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第8章 ニッポンの幸福問題

本表紙 湯山玲子・上野千鶴子

最強の社会関係資本は地縁と血縁」は本当か

湯山 3.11以降のいい方向の変化として、今までの社会や地縁や血縁共同体のワクを超えて、「やっぱりみんなで肩を寄せ合わなきゃ」という自然な動きが出てると言われてますよね。いわゆる「絆」と呼ぶのには抵抗があるんですが。
上野 メディアでは起きていますね。言論の世界でも。けれど、実際にそう変化するかどうかはね‥‥。私は疑り深い社会学者だから(笑)。データを見るまでは信じないの。たぶん、データは動かないと思うんだよね。
湯山 動かない? 本当ですか?
上野 人口学的なトレンドというのは長期のトレンドだから、いったん一つの方向に動いたものがすぐに覆ることはほぼないのよ。震災以前、婚姻率は低下していたから、震災があったからと言って、急に上昇するとは思えないし、共同体のつながりも解体する一方でした。社会学の概念で今、流行っている言葉に、「社会関係資本」というのがある。おカネも学歴も資本だけど、人間関係も資本だというわけ。もう資本主義だらけなんだけど(笑)、その社会関係資本の中には「地縁・血縁・社縁」などがある。その中で今回の震災でフレームアップされたのが、「最強の社会関係資本は地縁と血縁だった」という言説。
湯山 たしかにそうですね。
上野 そうすると、地縁・血縁のない「おひとりさま」は災害弱者になる。誰も助けに来てくれない、子どものいない年寄りは最弱者。だから、年寄りになった湯山さんや私が、地震が起きて体が固まってしまい、家の中でうずくまっていても、「バアちゃん、にげよう」と誰も手を引いきに来てくれない(笑)。おぶって逃げてもくれません。
湯山 そう言えばヨメという立場の私は、隣りの姑を連れて沖縄に行った。
上野 あなたが「絆」という言葉に抵抗を感じるのは、どうして?
湯山 マスコミの報道が、特にその言葉一色でしたよね。絆という言葉のあまりの言われっぷりに、本当にそうなのかと思いまして。血縁に関しても、急に「家族」を持ち上げる風潮にはもちろん、上野さんが指摘したような意味で、「じゃ、家族のいない人はどうすりゃいいの」と抑圧を感じるところもあります。だって、震災前、家族なんてとっくに崩壊してたじゃないですか。それなのに、まだ古い物語に救いがあると思っているのかなと。
上野 それはね、”ノスタル爺”が古い物語に飛びついたんだと思う。東北地方が被災地だということも関係があるでしょうね。もともと地縁や血縁の強い地域だから。絆うんぬんって、阪神淡路震災のときは、これほどみんな言わなかったもの。
湯山 ああ、そうかも。
上野 ただ、阪神大震災から学んだ教訓があった。当時、神戸市役所が行政の公平主義から、仮設住宅をくじ引きで割り当てたのよ。その結果、コミュニティをバラバラにしちゃって、孤独死が増えた。行政の対応がものすごく非難された。そこから学んだのが、新潟の中越地震のとき。被災地が今回と同じ農村部、山村部だったから、コミュニティの絆を解体せずに、そのまんま仮設住宅の区域に持ち込んだ。
湯山 中越地震は、阪神のときほど孤独死が問題になりませんでしたね、
上野 比較的うまくいったのね。今回もそれは学習されていて、前よりは改善されている。神戸では都市が被災地になった。神戸の場合、もう一つ特徴的なのは、被害と階層格差が一致したこと。
湯山 木造家屋が集中している地域は、被害が甚大だった。
上野 そう、耐震性のない老巧家屋に住んでいる貧しい人たちが激甚被害を受けた。直下型地震でも、隣り合った家の片方がペシャンコになっているのに、片方は持ち堪えていた。ということがあったのよ。火事とは違って、地震だとそういう違いが出る。
湯山 その現実は、なかなか厳しいものがありますね。

 「絆」の二面性。助け合いと縛り合い

上野 震災時のコミュニティについては、いろんなエピソードがある。神戸の震災では、倒れた木造家屋から生存者を救出するとき、近隣の人からの「バアちゃん、この家の奥座敷のあの辺に寝ている」という情報が、生きていたんですって。寝ている場所まで知っいるくらい密接なコミュニティ、言い換えるとプライバーのない人間関係が、激甚災害のときには助けになるというわけ。
湯山 なるほどね。でも、マンションじゃ、そういうわけにもいかないな。
上野 そうなのよ。翻って考えてみると、マンションのお隣同士で、互いに寝ている場所や寝方まで知られるような関係を作りたいと思う?
湯山 思わないでしょう。昔に帰るのは無理ですよ。
上野 基本的に都市生活者というのは、プライバーのない生活から逃げてきた人たち。密接な近隣関係を持つ生活を選ばない、というところで暮らしている。ノスタル爺いが何と言おうが、昔には戻れないんですよ。そうした変化が前提になっているのに、「昔はよかった」と、ことあるごとに大合唱したい人たちがいるんです。
湯山 3.11は被災地が東北だったというのが、やっぱりポイントですね。
上野 地縁や血縁が強いところだから、いいこともあれば、イヤなことも聞こえてくる。昔ながらの村の寄り合いの権力構造がまんま避難所に持ち込まれて、「女は引っ込んでろ」というところもあったとか。
湯山 わぁー、東北が地盤の小沢一郎を見てると、すごく想像がつく。小沢ガールズは、皆、野球部の素朴なマネージャータイプ。活動的っぽいけど、「女は引っ込んでろ」というオヤジが許せる範囲内だからな―。
上野 だから、避難所に地域のコミュニティを壊さずに持ち込むということは、地域の従来型パワーストラクチャーをそのまま移行することである。具体的なケースでは、ボランティアが避難所で、各世帯ごとにブースを仕切れる資材のダンボールをいっぱい持つ込んだところ、スムーズに事が進む避難所もあれば、「オレたちは仕切りを作らないでいんだ―」というオヤジの一言でできなかったところもあったとか。
湯山 不便だった人、多かったでしょうに。
上野 その一言で資材は積まれたまんまになって、女の人は着替えをするのに、布団の中でもぞもぞしなきゃいけなかったんですよ。
湯山 避難所ごとに顕著に違いが出たんですね。その分布を知りたい。オヤジの強度はその地域の何によって決まるのか?
上野 うん、コミュニティやリーダーの違いで温度差が出たという話はいろいろ聞いた。そこから考えると、最強の社会関係資本は地縁・血縁には違いないが、その地縁・血縁がそんなにありがたいものなんだろうかという疑問も出てくる。そんなに復活させたいものかどうか。たとえ、復活させたいとしても、今さらできるかどうかかも疑問。
湯山 そこにいる者が誰も幸せじゃないのに変えずに保守するという行動、日本人って得意ですよねと、カレル・ヴァン・ウォフレンの『人間を幸福にしない日本というシステム』と言うんでしょうか。
上野 「絆」を別の言葉では「縛り合い」とも言う。縛り合っているが、誰も幸せにしないと。「幸せ」を論じるなら、何度も名前が出て来ている古市憲寿くんは「データによりますと、若者の幸福感が一番高いです」って言う(笑)。
湯山 ああ、『絶望の国の幸福な若者たち』ですね。
上野 若者は縛り合っているのか、いないのか? どちらなんでしょうね。
湯山 とんでもなく縛り合っていますよ。自ら進んで。とにもかくにも、同調圧力は強く受けている。違うことが不安。不安より悪。
上野 例のムーゼルマンですよ。絶望の国に適応するには、思考停止で今の自分に環境を幸福だと感謝することだから。

トラネコカップルの幸せ

湯山 これも、3.11以降の前向きな展開の一つかと思うんですが、男女の間にシェアリングの考え方が広まっていませんか? 例えば、年収200万円ずつのカップルが二人合わせて年収400万円世帯を作り、協力したほうがいいという生き方のオルタナティブが、震災を機に加速された、と。草食系男子だったり、主夫願望の男だったり、かつての男らしさに当てはまらない男たちって、しばらく前から増えていましたが、彼らのポジティブな面が、この3.11以降により美点として捉えられているという。
上野 どうでしょうかね。「震災婚活」とは言われたけど、実際に低所得者同士の婚姻率が増えたとも聞かないし。昔は貧乏人の男女が一緒に住むことを「破(わ)れ鍋に綴(と)じ蓋」って言っていましたね。
湯山 持たざる者同士が、とにかくひっついちゃったケースですね。
上野 今じゃ神話に属することだけど、都会の部屋貸し、例えば大家さんの家の二階の一室を借りて、新婚夫婦が住んだりした。ミカン箱をひっくり返して卓袱(ちゃぶ)台にし、茶碗二つ、箸に二膳から始めた。そういう暮らし方を、今のフリーター同士がやればいいのにと思うけど、やらない。結婚願望が高いのに婚姻率が低いという現象が、私は不思議でしょうがない。あなたが言う「年収200万円と200万円のシェアリング」って、本当に震災後に起きているの?
湯山 結婚しなくても、同棲するカップル、トラネコ同士が仲良く生活を共にするようなカップルは、震災前からどんどん出ていますよ。
上野 それは「野合(やごう)」って言うのよ。
湯山 その野合系は、若い子、いや30代くらいでも確実にあると思いますよ。
上野 同棲率は徐々に高まっているけどね。低学歴層の人たちが妊娠を機にくっついたみたいな同棲で、トラネコカップルとは背景が違うんじゃないでしょうか。それに震災婚活について言うと、私は婚姻率が上がるとは思えない。
湯山 すぐに、震災と結婚を結びつけた新書がでましたよね。でも私もこりゃ、よくある期待値アンサーだと思った。そりゃ、問われれば、「サビシイ、結婚したい」とみんな反射的に答えるに決まっているよ。
上野 メディアが騒いでただけじゃないかな。実際にデータが出てくるのを待たないとわからないけど、結婚率が上がったとしても、たぶんもともと結婚するつもりだった人たちが時期を早めるぐらいのことで、何年かしたら元の数値に戻ると思う。貧乏人同士が支え合うみたいな結婚の仕方も、増えているとはとても思えない。
湯山 その観測はどこから来るんですか?
上野 結婚率はどんどん下がる一方で。その理由は、経済力が伴わないと結婚できないと、男女ともに思っているから。ものすごく露骨なデータがあるんだけど、正規雇用率と収入の高さと婚姻率の高さは見事に相関してる。
湯山 そうか。同棲はともあれ、貧乏人同士が助け合うというシェアリング発想の結婚は、少ないんですね。でもそれわかるなぁ。この間、雑誌の企画で『ベルサイユのばら』を20〜30代の男の子に読ませたんだけど、とにかく「男たるもの女を守らねば」ドグマがすごく強いんですよ。フリーのミュージシャン男性が、アンドレみたいにカネも権力もないような男はダメだ―と言い切る。それはアナタでしょう、ってことなんだけど、そういうポリシーがある限り、彼らは男の責任という言葉がつきまとう結婚はしませんよ。ずっと。

 「不安」の増大と、村上春樹の小説に見える男子の受動体質

上野 セクシャリティの章で出た「予備誤差」についてですが、湯山的に見たら、男女は両方とも、予測誤差の駆け引きを楽しむ世界から、今や撤退していると思う?
湯山 上野さんがおっしゃってた、「予測誤差も安心の範囲にあることが必要」という条件が関係すると思います。もちろん安心や安全はあって然るべきなんだけど、今の状況では安心・安全のバーをより高く持ち上げないと不安でしょうがない。それで安心・安全レベルを釣り上げて不安を消そうとするんですが、男女の関係にしても、一人でいれば絶対に傷つかないわけだから、部屋にこもって安全を確保しようとする。となれば、予測誤差の世界からは撤退することになりますよ。
上野 そうよね。社会的に不安が増大しているからね。
湯山 3.11以降のキーワードの一つが「不安」ですよね。世の中、何があるかわかんないって、ほんと怖い。そこで引きこもって、硬直する可能性は誰でもあると思う。だけど、その怖さが必ずしも自分を守ってくれるものでもないんですよね。だってさ、怖いときこそ外に出て行って人とつながないと、助け合うための関係を持てませんよ。
上野 そう。結局、人との関係を持つ方が、自分の安全の源になる。一人でいることほど不安なことはない。実際にはそのとおりなんだけど、そのために自分からは動かない。男の子の受動性というのは、村上春樹が現れた頃からとても感じていました。
湯山 『ノルウェーの森』の主人公は、まさに受動的な男の子でしたね。
上野 春樹の主人公って、まったく自分からアクションを起こさないのに、何事かが起きるじゃない。何が起きるイニシアチブは全部、女がとってる。「おまえ、都合よすぎるだろうが」と思った(笑)。
湯山 「やれやれ」口グセが、すべてを表していますよ。
上野 あなたもそう感じた? 春樹の小説の主人公の場合は都合のいいことが起きるけど、普通の男の場合には、自分からアクションを起こさない限り、何も都合のいいことは起きない。
湯山 私は、春樹の小説ってフェミニンそうですごくマッチョを感じますね。なぜならば、実は主人公の男って、最強の受動だから、それこそ先ほどの上野さん言うところの雑誌『アンアン』の『商売女なみのご奉仕』を「やれやれ」と言いつつ当然だと思う、モテ方向マックスの文化系男っつーか(笑)。
上野 こんなところで、意見が一致するとは思わなかったわ(笑)。

 3.11であらわになったオヤジギャルの真実

湯山 政治で考えると、受け身であったり、引きこもって安心しようとするのって、揺るがない体制を守ろうとする保守に相通じるんじゃないでしょうか。
上野 保守を「現状維持」と置き換えたら、現状維持が一番危険なのが、いまなんじゃないの。地雷の上で暮らしてるようなものだから。
湯山 でも多くの人はそれを見ないようにしている。あるものを見ない。
上野 そうなのよ。湯山さんは3.11以前はどうだったの?
湯山 あんまり見ていなかった。保守はやっぱり現実的で、力と美徳があるんだろうなと思いましたよ。例えば90年代前半に流行した、中尊寺ゆつこの漫画『お嬢だん』って知っています?
上野 オヤジギャルが出てくるやつね。
湯山 そのオヤジギャルがバブル女の典型で、男社会の会社の中で実権を握り、オヤジたちを顎で使う。そのオヤジたちが、敵対するイヤなオヤジって感じじゃなくて、丸っこくちょこちょこしたスタイルの、可愛くて無害な存在なんです。主人公の女が彼らを使って、一種の楽園みたいなんですが、そこで前提となっているのが「会社という組織はそんなに悪いものじゃない」ということ。オヤジがいっぱいいて、みんな楽しくまったり過ごして、仕事ができる奴もできない奴も同じ給料で、定年までここにいていいじゃないかという、肯定感の上にあった漫画なんですよ。
上野 80年代後半のユーフォリア状況ですね。
湯山 その流れを今に受け継いでいるのが、「サラリーマンNEO」。コメディドラマみたいなNHKの番組なんですが。
上野 サラリーマンが”ネオ”なわけ(笑)?
湯山 サラリーマン寸劇コメディなんだけど、いろんな人がいて、それゆえ盤石なサラリーマン共同体が基本で、サラリーマン賛歌が根底にある感じです。あと。しりあがり寿さんが90年代後半から2009年まで描いていた『ヒゲのOL薮内笹子』でも、「日本の終身雇用とサラリーマンって案外、居心地よくて、よくできたシステム」というアイデアが通底してる。
上野 そういう漫画が今、出回ってるの?
湯山 今、というかこういうセンスはかなり長い間、左翼や革命よりもカッコよかったんですよ。それが3.11以降、逆転した。
上野 「昔はよかったね」的なノスタルジーが、受け付けられなくなったんだ。
湯山 「日本人はそういうもんだ」という安定感、肯定感に、今みたいに状況下でも寄りかかるのはいかがなものかと。
上野 それって、自分たちがよく見知った世界なのよね。『ALWAYS三丁目の夕日』と同じ。見知った世界だが、もはや後戻りのできない過去。
湯山 3.11以前だったら、「その見知った世界、日本人にとっては安定しているのかもしれない。私は関係ないけどさ」とスルーできたのが、今は「関係ない」とは言えない。
上野 その見知った世界は実は地雷の上でした、とわかったんじゃないの?
湯山 そうです。ニコニコして遊んでいる中尊寺マンガのカワイイオヤジたちが、真っ黒だったことに気づいた。
上野 中尊寺ゆつこの漫画は同世代に読んでいたけど、オヤジギャルという言葉を聞いて、女が男に取って代わったとは少しも思わなかったわね。あれは単にオヤジ並みのカネを持ったOLが、オヤジ並みの遊びを覚えただけ。女性はオヤジ並みの意思決定権なんて、これっぽっちも握っていなかったんだから。
湯山 実権を握るなんて、女性たちも好きじゃないしね。面倒くさいのは全部男にやっていただき、都合のいいとこ取り、是が女の知恵ってヤツでしたから。
上野 だよね。臭い物に蓋をして続いてきたリアルだったのよ。
湯山 ホントですよ。一人ひとりに接すれば、オヤジって元気はそれほどないし、「湯山ちゃ〜ん」なんて言って、最近では仲が良かったりする。しかし、それで組織やシステムとして全体になると、もう太刀打ちできない。こんなに問題が起きていても、根本から直せないし、司令塔も見えない。無力さを感じますよ。
上野 今やその現実がわかったわけだから、これからどうするかですね。

 テレビと大衆と原発と

湯山 政治で考えると、受け身であったり、引きこもって安心しようとするのって、揺るがない体制を守ろうとする保守に相通じるんじゃないでしょうか。
上野 保守を「現状維持」と置き換えたら、現状維持が一番危険なのが、いまなんじゃないの。地雷の上で暮らしてるようなものだから。
湯山 でも多くの人はそれを見ないようにしている。あるものを見ない。
上野 そうなのよ。湯山さんは3.11以前はどうだったの?
湯山 あんまり見ていなかった。保守はやっぱり現実的で、力と美徳があるんだろうなと思いましたよ。例えば90年代前半に流行した、中尊寺ゆつこの漫画『お嬢だん』って知っています?
上野 オヤジギャルが出てくるやつね。
湯山 そのオヤジギャルがバブル女の典型で、男社会の会社の中で実権を握り、オヤジたちを顎で使う。そのオヤジたちが、敵対するイヤなオヤジって感じじゃなくて、丸っこくちょこちょこしたスタイルの、可愛くて無害な存在なんです。主人公の女が彼らを使って、一種の楽園みたいなんですが、そこで前提となっているのが「会社という組織はそんなに悪いものじゃない」ということ。オヤジがいっぱいいて、みんな楽しくまったり過ごして、仕事ができる奴もできない奴も同じ給料で、定年までここにいていいじゃないかという、肯定感の上にあった漫画なんですよ。
上野 80年代後半のユーフォリア状況ですね。
湯山 その流れを今に受け継いでいるのが、「サラリーマンNEO」。コメディドラマみたいなNHKの番組なんですが。
上野 サラリーマンが”ネオ”なわけ(笑)?
湯山 サラリーマン寸劇コメディなんだけど、いろんな人がいて、それゆえ盤石なサラリーマン共同体が基本で、サラリーマン賛歌が根底にある感じです。あと。しりあがり寿さんが90年代後半から2009年まで描いていた『ヒゲのOL薮内笹子』でも、「日本の終身雇用とサラリーマンって案外、居心地よくて、よくできたシステム」というアイデアが通底してる。
上野 そういう漫画が今、出回ってるの?
湯山 今、というかこういうセンスはかなり長い間、左翼や革命よりもカッコよかったんですよ。それが3.11以降、逆転した。
上野 「昔はよかったね」的なノスタルジーが、受け付けられなくなったんだ。
湯山 「日本人はそういうもんだ」という安定感、肯定感に、今みたいに状況下でも寄りかかるのはいかがなものかと。
上野 それって、自分たちがよく見知った世界なのよね。『ALWAYS三丁目の夕日』と同じ。見知った世界だが、もはや後戻りのできない過去。
湯山 3.11以前だったら、「その見知った世界、日本人にとっては安定しているのかもしれない。私は関係ないけどさ」とスルーできたのが、今は「関係ない」とは言えない。
上野 その見知った世界は実は地雷の上でした、とわかったんじゃないの?
湯山 そうです。ニコニコして遊んでいる中尊寺マンガのカワイイオヤジたちが、真っ黒だったことに気づいた。
上野 中尊寺ゆつこの漫画は同世代に読んでいたけど、オヤジギャルという言葉を聞いて、女が男に取って代わったとは少しも思わなかったわね。あれは単にオヤジ並みのカネを持ったOLが、オヤジ並みの遊びを覚えただけ。女性はオヤジ並みの意思決定権なんて、これっぽっちも握っていなかったんだから。
湯山 実権を握るなんて、女性たちも好きじゃないしね。面倒くさいのは全部男にやっていただき、都合のいいとこ取り、是が女の知恵ってヤツでしたから。
上野 だよね。臭い物に蓋をして続いてきたリアルだったのよ。
湯山 ホントですよ。一人ひとりに接すれば、オヤジって元気はそれほどないし、「湯山ちゃ〜ん」なんて言って、最近では仲が良かったりする。しかし、それで組織やシステムとして全体になると、もう太刀打ちできない。こんなに問題が起きていても、根本から直せないし、司令塔も見えない。無力さを感じますよ。
上野 今やその現実がわかったわけだから、これからどうするかですね。

 テレビと大衆と原発と

湯山 3.11以後、大衆とテレビとの距離感は変わったと思います。地デジへの切り換えがそれ以前にあったし、テレビをほとんど見なくなったという人が本当に多くなった。ただ、その層の中から”2チャンネル”といった、ネットの匿名ゴシップ掲示板や、ツイッター、フェイスブックに淫したりの別のメディア中毒者は出てきている。情報とのつき合い方は簡単な話ではないんですが、テレビが一極支配していたメディア機構が昔ほど強固ではなくなってきた、とは言えますね。
上野 それは言える。新聞もテレビも、いわゆる一方通行型のマスメディアは、震災前から落ち目であることは、私も感じていました。だって、学生を見ていると、彼らの情報源がネットになってるから(笑)。ただ、ネットの世界は棲み分けが激しい。お互いにノイズになることは、見ない、聞かないになる傾向があります。
湯山 その問題はある。似たような人たちが固まり合っている感じは。しかしながら、今回の再稼働や反対のデモは、もうネットありきの現実です。それが使えない人との差はやっぱり大きい。ただし、中高年はネットに弱いですよ。石原慎太郎とか、やっているわけがない感じですけど。
上野 今のはネット強者の発言ね(笑)。
湯山 ネットとは離れちゃうんだけど、ここで言うべきは東京の石原さんより、大阪の橋下さんですね。私、アンビバレントな思いがあるんですよ。彼はおおさか維新の会を作って、大阪府の第一党にし、自分の手から離した。それって最近の政治家が誰もやったことがないことで、戦略、政治センス、実行力は確実にある。ただし、教育とか文化に関しては、まあとんでもないアナクロ。特に自分が知らない、親しんできていない文化に関しては、憎悪してますよね。オペラやバレエ、クラシック音楽を「あんなの何が楽しいだ? 全然カネにならないし」と、言い放っちゃって、それが喝采を浴びるなんて。世が世だったら、中国の文化革命で京劇を反動だといって、粛清するタイプと見た。
上野 ねじれが起きてる。人々の中にリセット願望とヒーロー待望があるから、強いヒーローが出てきたら拍手喝采する。大阪府・市長選、投票率が20%ぐらい上がったのよね。
湯山 若者が支持したんですよね。20代と30代の支持率が7割だって。
上野 橋下のいっていること、ほとんどネオリベなのね。そのくせに「脱原発」とか言う。そのキッパリ、ハッキリ感が大衆に受ける。震災から一年経って、民主党が再稼働に舵を切ったし、脱原発が民主と自民の間で政治争点ではなくなった。脱原発を争点にしたら、有権者の6割、とりわけ女は8割が脱原発だから、その票がゲットできるのに、今、脱原発を望む人たちの票は行き場がないわけだよね。とすると、第三極で脱原発をはっきり、くっきり掲げたところに、しょうがないから行ってしまうかも。ほかのところには目をつぶっても、そこしか選択肢がないからと。
湯山 そう。で、それが橋下新党かとおもいきや、ここもまた裏返った。
上野 あとは、中沢新一さんたちのグリーンアクティブも立ち上がったけど、まだ政治力があるとは思えないし。私がすごくイヤなのは、橋下人気には小泉元首相を押し上げたときの風と、同じ種類のものを感じたこと。ポピュリズムの風は吹き終わっていない。ずっと吹き荒れていて、その風がどちらに向くか分からない怖さがある。
湯山 たしかに、橋下さんがネオリベだとすると、弱者ほど票を入れてる矛盾がありますよね。ファシズムもそうだったはず。
上野 そう、小泉元首相のときもね。でもさ、「大阪の独裁、恐いよね」と言っている私たちは東京都民で、石原都知事が長年選出され続けてる。四選目なんて後出しじゃんけんで、選挙運動やらなくても当選しちゃったし(笑)。
湯山 そうだ、それを忘れちゃいけない。
上野 あの選挙戦のあとに、テレビを見ていたら、投票した都民のオバさんたちが、「だって、強い人、あの人しかいないじゃない」みたいなことを言っていた。
湯山 ヘタしたら、石原裕次郎の「西部警察」のイメージまで入れちゃってますから(笑)。
上野 ルックスが強そうに見えるのと、パフォーマンスも強力。だから何を言っても、何をやっても、支持率が下がらない。その点では橋下市長も同じよ。
湯山 同じですね。あれだけ暴言、吐いているのに。
上野 失敗もあるのに。委任したわけでもないのに、いつの間にか東京オリンピック誘致に、何百億だかのムダ遣い。それでも、みんな。許容してる。いやぁ、東京都民も困ったもんよ。
湯山 こういう話をしていると、だんだん亡命したくなりますね(笑)

 リセット願望と鎖国メンタリティ

上野 潜在的な「リセット願望」って、今の日本の少なくない人たちが共有してると思う。自分の努力によらずに外からの強力な力で、現状をガラガラポンとリセットしていしまいたいという不穏な欲望。
湯山 あー、もうそれ私の中にある感覚ですよ。終戦の日のガレキの中の青空を見て、悲しみと同時にスカッとスッキリしたという感想を述べた人は多い。そこから出てくる裸一貫のアドレナリンが好き! という。
上野 外圧でもいいし、天変地異でもいいし、橋本徹大阪市長のような未知数だけど強いヒーローでもいいし、ただでさえ危険なのに、もう一方で富と権力を誰かに白紙委任してしまおうとしてる。そうして、強力な力でもってリセットしてしまいたい。こういう状況って危険だと思わない?
湯山 危険ですね。
上野 うん、ものすごくね。これを言ってしまうと世代論になるんだけど、27歳の古市くんに「戦後の日本が、こういう日本人を育ててしまったんだろうか」と言ったら、「昔からこんなもんでしょう、日本人って」と反論を受けた(笑)。どう思う?
湯山 うーん。私も古市さんの意見に近いかな。江戸時代の幕藩体制の下での、殿様と士農工商で安定する関係性や統率の名残り、庶民の締め方、何か連綿と続くものがあるのかもしれないですよ。
上野 「面従腹背(めんじゅうふくはい)ってやつね。古い言葉なんだけど、橋下さんが大阪市役所の公務員に対して使った言葉です。「いいんですよ、面従腹背で。僕の言うとおりに従ってくくれば、腹の中で何を考えても」という文脈で。聞いて、ゾッとした。
湯山 その日本人マインドって、どこから始まるんでしょうね。わかっていても、「しょうがねえよなぁ」とすぐ諦観に入る。
上野 「昔からそうなんです」ということになると文明論になっちゃうわね。文化本質主義。「日本人ですも〜ん。仕方ないですねぇ」と。
湯山 でも、本当に昔からそうだったのかもしれないですね。日本は天災も激しかったし、四季もはっきりしているし、状況がコロコロとよく変わった。それにいちい対応してられないから、「ないことにする」マインドが育った。
上野 戦争も天災の一種として受け止めるし。
湯山 徳川の世が300年近くも続いたということ自体、実は異常かもしれませんね。封建社会がそれだけ続くメンタリティがもともとあるということですよ。
上野 鎖国してなかったら続いてないだろうけど。
湯山 まあ、それは大きい。あと農業メイン。土地に縛られているから、ここで生きるしかないと腹を括るしかない。会社の終身雇用やそれが基本の多くのお得な制度とメリットの数々は、とにかく移動はよろしくないというイメージを植え付ける。となると自主鎖国状態になっていく。
上野 今でも、メンタリティは鎖国状態かもしれません。

 失敗を恐れる「前例がない」ロジックの閉塞感

湯山 日本経済が悪くなって以来、内向き傾向はかなり顕著ですね。私、広告の仕事でプレゼンテーションをすることがあるんですが、「こうすりゃ話題になるし、ひいては儲かる」とわかっているのに、儲かる方法を選びませんよ、みなさん。
上野 それはまたなんで?
湯山 前例のない、新しいことだから。「失敗したら誰が責任を取れるんだ。取りたくないぞ」ということです。その選択肢が話題になるし、コストも抑えられて面白いと全員がわかっていても、絶対に動きません。
上野 ということは、まだ旧来的なやり方でもつと思ってるんだ。
湯山 その思い込みが、一種、ビジネススキルまでなっていますね。トップはチャレンジャーな人が多いし、下の若い子もやる気があったりするのに、管理サイドがその芽をすべて潰していくんですよ。とある商業施設開発のプレゼンがあり、ドリームチームを組んで、企画を提案したんです。大元のデベロッパーは大乗り気だったんだけど、中間にいる運営企業の人間がNGを出した。その理由が、やっぱり「やったことがない」でした。
上野 前例がないと、何かあったときのリスクが取れないとか、組んだことない相手とやるのはわからない‥‥みたいな理由です。
上野 役人みたい。
湯山 ほんっとに、そうですよ。女性をターゲットにした企画で、プレゼンの相手側には女性が多く、私たちのアイデアに彼女たちはそのポーカーフェイスを崩して頷いて聞いてくれていたんですけどね。それで「これは通るだろう」と思ってたんですけど、結局は通らなかった。あとで聞いたところによると、デベロッパー側は大乗り気で、運営サイトと一緒にやる折衷案も打診したけど、ダメだったのこと。
上野 危機感が足りないのかしら、危機感があれば打って出るしかないでしょ。
湯山 一社員という組織人の立場だと、失敗を避けて責任を取らないことのほうが、自分にとっては切実でしょう。保身ですね。
上野 経営者は、もうちょっと前を見ているんだろうけど。
湯山 社長一人で前のめりだとすると、下にいる人たちはそこにたいてい水を差す。リスクを負ってまで行って、自分の何のトクになるのか、と。私が会社員だったときも、そういうモードがありました。そういう会社って、社長に怒られるのを避けるのが、働く人間にとって一番の目的になっちゃう。
上野 企業とは名ばかりの個人商店ね。社長が代われば終わりじゃない。
湯山 ワンマンな企業はそうなりますね。情報産業企業なのに、コンピュータの導入も遅かったし、インターネットの時代に一歩も二歩も乗り遅れた企業を一つ知っていますよ(笑)。編集の末端にいたから、上司に断ったうえでマックを安く買ったら、管理部門の大手電機メーカーの社員が怒って飛んできた。社内のシステムはその大手メーカーのものと決めている、と。
上野 情報を制する世界にありながら、ネットに乗り遅れるとは信じられない。
湯山 ネットリテラシーって語学みたいなものだから、そのとき、上層部に”体感”がなかったのでしょうね。
上野 私も90年代初頭にドイツの大学で教えていたとき、持って行ってたNECのパソコンがトラブルって死ぬ思いをした、サポート体制がなくてね。どうしてグローバルスタンダードの製品にしなかったんだろうと、心底、後悔したものよ。
湯山 NTTが通信網を独占し、95年にクリントン政権が誕生して情報ハイウェイ構想が出ていたとき、日本は完全に10年は水を開けられていたと思った。国策で情報化を推進した韓国にあっという間に越されて、日本は競争の蚊帳の外で海外のIT企業の特許のおこぼれを待つしかなくなちゃった。
湯山 この間行ったパリの地下鉄でも、人々のスマートホンはサムスン製ばっかり。

 おひとりさま最期を支え抜いた、30人の女たち

湯山 この章の最後に、前向きな話もしておきましょう(笑)。私、上野さんがおっしゃる「選択縁」には賛成なんです。地縁でも血縁でもない、選択で選ぶ縁。そんなの理想でユートピア発想だ、なんて言われそうだけど、私の場合、血縁、地縁のほうがファンタジーに思える。そしてこの感覚はもう、リアルに周囲にも存在します。オモロイ女やよろず相談したい女になって、人から飲みのお誘いを多く受けるような人モテを目指せ、という私のアドバイスもそういった人間関係構築のためにといっていい。それこそ今後どうなるか分からない世界において、人脈ほど大切にしなきゃいけないと思う。それにコストと時間をちゃんと掛けなきゃいけませんよ。
上野 そうね。社会関係資本とは新しい用語なんだけど、昔風に言うと、単に「人脈」なのよ。「コネ」とか。
湯山 私はそれで行きますよ。ただ、今回の震災では私は隣に住んでいる義母を連れて避難したから、血縁というのは優先された。けれど、それはきっちりと日常生活でいろいろ助けてもらっているご恩と関係性があったから。
上野 血縁のないおひとりさまって、増えてる。世代で見ると、私たちがおひとりさまで死んでいくパイオニア世代。もちろん、上の世代にもおひとりさまはいるけど少数派だったから。つい最近もおひとりさまの大先輩が、高齢者施設で亡くなられたの、認知症で、女性学の研究者って、そういう人が山のようにいる。もう一人、私よりも若い友人、一人っ子で子どもも身寄りも全くいないおひとりさまが、最近、ガンで亡くなった。彼女を支え抜いた女のネットワークがある。みんな赤の他人なんだけど、彼女は生前に作った絆があったからこそ。
湯山 それ、詳しく聞きたいですね。
上野 その若い友人のケースでは、女性ばっかりが30人のチームを作って支えたのよ。
湯山 ほんと? 素晴らしいですね。その30人ってどんな人たちなんですか?
上野 全員女で、地位も名誉もある人もいれば、専業主婦の人もいて、とにかくみんな、スキルも能力も高い。何か指令が飛ぶと、サクサクこなしてくれるような人たち。
湯山 私もフェミズムに入門したくなりますね(笑)。やっぱり、上野さんの周りのフェミの人たちなんでしょ?
上野 おもしろいのは、その中にフェミ系の人もフェミ系でない人も混ざってた。
湯山 じゃあ、本当に多様な女の人が集まったんだ。
上野 主婦の人は主婦の人で、ものすごく温かい気配りで支えてくれた。彼女がご飯を食べられないときに、手料理を運んでくれたりしてね。当人はかなりの資産を持っていたから、財団を作って、自分の名前を付けた基金を立ち上げた。その財団を作るのにも、30人の中にノウハウのある人がいて、あっという間に出来ちゃった。本人の存命中にちゃんと財団の設立が出来たのよ。
湯山 すごいですね。具体的に聞きたいんですが、それって彼女の人徳だったんでしょうか? 普通、女の人の人間関係って、個と個のつながりはあるけど、大きいグループや交流の場はあまり作らないじゃないですか?
上野 その30人は、決して一つのグループに属してるわけでも、誰かがお山の大将だったわけでもないの。その中には互いに会ったことない人もいるのよ。なぜって、メールが繋いだネットワークだったから。
湯山 それは面白いなぁー、ネットのDNAにはそういうところが本当にある。
上野 一人、コーディネーターの役割をする人がいたんです。「今、彼女の状況はこうです」「今度、どこそこの病院で手術をします」と情報を整理した。その当人の彼女が偉かったのは、亡くなる1カ月前に、「すべての方にお礼申し上げたい」と、レストランを借り切って全国から集まって、「ああ、あなたでしたか」「あなたがあれをおやりになって」という直接の交流がそこに持てた。
湯山 ITも女の人のネットワークも、男にありがちな縦の軍隊型じゃなく、フラットな横のつながりだという共通点があるんですよね。このお話は今後の社会のいいヒントになりますよ。
上野 そうよね。抗がん剤で髪の毛が抜け、車椅子で来た彼女が、全員に挨拶して。みんなも「これが最後だろうなぁ」と予期して。実際、それがお別れになった。彼女が「ありがとう」を言う、一緒に写真を写し、全員がお互いの顔を見て、さようならを言い合って。
湯山 あっぱれなかたですね。
上野 女の世界には、それだけの人材の厚みがあるのよ。在宅療養の間は、彼女と一緒に食べることも大きな仕事の一つで、それぞれが協力した。そういうこと、男同士でできるかなあ?
湯山 まあ、考えられませんね。一緒にご飯を食べてあげる、なんいう最大のヘルプはできないと思う。その女たちのネットワークは、どうやって30人まで広がったんですか?
上野 彼女の直接のお友だちもいれば、コーディネートをしていた人のお友だちやら、そのまたお友だちもお友だちのお友だち…‥と言う色々で、緩やかにつながってた。それぞれの特技や持ち味を差配して、やり抜いた。だから、私たちもすごくホッとしているの。自分のときもこうしてもらえるかもって(笑)。
湯山 「結局、血縁よ」と結論づけなくてもいいものがあるわけだ。力づけられてる、具体的なケーススタディですね。

 血縁よりも、女たちの選択縁が、女を救う

上野 おひとりさまでも、親族も及ばないサポートが得られるのね。別の例もある。その人もガンで亡くなったんだけど、彼女には息子と娘がいた。でも、息子は海外、娘とは母娘関係がうまくいっていなくて、周りが支えたの。その人はフェミだった。フェミの母って娘とうまくいかないケースが多いのよ(笑)。それで、彼女の病院や治療の費用といった資産管理を、娘に任せられないというんで、貯金通帳や実印を彼女が信頼する友人に全部託した。彼女に頼めば、その友達が走って、貯金を引き出し‥‥ということをやり抜いた。託された人がものすごくいい人で、ご葬儀のときにアメリカから帰ってきた息子に通帳と実印を渡し、「ここまでが私の役目ですから、お返しします」と言ったの。私、彼女に聞いたのよ。「ご遺族は、あなたにお礼をなさった?」と。返事は「いいえ」まったく躾がなっとらん! 世間の仁義を教える奴はおらんのかっ。
湯山 フェミ母の教師の子どもって、親のポリシーの真逆に生きる人が多いですよね。それは彼らなりの”親殺し”なんだろうけど。
上野 とまあ、女たちはそういうことをやり抜いてる。30人のチームの一人がつくづく言っていた。「女の人って、こんなに誰かのお役に立ちたいって思っているのね」って。
湯山 ああ、それは例の「人から褒められたい」欲がポジティブに表れた部分かもしれない。
上野 女には「お世話したい」という無償の気持ちを持っている人がいるのよ。だって、死んでいく人にどんな投資をしたって、見返りなんかないでしょ。見返りを求めない気持ちを女の人たちが持ってた。それも、見も知らぬ人たちの間で連携できたって、すごいこと。
湯山 元気の出る話ですよ。
上野 でしょ。「これで行けるじゃん、私のときも」と思える。あなたも他人事じゃないでしょ(笑)。あ、湯山さんには、夫頼みっていう選択肢がある?
湯山 夫だけじゃ支えられないから、人数は多い方がいい。現在、私が多くの若者の人生相談に徹夜でつきあって、しかもこちらがオゴってあげている、という見返りは、すでにそこらへんを目論んでいるわけですよ(笑)。

つづく 第9章 3.11以降のサバイバル術を考える