裸にされ、側にあったタイで両手を縛られた。私の足は開かれ、ベッドに括り付けられた。彼は決して逃れられない状態になってから、狂人のような振る舞いを止め彼は自分のガウンを脱ぎ捨て裸になり、私の脇に足を投げ出して座った。一連の性癖は彼女との愛憎から発したものなのか? 元々異常性癖の持ち主であったのだろうか!
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心と快楽と身体のすれ違の「セックスレス」を、どうやって埋めていくのか。たかがセックス、されどセックス、といつも思う。そして、寿命が延び、いつまでも女、いつまでも男と願っても叶えられない現実は不倫、浮気しかないのか?

第二章 指の戯れ

 山田詠美 著
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 私は体温計を口に入れた。あの日私はリロイの車を途中で降り、雨の中を歩いて帰った。その朝から風邪をひき微熱が続いたのだった。髪の毛から雨の滴をしたらせてドアを開けたわたしを見て。DCは驚嘆した。私は、心ここにあらずという感じで呆然とDCを見た。DCは私をタオルにくるんでベッドルームに連れて行き、熱いスープを飲ませるために缶を切った。私はしけ煙草に火を点けようとしたが、思うようにならなかった。DCは自分の口にくわえていた煙草を私の口に移し、私をいたわった。私は彼に感謝した。
「愛しているわ」
 私は自分を、そして他人を気持ち良くさせるための噓を初めてついた。それは欲しくもないファックを欲しいように見せかけるのと同じ種類の噓だった。DCは阿保のように口を開けたまま私を見ていた。彼は自分の耳がおかしくなっていないかどうか何度も自分の指で引っ張ったりつまんだりした。彼は自分で火にかけた鍋が噴きこぼれるのにも気づかない程だった。彼は無論、その後私が心の中で「アイムソリー」と言ったのを聞いていなかった。

 私は重い病の振りをして終日横たわり、リロイの事を考えまいとした。彼は私の瞼の内側に潜み、私が目を閉じるのを待っていたかのように私の心に追いかぶさった。私はそれを避けるために常に目を開けていなければならなかった。目を開けて部屋の空気やDCの笑顔に気を移していると、心を閉じる事が出来た。しかし、次第に私の目以外の器官、鼻や口や皮膚に張り巡らされた神経などは進化して行き、その発達した記憶力はリロイの手や足や性器や舌などの感触を私に呼び起させるのだった。

私が眠りの中に逃げ込もうとすると、彼の指は私の体をつかみ、くすぐり、私を混乱した。私は汗をかき目覚めた後、全身が甘く濡れているのを感じるのだった。私はウエツトドリーム(夢精)という言葉を思い出す。その湿った夢は六月の雨季よりも、はるかに湿っているのだった。

DCは自分をこき使わない私を気味悪がり、心から心配していた。
「絶対におかしいよ。ルイ子がそんなふうだなんて。きっと僕のジュースを飲んでいないからだよ」
「よしてよ。あんたのジュースなんて、よっぽどお腹が空いた時以外、見るのも嫌」
 彼も私にものを食べさせようとキドニー(腎臓)やらレバーを工夫して料理をしたが、私は見ただけで胸がいっぱいになり食べる事は出来なかった。私が渇望しているのはただ一つの物だった。私は病にかかった小娘に自分が戻っていくのを感じていた。私の全身が切なかった。

「君は僕をどうでもいいろくでなし(アスホール)だと思ってるんだ」
 DCは返事をしなかった私に向かってそう言った。彼は天気の話をしていたらしい。お天気の話を!? 私はそれどころではなかった。
「何で私がくそ天気(フアツキンウエザー)の話をしなきゃいけないのよ」
「ルイ子は僕が嫌いなんだ。僕を愛しているって言ったのに」
 私はうんざりした。
「お天気の話に耳を傾ければ、私があんたを愛している事の証明になる訳?」
「そうだよ」
 DCはしゃくり上げて泣いていた。私の前で泣く男は少なくなかったので私はあまり感動しなかった。
「こっちに来て私を抱いて。そうすれば、少し楽になるわよ」
 彼を泣き止まらせるのには、これが一番良い方法なのだ。誰だって恋する相手の肌に触れられないと文句の一つも言ってみたくなる。
私はそれを感じた時、わざと相手を突き離したものだったが、今、そんな元気はなかった。

 私はDCの腕の中で、彼の感触を還元してリロイの感触に変えて味わうつもりだったが、不可能だった。私は記憶力の良い自分の感覚をこれ程、嫌悪した事はかつてなかった。

 あの雨の日以来、私は数回リロイの姿を見た。彼はいつも美しい女を連れていた。私はいつもDCと、或いは他の友人たちと一緒だったが、リロイの姿を見つけると、わたしの耳はウサギのようにピンと立ち、彼の声が聞こえて来やしないかと神経を尖らせた。同席していた友人は、もうリロイの話は出さなかったし、私が全身で意識している事など、まるで気が付いていなかった。

 リロイは前の時のように、私の乳首を堅くするような視線を送ったりはしなかった。彼は自分の連れている女を見詰めていた。彼の視線があまりにも情熱的であったせいか、女は時折、顔を赤くしていた。私は、こみ上げる怒りを悟られないように必死だった。あの女はリロイの車に乗っただろうか。
私が忘れてきたバックシートの私の体液の匂いを嗅いだだろうか。あなたなんて知らない。私はあの時、リロイに軽蔑されたのよ。私には、そうされる権利があるのよ。私は不思議な優越感に胸を高鳴らせた。

 リロイの指の戯れは私の心までも奴隷にした。私は彼の指を思い、体を熱くした。私はいったいどうしてしまったのだろう。かつて私は、ほんの少しの目の動きで彼を自由に操ることが出来たのに。私のほんの少しのために息で自分の靴を彼の舌で清めさせる事すらできたのに。今、私は彼の濃密なまつ毛がどんなふうに揺れたのかと心を悩まされているのだ。

 私はこのままでは遺棄された死体のように腐って行くに違いない。どうにかしなくては。私はDCを見た。彼では奇跡は起こせない。私は絶望的な気持ちになった。リロイはグラスを傾けながら、指の関節で女の頬を撫でた。その女は鍵盤じゃない! 鍵盤じゃないのよリロイ! 
「ルイ子、また具合が悪いの?」
「普通よ。どうして? 本当に普通よ」
「最近やっと元気になったんだ。ちゃんと毎日メイクラブもしているんだ」

 真面目にそういうDCを皆、からかった。私はDCの言葉に腹を立てることも出来ずに黙っていた。彼は最近、私が彼を無視すると、すぐに泣いて媚を売ろうとする。私は、それが面倒で、いつもベッドに誘い込み問題をあやふやにしてしまうのだった。
「僕のフォンナンバーは‥‥」
 私はリロイの声に飛び上がりそうになった。私の頭の中は空白になり、すぐさま真っ白な紙切れとペンが用意された。そして、リロイがその女に伝えた数字を一つも漏らさぬように記憶した。その声は、私にはとても大きく響いたが、他の人には聞き取れないほどの小さなものだったらしい。けれども私の頭の中では、蛍光塗料を塗られた車のナンバーのように、それらの数字は不気味に光った。

 私はそれを知ってどうしようというのだろう。彼に再び軽蔑されようとしているのだろうか。私はなぜ、今更自分を貶めようとしているのだろう。私は今まで男の前で誇り高く振る舞って来たハズであるのに。

 私は自分自身が何か大きな力に動かされているのを感じていた。これは運命なのだ。私が昔、南部から来た田舎者の才能を見抜いた時から、私の運命に組み込まれたのだ。けれど、それを運命というなら、運命とという感情に支配される、何と重みない言葉だろうか。そして、なんと自由の利かない困難なものだろう。

 私は生まれて初めて自分を不自由だと感じていた。私は粘り気のある甘い糸で絡まれてもがいていた。

 猿がアリ塚から蜜を吸う時、彼らは藁を使う。アリ塚には沢山の穴が開いていて、中にはたっぷりと甘い蜜が保存されている。サルはその穴の中に藁を差し込み、そこに付着した蜜を嘗める。けれど、一本の藁には、ほんの少しの蜜しか付いてこない。彼らは考え、わらの先をほぐし、ほうきのようにする。そのほうきには大量の蜜が付き、彼らはやっと満足のいく量を平らげられるのだ。一度、そのほうきを穴から出してしまうと続けて同じ穴に入れるのは困難になる。だから彼らは決して、そのほうきの先を穴から完全には出さない。口をその穴に近づけるのだ。そして大量の甘い蜜を嘗め続けるのだ。

 私は何をどういうふうにして自分の「ほうき」を造ったら良いのだろう。魔女にでもなるしかない。その「ほうき」があれば、リロイに差し込んで、私は永遠にそれを放さない。

 私は魔女になれない。私は魔法を使えない。私はもどかしさを感じて、しくしくと泣き出した。
「ど、どうしたんだよ!? ルイ子!?」
 友人達はギョッとして私を見た。
「酔っぱらってのよ。ほっといて。酔っぱらってセンチメンタルな気分になってるのよ」
 彼らは顔を見合わせて困っていた。誰もが私の泣き顔を初めて見て、どうして良いか解らなくて途方にくれていた。DCだけが、かわいくてたまらないというふうに微笑して私の背中をさすっていた。

9
 ベッドの下にはビールの缶が六個潰されて置いてある。DCは軽い鼾をかいて気持ちよさそうに寝ている。彼は体にはアルコールの心地良い芯があり、今それが溶けだしているようだった。私は今夜、彼を早く寝かせてしまおうと、必死に彼の空腹の胃の中に食べ物とビールを流し込ませたのだ。人を疑うことを知らないDCは、親切を不信に思いながらも、気分良く私の思うとおりになってくれた。

 私は音をさせないように外に出て、近くの電話ボックスに走った。私は辺りを卑屈に見渡し、まるで重大な指令をうけた間者のようにキョロキョロとした。私は自分の部屋に電話がありながら、フォンブースで息を切らしている自分をおかしく思った。私は証拠を決して残したくなかった。たとえDCの夢の中であっても。

 コインを持つ手が震えていた。私は頭の中にしっかりと刻まれた数字を口に出して押した。リロイの部屋の電話ベルは今鳴っている。彼がこの時間に寝ていることはないだろう。もしかしたら女とよじれたシーツにくるまっているかもしれない。私は自分のしている事への恥しさで今にも倒れそうだった。受話器の上がる音がする。
「リロイ?」
「‥‥」
「寝ていたの?」
「いや。曲を書いていたんだ」
「そこにピアノあるの?」
「‥‥」私は言葉に詰まった。
「泣いているのか? ルイ子」
「解るの? 私だって」
「解るよ」
「会いたいの」
「何のために」
「あんただって会いたい筈よ」彼はSHITと舌打ちをしながら低く笑った。
「あのデューク(男)どうした」
「寝ているわ」
「まるで昔のオレだな」
「違うわ」
 リロイはしばらく黙っていた。そして私にホテルのルームナンバーを教えた。私は相手の受話器が置かれるのを待って電話を切った。私は目を閉じて大きくため息をついた。私は部屋に戻りテーブルの上に散らばっているレコードのアルバムジャケットにホテルのルームナンバーを書き留めた。

DCは寝息を立てている。私は、ただ引き寄せられている。ターンテーブルに載せられたレコード。ごわごわした音声のブルース。レコードを引つ搔く針。私の体にも、もうじき引っ掻かれた針の跡がトレースされる。

 私が先に来て待っていたホテルの部屋に、リロイは十五分ほど遅れて来た。彼は私を一瞥すると、被っていたソフト帽をベッドに置くとバッドラツク(悪運)を招くという迷信を彼は知っている筈であるのに。
「腹が減っているんだ。何か食いたいかな」
 彼はルームサービスに電話し、スパゲッティとエスカルゴ二人前をオーダーし、シャンペンもつけ加えた。
「私はいらないのよ」
「食おうぜ。今まで二人でまともな食事したことないじゃないか」
 彼はタイをほどいて胸元のボタンを外した。
「そんな気分じゃないのよ」
「ふふん、それじゃあ、こういう気分って訳だ」
 彼は自分のパンツのジッパーを下ろし、縮んだままのディックを引っ張り出して握った。私はムッとして彼を上目遣いで睨んだ。その時、ルームサービスがドアを叩き、彼は後ろを向いて私にドアを開けるように言った。私は言われたままドアを開け。リロイは伝票にサインした。
彼は股間に帽子をさりげなく当てボーイにチップを渡す。その物慣れた様子は見事だった。

 リロイはテーブルに料理を並べ、シャンペンを開けた。私は椅子に腰掛け、仕方なく料理を突つき始めた。彼はエスカルゴの中身を食べた後、上を向いてからに口をつけ、香辛料のきいた溶けたバターを啜った。スパゲッティの束を大量にフォークに巻き付け、ずるずると音を立てて口に吸いこんだ。ソースで真っ赤になった唇をぬぐい、シャンペンのグラスを手に持ちながら私を見た。彼のジッパーは開いたままで、そこから出ている物は、やっと生気を得たように生き生きとしている。
「育ちは隠せねえって言いたいんだろう」
「それがあんたの言う『まともな食事』って訳ね」
 彼は食べ続けた。時折、口の周囲に付いたトマトソースを舌で嘗めまわし、私を上目遣いで見上げた。彼は、ほんの少し口を付けただけの私の皿を自分の空になった皿と取り換え、それを食べ始めた。私は苛々した。
「あんたは食事をするために、私を呼んだのね」
「そうだ」
 リロイは最後の一本のスパゲッティを啜り終わると立ち上がり、私の腕をつかみベッドに押し倒した。
「食事をするためさ」
 彼は口を塞いだ。私はその荒々しさに顔を背けたが、彼は無理矢理私の歯をこじ開けた。
「あんたがこういうふうになるなんて」
「お前が気付かせたんだ。お前がオレを捨てなければオレは幸福な召使いでいられたのに」
「あんなたは私に復讐したいの?」
「言っておくけどな」彼は、そして、とても残酷な表情を浮かべた。
「それは、ただの原因だ。オレはお前に捨てられたことなんて何とも思っちゃいないんだ。お前はただきっかけを作っただけさ。オレはただのピアノを弾く。自分を気持ちよくするためにな。ところがどうだ。それが他の奴らをも気持ちよくするんだぜ。みんなオレをガッド(神)のように見詰めてひれ伏すんだ」

「嘘はつかないで。あんたは、ただ私に仕返しをしたいだけなのよ。二年間、それだけを考えていたんだわ。二年間、私をどうやって征服しようか、そればかりを考えていたんでしょう。そう言って!」
「ベイビー‥‥」彼は眉をしかめながら微笑んだ。
「人々はオレをジーニアス(天才)と呼ぶんだぜ」
 私は、言葉を失い、そして絶望した。彼が私のために、そうなったのではないことは明かだった。
「だったら何故」私は改めて彼に問う。
「何故、私を求めるの」
 彼は答えなかった。何も言わず私の衣服を剥ぎ取った。彼は私の肌を、さっき食べていたスパゲッティの延長のように啜った彼は私に有無を言わせなかった。彼は私の両腕の自由を奪い、私を犯した。私の両足は自由だったが、金縛りに会ったように動かなかった。

 私は瞳を開けて彼を見た。彼は乱暴な動きを止めた。
「あんたの指が好きよ」
 彼は一瞬、とてもせつない顔をした。
「知っていたのよ」私の声は途切れた。
「あんたの指には才能があること」
「私は‥‥」顔をしかめた。
「それが怖かった」
「止めてくれ!」
 私は言いたかったことを全て告白したような気がした。そして安息を得て快楽に身を任せた。彼は私を犯した続けた。

 私はかつてリロイという名の奴隷を飼っていた。そして、それを使って自分の存在を確認していた。私は永遠に支配者でいたかった。けれど、彼から先にその掟を破ったのだ。法則に逆らって罰を受けたのは彼なのだ。

 彼は呻き声をあげる私の頬をぶった。私の唇は切れて血を流す。彼は私を憎んでいる。そしてわたしを愛している。私を軽蔑しようと、敗北させようと私を犯し続ける。私は彼の為すがままに身を任せる。彼の指に気づかないふりをしている私が、今度はその罰を受けるのだ。彼は、今私を自由にできる。彼にはそういう資格がある。

 彼は今、二年前にピアノの前で私をファックした時の気持ちになっている。人が彼の存在に気づき始めた時から、彼はあの時のピアニストとして生き始めたのだ。私にどうすることが出来るというのだろう。ただ泣きわめいて彼に優越感を与える事しかできない。

 私は何度も気を失いかけ、彼がそれに満足してすべてを終えた時、私はしばらく口もきけなかった。私の髪の毛は汗で額に張り付き、彼はそれをどけて私の目を見つづけた。
「私、これから、この指たちに恋焦がれるわ」
「お前のものじゃない」
 私は静かに泣いた。彼は、その間中、私の髪を撫でていた。
「お前がいくら欲しくても、もう遅いよ」
「あんたは私を変えちゃったわ」
「お前を憎む事でね」
 それは一種の告白だった。

10
 リロイは私を度々、呼び出した。私は、その度に彼がそれに私を傷つけるだろうと知りながら、口紅を塗るのも忘れてホテルの部屋に急いだ。

 彼は決して私を包み込もうとしなかった。私は痛めつけられ、ヒリヒリとした傷を手当てすることも出来ずに部屋から放り出された。私はいつも飢えていて、その飢えは、決して満たされることはなかった。彼は私をとても恥ずかしい状態にして犯した。私は汚され、惨めに唇を嚙みしめながら、それでもリロイの許に足を運ぶのだった。

 帰り道で、私はコーヒースタンドで紙コップのコーヒーを飲み、気を落ち着かせようとした。私の手の甲に一匹の蠅が止まった。私は、片手でそれを追い払ったが、しばらくすると同じ蠅が再び私を煩わせた。コーヒースタンドは混んでいた。けれど、その蠅は私のことを選び取り、私だけを煩わせた。それは、まるで私が今まで何をしてきたのかを知っているような執拗さだった。私は、蠅にたかられているような気がした。リロイは、私はそういう存在に変えていくような気がした。

 リロイは、その最中に私を汚い言葉で罵った。今の彼は、私と一緒にいる時にだけ、そういう言葉を使うのだった。彼は髪の毛を引っ張り、私を引きずり回した。私の体じゅうに噛み跡を付け、私の肌に櫛の歯のような青あざを残した。私は彼に懇願して助けを求めたが、彼は私をあざ笑うだけだった。

 私が耐え切れなくなり、ドアのノブに逃げ出そうと手をかけると、彼は、その場で私を押し倒し、自分の指で私に喜びの叫び声を上げさせるのだった。私はドアと床との隙間から他人の靴が冷静に通り過ぎて行くのを、朦朧とした意識の中で見続けるのだった。時折、その隙間から流れ出た私の髪の毛を平気で踏みつける者もいた。リロイはそれに気づきながらも構わずに私を犯した。

 私は日毎に瘦せて行った。食べ物はめったに私の喉を通り越さなかった。DCは私をとても上手にいたわったが、前のように私を明るい気持ちにする事は出来なかった。

 私はリロイに対する気持ちを持て余して弱りはてた。今の私だったら、たとえリロイが私の口に向けて放尿したとしても、それを一滴残さずに飲み干しただろう。

 私は、どうにかしなくては、といつも心をじたばたさせていた。そのくせ、リロイの体が縄のようによれると、私はすべてを諦めて浮遊し始めるのだった。そして後で何のために着けて来たのか解らない小さな下着を拾い集め、気怠い後悔と共に再び身に着ける。私は、リロイに会いに行くときは、決って喪服のように黒い下着を着けていた。私は、自分を自ら葬ろうとしている罪人のような感じ、失望した。

私はなぜ、自分をこのように卑下しなくてはならないのだろうか。私は、彼の目線や野卑な言葉や全てを知り尽くしている舌などを伴奏として、彼の指が私の体の上で音楽を奏でる事を欲したのだった。その主旋律は私の平静を奪い、私の理性を破壊する麻薬のような代物だった。
彼の指は切り火を切って私の心を燃やして灰にした。私の中に在った私だけの秩序は根こそぎ刈り取られた。
つまり、私は何も持たない囚人になっていたのだ。彼の十本の指は檻のように私を囲み、私に逃れようとする気持ちを失いさせた。そして、その指たちは私の目の前で手の届く位置に存在していながら、決して私の物にはなり得なかった。

 私はリロイを思い通りに引き摺りながらも、その指をどうしても自分の物にしたいと思い始めていた。そう思いながらも、もしそれが実現したら、その切ない指たちはたちどころに消え失せてしまうような気がした。そしてその前に、指たちは私に君臨し、私は自分の無能さを思い知るのだった。リロイの指たちは、それ程私を支配していた。雪の草原を流れる川で鮭を待ち受ける熊のように、私は見ただけで彼の手か、そうでないかがよく解る。リロイの手の中には赤く光る卵が列をなして隠されている。けれど、どんなに私がそれを欲しくても、彼は私にそれを与えようとはしないのだ。

 私は一度、リロイがどんなふうに他の女子たちとセックスをするのだろうかと想像してみたことがある。私は、まるで映画を見るように鮮やかにそれが思い浮かべる事が出来る。

 彼は寝たいのだという視線を素朴に女に送る。女は熱くて悪戯好きの子どもが駄々をこねるような彼の眼差しに仕様がないわねというふうに身を任せる。彼はとても穏やかに女をエスコートし、礼儀正しくベッドに運ぶ。その時、彼は焦れているようにドアの鍵を開けるのに手間取るのを忘れない。

 部屋に入ると女は一応逆らって見せるが、器用に後ろのジッパーを引き下ろす彼の指の為すがままにまかせる。彼は、自分の肩に頭を載せて、その気を表す女を見ずに宙に視線を泳がせる。彼の目は、またかというように既に倦怠を漂わせて、そうしながらもほくそ笑む。彼は指で女を愛撫しながらも手の内は見せない。女はとても気分がよくなり、それを彼に伝えようと声を出す。けれど女は単に快楽を導くものとしか彼の指を考えない。

そして、彼女は最高の瞬間を迎える。リロイは、その低い声で噓の独白を沢山、囁く。彼は自分が女に今よりはるかに大きな快楽を与えられるのを知っている。彼はもどかしさを感じながらも、無事にやり遂げた事に安堵する。女はそれが最高の快楽だと信じ、彼に感謝する。彼のやり残したことは沢山あるというのに。

 私は彼の全てを受け止める。私だったら彼の汗のひと滴をも見逃さないで受け入れる事が出来るだろう。私はDCの肩に埋め込んだ自分の爪を悔しい思いで見詰めたが、リロイには、自ら自分の爪をハンマーで割って埋め込んでしまいたい。そうすれば彼の肩には証拠が残る。終わった後、リロイの指の間に絡み付いた私の髪の毛と違い、決して安易に取り除くことは出来ない確かな証拠が生き延びる。

 リロイと同じように音楽をやる友人から部屋を又貸ししてもらい、そこに滞在していた。私がそこに電話を入れる時、彼は大抵ぶっきらぼうに返事するだけだったが、一度だけ機嫌の良かった事があった。彼は、今とても手が放せないから、こちらに来ないかと言った。私は予想外の彼の返事に、とても驚いたが、彼は、自分の部屋ではないから良いのだと、彼らしい理由をつけて私に場所を教えた。

 私がその部屋を訪ねると、扉の中から「カムイン」と言う声が聞こえる。私は、おそるおそるドアを開けた。

 部屋は大きく、そこにはピアノが置かれていた。家具らしい家具もなく、リロイのスーツケースがベッドの上に開けられたまま置いてあった。私の目をひくのはそれらだけだった。

 床には五線紙が散らばり足の踏み場もなかった。リロイはピアノの前に座ったまま、私を見よともせず、その辺にいてくれだけ言った。

 私は開けたままの窓の下に自分の居場所を確保した。リロイは軟らかい芯の鉛筆を握り締め五線紙に何かを書きなぐっていた。人差し指で断続的に彼はキーを叩き、その様子は子供が真剣に遊んでいる感じだった。私はベッドに頬杖をつき、リロイから目を離さなかった。彼は、時々書くのをやめて、鍵盤に頬を付けて黙っていた。彼の口は不服そうに尖っていて無防備だった。私は彼の首に手を置いてそのまま抱きしめたいという衝動にかられた。彼は思いついたように顔を上げ、再び何かを書き留めながらピアノを叩き始めるのだった。

 陽が落ちかけ、窓から入り込む風は私の髪を揺すった。私は、ここに来るまでに全身にかいた汗が、乾いて皮膚の一部となっていくのを感じていた。私は後ろから擬視した。彼は私の存在をまったく忘れるという過ちを犯した。

 彼は私の突然頭を鍵盤に打ちつけ、死んだように動かなくなった。彼は汗も出ないほど、絶望しているように見えた。
「どうしてなんだ」彼はつぶやいた。彼は「アンクルトムの小屋」のトプシィのように悲し気に見えた。Shit! Shit! Shit!‥‥
 彼は何度も頭を打ちつけた。その度に不協和音が部屋に響いた。彼は鍵盤を涙で濡らしていた。
 私は声が出なかった。リロイと再会して以来続いていた苦しい病から脱け出すのなら今だと、私は心の中で叫んでいた。今、ここで立ち上がり、リロイの肩に手を置き、彼の縮れた髪を私の胸に押し付けてしまえば、その苦しみから脱け出せるのだ。そして一言、
「アーユーOK?」と声をかければ済む事なのだ。彼は私の胸の中で啜り泣きながら、私の腕にキスをするのだろう。

 私の心臓は外からでも解るかのように早くなっていた。私は体が強張り、指の一本すら動かせないまま、彼の背後で苦しい息をついていた。どうしてなんだ!? どうしてなんだ!? 彼の声が私の中で何度もこだました。

 気がつくと、リロイは再びピアノに向かっていた。部屋はすっかり薄暗くなり、散らばった五線紙だけが青白く浮き上がる。そこにはパズルリングのような彼の文字が埋め尽くされ、そこに音符が付随している事が辛うじて見て取れた。

 リロイは、人差し指だけでなく全部の指を使って「曲」を弾いていた。私は、こうしてただ一度の機会を逃したのだった。

 11
 部屋に戻ると、DCはベッドに横たわっていた。私が帰ったのが解ると急いで跳び起き冷蔵庫の中のチョコレートミルクをグラスに注いで私に渡した。

 私が着替えをしている間、彼は私の側に立ち、私を見ていた。
「何よ、DC、ぼおっとして変な子ね」
「ルイ子‥‥」彼は震える声で言った。
「新しい男が出来たの?」
「どうしてそう思うの」
「だって変だよ、ここのところ。僕にやさしい‥‥」
「優しくして欲しくないわけ?」
 私は苛々しながら耳のピアスを外した。私が自分の髪を首の所で持ち上げると、彼は後ろのジッパーを下ろすのを手伝った。彼は、よく私のジッパーに手をかけたが、それはリロイがそうするのとは、全く別の意味を持っている。

 間抜けなDCにすら気づかれるような証拠を私は残していたのだろうか、確かに私はDCの体からは遠ざかっていた。リロイに思い切り傷つけられた後でDCを傷つける事は出来なかった。DCの体は、あまりにも生暖かった。
「ただ疲れているのよ。それだけよ」
「背中に傷がついているよ」
「ぶつけたの」
「そんな僕が馬鹿だと思っているの? 君はいつも帰ると疲れてぼんやりと涙ぐんでいるんだ。君は、いつも気取っていて自惚れ屋で、幸福だったのに」そう言ってDCは私を押し倒した。
「こうやって僕の方から君をベッドに倒す事が出来るなんて! 君は絶対にそんな事をさせなかったのに!!!」
「そういう気分の時もあるわ。あんたが知らなかっただけよ」
 DCは私の頬に触れながら泣いた。
「ルイ子」彼は自分の涙で濡れた私の唇を拭った。
「君の体からは僕のじゃない匂いがするんだよ」
 私はベッドに横たわりながら、ただじっとしていた。彼は泣いていたが、前のように決して、うっとうしくはなかった。私は彼を可哀想だと思った。彼は決して望むものを得られない。そして、私も。私はDCの気持ちがよく解った。私にとってリロイの指は、彼にとっては私の心なのだった。自分の手に負えない物を欲するのが、とても苦しい事なのだと、今の私は素直にDCに同情できた。

「あんたも鼻があったのね」私はDCの顔を撫でた。私は、もうずる賢くなる気を諦めていた。今の私たちは、よく似ていた。
「ルイ子、僕を捨てるの!?」
「‥‥」
「ルイ子は僕を捨てようとしているんだ。あのリロイ・ジョーンズを捨てた時のように」
 DCは、さめざめと泣いた。あの時のリロイ・ジョーンズ。私も同じ気持ちなのよ、DCは知らない。リロイが自分たちを「あの時のリロイ・ジョーンズ」の気持にさせている事を。私はその時、初めて自分の愚かさに気づいた。私とDCは、確かに「あの時のリロイ・ジョーンズ」になっていたのだ。

 私は自分の心の中で、DCと私が同じ種族になりつつあるのを感じていた。あれ程、蔑んでいたあの種族に。
「DC、手を見せて」
 私は、差し出された彼の手を自分の両手に包んだ。彼の手は大きくて無垢だった。私の肌と同化しそうにつやつやとしていた。それは、決して私の血を掻きまわす事のできない綺麗な物だった。私はその手に口をつけた。DCは、思いがけない私の仕草に驚いて手を引っ込めようとした。
「もう少し、こうさせて」
 リロイの手のように、その手は私に粘りつかなかった。私の体温をただ、さらさらと吸っていた。私は、やるせなさに目を閉じる。私たちは同じ悲しみを味わった者同士だった。

「愛しているんだよ」
 DCは何度もそう囁いていたが、それが私の心に何も呼び起こしはしないことを知っていた。

 私とDCは、一晩中相手の体の重みを感じながら、じっとしていた。このような寡黙な彼を私は今まで知らなかった。暗闇の中で目を慣らすと、私をいたわるような鳶色の瞳にぶつかるのだった。彼は私を恨んでいなかった。横たわった悲しいビロードを撫でるように私に触れ、それは思いやりに満ちていた。彼は、私が同じように寂しい思いに耐えているのを知っていた。こういう時に死ぬ事を幸福というのね、と私が言った時、彼は静かに微笑んだだけだった。白いシーツが茜色に変わる頃、窓から入ってくる空気はようやく冷やされ始めた。夜が明ける前に私たちは睡魔に引き込まれ、私は死人になるべく丹念に眠りを貧った。

 翌朝、私が起きるとDCは既にコーヒーの準備をして新聞を読んでいた。彼は昨夜の私たちの新しい夜について何も語らなかった。私に気づくと椅子を引いて私のコーヒーを用意した。彼は、いつもと同じ朝を迎えようとし慎重に行動していた。彼は馴れ合いというものを選び取ったかのようだった。

 私は久しぶりに熟睡したせいで目の回りに隈を作っていた。私は両手でカップを抱えてコーヒーを啜った。DCは新聞に熱心に目を通していたが、彼が読むのは、スポーツと音楽の欄に決まっていたので私は興味を示さなかった。
「リロイ・ジョーンズの特別公演があるよ」
 私は、大勢で観るリロイなど何の関心もなかった。
「それで」
「その後、すぐに帰国してアルバムの制作に入るって書いてある」
「帰国?」私はコーヒー茶碗を置くのも忘れてDCの顔を見た。
「嘘でしょう? どうしてステイツに帰らなきゃならないのよ」
「彼ぐらい売れると、休暇を取りたくても長い間は無理なんだろう。それに日本にずっといる理由もないと思うな。日本人がそれ程、ジャズが好きだとは思えないし‥‥」
「私は好きよ!」私は怒ったように言った。
「まだリロイの事を気にしているの。ルイ子が捨てた男にそれほど、思いやりを持つとは思えないけどなあ」
 DCの間延びした声を、私はほとんど聞いていなかった。
リロイが私の前からいなくなる!!

 私はリロイから何も受け取っていないのだ。彼は私から奪うだけで私には何も与えてはいないのだ。私は、震えながらどうすべきなのかを必死に考えようとした。

 その時。DCが私のローブの胸の隙間に手を入れた。
「止めてよ!」私は彼の手を払いのけた。彼は私のローブに無理矢理引きはがして私の体に口を付けた。彼は私をベッドルームに連れて行き、私に自分の体を重ねた。私は彼のいいようにさせた。私の頭の中はそれどころではなかった。私はリロイとの関係を継続させるにはどうしたら良いのか、考え過ぎて混乱した。それは、セックスなどというものではなかった。
DCの体が物理的に私の体を行き来するのを少し煩わしく思いながらも、私はまったく気にしていなかった。私の頭の中は、リロイが私から離れないようにするための対策を練ることでいっぱいだった。

12
 私は前もって知らせずにリロイの部屋を訪れた。彼がドアを開けて私の姿を認めた時、彼は無防備な様子だったが、それを他人に見せた事に酷く腹を立てた。が、私があまりにも青白い顔でうす気味悪く見えたのだろう。私を部屋の中に招き入れた。

 部屋は前に一度来た時よりも、さらに乱雑だった。ずっと寝ていて、今起きたというようなすえた臭いが漂っていた。五線紙は、まとめられていたが、その代わり汚れた下着やこなれたシャツがあちこちに脱ぎ捨てられていた。折れ曲がった煙草の吸い殻が山のように灰皿に積み重ねてあった。ベッドの上でブランケットはトッピングされた生クリームのように立っていた。そしてシーツの上に怪しい雰囲気を被い隠していた。

 リロイはピアノの前の椅子に座り私を眺めていた。彼は群青色のガウンをだらしなく羽織り、顎の無精ひげに手を当てていた。彼はまだシャワーを浴びていないことは一目瞭然だった。私は、その野卑な様子にどぎまぎして言葉を出せないでいた。ガウンの下の彼の肌は乾いた汗の膜で覆われているに違いなかった。彼は沈黙したままの私に声を掛ける事もせず、レコードを選んでいた。彼が私に背を向けた事で私やっと言葉を捜すことが出来た。
「帰るのね」
 彼は黙ってバッド・パウエルを選んでかけた。
「帰るのね」私はもう一度言った。
「ユーゴナミスミー(寂しいか)?」
 イエス・アイ・アム、そう答えるかわりに私は彼の頬を思いっ切りぶった。彼は表情を変えずに、にやにやと笑った。それは彼をとても下品に見せた。私はカッとした。
 この汚いニガーが‥‥!!

 私はもう一度彼をぶとうした。彼は敏捷に動き身をかわした。彼の頬にかかる筈だった私の重心は行き場を失い、私は床に倒れ込んだ。私はそのまま彼の顔を見上げた、彼は足で私の腹を踏みつけて、私を見おろした。
「お前は。まだよく解ってねえようだな」
 彼の裸の足は私の胃に食い込んだ。彼は私を冷たくせせら笑った。彼の足は大きく冷たく、私は赤レンガを載せられ拷問を受けているような気持ちになった。私は恐怖を感じ、抵抗できずにじっとしていた。彼は、その足で私のスカートをめくり、私の下着の中に足の指を突っ込んだ。私は自分の軟らかいものの中に、彼の親指が埋め込まれていくのを感じ呻いた。火をつけてやるよ、お前が望んだように。彼はそう呟きながら足に力を入れた。私は彼を憎んだ。

 彼は同じ足を今度は私の顔に持って行った。彼は私の口の中に自分の足の指をめり込ませた。その親指は私の体温で温められていた。私は自分の秘密を無理矢理さらけ出された気持ちになった。私の体液はそういう味だった。

「こっちの口は不自由だろう。決して満足する事が出来ない」
 自由よ。拒否する事は出来る。私は彼の足に歯を立てた。彼は私の頬を蹴り、私の首を踏みつけた。私は喉を流れる血液が止まりかけた気がして呆然としていた。彼は私を殺すかもしれない。私は、そう思いついて目を閉じた。静かに身を任せている私を乱暴に抱き起こし、彼は私の口を強く吸い、それは、まるで私の内臓を全て吸い込んでしまうかのようだった。
私は裸にされ、側に置き捨てられていたタイで両手を縛られた。私の足は開かれ、ベッドに括り付けられた。私は決して逃げたりはしないのに。

 彼は決して逃れられない状態になってから、狂人のような振る舞いを止めた。彼は自分のガウンを脱ぎ捨て裸になり、私の脇に足を投げ出して座った。

 暑い夏の午後だった。空気は隙間なく澱んでいて、とりわけ床には甘い汗が沈んでいた。リロイの体は金色のひまわりを連想させた。彼はワインの瓶に口をつけて喉の渇きを癒した。彼は私の方を静かに見やると口に一杯含んでワインを私の顔に吹きかけた。白いワインの霧はリロイの体の前で金色に変わり、私の皮膚に舞い降りた。私は自分の肌が心地よく湿り潤っていくのを感じた。目を開けると私のまつ毛の上には細いプリズムがたくさん置かれて、私の視界に入るリロイの体には虹がかかっていた。

 彼は私の体にかかった酒を飲み始めた、彼の舌のざらざらは、ワインの粒子と組み合わさり、私の体をなめらかに滑った。彼は、とてもやさしく私の体の隅々に快楽を与え、それは明らかにいつもとは違っていた。

 ウィンドチャイムがかすかに音を立てていた。彼は程良く私の体を噛んだ。私は自分の体が溶けた蝋のように床に流れ出すのを感じた。
「行かないで。お願い、いつも私をこうしていて」
 彼は答えなかった。彼は私の体を舌でくすぐった。私は彼の舌が私の気持ちを理解してくれることを望んだ。私の産毛は彼の唾液で束ねられ、皆同じ方向に横たわる。
「私はあなたのものよ」
 私は泣きながら彼に訴えた。
「オレは自分のものなんかいらない」
 私は彼の縮れた毛に埋まっている小さな乳首や段になっている腹の筋肉をいとおしそうに見詰めた。私はそこに口を付けたかった。けれど、手を伸ばせば届きそうな位置にそれらは私を裏切っているのだった。

 彼は私の足の間に顔を埋めて試そうとした。彼の舌はとてもずる賢かった。私は息をひそめて一度目の最後がくるのを見守った。けれど、それは来なかった。

「昔、オレが幸福だと受け止めていた事は、今は憎しみの対象にしかならない」
 彼は私の口に自分の憎しみを押し込んだ。私は彼のディックが私の呼吸器官を塞いだような気がしてもがいた。
「オレの言う事を聞くんだ。オレのこいつを舌だけで可愛がるんだ」
 私は彼に従った。私は彼が欲しかった。私は、そのために自分をどんなに苦しめても構わなかった。彼が体を離した時、私は叫んだ。
「リロイ、あんたが欲しいの。ファックして」
 彼は私をせせら笑っただけだった。私の体を彼は指で弄び始めた。私は気が狂ったように「プリーズ」という言葉を繰り返した。私は自分の体を流れるように翻弄する彼の指を目で追い続けた。そして、私が身をよじらせて暴れると彼は自分のディックで私の口に栓をするのだった。
それの繰り返しに私は疲れ果て、そうなっても私は求められずにはいられなかった。彼の指たちは彼自身の不在を私に切なく意識させた。私はファックしてと、喚いた。
「このビッチ(牡犬)め‥‥」
 彼は指の動きを止めた。彼は私を軽蔑しきった目で見ていた。私は彼の指に懇願して泣いた。
「欲しいだろう。オレの指が欲しいだろう」
 私は涙でぼやけたリロイの顔を見上げて、頷いた。彼は私の体に唾を吐いた。
「私を殺して‥‥」
「殺さない。そしてオレはお前を去るんだ。お前はオレに恋焦がれて、憎むだろう。お前に残される物は酒とオレに関する記憶だけだ」
 リロイは私に冷ややかな視線を向けてそう言った。
「リロイ、私を置いていかないで! 私はあんたが欲しいのよ! それだけなのよ! 」
 私は、その言葉の後でリロイが同情でも良いから私を抱き続ける事を期待したけど。彼は私から目を背けて言った。
「やっとオレは二年前の自分を見ることが出来たよ」
 静寂が訪れた。私は泣くことも忘れて彼の顔を呆然と見詰めた。彼は、もう私を蔑んでいなかった。彼の瞳には憎しみの色はなかった。

 彼は私の腕に絡んでいる自分のタイをほどいた。結び目を解こうとしている彼の指は、太くて大きかった。結び目は、私がもがいたせいで、タイトに固まり、中々解けなかった。彼は、とても真剣に指を使い、私はその間じゅう、彼の指の動きを擬視していた。タイはほどけて、やっと私の両腕は自由になった。
「リロイ、あなたを愛しているの」
 私は、大人になってから初めてこの言葉を本当の意味で使った。私は疲れ果てていて、縛った手首の跡が熱を持って痛んでいた。リロイは、悲しい穏やかな目をして私を見た。
「僕も愛していたよ」

 それは、まったくの「はずみ」だった。リロイが私を抱き起した瞬間、私の手はベッドの横のブランズの置き物に触れた。私はそれを咄嗟につかみ、彼の頭に振り下ろした。彼が呻く間もなかった。それは、とても小さな置き物だった。こんなちっぽけな塊がリロイを殺したとは思えなかった。彼は私の前で倒れたまま動かなかった。血もさほど流れていなかった。私は「リロイ」と小さく彼を呼んだが、彼は二度と返事はしなかった。

13
 人々は、その事件をとても大きなものとして扱った。リロイが有名なジャズピアニストだったからだが、皆、何故彼のような才能に恵まれている男が名もない一人の女をレイプしようとしたのか不思議に思った。結局、彼は異常性癖の持ち主であったのだろうと予測され、片付けられた。

 私の罪は軽かった。私の両腕と足首に付いた縛られた時の青紫のあざは、レイプされた時の様子を生々しく物語っていた。警察はリロイの指の付け根に、まるで指を切り取ろうとしたかのように付けられた刃物の傷に最後まで疑問を抱いていたが、私は多くは語らなかった。私のした事に彼らは「正当防衛」という名前をつけたが、私はそれを是認した。

 事実、それは正当防衛だった。ただし、体に対してではなく心に対しての、私は結果的に自分の心を守ったのだった。

 私がようやく家に戻った時、DCはリロイをカスアウト(ののしり)ながら、昔の男に会いに行った私の不始末を叱った。私は、とても疲れてそれから何日も眠った。

 数日後、久しぶりに口にした物は一杯のスープだった。DCは、やっと食べ物を口に入れるようになった私を見て狂喜し、小鳥に餌を与えるように、私の口にスープを運んだ。スブーンを運ぶ彼の指は、何の奇跡も起こさない事が解っていたので、私はとても安らかな気持ちになり、彼の言う下手なジョークに笑う事すら出来た。

 私は、もう笑うことすらできる。私の春の終わりに見た窓の下の光景をはっきりと思い出す事も出来る。私は笑っている自分をとても好ましく思いながらも、自分は指で揉みしだかれ、裸にされ、蜜を吸い取られた花の屍でしかないのを知っている。
 1986年春初出版
 恋愛サーキュレーション図書室