妻を先に亡くす。男性にとっては、考えたくもない状況だろう。だが実際には、病気や事故、災害など、さまざまな理由で妻が自分より先に亡くなることも起きるだろう。しかも、その妻が九〇代、八〇代ではなくて、五〇代、四〇代あるいはそれ以下の年齢という場合もしばしば起きる。

本表紙 香山リカ著から
ピンクバラ煌めきを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いで新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れている

9 配偶者を亡くすとき

動じない女性、オロオロする男性

妻を先に亡くす。男性にとっては、考えたくもない状況だろう。だが実際には、病気や事故、災害など、さまざまな理由で妻が自分より先に亡くなることも起きるだろう。しかも、その妻が九〇代、八〇代ではなくて、五〇代、四〇代あるいはそれ以下の年齢という場合もしばしば起きる。

 妻を亡くした夫と夫を亡くした妻。その痛手はどちらが大きいか、簡単に決める事は出来ないが、前者の男性たちが大きなショックを受けていることは確かなようだ。

 評論家の川本三郎氏は、五七歳でがんのために亡くなった妻を恋う手記『いまも、君を思う』(二〇一〇年新潮社)の中で、妻の手術の後、医師から伝えられた事実に衝撃を受けたと振り返る。「私は担当医師の下にいる若い医師に会い、先ほど先生に肝臓に移転していると言われましたが、それはどういうことを意味しているのですかと聞いた。

 若い医師は、そんなこともわからないのかと、『容赦ない宣告』をした。『一年、二年先を考えた方がいい。年を越せません』。

 手術にかすかな望みを持っていただけに、この、『容赦ない宣告』には打ちひしがれた。事実を家内にも両親にも言えない」

 その後も川本氏は必死に自分を立て直し、懸命に妻を支えようとするのだが、病院の対応に感謝しながらも、その宣告の「容赦のなさ」は心に深いダメージを残したようだ。妻は、そういった夫の傷つきを知ってか、弱音を吐くことも病状を尋ねることもなく、淡々と療養生活を送り続ける。

 一方で、詩人の佐野洋子氏は、自らのがん闘病記『死ぬ気まんまん』(二〇一一年 光文社)の中でこう言っている。離婚した夫もがんになったのだが、息子が両親の闘病の様子を見て「男と女は全然違う」と話したというのだ。

「私は全然平気で、元気なんですよ。死ぬのも怖くないし。そしたら、『親父はクヨクヨしてだめだ。男はダメだなあ』と言うのね。この間死んだんですけど、医師に『もう治らない』と言われたら、言われた時点で歩けなくなったんだというんですね」

 もちろん、すべての女性の覚悟が決まっており、すべての男性が告知などに耐えられない、と言おうとは思わない。ただ、おしなべて「事実を告げられても動じないのは女性、オロオロするのは男性」という傾向はあるようだ。

 やはりがんで妻を失った夫の手記である『妻を看取る日』(二〇〇九年 新潮社)の著者は、がんの専門家中の専門家、国立がんセンターの名誉総長である垣添忠生氏。そのがんの権威が、妻の肺のリンパ節に「小細胞がん」の転移巣が見つかったときの事をこう振り返っている。
「治療は難しい小細胞がん転移と知って、私は内心ショックを受けた、おそらく妻もショックだっただろうが、彼女は動じることなく静かに受け止めていた」
 その後の入院でも、垣添氏妻の強さに舌を巻くことになる。
「入院して改めて知ったのは、妻の精神力の強さだった。
 抗がん剤のアムルビシンを投与中、妻は副作用の口内炎と食道炎にひどく悩まされた。水を飲むのさえ苦しそうで、やっとのこと流動食を喉に押し込んでいた。しかし、そんな状態でも、ただの一回も文句や愚痴をこぼさなかった。

 また、がんの終末期というのに、不安や絶望から嘆いたり、人に当たったりすることもなく落ち着いていた。医師や看護婦、私に対する態度も今までと全く変わらなかった」

 なぜ女性のほうが沈着冷静なのか

 ここでもう一組だけ、「告知に動じない女性」と「妻への告知に動揺する男性」を紹介しておこう。『死体は語る』などのベストセラーで知られる監察医の上野正彦氏も、また長年連れ添った妻をがんで亡くした。その告知の様子を近著に記している。
「四〇代後半くらいの真面目そうな医者であった。レントゲンの結果を見ながら私と妻に『結果を申し上げても大丈夫でしょうか』と念を押してきた。『私は医者だし、正直に言ってください』と言うと、『奥様は胃癌の末期状態です。全身に転移しています』と告げられた」(『監察医の涙』二〇一〇年 ポプラ社)

 興味深いのは、告知に際しては上野氏のほうが「私は医者です」と専門家であることを強調しているのだ。それにもかかわらず、告知を受けてショックを受けたのは上野氏のほうであったようだ。
「何かを喋ろうと思っても言葉が出てこない。診察室は沈黙に包まれた。沈黙がどれくらい続いただろうか。『先生、では私はあとどれくらい生きられるでしょうか』という妻の言葉にはっと我に返った。『大変もう上げにくいのですが、長くはありません』という医者の言葉が、すぐには信じられなかった。

 医者でありながら、余命は短いという言葉が把握できなかった。呆然としていると、妻は『そうですか。痛みを感じないのは不思議です』と言う。思わず妻の顔を見た。先生の顔を真っ直ぐに見つめ、淡々と話す姿に驚いた」

 佐野氏、川本氏、垣添氏、上野氏夫妻のケースを見る限り、どうも一般的女性の方がより「真実を知りたい」と思い、それを伝えられても動揺することなく、男性はそれが自分であっても、さらに妻である場合はとくに、「がん」「余命」といった言葉にひどくショックを受けるようだ。それは、一般の人であっても医学の専門家や権威であっても変わらない。

 一時期、さかんに「夫が亡くなると遺された妻はむしろ元気になる」などと言われ、いわゆる未亡人たちが元気に旅行に出かけたりボランティア活動に励んだりする姿が、週刊誌などで報じられたことがあった。また、「妻を亡くした男性芸能人が年下の若い女性と再婚」といったケースも時々ニュースになり、世間の男性からおおむね「うらやましい」「あやかりたい」などと肯定的な目で見られているようだ。

 しかし、実際にはやはり、少なくとも一度は「一生いっしょに」と誓い合った伴侶を亡くした場合のショック、ストレスはかなり大きい。

 文筆の世界でも、妻をがんで亡くした江藤淳氏や城山三郎氏、川本三郎氏などは、その刺激や悲しみを包み隠さず文章にして発表した。さらに江藤氏はその後、自死という形で命を絶っている。また城山氏も悲嘆からの立ち直りを見せないまま、間もなく病死を遂げている。

 さらに、自らも医療者として多くの死に接してきたプロフェッショナルたちも、こと自分の伴侶の死となるととても冷静ではいられない、という事実も明らかになった。前述の国立がんセンター名誉総長であった垣添忠生氏の『妻を看取った日』、東京監察医務院院長であった上野正彦氏の『監察医の涙』では、いずれも妻の病死にうろたえ、悲しんだ日々の様子が素直につづられ、多くの読者の共感を呼んだ。

配偶者を失った人への心のケア
 伴侶を失ったことで、大きな悲しみや衝撃に襲われるのは、男性だけではない。作家の津村節子氏は、近作『遍路みち』『紅梅』で作家であった夫・吉村昭氏の看取りやその後について私小説というスタイルで語っているが、インタビューでいまだに「こうしてあげれば」といった後悔の日々を送っている、と語っている。

 ただ、この人たちは著作活動を行っている著名な作家や評論家であるからこそ、「私はこんなに悲しい」ということを世間に示すことが出来た、と言えるだろう。とくに高齢者の場合は一般的には「年を取ればどちらか先に旅立つのは当たり前」と思われがちで、死別の悲しみを表明する機会も、それをケアする仕組みもこれまでほとんどなかったといってもよいだろう。あるいは、先の述べたように、遺された夫や妻に「これで自由ですね」とか「若い人と再婚してはどうですか」と声をかける人さえいる。

 長年、親しい人との死別による悲嘆について研究している精神科医の大西秀樹氏は、「配偶者との死別は最大のストレス」と語っている。

「アメリカで行われた人生の様々な場面におけるストレス度の調査では、配偶者の死を最大の一〇〇と数値化しています。配偶者との死別は、何にもましてストレス度が高いんですね。また五四歳以下の男性の調査では、配偶者、パートナーとの死別後六カ月以内の死亡率が、配偶者のいる場合に比較して約四〇パーセント上昇することが分かっています。また死別後一年以内に抑うつの兆候を呈する未亡人は四七パーセントにのぼり、夫がいる女性の八パーセントと比較すると有意に高いことが知られています」(がん予防・女性のからだ情報サイト「ヒルル」ホームページより)

 ほかにも、配偶者との死別のストレスは、「子が親を亡くす」という親子間の死別のそれと変わらないほど強い、という調査研究もある。

 もちろん悲しみの深さやダメージは人それぞれであるが、伴侶を亡くして傷ついている人に、いくら励ましのつもりでも、「長く苦しむよりも良かったのでは」とか「いつまでも泣いていても仕方がない」といった言葉をかけることが、その傷を余計にえぐる結果になる場合もあることは言うまでもない。

 こう言った研究を受けて、「伴侶を亡くした人の分かち合いの会」といったNPO団体も全国に立ち上がりつつある。こういった会では、「長年、連れ添った伴侶を亡くして悲しいのは当たり前なんだから、遠慮なくそれを語ろう」というのが基本姿勢となっている。

 とはいえ、世間一般では、まだまだ「夫婦どちらが先に逝くのはあたりまえ」という考えの方が根強いだろう。つまり、「妻や夫を亡くすことで大きな悲しみに襲われることがある」という事実にみな薄々気づきながらも、一方で「でもそれは仕方ないこと」と見なす傾向があるので、誰もその問題に手を付けられずにいる、ということだ。そうなると、「どうしていいのかわからない」といった悲しみは、子どもや兄弟姉妹など本人の身近にいる誰かが一手に引き受け、心身両面のケアをしなければならない、ということになる。

家事能力を身につける

 そして、そうなりたくない、自分はたとえ妻に先立たれてもしっかり生きていたい、と思うのであれば、まず大切なのは家事能力を身につける事だ。
 戦後日本を代表する文芸評論家の江藤淳氏は、次のような遺書を残して一九九九年に自殺を遂げた。「心身の不自由が進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり、乞う、諸君よ、これを諒とせられよ」

 この文語調の文言も、今の若者に見せたら「なにこれ?」となりそうだが、江藤淳氏はこの前年、長年、連れ添った愛妻を末期がんで亡くしている。妻への愛借の念にあふれた著作『妻と私』はベストセラーとなり、多くの人の涙を誘った。

 江藤氏が亡くなった後、親族による追悼エッセイが発表されたのだが、そこで私が心から驚いたのは、江藤氏が生活のあれこれについて妻に任せきりで、「自分では電球も取り替えられない」「電子レンジも使えない」と公言していたことだ。つまり、それはすべて妻がやっていた。これではその妻が急に亡くなったら、心の痛手よりも、まず今日の生活さえできなかったであろう。

 江藤氏ほどの”知の巨人”に「電子レンジさえ使えれば」などと言うのは失礼かもしれないが、それでも簡単な家事さえできれば、ひとりで暮らす生活ももう少しちがったのではないだろうか。きちんとした生活を営みながら、また別の角度から”妻の死”を受け入れ、今度はそれを礎に文芸評論でも新たな境地をきりひらけたのでは、などと思ってしまう。

 それに比べれば、女性はいくら社会的に地位が高い人であっても、さすがに「電球も取り替えられない、電子レンジも使えない」という人はいないだろう。少なくともコンビニで買ってきたお弁当を温めて食べるとか、全自動洗濯機に洗濯ものと洗剤を放り込んでスイッチを押す、というくらいのことはできる。それに、たとえば女性政治家が、「いやー、私は電気ポットの使い方もわからないから、カップ麵も食べられないんです」などと言ったら、まわりからはどう見られるだろう。ある年齢より上の男性の場合は、「家事が一切できないのは、仕事が出来るという証拠」と思われており、それが老後には自分の寿命を縮める原因にもなりかねないのだ。

 それに対して、今の若い人は男性、女性に関係なく、ある程度の家事能力、生活能力を持っているので、老後に関しての心配はその点においては「少ない」と考えられる。学生たちと野外バーベキューなどに行っても、男子は積極的に下ごしらえから調理、取り分けなどもしてくれて実に心強い。もちろん、年金が出ないのではとか、今以上に医療崩壊が進むのではとか、懸念材料もあるにはあるが、何と言っても「自分で自分の最低限の世話はできる」というのは何より強みだ。

 とはいえ、彼らもいったん社会に出てしまうと、とたんに「男は社会、女は家庭」という流れに染まってしまい、一時的に家事から離れることがある。三〇代の子育て中の女性が、診察室でよくこんな話をする。

「結婚当初は、休日にはよく夫が料理を作ってくれたんです。それが、今では休日は接待ゴルフだとかやり残した仕事の片づけだとかで、何もしてくれなくなっちゃいました‥‥」
 そんな女性には、こう慰めの言葉をかける。
「でも、自転車と同じで、一度身についた家事はそうそう簡単に忘れませんよ。大丈夫、少し仕事の余裕ができたら、”またあなたのシチューが食べたいな。あの味は私には出せないもの”などとちょっとおだてつつ、家事に誘い込めばいいんです」

 問題は、若いときに家事をしてくれない世代だ。それでも江藤氏より少し下の世代、つまり今の団塊世代から五〇代までの男性の中には、「これではいけない」と目覚める人もいるようで、料理教室の老舗・ベターホームの「男性の料理教室」はどこも盛況だそうだ。とくに「60歳からの男の基本料理の会」はいつも定員がすぐにいっぱいになり、受講者たちは真剣そのもの。彼らへのアンケート結果では、「料理教室に通ってよかったと思うこと」という質問への回答で最多だったのは、「いざというときに料理が出来るという自信がついた」だったそう。「料理の楽しさがわかった」「友達が出来た」などをずっと上回っているという。ある程度の年齢になってから料理、掃除などを身に着けようとしても、とてもそれらを楽しむレベルまで至らない、ということかもしれない。

 ますます大変さを増すこの時代、老後のために貯金に励んだり家を建て替えたりするのもよいけれど、まずするべきは男性たちに家事の能力を身に着けてもらう事。若い人たちの”家事に対する腰の軽さ”から、ぜひ学んでもらいたいと思う。

10 拝金主義と理想主義の折り合いのつけ方

金儲けのためなら何をしてもいいのか

 新聞を眺めていたら、「迷惑メールアドレス業者摘発」という見出しが目に入った。
 毎日、パソコンやケータイに届く迷惑メールにうっとうしく思っているのは、私だけではないはず。「にっくき敵。闇世界の人間だろう」と思って記事を読むと、意外なことに逮捕されたのは三十八歳のIT社長らだった。

「社長がいったいなぜ?」とさらに先を読み進むと、彼らはウェブページを作成したりメルマガジンの運営を請け負ったりする”ちゃんとした業者”のようなのだ。自分たちの作ったサイトであれば、そこにユーザーが登録したアドレスを入手するのはわけもない。それを出会い系サイト業者に転売し、七五〇〇万円ほどの報酬を得ていたのだという。

 先に逮捕されたのは出会い系サイト業者、アドレスの入手先を調べる中でこのIT社長が浮かんできたわけだが、逮捕された社長の供述がすごい。
「ビジネスチャンスになると思った」
 もちろん、この一行だけではすべてを推測することはできないが、「ビジネスチャンス」という単語が供述に含まれていたことは確かなのだろう。

「申し訳ない、金が欲しかった」でも、「弱みを握られて断れなかった」でもなく、「ビジネスチャンス」か…‥。罪悪感や謝罪の気持ちどころか、自分がやったことを肯定的に捉えようとしているかのような言い方に、読んでいるこちらとしては暗澹たる気持ちになる。

 何も知らずにサイトやメルマガに登録したら自分のアドレスが一件いくらで売却されていたという、利用者にとってはチャンスどころか迷惑、災難でしかないのだが、社長としては「利用者の一人ひとりに気持ちや事情がある」などと考えたことはないのだろう。

 しかし、これを社長ひとりの非常識のせいにするわけにはいかない。それどころか、今からちょうど一〇〇年前には「人の気持ちなど考えるな」といった内容の著作を出して、世界のビジネスを変えた男がいたのだ。

 その男の名前は、F・W・テイラー。アメリカ人で経営に科学を持ち込んだ学者であった彼の著作『科学的管理法』(一九一一年、新訳・有賀裕子 二〇〇九年 ダイヤモンド社)の根幹をなす考え方は、「労働者は知るに及ばず」だったといわれている。そして、テイラーは仕事や努力やその質ではなく、「時間内での達成量」で測る仕組みを作り、「時間内に高い成果を上げた労働者に与えられる報酬としてのボーナス」や「時間内にノルマをこなせなかった労働者への罰としての残業」という制度を生み出した。

 労働者を人としては扱わない。このテイラーの考え方はいち早く飛びつき、流れ作業での大量生産方式を生み出したのが、初代のフォードであった。これによってフォード社がその生産性を格段に向上させ、当時の自動車産業のトップに躍り出たことは言うまでもない。それから多くの企業がこの近代的なテイラーシステムを導入して、経営を合理化し売り上げをアップしようとしてきた。

 もちろん、今日ではこのテイラーの考え方には、「労働者一人ひとりの意欲、達成感」といった大きな見落としがあったことが指摘されている。しかしそれでも、いまだに多くの企業や組織、そればかりか社会全体が、基本的には「一部の人を除いては、知るに及ばず、考えに及ばず」という仕組みを作り上げなければ成長できないと、という”信仰”を捨てきれずにいる。

 それどころか、その”信仰”はますます強化されているようにも思う。小児がん専門とする小児科医である細谷亮太郎氏は、勤務先の聖路加国際病院の「経営戦略会議」に出席するときの違和感を素直にこう述べている。

「『経営戦略会議』というネーミングもいやだ。『経営検討会』ぐらいなら少々レトロっぽいものの受容もできるが『経営戦略会議』は、いかにもさもしく情けない」(『医者が泣くということ』二〇一一年 角川文庫)
 そう、メールアドレスを闇の業者に売り飛ばして「ビジネスチャンスだ」などと言ってのける神経は、いかにも「さもしい」のだ。

 ついでに言えば、この神経は「金儲けはそんなに悪いことですか?」と記者会見で叫んだ後に逮捕された”村上ファンド”こと村上世彰氏にも通じるような気がする。「悪いことですか」と聞かれて、「いや、悪いことかと言われれば‥‥」と口をつぐんだ人も、「法のすきまをくぐってでも一円でも多く儲けようとするのは、『悪いこと』ではないにせよ、『さもしいこと』なのです」と言えるのではないでしょうか。

拝金主義と理想主義のあいだで

 とはいえ、そんなことを言う私自身も、「お金は一銭もいりません」と言って生きるわけにはいかない。
 いつだったか、勤務先の診療所で七〇代の男性で初診の患者さんを診たときのことだっだ。「もの忘れがひどいのだが、これは認知症なのだろうか」という訴えだったように覚えている。長谷川式簡易知能評価スケールという昔から使われている簡単かつすぐれたテストを行うと、ほぼ満点。「認知症のご心配はありません」と言うと、男性は「ほっとしました」とうれしそうに診察室を出て行った。

 問題はその後に起きた。看護婦から、「先生受付までお願いします。先ほどの患者さんが‥‥」と呼ばれたのだ。めまいでも起こして倒れたのかとあわてて駆け付けると、ニコニコと笑顔で診察室を出て行ったはずの男性が顔を真っ赤にして怒っている。事務職員に「どうしたの?」と尋ねると、困惑したように言った。

「初診料と合わせて診察代のお会計をお願いしたのですが、お支払いを拒まれて‥‥」
 そこまで聞くと、男性は大声をあげた。
「今日は話だけで聴診器ひとつあてていないし、薬もでないのに、何が診察代だ! ここは金儲け主義なのか!」
 私は「精神科の診察は話すことが主体で、それに対して診察代が発生するのです」などと説明しようとしたが、外来の合間でその時間はとてもなかったので、ついこんなことを言ってしまった。

「そうです、病院に一歩入って私と一秒でも話したら、料金が発生するシステムなんです! とにかくお支払いをお願いします!」

 今思えばそれこそ「さもしい」と言われかねない発言だが、そこで「わかりました。せっかくいらしていただいたのですから、診察代はいただかなくてもけっこうです」とまでは言えなかった。それでは、あまりにも理想主義的できれいごとすぎる気がしてしまったからだ。

 同時に、「話しただけでお金は発生しない」と思っていたその男性に対して、「ずいぶん古臭い考えだな。だから日本にはカウンセリングは定着しないんだ」と思ってしまった記憶がある。この点では、私もテイラーシステムが刷り込まれた”近代人”ということかもしれない。

 さもしい人間にはなりたくない。かといって、きれいごとすぎるのもウソがある。
 こんな気持ちの間で揺れている人も、けっこういるのではないだろうか。

よいことをしたと思う自己満足
 東日本大震災が起きる前、社会が「タイガーマスク運動」というので盛り上がったことがあった。説明するまでもないが、これは二〇一〇年の暮れから始まった一連の「善意の贈り物活動」だ。

 ことの始まりは二〇一〇年一二月二五日、前橋市の児童相談所に新品のランドセル一〇個が届けられたことだ。郵送ではなく、正面玄関に置かれていたのを出勤してきた職員が気づいたそうだ。ランドセルに送り主の名前はなく、人気マンガの主人公、覆面レスラー・タイガーマスクの本名とされる「伊達直人」とのみ記されていた。

 このことが新聞やテレビでとり上げられると、すぐに全国の児童養護施設などに「タイガーマスク」「伊達直人」あるいは「星飛雄馬」といったマンガのヒーローの名前で、ランドセルや文房具、お菓子や現金などが続々と届くようになった。多くは、郵送ではなくて夜のうちに直接、施設の玄関先に置かれている。報道によると、全国すべての都道府県に「伊達直人」的な贈り物があったそうで、その数は一〇〇〇件以上に上るという。

 彼らのやったことは、もちろん善行に分類される。しかし、この現象に対しては最初から批判的な声もあった。まず、贈り物の内容や贈りかたが”ひとりよがり”になりがちなこと。中には、生鮮食品やボクシンググローブなど、贈られた側も扱いに困ったものもあった。また、ランドセルにしても、そもそもその施設が必要としているかどうかも定かではない。

 どうせならもっと効率的に相手が必要としているものを、ということで、仲介を名乗り出る業者もあった。たとえば「無印良品」では、ネットでのショッピングでもらえることが出来るクーポン券をお金に換算し、応援したいNGOなどを選んで寄付に充てることができる、という仕組みを始めた。ほかにも同様のサービスを始めたところがいくつかあったが、これらが十分に活用されたという話は聞かない。やはり、自分で選んだ品物を自分の足で直接、選んでこその贈り物、ということだったのだろう。

 そして、「タイガーマスク運動」が賛否両論を集めているさなかに、大震災が起きた。
 今度は是も非もない。多くの人たちが、義援金を出し、支援物資を送ろうとした。日本赤十字社だけでも二〇一一年七月までに二七〇〇億円を超える義援金が集まったという。

 こういった一連の行動に対しては、「理想主義的すぎる」「ひとりよがりでは」などと批判する人は、少なくとも当初はいなかった。しかし、どんな善意の行動にも、それなりの”副作用”はあるようだ。

 たとえば、私が二〇一一年、東北も春たけなわ、となったころに被災地を訪れたところ、そこで避難所の世話などをしている人がそっと教えてくれた。

「全国から次から次へと物資が送られて来るので、保管場所がなくなってついに居住スペースの通路にも積んでいます。非難している人たちの寝場所が侵食されているんです。しかも、今になって防寒の寝袋やダウンジャケットが大量に届いて‥‥」

 また、必要な物資し支援物資とのミスマッチも目立ったという、「下着が足りない」と聞きつけた人が大量に送ってくれるのはよいのだが、どれも旧式なデザイン。「ワガママかもしれませんが、若い人たちは使えないようなもので‥‥。でも、いちいち何とかスタイルを何々ください、とも言えないでしょう?」

 これも、贈った側は「私はよいことをした。被災地の人は足りなかった下着が配られて、さぞ喜んでいるだろう」と”ひとりよがり”の満足にとどまるような支援になってしまっている。

コミュニケーションをきちんと取る

 自分の利益しか考えないような、さもしい人にはなりたくない。かといって、ひとりよがりの善意を振りかざし、自己満足に浸るような人には最もなりたくない。こんな「善意のバランス」について悩んでいる人は、どのあたりに着地点を見出せばよいのだろうか。

 ひとつには、単純だがコミュニケーションの問題だ。まずは、はちんと相手に「何をしてほしいか、なにをしてほしくないか」と聞くことだ。それは、ビジネスの相手であっても、恋愛や前項の相手であっても同じこと。

 東日本大震災では、個人で医療ボランティアを申し出た医師が、現地から「来ないでください」と断られた、という話を何度か耳にした。

「こちらは混乱していますので個人での活動はお断りしています」「医薬品が不足しているので、いらしても何もできません」「宿泊や食事、ガソリンの確保がむずかしいのでご遠慮ください」など、かなりはっきりとノーサンキューを伝えられ、「ちょっと傷ついた」と話す知人の医師たちもいた。しかし、出かけて行って迷惑そうな雰囲気を感じ、気まずくなるのは相手側はもちろん、善行をする側にも大きなストレスとなる。それよりは、早い段階で「いりません」と言われる方が、結果的にはよいのかもしれない。
それに、たとえ被災地支援を断られても、医師にはそれぞれの持ち場で十分に自分の実力を発揮できるという強みがあるので、傷は浅くてすむ。だから、断る方も「けっこうです」と伝えやすかったのだろう。

 支援物資をめぐって発生する行き違いを防ぐために、ネットの通販サービス大手のアマゾンは、「被災地からの要請により、ほしい物リストを使って、必要な物資をお届けするサポート」というサービスを立ち上げた。まず、各被災地の避難所ごとに、現地の人たちが「これが必要」と品物を「ほしい物リスト」に挙げる。そして、支援した人がリストを見てその品物を購入すると、それがその避難所に直接、届けられるという仕組みだ。

 送る側は、それを必要としている避難所にダイレクトに品物を届けられる。お互いに顔や名前を出す必要はないから、余計な心理的負担を感じることもない。ある意味で、これぞ「ひとりよがりに終わらない合理的な善行」の究極のシステムといえる。

 ところが、このシステムにも批判の声が寄せられた。避難所ごとはいえ、被災者が直接「これほしい」と具体的に品物を挙げることに対して、違和感を覚えた人達がいたようだ。

「ほしい物リスト」に挙げられた品物をいちいち吟味して「これは生活必需品じゃない」「どうして被災者なのにレジャー用品が必要なのか」とブログや掲示板に批判を書き込んでいた人もいた。

 そうやっていちいちあげつらう人には、あこぎな金儲けを「ビジネスチャンス」と呼ぶ人とはまた別の「さもしさ」を感じるが、かくも「受ける側も行う側もハッピー支援」は難しいということかも知れない。「合理性、効率性」と「善行の行い」とは、どこまで行っても相性がよくないのだ。

さもしくもなく、時代遅れでもなく
 では、と再び考えてみよう。さもしくもなりたくないし、ひとりよがりの善人やお人好しなだけの化石人にもなりたくない、という人は、いったいどうすればよいのだろう。

 それはやはり、どちらかにいきっぱなしということではなくて、それぞれ行きつ戻りつつ、矛盾を抱え込むハラづもりをする、という事に尽きるのではないか。

 先ほどの小児科医・細谷氏にしてそうで、電子カルテには手作りの温かさがない、昔のカルテが懐かしい、と技術の進歩を嘆く一面と、医学の発展により小児がんの多くが”治るがん”になったことを喜ぶ一面とがあるという。あなたはいったいどっちなんですか、科学技術信奉者なのか、そうでないのかと問われても、細谷氏は答えられないか、「ことと場合による」と言うしかないだろう。

 これは、私たちにしても同じことだ、自分に自信がなく、不安やおびえでいっぱいなときほど、人は「自分は○○主義」と極端な態度を取ろうとする傾向がある。本来なら、少しでも合理的に生産性や効率を追求しようとする人を「さもしい拝金主義者」とののしる必要もなければ、素直な善意から居ても立っても居られなくなり利他的な行動に走ってしまう人を「ひとりよがりの理想主義者」とののしる必要もない。現代を生きる人には、必ずといってよいほど、その両面がある。

 そう考えると、利用者のメールアドレスを売りさばいて「ビジネスチャンスでしょう?」
と言えるIT社長は、もしかすると自分に自信のない不安の塊だったのかもしれない。
 生き馬の目を抜くようなビジネスの世界で自分が生き残れるのか、自分の事など世の中も他人も必要としてくれないのではないか、といった不安が、彼の中にはいつも渦巻いていた。だからこそ、心の中に在るはずの良心も善意もあっさりと切り捨てて、「すべてはビジネス、金儲け」と割り切ることを、自分の揺るがぬ柱にしてしまった可能性も考えられる。

 そんな話をしたら、闇のビジネスに詳しい若い知人にハナで笑われた。
「これだから昭和の人は困るなあ。僕らはそんなウエットな感情に支配されてビジネスやってるわけじゃないんですよ。たしかに、なりふりかまわない金儲けはさもしいかもしれません。でも、さもしくて何が悪いんですか?」

 そう言われると、返す言葉もない。「さもしい生き方をしていると、あの世からお釈迦様が見ていて‥‥」など、ありもしない宗教的知識を振りかざそうとしてもボロが出て、さらに笑われるだけだ。

 さもしくもなく、かといって時代遅れにもならずに。そんな生き方の着地点を探すのは、簡単な事で難しい。まずは、「どっちもありでいいさ」と揺れ動くことを恐れないこと、矛盾を抱えている自分を許すこと。そのふたつが基本であることは、間違いないだろう。

つづく 11 老いることがそんなに怖いですか