湯山玲子・上野千鶴子
ラン・ランに見た日本の近代文化史
湯山 2012年の1月、ウィーン楽友協会ホールで、父のコンサートが開催されたんですよ。ウィーン側が「湯山昭ナイト」を企画してくれたんです。クラッシックの世界では、歴然としたヒエラルキーが構造としてありますから、ウィーン楽友協会と言えばクラッシック界のトップ中のトップというほどの存在。なので、結構な快挙ではあったんです。
上野 クラッシック音楽の「家元」みたいなものよね。
湯山 そうそう、うちの父親はこともあろうに石原慎太郎とは高校の同級生でして、戦後、それこそ紙鍵盤からのし上がって作曲家になったという人なんです。それだけに、クラッシック音楽の聖地で自分のコンサート、しかもあちら側の招聘(しょうへい)で開かれたことで、「俺は未練もない、もう思い残すことは何もない」みたいになってましたよ。
上野 観客席は埋まったの?
湯山 チケットはソールドアウト。そういうところが、ウィーンの音楽ファンの凄さだと思うんですが、拍手もブラボーもかかって、新聞の批評もすごく良く書かれていたそうです。
上野 あなたも一緒に行って、親孝行してきたのね。
湯山 たまたま、年末のヨーロッパ行きと重なってた。それでね、クラッシック音楽の最高権威の中で自分の曲が流れたことへの父親の無邪気な喜びよう見て、考えるところがあったわけなんです。それは、言うまでもないのですが、ヨーロッパの文化であるクラッシック音楽に帰依(きえ)し、ワールドワイドなスキルと音楽言語を得たからこそ、ここに呼んでもらえたんだなということ。つまり、あちら側の解釈眼から外れてないからなんだな、と。改めて思った。
上野 あなたのお父様の作品って、和の旋律も入っているんじゃないの?
湯山 オリエンタリリズムもうまく使っていますね。でも、それはニュアンスのみで基本は彼の特色のカラフルな和声とメロディはフランス近代のクラッシックに影響を受けていて、やっぱり西洋の枠組みのものなんです。
上野 クラシックって世襲も多いのですが、彼はそうじゃない。ある種の天才だとおもうんですが、進駐軍のラジオの音楽や、家にあった蓄音機でシャブリエの『スペイン狂詩曲』などを耳で聴いて育ち、東京音楽学校(東京藝術大学音楽部の前身)に入学、という人です。でね、ここでアンチテーゼとして、現代人気ピアニストを例にあげたい。ラン・ランという中国のピアニストです。
上野 このところ、名前をよく聞くわね。
湯山 これがとてつもない男で、彼が弾くショパンは…‥、はっきり言って京劇にしか見えない(笑)。
上野 西欧音楽を中国化しちゃっているんだ。
湯山 そう、完全に。クラシックの技術は一朝一夕には身につきませんから、バシバシにエリート教育を受けた人だと思います。演奏者の出目でそのプレイの個性を形容するのって、あまりにも安直なので、聴く側もなるべくそこらへんを割り引いて聴こうと思うんだけど、そんな思惑なんてぶち壊してくれる。すごくわかりやすい解釈で、信じられないくらい猛スピード。世界の流行である超絶技巧で、『英雄ポロネーズ』を弾くだから。「チャーンチャラーン、チャララララララ♪」って目をむいて。その空中のハンドポーズの間がとてつもなく京劇。思わずドラを打ちたくなる(笑)。
上野 あははは、笑えるね。ピアノの詩人がピアノの京劇になったなんて。
湯山 そう、日本人ならばこの解釈は絶対にしない。日本って、ずっと欧米に追いつけ追い越せできましたじゃないですか。クラッシックでも、ヨーロッパの本場を忠実にお手本にする。
上野 優等生だから。
湯山 クラッシックではアナリーゼ、つまりその音楽の背景を含めた音譜の読み、分析をするわけですが、ラン・ランにとっては「俺には俺のやり方がある」てなもんですよ。
上野 それをやったら邪道になるから、普通は破門になるよね。
湯山 いや、実際、彼、中国ではいろいろあって、それで一家でアメリカに行って、大成功しちゃった。
上野 超絶技巧があるから潰されなかったのね。
湯山 それともう一つ、今の時代、聴く人の耳も変わってて、オーディオ向きになってるんですよ。ユーチューブやDVDの世界ですから、見せ場が大きいのが受けるとか。コマーシャル化もしてるし。
上野 それは面白い。グレン・グールドが売れたのだって、複製芸術の時代になったからだもんね。最初に聴くのがナマ音じゃない時代なんだな。なるほど。
湯山 落語でも、林家三平師匠が客席で芸は大きすぎるほどざっぱくだ、とバカにされていたのが、テレビの時代が来て人気者になった。それと同じですね。古典って、時代に合わせて生き延びなきゃいけない宿命があるんです。翻ってラン・ランは、今までのカードを全部剥(は)いじゃった。ショパンもポーランドの歴史もそこにはなくて、あるのは中国の『三国志』(笑)。
上野 いくつぐらいの人?
湯山 1982年生まれだから、30歳ぐらいです。
上野 一人っ子政策が始まったあとね。その年齢で、京劇的伝統が身体化されているの? 中国のエリートで英才教育を受けていたら。伝統から切れてるかもしれないのに。映画『さらば、わが愛/霸王別姫』でも描かれてたけど、文革の世代か。京劇は復活してましたね。
湯山 そうなんですよ。文革直後の中国って、反動で京劇のような伝統が国策的に強化されたから、その頃の子どもかもしれません。また、ハリウッド映画やゲームの世界では『三国志』系が受けていて、そうした追い風もある。とにかくラン・ランを見るだに、うちの父親がクラシックの本場に招かれて感動した姿に、切なさを感じると言いますか‥‥(笑)。
上野 日本の近代史の現実ね。お父さまが生きてきたのはそういう時代であり、世代なのよ。でも、その世代を通過したから、あなたがいるんじゃない。欧米に文化的なコンプレックスを持たずにぶっ飛ばせる世代がさ。
湯山 いや、私の世代でも、日本のクラッシック界の若者でもダメで、やっぱり、中国とラン・ラン‥‥。
上野 私も、親父はプロテスタントの耶蘇教徒で、北陸の土着を逃げ出したくてしょうがなかった人なのね。その母親、つまり私の祖母は敬虔なる真宗門徒という家系。
湯山 ウチと構造は似ていますね。父方の祖母は小学校の先生という当時のキャリアウーマンで、こちらは断然、和の文化が大好きだった人です。私をよく歌舞伎座に連れて行ってくれました。ひいおじいちゃんは、平塚の自宅に舞台を作って、シロウト義太夫やっていた。
上野 だから、あなたは洋モノ一辺倒じゃないのね。うちの場合は、父親が私を日曜学校に連れていき、バアさんはお寺に連れていき‥‥。孫は両方に行くわけですよ。
湯山 バイリンガルですね。
上野 「あれ? 浄土真宗とキリスト教ちゅうのは似ているもんだな」とか思ったりしてね。親父は結局、長男でマザコンだから、自分が否定したものから抜けきれなかったんだけど、私はそれを傍(かたわ)らで見て育ったから、「おお、そうか」と気づくこともあった。両方の世界が見られるのよ、三代目というのは。
滅びゆく種族になるのか、「好奇心」と「遊び」を味方にすねか
湯山 ラン・ランに関しては、私もクラッシック音楽のセオリーを見知っている方なので、まったく好きなピアノではないのですよ。坂本龍一さんもそう言っていましたね。そういえば、そのラン・ランが、結婚の試金石になっちゃったカップルの話を聞いた。男性は大のクラシック好き、女はピアノを弾いている若い女の子という年の差カップルだったのが、彼女がラン・ランの大ファンとしり、男が結婚を取りやめちゃった(笑)。
上野 最初にショパンを聴くのがラン・ランという世代なんて、理解不能だったんだ。
湯山 そう、いい、悪いは別なんですよ。
上野 私だって、最初はバッハの『フランス組曲』を聴いたのはクールドだから、それと比べてそれ以前のバッハを聴くと、「あれ?」と思う。そう言う世代が次に育った、育っちゃうのよ。
湯山 それに音楽って、コンピュータミュージシャンと打ち込みのリズムになってから、周りにあるのが楽器や歌じゃなく。電子音になったでしょ。ピコピコ音世代が育ってる。
上野 最初に初音(はつね)ミクを聴くような人たちね。それを聴いて育っちゃうと、人間の声に違和感を持つかも。
湯山 ボーカロイドですね。文化は人と時代についてくるものなんで、しょうがないですよ。思うに、「ラン・ランはイヤだ」と結婚を辞めた男には、二重の敗北があるんです。まず、従来の歴史と正統性ありきのクラシック芸術オーラをよしとする自分の価値観を否定された。そして、量とパワーとスピードで全部ぶちかまし、すごくわかりやすいもの、機能主義に徹して突き進んでるニューパワーに負けている。それが、ま、男としてはイヤだった、とも考えられる。
上野 文化マッチョね。お手上げして、彼女に腹を見せて、「君の好きなようにしていいよ」としたら、楽しい人生が待っていたかもしれないのに。
湯山 そう、ラン・ランも許容しないことには(笑)。今後、中国との関係において、ランメラン的なものがいっぱい出てくると思いますよ。
上野 滅びゆく種族の側に身を置く選択を、彼はしたわけだ。
湯山 上野さんは、文化的にどっちですか?
上野 どちらかと言えば、滅びていく側ね。例えば、今、NPOでウェブ事業をやっていても、ネットアクセスの度に敷居を越さなきゃという「構え」があって、身体化されていないことがわかる。同じ理由で、テレビが媒体として広がったときも、自分はテレビには向かないと思った。だからテレビには原則でないし、見せない。活字の世界で生きて来たから、活字文化だけで生き延びていこうと思ったけど、時代の先を読むのは早い方だから、印刷メディアも滅びゆくものだとわかってた。活字文化を身体化する人々は、その集団の高齢化とともに、やがて絶えるでしょう。私の寿命が尽きるまでは印刷メディアの時代は続くだろうから、一緒に死んでいこう、とね。
湯山 上野さんは楽しみにしている「高齢者のセクシャリティ」の研究も、未知への好奇心ですね。
上野 そうね。あらためて、「この人、えらいな」と思ったのは、瀬戸内寂聴(じゃくちょう)さん。最近、『婦人公論』で対談したんだけど、言うことがやっぱりすごかった。例えば、「橋下さんは、市長になってから変わたわね」とか。
湯山 つまり、その変化をずっと見ている。
上野 そう、フォローしてる。寂聴さん、毎日、新聞を5紙、読んでるんだって。私も橋下のことは前から見てて、ずっと気に入らないんだけど、彼女は「前はああじゃなかったけど、最近、言うことが変わって、自信過剰になったわね」とすっと言う。
湯山 自力で情報を得て、自分の思考や判断をまったく止めていないということですね。
上野 あの好奇心、生きるポテンシャルは、持って生まれたものかもしれない。それって、欲でもあり、業でもある。いろいろある欲の中で、寂聴さんは性欲はお絶ちになったようだけど、食欲と表現欲は絶っておられない。ああいう姿をみていたら、見事な老いだと思う。あなたも、パワーのポテンシャルが高い人ね。
湯山 自分の心が動くものについては、「知りたい」という欲は強いです。
上野 未知のものに触れたい、驚きたいと欲しているのは、体の姿勢でわかる。湯山さん、体が前のめりなっている感があるもん(笑)。こういう人には年齢は関係ない。
湯山 前のめりなのは、このタイコ腹のせいでもある(笑)。好奇心に似てるんですが、「遊び」という感覚も、私はサバイバルのツールとして挙げておきたいですね。上野さん、「予測誤差があるほど快楽の刺激は強い」とおっしゃいましたが(第六章参照)、私、今まで生きてきた中で、何も成し遂げてないものの、唯一言えるのは、遊び続けていること。リアル充と非リア充の両方取りという特質も、とにかく遊びたかったからなんですよ。
上野 湯山さんを見てて、とっても羨ましく妬(ねた)ましいのは、そこ。あなた、今、死んだって、遊び足りたって顔して死ぬるでしょ、私は遊び足りていないのよ。
湯山 それはしょうがないでしょ。だって、学者やってるんだもん(笑)。
上野 学問は究極の極道、なんですけどね。
「村の外人戦略」というサバイバルテクニック
湯山 結局、未知への好奇心もそうだし、自分が当たり前だと思ってしまうところのちょっと先に、ステキな予測誤差が待っていることを忘れない態度と考え方が、現代をより良く生き抜くのに必要なんじゃないでしょうか。
上野 予測誤差を求める生き方って、誤差の範囲が読めずに至るところで頭を打ったり、自爆もする。だって、予測誤差を求めずに安全圏に留まろうとする態度のほうが、ノーマルな社会なんだから、周囲の人とコードが合わなければ、こっちがKYになるか、周りが固まるかのどちらかになる。そういう経験ない? 私はけっこう、いっぱい自爆したし、頭を打ったし、叩かれましたよ。石も飛んでくるし、痛い目にも遭いますわな。それが予測誤差の学習コストなんですけど。授業料はたくさん払いました。
湯山 私の今までは、予測の質を高め、それほどの悪口を言われない砦を作った半生だったかもしれない。セコイけど。
上野 どうやって?
湯山 ファッションや見た目を武器に使ったり。自由をどう確保するかって重要じゃないですか。例えば年齢の縛りから解放されたり、「規定外」でいることの自由や自分の居場所を、どうやったらこの閉鎖的な社会でできるだけ快適に生きていけるかに知恵を絞ってきましたよ。
上野 組織でも会社員としてやれてたんだものね。
湯山 ある程度大きい組織なら治外法権もあるんですよ。「まれびと」みたいな位置取りで。
上野 キャリアカウンセラーの福沢恵子さんが名付けた「ムラの外人戦略」ね。
湯山 そう、ガイジンになった。あとは、文化の力や、ほかの階層やステータスを持ち込んだり。横並びの文化の中に、偏差をうまく利用して使った感じはしますね。
上野 ファッションもその記号として使ったわけか。
湯山 大いに使えますよ、ファッションは。最近、つくづく思うのは、コムデギャルソンという世界ブランドは、昔からモノ言う、自立した女がこの実社会でどう「外人戦略」できるかというときにホントに効力を発する。これ、外国に行って、アート系の列強欧米白人と相対するときにも万能。だから、世界を代表する女流建築家の妹島(せじま)和世もギャルソンで固めてるわけです。
上野 見た目で差別化するわけね。私は逆の戦略だった。その昔はボディコンを着て、髪はレイヤード。その前はオカッパのお嬢さまカットだった。だまってすっといると、わりと品良く見えるの。処女のごときに(笑)。
湯山 そんなもの誰が信用するんですか(笑)。でも、上野さんのスレンダーな身体とガーリーな声、そして品のある語り口はとっても素敵ですよね。初めてお目にかかったとき、不思議なセクシーさがあると思いましたもん。
上野 いやいや、黙ってるとそのへんのお嬢さまには見えたけど、しゃべるとえぐいことを言うから(笑)。でも、30代のある時期は、「日本人形みたいなあの人は」と言われてた。私も女装してそのパフォーマンスをしてたんだよ。
湯山 ケンゾーが好きだった頃ですね。
上野 講演に呼ばれたら、芸能人ファッションで行ったこともある。「あなたたちと違うんですから」という外人戦略でさ。でもその結果、女子短大時代の同僚に、「上野センセイの言うことって、よ〜く聞くとまともなんですね」って、何年も経ってから言われたの。「ムラの外人」をやっていると、治外法権にはなるけど、相手もしてもらえない。
湯山 そこが難しいところなんですが、でも、今の時代、その”治内”のほうがダメダメになっちゃって、治外を生きる人のノウハウを知りたがっている感はある。
上野 あなたは、相手を黙らせるだけのものを持っていたのよね。
湯山 いやいや、本物のオヤジが黙るには権威と実力がもっと備わってないとダメですよ。ただ、勝間和代じゃないけど、グローバルパワーの申し子であるカネを回せるという実務部分では、まあ、長年真面目にやってきたので、仕事のできない既得権益者を黙らせることはできるかも。
上野 強者の戦略ね。この本の読者のみなさんが、「そんな能力も体力もない私はどうすればいいの」ってことになるかも。
湯山 能力や才能よりも、人に軽く見られたり、頭を押さえつけられたときに、どれだけ感情を沸騰するかですね。その感情さえ生まれれば、何とかなる。私の場合育った家庭環境が、常時サバイバルモードでしたから。
上野 ほとんど被虐待児みたいじゃない。
湯山 いや、ホントに、たまに実家に帰っても、ジジイとババアになって、より狡猾(こうかつ)にエネルギッシュになった父母のせいで、まったくリラックスできないし(笑)。
上野 被虐待児の育ち方について、うまく説明をしている心理学者がいる。「つねにものすごい逆風を受けて育つ」って。ほら、逆風を受けると、風圧に抗して前のめりになるでしょ。そうすると、風圧と体の角度が拮抗してバランスをとるような姿勢が、自分の常態になる。だから、無風のところに行くと、風圧がなくってつんのめる。わかりやすい比喩よね。
湯山 わははは。いつも忙しくて、量をこなしてよく皆さんにパワフルだと言われるのは、それぐらいで、あの両親と同じぐらいの風圧なわけだ(笑)。
上野 被虐待児がもらったギフトは「逆風に耐える力」なのよ。だから、無風や風の穏やかなところには適応できない。そこは私も似てる。しかも私は風が来ないと、わざわざ逆風を自分から招いてた。逆風が来ると、「おお、来た、来たー」とドーパミンが出て、目がキラキラする。困った性格だわ。だって、周囲にははた迷惑だから。
湯山 私たちがたまたま前のめりだっただけで、みんながみんな私みたいじゃなくてもいい。周囲には、エレガントなユーモアがあって優しい女たちがいっぱいいますからね。
上野 穏やかな家庭で育った人は、それ自体が素晴らしいギフトよね。私たちの場合は、ファイティングポーズでいないと生き延びられない家庭で育ったギフトってことよ。
上野千鶴子式「省エネ殺法」
湯山 今は生きるのにハードな時代に突入したのに、のほほん時代のモードをまだまだ皆残そうとしている。そのギャップのストレスもあるのか、逆風を嫌悪しますよね。逆風が少し吹いただけで大騒ぎしたりする。
上野 逆風に慣れていると、心も折れにくいのだよ。
湯山 たしかに。自分の例で言えば、折れかかったとしても、何の力を借りてでも元に戻る。いや、実は何度も折れているんですよ。でも、一回仕事上で大失敗で寝込んだことがあって、そのどん底地点でとどまっていられない自分というのがあったな。
上野 何十年とそうやって生き延びてきたから、それが身体化してるんだね。
湯山 小さい逆風でも、吹き始めの音からわかりますよ。それで、早めに対処しようとする。
上野 そう? 私はワクワクする(笑)。でもさ、戦うにしても、自分のスキルが通用する場所としない場所があるでしょう。例えば、会社という組織で戦うのが得意な人もいれば、組織の外で戦う得意な人もいる。自分が一番戦いやすいホームグランドを選ぶのは賢いと思う。モードの合わない戦い方や場所って、エネルギーを消耗するから。あなたは横並びの中に違う文化資本を持ち込んで戦えたのも、ぴあという情報文化事業産業にいたから。違う業種だったら、自分の文化資本を活かすのは難しかったんじゃない?
湯山 文化的な素養や教養が、価値を生む職種ではありましたね。とはいえ、情報誌のDANは文化コンテンツを内容やセンスではなく、徹底してモノを扱うところにあるんで、私のこの文化資本はあんまり会社には役に立てなかった。社員の多くは、文化コンプレックスが強いゆえに、文化をカネに換算するリアリズムに酔っているようなところもあるし。まあ、若い頃はよくケンカをふっかけられましたね。それに応戦は絶対していた。フェミニズムだって、そうじゃないですか?
上野 私は「省エネ殺法」をテクとして使ってた。あなたほどエネルギーがないから。相手を蹴散らかすのに自分のなけなしのエネルギーを使い果たしたら、やりたいことをやろうと思ったときに残っていなかったりすると、困るでしょ。だから、立ちはだかる壁を迂回したり、エネルギーをムダ使いしないようにもした。
湯山 学術の世界って、東大を頂点にする”ザッツ男社会”ですからね。
上野 迂回って言っても、彼らが使う男と言葉はちゃんと学習したし、使う以上スキルは身につけた。どっちみち逆風は吹いてくるから、潰されないだけのものを持って置こうと思ったのょ。私が入った業界は完全に一元尺度の世界だったから、どうしても彼らの言語を同等に習得し、同じリングの上で戦わなきゃならなかった。それで論争に強くなり、「ケンカに強い」と言われてしまったわけだけどね。
湯山 逆にそういった一元尺度というルールがあるだけでいいですよね。私、上野さんが浅田彰さんと対談されているのを読んで、うまいところを突くな、ケンカが強いと思いましたよ。
上野 へ? 記憶にありましぇん。それはきっと何度か自爆した後に学習したんですよ。省エネ殺法で学習したのはね。相手と直接対決しないということ。教理問答ってあるでしょ。
湯山 キリスト教の神学か何かの問答ですか? 論争術では最強という。
上野 あの教理問答ってさ、一方が他方に論破されることはまずない、すべての教理がそれなりに整合性と一貫性があるからね。じゃあ、何が違うのかというと、両者のパフォーマンスなの。つまり、見世物。
湯山 「朝まで生テレビ!」みたいな、公開討論と言うことですね。
上野 相手を論破することが目的ではなくて、聴衆をどちらにつけるかという競争。省エネ殺法もそれと同じで、オヤジを撃沈する代わりに、おちょくって、バカに見せるというパフォーマンスをするためだった。ところが、これやると、根に持たれるのよ。
湯山 わかるな―。それは男の生命線ですからね。実社会ではそのフォローアップが本当に大変。
上野 それに、男社会で同等に戦ってきた女には、「ミイラ取りがミイラ」になるヤバさもある。
湯山 男以上に男社会の論理を学習し、体現するバターン。そういう女性はそろそろ大企業の中に出てきましたね。
女化することに新天地を見つけ始めた男たち
湯山 『新潮45』という雑誌から、「女になりたい男たち」というテーマで原稿を依頼されたんですよ。今、そういう男たちが増えてるらしいです。
上野 そうなんだ。その男たちの心は?
湯山 恥も外聞もなく心のままに素直にギャーッて泣きわめいたり、本音で生きられる、それが許されるところに、男がある種の新天地を見つけているんだそうで。まあ、私が見たところエポックは、長野オリンピックの中継でお茶の間に流された、ジャンプの原田雅彦選手のものすごい大泣きですね。「船木〜、船木〜」と次のジャンパーの名前を呼びながらワンワン泣いてたという。それまで存在していた男の涙は恥だというモラルがそのときの感動的な優勝で、「男のワンワン泣きはオーケー」となった。結局、武士道もノブレス・オブリージュもそうなんですが、男の理性って、公に対して自分の感情を抑えるという美徳だったのに、その生き方が全然おいしくないと男たちが思うようになっちゃった。だって、傍らで女たちは本音で楽しく気楽にやってる。いろんなことを諦めれば、楽しくやれるんじゃないかという新天地を、女に見出してるというわけです。
上野 そりゃ結構な話ね。そんなら男から降りてよって言いたい。
湯山 降り始めている人はいますよね。簡単に会社を辞めちゃって、男社会から降りてる人。
上野 原子力ムラみたいに、既得権益集団からは降りていないでしょう。
湯山 若い世代を中心に、ラクなほうがいいとなし崩しに雪解けしている気がしますし、年上のオヤジ世代でも早期退職してカレー屋を始めたり、第二の人生を始めようとする人が多くなっている。それこそ自分の本来の才能、好きなことをしてカネも付いてくる生き方に本気で価値を見出し始める。昔と違って、「株式会社」も比較的簡単に起こせますからね。ネットオークションなんかで月に30万円稼いで、あとは何の責任もないほうがいいというふうに、リアルに言ってますよ。
上野 その人たちは、実際にやってるわけ?
湯山 はい。だんだん増えてきているし、トレンドにもなってきている。
上野 古市憲寿くんもIT系のベンチャー企業をやってるみたいだけど、ホモソーシャルな組織集団に入るのはイヤだという同世代の男がいっぱいいると言ってた。でも、勝負の場である組織に入らなければ、不戦敗にもなるでしょ。
湯山 でも、本当に優秀な人材はどんどん海外に流出しているし、私の知っているいくつかの大会社にしても、まあ、社員による内部改革はほぼ無理だし、利潤追求よりも、組織温存に血道を上げがちなので、組織に入ったとしても、将来的な負けは決定するよ。
上野 この先どうなるかなと思うのは、そういう子たちが増えるのは結構なことだけれど、彼らが降りた土俵のほうだって痛くもかゆくもなく、無傷で残っちゃうのかどうか。それに、才覚のある奴は、土俵のほうからちゃんと引き入れてもらえる。センスのいい子たちは組織に入っていく。そして、あれよあれよと数年のうちに見事に会社化されていく。早いわよ、男の子の変化は。特に東大生はそうね、「あんたがどう会社化するか、何年後かが楽しみだわ〜」とかイヤがらせを言っているんだけど(笑)。
湯山 土俵側はしたたかですよね。男は一週間あれば変わっちゃうんじゃないか?
上野 それは早すぎるかも(笑)。見ていると、だいたい三年ぐらいだね。
異形細胞のススメ「社長になりなさい」
上野 湯山さんも私も、いわば「ムラの外人」になって、生き延びてきたパイオニア・ケースですね。でもこの先、組織の中に入った女たちがどうなるか。「男は会社化するのが早いよね」なんて、お気楽に言ってられないかもしれない。女もやっぱり会社化するんじゃない?
湯山 ミイラ取りがミイラになるパターンですね。実際、いっぱいいますよ。アラフォーから上で、男よりも官僚的なザッツ組織の女。上野さんが指摘する「女の中の分断」があります。
上野 彼女たちに「土俵を割れ」とは言えないでしょ。組織側が土俵に入れてやると言ってるわけだし、「入ってけ」と後押しもされたわけだし。
湯山 アラフォーぐらいから有能な課長が出現しているんだけど、彼女たちの話を聞いてみると、ある優秀なアイデアを実現させるのに足かけ五年。社内調整に莫大な時間とパワーを使っている。そんな力量があったら、とっとと起業して社長をやったほうがいい。ピーチジョンの社長だった野口美佳さんがそれを実証していますよ。彼女は45歳でお祖母ちゃんになったんですが、マリア・テレジアのように子沢山。
上野 40半ばで孫ができたっていうのは、自分の子どもを早めに産んだのね。
湯山 そう。ランジェリーの会社をやって、株を売って、今や資産家でしょう。4人の子どもは全員父親が違うんだけど、子育ては仲のいいゲイの友だちを同居させて、助けてもらってた。彼女が言うには、それができたのは自分が社長で、何事も自身で決められたからだと。組織の中で管理職をやる才能があるんだったら、起業するのもサバイバルモードの方法じゃないでしょうか。
上野 それ、私は「外付けがん細胞説」と呼んでる。または「異形細胞増殖説」ただ、それだと組織は無傷なままで、変わらないんだよね。組織の持っている慣性というのがある。その慣性が政治にも、官僚の社会にも、企業体にも生きている。
湯山 組織って、すべてからく自らの温存に目的もなく向かうんですよね。
上野 原発だって、このまんまやり過ごして既成事実を積み重ねようとしてるしね。
湯山 うやむやにして、風化させる魂胆ですよね。だから、「独立して、社長になれ」というのは、組織の中で苦労してる女たちへの提言ですよ。組織のほうはどうしますかね。アメリカに占領しいもらうとかですね。(笑)。外圧でしか変わらないんじゃないかな。
上野 アメリカの51番目の州だったほうが、良い国になったかもしれないとは、昔から言われてるね。そうしたら、私たち、大統領選の選挙権を持てたんだな。
湯山 よく明治維新を「ニッポン男子が男であった時代」とかって、目をウルウルさせて憧れる男がいますが、あれって大?。ジャーディン・マセソン商会の当時の代表者が利権を取りたいがために、坂本竜馬を使って、開国派に資金投入したからってことで、やっぱり外圧が作用した知恵者がいたんでしょう。
上野 カネと武器ね。ただ、尊皇派と倒幕派の対決は。フランスとイギリスの代理戦争だったところを、うまく泳ぎまわって、どっちらにも分捕られず、列強の対立をうまく利用した知恵者がいたんでしょう。
湯山 ただし、どこの国にも占領されず、一度も植民地化されていないのは、世界史的には、ラッキーだったんじゃないですかね。その中でネオテニーの土壌が育まれたのもラッキーの賜物だった。私も楽しかったですよ、3.11まで。ずーっと子どものままで依存体質でいられて、遊んでいても良かったもん。
上野 そうやって楽しかったって言えるのは、やっぱり心から羨ましいわ(笑)。
湯山 3.11後のいろんな不都合に目を瞑って遊んで生きてた方がラクだと思う気持ち、理解できないことではない。
上野 でも、あなたが福島の避難地域に住んでいたらどうなるよってこと。死ぬまで原発マネーが支えてくれるはずだったのに、その原発のおかげで多くを失い、避難を余儀なくされた。とんでもないことよ。もうネオテニーではいられないよ。
湯山 そのとおり。だから、3.11があってもルールを変えない人たちのことを考えるんですよ。
上野 東電の社長とか?
湯山 いわゆる権力を持った大企業のトップや官僚なんかですね。ただし、ここが本当に不可解なのは、これが例えば、アメリカの金持ち企業家なら、カネがそのまま自分の快楽に素直に使われてわかりやすいんだけど、日本のそういったカネ持ちライフスタイルは凡庸で貧しい。なんでそんなにカネがほしいのかわからない。
上野 日本の場合、サラリーマン社長であって、オーナーじゃないからでしょ。
湯山 そのリーマン社長が、命と引き換えにして保ちたいものって、何なですか?
上野 組織の自己防衛ね。政財官全部が絡み合って、それでずっと回ってきたから、今さら止められない。図体も大きいから、ブレーキを掛けても止まらない。慣性よ。
湯山 そうなると、事態を変えられるのは‥‥革命かテロですか!? 冗談でもそんなことを言う人が最近増えてきたよね。
上野 私は「革命」という妄想が生まれきていた時代の若者だったわけだけと、あのときにしたたかに学んだのは、システムの総取っ替えは、変革のしかたとしてありえないってこと。だから、「異形細胞」になるしかないと思ったのよ。
湯山 ほら、やっぱり、そこにしか希望はないですよ。ガンのワクチンと似ている。ほとんどダメだったけど、ある種の人には、特別に効く。ただし、本当にオッズは低い。
上野 組織の内部変革はものすごく困難だからね。東大を内部から見てても思った。回っているシステムを変える必要が生まれないから、変革の動機づけが生まれない。
湯山 大企業のオヤジたちと飲むと皆、本当に会社に憂えているし、マジメに変えなきゃと言っているの。でも、それがなされたことはない。この愚痴もシステムの一部と考えるとアホらしくなってくる。
上野 微調整はできるけど、組織に自浄能力はないわね。変わるのは外圧と体面によってね。東大のセクハラ対策を作る時がそうだったんだけど、あらゆる分野で日本のNO、1でなければならないというあの集団の思い込みを上手く使うことで、物事が進んだの。「こういうことをやるとみっともないです。こっちのほうがいいですよ」と散々言ったら、その通りになった。だから、ものは使いようなんだね。
湯山 やっぱり喧嘩殺法だな。相手の弱点や思い込みをズバッと突きますね。
上野 大企業を含め、世の中がセクハラ対策に一生懸命になったのは、均等法の改正でセクハラが使用者責任になったからなのよ。少し前までは加害者を守ることが危機管理だったのが、今は加害者を切ることが危機管理になった。
湯山 組織防衛のためであることは、変わらない。けれど、結果はでた。
上野 しかも外圧で変わったのよ。その外圧を変えたのはフェミニズムだけどね。異形細胞の話に戻ると、慣性の大きな組織は内部から変わる動機づけがないから、異形細胞が無視できなくなるほど育って、本体を乗っ取るしか方法はない。でも、展望が見えない。
湯山 否定されて、また肯定された気分なんだけど(笑)。小さい企業でも、能力のある人がポコポコ社長になって、自分の裁量で仕事も人生も歩けるようになれば、組織も無視できなくなりますよ。一つ一つは小さいことでも、数が増えれば、社会全体にその影響は効いてくると思う。家族の在り方も結婚制度も変わるんじゃないですか。まあ、このたびの再稼働反対の大デモぐらいの希望ですが。
上野 目に見えるほど増えたら、無視できなくなるでしょう。
湯谷 異形細胞のライフスタイルがカッコよく見えてくる、というのもポイント。カッコ良いってすごく重要で、3.11で既得権益側がカッコ悪くなっちゃったのは、超ラッキーだと思います。
上野 そのとおりね。テレビの力で、保安院のビジュアル的カッコ悪さも広がったし。
湯山 3.11によるいい変化は、化けの皮が?がれたところですよ。日本人って空気の国民でしょ。それには悪いこともあるけど、プラスに作用すれば、世の空気がガーンと反原発に行くしかなという希望もある。楽観的過ぎます?
上野 どうなるかわかりません。予測誤差が大きいから。まあ、世の中の変化を見届けるために、長生きしましょうよ。
応援団作りとソーシャルネットワーキング
上野 最近、ある中学に呼ばれて話をしてきたんだけど、質疑応答のときに、男の子が私に質問したのね。「上野さんは、どうしてそんなに強くいられるんですか?」と。今まで受けたことのないいい質問で、私も初めて考えた。で、答えた。「それはね、応援団、つまり仲間がいるからです」と。誰でも、応援団になってくれそうな人や、自分が言うことに同意、共感してくれそうな人を嗅ぎ分けてる。
湯山 ホントだ。私もそれは身体化しちゃっていますよ。
上野 よく、友だちと話が合わない、相談したら言下に否定された…‥とかいう悩みを相談してくる人っているけど、それを選んだ相手が悪い。話が合わない人を「友だち」とは呼ばない。「相手を選びなはれ」で終わる質問なのよ(笑)。教師だって、お客さんである学生を選んでいる。
湯山 ここであきらめちゃいけないのは、学校や会社という社会集団以外にもたくさんの「話が合う人」がいるということ。外国人でも体験的に「気が合う人」という人は、たとえ相手が英語を話してもわかる。ノイズ系とかエクスペリメンタル系のコアなアーティストたちの合言葉なんですが、日本で100人のファンでも、世界に行けば2万人ということですから。仲間は嗅ぎ分けて選べ、ですよ。
上野 その男の子には、「そのぐらいの嗅ぎ分けは、キミだってやっているでしょ。だから、応援団になってくれそうな人を見つけて、仲間を作りなさい」とアドバイスしました。自分が攻撃を受けたとき怯(ひる)まずにいられたのは、後ろに応援団が居て、「私は悪くない」と確信を持てたからなんだよね。一人じゃきついよ。そんな話をしたら、その中学校の先生が、「あのお話、本当に良かったです。子どもたちの目が変わりました」とあとで言っていた。
湯山 それ、ツイッター人気を決定的にした理由ですよ。システム自体は何の意思もないし、私も最初は半信半疑でよくわかんなかったんだけど、実地でやり方を見つけていったら、「自分の仲間を作っていく」という生来の行動ができちゃった。「今、地元でラーメン一杯なう」程度の呟きだとフォロワーが増えないけど、次第に私個人のセンスみたいなことを入れて呟やいたら、それは面白がってくれる人がバンバン集まってきたんですよ。
上野 イヤならフォロワーを辞めればいいんだもんね。フォロワーになってくれって、頼んだわけじゃなし。
湯山 そうそう。人って言葉で友だちを増やしていくんじゃないですか。飲み会で知らない人に紹介されたら、「はじめまして」と掴んでいかなきゃいけないわけで、それと同じですよ。
上野 ネットで拡がって、言葉の力がもう一度、復権しました。上野ゼミの学生が以前、遠距離恋愛を卒論のテーマにしたことがある。アメリカ留学中に、太平洋を越えた恋をした男が、二股をかけた。顔がよくて性格のいい大人しい子と、顔はあまりキレイじゃないけど溌剌(はつらつ)とした子と。チャットしたら、大人しい子とは話が続かなかったんだって。
上野 溌剌とした子のほうは、言葉遊びもやるし、打てば響くっていうので、結局、その子の恋愛が続いちゃった。対面関係は最高だと言うけど、次元を落としたネットの世界では、言葉がものを言うんだね。
湯山 言葉って上手下手も含めて、人物そのものですからね。また中でも、短い言葉が力を持つ。
上野 ワンフレーズ・ポリティクスね。あなたの「爆クラ(爆音クラッシック)」もそうだけど、こういうフレーズがパワーを持つ。もちろん、人間には多面性があるから、言葉だけで生きているわけじゃないけど。ネットの世界の風通しの良さは、加入脱退が自由なことね。私が言っている「選択縁」と共通する。
湯山 あと、すごくいいのは、絡んでくる奴を無視できることね。飲み屋で変な奴が絡んできたときに、トイレに行くふりして帰っちゃうのと同じ。まさに様々なコミュニケーションが凝縮されているんですよ。バカにできないですよ、ツイッター。
上野 対話が成り立つのは、双方に合意があるときだけなんだよね。何という情報の民主主義! 素晴らしい。
湯山 ステキな予測誤差も生まれましたよ。私のフォロワーに「屋形船なう」と書いた人がいたんです。「隣の屋形船から、ビートルズの『ヘルタースケルター』が大音量でかかってるが、何だ?」って。これ沢尻エリカの映画『ヘルタースケルター』以前だったんだけど、そのツイートに私、超個人的に反応して、知らない人なんだけどリツイートを付けて、「ノイズの屋形船って、ヤバすぎる云々」と書いたら、相手も「おもしろいスかぁ〜」みたいな感じで返してきて、そのやりとりを見ていた知らない人も加わって、3時間後には「ノイズ屋形船、実地でやりましょう」という遊びができちゃった。それ、楽しくないですか?
上野 本当ね。あなたとこうしてツイッターの話ができるのは、3.11のあとだからなのよ。私も、3.11がキッカケでツイッター始めたから。上野も進化してるのよ(笑)。
湯山 ツイッターやフェイスブックのダイナミズムってすごいだすよね。イスタンブールに行ったときも、若い男の子のウェイターがMacBook Airをいじっている私に「フェイスブックやってるの?」と声を掛けて来て、「僕もやっているから友だちになって!」ってことになり、今でもたまに「How are you doing?」と言う挨拶が来る(笑)。
上野 英語でやり取りしてるの?
湯山 もちろん、そしてまた、カッパドキアからイスタンブールの夜行バスの待ち合わせ場所では、インド人のエンジニアとスウェーデンのすごくキレイな男の子と、なぜだかトヨタの「カンバン方式」について盛り上がったんだけど(笑)、そのインド人とはフェイスブック友だちで次のインド旅行時は彼の家に泊まることになっている。
上野 マルチリンガルでやんの、面倒くさくない?
湯山 まあね。でも、苦手な人は、翻訳ソフトを使えば、けっこう大丈夫。ロシア語でもできましたからね。向こうも日本語の私の書き込みに反応してるから、翻訳ソフトを使ってるんですよ。そういう時代ですね。
上野 へぇ〜。フェイスブックはハードル高いな。ツイッターのほうが参入障害は低いね。
湯山 フェイスブックはどっちかと言うと、基本実名だし、上野さんのことを知ってて賞賛してくれる人が集まるので、ダイナミズムという意味では面白くないかもしれない。ツイッターのほうが予測誤差はすごいから。失礼な人も、いろんなノイズも多くなるけど。
上野 うん、ちゃんと絡みも入ってくる。
湯山 まあ、これを体感できる人とそうでない人とでは、大きな格差ができるかもしれない。
「芸が足りなくて、申し訳ありません」
湯山 『四十路越え!』でも書いたんだけど、これからのサバイバルって、こんな世の中に、リア充を取り戻すための構えと方法論だと思います。それは不安ゆえに手も足も出なくなって、生ながら死んでる人にならない、ということ。もともと日本人ってファンタジーが好きな気質だけど、そこにだけ活路を見出して、どんどんリア充を諦めてるでしょ。韓流やきゃりーぱみゅぱみゅや初音ミクの世界に傾いたりして。あちら側では自由自在に夢を飛ばせますからね。
上野 非リアの世界に傾くってことは、えぐい言い方をすると、オナニストとスートカーの集団になっちゃっうってこと(笑)。『四十路越え!』の反響はどうだった?
湯山 思ったよりも、コレがいいんですよ。特に3.11以降にまた大きくセールスの波が来て、続編も出したという。
上野 「素晴らしいのはわかっているけど、私、とってもついていけません」風の反応はない?
湯山 それがね、想像していたよりもずっと少ないんですよ。『四十路〜』の出版以来、毎月のように女性誌からテキストやら、コメントやらでお呼びがかかって、連載も増えているんだけど、最近の快挙は、『アネキャン』というアラサーのコンサバ女性ターゲットの、王道月刊誌で連載が決まったこと、その恋愛特集に引っ張り出されて、まあ、今、喋っているようなことを容赦なく、叩き付けたんですよ。そうしたら、読者の反応が凄く良かったというので連載が決定した、という。上野さんが学問という共通言語を得たのは、文科系のトップヒエラルキーから大衆まで届く周到な言葉を、ということだったんでしょ。
上野 学問の言語は、スモールサークルの中の業界用語、隠語だから、理解するのは限られた集団。言葉が届くかっていうと、私の本は売れているのは『おひとりさまの老後』であって、『ケアの社会学』じゃない。だから、やっぱり音楽やアートなどの文化の力はすごい。問答無用。翻訳抜きで通じる。どう考えても負けている。
湯山 具体的な経験があったんですか?
上野 「慰安婦」問題の講演に行った先で、私がいろいろ喋ると、「慰安婦って売春婦じゃなかったんですか?」と若者が言うの。どこからその情報を得たかとい聞いたら、「小林よしのりの漫画にそう描いてます」と言うわけ。
湯山 小林よしのり…‥。けっこう若者に読まれているんですよね。
上野 「上野さんの話を聞いて、違うこと言うんだと思った」と言うから、私の本も読んでくれてるかと聞いたら、「上野さんたちのところに、漫画を書ける人はいないんですか?」と言われましたよ。こっちは、「芸が足りなくて、申し訳ありません」恐れ入りました。
湯山 ある意味正しい。それ、重要ですよね。その努力をしたほうがいいかもしれないですよ、本気で。
上野 そうなのよ。「キミたち、がんばって私の本を読んでくれ」じゃないんだよね。同じメッセージでも伝え方によって届き方が違うから、その届き方が芸であって、大切なんだよ。私はそういう芸に敬意を持っているし、特に大衆性のある人にはひれ伏すかないと思っている。私どもの業界なんか、世の中においては本当に一握りでございますから。届けるという意味では、最高の文化は音楽だよね。
湯山 ただね、音楽は感覚なんですよね。だから、小林秀雄が道頓堀を歩いているときに急にモーツァルトが頭の中で流れたりするわけで。その感じを「わかる」かどうかは、リスナーとしての感性を基本としているので、言葉ほど平等ではない。言葉にないものってやはり頼りないし、難しい。グルメ評論もそういうところがありますね。いろんな音楽ジャンルを聴き込んでいくわけよ。あのね、最後の秘境は他人になのよ。心理的に予測誤差を体験するのが恋愛。セックスだけが目的じゃない、心身が伴う遊び。妊娠だの、結婚だの、家族を作るだのというゴールが、もはやない年齢にとっては、最高の遊びですよ。
湯山 最後の秘境は他人。それ、至言です。
上野 そう。別に秘境探検に行かなくたって、他人で秘境体験ができる(笑)。
湯山 そうすると周囲は秘境だらけだ(笑)。だから男を嫌いにならないですね。他者の面白さがあるから。
上野 年の功でさ、男の愚かさも含めてかわいいっていうものもあるじゃない。相手の限界や器の小ささも含めて愛しむ。それが大人の楽しみよ。
湯山 ある!
上野 未熟を愛でる大人の楽しみ。それが老後に待っていますわ。
湯山 しかし、何といっても身体的なハンデが…‥。
上野 何で体をハンデだと思うの?
湯山 いや、やばいでしょ。ダイエット中なんだけど。
上野 恋愛の興味って、人に対する関心でしょ。肉体そのものより、「この人はこの肉体いでいかなる反応をするのか」という関心。
湯山 もうちょっと、体重がね―(笑)。
上野 それもジェンダーの病ね。暗けりゃ、同じよ。それに、湯山さん、フカフカで気持ち良さそうよ。脱がしてみたいわ(笑)。
湯山 この年になると、ゲイがノンケに恋するのと同じぐらいの困難さがあるでしょうね。ノンケにどう手出し、目覚めさせるか。まさしくゲイの恋愛です。
上野 両方の合意がないと、始まらないことだからね。年下が相手なら、体を張って教育するようなものじゃないの?
湯山 どうも先達たちの話を聞くと、そうみたいですね。
上野 あなただったら、どんな教育をするの?
湯山 教育、っていうよりも、彼にとってこの世のものとは思われないほどの世界を美味しく食べさせたり、面白い体験に誘って、抜けられなくしておいたところでも湯山的な教養を移植。ついでにオヤジ化を阻止する(笑)。
上野 オヤジ化の脱洗脳なわけね。
湯山 まあ、口でペラペラ言うだけの理想ですけど…‥。
上野 それを体を張ってやろうというのは、ものすごいパワーのいる仕込みね。私はあなたほど体力とエネルギーポテンシャルがないから、「ヨソで苦労してから出直して来い。あんたを育てる義理も体力もないよ」と思っちゃう。
湯山 けっこう私も、口だけとして有名ですよ(笑)。ただ、その面倒くささと言うのは考えるだにワクワクしますね。面倒くさいことから逃げる人が普通なんでしょうけど、私は、その先の果実を得た経験から太〜い脳の快感回路を持っているほうだと思います。
上野 あなた、ムチャムチャ、人間が好きなんだと思うよ。
気の弱いDNAの持つ主が進言する、「年に一度は旅に出よ」
湯山 上野さんだって、年下の人間を育てることはしてるじゃないですか。
上野 それは教師だから、世間的に面倒くさいと思われるようなことも一応やってます。
湯山 それに、向こう側がすり寄ってくるでしょ。
上野 子どもを産む産まないに関係なく、次世代に対する責任はあると思っているから。前に「女の支配とエゴイズムが子どもに犠牲を強いる」といったけど(第五章参照)、母にならなかった女がエゴイストなんじゃなくて、私たちは母になるほどのエゴイズムを持てなかったわけよ。
湯山 生物学的にもはっきりしてる。二人とも自分のDNAを残していない。つまり、淘汰されたDNAの持ち主。この弱いDNAの持ち主が「次の世代の人たち、ちゃんと生き延びてほしいわね」と心からの愛情を持って語ってるわけです(笑)。
湯山 あ〜、気は強いけど、DNAは弱かった。
上野 年齢差のある人間関係というのは、相手のジェンダーを問わず。こっちと向こうのキャバが試される。単純に経験と情報のストックだけから言ったって。こっちと向こうのキャパには段違があるからね。そうすると、こちらが向こうを理解するようには、向こうはこちらを理解しない。
湯山 そこ! そこ!
上野 人は自分の器に応じた理解力しかないからね。器に応じて、「湯山さんって、こういう人なんですよね」みたいな理解をする。実際にはそこからはみ出した湯山さんもいっぱいいるんだけど。つまり、それによってあちら側の限界が見えているわけね。それが見えた上で、「しょうがいわな。若さっつうのはこんなもんだ」と思えるほどの度量がないと、面倒くさいことはやってられない。
湯山 それとね、年上女が諦めなきゃいけないのは、女の人にありがちな、「私をわかって」という承認欲求。それ、若い男が現実的に満たされるわけがない(笑)。裏切られて当たり前、若い男なんて。恋愛狂の美魔女は、そこを間違っちゃうから、醜いことになる。女から降りない女のヤバさはそこにあります。
上野 キャパ違いの相手に、承認されたいと欲するんだね。年齢を取るとさぁ、承認欲求を供給する側にはなるが、受ける側にはならなくなる。関係の非対称性がある。さらに、こちらが与えるものと、向こうから受け取るものとの間に絶対的な落差があるけど、向こうはそれに気がついてもいない。その全部を受け止める寛大さを、あなたは感じるのね。
湯山 非対称性の苦味は、もはや鮎のハラワタぐらい美味(笑)。
上野 たしかに。苦味も美味に変える力がないと、グルメにはなれない。育ちのいい人、惜しみなく与えられてきた人って、寛大さを、持っているんだよね。
湯山 あの親からは与えてもらっていないけどな―(笑)。
上野 与えられていると思うよ。もちろん育ちだけが、あなたの今を決めているとは思わないけど、私が人を見ていて「この人はチャーミングだな、お友達になれるな」と思うのは、その手の寛大さを持っているかどうか。与えることは大事なんだよ。
湯山 たしかに、与える寛大さがないと、男も女も魅力的じゃない。特に女の人って、テイクテイクかギブアンドテイクのセコさがありますよね。
上野 自分にとって利益になると感じた人としか付き合わないって女もいる。
湯山 そんなことを公然と言い放つ女も少なくない。
上野 ただ、この寛大さを母性と言われたくない。親になろうがなるまいが、年を経て来た人間のある種の責任だから、それを持っている大人と持っていない大人がいる。
湯山 他者との人間的に関わりって、海外に行ったときに顕著にわかるじゃないですか。私、海外に仕事で放り出されたとき、つたない英語で必死になって人にわかってもらおうと思い、交流し、そこでいろんなことを知った。人は功利で動くんじゃなく、その人の魅力を見て、理解し、親切にしてくれる。そうしたコミュニケーションが実際にはたくさんあるんですよ。
上野 そうそう。海外では、まったく無名の人間としてのサバイバルだから。
湯山 だから私は、くすぶっている男女には旅をしろ、と言っている。
上野 肩書を全部外して、付き合うしかないものね。そこで、再び会う可能性のない人たちが、惜しみなく自分に与えてくれるという経験をする。そうすると、自分も同じことを確かにしようと思うよね、やっぱり。
湯山 教育の話をすると、「かわいい子には旅をさせろ」ですね。日本の社会構造の中では学ぶことが無理なので、本当に旅に出てほしい。母国語や空気を読む感覚が全部遮断されたとき、それでもあなたは愛されているかどうか。そして、自分から自分の魅力を伝えて行けるかどうか。日本を出ない人って、赤の他人がバナナをくれるとか、思わぬ親切をしてもらう喜びを知らないでしょうね。
上野 そういう経験も、社会関係資本なのよ。まったく利害のない人との間で、いきなり人間関係を作る能力。
湯山 トルコ一人旅をしたときにね、カッパドキアで私の巨体を持ち上げてくれた男たちがいたんですよ。穴居人の住居があって、「登りたいなぁ」と見ていたら。ある男と目が合って、彼が助けを呼んで、四人がかりで上げてくれた。思えば、至るところで年下の男たちに助けられるなあ(笑)。
上野 湯山がいるかぎり、日本は大丈夫だね。
女の生存術はボーダーレスである
湯山 女ってもともとアナーキーじゃないですか。生家を捨てて、まっさらになって、どこにでも嫁に行ける体質でしょ。だとしたら、外国人と結婚して海外の永住権をとるというのも現実的なサバイバルだと思う。
上野 女の生存術はボーダーレスだから。例えば、敗戦後のパンパンさんたちを復員兵が苦々しい顔で見ていたって話を聞いても、戦いに負けた男を見限って、強い男になびいて何が悪い、と言いたい気分もどこかにある。中学生への講演でも、「日本は泥船です。あなたたち、次の世代に、この泥船を守って欲しいと私は思いません。沈みかけた船からは小動物が一番最初に逃げ出します。逃げたきゃ、いつだって逃げた方がいい」と言ったの。予測誤差に対応して生き延びればいいのであって、世界中どこにいたっていいのよ。日本を支えてくれとか、次の日本の社会の担い手になれとか、余計なお世話ですよ。
湯山 フェミニズムのそこが好きなんですよ。女の子宮はさ、国のものじゃないよ、っての。
上野 どこでもいいって言っても、アフガンニスタンでブルカを被(かぶ)って、あなた、暮らせる?
湯山 行き先には選びませんよ。でも、万が一そんな状況になったとしたら、ブルカとの折り合いをつけてみようかな。私、披露宴で俵萠子さんを出したように、自分で生きやすい環境に変えていくことを慎重に選びたいですね。それに女の人って、「すいませんが」と身を低くして同化しながら居場所を作っていくことも得意じゃないですか。男の人ではそれができる人はあまりいないと思う。
上野 女はどこでも生き延びていく生き物よね。それに比して男の足かせは覇権主義。認知症のお年寄りのシルバーホームでも、男はお互いそっぽを向き合っている。
湯山 わかる気がする。だったら男性こそ、自分がまったくお呼びじゃない、アウェイの理解不能集団の中で折り合いをつける術を意識的に手に入れたほうがいい。それには、どんな世代の人も、海外との温度差や向こうにいる生活の空気を体感したほうがいい。自分に義務を課すように年一回は必ず行くとかして、身体化しないと。身体的に移動の癖をつけないとダメですよ。
上野 イエス、イエス。今はたまたま円高だけど、いつまでも続かないからね。私も特に若い人たちには、体力と暇があるときにはせっかくの円高なんだから、親にカネ借りてでも、時間を先取りして外国に行きなさいと言っています。
湯山 そのとおりですよ。私たちの世代に向けられた呪いの言葉に、「外国に出ていくのは、日本で使いモノにならない奴かいられなくなった奴なんだ。結局、半端者になって帰ってきているじゃないか」だったんです。日本が上り調子のときだったから。私もそれを真に受けてたんだけど、30代で本気に戻った。今じゃ「言葉は後からついてくる!」みたいな感じで外に出ることを欲している。
上野 私の友だちも、世界中自分が行く先々に子どもを小っちゃいとから連れ歩いてた。そしたら、どこに行っても物怖じしない子になった。語学力は後で身につく。
湯山 語学力はもちろん大きいけれど、面と向かったとき、言葉じゃないものが人間には作用するんですよね。私もかつてモロッコで三人の現地女子大生と遊びまわっていて、その中のファティマちゃんのギャグが大好きだった。向こうはフランス語なのに、そういう感じは伝わるんですよ。
上野 外に出ると、「人間は皆同じだ」という気分も体験できるでしょ?
湯山 体感、超重要! 日本にいたら絶対にできない。日本で外国人のお友だちが出来てもダメ。
上野 そうだね。語学がうまくなっただけでもダメだし、外に出ないことにはね。
寂聴さんに学ぶ、予測誤差への対応能力
湯山 最近気なってるのが、30代男の変なニヒリズムなんですよ。知り合いに新聞記者と銀行に勤める男性がいて、聡明でいい子たちなんだけど、「俺たちの周りじゃ、脱原発や反原発なんてもういいっていうのは基本です」と言う。それこそカズオ・イシグロの小説系の諦観で「どうせ行動しても、日本社会は絶対に直らない。地震が起こって、一発でみんな死ぬんですよ」と真顔で言うんです。何ですかね、この早い諦め、国民性?
上野 国民性とは思わない。ただ、今の若者は早めに白旗を挙げる感じはある。無駄なエネルギーは使わない。そういうガキを育てちゃったんだよ、あなたや私のように、体が前のめりになる子どもは、好奇心や進む向きを抑制するという教育を受けなかったと思うけど、抑制される教育を受けると、諦めを覚えるんだね。だから、あなたみたいな人がお母さんになって、「ミニ玲子」を育てたら、超おもしろかったと思うよ。
湯山 大学で教えてるのもそうだけど、まあ、著作や連載はそういう言説ですよ。
上野 「いいんだよ、キミたち、ブラックシープのまんまで」って? 同じことをやるのね、私たち(笑)。この本もそのためのものなんだけど、どんな予測誤差にも対応できる人材の育成が、私たちの課題なんだと思う。
湯山 おっしゃるとおりだ!
上野 予測誤差に見事に対応した例で、すごいと思ったのは、やっぱり瀬戸内寂聴さん。大病をなさって入院中に3.11が来た。「前年に死んでいれば、これを見ず済んだのに」としみじみおっしゃってた。90歳になろうという人が言うと、リアルに重みがある。
湯山 瀬戸内さんが感じるつらさとは、どういうものだったんですか?
上野 彼女が住職を務める、毎月法話をなさっていた天台寺が、岩手にある。
湯山 被災者の辛さに、本当に共感されたわけですよね。
上野 大病を気合いで克服し、現地に行ったけど、すごい無力感を持ったって。法話しても通じないし。私が今回、彼女をいっそう尊敬したのは、飯館村へ行った時のエピソード。そこで他の被災地にはなかった、ピーンと張り詰めた緊張と敵対視を感じたんですって。
湯山 わっ、そのあたりはリアルだな。
上野 そう。そこで彼女は話をするのを辞めて、「私、マッサージできます。体をほぐして欲しい人、います?」と言って、お婆さんのマッサージを始めたのよ。そうやってるうちに、お婆さんがポツリポツリとしゃべり‥‥と言うことを、やってきた。自分の予測とは違う状態に出合ったときに、サッとモードを切り替えられる人なのね。
湯山 さすがですね。言葉は無力だと分かった瞬間にね。
上野 私に同じようなことができるだろかと考えた。本当にご立派よ。
湯山 「私はお呼びじゃない」と逃走しがちな状況を、プラスのカードで返したわけですね。つまり、自分の囲いを、広くしておきたいです。
美魔女のくびれたウェストより、女を輝かせるものは
湯山 上野さんさえ良ければ、私みたいなお気楽な立場も選択できたと思うんですよ。才能あるし、強くて人気者だし。
上野 超エリート女だから(笑)。
湯山 お話が面白いし。だから、ラクに生きることもできたんじゃないか、と。
上野 勝間さんの立ち位置になれたかも。でも、私には、美意識があるのよ。効率を最優先にするのって、見ているとみっともないもの。
湯山 そういう意味では、私も文化的劣位者にはなれない。だってカッコ悪いんだもん。
上野 そこはさ、善悪や正義じゃないんだよね。美意識の問題なのよ。ああ、でも、自分のボキャブラリーに「美意識」なんて言葉があるとは思わなかったな。あなたと話したから出て来たのね。やっぱり他人は秘境と対面して、今まで自分の中に隠れてて出てこなかったものが出て来てしまったわ。
湯山 私ね、「カッコいい」って重要なワードだと思ってるんです。一般的には差異を表す文化そのものの曖昧な言葉なんだけど、私はもっと本質を表す言葉だとも思ってる。つまり、美意識を指してるんですよ。
上野 ボキャブラリーが違うだけで、同じことよ。私たち、共通点が多いね(笑)。私、あなたの『女ひとり寿司』を読んで、カッコいいと思った。それで、こんな本が書きたいと、『おひとりさまの老後』を書いた。あなたの本が、私にキッカケを与えたのよ。
湯山 恐縮です。
上野 秘境ツアーなんて行かなくていい、老舗の寿司屋のカウンターが秘境だって言ったのは、あなたですよ。素晴らしい言葉じゃない。
湯山 冒険するなら、寿司屋と隣の男でできちゃう(笑)。ただ、私たちがここで言う美意識って、教養とも関係しますよね。
上野 文化資本とリテラシーは関係ある。カッコいいものをたくさん見てるかどうか。そして、その経験を積むと、人間を舐められなくなる。例えばさぁ、木嶋佳苗の不幸は、人間を舐めてしまったことじゃないかな。
湯山 そうね。彼女が殺してしまった男たちって、北原みのりさんの『毒婦』を読むと、全然ダメ男とは思えない。しかし、彼女には、そういう男たちの美点が見えない。木嶋だけでなく、そういう女は多いですよ。でもね、この経験したことに対する自信って、人を輝かせますよね。女の人はもっとここを信じたほうがいい。内面はやっぱり外に出るんですよ。
上野 はい、出ます。人見る目があるとも言うけれど、それはちゃんと質のいい人を見抜くだけの経験をしてきているからでしょう。
湯山 若い暴走族の中に行っても、案外上手くやれるかもしれない。そうした魅力を、男も女も信じたほうがいいですよ。美魔女のウェストのくびれだけが人間の魅力じゃない。
上野 それはね、あなたがどこに行っても、暴走族の間へ行っても、人を侮らないからよ。だとしたら、あなた、主婦だって侮らない方がいいと思うよ(笑)。
湯山 そうですよね。それ、私の中のミソジニーかもしれない。
上野 私は業界外の女性とたくさんつながりがあるんだけど、私たちの世代って主婦になった人が山のようにいるの。そして、その人たちって見事に立派な人たちで、本当に頭が下がる。だから、侮れない。文化度も高い。アート教育の真髄はともかく一流のものを見ろと言うでしょ。
湯山 寿司で言うと、一万円前後のところには行かなくていい。三万円以上か回転寿司かですよ。人間にしたって、見た目はいいけど中間層で自分の意見を持たずにフワフワしてるより、体を張ってヤンキーしている人のほうが話せたりしますしね。
上野 それはね、自分の意見を言わずにフワフワしている人たちが嘘つきだからだよ。
湯山 私たちは意識的にガン細胞になってきたわけだから、意思がはっきりしてる人とは接点を持ちやすいですね。もわ〜んとしている人は特に意識もなく、大きいものに巻かれちゃってる。思考停止もあるし、欲望も欠乏してる。
上野 リスクを取らない生き方も、湯山さん、嫌いでしょ?
湯山 嫌いですね。そこもまた寛容にならないといけないんだけど。
上野 年を取ってきたら、リスクを取らない人にも、この人なりの事情があってのことだろうな、とも思えてくる。
湯山 本当にですか?
上野 50や60になってもリスクを取らない人はむかつくけど、教育者をやってきたせいか、20歳ぐらいの子どもには寛容になれるよ。中にはイヤなことを言う、小賢(こざか)しい子もいるけど、彼らだって好きでそうなったわけじゃないと思うのよ。
湯山 だからあちら側からも寄ってくるんでしょうね。やっぱり、秘境と寛容だな。
上野 最後はさ、生きていて「ああ、おもしろかった」かどうかなのよ。言いたくないけど、そう思えるかどうかは、やっぱり自己責任よ。
湯山 「こんなはずじゃなかった」には、なりたくないですね。
「生きていて良かった」という実感を得るために
上野 最期に自由についてお話ししておきましょうか。私ね、10代の頃から、リブやフェミニズムという言葉がまだなかった頃から、自由が何を求めていたかと振り返ってみたら、平等なんかじゃない、自由なのよ。やっぱり自由がキーワードなんだよね。
湯山 まさに私もです。自由になれる人と、なれない人はいますよね。自由は面倒くさいし、個々のモラルと表裏一体だから、嫌う人もいますよね。
上野 残念だけど、それは事実ね。生まれ持っての能力や体力も違うし、環境も千差万別だから。同じ環境に置かれた人達の受け止め方だって、ものすごく違うし、それだけ違いがあるから。自由になれば差がつくのは当たり前でもある。でも、わかってきたのは、違わないことを求める思想じゃなく、違っていてもOKな思想が必要なのよ。違っていても、差別されない。違っていても、ワリに合わない目には遭わない。だから、平等に扱おうといことより、違っている自由のほうが大事だと思う。湯山さんは、自分の自由を奪う相手を蹴散らかしてきたって言ったけど、自由を通じて何を得たいわけ?
湯山 狭い意味じゃなくて、大きな意味での快楽です。
上野 おお、なるほど、そう来ましたか。
湯山 実人生の果実をいっぱい取りたいだけなんですよ、私は。
上野 文化ってそういうもんよ。快楽という言葉は湯山用語で、ほかの人は「幸福」と言うかもしれない。自由そのものが自己目的じゃないから、やっぱり自由を通じて、何が欲しいかなんだよね。
湯山 そうですね。濃密に、生きていてよかった時間が、大量に私は欲しいかなんだよね。
上野 すごくいい話だね。だって、快楽にはピンからキリまでのレベルがあるけど、何を快楽とするかは、その人に聞かないとわからない。あなたはそれを「生きていて良かった」という感覚だと言い換えた。私は、その感覚を、認知症高齢者のグループホームでも質の高い施設で感じるのよ。
湯山 へぇ〜、本当ですか?
上野 その人たちはお年寄りに、「今日も一日、生きていて良かった」感を味わってもらえる社会を作ってきた、作ろうとしてきたんだなと思う、2000年に出来た介護保険の存在が大きいけれど、地縁・血縁に頼れない年寄りを支える人たちを、日本は生み出した。東北の被災地でも、そういう年寄りを命がけで助けた施設の職員がいたんだよ。私はこれを希望だと思う。
湯山 そこに、社会としての進化があるわけですね。
上野 うん。私は、戦中派じゃないのに、敗戦後の何もないところから出発したというのが、原体験としてあるのよ。だから、なくなったって元に戻るだけという感覚もある。でも、あなたより下の世代は、なくてももともと感がないよね。あなたはレアケースかもしれないけど。
湯山 うちの親なんかは上野さんとは逆で、ないことへの恐怖や執着心が強いですよ。「原発で豊かになったのに、あんな何もない時代にまた戻るか、戻れない」と言うことだと思います。
上野 私も戦時下には戻りたくないけど、もともとなかったんだから、元に戻るだけじゃんという気分が、私たちの世代の楽天性の元のような気がする。
湯山 なるほど。これから自分に訪れる、老後を考えてみると、私が自分で思うのは、今までこれだけデカ刺激に慣れて、そこから快楽を得ていくわけでしょ。それが足腰が弱って得られなくなったら、どうなるんだろうかということですね。例えば、年を取って動けなくなったときに、目の前の小さな花にフォーカスしたり。そういう内静的情熱って方向に自分を持っていけるのかな、と。
上野 それは、感覚器官を全開にすればいいんだよ。やっぱり、目を瞑らないようにしていましょうよ、何事にも。現実をちゃんと受け入れて、向き合っていきたいよ。感覚を遮断するというのは逃避だからさ。みんな、弱いから逃避したいんだよね。
湯山 感覚を開いておくのはすごくいいですね。それに関連づけて、男でも女でも、他人のエロスを見ることも付け加えたい。功利的な選別というより、愛の力を常にオンにしておく、みたいなところで。
上野 エロ(ス)の力を活用するのね(笑)。
湯山 そういう感覚も生命力なんだから、開いてたほうがいいと思うんですよ。
上野 電車の中で「こいつと寝られるかどうか」ってチェックするんですね?
湯山 それね、訓練として山手線の中で試したんだけど、私は、ほとんどの人とデキると思った(笑)。
上野 愛の量は、湯山さんのほうが大きいかもしれない。私もキャパは大きいほうだけど、やっぱり客を選びたい。
湯山 そりゃ、私だって、好きな客に越したことはないですよ(笑)。
快楽上等 ! 3.11以降を生きる
二〇一二年十月二十五日 第一刷発行
上野千鶴子
一九四八年富山県うまれ。東京大学名誉教授。立命館大学院先端総合学術研究科特別招聘教授。NPO法人WAN(ウィメンズ アクションネットワーク)理事長。東京大学大学院教授を二〇一一年に退職。日本における女性学・ジェンダー研究のパイオニア。近年は介護とケアへ研究領域を拡大。著書に『スカートの下の劇場』、『家父長制と資本制』『生き延びるための思想』(岩波現代文庫)『おひとりさまの老後』(法研)、『女ぎらい』(紀伊国屋書店)、『ケアの社会学』など多数。
湯山玲子
一九六〇年東京生まれ。学習院大学法学部卒業。著述家、ディレクター。日本大学藝術学部文芸学科非常勤講師。自らが寿司を握るユニット『美人寿司』、クラッシックを爆音で聴く「爆音クラッシック(通称・爆クラ)を主催するなど多彩な活動。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッションなど、カルチャー界全般を牽引する。著書に『クラブカルチャー!』(毎日新聞社)、『四十路越え!』(わにブックス)、『ビッチの触り方』(飛鳥新社)、『女装する女』(新潮新書)『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)など。
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