人は、九〇歳でも性欲がある動物
人間は、何歳までセックスをするものだろう?
三〇代で早くも「いやー、結婚して一〇年もたつし、今さらそういうのはちょっと」と
いう人もいるかと思えば、クリニックで初診の問診表に「夫婦生活に応じるのが最近、苦痛になってきました」と記す六〇代や七〇代もいる。苦痛をどう軽減するかという問題以前に、「その年齢まで夫婦のセックスがあるのはすごいこと」と感心してしまうが、本人にとっては深刻だ。
長崎保険医協会のホームページの「健康一口メモ」には、高齢者の性生活についてこんなことが記されている。
年を取ると性欲はなくなると思われがちですが、性欲をコントロールする大脳皮質の働きが正常である限り、九〇歳でも性欲はあります。性ホルモンは少なくとも八〇歳までは男女とも分泌され、男性の六〇%に精子が認められています。
若い人でも身体の調子が悪い時は、性欲がありませんが、高齢者も同じです。高齢者で性欲がある方は身体の調子がよいともいえます。
外国の例ですが、性行為をする人の割合は、六六~七〇歳で七五%、七六~八〇歳で三六%、九一歳以上で三%です。
性活動は個人によって大きく違いますが、高齢者ほど性に関して障害を伴う割合が増えてきます。男性では勃起能力の低下が見られ、女性では膣壁が薄く伸びが悪くなり、分泌液が少なくなり性交の時に痛みを感じたりします。最近は性行の時の滑りをよくし、痛みを取り除くゼリーができています。産婦人科の医師に遠慮なく相談してください。
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この「痛みを取り除くゼリー」は、私が勤務しているクリニックの産婦人科でも販売している。その代表的な製品は、一九八二年に社団法人日本家族計画協会医学委員会が開発した「リューブゼリー」だ。このゼリーの商品説明には、こう記されている。
「性に年齢制限の上限はありません!‥‥・すでに、性や性生活に対する考え方は大きく変化しています。昨今では『性生活の充実こそ、加齢に伴う人生を豊かにし価値を高める』とさえ認識され始めています。
人生八〇年、結婚生活も五〇年間の時代、老いも若きも互いに良きセクシャルティーを持つことは、その間の豊かなよき人生を送ることにつながります。」
二〇〇二年に八三歳で亡くなるまで、四〇年間にわたって「主婦会館クリニック」で結婚と性のカウンセリングを続け、七〇年代には『How to sex』シリーズが二五〇万部を超ええる大ベストセラーとなった産婦人科医・奈良林祥(やすし)氏も、その思想の根底にあるのは
「セックスは夫婦の愛の最高の形」という発想だった。
カラー写真の愛の図解入りでセックスが手ほどきされている『How to sex』シリーズがあまりに衝撃的だったために、一時期はセックスドクターとして色もの扱いされていた奈良林氏本人は敬虔なクリスチャンでもあり、ごく真面目で上品な医学者だった。セックスと言えば反モラル、反宗教的に受け取られがちだが、奈良林氏は、夫婦に限ってはそれは愛を強める最高のコミュニケーションだと考え、だからこそ生真面目に”よりよいセックス”を追及したのだ。
その奈良林氏の晩年の著作に『女、五〇歳からのHOW TOSEX――夫婦生活が蘇る新しい性のかたち』(二見書房・二〇〇一年)というのがあるが、そこでもテーマになっているのは「いかにして、夫婦は永遠に愛し合えるのか」といことにある。熟年、老年だからこそ、若者に負けない愛や性がなければならない、というのが奈良林氏の考え方であり、セックスレスに対しては「時代が生んだ病理」と断定していた。
「夫婦別室」が、マンションの売りになる時代
潤滑ゼリーを推奨する家族計画協会や奈良林氏の考え方に従えば、夫婦である限り、何歳になっても性生活を持たなければならない、ということになる。しかし、実際には現在、五〇歳代後半から六〇代になったばかりのいわゆる団塊の世代でも、「現在、夫婦別室」という人が男性で約二〇%、女性では三〇%近くにも達していることが、三浦展(あつし)氏らの調査で分かっている(次ページ図参照、『段階格差』文春新書・二〇〇六年)。「これからは別室にしたい」というのが男性二%近く、女性九%というのは意外に少ない印象もあるが、とくに女性の側が「夫婦別室」を希望していることは注目に価するだろう。
そして実際に、高齢者向けの住宅でもこの「夫婦別室」が現実的な選択肢になってきているようだ。「マスターズ世代にワンランク上の住まいを」として発表された東急不動産の高級マンションプラン「マスターズ・スタイル・プレミアム」にも、「お互いの生活を尊重しあう方にご提案する2ベットルームタイプ(寝室夫婦別室型)」が含まれている。
団塊世代の夫婦の部屋現在、夫婦別室である 男性20.4%
女性29.7%
これからは夫婦別室に 男性1.9%
したい 女性9.0%
資料:カルチャースタンディーズ研究所+文芸春秋「団塊世代2000人調査」2006
あるコンサルティング会社も、住宅メーカーに向けてレクチャーで次のようにシビアなことを語っている。
「子供部屋も夫婦別室も、住宅メーカーの『ウリの目玉』になりやすいテーマです。すなわち、それだけ気にする人が増えてきたという事でもありますし、供給側にすれば差別化しやすいポイントということでしょう。昔も今も、基本的に商売の基本の一つは『不安につけ込む』ことなのですから。」
「夫婦で寝室はひとつ」が今やすでに常識でなくなりつつあるどころか夫婦別室が「住宅メーカーの”ウリの目玉”」と言われる今、奈良林氏が理想とした「夫婦が永遠に愛し合う」という生活はどんどん遠ざかりつつあるのではないだろうか。
このシニア世代のセックスライフについては、行政が刊行する「高齢者白書」などでは全く触れられていない。
高齢者のパートナーの有無と性の実態
全国社会福祉協議会が、毎年刊行している『図説高齢者白書』の二〇〇六年度版にも「高齢者の結婚状態」という項目があるが、そこでは「高齢者の結婚と健康状態」や「配偶者がいない場合の家族内介護」の問題などが論じられているものの、セックスの話は全く出てこない。たとえば寿命について、「有配偶の男子は、二九・六年と一般の二八・八年より約一年長く、最も短い離別者に比べると約九年も長い。一方女子有配偶は三五・七年で、短命な未婚に比べると約八年半長いことになる」という記述はあるが、なぜ配偶者がいるほうが寿命が長くなるのかについての分析はない。
その一方で、老後に夫と同居する妻は寿命が短い、という調査結果もある。
愛媛県総合保険協会の藤本弘一郎医師の調査によると、「七五~八四歳では、女性は夫がいる方が、いない場合に比べて二・〇二倍に高まった。一方、男性は妻がいる方が、いない場合に比べて〇・四六倍に下がっていた。六〇~七四歳でも同様の傾向が見られたという。調査を行った藤本医師はこの結果を受けて、「夫の依存が妻に負担をかけている一方で、妻に先立たれると夫は身の回りの事を助けてくれる存在を失い、逆に死ぬ危険性が高まる。夫が家事などを覚えて自立することが大切だ」と分析している。
男性の場合は妻がいてくれた方が長生きすることは確かなようだが、女性の場合は、夫がいる方が長生きできるのか、逆に長生きのチャンスを失うことになるのか、相反する調査結果があるようだ。しかし、いずれにしても「配偶者がいる」ということを「性生活がある」と理解してよいのか、あるいはシニアにとっての配偶者の有無はあくまで「ストレス」や「身辺の世話」との関係だけで考えるべきで、セックスはまったく無関係なのか、そのあたりについてはこういった調査からはまったくわからない。
内閣府が二〇〇六年に出した『高齢者白書』では、高齢者の生活とパートナーの有無の関係はさらにわかりにくくなっている。高齢者に対して「健康に対して心掛けていること」について質問しているのだが、その答えは上位のものから「休養や睡眠を十分、取る」「規則正しい生活を送る」「栄養のバランスのとれた食事をする」と続き、「恋愛をする」「よいセックスをする」など男女の関係を感じさせる答えはまったくない。
「親しい友人の有無」とその性別について尋ねている項目があり、「友人がいる」の割合が七〇・一%だが、そのうちわけでいちばん多いのは「同性の友人がいる」の五〇・四%となっている。「同性・異性両方の友人がいる」は一八・五%、「異性の友人だけがいる」はわずかに一・二%、しかも女性に限ってみると、「異性の友人だけがいる」という回答はゼロだ。この質問では、その時点での回答者の配偶者の有無に関しては尋ねていないが、女性はたとえ夫に先立たれている場合でも、「親しい友人」と言えるような異性がいる人はほとんどいない、ということになる。
また、これらの回答からも推測できるように「日常生活での心配ごとは」という質問に「性関係がない」とか「恋人がいない」などの答えをしている人がまったくおらず、「自分が病気または介護が必要」「頼れる人がいない」「大地震など災害のこと」「収入が足りない」という回答が続く。
人間いくつになっても性的存在である。
『老いてなおステキな性を』(かもがわ出版・二〇〇五年)などの著作がある「”人間と性”教育研究所」所長の高柳美知子氏は、雑誌『ゆたかなくらし』に「高齢者の生と性」と題したエッセイを寄せている。
そこには、次のような衝撃的な調査が紹介されている。高柳氏の文章から引用しよう。
タブ-視されていた老年期の性の実態に果敢に迫った保健師の大工原秀子さん(『老年期の性』『性ぬきには語れない』の著者、一九九二年没)の二回にわたる「老人の性の実態調査」によると、一九七三年の第一回調査では、《性的欲求》が「全くなし」と答えた男性は一一%です。一九八五年の第二回調査ではさらに減って九%です。《性行為の有無》については、「あり」は七三年調査で77%、八五年調査では九六%です。
高齢期の男性は、枯れてなどいないというわけです。
では女性はどうでしょう。七三年の第一回調査では、《性的欲求》の「全くなし」は六六%。第二回目が四一%です。《性行為の有無》では、「あり」が七三年では四六%。八五年ではなんと二倍の九二%。です。
性行為の数値で見る限り、男女の差はほとんどありません。高齢期の女性の九割が今もなお、性交の現役であるとは頼もしい限りです。
高柳氏はこの結果を受けて、「女性の場合、性交『あり』の数値と、性的欲求の『全くなし』の数値との格差がきにかかる」として、「性的欲求がなくても性行為があるということは、俗にいう『おつとめ』としてのものなのでしょうか。結婚生活で豊かな性の享受を受けてこなかったことが、この数値から透いて見えるようで悲しくなります」と感想を述べている。しかしそれよりも、そもそも高齢女性の九二%に性生活がある、という結果が信頼のおけるものだとすれば、これまで紹介してきたいくつかの「高齢者白書」がその問題にまったく触れていないのは、明らかに問題の見落としといえるのではないだろうか。
さらに高柳氏は、NHK学園生涯学習講座「人間と性」を担当していた時の事を振り返り、六六歳の男性から次のような相談を紹介している。
「私の妻は生殖を目的とするセックスを拒み、よそに女をつくれといいます。一二時過ぎまで別室でテレビを見たり、うたたねをして寝室(夫婦同室)に来ます。私が求めても、もう遅いからとか、眠いからなどといって拒否します。私は人生にとって性生活は大切なものと思っておりますが、妻の意向を無視するのもどうかと思い、悩んでいます」
ここでも高柳氏は「夫婦(男女)の性の行き違い」を問題視しているのだが、それ以前に結婚から三〇年、四〇年と経過した六〇代の夫婦の性関係がまだなおある、ということに、三〇代でもすでにセックスレスという人たちは驚きを感じるのではないだろうか。
高柳氏も、前述した奈良林祥氏の次のような言葉を引用して、夫婦における性生活の一致の重要性を強調する。
「性交という行為によって女性が性欲を満たしてゆけるためには、二人の間の愛情と、信頼関係と、さらにプラス精神安定の三つの条件が揃っていることが殆ど不可欠です」「膣という女性のからだの中でも桁外れに鈍感な部分を男に提供するとうマイナス条件を背負っての性交という行為でありますから、性交という環境の中に心から埋没しないと女性の性欲が満たされるということはまず望み薄。」
高柳氏は「人間はいくつになっても性的存在である」として、大工原氏の著書を引用しながら、「肌のふれあいは皮膚を刺激する。この刺激は皮膚に散在している知覚神経を促し、脳が活性化する。肌のぬくもり合う快い感覚は自律神経系に働いて、イライラや、不安の解消にも役立ち、心を安定させ、成人病やボケの予防にも役立つ」と言うのだが、もしそれが本当だとしたら、三〇代でセックスレスの夫婦はどんどん老化が進むということになるのだろうか。
それとも、高柳氏が「高齢期の性は、性器の結合だけを問題にしないコミュニケーションの性、生きていることの確認の性です」と言うのを逆に考えれば、若いセックスレス夫婦も、せめて手をつないだり肩を叩き合ったりするだけで何らかの老化防止に役立つ、ということになるのだろうか。
診察室でもなかなか、六〇代、七〇代の人に「夫婦生活のほうはいかがでしょう」とは聞きづらいのであるが、先の大工原氏の調査のように「九割は性行為がある」のだとしたら、これからは一応、聞いてみなければならないかもしれない。
八〇歳近い夫の不倫を心配する七〇代女性
そういえば、高齢者には「夫(あるいは妻)が不貞を働いている」といういわゆる嫉妬妄想の患者が少なくなく、しばしば家族に連れられて診察室を訪れる。その中のひとり、四〇代の娘に連れられてやってきた七〇代後半の女性は、こう息巻いた。
「どうして私が精神科なんかに来なければならないんですか? 来るべきなのは、ウチのお父さんです。」
彼女の話によると、結婚五〇年にもなる夫が最近、頻繫に若い女性に会いに行っている、というのだ。
「だいたいどの女かは、あたりがついているんですよ。夫は去年まで会社の顧問をしていたのですが、そこに来たバイトの女です。私が一度、会社に行ったときに、こちらを見る目が違いましたもの。ピンと来たんです。」
「外で会っている、とおっしゃいましたが、昔の部下たちとグループで食事をしただけ、という可能性はないのですか?」とまず現実的な質問をすると、孫が五人もいるというその女性はすっかり白髪になっている頭を横に振った。
「先生、とんでもない。そういう関係じゃないんです。お父さんはホテルに行っているんですよ、その女と。帰ってくるとからだからヘンなにおいがするんで、すぐにわかります。」
七〇代の母が語る八〇歳近い父親の性関係を聞きながら、娘は困惑したような顔つきになって下を向いた。
「お母さん‥‥。お父さんがそんなことできるはず、ないんじゃないの。恥ずかしいから先生の前でそんな話をするの、やめてよ。」
その後で本人にちょっと席を外してもらって、娘さんからいろいろ話を聞いたところ、どうもその女性は明らかに夫に対して妄想を持っているらしい、ということがわかった。
娘の話によると、「あの人があやしい」と言われている若い女性は何年も前に会社を辞めたアルバイトの人で、父親との接点はまったくないのだという。
「もちろん、父親にも電話して確かめましたが”お母さんがわけのわからないことを言っていて自分を責めるから困る”と言っていました。父親は頭もしっかりしているので、言うことは信用できます。」
その話を聞き、私はその女性はパートナーが浮気をしている、という典型的な嫉妬妄想を持っているという結論に達し、なんとか薬を飲んでもらう方法はないか、と娘に相談した。そして、本人に「あなたの話が本当かどうか、私にはわかりませんが、そういう悩みがあれば、さぞ心理的にも追い詰められているでしょう。ここはまず、ちょっとした安定剤を飲んで気持ちを落ち着け、ご主人の問題はそれから取り組んではどうでしょう」という説明を試みたところ、「そうですね、お父さんの浮気で私が倒れちゃ、しょうがないですからね」とあっさり服薬を承知してくれた。
それから少量の向精神病薬を処方したところ「ホテルに行って下着を汚して帰ってきた」といった生々しい話は数週間ですっかり影をひそめ、こちらから尋ねない限り、彼女の口から”夫の浮気”の話が聞かれることはなくなった。そういった様子を見て、私は「やっぱり彼女の話は妄想だったのだ」と確信した。
しかし、先の大工原氏の調査や高柳氏の「人間はいくつになっても性的存在です」といった発言を見ると、私はふと「本当にあれば妄想だったのだろうか?」と不安になってしまう。「八〇歳の男性が三〇代の女性と肉体関係? そんなバカな」と私もその女性の娘も頭から思い込んでしまったが、もしかするといっしょにホテルに行くくらいのことはあったかもしれない。だとすると、嫉妬妄想という診断は正しくなかったということになる。
ただ、「いくつになっても性的存在」なのは彼女の夫ではなくて、彼女自身という可能性も否定できない。彼女が夫を性的な存在だと見なしており、自分もそう見なされることを望んでいたからこそ、夫の浮気や肉体関係を容易に疑ってしまったのかもしれない。診察室の外に出てもらうべきだったのは母親でなく娘の方で、そこで私は彼女に尋ねてみるべきだった、とちょっと後悔している。
「ご主人との性生活の方はいかがですか? そして、その状態にあなたは満足していますか?」
もしかすると、「先生、七〇代の私に何をきくんですか」とあきれられたかもしれないが、だとしても、その問題を見逃すよりはずっといいような気がする。
つづく
第三章 セックスの男女差と歳の差