
湯山玲子・上野千鶴子
タブーと結びついた、初めての「光合成」体験
上野 さて、セクシャリティの話をしましょう。私は、湯山さんがご著書で女のマスタベーションを「光合成」と呼んだのは、大ヒットだと思います。光合成、つまり自家発電。自分でエネルギーと栄養を主成して、生き延びるわけね。
湯山 そう、だから光合成(笑)。リア充と非リア充の文脈で話すと、非リアル充側の恋愛ファンタジーって、実際、マスタベーションと深く関係していると思います。私、早かたんですよ。小学校2年生くらいのときに、ひょっとしたことから絶頂に達し、「あ、これだ」と思いました。
上野 小2は早い。
湯山 うつ伏せなって足をバタバタさせていたら、急にガーンとエクスタシーに、よくあるうつ伏せ系ですね。そのとき寝床でイメージしていたのが、うちの母親と姑である祖母が上半身裸になって、ボクシングリングで殴り合っている姿だったの。二人は仲が悪くて、いつも戦ってたんだけど。
上野 そりゃ、おかしい! それでイクの?
湯山 おかしいですよね。誰か分析してくれ(笑)。性的な記号としては、二人が上半身裸で殴り合うので、「戦闘」「露出」というのが含まれてます。
上野 女の戦いだったんだ。
湯山 二人の闘争心を、小さいながらにわかってたんでしょうね。”後ろ暗い”セックスというものの存在もどういうわけか無意識に感じ取っていて、それらが結びついたのかと。子どももいろんなもの察知して生きてるもんだから、タブーの意識もあったんでしょう。さらに、面白いのがボクシングのあと、その快感はすぐに世間一般の性の物語に回収されてしまうんですよ。疑似SMと言うんでしょうか、例えば、漫画の中で囚われの姫君が縛られちゃってるパターンとかね。これもまったく珍しくはないですが。
上野 その年齢でも、祖母と母に何かを隠しているものがあると察したんですね。それが扇情的に露(あら)わになって戦う姿になって。
湯山 面白いでしょ。闘争というエネルギーって。セックスにありますからね。
上野 ある。攻撃フェロモンと関係すると言うし。
湯山 それが私の原体験なんですよ。もちろん、親に見つかったときもあって、その時のただ事でない感じから、すぐに秘め事にしたわけです。
上野 なるほど(笑)。男が出てこないって面白い。女系なんだ。
湯山 「オナニーは後ろ暗いもの」という人に言えない秘密を抱えちゃうことは、まず大人への第一歩でしょうね。昼と夜でもないんだけど、二つの世界を持ってしまう。家の中に『週刊新潮』がゴロゴロ転がってたので、いわゆる”黒い事件簿(「黒い報告書」)”がネタになっていましたね。これまた、岩下志麻子さんをはじめとして、そういう人も多いですけど(笑)。
上野 そういう本を子どもの目から隠そうとするような教育的な環境ではなかったのね。
湯山 それどころか、当時盛んだったスウェーデンポルノを父が大好きで、そのパンフレットが食卓にバサバサ置いてありました。父はその辺は大らかな人で、急に「活動をすればいいのにと観に行ってくる」と言っては、スウェーデンポルノ映画へ(笑)。今でも憶えているのが『満熟』というタイトル(笑)。
上野 アダルトビデオが流通する前は、北欧系の無修正ものが引っ張りだこでしたね。ビデオデッキが日本の市場に登場したのが1970年。当初はアダルトビデオを販促のためにおまけに付けてた販売店もあった。
湯山 ハードを普及させるためには、エロコンテンツというのは定番ですからね。
性の眼覚め、『セクシィ・ギャルの大研究』への道程
湯山 上野さんの性の目覚めは、どうだったんですか?
上野 あなたのように大らかなご家庭で育ったんじゃなくて、ウチは父親が偽善者の耶蘇(やそ)教徒(クリスチャン)でしたからね。子ども心に「この人たちはセックスというものをやったことがあるんだろうか」と思っていた。でも、自分の顔を見ると、どう見たって父親のDNA(笑)。「私が生まれるまではやったんだろうな」とか考えたり。
湯山 親に対して、そう考える人多いみたいですね。
上野 弟もいたから、私が生まれた後もやったわけだけど(笑)。「いつ、どこで!?」と訝(いぶか)しく思うほどの父親だったの。でも、親父が亡くなってから生前の秘密が暴かれて‥‥。
湯山 あ、出ましたか――。
上野 「知らなかった!」といういろんな話を聞きました(笑)。でも、子どもの頃は潔癖な雰囲気でしたね。私が処女喪失作の『セクシィ・ギャル大研究』で世間に出たとき、下ネタだったから、「ウチみたいな堅い家庭で、なんであんな娘が出たんだ。お前の躾けが悪かったからだ」「あんたが甘やかしたからでしょ」と両親がなじり合っていた(笑)。偽善者的とはいえ、そういうピューリタン的な家庭で育ったから、私の性の目覚めはもっとクラシック。ママが読んでいた婦人雑誌の綴(と)じ込み付録からです(笑)。
湯山 いくつくらいですか?
上野 高校生。あなたは最初からセックスが淫靡(いんび)な感覚と結びついてたって言うけど、そういう性に関する感覚、「これは何か隠さなければならないもののようだ」という感覚って、家庭だけじゃなく、同年代の子ども集団からも入るんじゃない?
湯山 そうですね。
上野 私は、もっと悪いことに、子ども集団から隔離されてたの。
湯山 ご近所、いわゆるストリートで遊ばなかったんですか?
上野 ストリートの子どもたちの集団から隔離された、深窓のガキだったわけ(笑)。だから、子どもの世界で伝わるひそひそ話が私には入ってこなかった。
湯山 学校でもなかったんですか?
上野 学校の女子カルチャーやパワーストラクチャーだったの。で、女子グループから外されちゃったわけ。外されることも気づかないぐらい、ボォ〜ッとしていた子どもだったょ。
湯山 天然ちゃんだったのかー(笑)。
上野 いじめの対象になったり、仲間に引き入れられたりという、女の子集団のパワーポリティクスに引き入れられなかったのね。孤立してても孤立と思っておらず、転校生とお友達になって。そんな子だったから、性のひそひそ情報は入らなかった。
湯山 なるほどね。じゃあ、何がきっかけになったんですか?
上野 思春期になると、男の子たちの態度が変わるのね。突然、「おまえ、女だろう」という態度になってさ。例えば、ラブレターが来て、「貴女」と書いてある。それで返事を出したら、次の手紙に「君」とある。なんで返事を一回出しただけで、「貴女」が「君」に変わるんだろうと思った。そのまま放っておくと「おまえ」になりそうな勢い。
湯山 そんなボォ〜ッとした女の子だったとしても、異性をひきつける何かがあったということは、上野さん充分にモテ系ですよ。
上野 田舎の高校生だから素朴なものよ。ただ、「おまえは女だ」という男の子たちが与える指定席が、自分の間尺に合わなかったのね。あなたはそれを楽しんだけど、私はそのあとに控えているのが母のような人生だと思ったから。
湯山 それで、家を出て、京都の大学に進学したんですよね。
上野 「これが女向けのメニューだとしたら、こんな人生、やつてられない」と思ったんだけど、そこから大きな葛藤が始まった。母親とはうまくいかなかったし、父親は私を溺愛しているのに、私は父親を軽蔑してた。それで何かしたかったと言うと、親の家を出て大学へ行って、弾けた。親の禁止したことを一通り全部やったの。
湯山 典型的なパターンですね(笑)。
上野 スポイルされまくった子ども時代を過ごしてたから、「このままだと、人間としてダメになる」と思ってた。18歳で家を出たことは、自分でもいい決断だったと思う。
「性」という親離れの推進力
湯山 親が禁止していたことって、まずはセックスですよね。
上野 そう、まずセックス。そして、酒、外泊、学生運動。それから万引き。悪いことは、早めにやって早めに卒業しました。
湯山 わかる。
上野 それから、禁止された買い食い。
湯山 地方の優等生ってそういうものなのか―。私、小学校のときから、シューキーズやサーティワンに通ってたのに(笑)。
上野 まあ、一通りやったのよ。やりながら、「こんなつまらないことが、どうして蜜の味がするんだろう」と思うわけ。理由は明々白々よね。なぜなら禁止されていたから。禁止が外れたら、どんなにつまらないことかがわかった。そして、禁止されたことを全部やりながら、ものすごく不自由だとも思った。全然、自由じゃないのよ。つまり、抑圧を振り切るために、その反対の極を選ばなければならかったことなのね。
湯山 抵抗しただけ、タブーに反応しただけ、ってことですもんね。
上野 そうそう。親というものすごい重力圏から脱出するために必要だった。
そういう推進力って爆発的なものよね。そういう暴力的な力が必要だったんだけど、それは自分を傷つけ、他人を巻き込み、はた迷惑そのもの。セックスなんかは一人でも完結しないからね。ものすごくはた迷惑なんだけど、やめられない、止まらない。自由になるためにはこの抑圧を振り切らないと、次に行けないんだなってことは、後になってわかったけど、当時は必死だったから。綱渡りするような恐ろしいこと、やってた。あのとき、よく妊娠しなかったもんだと思う。あとから、「あんた、よく京都の町を無傷で歩けたな」って言われたさ(笑)。
湯山 ホントですか。ということは、乱交とかワンナイトスタンドも?
上野 まあ、いろいろやりました。
湯山 ま―、若い時分は、砂を噛むようなセックスばかりですからね。
上野 そう。で、一通りやったら気が済んだ(笑)。山のように悪いことをやったので、援交をやってる子や自傷系の子たちの気持ちが、すごくわかる。自傷すれすれのセックスもある。相手も自分も道具にしちゃっているような。自分だけじゃなく、相手の男もズタズタに傷つける。
湯山 今、思ったのは、性って、女の子にとっては親殺しするときのデカい推進力になるんですね。イニシエーションのようなものがあると思います。
上野 男にとっても女にとってもそうね。性は、親離れの契機。親に対する最初の秘密。やっぱり性は成熟の証しだから。だから最近、知人から自分の娘を自分の家で男と同棲させているって聞いて、ゾッとした。
湯山 うわぁ! 気持ち悪いけど、そのパターン、最近、案外よく聞くかなぁ。親の言い分は、「自分の目の届かないところでコソコソするよりいい」って。またも管理支配。
上野 そのとおりね。母親はフェミなんだけど、自分の目の届くところで、娘と男とセックスさせるのは、物分かりの良さとは違うと思う。私が娘だったらそうはしないし、親だったら、「セックスしてもいいけど、私の目の届かないところでやれ」と言うと思う。そうしないと性が自立の契機にならない。
『ハイト・リポート』が明かした、女のマスタベーション
湯山 女の人がマスタベーションするって話は、つい2、3年前までタブーでしたよね。
上野 たださ、快感って誰に教わらなくても、小学生くらいから知っているよね。それが何か分からなくても。
湯山 女の人はまぁ、100%知っていますよ。アンケートの結果と違ってね。
上野 女のマスタベーションに脚光が当たり始めたのはごく最近、というのは間違い、1970年からの歴史を忘れちゃいけない。当時のリブの女たちがやったのは性革命だったんだから。それに、女性の性行動を調査した『ハイト・リポート』があった。『ハイト・リポート』のハイライトの一つは、女のマスタベーションを主題にしたこと。しかも画期的だったのは、量的な調査でなく、質的な調査をやった。性的な経験について自分の言葉で書いてもらった。あなたがいくつの頃だろう。小さくて知らない?
湯山 家に転がってた週刊誌を読んでいましたから、存在は知っていましたよ。
上野 『ハイト・リポート』は、日本の女にものすごく大きな影響を与えたと思う。あのリポートがもたらした事件が二つあったの。一つは、女の七割から八割がセックスのときにイッた振りをしていると答えたこと、そのうち八割が、男はそれに気が付いていないと答えていて、それが大きく報道された。もう一つが、女のマスタベーション。あの手この手のいろんなやり方が書いてあって、私は一通り試しました。あれは勉強になった(笑)。
湯山 ああ、そこが難しいところかもしれない。男の人って方法は単純だけど、女の人ってモノ派もいれば、床派やシャワー派もテクノ好きもいてバリエーションが豊かだから、あんまり他人と共有できないんですよ。
上野 それらがちゃんと、言葉で説明してあったのが『ハイト・リポート』なのよ。その直後の影響を受けて日本で生まれたのが、『モア・リポート 女たちの生と性』。似たような調査を日本の女性を対象にやったわけ。日本の80年代のフェミニズムの成果だといいと思う。そこでも『ハイト・リポート』とよく似た結果が出て。そのあたりから、マスタベーションはメディアに公然と出るようになりました。
湯山 そうだったんですか。
上野 それから性行動の調査に、女性のマスタベーションが調査項目として入るようにもなった。ただ、世界中のセックスサーベイでわかってることなんだけど、女性のマスタベーションは「過少申告」の傾向がある。
湯山 「やっていない」とも言いますしね。絶対に100%だと、私は言っているんだけど。
上野 やっていないわけねえだろう(笑)。教えられなくたって、わかる。「やったことがありません」っていう人には、「嘘つくんじゃねえ」と思うよ。
湯山 そういう女は、まず信用できない。
上野 そこ、私たちは完全に一致するね(笑)。ただね、マスタベーションを認めている人でも、頻度や回数については、過少申告の傾向があるのよ。
湯山 課題に申告して、お得なことは何もないからな―(笑)。
上野 調査からはこういうことが、もう大体わかっている。たしから、セックスの中でもマスタベーションってタブーだった。特に女の場合は。女のセックスは男のためにあるもんで、自家消費しちゃいかん、ということになってた。
湯山 男に開花させられ、喜びを教えられ‥‥というね。まあ、これロマンチック妄想の根本でもありますからね、
マスタベーションと相手のあるセックスは「別腹」である
上野 ここ約30年ぐらいの間にセクシャリティ研究が進んで、大きく変わったのは、マスタベーションは相手のあるセックスの代用品ではないとはっきりわかったこと。マスタベーションはマスタベーション。相手のあるセックスは相手のあるセックスだと。
湯山 それはそう。全然、別腹でしょ。いや、しかし、私にとっての当然は、往々にして皆さんのそれではないからなー(笑)。
上野 別腹って、うまいこと言うわね(笑)。つまり、一方が他方の代替えになることはできないんだって。でも、調査でのマスタベーションの過少報告は、マスタベーションって相手のあるセックスの代用品で、相手のいない人の可哀想な代償行為だと思われていたから、言えなかったのね。
湯山 マスタベーションと相手のあるセックスが、理性的に因数分解できるようになったら、大手柄だと思いますね。もっと言うと、性欲と恋愛も別腹だと認識したほうがいい。おとこのひとなんてすでにオナニー文化があるんだから、ムラムラの性欲処理と、彼女を作りたいという気持ちは違うと、文化的に知るべきですよ。女の人はオナニーそのものを同世代でもあまり語らないし、自分のムラムラをロマンチックな恋愛で消化させようとして男に突進していき、様々な悲劇が生まれてる。小説や映画なんかでも、女のムラムラは悪魔のような扱いを受けてて、女にとってはもうないことにしたい最上級品目だとも言えますよね。でも、実はそうじゃなくて、性欲はもともと人間である自分の肉体が持っているものだってことですよ。
上野 あなたの話を聞いて思うけど、「男に選ばれて何ぼ」という自己評価を、女の人たちは骨の髄まで内面化しているのね。マスタベーションを同一視したら、結婚すれば夫にも妻にオナニーの権利を奪われることになる。
湯山 この間も私が連載を持っている女性誌のお悩み相談で「夫が隠れてSMのエロビデオを持っているのが分かりました。ショックです」なんて言うのがあってびっくりした。何がショックなのかようわからんかったですよ。
上野 夫に対しても、「私という者がおりながら」と妻は思う。夫にオナニーさせるのは、妻の恥みたいな。そんなバカなと思う点は、私たちは一致してる(笑)。
湯山 ウチは夫婦で、全然平気ですよ。夫にはエロ本のコレックションがありますし、私の方もBLマンガが本棚中にあふれているし。
上野 あなたたちのように、夫婦間にマスタベーションのタブーがないカップルは珍しい。なぜかと言うと、射精は、相手のために残しておくべきもので、ムダにしちゃいかんから(笑)。本当は別腹なんだけどね。
セックスの頻度とその人の幸福感。その相関関係は?
上野 90年代になって、世界的にかなり大規模かつ科学的セックス調査が登場しました。これは二つの意味があった。それまでのセックス調査は、どれもボランタリーサンプル(自発的な志願者)による調査だったんだけど‥‥。
湯山 それだと、偏向がでますよね。
上野 そう。もともとセックスに関心の強い人が答えになるから、バイアスが掛かる。そこで、この「科学的」な調査は、大規模な集団を対象にランダムサンプリングという方法で行われたんです。フランスとイギリスとアメリカで、サンプル数が数万規模の大きな調査でした。
湯山 免疫的サーベイというのは、何だったんですか?
上野 エイズの蔓延が調査の背景にあった。それで、公的機関が予算を確保できた。どのくらいの同性愛者がいて、その同性愛行為の頻度とエイズの蔓延の程度を、免疫的にシミュレーションするために、基礎データが求められた。その口実の元で、性科学者、性行動の研究者たちがエイズとは関係ない質問も、調査項目に紛れ込ませちゃった。
湯山 予算が出ているんだから、やっちゃえーと言うところですね(笑)。ナイス!
上野 それが『セックス・イン・アメリカ』という本のもとになった有名な調査。そこですごく面白いデータが出たの。「性交頻度とマスタベーションの頻度とは相関する」という結果。
湯山 お盛んな方は両方ともお盛んということですね。これは、私の認識とも一致するな―。
上野 性的に肉体が活性化している人は、他人の身体に対しても、自分の身体に対しても性的に活性化すると、私はマスタベーションのことを「自分の身体とのエロス的な関係」、相手のあるセックスを「他者の身体とのエロス的な関係」と定義しているの。自分の身体とエロス的な関係を持っておかないと、他人の身体とエロス的な関係を持つなんてできない。だから、マスタベーションはやっぱり基本の「き」なのよ。
湯山 そう、まず自己の身体といかなるエロス的な関係を結ぶかは、すごく大事なことで、他のものによって代替できないこともはっきりわかった。その調査がさらに面白いのは、セックスを頻回にすること、もしくはほとんどしないことと、その人の幸福感との間には、何の相関もないという結果が出たこと。性的に活性化してるしていないや、マスタベーションとセックスの頻度の大小は、幸福感とは関係ないというわけ(笑)。
湯山 そこには、ちょっとカクッと来ちゃったけどな。
上野 私はその結果を見て、目からウロコが落ちた感じがした。やっぱりそうだったのかと。
湯山 それはセックス強者の発言ね(笑)。実際には、別にセックスがなきゃないでも定位安定している。穏やかな生活で、かえって幸せだったり。例えば、グルメでうまいもの食って楽しい思いをしている人と、お茶漬けと梅干で幸せな人と、一方が他方を羨(うらや)んだり蔑(さげす)んだりする理由は、別にないんだよね。
湯山 私はそこ、自戒しなきゃいけない。しかしですね。暑苦しいと思われるだろうけど、私、絶対こっち側がいいと思っているんですよ。
上野 どっち?
湯山 グルメのほう(笑)
上野 まあ、文化ってそういうもんだから、文化は倒錯や退廃を含めて、目的を失って進化したものなんだから。セックスも文化だから、クオリティという点では、いろいろ食べて楽しんでるグルメ型のほうが、豊かではあるでしょうよ。
湯山 今、更年期の性欲減退に見舞われてまして、ふと、お茶漬けと梅干しでいいかな、と気弱になっている自分がいる。ダメダメダメ。フォアグラとトロを忘れては(笑)。
「生涯に性交した相手は3人以内」という事実
上野 日本でも実は同じ時期に、厚労省と名前が変わる前の厚生省が、エイズのための科学的免疫学調査を実施したのよ。だけど、データが一人歩きすると困るという役所的な理由で、公表されていない。
湯山 どっかで聞いたことのある理由だな(笑)。
上野 それで、NHKが独自に調査したの。『日本人の性行動・性意識』という本になっている。その調査設計と分析の監修をしたのが、私と宮台真司さん。
湯山 おお、どんな結果が出たんですか?
上野 これもねぇ‥‥、日本人のセックスってこんなにも貧弱だったのかって(笑)。頻度も少なければ、相手の数も少ない。男女ともにほとんどの人が生涯に性交した相手が、3人以内で納まってた。
湯山 マ〜ジですか? ホントに私が知っている世界って日本のドコなんだろう(笑)。
上野 大多数の人がそうなのよ。対極に「20人以上」というところに、もう一つのピークがあるんだけど、それは少数派。でも、世界中の庶民のセックスって大概そんなもの。それほどお盛んじゃない。みんな、慎ましく生きていることがわかる、まぁ、ホッとするようなデータですよ。
湯山 ホッとですと!?
上野 だって、セックスを頻回にし、相手の数が多いと、刺激も大きいけど、その分ストレスやリスクも高いのよ。
湯山 それは、そうだ。
上野 アメリカのデータでは、40代以上で、セックスパートナーがたくさんいる「恵まれた」シングル男性と、既婚の男性と、どちらのほうがストレスが高いかというと、シングル男性のほうがはるかに高いことがわかっている。
湯山 自分でハントしなきゃいけないから、ということになりますからね。
上野 メンテナンスにいろいろコストがかかるしね。妻は一番メンテにコストがかからないセックスのパートナー。さらに、既婚男性のほうがシングルの男性よりも平均寿命が長かった。だから、結婚は男の健康と精神衛生にもいいのよ。女は逆かもしれないけどね。
湯山 あ、さっき、結婚の話題で出たように、もはや夫婦間のセックスは、肌の温もりがいつでも保障されるメンタル&ボディの長命健康法と考えた方がいいですよ。
セックスよりも強固な、マスタベーションのタブー
上野 2000年に、山田詠美さんが『学問』を書いたでしょ。「私は欲望の愛弟子」と、なかなかいいキャッチもついていて、マスタベーションに目覚める子ども時代から女主人公の一生を書いた、いい小説でした。それが日本の女性作家が女のマスタベーションを題材にした、初の小説だと言われましたが。
湯山 そんなになかったですか? 松浦理英子さんの『親指Pの修業時代』もそうだったんじゃないですか。
湯山 『親指P』はマスタベーション小説とは言えない。足の親指が性器化するという、身体的にありえないSF的設定だったら。もちろん、それ以前にも、セックスが好きだと公言する女性作家はいましたよ。岩井志麻子さんや村山由佳さんもそう。セックスから始まる愛もあるという物語を書いたのは山田詠美さん自身。それが、マスタベーションを正面から取り上げた初めての小説と聞いて、今さら感があった。フェミ業界ではそんなのとっくに言われていた。小説のほうが遅いって。たしかに、フェミの世界でも、セックスよりマスタベーションのタブーのほうが強いことは強いけど。
湯山 それって、ネタの問題が大きいんじゃないかな。申し訳ないですが、自分のネタ、マッチョな物語ですから。それこそならず者の義父、鬼龍院政五郎に犯される夏目雅子とかさ。古いか(笑)。
上野 インモラルっていうより、わかりやすい家父長的物語ね。でも、わかる。そこはアキレス腱なのよ。フェミでもどっちが萌えるかっていうと、犯されるほうがいいとかね。
湯山 今はその点、別腹感も堂に入っているので乗りこなしているけど、少女の頃は、その物語をファンタジーとして遊ぶ余裕がなかったから、自分のアンビバレンツさが抑制的に働いてた気もしますね。
上野 セックスについて、マスタベーションのほうがタブーとして強いっていうのは、面白い現象よね。セックスは基本的に他者のために存在すると思い込んでいるのか、ヘテロセクシズムがあまりに強い。この壁を破ったのが、90年代に登場した獣フェミニスト集団FROG。20代の若い女の子たちが、オナニー話で盛り上がろうとグループを作った。タブー破りの活動でしたね。
湯山 まあ、不思議ではありますよ。だって、女の人が自力でセクシャリティを自分に取り返すオナニーって、フェミの一番の柱だとも思いますけど。恋愛も結婚も、男と関わるものは結局、制度的な縛りがあるんだから。
上野 そのはずなんだけどね。でも、どうかしら。ガールズトークであからさまにセックスを話をする女の子たちも、同じ場でマスタベーションのやり方を微に入り細に入って言うと思う?
湯山 言わない。着目すべきは、そこですよ。
上野 でしょ。やっぱりタブーは、セックスよりマスタベーションのほうが強い。
湯山 教えや躾や罪悪感が原因なのか。フェミの女たちをもってしても、そうとはね。
上野 何故なんでしょうね。「自分の性欲は男のためにある」という刷りこみがあるのかな。男によって選ばれ、男によって快感を得るということが、どこまでも内面化してる。性欲を自家消費することへの禁止は根強いわね。それには、マスタベーションは男に選ばれない者の代用品、惨めなセックスというイメージが、まだまだあるんでしょうね。
湯山 あとはですね。ネタとなると、男は攻め、女は受けのポルノ紋切り型を好んでしまう、というのは、男に「ホラ見たことか?」とツッコまれやすいからでしょう? そんな隙をフェミは嫌ったんだと思います。
自分の女の体を愛することと、アンチ挿入主義
湯山 上野さんも『女ぎらい ニッポンのミソジニー』で書いていたけども、フェミズムの一派の人たちって、女のこの体を憎んでる感じではないですか? それが、マスタベーションの良悪に大きく関わっていると思う。
上野 ああ、そうね。あると思う。
湯山 実はそれが、多くの女たちをフェミズムから遠ざけてるんじゃないですか。
上野 その指摘、素晴らしいね。やっぱり、憎んでる体は愛せないわよ。愛せない体とエロス的な関係は結べない。基本は、自分の体を愛せるかどうか。自傷系のセックスというのは、自分の肉体をどぶに捨てる行為をやってる。それって、自分の体を憎んでるからなのよ。
湯山 SMも、過度のMに走る女っているじゃないですか。奴隷志願の。ああいうケースも、絶対自分の体を憎んでいますよね。
上野 ある種の自罰志向よね。自分が嫌っているものを罰してほしいという。
湯山 やっぱり思春期の問題って大きいと思うんです。私はたまたまファッションといったことで乗り越えたんだけど、多くの女の人が、急に胸が大きくなったりという体が変化する時期を、うまく乗りこなせないんじゃないでしょうか。
上野 母からの刷り込みが大きいと思うな。あなたの母親は、初潮のとき、どんなふうに反応した?
湯山 これまたウチは酷かった。母がバタバタ忙しい時で、「今、なっちゃったの? じゃ、はい」って、生理用品をボーンッて投げられて、すごく軽いものとして対応されました。
上野 赤飯を炊いたりはしなかったのね。
湯山 炊きませんよ。だからナプキンの使い方も分からず、閉じたまま使っていたら、「あら、教えなかったかしら」みたいな反応。
上野 子どもに関心を持たない親だったのね。かえって、よかったかも(笑)。私は何しろ、アンネナプキン以前の世代だから。ウチは家業が医者だったから、脱脂綿が山のようにあって、母が使い捨てナプキンを手作りしてくれてたの。あとで気になったんだけど、ナプキン以前の時代ってどうしていたんだろう、明治や大正の女たちはって。
湯山 ぼろ布で作って、洗って、使っていたんですよ。「お馬」って言われてたやつを。今、エコ派の人たちは、洗えるナプキンというのを使っている人もいますよ。ミソジニーに話を戻すと、
体の構造として、女は男が勃(た)たなければ性交できないという刷りこみもありますよね。その性の不平等感をもって、「おまえがブスだから、俺を勃たせてくれない」というようなことを男がよく言うけど、そんな刷り込みも、女が自分の女性性を恨む背景にあるんじゃないですか?
上野 男と女の非対称性は解剖学的宿命によると、あなたは言いたいの? それだと、挿入絶対主義になる。
湯山 あ、私は挿入至上主義じゃないですよ。挿入は好きではありますが(笑)。世間一般にある擦り込みの話です。
上野 挿入だけがセックスじゃないとなれば、男が勃たなくなって女が傷つく必要はないんだけどね。萎えたチンポコを慈しみ合って、添い寝すればいいんだから。
湯山 しかし、「挿入が絶対だ」と、男以上に女も思い込んでいる。
上野 「オレをムラムラさせない女は女じゃねえ」というのは、たしかに男の中にある。女は男の性欲の対象、すなわちムラムラするモノだから。でも、ムラムラ、ドキドキ、ワクワクというのは、相手が予測できない部分があってこそ生じるものでしょ。だから、慣れ親しんだ肉体より、そうじゃない未知の肉体にムラムラするのは当然。食い慣れたものより、食ったことのないものにゴックンと生唾が湧いて、「おお、食ってみよう」と思うのと同じ。性欲には、そういう要素があると思う。
湯山 大いにありますねぇ。
上野 ムラムラだって経験と学習。なのに契約を結んで、「私以外にムラムラするな、ムラムラしてもガマンせよ」というルールを作る。その必要はないと思うけど。
湯山 そういえば、ムラムラの方向が、日本はものすごく狭いですよね。若い妊娠可能な女のみ。最近は、だいぶそうでもなくなっているけれど。
上野 セックス文化のシナリオが貧しい。
湯山 ヨーロッパなんかでは、ムラムラの層が厚いでしょ。
上野 日本でも今、風俗は熟女と人妻が熱いという話よ(笑)。
湯山 でも、残念ながら、マザコンタブーの底が抜けた感じですよ。熟女好きに話を聞くと、柔らかく自分を包み込んでくれる、甘えられる、面倒くさくない、いろいろ優しく教えてくれる、みたいな言葉が並ぶ。まったくもって「お母さん」を求めてる感アリアリですよ。
多様性を楽しむ、セックスのすすめ
湯山 私思うんだけど、一般的なセックス観ってどうしてもエクスタシー偏重ですね。イッて何ぼ。
上野 射精偏重ね。
湯山 そうなんです。でも実は、セックスレスの夫婦もそうだと思うけど、性交はなくても、ベタベタとした添い寝主義の人って多いんじゃないでしょうか。私はそれもセックスの一つだと思っているんです。
上野 私もそう思う。
湯山 言ってしまうと、もうそんなに激しいものを求めないし。日本のリアル夫婦間のハッピーセックスの方向はもはや、オナニーと添い寝の両立かも。
上野 セクシャリティは多様なものだからね。性感帯だって、全身にあると言えば全身。その気になれば、あらゆる感覚が性感になる。マッサージしてもらうときは、性感をピタッと遮断しとかないと、感じてしょうがない(笑)。
湯山 うわっ。上野さん、そりゃ全身性感帯宣言(笑)。
上野 それだけ性感のヴァリエーションがあるなら、関係次第で何だって性的な関係になるわけよ。指でつまんでるだけでもそう。だから、挿入・射精至上主義というのは、男の思い込み、強迫観念だと思うね。
湯山 ハリウッド映画なんかを観ると、アメリカもまだその強迫観念は強い。
上野 世界中、男はどこでもそうね。バイアグラが売れるところは、みんな、そう。
湯山 日本でも売れていますよね。あと、もう一つ日本のセックス観で思うことは、「コンプライアンス社会」が家庭の中に入ったのか、今、ものすごく厳格になっている。私の親世代では、もうちょっとユルかった気がするですが。男の浮気だけは許されていた、という不平等はあったにせよ、「浮気が人に非(あら)ず」ぐらいになったのは最近ですね。相手に知られなければ、お互いにセックスをどこかでやって来てもいいという暗黙の了解に耐えられないとも言える。なぜならば、みんな子どもだから。
上野 そもそも結婚って空洞化された契約で、制度結婚には契約違反は織り込み済みという考えが、一つあるわね。あなたの結婚観に近いと思うんだけど。それは逆に、性の相手が変わるたびに家族の解散と再結成を繰り返すという結婚もある。
湯山 アメリカがそうですよね。
上野 私の場合は誰とも専属契約を結んでいないから、自由に言えちゃうんだけど。
湯山 私も全然、旦那の浮気とか気になりませんよ。
上野 浮気じゃなく「婚外性交」と言い換えたらどう? ほかの女に惚れるって言われたらどう?
湯山 ああ、それも全然気にならない。ほかの女への恋心と、私への愛情は別腹でしょうから(笑)。
「予測誤差」があるほど快楽の刺激は強い
湯山 さっきも告白しましたが、私、オナニーで欲情する萌えポイントは、ものすごくマッチョかつヘテロセクシャル。はっきり言って、男による肉体開発物語は、プロジェクトX並みに好きです(笑)。しかも、絶対に美男子のみ。
上野 だから、わかるってば(笑)。私だって受動のほうが萌える。
湯山 もう全然Mなわけです。ただ、それはファンタジーだから、私自身もいいとしているんだけど、実はここでも考えるところがありまして。日本人の性愛モードといいましょうか、ファンタジーの中のヘテロ暴力性の萌えドコロのみを快感の回路として強化育成してしまう悲しさがあるんですよ。セックスの間、目の前のリアル肉体よりも、頭の中では疑似SMを妄想してたりとか、快楽の回路をオナニー的な方向に持っていきがちという。これが例えばね、キリスト教文化圏の白人のセックスなら、妄想ファンタジーを使うよりも目の前の相手と工夫して、快楽を一緒に高め合う、文字通りの”メイクラブ”ができるんじゃなすかなと。違う性器を持つ者同士がイコールで、共同作業としてヒューマニストティックなセックスを営むというような。
上野 そのタイプのセックスって、日本人とはできないの?
湯山 日本の場合、男女差と権力支配ファンタジーを萌えポイントとして使うセックスが擦り込まれてる気がします。
上野 それじゃ日本文化論みたいな運命論になっちゃうわね。M系妄想について話しましょうか。熊谷晋一郎さんという脳性麻痺で車椅子生活をしている小児科医がいます。彼が自らの経験を『リハビリの夜』という本にまとめ、賞を獲った。その彼と「快楽」をテーマに対談したときに、二人の意見が一致したのは、「快楽とは受動的なものである」だった。
湯山 おっ、その心は? マッサージ師よりも客の方がいいに決まってる、ということですか。
上野 性欲の主体になるより、性欲の客体になるほうがいいに決まっているもんね。だって、欲望の主体になるということは、自分の欲望をコントロールし抜くことでしょ。考えてみよ。最後まで統制の下に置かれている欲望なんて、快楽に達するわけないんじゃない。快楽とは自分の統制から放たれたところに初めて到達する妄我だから。
湯山 ああ、もうコレは異論なさすぎ! 人間はとにかく面倒くさいことがキライだから、むこうがイロイロやってくれるほうがいいというだけ。
上野 ただし、リアルなMと妄想のMとでは違いがある。彼が言うには、マスタベーションの快楽と、相手のあるセックスの快楽と、どちらも快楽には違いがないが、相手のあるセックスのほうが、快楽が深いのは理由があると。ほら、自分で自分をくすぐるのと、相手にくすぐられるのと、どっちがくすぐったい? くすぐられるほうでしょ。これを医学用語では感覚器官の「予測誤差」って言うんだって。
湯山 予測できないから、よりくすぐったくなる。
上野 そう。自分で欲望をコントロールし抜くと、予測誤差がなくなる。でもって、予測誤差があるところのほうが、刺激はより強くなる。
湯山 この予測誤差論はいろんなところに当てはまりますね。
上野 そこに私が付け加えたのは、「予測誤差も安心の範囲にないと、自我の譲渡はできない」ということなの。だって、本物のレイプだと予測誤差を簡単に超えてしまうし、単に恐怖にしかならない。安心の範囲にあって初めて予測誤差は快楽となり、コントロールから逸脱して自分を委ねられる。それが、熊谷さんと二人で納得した結論よ。
湯山 プロのSMのSの方は、予めM志願者とサインを決めておくらしいですよ。イヤは続行、ダメといったらストップ、という。でも、本当はその決め事もア・うんで分かってくれる人が最高なんだけどね。
上野 そうそう。実はその話は、「僕もどっちかって言うとも欲望するより、されるほうが気持ちいいです」という熊谷さんの一言から始まったの(笑)。男だって本当は、そう思ってるんでしょうね。
湯山 非リア充とリア充のバイリンガルの私ですが、どうして、リア充を続けていられるのかがよくわかった。リアルの現場はやっぱりどんな完璧な予測ともいつもズレていて、そこが面白いんですよ。その段で言うと、もはや仕事は、だいたいのみ込めちゃっているから、予測誤差快楽は少ない。しかしながら、まだまだ恋愛はその予測誤差への希望があるんじゃないかと、ね。無理目のイケメンや美女に、ダメもとでいってみたら、案外イケた、というのは、最大快楽でしょうから。
マグロ化する男たち。果たして人生の果実は得られるのか
上野 男の快楽に関してなんだけど、日本の性産業ってものすごく技術革新とスピードが速い。これまでもテレクラやらアダルトチャットやらと、次々と開発された。このめくるめく技術革新の中で、日本の男たちは受動の快楽に早くも目覚めてしまったんじゃないだろうか。ソープランドって、その典型だと思う。
湯山 「マグロの快楽」ですね。
上野 そう。何もしなくても、ラクして、快楽に導いてもらえる。男にそれを覚えさせてしまったのよ(笑)。風俗系ライターのルポを読んでいたら、最近の風俗では、とにかく男はピクリとも動かず、女が何もかもやってくれるのが一番受けるんだって。寝ているところに乗っかってくれるというもの。いやはや、ほんとにもう。
湯山 彼らにとってセックスって、どれほど面倒くさいものになっているんでしょうかね。それで女のほうも伝統に従っておしとやかに待っているんじゃ、二人で横たわって終わりですよ。
上野 今やマグロは女じゃなくて男。しょうがないわね。こんな状況だと、あなたが言った男女が合意によって対等に作り出すメイクラブ、予測誤差の駆け引きの楽しみなんてあり得ない。どうすりゃいいの(笑)。
湯山 男がマグロの快楽を覚えたことと、草食系男子の増加は、つながりますよね。逆に言うと、マグロの女を黙らせてでもという、かつての男の益荒男(ますらお)振りは、原子力保安院のごとくに今や崩壊してしまったということです。
上野 男も女も、「相手のあるセックスは面倒くさい。自分でコントロールの効くマスタベーションのほうが確実に快楽を得られてラク」という人、増えるでしょう。
湯山 でもなぁ〜、面倒くさいって言っていたら何も‥‥。
上野 そうよ、予測誤差は楽しめないよ。
湯山 生きること自体が面倒の塊(かたまり)ですからね。軽々と自殺してしまう風潮も、笑えないことだけど実はそんなことかも。
上野 とりわけ文化なんて、予測の立たない未知のものをどうやってプログラミングするかってこと。その未知なるものの中には、不安という未知、快楽という未知の両方がある。そこでキーワードとして出てくるのが、「安心」や「安全」なのよ。信頼の中で与えられる予測誤差だから、快楽につながる。だって、子どもが「高い、高い」をしてもらうって、きゃっきゃと笑えるのは、安全に扱ってもらえる信頼があるからでしょ。次の瞬間に手を離されると思ったら、そりゃ恐怖。だから、「信頼」というファクターはどうしても外せないんだけど、それを面倒くさいと言い始めると、予測誤差を伴うような対人関係それのみのが、作れなくなってくる。
湯山 さきほど仕事の話をしたけれど、仕事だって実はそういうことに満ちているんですよね。私の友人で大手の出版社に勤める編集者が、半年前に、抜擢を受けて、名物女性誌の編集長になったんですよ。彼女はどちらかというと、才能はあるんだけど会社の鬼っ子みたいな存在だったから、その事態にビックリしたんだけど、彼女を協力にブッシュした役員というのが、実は彼女とはいつも衝突していて、常に難癖をつけていた上司だった。という。良い話でしょ? こういう、素晴らしい予測誤差が仕事の現実には忘れた頃にあったりするから、みんなハマるんですよね。
男と女がイーブン、かつ、気持ちいいセックスを求めて
湯山 この間、宮沢賢治を読んでたんですわ。
上野 へぇ〜。それはちょっとした予測誤差(笑)。
湯山 でね、その中で宮沢賢治が自分の地元である東北の農村の現況を批判しているんですよ。農民の人生には、セックスと労働しかないと。
上野 しかも、クオリティの低いセックスだった。乗って3分、あがいて3秒。夜這いのセックスは前戯も後戯もなしっていう。
湯山 だと思います。彼はそんな状況がイヤだから、違う世界があるんだということを伝えたいと、芸術を投入した。それが彼の啓蒙原型だったというわけですが、予測不可能な遊びを楽しむこともない、社会の仕組みって、実は宮沢賢治の時代に限らず、今もあって、そこに押し詰められている人が多い気がしますね。
上野 そこからセックスがなくなってますよ、今は。
湯山 ということは、労働だけ? たしかに、セックスを拒否する人たちもいるけど、一方で性に自覚的で旺盛な人も増えています。特にこの5年ぐらいの間で、私の周囲には不幸ではない、艶福家ともいえる女たちが増加してますね。
上野 あら、どういう人たちの集団なのかしら(笑)。旺盛とは、何を指して言うの?
湯山 自分の性欲をはっきり自覚しているし、隙あらばこの肉体を謳歌するぞ、という旺盛さ。
上野 セックスの敷居が低くなっているのは事実。でも、クオリティセックス、つまり、気持のいいセックスになっているのかな。最近、北原みのりさんの著作『アンアンのセックスできれいになれた?』の書評セッションを、WAN(ウィメンズ アクション ネットワーク)の上野ゼミでやったの。そのときに出たのが、セックスのハードルは低くなっているのに、女の子たちがいまだに「やらせてあげている」と言うという話。陰々滅々としちゃった。性に対するタブーはなくなってないけど、性行為のハードルは低くなり、女が男に尽くす「やらせてあげている」というモードは変わっていない。
湯山 私は、ちょっと見方が違いますね。北原さんが『アンアン』のセックス特集が、愛されるためにと女に奉仕ばっかりを説いて、風俗嬢のサービスに貶(おとし)めちゃったと怒ってらっしゃいますが、それだと男女のモデルが古いと思うんですよ。だって、今までずっとそのサービスを男がやってたんだから、今度は勃たない男に女が手練手管を使う平等な時代がきたってことじゃないの?
上野 でもね、『アンアン』の特集で「なんだ、これは。みんな、風俗嬢になったのか」と思うような、フェラのスキルなんかが解説されている一方で、セックスをしている若い女の子たちに「気持ちいい?」って聞いたら、「気持ちよくない」って言うのよ。私は良いセックス、悪いセックスの判断基準は、シンプルに快感原則だと思ってる。気持ちよくないセックスは、やめろよって言いたくなる。つまりね、クオリティセックスになっているのかどうかなのよ。セックスも良貨が悪貨を駆逐するというふうになれば、盛んなほどいいと思うんだけど、どうもそうもなっていない感じがする。
湯山 今や、消費と身体性しか、高度資本主義社会の中で際立って輝きを持つものはないと言われる時代でしょ。身体性の快感は、グルーミングやファッションで得られもするけど、最終的には人と人との触れ合いの快感が一番です。日本って日常的なハグの習慣もないし、それはそれで合気道を習えっていうのもあるけど(笑)。セックスの人肌ダイレクトタッチのよろこびを求めて、女の子がそこに向かうのは、生命としてまだまだ正常ですよ。
上野 マスタベーションもエステも、全部含めて、自己と自己身体とのエロス的な関係だと思う。逆に、自己身体とタナトス的な関係を結ぶこともある。それが自傷や食べ吐きになる。セックスが、自己と他者身体とのエロス的な関係だとしたら、気持ちよくないセックスをやる理由ってない。
湯山 今までは女の人って受け身で、マグロになっていれば、いろいろやってくれるというのがあったけど、男がマグロの状態を甘受し始めちゃったんだから、もうしょうがない。今は男が向こうから来なくなったから、女側から歩み寄ってるだけで、それを娼婦のテクだと考えるのは、被害者意識が強すぎですよ。
上野 相変わらず、女に奉仕させるってのが気に入らない。
湯山 ノーマルな男女関係だって、奉仕のし合いじゃないですかね。
上野 セックスが「気持ちよくない」という子たちのことが、気になるわけよ。
湯山 それは若いからですよ。
上野 学習が足りないってこと? そう来たか、おネエさん。今の反応は予測誤差でした(笑)。
湯山 もっと言うとですね。フェラでオェッとなって気持ち悪いというのは、男性のクンニも同様。しかし、その気持ち悪さを超える喜びは、もう快楽にあえぐ相手の表情っていうやつです。もはやそれは風俗系の奉仕ではないでしょう。やってあげて気持ちいい、やられて気持ちいい、このイーブンさが一番いいんですよ、セックスは。
上野 もちろんそうよ。そうなっていないから、「やらせてあげている」という言い方が出てくるんでしょう。あなたの周辺の女のサンプルとは違うかもしれないわね。でも、学習が足りないって、どれだけやればいいのよ(笑)。
湯山 そりゃ、人生死ぬまで勉強ってことです。
つづく
第7章 加齢という平等