湯山玲子・上野千鶴子
「フェミでも、オシャレしていいんですか?」
湯山 実は私、高校生時代にフェミニズムの女たちに会っているんです。俵萌子(たわらもえこ)さんの娘さんが高校の同級生で、萌子さんが革新自由連合公認で参議院選挙に出てたときに、お茶くみでイベントを手伝ったことがあったんですよ。
上野 中山千夏ちゃんを押し出したのと同じ、あの革自連ね、あなた、選挙運動もやっていたの?
湯山 何でも首を突っ込んでたなー(笑)。ブル転したあとも、例のジャンルをブリッジする性格のもと『ニューミュージック・マガジン』なんかを読んでいたんですが、歌手でもあった中山千夏さんも大好きで、それで、ミーハーな気持ちでお手伝いを。
上野 まだ選挙権はない年齢だったでしょ。
湯山 高校2年でした。でも、心には小学校のときに刷り込まれた共闘スピリットが残ってたんですよ。
上野 都立高の生徒としては、そういうことって珍しくなかったの?
湯山 珍しくはなかったですね。面白いなっていう子は、左翼がかかっていたし。ジャズ喫茶で、アルバイト・アイラ―を聴いたりするような文化系って、言説は左翼ですからね。
上野 地方の公立高校には、そういった文化資本はなかったわね。面白いことがあまりなかったもん。おまけに、喫茶店や映画を観に行ことすら禁止されていた。こっそり行っていたけど(笑)。
湯山 でね、その政治運動のお手伝いをしていたときに、フェミニズムを主張していた学生のお姉さんたちに可愛がられたんです。だけど、その人たちがことごとくダメだった。カッコ悪いし、センスがなくて。
上野 すっぴん、Tシャツ、ジーパンの人たちだった?
湯山 そうそう。私を可愛がってくれるんだけど、知的体力にも乏しく、何も知らなくて。彼氏の影響で、革自連に出入りしている感じ。
上野 革自連はそうかもしれないけど、フェミ系の女は、彼氏の影響なんか受けませんよ。
湯山 でもその彼女たちが自分たちで「フェミニズム」と言ったんですよ。大学時代に小さい出版社でバイトしていたときもそう。それ系の女性編集者がなぜか私を可愛がってくれて、お酒を飲むと、「やっぱ、男ってぇ〜」と彼氏の話を始める。私はそのとき、ほとんど処女みたいなモンでしたが、彼女たちの乙女チックな恋愛話を聞くたびにバカなのか‥‥と。それで私、フェミな人たちが嫌いになっちゃったんですよ。それより、サーフボード抱えたり、ディスコで踊ったりする、さばけている女たちの方がカッコいいわと。
上野 その革自連の女たちは性的には自由だった?
湯山 いや、そこは冒険しない、というか。男を待つ妻になるようなタイプに見えたな。
上野 はっきり言って、男がやっている運動に付きまとう女なんて、そうに決まっている。左翼男って家父長制なだけだからさ。戦前から、「共産党、家に帰れば天皇制」という川柳があるぐらいで。戦後の労働運動でも、「猛烈サラリーマンはカネと会社のためだが、組合運動の活動家の妻のほうが仕事中毒の夫を持った妻よりワリが悪い」とさえ言われた。だから、その女の人たちは、フェミの女には思えないけど。
湯山 そうか、彼女たちは自称・フェミだったんだ。
上野 あの頃は、女性解放運動の「リブ」という言葉がネガティブワードになって、”
I’m not lib,but‥‥”という露払いの表現があったの、「私はリブではありませんが」というところへ、「フェミニズム」という舌を噛みそうなカタカナ言葉が外来語で入ってきた。フェミニズムが、新しいニュートラルな言葉に聞こえた時期があったのね。フェミに関しては、誤解の連続なんだけど、当時フェミって自称した人たちには、リブと差別化して、「あの人たちと私は違う」ということを言いたかったのかもしれない。
湯山 ああ、そういうニュアンスだったかもしれない。
上野 特に政治寄りの女は、化粧がタブー。アメリカと違って日本ではブラジャーはタブーにはならなかった。日本の女は父首を見せるのが、キライ。乳首がタブーなのね。だからバッチ貼ったりして。アメリカから帰ったあと、私は、一時期、ノーブラでずっと過ごしてた(笑)。あるものを見せて何が悪いって。
湯山 やっぱりメークもダメなもんですか。
上野 メークとパンプスもウーマンリブにとってはタブーの記号。だからリブはダサかったのよ。それを揶揄したのが小倉千加子さん。「キライなもの、草木染めを着る女」とばっさり(笑)。
湯山 わははは。「裸足でステージに上がるアーティストがイヤ」と言った、元ピチカートファイブの野宮真貴の名言もある(笑)。
上野 私が80年代にフェミ系の論客として登場したとき、ケンゾーが一番好きだった。それで取材に来た人、何人もに、「フェミでも、オシャレしていいんですか?」と聞かれました(笑)。
湯山 その質問は、大多数の民意を表していますよ。
上野 私の場合も、メディア対策として訳あって女装したんだけどさ。女装しながら、えぐいことを言う(笑)。女装だって、使えるものは使えばいいのよ。
湯山 ふふふ、ブル転女装でも上野女装でも、「ネズミを捕るネコはいいネコだ」ってことですよね。
エコ系フェミニスト、母性礼賛系フェミニストとの相性
上野 広瀬隆さんの本とともに、あの当時でもう一つ思い出すのは、女たちの間でバァーッと口コミで広がったエコ系の本ね。チェルノブイリの原発事故の翌年に書かれた、甘蔗珠恵子(かんしやたえこ)さんの『まだ、まにあうのなら―私の書いたいちばん長い手紙』。草の根のミニコミ系で拡がった情報なんですが、ご存知ない?
湯山 ミニコミ、まったくこれまでの人生に関わってませんね。
上野 あなたはサブカリ系に強く、私はミニコミ系に強いのね。反原発運動のなかで、この『まだ、まにあうのなら』という小冊子は、口コミだけで当時50万部も売れたのよ。タイトルにも、すごく危機感がある。それでも当時、チェルノブイリは対岸の火事だという気分があった。たしかに放射性物質は偏西風で全世界を回ったけど。事故のあった年を86年とはっきり覚えているのは、「86年産のワインは飲まない」と決めたからなんだけど、そうは言いつつも、ヨーロッパ産は飲まなくても、日本の86年産ワインは平気で飲んでいた。危機感はあったけれども、日本はまだ大丈夫みたいなところがあった。湯山さんが、エコ系フェミから距離を置いたのは、何故? その革自連の女性たちの影響?
湯山 いやもう、エコフェミは、イルカクジラに入れ上げておかしなことになっている女だとか、草木染系と地続きで、女装上等の私と合うわけがない(笑)。そういえば、俵萠子さん関係で小沢遼子さんの講演を聞きに行ったことがあるんですが、小沢さんが話すことはすごく感動しました。
上野 小沢さん、カッコ良かったでしょ。当時からオシャレだったしね。
湯山 いい女だった。すごくスパッとしていて、きれいだし。ただ、ほかがひどかった。あと、母性系も根深くあるんじゃないですか。
上野 それもエコフェミね。
湯山 私、あの系統もダメだったんです。母性系は「女は母が一番、遊び呆けてはいけない」っていう正論があるからね。
上野 私も、小異について大同を離れてしまって、エコには行きませんでした。距離を置いてしまったことを反省しています。湯山さんの場合は、出会いが悪かったせいで、フェミから離れたのね。
湯山 消費によって女が上位に行く方が、自分にとって現実的に手っ取り早かったんですよ。しかし、フェミからは離れたけど内部化はしていました。あまりにもカッコ悪い運動フェミ女たちのおかげで、存在を嫌った、というのはあるけれど。
上野 フェミズムに拒否感を持つ人には二種類ある。フェミのように正面突破すると、世の中ではこんな目に遭うんだと、その背中を見て学習し、迂回路を見つけて、フェミには共感を持ちながら距離を置く人たち。もう一つは、フェミに対立する側に、自分の居場所を見つける人たち。
湯山 フェミに対立する立場、というのは、今でも能力のある女性の仕事人に少なくないですね。私もそのモードでしたが、それはいささかフェミを誤解している。フェミにも多様性があって、今はもう「私にとって使えるフェミは、良いフェミ」状態。実際、フェミはけっこう役に立つんですよ(笑)。
上野 あなた、左翼だものね。左翼の女は、左翼の男に対する痛い失望感からフェミになるの(笑)。
湯山 いいとこ取りの左翼男たちを許さなかった意味では、より純粋左翼でしたわ(笑)。一時期、保守派の「人間が考えつく理念なんていうものは、ロクなモノじゃない。人間の歴史から生ずる叡智(えいち)というものがあって、そこを信じるのが保守」というのにクラッときたけど、現在の女の問題は絶対ソレだと解決しないし。まあ、自分は確実に保守ではないでしょう。ただ、フェミと言っても、母性礼賛系のフェミズムは本当に苦手だったし、イルカとクジラ保護派エコロジストの女たちもちょっと‥‥。しかしながら、今はこうした人たちも含め、もうちょっと女性に関しては、寛容でいる。
上野 これだけ多様な人が入ってくれば、一色のカラーは薄れます。
「お母さん」への反発と大同小異
湯山 あるアンケートの結果を読んだんですが、そこには明から男女の意識の差が出たんです。質問が、「近くに大きな工場がある地域に家を買ったが、住み始めてから公害が発生した。さて、どうするか」というもので、男性に多いのが「そこに公害にまみれながら、会社に勤め続けて我慢して生きる」という趣旨の回答。女性は、「別の場所に引っ越す」というのが多かったんです。女の人は思ったよりも高い割合で、「とっと逃げる」と答えてた。実感からしても、その通りですね。
上野 男性はあまり自分の生活を変えようとはしませんね。原発事故への反応でも、男女差があった。いち早く子供を連れて逃げた妻、避難した妻を非難する夫と、いろいろありました。あなたの夫のように、勇んで前線に出かけていく男とか(笑)。
湯山 場所を縄張りのように思うのは、オスの動物特性なんですかね(笑)。
上野 なかでも一番わかりやすかったのは、子持ちの女の人たちの行動だった。ただ、夫たちとの間には、温度差がすごくあって、それが夫婦に亀裂をもたらしたという話もある。私は子持ちの女性たちの行動に、感じるところがあるのよ。
湯山 放射能の危険にすぐに反応した人たちにですか?
上野 我が身とひきくらべてね‥‥。私は広瀬隆も知っていたし、チェルノブイリの原発事故の影響も知っていた。いろんな人たちが原発の危険を唱えていることも、身近な人たちが愛媛県の伊方原発の再開阻止のために座り込みをやっていたことも、全部知っていた。でも、なぜ私がエコフェミにあれほど冷淡だったのだろうか‥‥。
湯山 うん。
上野 3.11で、私がつくづく自責の念に囚われたのは、「私は知っていた」からなのよ。無知だったわけではないし、無知は私にとってエクスキューズにまったくならない。そうであるにもかかわらず、私は動こうとしなかった。そのことに、内心、忸怩(じくじ)たる思いがある。原発事故が起きて、大変つらかった。自分の中に引っかかったものがあるから。
湯山 上野さんを止めてたものって、何だったんですか?
上野 チェルノブイリ事故後のエコフェミの動きに、甘蔗珠恵子(かんしやたえこ)さんの本もそうなんだけど、「お母さん」という呼びかけがあったんですよ。
湯山 ああ、それか―。
上野 母性はやっぱり女を分断するのね。女を呼ぶのに、なぜ、言うに事欠いて「お母さん」と呼ぶのか。そう呼ばれただけで、「じゃあ、私は入っていないのか」となるじゃない。女性差別の中では最たるものは、子供を産まなかった女に対する差別だから。女の中にも「女の上がり」は子供を産むこと、母になることだという意識があるから、母にならなかった女は一生涯ハンパ者、未熟者、未完成品だというわけ。
湯山 「負け犬」問題ですね。
上野 私はフェミズムをやってきて、何度も言われたのよ。「子供を産まないあなたに、女の何がわかるのよ」と。子供を産まないだけで、フェミニズムをやる資格がないって言われてるのと同じだった。
湯山 たしかに、エコがお母さんと結託すると、子供を産まなかった女はその輪に入っていけないし、同時に、その人たちの代弁をしてあげるわけにもいかない。
上野 子どもをダシにしなくても、自分が大事と、どうして女には言えないんだろう、と。そんな棘(とげ)が刺さったばかりに、私は小異を立ててしまった。本来ならば、小異を捨てて大同につくべきだったのに。
湯山 子どもいるかいないかは「小異」であるというのは、やっとこさ今の女性誌がそうなってきてはいます。
上野 集会に行ってさ、女を十把一絡(じつばひとから)げにして「お母さん」とよびかけられると、それだけでむかつくじゃん(笑)。私はここにいないわけか、となる。
強制モラルを強いる、母という役割
湯山 少子化が言われ出して以降の世の中の言説で、私がすごくイヤなのが、「子どものために」であったり「子供の将来のために」ということが、あまりに強調されていることなんです。大人であるあなたの幸せは、まずどうなんだと。日本では、大人が自分のために、トクな選択をすることが、憚(はばか)れるのか。そうまで、イイコでいたいのか、というね。自分の生き方を自分で決められなかったり、自分の欲望をきちんと見つめないでいたり、現状をうやむやにしていることの責任転嫁に、「子どもたちのために」を使ってる狡(ずる)さ感じているんですよ。
上野 子どものいる人といない人との間に、溝を作ってもいるしね。
湯山 一つの事例なんですが、原発事故の直後に「水道水がヤバい!」となったとき、知り合いの会社ではペットボトルの水が配られたんですね。それで何が起きたかというと。男も女も結婚していない人、子どものいない人が、子どものいる社員に自分の水を差しだした。
上野 これから産める女たちも?
湯山 そう。子どものいる人たちが心配するのを前に、自分の不安を口に出しちゃいけないという雰囲気を感じて、自分たちから捧げたって言うんです。要は、「子どものために」という強制モラルが働いた。私が老いた姑を連れて避難したのも、いわば嫁としてのモラルが、自分にはそれがまったくないと思ってても、そんなふうに強いられる。本来なら、ネコを連れていくのが私なのに(笑)。
上野 あとで後ろ指さされないためにね。あなたが言うとおり、誰しも自分を第一に考えて何が悪いのか。それに、将来の世代に責任を持たなきゃいけないのは、産んだあなたたちだけじゃない、ということよね。
湯山 はい。
上野 子どもがいるいないとで、切実さが違うと言われたら、「ははぁ〜」とひれ伏すしかないけど。実際、私は3.11直後にパニクって、子どもの手を引いて、新幹線で西に向かったわけでもないから。
湯山 でもね、お母さんの母性の根拠がどこにあるかというはなしも、最近出来たものじゃないですか。例えば、産業革命時ロンドンでは、産みっぱなしで、しょうがないから町中のどぶに捨てちゃったみたいなことが、まかり通ってた。
上野 それはかなり乱暴な言い方だけど(笑)。
湯山 つまりね、今は美しい物語が強化され過ぎていると思うんです。もちろん、自己犠牲で子どもを助ける母がいるのも事実。だけど、子供を置いて満州から引き揚げちゃった母というのも、それも悲しいかな、また人間の行動なんです。
上野 引き揚げみたいな極限状況では、子どもより自分が大事というのは、歴史的に見ても事実ですよ。
湯山 だから、やっぱり人それぞれなんですよ。お母さんが子どものために最優先しなければならないというストーリーはお母さんもつらいと思うんですよ。最優先しない「お母さん」は、まったく悪くない。現に私の母なんかは子どもより自分、という生き方をぶれずにしてくれたから、信用できる。
上野 あの「お母さん」という呼びかけは、絶対にやめたほうがいいと思う。それに、子どもがいる人でも、男親と女親の温度差がすごく大きい。子どもを守るのは女親の専売特許だと思われてて、男には関係ないみたいなことになっている。「お母さん」と言われたら、女親一人にだけ責任がズッシリ掛かってくる。まるで日本中、母子家庭みたいですね。
湯山 「お父さん」と呼びかけた瞬間に、ソフトバンクの白い犬しかイメージできないし(笑)。
閉ざされた子育ての憂鬱をタックルで吹き飛ばす
上野 私は、ずっと女の問題をやってきて思うんだけど、子どもを抱えたら、女はそれだけで社会の中で最弱者になるんですよ。身体障害者と同じような。子育てをたった一人で抱えている女も多い。しかも、昔よりも今の方が子育てはもっと大変になってる。だって昔は、農家の主婦なら、子どもをひっ抱えて田んぼに出て、農作業の間は畦(あぜ)道に赤ん坊を寝っ転がして、合間におっぱいをやって育てて、それですんでた。しかも周りに、ジイさんやバアさんといった人手が山のようにいたから、一人で育てることもなかった。育てる期間も短かったしね。かつてはそういう時代があったんだけど、それが全部、過去のものになった。
湯山 今じゃ、核家族ですからね。
上野 子どもを産んだ友だちを見ていたら、天国と地獄なのよね。子どもの微笑みは天使のようだけど、火がついたように泣くと悪魔になる。「何度、殺そうかと思ったか」って言うのも、他人事じゃないって。私の友達は、惚れた男と結婚して、妊娠して出産し、3ヶ月間、生まれたばかりの赤ん坊と家にこもってた。それでとうとう4ヶ月目に、家の玄関で働きに出ようとする夫の両足にしがみついた。「あんたは、私とこの子を殺す気か!!」って。
湯山 その男の人、まったく何が起きているのか、わかってなかったんでしょうね。
上野 うん。このまま私を置いて出るんだったら、私はこの子を殺して心中するよと。
湯山 閉ざされた子育てって、それほど追い詰められちゃう。
上野 残念ながら、私もあなたもそれを実感できない。でも、私たちは想像力というものがある。だから、そういう気分になるのも無理はないって、思うじゃない。夫の足にしがみついた彼女、えらいと思うもの。ほとんどの女の人は、それをやんないのよ。夫に会社で出世してもらう方がいいと思って。
湯山 その男性はどうしたんですか?
上野 その日、会社を休んだ。
湯山 妻と向き合ったわけだ。
上野 彼女は、夫に会社を休ませるだけのパワーを持っていたわけ。それで一日話し合って、結果、夫は会社を辞め、時間的にもうちょっと余裕のある所に転職した。彼女はフリーのライターなんだけど、そのあとに会ったら、「貧乏になったけど、昔よりも夫婦関係、よくなったわよ。ガハハ」だって(笑)。
子どもかキャリアか。女の生き方を分けた百恵ちゃんと聖子ちゃん
上野 結婚したときに、家族を作る気はなかったの?
湯山 子ども? 正直言って、当時はなかったです。私の場合はラッキーな結婚で、結婚しても好きなことをやれたし、向こうの親も大賛成で夫もいい奴だったしで。
上野 結婚してやったの? おかしいね(笑)。
湯山 切実に子供が欲しいと思ったことは一度もなかったなぁ。それに私は、30代半ばでフリーになったんですが、その時点で子供を持つことは、すなわちもう一線に戻れないことを意味したんですよ。フリーの足場が固まらないうちに出産で身動きが取れなくなれば、まわりの多くの同業女性のようにフェードアウトしてしまうと思った。すごく忙しい中で、次から次とおもしろい案件が来ていたので、それをこなさず足を止めたら、もうこの位置に戻ってこられないだろうな、とも。子どもが欲しいと思わなかったですね。
上野 結婚したら終わりだと思ったわけだ。
湯山 子供を作ったらね。キャリアとして。
上野 結婚は墓場だと思わなくても、出産したら終わりだと思ったのね。仕事か子どもか、どちらかしか選べなかった世代の最後かしら?
湯山 そうですね。そのあとだんだん変わって来ましたけど。私たちは、山口百恵がマイクを置いてキャリアを捨て家庭に入ったのが美談だった世代です。私はそれを山口百恵の呪いと呼んでいる。厳密に言うと、百恵ちゃんよりもちょっと年齢は下なんだけどね。まったく、彼女はヤラかしてくれましたよ。あれは私たちの世代の男子、女子ともに多大な影響を与えた。仕事をがんばったけど、燃焼しつくして、その後未練なく家庭に入る、ああ、潔しと。このモデルは強固だった。
上野 仕事か家庭か、どちらを選べばよかったんだよね。松田聖子まではまだ時間がある?
湯山 聖子は完全に下の時代。
上野 聖子は当然のように仕事を続けながら出産しましたね。自分の妊娠まで商品にしたものね。
湯山 彼女は大きな分岐でしたよね。それまでのカードが、全部、ひっくり返った。
上野 結婚しても、出産しても、自分を変えない。コスチュームも全然変えず。
湯山 あのレギュレーションはなぜなかったですね、私の時には。
上野 「結婚も出産も私を変えませ〜ん」というインパクトは、大きかったですね。
湯山 私がかつて教えてた女子短大生たちが聖子時代だったんだけど、反応が凄く面白いのね。「聖子、大キライ。でも、私も聖子みたいになりそう」という感じだったから。
披露宴でのパワーゲームで、オヤジの攻撃をいなす方法
湯山 私、姑息(こそく)にもね、結婚するときに、ある手口を使ったの。結婚は、何やかや言っても家を出てくるわけですよ。私は、嫁という形になる。その弊害を最小限にしたかったんですね。「そうは言っても、お前は嫁なんだ」という空気はまずは「○○家」と書かれる結婚式からだと思ったんで、そこに対策を講じた。うちの親も向こうの親も、その手のことは盛大にやりたいほうだったので…‥。
上野 リベラルな親なら、「結婚式はどうでもいいよ」じゃなかったの?
湯山 いや、リベラルではないですよ。リアル体験派。
上野 なるほど、姓はどうしたの?
湯山 相手の戸籍に入って、姓を変えてます。でも、戸籍以外では、湯山でずっと通していますから。義母もたまに「湯山さん」って呼んじゃうぐらい(笑)。披露宴なんですが、結局、結婚はパワーゲームだという現実をわかっていたので、私はリア充確保の地ならしを、それはもう周到にやったんです。披露宴の祝辞から、仕込みました。相手は勤め先が半官半民の建築系大カンパニーだから、当時はイケイケの大オトコ集団。こっちはぴあという新しい会社で、何かと弁が立つ、ネクタイをしない自由に見えるひとたちがいっぱい。
上野 異文化間の、国際結婚ね(笑)。
湯山 あちら側が何を言ってくるかだいたい想像がついたので、こちらのご発声をどうするかを考えて、最初にぶつけたのが、母の友達、俵萠子先生ですよ。考えてみると、彼女はよく私の人生に出てきますよね。父とも仲が良かったんです。
上野 萠子さん、すごくカッコいい人だからね。
湯山 私も大好きだった。娘さんが同級生のときは、たまにお宅にお泊りに行っていて、男友だちもしくはボーイフレンドみたいな人との会話がステキだった。それで披露宴は、初っ端ながら夫の上司が案の定、「都市というものは〜」と立派なスピーチをぶち上げた。
上野 結婚式で? KYねぇ(笑)。
湯山 そう。「彼は、会社の未来を背負って立つ人間です」みたいになっちゃったの。「そのために銃後の守りは奥さんがやって、いい家庭を作って」系のアプローチで来たわけです。私としては予想はしていましたから、「萠子、がんばってくれ」と心で念じ、俵さんを送り出しました。そうしたらのっけから、先方の発言を否定したの。「今、おしゃいましたけれども、玲子さんもぴあという会社で‥‥」と、彼女なりの頭いいユーモアのある言い方で、完全にそのおじさんの鼻を明かしてくれました。しかも最期の締めに「どちらかと言えば、玲子さんの会社のほうが帰りが遅くなると思いますから、旦那さん、料理を作って、待っててください」と、言ってくれた!
上野 萠子さん、素晴らしい!
湯山 「グー!」でしたよ。続いてスピーチしたあちら側のおじいさんも、腰が砕けちゃって、萠子さん支持になっていました(笑)。私としては、嫁ぐ家の周りにいるオヤジたちは、絶対に私の前に立ち塞がると思ったので、湯山家という壁を上げて、パフォーマンスを打ったわけです。有名人を出して「普通の家じゃないから、普通のことを要求するな」と、諦めてもらうためのパワーゲーム。
上野 夫はそれを最初から承知の上の選択なの?
湯山 どうなのかな? ニコニコ笑っていました(笑)。
上野 性格がいい人なのね。
湯山 そうなんです。「子作りは〜」みたいなことを言うスピーチもあったんですが、それに対しては不機嫌な顔で応えた(笑)。先方は違和感を覚えたでしょうが、それでいい(笑)。
上野 俵効果、さすがね。
湯山 私もこうなりたいなと思いました。海千山千のオヤジたちを前に、ハードに核心を突くようなことをユーモアを織り交ぜて展開し、相手が「アハハ」と笑っちゃううちに、「そうだよな」と納得させていくような話術。上野さんにもそういうところがありますよね。
フェミズムの系譜、反逆のDNAを持つ二人
上野 周りを見ていて、「人はいかにフェミニストになるか」と考えると、いくつかの経路があることがわかります。一つはね、「祖父さんもパルチザンだった。親父もパルチザンだった。だから僕もパルチザンになるんだ」というパターン。言わば反逆のDNAの持ち主。世間から浮いているパパを持った湯山さんもそうじゃない? うちの中は治外法権の解放区で、天然に育ち、世間は外国だった、という。
湯山 うーん。世間から浮いてる父がイヤで、まっとうに会社員やメジャー系に行こうとしましたからね。でも、今、これだけ人並みから外れていることを思うと、やっぱり”パルチザン”を踏襲したのかなぁ。ただし、世間から浮いているウチの中は、アーティストでワガママ放題の父親だけ快適な王国で、そこにも適応しなければならない。王様は神経質で手厳しいから、父親に対してお世辞三昧だったですよ(笑)。気の利いたことを言うと、褒めてくれるから。まあ、それはそれとして、自立がデフォルトだから、世間一般の「人様のために自分を殺して生きる」という喜びがよく分からない。理解はしていますけどね。
上野 結局、適応していないでしょ。一応、学習したつもりではいても(笑)
湯山 そうかもしれない。年を取ってからよりはっきりしてきた。
上野 次にフェミニストになるいちばん多いタイプはね、自分で望んだ相手と恋愛し、結婚し、望んだとおり子どもを産んでみたら、どつぼにハマって、初めて女の役回りのワリの合わなさに気が付いた人たち。これが圧倒的に多い。いつもその人たちに「遅いよ―」って言っているの(笑)。
湯山 働く女性にも多いんですよ。大手の出版社で女性ならではの花形的な仕事をいっぱいやって、王侯貴族のように生きて来た人が、ハシゴを外されたとたんにその甘やかしの構造を知ったり。
上野 それでさ、原発事故が起きてから、原発の問題に気が付くのと同じよね。私の場合は、目の前で、母がワリに合わない女役割を果たしてたから、ちゃんと事前学習しました。
湯山 それはそうだ。
上野 私は、家父長制の家庭で育って、物心ついたときから、母親を見て「これはワリに合わない」と思い、母親を反面教師にしたわけ。このタイプは少数派。あとで人に言われて分かったのは、そういう家父長的な家庭で育つと、普通は、息子は家父長的な父になり、娘は忍従する妻になる。私のように、親がカウンターモデルになるケースは少ない。あなたは親をカウンターモデルにしたつもりかもしれないけど、やっぱりDNAは受け継いでいるんじゃない?
湯山 そうかもしれない。と考えていくと、「自由」というテーマが自然と出てきますね。上野さんも私もそうなんだけど、自由が好きなタイプ。私、自由がない環境だともうホント、ダメなんですよ。特に海外に頻繁に行くようになって、そこで出会った友人たちの自立と、自由な状態の現実的な在り方を様々な局面で体験すると、この国の自由嫌いと、すべてにおいての公的ルール欲求欲に?然とする。だけど、もともと自由の味を知らされていない人たちばかりなら、プロローグでお話しした奴隷の幸せもあるのかもしれない。
上野 ムーゼルマンや、カズオ・イシグロの小説の主人公たちね。あなたに自由がビルトインされてるのは、やはり特殊な家庭で育ったからよね。私の育った家庭はそうじゃなかったもの(笑)。
湯山 たしかに、自分がどこに行こうと何をしようとも、人にとやかく言われないことを守る、という構えで生きていますからね。そうでない周囲の環境があったら、変える努力と方法を探りたい。私にとってはそれがデフォルトです。
つづく
第四章 女のサバイバルを阻む病