心と快楽と身体のすれ違いを、どうやって埋めていくのか。たかがセックス、されどセックス、といつも思う。そして、寿命が延び、いつまでも女、いつまでも男と願っても叶えられない現実を打破する、不倫、浮気しかないのか? 女性・男性のオーガズムの定義を知ることで解決の糸口はあるはずだ。

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第8章 少なくともひとりは愛人がいる

本表紙  
パメラ・ドラッカーマン著 佐竹史子訳

毎晩、一回か二回しかセックスできない状態をインポテンツだと訴えていることが分かった

そう遠くない昔、南アフリカの黒人居住区アレクサンドラで働く医療関係者はある現象に気づき、それを「アレックス・シンドローム」と名づけた。六〇年代半ばの貧しい黒人男性たちが、インポテンツを訴えて頻繁に病院に来るようになったのである。しかしじきに、毎晩、一回か二回しかセックスできない状態をインポテンツだと訴えていることが分かった。
「男性たちはみな、我を忘れるほど取り乱していました」と、当時、病院に勤めていた精神科医は語る。「彼らには妻と愛人がいますからね。だから、愛人のところで過ごしてから、妻のもとに帰らなきゃいけない。なのに一回しかできない、というわけです」

 この問題は、ひとつの黒人移居住区に限った話ではない。サハラ以南に住む男性たちのなかで婚外交渉を経験したことがある人の率といったら、ロシア人ですら上品に思えてしまうほど高いのだ。南アフリカの都市ヨハネスブルクから四八〇キロ離れた。モザンビークの首都マプトで二〇〇三年に行われた調査では、同棲している男性の二九パーセントが、過去一年間に複数の性交渉の相手をもったとこたえた。アメリカやフランスの既婚男性でそのように回答した率の七倍である。

 常識的に考えて、性道徳の問題が持ち上がるのは、パートナーを日常的に裏切ったり、妻以外の女性を妊娠させたり、金銭やお手当てを与えてセックスをしたりする場合だろう。しかし南アフリカでは、そういう常識が通用しない。なにしろ成人の五人にひとりは、エイズを発症させるHIVウイルスをもっているのだから。これまで一〇〇万以上もの南アフリカ人がエイズによって死亡している。わたしがこの原稿を書いている現在、HIVの感染はきょう明日ではないが死期が確実に迫っていることを意味する。エイズ発症を遅らせる抗レトロウィルス薬を入手できる国民は、ごく一握りだからだ。

 そういう情事から、浮気はみだらな道楽から命取りの行為へと変わった。不倫はHIVウィルスをあっという間に広めていく高速道路の役割を果たしている。ウィルス保持者が不特定多数の人間とセックスをすれば、そのウィルスに強い伝染力がある場合、瞬く間にウィルスが広がっていく可能性がある(感染力の強いウィルスを持っているのは、初めて感染した人である)。一九九〇年、南アフリカの産婦人科病院でHIVに感染していることが判明した妊婦は一パーセント以下だった。二〇〇〇年には、四人に一人が感染している。

 「感染率が非常に高い地域においては、不倫は時限爆弾となります」と語るアリソン・ラッセルは、ヨハネスブルクの黒人居住区ソウェストにある南アフリカ最大の病院、クリス・ハニ・バラグァナス病院に勤務する、苦痛緩和医療の責任者である。

 愛人からHIVを移された夫が妻に移す、というのが一般的な感染経路だ。そして、出産時や感染した母乳をのむことによって、その夫婦の子どもが感染する場合がある。子ども両親は、運がよければあと一〇年は生きられるだろう。しかし、もっとははやく死亡することも少なくない。

 これほど悲惨な結末をたどるのに、南アフリカの人たちはどうしていまだに浮気をするのだろう? いろんな人とセックスを楽しみたいという欲望より、長生きして家族を守りたいという気持ちの方がはるかに強いし優先される、ということにはならないのだろうか?

南アフリカに発つ数週間前に、メールが送られてきた。差出人は、南アフリカ共和国の首都にあるプレトリア大学の人類学者イサク・ニーハウス、通称「サキー」。メールを読んでわたしはほっとしたが、不倫の話を聞くために世界各地をめぐっている人間でなかったら、たぶんそうは思わなかっただろう。そのメールを紹介しよう。

 「こんにちは、パメラ。あなたの人選は的確でした。ぼくの専門はあなたのいうとおりです。そう、婚外セックスとエイズです。論文もたくさん書いています‥‥こちらに着いたら、すぐに連絡ください」

 いうまでもなく、ヨハネスブルクに着いたわたしはすぐにサキーのオフィスに向かった。プレトリアはヨハネスブルクから高速で約一時間の場所にある。アパルトヘイト時代は学生のほとんどが白人だったが、現在では四〇パーセントが黒人で、夢を見ているのではないかと思うほど人種差別はなくなっている。夏の青空のもと、大学広場にある芝生に、さまざまな人種の学生たちが仲間同士でかたまって楽しそうにおしゃべりしている光景は、なにかの広告写真のようだった。

 サキーは赤いあごひげと低い声の持ち主、お腹のそこから大笑いをする男性だ。往復のタクシー料金として六〇ドル支払わされたとわたしがいうと、サキーはくすくす笑って、それは南アフリカの男性が婚約した女性の両親に払う金額の相場だ、と教えてくれた。料理がからしき苦手なわたしとすれば、インタビューなどしてないで、料理上手な奥さんをさっきの六〇ドルでもらうべきだったのかもしれない、とふと思う。

 南アフリカにおける不倫についての統計結果をみても

相手をつぎつぎと変えていくこの国独特の男女関係のありようを正確にはつかめない。しかしサキーは、かつて研究のアシスタントをしていた男性の”性遍歴”に、その独特の男女関係がはっきりと表れているという。そのアシスタントとは三八歳の感じのいい黒人男性で、プレトリアの北に位置する村、ブッシュバックリッジに住んでいる。エースと名乗るその男性がボストンやストックホルムでおなじような行動をとったら、どうしようもないロクデナシとみなされるだろうし、おそらく犯罪者になってしまうだろう。しかし南アフリカでは、ちょっとお金があって魅力溢れる男だったら、がいしてエースのような人生をたどるのである。

 性行動がそのひとの人生全般に影響を与える場合もあることを示すために、エースの人生をざっとたどってみることにしよう。一九歳のとき家を出て、高校も中退する。五人の女性と同時につきあう。なかのひとりが妊娠すると、父親になるのが嫌で故郷の町に逃げ帰る。そこでまた、あらたなふたりの女性、ヘレンとアイリスと関係をもつ。やがてアイリスが妊娠。エースはアイリスの両親に三七ドル支払って、彼女と結婚する。浮気をしない時間が、しばらくつづく。しおらしくエースの人生の中で、かぎりなく一夫一妻制に近い生活を送った唯一の時代だ。結婚して数ヶ月すると、エースは町の外にある鉱山で働き始める。夫婦関係はあっという間に危うくなっていく。エースが留守のあいだ、アイリスが教会の牧師と浮気をして身ごもったのだ。彼女は子どもを中絶。事の次第を知ったエースは妻に暴力をふるう。アイリスはエースとのあいだの息子を連れて、実家に戻る。

 と、こんな感じに、メキシコのメロドラマを地でいく話が展開していく。あらたに独身となったエースは、ヘレンとよりを戻そうとするが、彼女はナイジェリア人の医師とすでに結婚している。鉱山の仕事に戻ったエースはしばらく娼婦を相手にしていたが、やがて比較的豊かな生活をしているリンディウェに出逢う。彼女は三番目の子どもを妊娠する。やがてエースは鉱山で仕事を失い、本人の言葉をそのまま借りると、金とただ酒目当てにリンディウェを愛しているふりをする。しばらくして、エースはリンディウェの元夫の仲間からリンチを受ける。その時点で、エースはまだ二五歳だ(とはいえ、南アフリカの男性の平均寿命が四三歳であることを思えば、すでに中年だ)。

 そののちエースはときおり娼婦をして生計を立てている女性に出逢い、彼女とのあいだにさらに三人の子どもをもうける(そのうちふたりは自分の子ではない、と彼は思っている)が、妻がほかの男を相手にしていたから(この国ではさほど驚くべことでもないが)彼女をなぐって家を出る。つぎにつきあったのは衣料品店で働く女性だが、じきにその女性も妻がふたりいる金持ちの男の愛人であることがわかる。それでエースは彼女に愛想を尽かす。

 エースのようなプレーボーイであっても、これほど頻繁に相手を変えるのは度がすぎている。いまでも愛しているのは、二番目の息子の母親であるアイリスひとりだとエースはいう。牧師と関係して妊娠したというささいな事件はあったものの、アイリスはつねにエースに誠実だったからだ。エースはアイリスと再会したが、彼女はいま死の床にいる。エースのもとを去ってからアイリスは金持ちの男性と結婚したが、その男性の愛人からHIVを移されたのだ。その男性もすでに亡くなっている。

 不治の病にかかる恐怖を思えば、性行動を控えるのが普通だろう。ゲイの男性たちは、実際にそうした。一九八一年、ニューヨークとロサンゼルスの医師たちが、非常に珍しい、手の施しようのないガンにかかっている四一人のゲイの男性を診察した。その男性たちはみな、「乱交を習慣としているホモセクシャルで、多いときでは週に四日、一晩に一〇回もの性交渉をしている人々」だった。
ロサンゼルスで診察を受けた九名のうち、最近ニューヨークに行ったと申告したひとが数名いた。彼らは都市のゲイの理想をそのまま生きていた。ジョン・マニュエル・アンドリオッテは著書『延命された勝利―エイズはアメリカのゲイの生活をどのように変えたのか』で、「七〇年代、ゲイであることは、いけてるドラッグをやって、ディスコで踊り、したい放題にセックスをする魅力的な男であることを意味した」と説明している。

 それからの三年間、ゲイのコミュニティー・グループはその病気についての医学的な情報を集め、それにかからない方法を仲間に広めた。一九八四年、「ゲイの健康危機」という名のニューヨーク・シティの草の根団体が、安全な性行為のガイドラインをはじめて発表した。西欧諸国のゲイ団体は、セックスパートナーの数を減らすように、アナルセックスのさいはコンドームと潤滑オイルを使うように、呼びかけた。一九八五年にはニューヨーク州の保険課が、行きずりのセックスが頻繁に行われている、ゲイ専用のサウナを営業停止にさせるようになった。ゲイのコミュニティーは都市部に集中していたから、エイズで衰えていく友人の姿を多くのゲイたちが目の当たりにしていた。

 西欧のゲイ・コミュニティーにおける性のルールは、変わっていった

ゲイの有名人たちは、だれかまわずセックスをすることを非難した。ゲイのなかには自分を丸ごと受け入れてくれたのはゲイ・コミュニティーだけというひとも少なくなかったが、あたらしいルールに従わない男性は、そのコミュニティーから爪弾きにされる可能性があった。実際、ゲイたちはたがいを監視した。「行動の変化は自分を変えようという個々人の取り組みというよりは、行動規範や価値観を変えようとするコミュニティーの取り組みなのだ」と、オーストラリアのエイズ活動家アダム・カーは書いている。彼は一九九〇年の統計結果を示して、ゲイ、コミュニティーへの帰属感を深めているひとほど、安全なセックスをしていると結論づけている。コミュニティーに積極的にかかわろうとしない者や、ゲイであることを隠している者――要するに、ゲイ仲間の監視の目から自由な者――は、きわめて危険なセックスをしていた。

 そのかいあって、シカゴ大学の経済学者エミリー・オスターの計算によると、一九八四年から一九八八年のあいだ、アメリカのゲイの男性が行きずりの関係をもった相手の数は三〇パーセント減った。もちろん、だからといって、HIVが直ちに広まらなくなったというわけではないが、ゲイの男性たちのあいだに蔓延することは食い止められた。

 おなじような試みが、異性愛の男女を対象にしてウガンダでもなされた。世界エイズ対策プログラムの調査によると、この一年に少なくとも一回は行きずりのセックスをしたと答えたウガンダ人男性の割合は、一九八九から一九九五年のあいだに三五から一五パーセントに減少した。女性では、一六から六パーセントに減った。八〇年代にアメリカのゲイの男性に変化があったように、ウガンダでも「リスクをともなうセックスを避けていることが、共同体における規範となっていった」と報告書の筆者は説明している。

 ウガンダだけでなくほかのアフリカ諸国の人々も、エイズに関してそれなりの情報を得ていた

ウガンダの人々が行動を改めたのは、情報の伝わり方にあったと思われる。大部分のウガンダ人はこの病の情報を「人を介して」、つまり友人、牧師、同僚、学校の仲間などから得ていた。要するに、西欧諸国のゲイと同じように、安全なセックスを心がけるようにというメッセージが人々のあいだでやりとりされていたのである。「ウガンダでは、警告してアドバイスするというきちんとした情報交換が、社会的なネットワークにおける会話のなかに他国よりもしっかりと定着していた」と調査を行ったランド・ストンバナーとダニエル・ロウ・ビアは書いている。

「南アフリカではとくに、エイズについて気味が悪いほどに沈黙が守られている。エイズは受け入れがたい、恥ずべきものとなっていて、いたずらに不安をかきたてている」と、ウガンダのエンテバを拠点に活動している疫学者ブレット・ウォルフは語っている。「一方ウガンダは、臭い物に蓋をするという選択はしなかった。国際的な陰謀にかかわっているとか、ウガンダのイメージを傷つけているとか他人に思われることなく、HIVの話をすることができた」

 ウガンダの厚生大臣がはやい時期から、国が重大な健康危機に直面していると発表していた。八〇年代後半には大統領の後援で問題に真っ向から取り組むキャンペーンが展開され、「慎重に愛しあうこと」と「つまみ食いをゼロにすること」を国民に呼びかけた。「つまみ食いをしない」とは、行きずりのセックスはやめるという意味である(これは必ずしも、一組のカップルがともに忠誠を誓いあうことを指してはいない。ウガンダは一夫多妻制が認められているのだ)。「エイズは死に至る病気です! 気をつけましょう」と書かれたポスターが貼られた。地方の教会もまたこのメッセージを進んで広めた。

 一九八五年にエイズにかかっていることを公表して、それまでのタブーをなくすことに一役買った米国の映画俳優といえばロック・ハドソンだが、ウガンダ版ロック・ハドソンともいうべき有名人がいた。ウガンダの歌手フィリー・ルタヤは一九八九年に死亡するまで、エイズとの闘いをテーマにした曲を作り、全国をまわって学校や教会で講演を行った。彼の曲『ひとり怯えて』はウガンダのラジオ局でいまでも流されている。

 南アフリカにHIVの情報が不足しているわけではない。安全なセックスをしようというメッセージが、いつでもテレビやラジオから流されている。大学のトイレには無料のコンドーム・ディスペンサーが置いてある。滞在中、わたしは社会的地位や職業が異なる様々な人々に会ったが、みな聖書の一節を口にするようにエイズ時代のルールをそらんじることができた――いつだってコンドームを使いましょう、もしくは、性的に忠誠を守っている決まったパートナーとだけセックスをするようにしましょう。ヨハネスブルクの公共アナウンスは、HIVに感染した歩行者を轢いてしまったらその血液から感染する危険があるので、慎重に車を運転するようにと人々に呼びかけている。

 そういった警告にもかかわらず、南アフリカの人々はセックスの相手を決まったパートナーに限定しようとしないようだ。死を覚悟で、パートナーを裏切りつづけている。人間の思考の筋道と自己保存の本能についてわたしは自分なりにわかっているつもりでいたが、南アフリカの人々の行動はそれにまるっきり反している。

 二〇〇〇年、研究者たちがある町の住人を対象に調査を行い、二年にわたるHIV教育を受けても以降と同じように行きずりのセックスをしていることを発見した。さらに、エイズの知識もきちんと持っているはずなのに、行きずりのセックスのさいにコンドームをつけると答えていたのは、男性の三分の一と女性の四分の一しかししていなかった(ある学術雑誌に、おなじ地方のべつの黒人居住区についての研究論文が掲載されているが、その論文には「コンドームが優れたものだということはわかっている。でもねえ、ああいうのは好きじゃない」とのタイトルがついている)。

 だれもがエイズ時代のルールを知っているのに、多くがそれを破っていることは公然の秘密となっている

人類学者ジョナサン・スタドラ―が語ってくれたところによると、彼が実地調査をしている地域に、エイズ時代を生き抜くために西欧が掲げている「ABC」アプローチ、禁欲、忠誠、コンドーム――にDをつけたすジョークが流行っているらしい。Dとは死のことである。エイズの啓蒙活動をしている青年団体のリーダーが会員の女性の半分を妊娠させたことが発覚しても、ここでは誰もが憤慨しないんですよ、とスタドラ―。

 以上のような状況が南アフリカ人にとって当たり前のことであっても、わたしはやはり理解に苦しんだ。苦痛に満ちた死という代償を払ってでも、わずか数分の快楽を得ようとするのはなぜなのか? 私はこの疑問の答えを探すべく、ヨハネスブルクから東へ車で二時間半のところにあるムプマランガ州の自営農場に向かった。トラックで乗せていってくれたのは、農場のオーナーだ。農場の敷地にはいったとオーナーが告げてから、中心にある事務所に着くまでゆうに二五分はかかっただろうか。周囲には、トウモロコシ畑とジャガイモ畑が見渡す限り広がっている。ひどく遠いところに来たような気分。農場にはおよそ一二〇世帯が住んでいるが、彼らの家は広い地所のあちこちに散らばっているから、ひとつしかない学校に子どもたちが通うときは、わたしがそうしたように通りすがりのトラックに乗せてもらうか、道のわきを長時間歩かなければならない。年に数回、収穫を手伝いに季節労働者が来る。おそらくそのとき、エイズがここに持ち込まれたようだ。

 この農場に死亡記録をつけている者はいないが、エイズは従業員全員に及んでいるようだ。最初に会ったピーターは四五歳。一〇年間この農場で働いていて、妻子と暮らしている。ピーターは?せている。顔にも傷跡が長く走っているが、ぼろぼろのアーガイルのベストを着ているせいか、おしゃれな浮浪者といった印象がある。ピーターの話によると二年前に二一歳の息子を亡くし、その一年前にピーターの恋人の一人も死んだそうだ。この農場でエイズによって死亡した者はピーターの知る限り二五人いて、そのほとんどがこの五年以内に死んでいる。コーヒー、ニンニク、オリーブオイル、チコリ、ブレーキ液を調合した薬をひたすら飲んで病気を治そうとしている人もいる、とのこと。

 しかしそれでも。エイズは現実に存在する病気として扱われていない。「信じようとしない連中が多くてね」と、ピーター。死亡証明書には道徳的に問題のない結核のような病名が死因として書かれるが、それが大抵エイズを意味していることもちろんみな知っている。

 周りの出来事に目にしても態度を改めた、とピーターはいいはる。しかし改めたといっても、彼が手本としているのはラジオで流される安全なセックスのルールというよりは、この地元だけでまかり通っている知識のようだ。その一例として、セックスの相手を妻ひとりに限っていない。だって、そんな必要はないだろう、とピーター。いまでは男性にコンドームをつけてもらっている、と農場にいる娼婦たちは請け合っているのだから。「まあ、恋人は何人かいるけど、あの娘たちからうつされることはあまりないわな。つきあっている男はおれひとりだから。エイズを移されるとしたら、いろんな男とやりまくっている女からだろうね」と、ピーターはつづける。でもエイズでなくなった恋人がいるんでしょうと指摘すると、もう二度と騙されないとピーターはこたえる。「ほかに男がいたとしたら、行動でわかる。女のとこに遊びにいったけど留守だってことになれば、すぐにピンとくるわな」

 地元でのごく簡単なルールですら、ピーターはなかなか守れない。シェピーンとよばれるもぐり酒場に行った夜は、娼婦と無防備なセックスもしてしまうとのこと。「酔っぱらうと、コンドームなんてどうでもよくなる」とピーターはいう。「酒場には娼婦がいっぱいいて、まともに頭が働かなくなってる男におそいかかるのさ」相場料金は”一本”およそ七ドル、一晩中は三六ドル。一ヶ月七二ドル(お値打ち価格だ!)というのもあって、客は毎晩相手してもらえる。

“恋人”と”娼婦”の境界線もまた曖昧だ

ピーターの話によると、つい最近までつきあっていた恋人が彼を捨ててもっと金をくれる男のもとへ行った。という。農場で働いている女性のなかにはフリーランサーがいて、男たちの金離れがよくなる月末に娼婦をしている、とピーター。彼女たちもその月末以外は、誰かの恋人なのかもしれない。

 この農場を見る限り、アパルトヘイトが廃止されたとはとても思えない。オーナーはみな白人で、労働者は黒人だ。農場の”衛生代表”を名乗る気さくな青年ジャビヒが、きょうは葬儀があるけど、誰が何で死んだかは知らないと語る。わかっているのは、エイズにかかっていることを認めた者がこの農場にはひとりもいない、ということだけと彼はいう、近くの町の公立診療所が抗レトロウィルス薬を出すようになったらしいわよ、とわたしは教えてあげる。ジャビヒは初耳だったらしく、詳しいことを知りたがった。

 フリーランサーの娼婦に興味があるわたしに、会いたいんだったら車で連れて行ってやるとジャビヒがいった。お昼時で、陽射しが激しく照り付けている。誰もいないトウモロコシ畑が広がるなか、一本道をひたすら走る。一五分ほどして、わたしは恐る恐るジャビヒの顔をうかがう。どこに向かっているの? と、次の瞬間、平床トレーラーが畑のまんなかに現れる。そこに、朝の収穫を終えた二〇名以上の若い女性が乗っている。モダンダンスの一団のような集まり。陽射しとトウモロコシの鋭い茎から身を守るために身に着けたコーディネートを無視したスカート、タイツ、手袋、帽子が渦巻いてひとかたまりになっている。紫外線を避けるために顔にピンクや黄色のクリームを塗っている女性もいれば、派手なスカーフを頭に巻いている女性もいる。目がくらむような光景だ。彼女たちは美しく、ほぼ全員が笑みを浮かべている。わたしがトレーラーに近づいていくと、女性たちはこっちにおいでといっせいに声を張り上げた。

 ジャビヒとわたしが用件を伝えると、六名の女の子がトラックターから降りてくる、ズールー語ができるジャビヒの通訳で、彼女たちは自分の恋愛について語りだす。みな二〇代前半。ひとりをのぞく五人は彼氏がいるが、コンドームは使わない。「彼のことを信頼しているもの。あのひとはあたしに本気だから、いつもほんとのことしかいわないわ。?はけっしてつかないの」と二五歳の女性がいう。

 でも、彼氏以外の男性とは? 「彼氏じゃない男性と関係するときは、コンドームを使うけどね」と、彼女。
「関係する」というのはどういう意味なのだろう? お金のためにセックスしたことがあるかどうか、わたしは彼女たちにきいた。六名全員が一瞬、おし黙る。じきに、頭に赤いスカーフをまいた女性が代表して答える。「月のうちの大半はしない。月末にはするけど!」みなどっと笑い出す。

 「でも、コンとドームを使っているし!」べつの女性が黄色い声を出す。
「あたしだって、つらいのよ!」さらにべつの二五歳の女性はいう。「お金が必要となれば、体を利用するしかない。そうすれば、お金がはいるもの」彼女の話によると、女性たちが農作業で得る収入は月に一一五ドルていどだが、生活していくには二一五ドル近くが必要なのだという。お客をとれば二時間でおよそ二九ドル稼げる。どこで客を取るのかときくと、みなトウモロコシ畑を指さす。この女の子がエステにお金をかけているとは思わないが、食費にそれほどお金をかけているとは思えない。彼女たちは一日中、野外で働いている。みな、ささやかな楽しみを求めている。ただ生きているだけの人生ではない、ちょっとした潤いを。なかのひとりが、結婚して子供を持つのが夢だと語る。「教育を受けたい!」と声を張り上げる者もいる。エネギッシュで好奇心旺盛な彼女たちは、自分の身を守らなければと思っている。「HIVのこと、教えてください!」みな口をそろえていう。そして、「外国の話を聞かせて頂戴!」とも。

 しかし、月末に彼女たちを買う余裕のある男たちは、HIVに感染している可能性が限りなく高い男たちでもある(最貧困層の男性は、だれも彼女らと寝たがらないから、それほど危険ではない)。一五歳から二四歳の南アフリカ人の男女を対象にした調査では、女性がHIVに感染する確率はおなじ年齢の男性よりも四倍高いとの結果が出た。さらに、いくぶん年上の男性と関係する女性が、感染する危険性が最も高かった。これは貧しい女性にとって厳しい難問だ。車と仕事を持っている男性こそ避けなければならない相手、ということになるのだから。どこの国であれ、こんな現実を突きつけられている女性がいるとは、想像を絶する話だ。

 ジャビヒとわたしが帰るとき女の子たちが信仰箇条のように繰り返した言葉に、彼女たちの生き方のさらなる弱点があった。みなこういったのだ――「彼氏のことは信じているの!」

 ここにきてなお、わたしは飛躍的な理解にいたらなかった。人々は自分や家族を死に至らしめるかもしれないのに、危険なセックスをし続けている。とはいえ。エイズやアパルトヘイトの問題があってもなくても、人々が厳しい暮らしを強いられている地域ではロマンティックな恋愛がとても大切なものになるという点に、わたしはもっと注目すべきなのかもしれない。愛は夫婦間のものであれ、不倫をしているカップルのあいだのものであれ、南アフリカの人々に安らぎの場を提供してくれる。そこには、大部分の南アフリカ人を苦しめる失業や暴力ではない。

 南アフリカ人に比べれば、西欧諸国のゲイの男性はエイズ問題を楽に切り抜けていた

一晩かぎりの情事を慎むか、よく知らない人間とセックスするときはコンドームを使うかすればいいのだから。南アフリカ人もコンドームを使うようになってきている。でも、南アフリカでは、一組のカップルがたがいに特別な感情を持っていると、それぞれがべつの人間と関係している場合があっても、かぎりなく危険なセックスが行われてしまうのである。愛している相手にコンドームをつけてくれとは、なかなか頼みにくい。

「男女の力関係がコンドームの使用を難しくしている、といってもいいでしょう」とウガンダの疫学者、ブレント・ウォルフは語る。コンドームを着けてくれと頼むことは、その男性を信頼していないことを意味する。しかし、愛情と情熱を感じるには信頼となければならない。どこの国でも、コンドームをいつも絶対に使っている人を見つけるのは不可能でしょう、いつも使っていると自己申告している人々のなかでもね。とウォルフ。

 この矛盾した状況が、カエリチャを苦しめている。カエリチャとはケープタウンと空港をつなぐ高速沿いにある、ブキリ小屋が立ち並ぶ黒人居住区である。一九九一年六月にアパルトヘイト政策のおもな法律が廃止されて黒人たちも
 自由旅行が許されるようになると、カエリチャの人口は急増した。東ケープ州の貧しい人々が仕事を求めて、ケープタウンに近いこの町にどっと押し寄せてきた。しかし、多くは仕事を見つけられなかった。それは、ざっと七五万人のカエリチャの住民の大多数が、電気の通じない粗末な小屋で暮らしていることからも明らかだ。

 カエリチャでもっとも現代的な建物は産婦人科医院である。午前中にそこを訪れると、院内の部屋は徐々に女性やその子どもたちでいっぱいになっていった。女性たちはコーサと呼ばれる吸着音言語で、大きな古時計がカチカチと時を刻むような音を立てておしゃべりをしている。授乳をしている人はいない。彼女たちは全員、マザー・トゥー・マザーと呼ばれる教育プログラムを受けている。このプログラムの発案者であるアメリカ人の産婦人科医ミッチェル・ベッサーは、HIVに感染した妊婦たちに本人と子どもが健康に暮らす方法を教えたかったのだという。ミッチェル・ベッサーはわたしとの電話で「貞操を説くのは諦めました。いまは、安全な不倫を説いています」と説明した。

 教育プログラムの進行係パット・コロは、クリニックに来る妊婦のなかで平均して四人に一人は感染している、という。しかももちろん、毎日その確率というわけじゃない。先週は、検査を受けた三〇人のうち半分が感染していた。「一日で一〇人を下らない日もありますね」と、彼女。

 プログラムを受けている女性のひとり、ズキスワは三二歳。三ヶ月の赤ちゃんを抱いて隅にすわっている。ズキスワは少女っぽい顔をしたぽっちゃりした女性で、知的で意志の強そうな瞳の持ち主だ。夫に出会ったのは、東ケープ州の学校に通っていた一六歳のときだった。彼は三六歳のタクシー運転手で、車の運転を教えてくれた。

 夫が留守にしているときでも、自分は「あちこちで遊んだ」ことはなかったから、誰から移されたかはわかっている。とズキスワは語る。「男性って、夜になっても帰ってこない日があるでしょ」と、彼女。妻の感染を知っても、夫は検査を拒んでいる。しかも、もぐり酒場にはもう行かないといいながら、実際には行っている。そういう酒場の中には、地面がそのまま床になっている掘っ立て小屋でしかない場所もあって、大きな桶でビールをつくり、娼婦たちがうろうろしている。もぐり酒場は代替現実の場所であり、そこでは世間の常識が通用しない、とプレトリア大学の人類学者サキーはいっている。ズキスワの夫もおなじようなことを口にしたという。「夫は言うんです。『酒に酔ったときは、自分の行動を気にしなくなるだろう、だから何でもありなんだよ』って」

 ふたりのあいだに生まれた赤ちゃんは、来週HIVの検査を受けることになっている。結果が陽性なら、夫はいっそう検査を受けたがらないだろう。陽性か陰性かはっきりしなければ、妻と赤ん坊を感染させたと責められることもないのだから。もぐり酒場の外でも、夫は代替現実の世界に生きているのだ。その世界では、HIVウィルスが家庭に持ち込まれた経路は謎のままになっている。

 夫はズキスワを失望させたが、仲間から責められることはない。もぐり酒場歌謡を辞めたら、女房の尻に敷かれていると思われるだろう。ズキスワはとても意志が強そうに見えるが、夫の凝り固まった考えを改めるほどの力は持っていない。「男性は妻にあれこれ命令されることを嫌うんです。だから仕方ない」

 ズキスワからちょっと離れた席に座っていたプムザは、HIVを彼女にうつした恋人をあまり恨む気になれない。カエリチャの街中で恋人に出逢った時のことを語る彼女は、うっとりした表情を浮かべている。「彼は道を歩いていたの。で、あたしに目を留めて声をかけてきた。『どこかに連れて行ってほしい?』って」言葉を切ると、いきなり女子学生みたいにくすくす笑いだす。「すごく格好いい男性だったら。ハンサムで、落ち着いた話し方で」

 プムザは二六歳。ショートヘアーの髪につやつやしたチョコレート色の肌、瞳は濃い茶色。男性が放っておかないタイプの女性だ。しかし、街中でプムザに言い寄ってきた恋人は、その二年後にエイズで死亡した。末期にはひどく痩せてしまい、彼がベッドに横になっていてもわからないくらいだった、とプムザ。

 自分がHIVにどういう経路で感染したのか最初はわからなかった

とプムザはいう。亡くなった恋人の前にも付き合っていた男性がいたからだ。ひょっとしたら、その人なのかもしれない。ところが、プムザが先週支援グループの集まりに出た後、ある女性が声をかけてきて、プムザの死んだ恋人と以前付き合っていたと語った。その女性が感染しているのに気づいたのは一九九五年で、のちにプムザと付き合うことになる恋人にそのことを告げた。その女性はカエリチャの街で彼と歩いているプムザを見かけて、警告しなくてはと思ったという。彼女は支援グループの集まりが終わったあと、以下のように語った――「あなたがあの男とコンドームなしのセックスをすでにしているか、わたしにはわからなかった。でも、あなたのことが心配で、心配でたまらなかった。あいつはね、感染しているの。自分が陽性だってこと、あなたにちゃんと伝えたのかしら」。

 プムザはその女性から聞かされたあたらしい情報と、ハンサムな青年に見初められたロマンティックな出逢いを結びつけることができない。「彼はずっと前から陽性だった。ずっと前から陽性だったの。あたしに声をかけてきたあの日も、自分が陽性だってことを知っていた」つぶやくようにいう。でも、恋人の死の悲しみから抜け出せないプムザは、彼をどうやって恨んでいいのかわからないようだ。ややあって、あたらしい情報を聞かされた時と同じように、悲しみが不意に消え去ったかのような瞬間が訪れる。「あのひとのこと、すごくうらんだわ」出し抜けにいう。「でも、いまは悲しむことしかできない。彼はもう死んでしまったのだから」

 南アフリカの男性に不倫についてインタビューすると、彼らは大抵スワジランドの国王の話を持ち出す。スワジランドとは、南アフリカとモザンビークに囲まれた内陸の国である。国家元首の国王ムスワティ三世は、アフリカで最後の絶対君主であり、ほかのアフリカ諸国の人々から男の中の男と見なされている。三八歳のムスワティ三世は、精力絶倫で知られているのだ。

 毎年、大掛かりなフェスティバルを催し、何万もの若い女性を上半身裸で行進させて、そのなかなら花嫁を選ぶ。わたしが南アフリカに滞在しているとき、ムスワティ三世が現在の妻たちへのプレゼントとして一〇台のBMWの新車八二万ドルで購入した、との記事が地元の新聞に載った。

 スワジランドはひどく貧しい国だが、HIVの感染率が世界一高い国でもある。『CIAワールドファクトブック』によると、スワジランドの成人の三九パーセントが感染している(ちなみに、南アフリカの成人はおよそ二二パーセント)。男性の平均寿命は三二歳、女性は三三歳。これだけでも、感染経路が多岐にわたっていることがわかる。二〇〇〇年、国王は生徒と教師が性的関係を結ばないように、女子生徒にミニスカートをはくことを禁じた。翌年、一八歳以下の女性とセックスを禁じたが、すぐに自らその禁止を破った。九番目の妻として、一七歳の女性を選んだのだ(国王は罰金として、牛一頭を国におさめた)。

 ムスワティ三世は、妻を複数もつことで廃れつつある国の伝統を守っている、と主張している。南アフリカの男性の多くは同じ意見をもっているようだ。南アフリカのごく普通の人々も男女に関係なく、自分たちの祖先は一夫多妻だったという。さらに、昔は家庭に何人もの妻がいて男性の性欲を満足させていたから、男性があちこちで浮気をしなかった、とも。ところが現代は、複数の妻を養うだけの余裕がないから、男たちはよそに女性をつくる、というわけだ。

 この見解はあやまった歴史認識から導かれたものと思われる。ヨハネスブルクにあるウィットウォータスランド大学の二名の歴史学者の説によると、一夫多妻制はけっして一般的なものではなかった。ピーター・ディリアスとクライヴ・グレーザーは、植民地時代以前の南アフリカで妻が複数いたのはごく一握りの少数の人々――族長や金持ち――だけだったと記している。さらには、浮気をしたいという男性の気持ちを抑えるのに、一夫多妻制はあまり役立たなかった。婚外セックスもまた、一夫多妻制と同様に伝統的なものだった、とピーター・ディリアスとクライヴ・グレーザーは結論づけている。

 婚外セックスがより一般的になったのは一九三〇年代以降である

とディーリアスとグレーザーは説明している。それはちょうど、男性が遠くの鉱山で働いて、黒人夫婦が離れて暮らすようになったころからである。夫が留守をすると、妻たちはお金はもちろんのことロマンスや親密な関係を得るために、セックスを売るようになった。一九三〇年代にヨハネスブルクのスラムで監視団員をしていた人物は、「愛人(ニヤッイ)がいることを認めた女性はほんのわずかだったが、近所の奥さんに恋人がいるとだれもが断固とした口調で進んで話した」と記していた。

 女性が見返りを期待してセックスすることは日常茶飯事なので、セックスのお返しに家賃を払ってくれる男性は”住宅大臣”と呼ばれ、学費や大学の授業料を払ってくれる男性は”教育大臣”という別名をもつ。もちろん”通信大臣”もいて、ケイタイの料金を払ってくれる(ちなみに食事をおごってくれる男性は、ただの”ランチボーイ”である)。サハラ以南のアフリカにおけるエイズについて優れた本を著しているヘレン・エブスタインは、そういったプレゼントは必ずしもセックスに対する報酬ではない、と指摘している。それらはまた、目に見える愛の証しでもあるのだ。

 払う側の男性ひとりを紹介しよう。名前はウィリアム。四七歳で、ケープタウンのSA金属という会社で溶鉱炉の操作係をしている。その会社ではエイズの従業員への対応法につい、革新的な社内研修が行われている。ウィリアムは、筋張った体といい、発達した頬骨といい、出っ歯といい、?せたビーバーみたいな印象の男性だ。HIV対策の従業員インストラクターをつとめる彼は、溶鉱炉の作業から抜け出してエアコンのきいたオフィスに入ってくると、わたしの前にドスンと座り込んだ。インストラクターである以上、同僚のよき手本にならなければならないはず。しかし、ウィリアムはコンドームがいかに大切かとうとうと語るものの、パートナーへの忠誠を守ることの重要性は決して口にしない。「わたしらの文化では、いうなれば、そとに女性をつくるのは当たり前のことでしてね。子どもをつくることもある。わたしらの文化では、目くじらを立てるようなことじゃないんです」ち、ウィリアム。

 それでも、彼の奥さんは目くじらを立てる。「女房には話しません。おっかないからね」率直にいう。その代わり週に二回、八時ごろに電話をして、今夜は”兄弟”の家に泊まると妻にいうようにしている。真相を確かめるために、妻が電話をかけてきたことはいちどもない。ばれないように用心しなければならないが、自分は間違ったことはしていない、とウィリアは胸を張る。実際、妻がセックスを拒むことがあるのだから。それに、大多数の男性はそうなのだろが、妻が妊娠していたり赤ん坊の世話をしていたりするあいだは、夫婦でセックスする気にはなれない。「わたしらは男は、少なくともひとりは愛人が必要なんです」と、ウィリア。

 同様のメッセージが上層部からも発せられている。二〇〇六年、ヨハネスブルクの最高裁判所は、ヨハネスブルクにある自宅の寝室で三一歳の女性をレイプした容疑をかけられていた前副大統領のジェイコブ・ズマンに、無罪判決を下した。裁判長は、セックスは合意の上だったと裁定したものの、相手の女性がエイズ活動家でHIV感染者であることを知っていたにもかかわらず無防備なセックスをしたことに対して。ズマンを激しく非難した。六三歳のズマは、国家エイズ委員会の元委員長なのである。

 全国民の関心のまとになった被告人陳述で、既婚者であるズマは事のいきさつを以下のように説明した――「わたしは彼女に触ってキスをいたしました。彼女の秘所に手をやったときは、もう受け入れる状態になっていました」。コンドームを着けなくてはという話になったが、二人とともに持っていなかった。ズマの陳述によると、彼はためらったが、「女をその気にさせといて、最後までいかないなんて酷い」と女性の方が彼をなじったとのことだった、と南アフリカ版《メール&ガーディアン》紙は報じた。「で、わたしは思ったんです。『ズールー族の文化の中で育った自分は。女性をその気にさせておいて最後までいかないのはまずい、ということを知っている。そんなことをしたら、警察に通報されてレイプ魔だと訴えられかねないと』とね」

 問題の女性がそれから「股を大きく開いたから、ふたりはキスをして性交をはじめた」。ズマは、ウィルスに感染する危険性を減らすべく、終わったあとにシャワーを浴びたと証言した。法廷で彼の弁護士は、その処理は賢明だったと語った。

 ヨハネスブルク南西部の黒人居住区で発行されている新聞《ソウェト》紙には、恋人募集欄が死亡欄のすぐ上に載っている。愛と死が隣り合わせになっている現実を表すために、わざとこのような割付けをしたのかもしれない。ページの上半分と下半分に載っているひとたちが、たがいにメッセージをやり取りしているように見える。「ダグラス・M」と名乗る男性の欄を紹介しよう――ぼくは二五歳の独身。子供なし。一八歳から二三歳の真剣に結婚を考えている、子どものいない女性、ぼくと付き合いませんか。奥ゆかしくて、礼儀正しい女性が理想です‥‥英語かズールー語かショナ語でお手紙ください。写真も同封してください」。リディアという女性がダグラスの理想にかなっている。二一歳で子どもはいないし、掲載されている写真はすごくキュートだ。リディアがもし「土曜日、アヴァロン墓地に埋葬される」予定の女性でなかったら、ダグラスとお似合いのカップルになっただろう。リディア以外にも一七名の死亡記事があるが、みな恋人募集欄に載ってもおかしくない。みな三〇代か、それ以下といった若さなのだ。モディコというあどけなさの残る青年は、享年一九歳。死因は書かれていない。

 あまりにも悲惨な現実である。経済学者エミリー・オスターは、人間はみな等しく自己保存の本能があるという定説に疑問を持ち、研究を行った。エミリーはまず、アメリカに暮らす中流階級のゲイの男性は、経済的に苦しくHIVに感染したらアメリカのゲイより長く生きられない貧しいアフリカ人よりも、命を大切にするだろうと仮説を立てた。このふたつのグループを対象にエミリー・オスターが研究を行なったのは、抗レトロウィルス薬が登場する前のことだった。

 仮説を検証するために、オスターは「セックスパートナーの換算価格」が女性で一五六九ドル、男性で八五三ドルになると、彼女は算定した。彼女がサンプリングしたアメリカの中産階級のゲイのほとんどにとって、あらたなセックスパートナーを増やすことによる「換算価格」は、ほぼ五五〇〇ドルだった。

 オスターが調査を行ったのは、ベナン、ブルキナファソ、エチオピア、ガーナ、ケニア、マラウイ、マリ、ナミビア、ジンバブエだった。サハラ以南のアフリカ諸国のなかでどちらかというと裕福な南アフリカは、調査の対象にはいっていなかった。

 さらにオスターは、自らの仮説どおり、アフリカ人だとかアメリカのゲイの男性だとかの枠組みに関係なく、平均寿命の長い裕福な人々の方が平均寿命の低い貧しい人々より行動を改める傾向がみられた。としている。この結果が示唆しているのは、南アフリカの黒人居住区のもぐり酒場に出入りする男性は、現在失業中の身であることと周囲の男たちが四〇代前半で死んでいるという事実をふまえて、目の前にいるチャーミングな女性を誘う危険をあえて犯すかどうか考える。ということである。その男性が給料のいい仕事についていて、なおかつ長生きできる見込みがあれば、そのチャーミングな女性をデートに誘う可能性は少なくなる。

南アフリカには悲観的なムードが漂っている

結婚率は急速に落ち込んでいる。人類学者ジョナサン・スタドラーの話によると、彼女が研究している田舎の男性たちは、かつては結婚するために何年も貯金していたという。いまでは退職制度を利用して、酒場を二週間貸し切りにする者がいる。南アフリカを訪れる前は、地元の新聞の一面にエイズの記事が毎日のように載っているだろうとわたしは思っていた。アメリカの成人の二〇パーセントが死の病にかかっていて、治療を受けていないとしたらどうなるか、想像してみてほしい! しかし、実際には、エイズの記事のほとんどは新聞の中面に載っていた。

 とはいえ、私が取材を通して会ったひとたちはみな、自分の運命に無頓着ではなかった。その多くは死の恐怖におびえ、せめて子どもが成人になるまで生きていたと切に願っている。しかし、いたるところで死があるために、感覚が麻痺してもいる。ここで、ルーシーの例を紹介しよう。ヨハネスブルクで清掃員をしている三二歳の女性だ。彼女は夫と父と姪をエイズで亡くした。自分もエイズに感染しているのを知ったとき、ルーシーは「ええ、わかっていた。いつかこうなるだろうってずっと思っていた」と一言いっただけだった。妊娠九カ月のとき、彼女は夫の命令でリビングの床で眠っていた。夫はそのあいだ、夫婦の寝室にべつの女性を引っ張り込んでいた。夫の愛人のひとりに彼はHIVに感染していると忠告したこともあるが、その女性は相手にせず、あなたは妬いているのねといった。

 ルーシーはHIVに感染したのは自業自得だとも思っている。わたしがアレ、つまりフェラチオをしてあげていたら、夫が浮気することもなかっただろう、と彼女はいう。いずれにせよ、よその女性に走った夫の気持ちを、ルーシーは理解している。ルーシー自身、昔からの知り合いの既婚男性とひそかに浮気していたのだ。「いつも鳥肉ばかり食べていたら、飽きてしまうでしょ。たまにはべつのものを口にしないと」と、彼女。

 夫がエイズを発症したころは、結婚生活で一番幸せな時期でもあった。夫がようやく落ち着いてくれて、夫婦仲良く暮らすことができたのだから。ほんの数カ月のわずかな期間だったが、夫はよその女性と関係しなかったし、「一家の主婦として、わたしの居場所がありました」と、ルーシーは語る。そんな平和なひと時も、夫の死によって砕け散った。さらに、嫁が媚薬で息子を殺したと夫の家族に責められた。「夫の母親に『どうしてあなたは発病しないんだ? 夫婦だったら一緒に発病するのが普通だろう』っていわれました」

 ルーシーのまわりには、それぞれに異なる常識あまりにもたくさんあるから、彼女は最終的にもっとも心休まる常識に手を伸ばす。つまり、妻は夫を愛しているのが当然で、愛し合っているふたりが殺し合うことはない、という常識に。いま、ルーシーが夫を想うとき、感じるのは懐かしさだけだ。木曜日に夫が鶏肉とラージサイズのコーラを買ってきてくれて、キッチンのテーブルで食べたことは今でも覚えている。「いまはね、信じられないかもしれないけど、どんなささいなことでも懐かしく思い出されるの。もぐり酒場から帰ってくるときの足取りとか、おじいさんみたいなよろよろした足取りとか、そんなことでもね。夫の足取りすべて、懐かしくてならない」妻を裏切りつづけたことは、許している。HIVをうつしたことも許している。妻を残して死んだことも許している。「どれだけひどいことをされたとしても、夫を許してあげなきゃ。夫はいまごろ、神様からあれこれ質問されているんでしょうから」

 伴侶が嘘をついて裏切りを働いていたことを知った場合、アメリカ人だったら認知的不協和におちいる。わたしを愛している人間が、わたしに嘘をつくとはどういうことなのか、というわけである。そうなると途方に暮れて、自分たちのこれまでの生活はすべて偽りだったという気になる。裏切られた側は、混乱にして苦しむ。しかし、それによって命を脅かされることは通常ない。

 南アフリカ人とて、愛する人を信じたいという気持ちをもっている。不倫が当たり前のように行われている国でも、妻たちは自分のささやかな領域だけは裏切りや病気から守られたいと願う。その願いがかなわないとき、つまり、夫が浮気してHIVウィルスを家庭に持ち込んだとき、妻たちはしばしば理性的な対応をとらずに、夫への愛に生きる選択をする。自分たち夫婦が偽りの生活を送っているかどうかわからないから、認知的不協和に陥ることはない。

現実離れしたロマンティックな恋愛に、あくまでもしがみつく。愛をあきらめるよとする人間なんているのだろうか、というわけだ。とりわけ、残りわずか命とわかっている場合には。

 南アフリカに着いたばかりのころは、生死に人間にとって一番重大な問題だとわたしは思っていた。しかし、病気が存在するのは医師と科学の領域だけだ。死の恐怖をもってしても、浮気を辞められない場合はおうおうにしてある。ルーシーやエースのような男女が求めているのは命ではなくて、愛やセックスであり、友人たちに受け入れてもらうことのようだ。

 だったら、神の目にたいする恐怖はどうなのだろう? それがあれば、ひとは浮気をひかえるのだろうか? それとも、信仰心が篤(あつ)い人々がまた、神よりも仲間に影響されるのだろうか? その答えを探すべく、わたしはパスポートにページを足して(ビザや出入国スタンプのためのページが、すでになくなっていた)、敬虔なひとに会いに数カ国を巡る旅に出た。

つづく  第9章 寝室の神様