしかないじゃない。
北原 会社へのイヤがらせだったんでしょうか。
上野 だと思うよ。彼女は反抗心がすごく強かったと思う。
北原 イヤがらせなら、その時点で悲しくなくて、面白いじゃないですか。
上野 渋谷に立っているときの濃い化粧のまま会社に行ったという話も、末期の生活の荒廃っぷりが透けてみえるような、これ見よがしな態度だったんでしょう。見ないふりをする人達に対して、これでもか! という気持ちが絶対あったと思う。裏の生活で稼いだ金額を几帳面にノートにつけながら、おまえらはこれは知らないだろうという、リベンジ意識というのかな。一般職の制服を着てたってエピソードも、会社に向けて「あんたたちはこんな風に私を差別しているのよ」っていうすごいパフォーマンスじゃない。それを東スポのおネエちゃんが書いているのに佐野眞一は書いていなかったんだよね、おもしろい。
彼女の輝かしい経歴、とかも言われてきたけど、均等法が突然に職場の女の状況を変えたわけじゃないから。法律っていうのはたいてい現実の変化を追認するものなの。大卒女子採用は総合職とは呼ばれなくても、70年代前半からぼちぼち増えてた。大卒女が使い物になると認知されて徐々に増えていたんだけど、女性総合職をうまく扱えず困っていた。あの当時、東電も女性総合職をどう使っていいか持て余してたのよ。一般職採用している女の子たちとの間で差別化するかしないかで、各職場でせめぎ合いがあったっていう。例えば、お茶くみやるかやらないか、お茶くみを総合職にやらせるかどうか。職場の中で女性総合職はひとりかふたりだから、特別扱いにすれば他の女子社員から完全に浮くわけね。それを「職場に溶け込むために、社内融和のためにキミもお茶くみやりなさい」って言われる。彼女はあからさまにイヤがった。湯吞茶碗の手洗いもイヤがって、洗い桶にいっぺんに入れて揺らして洗っていたらしい。そんな風にやると茶碗が転がり出るから、割る率が一番高かったのが彼女だったという話がある。こんなの私の仕事じゃないって思っているわけよ。それに比べると、厚生労働省の村木厚子(「1955年生まれ、現厚生労働事務次官、同省・福祉部企画課長時代に虚偽公文書作成・同行使容疑で大阪地検に逮捕され、164日間の拘留を受けた。その後、同地検の証拠改ざんが発覚して無罪が確定、復職した)村木さんは、東電OLとほとんど同じ年齢なんだけど全然ちがう。村木さんは厚労省のキャリア官僚だけれども、入った時からお茶くみを粛々とやっておられたらしい。疑問を持ったか持たなかったかはご本人に聞かなければわからないけれど、職場の秩序を優先したわけね。そういう人だから、あのような冤罪で拘束されても生き延びられたんでしょうね。
自傷の快楽と業績主義
北原 お茶碗割っちゃう女は、この国では生き延びられなかったわけですよね。なんで彼女は90年代に街に立ってセックスを売ったんでしょうか。
上野 自分を値踏みする男たちが、自分にアクセスする一番手身近な方法が買春だからじゃないの。女かパンツ脱ぐくらいで寄ってくる、男ってこの程度のちょろい生き物だってことを、街に立つたび毎回確認するわけじゃない。佳苗は男と付き合うたびにどんどん自分の値段を吊り上げていったんですってね。これだけ払いなさい、これだけ払えなきゃあんたと付き合ってあげないって、値段を上げていくスキルを持っていた。対して、東電OLはどんどん値段を下げていったのよね。どんどん下げていって、最後は「もう片手(5000円)でよいわよ」とか2000円とか、信じられない額に下げていく。彼女は自分を安くしてんじゃなくて、男につける値段を自分で決めていたんだろうと思うけど。
北原 佐野さんは書いていなかったけど、彼女はひとりでセックスワーカー労働運動的なこともしているんですよ。SMクラブで働いているときにひとり組合で。
上野 え、労使交渉やってのけたの?
北原 労使交渉していたんですよ。6割が店、4割が女だったらセックスワークの取り分を「6割女が普通だろう!」とその額をくれるまで帰らなかったっていうエピソードが残っているんです。
信田 それは何らかのメッセージ性のあることだったのかなあ。摂食障害の人って、基本的にケチなんですよ。カウンセリング料を払うのも嫌で、でも過食に入ると食べ物にはお金は出すという変なケチさがある。そのひとり組合も、単にお金が欲しかっただけじゃないかな。
上野 「本日の目標達成」みたいに、ノートに客の人数と金額の記録を付けてたみたいな几帳面さもあったとか。
信田 強迫的な几帳面さですよね。彼女にとってセックスは何だったのかという事も、何通りにも推測できますよね。ひとつには上野さんのおっしゃったように性的な値踏みされて、自分と相手に値段を付けて売買するっていう手段。同時にもうひとつ、自傷的な意味もあったんじゃないでしょうか。基本的に摂食障害って自傷行為ですから。自分をどんどん傷つけて、自分の食欲すら否定していく行為。だから、彼女に性的快楽があったとは私には到底思えないんですよ。まさに自分の身体を傷つける行為でしかなかったんじゃないかな。自傷の快楽だったんじゃないかな。
上野 私もそう思う。
信田 カウンセリングに来ていた人の中に、東電OLと同級生だっていう方がいるんですよね。その人たちは、やっぱりすごいショック受けたようです。彼女が学生時代から激しい摂食障害だったというのはみんな知っていて、だからお友達もいなかったそうです。東電が彼女の扱いに困ったのは当然かなと。
上野 均等法前後、当時はみんな女性の総合職の扱いに困ってしまっていたから、彼女たちの離職率はすごく高いんですよ。
北原 ほとんど残ってないですよね。
信田 東電OLの場合、仕事はできるかもしれないけど、本当に変な女の子だったんでしょう。父親が変な魔法をかけて、慶應やら東電に入ったけれども。
上野 う―ん、でも東電に入ってからももっとヘンになったって部分もあるでしょう。かりに最初から彼女が一般職採用みたいな扱いで、それに彼女自身が納得もしていれば生き延びたかもしれない。だいたい東電には、ヘンな男の社員だっていっぱいいるでしょうに。
信田 それはそうかもしれませんけど(笑)。でも彼女は、殺されなかったらどうなってんでしょうかね。いつぐらいまで売春を続けていたんでしょうね。
北原 39歳で殺されたんですよね、
信田 40歳になったら止めたんだろうか。
北原 いつまでやるとか決めてたんですかね。
信田 目標額はあったんじゃないですかね。お勉強する場合もそうだけど、摂食障害の人は達成行動って決めちゃうともう一途にやるから。
上野 業績主義よね。
信田 うん、だから金額が達成されたら、彼女は止めたんじゃないかと思う。
上野 それにしても安売りしすぎていない? 価格の設定が低すぎる。業績主義的メンタリティがあるかもしれないけど、目の前の売り上げっていう短期的な業績主義で、本当の目標じゃないと思う。
信田 彼女の中で、目標がだんだん冷めていったんじゃない?
上野 そうかな、私は逆だと思うな。どう見たって不気味な女にでも、これくらいの値段なら払う男もいるだろうっていう、そういう自分に対する値踏みのような気がする。
北原 それにしたって、ひとり3000円は安すぎますよね。
信田 安すぎるよね。それで一晩で4人でしょう。
上野 留学したいとかはっきりした目標があったともあまり考えられない。業績主義ってほとんど身体化されたメンタリティにすぎないから、本当に目標があるかどうかもわからない。つまりどんなことに対しても短期目標で頑張ってしまう人だったんでしょう。
信田 なるほどね。
上野 かたや、佳苗にはセックスの快楽があったと思う?
信田 う―ん、どうかな。なかったんじゃないの。
北原 私は、佳苗は快楽があったから苦しかったのかなあと言う気がしているんです。虐待されても快楽は知っているとか、すごく苦しいじゃないかと言う気がします。
信田 その場合の快楽って、いわゆる性交渉による快楽というよりも、自慰行為でも得られる快楽ですよね。性というものに快楽を伴うってことはあると思うんだけど、いわゆる性的なサービスをする人って基本的に自分は快楽を感じないんじゃないですか。
北原 佳苗には快楽はあったと思うんですね。基本的に快楽に忠実な人だと思うんです。食べる物へのこだわりをみても。ブログには性的な感覚について事細かに記していましたし。
信田 本当のことをブログに書いていたんでしょうか。その辺も佳苗の、こうあるべきという理想の姿だったんじゃないの。
上野 「キミのような名器は初めてだと言われた」と書いたり証言していたりしたのも、全部虚構で作られた世界だったのかもね。
「援助交際」はどこから始まったのか
北原 東電OL以前、売春している女の人が殺される事件って、ここまで騒がれたことなんはなかったですよね。
信田 ないと思う。
上野 売春は大体において貧困と結びつけられてきたから。
北原 そうですよね。東電OLの事件が97年に起きて、ちょうど援助交際が流行語になっていて‥‥。
上野 その前までは「少女売春」と呼ばれていたのよ。それを、援助交際と呼ぶようになった。
北原 ちょうど私が中学生のときにダイヤルQ²(「1989年からNTTで開始された電話による情報提供サービス。アダルト情報などを提供する業者が数多く出現、未成年たちの間で使用されことが社会問題となった。2014年にサービス終了予定」)が出来たんですよ。援助交際システムの走りですよね。好奇心で友達と電話したことがありましたね。「電話をかけると男につながる」ということはわかっていたけど、そのときはまだ援交って言葉もないし、お金と自分の体を交換するなんて知らなかった。
上野 それって、せいぜい初回の話でしょ。初回は好奇心からするナイーブな体験かも知れないけれど、実際に会ってみれば男が金を渡してくるから、女の子は自分のセックスに価格が発生するってことを直ちに学習するじゃない。3万なんて渡されてしまえば、子どもにとってはすごい大金だしね。自分の体に金銭的な「価格」が発生するだって気づくよね。
北原 自分に価格が発生することには、なんとなく薄々気づいていたかもしれない。
信田 援助交際って言葉、誰が作ったんでしたっけ。
上野 誰が作ったんだろうねえ。うまい表現ですよ、最初聞いたとき、私も感心したもの。
北原 もし私が中高生の頃に援助交際って言葉があったら、すごくやりやすかっただろうなって思います。
上野 「援助交際」の語源は、宮台真司くんによればバブル期の女子大生で、それが低年齢化していったそうです。だから、最初の頃はちょうど佳苗と同じパターンで、「学業を続けるための学費を援助してください」というパターンで、生活援助というより学費援助の名目から始まっているわけ。バブルのずっと前にも、高学歴な女をカネで性的な対象物にしたい男が一定数はいて、セックスの市場に「女子大生愛人クラブ」とか言っちゃって女子大生が登場していた。
北原 女子大生が愛人バンク設立したかとかいって、すごく騒がれましたよね。
上野 そう、70年代後半ぐらいから、80年代の始めにかけて。吉行淳之介の小説「夕暮まで」(1978)にひっかけて「夕暮れ族」って呼ばれてた。宮台真司くんが面白いことを言っていましたね。援交っていうのは、バブル期にカネのかかる女子大生を相手にしていた本物のオヤジたちが去った後に、それを羨望していてできなかった次の世代のミニオヤジたちが主体だったと。だから90年代に援交をしていたピークの年代は驚くなかれ「オヤジ」と呼ばれながらもなんと30代の男性だったのよ。バブル期のオヤジよりも一世代若いミニオヤジが、もう一世代若いギャルに小遣いで相手にする構造だから、高級なフランス料理を食べなさせなくても、そのへんのファミリーレストランで喜ばせるというチープな「援助」ですんだ。そのことが、「援助交際」という言葉を普及させていった理由でもあるし、援助交際は必然的に大衆化、低年齢化していったわけ。
北原 なるほど。
上野 援交が一般化したもうひとつの要素が、昔からあった女子高生のたんなる「少女売春(うり)」の拡大。地方都市においては貧困や非行と直結してふつうに行われてきた少女売春のマーケットに、ブランド女子校に通う良家の子女までが「援交」と称して新しく参入してきた。それが世の中には衝撃だったし、同時に宮台くんの「あなたの妻や娘も売春しているかもしれない」っていう脅しがきいたわけ。
北原 地方には、「援交」の前に、「少女売春」が普通にあった。
上野 そう、10代の女が「うり」をやるっていう現象は、どこだってあったことだから、10代の自分に価格が発生するとき、どんな女でも知っていた。首都圏の10代と違って、地方の10代は、「少女」ってことに付加価値が発生しないから、価格が収斂(しゅうれん)するのよね。あの当時、地方では主婦売春も少女売春も価格が同じだったということを宮台くんは発見している。援交価格に主婦売春より付加価値がつくのは、首都圏という特殊事情だって。「少女」を「(使用可能であるにもかかわらず)使用を禁止された身体の持ち主」と定義したのは民俗学者の大塚英志くん。そういう「少女」は近代の産物。近代以前の地方では、10代の女子は最初から性の市場に参入してる。
信田 少女の方が主婦より高いわけじゃないんだ。
上野 そうなの。主婦も売春するし、機会さえあって家族にばれなきゃ、いたるところで誰だって売春する。ブランドバックを買ってもらって高いフランス料理を食べた後にホテルに行く女だって、売春しているようなものだしね。
信田 逆に言えば、女であれば買う男はいっぱいいるということか。
上野 そういうこと。それと日本には、少女売春に対する禁忌がないよね。宮台くんも言っていたけども、前近代の日本の男女は夜這いの世界で生きていたのよ。これまでタダでやってたのに、そこにカネが付いてくれば、女にとっては御の字ってわけよね。
北原 97年に東電OLが殺されたころの渋谷って、ルーズソックスをはいた女の子たちで溢れていて、あそこに立つと、日本のあらゆる女の子たちあらゆる街でも売春しているんだと実感させられたというか、そういう空気が確かにあったんですよ。
上野 あったね。
北原 あのとき、売春したことないって言い切れる女って、どのくらいいるのかなって考えちゃったんですよね。初めて会った男と自分を売り買いするっていうビジネスはしていなかったとしても、結婚を含めた男との関係のなかで、自分のセックスの価値と男の経済とを交換したことのない女なんていないんじゃないかって。
上野 まあ、そうよね。
北原 そういう意味で言うと、女性というのは、男とのかかわりにおいては自分の価値を売ることをずっと続けているんですよね。
上野 女性が売っているのは、性的価値ね。売り物になるのは性的価値だけで、他の価値は売れないから。
北原 そうです、性的価値を売り続けている。そして、この社会で生きていくだけで、常に満身創痍になっている。そういう女たちの状況がずっと続いている中で、東電OLや佳苗というのは、シンボルなんじゃないですか。変わらないシンボル。
上野 佳苗の場合は性的価値に加えて、男たちにケアの価値も売っていたわけね。
北原 ああ、そうですね。佳苗には新しい価値が登場しましたね。
する/ しないのわずかな差
上野 少女売春と援助交際の歴史に関わってくるのが、コミュニケーションテクノジーの革新なのよね。まずポケベル。それまで電話というのは、家族を経由するものだったけど、ポケベルは子供にダイレクトに外からの連絡がいく初めてのツールだった。コミュニケーションツールのテクノロジーの進化に伴って、個人化現象が起きたわけ。ポケベルが今度は携帯電話に変わり。ダイヤルQ²とか、テレホンクラブみたいなものがどんどんできて。少女たちはそこに簡単にアクセスすることが可能になっていった。
そういう背景もあって、北原さんが渋谷で感じた、「売春をしたことのない子なんてもういないんじゃないか」ということを実証した宮台真司くんの調査があるの。彼はそこでも、世間のものすごく憤慨を買ったんだけどね。援助交際を実際にやった子とやらない子を集めて、援助交際というものを知っているかと聞くと、ほとんどの子が知っていると答える。やってみたと思うかと訊ねると、かなりの子がイエスという。では、実際にやっているかやっていないかを分岐する要因はたったひとつなのよ。なんだと思う? 近くに援助交際をやっている知り合いがいて、ルートがあったかどうかだけだって言うのね。非行の場合と同じく、経路依存症が高いのよ。
仲間に誘われるかどうか、っていう偶然性のファクターだけが、その道に進むかどうかの分岐点になるということ。倫理的とか、あるいは親だとか学校だとかいうバリアで、援交を踏みとどめさせることはほとんどできないということを、宮台くんの調査は明らかにしちゃったわけよ。やるかやらないかは、ただ近くにそういう子たちがいて誘ってくれる機会があったかどうかだけ。アクセスがあるかないかだけが左右する。もともとのハードルが非常に低いから、ハードルを越す抵抗はほとんどないと。
信田 結局は、悪い仲間に近寄らないって単純なことが、一番の防止策なんですよね。
上野 そうそう。ところがそういう「悪い仲間」たちが、実は名門女子中高のクラスにも何人かいることがだんだんわかってきたわけね。
北原 「JKリフレ」も同じですよね。いま、女子高生のバイトとして内容が問題になっているリフレクソロジーのことで、男の人にマッサージしてあげたりお散歩一緒にしてあげたりするんです。
信田 添い寝もしてあげるんだっけ?
北原 そう、添い寝だけでセックスはなし。そのリフレやっている女の子たちに「なんでこのバイトに入ったんですか?」って聞くと、100パーセントの確率で「友達がやっていたから」って答えが返ってくるんですよ。そこは援助交際と変わらないところなんですね。
上野 そもそも抵抗ないし、敷居も高くない。
信田 ということは、誰かひとりを元締めにさせれば、友達がやっているからっていう理由で、10人ぐらいは簡単に集まるって事なんですよね。それってすごく薬物に手を染めるパターンと似ていますね。
上野 なるほど(笑)。
信田 薬物をやるかやらないかっていう分かれ目も、倫理観の有無ではなくて、誘う人が側にいるかいないかだけの違いなんですよ。「ちょっとやってみない?」って言われて、「ちょっとだけね」と入っていくわけです。経路依存症ですよね。
上野 そうだよね。それまで売春は貧困と結びついていたのに、その経路依存が非経済要因になってきたのがバブル期の特徴だったと言われている。ただマクロでみたら、売春と経済要因はすごく結びついていたとも言われている。宮台くんの発見のうちのひとつは、首都圏型援助交際と、地方都市型援助交際は違うってことの発見ね。さっきも話したけど、地方都市型援助交際は昔からの少女売春だから、もともと参入の障壁がきわめて低い。少女に対して付加価値が付かない売春だから、価格も低い。対して、首都圏では少女に対する付加価値が付くから、価格も高い。しかも、少女に加えて名門校のブランド価値が付くのよ。
北原 だから、そのブランド校の制服着てこなきゃだめなんですよね。
上野 援助交際相手の男から、「君も高校卒業だから、今度次の子を紹介してよ」って言われたって話もあったよね(笑)。
北原 AKB48みたい(笑)。
信田 本当ね(笑)。あれって、少女売春と同じだよね。
北原 援助交際もAKBも同じに見えるんですよ。日本って売春体質な国なんじゃないかって思います。
上野 少女のセクシャリティを商品化しているという点では、全くその通り。援交もAKBも同じよ。「ナマ」か「バーチャル」かだけの違いだもの。
北原 そうですよね。そういう社会にいると、自分を売っているつもりもないのに、店頭に並べられているような気持ちの悪さを感じるんです。
上野 まあ、そういう社会よねえ。
北原 え、そんな社会‥‥・なにか変えたいんですけど。
上野 男を全部撲滅すれば変わるんじゃないの(笑)。
北原 撲滅しか手がないんですか(笑)。
援交は思想化されたか
北原 90年代に援助交際をしていた佳苗の世代の人達は、今30代後半になっているんですよね。援交でセックスした彼女たちは今どうなっているんでしょうか。援交は彼女たち自身にどういう影響を与えたんでしょうか。
上野 私はね、援交している子たちの間から新しい表現者が登場することを期待してた、長い間ず―っと。
北原 彼女たちが、オヤジ社会の屋台骨を壊していったからですか?
上野 いえ、それだけじゃなくて、この言葉にならない経験から、いかなる方法であれ何らかの表現者が登場するのであろうということを期待していた。でも、私がしらないだけかもしれないけど、桜井亜美さんが小説で援助交際にいたる女子高校生を描いたくらいで、今のところ他の作品を見ていない。いずれ出るかもしれないけど。援交の経験が思想化されることを今でも期待しているんだけど、まだ出ていないって判断していいのか、今出ていなければこれからも出ないのか、わからない。
北原 沈黙している感じはしますよね。
上野 さっきも話した通り、援交すること自体に対する倫理観。社会的な障壁はきわめて低かったのね。にも拘らず、援交していることは「親バレ」だけはしちゃいけないって暗黙のルールがあった。でもね、子どもの知恵なんて大したことないから、親は娘が何をしているかぐらいはちゃんと知っていたのよ。買い与えたことのない高価なバッグを持っているとか、挙動が不審になったとかで、そんなもんなんかすぐわかるさ。わかっていても、タテマエ上は「親バレ」していないことにするんだよね。子どもが「お友だちの所へ行って受験勉強してたのよ」って言ったら、ウソがバレバレでも「ああ、そうなの」ということにしておく。ウソで固めた家庭だよね。だって、そんな親子関係ででき上がる前に、夫婦がウソで固めた仮面夫婦になっているわけだから、それも全部子どもは見抜いて援交やっているわけよ。少女たちは、そういう暗黙のルールの下で援交をやって、その後、一応はまともな社会生活の中に入っていったのよね。きっと結婚して出産もしているでしょう。そしてその後、彼女たちが主婦売春をやっているかどうかは明らかになってない。どんな夫婦関係をつくっているかかもわからない。将来、彼女たちが、「私は昔、援交少女だった」ということはあるんだろうか。とりあえず今、それをいう人はおらず、なかった事にされている。
信田 援助交際を思想化することは、援交の経験をカムアウトしなきゃいけないってことですかね。
上野 どんな形の思想化でも構わないですよ。
信田 援交の経験を一切言わないながらも、やっていた作家がいるかも知れないじゃないですか。
上野 やっていたかもしれない、じゃなくて、やっていたという経験が思想化されるような作品がある?
信田 私たちが気づかないだけで、思想化されているのかもしれないですよね。例えば角田光代さんでも誰でも良いんですが、その作家を一切書かなくても、小説は小説として成り立っていますよね。援交というのは、確かに社会から見たらスティグマ(社会的に差別を受ける烙印。)だから口には出さないかもしれないけど、そういう思春期を送ったことが今の作品に繋がっているとしたら?
上野 だから私は、そういう作品がありうるだろうと予測し、期待もしているが、それに該当するものを思い当たらないと言っているのよ。
信田 っていうことは、上野さんから見て、その世代の目ぼしい作品がないってことですか。
上野 わからない。私が無知なだけかもしれない。私、大衆文化に弱いのよ(笑)。
信田 でも、例えば男の作家に「俺さ~、ずっと風俗に通っていたんだよ」という経験があったとしても、それが作品に結晶化されていなくてもいいんですよね。西村賢太(「1997年生まれ。小説家。2010年発表の『苦役列車』で144回芥川賞。同作品では、日雇い仕事を続け、ソープランドに通いながら鬱々と日々を生きる19歳の若者の姿を描いた。」)が書いたけど、もうこれ以上書かれなくてもいいし。
上野 だけどそこには違いがあるよね。まずひとつは、その「風俗に通ってたんだよ~」は時代的な経験ではない。たとえば、「非正規雇用」という時代的な経験は、津村紀久子(「1978年生まれ。作家。契約社員として働く女性の日常を描いた『ポトスライムの船』で第140回芥川賞受賞。」)という作家の声を持ったわけね。やっぱり彼女自身のそういう経験が作品になっているんじゃないの。
信田 津村さんは、時代の声を聞いて書いたって思っているんですかね。
上野 いやいや、本人からしてみれば単なる個人的な経験でしょう。その個人的な経験を時代的な声として聴くのは、読者の私なのよ。援助交際に関して、読者の私にはそれが聞こえてこないわけ。
ふたつめには、男の買春経験は社会的なスティグマがものすごく低いから、援助交際した経験を持っている女のスティグマとは度合いが違う。自我に対する食い込み方が全然ちがう。「風俗に通っていたんだよ~」と「援助交際してたのよ~」とには、非対称性がある。「昔マックでアルバイトをしてたことがあります」と言うのと同じ調子で、「昔援交やってましたぁ」と口にできない。親バレは絶対にできず、自分の過去をカムアウトできないとか、そういう経験をした後に、それをなかったことにしない女たちの中から、何らかの表現が出てきても不思議はないだろうという期待ぐらい、持ってもいいでしょう? メモリの少ない私にしてはよく覚えてるんだけど、当時、斎藤学さん(「1941年生まれ。精神科医。家族機能研究所代表。主に、過食、拒食症、アルコール・薬物・ギャンブルなどの嗜癖問題に取り組んでいる」)が書いた『封印された叫び――心的外傷と記憶』1999年の書評に、私は「援交世代から新しい表現が登場したときに、その表現が登場したことに驚く感受性を自分が持っていよう」と書いたんだよね。それに当たるような驚きを、今まだに感じていないのよ。私が知らないだけなのか、あなたたちには思い当たるものがあるか聞いてみたい。
信田 性虐待を受けたという経験から生まれた文学は沢山ありますよね。そうなると、親族から性被害を受けたっていう経験と、援交をやっていたっていう経験とはどう違うんだろうね。どちらも受動的な性体験ですよね。
上野 そう、性虐待の体験を文学にした作家はいますね。内田春菊さんがだってそう。
信田 そのうちのひとりの佐藤亜有子さんがこの間亡くなりましたね。父親からの性虐待を描いた『花々の墓標』(2008)っていう小説は、さっき話に出た斎藤学さんもことさら取り上げていましたよね。
援交少女たちのその後
上野 表現方法は言語に限らず、パフォーマンスでもアートでも良いんだけどね。
北原 数年前に大ヒットした『小悪魔ageha』(「10代から20代のキャバクラ勤務女性を主な読者層としたファッション雑誌」)という雑誌があって、これってまさに援助交際世代から下の世代の女の子に向けた雑誌だなあと思ったんです。読んで見ると、夜の街を生き抜くためのサバイバル術はかいてあるけれど、セックス特集が一切ない。キャバクラ嬢たちが自分たちの生まれ年をちゃんと明かした上で、これまでどんな酷い目に遭ってきたかというような自分の病んだ歴史を語っている雑誌なんです。今はもう少し部数も落ちているだろうけど、一時期は、30万部も売れたそうです。
この「小悪魔ageha」は、中條寿子さんという78年生まれの、まさに援交世代の女性が立ち上げた雑誌なんですよ。私には、彼女がこの雑誌で「この世界を信じるな」というメッセージを出しているんじゃないかと、感じられるんです。キャバクラ嬢たちが仕事をしながら、男に「ば―か」って思っていることや、夜の男なんて誰も信じない方が良いよってことが書いてあるんですよ。この社会やオジサンたちに対しての嫌悪をすごく感じる。援助交際から思想が出ないんだとしたら、彼女たちはこの社会にはもう諦めていて、沈黙という形で表現しているんじゃないでしょうか。
上野 そんな姿勢で作っている雑誌なんだ。
北原 私にはそう読める、ということです。
上野 そうか、初めて知った。ということはつまり、援交世代が自分よりも後にキャバクラというマーケットに参入した若い世代に対して、サバイブしていこうというメッセージを送っているわけよね。
北原 彼女たちが一番崇めていたのが、浜崎あゆみだったんですよ。飯島愛が亡くなったときはもう、読者みんなで喪服を着て雑誌で追悼するような感じの雑誌だから。
上野 そういう共感のある形があるのだとしたら援交世代は、作品は生まなかったかもしれないけど、サブカルチャーを生んだということ?
信田 自助グループ的なつながりを生んだんじゃない?
北原 それもあると思う。それに私は、フェミ的な感覚の作家が出てきているように思います。松田青子さんの作品なんてとてもフェミっぽいし、柚木麻子さんにも根幹にフェミを感じます。ミソジニーに自覚的で、普通にフェミエッセンスのある作家は、これからももっと出て来るのではないでしょうか。
あと、援交世代より下の20代の女の子たちと接していると、世間と自分のバランスを取らなきゃいけない、とか、男とうまくやらなきゃいけない、みたいなひと昔前の女の人たちのようなことを言う子にだんだん出会わなくなってきている気がするんです。それよりも、男はもう私たちとは違う生き物だから割り切って、ハナから信用とか期待とかしないっていう感じというか。そういう姿勢に静かな怒りや絶望を感じるんです。
上野 その絶望は、彼女たちのどういう経験から来ているの?
北原 具体的にどんな経験からなのかはわからないんですけど。
信田 集積じゃないの?
北原 ああ、集積か。小さいことが積もり積もって絶望に至ったんですね。おじさんと喋っても、付き合っている男が隣にいても、男には期待できないってわかっちゃうというか。そんな人たちがわりと増えたんじゃないですか。
上野 そんな子たちでも婚活するのかしら。
北原 どうでしょうか。いま、一番熱心に婚活しているのは、ひとつ上の30代ですから。
信田 そうだよね。婚活するのって、実は経済力のある女なんだよね。
上野 経済力あるのに、なんで婚活するの?
信田 ある種のゲームなんじゃないの?
北原 社会の中で、既婚者という立場にちゃんと片足突っ込んでおかないといけない、という思いなんじゃないですか。その立場を得るために、結婚という状況を作りたいという事ですよね。
上野 男に期待しない20代の女の子たちは、今後どうするの。シングルで生きていくの?
北原 どうなってくるのかなって、思いますよね。どうなってくんですかね。
上野 知りたいね。
北原 じゃあ上野さん、長生きしてください(笑)。
上野 長生きしなきゃね(笑)。
女の新しいサバイバルテクニック
信田 男に期待しない女たちは、お金を稼ぐ男がいたらどうするんでしょうか。経済力としてだけ利用できるんでしょうか。
北原 う―ん、基本的には男の経済力すら、もう期待していない世代ですから。少なくとも同世代の男には期待していないでしょう。
上野 経済的にリッチな男を狙えば、期待しないで利用するということもできるんじゃない?
北原 どうなっていくんだろう。たまたまいま、ラブピースクラブで働いている女性の9割が20代なんですよ。フェミズムのフェの字も知らない子たちが、「日本人と結婚したくない」って言っている。別に、私の影響じゃないですよ(笑)。日本人と結婚したくないけど、子ども産みたいといって、ひとりはインド人と結婚して、ひとりはシングルで体外受精したんです。「みんなすごいね」って言っても、「え、そうですか?」って感じで軽やかっていうか、軽いの(笑)。日本の女が男とどういう関係で付き合っていけばいいのか、なんて悩んでた歴史とか時間とか、すごくもったいなかったなって思ったんですよね。援交世代が残した空気は少なくとも、20代の子たちの新しい生き方を作っているのかもしれない。
上野 ねえ、その体外受精してシングルマザーになる女の子って、バックに母親が付いているの?
北原 家族はもちろんいますけど、お父さんがメキシコ人とか、そういういろんな国籍が混じっている子だから、ちょっと特別であるんです。
信田 日本人に拘泥していなんだ。
上野 多国籍化していますよ。インド人と結婚した子は、夫が日本の工場のラインで働いているんです、そしたら、旦那を通じて日本の男がどんなに酷いかわかっていくから、「どんどん日本が嫌いになっていく」って言っていました。その工場の日本人は、アジア人の従業員には「日本が世界で一番だ!」って無駄に威張るんですって。
上野 さもありなん、ね。
北原 上野さんは前に、女たちとネットワークを作ってきたからそこに期待できるし、絶望しないっておっしゃった。私も20代の女の子たちを見ているから、絶望しなくて良いんだって思っているんですよ。そう思うんだけど、今この瞬間の空気は絶望しているし、男への苛立ちが年々高まって、どうしたらいいのっていう感じで。
上野 私も今や、サバイバルテクニックとしての女子会モードなんだけどね。そういう女子会モードでいると、男に苛立つ率もどんどん高まるんだよね(笑)。
北原 そうなんですよ、それが全体的な社会の空気になっていませんかね。
上野 男がいなくても全然オッケーみたいな空気は生まれるかもね。
信田 女が男性を援助して交際するっていう、「逆援」っていうのもあるみたいだけど。
北原 スパムメールって、昔は「桜子ですう、一日3万とか泊まらせて」みたいな内容のものが多かったけど、最近は男向けのメールに変わっていて、「マダムと付き合いたい人」とか「お金持ちの女とセックスしてこんなに稼げる!」とかって内容が増えましたよね。
上野 あれに引っ掛かる人っているの?
北原 あれに引っ掛かる男はいるらしいです。ここに登録すれば金持ちの女に会えると思ってお金を払ちゃう。
上野 女は引っ掛からないでしょう?
北原 引っ掛からないですよ! ネットで「俺の援交をしてください」なんていう男に、女は金を出さないですよ。
上野 そうよね。
90年代とは何だったのか
北原 結局、東電OLから佳苗まで、90年代の女とは何だったんでしょうか。フェミニズムがすごく盛り上がった90年代前半からこれまで‥‥。
上野 ちょっと待った。フェミニズムが? 盛り上がっていないよ。それはあなたのマイブームよ。オンリー・ユア・ブーム。
北原 そうですよね、すみません。
上野 だって、フェミニズムで世の中の何が変わった?
北原 そうなんです、何も変わっていないよと私も思うんですよ。私は自分の仕事を97年に始めたときに、これから女の人は自由になるんだ! と本当に思っていたんです。そして自分がこの仕事をすることで、セックスとか自分の快楽とか欲望とかを、もっと語れるようになって、どんどん開いていくんだろうと思っていました。80年代後半から90年代前半には、上野さんの本が「女の人に自由になって欲しい。自由になっても良いんだよ」と背中を押してくれる空気があったと思うんですよ。
上野 うん、80年代にはその空気があったと思うし、バブルの余韻がある頃まではかろうじて残っていたかもしれない。
北原 そうか、バブルが関係していますね。確かに、97年に山一証券倒産で完全にバブルの余熱も消え、援助交際って言葉が流行語になった辺りから、女の子のセックスもおかしくなっているなって感じてきたんです。私はずっと、自分より年下の女の子たちにバイブを売っていくんだと思ったんですね。これからは自由なあなたたちの時代だよ! って気持ちで。でも実際は、ずっとこの15年間、40代から50代の、自分と同世代かちょっと上の世代に売っているような感覚なんですよ。私たちもっと自由になって良いよね? って思っているのは、ずっとアラフォー以上であって、いまの20代にとっては自由が一番の価値じゃなくなっている気がするんです。そけで、何が起きているんだろうと考えたら、90年代頭に東電OLと佳苗が渋谷の街に立っている姿が頭に浮かぶんですよ。90年代の10年間に女の人はどう変わったんでしょうか? 2001年からフェミニズム的にも結構つらい時期だったんじゃないですか。
上野 2000年代はフェミニズムにとって悪夢でしたね。悪夢のA級戦犯は、下痢の安部ちゃんよね。安部ちゃんが今度政権に復帰したら、また悪夢の時代が復活してしまうわ。
北原 そうですよね。私、今とても怖いです。
上野 私もとてもとても怖いです。
北原 この空気の中にどんどん飲み込まれていって、声を発しても消されてしまう感じが怖いんですよね。女性はみんな苛立ってて、男に怒っている女の人も実際にはすごく多いのに、なんだか声をあげにくいみたいな雰囲気が出てきましたよね。今後、この日本はどうなっちゃうの? ってとっても怖い。だから、佳苗以外にも、上田美由紀や角田美代子になんなく惹かれるんですよね。
上野 では、他の毒婦について語りましょうか。
つづく
第二部
女はケアで男を殺す
支配する女――角田美代子