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アンケート調査

第7章 加齢という平等

本表紙 湯山玲子・上野千鶴子

加齢は誰にも選択できない

上野 子供を産まなかった女がどうして弱者目線を持てるかと言ったら、「加齢」が引き金なんですよ。子どものいない老後ほど、惨めなものはないと考えられてきましたからね。子どもを産む産まないかは、今や選択の対象になったけど、加齢は誰にも選択できないから。
湯山 できないですね。誰だっていつかは絶対に弱者になる。
上野 そう。それがイヤなら早死にするしかない。私は、超高齢化社会は福音だと思っているんです。いずれは誰もが弱者の立場になるから。あなたは、昨日より今日の自分が良くなるという進歩の思想をお持ちだとか(第4章参照)。もちろん、人間には向上心というものがあります。それは立派なことだけど、それを一生、続けられると思う?
湯山 まあ、続けたいとは思いますよ。
上野 自分が加齢を自覚し始めて思うのは、メッチャクチャ、メモリーが落ちてくること、ボケももう遠くないかもしれないぐらい(笑)。例えば、ある人と話してて、その子どもの話が出たときに、「うちの長男がアメリカ在住だった、前も言ったでしょ」と言われるような忘れ方だったら、「あんたのガキのことまで覚えてられるかよ」と思うけど(笑)、そのレベルを超えている。特に人の顔と名前が出てこない。その人とどこで会ったとか、目の前にいても名前が出てこないとか。
湯山 メモリーやスキルが、加齢とともに劣るのは当たり前ですからね。私が思う向上は、人格的な向上かな。人間的に未熟な部分が、どんどん成熟していくんじゃないかという。それも違います?
上野 たくさんの年寄りを観察した上の結論は、年を取ることと成熟することには何も関係ないといことです。
湯山 たしかに、成熟ではなく、現状キープをガンコに行く人は多い。
上野 残念ながら、年齢と成熟には何の関係もありません。若くても老成した人はいるし、反対に年をとっても未成熟な人はいます。晩年を汚す人もいるし。人は経験から学ぶというけど、経験から学ぶ人と学ばない人がいる。
湯山 それはそうですが、少なくとも老いても学んでいきたいもんです。機能が衰えることとは、また違う話ではあるけど。
上野 私の実感だけど、高齢になっても、人間的な成熟を感じさせない人もいる。でもね。私より年上の女性が他人に悪態をついたりするのを見ると心からホッとする自分もいる。「あ、いいんだ。この年になってもこのまんまで」(笑)。
湯山 むしろ人間らしさが感じられると。
上野 年をとっても自分の未成熟なところをさらけ出してるんだけど、「いいじゃん、これで」と思えるの。目くじら立てずにそう思うところが、こちらの成熟と言えば成熟かもしれないけど。
湯山 年寄りの開き直りと容認。これもリアルには迫力ありますが、昔はあれだけ立派だった人が、ここまで狭量になるかって例もありますからね。
上野 そうなのよ。自分の肉体をコントロールできないことが120%わかっているのと同じように、自分の精神もコントロールの下に置くことはできないんだなと、しみじみ思えてくる。それが私自身が介護研究から学んだ成果ね。
湯山 しかしながら、上野さんご自身は今の私と同じように、基本、経験から多くを学ぶ向上の人じゃないですか。その現実を知ったとき、ガックリしました? やっぱり人間なんてって感じで。
上野 自分にもし年を取った成果があるとすれば、「あ、これでいいんじゃん。ジタバタしても」と思えたことなのよ(笑)。
湯山 それは、いつぐらいに思ったんですか?
上野 この10年ぐらい介護の研究をやっていて、イヤと言うほど年寄りを観てきたことと関係があるわね。ボケた年寄りって、できれば見たくないものでしょ。でも、自分がそうなって行くかもしれない近い未来なのよ。やっぱり、超高齢社会になってよかったと思う。みんな、100%加齢するんだもの。
湯山 そこに差別はないですね。残酷までに。

 30代後半から40代にかけて、女の性欲はマックスになる

上野 超高齢になる前に、更年期が来ますね。更年期以降の女は”上がった女”と揶揄され、男から選ばれない女になる。石原慎太郎が「老婆は生きていること自体が罪深い」って言ってのけた存在になるわけだけど。
湯山 アンタがそうなんじゃないか、と心ある人はみんな言っていますよ(笑)。ともあれ、女の賞味期限ついては話したいですね。
上野 「女の賞味期限」というのは、誰にとっての賞味期限かと考えると、これまでは男にとっての賞味期限を意味していたよね。大塚ひかりさんが『いつから私は「対象外の女」』という本を書いてたけど、大体30代後半からモーレツに焦る。40代半ばぐらいが出産の上限ということもあって。そこを過ぎれば更年期が始まる。
湯山 更年期の前って、女は性欲がマックスになりますよね。よくこれ、アメリカ映画で妊娠したい女性が「私の中の時計がチクタク言っているの」という言い方で男に強烈にモーションかけている。マドンナもたしかにそういう言い方をしていた。
上野 30代後半なんて、いちばんやりたい盛りでしょう。この手の話でいつも思い出すのは、森瑤子さんの『情事』。作家というのは、その時々の切実な経験を作品の形で残してくれる。彼女はあの小説で、30代後半の賞味期限切れ直前の女の「性に対する渇き」をちゃんと表現した。当時、多くの既婚の女のハートを鷲掴(わしづか)みにしたが、「セックスを反吐(へど)が出るまでやりぬいてみたい」というくだりでした。後年、森さんに会って「その当時、思ったとおりにおやりになりました?」と聞いたときは、「それはね、作家は願望を作品に書くんですよ」と答えをはぐらかされましたけど。その気持ちは同年齢の女たちにとても共感された。私はその年齢に到達したとき、ちゃんと反吐が出るほどやったの(笑)。だから悔いはないわ。
湯山 私も40代に入った頃は、マックス感あったのに、それが数年前、更年期が始まったころからストンと性欲が落ちちゃった。小学校からオナニストだったので、性欲とうまく付き合えていたし、女には珍しく自分の性欲を自覚できたタイプだったのに、つるんでいた人生の相棒が急にいなくなったごとくの心持ちですよ。これからどうすればいいんでしょうか(笑)。
上野 更年期以降のセックス、超いいテーマです。
湯山 かつてだったら子宮に火が付いたような状況でも、もう眠くなっちゃって即帰宅という同輩は多い。
上野 その気持ち、よくわかるわあ(笑)。「明日早いから、ちょっと勘弁してよ」って気分になってしまう。自分が情けないわね。
湯山 この葛藤は女の人には聞けないんだけど、かつてモテてお盛んだった60歳ぐらいの男性に聞くと、男もそうだって言っていますね。「男は40歳過ぎるとポテンツが落ちる。そこかららは昔の記憶のメモリーでもって、脳で欲情し、セックスするんだ」そうで。
上野 脳でするって言ったって、男は勃たなきゃ如実にわかるから、演技できないんじゃない。ああ、いいわあ、あなたとこんな下ネタ話ができるなんて(笑)。

 更年期について語り合わない、女心のトラップ

上野 最近、『アエラ』の更年期特集の取材を受けたんだけど、読者の反応が凄くよかったって。更年期の本を書いてくれと言われたけど、断ったの。だって、私は更年期の現役じゃないし、ずいぶん前のことだからもう覚えていないしね。
湯山 更年期のことは、フェミズムではもちろん語られているわけですよね。
上野 80年代のアメリカで「ボストン・ウィメイズ・ヘルス・ブック・コレクティブ」というグループから女のカラダの本が刊行されたんだけど、それを翻訳して、『からだ・私たち自身』という本を出したの私たち。出版社という出版社に断られたものの、WANを作る元にもなったウィメンズブックストア昇香堂が出版してくれた。カネにならないことはわかっていたから、私がアメリカの版元にお手紙書いて、「翻訳をしようと思うが、私たちにはカネがない。版権をタダでください」とお願いしました(笑)。そうしたら、本当にタダでくれた。
湯山 すごい! やってみるもんですなあ。
上野 すでに各国語で訳されていました。そこで初めて、更年期と女の加齢について書かれてた。レズビアンについての章もありました。全9章を9人が一章ずつ分担して、無報酬のボランティアで翻訳して、フェミニストの英文学研究に監訳を、産婦人科医に監修をしてもらって、出版しました。私も翻訳チームの一人でした。当時の日本語のその分野のボキャブラリーなんて、「陰毛」や「陰部」ぐらいでしたから、私たちで「性毛」やら、新しい言葉を作ったりもして完成させた。その本の中で、更年期について女が口々に経験を語るというのが、とても新鮮な経験でしたね。
湯山 日本の文化では、それが初めてだったんですか?
上野 最初はアメリカの女たちの声を借りてのことだったけど、そのあと、その本に触発されて日本でも関連書も出ましたし、フェミニストの間では、女の更年期は定着したテーマでした。だから、『アエラ』の編集者に更年期の特集の反響が大きかったから本を書いてもらえないかと言われて、ちょっとビックリしたの。「更年期のことは、、女同士でも喋らない」と聞いてね。今どきの女たちには、自分の下半身について話すのはそんなにハードルが高いのか。「こういうのは自分だけだと思っていた」みたいな、読者の反応があったと聞いて驚いちゃった。
湯山 更年期って、女の加齢においてマイナスの擦り込みが強いんですよ。「女が終わる」とか、そういうイメージを、メディアやらお笑いの毒舌やらで浴び続けていますからね。だから、更年期については口に出さない。
上野 「ラクになった」というのはないの?
湯山 それがまた、少子化のご時世だから、またも、メディアの怒涛の産めよ、増やせよキャンペーンで子どもを産めない女のポジションが弱くなっているじゃないですか。ホントにあの石原発言の両輪ですよ。それゆえに、上がったことをポジティブには捉えないんじゃないかな。
上野 そんなにスティグマ(不名誉な烙印)が強くなっちゃったの?
湯山 そう思いますよ。女が終わるということへのプレッシャーは強いですね。この間も女としての魅力も仕事のキャリアも輝いていて尊敬する年上女性社長が、その話になった途端、「私はまだ毎月あるから」と自慢げに言っていた態度がそれを物語っています。たぶん、ウソだと思うんだけどね。

 抗うべきか、女の賞味期限

上野 いつから賞味期限切れの女になるのかって話でした。
湯山 そうです、「女の賞味期限」問題ですよ。
上野 うんと昔は30歳まででした。「お褥(しとね)すべり」とかね。それがアラフォーに延びました。更年期の訪れが賞味期限切れとするなら、出産能力と連動しているわけ? 私はアメリカの例をいろいろ聞いているけど、HRT(ホルモン補充療法)ってあるでしょ。
湯山 はいはい、私、興味があるんですよ。
上野 あれやると、上がった月経がもとに戻るみたいね。また出血がはじまっちゃうとか。
湯山 え―っ? 基本的なことだけど、私が読んだポジティブ記事やムック系にはそこのとこは書いてなかったなぁ。だったら、いいや。
上野 エステ的な効果では、お肌の潤いが増すらしいけど、それだけでなく、HRTをやると、「またパンツが汚れる」ってことらしい。それ、すごくない?
湯山 考えてみれば、そういうことですよね。
上野 ある産婦人科医の先生から聞いたんだけどね。それを聞いてイヤな感じがしました。アメリカの女がホルモン補充療法をやるのは、膣の潤いが戻ることで、「いつでも現役だす。スタンバってます。受け入れOKです」と言えるからなんですって。気持ち悪い。
湯山 あ、そういう感覚? 脳卒中と心筋梗塞のリスクが減るなら、私は案外、やるかもしれない。
上野 リスクが伴うとしたらどうする? 乳がんリスクが高まるのよ。
湯山 ほんと? そうでもない数字も出ていません?
上野 それ、自分の都合のいいデータだけを信じたがる、原子力ムラの人たちと同じよ(笑)。
湯山 そうくるか(笑)。でも、HRT然り、女が現役を続けるための賞味期限情報に急にバタつくのは、正味の話、「あまりセックスやっていないのに、年取っちゃった―」という後悔ですよ。結局ね、みんな、セックスをし足りないからだと思うんですよ。
上野 「セックスし足りていない」は至言ね。今は亡き森瑤子様の名言「反吐が出るまで‥‥」に通じます。だから、やるべきときにやってときゃ良かったのに、私は一応やっていたから。
湯山 しかしながら、やっても、やり尽くせないのがまたセックス(笑)。
上野 それはそうだ(笑)。
湯山 今、更年期を経験してる。もしくはその前で騒いでいる40代って、世間的にまだ処女信仰が強かった時だから、全般的に男性経験が少ないんでしょうね。
上野 サッサと結婚しちゃってるからね。
湯山 しかも日本の場合、結婚してもセックスレスになるから、「まだ数えるほどしかやっていないのに、私、もう更年期の中高年」と思っている人が多いからこそ、女の賞味期限、とバタつくんじゃないでしょうか。

 「頭を下げてでも」という熟女の新機軸

上野 女が自分の賞味期限をどんどん延ばしている状況って、何かしら? 今後も延びて行きそうな勢いだけど、いつまでも「現役」を張る女たちが増えてるのって、見ていると気持ちが悪いのよ。桐野夏生さんの小説に『魂萌えよ!』があるでしょ。未亡人になった60歳の女が、夫に愛人と子どもがいたことを知って衝撃を受け、夫の親友とできちゃって…‥という話で、「女に賞味期限はありませぬ」と言うことらしい。でもね、必死になって賞味期限を無期限に延ばさなきゃいけないというのも、つらいもんだなという気がする。
湯山 私は「美魔女」を見ているのがツラいですね。
上野 それ、説明してくれる?
湯山 40歳過ぎても20代にしか見えないように、若作りに命を懸ける女たち。何が気持ち悪いって、その年になってもまだ選ばれる花でいたい、男から手折られたい、という感性の在り方がイヤ。ここにかけるエネルギーと時間の膨大さとその結果、得られるもののバランスが悪すぎて気味が悪いんですよ。
上野 ああ、そうね。そういう賞味期限の延ばし方も気持ちが悪いですね。
湯山 自分が賞味期限を過ぎて、男が向こうから来ないんだったら、こっちから行けよって思うわけですよ。それは何も美魔女にならなくても、いろんな方法があるんじゃないですか。例えば、私が常日頃から提唱している”おもろい女”になってもいいし。
上野 カネと権力で釣ってもいいじゃないね(笑)。
湯山 そう― いろんなヴァリエーションがある。若い男が見向きもしなかったら、頭を下げてやってもらうくらいでも、いいんじゃないでしょうか。
上野 男はそうやってきたわけだから。ツラの皮の厚さで。
湯山 「すいません。こんなお腹だけど、ちょっとやっていただけませんか」ってね(笑)。そこにあるペーソスは、田中小実昌級でしょ。
上野 こちらから頼まなくても、カネと権力があれば、若い男も若い女も寄ってくるでしょうよ。現に、若い女はカネと権力のある男に寄っていった。渡辺淳一さんのエッセイを読んでたとき、「あなたなんて、財布の厚さとツラの厚さでモテてるだけでしょ」と失礼にも思ったんだけど、彼はそれを先取りして、「財布の厚さも男の魅力のうち」と書いてた(笑)。
湯山 さすがである!
上野 それで女が寄ってくるなら、問題ないだろうね。
湯山 これだけ多様化していて、女も社会に進出してきたんだから、いろんな魅力、それは職業的な魅力でもいいんだけど、そういうものを何でも動員して、頭を下げてやっていただいてナンボですよ。実際、年齢が低いほうの人が上に欲情するのは難しいですよ。男だって煮え湯を飲んでるんだから、女だってそういう形で頭を下げればいいのに、いまだに”待ち”の若い女の姿勢でいるというのは…‥。
上野 「美魔女」というのは、自分の年齢を受け入れていないわけ?
湯山 はい。長い髪で脚がきれいで、腰はくびれてて‥‥と、完全に若作りで、娘と同じ服を着てるタイプですからね。でも、実際には十分成熟した中年女じゃないですか。四十路(よそじ)の内面の魅力でモテている女は本当に多いのに、そこではなく若い娘と同じところでモテていたい。いつまでも女子でいたいという魂です。女とは男から誘われてナンボ、と考えている感じでしょうか。
上野 そこには「女を降りなさい」と「子どもを降りない」の二つがあるわね。庇護され求められる存在でいたのと、責任を取りたくない、大人になりたくないという両方がさ。
湯山 まさにそう。「セックスしてください」と自分から頭を下げる恥ずかしさを背負わないし、それをぺーソースであったり、年を重ねたカッコよさとは、決して思わない女たちです。

 半径3メートルのストレスフリー

上野 土下座でも札束でツラを張るのでもどちらでもいいけど(笑)。女も断られる経験に慣れて、学習しなきゃいけないね。
湯山 そのとおり!
上野 断られて立ち直れなくなるったって、自分の存在が全否定されるわけではないんだから。たかがセックスですよ。「一緒にご飯、食べよう」と同じ。「今日は都合が悪いから」と言われたら、「じゃあ、またね」でいいじゃないの。
湯山 年取ってるんだから、若い男に断られるのは当たり前だすよ。人生の苦しさとは、年を取ること、男たちはそれをやって来たし、自嘲の笑いに持っていくこともできる。
上野 「女も断られることを学習しなきゃいけない」とは、私もだいぶ前から言ってきた。選ばれることに自分の全存在をかけてるから、「ノー」と言われたら全存在を否定されたと思うのよ。
湯山 40や50になってもお子ちゃまなんですのよね。その幼稚さが気持ちが悪いよ。
上野 性愛の経験を積んでないんでしょうね。全体にコミュニケーションのスキルが低いと思うけど、コミュニケーションの中でも性愛コミュニケーションってハードルが高いじゃない。予測誤差が大きいから。その訓練を積んでいないのよ。60歳ぐらいになった女が、「一生で一度でいいから、恋愛がしたい」とか言うのを聞いたら。ずっこけちゃう。
湯山 それありがちですね。『全身小説家』って井上光晴のドキュメント映画があるんだけど、彼に心酔する文学バアさんたちがそういったモード丸出しだったな―。
上野 60年も生きてきて、恥ずかしいからやめてくれと思うのよね。40代の頃、私と同世代の女が、離婚をしたいてグズグス言ってたときに、「自分でわかっているのよ。男さえできれば、問題は解決すると思うの」って言った。
湯山 ええ―、そうなんですか?
上野 いいのよ。私はそこで答えたの。「私もそう思うよ。あなたが今言った程度の問題なら」って。でもね、それで済まなかった。「どうやって男を作ったらいいかが分かんないから教えて」と返されて、のけぞりました(笑)。男が居さえすれば解決できる程度の問題は、はっきり言ってあるし、あっていいのよ。でもさ、調達する方法を教えて、と言われてもねえ。
湯山 その年齢までに身に着けておくべものでしょう。
上野 若いうちに結婚し、出産して、ずっとそのダンナとだけ暮らしてきたから、性愛コミュニケーションのスキルがないんでしょう。訓練もできてない。いやはや。あなた自身は、半径3メートルはいい男で固めてるんでしょ?
湯山 フフフ。それくらいは50歳過ぎれば、実現しないとダメですよ。
上野 私も身の周りは、ストレスフリー。そのぐらいの調達力はあるのよね(笑)。

 ベストセックスは、生涯を回顧したときにわかる

上野 今の若い子たちに、「やってるの?」と聞いてみると、「飽きました」って言うのがいる。飽きるほどやってから言えって思うんだけど。
湯山 AVの見過ぎなんじゃないですか。浴びるほどその手の知識やオナニーネタがあるから、それでもうやった気になっていたり。
上野 それがさ、「何人かとやりましたが、誰とやっても代わり映えするもんではないし。で、飽きました」とか言うの。若いのにね。
湯山 その「飽きました」の感覚って、実はいろんな年齢の女たちが持っていますよ。男も言うんだな。大してやっていないくせに。
上野 そう。割と簡単に言うよね。「飽きました」って。「飽きました」と「面倒くさい」の二つ。これは、予測誤差を拒否する態度よ。
湯山 まあ、そういう物言いは、カッコいいですからね。私、山田詠美の『ベッドタイムアイズ』を地で行く、性欲のお盛んな女の人に会ったことがあるんですが、彼女ほど経験のある人でも、まったく飽きていませんでしたよ(笑)。しかも、華麗なる性愛遍歴を打ち止めにして彼女が結婚しちゃった理由が、ずばりセックスの相性。
上野 どんな結婚したの?
湯山 会社の同僚の日本人と普通に結婚。彼女、普段は有能な管理職なんですが、土日は完全にブラック専科のビッチ。だから、その裏の活動をやめて結婚したことに、みんなが驚いた。なぜその男性と結婚することにしたのかは、毎回のセックスで確実にエクスタシーに達せる相手だからだって言うんです。100万人とやってもそれほどの相性はない。もうほかの男は要らないと。まさにエクスタシーの一点だけを追及して結婚した。
上野 その人、何歳?
湯山 35歳ぐらいです。
上野 ニンフォマニアやドンファンと言われる人たちの回顧録を私、けっこう読んでるんだけど(笑)。大体ワンパターンに集約される。いわく、「いろいろやったけど、記憶に残るベストセックスは、本当に愛し合った相手と、互いに許し合ったセックスをしたときだ」って。
湯山 そう言っているわけなんですね。
上野 男女問わずそう言っている。生涯を回顧すれば、きっとそうなるんだろうな。あまりにもありきたりな、でも、納得できる真実だと思うけど、35歳でその真実に逹せるのか。その人、これから先の性愛コミュニケーションを封印できるのかしら。それは人生が長すぎる。
湯山 私は自分の内なる性欲が40歳を超えてからマックスになりましたからね。彼女もそうなる可能性は十分にある。
上野 人生は予測誤差が多過ぎるから。「ベストセックスの相手」は、老いてから人生を回顧したときに初めて言えるセリフなんじゃないかな。

 日本人の性愛コミュニケーションの質

 日本人の性愛コミュニケーションの質
湯山 日本の男と女が結婚して、「家族になっちゃうと性欲が湧かない」とよく言うんじゃないですか。それって、セックス自体が精神的なものに偏りすぎる気がします。またぞろ出てくる、恋愛のドキドキがなければセックスも発動しない、と。テレビの人気変身モノでは、スタイリストらのプロにお願いして、ダンナをあの頃のステキな彼に戻してほしい、と。その夜だけは、セックスが二人の間に蘇るんでしょうねぇ(笑)。対照的なのが、欧米型の”メイクラブ”セックスか。男女とも人間がもともと持っている性欲を認めて、それを解消しなきゃしょうがないって、結婚してからも義務のようにセックスする。恋愛を発動しなくてもいい、身体的なセックスだと思います。
上野 私はヨーロッパ人のメイクラブは、半ば儀式化したセックスだと見ますけどね。セックスの絆を確かめ合わないと、結婚が維持できないと強迫観念。不仲の夫婦でも同じベッドで寝なきゃいけないって、ほとんど拷問状態だと思う。ああしないと、世間体が保てないのがヨーロッパなんじゃないの? あれも不自由なもんで、別に愛の証しではないと思う。
湯山 「人間の身体にそういう器官がある、ということは使いなさい、できれば正しく!」という考え方が、キリスト教のモラル下で自然に受け入れられているんじゃないですかね。
上野 どうだろうか。日本の場合は、身体的なセックスだって、結婚して何十年も経って、それまでの関係が壊れてしまっていれば、亭主を相手にクオリティセックスなんかできないんじゃない? 気持ちいいセックスは、互いに合意し安心があってできるものだから。ところで、湯山家の寝室は、ダブルベッド? それともツインベッド?
湯山 布団を横に並べてます。だから、ゴロゴロと向こうに行ったり、戻ったり。島国じゃないんで、よく国境紛争になっていますよ(笑)。
上野 うまい解決方法ね。お布団一枚を奪い合ったり、相手の寝返りが響くという関係ではないのね。
湯山 私ね、何にせよ、技術巧者ですから(笑)。でも、ヨーロッパのカップルのように、定期的に性愛コミュニケーションを持たなきゃという心構は、悪くないと思いますよ。
上野 私は日本の高齢者のセックス調査を見て、つくづく感じたことがあるのよ。「セックスは快楽だったか」と聞くと、イエスと答えた女性が圧倒的に少ない。ない方がましだったとか言うの。夫婦間のセックスの質が、ない方がまし程度のものじゃねえ。
湯山 具体的な調査があるんですか?
上野 日本で最初の高齢者のセックス調査に、大工原秀子さんという保健師さんによる『老年期の性』と言う本があります。80年代に、70歳以上の日本の男女に聞いたデータ。当時だと明治生まれの女たちになるんだけど、その日本の女の大半が、セックスで快感を感じたことがないと答えたの。「一刻も早く終わってほしいつらいおつとめ」と答える女性もいました。
湯山 まあ、その頃の女性こそ、貞女モラルの強制力マックスですからね。
上野 さらにうんざりするのが、今の10代の女の子たちが、男とセックスしている子たちが、セックスは「楽しくない」と言いながら、「やらせてあげる」という言い方をすること。性愛コミュニケーションの質は、明治生まれも今も変わっていないんじゃないかと思うぐらい。
湯山 10代、うーん、その女の子たちの声は、ちょっと下方修正に過ぎる気もしないでもない。なぜなら、アダルトビデオに進んで出演する女の子たちなんかは。より良いセックスをプロとやりたいがため、という発言もある。『週刊プレイボーイ』なんかのAV嬢インタビューを読むと、まあ、あっけらかんとセックス好きを語っていますよ。どう読んでも、それは言わされていたり、ではない。
上野 AVへの出演は、承認欲求の表れでもあると思う。
湯山 それもあると思います。でも、ある程度の割合で、純粋にセックスへの興味から、という女の子がいる。今の20代、30代は、私の時代よりも確実に好色な女が増えている感じがしますね。
上野 なるほど。一方で、その上の世代で、セックスし足りない女たちは、「私はこのまま性の快楽を知らずに死ぬんでしょうか」みたいなことを言うのね。ダンナとのクオリティセックスは望むべくもないから。
湯山 それは、もうはっきり言って、他流試合しろとしか言いようがないですね。ダンナと言葉で話し合って解決する方法もあるけど、それができる人は少ないと思うし、恋愛スイッチでセックスをやっている人たちは、今さらそのポイントをずらして健康法セックス、友情セックスって言ってもできないだろうし。
上野 うん、私もね、相手を替えろと言う。それしかないですね。
差し込み文書
 「一度。中高年への性革命手引きになるオーガズの定義サイトで学ぶ方法もある」

物語性をなくした老いらくの性欲は、純潔なるものか

上野 さて、高齢者の光合成の話をしましょう。マスタベーションは、セクシャリティの基本の「き」で、自分の身体を愛せるかどうかの問題。高齢者の研究をやっていると、いろんなケースがある。最近、認知症患者が自分の言葉で語るという試みがされていて、それを読むと、どういうときにパニクルのか、どういう対応をされると安心できるか、ということが書かれている。その中に、セックスや性欲について書いた人が、たった一人いる。アメリカ人のダイアナ・マクゴーウィンという女性で、「性欲がロケット噴射のように昇進する」と言てる。
湯山 ロケットのように、ですか。そりゃすごい。
上野 ロケット噴射のような性欲が起きると言うのね。ほかの事例では、高齢者施設で入居者がマスタベーションをやっているのを。ワーカーさんたちはわりと目撃しているわけ。某施設では、安全確保のために全居室にカメラが付いていて、それを監視室でみていたらしいんだけど、90歳のお婆ちゃんがマスタベーションを始めたんだって。それで若い職員が「こ、こういうことになってますが、どうしましょう?」と焦って聞いた。施設長がよくできた女性で「やらせておきなさい」と言ったんですって(笑)。
湯山 それは素晴らしいです。
上野 できれば事例を集めて、高齢者のセクシャリティについての研究をちゃんとやろうと思っているんです。
湯山 画期的な研究になるんじゃないですか。
上野 うんと小さいとき、最初に身体の快感を覚えた際、初めからM妄想を持っていたわけじゃないでしょ。
湯山 ほら、だって、私の場合はボクシングという闘争ストリートでしたから(笑)。
上野 それも後から学習した物語ですね。妄想は、あとで学習していくもんだよね。性欲の中にある物語性が学習によって獲得されていくものとしたら、もしかしたら加齢とともに、それらが脱落していくかもしれない。それが私の仮説なのよ。
湯山 年を取って、認知症であったり、何らかの理由で意識上のコントロールを失ったとき、性欲はどうなるかということですね。
上野 そう。どうやら性欲というものは物語性と不可分なものらしい。だけど、それもいつか、なくなるかもしれない。性欲が身体とむき出しの関係になり、物語性から自由になったら、もしかしたら、純粋性欲というものが現れるかもしれない、と考えるとさぁ、素晴らしい。その境地に到達してみたい。これが私にとって次なる課題です。ただね、自分が物語性を失った性欲を自覚したとき、それを言語によって記述できるかどうかは分からない。物語性を構成するのは言語だから。これがジレンマよ。
湯山 でも、文化において、おもしろいことがありますよ。芸術家って、ジャンルによって絶頂期を迎える年代が違うじゃないですか。音楽家もメロディ系の人は、割と早い。40代がピークで、あとは自己模倣になっちゃうとかね。文章を書く人は、晩年に大作が多い。
上野 絵描きが一番遅いでしょ。羨ましいわね。絵描きは長命でないとね。
湯山 おもしろいのが映画監督なんですよ。黒澤明がその最たるものなんですけど、晩年の『夢』はただのイメージだけになってる。コテンパンに貶(けな)された作品なんだけど、超カッコいいんですよ。肉は腐りかけが一番うまいみたいな感覚。あれだけテクニカルに物語性やドラマツルギーに長けていた人なのに、それを全部やめて、イメージだけを出してるんです。
上野 それはおもしろい。野田正彰さんとう精神科医が行っている写真投影法では、クライアントにカメラを使わせてるのよ。
湯山 写真を撮らせるんですか?
上野 人の頭の中は見られないじゃない。その代わりに、胃カメラを入れるように、本人にカメラを持たせる。例えば、引きこもりの子どもや表現力のない子どもたちに、写真を撮って来いとカメラを渡し、その一日の結果を見る。要するに、その子の見た世界を写真によって再現するといった方法で、調査をやっているのね。それと同じように、人生の最期に言語を失っても、イメージを積み重ねていくことによって、一つの世界を伝えることができるかもしれない。
湯山 イメージ、つまり映像の力で、ってことですね。
上野 映画監督は難易度が高いけど、今はデジカメがあるし、動画を作れるし、ユーチューブなんかがあるし。動画の投稿サイトが自己表現のツールになる時代だから。
湯山 その可能性、全然ありますね。
上野 私のやっているNPOのWANでも動画制作班が人材研修中ですけれど、私も老後のためにその若い人たちの研修グループに入れてもらおうと思う(笑)。そうか、言語がなくなっても、イメージでいけるんだ。

 加齢とセクシャリティ、エクスタシーの到達点は?

上野 性欲が物語性から解放されたとき、最後に残るセックスは、マスタベーションになるんじゃないかな。「自分の身体とのエロス的な関係」が残る。高齢者施設で見ていると、人との身体接触をすごくイヤがってた人が、最後の最後にそうじゃなくなって、身体の境界の敷居がどんどん下がっていく感じがある。潔癖だった人がそれほどでもなくなったり。自我の境界も溶解してくるという説もあるけど、この辺はほとんど未踏の領域。私もまだ自分の体験として語れない(笑)。
湯山 セックスの作法自体には物語性がベッタリ付いてますからね。あの快感は、純粋な性欲だけとは言い難いところがある。
上野 そうなのよ。
湯山 それでも、セックスの最中の一瞬、男も女もない境地にズバッと達することはありますよね。その状態を「一体」と言ったりもするけど、そこはもう肉体も物語も関係なくなっていて、一種の脳内麻薬みたいな瞬間なんじゃないでしょうか。
上野 相手がどうでもよくなる瞬間ね。「あんた、誰?」みたいな感じで(笑)。
湯山 セックス好きの中には、依存症も含めていろいろあるけど、純粋タイプはその境地が好きな人だといえる。ちなみに、乱交好きは、そのスイッチが入ることをわかっているし、そうなるのも早いから、乱交に罪悪感がないんですよ。恍惚って、肉体的なことじゃなくて、ある意味で脳死状態のように自分の全部がエクスタシーという状態なんじゃないかと思う。私ね、これまでの人生で3.4回、寝ながらにしてエクスタシーに達したことがあるんです。半覚醒のときに急に光が降りてきて、「イった! !」という瞬間。これ、人に話すとかなりの確率で体験者が女性にいる。
上野 まったく接触がなくても、あるのよね。
湯山 そう、そのときに「これが恍惚?」って思った。でも、脳内快感だとすると、これまた難しいトコロですよね。今、急に脳死のことを思い出した。脳死とされる状態でも、本当に脳としての機能が恒久的に消失したことは誰でも証明できないらしい。
上野 トータル・ロックトイン・シンドローム(TLS/閉じ込め症候群)はそういう状態だともね。一部の人たちは、文字盤を使ってメッセージを表している。最後の最後まで意識は残ってる。しかも鮮明にね。聴覚は最後まで残ると言われているけど、亡くなるときに一生懸命に声をかけたら、反応するとも言われてる。
湯山 エクスタシーというものも、体の機能がどんどん下がっていくと、脳化していくのかもしれないですね。オナニーって、一応は触んなきゃいけないんだけど。想像でもイケる。うーん、これが「浄土」ということかもしらん、とね(笑)。
上野 脳内エクスタシーね。それが物語性と結びついているのか、純粋に身体的なものなのか。進化の逆を退化に辿(たど)るとしたら。もう一度、子ども時代のような身体性に戻るのだろうか。そうだとしたら、現在の快楽しかないわけだから、物語性を失っても快楽だけはあるということになる。
湯山 高齢になれば、妄想の物語を学習する以前の状態に戻るのか。フロイトが言った五つの性的発達段階で言えば、最初の口唇期か、次の肛門期ぐらいのときの意識ということですね。
上野 指を舐(な)めてるだけの子ども時代に戻るのかしらね。そして、そのときにセクシャリティはどうなるのか。これはなってみないことにはわかりません。はい、この予測誤差が私たちを待ち受けている。未踏の領域だから、楽しみですね。

つづく  第8章 ニッポンの幸福問題