
湯山玲子・上野千鶴子
フェミズムとネオリベの、決定的な違いとは
上野 フェミズムをどう理解するかなんだけど、一般にフェミは、男女平等を要求する思想だと思われているわけね。でも私は、”男女平等”という言葉は使わないのよ。「女性解放を求める思想と実践」だと言っている。
湯山 その場合の「解放」は何に当たるんですか?
上野 何が解放かって、実は誰にも分からないんだよね。そんなもの、客観的にわかるもんじゃない。何が解放なるかは、その本人に聞くしかない。だから、”私”にしか決められないことだと、開き直れるわけ(笑)。
湯山 心で何を解放と感じるか、人によっていろいろなものがあっていいと。
上野 そう、ただ、これを言うと、「ネオリベ」とすれすれになって、ネオリベとフェミの区別が難しくなるのよ。
湯山 そこは私も語りたいんです。私、完全にネオリベの体質があるんですよ。
上野 私にいくらかはありますよ。
湯山 そうですね。ネオリベと言えば「自己否定」「自己責任」ですが、いい大人が自分で決めることをやらなかったり、そもそも決定ができない、というのが、ダメだと思っているんです。それに、進歩の思想も、私、自分の片肺にあります。
上野 進歩?
湯山 昨日より今日の自分が良くなるという、プログロスの思想。それはまったく悪いとは思わない。まったり、という自己充足=コンサマトリーは、別に今の若者だけじゃなく昔から自分の周りにあるんですが、私自身は飽きちゃうんですよ。
上野 ネオリベ女のアイコンと言えば、勝間さんよね。ただ、進歩と言わず、向上といいましょうよ。勝間さんはやっぱり努力と向上の人なのよね。最近では、大事なのは効率だと、努力というキーワードが効率に置き換わったようだけど、効率が最優先というのは、プロデューサー湯山としては、自分の考えに近いと思う?
湯山 彼女は場合は、目的達成のためのスキルの向上といったスケールだと思うんですが、私が言うのは、人間の質として、より思慮深くなり、自分の体験に即した強い言質を持ち、全人格的に成熟するという意味での向上ですね。
上野 そうか、それなら効率では測れないわね。効率優先ではない。
湯山 効率はセコイでしょ。というか、実はリアルな現場では、まわり道のほうにチャンスがあることが多いから、勝間さん、そのあたりも、プロの仕事人というよりも、机上プランみたいなアドバイスが多いんだよね。
上野 それは正しい(笑)。
湯山 それに、悪いけど、効率では救えませんよ。女は。全人格的な向上というのは、教養も含めてです。例えば、世の中にはまだ読んでいない、読むべき本がいくつになっても山ほどあるし、食べていない料理も山ほどある(笑)。
上野 勝間さんの言う効率には、ムダというものが入っていない。でも、アートはムダそのもの。人生の中で最大の贅沢なムダである。
湯山 効率を優先し、システムで何でも解決しようとする人って、IT系もそうなんだけど、文化的教養が欠落している人が圧倒的に多い。いわゆる、ビジネス書の一部の著書なんですが、もの凄く文化に関心があって、概念的にはいかにも、のことを言う。でも、あるデザインの話題から、70年代のヒッピーカルチャーの話になったら、そのことを全く知らなかった。村上隆におけるアートビジネスについては語られるのにね。何かというと、費用対効果って、バカの一つ覚えみたいに連発する輩(やから)ですよ。
上野 あなたは「向上」の意味が全然違う。文化って無形の価値だから、効率に最もそぐわない。もっとも非効率なものよ。
湯山 私が言う向上の中には、奇跡的に「生涯の一つ」に遭遇することも含まれるんです。例えば、私は歌舞伎に詳しいものの、あまり好きではないんですね。でも、その中でも、晩年の中村歌右衛門を演じる正岡に立ち会えた喜びは、奇跡的な体験だった。
上野 『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』ね。ああ、今、目に浮かんだ。素晴らしかったね。
湯山 それも向上に入っているし、むしろそういう経験のほうがデカい。今の自分が見ている以上に、死ぬまでにもっと世界を見てみたいという”向上心”がありますね。
上野 それはわかる! 私、ボケの世界を見てみたいもん(笑)。もっとも見たとしても、もはやそれを自分のメモリーに留めることはできないかもしれないけど。でも、ボケたときに、もし自分に言語能力が残っていたら、ボケの経験をちゃんと言語化してやろうと思う。それが楽しみでボケたいってのも、あるよ。
湯山 最晩年とはつまり、今現在は絶対に実感できない最後の境地ですからね。私も世間一般の言われようと、どう同じで、どう違うのかを体験したいですよ。
上野 今の話で、あなたとネオリベ女の違いがとってもよくわかった。
湯山 ネオリベ女は、いわゆるプラン・ドウー・シー(計画・実行・検討)のコントロール欲で成り立ちますよね。しかし、それはあまりにも学校的で子どもっぽいなあ。コントロール不可の不可知部分が人生の面白さなのに、人間は何のために生きるのか、という考え方の違いにも直結するのかもしれません。
カッマー型のアプローチの限界
上野 勝間さんにハマる女、通称カッマーがこれだけ多いのは、どうしてだと思う?
湯山 勝間さんって、初期の頃はフェミズムの代替えをしているところがすごくあったんです。私がいいなと思ったのは、「女は二流市民」という言い方。さんざっぱらフェミの世界の言語では言われてきたことだけど、近年ではそんなことを言う人が誰もいなかった。それをはっきり言ってくれているな、と。加えて、女たちの現状を見ながら、「こういう実際の方策を取れば、あなたも軛(くびき)から放たれて、この道を歩めるよ」と、具体的なタマを出してきたのが、すごくいと思った。現実的に、女性の状況を改善するテクニックでしたから。
上野 最初に彼女が売り出したのは、賞を取った「ムギ畑」というワーキングマザー向けのウェブサイトでしたね。
湯山 あれで助かったワーキングマザーの人たち、多かったと思う。こうなったらいいよね系の理想論や問題提起だけでなくて、子どもがいる女性が働くことで自己実現するにはリアルに何が必要か、というスタンスでしたからね。
上野そう。それに彼女はシングルマザーでしょ。子ずれのシングルは、タダのシングルの女よりもっと弱者になる。働く母親たちにメッセージを送ったというのは、やはりフェミ的なアプローチだったんでしょうね。
湯山 言葉だけの励ましじゃなく、三人の子どもがいる自分の事例を出して、その痛みも含め、リアルなものを感じた。だから、私は最初、好意的に見ていましたよ。
上野 私もゼミに来てもらったことがあるのよ。開口一番、あなたが認めた通り「女は二流の労働者です。そこから出発しなければなりません」だったから、「おお、この人はスーパーリアリストだ!」と思った。すごく説得力があったのよ。でも、最後に言ったセリフが、「私は努力しない女は応援しません」。だから、勝間さんにハマる女たちというのは、勝ち組女、もしくは勝ち組になりたいと思う女よね。でも、なりたいと思ってもなれない女は山ほどいる。そうして、体と心を壊す女も山ほどいる。
湯山 それは勝間対立項である香山リカさんの方に行く女性ですね。私が勝間さんの言い分を認めたのは、「二流で上等、どうせそれしか生きられないんだ」と、既得権益を持つ男性社会のルールで出来ている世の中に、自分を売り渡しちゃって、そのくせブー垂れてばかりいう女にダメだ、と言ったところです。女の人の中には、もう端から努力をバカにして、面倒くさがって、いいとこ取りするタイプの人たちがいるから、勝間さんがそういう女を拒否するのは理解できる。だけど、有名になった途端の行動に、ブレが生じていろんなことがバレちゃった。さきほども言ったけれど、プロの仕事の現場では、これをやったら必ずこうなるという受験勉強の方程式は効かないのに彼女のアドバイスはそれっぽい。間違ったら悪いことは認めて、謝る、という態度を彼女は勧めていて、自らも「朝生」での原子力発言も含めそれをやっているんだけど、マニュアル臭いんですでに効果がない。個人的には、彼女は生きる上で一冊の小説も必要としない人だと思います。
上野 私は女の限界を感じるな。彼女は何社かの外資系企業で働いたのち、独立を決意したそうだけど、たしかにそれで個人の名前を上げ、年収も何倍かに増えたのかもしれない。だけど、組織と個人の圧倒的な違いってある。組織が動かす意思決定の水準と、個人が動かすそれでは、全然違う。
湯山 ああ、そうか。中枢のカネと権力は、たしかに組織じゃないと得られない。
上野 組織を離れたら、フリーランスとして自分を売り、商品にしていくしかない。組織は牢固として動かないから、ああいう人がいくら出てきても、結局、便利に使われるだけなのよ。それがマイノリティの限界なんだね。それに、万人向けのシナリオでもないし。
構造の問題と認識するが、フェミニズム
上野 湯山さんも私も、これまでたくさん与えられてきたし、奪ってもきたと思うのね。だから、私たちには不全感がないのよ。何かを禁じられたり、奪われたりもしない。禁止されても、自力で限界を破ってきたしね(笑)。
湯山 そうですね。損してる感じは全然ない。だから、あんまり世の中のせいにはしませんね。いろんな人が世の中のせいにしますけど。
上野 そこなのよ、困るのが(笑)。世の中のせいにしないって、エリート女の自己責任的な考え方でそこがネオリベ的。世の中のせいにしないとフェミには行かないわけ。
湯山 ああ、そうか(笑)。こういった自己責任の取り方は、世の中を変えることにはならないからね。一見カッコいいけど、守旧派の思うツボ。特に分別のある女がそれをしがち。
上野 自分の状況を考えたときに思うのは、自力で達成した部分もあるけど、自力じゃない部分がいっぱいある。ジェンダーがすごく関わってるということもあるし。
湯山 具体的に言うと、どういうところでですか?
上野 例えば、「あの程度の野力の男はいっぱいいる上野が東大の教師になったのは、上野が女だったからだ」と言われるけど、それで、いいじゃん。女であることでよそでたくさんワリを食っているんだから、たまにいいことあったって(笑)。
湯山 上野さん、そのリターンは痛快ですよ!
上野 そう。この時代に女の子に生まれてラッキーだったこと、いろいろある。女性学なんて、やらずにすむ世の中なら、その方がいいとも思う。ただ私は、自分と違う立場に置かれた女と自分との違いが、紙一重だとも思っているのよね。主婦になった女とも、フリーターになった女とも、だって、私の世代だと、ほとんどの女が主婦になったし、大学院に行った女はほとんど、この年齢になっても非常勤なのよ。
湯山 学術の世界のジェンダーの壁って、厚いんですよね。文化系のマチズモは厄介だからな。
上野 専任の職を得た女は数えるほどね。定職をゲットした女もいるけれど、ずっと非常勤で生きてる女がいっぱい。自分でも時の運としか思えない。他の人と比べて能力の差がそんなにあったとも思えないから。だから私は基本的に、「構造的問題である」ということと、「紙一重の差」という気があるわけ。それで、私はフェミから降りないのよ。
湯山 逆に言っちゃうと、女の機転は構造的に旨(うま)い汁を吸うことにあると思いますよ。
上野 構造的に旨い汁を吸うこともできるけど、それ以上に苦汁を飲まされている。トータルするとワリに合わないと思うはよ。湯山さんは、高校生のときに自称フェミの女たちとの出会いで、フェミニズムを拒否してたんでしたね。
湯山 フェミの拒否感は、母性系フェミや左翼男のガールフレンドたちがやっていた、学級委員的なきれい事と横並びのスタンスがとことんイヤだったんですよ。
上野 同調を強いる抑圧がイヤなのね。
湯山 そう。抑圧型の統制で、横並びに同じであることを強要するって。だからこそ上野さんの本も読んでた。基本は私もフェミですよ。ブル転したあと、声高に言わなかっただけで。
上野 筋金入りなのね。たしかに、あなたの『女ひとり寿司』を読んだ時にそう思った。フェミのフェの字も使っていないけど、最強のフェミ本だって。女が一人でオヤジの牙城に切り込んだ本だから。
湯山 あの本は高級寿司屋を舞台にしたオヤジ&カイシャ接待文化の落日を描いていますが、その一方で私(女)が寿司を食べに行こうとしたときの内外の抑圧のすべてを書いたわけです。
おカネは自由の条件ではない?
上野 区別されにくいんだけど、フェミとネオリベはやっぱり違う。決定的に違うのは、フェミにとっては、強者にも弱者にも、「自由が大事」という点だと思う。「強者だけに自由がある」というネオリベとはそこが違うのよ。
湯山 あつ、それを言うなら、強者には自由がないんです。
上野 お、おもしろいことを言うのね。
湯山 強者になったら、カネという恐ろしい力を持っていますからね。持てる者たちは、その欲望ゆえに、今度はどんどん不自由になっていく。欲望と自由のバランスは、取るのが難しいものなんですよ。それに得たものを失うのが怖いから、精神のバランスを保てず変な方向に向かってしまう人も多い。身辺にいますよ、そういうカネ持ち。特にこの10年くらいでたくさん出てきた。特に若い投資家といわれる人たちからは、まったくもってカネ持ちの豊かさというものを感じたことがない。私の方が、おカネないけど全然自由。
上野 カネの亡者になっているということ?
湯山 なっちゃうんでしょう。彼らにとっておカネは何かをするためのツールではなくて、何かの信仰のようです。
上野 おカネは自由の一つの条件だったはずなのにね。
湯山 スティーブ・ジョブズみたいに、仕事の結果が、莫大なおカネを生むならいいですが、大抵の人は呑まれちゃうの。だから、私ぐらいが一番いい(笑)。
上野 湯山さんの方が、おカネ持ちの知り合いが多いかもしれないね。私の友達はみんな清貧だから。せいぜいそこそこの小ガネ持ち。カネで縛られるほどの大ガネ持ちに会ってみたいもんだ。
湯山 学習院の同級生にはそのクラスがいましたね。家に遊びに行ったら、平屋の豪邸で、和服姿のおかあさんに玄関で三つ指ついて出迎えされたり。玄関ホールにモノホンの名画がかけてあったり。そのクラスは別格だけど、たいていのカネ持ちは、いわゆる”カネ持ち”的な行動と金の使い方しかしない。知っている地方都市のおカネ持ちの奥さんなんか、ハワイのアラモアナでブランドショッピングしかしていない。彼らは全然、自由じゃないし、面白くもない。日本は貧乏の歴史が長いから、いわゆる成金的なカネの使い方をしますよね。私に3億円くれたら、どれだけ豊かに使うか(笑)。
上野 「3億円当たったら、貯金します」という人がいるけど、信じられないね。
湯山 それが普通の手堅い金銭感覚なんですよ。
上野 3億円もらったら、私なら人材育成に使いたい、何の根拠もなく、「この人」って自分が選んだアーティストや研究者に投資する。パトロンやる気持ちいいと思う。
湯山 私はオーケストラを雇って、私的コンサート。と思ったけど、海外に別邸か分散投資かな? このご時世なんて。あれっ、それ貯金と同じ意味じゃん(笑)。
「承認欲求」という病
湯山 ネオリベ勝ち組にもよく見かける問題なんですが、人から認められたいという「承認欲求」って、女の人をすごく蝕(むしば)んでいるものだと思います。特にヤバいのは大企業で働いている高学歴エリートの女。子どもの頃から親に褒められ、会社に入ってからも「褒められたい欲」で立ち回る。でも、実社会で働くというのは、学校偏差値ではなくて、ホントに結果が出せる人が注目されていく、有象無象がいる中で、まったく褒めてもらえないところから自力で戦っていかなきゃということ。それで承認欲求がみたされず、精神を病む女が多いですね。
上野 どんな症状が起きるの?
湯山 アルコール依存症は多いですね。私、数人、知っています。
上野 嗜癖(しへき)ね。セックス嗜癖もあるけど、嗜癖は逃避の現れよね。
湯山 逃避だけでサラッとやるならまだいいんだけど、人間関係の社会的地位まで壊していくパターンがあるのですよ、恋愛狂、実はセックス狂になる人はそのタイプですね。とある会社のプロデューサーの例なんですが、スタイルとしてのアネゴ肌を気取るタイプで、職場で局(つぼね)になったのち、手当たり次第、出入りの業者や若い部下に手を付けちゃった。スマートにイタせばまだよかったんだけど、彼女は酔っ払った挙句にご乱交型。仕事のできる人だったのに、周囲が彼女のことを悪く言うようになり、社会的に難しい立場に立たされた。逃避が、醜い暴走になってしまったんです。
上野 承認欲求というのは、優等生シンドロームね。良い子症候群。これはエリートに付きもの。褒められたい”子ども”のまま、親になっちゃったある女性の、虐待経験の告白を読んだことがあるのよ。自分が丹精込めて作った離乳食を、子どもが口に入れたとたんにオエッて吐き出したのを見て、頭に血が上り、思わずはたいてしまった、という告白。あとでものすごく自己嫌悪に陥って、自己分析してみた。「私は子どもの時から今日にいたるまで、がんばれは必ず報われた。努力すれば必ず褒められた。先生からも、親からも。ところが子どもは、こんなにがんばって努力しているのに、報いてくれない」と言うわけ。
湯山 それ、ちょっと幼稚すぎやしませんかね。
上野 幼稚には違いないけど、自分の虐待をそこまで言語化できる程度には、知性のある人だと思うよ。
湯山 たしかに自分で分析できるわけですから。
上野 やっぱりエリート女子は。子どもという、人生で初めてのモンスター、自分の意のままにならない存在を目の前にして、「自分の努力が通用しない」「認めてくれない」と言っている。それを読んで、あまりのリアリティにゾッとした。エリート女とは、こういうものなんだよね。
湯山 子どもができるまで、人生、必ず他人から報われてきたんでしょうね。
上野 そう。男に対しても、受けようと努力したら、ちゃんと報われた。
湯山 実際には、報われないこともあったんだろうけど、それはパスして目に入らないことにしていたんでしょうね。でも、子どもはそうはいかないからなぁ。
ルサンチマンを発散し始めた女たち
湯山 私ぐらいの世代の高学歴女は、夫に対するDV率が高いんです。
上野 それ、妻が夫を殴るってこと?
湯山 そう、奥さんのほうから。身近な例を見ているとね、旦那に手と言葉の暴力が出てる。私はそれを旦那側から聞いているんですが、有名メーカーの営業部長と銀行勤務の知り合いがいて、二人とも大学の同級生を妻にしている。一流国立大のかわいい同窓の女子とサークルで出会って嫁にしたと言うんです。妻たちは、例えば公認会計士のような職業を目指してたけど、子どもができたので、なし崩し的に家庭に入ったと。どちらの場合も、子どもを大学に入れて、子離れした瞬間に、妻が荒れ始め、手が出たそうです。
上野 旦那からの話は割り引いて聞かなきゃだめよ。男の場合、殴られたことだけを情報提供し、自分が殴ったことを言っていないケースが多い。殴られっぱなしってことはほぼないからね。夫が二発殴って、妻から一発、だったりね。
湯山 しかし、この二人の場合は、妻のことが大好き男なので、それはなさそう。ここでは妻側の問題を見ておきたいんですが、子離れして、時間を持て余し、自分の立場を捨て、「一生かけて復讐するから」と夫に言うらしいんですよ。家庭のために自分の人生の可能性を断念させられたと恨んでいるわけ。「優秀なんだから働けば」と言っても、「いまさら働くって、私にこれからレジ打ちさせるの」と怒る。
上野 30年前と状況は変わっていないのね。
湯山 そう言えば、上野さんと同世代の残間里江小(ざんまりえこ)さんも、全共闘女だったと自らの告白の中で言っていましたね。短大を卒業して、”君””僕”と言い合ってた季節が終わって就職することなったときに、女たちはハシゴを全部外されちゃったんだ、と。彼女たちは結局、ほとんどが家庭に入って、自分のルサンチマンとエネルギーをすべて、結婚した夫たちにぶつけたり、子どもと精神的な恋人関係を作ってしまう。結果、それが社会に対して復讐になっている。
上野 夫にDVや復讐をして、そのあとはどうするの?
湯山 絶対離婚はせずに、ちょっとした復習を今度はエンターテインメントのように日常的に楽しむようになる。レディスコミックにはその手の物語がいっぱいありますよ。
上野 愛人作るしかないね、そうじゃないと子どもが迷惑よ、はっきり言って。ただ、高学歴女はプライドが超高いから、大抵の男は候補者にならないでしょうね。私たちの世代とパターンは同じでも、昔は高学歴女がレアケースだったし、同世代で高いステータスに到達した女も少なかったから、比較対象もなかった。今の方がそういう例は増えているし、相対的には女の不満がより強くなっていると思う。
湯山 まあ、同窓会に行くと、ちょっと前は、向こうから急にとんでもない矢が飛んできましたよ。私が太ったことをいつまでもギャグまじりに言い続けたりね。
上野 くさい臭いは元から断たなきゃダメ。原因療法をするとなれば離婚しかない。そうなると自分の生活基盤が破綻する。子どもが学齢期にあれば、そうはしないでしょうね。その選択が絶たれれば、ガス抜きの対症療法しか残らないわね。
子どもに犠牲を強いる、母というエゴイスト
上野 不満を抱えた女たちの対症療法は何になるんだろうか、まず、「男を作る」でしょ。それから何だと思う?
湯山 息子や娘の抱え込みですね。
上野 子どもの自立を阻むわけか。トラブルを起こせば、自分の生き甲斐になるし、引きこもりになったらなったで、子どもに尽くし、「私一人がこんなに頑張ってるのに、あなたは何一つ協力してくれない」と、自分の存在感が増す。これって、最悪のパターンね。
湯山 介護を生き甲斐にする人もいる。自分のアイデンインティを介護にすることで確保してるんですね。人様に後ろ指をさされないし、少なくとも伝統的に、非常に座りがよい。これもちょっとヤバいんだけど、会社でうまくいっていない人なんかは、キャリアストップして介護に入る例もある。
上野 依存に対する依存ね。一種の介護マニアになる女の人もいる。夫の両親を看取り、夫を看取り、今度は「私が居なければ」と、娘や息子の子ども、つまり孫の世話に精を出し‥‥。こうなると、女というビョーキですね。娘や息子に潰されなきゃいいんだけど。今まで出た対症療法は全部ネガティブな方法ね。ポジティブなものはない?
湯山 ボランティアか社会運動でしょうか。
上野 なるほど。反エイズや脱原発などの社会運動に奔走し、家庭を省みなくなるパターン。
湯山 ペットというのもあります。
上野 韓流とか嵐にハマるケースもあるかも。こうして見ると、いくつかの類型に分けられる。どれが対症療法としてよく効くのかしら。本人に効くだけじゃなく、はた迷惑になる場合もあるじゃない。中でも最悪なのは、子どもに犠牲を強いること。子どもが最大の被害者になってしまう。
湯山 子どもを抱え込みなんて、愛の力によって「束縛」するわけですからね。
上野 それは愛とは言わず、エゴイズムと呼ぼう。子どものいない私たちだから、こんなふうに言えるけど。親だったら、自分のハートにズキンッと刺さらないわけにいかないでしょう。実際、エゴイズムのない親なんていないけど、それを「子どものために」と粉飾しているから。
湯山 そこを自覚していない、いゃ、しない男女のあのヒステリックな感じはなんなのだろう。「子どものために」は最大のモラル空気を作っていますからね。
上野 私と同年齢の中山千夏さんが、母と娘についての本を書いているの。母親のペットだった娘が、結婚相手を選ぶときに、生まれて初めて母親に背いた。「おまえのために反対するんだ」と言い募る母親を追い詰め、「お前のためにと言ってきたが、実は自分のためだった」と本人に言わせたって。私はそれを読んだ瞬間に、中山さんに対する尊敬のバロメーターが上がった。「私にできなかったことをこの人はした」とね。私は母親をそこまで追い詰められなかったもの。母親を追い詰められる条件は、母親が自分と対等か、自分以上に力量があるかなんだけど、私が母親を追い詰めようとしたとき、敵は老いて、私より弱者になってたのでできなかった。だから迂回して、逃げちゃった。でも、迂回してはならないときに迂回したツケは、あとで必ず来るのよ。
湯山 中山さん、それ、すごいな。ウチの母親は、違う意味でのエゴイズムなんですが、がんがん言って追い詰めても、まったく違うところから意味不明の言い訳として返してくる。強いから反省とか傷つく回路がないですね。あの人には。
上野 それはディスコミ?
湯山 母親のことはどうもわからないんですよ。
上野 じゃあ、外国人と思うしかないわね。向こうも娘を外国人と思っている?
湯山 そんなことを言っています。「あんたはわけがわからない」と(笑)。
上野 娘を外国人と思うのは、母親の知性ですね。逆に、「私が育てたはずなのに、そんなはずがない」というのがエゴイズムですよ。あなたは、自分のお母さんとの関係で、そこまで実積を作ってきたんじゃない。
湯山 しかしながら結婚しても子なしの私に向かって、「子どもを作らないのは、人間として、なっていない!」系の暴言をぶつけてきたところはエゴ丸出しだったね(笑)。
母との相克を語られるようになった女、語れない男
上野 古市憲寿くんという若い社会学者と対談して。のけ反ったの。私の世代の親たちが、「子ども部屋から一生出たくない子どもたち」を育ててしまっていたことを痛感して。それに関しては、性差もないみたい。
湯山 わかります。男女ともに幼稚化していて、今後、大人になっていきそうもない。
上野 親になってすら、子どもであることから降りたくないのね。息子も、娘も、いつまでも子どもでいたがってる。そうした子供たちが育って、二代目、三代目にまでなっちゃってる。子どものステータスから降りたくないなら、親にならずに滅びていくのも一つのオプションだと、私は思うのよ。少なくとも、子どもという未知の生き物に、はた迷惑を掛けずすむじゃない。
湯山 子どもという犠牲者を出さずに済む、と。
上野 これから日本には絶対的に人口減少社会になる。ただ、教師をしていると、世間のしきたりという理由だけで無自覚に結婚し、子どもを作ってしまって途方に暮れ、虐待したり、支配しようとする親と、あらゆる軋轢(あつれき)を経験した果てにストレスに圧し潰されそうな子どもたちが、目の前に実際に現れるのよ。問題を抱えた子どもが多くて、それを見ていると、本当にはた迷惑だと思う。あんたのエゴイズムのために、子どもを育てるなと。
湯山 でも、実際はそういう子育てになっちゃっていますよね。
上野 産むも地獄、産まぬも地獄なんだけど、その被害者が私の目の前に現れるから、身につまされる。性格が歪(ゆが)んでいたり、可愛げがなくて、愛せない子供たちが多い。でも、私が最後のところで踏み留まって、彼らの味方をしようと思うのは、「あなたがこうなったのは、あなたのせいじゃない」という気持ちがどこかにあるから。好きでこうなったんじゃない。私は親にはならなかったけど、「何があっても、私はあなたの立場に立つよ」というのが、教師としての自分の足場になっているよ。
湯山 その歪んだ人格は、何十年かを経て作られているから、簡単には直せないですよね。今やそうした子どもたちが親の世代になっている。捻じれはほとんど直せない。私の教え子の中にも、そういう子どもたちはいます。
上野 次の世代に犠牲者を生んでる。子どもは絶対的な弱者だから。
湯山 私はそこまでの悲劇的な例はまだ見ていませんが、知人と息子の関係を心配に思う時はありますね。その人、女として、ものすごくセンスが良くて、社会的にもステイタスのある人なんだけど、息子への固着ぶりが凄い。
上野 やばいね、それ。
湯山 息子はいい子なんだけど、思春期になって、変な自我が生まれてきている。世の中が自分に要求する「彼女の息子」を演じ始めちゃってるんですよ。イキイキしていない。
上野 うちの学生たちがそういう傾向にある。健気なの。ママが大好き。
湯山 その子もそうです。
上野 ママの顔色を見て、ママの期待に応えてあげたいと思っている。いじらしくない? 見ていて本当に可哀想なのよ。
湯山 息子はママの期待に応えたい。ママもこちらを向いている。私の知人は仕事を持っている人なのでまだ離れる時間があるのでいいんですけど、そうじゃなければ、その密着ぶりから逃げられないでしょうね、男の子の場合は。
上野 そうね、母と娘の問題もすごく脚光を浴びてるけど、母と息子の問題は元から深刻ね‥‥。娘は母殺しをするけど、息子はよほどのことがないと母殺しができない。息子の方が大変だと思うよ。娘の大変さはやっと最近、言語化されるようになった。
湯山 村山由佳さんも『放蕩記』で書いていますね。
上野 遡(さかのぼ)れば、信田さよ子さんの『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』や、佐野洋子さんの『シズコさん』それから、中山千夏さんの『幸子と私―ある母娘の症例』かつては、母に対する娘の憎悪なんて口に出しちゃいけないかつたのだけど、それを言い出す人たちが出てきた。
湯山 それで、ずいぶん多くの人が救われた気がしますよ。
上野 そう。だから娘は言えるようになってきた。でも、男には言えない。母親殺しができないのよ。
湯山 寺山修司がそうでしたよね。寺山修司みたいに卓越した人でも、お母さんは越えられない。「書を捨てて街へ出よう」と故郷を殺し、親殺しを進めた男でもダメ。逃げようとすればするほど母がパワフルに迫ってくる。化け物ですよ、「お母さん」という存在は(笑)。
上野 母と息子の関係は、やっぱりジェンダーが絡んでくる。ボクちゃんには、母を幸せにする責任があると。湯山さんはそれを背負わずにすんでよかったわね。娘だから。弟さんはママを幸せにしなきゃいけないって責任、背負っているの?
湯山 母と弟は昔から結託しています(笑)。しかし、うちの母親は依存するタイプじゃないし、手品にお社交に、非常に外に好奇心がある人だからな。
上野 ママが不幸せじゃなければ、大丈夫。ただ、不幸せだったら、ママを幸せにする責任を、男の子はすごく早い時期から背負っちゃう。いやぁ、男の子は大変よ。そこから降りられないから。追い詰められると、今度はキレて、母を殴ったり、蹴り始める。なかなか明るい話にならない。
湯山 ならないですね。でも、上野さんの「子どもの側に立つ」という矜持はわかりました。
「ロマンチッククラブ」への根強いニーズ、その理由
上野 ここ30年間見ていると、いわゆる性革命によって「性」と「愛」が分離していることがはっきりしましたね。そこで明確になったのが、「ロマンチッククラブ・イデオロギー」の破綻。
湯山 性と愛は違うもんだ、ということが徐々に常識になりつつありますよね。ただ、ロマンチックラブ幻想に関しては、そうとう根が深い。セックスはカジュアルになったけど、やっぱり性欲ムラムラでイタすという理由ではなく、恋愛したから、というエクスキューズをかけてくる。自分には王子様が現れる。自分のことだけを愛してくる人に処女を奪われ、その人が生涯一人の男として、最後まで自分を裏切らず、添い遂げてくれる。…‥ということをそれは幻想だとわかっていても、心が動いてしまう女は多い。
上野 それね、ロマンチックラブともいうけど、私は「オウム幻想」とも言っている。つまり、「たった一人のあなたに私を丸ごと全部受け止めてほしい」という。自分の全面移譲なわけでしょ。虫のいいこと、考えるなよだね。あなたを全部受け止めてくれるのは、神様か麻原だけだって(笑)。
湯山 わははは。宗教ですよね、ソレ。
上野 うん、宗教なんだよ。逆を考えてごらんなさいよ。自分が誰か他の人間、異性でも同性でもいいけれど、誰かから自我を全面的に移譲されて、受け止められる? 背負いきれる? やってられませんよ。自分にできないことを、他人に要求するなと言いたい。女が男に要求しているのはそういうことなんだよね。
湯山 そりゃ、女の暴力ですよ。
上野 そう、暴力ね。女の依存症がイデオロギー化して、「私を丸ごと受け止めて」となる。そうしたロマンチックラブの妄想を持つ女も女なら、その妄想に乗っかる男も男だと思う。そんな重荷を背負って、どうするんだろう。一人の人生を預けますと言う女に、預けられて幸せにしますという男、要求する方も。引き受けるほうも、両方アホよ。
湯山 でも、この種の物語は、そうとう手強いですよ。30代の未婚の女友だちなんて、いくら口を酸っぱくして言っても、うーん、なんて言っている。
上野 不安が蔓延(まんえん)している時代だから。ロマンチックラブ・イデオロギーは、異性間での自我の全面移譲を神話化したもの。親ですら子の全面的な信頼や移譲を引き受けてくれなくなって、限定付きの愛情しかくれない。誰もそういうことをしてくれないから、私を丸ごと抱き取ってという神話化が、ますます進む。これがオウム真理教の温床の一つだったわけですよ。
湯山 まあ、状況は、今も進行中ですよね。もう一つの不満と不安が、こうなればいい、という女のロールモデルがないということ。お手本が欲しい、という学校的な欲求。
上野 オウムの信者の中に、フェミ系の女がいたと、報じられたことがあります。その女性の発言が紹介されて、「上野千鶴子も小倉千加子も読みました。だけど、救いになりませんでした」と言ってたそう。
湯山 そりや、名前出されて迷惑ですな。でも、やっぱり悩んでいるときに高学歴女はフェミを読む。
上野 私に言わせれば、当たり前だよと。フェミニズムというのは、あんたを丸ごと抱き取るような思想じゃないっての。「丸ごと私を受け留めて」という女は、やっぱり神様か麻原のところに行くしかなくなっちゃうのよ。
湯山 あー、でもありがちだな。大人になることは誰でも面倒くさいことなのに、そういう苦労や努力を放棄して、丸ごと系に自分を託そうとする。
上野 生身の人間に要求できないことを、誰であれ、要求しちゃいかん。そんな不自然で無理な要求や契約関係があたかも成り立つかのごとく、?八百のデマを飛ばしてもダメ。男の方はサッサとそこから降りてるんだから。
湯山 女だけが妄想を生き長らえさせてますね。
上野 それには、ヨンさまブームに大変な影響力があったと思う。私は、韓流ブームが理解できなかったんだけど、たまたま「冬ソナ」のポラリスのシーンを見て、よ〜くわかった。ヨンさま演じる主人公が、ポラリスの星をかたどったペンダントを恋人に与えて、「ごらん、あの星を、ポラリスだよ」と、北極星を示す。北極星は不動の星だから、「僕はあのポラリスのように、君のことを守っているよ、どんなことがあっても」と続く。それに女たちはグッと来るのね。
湯山 ハァ〜。最初はドラマグルメになっちゃった女たちがパロデイーか確信犯にハマっているのかと思ったら、ド本気だからな―。もうさ、ポラリスって言われた瞬間にうぷぷぷ、となるでしょ。普通は(笑)。
上野 現実にないからドラマの世界に求めたんだろうけど、とっくに裏切られてしまった日本の妻たちが韓流にハマるなんて、あまりにも情けなさ過ぎる。当人たちはあるわけないことを承知で、フィクションだから楽しんでると言うんだけど、フィクションにしても、こんなチープなメロドラマにウルウルしてたまるかと思うんじゃない。
湯山 だけど、ハマっている女性はあまりに多いですよ。私の周りだと、主婦だけじゃなく、編集者に多い。高学歴で普通にパリコレがどう―したなんて言っている編集者。ファッションと言動は、「セックス・アンド・ザ・シティ」のキャリーでも、心はすっかり韓流ファン。
上野 だから、安心が欲しいのよね。絶対の安心、絶対の受容が。
つづく
第五章 幻想大国ニッポンの恋愛と結婚