
パメラ・ドラッカーマン著 佐竹史子訳
「妻の浮気」
「妻の浮気」
エープリルの情事については、参考になることが少なからずある。関係はほぼ二年前におわっていた。二〇年間の結婚生活において、一回きりの不倫だった。職場の部署を変えたから、いまは以前付き合っていた男性の直属の上司ではない。浮気ではなかったと彼女はいう。あれはきわどいメール(「きみのスカートの中を見るのが待ち遠しくてたまらない」といった類のメール)のやりとりと、駐車場やホテルでの密会の一年半だった、と。浮気が始まったのは、結婚生活がうまくいっていないときだった。当時、エープリルとその夫ケヴィンは株取引と事業の失敗で蓄えのほとんどを失っていた。ケヴィンが妻の情事に気づいたとき、それはすでにおわっていた。
しかし二年経ってもまだ、エープリルの不倫は結婚生活に影を落としている。六二歳のケヴィンが、どうしても立ち直れずにいるのだ。ほかの男とも付き合っていたはずだし、四八歳のエープリルがいまだに浮気をしていることもありうると、ケヴィンは思っている。
彼女にそんなチャンスがあるとは考えにくい。浮気の罰として、エープリルが男性と接触することがないようにケヴィンは目を光らせているのだから。外出できるのは仕事に行くときと、ケヴィンと一緒のときだけ。友人と会うことも、甥や姪を泊まりにこさせることもなくなった。
仕事からの帰りが数分でも遅れると。ケヴィンは彼女のケイタイにしだいに恨みがましい内容となっていくメッセージを何度も残す。時間どおりに帰ってきたときでも、きょう言葉を交わした人間をすべて教えろと命令する。妻のバッグを探り、ケイタイの請求書をチェックし、ついさっきまで妻が家のだれと話していたか確認するためにリダイヤルボタンを成り行き任せで押したりする。エープリルの車にテープレコーダーが仕掛けられていることも何度かあった。仕事の行き帰りに、彼女がだれに電話したかを調べるものだった。
「私は別人のようになってしまいました。だれかと言葉を交わすのが怖いんです。男がいるんだろう、ってケヴィンに責められますから」ケヴィンに浮気を知られてからエープリルは三〇キロ近く太り、コレステロール値が二七七になっている。心臓病にかかるリスクがかなり高い数値だ。しかし、自宅の空き部屋においてあるエクササイズで運動しようとすると、「以前痩せたのは、確かあの頃と重なって‥‥」とケヴィンが怪しむんです、とエープリル。かくして、自宅にいるときは九五キロの肉を体にまとって、大抵カウチに寝そべっている。
夫婦が一緒にいるときには――ほとんどいつもそうなのだが――ふたりは浮気をめぐって、身を切られるような”怒鳴りあい”をくりひろげている。ケヴィンはエープリルと愛人の密会をすべてことこまかに探った。自己啓発本を読んで不倫についてさらに学び、グループセラピーに毎週通っている。「夫婦は一〇〇パーセント信頼し合わなければならない。秘密はもってのほかだ」というのが、ケヴィンの信条だ。つい最近、不倫にかんする週末セミナーを受けにナッシュビルまで行って、不倫は親から子へと受け継がられるという知識を仕入れて戻ってきた。そして、エープリルがどんなに否定しても、彼女の親も浮気をしていたに違いないと言い張った。エープリルの浮気相手が黒人だった(ケヴィンとエープリルは白人である)ということも、ケヴィンに一層の打撃をあたえていた。
わたしがケヴィンとエープリル夫婦と食事をしたのは、ランチタイムのバーベキューレストランだった。メイフィス郊外のベッドタウンにある彼らの家の近所にある店だ。周辺の郡の住民は大半が黒人だが、夫婦が住んでいる町はほとんどが白人だった。並木道を行き来する車のバンパーには、「スクラップブッカーが乗っています 奇跡は起こる」といった類の、家族を大事にする敬虔なクリスチャンを思わせるステッカーが貼ってある。地元の人々の年収は、テネシー州住民の平均値の二倍だ。エープリルはそばかすのある柔らかい顔立ちで、赤みがかった長いブロンドの女性。ケヴィンは卵型をした丸顔の男性で、ラジオのアナウンサーのような声の持ち主。わたしが席についてわずか数分で、エープリルは目の前のポークの皿をじっと目を落として泣きだし、ケヴィンはいつものように妻の犯罪を一つひとつ挙げていく。
どうやらわたしは、いいときに彼らに会ったようだ。「ふたりとも、昔ほど泣き叫ぶことがないんです。抗うつ剤を飲んでいますから」と、ケヴィン。ふたりのあいだには、いまだに離婚話がしょっちゅう持ち上がる。しかし、妻の浮気があったからこそ、その前から危機的な状況にあった結婚生活をつづける名目ができたのでは、とわたしは思う。過去のエピソードを語るふたりは、懐かしんでいるようにすら見える。
「きみの写真をめちゃめちゃにした日のこと、覚えている?」ケヴィンがエープリルにきく。それからわたしに説明した。「二階に行って、部屋の真ん中に座り込みました。それで、妻の写真を手にとって、次の瞬間には、写真をばんばんたたきだしていた」
エープリルは戸惑った顔をしている。ケヴィンが話しているのは、彼が結婚式の写真をずたずたに破いたときのことなのか? 結婚式の父親の家に残っている一枚をのぞいて、すべてゴミ箱行きとなった。
そうではなくて、彼女の写真をたまたまそばにあったたて笛で叩いたときのことを、ケヴィンは話しているのだった。「あのときぼくは、思っていることを大声でぶちまけながら立ち上がった。『おまえが憎い。とんでもない女だ。許せない』ってね。それでもがなり散らしながら、写真をばんばん叩いたんだ」
その事件が起きたのはケヴィンが模型飛行機を飾ってある二階の部屋だったが、まさにおなじ場所で、彼が銃を頭に当てて何時間も自殺をほのめかしたことがあった。そのあいだエープリルは、銃をおろしてくれと懇願しつづけた。
エープリルとケヴィンの例は極端かもしれないが、こういったいさかいは多くの面において極めてアメリカ的だ。不倫が終わったあとトラウマが二年続くことも珍しくない。そして、ほかの多くのアメリカ人と同様に、エープリルは自分が”不貞を働いた女”であることを、なかなか受け入れることができない。教会が力をもっている土地で育った彼女は、いつまでも自分のことを、”ごく普通の女”だと思っている。「自分があんなことしただなんて。別の誰かがやったこと、っていう感じなんです」彼女は語っている。「自分が不倫をするタイプだとは、思ったことがないわ」
一九七〇年代以降、アメリカ人はことに性に関する社会問題に寛容になってきている。ホモセクシャル、同棲、離婚、婚外子など私たちは受け入れつつある。現在、ほとんどのアメリカ人は一七歳までに諸体験をするが、二六歳くらいにならないと結婚しない。活発な性生活を送りながらも独身のままでいる時期が、およそ九年間続くのである。
だからこそ、婚外セックスにアメリカ人が以前よりも厳格になっていることが不思議でならない。一九七三年、アメリカ人の七〇パーセントが不倫は「絶対にあってはならない」と語っていた。二〇〇一年には、およそ八〇パーセントが同意見だ、残りのほとんどが「あまりあってはならない」としていた。二〇〇六年のギャラップ世論調査では、道徳的な観点からみて、不倫は一夫一妻制やヒトクローン以上に許し難いとアメリカ人は答えている。
アメリカ人のあいだで意見が分かれるトピックは多いが、こと不倫にかんしては奇妙までに意見が一致している。ケヴィンとエープリルは、バイブルベッドに住む共和主義者だ。とはいえ、彼らの不倫にたいする考えは、ニューヨークの進歩主義者のそれとほぼおなじだ――ちなみに、銃に対する考えも同じだが。宗教とはほとんど無縁のアメリカ人でさえも、不倫の話題になるととたんに感情的になる。
「不倫したら、かならず罪の意識に悩まされると思うわ。周囲のひとすべてを傷つけることだもの。自分も含めてね」と語るのは、三二歳の典型的なリベラリストの女性だ。彼女はニューヨークスタイルのファシリテーション友人に囲まれている。「不倫は不誠実だし、不誠実な行いは、さらなる不誠実を生み出すのよ。自分はうまくやれるってどんなに思ってても、不倫はひとを蝕んでいくんだわ」
不倫をしているアメリカ人たちはみんなエープリルと同様に、自分は浮気をするような人間ではないと決まってわたしに言う。何をいまさらという気がしないではないが、彼らを責めることはできない。アメリカ人が婚外セックスにこれほど厳しい目を向けることを思えば、不倫をする人々は道を誤った普通の人間ではなく、ほかの人間とはまったく異なった犯罪者ということになるのだから。同僚と恋に落ちるのと、不信心者とのレッテルを貼られるのとでは、天と地ほどの差がある。
不倫が大目に見られたり、勧められたりさえする特殊な環境もある
シーズン中のスポーツチームや法律事務所である。因習にとらわれないことを自負する進歩主義たちは、浮気のジョークを飛ばしたり、一夫一妻制がはたしてうまく機能するかどうか口にしたりすることが多い。とはいえ、不倫の汚名はダメージがあまりにも大きいから、いつまでも通人ぶって澄ました顔をしているわけにもいかない。身近な人間が浮気をしていた場合は、とくにそうだ。
マンハッタンのアッパーウエストサイドで、私はあるビジネスマンをインタビューした。場所は彼の家に近いビストロ。彼は二〇年以上にわたる結婚生活のあいだずっと妻に忠実だった。よそでのセックスに心惹かれるとのことだが、その話になると見るからに不安そうな顔をする。
そこそこに出世している友人グループのなかで不倫をしている人間はほとんどいないから、「もしそういうことがあったら、『おまえは普通じゃない』と除け者にされて、いくぶん面倒なことになります」。夫婦共稼ぎの結婚生活が脅かされるだろうし、同じくらい大きな問題として「子どもたちにどう思われるか」というのもある。
そのビジネスマンの知り合いに不倫をしている者が数人いて、常習犯とのことだ。彼らは自分の精力絶倫ぶりをひけらかして遊んでいるが、そのビジネスマンの目にはどう見ても人格障害のように映る。「そういう人間に会ってみればいいですよ。連中はどこか破綻している。セックスがどうのこうのというより、常軌を逸している。あれはもう喜劇です」と、ビジネスマン。浮気はまた、アメリカの最下層階級とのよからぬ繋がりを暗示している。最下層階級の人々は、生活に秩序をもたらす方法や規律を知らない。不倫をする連中や最下層階級の人々と付き合ったら、社会的なダメージを招くかもしれない。「ぼくは不倫をする人間というレッテルを貼られたくないのです。スティタスを築くのに、なんの得にもなりませんから」と、ビジネスマン。
アメリカ人は、伴侶への忠誠を守っているというオーラを発することでスティタスを得る。それは、よき親、誠実な従業員、信頼できる店主であることの証しであり、良識のあるほかの人々とおなじ価値観を持っていることの表われなのだ。マイアミに住む医師の妻は、本音を言えば夫がほかの誰かと関係をもってもまったく気にならないという。週一回の夜のお勤めをしないですむのだから、むしろありがたいわ。でも、浮気で夫の評判が傷ついたらショックを受けるでしょうね。私はもちろん、夫婦ぐるみで付き合っている友人たちも、妻への忠誠を守る生活をずっと幸せにつづけていく男性だと夫のことをみなしているから。もし夫が浮気したら、彼が周囲をずっと欺いてきたような、だれもが夫のことを実はそれほど知らなかったような感じがするわ。
アメリカにおいて不倫のエピソードは道徳的な見地から語られ――ちょっとよそ見したけれど――一夫一妻制の安全地帯にもどった、という結末になるのが常だ。四〇代以降の女性を対象にした有名誌《モア》に寄稿しているベッツィーという女性は、かかりつけの整骨医にときめいている自分に気づき、夫以外の男性の裸を想像したつぎの瞬間やましい気分になった。じきに彼女は、自分の女性の友人たちにもよその男性にときめいていることを知った。写真家の友人などは、プールの監視員と一回だけ関係を持ったことさえある。しかしその友人は、「後悔しているわ。最初は、あれこれ空想するだけの微笑ましいものだったのに、とんでもないことになってしまって。どうかしていたのね。だれにもばれなかったけど、なによりも、なによりもこんな自分にショックを受けているの」と語ったという。
不倫はベッツィーの道徳観にはあまりも重く、想像すらできないものだった。問題の整骨医とどこかへ逃げてしまうかと思ったこともあるが、「車のなかに、あたしの子どもと彼の子ども、両方を乗せていたこともよくあってね。そばに置いていないと、子どもに何があるかわからないから」とのことだった。つぎの診察のとき、たがいに魅力を感じていることをベッツィーと整骨医は認めあったが、「こういうのは決していいことじゃない」ということで即座に意見が一致した。二人の恋は始まることなく終わったが、恋をしたことで心に張りができたし仕事のスランプから抜けだせたと、彼女はポジティブに考えている。「戯れのないまま、安全な生活にもどるのよ。いくぶんやましい気分は残るけど、悪にそまった人間じゃないわ」彼女はしめくくった。
専門家による新聞の相談コーナーや、メンバーの助言を仰ぐオンラインフォーラムに離婚女性の相談が載っていた。その女性は現在すばらしい男性と付き合っているのだが、ある晩、女の友だちと飲みに行ったとき、別の男性にお酒をおごられたという。「そろそろお開きってところにはかなり酔ってて、そのひととキスしたように思う。ごく軽いキスだったはず。でも、たしかじゃない。あまり覚えていないから。で、いまはすごく落ち込んでて、自分にうんざりしてる。あれはほんとのわたしじゃない。あんなことはもう二度と、ぜったいに、ぜったいにしない! カレに打ち明けるべき? どうすればいい? わたしみたいな女は、あのひとにふさわしくないような気がする。アドバイスを心より待っています」
アメリカ以外の国の教養ある中産階級の人々が不倫に対して全く違う見解をもっていることを知らなかったら、いま述べたような不倫に対する考え方はごく普通のものだとわたしは思ったかもしれない。アメリカ人の思考パターンに首をかしげる外国人は多い。不倫が発覚したときのヒステリックな喧嘩、すぐに持ち上がる離婚話、結婚カウンセリングの救いの力にたいする信頼、さらには、夫婦生活をつづけるには互いに正直であることがもっとも大切であるという考えさえも、外国人には理解できない。彼らがことさら面白がるのは、アメリカ人が見事にやってのけるジギル博士とハイド氏さながらの芸当だ。アメリカでは、不倫をしていた人間が一転して不倫問題の教祖に生まれ変わり、自伝を出版して不倫の危機をいかに”生き延びる”かを説くのである。違っているのは、不倫の後日談だけではない。アメリカ以外の国では、人々はそれぞれ独自の考えを持っている。だれと不倫をするか。不倫のカップルは互いにどのような義務を負っているか。関係をどのように清算するべきかについてすら、独自の考えをもっているのだ。
不倫は法律のない秘密の領域といえる。その領域においては、人それぞれ自分なりの判断で行動するかを決める。実際、情事にもルールはある。わたしたちアメリカ人はあちこちに情報を求め、情事の顛末やゴシップからルールを学ぶ。いずれにせよ、ルールを決めるさいの参考となる話は、なにが”普通”かをはっきりさせ、長い結婚生活のあいだに起こってもおかしくない出来事を具体的に語っている。もちろん、人生はルールどおりにはいかない。あえてルールを破る人もいる。肝心なのは、だれもがルールの内容を知っていて、そのルールに照らし合わせたとき自分の行動がどこに位置しているかわかっている、ということなのだ。
「話をちょっと聞くだけで、大体のことがわかるわね」伴侶の浮気を知った人を対象にした電話相談を行っている、カリフォルニア在住のペギー・ヴォーンはいう。「細かい話は聞きたくない。だって、それぞれの情事がどんなに違っていても、相談者の心の状態は簡単に予想がつくから。つぎのセリフが、読めてしまうんですよ」
アメリカ的な不倫劇を、わたしたちアメリカ人はよく知っている。そのシナリオのひとつに、不倫している男性は妻とうまくいっていないと愛人に言わなければならない、というのがある。ぼくはけがわらしい浮気者じゃない、自分にふさわしい愛や思いやりをごく普通に求めているか弱い男なのだ、というわけだ。取材を通じて知ったことだが、中国の男性は愛人の前でしょっちゅう妻を褒める。女性を尊敬していることを証明し、不倫はあくまで不倫であることをはっきりさせるためだ。
人間がいだく様々な感情は、住んでいる地域に関係なく同じものかもしれない。しかし、ある特定の場面に遭遇した時どのような感情を抱くかは、その人間の文化的背景によって異なる。浮気をしていることに罪の意識を覚えますかと日本のある既婚女性に質問したとき、彼女は戸惑った顔をした。わたしは何度もその質問を繰り返す羽目になった。家族への責任はちゃんと果たしているから、罪の意識を感じたことは一度もない、というのが彼女の答えだった。二重生活を送っている問題を解決するためにセラピーを受けたことがあるかという質問に、あるフランス人男性はたじろいだ。のちに愛人となる女性と出逢った直後、その男性はようやく幸せになれたからセラピー通いをやめていた。
もちろん、万国共通のものもある。浮気に寛容なはずの国であっても、国民のほとんどはパートナーの不倫を知ると深く傷つく。しかし、それ以外の細かい部分は国によってさまざまだ。現在つきあっているパートナーとしかセックスしない関係は、恋人同士がたがいに言葉で確かめあってはじめて成立する、というのはアメリカ都市部でのデートのルールだが、アメリカ以外の国でその”話し合い”の話題をもちだすと、人々はきまって困った顔をした。アメリカ人は交際相手がいてもインターネットのサイトに載せた恋人募集記事をそのままにしておくが、外国人はその事実におどろく。「二人の関係について話し合わない限り、自分は相手にとって唯一の恋人だと思ってはいけません」と、あるコラムニストが結婚相談のウェブサイトで警告している。
話し合うときは、「ざっくばらんに話し合いましょうといった朗らかな口調で、自分の気持ちを伝えるように」。
アメリカ人は何人かの恋人候補と同時に付き合ってもまったく問題ない比較検討の期間が設けられている
アメリカ風の”デート”文化を受け入れている文化はあまりない。アメリカでは、複数の恋人候補と付き合う期間が他の国に比べて長い傾向がある。さらに、ほかの国の人々は、交際相手との関係が深まった出来事に注意を払うことはあっても、それをふたりで話し合うことはあまりない。フランスの哲学者ベルナール・レビは、ワシントンDCの飛行機で列に並んでいるとき、自分たちがまだ交際しているだけなのか、それても”特別な関係”に進展したのかについて若いカップルが話し合っているのを耳にした、と書いている。「交際そのもの、つまりじきに特別な関係となるものが、カップルから切り離されて別のものとして一人歩きする現象は、フランスではぜったいに起こりえない」と彼は述べている。
話し合いがすんだあとでも、アメリカ人は頻?にほかの人間とつきあう(その頻度は、既婚者の浮気よりも断然高い)。男女ともに、一〇年、ときには二〇年にわたって、だれがパートナーにふさわしいか多くの候補者を秤にかける。ようやくひとりの人間に落ち着いて結婚を決意する男女は、自らゴールラインを引くのである。一方、不倫のルールはそれとはまったく逆である。パートナー選びの情け容赦ない期間にある程度の浮気は認められているが、いざ結婚すると、わたしたちはパートナーに絶対の忠誠を求めるのだ。女性たちは「『夫がほんとうにわたしを愛しているなら、ほかの女性の体というか胸を見ても、ピクリとも反応しないはずだ』と考えます。レストランで夫がほかの女性を見ると、激怒するんです」と、結婚を推進する団体をワシントンDCで主宰しているダイアン・ソーレは述べている。「わたしたちアメリカ人はあまりにもロマンティックなのです。ロマンティックなルールを少しでも乱すものがあると、それが離婚の原因となってしまうのです」
それほどまでに監視が徹底していて罪悪視されているのに、どうしてアメリカの既婚者は不倫をするのだろうか? もうひとつのルールがあるから、というのがその答えだ。表向きのルールでは、不倫はぜったいに悪いこととされている。これは、世論調査の質問にたいする回答のようなものだ。実のところ、不倫をするとき、ひとはもうひとつのルール、いうならば裏のルールに従う。社会学者のジェームズ・ファレが指摘しているように、どんな文化にも、不実を働いても仕方ないとだれもが認めるシナリオが必ずあるのだ。
アメリカでは、申し分のない結婚は単なる理想ではなく、権利と見なされている。ニュージャージーに住むヘッジファンドのマネジャーは、美しいが退屈な二番目の妻を捨てて愛人と一緒になろうとしていたが、子犬のような表情をうかべて、「ぼくは幸せになりたいんです」と私に語った。幸福もしくは真実の追及は、アメリカ人が情事を正当化して浮気のやましさを克服するときに持ち出すシナリオとして、もっともよく見られるものだ。
パートナーを裏切るときに必要なのは、だれもが納得するシナリオだけではない。それらのシナリオを演じる舞台もまた、必要とされる。男女が友人付き合いをしてふたりきりの時間をすごすことが許されるのか? 夫と妻は余暇を一緒に過ごさなければならないのか? ベビーシッターは簡単に雇えるのか? 家はどのくらいの大きさか? 私がモスクワにいるとき家族心理学者が語ってくれたことが、多くのロシア人は部屋がふたつしかないアパーメントに住んでいるという。ひとつは若夫婦とその子どもの部屋、もうひとつには夫婦どちらかの両親が住む。「若夫婦はまったくセックスができません‥‥そういう家庭にとって、不倫は両親と頻?に喧嘩をするよりはましな選択、ということになりえるのです」と、心理学者はいった。
アメリカのセラピストは、また別の問題を取り上げている。不倫を探り当てることが何年にもわたって結婚生活の目的となってしまう、という問題である。伴侶にたいする長年におよぶ執拗なまでの疑心――そのあいだ、ほかのことは一切どうでもよくなってしまう――に捕らわれる人は多い、と専門家たちはいう。
その捕らわれから抜け出せない人々もいる。二五年前、ニールは奥さんが病院に運ばれたという電話を受けた。上司に殴られたのが原因だったが、痴話げんかをしたらしい。当時三〇代後半で、ボルティモアの非営利団体で副代表を務めていたニールは、上司と妻の間に何かがあったに違いないと思った。真相を突き止めようとした彼は本人が言うところの”狂気のさた”の悪環境におちいり、いまでもそこから抜け出せないという。
わたしは現在六四歳になるニールは、メンフィス郊外の教会で会った。彼は顎がたくましい、長身の上品な男性だった。バスケットボールが好きで、孫ともよく遊ぶという。しかし、奥さんの浮気の詳細を語るときにはおだやかな物腰が消えて、その高貴な顔を思い切りゆがめている。
「この一件を何度も考えずにすむ日には、一日も、ほんとに一日もないんです。それも、ちょっと気になったけどすぐにまたほかのことに集中できる、というわけではないんです。そう。常に背中がチクチク痛むって感じ。痛みはけっして消えません」
妻の浮気によって生じた痛みがこれほどまでに長引いている
ことに、ニールは驚いている。彼は知的な男性だ。妻の浮気以外にも傷ついたり屈辱感を味わったことは何度かあるが、すべて水に流してきた。わたしも不思議だった。たしかに、伴侶の裏切りは悲しく屈辱的でおぞましいことだろう。しかし、アメリカ各地でインタビューを行ったとき、人々はみなニールとおなじように、自分は心に傷を負って悲しみに暮れているだけではないと、わたしは何度もくりかえした。そうではなく、これまでの人生観が崩壊してしまったのだ、と。「過去をうばい去られてしまったわ」と裏切られた側のひとりが語っている。「なにが本当で、なにが嘘なのか、わからなくなったのよ」
アメリカ夫婦家族療法協会は、「伴侶に裏切られたひとの反応は、大災害の被害者がかかる心的外傷後ストレス障害の症状に似ている」と警告している。すべてが崩れ去るこの感覚を説明するのに、ひとはひどく極端なたとえ話をする。シアトル近郊に住む四〇代の女性は、「浮気を知ったときは、九.一一みたいな感じでした。ビルが上からだんだん崩壊していくみたいな」と語っている。伴侶の浮気に悩む人々のウェブサイトに書き込みをした女性は、夫の浮気を知った時の心境を二五万の命を奪った二〇〇四年のアジアの津波に例えている。
「すっかり動揺して、このまま気が狂うのではと思う女性も多くいます」マイアミで夫婦カウンセリングをしているジョー・アン・レーダーマンは、地震の相談コラムに書いている。「実際、神経系統と認知能力に変調をきたす場合もあります」以前ある女性患者がレーダーマンに「子どもがなくなったよりも辛かった。あのときは、ドクターたちがやれるだけのことをしてくれたのだと納得できましたから。一番の親友であるはずの夫が、わたしを苦悩と悲しみのどん底に突き落とすことになるなんて、夢にも思わなかった」と語ったとのことである。
パートナーとしか性交渉をしない一夫一妻制はアメリカ人のDNAに組み込まれている
一七世紀にアメリカに植民地を建設したピューリタンは、ご存知のように、姦通罪をさまざまな場所で公開の鞭打ち刑に処し、ときには死に至らしめていた。有罪となった姦通者は、A(ときにはAD)の文字を”いちばん上に着る服の外側”につけることを命じられたが、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』の主人公ヘスタ・プリンの場合とはちがい、文字の色まで特定されることは普通なかった。ピューリタンは不倫の定義を聖書に求めたが、そこに姦通者として挙げられているのは結婚あるいは婚約している女性と、その相手のみである。よその女性と関係した既婚男性は、姦通罪よりも軽い私通(正式に夫婦でない男女が関係を持つこと)の罪に問われただけだった。
一八世紀にはいって、イギリス人は自分たち本国に住む者と植民地開拓者は親子のような関係にあるとして、自分たちの支配を正当化した。そのたとえに開拓者はひどく気分を害し、両者はむしろ夫と妻のようなもので、イギリスとの関係は自由意志によるものだと主張した。
アメリカが独立を果たすと、指導者たちはあたらしい共和国をかがける理念のシンボルとして、ふたたび結婚を利用するようになった。ハーバード大学の歴史学者ナンシー・コットはそれについて、洞察に満ちた著書『国家のための結婚』で取り上げている。アメリカの創設者たちにとって、結婚は政治的自由のシンボルだった、とナンシーは語っている。夫と妻それぞれが自由意志によって相手への義務を負い、ふたりの関係から利益を得る。もちろん、創設者たちの頭にあったのは、男女の結びつきではなかった。一夫一妻制で、死がふたりをわかつまで性的な忠誠を守りつづける、キリスト教精神にのっちった結びつきのみを正式な結婚と見なしていたのだ。
結婚は単なるシンボルではなかった。創設者たちはまた、結婚した人間は立派な市民になると考えていた。植民地時代にはイギリス国王がなんでも決めていたために、個人の言動はそれほど問題にならなかった。しかし議会民主主義においては、アメリカ市民ひとりひとりの選択が国を特徴づけていくはずだ。国力とおそらくは国の存続そのみのが、市民の健全な道徳意識にかかっていた。人民が腐敗し堕落しているならば、彼らが選ぶ指導者も同類だろう、ということになるのである。
創設者たちは、市民が羽目をはずすことのない秩序立った社会をつくるべく、結婚を推奨した。妻は夫の荒々しい衝動をうまくおさめるだろうし、夫はすぐれた判断力で妻を正しい方向に導くはずだと、考えたのだ。当時の政治哲学者は、結婚は公共利益のために献身的に働くように人民を導くものである、と書き記している。その考えは一般誌にまで浸透し、愛ある信頼にもとづいた関係の利点を誌上で謳った。大統領の家族はアメリカのよき家庭の手本として紹介された。
初期の議員たちは、なにごとも成り行きまかせはしなかった。結婚を望まないアメリカ市民は、禁欲を余儀なくされた。婚姻法の制定は州政府に任せられていたが、私通、男色、不倫など婚姻以外でのありとあらゆる性交渉が禁止されたのだ。”姦通”(他人の配偶者と関係すること)、”誘惑”(人妻をそそのかすこと)、”愛情移転”(配偶者の一方の愛情を第三者に向ける、配偶者権にたいする侵害)、などの犯罪は、罰金に科せられた。妻の肉体は夫に帰属すると法律で定められていたために、以上のような行為は夫に対する犯罪だった。それでも市民が婚外セックスに走るのを食い止めるために、一九世紀にはほとんどの州が妊娠中絶を禁止し、連邦政府は”不道徳な”内容の郵便物を送ることを違法としたが、それはとうぜん避妊の情報も含まれていた、とナンシー・コットは述べている。
しかし二〇世紀にはいるころには、多くのアメリカ人が厳格すぎる道徳観にうんざりしていた。いずれにせよ避妊の方法は普及してきており、西欧諸国の女性たちが婦人参政権運動を起こし、フロイトが人間の行動の源は性衝動であると論じていた。女性は性に関して受け身一方だとする考えが古いものとなり、女性たちは満足のいくセックスは幸福な結婚生活の条件の一つだと思うようになった。
国益の守り手である裁判官たちは、以上のような性にたいする大らかな姿勢を警戒した。刑事犯としての不倫の刑期を五年に延ばし、さらに徹底して、不倫を起訴する民事法を制定する州もあった。しかし、社会の風潮を元に戻すことはできなかった。一九二〇年に女性は参政権を獲得し、妻は夫の所有物であるとする法律のほとんどは廃止された。
二〇世紀の半ばになると、政府は国民の私生活の取り締まりをゆるめた。一九六〇年、アメリカ食品医薬品局がピルの販売を承認した。一九七三年、連邦最高裁所が中絶禁止の州法を撤廃した。そして、もっとも画期的な進歩として、一九六九年から八〇年代のなかごろにかけて、すべての州が無責離婚を認める法案を採択した。つまり、幸せでないという理由だけで、結婚を解消することができるようになったのだ。自分で稼げる女性がますます増えて、不倫のような罪を犯した夫をお払い箱にできるようになった。その前の世代の女性だったら、おそらく黙認していた罪である。国民一〇〇〇人当たりの離婚率は一九六七年には二・六人だったが、一九七九年には五・三人に跳ね上がった(その後は、下がっている)いつ子どもをつくるか、もしくはつくるかつくらないか、結婚をつづけるべきかどうかなどの決定は個人にゆだねられ、国が干渉することは大幅に減った。
出産と結婚が個人の問題になっていくにつれ、不倫もあらたなシンボリックリンクな意味合いをもつようになった
婚外セックスが国の運命を左右するものではなく、個々の家族と人生に影響を及ぼすものとして浮かび上がってきたのだ。アメリカ人は不倫問題に気を揉むのはやめなかった。
それどころか、より厳しい目を向けるようになった。不倫はそれ以外のありとあらゆる悪事が一気に生じてくる可能性のある、はじめの一歩の犯罪だとひきつづき見なされた。とはいえ以前とはちがい、この悪事は国家ではなく、不倫をする者の家族や人生に影響を与えると考えられた。不倫は事実上、私的なものとなったのである。姦通罪はほとんどの州において法律書からはずされ、おもに文化的な遺産として残ったのだ。
浮気は破滅に至る坂道だという発想は、ハリウッド映画でよくみられる筋書きだ。主人公が浮気をすると、情事の代償として、つまり不倫が不幸をもたらす確かな証拠として、だれかが死ななければならない(必ずしも浮気した本人とはかぎらないが)。二〇〇二年公開の映画『運命の女』は、フランスのある映画を大幅に作りかえたリメイク版だが、劇中、郊外に住むある主婦が街で偶然出逢った男性と激しい恋に落ちる(その主婦はヒロイン役なので、もともと浮気願望はない)。アメリカ人向けにつくられた場面で、ヒロインの友人たちがヒロインの浮気相手であるセクシーなフランス男性をあれこれ品定めするシーンがある。友人たちはふたりの関係を知らない。ひとりの友人が、もし彼がその気になってくれたら、「すぐにでもベッドの横になるわ」という。陶芸教室に通うのとおなじ感覚で、いい気分転換になるセックスができそうだ、と。
するともうひとりの友人が、浮気はそれほど単純なものではないと警告する。「始まりはいつもこんな感じなのよね。で、じきに何かが起こる。出逢いがあったり、恋に落ちたりする。それで悲惨な結末を迎える。いつだってそうよ」
ヒロインの夫は有能なビジネスマンにしてよき父だが、ほどなくして妻の浮気を知り、相手のフランス人を殺害する。夫と妻はもとのさやにおさまるが、犯罪の発覚にこの先ずっと怯えて生きていくことは明らかだ。なにもかも打ち明けたい衝動に負けてしまうこともありうる。どっちみち妻の情事は、おだやかな安定した人生を取り返しのつかないほど破滅してしまったのだ。
インターネットのチャットにも、似たようなメッセージが見られる。ある女性がすごく気が合い既婚男性と肉体関係を持つかもしれないと書くと、一時の快楽を求めると人生が台無しになるとの回答がどっと返ってくる(回答者のなかには、自分自身も不倫をしている者もいる)。
「愛人の立場に甘んじる覚悟はできているの? ほんとによく考えた? 一年後。二年後、五年後、十年後の自分の姿を想像してご覧なさい。不倫はこの先の人生を、間違いなく絶対に台無しにするわ。後ろ指さされながらも、胸を張って生きていかなきゃいけないのよ‥‥。大嫌いな人とに対してだって、不倫だけはやめとけって私は言うわ」さらにべつの回答には数年間、地獄を見る羽目に。これはあなた自身だけじゃなく、あなたの家族も巻き込む問題なんですから」とあった。
ビル・クリントン大統領の「不倫」弾劾裁判である
一九九八年、アメリカは不倫劇をおそらくかつないほど大掛かりな公の場で取り上げた。ビル・クリントン大統領の弾劾裁判である。クリントンを激しく非難した共和党の議員は、ホワイトハウスの二一歳の研究生モニカ・ルインスキーとの密通容疑でクリントンを裁くのではない、と慎重に言葉を選んで語った。大統領のほんとうの犯罪とは、アメリカにおいて浮気と対を成すものとして考えられている恥ずべき行為だった。つまり?をつくことである。この嫌疑を立証するために、調査官たちは四四五ページにわたる”スター報告書”を作成し、一九九五年の一一月に政府機能が一部停止されていたさいにはじめてクリントンがモニカを口説いたときから、大統領執務室内の”事務室を出たところにある窓がない通路”での数回の密会にいたるまで、ふたりのあいだに一〇回の性的な接触があったとした。
“スター報告書”の登場人物と筋書きは、アメリカの不倫劇そのものだった。ルイスキーは妻の座を奪い取ろうとしている愛人で、クリントンは愛人の体目当てで彼女に期待を持たせる妻帯者だ。報告書は以下のように記している。「クリントン大統領は、ホワイトハウスを去ったあと妻とまだ結婚しているかどうかわからない、とモニカに打ち明けた。ほんとうのところ、と彼はいった。『いまから四年後にここを出たとき、何が起こるかはだれにも、わからないさ』」
スター報告書には、愛人のありふれた嘆きも紹介されている。ルイスキーの友人曰く「ルインスキーがわたしに嘘をつくつもりだったら、『彼はしょっちゅう電話をくれるのよ。大切にしてくれるの。わたしに会うのが待ちきれないんですって』と言っていたでしょう…‥。話を脚色していたはずです。要するに『電話をくれるっていったから、週末はずっと家で待っていた。何もしないでね。でも電話はこなかった。そのあと二週間、電話をくれなかった』とは言わないはずです」
クリントンの親友で弁護士のバーノン・ジョーダンの証言によると、あまり電話もくれないし会ってもくれないとルインスキーがクリントンをなじったとき、「彼はミズ・ルインスキーに、アメリカ大統領は”自由世界のリーダー”であり、ないがしろにできないさまざまな義務があるということを、わからせなければならないと感じていた」とのことだった。クリントンのルインスキーにたいする興味が薄れはじめると、彼女は愛人の常套手段に出る。それなりの手当てをもらって縁を切るために、ふたりの関係をばらすとやんわりとおどしたのである。彼女の求めたのは、ニューヨークでの就職口だった。
クリントンを擁護する民主党の議員ですら、自分たちは正しい倫理観をもっていることを示すのに神経を使った。民主党の古参の議員、ウェストバージニア州のロバート・バード上院議員は、クリントンの行いを「嘆かわしいこと」だといった。クリントンの弁護士のひとりは下院司法委員に、大統領のルインスキーとの情事は「道徳的に許されざることだ」と述べた。ありきたりの不倫劇とは見事に違う展開を見せてアメリカ国民をあっといわせたのは、唯一クリントンの妻ヒラリーが彼を見捨てなかったことだった。ワシントンの結婚問題のエキスパート、ダイアン・ソーレは以下のようにいっている――審理が行われているあいだジャーナリストたちが電話をかけてきて、クリントンの結婚がなぜ破局しなかったか教えてほしいと尋ねてきました。
クリントンを激しく非難した共和党の議員たちは、不倫は個人的な問題であるという覚書を受け取っていなかったらしい。彼は国民に、男女の密通を国家の安定を脅かす行為という昔どおりの道徳観で扱うように促した。大統領に裏切られたと知って悲しがっている小学生の手紙を手に、テレビカメラの前に立った議員も数人いた。「国民と築き上げてきた信頼関係を大統領がこわしたとしたら、彼はもはや信頼することはできない。行政機関の長としての大統領はわが国の代表という大任をおっているのだから、アメリカという国もまた信頼することはできない、ということになる」と、弾劾裁判で司法委員長をつとめたイリノイ州の共和党の議員ヘンリー・ハイドは語った。
しかしハイドは自分の身の上のこととなると、不倫は個人的な問題となりつつあるということを、忘れていなかった。一九九八年にサロン・ドットコムが、六〇年代後半ハイドが五年間不倫をつづけていたことを暴露した。相手はシェリー・スノッドグラスという名の子持ちの若い女性だった。ハイド氏――不倫をしていた当時すでに結婚しており、四人の子持ちだった――はその報道を受けて、「わたしの若気の過ちは、もうとっくに時効となっております。シェリー・スノッドグラスとは、はるか昔によき友だちだった、とだけ申しておきましょう」と釈明した。ハイド氏が不倫を始めたのは、四一歳のときだった。
ほとんどのアメリカ人は、情事は私的な罪であると当時すでに考えていた。クリントンへの弾劾をアメリカ下院が可決した直後にCNNとギャラップが行った世論調査によると、クリントンへの支持率は一〇ポイント上昇して、過去最高の七三パーセントとなった。一方、共和党への支持率は一二ポイント下がって三一パーセントだった。
クリントンはより現代的なこの成り行きを、婚外セックスの罪をあがなう指針としてかしこく利用した。ひょっとしたらクリントンは、アメリカ夫婦家族療法協会がすすめる方法を実践したのかもしれない。というか、実際に実践したというべきかもしれない。この協会のウェブサイトには以下のような説明が載っている。「浮気をしたひとが信頼を回復するためには、浮気相手の名前や、密会や性交渉の詳細など、伴侶が知りたがることはどんな細かいことでも隠し立てせずに洗いざらい話す必要があります」さらに、浮気した人間は「不倫の責任は身をもって引き受けなければなりません。伴侶、個人的な問題や内面的な問題、仕事のプレッシャーなどのせいにしてはならないのです」としている。
クリントンがとったのは、まさに以上のアドバイスどおりの行動だった。まず否認するのをやめて、情事を認めた。それから、スター報告書が発表される前に、支援者に謝罪するために全国を回った。「今回の事件の責任はほかの誰でもないわたしにある。自業自得です」とフロリダ州のオークランドでの演説で語った。連邦議会の民主党員たちはその告白のあと間もなく、議会開会中にクリントンとの会見に招集されたが、彼らはそこで精神的な落ち着きを得たようだった。
深い悔恨にとらわれたひとりの人間が、深い後悔と自責の念と自分に対する怒りをわたしたち全員にはっきりと示すのを、私たちは見た」と、ある議員がのちに報道関係者に語った。「家族にした仕打ちを語る彼は、本当に辛そうだった」スター報告書が細部にわたって暴き出したスキャンダルは、皮肉なことにアメリカ国民と大統領との和解に一役買ったようである。
浮気を絶対にしない人間がよき医師、よき共同経営者、よき市民、よき大統領になるという証拠は実際にはない
同様に、婚外セックスをする人間は浮気をしない人に比べて、金をより頻?に使い込み、犯罪をおかして嘘をついたりすることが多く、悪人である場合が多い、という証拠もない。わたしたちの知る限り、会社の株価とその会社のCEOの女性関係とのあいだに相関関係を見出したひとはひとりもいない。パートナーへの裏切りは人格的な欠陥や不正行為と同じだとする考えは正しいのかもしれないが、証明されたことはない。愛人がいてなおかつ不正を行った大統領もいるにはいるが、愛人がいたけれど善政を行った大統領もまた存在したし、いなかったけれど不正を行った大統領もいたのだ。
とはいうものの、アメリカ人は不倫問題にひどく動揺する傾向があるので、浮気は人生を大きく狂わせるようだ。ケヴィンとエープリルに会ってから数か月後、わたしはその後どうなったか知りたくて彼らに電話をした。電話に出たエープリルは、家にひとりでいるとのことだった。かなり厄介なことになっています、と彼女。実際、彼女の人生は映画の教訓さながらに、にっちもさっちもいかなくなっていた。いつものようにエープリルのバッグを探っていたケヴィンが、彼女のかつての愛人ジョンからのメールをプリンアウトした紙を見つけてしまったのだ。ジョンのメールには家庭の問題で悩んでいる、こんど会って話ができないだろうかと書いてあった。もう隠すようなことは何もないと思って、そのプリントアウトをバッグに入れっぱなしにしてたんです、とエープリル。
それが単なるうっかりミスだったのか、それとも夫への挑発行為だったのか、詳しくことはわからない。いずれにせよ、エープリルの話によると、そのメールを読んだケヴィンは銃を手にして、これからジヨンの家に行くといった。そして、黒人への差別語をさかんに口にした。家を出る際にケヴィンはエープリルの腕を強くつかみ、けがを負わせた。彼がガレージまで行くか行かないかで、エープリルは警察に電話をした。警官が駆けつけてケヴィンを捕らえ、彼は何時間か留置所で過ごした。
エープリルとケヴィンは今の時点ですでに法律専門家に一五万ドルを支払っているが、ケヴィンの弁護士は、メールをはじめとしてエープリルの不倫を立証する文書の掲示を求め、ケヴィンに有利になる証拠を集めている。訴訟の手続きはまだ数ヶ月はかかりそうだ。エープリルの話によると、家にいるときのケヴィンはこれといってなにもせずに、もう二度と平安は戻ってこないかもしれないと嘆いてばかりいるとのことだ。「この二、三週間、ようやくわかってきたんです。わたしだけが悪いのではないって」と、エープリル。
以上のような顛末と、自分の浮気がふたりの生活にいまだにダメージを与えていることによほど動揺しているのか、エープリルはそれまで隠していた事実を口にした――ケヴィンと彼女も最初は不倫の関係だったのだ。ケヴィンがかつて私に語った話によれば、エープリルとは最初は職場のただの同僚で、交際が始まったのは二番目の妻と別れた直後だったはずだった。ケヴィンもまた、男女関係にかんして嘘をついているのである。
「妻とは別れるってずっといっていました」エープリルは語る。「そんな感じで、三年くらい不倫のかんけいにあったんです」ケヴィンの妻と母親が、エープリルに会いに来たことがあった。「扉をばんばん叩いて、この泥棒猫って怒鳴っていました」エープリルの話によると、ケヴィンは最初の妻と離婚する前から二番目の妻と交際していた。
あなただって同じことをしていたでしょうとエープリルは指摘しても、妻の裏切りにたいするケヴィンの病的なこだわりは軽減しなかった。「ぼくはきみを本気で愛していたのだから、きみの浮気とは違うって夫はいうんです。だからいってやりました。『そうね。でもわたしと知り合う前はべつのひとを愛していたんでしょ』って」エープリルは語っている。「わたしが彼にあたえた仕打ちから、ケヴィンは学んだそうです。で、前の奥さんたちにはほんとに申し訳ないことをしたって言っています」
つづく
第2章 嘘、真っ赤な嘘、そして不倫