渡辺淳一著
この章では、
女性の精神と?、
さらにその行動から性の内面まで、
さまざまな角度から考察し、描写された
文章が集められている。
むろん一口に女性といっても、
生きてきた背景や体験から感性までさまざまで、
同じ言葉でくくれるわけでなはない。
それは承知のうえで、
なお女性を理解するうえに
参考になると思われるものが、
中心になっている。
1 女の武器
(67)待ちながら
待つ力というのがあるとしたら、それは男は到底女に敵わない。待ちながらも、女は揺湯(たゆと)とうような性感を感じているのではないか。
―リラ冷えの街
(68)一途さ
見方によっては、これといって取り柄のない末摘花(すえつむはな)が、ただひとつ持っていた武器は、ひたすら男を思うという、一途さだけだった。
実際だからこそ、センスのない歌や、源氏が着るわけでもない古びた衣装を恥じらうこともなく贈ることができたし、それがまた女のいじらしさとなって、源氏の心を揺さぶることに。打算のない女の一途さは、容色や教養をこえて、最大の武器のひとつとなりうる。
―源氏に愛された女たち
(69)被害者
うまくいっているときはいいが、一旦まずくなりだすと、女はすぐに被害者になる。こんなになったのも、すべてあなたのせいだといって泣いて喚きだす。
―峰の記憶
(70)新しい力
泣いて喚いて気が落ち着けば、女はまた新しい力が湧いてくる。
―七つの恋の物語
(71)女の嘘
たぐいまれな秀才が築き上げた嘘の弁解など、意外に脆い。それからみたら女ののらりくらりした非論理的な嘘のほうが、その自在性と説得力において、はるかに秀れている。
―わたしの女神たち
(72)あどけない女と知的な女
夕顔のようなタイプの女は、知的な女性にとっては最大のライバルであり、許せない存在であったに違いない。一見あどけなく、その実、女としてガードが甘く、そこがまた男たちの好奇心をそそり、セクシーに映る。
そのことを六条御息所(ろくじょうみやすどころ)は最も強く感じたからこそ、自らの怨霊(おんりょう)で夕顔を呪い殺すことになった。
「あんな地位も低く、頭もよくない女の、どこがいいの」
おそらく御息所はそう叫びたかったに違いない。
―源氏に愛された女たち
(73)媚態
幸か不幸か、若い女性は本能的に自分の体や性を売りものにしようとする意識がある。それは意識するとしないとにかかわらず、すべての女性の心に潜んでいるらしい。
女性の愛おしさは、そうした気づかぬうちに現れてくる媚態(びたい)にあるから、それを一概に悪いとはいえない。
しかしそれがいったん本人に意識され、明確な意図の下に利用しようとしているのがわかると、たちまち好ましさは色褪せ、卑しい不潔な面をだけが浮きでてくる。
―遠い過去 近い過去
(74)拒否する女
この世の春を謳歌(おうか)していた源氏は、朝顔の君にぶつかったことによって、この世には意のままにならぬ、いかな地位や名声をもってして口説ききれぬ女性がいる、ということを実感させられた。(中略)
その意味で、朝顔の君は拒絶することで、源氏という男に最も大きい衝撃を与えた女性、といってもいいだろう。
女は男を愛することで影響を与えることができるが、同様に拒否することでも男にそれなりの影響を与えることができる。
―源氏に愛された女たち
素直さも一途さも、知性も教養も忍耐力も、泣きごとも嘘も媚態も、女の場合はすべて武器になる。だがそれもつかいようで、下手なときに打算だけで使うと、自らの卑しさをさらすだけの、自分を傷つける武器になる。
2 女体の美
(75)本物の美しさ
二十歳前後の女性が美しいことは、ごく平凡なことである。花の盛りに花が美しいように、それはあえて評価するに当たらない。三十をこえ、四十になっても美しいときに、その美しさは初めて讃(たた)えられる価値をもってくる。そして五十を越えて美しいのはいよいよ本物である。
若くて美しいのは当たり前のことを、さも自慢げに見せつけるのは、はたから見ていて切なく、哀れでさえある。
どう理屈をつけようと、そこには若さの驕(おご)りという仮面をかぶった、なか味の軽さしか見えてこない。若いうちから、そんな底まで見せては、平凡な美しさを失ったときに何をもってカバーするのか。
しかしその残酷な年代の訪れのまえに、若さの危うさに気づく人はごく稀である。
―遠い過去 近い過去
(76)若さという美
突然、滝野の脳裏に、梓と初めて逢ったころのことが甦(よみがえ)る。そのとき梓も二十二歳で、街の中を駆けてきても、食事の前にお祈りをしても、すべてが初々しく愛らしいかった。
「誰でも、若いときは美しい」
―かりそめ
(77)装い
女の体は不思議な生きものである。
美しい体を見せられたら、美しいと感じるのは当然だが、そこそこなんらかの装いをくわえると、さらに新たな美しさが付加されてくる。
―失楽園
(78)毒素
いま全裸の凛子に加えられているのは、一本の紐(ひも)と一枚のタオルだけである。それ自体、美しさとは無縁の紐とタオルが女体を拘束し、緊縛(きんばく)した途端、女の?(からだ)は艶(なま)めかしさと妖(あや)しさを炙(あぶ)り出して、男に迫ってくる。
―失楽園
(79)多面な美しさ
きっかり装った女も美しいが、狼藉(ろうぜき)の余韻を残して横たわっている女も美しい。もちろん裸に?(む)かれて、恥かしさで円くなっている女も美しい。
女にもさまざまな美しさがあるが、多くの男はそのうちの、一つか二つしか見ていない。
お金や品物を無駄にするのはもったいないが、女の美しさを一つしか見ていない男は、それ以上に、もったいないことをしているともいえる。
―化身
(80)背中の年齢
「前の年齢は隠せますが、うしろの年齢は隠せません。そやから、年増のストリッパーは前ばかり見せて、滅多に後ろ向きしません」
この話、男にとって嬉しいようで、少し哀しい。
―午後のヴェランダ
(81)抑制された美
霞は、伊織のマンションへくる旅に、花を持ってきた。初めは侘助(わびすけ)を、それから一ヶ月後には白い芍薬(しゃくやく)を、さらに鉄線とあけびを、そしていまは河骨(こうほね)が飾られている。それぞれに季節の彩りが鮮やかだが、伊織はそのどれも、霞の一面を伝えているように見える。
侘助の開きききらぬ花の姿は、霞の控えめな態度を、白の芍薬は清潔な豊穣(ほうじょう)さを、鉄線の紫は霞の品のよさを、そしていま飾られている河骨は可憐な妖しさを思わせる。いずれのときも、霞は花の数を極力抑えている。芍薬のときは一輪であったし、鉄線と河骨はともに二輪であった。少ない花のなかに、むしろ抑制された美しさがある。
−ひとひらの雪
(82)白薔薇
「ここに、君にそっくりの白い薔薇(ばら)がある」
「白い薔薇が、どうしてわたしに似ているのですか」
「清潔で、しかし華やかで、部屋中が引き立つ」
白い花のなかに、うっすらと朱色が潜んでいることは遊佐はいいかねた。
―桜の樹の下で
若いときは誰でも美しく、それゆえに、若くて美しいことは才能ではない。だから四十から五十、さらに六十から七十と、歳を重ねてもなお美しければ、それこそまさしく、美しいという名の才能である。
3 女の未練
(83)忘れない
好きで愛しているなら、なぜ一人にしておいていくのか。「忘れない」などといわず、はっきりと「一緒にこい」といってくれたらいいではないか。それともいっそ「嫌いだ」といってくれたほうが余程すっきりする。
このまま、思い出だけ残して去っていかれてはたまらない。
―化粧
(84)打算
二年前、別れるとき冬子は、「これからはお互い、お友達になりましょう」といった。そういうことで、男と女の生ぐさい関係はきっぱりと断ち切るつもりでいた。
事実、この二年間、二人のあいだにはなにもなかった。
しかし改めて考えてみると、友だちになりたい、という言葉の裏には、友達であれば完全に離れなくとも済む。いつまでも忘れず、つながっていられるという計算があったこともたしかである。
本当にきっぱりと別れるつもりなら、友達になろう、という必要もなかったかもしれない。いつまでも相手を憎み、思いの限り罵っていたほうが余程すっきりする。
―くれなゐ
(85)形見
「わたし、なんにもいらへんのどす」
「バッグでもアクセサリーでも、一つぐらいは、欲しいものはあるだろう」
「あとに残るもんは、いやどす」
「どうして?」
「残ると辛いから…‥」
それはあながた嘘でない。多紀はいつも、いずれは柚木と別れなければならないと自分に言い聞かせている。その相手から、形として残る物を受け取るのは、いかにも辛い。そんなことをしては、ますます離れがたくなる。
―まひる野
(86)気張る
これまで精一杯張りつめ、気張ってきたのが無駄になる。
いま椎名に逢って優しくされたら、たちまち男に頼るだけの甘えた女になってしまう。もう大丈夫だと思い。力が抜け、急に未練がましくなる。(中略)
女は一つ崩れ出すと、あとは際限がない。
精一杯、ぎりぎりまで耐えて来たからこそ、あの人の一瞬の優しさも、受け入れるわけにはいかないのだ。
―化粧
愛しているから未練が残る。だがその未練の裏には、憎しみが反発、復讐など、さまざまな思いが絡み合っていることを忘れるべきではない。
4 結婚願望
(87)こだわり
たしかに女性にとって、愛の深さは重要だが、同時に愛の形も、それと同じくらいに重要である。いや、ときには実質以上に形式にこだわることもある。
―源氏に愛された女たち
(88)心の傾き
とやかくいっても、女は確実に身近にいて、つねに愛してくれる男(ひと)に傾いていくものらしい。難しい理屈や、高邁(こうまい)な理念を説くより、今日、横にいて、欲しいものを与えてくれる男の方へ心を移してしまう。理想より現実のたしかさのほうに馴染むのは、なにも女だけではなく、男も同じかもしれない。いつになったら自分に戻ってくるか、当てのない人を、いつまでも待っているわけにはいかないという不満には、それなりの説得力がある。
―ひとひらの雪
(89)年齢をとると
「女はいつまでも、きれい、というわけにはいかないでしょう。若い間は、そりゃ恋人でも、愛人でもいいけど、年齢をとってくると、安定が欲しくなるものよ」
―夜の出帆
(90)妻たちの浮気
浮気する男の多くが最終的に家庭を崩壊させることまで考えていないのと同じように、現代の妻たちの浮気も、家庭は家庭で維持していこうという都合のいい考えの上に成り立っているケースも少なくなさそうです。
こうした風潮を見ると、夫と妻の関係は、ことのよしあしは別として、フィフティ・フィフティというより、フォーティ・シックスティくらいの割りで、夫より妻のほうが優位になってきている。といってもいいかもしれません。
―男というもの
(94)独身男の武器
「結婚して欲しい」という一言ほど、女にとって心地いい台詞はない。相手の男への好き嫌いは別として、その言葉はいつも女が夢の境地に誘い込む魔力がある。
考えようによっては、お金のかわりに若い男は、結婚という武器で女に迫ってくるともいえる。目先の百万や二百万のお金より、結婚という枠の中に組み込まれることは、何倍もの安定と憩(やす)らぎを与えてくれそうである。それは味方によっては一生の保証を勝ち取ったと言えなくもない。
―メトレス 愛人
とやかくいっても、女は確実に身近にいて、つねに愛してくれる男に傾いていく。さらにその男が結婚という形を示したら、もはや鬼に金棒である。
5 女と仕事
(95)両立
女が仕事に熱中すればするほど、男が求める女らしさは消えていく。仕事に集中する分だけ、女から甘えや優しさが消え、かわりに厳しさや逞しさが表に出てくる。
これは当然で、厳しさと甘さと両方をもて、というのは男の身勝手を要求というものである。仕事を持っている女性は、いつも、この女らしさと仕事ができるという、二つの狭間で迷うことになる。
―化身
(93)豹変
結婚や出産の度に、女の友達が大きく変わるのを、修子はもう何度となく見ている。
かつては仕事だけに熱中していた女性が、恋人ができた途端に仕事のことなど見向きもしなくなった例もある。また子供嫌いのはずの女性が、子供の惚気(のろ)け話ばかりするようになった例もある。
いずれも一概に悪いとはいえないが、少しは毅然と筋を通してもらいたいと思うこともある。
―メトレス 愛人
(94)分岐点
二十四歳という年齢は難しいと、迪子はつくづく思う。女の若さも、落ちつきも、成熟も、みんな少しずつあって、そのどれにも徹していない。結婚か今しばらく独身のままでいるかと悩む、その境い目の年齢のような気がする。このごろ自分でも収まりがつかないほど心が揺れるのは、こんな中途半端な根な例のせいかもしれない。
―野わけ
(95)ライオンの関係
メスライオンは自ら獲物を取ることによって、オスを選ぶ権利をもっています。かわりにオスライオンは頭が大きすぎて獲物をとれないがために、メスライオンに尽くし、性的に満足させることで獲物の分けまえをもらうことができる。
この関係、意外にオスとメスの原点を表しているのかもしれません。
―講演録より
(96)フルコース
どうやら、女性たちには美貌や、地位や、経済力をこえて、いかに女として生きてきたか、という点で評価される部分があるらしい。
一人の女性がどんなに大きな事業に成功し、巨万の富を築いても、あるいはまた秀れた学者になろうとも、未婚である限り、少し割り引かれて認められない部分がある。
仕事ができることは、それなりに評価されながら、それだけで結婚もせず、子供を産んだことない女性はどこかで軽く見られるところがあるらしい。かわりにさほど能力はなく低俗な趣味だけの女でも、結婚して子供を産んでいれば、女としてフルコースを体験してきたということだけで、威張っている部分もある。
―白き狩人
(97)ことぶき退社
寿退社、これを祝う思想が、女性の選択の幅を広げ、一方で能力の幅を狭めているのかもしれない。
―講演録より
仕事に有能な女性と美しくセクシイな女性とは、必ずしも一致しない。ときにそれを嘆く女性もいるが、それだけ女性の生き方は多彩で、変化に富んでいるともいえる。
6 愛人の立場
(98)卑怯な男
「一緒になれるなら離婚する、なれないなら離婚しない、なんていうのは卑怯(ひきょう)よ。なれてもなれなくても、まず離婚すべきよ」
―阿寒に果つ
(99)アクセサリー
「あなたは奥さんが家にいたら浮気ができて、いなければできないというの」
「そんなことはないが…‥」
「わかったわ、あなたは本当は奥さんを愛しているのよ、奥さんという安定した港があって、はじめて浮気ができる、要するにわたしはただのアクセサリーなんだわ」
―野わけ
(100)計算の外
「女が男を好きになったら終わりや。深い、深い、泥沼に落ち込むようなもんえ。しかも、相手は奥さんがいはるんやろ、そんな人をすきになって、損をするのは女だけえ」
「そんなもん、おかしいわ、うちは損するしいひんとかで、好きなになるわけやおへん」
―化粧
(101)ぬけ殻
「どうせ、お家に帰らはるのはぬけ殻どす」
この話をきいたとき、菊乃は怖い話だと思った。
好きな男は自宅に帰ったとしても、それは自分に精魂吸い尽くされたあとのぬけ殻にすぎない。姿形があったとしても、身を失ったぬけ殻なら、帰ったところでかまわない。
彼女がそう断言する気持ちの裏には、男の愛だけは自分が確実に吸収したという自信があるのであろう。実際、自信がなければそんなことを言えるわけがない。
男の精魂を吸い取り、ぬけ殻にするところに女の業がある。
―桜の樹の下で
(102)一人の生活
好きな人に抱かれたあと、家に戻って湯に浸かり、ビールを飲みながら音楽を聴いている。もうこの部屋は自分だけの天国で、誰も侵入して来る者はいない。
修子はこんな気儘(きまま)に、暢(の)んびり過ごす時間が気に入っている。どんなにいとおしい男性がいても、一人で寛(くつろ)ぐ時間だけは失いたくない。自分が自分に戻る時間を大切にしたい。
女が一人で生活して三十も過ぎてくると、自分なりの生活のパターンが身についてくる。どんなに好きな人ができても、これだけは崩したくないという生活のリズムができてくる。修子が結婚に今一つのり気になれないのは、そんな我儘(わがまま)な部分が残っているからかもしれない。
―メトレス 愛人
(103)男への復讐
男がいま最高の愛着を覚えている。そのときに、自分の方から去ってゆく。それが、愛してはくれたが、妻とは別れる勇気のなかった男への、たった一つの復讐である。
―くれなゐ
(104)妻の座より
考えてみると、遠野は修子に対して、いくつかの思い違いをしていたようである。
たとえば今夜も、「君を愛人という立場から解放するために、妻と別れるのだ」といったが、すべての女性が妻の座を求めているわけでないらしい。
数ある女性のなかには、妻よりは愛人でいる方が好ましく、自分に合っていると思っている女性もいる。一生でなくても一時、その方が自由で、自分の才能を伸ばせると思っている女性もいる。さらには結婚という形式自体を忌避(きひ)している女性もいるのかもしれない。
―メトレス 愛人
(105)鮮烈な愛
愛人というのは、浴びせられる愛が鮮烈でしょう。女に自信があるときは、愛人のほうがいいと思うな。
―「ウーマン」(大谷直子さんとの対談より)
結婚はしていないが、経済的に自立して、かつ深い愛にもつつまれている。こういう女性をフランスではメトレスというが、そこには暗い影はなく、むしろ自立した女性のプライドと前向きの意欲が表れている。
7 女のからだ
(106)女のからだ
初潮とか妊娠出産などを体験することによって、女の体質はがらりと変わる。
なにをいい加減な、と思う人もいるかもしれないが、初潮が始まるとともに喘息(ぜんそく)がとまったり、出産とともに肌がすっかり変わり、アトピーが治ったという人もいる。
このように、女性の体は生理や妊娠などで大きく変わりうる。
逆にいうと、生理や妊娠は、それほど女性の体に革命的な変化をおよぼし、当然のことながら、それが精神や行動に影響を与えることも多い。
―風のように(『主観現代』)
(107)体内の風
女性の体が生理によって変わり、それとともに心も揺れるときいてはいたが、それがどのくらいのものなのか。
一日も同じではないといわれると、滝野には想像もつかない世界である。
「男は、そんなことはないから」
「羨(うらや)ましいわ」
「でも、違いがない分だけ、男はいつも、体のなかを同じ風速の偏西風が吹いているようなところがあって」
「女は、凄くおだやかな日があったり、台風があったり、大変よ」
「大変だと思うけど、男は逆にいつも同じで、変化がなさ過ぎてつまらないといえば、つまらない」
「嵐の凄さを、知らないんだわ」
―かりそめ
(108)微妙
たしかに女の?(からだ)は、男よりはるかに微妙である。
たとえば同じ行為でも、好きな人に抱かれるのと、嫌いな人とでは、快感に天と地ほどの開きがある。
行為そのものを見れば、さして違わないのに、一方では素晴らしい幸福感を味わい、一方では、死にたくなるほどの嫌悪感しか覚えない。
―くれなゐ
(109)花開くとき
女の性は、多分、潜在能力としてさまざまなものを秘めているのだろうが、それがすべて花開くとは限らない。精神的な抑制やトラウマ、相手の男性との相性の悪さなどで開花せずに終わることもあるが、それがある日何かのきっかけで、一気に花開くときもある。
―告白的女性論(「全集月報」)
(110)拒絶
いかに慣れ親しんでいても、女はいやだと思うことがある。どんなに好きな相手でも、今日だけは?を許したくない、と思うことがある。
―夜の出航
(111)直情怪行
「女の?は、そんなにいい加減にできていないのよ。男の人のように、あれこれも、というわけにはいかないわ」
たしかにセックスに関しては、女のほうが律儀(りちぎ)で一途な性なのかもしれない。
―失楽園
(112)生命力
医者だった頃、男より女のほうが、痛みや出血に強く、豊かな皮下脂肪のせいで寒さにも強いことを実感した。
男は表面こそ強がりをいうが、その実、生命力の根幹に関わる点では、はるかに弱い。加えて精神的な面でも男は弱く、たとえば孤独や、忍耐力、さらには環境に対する適応力などにおいても、いちじるしく劣る。
―淑女紳士諸君
女のからだは微妙だが、精神は必ずしも繊細とは言いかねる。むしろある面では男より逞しく、だからこそ、女は生理、妊娠、出産という大きな嵐に耐えて、生きていけるのであろう。
8 女の妖しさ
(113)多面体
男に比べて女は多彩で、それだけに一つの面からだけでは描ききれない。付き合う男によって六面体の水晶のように変わり、その都度さまざまな異なる面を見せてくれる。
―告白的女性論(「全集月報」)
(114)?けば?くほど
ようやく女がわかったと思ったが、まだまだ本物とはいえそうもない。女を玉葱と見ると、その表層を?(む)いて覗いただけかもしれない。もっととも、?けば?くほど女がわかるというわけではなく、?くほどに涙が出て目が曇り、わからなくなることもありそうである。
―何処へ
(145)もう一人自分
ときどき、房子は自分の中にもう一人の自分が棲(す)みついているように思うことがある。体は一つなのに、二つの心が潜んでいるらしい。
それはときによって強い女と弱い女であったり、建て前を大切にする女と本音に従順な女であったりする。
―別れぬ理由
(116)自分のなかに棲むもの
中城ふみ子さんという歌人がいた。(中略)この人の歌に次の一首がある。
梟も御玉杓子も花も愛情もともに棲まわせてわれわれの女よ
歌の意味は、私の中には、梟(ふくろう)や御玉杓子(おたまじゃくし)のような得体の知れないものから、花を賞(め)でたり、優しく愛情豊かな面まで、さまざまなものが含まれていて、それで自分という一人の女が成り立っているという意味である。
いいかえると、自分の中には善悪、正邪、白黒、さまざまなものが潜んでいて、表に出るのはその一面にすぎないというわけで、この歌は自分という人間への鋭い凝視と愛着が滲んでいる。
―風のように(「週刊現代」)
(117)執着心
「女はつまらないことに執着するものなのよ。男の人からみたら馬鹿げた、ちっぽけなことに命をかけることだってあるの。女にこんな執念があること、あなたにはまだわからないでしょう」
―冬の花火
(118)見た目
見たところ浮気しそうもなくて、案外脆(もろ)く浮気してしまうのが女である。
―うたかた
(119)存在が罪
具体的に手を出したのは男だとしても、出させるように仕向けたの女である。
直接なにもしなくても魅力的な存在であったこと自体が罪、といえなくもない。
―ひとひらの雪
(120)バラツキ
はっきりいって、男に比べて女性はバラツキが多くて、いわゆる学問的体系に入りにくいのである。現実の問題として、女性のほうが男より個人差があって複雑で、ひとつにまとめにくい、という意味である。
たとえば、セックスについて。
女性のなかには、処女のように、ほとんど性欲らしいものを感じない人もいるし、たとえ処女でなくても、性行為を苦痛で不快なものと思い込んでいる人もいる。
その一方で、成熟した女性のなかには、性の悦びを熟知していて、セックスに強い欲求を抱いている人もいる。(中略)
こうしたさまざまな違いを無視して、いわゆる女性の性や性愛を論じようとしても、到底ひとつにはまとまらず、女性全体を論じたことにはなりにくい。
―風のように(「週刊現代」)
(121)恋に滅びてさまになる
女は、恋に身を滅ぼしてさまになる性でしょう。愛の極限までいき地獄を見てきた女は、逆に素敵な女性として評価されるところがあって。恋に破れて傷ついた女というのは、歌謡曲でも歌われているぐらいだからね。恋に破れて傷ついた男なんて、誰も歌ってくれない(笑)。
―「本の旅人」(林真理子さんとの対談から)
(122)愛の分散
何人もの男達を平等に愛していたというのは、いいかえると、誰も本気では愛していなかった、ということではないか。
―阿寒に果つ
女性は多彩で複雑で、常に流動的である。その動きは必ずしも論理的でなく、それがまた女の魅力となって、男たちを二重に驚かせ、惑わせる。
9 強き性
(123)教訓
「どんな気の弱い女でも、どんなに気の強い男より、さらに気が強い」
これが、わたしがこの年齢になって得た一つの教訓である。
―これを食べなきゃ
(124)恐い言葉
「絶対に、別れてやらない」という女の一言は、なかなか迫力に満ちている。
男の方で、もはや愛が冷めたので別れたいといっているのに、絶対別れてやらないというのは、明確な決意表明であるが、同時に個人に属するはずの愛する自由の否定でもある。
―淑女紳士諸君
(125)革命的
頭がシャープでよく論じる男より、黙って聞いている平凡な女性の方が、より革命的である。
―風のように(「週刊現代」)
(126)イエスかノウ
「あなたは、わたしを好きなの?」
そういうきき方を宗形はあまり好きでない。そうきかれたら、「好きだよ」とこたえざるをえない。たとえ好きでなくても、「嫌いだ」とはいえない。(中略)
だが女性は往々にして、この種の質問を好んでする。相手に有無をいわせず、イエスかノウかを迫り、戸惑い、迷う部分を切り捨ててしまう。
―浮島
(127)黒白
まずなによりも勉強になったのは、女はきっかりとして妥協を許さぬ性だということである。男のように曖昧に、あれもこれもといった、いい加減さはない。
「いまも少し浮気して、じき戻るつもりだ」などといっても納得しない。「愛しているか、いないか」の二つだけで、その中間は認めず黒白がはっきりしている。
―何処へ
(128)女の論理
「わたしを愛していればできるはずよ」というのは、まさしく女の論理である。
いわゆる優しくない独善的な女の論理である。
―ふたりの余白
(129)生む
「わたしはあなたを愛しているのよ。一番愛している人の子供を産むのが、どうして不自然なの」
開き直っているだけに、妙子の言葉には有無をいわさぬ強さがある。
女が一度、決心したものを、思い直させるのは難しい。それも?の実感で得た結論だけに、理屈で説得するだけでは勝てそうもない。
―うたかた
(130)情炎
思い込みの深さは、男は女にかなうわけはない。この人と思った女の執着はこの世の全てを焼き尽くす。だからものに憑(つ)かれ、化身となり邪淫(じゃいん)になるのは、すべて女なのだ。
―化粧
(131)女への恐れ
考えてみると、僕は幼い時から女性に対して憧れとともに、ある種のおそれのようなものを抱いてきました。女性は優しく美しくて、か弱い性と知りながら、どうもそれだけではない、その底に男性の僕らとはとらえきれない、強さと逞しさを秘めているような気がしていたのです。
―わたしたちの女神たち
最も気の強い男も、もっとも気の弱い女性に勝てないように、どんなに秀れた理論家より、ごくごく平凡な女性のほうが、はるかにラディカルで革命的である。
つづく
第V章 男という性