人間は「一生、健康」でいられるはずがない。だいたいどんな人間でも最終的には「死」という健康の対極にある状態に落ち着くわけだし、それまでには「老化」という緩やかな下降のプロセスを歩んでいくわけだから、自分で気を付けてさえいれば健康がいつまでも続くというのは、それじたい幻想でしかない。本表紙香山リカ著から

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11 老いることがそんなに怖いですか

健康にこだわりすぎる男たち

 趣味は、健康。
 そうとして思えないような男性が沢山いる。昼休みにも寸暇を惜しんでジョッキングをし、休日のほとんどをジムですごす。「〇歳は若く見える」「すごいカラダになる」といった健康、鍛錬本の読者の多くも、実は男性だと聞いたことがある。

「メタボ」を恐れる男性たちも少なくない。美容や健康の業界では、現在のトレンドは「アンチエイジング」「メタボ対策」「ダイエット」この三つだと聞いたことがある。テレビやネットのCMを見ても、「若返り」「体重減少」「激ヤセ」といった文字ばかりが躍り、それを可能にするというふれ込みでさまざまな器具やサプリメントが売られている。

 若い男性たちと話をしていると、ときどき「親の実家に行くと、おばあちゃんから『食べなさい』と言われるからイヤなんですよね」という話が出て来る。今二〇代の男性の祖父母は六〇代から七〇代だと思うが、肉だ卵だとやたらに栄養価の高い食材を使った料理を出してきては、「若いんだからもっと食べなさい」「タンパク質やカルシュウムが足りないと頭も働かない」などと言うんだそうだ。

「戦前戦後、日本では肺結核が大流行したけれど、特効薬のストレプトマイシンが開発される一九四四年までは、栄養を付けてひたすら寝ているしかなかったんだよ。しかも、食材も十分になかったから、庭で飼っているニワトリの卵がいちばん貴重な栄養源、おばあちゃんの世代だとまだその時代の影響があるから、とにかく卵や牛乳で栄養をつけて、丈夫な体を作ってほしい、と思うんじゃないの」と説明しても、若者たちは、「それって日本の話?」とポカンとしている。

 私は一九六〇年生まれなので、子どもの頃には今の学生以上に「卵、牛乳」と言われて育った。少し肥満気味のほうが”健康優良児”と言われ、親や教師に褒められた。今で言う”草食系”のようなスリムな体形の子どもは、それだけで”もやしこ”などと言われていじめからかいの対象になったこともあったのだ。

 そのころ、よく言われたのが、「アメリカ人は栄養がいいから、あんなに体も大きく体力もあるんだ。日本人は栄養が悪いから体格も貧弱なんだ」ということ。女性の理想の体形は、なんといってもマリリン・モンローや映画『風と共に去りぬ』ヴィヴィアン・リー。ふくよかな体形は、「豊かさ」の象徴であったのだ。

 ところが、「栄養過剰+ふくよか=豊かさ」の方程式が崩れる時がやって来る。それはまず、一九六〇年代、欧米で突然、起きた”ツィッギーブーム”によって始まった。ツィッギーとは、当時、一世を風靡した女性モデルの名だ。小枝のような手足、ふくらみの足りないバスト、そして未成熟で中性的な顔やミニスカート中心の子どもっぽいファッション。すべてがそれまでの”豊かな欧米人”のイメージとは逆のツィッギーは、身長こそある程度、高かったが、むしろ日本によくいる栄養に行きわたらない女性に似て見えた。

 そのスリムで幼げなツィッギーが、なぜか欧米で大人気者になったのだ。日本にも一九六七年に来日し、CMに頻繁に登場するようになった。その姿を見て、誰もが「えっ、こんな貧弱な子が世界を代表するトップモデルなの?」と衝撃を受けたと思う。

 おそらく欧米ではそのころから、栄養の摂り過ぎは時として肥満につながり、それが健康被害を生むことも知られるようになっていたのだろう。しかし、日本では一方で「ツィッギー的なスリムさが人気だし健康にもつながるみたい」という価値観も広がり、いったい何をどう目指せばよいのか、「健康」という概念をめぐって混乱が生じたのではないかと思われる。

 混乱は結局、その後、長い間続くことになった。若者に「もっと栄養を」と言っているひんしゅくを買うのは祖父母だけではない。実際に数年前、大学での健康診断に骨密度測定を持った一行がやって来てひと部屋で計測を行いながら、「日本人のカルシューム摂取はまだ不足している」とアピールしていたことがあった。この人たちは乳業関係の団体から派遣されてきたようで、計測を行った人にパックの牛乳とともに「カルシューム摂取は牛乳で」と書かれたチラシを渡していた。「栄養取り過ぎ、体重増えすぎ」という声が高まる中で、こうして「まだ足りない」と訴えようとしている人たちもいるのだ。

長生きできる人は太り気味の人
 そしてその混乱は、次第に若い女性たちから若い男性へ、さらに中高年にまで広がっていったのだ。厚生労働省は二〇〇八年から、四〇歳以上を対象にして健康診断に腹囲測定を組み入れ、本格的な「メタボ対策」に乗り出した。この中でよく引き合いにだされるのが「死の四重奏」という言葉。これは、メタボから生じる「肥満」「糖尿病」「高脂血症」「高血圧」という四つの生活習慣病が動脈硬化を促進し、結果的に心筋梗塞や脳梗塞など”死につながる病”を引き起こす可能性が著しく高まる、というものだ。

“死の四重奏”という言葉は、もともとアメリカの医師、ノーマン・カプランによって一九八九年に提言されたものなのだという。かつて「分厚いステーキを毎日のように食べるアメリカ人の体格こそ豊かな象徴」と思っていた日本人は、今度は当のアメリカ人に「飽食や肥満は死につながる」と言われて、あわててダイエットに邁進しなくてはならなくなったわけだ。

 しかし二〇〇九年になると、新聞にちょっと衝撃的な記事が相次いで載った。引用してみよう。
「禁煙・節酒に『太目』メタボ健診に疑問…厚労省」(毎日新聞 二〇〇九年一月三〇日)
 がんや心筋梗塞などの循環器疾患を起こさない今後の一〇年間を生きる可能性が最も高いのは「禁煙、月一〜三回の飲酒、BMI(体格指数)二五〜二七」人であることが、厚生労働省研究班による約九万六〇〇〇人の調査結果に基づく推計で判明した。禁煙や節酒の取り組みは生存率を向上させるが、BMIだけ下げても変化はなかった。

 主任研究者は津金昌一郎・国立がんセンターがん予防・健診研究センター予防研究部長は「がん、循環器疾患を減らすには、肥満対策より、まず禁酒、節酒を推進することが重要。肥満改善を重視する現在の特定健診(メタボ健診)に疑問を投げかけた。米医学誌電子版に発表した。

「やっぱり『ちょい太い』、やせ形より七年長生き‥‥厚生労働省」(読売新聞 二〇〇九年六月一〇日)
 四〇歳時点の体格によってその後の余命に大きな差があり、太り気味の人が最も長命であることが、厚生労働省の研究班(研究代表者=辻一郎東北大教授)の大規模調査で分かった。最も短命なのは痩せた人で、太り気味のひとより六〜七歳早く死ぬという、衝撃的な結果になった。「メタボ」対策が世の中を席巻する中、行き過ぎたダイエットにも警鐘を鳴らすものといえそうだ。

 研究では、宮城県内の四〇歳以上の住民約五万人を対象に一二年間、健康状態などを調査した。過去の体格も調べ、体の太さの指標となるBMIごとに四〇歳時点の平均余命を分析した結果、普通体重(BMIが一八・五以上二五未満)が男性三九・九四年。女性四七・九七年なのに対し、太り気味(同二五以上三〇未満)は男性が四一・六四年、女性が四八・〇五年と長命だった。しかし、さらに太って「肥満」(同三〇以上)に分類された人は男性が三九・四一年、女性が四六・〇二年だった。

 毎日新聞の記事には、「今回の研究では、従来の肥満の基準を多少超える『小太り』が最も健康な条件に入った」として、『肥満=不健康』の考え方に再考を迫る」という解説もつけられていた。

 とにかくやせれば健康になる、と日々、ダイエットや運動、サプリメントの摂取に熱心に取り組んでいた人たち、とくに食べたいラーメンや飲みたいお酒を我慢してきた男性たちは、これらの記事を見て「いったいどうすればいいんだ」とまたまた混乱したのではないだろうか。

老いることは自然なこと

 しかし、ここでちょっと考えてみよう。そもそも人間は「一生、健康」でいられるはずがない。だいたいどんな人間でも最終的には「死」という健康の対極にある状態に落ち着くわけだし、それまでには「老化」という緩やかな下降のプロセスを歩んでいくわけだから、自分で気を付けてさえいれば健康がいつまでも続くというのは、それじたい幻想でしかない。

 それにもかかわらず、私たちは「一〇〇パーセント健康という状態がどこかにあり、それを維持できるはず」という思い込みに長く捕らわれてきた。そして今状況はさらに進み、「いつまでも完全に若々しくあるべき」という”永遠の不老不死幻想”にまで人は手を出そうとしている。

 私の知人の内科クリニックの院長も、数年、修行して「美容皮膚科」の部門を設立したところ、六〇代、七〇代の男女で大賑わいと言っていた。その知人に、「最近は医療技術も進歩しているんだよ、メスを使わなくとも各種のレーザー光線治療で顔全体のしわを消してハリを戻すことだってできるんだから、まず一〇歳は若返るから、カヤマさんもやってみないか?」と言われて、「い、いや、まあそのうち」と思わず曖昧な返事をしてしまった。

 そして、美容皮膚科のレーザー治療はあくまでも外側の”修繕”だが、さらに「血液サラサラに」「腸内を大掃除」など、体の内側から老化を防止する医療も注目の分野だ。また、シニアになっても体形が崩れないように、と熱心にスポーツジムに通う人も多い。さらには、「脳の老化を防ごうと」ということで、ゲームや塗り絵、パズルなど「脳のトレーニングができる」というふれ込みの商品の人気もたいへんなもの。

 もちろん、健康への関心や医療技術の進歩などにより、体の外側も内側も若返る人が増えること自体はとても喜ばしいことだ。実際に病気予防にも役立ち医療費の抑制にも貢献できるだろうし、何といっても「若くなってうれしい!」という心理的効果は絶大だろう。実際に、こういった医療を受けた人たちは、軒並み「受けてよかった、鏡に映る顔がイキイキしている」「期待した以上に元気が出た」と、”予想以上の効果”を語っている、と美容皮膚科医の知人が教えてくれた。

 ただ、先ほどの「小太りのほうがいいのか、それともやせてたほうがいいのか」という混乱と同じように、このアンチエイジングブームにも心配な点はいくつかある。いちばん懸念されるのは、こういった医療が普及すればするほど、「老いるのは自然なことではなくて、悪いことなのだ」という価値観が強まるのではないか、ということだ。顔のしわ、お腹のたるみなどは、誰にでも起こる自然の老化だ。もちろん、ちょっとしたもの忘れや計算ミスの増加なども同じ。それじたい、害悪でも失敗でもなければ、もちろん自己責任でもない。

 ところが、先の美容皮膚科医から聞いたところによると、最近は、鏡の中のしわ一本見つけただけで、「どうしよう、見逃してしまった! 早く何とかしてください」と慌てて駆け込んでくる六〇代女性も少なくないそうだ。「手術で徹底的に取り除いて」と希望する人にメスを入れるリスクを話しても、「いいんです、とにかく若い顔に戻して」と繰り返し手術を希望する人もいるらしい。その人たちにとっては、老いじたいが忌まわしいもの、何としても排除しなければならないものになっていて、自分の緩やかな老化をまったく受け入れられなくなっているのだ。

 このような過剰なまでの老いへの恐怖の背景には、「老い悪」という考えとともに、「若ければ若いほど価値が高い」という日本独特の考え方もあると思われる。最近は芸能界でもスポーツ界でも一〇代の活躍が目立つが、一五歳、一八歳などの少年少女の爽やかな姿がテレビに映し出されるたびに、「やっぱり若いというのはそれだけでよいものだ」と感じる人も増えているのではないか。そして、そういう人はその次の瞬間には、こう呟いてため息をつくだろう。「ああ、年だけは取りたくないものだ」

 しかし、いくら医療が進みトレーニング技術が発達しても、時間を巻き戻すことはできない。誰だって、明日は今日よりも確実に年を取っている。その果てには、病気になることも、体の自由がきかなくなることも当然、起きてくる。その事実だけは、残酷なことだがたとえ資産家でもエリートでも変えることはできないのだ。

 それなのに病気や老化を「悪」と考え、受け入れられずに、必死に健康情報や最新の医療に頼るなどして排除しようとする様子は、それじたい、精神医学的に言えばとても健康な状態とは言えない。実際に、自分の健康や若さの維持に熱心になればなるほど、どんとどん「もし病気になったら」という恐怖も高まり、結果的に「体のどこかにがんが隠れているのでは」と検査を受け続ける心気神経症と呼ばれる心の病気になった人を、これまで何度も見たことがある。

老いの流れに逆らわらない

 健康に気を使えば使うほど、混乱と恐怖が高まり、結果的にはストレスから不健康な状態に陥っていく。健康マニアと健康度は決して正比例しているとは思えない。むしろ、そこには反比例の法則がある、といってもよいだろう。

 私自身五〇代を迎え、ここ一、二年で急にしわや白髪も増えたし老眼も進んだ。おなかもずいぶんたるんできたし、更年期障害の気配も濃厚だ。体力も記憶力もめっきり落ちて、頑張りが利かなくなってきた。学生たちといっしょに写真に写ると、そこにひとりだけ交じると正真正銘のオバサンの姿に愕然とすることもある。

 しかし、私は絶対に「健康にはなるべく気を遣うまい、自然の流れに逆らうまい」と自分に言い聞かせている。それはただの開き直りというよりは、これまで診察室で、健康オタクになり過ぎているあまり不健康に、という人たちをたくさん見てきた結果の選択だ。

 とはいえ、私だってもちろん、進んで病気になって苦しい思いをしたい、とは思わない。減らせる苦痛はなるべく減らしたいので、健康診断くらいはうけるようにしている。もちろん、しわや白髪だって大歓迎しているわけではない。

 ただ、これは人間の生活から完璧には取り除けないものであると同時に、取り除かなければならないものでもないはず、と思っている。もしいつまでもロボットのように若く、健康な状態が永遠に続くとしたら、私たちの人生はなんと味わいのないものになるだろう。「今しかない」と思うからこそ、恋愛は美しいし別れは切ないのだ。

 日本以上に健康オタク度の高い人が多いアメリカには、「健康のためなら死んでもいい」という皮肉なジョークもあるようだが、幻想でしかないかもしれない健康のために、私たちはどれくらい貴重なエネルギーやお金を割けるのか。それならもっと、食べること、遊ぶことなど、”健康に悪いこと”を楽しむほうがよほど健康的なのではないだろうか。

 とくに家族を背負って仕事に追われている男性たちが、唯一の楽しみである食事や飲酒を過剰に我慢して、ストイックにジョッキングやジム通いに励み、ちょっとでもメタボや老化の兆候があるだけで怯えている姿は、決して健康的とはいえない。また、飲食をがまんすることによるストレスからうつ病になったり、キレやすくなったりするのは、まさに本末転倒といえよう。血液検査の数値は満点だが、結局、家族からは「いつもイライラしてバカみたい」とあきれられ口もきいてもらえない、となっては、健康である意味さえなくなってしまう。

「お父さん、イヤだー、おなかが出て来たんじゃない?」と突っ込まれ、「そうか? 気をつけなきゃな。でも飲んだ後のラーメン、やめられないんだよな」と頭をかく、実はこれくらいのスキがある男のほうが家族やまわりから見ると魅力的である場合が多い、ということもぜひ忘れないでもらいたい。

12 パワーハラスメント・世代間意識の違い

パワハラ、これが上司の本音

 二〇一二年三月、厚生労働省の「職場いじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」は、職場でのパワーハラスメント、いわゆるパワハラに関する提言を公表した。実はこの円卓会議には、私も参加していた。

 精神科の診察室では、職場のパワハラが原因で仕事に恐怖感を抱いたり、うつ状態に陥ったりする人も少なくない。会議ではそんな経験をいくつか語った。

「パワハラ対策の厚労省の会議に出ている」と知人に言うと、何人かの男性はギョッとした顔をしてこう尋ねた。
「パワハラって、これから法律で罰せられるようになるわけ? 罰金、警告、まさか逮捕とか懲役なんかないよね?」

ウチの会社にはパワハラがあるか、あるとしたらどう防ぐか、ではなくて「逮捕されたらどうしよう」とすぐに考えてしまう。じゃ、逮捕されなかったらパワハラがあってもいいということ? と、つい言いたくなったが、ぐっとがまんしてこうこう答えた。

「今回の提言では、そこまでは決めないと思います。まずパワハラの存在をみんなに知ってもらって、実態を調査する、あるいは、被害者の人たちに申し出てもらう。法制化はそれからの話ですね」

 すると、「すぐに法律で罰則規定などが決まるわけではない」と知ってほっとしたのか、とたんに強気の発言をする人もいた。
「そうだろう。だいたいね、パワハラとか言われている問題だって、ほとんど指導、教育、いやいやジョークのようなものも多いだろう? オレの若いころなんて『やめちまえ』『バカ、アホ』はあたりまえ、ちょっとでも逆らおうものなら、パンチやキックが飛んできたもんだよ。でも、愛のムチだと思って感謝こそすれ、パワハラだなんて考えたことは一度もなかったね」

 そのころまだ”パワハラ”なんて言葉はなかったんじゃないの? とまたまたツッコミを入れたくなったが、今度もやめておいた。それよりも気になるのは、公の場では「パワハラ対策、必要ですね」と言っている人でも、オフレコになるとこうやって、とたんに「オレの若いころは」と職場で暴言、暴力を受けた”武勇伝”をなかばなつかしげに語りだすことだ。

 パワハラに憂慮しているのか、そうでもないのか。もちろん、後者のほうがホンネなのだろう。本当は女子の多くは、「パワハラだって? また面倒くさいものが出てきたなあ。
これじゃ部下への注意もできなければ、冗談も言えなくなるじゃないか。カンベンしてくれよ」と、この動きを苦々しく思っているのではないか。だとしたら、いくらお役所から「提言」や「手引き」が出されたとしても、職場からパワハラが消える日は当分、来ないだろう。

上司のこんな言葉に傷ついている

 もちろん、たしかに若い社員のほうにまったく問題がないとは言わない。診察室で診ていても「パワハラ被害にあっているんですよ」と語る若い世代の中に、「ちょっとそれは考え過ぎでは?」というケースもないわけではない。

 たとえば、上司に「もっとしっかりしてくれよ」と言われただけで、「それって普段はしっかりやっていない、っていう意味ですよね? もう嫌われたのかな。と考えたら一二指腸潰瘍になりました。内科医から精神科でのケアも必要と言われて来ました。これパワハラだと思うので、労災になりますね? 診断書お願いできますか」と診察室にやって来た二〇代の大手メーカー社員もいた。

「うーん、これは精神科医学的にではなくて常識的に言うのですが、『しっかりやって』というのはふつう、期待したり励ましたりするときの言葉ですよね。それで『嫌われた』と考えるのは、ちょっと理解できないのですが…‥。ましてそれがパワハラだとは‥‥」

 そう答えると、誰もが知る大学の修士課程まで出たというその青年は、「わかりました! もういいんです」と診察半ばで席を立ってしまった。おそらく彼は、ほかのクリニックに行って「鈍感そうなオバサン医師に疎まれ、ドクターハラスメントを受けた」とでも言うのかもしれない。

 つまり、いまどきの若い会社員は、職場に「好き、嫌い」といった人間関係の問題をすぐに持ち込んだり、容易に傷ついた、嫌われたと思い込んだりする傾向があるようなのだ。
 先ごろ発表されたライオン株式会社の「新社会人のプレッシャーに関する意識調査」(二〇一二年四月一一日)によると、新人社員(入社一年未満)にプレッシャーを感じた上司の言葉、上位四つは以下のようになっている。
一位「言っている意味わかる?」(三五・二%)
二位「そんなこともわからないのか」(二四・〇%)
三位「期待しているよ?」(二三・六%)
四位」あれ、どうなっている?」(二二・四%)
二位は咎める言葉だが、一位と四位はそれじたいには否定や肯定のニュアンスは含まれていない。「言っている意味わかる?」と聞かれ、もしわからない場合は、「すいません、十分に理解できません。○○のところはわかったんですが××の部分がよく理解できなくて」
と具体的に答えればよいのだ。

 また、「あれ、どうなっている?」では、何について聞かれているのかわからないというのなら、それに対しても「すいません、○○の件ですか? それなら、あと二日くらいかかりそうです。それとも××?」と、とにかく具体的に聞いていけばいい。しかし、若い社員は「わかる?」「どうなっている?」と言われただけで、「怒っているんだ」とネガティブに受け取り、さらに「見捨てられた」「嫌われている」と、それを人間性への評価だと感じて、プッシャーを受けてしまうようだ。
 さらに驚くべきは、三位の「期待しているよ」を「プレッシャー」に感じるね、ということだろう。「期待しているよ」は肯定的な励ましの言葉であり、そう言われたら新人社員は胸を張って「はいっ! がんばります!」と答える、というのが上司の常識だが、実際の職場ではどうもそうはならないらしい。むしろ、ヤバイ、あんなこと、言われちゃったよ。いったいどうすればいいんだ?」「それって皮肉、ってこと? やっぱり最初から嫌がられてるのかな」と緊張、混乱、失望を感じる若者が多い、ということか。

 しかも、この調査によると、「上司からのストレスやプレッシャー」で体調不良を訴える新人社員も少なくなく、そのうちもっとも多かったものは「下痢・胃腸・腹痛(六四・二%)で、次いで「頭痛」「肩こりなど体のコリ」を訴える人も少なくないことがわかった。「『期待しているよ』と言っただけで、胃痛や頭痛が起きるなんて‥‥」と途方に暮れる管理職もいるとは思うが、これが紛れもない事実なのだ。

世代間に横たわるギャップ

 若い人たちの感受性は、自分が若者だった時とは違う。それがいいことなのか、そうでないのかは別にして、これを事実として上の世代は心に留め置くべきだ。

 二〇〇八年、プロレタリア文学の代表作とされる小林多喜二の『蟹工船』が、突如として若い人のあいだでブームになったことがあった。新潮文庫版は増刊に次ぐ増刊で、この年だけでマンガ版、他社版をあわせて八〇万部以上が売れたとのことだ。

 当時は確かに、若者の就職難が顕在化してきて、いわゆるブラック企業で「名ばかり管理職」など、むちゃくちゃな働かされ方をして過労死などに至る従業員がいることも大きな社会問題となった。

 その年、私はある文学館と大学が共催した『蟹工船』読書エッセーコンテスト」で審査員をつとめた。「応募は二五歳以下に限る」という条件を付けたにもかかわらず、予想をはるかに上回る数の応募があり。その中にはこれまた当時、注目を集めていた「ネットカフェ難民」と思しきは住所不定の若者が、カフェのパソコン経由で応募してきた作品もあった。

 言うまでもないことだが、『蟹工船』の舞台は北の海で操業する船だ。蟹を獲っては缶詰に加工する船内で働くのは、各地から集まった出稼ぎ労働者。監督から人間扱いされずに酷使される労働者たちは、疲労や病気、暴力で心身を蝕まれる。

 予想されたことではあったが、読者エッセーコンテストでは、多くの読者は約八〇年前に書かれたこの小説を「まさに現代の物語」として読んでいた。中には、この状況をリアルに体験している若者もいた。貧富の格差に苦しみ、低賃金で危険なアルバイトに従事しなければならず、体調を崩して働けない日が数日続くと、あっという間に家賃も払えなくなりネットカフェ難民になるしかない、というのはまさに『現代版・蟹工船』と言えた。

 しかし、どう考えても、そこまでひどい状況とは思えないような若者もいた。この人たちは、自分の職場にはびこるセクハラ、パワハラを『蟹工船』の苛酷な労働の強制と重ねて読んでいるのだ。

 では、彼らは「甘い」のだろうか、上司世代はむしろ「『蟹工船』の時代は、働く者はこんな重労働にギリギリまで耐えたんだぞ!」と言うべきなのか。それは違う。空調のきいた職場でパソコンを使った仕事をしていたとしても、上司のセクハラ、パワハラにさらされながら日々を送る彼らは、まさに”心理的な蟹工船”に乗っていると言えよう。

 しかし、「ひどいよね」「おかしいよな」と思いながらも、彼らにはそれを『蟹工船』のラストのように抗議や異議申し立ての行動にまでは移せない。多くの若者は本書を読んで、「そうか、労働者が酷使される状況って昔からあったんだな」と理解して、そこで「それじゃ仕方ない。我慢するしかないか」と納得してしまっているのかもしれない。

 彼らからすると、何につけても熱くなって「立ち上がれ。オーッ」と団結する上の世代の雰囲気や日常の言動そのものが、ある種のハラスメントに感じられるのかもしれない。かつて診察室で、ある女性は「職場でちょっと新聞記事にあった政治問題に口にしたら、上司から『キミは右翼かね? それとも左翼? デモなんか行くわけ? セクトは?』と、六〇代、七〇代年代に戻ったかのように立て続けに聞かれて面食らいましたよ。私はそのどちらでもない、ふつうの若者だすよ。もうあんな人とは話したくありません」と語り、すぐ政治的なスタンスを類型化したがる世代に困惑しているようだった。

パワハラ・セクハラを避ける必須条件
 では、そんな世代間の否定しがたいギャップがある中、上の世代はいったいどうやって職場で若い社員に接すればよいのだろう。
 エッセイストとして人気のフランス思想研究者・内田樹氏は、「就職活動をする学生たちへ」という文章の中で学生たちにこう語りかける。
「就職希望の学生に私がいつも言うことがある。それは企業の知名度や資本金と『職場が楽しい』ことのあいだには何の関係もない、ということである。
 責任感があって、勤務考課が公正で、仕事のできる上司がいて、愉快な仲間がいれば、どんな単純作業であっても仕事は楽しい。

 逆に、無責任で不公正で仕事のできない上司と、感じの悪い同僚に囲まれていれば、どれほど『クリエイティヴ』で『先端的』で『ソフィスティケートされた』仕事をしていても、ぜんぜん愉しくない」(『「おじさん」的思考』二〇〇二年 晶文社)

 内田氏自身にとっても、「これまでした仕事の中でいちばん楽しかったものの一つ」は、ある会社でバイトの女性たちといっしょにした「英語マニュアルの切り貼り」だったそうだ。なぜならそのときの仲間たちと内田氏は、仕事中もおしゃべりをし、お昼になればランチを食べに行き、さらに仕事が終わった後はみんなで連れ立って芝居やコンサートにまで出かけたそうだ。ここまで気の合う仲間がいれば、内田氏が「毎日、会社にゆくのが楽しみだった」と振り返るのにも納得がいく。

 ここで、内田氏が「ぜんぜん愉しくない」職場の原因として挙げている「無責任で不公平で仕事のできない上司」や「感じの悪い同僚」にならないように、心がけること。これこそが、まず上の世代がすべきことであり、パワハラ、セクハラを避けるための必須条件と言えるだろう。

 振り返ってみれば、私自身も若いころ、いちばん働きにくかった職場は、その「無責任で不公平で仕事のできないのに、やたらと権威を振りかざす上司がいる病院」だった気がする。

 もうだいぶ前の話だから時効だと思うのだが、ある病院では直接の上司である医局長がとても人の好き嫌いが激しい人物で、私の顔を見るたびに経営者や別の医師の悪口を延々と語っては、「キミもそう思うでしょう?」などと同意することを強いてきた。「はあ、まあ」などと曖昧に応じていたのだが、はっきり返事しないと「へー、ああいうタイプがお好みですか」などとイヤミを言われる。
そのうち私は、自分の机がある医師室に行くのも怖くなり、用事もないのに病棟のナースセンターや外来の受付のあたりをうろうろして時間を潰すようになった。降格させられた、賃金をカットされた、といった目に見えるパワハラ被害を受けたわけではないので、抗議したり誰かに訴えたりするわけにもいかない。

 私はひたすら大学病院から異動の辞令が出るのを待つしかなかったのだが、そこの病院にいた数年間で持病の喘息が悪化したのは、その上司がストレス源になっていたかもしれない。なぜなら、そのあと別の職場に移っただけで、喘息はすっかり良くなってしまったからだ。

 私も精神科医なので、「ストレスを軽減するにはまず割り切ること、距離を置くこと」と考え、何でも「好き、嫌い」の関係を持ち込もうとする上司にも距離を置き、「これは職場だけの関係なのだから」と考えて、病院を出たらその人の事は忘れるように心がけた。それでも体調に影響が出るほど、「職場のイヤな上司」は自分にとってストレス、プレッシャーだったということだ。

 厚労省が発表した「平成一九年労働者健康状況調査結果の概況」をみても、「自分の仕事や職業生活に関して強い不安、悩み、ストレスがある」とする労働者の割合は五八・〇%と半数を超えている。さらにその内訳をみると、具体的なストレスの内容(三つ以内の複数回答)としては、「職場の人間関係の問題」(三八・四%)がもっとも高くなっている。「仕事の質の問題」(三四・八%)、「仕事の量の問題」(三〇・六%)よりもやはりいちばん人を悩ませるのは「人間関係」だということだ。

理想はこんな上司

 では「部下にストレスを与えない上司」とはどんな人なのか、もちろんそれは、これまであれこれ話してきたことの逆、「責任感もあり公平で、仕事の場に感情的な人間関係を持ち込まない」「繊細で傷付きやすい、今どきの若い部下に配慮し、彼らが『嫌われた、見捨てられた』『プッシャーをかけられた』と感じないようになるべくスッキリ、アッサリと扱う」ということになるだろう。

 おそらく、多くの上司は仕事が順調であれば、それが自然に実行できるだけの経験、実力を持っているのだと思う。
 彼らがそう出来なくしている原因は、実は上司にあたる人たちもまた、大きなストレス、プレッシャーにさらされているのに、それを自覚していなかったり、発散できずにいたりすることがある。

 四〇代から六〇代までの世代は、「バブル以前」の日本や、そのときの会社や社会のことを知っている。当時は終身雇用、年功序列が常識となっていて、会社は大きな家族のようであった。それが大きく変わったのは、バブルが崩壊した後のことである。

 経済学者の金子勝氏は、経済のグローバル化や市場原理主義が職場環境の悪化を進める危険性があることを、以前からしてきた。
「筆者は一貫して、グローバリズムの本質を市場原理主義と金融自由化を基軸としたグローバリゼーションととらえ、その危険性を指摘してきた」(『新・反グローバリズム』二〇一〇年 岩波現代文庫)

 金子氏は、アメリカがヘゲモニーを握りながら推し進めてきたこのグローバル経済を詳しく分析する過程で、本書の冒頭で問題にした議論の前提となる人間モデルについても触れる。
「典型的な『つよい個人の仮定』から出発するのは、市場原理主義を基礎づける新古典派経済学である。その理論が前提する人間像は、短期だけでなく長期の将来も合理的に見通して、かつ他者にかかわりなく自己利益だけを追求する『合理的経済人』だからである。この『合理的経済人』仮定すると、規制緩和政策によって『自己責任』をとらせば、市場は活性化して経済成長を達成することが出来るようになる」

「会社は家族」という時代を長く経験した人であればあるほど、すぐには「合理的経済人」にはなれない。それでもなんとか時代に追いつこうと、と思う人もいるはずだが、これまでの価値観や働き方を急激に変えることは、大変なストレスになることは想像にかたくない。
逆に「これまでのやり方を変える必要はない」という人もいるかもしれないが、そういう場合はその人の存在じたいがストレス源になる。自分と社会や職場のあいだに大きなギャップができて、まわりがそれに無理をしながら合わせなければならなくなるからだ。そして下の世代も自分に敬意を払ってくれず、「あいつってパワハラ上司だよな」などと呼ばれるようになり、それが結局はストレスになることになる。

 時代についていこうと頑張り過ぎてもダメ、「オレはオレ」と時代を無視してもダメ、では、どうすればいいのか。そのヒントのひとつは、最近、若い世代にも大人気の高田純次さんに求めることが出来るのではないだろうか。

「適当男」などと言われる高田さんは、自分でも堂々と「オレって適当だから」と言い、まわりからそのことでからかわれても、「そうなんだよね!」と笑顔で受け流す。しかし、そんな高田さんだからこそ、テレビ局のプロデューサーの信頼は絶大。「自由にやってください」とだけ言えば、あとはまわりの雰囲気を見ながら自在に番組を進行してくれるからだ。

 お互いに信頼があるからこそ、「適当ですよね!」「そう、適当です」と笑顔で言い合うことができる。この風通しの良さがあれば、おかしなパワハラやセクハラ、傷ついた、傷つけられたという関係の発生を防ぐことができるはずだ。

 まずは自分の力を抜いて、「適当ですか〜?」「適当で〜す」と唱えてみる。そんなところから始めてみるのがよいように思うのだが、これではあまりに適当すぎるだろうか。

つづく13 男性のDVはなぜ多いのか