
パメラ・ドラッカーマン著 佐竹史子訳
性文化の共有
私のような大卒の白人女性が、高校を中退したブルーカラーの移民メキシコ人男性とつきあって結婚するということも、理論上はありうる。しかし、たまに労働階級のメキシコ人と接触する機会はあっても、私と彼らがたがいを恋愛対象として意識することはないように思える。恋人同士になって結婚する可能性となると、ほとんどゼロだ。ほとんどのアメリカ人がそうであるように、私が恋人として選ぶのは、人種や学歴や経済的な基盤がおなじ人間だ。アメリカ人以外とも付き合ったことがあるが、彼らは株のアナリストやジャーナリストだった。
ひとはベッドを共にする相手を、どうやって選ぶのだろう。シカゴ大学の研究チームが、かつてそのテーマに着目した。シカゴ在住のメキシコ人男性は人口三〇〇万人の都市にいながら、どうしてメキシコ南西部のミチョアカン出身の女性とばかりつきあうのか、というのが研究チームのいだいた疑問だった。ちなみに、私の女友だちは、理想ぴったりの男性といったらニュージャージー出身の弁護士くらいだとぐちをこぼす。
セックスに関する全国的な統計データは、土地に縛られ過ぎている。実際のところ、どの地域にも縦横に入り組んだ”性文化”があるのが普通なのだ。その性文化とは、だれを恋人として選ぶか、恋人とどのように関係を進展させるか、忠誠をいつ守るべきか、もしくは忠誠を守るべきかどうかについて、人々が決めるさいの基盤となるものである。わたしがこれまで述べてきた人間一人ひとりの個人的なルール――表向きのものであれ、裏のものであれ――の総体といってもいい。それらのルールは、収入、住んでいる場所の風土、人々の性的言動について発言権がある機関――学校、会社、裁判所――などによって左右される。共通の性文化が国単位の広さで浸透している場合もあるし、法律事務所、建築現場、レズビアン仲間、インターネットのチャットルームといったごく狭い世界に限定されている場合もある。わたしたちの大多数は複数の性文化に接触している。投資銀行に勤めるゲイの男性は、おそらく日々ふたつの性文化を行き来しているはずだ、大切なのは、ある性文化を共有している人々は全員そのルールを知っていて、それにしたがうか否かで利害が生ずる、ということである。
とはいえ、わたしたちはどのようにして性文化を担わされるのか、どうやってそのルールを学ぶか? だれに強制されたのか? 性文化は時代とともにどのように変化したのか? メディアが一役買っているのか?
一九九五年から一九九七年にかけて、シカゴ大学の社会学者エドワード・ロウマンの指揮のもと、研究者たちがシカゴの四つの地域における性行動を調査した。四つの地域はそれぞれ、車で移動できる範囲の広さである。住民のほとんどが高卒以上の学歴を持っていない、シカゴ南部アフリカ系アメリカ人の地区。裕福な若い白人やゲイが住むノースショア。労働者階級のメキシコ移民とその家族が大半を占める西部地区。プエルトルコ生まれの人々が住む、スペイン語が話されるもうひとつの地域。研究者たちは、地域間の比較をするために、市全体および近郊から選ばれた代表サンプルの人々にインタビューを行った。
その結果は「シカゴ市における性文化の構造」という論文で発表されたが、性文化はさまざまに交差しているものの、だれもが自分自身の性のルールがわからなくなることはないし、街の向こう側の人々や通勤電車に乗り合わせた人々の行動パターンについてなんとなくわかっている程度である、ということを明らかにしている。おなじ文化背景をもたない人間と付き合うのは難しい。人々は、知り合い、もしくは通っている学校や教会によって認められた人物を、この先セックスにまで発展するかもしれない恋人として選んでいた。共通の知り合いがいると、最終的にベッドを共にする仲になる可能性はさらに高くなっていた。
研究者たちが「湖畔(シヨアランド)」と呼んでいる、白人が住む地域の異性愛(ストレート)の男性たちの大半は、恋愛が継続中であれすでに終わっているのであれ、つい最近の交際相手の女性に学校か職場で出逢っていた。シヨアランドの住民の多くが大学を卒業したのと同時にそこに移ってきて一年以内であることを考えれば、この結果はおどろくにあたらない。シヨアランドの住民はまた、生活の大半を職場で過ごす傾向があった(インタビュアーは自宅で彼らをつかまえる、というか、彼らの住む高層アパートメントにはいらせてもらうのに苦労したとのことだ)。
シヨアランドに住んでいるゲイの男性で、ここ最近の交際相手と学校で知り合ったと回答した者はひとりもいなかった。職場で知り合ったと答えたひともわずか九パーセントだった。学校や職場よりもバーやナイトクラブで知り合う可能性のほうがずっと高く、ゲイの男性の交際相手と出逢った場所の半分を占めていた。
ゲイが集まるバーやナイトクラブは、行きずりのセックス相手を見つけるのに格好の場所だ。一方、ストレートの男性が女性と知り合う場所は学校や職場だから、交際は長くつづく。ゲイの男性の四三パーセントがこれまで六〇人以上と関係を持ったとしているのに対し、おなじ地域に住んでいるストレートの男性の多くはおなじ地域に住んでいるゲイの男性よりも禁欲的なようだった。ストレートの男性三分の一以上が、これまで肉体関係をもったのは五人以下と答えていた(そう答えたゲイの男性は、わずか二パーセントだった)。
ある種のセックスがもたらす害について”さりげない話”をすることで、性文化が伝えられていく場合もある、と調査員たちはいっている。たとえば、クリスチャンのグループは、行きずりのセックスはたとえ一回であってもその後の恋愛にダメージを与えると忠告する。不動産物件の価格のようなありふれたものが、性文化を形作る場合もある。同様に、近隣住民の男女比、親族が近くに住んでいるかどうか、といったことが形づくる場合もある。また、車を手に入れるだけでも、恋人の選び方が劇的に変わる。
研究員が「西部地区(ウエストサイド)」と呼ぶメキシコ人民区は、大家族で住んでいる人が多かった。ウエストサイドの人々はほかの地域のひとよりも、最近の交際相手と親族の家で出会っていることが高かった。この地域の女性たちは、ほかのどの地域のグループよりも車を利用する率が低かったので、出会いのチャンスに恵まれなかった。彼女たちの最近の交際相手のほとんどは平均して三マイル以内に住んでいたが、それに対してシカゴ市住民のその平均は一〇マイルである。つまり彼女たちのほとんどは、歩いて行ける距離に住んでいる人とカップルになっていたのである。
「南の町(サウスタウン)」と呼ばれるアフリカ系アメリカ人の地区では、公園や街角といった公共の場がもっとも一般的な出逢いの場所だった。サウスタウンの住民はそこに少なくとも一〇年は住んでいて、親族の少ない半分はシカゴに住んでいるのが普通だが、最近の交際相手と親戚の家で出逢ったと答えた黒人はひとりもいなかった。実際、サウスタウンの男性の四〇パーセントが、女性と知り合いたいときはよその地区へ行くと答えている。残されたサウスタウンの女性たちは、教会に通う頻度がほかのグループよりも高い。彼女たちはきっと、わたしに愛をくださいと祈っているのだろう。
サウスタウンでは、パートナーに忠誠かどうかは経済状態に左右される。調査が行われた当時、住民の半分が定職を持っていなかった。さらに、サウスタウンの女性たちは男性よりも学歴が高かったので、失業者はがいして男性だった。それは定職に就いている男性が品薄だということを意味し、本人たちもそれを知っていた。サウスタウンの男性の三九パーセントが、一年以内に少なくともふたり以上の女性と同時に性的関係をもっていたとこたえていた。研究者が”長期にわたる一夫多妻”呼ぶ状態、つまり、半分かそれ以上女性に二股をかけたことがあると答えたのは、二七パーセントだった。
パートナーへの忠誠
黒人女性がこの状況を甘んじているのは、パートナーへの忠誠を守っている失業中の男性より、よそに女性を作っていても定職のある男性の方が魅力的だからだ、と調査チームは推測している。この一年以内に複数の性交相手がいたと答えたサウスタウンの女性はわずか八パーセントだった。
シカゴの黒人男性はひとたび結婚すると、白人男性と同じくらいに、パートナーへの忠誠を守っていた(この一年、ひとりとしかセックスしていないと答えた黒人の既婚者は九七パーセントだった)。しかし、結婚する黒人カップルはわずかしかいない。それを研究者も指摘しているように、長期にわたる一夫多妻制は結婚に結びつかないからである。シカゴ市全体でも、結婚している黒人は白人にくらべて極端に少ない。シカゴに住む高学歴の三五歳以上の黒人男性は、おそらく地元の黒人男性のなかで一番よい職についていて、当然のことながら女性のあこがれの的なのだろう。結婚率がもっとも低かった。
浮気率にかんしてサウスタウンの男性とほぼ同じ数値を示したのは、白人居住区シヨアランドのゲイとストレートの男性だけだった。しかし彼が好むのは”短期の重婚”――六カ月以下の短いつきあいの性交相手を複数持つこと――だった。サウスタウンの男性は同時期に真面目なおつきあいを複数かけもちしていた。シヨアランドに住む人々はおそらく、複数の恋人候補と同時に交際して、なかのひとりとじきに真面目な付き合いをするようになるのか、本命の恋人がひとりいてたまに浮気をするのかのどちらかなのだろう。以上のような交際であれば、結婚に至るのは自然である。そして、いったん結婚すれば、白人も黒人と同様にパートナーへの忠誠を守る確率はかなり高かった。
パートナーへの忠誠を立派に守っていることにかんして、スペイン語を話す女性たちの右にでるものはない。メキシコ人とプエルトルコ人が住む地域の女性で、この一年間に複数の性交渉の相手がいたと答えたのはわずか二パーセントだった。彼女たちが奔放になれないのは、監視の目を光らせる大家族と暮らしているからなのだろう。メキシコ人の男性ですら不倫の率は低い。わたしがしっている弁護士連中のほうが、頻繁に不倫しているくらいだ。これまで出会ったメキシコ人男性に電話番号を教えてもよかった、と今更ながら私は思ってしまう。
以上に述べたシカゴの調査は、ひとつの街に多くの性文化が混在していることを明らかにしている。しかし、性文化は時代とともにどのように変化するのだろうか? それを探るべく、私はフロリダの”退職者居地域”に住む七〇代の女性たちを訪ねた。その女性グループの話を聞いていると、ここはアメリカであってアメリカじゃないという気になる。彼女たちの不倫の黄金期は一九五〇年代と六〇年代で、そのときのお相手は多くはすでに他界しているが、あれはこれまでの人生でもっとも輝いていた時代だとインタビューを受けた女性たちは語るのである。
インタビューをしたアメリカ人のなかで、現在不倫をしている人々や不倫を精算して生活を立て直している人々は、本で紹介する場合は仮名にしてくれと頼んできた。しかしフロリダの女性たちは、本命で紹介してくれといった。若い頃の冒険をぜんぜん悔いていないのだ(それでも、わたしは仮名を使っている)。「わたしたちに罪の意識などなかったわ」女性のひとりがいう。「みんな知っていたしね。刺激的な体験だったわ。スリル満点だった!」
彼女たちのグループは、人生の大半をニュージャージーの高級住宅街で過ごした。ほとんどの住民が白人で、ジョージワシントン・ブリッジマンハッタンと繋がっている場所である。フロリダのパームビーチにまだ健在の夫と一緒に移ってきたのは、一〇年以上前のことだ。
彼女たちの性文化は、第二次世界大戦後のアメリカ社会によってつくられた。女性たちをいっせいに労働市場に送り込む時代の波が押し寄せてくるのはもうちょっと後のことで、フルタイムで働いていた女性はごく少数だった。住み込みのメイドに家事を任せ、夏のバカンスにちょくちょく南フランスに行くような生活を送っている女性たちがほとんどだった。彼女たちの息子は医師になるように期待された。夫は女性用のスポーツウエアの会社を経営しているか、クリーニングのチェーン店を小規模ながら展開していた。誕生日や夫婦の記念日に妻たちに贈られるプレゼントは、高価な宝石類。注目すべきは、彼女たちのほとんどが二二歳までに結婚していたことである。「母によく言われました。『女がたったひとりで行ける場所は、トイレだけですよ』って。女性はぜったいに結婚しなければなりませんでした」と、現在六八歳のロレッタは語る。
母親の世代とは違って、ロレッタが属していた社会の女性たちは落ち着くことを知らなかった。第二次世界大戦後の好景気によって、彼女たちは親よりも裕福になっていた。高校時代からの知り合いである夫との満ち足りた暮らしよりも、華やかなロマンスを求めていたのである。「わたしたちの人生のお手本は、すべて映画スターたちでした」と、ロレッタ。彼女は三回結婚して、いまはフロリダ州のレークワースに住んでいる。「あのころのニューヨークは、黒くて長い手袋と小さな帽子の時代だった。恋人とはニューヨークで落ちあって、お酒を飲んだりしたわ。シナトラの映画みたいな感じにね。ロマンティックな歌詞の曲が流れてね、女性たちは目をつぶって聞いたものよ」
七七歳のバーブがかつて経営していたのはブティック、街の噂話の中心地だった。彼女は昔の客の思い出を、いまにもその人物がドアからはいってくるかのように生き生き語る。バーブの口調には、仲間の女性たちとおなじように強いニュージャージー訛りがある。
ホテルで浮気
「店に来ているとき、決まって時計に目をやって『もう一時?』っていう女性がいてね。毎日一時に彼と会っていたわ」
「ヘレンのご主人は大工さんでね。イヴォンヌの浮気相手がその大工さんだったのよ」
「ブルーミングデールで真夜中に買い物をする客なんて、リンダくらいしかいなかったのよ。というか、旦那さんにそういっていたらしい。その旦那さんってすごく感じの悪い発送係の男でね。リンダは相手をころころ変えて浮気をしていたわ」
「アリスはまあまあ幸せな結婚生活を送ってたんだけど、ほんとはちがった。彼女の誕生パーティを本人には内緒でご主人が企画してたんだけど、当日の午後にアリスはホテルで誰かと密会していたのよ。要するに不倫してたんだけど、ご主人が手紙を読んでしまってね。彼女はふたりの子ども連れて家を出たの」
「ボブはね、ジュディーのご主人の秘書とできてたの」
「レスの奥さんが不倫を何年もつづけていたことは、ほとんどの人が知っていたはずよ」
「ニュイングランドの小さな町の恋愛をテーマにした、『ペイトン・プレース物語』っていうドラマがあったけど」現在はレークワースの”いまだ現役のコミュニティー”に属しているバーブがいう。「ロングアイランドでもおなじようなドラマが展開してるって、当時は思ったものよ」
六〇年代の統計データはないので、バーブの属していた社会の女性たちが、おなじような社会に生きている現代女性よりも頻繁に不倫をしていたどうか確かめる方法はない。一九九四年に発表された国民性調査によると、一九三〇年代に生まれた女性で婚外交渉をしたことのあると答えたのは一二パーセントで、彼女たちの二世代あとの女性たちよりも数値が少なかった。しかし、一九三〇年代に生まれた男性の場合は三七パーセントが婚外交渉をしたことがあると答えており、それ以降に生まれた男性よりもかなり高い数値を示している。
ニュージャージーに住む女性の性文化はもっとも栄えていたときでも、地元のいくつかのカントリークラブに広まっている程度だったかもしれない。しかし彼女たちの話は、性文化が時代とともに大きく変化することを明らかにしている。昨今、不倫をしている女性はごく少数の口のかたい親友にしか秘密を打ち明けない。ところがニュージャージーの女性たちは女友だちの全員に情事を話して、二番目の夫になるかもしれない愛人を母親に紹介することもあった。いずれにせよ、だれがだれと「このさき一緒に親密なランチを共にするか」簡単に予想がついた、と彼女たちは語っている。
浮気をするチャンスは至る所にあった。カントリークラブや慈善事業のイベントやホームパーティで、人々は夫や妻が隣の部屋にいっている隙に恋愛ごっこを楽しみ、ダンスをした。さらには、このグループに属している女性の多くは昼夜兼行のベビーシッターを雇っていて、仕事に就いていなかった(というか、週六〇時間労働の女性はひとりもいなかった)から、好きなことをする時間が有り余るほどあった。
この手の女性たちは、若い世代は男女関係に信じられないほど潔癖だ、と口をそろえていう。彼女たちの子どもの中には、母親の奔放さに腹を立てて口も利かないひともいる。「いまは時代がちがうのよね。四〇代のわたしの子どもたちは、そういうことは許せないとおもっているのよ」と、ロレッタ。古きよき時代を語りあえるのは、仲間内だけだと心得ているのだ。
でも、わたしはインタビューを行った。バーブの友人であるエレインとナンシーから、フロリダ州ポンパノビーチのスパで話を聞くことにした。ふたりはそこに小旅行で訪れている。四時にエステの予約がはいっているから、その前に来てくれとのことだった。指定されたレストランに入っていくと、ランチをとっていたふたりは素早くわたしを値踏みした。四〇歳年下のわたしと若かったころのわが身を比較して、自分が勝ったと思っているのが、ありありとわかった。エレナは七三歳の未亡人で、ドラマ『ダイナスティ』風のおしゃれをしている。やたらに大きなサングラスにダイヤモンドの時計。水着の上に着た赤いロングワンピースが、豊かな胸元を覆っている。ナンシーは七五歳。青い瞳と高い頬骨の持ち主で、ゴールドのショートパンツからはっとするほどなめらかな脚を見せている。
どっちがさきに話すかで、ひとしきり揉めた。ふたりにとって、情事は目くるめくような冒険だった。「ある日、彼に会いにニューヨークに行ったんだけどね、探偵をやとって後をつけてくれって頼んだの。わたしを追跡させたのよ!」ローレン・バコールにちょっと似ているナンシーがいう。彼女のお相手は、妻がいる不動産ディベロッパーのラリー。出逢ったのはゴルフ場だった。「彼が夕日を背にコースを歩いてきたの。青い瞳があんなに澄んでいる男性は、見たことがないわ」
ナンシーは目をきらきらさせながら、ラリーの出張先のカナダで密会したときのことを語った。「フロリダの友人のところへ遊びに行きたいって、主人にはいったわ。そしたら、『いいよ。何日かフロリダに行っておいで』ですって。で、わたしはモントリオールに向かった…‥。現地のサロンで日焼けしなきゃいけなかったわ。そういう感じにしっかり用心していたから、主人がフロリダの友人に電話をかけてきたときも、彼女のお母さんが出て『まあ、娘たちはいまビーチに出かけているのよ』って口裏を合わせてくれたの」
彼女たちのあとの世代の女性たちは次第に仕事を持つようになったので、舞台裏で出番を待っている誰かがいなくても結婚を解消することができた。しかし一九六〇年代、エレインやナンシーのような女性たちは、夫と縁を切るとすぐに別の男性を夫にした。あくまでも遊びで始まる情事もあったが、わたしがインタビューをした女性はみな不倫相手の男性と再婚し、彼女たちの言葉を信じるならば、それ以降はずっと忠誠を守ってきた。父親の庇護のもとから、そのまま第二の夫の庇護のもとへ移動していく生活だったのである。離婚が最終的に決まっても、未来の夫が彼女たちとその子どもたちを引き取ってくれる、というわけだ。
そういう男性たちは白馬に乗った王子と見なされていたせいか、彼女たちの語る恋愛話は魂が震えるような瞬間とか息を殺して電話を待ちつづけていたとか、ロマンス小説を地で行く大げさな色合いを帯びる。エレインがアーウィンと出逢ったのは一九五〇年代だったが、ふたりの恋愛話はスーパーで売られているロマンス小説と『屋根の上のバイオリンの弾き』を足して二で割ったような感じだ。
「街で歯医者を開業している伯父のホームパーティに行ったのよ。人でごった返す会場で、どういうわけかその男性が目に飛び込んできた。乙女チックに聞こえるかもしれないけど、その人はわたしのところに真っ直ぐにやってきた。で、わたしも近づいていって彼を見た。で、このひとはわたしと一緒になるってピンときたの。そういう運命なんだって‥‥。そしたら彼がいったのよ『今夜ニューヨークで会おう』って」
当時のエレインは二五歳だった。「わたしはいったわ。『どうやってニューヨークに行ったらいいのかもわからないし‥‥今夜会うなんて無理よ』って。パーティには祖母も来ていた。母と父もいたわ。でも、この人とまた会うことになるだろうって、わたしは確信してた」
数日後、着飾ったエレインは子どもたちをメイドに預けて、マンハッタンの東四六丁目にあるレストラン〈チャンドラー〉に車で向かった。アーウィンが来たとき、彼女はすでに席に着いていた。エレインはそのディナーでのアーウィンの言葉をいまだに覚えている。「普段のぼくは、こんなことはしないんだ。自分でもどうして誘ったのかわからないけど、きみに会いたくてたまらなかった」
エレインはそこでちょっと口をつぐんだ。「きわどい話は、いやじゃない?」と、彼女。
「で、ディナーを共にした。わたしは思ったの、『こうとなったら、やるしかない‥‥』って。車に乗ったわたしたちは、シートに座ったままキスをした。で、彼の下半身に顔をうずめた。車の中でよ! ほんとにそうしたの! あのひとは目を白黒させていたわ。わたしは自分にさかんに言い聞かせていた――『こうなったら、徹底的にやるしかない!』ってね」
ふたりは頻繁に密会するようになった。「彼はいってたわ、『きみと結婚するつもりはない。ぼくたちの関係は甘いデザートみたいなものだ。結婚するつもりはないけど、すばらしいときを一緒に過ごせる』って。
でもまあ、わたしたちはいまひとつ不満だった。だから、彼の奥さんと仲良くするようになった。夫婦ぐるみで四人でよく行動を共にしたわ。だからわたしたち、いつでも一緒だった。あいびき場所のニューヨークのホテルで眠ってしまって家に帰るのが遅くなったのに、その夜またデートすることもあった。わたしの夫もアーウィンの奥さんにも怪しまれなかった。アーウィンの奥さんは、夫がディナーに連れて行ってくれればそれはそれでいいと思っていたのね」
プティックのオーナーだったバーブは、エレインがよくアーウィンの妻と連れ立って服を買いにきたことを覚えている。「その夜、エレインは彼に会っていうのよ、『ったく、あなたの奥さんの買いものときたら!』ってね」
娘がアーウィンとの結婚を本気で考えていることを知ったときエレインの母親は激怒したが、父親は娘に現金をそっと手渡し、友人たちは応援をしてくれた。友人たちにはすでにアーウィンを知っていて、好感を持っていたのだ。夫の家を出るときは、バーブに手を貸してもらった。「ベッド、テレビ、コーヒーメーカー、コーヒーカップ一客は残してあげたわ」バーブが回想する。
夫を捨てて愛人のもとに走ることへの罪悪感は、エレインのラビ(彼女の言葉をそのまま借りれば『すばらしい男性』)によって和らげられた。「わたしはいったの。『スタイン先生、わたしは夫の元を去ろうとしています。これでいいのかどうか、自分でもわかりません。周囲の多くの人の人生を台無しにするんじゃないかって、心配でならないんです』そうしたら先生は、『そんなことはありませんよ。このままでいたら、かえってその人たちの人生を台無しにするでしょう。あなたがそのまま突き進めば、みんなの人生を救うことになりますよ』って答えてくれた。だから、わたしは飛び立った。鳥みたいに‥‥。スタイン先生は大した方だったわ。もちろん先生自身、離婚してらしたけど」
アメリカは大統領の性生活
ビル・クリントンの弾劾裁判のあいだ、アメリカは大統領の性生活が公の事件になる国になったのかと嘆いた人も少なくない。六〇年代初頭に大統領だったジョン・ケネディには愛人がたくさんいたが、公で問題になることはなかったと、そう人々はいう。
私がフロリダで会った女性たちとケネディは、おなじ性文化に属していた。その性文化をつくるのに、ケネディと彼のセレブ仲間は一役買っていた。いや、ケネディですら、あの時代が生み出した人間だった。当時はまだ、女性は経済的に夫に頼るのが普通だったばかりか、現在ほど簡単に離婚できなかった(カトリック教徒はとくにそうだった)。それに加えて、ケネディの周辺にいる立派な肩書を持つ人々もまた浮気をしていた。彼がもう少し長生きしたら、のちにクリントン弾劾裁判で司法委員長となるヘンリー・ハイドが、愛人のシェリー・スノッドグラスとシカゴのサバ―クラブでデートしているところに出くわしただろう。正装をしたスノッドグラスとハイドが公の場に連れ立って現われ、カメラに向かってホーズを取っている写真が今でも残っている。ハイドは当時のことを「わたしの若気の過ち」と語った。あくまでも予測にすぎないが、あれはべつの時代の話だと彼は言いたかっただけなのかもしれない。
遠征中のメジャーリーグの選手たちの不倫・浮気
性文化は警察国家ではない。つまり、違反を絶えず取り締まる人間はいないのが普通だ。ならば、ルールを敷くのはだれなのだろう? オレゴン州立大学で教鞭をとっている社会学者スティーヴン・オーティスはこの疑問にこたえるべく、遠征中のメジャーリーグの選手たちが作り出した、移動のさいの”不倫文化”を研究した。三年間さまざまなチーム(具体的な名前は挙げていない)の遠征に同行し、研究成果を「野球チームとの旅」という論文を発表したのである。
遠征には選手の妻がつねに何人か同行する。常時ついていく妻もあり、ときおり参加する者もある。となると、チームと行動を共にした妻が、帰ってから旅のあいだに目にしたことを残っていた妻たちに話す可能性がある。少なくとも、妻たちは遠征中の選手にとって、お楽しみの邪魔になりかねない存在だ。
選手たちは予防策として、妻たちが足を踏み入れることができない場所を最初からはっきりさせる。移動に使うチャーター便の飛行機に乗るとき、妻は前の方に座らされて、後ろに立ち入ることを禁じられているのだ。選手たちは後ろにすわり、気の向くまま女性の客室乗務員といちゃついたり、試合前の親睦をはかったりする。妻たちは面と向かって邪魔者だといわれはしないが、それをなんとなく察している。そばを通りがかっただけで嫌味を言われたり、近づいただけでそれまで盛り上がっていた選手たちがいっせいに口をつぐんだりするからだ。新米の妻が夫の横に座って気軽に声をかようものなら、その場はしんと静まって他の選手たちが”非難の目”を浴びせてくる。そういった妻の一人ステーシーは語っている。「トイレに立つときは、周囲に目をやることすらためらわれます。だれかちょっと言葉を交わすことすらできません。だって、選手たちがそこにいるんですもの‥‥」(オーティスが紹介している妻たちの名はすべて仮名である)
それだけでもじゅうぶん苦痛なのに、客室乗務員は妻たちが飛行機に乗るは迷惑だということを、はっきりと態度に出す。「なにかをお願いしただけで、ペプシをトレーにガチャンと置いたり、ディナーを投げつけるみたいにして寄こしたりするのよ」と語ってるのは、妻のひとりロビンである。両者ともに憎しみあっていた。乗務員と何人かの選手が浮気をしているのを知っている、と語っている妻たちもいる。
選手たちはホテルに着くと、自分たちのお楽しみの領域をよりはっきりさせる。多くの場合、妻たちは宿泊先のホテルのバーにいくことを禁じられる。さらには、地元のバー、ディスコ、レストランも立ち入り禁止となる。そういう場所はシーズンごとに変わる。選手たちは立ち入り禁止区域を妻の勘にまかせずに、はっきりと言葉で伝える。妻のいないところで”追っかけの女の子たち”(彼女たちはホテルのバーに行けば選手に会えることを知っている)と仲良くしたり、目撃されることなくガールフレンドを連れて行けたりする安全地帯を求めているからだ。
ことに有名選手に多いのだが、チームのなかであえて目立つ行動をする者もいる。魅力的な追っかけと一緒にいるところをほかの選手に目撃されれば、株が上がるからである。追っかけと火遊びをすることで、夫である前に男であることを――チームの一員であるとこを――示すのだ、とオーティスは語っている。そういう選手たちは仲間選手に目撃されやすいように、あえてホテルのバーで追っかけと会いたがる。
なるべく目立たないようにしなければならないのは、たいてい妻のほうだ。結婚している選手が奥さん以外の女性と会っているのを目撃したときは見ないふりをする、と話す妻は少なくない。エレベーターに乗り合わせた既婚の選手が地元の女性を連れているときは、じっと壁を見つめて”透明人間”になる、と語っている妻もいる。「びっくりしてそのうえ非難がましい顔でもしたら、遠征の途中で帰らなきゃいけなくなるわ。その選手が『おまえの女房は、口をつつしんだほうがいいな』ってわたしの夫にいうでしょうから」とシーラはいう。選手と一緒にいた女性は「面会に来た親戚の女性か、家族ぐるみでつきあっている女友だちか、義理の妹か」のいずれかなんだって必死で信じ込もうとするんです。と語っている妻たちもいる。
もっとも、マスコミに浮気を目撃されたとなると、話は全く違ってくる。そいう場合には、選手は世間の許しを得るために一転して庶民の不倫のルールに従わざるを得なくなる。
《スポーツ・イラストレイテッド》によると、プロバスケットボールのロサンゼルス・レイカーズの花形選手コービー・ブライアントは二〇〇三年の記者会見で、ホテルの一室で一九歳の女性と密会をしたことを認めたさい「涙に喉を詰まらせた」とのことである。「彼の手をぎゅっと握り、その目をじっと見つめている」妻の横で、ブライアントは「今こうしてあなた方を目の前にしながらも、おれは自分にものすごく腹を立てている。不倫の過ちを犯した自分にうんざりしている」と記者団に語った(ちなみにオーティスはプロバスケットボール選手の調査を行ったが、その遠征中のルールは野球選手のそれと似ていたという)。
運動選手のすべてが、おなじようにルールに従っているわけではない。底辺にいる選手たち――年棒の少ない新人、故障があったりスランプに陥ったりしている選手――おそらくいつどうなるかわからない危機感があるために、チーム内のルールを破らないように細心の注意を払うと、オーティスは指摘している。それに比べてスター選手はある程度の自由が認められる。チームのスター選手がいやがるわたしを無視して、ホテルのバーで一杯飲もうとわたしとほかの選手の奥さんを強引に誘ってきた、とある女性が語っている。バーに行くと、セレブの男性に連れてきてもらったとはいえ、「すごく居心地が悪くて、まっすぐ前を向いたままカウンター席に座っていました」と、彼女。
夫たちが隠れて不倫をするのを手助けするような、妻の立場からすれば理不尽なルールに、スポーツ選手の妻たちはどういて従うのだろう?
妻同士で団結して夫の浮気はぜったいに許さないと、なぜ戦わないのだろう?
金銭的な問題がその理由の一つだ。文句をいったりルールを破ったりすれば、チーム内での夫の評判が危険にさらされかねない。遠征に同行する妻たちは働いないのが普通だ。夫の信用を損なうような行為は、そのまま夫婦の生活が成り立ちいかなくなることを意味する。妻のせいで選手が降格あるいはクビになった例をオーティスは挙げていないが、夫の評判に傷をつけたら大変だという恐れがあるために、妻たちは現状に甘んじているようだ。
おしゃべりな奥さんもまた、ペソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)になる危険性がある。選手たちは”淡々としている”との評判がある妻とは打ち解けるが、”口の軽い”との評判がある妻にはよそよそしい態度をとる。おしゃべりな奥さんは家に残しておけ、と選手にプレッシャーをかける場合もある。
遠征に同行できない妻は夫の行動に少なくとも一定の期間は目を光らせることができないし、メジャーリーグの選手たちとの旅という華々しい特権をみすみす手放すことになる。夫が移籍しても、妻たちの評判はついてまわる。「しゃべればしゃべるほど、信用されなくなるのよ。そういうひとがひとりいるだけで、女性はみんなおしゃべりだと思われてしまうから」と妻のひとり、オリヴィアは語っている。「目にしたことを洗いざらいしゃべってしまう奥さんたちは、災いのもとなの。誰もが近づきたがらないわ」
妻たちは女性同士で団結せずに、夫たちの浮気を許すルールを強化するような行動をとる。女同士で集まったとき、遠征中に見たことを口にしないようにたがいに牽制しあうのだ。そのグループ全員に”おしゃべり”の汚名を着せる噂好きの女性がいないとも限らない。また、夫の行動を知りたくないと思っている妻たちもいる。噂話を流した妻にたいして、旦那とうまくいってないことを隠すためにゴシップを流すのだ、とほかの妻たちは噂する。
この性文化の特徴は、妻たちが最初は義務でしたがっていたはずのルールが、いつの間にか、みずからの意思で従うルールになる点にある。妻たちは不倫よくないと思っている一方で、浮気を大目に見るこのルールは本質的によくできていると思うようになる。「選手の不倫現場を目撃しても奥さんは黙っているのが肝心だ、と大多数の妻たちは固く信じている」と、オーティスは語っている。
イギリスには、メディア界にのみ存在するべつの性文化がある
個人的なレベルでは、イギリス人の不倫に対する反応はアメリカ人のそれとほぼかわらない。パートナーへの裏切りは離婚を、そこまでいかなくとも夫婦の危機を招くと考える傾向がある。イギリスの不倫率は経済的に豊かな他の国ちとほとんどおなじだ。
しかしイギリスには、メディア界にのみ存在するべつの性文化がある。その文化において、情事はスポーツとして扱われている。有名人の後ろめたい現場をとらえるのがその競技の内容だ。リポーターは必要となればゴミ箱まであさる。旬の不倫ニュースを報道することに命をかけているタブロイド各紙は、本物の有名人のネタがないときはテレビの実録番組に出ている落ち目の”スター”や、三流の俳優、奇妙な三角関係におちいっている一般人の話まで記事にする。
イギリスの売り上げナンバーワンの日刊紙《サン》が得意とする特集記事の典型例として、
「裏切られたエイミー・ナットール」の苦悩についての記事を紹介しよう。ソープオペラに出演している二一歳の女優エイミーは、共演者でもある元カレの俳優ベンのアパートメントを破壊したと告白している。エイミーに好意的な記者は、エイミーは「ベンがナイトクラブで声を掛けた女性、銀行勤務のジェニー・ウッドコック(19)とカーセックスをしたことを知って、かんかんに怒った」と説明している。エイミーの試練はまだつづき、「ジェニーが新聞でふたりの関係を明らかにし、ベンをろくでもない男と語ったことに耐えなければならなかった」と、《サン》のレポーターは書いている。記事とともに掲載されているのは、茶色のストリングビキニを着たエイミーの写真だ。彼女はいま歌手として新境地を開こうとしている、と記事はつづいている。
ちなみに、ほかの大見出しはというと、「ネズミの徒競走は延々とつづく」のようなおちゃらけたものあり、「整形したヴァギナが人生をめちゃくちゃに」といった突飛なもの(そのタイトルの下に「彼女は自信も新たにヤリまくり――ドゥニーズは彼女の生まれ変わった秘所を、そう‥‥秘密にしておけなかった」と記事が続く)あり、といった調子だ。
いくぶん道徳めいた記事を載せるタブロイド新聞もあるが、読者はおふざけで説教がましいことを書いていることを承知している。真面目な報道はすべて、テレビとごく少数の新聞にまかせられている。読者を飽きさせないために、タブロイド新聞の不倫記事には真偽のほどはわからない”犯罪”のなまなましい詳細が、お気楽な調子で書かれているのである。そして可能な限り、犯人か被害者の水着写真を掲載する。
まるっきりの作り話を”ニュース”として報道するタブロイド紙も少なくない。時事評論家マックス・クリフォードは信憑性の薄い情報の提供者や、売り上げのためなら捏造記事を公表しようとする連中に、はじめて待ったをかけた人物である。《フィナンシャル・タイムズ》でマックス・クリフォードは述べている――「これはほんとの話なんですがね、若い女性がマスコミのターゲットになる人物とクラブに行くわけです。某サッカー選手Xとか、べつのサッカー選手Yとかね。わたしのオフィスには、そういう若い女性からしょっちゅう電話がかかってきます。
『XとYのどちらかの情報を流したいんだけど、どっちが有名かしら?』ってね。なんとも計算高いもんです」紹介者のクリフォードの懐には、新聞社の謝礼の二〇パーセントがはいる仕組みである。
ときにはタブロイド紙の記者が、少なくともゴシップをあつかうときよりは高い次元の目的で事件を追う場合もある。政府高官のスキャンダル報道だ。その目的は政策の改善にあるのではなく、偽善者の化けの皮を剥ぐことにある。ジヨン・メージャーが一九九〇年に首相になったとき、新聞各紙はめったにないチャンスに恵まれた。メージャー率いる保守党が一九九三年に年次党大会を開催したさい、景気後退から国民の目をそらそうと躍起になっていた政府は”原点に立ちもどれ”と呼ばれるキャンペーンを立ち上げた。これは表向き教育制度の改革を提唱するものだったが、そのメッセージの裏には、影の狙いとして、イギリスで弱まりつつあると考えられている家族の絆を復活させたいとの保守党の願いがこめられていた。
タブロイド紙はこの”原点に立ちもどれ”を、保守党の政治家の私生活を覗き見してもよいという意味に受け取った。結果として、セックススキャンダルが矢継ぎ早に明るみになった。スティブン・ミリガン下院議員が、パンティストキングを履きビニール袋を頭にかぶった状態で死んでいるのが発見された。快感を高めるためにあえて呼吸困難な状況をつくって自慰行為をしている最中の事故死であることは、明らかになった。副首相のケースネス伯爵は、元秘書との不倫がきっかけで妻が自殺したことが明るみになって辞任した。現在はゴルフについてのコラムを書いている当時の環境大臣ティム・ヨーは、愛人とのあいだに子どもがいることを認めた。交通大臣スティーブン・モリスには、五人の愛人がいることが発覚。《デイリー・テレグラフ》は人気ドラマ『イエス・ミスター(大臣)』をもじって、「イエス・イエス・イエス・イエス、ミニスター」と報じた。国民文化遺産大臣のデイヴィッド・メラーは、アントニア・デ・サンチャという新人女優を愛人としていたが、彼女の証言が新聞に載ったために辞任した。なんでも、デイヴィッド大臣はお気に入りのサッカーチーム、チェルシーのユニホームをアントニアに着せて、彼女のつま先をしゃぶるのが好きだったそうだ。じきに、保守党は、”原点に立ちもどれ”を”自分の社会的な立場に立ち戻れ”に変えるべきだ、というジョークを国民が口にするようになった。
首相のジョン・メージャーは地味なキャラクターで、世相を風刺するテレビ番組『ほんものそっくり(スピッティグ・イメージ)』で妻のノルマと一緒に豆を食べている全身灰色のそっくりの人形が紹介されたせいもあって、国民から「灰色の男」と呼ばれていた。だが、そんな首相に汚点があることが発覚した。情報の出所は、前保健大臣のエドウィナ・カーリー。一九八〇年代に四年間メージャーと不倫関係にあったころ、彼女はずっと日記をつけていのである。
わたしはロンドンでカーリーに会った。場所はヴィクトリア駅近くのレストラン・イギリスのタブロイド紙とそれを生んだ性文化を教えてもらうのが目的だ。現在五九歳のカーリーは首相のセックススキャンダルの当事者であるばかりでなく、一九九七年に議員の席を失ってから、政治家のセックススキャンドルをテーマにした小説を書く作家として再出発している。カーリーはイギリス女性らしいおだやかさとは無縁だった。大きな茶色の瞳とふさふさした赤毛が特徴の小柄な女性で、歯に衣を着せずに思っていることをずばずばいう。
「慎ましさはイギリス誇るべき美徳のひとつね、まともな人だったら、自分の私生活をあちこちで触れ回ったりしない。ひとたびそんな真似をしたら、マスコミが放っておかないでしょうから、そのさき何週間も追い掛け回されることになるわ。で、自分について自分自身気づかなかったことまで知るようになるのよ」
アメリカ人は指導者を理想化するから、乱れた私生活が発覚すると驚いてしまうのだ。と彼女は語る。イギリス人は権力者たちが間違いを犯すと面白がるし、清廉潔白なイメージの裏には好色な一面もあるはずだと思っている。その予想が外れるとイギリス人はがっかりするのだ、と。
「わたしたちイギリス人の目からすれば、アメリカ人はウブなティーンエージャーみたいな感じね。エネルギー取る気に満ち溢れていて血気盛んだけど、ものの道理を知らなすぎるの。ヨーロッパは成熟しているし洗練されている。余裕があるから、いくぶん淡々としているのよ。だから、イギリスの政治家が『原点に立ちもどれ。家族の絆を見つめなおそう』って声高にいうと、国民たちは『なるほど、その通りですね。それはさておき、この前の日曜日の午後は何をしてたか話してくださいよ』って答えるわけ」
女優やサッカー選手の演出過剰な恋愛話にくらべると、カーリーとメージャーの不倫はとても人間的だ。一九八〇年代、ふたりはともに、いわゆるサッチャー改革のさなかいっせいに当選を果たした保守党の若手下院議員のメンバーだった。ふたりとも貧しい家の出で、党をつねにしきってきた上流階級の子参議員を追いやってリーダーシップをとろとしていた。彼らはおなじ目的をもった共謀者だったのだ。「わたしたちは行動パターンがなんとなく似ていました。だから親しくなったんです」カーリーは語る。
寝室での出来事は最後には公にされるもの
国会議事堂近くのアパートメントで会うとき、メージャーはだれかに呼び止められたときのアリバイとして、いつも茶封筒を手にしていた。カーリーが政界での苦労を夫に愚痴ったとき、夫はだったら辞めればいいといっただけだった。でもメージャーは、おなじ戦場で闘っていた。「強い絆で結ばれていた人間からは、たくさんの励ましと友情と愛を得られるものでしょ」と、カーリーの話によると、一九八八年ふたりの関係はおわった。両者ともに党内で出世をして、カーリーは保健大臣にメージャーは大蔵主席国務相に就任した直後のことだ。カーリーの日記には、成功して彼は変わったと苦しい胸の内がしたためられている。「いつも不安そうにしてて、隠し事があって、自信が欠けていたころの彼が一番良かった。あの頃はいろいろ話をしてくれた。家族のこと、生い立ち、仕事以外のこと、事故であやうく死にかけたこと。心を許した人間にしか語れない深い話を‥‥」
メージャーは一九九〇年に首相になった。そのときカーリーは、恋人関係にあったからではなく、あくまでも彼女の能力を買って、メージャーが自分を大臣に任命してくるだろうと期待した。しかし、声はかからなかった(「わずか一八カ月前まではベッドを共にしていた人を忘れられてしまうのは、とても、とても辛いことだ」)。しばらくしてカーリーは、”原点に立ちもどれ”のあとに相次いだ政界スキャンダルを目の当たりにするが、そのあいだずっと、メージャー自身の”家族の絆”がどれほどなのか問われていることに気づいていた。政府を倒せる立場にカーリーはいたのである。
まさにそのとき、カーリーとメージャーの友愛にもとづいた情事は、タブロイド紙の紙面を飾る特ダネとなった。イギリスの性文化を考えれば、その変容はカーリー本人にとっても避けられないことに思われた。「遅かれ早かれ、話すことになるんだって思っていた。このさき首相になる人物と不倫みたいな大それた関係になったら、自分の胸の内だけしまっておくわけにはいかないって考えるのが普通だもの。いずれ、公にすべき情報として手渡すはずよ」カーリーは保守党とメージャーが力を失い、さらに彼女の最初の夫との離婚が成立するまで時期を待った。二〇〇二年、《タイムズ》がカーリーの日記の抜粋を報道した。この暴露話のおかげで、カーリーは時の人となった。わたしが彼女にインタビューしているあいだ、若い女性たちがテーブルにやってきては、カーリーに「励まされた」と声をかけてきた。
シカゴ市民と同様に、イギリス人は自分がどのような性文化に属しているかよくわかっている。タブロイド新聞によって生み出された性文化は、日常生活の添え物だ。タブロイド紙の性文化のしかれたルールに従おうとする人間はひとりもいない。政治家やテレビの実録番組に出演しているスターはあくまでも例外なのだ。エドウィナ・カーリーがいい例だが、ゴシップ欄に登場する人々は、自分の寝室での出来事は最後には公にされるものと思っているのかもしれない。
アメリカにも、不倫が日常的に話題となってチェックされている討論の場がある。しかしイギリスとはちがって、アメリカではその討論の場が一般庶民の生き方を変えている。それをわたしは、軍事産業複合体ならぬ「結婚産業複合体」と呼んでいる。
つづく
第4章 結婚産業複合体