
パメラ・ドラッカーマン著 佐竹史子訳
フランスでは、「不倫」は罪の烙印を押されることなくお遊び感覚で語られる
ときは一九九六年一月。場所はフランスのジャルナックという村。七九年前にそこで生を受けたフランソワ・ミッテランが、蓋をしめたオーク材の棺に横たわっている。そばで見守っているのは、妻のダニエルとふたりの息子。一歩下がったところに、前大統領の長年の愛人アンヌ・パンジョがいる。ダニエルとふたりの息子の横にいる、マザリーヌ・パンジョは二一歳。ミッテランとアンヌのあいだに生まれた婚外子の娘だ。
この映像は世界中に流され、フランスにたいする古くからの俗説を証明したかに見えた。つまり、フランスでは不倫が国民的なレジャーとなっている、フランス人の妻は夫が愛人をもつことに寛容だ(妻にも何人か愛人がいたりする)、フランスでは情事の体験はフォアグラを味わうのとおなじで洗練された人間であることの証しである、といった俗説だ。フランスの朝刊にミッテラン元大統領の葬儀の写真が載ったとき、カフェ・クレームにむせてしまったパリっ子はひとりもいなかったはずだ。わたしがニューヨークからパリに移ったころ、フランスについて思い描いたイメージの多くが正しかったことがすぐにわかった。パリの女性たちは本当に美しかった。ロレアルの広告に出られるくらい滑らかな肌のウェイトレスを見て、圧倒されることもたびたびだ。公営プールには、セルライトがあるひとはひとりもいない。子ずれの主婦ですらそうだ。お腹をぽこんと突き出している妊婦も、出産から一カ月も経たないうちにスキニ―ジーンズがはける体型にもどる。パリっ子たちは、街の美観をも演出している。ジャージ姿でスーパーに行く人は、決していない。身なりにかまわない女性がたどる運命にかんして、人々は情け容赦ない。二人の子どもを持つ四〇代の女性は、ジャック・シラク大統領が美食家なのも無理ないわ、だって奥さんのベルナデットはいつも苦虫を?み潰したよう顔をしているんだもの、と軽蔑も露にわたしに語った。
美しい容姿は、ちょっとした恋愛ごっこをより楽しくするスパイスとなる。フランスのディナーパーティに出かけると、妻や恋人のいる男性たちが私の目をじっと見つめる。よほどの女好きは別として、アメリカ人男性だったらこんなに長く女性と視線を合わせはしない。ひょっとして誘惑されているのかしらと思ってしまうが、必ずしもそうとはかぎらない。きまった相手がいるひととちょっと恋愛ごっこをしても、パートナーを裏切ったことにはならないし、婚外セックスに直結することもない。他愛ないお楽しみに過ぎないのだから。
フランスでは、不倫は罪の烙印を押されることなくお遊び感覚で語られる。わたしのフランス語の教師は、横になる学校に通うと語学が上達すると提案してくる。要するに、動詞の活用がすらすら出てくるようになるまでフランス人男性とベッドに横になってセックスすればいいというのだ。あたらしい先生を見つけたと妻が口走ったら困ると思うのか、夫はその語学学習を夫婦ですることにしぶしぶ同意している。
パリの地下鉄に乗ると、フランスの広告業者が不倫を頻?にジョークにしていることに気づく。映画館は「夏は終わりました。よそ見はほどほどにして、またわたしだけを愛してね」というフレーズを書いた掲示板をかかげ、常連客にポイントがつく”貞節カード(フィデリティ―)”の宣伝をしている。予備のメガネを買いましょうと謳う広告には、左右両側にふたりの花嫁を寄り添わせている新郎の写真が使われている。あるチョコレート会社には、サンタクロースがプレゼントを配っているあいだどうやって寒さをしのぐかというテーマをクリスマスシーズンに取り上げ、サンタクロースがどう見ても奥さんとは思えない魅力的な若い女性と橇(そり)に乗っている映像をコマーシャルで流している。
フランス人の情事好きを物語るものは、至る所にあるように思われる。実際、わたしが観たフランスのロマンティクック・コメディ映画はすべて既婚者とその愛人の話だった。しかも、ほとんどの場合、だれも死なない!典型的な映画のひとつを紹介しよう。ある夫婦が子ども連れて南仏の実家に帰る。ほどなく浜辺での密会を約束した妻の愛人が現われ、夫は幼馴染に会って自分がゲイであることに目覚める。映画の終盤で、夫婦は涙ながらに秘密を打ち明けてそれぞれの愛人を家に呼び寄せ、子どもたちも交えて楽しげに歌を歌い、ハッピーエンドとなる。不倫をする者イコール悪者となっている大多数のアメリカ映画とは、正反対のメッセージだ。フランス映画の世界では、浮気をする者イコール主役という図式しかない。
一言でいって、フランスは本書の決定打になりそうな予感がする。わたしは世界に名だたる不倫都市パリに引っ越してきたばかり。体験者に会ってちょっと話を聞くだけで、この問題を一層深く掘り下げられるはずだ。
しかし、なにもかも思い通りに運んだというわけではない。パリに来て数ヶ月したころ、人気のある週刊誌が、不倫をタブー視する時代は終わったとの特集記事を掲載したのだ。フランスは昔から不倫をタブー視していなかったと思っていなかったわたしとしては、釈然としなかった。その記事に紹介されているフランスの女優が、両親の不倫を思い切って公の場で話すことができたのは、アメリカ人女優のユマ・サーマンがそうしているのを見たからだと語っていた箇所には、いっそう驚かされた。「すごくアメリカ人らしいかった。フランスにはそういうひとはいないものと思っていた」、その女優のセリフである。
さらに気づいたのだが、フランスの女性誌が情事をごくありふれたものとして醒めた目で扱うことは決してしてない。浮気性の恋人や夫をどうあやせばいいのか、恋人の浮気疑惑が浮上した時はどうしたらいいか、恐るべき”ただのお友だち”をどう撃退するか、オンラインでのセックスを不倫と見なすかどうか、といった記事がアメリカとおなじように掲載されているのだ。フランスは不倫にたいして放任主義(レツセルフェール)だとの国際的な評判がありますねとわたしが語ると、フランス人女性はびっくりする。「夫に裏切られたいと思う女性がいるかしら?」と語った女性もいる。
ひとつまたひとつと、インタビューがお流れになった。約束をキャンセルした友人の友人は数知れず。メールの返事はこない。最初は乗り気だった人々も、わたしがノートを取り出すや口をつぐむ。パリのどこの場所でも、人々は不倫について話したがらない。個人名を伏せた話でもそうなのだ。友人と彼のフランス人のガールフレンドに愚痴をこぼすと、若い女性は気の毒がって、わたしが”ピュドゥール”を無視して突っ走っているのだとさりげなく教えてくれた。ピュドゥールというのは、恥じらい、プライバシー、遠慮などを意味するフランス語だ。彼女はよかったら力になりますと約束してくれた。が、気が変わったのか、わたしが電話しても、折り返し電話をしてくれなくなった。フランスに住んでいなかったら、ノートが真っ白なままこの国を後にするしかなかっただろう。五時から七時(サンクアセット)までとは、帰宅する前の愛人とのランデブーを指す有名な言い回しだが、この街の住人全員がサンクアセットをしているなら、それを話してくれるひとが少しいるはずではないだろうか?
さらには、わたしがフランスにたいしていだいていた固定観念を、すべて打ち砕く統計データもあった。アメリカのそれとよく似たセックス調査の結果を調べると、パートナーへの忠誠を守っているとこたえたひとたちの割合は、フランス人とアメリカ人はほぼおなじだったのだ。驚いたことに、フランス人の多くは律儀なまでに身持ちがかたかった。フランス人が同棲なり結婚なりするのは二〇代前半で、それ以降はずっとひとりの相手だけと危険のないセックスを何度も何度も繰り返すのである。
フランス人の結婚や情事はアメリカ人のそれより長つづきする
フランス人はアメリカ人よりパートナーに忠実であるばかりか、フランス人の結婚や情事はアメリカ人のそれより長つづきする、と述べている。「フランスはアメリカよりも、性交渉によって生じる絆が強いように思われる」とジャミは論文を書いている。
同時に何人もの恋人候補とつきあうアメリカのしきたりは、ほとんどのフランス人には理解できないものだ。付き合っている相手にキスをしたら、さらに進展してベッドを共にしたらなおさら、ほかの人間とは付き合わなくなるのが普通だとフランス人はいう。「きまった相手がすでにいるのに、別の人に心を動かすなんてことは、ほとんどあり得ないわ」とわたしのフランス人の友人、三〇代前半の弁護士は語る。いっときにふたりの人間と付き合うのは、「いい加減なことだし、軽薄だと思う」と、彼女。そして、わたしが以前ニューヨークから来た友人を彼女に紹介しようと、嫌がる彼女を説得してブインドデートをお膳立てしたときの話を持ち出した。あの男性はいい人だったが、お膳立てされたことに抵抗を感じたと彼女はいう。「ひょっとしたら男女の関係になるかもしれない、とあらかじめ予想して男性に会う気にはなれない。夢がないもの」
さぐればさぐるほど、わからなくなっていく。世論調査では、フランス人女性がパートナーに求めるものの第一位に性的に誠実であることが挙ずっており、男性が女性に求めるものも、優しさがわずかに上回って一位になっているものの、誠実であることがそのつぎに挙げられている。
さらに男女ともに、性的に誠実であることが会話に次いでカップル円満の鍵であると語っている。フランス人もアメリカ人と同様に、できることならパートナーへの忠誠を守りたいと願っているし、パートナー同士がともによそ見をしていないことが、満足のいく関係を築くもっともたしかな方法だと信じているのである。
いろんな人々の話を聞いていくうちに気付いたことが、フランス人男性がこじんまりしたアパートメントに愛人を囲っているという話は、平均的なパリっ子にとって、シンシティに住む人々が感じるのと同じくらいに古き良き時代をイメージさせるようだ。現実にはあり得ない、おとぎ話。五時から七時まで(サンクアセット)までなんてとても無理、というわけだ。フランスの上位中流階級の人々は情事を一番楽しんでいるという印象があるが、実際のところき、少なくとも七時まで職場に拘束され、そのあと列車に長時間揺られて近郊にある自宅に戻る生活を送っている。わたしがパリに暮らしはじめてからも、不動産価格は急騰した。九〇〇ドルの輸入物のベビーカーを買い、一〇年間の住宅ローンを払い終えるのが精一杯のフランスのヤッピーたちにとって、贅沢好きな愛人を別宅に住まわせて会いにいく余裕はあまり残されていない。シャンゼリゼでランチを取っているとき、パリっ子のマネジメントコンサルタントがくすくす笑いながらこう言った。「妻と喧嘩するとき、彼女が『よそに男性を作る』っていうことがあるんだ。後で仲直りしてから、ふたりで大笑いさ――まさかって感じだよ。ぼくたちの暮らしがひどく込み入ったものになってしまうから!」
ミッテランの葬儀のあの有名な写真にしても、じつは見た目以上に込み入ったものだったようだ。フランスの新聞を読んで知ったのだが、ミッテランの「二番目の家族」は二〇年にわたって国家機密だった。娘のマザリーヌの存在は政治やジャーナリズムの世界では知られていたが、公になったのは葬儀のわずか一四カ月前だった。マザリーヌとミッテランがパリのレストランにいる写真が、週刊誌《パリ・マッチ》の表紙に掲載されたのだ。
ミッテランは自分の二番目の家族が公になったら
国民に非難されるだろうと警戒していた。一九八一年に大統領に就任して間もなく、彼はテロ対策特別部隊をつくった。部隊の表向きの役割は大統領の護衛だったが、実際にはアンヌとマザリーヌの名前を公表したり、大統領にとって不都合な事実(末期癌を患っていたこともその一つ)を暴露したりする恐れのある政敵やジャーナリストの会話を盗聴することが、おもな任務だった。
『フランソワ・ミッテランの汚点』というタイトルでマザリーヌについての本を出版する計画もあったが、大統領が阻止したらしい(ちなみにその本は、大統領の死後に出版された)。著者がテレビの生放送で本の内容を語るという情報をミッテランの側近が得たとき、その番組はすぐさま放送中止となった。報道関係者の話によると、政府は秘密が漏れるのを恐れるあまり、著者がよくいく地元のカフェと、住んでいるアパートメントの管理人の家に盗聴器をつけていた、とのことだ。
マザリーヌは数年後、二〇〇五年に自伝『口を縫い閉じられて』を発表したが、そのなかで大統領官邸から外出するときはシートの下に隠れていたと述べている。インタビューのなかで、彼女は”透明人間”でいなければならないことが心の傷となり、精神科医に診てもらっていたと語っている。「わたしは結婚していない男女の間にできた隠し子として生まれた。フランスの恥、モラルを乱す者として」とは自伝の抜粋である。マザリーヌにこのほか心を砕くようになっていたミッテランは、死期が近づいてきたところ彼女の出生証明書に自分の名前を書きくわえたが、自分が死ぬまではマザリーヌを慎重に世の中に紹介するべくミッテランの側近が仕組んだものだったといわれている。
以上のような出来事を、どう捉えていいのだろう? 決定打となるはずと思ったフランスが、非常に込みいった国となってきた。フランス人は、わたしたち外国人がいだくステレオタイプに一致しない。わたしが見聞きした僅かな事柄から、フランスにおける婚外セックスのルールがアメリカ人のそれとは違うことは明らかだ。しかし、体験談を語ってくれる人を見つけない限り、この国の六〇〇〇万の国民は謎のままとなってしまう。
わたしが最初に向かったのは、パリとサンフランシスコに居をかまえる七〇歳のアメリカ人作家ダイアン・ジョンソンの家だった。フランス式の恋愛をテーマに、もつれた人間関係をコメディータッチで描く彼女の作品には、ほとんどいつも不倫が絡んでくる。ダイアンも外国人だが、ふたつの文化にまたがって活躍している彼女だったら、わたしの混乱を解決してくれるはずだ。
左岸にあるジョンソンのアパートメントは、パリの大ブルジョワ階級の典型的な造りだった。装飾をほどこした高い天井、本を積んであるテーブルはアンティークの大理石。彼女の小説の登場人物と同様に俗世間との交渉を避けているから、フランス人のすべてが別荘を持っているわけではない、ということに気づくのに時間がかかったという(「でも、わたしの経験からいえば、みんなそうなのよ。わたしの知り合いはみな別荘を所有しているの」とは彼女の弁だ)。
フランスの不倫事情について話し始めると、ジョンソンもまた途方に暮れた顔をした。「フランスのルールについては、じつはよく知らないの。探り出すのが難しい問題だから。フランス人は承知していることだけど、アメリカ人には語りたがらいのよ」と、彼女。「フランス人男性には愛人がつきものだ、って話はもちろん聞いたことがあるだろうけど‥‥大昔の想像上のフランスの話じゃないかと思ってしまうわ。コレットの小説の世界かなにかの」
コレットは二〇世紀初頭のフランスの作家である。彼女の作品に出てくる女性たちは、ブルジョワ階級の既婚男性をとつかえひっかえして恋愛をする。お金目当ての女性もいたし、恋愛によって快適な生活を送ることを望む女性もいたが、当時の状況を思えばそれも驚くにあたらない。社会に進出している女性はごく少数で、上流階級の結婚がまだ親同士の取り決めによってなされ、離婚がタブーだった時代なのだから。
恋愛結婚が普通となっている現代フランスには、奔放な不倫というより、男性が女性との会話をことのほか楽しむという形で、コレットの時代の遺産が受け継がれているようだ。ジョンソンはマーケットで毎日のように男性から甘い言葉をかけられると語る。「『マダムのために特別に仕入れたんですよ、このラムチョップはね』といった具合にね、ミートショップでのやりとりが店員さんとわたしの両方にとって、すごく楽しいて張り合いのものとなるの」
ジョンソンによると、彼女が親しくしているグループの既婚男性たちはファッション雑誌を読み、ショーウィンドウ―の女性服を頻?にチェックして、ショッピングに行く妻によくついていくという。「フランス人女性はよくいうのよ。義理の母親は気が強くて自分勝手で息子を意のままにしているけど、ひるがえって考えれば、その息子たちは女性を敬うことを知っている、って」
それと対照的に母国のアメリカでは、男女の関係は対立的でヒステリックな衝突に発展しやすい、とジョンソンは語る。アメリカ人男性は女性の性的な魅力に心惹かれるが、彼女たちの習慣は理解できないものと見なし、それに付き合うよりは男同士でスポーツ観戦することを好む。
「女性が求めるものを男性は決して与えようとはしない、ってわけね。それとも逆に‥‥どんなに仲がいい男女もいずれ失望して敵対しあうって決めてかかっているから、双方でよく話し合わなきゃいけない、ってことなのかもしれないけど」
アメリカ人女性は「わたしを満足させてちょうだい」
という方向に行ってしまう、とジョンソン。で、そういう方向で話を進めると、「夫が話をしてくれないことがすごく不満だ。ということになる。でも、彼女たちが話したがることと言ったら、ふたりの関係についてばかりなのよね‥‥かまってほしいとダダをこねる子どもみたいだし、うんざりするわ」つまりは、フランス人女性だったらアメリカの不倫につきものの役に立たない詰問の繰り返しや心理療法は避ける、ということなのだろう。
「フランスの文化は」ジョンソンはエスプレッソに赤い角砂糖をいれて、語った。「わたしたちの文化を成熟させたものなのよ」
シャルルとの待ち合わせの場所は、バスティーュ監獄近くの喫煙カフェだった。店内は通称”ボブ”で知られるブルジョワ階級のボヘミアンたち、つまり贅沢な生活をおくるおしゃれな若いパリっ子たちでいっぱいだ。四三歳のシャルルは、ほかの客たちより年上だった。襟のない白いシャツに小粋なサングラスといういでたちのシャルルだが、ボブたちのなかでも際立ってブルジョア的にわたしは感じられる。
パリで最も裕福な、セーヌ河の対岸にある大五区での暮らしを語る医者のシャルルは、フランス映画によく登場する都会のインテリ男性そのもの。バカンスには、三人の子どもを連れてセーリングする。アマチュアのオーケストラでバイオリンを弾いている。妻に出逢ったのは一五年前。彼女も医者で、ふたりとも当時はインターンだった。敬虔な気持ちになることもたまにはあるが、無神論者を自認している。
わたしは婚外セックスの経験談を聞くためにシャルルに会ったのに、彼はのっけから、結婚した当時は一生妻への忠誠を守るつもりでいたし、実際に最初の一〇年間は一夫一妻制だったと断固とした口調でいった。妻が魅力的でありつづけたら、自分もよそ見はしなかった、と。妻は愛すべき優しい女性で、母親としても申し分ない。でも、魅力的な女性でありつづけようと努力しなかった。ハイヒールやスカートでセクシーな魅力をアピールしてほしい、とシャルルは頼んだ。そうして何年もお願いしたのに、彼女が着るのは体の線を隠すダボっとした服ばかりで、外出するときは口紅もつけなかった。セックスにも、ほとんど興味を見せなくなった。
妻がインテリ女性だということは嬉しく思っている。でもシャルルが求めていたのは、”女らしい”女性だった。男だったらそう望んでもおかしくないはずだ。シャルルのように自称ロマンチストの男だったら、とくに。でも妻は聞く耳を持たなかった。そんなこんなで一〇年が経ち、結婚とはパートナーに忠誠を誓うことだと信じて育ってきたシャルルも、よそに女性をつくるしかないと感じるようになった。
アメリカとはちがって、フランスでは情事の言い訳がすんなりと通ってしまう。「罪の意識はあまりないんだ。妻には何度も変わってくれと頼んだんだから。もっとセクシーなおしゃれな格好をして、ヘアスタイリストのところに行ってくれってね」
ある晩、自宅近くのバーでシャルルはある既婚女性と知り合った。かくいう彼女は、ヘアスタイリストだった。名前はダニエル。シャルルはダニエルを手放しで褒め称える。ブロンドで、とびきりセクシーで、毎日のようにジムで鍛えている女性、とのことだ。容姿にとても気を遣っていて、豊胸手術を受けたときは腫れが収まるまでシャルルに会おうともしなかった。
つきあいはじめのころは、とてもロマンティクックだった。ふたりでプレゼントをよく交換した(恋の情熱がいちばん盛り上がっていたころ、シャルルはグッチの時計をプレゼントした)。五年経ったいまは、情を交わす友人同士といった関係になっている。シャルルの仕事が午前中でおわる金曜日には、地下鉄でオデオン駅の近くの決まったレストランでランチを共にする。それから、シャルルが家族で住んでいるアパートメントの隣にあるワンルームでセックスをする。
「こういう人生を望んでいたわけじゃない。伴侶への忠誠を守るのが、やはり一番だ。でも、妻とは無理なんだよ。ベストじゃない状況であっても、ぼくを受け入れなきゃいけない。甘んじなきゃね」一番上の一二歳をはじめとして三人の子どもがいるから、離婚は考えないという。
シャルルは余計なことはけっしていわないように気を使っている。二、三年前、ダニエルと地下鉄の駅を歩いているところを妻に目撃されたときは、酒に酔って行きずりの女性と関係しただけだと妻をいいくるめた。寝室にひきあげるころにはその話は決着がついたが、いまでも喧嘩をしたときに妻があのときの事件を蒸し返すことがちょくちょくある(ふたりのあいだで、当時の出来事はシャルルの「あやまち」と呼ばれている)。まだ隠していることがあると妻は疑っているのかもしれないが、それを聞いてくることはない。
アメリカだったら、シャルルは利己主義者とかセックス中毒とか呼ばれるだろう、とわたしは思わずにいられなかった。いや、もっと卑劣なレッテルを貼られることもありうる。しかしシャルル本人も彼の同僚も、ダニエルとの不倫を道徳的というよりも現実的な観点からみている。
つまり、シャルルが置かれている状況では、充足感を得ながらも同時によき夫であるという生き方は選択肢にない。というわけである。「妻には何度も警告したんだ。『ぼくが求めるものを与えてくれないんだったら、よそに目を向けるよ』ってね。でも理解してくれなかった。一〇年間、ずっとぼくなりに精一杯はたらきかけたけど、妻に変わってもらおうとする試みはうまくいかなかった」
彼の言葉額面通りに受け取れば、シャルルは情事をした自分を悪いとは考えていないらしい。ダニエルとの関係を打ち明けた数人の友人も、シャルルを責めないとのこと。自分のとった行動をまったく恥じていないが、妻に事実を知られたくはないから、不倫のことは滅多に語らない。楽しい関係をだめにして、そのうえ結婚生活に憎しみという感情を持ち込んだりするようなこと、誰だって避けるだろう?
アメリカではあなたのように二重生活を送っている人が、そのストレスをなんとかするためによく精神科医のお世話になるんですよとわたしがいうと。シャルルは目を白黒させた。ダニエルとつきあいはじめて一年経ったころ、シャルルは六年間通いつづけていたセラピストのもとにようやく行かずにすむようになった。「問題が解決したからね」と、シャルル。「結婚とセックスの問題が」
わたしは頭をくらくらさせながらシャルルのインタビューをおえた。ついにフランスの不倫事情の内幕を垣間見るとこができた。不倫をするひとの数はフランスとアメリカではさほど変わらないことはすでに知っていたが、ふりをする人の心のうちは、フランス人とアメリカ人とでは大きな違いがある。あと、周囲の反応もかなりちがう。
シャルルとの会話でもっとも印象的だったのは、彼が言外に匂わせていた本音だった。要するに彼は、ロマンティクックな関係を築いている男女はたがいに正直であるべきだが、妻に嘘をつくことにためらいを感じていないし、フランスにいる彼の知り合いのなかでためらいを感じるべきだと主張するひとはだれもいない、と言いたかったのだ(感じるべきだと思うのは、わたしひとりだけだ)。
わたしはクリントンの弾劾裁判が行われていたとき《ニューヨーカー》に掲載された、フダム・ゴプニクの記事を思い出した――「フランスとアメリカとのほんとうの違いは、フランスがセックスがらみの問題にわりと冷静である、ということではない。フランス人が平然と嘘をつくことにある。アメリカ人はこれをなかなか受け入れない」。
わたしが「セックスが問題なのではない。嘘をついたことが問題なのだ」というアメリカの鉄則をもちだすと、フランスの人々はひどく困った顔をする。嘘をつかないで不倫をすることはできない、というわけだ。アメリカ人は、カップルのあいだに嘘があってはならないとほとんど宗教のように信じている。それがフランス人には理解できない。嘘は倫理的にはよくないことだが、嘘があってはならないという考えは現実的ではないとフランス人は考えているのだ。
「セックスがらみの問題で嘘をつくのも礼儀のひとつだという考えは、フランス人においてとくに際立った、おそらくは外国人が学ぶべき特徴だと思われる」とゴプニクは述べている。さらに彼は「フランスにおいては、政治家であれ、つきあっている恋人であれ、ジャーナリストであれ、人間はけっこう嘘をつくものだという考えがごく自然に定着しているので、ぜったいに許されないとムキにならずに嘘の問題をオープンにして、そのていどに応じて制裁を加えることができるのである」とつづけている。
秘め事はあくまでも秘め事にしておく姿勢がフランス人の不倫には不可欠らしい
しかし、アメリカ人とちがって、フランスの人々は自分の行動に恥じているから不倫を隠しているのではない。そうでなくて、噂話の格好のネタとなって大事なものを汚されたくないから黙っている、というのが大多数なのである。さらにフランスでは不倫の関係が長くつづくので、秘め事のままにしておくことが一層大切となる。
「フランス人はそれでやましい気分にならないんです。雑音にわずらわされたくない、という気持ちが強いですからね」と、フランス人とアメリカ人の性行動を比較した論文を共同執筆したアラン・ジャミは語っている。「愛し合っているふたりだけにしかわからない部分が、恋愛にはあるのです」
嘘が問題にならないとすると、洗いざらい打ち明けることが不倫による心の傷を癒す方法にはならない、ということになる。フランスで出版されているある恋愛指南本には、「なにもかも話すことは、よくないことである」というフランスの鉄則には知恵が詰まっている、と書かれている。秘密を抱え込むことに耐え切れずに不倫をいきなり白状してしまうのは、くだらないハリウッド映画の見過ぎということになるらしい。
実際、裏切ったほうと裏切られたほうが、冷戦時代の米ソのような関係になることがフランスにはある。つまり、どちらもけっして銃を引き抜こうとしない、ということだ。パリのコンピュータ会社でマネジャーをしている、四七歳のフランクを例に挙げてみよう。彼が妻に愛人がいることに気づいたのは、夫婦で利用している車のガソリンが以前よりも速いペースでなくなるようになったからだ。妻はそんなことはないと否定した。ときをおなじくして、フランクは同僚と不倫関係になった。二、三ヶ月後、リヨンに就職口があるから行きたいと妻が言ったとき、「不倫を解消したいんだな、とぼくは解釈した」と、フランク。
でもその憶測は間違っていた。一足先にリヨンで暮らし始めた妻の会社にフランクが電話をすると、パリに一泊の出張に行ったとの答えが返ってきたのだ。フランクは出張を知らされていなかった。彼は腹いせに妻の親友と浮気をした。
フランクはしばらくして、妻の不倫がいつの間にか終わったことに気付いた。「それから二、三ヶ月して、妻が仕事でパリに来たんだけどね。そのときはうちに泊まったんだ」それから彼もリヨンに移り、ことの顛末をはっきり話し合わないまま夫婦は元の鞘に収まった。妻の不倫相手は自分の親友だったとフランクはにらんでいるが、「どういうわけか、無理やり聞き出す気にはなれなくて」とのこと。「関係が終わったことがわかるだけで、十分だって気がするのね」
妻は愛人に義理立てして、ふたりの関係を明かさないと約束したようだ。フランクはそれを受け入れている。彼本人も妻の親友と、同じ約束をしたからだ。「妻は恋を、真剣な恋をしていたんだと思う。でなかったら、ぼくも納得できなかっただろうね」とフランクは語る。いまはもう心悩ますことなく、ここ最近は夫婦の仲は極めていいことに満足している。「彼女が別れると言い出していたら、大問題になっていただろうけどね」
ほとんどなにも知らない状態に甘んじているフランクがわたしには理解できないが、フランスの学者はジャミに言わせれば、よくあることらしい。「フランス人は知りたがらないんですよ。はっきり語ることはないし、さりげなく伝えることもない。情事は告白されないのです。『わたしには愛人がいる』というひとはいません。パートナーに何かあるな、誰かいるなと思うことがあっても、それ以上のことは知ろうとはしない」
パリで高校の教師をしている四〇代のヴェロニックは、以下のようなことを語ってくれた。「パートナーを大切にするというのは、知りたいことをすべて聞き出そうとすることではないのよ、パートナーの言い分を信じて、彼が明かしたがらない情報を探ろうとしないことなの」
さらに驚いたことに、わたしがインタビューをしたほとんどのひとが、自分の不倫に悩んだり良心に苦しめられたりしていなかった。フランス流の不倫のシナリオにおいては、罪の意識はあまり大きな役割をあたえられていないらしい。婚外セックスは道徳心の欠如のあらわれだとか、婚外セックスをした者は罪人であるとかいう考えをフランス人はもってない。不倫は罪だとはみなしているが、それは大目に見ることができる、理解すらできる罪なのだ。フランクとシャルルはともに、どういう行動をとるか考えた末にかしこい決断をしたと満足している。実際、彼らの周囲に、それはまちがっていると忠告する人間はひとりもいない。それどころか、不倫の最初の関門をいったん突破したら楽しまない手はない、と考えている。くよくよ悩んだせっかくのチャンスを取り逃がすなんて馬鹿げている、というわけだ。
わたしが出会ったフランス人のなかで、不倫は好ましくないといった人々でさえ(世論調査が示しているように、そういう人は多い)、躍起になって反対したわけじゃない。他人の秘め事はゴシップとしてはおもしろいけれど、結局のところ自分には関係ない、というのが彼らの意見だ。アメリカとは正反対の反応である。アメリカ人は不倫をしている本人が、自分は不倫をするような人間ではないのだと理屈を合わないことをよく口にするのだから。思うにそういうひとたちは、自分を善良な人間だと思いたい気持ちと実際の行動をうまく調和させることができないのだろう。理論的に話を進めて正当化するアメリカ人でさえ、どこかおびえているようなところがある。そういったアメリカ人たちはフランス人たちとちがって、不倫はまちがった行いであり不倫を犯した者は罪人であるというアメリカ社会の根幹にあるメッセージ――それは映画や、個々の家庭や、友人たちから発せられる――と戦っているのだ。
この違いは、宗教からきているともいえる。フランス人の多くはカトリック教徒で、おそらく洗礼を受けているのだろうが、信仰が自分にとって「とても大切」であると答えているのは国民のわずか一一パーセントなのである。それに対し、アメリカ人でそう答えているのは五九パーセントだ。現代のフランスはヨーロッパ諸国の中でもっとも信仰心が薄い。とくに五〇歳以下の国民にその傾向が顕著だ。これまで述べてきた掟ではなく、単なるいい心がけに過ぎない、と彼らが思っていることを意味する。ただし、いい心がけと見なされるもの全般に言えることだが、それは必ずしも功を奏さない状況もある、というわけだ。
とはいえ、一夫一妻制を守るに越したことはない。実際、私が話を聞いたひと全員が、パートナーへの忠誠を守るのはいいことだと答えていた。しかし、だれかと不倫関係をもっても、慌てふためくことはないし、不倫が社会に悪い影響を与えるとか、仕事に差しつかえるとか思い煩うこともない。情事はあくまでも個人的なことで、道徳的腐敗へつながる坂道ではないのである。広告代理店に勤める二〇代の女性が語ったところによると、会社のクリスマスパーティで、それまで隠れて付き合っていた同じ職場の既婚男性とチークダンスを踊っているふたりの仲を明らかにしたとき、オフィスの同僚が祝福してくれたという。どこから見ても似合っているカップルだったことがわかったのね、と彼女。愛は尊ばれるのよ。
わたしたちアメリカ人はフランス人とちがって、善悪をはっきりとつけたがるモラリストだが、それも無理はない。あまねく浸透しているアメリカ流の不倫のシナリオにおいては、やりたい放題の情事は最終的に人間の一生を台無しにするのだから。それは大学や職場での行動をも説明する。企業のエグゼクティブが配偶者を裏切って浮気できるような人間ならば、ときとして正常な判断力が失われて、着服や売り上げの不正計上もわけなくしてしまうだろう、というわけである。さらには、不倫は社会的犯罪だから、浮気をしているアメリカ人は友人、従業員、有権者、ファン、など彼が騙していたひと全員に深く後悔しているところを見せなければならない。しかしフランス人のシャルルにとって、謝らなければいけない相手は妻ひとりである。妻にたいしても、謝らずにすむのであれば、それでいいと彼は思っている。
フランス人はほんとうに、アメリカ人を成熟させた人々なのだろうか? 情事はショッキングな逸脱行為ではなく人生の真実であると考えるフランス人は、アメリカ人よりも充実した幸福な人生を送っているのだろうか? わたしはこの疑問をオーレリーにぶつけてみた。オーレリーは古き良き時代のパリ社交界の花形を現代によみがえらせたような女性。彼女のそばにいると、自分が垢ぬけない太り過ぎの女のように感じられてしまう。三六歳のオーレリーは、長い脚と長い茶色の髪の持ち主。わずかに訛りのあるものの完璧な英語を話し、周到な組みたてた自分の意見を強調するときは、自信ありげに首をこころもちかしげて見せる。彼女がマクドナルドを食べたり、『スター・ウォーズ』の続編を観たりしている姿は想像もできない。住んでいるのは芸術家のロフトを改造したアパートメントで、いたるところに本がある。なかには彼女自身が書いた本も混じっている(あくまでもわたしの憶測だが、オーレリーがわたしのインタビューに応じてくれたのは、おなじ物書きとしての連帯感からだろう)。
オーレリーはミッテラン大統領の娘マザリーヌとおなじ高校に通っていた。当時は全校生徒がマザリーヌの父親がだれか知っていたが、それをマザリーヌに面と向かって話す生徒はもちろんひとりもいなかった。「他人のプライベートな決断について、わたしはとやかくいったりしないわ。そのひとたちが、誰かの自由を妨げたりしないかぎりはね」と、オーレリー。
離婚経験のあるオーレリーは、現在パリのインテリ階級に属している。ジェンダー問題にかんして政府のコンサルタントをつとめ、スリムな女性グループとそのハンサムな夫たちが集まるパーティに出席する。性差別撤廃措置について議論がなされ、政治家の私生活について内輪の噂話が囁かれるパーティだ。そういった席での楽しみの一つは、テーブルの正面にかつて愛人だった男性が座っていて、横にいる奥さんのチーズの皿を渡したりすることね、とオーレリーは語る。
「いかにもフランスらしいでしょ」彼女は反応を求めて、ちらりとわたしを見る。婚外セックスが”不倫”になるのはパートナーに悟られたときだけ。とのこと。「夫以外の男性と恋に落ちたとき、わたしはそれを結婚生活と切り離して考えていたわ。ためらいはなかったから、断らなかった。ただ自然とそうなってしまっただけのこと」と、オーレリー。「わたしやわたしの仲間たちにとって、不倫という言葉が浮上しているのは、夫の気持ちに対処するときだけなの‥‥。わたしと愛人との間に不倫という言葉は存在しない。ただ、自分と彼がいるだけ」
アメリカ人は不倫が誰かにばれなくても罪の意識を持つことが多い
とわたしはオーレリーにいった。信心深いひとたちは、密会場所のモーテルの一室に神がいるように感じる。無宗教のひとたちさえ、宗教的な罪の意識に似た良心の呵責を覚える。
わたしは味にうるさいフランス人の前で、プロセスチーズが大好きなんですといったようなものだった。フランスにおいては、非宗教主義は洗練された人物であることのひとつの指標になっているのだから。「フランスに神は存在しないの。終わったのよ。神の仕事は終わったの」オーレリーは手をひらひらさせて否定した。「不倫がらみの問題で大切な道徳的ルールはひとつだけ。ひとの感情をできるだけ傷つけなすようにする、ってこと」
フランスでは、不倫は婚外交渉ですらなくなりつつある。ほかのヨーロッパ諸国と同様フランス人は入籍して結婚するよりも、同棲を選びつつある。フランスでは一九九九年、男女のカップルのみならず同姓のカップルも対象にした民事連帯契約(パックス)が施行された。パックスは結婚したのと同程度の法的、経済的な優遇を受けることができる制度だ。カップルのどちらかがバックス契約を解消したくなった場合は、裁判所に通達書をだすだけで、パートナーが同意しなくても三か月後には一方的に契約を解消できる。
もちろん、激しい恋におちて家族を捨てるフランス人もたくさんいる。とはいえ軽い情事であれば、たとえそれが熱い関係であっても、家にいるパートナーへの配慮からあまり情を移さない、というか少なくとも不倫相手に対してあまり愛の言葉をささやかないのが普通である。「愛人に送るメールに『愛している』と書くひとは、まずいなわね。『恋しい』とはいえけど。『愛している』という言葉はひとりの人間に対してしか使わないのよ。つまり家で待っているパートナーにたいしてしか」と、オーレリー。彼女はパートナー以外との恋愛関係をしめす言葉をしばらく考え、”私通(リエゾン)”と表現した。
婚外セックスにたいするこの平然とした姿勢がまるっきり自然発生的にもたらされたとは、わたしは思わない。オーレリーをはじめとして彼女の同世代の人々は、自分たちの生き方は非常にフランス的だと何度となく口にする。まるで、周到な学習や練習によって「フランス的であること」を手に入れたかのように。
フランスのマスコミもまたおなじである。クリントンとルインスキーのスキャンダルをめぐってのアメリカのメディアの狂乱ぶりを、フランスの新聞各紙はあざ笑っていた。週刊誌《パリ・マッチ》がミッテラン大統領とその娘の写真を掲載したとき、知識人層を対象にした日刊紙《ル・モンド》のライターは、フランス的なルールを無視したとして《パリ・マッチ》をたしなめ、「政治家の私生活の秘密は、次に示すふたつの問いかけがイエスとなる場合にのみ関心を向けるに値する。ひとつには、その政治家にたいして国民が持っているイメージを覆すような不埒な行為が明らかになったのか? もうひとつは、私生活の秘密が政治家としての任務の遂行になんらかの影響を及ぼしているか?」と記している。
しばらくしてわかったことだが、そういった冷笑的な姿勢は、フランス人であれアメリカ人であれ第三者たちに、官能小説を読んで頬を赤らめる純くさい女性になったような気分を味わわせるためのものようだ。しかし、定評のある新聞でさえ、偏見にとらわれないコスモポリタン新聞という表向きの顔にそぐわない記事を載せることがあった。ウォーターゲート事件ならぬモニカゲート事件で世間が沸いていたころ、《ル・モンド》は関係者の
略歴とともに、一万八〇〇〇語のフランス語に翻訳したスター報告書を掲載した。《ル・モンド》はさらに、英語を解する読者のためにウェブサイトにスター報告書の原文をそっくりそのまま載せた。
フランス人がやけにこだわる「フランス的であること」のもうひとつの特徴として挙げられるのは、中世という言葉の概念をばらばらになるまで分解することである。いうまでもなくフランスで結婚するカップルはみな、役場で「忠誠と助け合いと支え合い」を誓わなければならない。ゆるぎないように見えるこの契約も、抜け目のないパリっ子にすれば絶対的なものではない。わたしがインタビューをしたなかで高学歴のフランス人はほぼ全員、「忠誠」という言葉の定義から話はじめた。
「『忠誠』っていうのは、何に対する忠誠なの?」パリ在住の教師、ヴェロニックはいった。前の夫と結婚するさいに一夫一妻制を誓ったのは、それが実利的な選択だったからにすぎないと彼女は説明している。職場の同僚だった夫は、このほど家を出てよその女性のところへ行った、とのことである。もし夫が結婚生活をつづけていたら彼は嘘をついていることになる、というのがヴェロニックの分析だ。心はもうすでによその女性に向いているのだから、というのがその理由。「なにが不実かって、それほど不実なものはないわ。ひとはまず、自分自身に対して正直でなければならないもの」と、ヴェロニック。「忠誠」はとても大切なことだが、それはセックスよりもむしろ精神的な愛にかかわることだ、といった人々もいた。
不倫に対するこの極端なまでに理詰めの姿勢もまた、ばらばらになってしまうこともある。わたしがオーレリーと出会ってから一年ほど経つが、あの彼女ですら、これまで取り繕ってきた超然としたうわべにひびが入ってきている。最近はとんでもない不倫スキャンダルに巻き込まれているのよ。と彼女。現在オーレリーは仕事を通じて知り合った男性と交際しているのだが、その彼が一緒に生活しているパートナーとふたりの子どもたちを捨てる準備をしているそうだ。オーレリーとしては、うれしいと思っている。でも、その男性の子どもたちがどうなるか心配だし、自分がこの先彼の正式なパートナーになることが不安でならない。彼女は激しく動揺している。「不倫をしていいものかどうか、もう確信が持てなくなったわ」とオーレリーはいうようになっている。
実際、フランス流の不倫の倫理観は、不倫問題が自分の身に降りかかると、そうすんなりとは受け入れられないものになってくる。週刊誌《レクスプレス》に載っていた表現を借りれば、「社会的には黙認されるが、個人的には耐え難い」のである。不倫は「自由に生きるという思想を体現化したものだが、不倫によって苦しみを味わう側に、激しい反応を引き起こす」。要するに、パートナーに裏切られていたことを知った人間はおどろくことはないけれども、打ちのめされるのである。
しかしながら、パートナーの不倫が発覚したときの感情でさえ、フランス人とアメリカ人ではちがいがある。パートナーの情事を知ったアメリカ人はほとんどの場合、そのパートナーと関係をつづけるのならそのパートナーと、別れるのならまたべつの人間と、一夫一妻制の関係をもういちど築き上げようとする。カップルセラピーや長い話し合い、さらには離婚でさえも、一夫一妻制の関係を取り戻すためのものなのだ。アメリカ人は、パートナーはたがいに忠誠を守るべきだという信念をけっして捨てない。実際にそれがうまくいかずに、苦い経験をした場合でもそうなのだ。
ところがフランスでは、浮気の犠牲者があらたな希望を胸に苦しみから抜け出すことは少ない。フランス人にとって、貞節は神によってあたえられた不可欠な掟ではなく「いい心がけ」にすぎないので、パートナーに裏切られた末に、夫婦が貞節を守ることは不可能だと悟ったひともいる。フランスのニュース週刊誌《ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール》が紹介している四〇歳のエステシャンは、パートナーの男性が街でほかの女性と連れ立っているのを目撃してしまい、その男性と別れた。彼女がアメリカ人だったら、けっして浮気をしない男性を新たに探しただろう。しかし、フランス人の彼女は見つけた新たな恋人は既婚者だった。「彼がわたし以外の女性と関係しても、少なくともその女性が何者なのかはわかっていますから」と、彼女は語っている。
わたしがかねてから、不倫についての本を書いている”若き哲学者”がいるとの評判を耳にしていた。彼女に会いたいとわたしは願ったが、彼女は”保守的”だから用心した方がいいとほかの学者から警告を受けていた。
問題のミケーラ・マルツァノのアパートメントをはじめて訪問したとき、おそらくは右翼的な舌鋒鋭い人物だろうなと覚悟していたが、わたしを出迎えたのは三五歳の小柄な女性だった。現代的なおしゃれな家具に囲まれた部屋でコーヒーを飲んでいるあいだ、彼女がいつ喧嘩を吹っかけてくるかとわたしはずっと身を固くしていたが、ついぞそんなことにはならなかった。アメリカの基準からすればマルツァノは正統派で、退屈なくらいだ。家庭を持つ男女は性的に忠誠を守るべきであり、不倫につきものの嘘はふたりの関係をむしばむ、というのが、彼女の主張の基本となっている。
しかし、フランスの学者たちにとっては、ミケーラの主張は個人の決定権を侵害するパターナリズムの最たるもので、あまりにも宗教臭く時代遅れだとみなされるようだ。マルツァノは著作『貞節――むき出しの愛』で夫婦は互いに忠誠を守るべきと述べているが、個人的にそう思うのと、本のなかで他人に説くのとでは、天と地ほどのちがいがある、というわけだ。
ミケーラ・マルッァノはイタリア人だがフランス語で本を著し、パリにあるフランス国立科学研究センターを拠点に活躍している。彼女本人も、自分の説に反論する人々のことを承知している。「宗教を拒絶するばかりか、道徳も否定してしまうんです」と、彼女は嘆く。フランス社会は宗教や道徳の教えに、伴侶の忠誠も含めて人間にとっても大切な、生き方の指針があるということを受け入れたがらない。現在四〇代のフランス人は、個人の自由をことのほか大事にする、とマルッァノはいう。しかし、彼らの自由な選択は離婚も含めて、けっして幸せをもたらさない。上の世代をみてきた二〇代の人々はもっと恋愛に夢を抱いていますし、パートナーへの忠誠を守ることを信条とする傾向があります。とマルッァノ。
人間は足りるを知ることでより幸福になる
とマルッァノは説く。それによって行動を規制され、婚外セックスのような一時的な快楽をあきらめざるを得なくなっても、だ。「オペラのドン・ジヨヴァンニがいい例です。彼はやりたい放題やっていたわけではありません。自分の欲望に絶えず振り回されていただけです。それで人生を台無しにしてしまった」と、マルッァノ。「ある程度の制約を受けていれば、かえって自由になれるのです」
でも、パートナーへの忠誠を守っても幸せになれなかった場合は? 「たしかに、ひとりだけじゃ満足できないという場合もあるでしょう。でも、心の隙間を埋めるためによその誰かを利用することはできません。人間はモノじゃないんですから」
フランスのなかで不倫がほんとうに不可欠なものとなっているのは、政治の世界だけだ。実際、ある有力者に愛人がいたという話はそれ自体ではニュースにはならない。それは単に目新しさなでもないからである。それどころか、フランスの有権者は女性にもてそうな候補者をより好む。
「政治家はセクシーな魅力がないと。それも仕事のうちだからね。ある意味、セールスマンなんだよ」とコンピュータ・プログラマーのフランクは語る。政治家の私生活についての暴露本『政治の性(セクサス・ポリティカス)』では、経済学者から転身して首相にまでなったリオネル・ジャスパンが大統領選で敗れたのは、セックスアピールが足りなかったためだと記されている。フランス人は国のリーダーがだれとベッドを共にしているか、つねに興味津々らしい。二〇〇三年、テレビ番組を規制する機関の議長が、娼婦を集めたSMパーティを主催していたとの嫌疑で取り調べを受けたとき、世間は大いに沸いたのだった。ルームサービスになにを注文したかという細かいことまで取り上げて、政治家とその愛人のちょっとした過ちを暴いた本を著名なジャーナリストが出版すれば、しばらくの間パリはその話題で持ちきりになる。しかし、政治家の秘めやかな情事が破廉恥なスキャンダルとして取り上げられることはない。それは単なるゴシップでしかないのだ。シラク元大統領には日本人の愛人に生ませた息子がいる(でなければ、あんなに頻?に日本へ行く理由に説明がつかない)との真偽のほどが定かではない話が私にしてくれた人たちは、シラクを非難しているわけではなく、事情通を気取りたいだけのようだった。
フランスのマスコミもまた、他国とおなじように取り締まりの厳しいプライバシー保護法との戦いに余儀なくされているが、ありきたりの不倫話の枠からはみだしたゴシップや、あっとおどろくようなスクープにしか興味を示さない。結果として、フランスのメディアで紹介される不倫話にごく普通のものはない。マスコミはフランス国民を?然とさせるように事件のみを報道するのだ。それらのニュースは道徳的な教訓として取り上げられることはない。政治家としての任務に支障をきたすだろう、とのほのめかしも一切ない。不倫報道がなされるのは、とても珍しい、つまりは報道価値のある背景があるときだけだ。
ミッテランの不倫話が《パ・マッチ》ですっぱ抜かれるだけの価値があったのは、元大統領が婚外セックスをしていたという事実が判明したからではなく、もうひとの家族を持っていたことが発覚したからだ。死後の報道によると、ミッテランは大統領に就任しているあいだ、オルセー美術館の館長をつとめていた愛人アンヌ・パンジョと過ごす夜と、正妻のすむ屋敷に帰るのがほぼ同じくらいの割合だったそうだ。彼はアンヌと娘のマザリーヌを政府が所有するアパートメントに住まわせ、ふたりを守るために国の保安部隊を使った。パンジョは第二の妻以上の女性、フランス大統領でさえオフレコにする存在だったのである。
二〇〇五年夏、フランスのメディアはさらなるオフレコ話に耳を向けた。ニコラとセシリアのサルコジ夫妻の結婚危機である。波乱含みの夫婦生活を送っている政治家はほかにもいるが、サルコジ夫妻の騒動には報道するに足りるだけのものがあった。
五〇歳のニコラ・サルコジは、ジャック・シラクのかつての秘蔵っ子だった。二五歳のとき保守党・共和国連合の党会議で壇上に立つさい、五分程度で終わるはずだった演説を二〇分に引き伸ばして雄弁をふるい、いちやく若手のホープにのしあがった。づくりむっくりした体型と黒い髪が特徴的なハンガー系移民”サルコジ”はさまざまな閣僚を歴任し、大統領就任への野心を隠すことはなかった。その率直な物言いとのあからさまな野心があいまって、アメリカ風の政治家と評されている。
一九九六年、サルコジは二度目の結婚をする
妻のセシリアは現在四八歳。ロシア系移民の父とスペイン人の母を持つ元モデルだ。すらっとした体型と華やかな雰囲気をもつセシリアは、サルコジがもっとも信頼を寄せるアドバイザーで、つねに行動をともにする相方として注目を浴びた。サルコジは名声が高まるにつれ、妻のアドバイスを頼みにしていると公言し、自分の執務室のとなりに彼女専用の部屋まで設けた。夫婦のミーティングに同席していた政府のアドバイザーが語ってくれたところによると、サルコジは意見を述べるとき、いつもセシリアの顔をうかがって同意を求めたという。そういった夫婦の形が、サルコジに対する国民のイメージとなっていった。サルコジはフランスの政治家としては珍しく、セシリアと朝のジョッキングを楽しみ、そばで幼い息子のルイがサッカーをしている一家団欒の光景を《パリ・マッチ》のカメラマンに撮らせた。その一連の写真は、サルコジ夫妻は「ケネディ家きどりだ」と非難する世論をやわらげた。
サルコジは自分の結婚生活を売り物にしていたから、それまでつねにサルコジに寄り添っていたセシリアがまったく姿を現さなくなったとき、マスコミはここぞとばかりその異変を報道した。二〇〇五年五月のことである。サルコジはフランスのテレビ局のインタビューを受けて、夫婦が問題を抱えていることを認めた。セシリアが浮気をしているとの噂が飛び交い、彼らの親族がふたりはすでに別居していると発言した。そして、二〇〇五年八月、セシリアがリシャール・アティアスと寄り添いあっている写真を《パリ・マッチ》が掲載した。リシャール・アティアスとは、フランスの広告代理店の社長を務める四九歳。サルコジが国民運動連合の党首になったさいの”即位式”を演出した人物である。《パリ・マッチ》に載った写真の中には、アティアスとセシリアがマンハッタンのアッパーイーストサイドでマンションの見取り図とおぼしきものを眺めているものもあった。パリ中央にあるカフェ〈レスプラナード〉のテラス席で、手をつないでいる写真もあった。国民議会議事堂のブルボン宮殿にほど近い、ジャーナリストや政治家の溜まり場となっているカフェだ。業界人の社交の場ともいえるから、人目に付きやすいときに訪れるのに格好の店である。《パリ・マッチ》には「セシリア・サルコジー決断の時」との見出しがついていた。
セシリアは沈黙を守り通してた。夫が有力候補として大統領選に出馬する直前に、結婚生活から逃げ出すとはいったいどういう女性なのか? 〈レスプラナード〉で愛人といちゃつくなんて、何を考えているのか? 本物かどうかわからない愛のために、ファーストレディになるチャンスを本気で棒に振るつもりなのか? パリは騒然となった。なにもかも、世間の注目を集めるための大掛かりな宣伝活動なのか?
妻ら裏切られ、おそらく捨てられたらしい夫もまた、沈黙を守り通した。《パリ・マッチ》に問題の写真が載った一週間後、べつの週刊誌が沈黙の面持ちのサルコジの写真を掲載した。記事の見出しは、「夫婦の危機に打ちひしがれて」。サルコジは痩せた、と記者が書いている。
ほとんどの報道はあえて取り上げもしなかったが、サルコジ夫婦の関係も不倫からはじまっており、それは関係者のあいだでは周知のことだった。噂によると、サルコジがセシリアと結婚するさい、サルコジが司式を執り行ったのがきっかけだった。当時サルコジは、パリ郊外の富裕層が住む地域ヌイイ・シャル・セーヌの市長をつとめており、最初の妻と結婚していた。彼女のあいだには成人したふたりの子どもがいる。
セシリアと結婚してからは憑き物がおちたように妻一筋になった、というわけではないようだ。「誰もが知っていることだが、サルコジはかなり女性関係が派手だった」と語ってくれたのは、さきほどの政府のアドバイザーである。サルコジ夫妻の特異なところは、「ほかの大統領夫人たち、つまり、ミセス・シラク、ミセス・ミッテラン、ミセス・ジスカールデスタンは、夫がよそに女性を作っても結婚生活をつづけていた、という点ですよ」。噂では、サルコジが最近口説き落とした女性はジャック・シラクの二番目の娘とのこと。ふたりが政界で敵対しているのは、そのことも関係しているらしい。
パリでまことしやかに流されている情報によると、セシリアがアティアスと恋に落ちたのは、大統領選にあたってアティアスとおなじようにサルコジの指南役となった人物と衝突した直後、とのこと。後日《ル・ヌーウヘェル・オプセルヴァトゥール》は、政治の場から排除されていると感じるようになっていたセシリアのもとに、サルコジの浮気の「日時と相手の名前と場所」を記した匿名の手紙が届いた、と報道した。普通のセシリアだったら、その手紙をすぐさまゴミ箱に捨てて、これは夫を貶いれる策略だと考えたはずだ、と記事はつづけている。しかし実際には、セシリアは手紙の内容を真に受けていってそう不満を募らせたようだ。その事件の直後、セシリアはインタビューに、自分はファーストレディの型にはまらないといった。「わたしは常識的な人間じゃないの。ジーンズやカーゴパンツやカウボーイブーツをはいていて、平気で歩き回るんですから」と、セシリアは語った。ほどなくして彼女は、パリからアティアスが会議を開催していたヨルダンのペトラに向かい、彼についてニューヨークへ行った。会議だが、ペトラの会議にビル・クリントンも参加していた。
そのころパリでは、セシリアをやきもきさせるべくサルコジが行動を開始していた。お相手は《ル・フィガロ》の魅力的なジャーナリストで、ジャック・シラクの辛口の伝記を書いた女性だったとのこと。ふたりは食料品店で一緒に買い物をしている姿を目撃され、サルコジはすごく親しい仲間に彼女を紹介した。
しかしサルコジの不倫はじゅうぶん予想できるものだったので、あくまでも余談にすぎなかった。真のドラマとしてフランスのメディアが注目したのは、今後どうなるかわからないセシリアの身の振り方だった。サルコジ夫妻の不倫騒動について、フランスのメディアが道徳的な観点から報道することはなかった。事実、サルコジはアメリカ式に謝罪するどころか、関係者に報道を自粛するように命じた。さらには、『セシリア・サルコジ――情と理性のあいだで』という妙なタイトルをつけたセシリアの伝記を刊行する予定だったフランスの出版社に、問題の本をすべて廃棄させた。伝えられるところによると、サルコジは《ル・フィガロ》のジャーナリストの名前を公表したフランスの新聞を訴える、と脅したとのこと。《パリ・マッチ》の編集長はセシリアとアティアスの写真を掲載したために、辞任に追い込まれた。
年が明けてすぐの一月に、国民はサルコジ夫妻が元のさやに戻ったことを知った。テレビカメラが待機している〈レスプラナード〉に、ふたりが一五分間姿をあらわしたのである。夏のおわり、ふたりはカプリ島の浜辺で、腕を組みながらカメラの前でポーズをとった。フランスのゴシップ誌《ガラ》はモロッコにいるサルコジ夫妻が木陰でくつろいでいる写真を掲載して、「許しの夏」という見出しを付けた。その本文には、サルコジがお忍びでニューヨークへ行き、よりを戻してくれとセシリアを説得したと書いてある。《ルル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール》は、セシリアの逃亡は「遅れてやってきた、思春期の危機」によるもだと推測した。このハッピーエンドでもサルコジ夫妻はふたたび、たがいにときどき浮気することがあるらしい、ごく普通の政治家の夫婦として、表舞台に返り咲いたのである。
セシリア・サルコジがはじめから演じなかった政治家の妻の役割を、フランス大統領ジャック・シラクの妻、ベルナデット・シラクは型どうおりに演じた。ベルナデットはセシリア・サルコジよりも由緒正しい貴族出身。年齢は七三歳で、セシリアよりもほぼ二世代古い女性である。しかし、貴族階級でさえ変わりつつあるらしく、彼女の回想録からベルナデットの婚外セックスに対する考えを私たちは知ることができる。
二〇〇一年秋、シラク大統領が二期目を狙う大統領選が行われる前年に、かつての運転手が暴露本を出版し、大統領が党員や女優や秘書と不倫関係にあったとことを公表した。解雇されたばかりのその運転手によれば、大統領は逢引きはあっという間に済ませることで有名だったという(「おわったあとのシャワーも含めてたったの三分」と使用人はよく笑っていた)。暴露本にはこうも書かれていた――シラク大統領はミッテラン大統領の人並外れた精力絶倫ぶりを羨ましがっていて、いまは亡き前大統領がモノにした女性たちをかたっぱしから寝ていた。さらには、ベルナデットは嫉妬深い女性で、窓際でいつも夫の帰りを待っていた、とも書かれている。
シラクの広報担当者は、大統領の私生活を運転手にしゃべらせっぱなしにしておくと選挙戦に響くだろうと心配し、大統領夫人ベルナデットの信心深さと中絶反対の立場をアピールして、極右の候補者を負かすことを望んだ。そういうわけで、問題の運転手の暴露本が出る直前に、二二八ページにわたるインタビューで構成されている大統領夫人の本『私はあるがままに』が出版された。しかし、いかにもフランス独特な情報操作のやり方なのだが、ベルナデットは夫の浮気性を責めるわけではない。「夫はハンサムですし、とても魅力的でエネルギッシュな男性です。
だから、女なの子たちが、そう、狂ったようになる‥‥。でも、ええ、もちろん、わたしは嫉妬しました‥‥夫は幸運なひとです。わたしは滅多なことで取り乱したりしない女の子でしたからね。でも、嫉妬したことはあります。かなりね! 若い頃の夫はすごくハンサムな青年でした。それに、話術も巧みだった。女性はそういうのに、じつに弱いでしょ‥‥。一流の男性は皆、女性を酔わせる言葉を口にするわ。腕の立つ医師とか、大臣とか、それはとても人間的なこと。でも、女性は誘惑に乗ってはいけないのよ」
ベルナデットはまた、長年一緒に暮らしていればパートナーが不倫するのも珍しくないとしている。「人生は長いのです。いつも穏やかというわけにはいきません」と彼女は語る。
「でも、だれかと家庭を作ろうと決心したら、それは揺るぎのないものになるはず。それが結婚のすばらしさだと、わたしは思っています」
「不倫をされた側は、冷静にふるまわなければいけないとされています。ひどく衝撃を受けていてもね‥‥結婚すると夫の母にいわれました。『なにはともあれ、うちの一族のなかに離婚はありえないことです』って」
ベルナデットの『私はただあるがままに』はサルコジの情事事件の四年前に出版されたが、まさにセシリアのような女性に向けて書かれた本のように思える。「最近、気になって仕方がないことがあります。結婚している身でありながら、職場恋愛をする女性が増えているんですね。で、きゅうに、夫がものすごく欠点だらけの人間に見えてきて、はい、さようなら、って感じに家庭を棄ててしまう‥‥これはただ事ではありません。わたしはなにも非難しているわけじゃない。ただ、そういう傾向にあるというだけの話です。
「『今の生活に不満』なんてわがままなこと、なかなか言えません。不満のない人生なんて、どこにもないんですから…。それはともかく、わたしはよく主人(シラク大統領のこと)に言って聞かせるんです。『ナポレオンはジョセフィーヌを捨てたとき、すべてを失ったのよ』って」
ベルナデットの主張は古めかしい家族主義そのものではあったが、彼女の告白は現代社会のメディアゲームで成功をおさめた。『私はただあるがまま』は刊行一ヶ月で一〇万部売れた。版元の責任者は《ル・モンド》でこう語っている――「ひとの興味をそそるのは、内輪や回廊での話、つまり舞台裏で行わられていることについて書かれた本なのです」いうまでもなく、シラク大統領は二選目の当選を果たした。
シラク大統領をはじめとしてフランス人男性は軽い気持ちで不倫をするし、彼らは不倫をクリーム・プリュレのように、つまり人生の楽しみのひとつとみなしている、という外国でのステレオタイプの評判はある程度の真実をふくんでいる。フランス人は浮気をするとき、アメリカ人とちがって心から楽しむことができる。しかもフランス人は、夫婦のあいだに秘密はあってはならないというアメリカ的な理想を追い求めない。
とはいえ、その一方で、ほとんどのフランス人は以上のようなステレオタイプに当てはまらない。大多数のフランス人――つまり大統領ではない人々――は、パートナーへの忠誠を守るのは良いことであると考えている。パートナー以外の人間を手当たり次第にベッドに共にすることはないのだ。しかしながら、フランスからそれほど離れていない場所に、かなりの数の人々がパートナー以外の人間とベッドを共にして、、しかも罪悪感をまるっきり持たない国がある。それはロシアだ。
つづく
第6章 義務としての情事