
湯山玲子・上野千鶴子
「女を排除する論理」を目の当たりにした会社員生活
上野 大学を卒業してから、すぐにぴあに入ったのよね。何年、働いてた?
湯山 なんと13年も。
上野 長いですね!
湯山 本気で会社員をしていました。当時、リクルート、パルコ、ぴあは、文系女子の三大人気企業だったんですよ。男女雇用機会均等法の前で、女子の就職なんてそれこそお茶汲みしかないときに、男女差別のない給与体系の会社に、高倍率の中をラッキーにも入りました。説明会が型破りで「朝まで生テレビ!」みたいだったんですよ(笑)。社長や専務が会社のあり方についてティーチインするのを聞くという。リベラルな雰囲気も気に入った。だけどそれが、80年代、バブルでカネが入って拡大発展するとともにどんどん官僚化、つまり自分たちの組織を守るのが目的という体質に変わっていったんです。学生運動をやっていた人も多かったのに、10年でこんなになるのかって、ビックリしましたよ。
上野 ぴあの前身である『アルバイトニュース』を発行した学生援護会は、もともと学生運動の中の暴力学生たちの食い扶持でした。それが次第にベンチャーになり、情報産業になって成長した。エスタブリッシュメント企業なったら、ただのオヤジ会社になったってわけ?
湯山 そう。そのプロセスをつぶさに見ました。フェミニズムにも抵触するんですが、どんな気風であれ、男が集団になると女を排除する傾向にある。ぴあは実力主義だったのに、それでも自然にその排除の力学が働いた。典型的な例でね。早稲田のフェミニズム闘士だった女性が、少子化が騒がれる前に、子ども向けの情報誌を創刊したんです。彼女らしいいい内容のものだったのですが、この雑誌に潜在力がある、となった途端、広報部が、「売れない」「広告がまったく入らない」と文句を言い、部のヘッドが彼女を自分の子飼いの人間にすげ替えようとした。そんなことを当の女性も他の人間も言っていました。
上野 すごく男らしい行動ね。縄張り行動とは、わかりやすい。
湯山 そうしたことがバンバン勃発していました。
上野 最終的には社内権力闘争になるのね。ぴあにいたのは、何年から何年でした?
湯山 82年から95年です。
上野 バブルのまっ最中のしかも上り坂のときにいたんだ。いい思いをしました?
湯山 辞めたのは、バブルが弾けてちょっと経ってからだけど、上り坂の頃はいい思いを
しましたね。チャンスが多かった。誰かに何かを教えてもらえる環境ではなかったけど、とにかくカネとチャンスがあったから、一冊に3000万円の予算の本作れました。辞めようかなと思うと人事異動があって、「今度はカード事業を始めるから」という新規事業スタートもあって、実施のビジネス学校みたいな感じで。イベント運営だったり、新しいことが目の前にチラつくんで、辞められなかったですね。
上野 それに女性をどんどん人材活用してくれたでしょ。
湯山 そうですね。逆風もすごかったけど。
上野 あなたは子ども向け情報誌を作った人のようには潰されなかったの?
湯山 私は人望がなかった(笑)。そんな動きもあったらしいんですが、社長が「アイツはダメだ」と言ったとか。今思えば、そのカンは素晴らしい(笑)。まあ、便利な人だったんでしょうね。
上野 人とつるまないから、派閥を作らないタイプだったとか。
湯山 当時は、全共闘男が嫌いだったら、そういう男の人の中に入って愛嬌を振りまくこともなかったですね。まだ、ブル転女装バリバリでしたし。
上野 便利だけど、脅威にはならなかったのね。そんな楽しい会社を、なんで辞めようと思ったの?
湯山 そのうちバブルの終わり、自分は管理職の道が見え、会社自体もものすごくコンサバになった。そんな中で居心地が悪くなって。実は、ぴあにいながら、『SWITCH』というカルチャー誌とも仲が良かったので、いい頃合いかなと。
おカネと研究、おカネと文化における「黒いネコと白いネコ」
上野 そうすると完全フリーになったのは35歳ぐらい? そこで組織の皮を脱いだわけだけど、フリーランスになってみてどうでした?
湯山 あの会社が良かったのは、編集部のレベル意識として、ものすごくカネ勘定をやらされたことだったんです。一般的に出版社は大手の老舗ほどその点が立ち後れていたんですけど、ぴあでは「カネが第一」という意識を叩きこまれる。本をやるにも、完全利益採算性。今はそうなってきていると思いますけど、当時は「いいものを作れば、数は後からついてくる(はず)」というどんぶり勘定の出版社がほとんどの中で、違うところにいたんです。
上野 採算性を度外視して「いいものを」なんて言ってたら、アーティストになれても、経営者にはなれないわね。
湯山 だからフリーになっても、コスト管理ができたし、一つのプロジェクト全体が見えるというディレクター感覚をぴあで習ったから、最初からガンガン食えました。パッケージで持ってきて、広告も取れて。今思えば、ぴあは素晴らしい学校だった。
上野 クリエイターよりはプロデューサーだったんだ。回顧的に思うと、バブルのときは私も面白ことがいっぱいあった。西武の仕事をやってたんだけど、成長期だったから資金を潤沢に使わせてくれてね。ほかにもシンクタンクのプレインストーミングをやってて、「上野さん、あんたのやっていること、オレらと同じでしょ。教師なんか辞めて、独立してコンサルでやっていけるよ」ってよくそそのかされたの。周囲にフリーになる人たちもいたんだけど、バブルが弾けて、淘汰された人もいる。90年代になってから不況の10年間を生き延びた人と生き延びてない人の差があるよね。
湯山 特にあのとき、女マーティングの時代と言われて、言っちゃ悪いけど、雨後の筍がたくさん出ましたからね。
上野 私は冷静で辛辣(しんらつ)な観察家だから、周囲をジーッと見てはっきり分かったことは、独立すると仕事が荒れる。自分で事務所を回さなきゃいけなくなったら、仕事のクオリティが下がるし、繰り返しが増える。それで、給与取りを降りまいと思ったわけ。
湯山 ああ、それはわかる。
上野 仕事を選ぶ一番基本的な条件は、イヤな仕事にノーが言えることだと思うの。これも回顧談だけど、80年代の終わり、バブリー資金で研究費をいくらでも出してくれるところが二つあった。一つが電力会社。もう一つがサラ金業界。
湯山 それ、すごくリアル。具体的にはどういう研究になるんですか?
上野 サラ金業界は、規制緩和でどんどん伸びてたんだけど、求められた調査は、初見のお客を対象に、いくつかのチェックポイントで踏み倒す確率が分かるか、という研究。それを、心理学者や精神科医、社会学者でやるわけ。
湯山 結果が見たい(笑)。じゃあ、電力会社は?
上野 「迷惑施設の研究」というテーマ。迷惑施設というのは、原発関連施設の婉曲表現で、産業廃棄処置場だったり、迷惑施設を作るときの地域コミュニティの反応、誰が反対派に回ってどういう動きをするか、という研究なのよ。そうしたプロジェクトの話が回って来たの。しかも調査費はものすごく潤沢。学者としても喉から手が出るほど欲しい。だけど、関西電力の調査をやろうと思ったときに、私の周囲の良き友人たちが、「あんたそれやったら、一生付き合ってやんない」といったの。それで私はキャリアを汚さずにすんだ(笑)。
湯山 この手の話は、ホントに人を二分するなあ。
上野 カネには釣られない、ぐらいの矜持(きょうじ)はあったよ(笑)。ケ小平改革開放政策の中で、「白いネコも黒いネコも、ネズミを捕るのがよいネコだ」と言ったことがある。マネーロンダリングすりゃ、カネの出処はどうでもいい、要するに善用すればよし、と。そうは言っても、ポリシー上、手を出さないカネは私にもいくつかある。笹川マネーとかね。そうやって潤沢な研究費という名目で、いろんな研究者を買おうとという悪魔の囁きが、そこら中にあった時代でしたね。
湯山 私、そこには相反する感情もあったんですよ。極道的な人生観かもしれないけど、人生ってきれいごとじゃないというのもあるでしょ。当時、ぴあにいたとき、ピカレスク的なニヒリズムに酔ったことがありますよ。きれいなおカネだけを取るんじゃなくて、「おカネが回ってくるなら、少々のことは目を瞑って」という感覚はあった。
上野 そこは経営者感覚かもしれませんね。実際に、やったことあったよ?
湯山 クライアントのためならば、どんな駄作や駄目サービスに対しても全能力使って、それらが売れる仕掛けを作る、とかですね。しかし、上野さんのように、電力やサラ金のおいしい話は来なかったですよ(笑)。
上野 それほどおいしい話が来なかったということは、まだその頃は、おいしいおカネのほうが、湯山さんを利用価値があるとは見ていなかったということね。当時は、たくさんの文化人が、そういうカネに手を出したのよ。手を出したら、あとはスブズフになっていく。勝間和代さんもCM出演で原発マネーに買われましたね。
湯山 東電ですよね。原発事故の直後の「朝生」の彼女には、ぶったまげたもの。
上野 コマーシャルに出てくれと大金を積まれて、なんでこの程度の出演にこんなに貰えるのと思っても、くれるというものを断る理由はないとハマっていくのね。でも、どこかで線を引かなきゃいけないのよ。黒い噂のある財団が、すごくいい福祉活動に資金援助している場合もあるし、自分なりの線引きとモラルを持たないとね。
「泥にまみれておカネを取る」というニヒリズム
湯山 私の場合は雑誌に外部編集者として多く関わっていて、悪いおカネではないんだけど、タイアップの編集広告企画は得意でしたね。広告が編集的なクリエーションにも浸食する手法の中に、自分の発言場所を持っていたわけです。例えば、「有名アーテイストの○○が自分のイメージアップのためにお金を出すから、滞在先のロスアンゼルスに行って、本人のインタビューをとって載せる」というような企画に対して、私は推進派だった。編集のフリをしているけど、完全にクライアントありきの広告マインドで版元も出広者ももちろん読者も満足するページを作る、というノウハウがあったから一人立ちもできたし。だから、文化においては、ちょっと恥ずかしい出自があります。
上野 80年代はそういう時代でしたよね。企業収益が高く、広告もたくさん入った。それに文化ってある種の極道だから、収益性が上がらなくても良しとするところがあるでしょ。極端な言い方をすれば、どぶにお金を捨てるような。どっちみち世間の役に立たないことをやるんだからという極道意識、デカダンスとニヒリズムもあるでしょうね。
湯山 それに加えて、きれいごとばかり言っている大手の雑誌編集者への反骨もあった。
上野 極道意識が全然ない文化というのも清く正し過ぎて、面白みもないけどね。その上で聞くけど、企業とタイアップだけじゃなく、冠イベントもいっぱいありましたね。キリンやサントリー、資生堂といった、文化的な関心の強い企業が、文化事業におカネを出していました。ああいうときに、もし「黒いネコ」的企業にお金を出してくれると言うなら、どこでもいいから貰っておこうという気になったと思う?
湯山 文化の話は難しいな…‥。また父の話になりますが、父はたまたま作曲一本で食えたんですが、それが彼の誇りなんですよ。どこかの教授にならなくても、自分で作った音楽を人が買ってくれて、生活でできたと。彼は子どものためのピアノ曲、童謡や合唱曲というニッチを見つけ、そのマーケットで大成功した。完全に自分の才能を商売にできたんですが、クラッシック界から見たときのそのカッコ悪さも背負ってました。なぜならば、非商業的で前衛的な作曲家は交響曲の依属作曲があるのだけど、彼にはその機会がほとんどなかった。
上野 屈折があるのね。
湯山 そう。だから、「泥まみれて、カネを取ってやる」という姿勢が、自分の中でカッコ良いものとしてある気がします。こんなに遊びまわっている女の私の中にも、何とまだ戦後の土建屋のオヤジがいるってことです。そう考えると、私がもっと偉いポジションについて、東電資金でフェスをやるという話があったら、ノーと言えたかどうか。それも含めて、3.11以降の状況がイヤなんだろうな。
クリエイティブの世界も、学歴偏重のオヤジ社会
湯山 仕事を通じてはっきり分かったのは、広告の世界って、クリエイティブといっても東大エリート主義のような学歴および大会社偏重のスタンスです。大手代理店を出てフリーになっても、天下りのようにチャンスを独占できる。まるで官僚システムのようにね。
上野 誰がその優位性を与えるの?
湯山 大衆もそうなんでしょうけど、広告の世界って、東大よりも難しい電通や博報堂のクオリティブ部門に入った瞬間に、その人たちにしか出られないコンペに参加できますからね。大きなおカネゆえの大衆への影響を持って、頂点に立てるわけです。
上野 電通や博報堂という企業が、文化ビジネスを仕切っているわけね。彼らもやっぱり、学歴偏重のオヤジ会社。
湯山 ええ。そうやってチャンスを貰って世の中に出て来たクリエイターに対して、同業種の人たちはもちろん、一般の人たちも彼らに賛成の一票を投じる。電通卒の肩書を持った某デザイナーが、限定のコンペに勝って、テレビのお蔭で一般にも有名になる、という構図は、”東大のご威光”が下々まで浸透しているのと同じ原理ですね。
上野 大手の広告代理店がメディアを買っているから、やっぱり目に留まる率が高まるし、マスメディアでは他にクリエイターが山ほどいても、そういう人たちしか目に入んなくなるんじゃないの? 私は思うんだけど、80年代に中森明夫さんあたりが出てから、ポップカルチャーがサブカルになって、オタク系の人たちが、マスには出て来ない、自分たちの独自メディアを作ったでしょ。そこはもう、学歴の関係ない世界じゃない。
湯山 実力と人気。どれだけ売れて支持されているか、という実力の前では学歴は関係ありませんからね。もちろん、そういう実力者もいる。
上野 私、サブカルに弱いんだけど、ほら、『エヴァ』を作った人なんて、学歴ないよね。
湯山 庵野(あんの)英明さんですね、『新世紀エヴァンゲリオン』の。
上野 『エヴァ』の人気が出始めた頃、私は、東大に移ってちょっと経ったぐらいだったんですが、東大生ってやっぱり守りの姿勢なのよ。就職も当時はそんなに難しくなかったから、能力とは関係なく、学歴だけでブランド企業に売れていくわけ。そこで、私、彼らに悪態をついてた。その頃の日本が世界に誇れる輸出産業はコンテンツ産業、つまり、アニメ、漫画といった情報コンテンツだけ。「あんたたちはそれを作る側には決して回れない。せいぜい売る側にしかなれない。クリエイターになるような人たちは、私の前には現れない」って(笑)。
湯山 いや、売る側も今の偏差値エリートたちはできなそう(笑)。あの世界も人間関係巧者じゃないと。
上野 彼らが就職する企業は、輸出契約を結ぶようなビッグビジネスではあるけどね。
湯山 たしかに、オタクはすごい快挙です。学歴偏重社会をものともしない。
上野 いわゆる学歴エリートから軽蔑される漫画とか、サブカルとか、そういう世界の中からヒーローが出て来て、実際にビッグビジネスになっていったわけでしょ。90年代に入ってからは、「メイド・ジャパン」という看板を外しても流通する、ほとんど唯一の世界商品になったしね。
3.11以降明らかになった、クリエイタ―誤謬
上野 あなたは80年代から、文化系まわりで、ディレクター、編集者として働いていて、その当時は広告ビジネスに結びついていたわけね。
湯山 当時は、広告やマーケティングの力がものすごく大きくなっていったときですからね。それまでだったら、編集は編集者が面白いことを純粋に取り上げていればよかったのに、例えば「みそ汁の良し悪し」みたいなテーマがあったとき、どんどんカネの力が強くなって、「クライアントがお金を出すから、そのクライアントの味噌だけのことをやってください」ということになった。広告と雑誌編集が結託し始めた時代の中心にいた。
上野 だから、紙一重で東電に買われていたかもしれないという思いがあるわけね。
湯山 そうなんです。この消費社会でメディア関係のプロデューサーやディレクター的な仕事をしている人は、かつてもこれからも、その紙一重を仕事にしていかねばならない。3.11以降、広告代理店のクリエイターたちの心中はいかばかりか、と。
上野 広告業界には東電マネーに買われていた人たちが、山のようにいる、そういう人たちは、今どうしているんだろう。反省した形跡はあるの?
湯山 ツイッターなんかでは原発に関してのひと言も言わないだけど、こぞってポップな「東北支援」を謳うという動きは目立ったかな。自己反省をしろとは言わないけれど、私だったら沈黙するだろうな、と。
上野 その怒りが、政治へのロックを外したのね。
湯山 そうなんですよ。仕事と立場はしょうがない。あの惨事を見て、居ても立っても居られない、というのもわかる。でも、見事に原発は避けている。
上野 過去に自分がやったことは、見なかったことにしているの?
湯山 東電のおカネが流れてきて、それは大いに彼らのこれまでの豊かな生活を成り立たせてもいたわけなんだけど、触れていませんね。
上野 自覚があるから、沈黙しているのね。
湯山 ええ。東北支援はラウドボイスですけどね。大手の広告クリエイターの中には本当に才能とアイデアがあって、広告文化として世の中をいい方向に変えよう、などと本気で考えている人も多いんだけど、3.11以降は彼らにどういう顔をして会ったらいいのか分かりませんね。
上野 なるほどね。でも、風向きが変わったら、その人たちはどうなるの? 今の「脱原発」は、一過性の風だと思って、しのいでいるとしたら、風向きが戻ったら、あたかも何もなかったかのように振る舞うのかしら。原発事故だって収束宣言がもう出ているし。
湯山 もちろん、彼らは大人なんでそういう計算も働いているでしょうね。しかし、あれから時間がたって、ひとつのメディアや会社の中にもノイズが紛れ込むようになった。NHKや産経新聞でさえ、アチラに行ったりコチラに行ったりしている。だから彼らも今は横目で見ながら、慎重にしているんだと思う。
上野 芸能ビジネスもそうね。そう言えば、あるタレントが脱原発を言っただけで仕事を干されたとか。芸能界は今でもそうなの?
湯山 俳優の山本太郎さんのことですね。彼は、それが原因で仕事を干されたといって、事務所にも迷惑がかかるから、と辞めてしまいました。ただ、あれだけの人数のデモがあった今、空気は変っていますよね。だって、吉永小百合さん、西田敏行さんみたいな大物俳優が堂々と反原発を言っていますから、今、やっぱり面白い形にはなってると思いますね。
上野 なるほど。タレントさん個人は思想・信条の自由があっても、プロダクションとしては言えないってことかも。広告業界にも反原発があるとは知りませんでした。
湯山 東電が出していた。莫大な広告費はなくなるだろうし、テレビタレントが、広告のギャラに抜擢されてウハウハという時代も、なくなりつつあるし、芸能人は本当にタレント=才能を消費者に向けて売っていかなければならないから、大変ですよ。もともと、3.11は、インターネットによるテレビの広告媒体としての危機的状況に覆いかぶさるように起こったので、本当に広告業界は大変だと思う。とはいえ、お前は沈黙すべきところだろう、というところで、以前と変わらぬ、ヒューマンなメッセージをツイッターで投げかける、ある意味の太さがイヤだなあ。
上野 それを言ったら、敗戦のときもそうでしたよ。昨日まで鬼畜米英と言っていた人が、突然、民主主義に変わった。それを子どもたちは自分の目で見たんだから。私はまだ生まれてませんけど(笑)。今の話を聞いて、あなたが釈然としないものを肌で感じて、怒ってるのはよくわかりました。
つづく
第三章 女と女の溝、女と男の溝