セックスレスに陥らないにはSEXは体と心両方の快感を求めるもの心さえ満足すればいと言うは欺瞞に過ぎない自身の心と体の在り様を知ることで何を欲しているのか、何処をどうして欲しいのかをパートナーへ伝えることでセックスレスは回避できる更年期のキーワードは「ときめき」です。

オーガズの定義

第三章 夫婦もまた新しい季節

本表紙 沖藤典子著

1夫婦の新たな居場所づくり 夫のロマン、妻のフマン

「夫が毎日家にいるようになったらどうしよう」
 これは、中年期の妻の最大の心配事です。
 夫がいないからこそ、自由でした。電話でのお喋りも、食べ歩きも、社会的な活動も、夫が家にいないという前提で計画されていました。それが定年して毎日家にいるようになったら…‥。

 夫が家に居る時に出かけるときの心苦しさ。妻の中には、こう語る人もいます。
「子どもの用件であっても、夫を置いて家を出るのは…‥、何か心に引っかかる」
 などの妻はもちろん、多くの妻はこれまでの生活が「なくなる」恐怖にかられています。家から出にくくなる、電話も来なくなる、友人が来なくなる、「夫の定年は、妻の社会活動の定年か」なんぞと言われています。

 定年後の夫にも、いろいろなタイプがあります。
 私が知り得た範囲でいえば、こんなタイプです。

「おい、○○県に家を買ったぞ。引っ越しするからな」といって、妻を驚かした独善型。
家の電気使用量をいつもチェックしていて、「おい、消し忘れしていたぞ」、ドケチ口出し型。「これしか貯金がないのは、お前がやり繰り下手だったからぞ」、なんていう難癖型などなど。他にも、夫のタイプはさまざまだす。

 独善型や家庭内管理型、ドケチ口出し型や難癖型の夫は、女房が「いやよ」とか「どうして」とか「冗談じゃないわよ」なんぞといえば、家具が口を利いたかのように驚き慌てて、腰抜かし、
「おれに逆らうのか」
 なんて叫んでみたりします。
 しかし妻はこんな夫の態度には慣れっこ。
「そうよ。逆らうわよ。引っ越すならあなた一人で行って」
「その安いトマトはあなたが食べて。私は高くて質のいいトマトを食べるから」
 泰然自若、夫を尻目に決断力をしめします。

 もちろん夫の名誉のためにいえば、妻の思いをよく汲んでいい老後への助走期間とする、「思いやり型」「家事分担型」「夫婦あい和し型」もいると思います。多くの妻がうらやましさのあまり卒倒するような、素敵な夫たちも確かにいますね。

 でもでも…‥、多くの夫たちは、何の根拠もなく自分は妻から一目おかれていて、尊敬され、愛されているとさえ思うようです。夫のロマンですね。それが、妻のフマンになります。これを、
「夫のロマン、妻のフマン」と申します。

?妻も変わる!

 夫だけがロマンふくらませたって、妻が不満では何事もうまくいきません。世の夫族はこのことを、フカーク心に刻んで欲しいものですね。

 多くの妻は、地域にたくさんの友人をつくっています。会社生活だけで家に寄り付かず、妻のことなんてすっかり忘れている夫が、定年と同時に妻を思い出して、
「オレについて来い」
 なんて言ってみたところで、現在の妻は昔の可憐な妻ではございません。動かぬこと山の如し、重きこと岩の如し。誰が、長年に渡る女の友情の輪を簡単に捨てるでしょうか。
 ある妻の川柳です。
 新婚の 頃の日記の あほくささ
   (「週刊文春」8・17「24号」愛知県伊藤ツヤ子 六十歳)

 妻とは、かくも変貌するもの。これは夫だって同じですね。夫も「釣った魚」とばかりに、妻に無関心になりますものね。
 定年後の生活設計は、まずは妻の意見を尊重し、夫がおとなしく妻について行く、まさに”婦唱夫随”が一番の道ではないでしょうか。

 夫がいかに夫意識を捨てるか、これは海外移住などではとくに重要だと聞きます。たとえば食べ物。夫は料理を習ってから行くか、現地食に徹底するか、どちらかであるべし。

 問題は食材です。現地の食材での料理は、妻の大きな負担になります。大きな魚をおろしたり、首までついている鶏をさばいたり、妻はそれでノイローゼになってしまうと聞いています。

 だから、妻を料理から解放すべし。妻だって年を取っているんです! それでなければ現地食で満足すべし。この料理の問題で、妻だけさっさと帰ってしまった例もあるとか。遺された夫は結局することもなく、部屋で日本語のテレビを観ているそうです。最悪のパターンですね。

 定年後の夫婦は、その関係性のリセットの時期です。
 最近は、定年延長や再就職などで、夫の就業期間も長くなってきていますが、夫婦の生き方や役割の見直しが必要です。妻も新しいストレスを抱えている夫は見守り、夫もまた妻の生きた方を肯定する器量が欲しいですね。

?夫婦の十字路

 東日本大震災以降、家族の大切さが見直されています。まこと、人というのは温かさを求めるものです。結婚というのは、いつの時代でも人間の生きるエネルギーの源泉であり、熱源体だと思いますし、永遠に幸福でありたいと願って当然です。

 ところが、この五十代にかけての頃というのは、夫婦が十字路に立つ時期でもあります。さて、前に進むか、右に行くか、左に行くか…‥。中年離婚が多いというのも、この十字路での思案の結果でしょう。

 アメリカの作家、エリカ・ジョングのエッセイに『五十が怖い』(亀井よし子訳、小学館・1,996年)というのがあります。

「五十を目前にして、人生で何よりも困難な試練は、夫婦の関係を大切にしながら、精神と魂の自立を持ち続けていることだ、と考えるようになっていた。それは絶えず何を優先すべきかの話し合いとけたたましい喧嘩、絶えず主導権争いを意味していた」
 まさに、結婚の仮決算の時期です。四十代を怒りで過ごした妻も、感謝で過ごした妻も、これから先の長い人生を思って来し方行く末を思います。

 夫婦とはいったい何なのだろう、これでよかったのだろうか。自分はどう生きるべきか、「夫婦の関係を大切にしながら、精神と魂の自立を持ち続ける」ために、思案が続きます。けたたましい喧嘩があればまだしも、妻が一人で悩んでいる場合も多いのです。

 そこには妻の、人生への問い直しもあります。
「夫の転勤で仕事を辞めて、専業主婦になったのです。人生、これでいいのか、悩みながら生きてきましたよ。夫は自分の仕事だけに夢中で、妻の心の葛藤は見て見ぬふりをしているんです。あげくに、自分が食わせてきたんだという態度で…‥」

 まさに、精神と魂の自立を求める葛藤であり、問い直しですね。人生の優先順位について考える時期でもありますね。

?人生の意味を求めて

 この年代の人には、子どもが巣立つ、「空の巣症候群」などといわれている「孤独」に、突き当たっている人もいるでしょう。子どもが巣立つというのは、想像以上の淋しさです。かの元アメリカ大統領のクリントン夫妻も、夫婦で泣きくれたそうです。でも夫婦で泣いたなんてうらやましい。それこそ夫婦のあるべき姿。私なんぞは一人で泣いていましたね。夫は毎晩泥酔しての午前様。妻のことなんか見て見ぬふり。いや、何も見ていなかったでしょう。文句を言っても、すべては右の耳から左の耳へ。中年期、管理職となった男の荒々しさを見た思いです。

 離婚は私の最大の願望でしたが、それが上手くいかなくて…‥。離婚というのは、非常なエネルギーが必要ですし、的確にアドバイスしてくれる法律家のバックアップが大切です。私もある有名女性弁護士に相談したのですが、これが酷いアドバイスで最悪でした。有名弁護士といえども信ずるべからずという、切ない顛末‥‥。

 その一方で、結婚や再婚を願っている人もいるでしょう。
 人生は巡り合いです。七十歳で再婚したカップルを、取材させていただいたことがあります。
 「結婚は山あり谷あり。でもそれも面白いですよ」
 いいことずくめでないのは、どんな夫婦でも同じ。人間が生きることは熱源が必要ですから、挑戦の価値はありますね、さまざまな人がいる中年期、人生半ばだからこその十字路。過去と未来との衝突。ある、妻がこう言いました。
「私には、生活はあったけど、人生はなかった」
 人生とは何か、その意味、あるいは生きる熱源を求めて、探求の季節の始まりが五十代です。

?亭主元気で留守番がいい

 私もこういう喧騒の中年期を通り過ぎてきて、今思うことは、夫婦には距離が必要だということです。車に「車間距離」が必要なように、夫婦にも「者」間距離が必要なのです。それもかなり遠く。

 夫が毎日家にいるようになったら、それに文句をいうよりも、自分の方が距離を求めて、家から出ていきましょう。
「夫が家にいると出にくい…‥」
 なんていう引け目はさっさと捨てることです。
「亭主元気で留守番がいい」
 自分の人生獲得のために、精神世界の確立のために、仲間や学びの場、活動の場を求めて、家から出ましょう。
「プチ家出のすすめ」
 夫の晩御飯をどうするって? そんなことは知りません。子どもじゃないんだから、自分でやってもらいましょう。それができないのなら、餓死したっていいじゃありませんか? その程度の夫なら、致し方ないんじゃありません? つい十年ほど前までは、お盆におかずの皿を並べ、そこにご飯とお味噌汁、それを丸ごと冷蔵庫に入れて、「チンだけでいいですからね」といって外出した妻の話がありました。夫の自立を阻害して、かつそのことに不満を抱く妻です。今や、骨董品的妻ですが。

?八人の仲間あり

 昔、「男は外に出れば七人の敵がある」といわれてきましたが、されど「八人の仲間あり」であるのです。女も同じです。外に出れば敵がいるかもしれない、でも一人は多く仲間もいるだろう、ここに生き方のロマンがあると思いますね。外に出れば、いろいろあるということの覚悟ですね。でも、敵より仲間が一人でも多い!

 結婚期間も三十年、四十年になった時代の中年期夫婦は、これまでの常識の見直す必要があると思います。
 その一つが、よくいわれる「夫婦は向き合って」です。
 はっきりいって、中年期の夫婦が向き合っても、いいことばかりでありません。
「中年期はL型」がおすすめです。食卓も九十度の角度で座ります。ちょっと視線を逸らすくらいくらいがちょうどいいのです。向き合うのは息苦しい。

 また、「夫婦は趣味の一致」が望ましいといわれます。趣味が一致すれば、これほど楽しいことはないでしょう。羨ましい限りです。しかし、何もかも違う夫婦だって珍しくはないのです。夫は夫の趣味で、妻は妻の趣味で、それそれぞれ楽しむ、それぞれの世界に達成感がある、ちょっと淋しくてもそれに耐える。これも「者」間距離ですね。

 さらにまた、もし子どもが出て行った空き部屋があるようでしたら、そこを自分の「書斎」にしましょう。テレビを置いて、ごろん部屋でもいいのです。精神の自由を確保するための、隠れ家でもありますね。
 これらすべてが、プチ家出です。

 人生は後半が長いと覚悟してください。さらにまた、人生は後半が面白いのです。過去のさまざまな重荷が取り払われ、あれこれ葛藤も波が引くように引いていき、自由で楽しい時間が待っています。

 私が五十代の頃は、”空の巣症候群”とか”くれない族”とか、こんな言葉で、中年期の女性の辛さや不満を表したものですが、最近は聞かれなくなりました。この世代の女性たちの生き方が大きく変わったからでしょう。それにつれて、夫婦の生き方も変わってきたと実感します。そんな新しい季節を生きている夫婦のエピソードを、いくつか紹介しましょう。

2度胸の女房、ちょいとホレ直し 高い理想と過酷な計画

 ここにご紹介するのは、ここまでありかと思うほどの夫婦一致型です。高い理想と、苛烈な計画、ふかい人生観を持って定年後の生活をスタートさせました。

 吉田さん夫婦はともに若い頃から山歩きが好きでした。関東周辺の山はだいたい歩いているとか、山裾歩きが中心だそうですが。
 夫の定年が近づいたとき、妻が言いました。
「何か山でできる仕事を探さない? 農業民宿なんてどう? 」
彼女はその方面の事業に関心がありました。あちこちの山歩きの際にも、関連のところを訪問しては、彼女なりにペンションのイメージを膨らませてきました。資料も買ってテーブルやソファーのあたりに置いておき、夫が横目で眺めているのを知っています。

 この計画は単なる思いつきではありませんでした。夫は長いことある飲料製造会社で、フードビジネスをやってきて、フードコンサルタントの資格を持った人だったのです。
「これを活かさない手はない」
 彼女もまた、長いこと洋裁をやってきて、色彩感覚バッグん。この技術も役に立つはず。食事と室内装飾で、民宿の特色を出せます。
 彼女の念願は、多くの人が集い、語り合う場を作ること。それも大自然の中で。その中で、残りの人生を働いて生きたい。

 さっそく家族会議を開きました。
 長男夫婦、長女夫婦にも来て貰って、カクカクシカジカ。
 問題はお金です、横浜の土地を売り、別荘を売り、退職金をつぎ込んで、一億円余りの資金。それが新たな土地代、ペンション建設費、開業資金などになります。日常生活費の基本は年金。

「もしかしたらら失敗するかもしれない。有り金全部はたいての事業だから、あなたたちに遺せるものはないと覚悟してくれる?」

 こんな時の禁句は、皆様ご存知ですね。
「親が溜めた金なんだから、何に使ったって勝手でしょ」
 実際に有料老人ホームに入る時など、これで揉めてしまって、絶縁状態の親子もいるとか。子孫に美田を遺さずとはいえ、子どもの思いもよく聞いた上で決めていくのが上策と言われています。
 ともかく、すさまじきは女の度胸。
「背水の陣とはこのことですよ。失敗したら行き場ないんですから。年を取ってからの交流の場を作りたい、その一心でしたね」
 二人で一緒に就農準備講座で学び、きのこや山菜の研究。猛勉強。民宿経営にはさまざまな法律があります。消防法や保健所のことなど。すべて新しい勉強でした。夫の定年前一年間はひたすら勉強!
「それがやっぱりトシですねえ、覚えては忘れ、忘れては覚えして、やあ、しんどかった」

?修行僧のような日々

 かくしてとんがり屋根を持つ二階建て、大きなガラス戸のある瀟洒(しょうしゃ)なペンション、「たんぽぽ堂」が出来上がりました。一階がリビング、二階に寝室が八室。

 夜ともなれば漆黒の闇が支配する山の中、見渡す限り山また山。これでは「背水の陣」ならず「背山の陣」です。ここに引っ越してきたのは、夫婦とも六十一歳。平成十一年、春まだ浅き三月でした。

 農村生活にあこがれる人は多いけど、ここまで徹底的に”移住”する人は多くはないのではないでしょうか。夫は言いました。
「僕らは、ここで事業をやる。ビジネスするために来たんであって、物見遊山にきたんじゃない」

 引っ越しして間もなく、ヤギの飼育を教えてくれる人がいました。チーズとソーセージの生産です。これは夫にとっては願ってもない仕事、たちまち増えて数年のうちに三十頭、やがて五十頭となって、チーズの売れ行きも上がってきました。
 乳しぼりは朝と夕方の二回。それは夫の仕事です。

 この夫婦には、温泉旅行も、海外旅行も、歌舞伎座もグルメもありません。二人で力を合わせて働く以外に、生きる方法はありません。ヤギがいるので、たとえ一泊であっても外泊などできません。まるで修行僧のような生活です。

「よく、これからどんどん年を取るのに、そんな事を始めてっていう人がいるのよね。今は元気だからいいけどって。でもね、こうやって気を張って、身体を使って、しかもいい空気を吸って生きていると、本当にしみじみ幸福でね。それでいいんじゃない?」

 よく老後計画なんていうけれど、働ける間は働くこと。それだけ。先のことなんて余計なお世話。その時はその時。”ご親切なるオドシ”には屈しない。きっぱりとした人生哲学でした。

 ただやはり気になるのは介護のこと。近くに特養ホームがあり、訪問介護もしていると知った時は心底安心しました。

「実はね、計画の時はそこまで頭が働かったの。でも引っ越してみたら近くにあって、なんてついているのかしらって思った」

 老後の大プロジェクトも、これではずみがつきました。ここが終の棲家になります。

?ちょいとホレ直し

「そんな山の中で淋しでしょ、なんて人がいるのよ。でも私、横浜に四十年いたけど、あの大都会の雑踏の方がずっと孤独だった。肩と肩とぶつかっても、挨拶一つなしで行き過ぎるんだもの。お友達もいたけど、お付き合いが浅くて。ここには、人はいないけれど”心”が集まっている。インタネットで、こういう仕事をしている人同士のネットワークもあるし、やってみたいって全国から見学に来るし。仕事を通して付き合っていくっていうのは、深いわね、関わりが」

 群集の中の孤独の方が辛い。この山の中の方がどれほど人間を感じるかしれない、そしてみんなが優しいと。

 最初の一年は宿泊客も百人程度、二年目に二百人、三年目にしてようやく四百人近くになり、少しずつ軌道に乗り始めました。
 夫婦が朝から晩まで顔を突き合わせていて、喧嘩しませんか。
「そりゃあしますよ。意見の食い違いなんてしょっちゅう。でも共同事業者だから、納得すれば後を引きませんよ」
「村の人はよく見ているんですね。あの夫婦は本気でここにやって来たんだ、よく働くって。そう理解してくれたら、受け入れてくれましたね。野菜なんかよく持ってきてくれるんです」

 冬ともなれば零下十五度。寒さが身に染む。しかし度胸の女房、そんなことでへこたれません。
「六十代、七十代、八十代前半まで、あと二十年以上働けますね。元気で働けることに感謝です。それにサラリーマン時代とは違う夫を発見して、あなた、ちょいとホレ直しましたよ」

 最後はカカカと大笑い。ここは長野県。女房に曳かれて善光寺参り。神代の昔から女は元気、女は度胸。つまりは、
「妻のロマンは、夫のロマン」
 でありました。

 ?天に恥じないように

 夫婦でロマンを温めて、この孤絶した山の中で生きる二人。こういう生活が可能なのは、二人がお互いの人生や命を慈しみ合い労わり合う、とてつもなく大きい優しさに包まれているからではないでしょうか。群集の中の孤独には耐えられない、けれどこの山中には人間が感じられる、深いかかわりがある、優しさがある、そんな言葉が今も胸から去りません。

「たんぽぽ堂」ができてから、十三年後、堂守の吉田良一さんが不慮の病で他界なさいました。
 今は、妻の敦子さんが一人で堂を守っています。スタートの時、良一さんは詩をつくっていました。その一部をご紹介しましょう。

 二度とない人生だから
 その時々やはり懸命に生きよう
 自分に悔いを残さぬ様に
 天に恥じない様に

○3純情オジジの愛妻物語 妻が先に倒れたら
 もう何年も前から若いオババたちは、よるとさわるとこんな不安を囁き交わしてきました。
「もし私が先に倒れたらどうしょう。うちの夫、介護してくれるかしら。できるできない以前に、する気がないと思うのょ」
「この間、私が風邪で倒れたら、なんて言ったと思う?オレ外でメシ食ってくる、だって」
「そんなの序の口よ。『実家に帰れ』っていわれた人もいる。このトシになって、実家なんてどこにあるのよ」

 かくなる具合に、夫の家事能力欠乏症と妻への愚痴のこぼし合いをしてきまして。でも中には、
「それは結局、あんたらの男を見る目がなかったということ」
「教育が悪かったのよ」
 なんてたまう女房も現れて、一同、返す言葉がなくうなだれという顛末もありました。
 しかし、この点でも世の中変わりました。
 老夫婦世帯が増えたせいか、
「妻が先に倒れたくらいで、ジタバタするな。夫たる者かくなる気概と能力あり。とくとご覧あれ」
 とばかりの、夫族も現れてまいりました。ありがたいことでございます。N氏もそんな一人です。

?昨日まで元気だった!

 N氏は取材の時八十五歳、三歳年下の妻が倒れて一五年になります。妻は要介護「5」毎日を眠って過ごしています。
 とても元気な人だったそうです。日本舞踊を習ったり、友人と旅行にいったりと活動的でした。その妻が六十代後半で倒れた時、夫は決心しました。
「一夜にして人生が変わるなんて、そんなことは許さん」
 この妻のために、頑張ろう。夫七十歳、定年して十一年、地域の役職などもちょうど降りた頃です。同じ敷地に長男夫婦が住んでいますが、嫁を頼る気は全くなかったそうです。

「自分の女房、亭主が世話をすることは当たり前じゃ」
 倒れたのは介護保険の前のことで、社会福祉協会に行って、使えるサービスを探しました。部屋を改造して、一年間二四度に温度設定をし、リフトも借りて自分の腰を守る工夫もしました。入浴サービスやホームペルパーも利用しています。

 夫の介護には得てして、「自分一人」と頑張りすぎる傾向があると言われています。他人に助けを求めるのが下手だと。介護疲労や介護殺人が起こるのも、そこに原因があるのではと、指摘されています。
「辛いです。助けてください」
 こう言えるのも男の器量。専門職の”目と手”を活用しようとするN氏の精神には、病人への愛情の深さと、人間的な資質の豊かさを感じますね。
 介護保険が創設当時に、
「愛は家族に、介護専門家に」
 といわれたのも、結局は専門職なればこそ気がつくこと、できることもあり、家族は介護疲労を防ぎましょう、その分愛情を深く病人に注ぎましょうということでした。

 余談ですが、介護保険の現代でさえ、ホームヘルパーは嫌だという人が結構おります。経済的な問題もあるでしょうが、偏見や情報の偏り、他人不信、「介護にお金を使うなんて」という意識。そこを一歩切り開いて欲しいものですね。

?罪滅ぼしか愛情か

 さて話は戻って、N氏。妻は当然ながら、最初から完全寝たきりで会ったわけではありません。一時は小康状態になり、何回か発作を起こし、現在の状態になったのは、ちょうど介護保険が始まる直前の頃でした。
 最初の発作以来この十五年間、夫は一日も欠かさず一日三食の食事内容を記録してきました。完全寝たきりなってからは、おしっこの量も記録しています。尿瓶を股間に固定しています。

 嫁に預けたり、ショートステイなどを利用して長期に旅行したりなんぞ、そんなことは一度もないとか。
「よくね、友人に言われるんですワ。気晴らししないでどうするんじゃって。昼間や夜の会合なんかは、この人一人にして出かける。その間何かあったら、それはそれで運命じやわい。余計な心配はせん。だけど自分の楽しみのために、入院させたり、施設に預けたりなんて、そんなことはできんワ」

 共倒れになったらどうする、ともいわれるそうです。答えは非常にすっきりしたものです。
「その時はその時じゃ」
 まったくその通りですね。八十五歳の夫の明快な死生観です。
 取材の時、妻は口を開けて「ガー」という感じで寝ていました。頬はつやつやとしたピンク色。裸の身体に浴衣を被せるようにしていて、全身が清潔で皮膚に弾力があるように思いました。素人ながら、つい感嘆の声が出ました。

「いい介護してらっしゃるんですね」
「いやいや、こりゃ、罪滅ぼしじゃわい。ワシ若い頃さんざん悪いことをしたからな。女房、泣かせたし」
 う――ん、今度は私が考える番です。
 介護するのは罪滅ぼし?
 それでは、妻の介護をしない夫は、滅ぼすべき罪がないということか。滅ぼすべき罪のある夫がいいか、悪いことはしない代わりに滅ぼすべき罪もない夫がいいか、どっちだろう。
「最悪なのは、滅ぼすべき罪がありながら、妻の介護から逃げる夫だなあ」

 ?待ってました! 純情オジン

「罪滅ぼし」、この場合は男のテレが言わせているのでしょう。従来の社会通念、さらには男女の平均寿命の差からして、大体は妻が夫の介護をするもの、それが逆になってしまってなんとなく気恥ずかしい、そこでもっとも無難な言葉が出て来たということではないでしょうか。純情だなあ。
 純情オジン、ここにあり!
 こういう行動派純情オジンがどんどん増えれば、世の中の倫理観がすっきり確立するのではないでしょうか。老いたる夫による妻殺し、無理心中、こうした事件は、「役に立たない者は殺していい」という風潮の土台になっているように思います。

 最近、本当に夫の介護が多くなってきました。
 前述したように、介護保険以来、「嫁」による介護が半減しました。その代わり増えたのが「実の子」と「夫」です。この中には「娘」と「息子」がいるのですが「夫」と「息子」を合わせて介護者の三割が男性であり、その実数は百万人になります。

 まさに男性介護の時代、カイゴメンの時代です。
 これからの、いい男の条件は核の要であります。
 イケメン、イクメン(育児する男)ガジメン(家事をする男)。妻に依存しながら支配する夫は、ゴメンでありますね。そういう人はフケメンといわれています。

?カイゴメンの時代

 最近のカイゴメンでいえば、高槻市の元市長が、妻の介護のために公職を降りた話は有名です。
「夫の代わりはおりません。長年連れ添ってきた夫婦なんだから」
 仕事よりも愛を選びました。妻は、夫が介護するようになって、めきめきと表情がよくなり、元気になったそうです。褥瘡(じょくそう)も治りました、ただ認知症が出始めてからは、相当苦労なさったとのことですが。
「そんな時、つい大声を出してしまった‥‥」
 という素直なお話もありました。
 市長を辞めたことは、賛否両論もあったようですが、市長の代理はあっても、夫の代役はいないという思いが、先の言葉につながりました。彼もまたすぐ近くに息子夫婦がいたようで、若干の手伝いはあったようですが、基本的には食事介助もおむつ替えも、夫の役割。忙しい市長時代ですらやっていたというのです。

 また詩人の耕治人さんは、妻が認知症になって、廊下におしっこを垂れ流すようになった時、こう言ったそうです。
「これは、清い小川です」
 また、こうもいったとか。
「妻の身体を通ってきたものに、汚いものなんてありません」
 便が落ちたときに、思わず手で受け止めたこともあった。
 なんていうけれど、夫婦愛でしょうか。
 人生の晩年になってこそ夫婦は輝く、それを実感させられます。よもや、ここに出てきた夫様三人は、こぞって罪滅ぼしということではありますまい。人生をともに歩いてきて、山あり谷あり、あれこれの風雨を受けてきた同士として、慈しみ合いの世界、愛情の世界があるのでしょうね。
 待っていました! 純情オジン。愛情深きオジンたち。

?愛情の尊さを

 だから私は冒頭の、不安におののく女友だちにいいました。
「大丈夫みたいよ。男は七十過ぎると妻への愛情を素直に表現するみたい。本当の意味での男の器量を発揮する。いい男になる」

「そうお? あんたのとこは大丈夫?」
 そう問われれば、私には自信がありません。かなりの疑いがあるのも事実でして、
「わからないわねえ。家事なんかいざとなったらできる、今はやる必要がないからやらないだけだって、威張っているけど」

 実際にはできないことが目に見えています。滅ぼす罪がありながら、家事や介護から逃亡するんじゃないかしら。
 そうはいいながらも、やっぱり信じたいと思います。さらに、老境に近づいてきて、しみじみ思ったことがあります。
 それは、
「私が恋した男は、みんないい男だったなあ」
 ということ。
 過去のあれこれ、あの人この人。多感な時代。我が夫も純情青年だった。私も純情乙女だった。なんとなくしんみりです。
 今やお互いオジンとオババとなり、純情度は奈落の底へ。幻滅の日々はお互い様。口喧嘩しつつ、老いの坂を登っています。
 でも信じることにしましょう。
 万一のことが起こったら、その時は純情度が満開になる。
 純情オジンの介護物語が、この世の花咲かお爺さんとなって人々に希望を与えると。
 愛情の尊さも孫たちにも教えてくれると。
「ちょいとあんた。ごろ寝ばかりしていないで、介護の本でも読んでよね」

4温泉に行って、愛を養って! もう一つの体温が…‥

 夫婦というのは不思議なものだと、しみじみ思います。
 過去のすったもんだの生活、よどんだ井戸のような平凡さが、ある年齢以上になると、なつかしく思えるようになり、お互いの命の残り火をいとおしむような日々が、やってくるらしいのです。

 ここでは、そんな話を。
 ある夜のことです。知らない女性から電話がありました。たまたま何かで私の名前を見て、同じ市に住んでいると知って電話番号を調べたようです。
「私、淋しいんです‥‥」
 彼女はいきなりいいました。
 あれこれ、行ったり来たりの話をまとめてみると、次のようなものでした。
 夫は長年の病の上に認知症が現れて、妻一人での介護は無理になった。子どもは娘一人いるけれど他県に住んでおり、しかも仕事をしているので介護は期待できない。

 要介護は「5」ずいぶん待った末にようやく特養ホームに入れてもらえた‥‥。
 これで一安心、楽になったと思ったのですが、思いがけないことに、別の辛さがやってきたというのです。
「楽になったと思う自分が情けなくて。本来ならば妻である私が介護しなければならないのに、これでいいのだろうか、考える苦しくて眠られなくなるんです」

 夫婦は二人とも七十代後半だということですので、夫は若くして倒れたんですね。長年の在宅介護を妻が一人でやってきました。
 …‥それにしても。なんと律義な妻でしょう。
 世の中には、夫を特養ホームに入れた途端、天井がすっぽ抜けたほどの解放感だった、という人もいるというのに。面会に行かない妻だっています。顔も見たくないと。「夫婦のローマ」も一日にしてならず、でありますね。

 それなのに彼女は、身体は楽になったけど、精神的には辛くなったといいます。今頃どうしているだろう、食事は? おしっこは? と気を揉んでばかりいます。

 長いこと二人で暮らしてきて、片方が入院やホーム入所で離れ離れになったとき、その淋しさや孤独感は、他人には想像のできないものがあるようです。必ずしも夫婦あい和しとはいかなかったにしても、長年一緒に暮らした相手のいない家に残るのは、”もう一つの体温”の喪失感があると聞きます。

?妻こそが「元気よく機嫌よく」

 この健気な誠実な老妻の力になってあげたい。何よりも、
「本来なら、私がしてあげなければならないのに‥‥」
 というこの自罰感から解放されるよう、何かアドバイスできることはないだろうか。
突然の電話ですから、考えの整理がついておりません。忙しく頭を働かせ、ない知恵を振り絞っていいました。

「旅行したらいかがですか。お嬢さまと一緒でも、一人ででも、とにかく温泉にでも行って、たっぷりお風呂に浸かって上等のお刺身でも食べてぐっすり眠ってください。元気を回復して、機嫌のいい顔で旦那さんに面会に行ってください『介護は専門家に愛は家族』
っていうでしょう? これからまだ先は長いのですから、今は専門家に任せて、まずはあなたが元気になることですよ」
 私の思いは、長い介護期間、多分五十代からの介護で彼女は心身ともに疲れている、だから周囲の目に敏感になっていて、それが自罰感を増幅させたのではないかということでした。
 世の中には好奇心で物をいう人がたくさんいますから。彼女も、
「まあ、旦那さんをホームに入れたの。本来なら妻の仕事じゃないの?」
 なんて余計なことを言われたかもしれません。
「温泉に行って」という言葉に驚きました。
「そんなことを言われたのは初めです」
「これまでの介護のご褒美だって必要でしょう。介護のキーパーソンはあなたなのですから、あなたが元気で機嫌よくなくちゃ。その方が旦那さんは喜ぶと思いますょ」
 もしかしたら世間の人はまたここでもまた、「旦那さんをホームに入れておいて温泉なんか、いい気なもんだ」なんて言うかもしれません。介護者は苦労の滲み出た顔、暗くて疲れた顔であるべし、こんな雰囲気に苦しんでいる妻はたくさんいます。
 でもそれは違います!

?これもまた夫婦のロマン

 介護には優しさが必要。それは他人から強制されたり、社会通念に支配されるものではありません。優しくあるためには、心身の疲労を癒して、自然な心で向き合うことが必要なのです。強制された労働から、優しさは生まれません。妻こそが、「元気よく機嫌よく」でなければならないのではないでしょうか。

 さらに、苦労とは別に、介護者は”上位の権力者”と化し、後で自己嫌悪になる場合だって多いのです。だから疲れてはいけない、暗い顔はしてはいけない、機嫌よく笑顔でなければならない。そのために、いろいろ方法はあるだろうけど、温泉に入って、美味しい刺身を食べて、いささかの贅沢をし、自分を回復するのも一つの方法だと思うのですが、いかがでしょうか。

 その後彼女から電話はきません。元気でしょうか。
 晩年は夫婦別々のところで…‥というのは最近珍しくなくなりました。ある例では介護認定は「4」です。意識は非常にクリアで、テレビを観ての政治談議が大好き、ただ発音が不明瞭なので、妻からホームヘルパーさんの通訳が必要です。

 この夫、長いベッド生活に挫けることもなく、明るくて意気軒昂。頬の血色もつやつやと桜色、まるで少年のようですが、残念なのは肥満体なことです。

 対照的に妻は青白い頬に細い身体。最近では目の充血が取れません。毎日身体がだるくて、気持ちがしゃっきりしません。つやつや亭主に青白女房、これもよくあるパターンですが、介護保険では、「妻という介護者がいる」ということで、生活援助を給付制限しています。妻、受難の制度です。

 介護保険利用額のほぼ半分ですが、ケアプランがよくできていて、何日かごとに誰かがこの家に来るようになっています。
 妻はひっそりいいました。
「ありがたいのは週一回の入浴サービスですね。もう私の力では、お風呂に入れることはできませんもの」

 これは、巡回車にバスタブを積んできて、看護師さんやホームヘルパーさんが入れてくれるものです。夫も、
「火曜日が楽しみだねえ」
 肥満の夫のために、リフトもレンタルしています。車いすも室内用と外出用とがあります。まさに、我が家こそが、ナーシングホームの一室手厚い介護体制です。

 しかしながら、妻にとって一番気持ちも身体も休まるのは、週一回のデイサービスの日。夫の乗ったバスが見えなくなると、ふとんに倒れ込んで一日寝ます。

?夫のプライドを守る妻の手

 じつは、さらに妻を悩ませる、別の問題がありました。
 夫は食欲旺盛で、食事は何でもおいしく。食べるのが楽しみ。しかしながら、食べて出るのが人の身体、世の習い。ここに難問がありました。運動ができないせいか、腸の動きが鈍く、出る物が簡単に出てこないのだそうです。

 下剤ではいつ出るかわからないので、オムツになります。これは夫が嫌いました。試行錯誤の結果、浣腸が一番いいとなり、木曜日と日曜日にかけています。

 ところがこの浣腸、保健師さんでも看護師さんでもホームヘルパーさんでも、うまくいきません。妻がやらなければ、出ないそうなんです。
 目をしょぼしょぼさせながら、妻は言いました。
「女房の仕事だと思って、頑張りますよ。だって、便をする姿なんて、やっぱり他人には見せたくないでしょうね。プライドの高い人だから」

 不運にも五十代半ばにして倒れて、それ以来の長い闘病生活。その生活を支えてくれた妻。妻だからこそ、他人には見せたくないところを見せられる…‥。夫のプライドを守るための妻の手。
「こればっかりは、他人に任せられないし‥‥」
 排便というのは、もともと人間の羞恥心や尊厳に関わる行為なんですね。制度がよくなり、ベテランの看護職員、介護職員が揃っても、妻の手でなければ出ないウンチというものは、なくなりはしないのかもしれません。

?老いてこそ夫婦本番

「でも私、疲れましたよ。もし、私が倒れた、誰が面倒見てくれるんでしょうね」
 妻は、ほつれた髪をかきあげながら続けます。
「それにね、仮定のことなんだけど、もし私とこの人が反対だったたら、この人、浣腸かけてくれたかしら。週に二回、毎週毎週、何年にも渡って」

 前述のようにもし妻が先に倒れたら、夫は介護してくれるか、多くの妻の疑問です。あげくに、虐待者や殺人者も多くは夫、妻は絶対に先に倒れてはならないのです。

 この?せて青白い妻のご苦労は、想像を絶するものです。週二回、毎週毎週、何年も夫の便を始末して…‥。

 この私、やれるでしょうか。自信はありません。逆にそうなっても、我が夫なんか絶対にやれないでしょう。便が自分で出せなくなったら、夫婦崩壊です。

 それにしても、妻の手でなければ出ないウンチ。なんという夫婦のありがたさ、なんという不思議さを感じさせる話でしょう。
 もし夫婦が反対だとしても、夫は面倒見てくれると思いたいですね。
「夫の幸福は、妻の災難」
 では、あまりにも淋しく辛い夫婦ではありませんか。
 夫婦は、晩年な向けて手を取り合い、命の証を確かめ合う関係だと、夫も妻も胸に畳み込みたいものです。人間としての愛を謳い上げる夫婦。老いてこそ夫婦本番、これぞ夫婦の不思議、そんなことを考えさせてくれるTさんご夫婦でした。

6妻の人間宣言 半年でプライドを捨てよ

 そのご夫婦とは、横浜市にある老人保健施設で出会いました。夫は右半身麻痺に加えて、言語障害です。七十代前半のご夫婦です。元気な高齢者が多い現代、この年代で障害が残ると、いかに打撃が大きいか実感します。

 大手企業の経理部長が最後のポストでした。脳出血で倒れ、緊急病院、リハビリ病院、一般の老人病院などを経て、老人保健施設にやってきました。
 老人保健施設の職員は、こう言ったそうです。
「半年で過去のプライドを捨ててください」
 七十年積み上げて来たプライドが、たった半年で捨てられるものでしょうか。妻は言います。
「そんなことは不可能ですよ。お父さんは会社で威張り、私や子どもにも関白であり、将軍であり、魔王のような人でしたよ。それを今さら変えるなんて」
 さらに、介護役割を担った老妻の愚痴が続きます。

「私、これから友だちと旅行でもと思っていたから、本人も悔しいでしょうけど、私はもっと悔しい」
 言葉がだいぶ回復してきたとき、夫は言ったそうです。
「な・ぜ・た・す・け・た」
 またある時は、涙ながらに、
「お・れ・は・ば・か・だっ・た」
 病気になってプライドを捨てねばならず。尽くしてきた会社はなにもしてくれません。側にいるのは長年無視してきた古女房だけ。

 しかし、この苦難の中から新しい精神性を獲得していくと、期待したいものですね。
 吉田兼好の「徒然草」第百十七段に、「友にするにわろき者七つあり」というくだりがあります(橘純一編・武蔵野書院)そのうちの三つめが、
「病なく身強き人」
 病を知ったことで、よき友となって妻に関わって欲しい、これが新しい精神性獲得の期待です。

?介護する妻への暴力

 とはいえかの夫、病への無念、会社の非情、施設に入れられる怒り、などなどが恐るべき巨砲となって妻にむけられました。職員の前ではにこやかなのに、妻と二人だけになるとちょっとの言葉にも、自由になる手で殴ったり、足で蹴ったり。介護している人の虐待とは反対に、介護されている人による暴力です。

「私に依存しなければ生きていかれないのに、腕力や恐怖で私を支配しようとしているの。救われない人ね」
 周知のように、老人保健施設は三ヶ月か半年でいったん退所になるのですが、退所計画は二つの理由ですすみません。

 一つは、妻が暴力に怯えて、在宅生活を拒否するからです。子どもは娘が一人おりますが、夫の母親の介護があり、三人の子どもの子育てで、実家の方にまで手が回りません。

 二つには、住宅の立地条件です。神奈川県の某市にある自宅は、山を切り開いた住宅地にあります。山の周囲に下から上へと家が取り巻いて、空から見れば多分バウムクーヘンのようでしょう。家からの眺望は素晴らしいのですが、道路から家に入るのに十四段、その道路に行き着くにも下から二十段の階段です。もちろん救急車も入らなくて、救出の時は、隊員が担いで下まで運んだそうです。
 妻はかねがね言っていました。
「お父さん、ここは年を取ってからの住む所じゃないよ。マンションにでも買い換えましょうよ」
 でも夫は、女なんかが余計な口を出すなと怒鳴り、栄達の夢の象徴であるこの家から、動こうとはしませんでした。

 今、この状態になって、老人保健施設から出ていって欲しいと言われても、妻は暴力と住宅条件とで、簡単には「はい、そうですか」とはいえないのです。
「お父さんと二人になるのはいや。あの家もいや。このトシになれば坂道や階段が辛くて」

 もし階段で転んで、骨でも折ったら‥‥。夫への心配ではありません。自分自身への心配です。
 家に帰りたい夫、受け入れられない妻。住まいのバリアフリーはもちろん重要ですが、夫婦の関係もバリアフリーでないと、夫は生きる場を失いますね。

 介護してくれる妻に対して感謝の思いもあるのでしょうが、なぜ暴力を振るうのでしょうか。半年でプライドを捨てるのが難しいから、暴力で気を紛らわせるのでしょうか。しかし、それは妻を疲れさせるだけです。妻の心は、石ではないのですから。

?立ち上がった妻

 男性と女性とでは、要介護状態になる原因が違うという、興味深い資料があります。男性に多いのは”脳血管疾患(脳卒中)”がダントツの一位。二位は、高齢による衰弱、三位以下は数パーセントですが、認知症、パーキンソン病、転倒骨折、関節疾患となっています。

 一方女性は、”脳血管疾患”は男性の半分以下。でも、トップはトップです。二位は高齢による衰弱、注目すべきは三位の転倒・骨折で、じつに男性の三倍弱です。認知症は二倍、関節疾患も二倍。

 男性と女性とでは、こんなにも要介護になる原因が違うのですね。
 それにしても男性では半分近くを占める脳血管疾患、原因はお酒でしょうか、タバコでしょうか、肥満でしょうか‥‥。女性に転倒骨折が多いのは、骨粗しょう症との関連でしょうか。軽重の差こそあれ、変形性膝関節症などの痛みを抱えている高齢女性も多いのです。つまりは、こういうことですね。

「男は呑むな(吸うな・太るな)女は転ぶな」
「守るべきもの、男は血管、女は骨と関節」
 先ほどの妻の、「転ぶのが恐いわ」というのは十分に納得できるものです。妻は絶対に転んではならないのです。老いたる暴力夫の介護疲労で、転倒して骨折するなんていうのは、夫婦の晩年の中でも、最悪のシナリオです。

 しかしどの人も、いかにGNP(元気で長生きピンピンコロリ)を願おうと、晩年は多かれ少なかれ、障害を持って生きる身になるという覚悟を。そのための、人間としての慎み、夫婦の礼節、そういうものを夫もしっかりと持って欲しいものです。

 妻の心は石にあらず。血が流れている、奴隷ではない、それを知っていただかないと、夫婦の流儀は輝きませんね。

 その後この彼も少しずつ現状を受け入れているそうです。何と妻は、家をマンションに買い換えました。
「やっと私の出番がきたわ」
 明るく彼女は笑いました。妻は立ち上がったのです。夫の長い支配を抜け出しました。最近彼女、とても元気そうです。夫が少しずつ回復してきて、苛々しなくなったことや、彼女自身が自分の出番を自覚したことが、元気の源になっているようです。

 もしかしたらマンション買い換えは、妻の人間宣言であったかもしれません。このご夫婦もきっと、見交わしの目でお別れできるでしょう。

 夫婦も百人百色ですが、ぎくしゃくしつつもさまざまな感情を胸に抱き、やがては静かな日々を迎える境地に至る、そういう夫婦の季節は案外面白い時期かもしれません。

つづく 第四章 優しさという宝を抱いて