
パメラ・ドラッカーマン著 佐竹史子訳
「不倫はいまでは絶対に必要な、なくてはならない人間関係なんですよ。義務なんです」
フランス人は婚外セックスの話をすることにたじろいだから、モスクワに着いた当初、わたしはその話をダイレクトに切り出すことをためらっていた。だから最初にインタビューをした家族問題の精神分析医には、結婚に関するリサーチをしていると述べてから、じつは一番関心があるのは情事についてなのだと徐々に打ち明けるようになった。
わたしは早々に、以上のような気遣いは不要だったことに気づかされた。インタビューをした精神分析医は、不倫の話にちょっと触れただけで饒舌になった。
「不倫はいまでは絶対に必要な、なくてはならない人間関係なんですよ。義務なんです」彼女はいきなり専門家っぽい口調でいった。
それって冗談? どうも互いの話が見えていないようだ。わたしは通訳を介して、婚外セックスが義務だといっているのかどうか、その精神分析医に聞いた。
精神分析医は平然といってのけた。「わたしは、婚外セックスは賢明な行為だと思っています」さらには自説を裏付けるようにこうも言った。わたしは結婚して一五年目になるけど、何度も婚外セックスを楽しんできたわ、もっとも最近は仕事が大変で回数は減ってるけどね。彼女はぜひフルネームで自分を紹介してくれといって、スペルをまちがわないようにスヴェトラーナ・アルテモヴァとわたしのノートに名前を書いてくれた。
情事をきっかけに夫婦の絆が強くなる場合もあるというセラピストの説を耳にしたことはあるが、婚外セックスは幸福な結婚生活には欠かせないものであり、情事は義務である説は聞いたこともなかった。これはロシアのひとりの精神分析医の、あくまでも個人的な見解なのでは? 通訳のアンナによれば、アルテモヴァは精神科医としてすばらしい業績をあげている、尊敬すべき人物だとのこと。アンナは現在離婚していて成人した息子がいるが、アルテモヴァの意見はもっともだし、驚くようなことはないといった。
モスクワはどんな犯罪をするのにも、格好の場所に思える。そもそも、フィルムノワールさながらに街に光がない。一一月ともなると、すでに日射量は極端に少なくなっていて、写真を撮るさいは日中でもストロボをたかなければならない。夜はさらに物騒になる。住宅街の灯りといえば、ありとあらゆる種類の酒をあつかっているキオスクの照明だけだ。
インタビューのためにあちこち巡りはじめてたったの一日か二日で、どんなに少ない額であってもできるだけお金を巻き上げようとする人がうじゃうじゃいるような、嫌な気分になった。
外国人のわたしは、いいカモなのだろう。地下鉄で切符を販売している女性たちは、いつもきまってつり銭を少なく渡す。こっちが注意すると、詫びの言葉もなくただ肩をすくめて、残りのつり銭を寄こす。正規の免許をもったタクシー運転手でさえも、わたしがホテルの名を告げると一五ドルだと料金を吹っかけ、結局たったの四ブロックの距離だったことが分かってもっと安くしてくれ頼んでも、言い値を払わなければトランクに入れたスーツケースは渡さないと言い張る。
この街では、だれもが企業家だ。タクシーを拾いたければ、ちょっと手を挙げるだけでいい。ごく普通の車が停まって、車の運転手が料金の交渉を持ちかけてくる。それでも、シートベルトが締めれば上出来だ。車の運転はものすごく荒く、人々は長い横断歩道をわたるとき歩行者優先にもかかわらず駆け足で走っていく。歩道もそれほど安全ではない。夜になると酔っぱらった若者の集団がふらふら歩き、朝には顔に生々しい傷を負った男性たちがいる。前の晩に喧嘩をしたか、泥酔して転んだかしたのだろう。わたしは呆気にとられてそういうひとたちを眼で追ってしまうのだが、ほかの人たちはちらっと見ただけであとは知らん顔をしている。
街に投げやりなムードがただよっているのも無理はない。モスクワっ子の大半は。わずか二、三〇〇ドル相当の月収しか稼いでいないのだから。しかもモスクワの物価は高く、わたしの宿泊先もユースホステルだ。アルコールの過剰摂取が死因の上位となっていて、市民の健康をむしばんでいる。モスクワの法律事務所に勤めている友人の話によると、事務所の受付嬢が心臓発作を起こす薬ともいうべきアルコール類をデスクに常備しているという。危険は外からもやってくる。あるイギリス人がわたしに語ってくれたのだが、この街に来てほどなく、住んでいるアパートメントの大家がやってきて、用心棒になってやるから「みかじめ料」を払えといったことだ。
現在のモスクワには新興中産階級が出てきているが、それはごく一握りの人々だ。医師や大学教授のなかにも、自分は中産階級ではないと語る人たちがいた。彼は車を買ったりレストランで食事をしたりする余裕がなく、小さなアパートメントに配偶者、子ども、親と三世代同居の生活をしている。暮らし向きがよくなると思っていないという。アメリカ人とは違うのだ。新生ロシアに生きるほとんどの人々は、ソ連時代と変わることなく成人になってから死ぬまでおなじアパートメントで暮らす。
以上のように厳しい生活背景を思えば、婚外セックスにせめてもの楽しみを見出しているのだと納得できる。それにしても、婚外セックスが頻?に行われていることに驚かされてしまう。ロシアでは信頼できる全国規模の調査ははされていないが、サンクトペテルブルクで一九九六年に行われた世論調査では、現在の配偶者との結婚生活において男性のおよそ半数と女性のおよそ四分の一が浮気をしたことがあると答えている。ということは、期間をいまの配偶者との結婚生活に限らずこれまで浮気をしたことのある人は、さらに多いということになる。ロシアの都会に住む人々は、先進諸国のなかでもっとも不倫率が高いようだ。
しかし、以上の調査結果はあくまでも本人の自己申告にすぎない。不倫によって社会的制裁を受けることはあまりないロシアでは、経験がないのに浮気をしたことがあると吹聴して、女たらしを気取る男性もいるような気がする。一九九四年の意識調査で、不倫は「まったく悪いものではない」もしくは「ごくたまに悪い場合もある」と回答したロシア人は四〇パーセント近くいた。
同じように答えたアメリカ人は、わずか六パーセントだ。その調査した二四カ国のなかで、ロシアは不倫にも寛容だった。人々が浮気を自慢する国にわたしは来たのだ。
不倫は――本当のものであれ、男らしさを見せるための嘘であれ――ロシア人にとって、問題にならないのだろうか?
ご近所の奥さんと火遊びなどしないほうが、幸せに暮らせるとは思わないのだろうか? わたしが訪れたのは、先進諸国のなかでの婚外セックスの中心地らしい。ロシア人がどうして頻?に不倫をするのか、それがなんらかの役に立っているのか探ることにしよう。
わたしがソ連時代のセックス事情をきくと、ロシア人たちは国民の誰でも知っているジークをたいてい口にした――「ソ連では、セックスがなかったんだよ」一九三〇年代と一九四〇年代、スターリン政府は性教育を禁止し、指導する婦人科ですら性に関する本を出版することができなかった。政府の役人は公の場で性の話を取り上げることを禁じ、科学者が性の問題を研究することを許さなかった。学校では純潔教育が行われ、若者の性的エネルギーを国家建設の方向へ向けるようにしていた。性科学者のイゴール・コンは、セックスは政府の支配が完全には及ばない数少ない領域のひとつだったから、政府関係者は性の問題に脅かされたのだと説明している。「全体主義に危険をもたらすのは性行為そのものではなく、国民一人ひとりの情熱的な恋愛感情である」と、コンは著書『ロシアの性革命』で述べている。
もちろん、政府のお題目と人々の実際の行動とは大きなギャップがあった。共産党の高官たちは国の資金で愛人を囲い、西洋のポルノを入手して、たびたび乱交パーティを開いていた。ニキータ・フルシチョフ政権下で文化大臣をつとめた人物は、若い女優のハーレムをつくっていたことが暴露された。のちにソ連の最高指導者になったレオニード・ブレジネフは、駆け出しの政治家のころカザフスタンでの任務を命じられたが、そのさい数人の愛人を連れて行ったとのことだ。
一九六〇年までは、夫もしくは妻が浮気をしているらしいと思ったら、地元の共産党の責任者に彼(あるいは彼女)を訴えることができた。党はその件についての会議を招集し、「有罪」とされた人物は党から追放され、いい仕事に就くチャンスを奪われた。科学の立場から性について論ずることが大目に見られたこともあったが、それは政府の高官の気分次第だった。コンが語ってくれた昔話だが、彼が指導する大学院生が、若者の性行動調査をする許可を取り付けるために地元の共産党に行ったとき、責任者は「セックスパートナーは何人いますか」という質問は除外しろと命じた。とのことだ。責任者は「これはどういう意味だ? 個人的な話をすれば、わたしは妻と暮らしているがね」と聞いたそうだ。コンによると、その責任者が、キーロフ・オペラ・バレエ劇場のバレリーナたちを、個人的に囲っていることは周知の事実だったそうである。
不倫にはたくさんの障害があった。浮気をしている女性は妊娠するリスクを負い、妊娠したら堕胎しなければならなかった。育児制限の方法といったらそれくらいしかなかったのだ。しかし何よりも大きな問題となっていたのは愛人との密会場所を確保することだった。と年配の人々は語る。結婚していない男女がホテルに行くことははばかれた。住んでいる街のホテルだったら、なおさらだ。さらに、講演はいつも警官がパトロールしていた。家は論外だった。一緒に住んでいる子どもや親の目が気になるのはもちろんのこと、大多数の人々はキッチンやトイレが共同のアパートに住んでいたのだから。「わたしたちは通路で生まれ、通路でセックスし、通路で息を引きとる」とは、一九七〇年代にある彫刻家が作家マーク・ポポフスキーに語ったセリフである。
それでもロシア人は、共産党によるほぼ一〇〇パーセントの支配や日々の骨折り仕事から解放されるためなら、どんなことでした。モスクワ発サンクトペテルブルク行きの急行は、男女がふたりきりの客車にこもれることから”車輪のあるホテル”と呼ばれていた。友人同士で住んでいるアパートを提供しあって、密会場所を確保することもよくあった。モスクワ在住の六四歳の歯科医マリーナは反体制的な危険人物にはとても見えない。昔は雇用保障があったからよかったとソ連時代を懐かしんでいる女性だ。しかし一九八〇年代、彼女は仕事と結婚生活を危険にさらして、KGBの諜報員と数年にわたる不倫関係にあった。日中はほとんど家を空けている、マリーナの親友のアパートでふたりはしばしば密会していた。
なぜ彼女はそんな危険を犯したのか?
「たぶん、すごく悪いことだったからでしょうね」と、マリーナ。彼女の知り合いのなかにも、同じようなことをした人がいた。芸術家たちの溜まり場となっている肩の凝らないラウンジで、愛人を連れ立っている知り合いに会ったことがある。そういう場所は安全な場所とされていた。「不倫をしているひとをたくさん知っていたけど、その話が取り上げられることはあまりなかったわ」マリーナは語る。「セックスって言葉は売春とおなじくらい、口にすると薄汚い感じがした。でも、セックスにたいする関心はものすごく広まっていたのよ」
ロシア版《プレーボーイ》の編集長アルチョム・トロイッキーは、より正確に当時の気分を言い当てている。「政府が最後まで僕たちから奪えなかったものが、セックスだった。だから、ぼくたちはセックスに走ったんだよ。みんな、手あたり次第、だれとでも寝たね。モスクワは世界でもっとも好色な街だったよ」と、マスコミ界の大物でコラムニストであるモスクワ在住のオランダ人デルク・ザウアーに語っている。
ソビエト連邦の人々はまた、嘘になれていた。「働いているふりをすれば、金を払うふりをしてくれる」
という、裏のスローガンがあるくらいだ。生き延びていくうえで嘘はとても重要だったから、良心に悩まされなければ、むしろいいことだとみなされるようになっていった。性科学者のセルゲイ・アガルコフはザウアーの著作のなかで、「ロシアに住むわたしたちは、嘘をつくことに慣れっこになっている。共産党のシステムがそういう状況を生み出したんだ。政府が国民を欺いたからね。男女がたがいを欺いていたのも無理はない」と語っている。ソ連政府は宗教を抑圧したから、教会が嘘を戒めることはできなかった。
とはいえ実際は、政府の厳格な命令にしたがうひともたくさんいた。性科学者のレフ・シェグロフは一九七〇年代なかば、ソ連の調和」などといったタイトルで当り障りのない話をするように見せかけて、じつはセックスのレクチャーをしていた。わたしがレフ・シェグロフに会ったのは、サンクトペテルブルクにある彼の居心地のいいアパートメントだった。彼はいま、権威ある性科学心理学研究所の所長をつとめている。「六〇年代だったら、考えられないことでした。でも、七〇年代なかごろには、共産主義体制が軟化しつつあった。政府内部に理想が少しも残っていない状態になっていたんです」と、レフ・シェグロフは語る。講演を行ったさい、会場となった公会堂や工場や地方の”文化宮殿”はつねに満員だった。「国民がセックスの知識を仕入れる方法といったら、それぐらいしかありませんでしたから。当時セックスは滅多に取り上げられないテーマだったんです」彼は振り返る。
講演のさいにシェグロフが気を付けたのは、ソ連と西欧諸国を比べないことと、家庭の外でのセックスに触れないことだった。政府に情報を流す人物が聴衆のなかに時々紛れ込んでいたからだ。それでも講演は大いに沸いた。席を立ってふしだらだと怒鳴る年配の人々がいつも何人かいた。それを除けば、半分ほどの聴衆が子どものようにくすくす笑い、残りの半分は夢中になって耳を傾け、シェグロフが次に何を言うか待ち受けていた。彼がいまでもよく覚えているのは、フェラチオを求めてきた恋人を警察に突き出したと語った田舎の女性だ。わたしのとった行動は正しかったのでしょうか、と彼女が聞いてきたという。
「あなたはその男性の人生をめちゃくちゃにしたかもしれない。とわたしは説明しようとしました」とシェグロフは語った。「彼女たちの育った社会が、そういう行動をとらせるんだということはわかっていました。その女性は愚か者と切り捨てることはできません」
一九九一年にソビエト連邦が崩壊すると、セックスが勢いよく表舞台に登場した。ロシアは国民がめったにセックスの話をしない国すら、セックスが商品となる国へと変貌した。見たいポルノを好きなだけ見たり、とがめられることなくホテルの部屋をとったり、新聞で売春婦を探したりすることが急にできるようになったのだ。性の問題についてのまじめな話し合いが国家規模でなされたり、学校で性教育が行われたりすることはなかった。しかし、セックスはどこでも自由にできるものになったのである。
この変化についていけないひとも多かった。一九九二年、ロシアでメロドラマがはじめて放映されたが、主役の女優は「あなたとベッドを共にしたい」というセリフを口にするのを拒んだ。そのシーンは書き換えられた。おなじドラマで男優のひとりが、浮気をする役どころに腹を立て、ドラマの途中に交通事故で死んだことにして役を降りたいといいだした。しかし、どたんばで出演料が惜しくなったらしく出演をつづけた。
社会のルールが急速に変わっていった。現実逃避の手段だった性交渉が、若い女性が手っ取り早く成り上がる手段になった。この時代を生きた人々の話によると、たかが数年で、いやほんの数ヶ月で、一九歳の女性がうんと年上の男性に寄り添っている光景がふつうのもとなっていった、とのことだ。すべてのロシア人が自分の娘にそうして欲しいと願っていたわけではないだろうが、資本主義経済のあたらしい論理に逆らうことは難しかった。「二〇代のはじめから縛られつづけきた結婚生活に人々が見切りをつけはじめ、離婚率が急激に上がった。
ロシア人の海外移住がいきなり自由になると、外国人男性も豊かな生活への足掛かりを提供してくれた。恋人の選択肢がぐんと多くなった。モスクワで英語教師をしているアメリカ人が語ってくれたところによると、クラスの自己紹介のさいに若い女性が友人の話をしたという。マリアというその友人はアメリカ人男性と結婚し一児をもうけたが、あっさりと離婚したとのこと、マリアは現在アメリカにいて、離婚した夫からの扶養手当と養育費で豊かな生活を送っている。自己紹介のあとの話し合いで、クラスの生徒たちはマリアの”頭のよさ”を褒めたたえ、彼女に利用されたアメリカ人をこき下ろした。
生まれ変わったこの社会では、あたらしい中産階級となって豊かな暮らしを送るか、時代に取り残されるかは、あるていど運にかかっていた。モスクワの中央に住んでいた人々が、一夜にして一等地の不動産の持ち主になった。民営化された会社や国営企業をちゃっかり自分のものにする者もいた。しばしば法律に触れるか触れないかのあざといやり方で莫大な富を手にした人々は、みんなのいい手本となった。彼らは「新興財閥(オリガルヒ)」と呼ばれ、憎まれながらも賞賛される存在だった。オリガルヒたちはソ連時代の妻を捨てて若い女性とつきあったり、美しい娼婦を集めたハーレムをつくったりした。彼らがもよおす放蕩のかぎりをつくした乱交パーティは、じきに都市伝説として人々の語り草となっていった。
だれもがオリガルヒとベッドを共にできるわけではなかったが、レストランのオーナ、広告会社の幹部、建設業者、携帯会社の社員など小金持ちが、かわいらしい若い女性に豊かな生活の近道を提供していた。ロシア滞在中、わたし自身もそういう女性たちの数人と会ったが、これほどの整った顔立ちの持ち主はいないと思っても、次に会う女性はさらにいっそう美しかった。女性の多くは、最初は秘書である(秘書の求人広告にはしばしば、条件として「魅力的な女性」と明記されている)。わたしが会った中で一番美しかったエレナは、ハリのある肌と猫のような青い目をもった二八歳の都会的な女性だった。一九九二年に一六歳だった彼女は、生まれ育った田舎町を出て、サンクトペテルブルク郊外に住む伯母とくらしはじめた。じきにコンピュータ機器会社に秘書として就職。ほどなくして会社のオーナーである四〇歳の男性が、会社まで車で乗せて行ってくれるようになり、自分が所有する街のアパートメントに住まないかと持ち掛けてきた。
オーナーが一緒に住みたいといったとき、唯一の問題として浮かび上がったのは彼の妻と一六歳の息子だった。奥さんは事故で下半身が麻痺していましたから、当然のなりゆきで彼は奥さんと縁を切ろうとしていたんです、とエレナ。しかしエレナは、性急すぎるとオーナーを押しとどめようとした。わたしは結婚している男性と暮らすような人間じゃない、というわけである。エレナはまた、妊娠もしていた。
「とてもつらい状況でした」と、ひどくうちひしがれている様子でエレナは語る。「悪い女に見られたくない‥‥あたし、どうしたらいいのかわからなくなってしまって。奥さんが気の毒でならなかった。女同士の連帯は大事だって、あたしは思うから」エレナのフェミニズム的な考えも、新生ロシアの経済には太刀打ちできなかった。オーナーは障害のある妻を捨て、エレナと結婚した。
新生ロシアでは、金銭がひとの運命を大きく左右する境界線となっている。エミール・ドレイサーは著書『愛しあうのをやめて、戦おう』のなかで、ロシアで一九九〇年代に流行った不倫にかんするジョークを載せている。妻が金持ちと浮気するのをやめさせることができない、甲斐性のない夫の話だ。
ある男性が医師のもとを訪れる。「先生、よその男と浮気している妻を見るたびに、エスプレッソを飲んでしまうんです」
「で、なにが問題なんでしょう?」
「カフェインを摂りすぎているんじゃないかって、心配なんです」
おなじように甲斐性のない夫の話をもうひとつ。
「想像できるかい? 夕方に仕事から帰宅したら、妻がスウェーデン人とベッドにいたんだよ」
「で、きみはその男になんていったんだ?」
「なにもいえっこないだろ。ぼくはスウェーデン語を知らないんだから」
ロシア人はセックスと金銭にものすごく執着する
そのことと、セックスについての研究所なるものが創設されたのだろう。宣伝用の資料によると、この研究所は「スラブ民族に古来から伝わる、性交についての知恵」に基づいてセックスの研究を行っている、とのこと。ちなみにソイトロジーという名前は、ロシア語の性交に由来している。この研究所の所長は、哲学者から転身したネオニーラ・サムキーナという人物。送られてきたメールによると、不倫は専門分野のひとつだそうだ。
わたしは数週間かけて、何度もメールのやりとりをして彼女と会う約束を取り付けた。しかしいざ研究所に行ってみると、研究所の活動はすべて蛍光灯のともる一室で行われているらしかった。化粧が濃くて体格のいいサムキーナと、黒い背広を着た陰気な感じの常勤の性科学者がふたり、豊饒のシンボル像のミニチュアをずらりと並べた長いテーブルの向こうにすわっていた。壁には、ふたりの頭のちょうど上あたりに、油絵の具で描いたピンク色の抽象画らしきものがかかっているが、よく目を凝らすと三次元画像で描かれた女性性器だった。
話は二時間近くに及んだが、結局その研究所が何をしているかわからずじまいだった。その任務は一言でいうならば、セックスをもっとまじめに受け止めるようにロシア人を教育することにあるらしい。「くすくす忍び笑いももらしたりせず」に「セックスを文化現象の一つとして見なす」ように、国民を指導するといわけだ。サムキーナは、研究所のさまざまな部門に研究所が出版しているハードカバーの大判の本を見せてもらおうと、日に焼けた裸の男女がさまざまな自然環境のもとでセックスをしている写真のついていた(章タイトルは、「地面で」「森で」「浜辺で」というようになっている)。それぞれの写真の下には、やけに浮かれた調子で説明文がついている。
今後大いに活躍しそうなのは、「助言」部だった。サムキーナは、セクシャルハラスメント問題の専門家として、企業の相談役になりたいとのこと。でもそれは、セクハラをしないように経営者を教育するのが仕事ではない。秘書の女性たちに、そのうち「セックスをサービスする」女の子として利用それる羽目になるかもしれないことを警告するのだという。サムキーナのアドバイスはこうだ――秘書には法的保護は何も与えられないのだから、上司と寝たければ、会社を辞めるべきですよ。
不倫が専門分野というわりには、サムキーナの見解は通り一遍のものしかなかった。不倫はセックスが問題ではなく、もっと根本的な人間関係の問題だ、というのが彼女の説である。
「ロシアには『満ち足りているときは、より素晴らしいものを求めたりしない』っていうことわざがあるのよ」と、サムキーナは締めくくった。
ロシアに不倫が多い理由のひとつとして、男性が極端に少ないことが挙げられる。一九八〇年以降、ロシア人男性の平均寿命は六五歳から五八歳に下がっている。死因はアルコールやタバコ、業務中のけが、交通事故などである。六五歳のロシア人は、女性一〇〇人にたいして男性はわずか四六人だ(ちなみにアメリカでは、女性一〇〇人にたいして男性は七二人)。
この男女の人口比のアンバランスが、男女のロマンスに影響を与える。モスクワでランチを共にした、四〇代の裕福な独身女性が語ってくれたところによると、既婚男性と付き合わなかったらデートの相手はほぼ皆無になってしまう、とのこと。実際、彼女の知り合いの独身女性はみな、既婚男性とつきあっている。三〇代から四〇代の、あるいはそれ以上の年齢のロシア人女性にとって、未婚の男性やアル中ではない男性は、ロマノフ王朝の豪華な宝石と同じくらい滅多に手にはいらないものなのだ。
男性は以上のような状況に乗じて、強気にふるまう。アレクセイ・ジンガーという心理学者が、ロシア人男性の行動パターンを説明している。「土曜日の夜に外泊するつもりでいる男がいたとします。そういうときに、妻に『男友達と過ごすことになっているから、電話はしないでくれよ。女房のお前から電話がかかってきたら、場が白けちゃうよ』というんです」アメリカ人夫婦のあいだにそのようなやりとりがあったら、妻は当然のように夫の携帯に何度も電話をしたり、探偵を雇って彼を尾行させたりするだろう。しかし、ジンガーによると、ロシア人女性は「自分と子ども、つまり家族全員を養っているのは夫だから、夫の言うことを受け入れなければならないと思うのです。彼女が必要としているのは強い男ですが強い男というのは、一晩か二晩家に帰ってこなくても許されるのです」とのこと。
以上のようなロシアにおける夫婦関係をほんとうに実感させられたのは、モスクワに住んでいる社会学者の家にインタビューをしにいって、社会学者本人よりも一八歳になる娘から多くの話を聞いたときだった。カーチャというその魅力的な娘は、肩までの長さの髪を内巻きにしたすらっとした女の子で、英語は並外れて堪能だった。ほがらかではきはきしたカーチャは、目をきらきらさせて理想の夫像を語った。お酒を飲まない、暴力をふるわない男性がいい。そういうひとに出会えたらラッキーだわ、と彼女。結婚適齢期には、まだ数年及ばない。たまにデートするボーイフレンドはいるが、結婚したいと思う男性はいない。おなじ年齢の男の子は、「思いやりがまったくないし、お酒を飲むのよね」とのこと。真面目な男の子も数名いるが、みな恋愛よりもいい仕事に就くことに関心をもっていて、実際、男性がいい就職をするためには多くのライバルと競いあわなくてはならない。
カーチャはとても魅力的な女の子だから、いつかぜったいにいいひとが現れるわよといいたかった。しかし、男女の人口比を考えれば、その可能性は少ない。理想にかなう男性を見つけることができたとしても、その男性に性的な忠誠を期待することは無理だろう。「もちろん、夫には浮気をしてもらいたくないし、あたしも浮気をするつもりはないわ。でも、実際にどうなるのかは、結婚し見なければわからない。よき父親、よき母親として子どもを大事にしていれば、彼がよそに女性をつくったり、あたしが浮気をしたりしても、いいと思う。子どもは両親が揃っている家庭で育つのが一番だから」
人口統計的にカーチャのような若くて魅力的な女性の対極に位置している男性層の例として、五四歳のサーシャを紹介しよう。サーシャは住んでいるのがロシアでなかったら、まるっきりもてないタイプの男性だ。身長は一五〇センチそこそこ、短足で太鼓腹。モスクワ劇場の団員として舞台に出ている彼の定番の役柄は、美女の心を射止めるべくハンサムな主役と競いあって失恋する男だ。
しかし実際の生活においては、サーシャは女たらしを自称している。わたしが彼に会ったのは、開演の二時間前の狭い楽屋。ちょっと舞台初日の晩で、船が難破して裸族の女性たちが暮らす島に流れ着いた男が主人公の芝居だった。わたしが不倫について切り出すと、サーシャは隅にある赤い皮のカウチにさっと視線を向けた。「おかしな話だけと、いつもここでするんだよね」と、彼。そんなつもりはなかったが、わたしは不審げな顔をしたのだろ。サーシャは立ち上がって説明をはじめた。「ほらっ、こうやってクッションをどけて、広げればいいんだよ‥‥」
サーシャの妻はおなじ職場で衣装係を担当していたか、だからといって浮気をやめることはなかった。あるミーティングに出席するべく部屋にいったところ、そこにいた三人全員と関係を持ったことがあるに気づいた、という経験がある。「で、そのつぎに部屋にはいっきた女とも、関係したことがあったんだ!」芝居がかった身振りをまじえて、サーシャは語る。
「それってすばらしいよ。やったぜって感じだね。みんな身内なんだから!」結婚生活そのものは、それほどすばらしくはなかった。息子が生まれてから、サーシャはテニスを口実に頻?に家を空けるようになった。「女房はいつもいっていたよ。『ラケットを持って、なにをしているのかしらね? わたしは家でずっと赤ん坊の世話をしなきゃいけないっていうのに!』って」ふたりは離婚をした。
サーシャはつい最近、再婚した。妻は二〇歳のバレリーナ。息子とおなじ年齢だ。これまでのところ妻への忠誠を守っているが、それも長くはつづきそうもない。「隙あらばって、いつも思っているね。それって男の性(さが)だろう」と、「はじめは、この娘(こ)はこれまでの女とは違うって思うんだけど、やっぱりおなじなんだよね」それから、ロシアの国民的な詩人プーシキンの詩を朗読した。通訳が内容をおおまかに英語にする――「われわれがもとめるのは、禁断の果実だけ。それがなくなったら、楽園は楽園でなくなってしまう」サーシャは茶目っ気のある笑みをうかべて、さらにロシアの有名な格言も口にした。それは男性人口が少ないおかげで女性にもてている男は大人にならなくてもいいという意味の、サーシャの行動を正当化するような格言だった。彼は「小さな子犬なのさ」ていったのである。
ロシアでの不倫の高さは、男女の人口比と経済問題だけでは説明がつかない
フランス人と同様に、ロシア人が嘘に対して拒絶反応を示さないことも要因となっている。モスクワに滞在中、売り上げトップの女性誌、ロシア版《コスモポリタン》が、ボーイフレンドの存在を夫に気づかれないようにするにはどうしたらいいか、特集を組んでいた。記者は、口実となる適当な趣味をつくるべしとアドバイスしている(架空の団体「地球温暖化教会」のメンバーになるのもいいでしょう、とすすめている)。夫に怪しまれないように、セクシーな下着は徐々にそろえていくように。「やけに幸せそうにするのもいけません。これまでシャワーを浴びながら鼻歌を歌ったことがなかった女性が、いきなりそうするのは危険です」以上のように、お説教めいたことはいっさい書かれていない。既婚女性が恋すると、スリムになって毎日にハリができるし自信も取り戻せる、と記者は述べている。
最近のロシアでは、浮気をするあらたな機会が生まれている。ロシア人の夫婦はとても狭いアパートメントに顔を突き合わせて住んでいるから、旅行をするときは夫婦ふたりというより、仲間と一緒のことが多い。そういった休暇は、いわゆるローマ人風の情事をするのに格好の機会となる。古代ローマ人が僻地のエジプトの海岸地方で暗黙のうちに公然と行っている火遊びを、ロシア人が黒海のリゾート地でくりひろげられるようになったのである。ローマ人風の情事は恥ずべきことでもなければ、家に帰ってからの夫婦間の危機の原因になることはない。こういう類の情事はストレスを発散させる手段でしかないのだから。
しかし、情事が受け入れられる決定的な要因は、男は性欲をコントロールできないという共通認識のようだ。男性は(ときとして女性も)生まれつき一夫一妻制を守られないようにできているという説を、わたしは世界のいたるところで耳にした。しかしアメリカとヨーロッパでは、浮気の衝動は押しとどめなければならないとされている。一方でロシアでは、浮気願望は野放しにされている。わたしがインタビューをしたロシア人女性たちは、夫に浮気をしないでもらいたいが、実際にはそうはいかないと答えた。さらには、不倫が日常茶飯事になっているために、それを防ぐのは不可能だという認識がいっそう強くなっているようにも思える。
聞いたところによると、大都市以外の地域では、不倫を隠そうともしない男性たちがいるそうだ。そのことについて探る唯一のチャンスを得たのは、ウラジミールと会ったときだった。
彼はロシア奥地の村から都会に出てきていた。がっしりした肩と皺が刻まれた頬、白いものが混じった長い口髭が目を引くウラジミールは、マルボロの宣伝に出てくるモデルを老けさせたような男性だ。わたしがウラジミールと知り合ったのは、通訳のアンナを通してだった。先週、ふたりの息子さんと一緒にわたしの別荘を修理してくれた男性なのよ、とアンナは紹介した。モスクワの駅の構内で、これからの家のある田舎に帰るというウラジミールと息子たちに会うとき、彼らの爪はまだ汚れていた。
そういうわけで、わたしがウラジミールにインタビューできたのはまるっきり偶然からで、生きている世界がこれだけ違うふたりの人間がセックスについて語り合うなんて、めったにないことだと思わずにはいられなかった。インタビューは、ぎこちない雰囲気とともにはじまった。ウラジミールはわたしの質問にとまどっている。わたしは彼に関して結婚三七年目で、五人の子どもがいるといったような、ごく基本的な普通の情報しかもっていなかった。だから、単刀直入に切り出した。
「恋人はいます?」
「いいや」
沈黙。「その昔、恋人はいましたか?」
また沈黙。「ああ」
さらにまた長い沈黙。ウラジミールはソーセージをがつがつ食べている(お酒を欲しがるはずよとアンナはいっていたが、ウラジミールが所望したのはディナーだった)。アンナとわたしは、彼が口を開くのを待った。
「同じ村にいた女でね。一〇年前のことさ。近所の連中は、みんな知っているよ。その女もまだ村に住んでる」
彼の話をかいつまんで話すと以下のようになる――お相手は離婚女性で、ウラジミールがマネージャーをつとめていた国営農場で経理を担当していた。農場のパーティでふたりは知り合った。ひどく気性が激しい女性で、ウラジミールはそういう女性が好きとのこと。彼女の家で毎日セックスをした。とウラジミール。二年半が過ぎ、そろそろほかの男を探したらいいと別れ話を切り出して、穏やかな関係をおわらせた。ああ、そうそう、女房はおれが浮気をしていることをはじめから知っていたみたいだね。
結婚相手には秘密を持ってはならないという考えを
ロシア人はアメリカ人同様にもっているらしい。とはいえ、アメリカにおいては、秘密がなければ信頼と愛が深まるという大前提があるのにたいして、ロシアでは、秘密を持たないというのがむごい真実を暴露することを意味する場合がしばしばある。「女がいるってことは、女房にじかに伝えてさ。でも、あいつはなにもいわなかった。いい気はしなかったみたいだけど、何も言わなかったんだよ」と、ウラジミール。
「隠したってどうにもならないだろう? あとで、ほかの誰かから聞かされるんだから。そうなったら、まずいわな。もっと面倒なことになるよ」
ウラジミールの話によると、浮気をしたのはその経理係が初めてではないという。「カザフスタンにも愛人がいたし、ウクライナにもいた」と語る彼は、インタビューがはじまったときよりいくぶんリラックスしている。実のところ、一九八〇年代にカザフスタンで働いていたころ、数名の女性と不倫関係にあった。不倫相手に子どもを産ませたこともある、とのこと。不倫していた既婚女性が産んだ双子の男の子の父親は、じつはウラジミールだ。奥さんはそのことを知っているが、駅のカフェテリアに夕食を取りに行っているふたりの息子も含めてほかの子どもたちは、まったく知らされていない。
ウラジミールの奥さんにも、かつて愛人がいた。大して驚きもしなかったよ、とウラジミール。「運命が決めたことは、逆らえないからな」
ウラジミールがこっちへ身を乗り出してにんまり笑ったから、わたしも笑みを返した。と、次の瞬間、彼は怪しい雰囲気を楽しんでいる自分に気づいて、愕然とする。悪い歯並びをむき出しにしなければ、なかなかどうして、野性的な魅力がある男性なのだ。浮気は息抜きなんだよ、とウラジミールはいう。でもそれだけで浮気をする理由ではない。「女に求められたら、男はこたえてやるもんだ。いやだとは言えないんだよ」ロシアの有名な歌の歌詞をそのまま口にした。あなたの結婚生活を一言でいうと? 「三七年間、何の問題もなくやってきたさ。愛人は愛人でしかなかいけど、女房とは一生のつきあいだからね」
ウラジミールが愛人に望むのが気性の激しさであることを、わたしは面白いと思った。知り合いの男性にそのことを話すと、よくわかるというようにくすくす笑って、自分もきつい女性が好きだといった。三〇年間近くモスクワに住んで、《モスクワ・タイムズ》に言語に関するコラムを書いているアメリカ人ミッシェル・バーディは、ロシア人の夫と別れたのは、夫婦のドラマチックな対決を求める夫の希望にこたえられなかったからだと、わたしに語った。「ここロシアでは、山あり谷ありの波乱にとんだ人生がよしとされてて‥‥激情にかられることを楽しんでいるのね」と、彼女。「髪を振り乱して、『出ていってちょうだい!』って怒鳴る女性が好きなのよ。すぐに別れ話をきりだすような女性がね。ドラマを求めているらしい。だから、口うるさい女性がいいのよ」
ドラマを求めて浮気をする、とわたしに告白したロシア人はひとりもいない。彼らは皆、矢も楯もたまらず服を脱ぎ捨てるような、狂おしいロマンスにあこがれているという。好きな女性の家の前に、プレゼントとしてライラックの木を一本丸ごと置いていたという男性の話もあった。ロシアの現実生活の過酷さを思えば、このおとぎ話めいた恋の情熱がつづくのは不倫関係においてのみなかもしれない。「ロシアでは、『楽しい情事は家庭をより強固なものにする』と言われているんですよ」と語るのは、サランスクでペンキ会社のセールスマンをしている、20代後半の男性ニコラスである。「要するに、よそに愛人をつくることで、家庭内の問題がすべて丸く収まるんです。愛人と会ってから家に帰ると、妻に申し訳ない気分になります。そうすると、妻を大事にするようになるんですよ。愛人と会っているときに妻が恋しくなって、はやく家に帰りたいって思う時もあります」
わたしがインタビューをしたフランス人たちと違って、ロシア人は夫や妻にばれさえしなければ、好き放題できるプライベートな領域をもつ資格が自分にあるとは、まったく思っていなかった。パートナーに浮気がばれて、揉め事が起こることは織り込み済みとなっているのだ。これ以上秘密にはしておけないと感じてよそに女性がいることを妻に打ち明けた、と男性たちが語った国はアメリカを除いてロシアだけだった。打ち明ければ、夫婦の対決場面にすんなりとドラマを進めることができる。しかしアメリカ人とちがって、浮気を告白するロシア人は離婚や数年にわたる「怒鳴り合いが」といった苦しみを味わうことはあまりない。というか、ドラマをつくりだすことによって、結婚生活に刺激をあたえているようだ。
結婚するさいの忠誠の誓いも、大した意味のないちょっとした演出にすぎないのだろう。ニコラスは妻に浮気を告白した後、しばらくおとなしくしてから、また女遊びをするようになった。「妻にたいする最大の裏切りは、精神的な裏切りだね。肉体的なことは問題じゃないんだよ」全国民がこの類のいさかいを好んで起こしているところを、想像してみてほしい。ついついアルコールに手が伸びてしまうのも、理解できる。
不倫にたいして厳格になり過ぎない程度に懸念を示しているロシア人は、サンクトペテルブルクの性科学者レフ・シェグロフだけだった。彼はクライアントに、ほかの悪癖とおなじように、不倫をするなら控えめに楽しみなさいとアドバイスしている。「どうしたらいいでしょうと聞かれると、わたしはいつものように答えます――『人間は人生に彩りを与えるために酒やタバコをつくりだしたが、そういった嗜好品のせいで深刻な問題をかかえてしまうひともいる。婚外セックスはいけないものでも、おぞましいものでもないが、健康なひとはそういう人間関係にのめりこまない』」
不倫は一切しないのが理想だと、シェグロフは語る。「しかし、実際のところ、不倫を一切しない人間はきわめて少数だというのが現実です」と彼はつづける。「しないように努力すべきですが、それはあまりにも非現実的でしょう」
ほんとうに? 男性の五〇パーセントが不倫を経験しているのだとしたら
残りの半分は浮気していないということになるはずだ。残りの半分の男性たちは、どこにいるんですか? そういった男性たちに、私は会えなかった。モスクワに滞在している間、一夫一妻制を守っているわたしに断言した人はひとりもいなかった。婚外セックスの話をしてくれる人を探していたから、無理もないかもしれない。でも、インタビュー以外の目的であったひともいたわけで、そういうひとたちでもパートナーへの忠誠を守っていると「告白した」ひとは皆無だった。
いや、ひとりだけ例外がいた。モスクワ大学に勤務している、二四歳のドルフ。同郷の女性と結婚して一年の男性だ。ディナーの席について五分もすると、ドルフは妻への忠誠を守っているといった。「ぼくは浮気をしません。妻をとても愛しているし。尊敬しているから。もし浮気をしたら、寝覚めが悪いでしょうね」短いながらも、感動的なスピーチ。ドルフはアメリカに住んでいたことがあり、共和党を支持している。わたしがインタビューをしたロシア人のなかでは珍しく、ドルフはアメリカ人が不倫を罪悪視していることを知っていた。わたしがアメリカ人だから浮気はしないと言っているだけなのかも、という気がした。
ウェトレスがメインデッシュを片付け、ドルフが三杯目のお酒に口をつけたあたりから、私の予感はいっそう強まっていった。ドルフが、結婚する前につきあっていた既婚女性の話を始めたからだ。凍えそうに寒いある晩、街のキオスクで働いていたシベリア出身の女性に誘われるまま店のなかでウオッカを飲み、ちいさい室内暖房機の横でセックスをした。ものすごく太ったアメリカ人女性に惚れられたこともあったが、ぼくがその気になったら、彼女にはまたすぐ会えるだろう、とのこと。さらには、ロシア人の娼婦を買うとフェラチオは七ドル、挿入ありで一八ドルだと私に教えてくれた。
ドルフは以上のように話しながらも、自分は誠実な夫だといまいちどくりかえした。「でも、一時間後には不倫をしたりして」こんどは、絡みつくような視線を私に向けてきた。食事代をどちらが支払うかで、ひとしきり揉めた。ロシアの男性は女性に食事代を支払わせない、とドルフが言い張ったのだ。それでもなんとか、わたしはウエトレスに自分のクレジットカードを渡した。ドルフはわたしが泊っているホテルはどこかと聞き、だったら同じ方向だからタクシーに一緒に乗ろうと言ってきた。わたしは同意したが、夜のモスクワの街に一人で出るのは危険だと思ったからにすぎない。タクシーの後部座席に乗ると、ぼくは妻に忠誠を守っているんだとこの期に及んでも口にして、体をすり寄せてきた。ユースホステルに着くと、わたしはほうほうの体で車を出て、ひとりで駆け足で建物に逃げ込んだのだった。
二週間にわたってロシアに滞在して気づいたことだが、不倫問題に関心を向けたり、不倫が社会問題になると考えたりしている人間はわたしひとりだけだったようだ。この国には、凶悪犯罪、交通事故による死亡率の急増、ひそかに蔓延しつつあるエイズ、国の存続を脅かすまでの人口減少、国民病ともいうべきアルコール依存症など、もっと悲惨なことがたくさんあるのだ。そういった問題にくらべたら、不倫などは可愛らしいものに見えてしまう。なんだかんだ言っても、不倫は楽しいものだしロマンスがからむのだから。わたしが会ったロシア人のほとんどは、金銭上の不安や狭いアパート暮らしにストレスを感じているから、浮気が歓迎すべき息抜きとなっていた。ロシア人は不倫を、せいぜい喫煙と同じレベルの悪癖としてしか捉えていない。とはいえ、わたしにしても、そのささやかな楽しみを彼らから奪うつもりは全くない。
そんなロシアでも、不倫はもちろん結婚生活に問題を生じさせる。ほかの国の人々と同様に、ロシア人は伴侶の裏切りを知ると傷つくし、子どもにとって親が愛人をつくって家を出ていくことほどつらいことはない。しかし、男はある程度の火遊びをするものだと女性はおもっているから、不倫によって生じた僅かな亀裂は比較的簡単に修復できる。モスクワ在住のある女性が語ってくれたところによると、不倫をした夫はよそに女性をつくった償いとして、妻を旅行に――できれば海外旅行が望ましいのだが――連れて行くのだという。アメリカ人ならば元に戻すのに何年もかかることが、ロシアではパッケージツアーのあいだに丸く収まってしまう。
ロシア人はアメリカ人に負けず劣らずロマンチストだ。とはいえ、ロシア版のロマンスは波乱に満ちていて、ハッピーエンドにはならない。男女の幸せが長くつづくことはない、とロシア人は思っているのだ。夫と妻が幸せに暮らして、ともに白髪になるまで忠誠を守るというアメリカの理想は、ここでは通用しない。というのもロシア人男性のほとんどは”熟年期”を迎える前に死亡してしまうからである。
わたしが次に訪れるは、ひどく風変わりな国だ。その国の男性の平均寿命はロシア人男性よりも二〇年近く長いけれど、彼らの多くが現実の生活と恋愛をまるっきり別のものとして捉えている。ベッドを共にしないカップルもしばしばいる国。世界各地の不倫事情を知る旅で、わたしがロシア人男性のつぎに向かったのは日本だ。わたしは日本という国に、はたしてセックスが存在しているのかどうか確かめようと思う。
つづく
第7章 お一人様用布団の謎