
パメラ・ドラッカーマン著 佐竹史子訳
夫婦関係が悪化した原因を解明する無数のカップルカウンセラーから成り立っている
ダラスで開催された円満な結婚協議会のオープニングの夜、会場はカーニバルのさながらの熱気に包まれていた。サッカー競技場ほどの広さの会場にブースが並び、そこにいる結婚問題の専門家たちがマリアッチバンドの音楽に負けじと、破綻した結婚生活を立て直す独自の方法を盛んに宣伝している。通りすがりに目を合わせようものなら、彼らは一斉に駆け寄ってきて、パンフレッドやCD・ROMを押し付けてセールストークをはじめる。
「わたしどもの体系だったプログラムでは、パートナーのしぐさやポーズを真似るミラーリングをはじめとして、たがいの言い分を受け止めるパリデーションやエンパシーの方法を学べます。ですから、ミラーリングだけでは得ることのできない、真の意味での夫婦の絆を確かめ合えるはずです」国際親子関係協会のエグゼクティブディレクターが、トランペットの音に負けじと声を張り上げる。「ロクデナシと結婚しない方法」を伝授したがるひとあり、「肩の力を抜いて、よりよい結婚生活を築く方法」を説く人あり。そうやって売り込みをかる人々の中にはプロのセラピストもいるが、結婚産業に転向したお笑い芸人や経営コンサルタントもいる。わたしはその会場で以上のような様々なセラピーを紹介されて、結婚生活には夫婦のいさかいに発展する出来事が実にたくさんあることを知った。私自身結婚してまだ一年にも満たないが、いつか恋愛脳に活を入れてもらうために元ホームドラマ脚本家にカウンセリング料を払うことになるのかと思うとげんなりする。いや、もっと情けない話だが、「ホットな一夫一妻制」とかいう二日間のワークショップに参加する必要も出てくるのかもしれない。
この会場で宣伝しているたくさんの心理療法は、結婚産業複合体のごく一部でしかない。この複合体はテレビ番組、自己啓発本、夫婦関係が悪化した原因を解明する無数のカップルカウンセラーから成り立っている。不倫問題は結婚産業複合体にあまねく浸透している。妻の不貞に悩む男性とセックス中毒者のために週一でグループカウンセリングをする団体あり、パートナーの不倫に悩むひとや不倫関係に悩む愛人のためのウェブサイトあり、不倫によって危機に直面しているカップルのための週末セラピーあり、テキサス州オースティンの不倫更生センターのような専門施設あり、といった具合だ。主催者たちはアメリカ的な不倫のシナリオにしたがって、人々に呼びかける――みなさん、問題をひとりで抱え込んではいけません。
円満な結婚協議会では、会場正面の一等地に不倫問題を扱う団体のブースが並んでいる。アントとブライアンのベーチェ夫妻は、つい最近まではそれぞれビジネス研修のオーガナイザーと建設業者だったが、夫婦の体験記(『夫の浮気人生で一番よい経験に』)をブースで売っている。問題のその本は反響を呼んでいて、ブライアンは人気番組『オブラ・ウィンフリー・ジョー』に出演したこともある。本の出版を契機に、ベーチェ夫妻は結婚や夫婦関係や不倫関係や不倫問題にかんする評論家としての職をあらたに得た。
この業界では、ブランドがすべてだ。活気のあるブースをアシスタントにまかせてくれているソーシャルワーカーのマイケル・ワイナー・デーヴィスは、夫婦セラピーのネーミングを思いついたときのことをいまだに覚えている。「ちょうど自宅のオフィスにいたときだったわ。わたし、ひらめいたの。『離婚をやめさせる。離婚やめ隊で行きましょうって』」ワイナー。「このフレーズが人生の転機になるだろうって、その時点でわかってた」その直後、”離婚やめ隊”というタイトルで開いた講演会に報道関係者がやってきた。ほどなくして、本の執筆やテレビ出演の依頼が次々と舞い込んできた。五二歳の現在、ワイナー・デーヴィスは本の刊行、カウンセリング、全国各地での講演会を手掛ける一大企業のトップだ。彼女のウェブサイトのページにはすべて、にこやかな笑みを浮かべている颯爽とした本人の写真が載っている。不倫が発覚しても、結婚をつづけることを願っているのが妻か夫の一方だけであっても、ぜったいに夫婦関係は修復できるというのが彼女のモットーだ。弱気になることなく自信をもって行動すれば、浮気をしているパートナーも必ず戻ってくる、と彼女は説く。離婚やめ隊の本の表紙には、一ヶ月以内に必ず効果が出ると書かれている。「わたしのクライアントのほぼ全員が浮気をしています。大多数がそうですね」と、ワイナー・デーヴィス。
アメリカで結婚相談所を開業している事業家たちは、心からひとの役に立ちたいと願っているように見えるが、それはまたビジネスでもある。戦争なくして軍事産業複合体が成り立たないように、結婚産業複合体も不倫問題に直面して専門家の助けを必要としているカップルがいなければ成り立たない。自分たちだけで解決できるようになったら――昔のアメリカ人はそうしていたし、世界のほとんどの国では今でもそうだ――結婚産業の起業家たちは失業してしまう。
結婚産業複合体は大きな成功をおさめている。自己啓発本をあざ笑い、”夫婦問題についての電話カウンセリング”をけっして頼みにしないだろうアメリカ人でさえも、結婚産業複合体が勧める賢明な解決法については、それがどこに由来するのか知らないままにとうとうと語る。不倫が発覚したらその問題に正面から立ち向かい、カウンセリングなどの助けを借りながら、長い時間をかけて話し合って関係を修復していく(死ぬまでそれがつづく場合もある)という道筋は、アメリカ人にとって当たり前のものとなってきているようだ。アメリカ人はこの筋書きを雑誌の記事、テレビ番組、友人のアドバイスから学ぶ。パートナーとふたりの関係についてじっくり話しあったことがある、妻の浮気が発覚したらその一部始終について問いただすのがベストであると思っている、不倫は解決すべき由々しき問題だと考えている、などのどれかに当てはまるひとは、結婚産業複合体にすでに感化されているのである。
アンジェラは彼女の夫ハンクと話をするわたしをじっと見守っている。というか、より正確にいえば、監視している。彼女のいない場所で、わたしがハンクと口を利くことを許さない。わたしがハンクを誘惑するとでも思っているのか、それとも、ハンクの話を全てチェックしたいだけなのか。カウチに座っているわたしとハンクのあいだに腰を下ろして、悪い虫がつかないように彼の腰に腕を回している。
五二歳のハンクは魅力的な男性だ。アメフト選手みたいにがっしりしているけど物腰は柔らかく、気さくな性格。一緒にビールを飲みたいなと思わせるタイプ。といっても、そういう機会はないだろう。ハンクはもはやアルコールを口にしなくなっているのだから。アル中の治療中だからではない。不倫の治療中なのだ。「不倫をした人間という烙印は、死ぬまで消えないでしょう」ハンクはいう。
ハンクがいままで鮮明に覚えている事件がある。ピッツバーク空港から自宅の留守番電話にメッセージを吹き込んだ時のこと、妻の名前を間違えて愛人の名前を呼んでしまったのだ。そのうっかりミスがきっかけとなって、ハンクのあたらしい人生の幕があがった。セールスマネジャーの仕事を辞め、精神的な悟りを得たのだ。
現在四六歳のアンジェラは、癖のある茶色の髪とめりはりのあるボディーが特徴的な美人だが、当時すでに何かがおかしいと感じていた。「今にして思うと、聖なる存在がわたしをそっと小突いて教えてくれたんでしょう」とのこと。「真実を知りたいって、ともかく祈ってた。できれば電話でわかればいいのですが、って祈ってたの。そしたら、ほんとに電話で明らかになった」
問題の電話の後、昼前にアトランタ郊外の自宅にもどったハンクは、書斎でアンジェラに向かいあい告白をした。街の外で行われた会議で、彼は以前恋人だった職場の同僚とまた関係をもった。「つまりどういうことかというと、結婚してまだ日が浅い頃、ある会議に出席したんです。どうにも欲望を抑えきれなくなって、彼女と‥‥。その夜ぼくは、アンジェラを裏切った」当初は一晩限りのつもりだったが、その女性と強い精神的な結びつきができてしまっていた。
アンジェラが留守番電話を聞いた日、ハンクは午前中に問題のあった女性に電話して、もうおしまいにしよと伝えた。アンジェラがそのときの様子を語る。「彼女はいってました。『どうしてそんなことを言い出すのか、わからないわ』って。夫はひたすら、妻を愛しているし添い遂げるつもりだって、繰り返していました」
ハンクはひきつづきアンジェラにいろんなことを告白した。さらに男友だちと教会のリーダーにも告白した。彼らは、ハンクが週に一回”現状報告しなければならない人物”――不倫の保護観察官のようなもの――に会うように取り計らった。その人物はハンクに、神学博士ブルース・ウィルキンソンが書いた誘惑に打ち克つ方法についての本などを読むようにすすめた。
ハンクがたくさんのサポートを受けるようになっても、アンジェラは苦しんでいた。最初の夫もまたよそに女性がいたが、ハンクの浮気はアンジェラにとってひとつの転機だった。事態をなんとかしようと読んだ本の中に、アメリカ人の九二パーセントは?つきだと書いてあった。彼女の母親が父親も浮気をしていたことを教えてくれた。そういう情報を見聞きするうちに、アンジェラのそれまでの世界観は崩れはじめた。「この世界は善に満ちていて悪い人間はいない。って以前は考えていたように思うわ」と、アンジェラは語る。「人間の醜い部分をそれほど見たことがなかったのね、きっと」
夫婦セラピーで救われることはなかった。ハンクがうっかり言い間違いをしてから数年たっているいま、アンジェラはいう。「胸の痛みを忘れることはできませんでした。『神様、誰かにわかってもらいたいんです』って毎日いっていました」彼女はコンピュータの検索エンジンに、”不倫”と打ち込んだ。すると、ペギー・ヴォーンのサイトがぱっと現れた。「ペギー・ヴォーンのサイトを発見したあの日に、わたしはある意味で歩みだしたんです」アンジェラは語る。ヴォーンの電話によるカウンセリングを九〇分受け、彼女の本をすべて買った。アンジェラは回復への一歩を踏み出した。
ペギー・ヴォーンは、サンディエゴ在住の六九歳。人々が不倫から立ち直る手助けをすることに生涯を捧げている。ペギーのように世話焼きと仕事中毒が混じりあっている人物は、アメリカ人以外の国ではまず見られないだろう。彼女は朝の六時から起きて、東海岸から送られてくるメールに返事を書く――不倫に気づいてまだ日が浅い人々からの、深刻な相談もよく舞い込んでくる。
ヴォーンは専門的なトレーニングを受けていない。個人的な体験をもとにカウンセリングを行っている。一九九四年、夫のジェームズがこの七年間いろいろな女性と浮気をしたと告白したのだ。「最初は、そんなはずはないわよって言ったわ。もし夫にほんとうに浮気していたら、そのまま離婚して実家のミシシッピーに帰らなくてはいけないって思っていたから」南部訛りがあるがせっかちな口調で彼女は語る。しかし夫妻は離婚せず、不倫問題のパイオニアになった。ふたりは一九八〇年に、浮気は結婚の死刑宣告ではないと訴える本を出版した。テレビに一〇〇回ほどゲストに出演したのち、ヴォーンは不倫に関する会報誌の刊行に乗り出し、それがやがて不倫を乗り越え(ビヨンド・アフェアー)て、ネットワークに成長した。アメリカの二八の州に支部がある、パートナーに裏切られた人々の支援団体である。不倫問題を抱えた夫婦はそれについて「何千時間も」話し合わなければならない、とヴォーンはいう。彼女はアンジェラに、夫が精神的な中毒症にかかっていることを理解させた。「浮気はとても自己愛的な行動なのよ。自分の快感を追い求めているの。モルヒネに匹敵するほどの快感をね」と、ヴォーン。
アメリカには「不倫」がはびこっている
とヴォーンは主張している。キンゼーが割り出した不倫データを引用して、結婚しているカップルの八〇パーセントはどちらか一方が浮気をしている、と彼女は結論づけている。統計的に信頼できるデータの二倍以上の値だ。そのくせ、と彼女は以下のようにつづける――「雑誌や映画がセレブの不倫をかっこいいものとして紹介するために、浮気が何でもないように扱われているのよ。でも、いったんパートナーの不倫を知ると、アメリカ人はそのことを他人に話すのを恥じに思って、孤独感と絶望感を深めてしまうのよね」。
ヴォーンはそのような途方に暮れた人々の擁護者になっている。彼女はダラスでの講演会で、不倫相手用に販売されているグリーティングの文章を「おぞましい」ものと発言し、不倫を軽々しく扱うべきではないと主張した。そのエピソードはメリーランド州ベセスダの新聞で紹介され、インターネット上ではショックを隠し切れない結婚擁護派のあいだでその話題もちきりとなった。新聞は続報として読者からの反対意見を掲載した。不倫相手用カードといっても、不倫をかっこいいものとして扱っているわけではない。休暇に出すグリーティングカードの文章は、「きみもぼくもそれぞれの家族と祝日を過ごしているけど、ぼくはどうしても君のことを考えてしまう」である。不倫相手の同僚に出すカードは、「昔は週末を楽しみにしていたけど、きみに出逢ってしまったいま、週末が永遠に続くように感じられる」という文章が印刷されているのである。
一九七〇年、夫婦や家族問題のセラピストはアメリカにわずか三〇〇〇人しかてなかった。臨床心理士と精神科医のほとんどは、人間の深層心理をさぐるのはとてもデリケートな作業だから、ふたりの人間を同時に治療することはできないと見なしていた。しかし、じきに台頭してきた結婚産業複合体は、カップルの深層心理は個々に分けられるものではなく、そのカップル固有の歴史や力関係をもつ”システム”なのであるという考えをいっせいに支持しだした。”男女関係”はやがて、専門家がさぐるべき独立したテーマとして浮上してくる。その理論とは、夫婦のどちらかが不倫をした場合、その伴侶もその不倫においてなんらかの役割を演じているものだ。セラピストたちは解決の糸口を探すべく夫婦の力関係をさぐり、それぞれの幼少時代まで遡って夫婦の一方が浮気に走った原因となりうる未解決の葛藤を明らかにしようとした。
ちょうどそのころ、離婚率は上昇の一途をたどっており――一九七九年が最高だった――夫婦関係の問題は国民的な関心事となった。夫婦と家族問題をあつかう開業セラピストの数は一九八七年にはおよそ二万二〇〇〇人に跳ね上がり、一〇年後にさらにその二倍になった。
浮気は心の病のサインだという考えは、一般的な通念としてアメリカ人に浸透していった。一九八九年の映画『恋人たちの予感』では主人公のハリーが親友のジェスに、妻が税務専門の弁護士と駆け落ちしたと打ち明ける場面もある。
ジェス:不倫が原因で結婚がだめになるってことはないさ。不倫はなにかべつの問題があるっていうサインでしかない。
ハリー:えっ、ほんとうに? じゃあ、その「サイン」なるものが女房とファックしたってことだな。
一九九〇年代、専門家たちは男女関係に問題をもたらす原因について、さらに一歩進んだ見解を掲げるようになっていた。デボラ・タネンのベストセラー『わかりあえない理由(わけ)――男と女が傷つけあわないための口の利きかた一〇章』や、ジョン・グレイの『ベスト・パートナーになるために――男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から女は金星からやってきた』では、男女がうまくいかないのは精神的な問題があるからではなく、それぞれが異なったコミニケション方法を持っているためだとした。不倫の原因不倫をした本人にあるとするセラピストすらも出てきたが、そうやって責められた人はやはり責任の矛先を自分の両親に向けることができた。
そして一九九八年、クリントンとルインスキーの密通が、
不倫問題にかんしては経験をあまり積んでいないアメリカの専門家たちをゴールデンアワーのテレビに引っ張り出した。「わたしが二〇年前にカウンセリングをはじめたころ、オーソドックスな家族療法では不倫の問題が出ることすらなかった」と、『不倫のサバイバルガイド』の著者ドン・デイヴィッド・ラスターマンが《ニューヨーク・タイムズ》で語っている。
そのころには新たに様々な全国的なセックス調査がなされ、不倫に関する信憑性のあるデータが発表されるようになっていた。科学者たちは、合理的行為者が浮気の総効用をどのように測るか予想する数式をつくったり、人々がセックスのことをどのくらいの頻度で考えるか、さらにそのことでどのくらい後ろめいた気分になるか、といったような見逃せないポイントを調査したりした。
そういった一連の調査によって、男性の九八パーセント、女性の七九パーセントが伴侶以外とのセックスを空想したことがあり、毎日セックスのことを考える人々は週に数回しか考えない人より、婚外セックスをする確率が二二パーセント高い、ということが明らかになった。さらに、伴侶の家族と過ごす時間を大切にする人々は、婚外セックスをする確率が二四パーセントをする確率が二四パーセント低いとの報告がなされた。
セラピストたちは、夫が嫌うタイプの妻は一九五〇年代には「不感症の女性」だったが、一九九〇年代では「退屈な女性」になっている、と個々の事例にもとづいて結論づけた。既婚男性たちはセクシーな若い秘書と不倫をしなかった。彼らはしばしば、妻より年上で容姿は劣るが一緒にいて楽しい女性を浮気相手に選んでいた。《レディス・ホームジャーナル》は読者に向けて、こうアドバイスしている――夫をつなぎ留めておくために必要なのは、ダイエットや新調したランジェリーではなく、ひたすら読書、読書、読書です! 本、新聞の記事、映画、ニュースなどの話をご主人としましょう‥‥・健全な結婚は、居心地のいい環境と現状維持では得られないことを忘れないように。安らぎを得るだけで満足していたら、結婚は長つづきしませんよ。
以上のようなアドバイスを、セラピストのオフィスで聞くアメリカ人のカップルが次第に増えてきた。二〇〇四年までには、アメリカで開業している家族問題のセラピストは五万人以上になっていた。ある産業グループは、既婚カップルの二・六パーセントが毎年セラピストに相談している、と推定している――ちなみにこの数字は、二〇〇四年の調査で、この一年間にパートナー以外と性交渉をした人々の割合とだいたいおなじである。心理カウンセラー。精神科医、ソーシャルワーカーも夫婦のカウンセリングを行なう。二〇〇四年に発表された不倫率の割合は、円満な結婚協議会に参加していた類の”結婚問題の専門家”集団の進出にいっそう拍車をかけた。夫婦に何年にもわたるセラピーは必要ない、週末を利用して学ぶことができる実践的な技術を身につけるだけでいい、と専門家たちは主張した。彼らの主張には科学的な裏付けはめったにないが、それでも、それまで診てきたクライアントから感謝状がつぎつぎと送られてくる。
二〇〇三年に刊行された著書『友だち以上恋人未満』のなかで、メリーランド州の心理学者シャーリー・グラスは、幸せな結婚生活を送っているひとも浮気をしていると発表した。男女が長時間ともに仕事をして一緒に出張にいったりすると、友情がいつのまにか恋人感情に発展する、とグラスはいっている。家庭で充実した性生活を送っているひとにも、それは当てはまる。グラスをはじめとする心理学者たちはまた、最後の一線を越えない浮気を指摘するようにもなった。
それは、カウンセリングを受けに来るクライアントが職場やインターネットで経験する”気持ちの上での不倫”で、クライアントたちはそれを伴侶に内緒にしているという。このあたらしい傾向は、いまいちど不倫についての考えを変えた。不倫は基本的にはセックスを含むことだが、服を脱がない不倫もまたありなのだ。アメリカ人が新たに作ったマントラを、わたしは各地をめぐるあいだにいやというほど耳にした。そのマントラとは、セックスしたことが問題なんじゃない、嘘をついたことが問題なのだ、というフレーズである。
?をつくのが問題になっているので、真実を話すことがアメリカ人にとっての不倫の解決法になっている。妻は夫から不倫の詳細を、愛人からもらったメールの内容やフェラチオまで、尋ねる権利がある、と信じているセラピストは多い。夫婦のあいだに隠し事があってはならないという原理である。不倫をしている間の出来事を、数年にわたるものであっても事細かに年表にする夫婦もいる。妻の根気がなくなるまで、もしくは夫の嘘をすべて覆したと妻が納得するまで、そういった作業はつづく。中途半端で作業を終えて、あとからさらなる嘘が発覚したりすると、妻の過去の傷がまたうずきだすとも限らない。
アメリカ流の告白による解決法を話すと、外国人は口をそろえて信じられないといった。裏切られた側としては不倫の詳細を知ったら心の傷が広がるばかりだろう、と。しかしアメリカでは真実を話す解決法が広く浸透していて、伴侶の浮気に苦しむひとたちのウェブサイトでは現在その解決法が金科玉条となっている。圧倒的な人気を誇る、不倫を乗り越える・ドットコムに、夫に浮気の経緯を二〇ヶ月にわたって問いただした、”エリカ”と名乗る女性の書き込みをしている。「カレンダー、一〇〇〇を超えるEメール、写真のアルバム、クレジットカードの領収書、以前の経費精算書を総動員して、夫とわたしは二年と半年つづいた浮気の年表つくりに取り掛かったのよ」
「不倫」問題のウェブサイト
のメンバーは、情け容赦ないまでに清く正しい道徳観をもっている。みな犠牲者としての自分の立場を強調するために、ひどい落ち込み、窒息寸前、無駄となった一五年、などのハンドルネームを使う。サイトの書き込みは、戦時下の暗号文を思わせる。「Dデイからまだ二か月も経っていないから、あたしたちが完全にRになっているかどうかまだわからない。でも、FWHはそれを望んでいる」
以下一部省略―――
人生は一筋縄ではいかないが、不倫に悩む人々のウェブサイトのルールはきわめてシンプルだ。自分勝手だった夫は、妻が言い渡す謝罪と反省のスケージュールに徹底して従わなければならない。今度出席する会議は以前付き合っていた不倫相手の男性に再会するかもしれませんと書き込んだ女性がいると、サイトの管理者はその男性に以下のように言いなさいとアドバイスする――「XOP。わたしは結婚生活をとても大事にしているの。親しげに近づいてきたり、話しかけたりしないで。じゃあね」
現実には、アメリカ人は不倫を正当化する言い訳を、少なくとも自分を納得させる言い訳を考えだすものである。しかし、このようなウェブサイト上の世界では、浮気はどんな言い訳をしても許されないものとなっている。浮気相手を真剣に愛してしまったと語る人々は、あなたはのぼせ上っているだけです。判断力を失いかけているのですよとお説教を受ける。以前のフィアンセと恋に落ちたとテキサス州の主婦が書き込みをしているが、「あなたは麻薬でハイになっているのと同じです‥‥要するに、中毒を起こしているってこと」というレスが寄せられている。
インターネット上では、だれもがモラルの高さを競い合う。別のウェブサイトでは、TOW/The Other Woman(愛人)と呼ばれる女性たちが、絶望と孤独と自己不信がない交ぜになった気持ちを告白している。たとえば、こんな感じだ。「彼との不倫を表ざたにしたい。といっても遠まわしにね…奥さんにいきなり告白する気はないけど、それとなく感づかせたいの。ご意見は???」三日と待たずに七九のレスがあった。その内容は、彼女の不倫相手のペニスに消えないマーカーでサインをするものから、Dデイはあなたみたいな愛人にとって最悪の結果に終わると忠告するものまで様々だ。
以前のわたしは「復元」という言葉から、コンピュータショップやアンティークの家具を連想したものだった。しかしキリスト教徒として信仰心をあらたにしたアメリカ人たちに接して、復元という言葉を耳にするたびに婚外セックスを連想するようになった。アメリカ各地にいる敬虔なキリスト教徒は、不倫があっても結婚は復元できるという考えを基盤に。結婚産業複合体に独自の分野を打ち立てて成功をおさめている。神は「復元に携わっているのです。結婚の復元は、神が最も力をいれたいと思っていることなのです」と、フロリダ州のケンダル湖の牧師ダリル・マクレーは語った。
不倫の原因になる新約聖書には書いてあるが、アメリカのキリスト教徒は、不倫を乗り越えられない夫婦なら離婚に伴う最もつらい問題に対処するのは難しいだろう、と戦略的な予想を立てている。浮気をした夫が教会から追放されたり、牧師が情事を遠まわしな表現で戒めたりする時代はもはや去った。日曜の礼拝を自己啓発セミナーへと変えた教会は、今や不倫問題を取り上げるようになっている。不倫が発覚した夫婦を元のさやにおさめるために、クリスチャンカウンセラーは聖書の言葉と現代的なカウンセリングの手法をたくみにミックスさせる。「神の名のもとに万人のために祈りを捧げて、それでおしまいというわけにはいきません。聖書の抽象的な言葉にくわえて、認知行動的アプローチを織りこんでカウンセリングを行うのです」と、あるカウンセラーは語っている。
同僚のセールスマンと激しい恋をして、一時は家を出て恋人の元に走ったという経歴をもつ作家ナンシー・アンダーソン著書『となりの芝生症候群に陥らないために』のなかで、「もし伴侶が目の前にいたら、こんなことができるだろうか?」と自分に問いただしなさいと読者にアドバイスしている。さらに、答えに困ったら、「神の見ている前だったら、できるだろうか?」と自問するように勧めている。アンダーソンは職場の不倫”危険ゾーン”を避けるガイドラインを提示している。異性とふたりきりで車に乗らない、伴侶のことをいつもほめる、じっと見つめ合わない、というのが具体的な方法だ。異性の同僚と出張するさいは、アダルト番組をブロックするようにホテルに頼んでおきましょう、ともアドバイスしている。以上のように防衛してもなお職場のだれかに強く心惹かれたら、「部署を変えるか、持ち場を変えるかするべきです。あるいは、退職すべきかもしれません。家庭よりも価値のある仕事などないのですから」とのことである。
クリスチャンカウンセリング
のほとんどは、夫婦のカウンセラーによって行われる。その一例として、コロラド州リトルトン在住のベンとアンのウィルソン夫妻を紹介しよう。実は夫妻も不倫に苦しんだことがあるのだが、その時の経験はまさしく宗教的な啓示だったと思っている。ベンが一九九四年にカンザスシティで神学の学位をとるために勉強をはじめてからほどなくして、現在四二歳のアンが三年間不倫をしていたと打ち明けた。地獄の苦しみを経て危機を乗り越え夫婦関係をもとにもどした経緯は、ふたりが運営する「結婚の復元」の基礎となっている。
夫妻のブログ、福音教会での一〇週間のカウンセリング、三日間のワークショップすべてに、「結婚の復元」という名前がついている。教会の広告では、カウンセリングを「夫婦生活に問題を抱えているカップル」のためのコースだと紹介しているが、カウンセリング会場に赴く人々はみなそこで何が話題になるのかを知っている。
ベンとアンは講義に集まったカップルに自分たちの経験を語るとき、きわどい言い回しを避けて聖書に出てくる「原罪と贖(あがな)い」になぞらえて話を進める。「その気になれば、ポルノ小説めいた体験談にもできるけどね」と四四歳のベンは語る。彼の話によると、カップルには「妻の不倫を知ったとき、わたしは最良の対処法を取りました。毎日、悲しみに浸れるだけ浸ったんです。じきに、嘘じゃなく傷が癒えてきたんです」と伝えるという。ベンとアンは、子どもたちに打ち明ける方法すらアドバイスする。実際、夫妻は子どもたちに「ママがほかの男性とセックスをしたんだ。パパはすごく頭に来たから、この問題を解決するまでしばらく時間がかかったよ」と伝えた。
神の兵士とでもいうべき熱心な伝道者にとってさえ、不倫という名の塹壕での戦いは厳しいものだ。ウィルソン夫妻が開くクラスはつねに満員というわけではないし、個人的な体験を語るたびに癒えてきたはずのトラウマがうずくそうだ。ベンは「一〇年後に神がわたしに電話をかけてきて、『もう不倫問題のカウンセリングはしなくていいですよ』っていったら、心の片隅ではほっとするだろうね」と語っている。
離婚に反対するクリスチャンをわたしは方々で取材したが、もっとも過激だったのがオクラホマ州タルサを拠点とした聖約遵奉(じゅんぼう)者事業団と呼ばれる団体は、結婚はいかなる状況にあっても解消すべきではないという信条を掲げている。信奉者たちはみな、教団がいうところの結婚生活の”停滞期”を経験する。夫が家を出ていった、もしくはべつの女性と再婚したという場合でさえ、夫に裏切られた妻はひたすら禁欲して贅沢をつつしみ、夫がどうかもどってきますようにと神に祈るのである。全米各地にある四〇ほどの支援団体が、キリスト教的な観点と心理療法的な面の両方でこの停滞期にある妻を支えるが、それが数十年にわたることもある。
聖書は情事を罪としているが
聖約遵奉者事業団は許される罪であることを強調している。離婚のほうが情事よりも罪深いのだ。「わたしどもがそう考えるのは、結婚は聖約だからです。神は男と女をふたりでひとつの存在としておつくりになった。離婚というのは、文字通り体から腕を一本もぎ取るような行為なのです。離婚にあれほど苦痛を伴うのも無理はありません」と語るノースカロライナ在住のナオミは、聖約遵奉者事業団南東地区の責任者である。
結婚一六年目にナオミの夫アルフレッドは彼女を捨てて、情報テクノジー会社の同僚と一緒になった。法律上は離婚をしたナオミだが、恋愛もせずにふつうの既婚女性のようにふるまった。
「友人は口をそろえていいました。でも、神は『聖約を守りつづけなさい』とわたしはおっしゃったんです。神は聖約を守るように人間をおつくりになっている。片割れである配偶者が守るか守らないかにかかわらず」アルフレッドの再婚相手に神が与えた運命にかんしては、「彼女にたいしては、それなりの役割と人生をお定めになっていたことが分かったんです。そこにわたしの夫は含まれていませんけどね」
一一年後、アルフレッドはほんとに戻ってきた。ナオミと再び結婚して、一〇年以上うまくいっている。しかしひたすら神に祈っても、夫が帰ってこない場合もある。聖約遵奉者事業団の運営責任者が語ってくれたところによると、この団体の創始者は夫の裏切りにあって一九八七年に非営利団体として事業を立ち上げた女性だが、いまだに停滞期にあるらしい。ナオミは配偶者戻ってこない団員に、それでも結婚の聖約を守るのは無意味なことではないと説くのである。
結婚産業複合体の影響は、いくら大げさに語っても語りつくせないほどに広まっている。この産業を鼻であしらう人でさえ、気が付くとそのシナリオに従っている。三四歳のジュリアは、聖約遵奉者団体やその類似団体とはまるっきり無縁の生活を送っている女性だ。信仰心はとくに必要とされない、政治的にもリベラルなテレビプロデューサーの仕事に就いているジュリアは、ニュージャージーの郊外に住み、マンハッタンに通勤している。赤の他人に自分の結婚生活を話すことはないし、夫婦の問題を見つめ直すセミナーに参加したこともない。それでもジュリアは結婚産業複合体の価値観は言うに及ばず、その独特の語り口ですらわがものにしている。
わたしはニュージャージーのスシバシーでジュリアに会った。彼女はふたりの子持ち。ひとりは就学前で、もうひとりはまだ赤ちゃんだ。はきはきしたエネルギッシュな女性で、ガリガリに痩せている。会話が始まって数分経ったとき、彼女が不倫によって引き起こされる拒食症になっていることに気づいた。ひとはパートナーの不倫を知ると、じきに食べ物が喉を通らなくなるのだ(との話を知ったわたしの夫は、きみがドカ食いを始めたら、浮気をしてあげればいいんだねといった)。
ジュリアが夫を怪しむようになったのは、自宅の書斎にこれから発送するピンク色の封筒があるのに気づいたときからだった。宛先は夫と同じ職場にいる女性だった。夫は友だちを励ますカードだといった。問題のその女性はパートナーの不倫が原因で離婚調停中だった。
ジュリアは職場の友人たちに、その一件を話した。「男のひとたちは口をそろえて、『男は女性の友人にカードなんて送らない。ピンク色の封筒なんて、なおさらあり得ないね。男女の関係なんだよ』といっていました」ジュリアは男友だちの意見をばかばかしいと思って取り合わなかった。しかししばらくして、夫の書斎でメールを見てしまう。そこには大きな文字で「キスして」と書かれていた。夫はちょっとしたおふざけだと弁解した。「わたし、いってやったの。『わたしだって、おふざけくらいするけど、これまでキスをしたことがない相手にキスをしてなんてメールは送らないわ』」それからしばらくして、問題の女性からのメールをまた見つけた。ニューヨークのブロードウェーに連れて行ってくれたお礼のメールだった。
「それでもちろんわたしは、なんというかキレてしまった。書斎を出てリビングに行くと、夫が座ってた。だからわたし、こんな感じに切り出したの『いったい、どういうことよ?』って」
夫はやはりただの友だちだといったが、ジュリアはすっかり興奮していた。それで、こういう立場に立たされた人間が当然とるだろう、と彼女が考える態度に出た。「そのよる、夫にいってやりました。『出ていってちょうだい』って」どうして、そういい渡したんですか、とわたし。
「だって、自分でもよくわからないけど、普通そうするものでしょ? 知ってしまったら、出て行ってもらうしかない。『わかったわ、おやすみなさい』ですませてしまって、夫がベッドにはいってきたら、なんていえばいいわけ?」ジュリアとしては夫を追い出すしかなかたのだろうが、この展開は不倫疑惑が浮上したさいのアメリカ式のシナリオをそのままなぞっている。
ジュリアの夫は最終的には家に戻ってきたが、それでもその女性とはいい友だち以上の関係ではないといいつづけた。ジュリアはにっちもさっちもいかなくなっていた。なにもかもが不倫をほのめかしていたが、確固たる証拠はない。このまま真相を知らないままでいたら、甘く見られてしまうと不安になった。「できるかぎりの情報を集めるべく、行動を起こしたんです」
電化ショップに行って、自宅の書斎を盗聴する機会を手に入れた。毎日午前二時に、子どもたちと夫がそれぞれ二階の子供部屋と地下室のスペアベッドで眠っているのを見計らって書斎に忍び込み、メールとインスタントメッセージをチェックした。それから、その日夫が電話で交わした会話を数時間かけてすべて聞いた。「つまり、その、まったく眠らない日が数ヶ月つづいたわ。とりつかれてた。七キロ近く痩せて、なんというか、その、いまだにもとの体重に戻ってない。完全に病気だった。自分をコントロールできなくなったの。なんというか、その、震えがとまらなかった。すっかり取り乱してて。ぜったいに尻尾をつかんでやるんだって、とりつかれたみたいに思っていた」不倫の一部始終を探ろうとするこの行為もまた、結婚産業複合体の脚本そのままである。
夫は問題の女性からもらったメールをすべてファイルに保存しているはずだとジュリアはにらんだが、彼のコンピュータには仕事関係のファイルがたくさんあったから、発見できなかった。夫が葬儀に出席するために街の外に出たとき、すべてのファイルを調べようと決意した。そしてついに、主鉱脈を探り当てた。そのファイル名には、問題の女性の旧姓が使われていた。
夫とはじめて肉体関係をもったとき、彼女は酔っていて何があったか覚えていなかった。だから夫はインスタントメッセージで、その一部始終を彼女に語っていた。ジュリアはまた、べつの街でふたりの密会についてのやりとりも発見した。それは、夫が出張でしばらく戻らないと言って外泊していた時とちょうど重なっていた。そのさいジュリアは日程表を渡されていた。
「この一年半の間にふたりがしていたことを、一つひとつつなぎあわせていったわ」とジュリア。「あのときは、ついに突き止めたって興奮していた。でもいまは、死にたくなるほど落ち込んでいる」彼女はファイルをすべてプリントアウトして、帰ってきた夫に突き付けた。
職場仲間にファイルを見つけた話をすると、「いっただろ、ピンクの封筒を買う男はいないって」という言葉が返ってきた。
結婚複合体が勧めるやり方はいたるとこに浸透しているが、その効果のほとんど検証されていない。情事の一部始終を語れば伴侶の傷は癒される、夫婦はなにもかも包み隠さず話し合えば幸せになれるといった通説は、実際には証明されていないのである。じつはその反対で、わからない部分があればあるほど幸せになるとしたら、どうなるのか? さらには、不倫根絶すべき外敵とみなさずに、人生の真実だと受け止めた場合はどうなるのか? そう思うことで心の痛みが和らいだとしたら?
不倫の対処の仕方に慣れているといえば、それはもうフランス人だろう、とわたしは思う。というわけで、こんどはわたしの住む街パリを探ってみることにする。
つづく
第5章 「五時から七時まで」の終焉