香山リカ著から
四二歳女性教師が、一六歳の元教え子と逃避行
二〇〇七年九月、ひとつの事件が世間の注目を集めた。
佐賀市立中学の四二歳の女性教師が、一六歳の元教え子の男子高校生と「みだらな行為」を行ったとして、県青少年健全育成条例違反で逮捕されたのだ。
報道によると、この女性教師は九月二〇日の午後に体調不良を理由に早退し、それ以降、自宅に戻らず、学校も欠勤し続けたため、妻を心配した教師の夫が同二五日に佐賀県警に捜索願いを提出。その翌日、交通検問で男子高校生を乗せて運転中の教師が発見された。
教師は唐津市のホテルでこの男子学生にみだらな行為をしたことを認めたため、県青少年健全育成条例違反で逮捕されたのだ。
調べに対して教師は、ふたりの関係は少年が中学三年生だった〇七年三月から続いており、そのあいだに金銭的な授受も無かった、と述べている。
週刊誌や夕刊紙はこの話題に飛びつき、「中学女子教論 禁断の有給 元教え子とH 「元教え子の高校生と湯布院へ逃避行」といった見出しで繰り返し報じた。一〇年近く前に放映された女子教師と男子生徒の愛を描いたドラマ『魔女の条件』(TBS系列・一九九九年四~六月放映)との類似点を指摘するマスコミもあった。
なんといっても世間が注目したのは、ふたりが「教師と生徒」であったからであるが、これが「男性教師と女子生徒」であればまた話が違ったであろう。
一九九三年に放映された野島伸司脚本のドラマ『高校教師』(TBS系列・一九九三年一~三月放映)は、三二歳の男性教師と一六歳の女子生徒の愛を描いたものだったが、それでもふたりの関係は「禁断の愛」と言われた。
教師と生徒となると、いくらそれが「自由な恋愛」と主張してもそこには力関係が存在している。性的なことに限らず、成績を付ける権利を持っている教師に誘われると、たとえ気が進まなくても簡単には断れない、という学生や生徒もいる。
とはいえ実際には、その力関係の差を乗り越えて、恋愛を成就させる男性教授、教師と女性学生、生徒も少なくない。高校や大学の同窓会に行くと、「あのときの先生と結婚した」という女性が必ずといってよいほど学年にはひとりやふたり、いるものだ。
さらに今回の場合、注目度が高かったのは、なんと言っても、「教師が女性、生徒が男性」と、これまでのパターンとは逆だったことが大きかっただろう。
少年が年上の女性に憧れる、という設定の作品は、ツルゲーネフの『初恋』からアダルトビデオまでいくらでも存在する。ただ、多くの作品ではその憧れは実らず、少年の心に「甘く苦い思い出」として残る、ということになっている。この事件は、その少年たちの空想や幻想が現実のものになったわけだ。
しかし、見た目が若い女性も見た目が大人っぽい少年も増えた今、女性がかなり年上のカップルは、珍しくなくなっている。
四二歳の小泉今日子も三七歳の永作博美も、二〇歳前後、年下の男性と噂になった。先日、インテリアデザイナーと結婚した大地真央も、相手は一二歳年下であった。
芸能界の主な年の離れた”姉さん女房”
河合美智子(女優) 39☆25 A(ディレクター)
秋本奈緒美 44☆29 原田篤(俳優)
大地真央(女優) 51☆39 森田恭通(インテリアデザイナー)
渡辺えり(女優) 52☆40 土屋良太(俳優)
内海桂子(漫才師) 84☆60 成田常也(マネジャー)
藤間 紫(女優) 84☆67 市川猿之助(歌舞伎役者)
そう考えれば、四二歳の女性教師と一六歳の高校生の年齢差は二六歳であるから、まったくあり得ないこととは言えないだろう。
そして今回の事件で興味深かったのは、世間の反応である。「自分の息子が高校の先生と、というのは困るけど、私が年下の青年と、というのなら考えられる」といった意見も、三〇代、四〇代の主婦を中心に見られたのだ。次にそのいくつかを紹介しよう。
四〇代後半の女性と二五歳美容師との性愛
これは知人から聞いた話なのだが、その人の友人である離婚したばかりの四〇代後半の女性が、雰囲気を変えようと思いたち、美容室に行くことにした。誰が見ても三〇代、というその女性を担当してくれたのは、おとなしくまじめそうな三〇代前半の青年美容師だった。カットも上手ででき上がりに予想以上に満足した彼女は、「これからあなたを指名させてもらいます」と、月に一~二回のペースで足繁くその美容室に通うようになった。
何回も通ううちに、女性と青年美容師は次第に雑談などもするようになってきた。あるとき彼が「美容師ってけっこう体力を使うんで、仕事が終わるとお腹がペコペコなんですよ」と話したので、女性が軽い気持ちで「あなたのおかげでステキな髪型に変身できたし、今度、ゴハンでも驕るわよ」と言ったところ、「じゃ、今日いいですか?」という話になったのだという。
そして、彼の仕事が終わるのを待っていっしょに食事に出かけて話したところ、なんと彼はまだ二五歳であることが分かった。「僕、老けて見られるんですよね」と言っていたが、女性とは二二歳の年齢差。「私‥‥あなたのお母さまより年上かもしれない」と言ったが、青年は「あ、そうなんですか」とまったく意に介していない口ぶりで、それ以上、「何年生まれ?」と正確な年齢を聞いてくることもなかった。
食事して地下鉄の駅まで行き、女性が「じゃ、またお店でね」と手を振ろうとすると、青年は「えー、また会ってくれないんですか。メールアドレスだけでも教えてくださいよ」と言った。女性が少し困惑しながらも言われるままにアドレスを教えると、その晩から、「本当に楽しかった」「よかったらまた会って」といった熱いメールが来るようになったのだという。
そこまで聞いたとき、私は知人に「まあ、年齢がいくら違っても、食事くらい行ってもいいんじゃないんですか」と言った。そうしたら知人は、「もちろん私だってそうオモウワ。彼女も離婚して落ち込んでいたし、”気分転換に若い子と話すのもいいんじゃない”なんて言っていたのよ。そうしたら‥‥。」
知人はその女性から「美容師の彼とたまに会っているの」という話を聞いていたのだが、それ以上の展開についてはあえて追及しようとはしなかった。あるとき、その女性も含めて何人かで食事をしたところ、午後一〇時を回ったころ、彼女が何となくソワソワし始めた。知人が声をひそめて「どうしたの? 体調でも悪い?」ときくと、こんな答えが返ってきたのだ。「実は‥‥あの美容院の彼と一緒に暮らしているの。もうお店から戻ってくる頃だから、そろそろ帰らなきゃ。」
「メールが来た」と聞いてから、まだ二カ月もたっていないはずだった。知人は卒倒しそうになったが、それでも「いや、親子のように単に面倒を見ているだけかも」と自分に言い聞かせていた。
しかし、それから「もう知られちゃったし」と、その女性から頻繫にメールが届くようになり、その内容が読むのも恥ずかしくなるようなものだったのだという。「いっしょに長く風呂場にいすぎて、指がふにゃふにゃになりそうなの」「昨日は彼もお休みで、一歩もベッドから出してくれないの。向こうは若いからいいけど、こっちはたいへん」といったメールを読まされながら、知人は「男と女、何があってもそれは本人たちの勝手だけれど、彼女はこれまでずっと園芸好きの真面目な主婦だったのに、いったいどうしちゃったのだろう」とあきれるしかなかったのだという。
「今の男の子は、あまり年齢差を気にしていないみたいね。でも、それにしても二二歳も年下の人とどんな話をしているのかしら。あまりのジェネレーションギャップに、かえってお互い、新鮮なのかもしれないけれど‥‥。」
自分が愛するに値する人であれば、年齢は関係ない
そして、その話が次第に知人の周辺で広まると、同世代の主婦仲間の多くは嫌悪感を示すどころか、「いいわね」「私にも一度でいいから、そういうチャンスはないかしら」と羨ましがった。それも知人には、驚きだったのだという。もしかすると、今や主婦の間からも「婚外恋愛は不潔」といった価値観は消え、同時に年下男性との交際に対する抵抗もなくなりつつあるのかもしれない。
おそらくその価値観の変化に大きな影響を与えたもののひとつが、いわゆる”韓流ブーム”であろう。あのとき多くの四〇代以上の女性たちは、まだ二〇代、三〇代の若者を自分が好きになることができる、ということを確認したのだと思う。あのブームのとき、「異性として好きというわけじゃなくて、本当に礼儀正しい人だと思って」「あんな息子がいればな、ということです」などと言い訳していた女性もいたが、それなら男性俳優だけではなく女優たちももっと人気を集めてもよかったはずだ。
明らかにそれは、「新庄選手ってカッコいいわね」といった単純なファン心理とは違っていたと思う。想像の中で、ヨン様と向き合って恋を囁き合っていた人も少なくないだろう。「相手が自分が愛するに値する人であれば、年齢は関係ない」ということに、女性たちは気づいてしまったのだ。同時に、その雰囲気は韓流ブームにハマっていない女性たちにも緩やかに広がっていったのではないか。
また男性たちの側も、とくに一〇代、二〇代の若い世代では、先の女性の例にもあったように、相手の年齢や自分との年齢差にはあまりこだわりを持たなくなっているようだ。
「母親より年上」といった比較にも、それほどの意味を感じない。母親が四七歳であることと、目の前のステキな女性が四八歳であることには何の関係もない、と考えるのだろう。他人からどう見られているか、にもあまり関心がないようだし、「おまえの彼女、何歳?どこの会社?」などと詮索することも少ない。よく言えば個人主義が徹底しているのだが、裏を返せば「自分の事で精一杯」ということかも知れない。
このように年上女性とかなり年下男性が恋愛する、という中には、当然、セックスを含めた身体的なふれあいも含まれている。女性の方はさすがに「二〇歳以上も若い男性にハダカを見せるなんて」とためらいを感じることもあるようだが、若い男性に熱烈に求められることで、その羞恥心を乗り越えることが出来るようだ。
セックスの直前で「私なんてオバサンだからやっぱり恥ずかしいし」と恥じらう女性に「そんなことはないよ、きれいだよ」という若い男性の心理は、愛情半分、それからやはり性欲半分ということなのだろう。女性側は強く求められることで、「私もまだ人からこんなに必要とされているんだ」と自信を深めることが出来る。
そしていったん、若い男性との関係ができ上がると、女性の側は「彼は若くて性欲が強いから、私なんかでも相手にしているだけじゃないだろうか」と疑問を持つこともなく、その関係に埋没していくようだ。「もう考えるのをやめよう」と、どこかで腹をくくってしまうのだろう。
おそらく冒頭で紹介した四二歳の女性教師も、深い関係になるまでは「生徒とこんなことでよいのだろうか」「年齢もこれだけ違うし」と相当な葛藤があったと思われるが、結局は自分の車で若い恋人と逃避行を企てるほどの大胆な行動に出ている。その時点ではもはや、罪の意識や彼への愛情への疑問もすべて捨て去っていたに違いない。高校生の少年のほうは、元先生の並々ならぬ情熱にすっかり飲み込まれ、事態を客観的に見る事などできなくなっていたのかもしれない。
年下男との恋愛の育て方
おそらく今後ますます、四〇代、五〇代のミドル女性と一〇代、二〇代男性の激しい恋愛」が増えていくと思われる。若い男性が肉体的な性欲で女性を求めているのと同時に、ミドル女性も心理的な性欲、潜在的な性欲は強く持っているのだ。ある意味で「性欲が強いどうし」の組み合わせだとも言える。
しかし、ミドル女性はすでに身体的、人格的にも成長を遂げている存在であるのに対し、若い男性はいわゆる”発展途上”の状態でどんどん変化している。一〇代、二〇代のときには自分を導いてくれた四〇代や五〇代の女性が女神のように見えても、自分で仕事をし、まわりの女性たちからも頼られるようになると、もう女神は必要なくなるかもしれない。あるいは、今度は自分が年下の女性を支え、守りたくなることもあるだろう。これは、「男はやっぱり若い女が好き」といった単純な考えに基づいた変化とも言えない。
いったんは「私の心、私のからだがこんなに求められている」と自信を深めた女性たちも、交際が一年、二年となっていくうちに「これがいつまでも続くのか?」と心配になってくる。そして、男性が成長し、自分の手から離れて自立し始めるのを嬉しさ半分、寂しさ半分の気持ちでみているうちに、またあの不安が頭をもたげ始める。
「私って、誰にも必要とされていないんじゃないだろうか?」
若い男性の方は年上女性との濃い月日から卒業したあとは、「まあ、あれもいい思い出だったな」とすぐに乗り越えることが出来るであろうが、女性の側はそうもいかない。
「私だって一時期は若い男性とあんなに仲良くしたんだから」と、いつまでもその経験を自信として保ち続けることが出来ないのだ。
若い男性と甘い時間をすごし、結局、別れてしまったあとのミドル女性は、いったいその後、どういう日々を送っていくのだろう。あの女性教師もあれだけマスコミで騒がれたあと、元の家庭生活、教師生活に戻れるとは思えないが、いったいどうやって人生の後半戦を戦っていくのだろう。どうしても気にならざるをえない。
三〇代、四〇代の女性が一〇代、二〇代の年下の男性と交際しても、男性が成長すると離れていってしまうことがある。それを防ぐ一つ方法としては、同じ年下でも成長がひと段落した三〇代、四〇代の男性と交際する、という手があるだろう。ただ「四〇代男性が超年下」ということは、女性はすでに六〇代くらいということになってしまう。
二四歳年下と内海桂子師匠の幸せな生活
漫才の大御所、内海桂子師匠が二四歳年下の夫と出会ったのも、六〇代になってからだ。ふたりの幸せな生活をレポートした記事を引用しよう。
「パパさーん」東京・下町の一軒家に威勢のいい声が響く、漫才師の内海桂子さんは、二四歳年下の夫、常也さんを愛情込めてこう呼ぶ。
「こんな幸せがあるなんて、天がくれたご褒美だと思ってね」
ふたりの出会いは二〇年ほど前。内海さんが六四歳、常也さんが四〇歳のときだ。当時、アメリカで働いていた常也さんが、帰国したときに「師匠のファンです」と内海さんの家に電話をかけ、それがきっかけで会うようになった。
ある日、二人でふぐを食べに行った。内海さんが「殿方を下座に座らせることはできない」と、常也に上座を勧めた。アメリカ生活で「レディーファースト」に慣れていた常也さんは、日本女性らしい内海さんに強く惹かれたという。
アメリカに戻った常也さんは、二日に一通以上のペースでエアメールを送り続けた。
その数は、三〇〇通にも達した。スポーツの話など他愛のない内容ばかりだったが、最後の一通には「結婚してください」と書いてあった。
内海さんは驚いたが、そのころには常也さんの誠実な人柄を大切に思うようになっていた。年や立場の違いは気にならなかった。
「年取っているから恋愛できないなんて言っちゃいけないよ。へんな色気を出す必要はないけど、衰えを見せるようじゃ、女の価値も芸人の価値もないからね」
ただ、二四歳という年の差は大きい。「一緒に死ねたらいいんだけどねえ」と内海さん。「私の目の黒いうちに『好きな人探してきな』って言ってあるんだ。私が見定めていい人なら、私の指輪をあげてもいいかな」(「シティウエーブ大阪版」より)
この常也さんは、妻が舞台に専念できるように、と炊事、洗濯から妻の健康管理まですべて引き受ける今の生活を、「毎日がエキサイト」とも語っている。
しかし、いくら桂子師匠の芸や人間性にひかれても、まだ二〇代や三〇代の男性であったら、「自分の人生を彼女のサポートのために捧げよう」とは思わず、「自分も彼女に負けないようないい仕事をしよう」と考えたのではないか。男性の場合、尊敬する年上女性をライバル視することなく、「生涯、この人をサポートをしたい」と思えるようになるのは、四〇代以降なのかもしれない。
とはいえ、「六〇代までは自分の仕事に専念しながら待ち、それから四〇代の男性を恋人や夫にしよう」と言われて納得する女性は、それほど多いとは思えないが。
そしてさらに謎なのは、たとえば「六〇代女性と四〇代男性」や「五〇代女性と三〇代男性」のカップルの場合、セックスなどのからだの関係やスキンシップについてである。その世代のカップルとなると、そういったことについてはあまり語らないし、「妊娠、出産」というセックスの介在が明らかな出来事がまず起こらないので、推測することも難しい。
出産を体験した日本の六〇歳女性『手記ありがとう、赤ちゃん―六〇歳初出産の物語』(光文社・二〇〇二年)という本があるが、この女性は第三者から受けた卵子と夫の精子からできた受精卵を自分の子宮に着床させ、出産を経験した。日本の法律では「出産した人が母親」なので、この六〇歳の女性は文句なく生まれた子の母親ということになる。
この体験記によると、女性は五二歳のときに二四歳年下の男性と恋愛して、結婚に至る。男性は初婚で、親族は「孫」を望んでいた。女性も、「夫の子どもが産めたら」と考えるようになる。そこで選択したのが、「第三者による卵子提供」であったのだ。
ここでもその夫とのあいだのからだの関係についての詳しい記述はないが、恋愛から結婚まではお互い年の差を感じることもなかった、とあるところを見ると、その点に関しても「ふつうの結婚」と同様と考えた方がよさそうだ。おそらくだからこそ彼女は、「これで私が若かった、妊娠、出産ができたのに」と思うようになったのではないだろうか。
これまで記したように、私が臨床の場で経験した年の差のカップルの場合も、聞いた限りではみんなセックスの関係を持っていた。「私はこんな年ですから、彼とはそんなことはしよとはしませんよ」という答えは、聞いたこともない。やはり女性がどれほど年上でも、それが恋愛である限りは、少なくともある時期が経過してセックスレスになるまでは、同世代カップルと同じようにからだの関係はある、と考えた方がよいのではないか。そしてそういうカップルの女性は、更年期障害を迎えた自分のからだが年下の男性から性愛の対象として見なされることで、内面的な自信を取り戻すことができるはずだ。
つづく
(4)年上男性との恋とセックス