勃起不全の患者では、器質的もしくは精神的な要因などにより、陰茎に十分量の血液が流入せず、勃起状態にならないことが知られている。バイアグラは、ホスホジェステラーゼ-5という酵素の働きを抑えて、海綿体の平滑筋を弛緩させる働きを持っている。そうなることで、海綿体への血液量が増加するので勃起が起こりやすくなるのだ。また、勃起時間が延長するという作用もある。

  本表紙 香山リカ著から

イラスト更年期よる性交痛・性機能不全・中折れ・性戯下手によるセックスレスは当サイト製品で解決

病気の治療ではなく、人生の質の向上のために薬(バイアグラ)を医者が処方する時代

 知人の薬理学者は、「バイアグラの登場が薬の世界を一変させた」と語っていた。
 周知のようにバイアグラは、米国ファイザー研究所で合成開発された男性用性機能障害治療薬である。一九九八年にEUで販売が許可され、日本で九九年には厚労省が認可している。

 いわゆる勃起不全の患者では、器質的もしくは精神的な要因などにより、陰茎に十分量の血液が流入せず、勃起状態にならないことが知られている。バイアグラは、ホスホジェステラーゼ-5という酵素の働きを抑えて、海綿体の平滑筋を弛緩させる働きを持っている。そうなることで、海綿体への血液量が増加するので勃起が起こりやすくなるのだ。また、勃起時間が延長するという作用もある。

 もちろんこれまでも「精力剤」などとうたったクスリはたくさんあったが、いずれも医学的に効果が実証されたわけではなかった。また、それらは医師の処方箋が必要な薬ではなく、サプリメントと同じ扱いを受けて販売されるものであった。それに比べると、バイアグラはその薬理学的な作用も処方され方も、これまでの精力剤とはまったく違う”ちゃんとした薬”だと言える。

 しかしこれまで、少なくとも医師による処方箋が必要な薬のすべては、疾患や症状を治すためのいわゆる治療薬であった。細菌を殺す抗生物質、胃潰瘍を治すH2ブロッカー、うつ症状を改善する抗うつ薬などである。

 ところが、バイアグラはすべてが治療的な目的で使われるわけでなく、中には性的機能にはそれほど問題はないのに、さらに持続力を高めたい、という目的で使用しようとする人もいる。加齢によって衰えた性的機能をもう一度、高めたい、という”回春剤”的な目的で求めている人もいる。

 歓楽街の近くの診療所で働く知人の医師が、言っていたことがある。
「夜が近づくと、七〇代、八〇代の高齢男性がバイアグラを求めてやってくるんだよ。性機能不全という保険病名をつけて処方するためにいろいろ検査なんかもしなければならないんだけど、彼らのほとんどは自費診療扱いでけっこうです、と言うんだ。だからこちらもそれ以上、機能不全の程度だとか使用の目的とはきかずに、『心臓発作の持病はありませんか?』とだけ確認して出している。ニトログリセリンなんかを服用している場合には、バイアグラは使えないからね。この人たちはきっと、これから愛人のマンションか風俗店にでも行こうとしているんだろうね。」

 ちなみにこの診療所では、自費扱いの時はバイアグラを一錠一、八〇〇円で販売しているという。

 病気の治療のためではなく、人生の質の向上のために使われる薬を医者が処方する、ということは、これまでほとんどなかった。もちろん、「ちょっと大きな会議があるんで、元気を出したいからビタミン剤打ってくださいよ」などと言って病院にやってくる人もおり、医者の中には患者の要求になるべく従って点滴、注射もする、というタイプもいないではない。しかし、多くの医者はこれまで「点滴は脱水症状が明らかなときに、ビタミンの注射はビタミン欠乏症が明かなときにしかできません」とその要求を拒んできた。

 ところが、バイアグラの登場により、「医者は病人を治療するもの、薬は病気を治すためのもの」という前提そのものが大きく崩れた。先ほどの知人の医者も、いわゆる昔気質のタイプであったため、「欲しいと言われればバイアグラを出すけれど、診察もそこそこに目的も聞かずにこんな高い薬だけハイ、と渡してもいいんだろうか。しかも、不倫の片棒をかついでいるのかもしれないし」と空しくなることがある、と語っていた。

「性のことは医療の場では聞かない、語られない」

 さらに、バイアグラは、「性的機能」という身体的な問題と心理的な問題が交差したところにあるものを対象にした薬、というのも、ある意味で象徴的だ。これまでEDは心理的な側面からアプローチされることが多かったのだが、カプセルをたった一錠、服薬するだけで、何十時間ものカウンセリングが不要になったのだ。バイアグラの登場により、性の問題に関心を寄せていた医者たちは、「そうか、セックスの悩みの多くは性機能障害であり、よい治療薬や治療法ができれば一瞬で解決することなのだ」と認識したのではないだろうか。

 このようにしてますます、「性のことは医療の場ではきかない、語られない」か、「語るとしても機能的レベルで」という傾向に拍車がかかっているのだろう。

 最近は、日本で認可されていない薬の輸入販売サイトで、「女性用バイアグラ」なるものもさかんに販売されている。中でももっとも知られている「アブリミル」という薬の効能にはこうある。

「性欲を高めるのを助け、女性の自然のホルモンバランスを回復することができ、潤滑、またはオルガスムを求めている女性のために開発されました。更年期または出産によるホルモンの変動を経験した女性にも有効です。女性の気分を高め、今まで経験したことのないようなよりよい絶頂感(オルガスム)を得ることでしょう。」

 このアブリミルは、科学的な医薬品というよりはハーブで作られたサプリメントのようなのだが、今後はバイアグラのように薬理学にその作用がはっきり証明される女性用の性機能改善剤も発売されるのではないか。もちろん女性の場合、「性機能不全」のメカニズムが男性の勃起不全のようにはっきりしているわけでないので何をどう治療するか、的を絞るのが難しいかもしれないが、そのメカニズムじたい早晩、産婦人科や内分泌科的な研究で明らかにされることになるだろう。

しかし、男性も女性もはたして「薬一錠」で本当にセックスに関る問題がきれいさっぱり解決して、ハッピーな生活を送れるようになるのであろうか。
 バイアグラの注意書きにも、こんな一文が記されている。
「性的欲求や性的衝動そのものを高めさせる作用はないこと」
 あっさり書かれているが、実はこれがもっとも難しいはずだ。また、その性的欲求や衝動が、たとえば、「若い女性には正常に起こるが、妻には起きない」といった場合は、どうすればいいのか。

 やはりセックスをめぐる問題は、バイアグラ一錠だけではとても解決しそうにない。しかし先ほど述べたように、フロイトの時代から一〇〇年以上を経た現代の精神科医たちは、深読みのレベルでも、あまり「性」を重要視しなくなっている。

キム・ミョンガン氏の試み、セックスレスキュー

 ここまで、主に精神科医の臨床現場で語られる”性の悩み”について考えてきた。
 とくにわたしが強調したかったのは、さまざまな恋愛セックスの問題で悩んでいるのは若い人たちばかりではないということ、それどころかとくにすでに結婚している人やシニア以降の人たちは、「自分がセックスの事で悩んでいるなんて」と悩む、という二重の苦しみを抱えている、ということだ。

 しかも、そういう人たちの悩みを聞き、解決に導いてくれる場所はほとんどない。その多くは雑誌で「熟年からでも豊かな性を」といった特集を見ては「やっぱり私はダメなんだ」と落ち込み、「こんなに多いセックスレス」といった特集を見ては「他にもたくさん同じ人がいるんだ」とほっとする。いずれにしても、メディアの情報を見てはひとりそっと一喜一憂しているだけで、現実的な解決にはなかなか至らない。

 早い時期から「セクソロジー(性科学)」の必要性をうたい、雑誌やラジオなどで相談に応じてきたキム・ミョンガン氏も、自ら主宰する性に関するカウンセリングルーム「せい」のホームページでこう実情を憂う。

 メンタルな面でEDになった場合は心療内科や精神科へ行くべきなのですが、現状ではほとんどの心療内科や精神科医はそういった悩みの相談に乗っていただけないのが実情です。
 ましてや、女性のセックスレスの悩みを聞いて下さる医師は全くと言っていいほどおりません。

 主にこの「せい」の活動を紹介する本が二〇〇六年に発刊され、大きな話題を呼んだ。
 大橋希氏の『セックスレスレスキー』(新潮社)である。著書は、セックスの問題に関心をもち、本書を書こうとしたきっかけをこう語っている。

 ある女性の言葉が忘れられなかった。
 視線を落とし、自嘲気味なため息をふっともらすと、彼女は静かにこう言った。自分がだんだん死んでいくみたいで。高いところから突き落としてくれって、夫に言ったこともありました。彼は、「殺人になるからいやだよ」と言っていましたけど、同じことですよね――。

 彼女を苦しめているのは、夫がセックスをしてくれない事。性の喜びにつながるはずのセックスが、裏を返せば人を「殺す」武器にもなりうるということか。

 しかしこの女性もまた、「もう子どももいるのに、セックスがないからといって『死んでいくみたい』と考える自分のほうがおかしいのか」と自分を責め、恥じている。もちろん、「せい」の存在を知るまで、そんな問題を誰にも語ったことはなかった。再び大橋氏の言葉を引こう。

 語られないことで、何も問題はないかのように日常は過ぎていく。しかし、いちばん親密なはずの異性と肉体的な触れ合いがないことを寂しく思いながら、誰にも相談できずひとりで傷つき、「生きていてもしかたがない」と思い詰めるほど悩む人々は確実にいる。

 そして、この「せい」がきわめてユニークなとこは、悩む男女からセックスの相談を受けて、話を聞いて慰めの言葉などを伝えてそれでおしまい、というわけにではないことだ。
 キム氏は、夫とのセックスレスに悩む女性、セックス経験がないことで傷つく女性に、「セックス奉仕隊(注・現在は「せい奉仕隊」と改名)」というボランティアの話をし、希望者には仲介を行う。

 奉仕隊のメンバーは、謝礼などなしで希望者の女性と実際のセックスを行う。
 夫や恋人以外の見知らぬ男性と恋愛感情のないセックスを? それって結局、風俗とかモラル違反とかじゃないの? お金もなくいろいろな女性とセックスできる奉仕隊の男性だけが、得をしているだけじゃないの? でも、長いこと誰かのぬくもりを感じることもなく、人間としての自尊心を失いかけている女性にとっては、強く抱きしめられ、欲せられることで何がしかの満足感や充足感は得られるのかもしれない…。

 医者として、自分にできることは

 この奉仕隊の存在を知った人は、誰もが複雑な気持ちになるだろう。私自身もそうだった。私はこの本が発表された当時、雑誌『波』(二〇〇六年二月号・新潮社)に書評を依頼されたのだが、内容を知って「これは精神科医として認めがたい」と一度は断ろうと思い、その後、思い直して結局引き受けた。そしてかなり苦しんだあげく、なんと次のような文章を書いた。少し長くなるが、その後、私が臨床の場でセックスについて積極的に考え、本書をまとめるきっかけともなった文章なので、引用しよう。

 この本の中心的な登場人物であるキム・ミョンガン氏の活動には、かねてから興味を持っていた。なぜなら、彼が取り組むセックスの問題、とりわけ本書で扱われる夫婦間のセックスレスの問題は、精神医療の場でもいま大きなテーマになっているにもかかわらず、誰もがうまく扱いかねているからだ。

 考えてみれば、これは不思議なことだ。精神分析学の祖であるフロイトは、自らの理論の中核に「性」を置いた。精神分析学に崇高なものを期待してフロイトを読み始めた若い女性の中で「性欲」「男根」「性感帯」といった単語が羅列しているのに辟易し、もっとファンタジックなユング理論に逃げ込む人は少なくない。

 それにもかかわらず、私を含めて現代の精神科医たちはセックスの問題を取り上げ、話し合うのが苦手だ。クライアント自らが「夫とはずっと寝室が別なんです」と水を向けてくれても、「でもセックスもずっとないのですか」となかなか切り出せない。おそらくこれは私の精神科医としての資質の問題だけではなく、精神医療の構造的な問題なのだろう。つまり、精神科医は「呪術」や「催眠術」から近代的な医学に”昇格”するときに、あわててこのセックスの問題を切り離してきてしまったのだ。

 そんな中、日本ではめずらしい性科学の研究者としてマスコミにもしばしば登場していたキム・ミョンガン氏は、二〇〇〇年、性に関する悩みの相談所「せい」を独力でオープンした。中でも「夫がセックスしてくれない、したがらない」という女性からのセックスレスの相談に対して、ミョンガン氏の回答は明瞭。「したい? それなら相手を紹介できるよ」なんとミョンガン氏は、長らくセックスの関係を持たず、「私に魅力がないから?」と女性として人間として自信を失いかけている女性たちに、「リハビリのためのセックス」をすすめるのだ。相手を務めるのは、「せい」の事務所の面接などであらかじめ選ばれたセックス奉仕隊と呼ばれる男性たちだ。

「男は愛情がない相手とでも性欲だけでセックスできるが、女にはそれができない」ということばが、まるで定説のようによく言われる。それに従えば、女性が全く面識のない男性とのセックスを受け入れるなどというのは不可能な気もする。「夫のある身なのに」と倫理的な問題に苦しむ人もいるだろう。しかし、ミョンガン氏は「これはリハビリのためにもとにかくしたほうがいい」とあくまで明るく女性たちの背中を押すのだ。

 本書には、実際に奉仕隊のセックスを経験した女性たちのインタビューも載っている。やはり女性側は、数回のセックスで「癒されました!」とはならないようで、最悪感に苦しんだり「心の交流は得られなかった」と落ち込んだり、奉仕隊の男性に恋愛感情を抱いてしまう人も少なくないようだ。「抱いてほしいのはやっぱり夫なんだ」と気づく人もいる。とはいえ、いずれにしても女性たちは、セックスレスの苦しみを理解されたこと、とりあえずの一歩を踏み出せたことに、なにかしらの満足と感謝の気持ちを抱いている。

 それにしても、そこまでしなければ「誰か助けてほしい」「私は人にこうされたかったんだ」と気づくことさえできないほど、女性たちの心を抑圧しているのは何なんだろう。また、その硬直した心を、なぜミョンガン氏は解放することができるのだろう。その答えは、在日韓国人として家庭内の激しい男女差別を経験したのが、女性の問題、性の問題に関心を持つきっかけになった。などミョンガン氏自身の経歴について記された部分にありそうだ。とくにマンガ家の槇村さとる氏とのユニークな生活は、「お互いを尊重した上で男と女が愛し合うこと」という結婚の定義を改めて思い起こさせてくれる。

 それでも、女性のための性の奉仕隊、セックスレスキューに眉をひそめる人はいるだろう。ただ、誰かに抱きしめられることさえなく、どんどん自分を肯定できなくなっている女性たちが存在することは、多くの人に知ってもらいたい。私もこれからは、診察場面で勇気を出してセックスの話題を取り上げることにしよう。医療者として奉仕隊を紹介するわけにいかないが、それに代わってできることが、私にもきっとあるはずだから。

 しかし、いまこの文章を改めて読み直し、私は自分の無力さに恥じ入るばかりだ。「奉仕隊ではなく、医療者だからできることがあるはず」と言いながら、結局はまだ何も解決策を見いだしてはいない。何とかできているのは、診療の場で性の話題を避けないようにして、時によってはこちらから積極的に尋ねるようにする、というだけだ。その点では、「セックスレスの女性は、とにかく誰かとセックスしてまず自己肯定感を高めることから始めるべきだ」という確信を持って、奉仕隊を組織しているキム氏の決断力、行動力にはとてもかなわない。同時に、「何か新しいことを始めるには十分な実証が得られてから」というEBM主義にあまりにも偏り過ぎており、なかなか画期的な治療法には手が出せず、「いま助けてほしい」という人に手を差し伸べられない今の医療の限界を思い知らせられる。

 少子化も性感染症の広がりも基本的にはセックスの問題であるはずなのに、なぜか本質からは目をそらそうとする医療の世界。また、教育の世界でも最近になって「行き過ぎた性教育は性の低年齢化をすすめる」という声が上がり、性教育を控えようとする動きもある。

 フロイトは重要なテーマをあえて見て見ぬふりをする人間の心のメカニズムを「否認」と呼んだ。「否認」されるのは、たいていの場合、その人のトラウマに関係した問題である。そう考えると、医療や教育の世界にとって、セックスは何かのトラウマになっているのだろうか。だとするならば、まず医療者や教育者が精神分析を受け、この「セックスとトラウマ」を克服する必要がありそうだ。

 もちろん私自身も自分の中のセックスの問題としっかり向き合い、きちんと答えを出している、とはとても言い難い。この本の中で「私自身はどうなのか」ということを詳しく語っていない、というのが、私がこの問題を克服していないということの証拠だろう。

 その点についてはまたいずれきちんと考える事にして、とりあえずは私なりに診察室でそこを訪れる人たちに語り掛けよう。

――セックスの問題で、何かがお悩みの事はありませんか。パートナーとの関係はいかがですか。ちょっと話しにくいかもしれませんが、あなたの心の問題を考えるには切り捨てられない問題なので、ここでいっしょに考えてみませんか。
 香山リカ 二〇〇八年三月二五日初版第一刷発行 

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