恋した男性も同様だ。どうせなら家庭と恋愛、両方を両手で持ち続けたいとおもっているわけだし、恋がすっかり日常に組み込まれて特に問題がない場合、ほとんど別れなど考えない。だから女性から別れを言い出されると、青天の霹靂だと思うようだ。

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第六 五章「最後の恋」のゆくえと決断

本表紙 亀山早苗著

「最後の恋」のゆくえと決断

 私はいつも書いたり言ったりしているのだが、婚外恋愛の結末は三つのパターンがある。
「恋愛相手と別れる」「離婚して再婚する」、そして「続ける」。

 どの結末も大変だと思う。周りの人を巻き込んで大騒動になるかもしれない。それでも、始めたからには責任を持って決断しなければならない。そういうタイミングが来てしまうのだ、好むと好まざるとにかかわらず。

★恋が終わるとき

 もちろん個人差も大きいが、男性は女性に比べ、「習慣」を知らず知らずのうちに大事にする生き物だと思う。よく言えば几帳面、悪く言えば知らないものは受け付けない狭量なところがある。

 食べ物を考えても、食わず嫌いは男性の方が多い。男は数少ないメニューで案外、やっていけるものだ。女性はいろいろなものを食べたがる。食べたことのないエスニック料理なども行きたがるのはまず女性たち。男そんな女性に引っ張られて、渋々やってくる。流行をつくるのは、子どもと女性なのだ、いつの時代も。

 恋した男性も同様だ。どうせなら家庭と恋愛、両方を両手で持ち続けたいとおもっているわけだし、恋がすっかり日常に組み込まれて特に問題がない場合、ほとんど別れなど考えない。だから女性から別れを言い出されると、青天の霹靂だと思うようだ。

「何もかもうまくいっていたのに」

 牧原豊さん(五十三歳)は、いまだに彼女からの別れ話を受け入れられないと肩を落とす。
「五年も付き合っていたんですよ。このまま一生、彼女との時間を過ごすことができると思っていた。それなのに、何が原因かわからないままに一方的に別れると、と」

 彼女は三歳年下。五年前にSNSで知り合い、関係を育くんできた。お互い家庭を優先させ、思いやりながらともに過ごしていきた。

「一緒には暮らしていないけど、だからこそいつまでたっても新鮮な関係でいられたんです。そこらにある『不倫』とは違う、オレたちの場合は、純粋な恋愛なんだっていつもふたりで言っていた。なのに、急に気持ちが変わるものなんですね」

 語気荒く、豊さんは言った。完全に秘密にしていたので、誰かに相談するわけにもいかない。彼女はメールも電話も着信拒否している。何か困ったことでもあるのではないか、夫に知られて監禁状態なのではないか。心配になって、彼女がパートで勤めている宝飾店まで行ってみたこともある。だが、彼女は仕事を辞めたという。

 あとは彼女の自宅にいくかどうかだった。住所はわからないが、最寄り駅くらいは知っている。見張ろうと思えば見張れるだろう。

★苦しくても耐えるしかない別れ

 だが、彼は悶々としたあげく、行動するのをやめた。
「何があったか分からない。だけど『別れましょう』というメールがあって、以来、こちらから連絡できないようにしている。それは彼女の意志でしょう。彼女は私の会社の電話番号もしっていますから、たとえ携帯を取り上げられても、公衆電話からかけられるはず。そうしないのは、彼女自身が、私との関係を終える意志があったということです」

 苦しいけど、それを認めるしかなかった。三ヶ月くらいは、ただ悶々とした。その後、いらいらして、些細なことでも声を荒げてしまう自分に気づいた。

「社内で、私が精神的にちょっとおかしいと噂になっているのを知って、はっと現実に返りました。いつまでもこんなことをしていては進歩がない。受け入れるかどうかは別として、しばらく考えないようにするしかない。そう思ったのです」

 フラれたことを認めるのは苦しい。ましてやまだ心の中に未練があれば、なんとか巻き返したいと思うのが人間だ。だが、豊さんの言うように、それはもう彼女の意志として受け止めるしかないのだ。受け止めて、認め、受け入れる。時間がかかっても、その過程をたどるしかない。恋愛の終わりにこそ、人としての本質を問われるのだから。

★自分から別れを告げて

 もちろん、自分から別れを告げなくてはいけないときもある。前述したが、メール一本で別れようとするのは、やはりルール違反だと思う。

 こんな話を聞いた。柳田隆太さん(五十五歳)は、一年付き合っていた二歳年下の彼女に、ある日、「友だちに戻ろう」というメールを送った。

「実は彼女が、とある業界誌で取材を受けたんです。僕と彼女は同じ業界。妻はまったく違う会社で仕事をしているんですが、ある朝、テーブルの上に、その業界誌が乗っていた。妻がどうやってそれを手に入れたのか分かりませんが、ぎくっとしました。気づいている証拠ですよね。それで僕はびびりまくってしまって、彼女に友だちに戻ろうとメールしたんです。もちろん理由は言えなかった。彼女からは『どして?』という返事がきました、『友だちに戻ったほうが、ずっと付き合っていけるから』と書くしかなかった。

するとしばらくたってから、『友だちとして付き合うことに意味を感じない』と怒ったようなメールが。僕からは二度とメールをしませんでした。彼女からも来なかった。気の強い人だから何かをされたらどうしようと思ったけど、大人でしたね。そのまま自然消滅です」

 何かされたらどうしよう、という言い方が気になった。一年付き合っていて、隆太さんは彼女の本質を見ていなかったのだろうか。それとも、女はフラれたら何でもするものだと思っているのだろうか。文句を言わなかったら「大人」なのか。なぜか、彼は私の神経をも逆なでした。もちろん、私も「大人」だから、そんなことは顔に出さないけれど。相手の気持ちを考えない。保身の塊のような人だという印象が強まった。

 それから六年ほどたった最近、彼女が再び業界誌に載った。
「人生って、いろいろなことが起きる、ときには生きることから降りてしまおうかとおもうこともある。だけど、そこでどうがんばるかが大事、みたいなことが彼女の言葉で綴られていたんです。これはショックでした。彼女はあの恋で、そこまで沈み込んだのか、と。

オレはなんてことをしてしまったんだろうと後悔しました。自分の中に、まだ彼女への未練があったしね。もう一度会いたいと切実に思ったんです」

 彼女に電話を掛けたが出ない。そこでメールをした。もう一度会いたい、と。まるで手紙のように季節の挨拶から始めて、丁寧に書いたつもりだった。二時間ほど経って返信が来た。
「何のために?」と。たったひと言。

「気を取り直して、『自分がいかにあなたを傷つけたか、ようやくわかったんです。もう一度、やり直せないだろうか』と。今度は心からの叫びです、彼女からは、『相変わらず身勝手ですね。やり直しても同じこと。どうせあなたは途中で投げ出すに決まっている』と。会ってみないとわからないじゃないかと食い下がったんですが、『同じことを二度繰り返すほど、私は馬鹿じゃありません』と。辛辣ですよね」

 隆太さんは、本当に申し訳ないが、私は心の中で彼女に喝采を送った。彼女の言う通りなのだ。こういう男性に、婚外恋愛のような精神力が必要とされる恋は向いていない。

★恋に未練を残すのは男

 彼はいまだに彼女に対して、未練のような憐憫(れんび)のような思慕のような、なんともいえない感情を持っているらしい。

 男性の興味深いところは、自分が振ろうが振られようが、かつて関係のあった女は、いまだに自分のことを好きであると思い込んでいるところ。少なくとも、嫌われてはいないと信じているようだ。女は過去を振り向かないのに。

「オレのせいで彼女の人生が狂ってしまったのかもしれない」
 などと口にする男もいるが、それは、まずない。女は現実的で、地面に根を張って生きていくものだ。

 男は、いつまでも恋に酔いたがるが、女はすでにすっかり失念している、多くの場合。私は男女を対立軸として見たくないので、そのあたりは男の可愛いところだと思っているが、それも実際に、隆太さんのような男性と話すと、ちくりと刺してみたくなる。

「彼女はもう、すべてを整理していると思うけど」
隆太さんにそう言うと、彼は深く頷いた。
「女の人はそうなんですよね。でも僕としては、本当は、彼女もやり直したいという気持ちを持っていたと信じたいです」

 どこまでも都合のいい解釈をしたがる人も、こうして現実にいるのである。

離婚して再婚

 婚外恋愛から、互いに離婚して再婚する人は、まだそれほど多くない。こうした取材を始めた十五年前に比べれば、増えたなあという実感がある。一度結婚したら、世間体があるから離婚はしたくない、責任上、離婚できないと、かつて男たちは言っていた。だが今は、子どもたちへの責任さえ果たせば離婚してもいいんじゃないかという声が明らかに増加している。

 四十七歳のとき二歳年下の女性と恋に落ち、二年後に離婚。その女性と再婚を果たした男性がいる。安藤博武さん(五十二歳)だ。思い切った決断だった。

 三十歳友だちとの紹介で出会った同い年の女性と結婚。ひとり娘を授かった。だが、結婚生活は心休まるものではなかったという。

「ひと言でいってしまえば、妻とは合わなかった。出産してから、妙に攻撃的になりましたね。子どもを守らなければいけないという一心だったとは思うけど、私は敵じゃない。一緒に育て行こうという意識が彼女にはあまりなかったんでしょうね」

 普通、子煩悩な父親は配偶者から歓迎されるが、博武さんの妻は、むしろひとりで子どもを抱え込みたがった。それでいてストレスをため込んでいた。

「小さい頃は、娘をよく叩きましたね。暴力はやめろと夫婦げんかにもなった。一時期、私が不安になって、娘を私の母に預けていたこともあります。妻を医者にも連れて行きました。大ごとにならなくてよかったと思います」

 娘が小学校に入ると、今度は塾や習い事に行かせる、行かせないで揉めた。最終的に博武さんが折れる形になったが、ピアノやバレエ、学習塾にプールと、娘のスケジュールは一時期、大変なことになっていた。

「娘にやりたくないものはやめていい、パパがママに言ってあげるからと。結局、娘はバレエとプールは続けたいとはっきり言ったので、それ以外のものは私が辞めさせました。妻は私立の中学校に入れたかっようだけど、それも諦めさせた。娘の人生は娘のものですからね。それを妻にわからせるのが大変で」

 博武さんは週末に必ず娘を連れ出した。娘の好きなアニメのイベント、一日でできる物つくり教室や科学のイベントなど、自分も一緒にたのしんだ。

「妻も誘うんだけど、めったに来ませんでしたね。人混みは頭痛がするとか何とか言って。実は私は妻の浮気を疑いました。証拠を探しはしなかったけど、怪しかった」
 妻は博武さんとの夜の生活も拒んだ。

 娘は中学時代バスケットボールに打ち込んだ。博武さんはよく試合に観に行った。

「本人が望む公立高校に入学してほっとしたときです。麻里に出会ったのは」
 博武さんはIT関係の仕事をしている。その仕事関係で知り合ったのが麻里さんだ。当時、彼女は四十五歳。麻里さんにも家庭があり、二十歳と十七歳の子がいた。そして彼同様、配偶者との不仲に悩んでいた。

「彼女のだんなさんは結婚当初から浮気三昧だったらしいんです。だからこそ、彼女は最初、私との関係を頑なに拒みました、『夫がしていることは不誠実極まりないと思ってきた。私自身が同じようなことはしたくない』と。気持ちは分かったので、友だちとして会い続けようと説得したのです」

 麻里さんも彼に惹かれていたのだろう。ときどきお茶を飲んだりする関係を続けた。

「彼女からよくDVDや本を借りました。それを返すという口実でまた会う。あの頃の私たちには会う言い訳が必要だった」

 お互いに口実だとわかっている。だがそれを口に出さずに、「これ、読んだ?」「読んでない」「じゃあ、貸すね」というやり取りだけが続いていく。このままで済むはずがない。いつかどちらが決定的なことを言いだすはず。わかっていながら、結論を先送りするしかなかったのだろう。

「一年ほどたったころかな、彼女が『私、この一年で五キロ痩せたわ』と言ったんです。私も気づいていた。だんだん彼女が小さくなっていくようで、気にはなっていました。でもそれさえ言えなくて。『行こうか』とだけ、私が言うと、彼女が『そうね。もう無理ね』と。勢いで流れたくなかったので、別の日に普通のシティーホテルを予約しました。彼女が来るかどうか不安だったけど、来ましたよ。ふたりの覚悟は決まっていたんだと思います」

 ようやく誰に見られない場所でふたりきりになった。すべてを拭い去って、身も心も裸になったのだ。

「抱き合ったところで、ふたり同時に、『オレ、できるかどうかわからない』「私、できないかもしれない」と言って、ふたりで大笑いしました。私も彼女もレスが長かったので。ゆっくり時間をかけて愛し合いました。別に挿入だけがセックスじゃない。最後は挿入できて、彼女はものすごく乱れた。その日はルームサービスをとって、わりと夜遅くまでホテルでいちゃいちゃしていました」

 そしてお互いに相性のよさを確認していった。どちらの脳裏にも、常に「離婚」の文字が浮かんでいたそうだ。

「彼女に出会って一年半、ついに言いました。『オレ、離婚するよ』と。彼女は私の顔をじっと見て、『下の子が二十歳になるまで待って』と。彼女が離婚できるかどうかはわからない。だけど私は、彼女の力を得て、それまで見て見ぬふりをしてきた夫婦関係に決着をつけようと決めました」

 彼は妻に離婚を申し出た。娘にも話した。娘が自分と一緒に住むならそれもいいと思っていたが、娘は母親といることを選んだ。

「『お母さんはちょっと常識外れのところがあるから、私がついてあげないとね』と娘が笑ったんです。大人になったなと感慨深かった。とりあえず、私は自宅近くに部屋を借りました。娘がいつでも来られるように」

 妻の反応はどうだったのだろう。
「妻は、離婚したいと言ったら、『いつかはそう来ると思っていたわ。無責任な人ね』と。『責任だけで家庭はうまくいかないよ』といったら、『あなたは私を全く愛してくれなかったものね』って。逆だろうと思ったけど、言い返すのはやめました。しばらく会話もまったくなかったんだけど、ある日突然、『この家さえくれればいいわ』と。まだローンが残っていたし、しんどいなと思ったけど仕方がありません。

もちろん養育費は娘が大学を出るまで払います。妻はその頃、自分の親から生前贈与を受けていたようです。私には話さなかったけど、かなり莫大なお金が入ったみたい。友だちが経営するブティックで仕事を始めたので、生活費は必要なかったんでしょうね。娘からすべて聞きました。娘が言うには『お母さん、ボーイフレンドもいるみたいよ』と。やっぱりと思ったけど、妻が幸せならそれでいいやと」

 博武さんの離婚はそうやってスムーズに決まった。麻里さんは部屋に来るようになった。帰り際はいつも、「早く一緒に暮らしたい」と涙ぐんでいたとか。

 半年ほどたったとき、麻里さんはようやく夫に離婚を切り出した。ところが夫が相手にしてくれない。離婚など本気で言っているわけじゃないだろう、という態度だったようだ。何度も言ったら平手打ちされたと電話越しに涙声になったこともある。

★気遣い合いながらの再婚生活

 麻里さんの下の子が高校を出て専門学校に入り、そこも卒業して就職したのが二年前。上の子はすでに就職していたし、下の子も会社の寮に入ったため、麻里さんは意を決して置手紙と離婚届を残し、最低限の身の回りのものだけ持って家を出た。

「ようやく同居が始まった。ところが旦那さんから毎日電話がかかって来ましてね。探偵事務所でも使って調べたんでしょう、連れ戻しに来たこともあります。ただ、彼女は頑として『帰らない。あなたとは暮らせない』と言い張りました。その後、私たちは別のところに引っ越しして、弁護士をつけて話し合ったのです」

 彼女は夫のこれまでの浮気について、メモを残していた。暴言を吐かれたり、夫が冷たい態度をとったことも。博武さんと出会ったから家庭が壊れたわけでなく、もともと破綻していたのだという証拠になった。

「結局、麻里は一年がかりでようやく離婚できました。弁護士をとおして、不愉快な手紙が来たりもしましたけど、あちらも社会的に地位のある人だから、最終的には離婚を受け入れた。ただ、彼女が自分のものを家から持ち出すのさえ許可しなかったので、そこでまた闘いました」

 結局、洋服や靴など完全に彼女の私物のみ持ち出すことができた。財産分与はない。彼女名義の預貯金だけは何とか守った。

「そんな条件でいいのかと弁護士にも言われたけど、とにかく彼女が離婚さえできれば、もう何もいらないと思っていた。今になると、せめて結婚後の預貯金の半分でももらえればよかったと思っていますが」

 生活が落ち着き、結婚届を出してから一年がたった。

「娘はしょっちゅう遊びにきますよ。麻里とも気が合うみたいで、ときどきふたりで買い物に行ったりします。麻里は『あなたにだけ負担をかけるわけにはいかない』と、パートで働き始めました。娘によれば、元妻は相変わらずだけど、精神的には落ち着いているみたいです。『男はいるみたいだけど、家に引っ張り込まなければ私はどうでもいいと思っている』と娘が言っていた。娘に若い子らしいところがないのは気になる。ひどい現実ばかり見せてきたたせいでしょうね。娘は今、弁護士になると言って一生懸命勉強しています。いろいろ考えるとこがあるんでしょうね」

 そしてふたりの新婚生活は、今のところうまくいっている。
「お互い相手に気を遣っているところはありますね。まだまだ、家族になったという感じはありません。お互いに大変な思いをして必死で対処し、励まし合いながら一緒になった。だから一生、恋人みたいな関係でもいいなと思うんです。遠慮がなくなると、夫婦ってすぐに我が出て関係が悪くなる。二人の間には子どももないから、ずっと大人の関係でいたい」

 経済的には博武さんも以前より苦しくなった。だが、それを差し引いても、精神的なストレスのない毎日だという。

「ただね、彼女が何かを我慢しているような気もするんですよ。息子さんたちは、離婚を相談したとき「お母さんの人生だから、お母さんが決めていいよ」と言ってくれた。もともと夫婦関係がよくないのを見て来ているからも反対はしなかった。母親に恋人がいることも理解してくれた。私もあったことがありますが、いい息子さんたちでした。『母をよろしくお願いします』と言ってくれて。

だけどその後、あまり連絡がこないみたいなんですよ。ふたりとも若いから自分のことで精一杯なんだと思うけど、麻里にしてみれば、息子たちに見放されているんじゃないかという不安がある。それを私に愚痴れない。だから、たまに愚痴が吐けるように水を向けるんです。我慢強いというか、我慢しすぎところがあるから気になりますね」

 そうやって我慢しているうちに、いつしか不平不満が積もり積もって爆発する。爆発するだけならまだいいが、それが自分への怒りや嫌悪感に変わるのではないかと博武さんは優えていた。

 かつて日本では、我慢は美徳だった。「ほしがりません勝つまでは」の余韻が戦後もずっと続いていたのかもしれない。だが、私は我慢が美徳だとは思っていない。我慢は人の気持ちを捻じ曲げる。そもそも、「我慢」を広辞苑で調べてみると、意外なことに最初に出てくる意味は、「自分をえらく思い、他を軽んずること」とある。確かに「慢」の字はおごりたかぶることと意味がある。だが、一方で、「我慢」には、耐え忍ぶこと、忍耐という意味があるのだ。現在、もっぱら、我慢はイコール忍耐という意味で使われている。正反対にも思われる意味が、「我慢」にはあるのが不思議だ。

 ただ、さらに考えてみると、忍耐し過ぎる人が傲慢に見えることがある。自分から何も発せず意見も言わず、ひたすら忍耐しているのは逆に強情に思えたりもする。

 いずれにしても、忍耐という名の我慢を続けていると、人は自分も他人も正しく評価できなくなる。しまいには自分の感情の在り方さえわからなくなっていくのだろう。

 麻里さんは、もう我慢しなくていいのだ。博武さんが感情を受け止めてくれる。もっと自由に振る舞っていいのだと思う。

「一緒に暮らしてみて、彼女の控えめなところが、実は我慢に起因しているとわかってきました。前の妻が攻撃的だった分、僕としては楽だと思ったけど、ちょっとわかりづらいところはありますね。ときどき不安そうな顔をして黙り込んでしまうことがあって、それだけはやめてほしい、言いたいことがあるなら言ってほしいと伝えています」

 ★再婚したことを後悔

 博武さんのところはうまくいっているようだが、一方では大変な苦労して離婚し、恋する相手と一緒になったのに、「結婚となると日常生活だから、前の結婚と何ら変わらない。あれほど大変な思いをしたのに、と今の夫を恨めしく思うことがある」と話してくれた四十代後半の女性がいる。

 彼女は元夫のもとに、高校生と中学生の子供を残してきた。元夫が、それを離婚の条件にしたためだ。今の夫はもう子どもが大きくなっているので理解があり、新居に遊びに来たりもするのだ。それを見るたび、自分の子はどうなっているのだろうと涙が出ると語った。

「早まったかなという思いが強いですね、子どもたちが成人になるまで待っても良かったんだと思う。今の夫がそのあたりをどのくらい思いやってくれているのかわからなくて、常に不満があります。一緒になりたいという思いは本当だったけど、再婚して三年、今はこんなものか、という感じ。同じ状況にある人には、とにかく早まらないでと言いたい。子どもが居なければ問題はないけど」

 夫と一緒に暮らせないなら、子供を連れて家を出て別居という手もある。恋人とは大人同士なのだから話し合えばわかってもらえるはず。子どもを手放した後悔は、実際に手放してみなければわからないほど深いものだ、と彼女はしみじみ言った。

 本当は、夫婦がどうなろうと、子どもにとって親であることには変わりはないのだから、親子の関係を保ち続けることはできるはずなのだが、日本では離婚すると、どちらかの親が子どもと断絶しがちだ。もっとおおらかに対処することはできないのだろうかといつも思う。子どもがどちらかの人質になるようなことがあってはならない。

未練と執着

 アラフィフ男性たちが、「これぞ恋、と言えるような恋をした」と実感できる関係が終わったとき、いったいどういう気持ちになるのだろう。そしてどうやって気持ちを整理していくのだろうか。

「同世代の既婚女性と五年つきあって別れました。あれは私にとって最後の恋だと思う。まさに彼女が『最後の女』です」

 感慨深げにそう言ったのは、岩田亨さん(五十七歳)だ。五十歳を過ぎてから、一念発起して会社帰りにスペイン語を習い始めた。その教室で出会ったのが智代美さん。

「夜の講座だったので、三回目くらいから先生を含めて有志で飲みに行くようになった。といっても、毎回、せいぜい四、五人。話しているうちに、智代美さんだけが同じ電車。それがラッキーでした」

 そこからふたりは急速に親しくなっていった。スペイン語が楽しくなったせいで、週一回の講座を二回に増やして受講すると、亨さんは妻に嘘をついた。智代美さんも家族に同じ嘘をついた。

「会えないときもあったし、誤解が生じてケンカになったり。いろいろあったけど五年間、私は智代美がすべてと言っていいくらい好きでした」

 亨さんは二十五歳のとき、同い年の女性と結婚。すでに妻は妊娠していたが、「できちゃった結婚」というよりは、「順番が逆になっただけ。彼女とは結婚するつもりでいた」そうだ。それほど惚れこんだ女性だったのだが、結婚後はぎくしゃくすることが多かった。ひとり息子を甘やかし放題にする妻と大喧嘩を繰り返した日々もある。

 それでも息子はなんとか独立、このまま夫婦ふたりで年を取っていくのかと思ったときに出会ったのが智代美さんだったのだ。

「彼女は着物の着付けの先生。おっとりしていて優雅で、いつもにこにこしている。誰でも好きになってしまうような女性です。彼女と待ち合わせするのが大好きだった。あの笑顔を見ると、日常の憂さがすべて忘れられるんです」

 一生付き合っていうこと約束した。それなのに、ある日突然、彼女から別れの宣告をされたのだ。彼女が自分の父親の介護をしているのは知っていたが、さらに夫が倒れたのだと言う。

「彼女の旦那さん、彼女より一回り上なんですよ。だからそろそろ七十歳近い。父親と夫と、ふたりの介護を一手に引き受けるしかなくなって、とてもつきあう時間が取れない、と。私は待っているし、もし急にお茶でも飲みたいと思ったら連絡をくれればいい。どうしてもつきあい方でもいいとねばったんです。でも彼女は『あなたが待っていると思うと、逆に気が重くなるかもしれない。愚痴の相手にしてしまうのも嫌。だからお願い、別れて』と。そこまで言われたらどうしよもないですよね。ただ、せめてメールだけでもさせてほしいと頼み込んで、たまに送っています。ほとんど返事はありません。忙しいでしょうし、彼女は絶対に愚痴を言ったりしないから、書き送ることができないのかもしれない」

 夫が倒れたことで、彼女はこれが潮時だと思ったのではないだろうか。このまま続けていても、未来のない関係だから。私は意地悪く、亨さんにそういうことをやんわりと言ってみた。

「それもあるかもしれませんね。彼女はときどき「いつか天罰が下るわ」と言っていましたから、ただ、私としては先が見ないからこそ”今”を大事に続けていけると思っていたんですが」

 たとえどういう関係であれ、女は将来に対して何らかの約束がほしいのかもしれない。「一生付き合っていこう」は、彼にとっては決死の言葉かもしれないが、女性の心には届かない可能性もある。アラフィフ世代の女性の心理は微妙なのだ。まだ、自分を完全に老いたとは思いたくない。かといって若くはないのも実感している。

 もしこれがあと十年先なら、六十代後半であれば「一生付き合っていこう」は、比較的、受け入れやすいだろうと想像できる。もういつ病気になるか分からない年代になっているからだ。アラフィフ世代は、まだ若干、健康に自信があったりする。中途半端に元気だから、「いつかお互いひとりになったら結婚しよう」という言葉ならうれしいが、「一生付き合っていこう」は、嬉しいような悲しいようなひと言ではないだろうか。

 だからこそ、彼女は「もうそろそろ別れるべきだ」と感じたのかもしれない。
「ただね、別れた直後は、毎日、体が痛くてたまらなかった。半身をもぎ取られたかのように。心が痛むと、体も痛むんですね」

 どうやって気持ちを紛らわせていいのかわからなかった。久しぶりに居酒屋で飲んだくれて終電を乗り過ごしてしまったこともあった。

「妻には『どうしたのよ』と訝しがられました。最近、歓送会がおおいんだよと言ってごまかしたけど、若いころ以外、私はそんなにへべれけになるまで飲んだことがないので、相当おかしいなと思ったようですね。まあ、妻は私がこの年で恋なんかできる器用な男じゃないと思い込んでいるからよかったけど」

 体の痛みがおさまると、今度は彼女への未練と愛おしさが一気に押し寄せてきた。彼女のあの白い肌、興奮するとほんのりバラ色に染まった胸元、しなったときの美しい体の線。ちょっと首をかしげて話を聞く様子などなど。そして何より彼の気持ちを和らげてくれた彼女の声。

「忘れられないというよりは、体や声が生々しく迫ってくるような感じ。夢に見るならまだしも、真昼間に彼女の裸が目の前に出てくる。脳裏に浮かんでいるだけでしょうが、目の前に飛び出してくるみたいだった。幻覚を見るようになったのかと怯えたこともあります」

 未練が募った。どうしても会いたいとメールをしたこともある。彼女からは返事はなかった。
「私のことを忘れなさいと言われているような気持ちになった。でも忘れられません。忘れたくない」

執着心にとりつかれて

 恋を失ったときに効くのは「日にち薬」だ。時間がたてば、傷はいくらか癒える。少なくとも生々しい痛みは薄らいでいく。そのうち、忘れたくなくても、いい思い出だけがほんのり残るだけとなっていくのではないだろうか。

「いや、未練とか嫉妬とかは、もっと空恐ろしいものですよ」
 黒田道孝さん(五十五歳)は暗い表情でそう言った。特に男の未練や嫉妬は、発散されない分、怖いのだという。確かにストーカー殺人などは圧倒的に男性が加害者になるケースが多い。
「私は加害者一歩前までいきました」
 道孝さんは三年前、部下である三十歳の絵理さんとつきあうようになった。最初は彼女が結婚するまでの「つなぎ」でいいと思っていた。きっかけは、彼女が婚約者に裏切られて落ち込んでいたのを慰めたことからだったから。ずっと相談相手として、そして自分が彼女を少しでも歓ばせられるなら、それで幸せだと思っていた。

 ところが彼は、本人曰く「狂い咲きのように」彼女に惚れこんでしまった。すでにひとり娘が社会人になってアメリカに赴任していたので、離婚まで考えた。現に、妻に離婚を切り出している。

「どうしても彼女と一緒になりたい。その一心でした。もう一度、自分の人生をやり直せるかのような錯覚に陥っていた。彼女も一度『あなたと結婚したいと』と言ったんです。だから離婚するからと答えた。妻は絶対に離婚しないと強硬でしたが、私は離婚するつもりでアパートを借りた。最初は彼女も足?く来てくれました。自宅住まいだから泊まれないと言っていたのに、泊っていくこともあった。それなのにいつかしか足が遠のいていって」

 ふたりが付き合い始めてから、この状態になるまで約一年。事態は急速に進んでいった。それかに二ヶ月後である。

「彼女が会社で、いきなり私に『部長、私、結婚します』と。私の離婚はまだ成立していなかったから、あたふたしました。そうしたら彼女、『相手は営業課の坂本さんです』って。周りはやんややんやですよ。坂本はうちの会社のホープだったんですから」

 彼女はそれから退職準備に入り、あれよあれよという間に結婚式が決まり、道孝さんはスピーチまでする羽目になった。

 彼女の結婚式に何とか一度はきちんと話をしたいと思ったが、彼女は何かと理由をつけてふたりきりで会おうとはしない。その態度が、道孝さんの嫉妬に火をつけた。

 彼女へのメールに、「オレたちのことを坂本にばらそうか」と書いた。彼女は慌てて彼の呼び出しに応じた。

 結婚式の二日前も、彼は彼女を呼び出し、ホテルで体を弄んだ。
「憎かったわけじゃない。その逆です。これほど愛していたのに、離婚するつもりなのに、なぜおまえはわかってくれないんだ。そんな気持ちでいっぱいでした。「坂本に抱かれたのか」と聞いても、彼女は目に涙をいっぱいためて私を憎々し気に見つめるだけ。その態度が悔しいやらかわいやらで、さんざん弄びました。言い訳にしかなりませんが、あのときは本当にどうかしていたと思う」

 彼女は泣きながら、「お願いだから、スピーチでヘンなことを言わないで」と懇願したという。
 結婚式当日、早めに式場に入った彼は、彼女にひとりきりになれと指令を出す。そしてウェディングの彼女の体を自分のものにしようとした。そのとき、彼女がきっとした目で彼を見た。その目に、今まで見たことのない激しい怒りがあった。

「きれいでしたね、あの時の彼女は、『ここで何かしたら、私は結婚式を辞めて死にます。すべてを坂本さんに話して死にます』と静かに言った。その迫力に負けました。あのまま乱暴していたら、私は彼女を死に追いやった犯罪者になっていた。申し訳なかった。そう言って部屋を出ました」

 スピーチは、彼女がどれだけ仕事ができて気配りができるか。そんな無難なものになった。ところが最後にひと言、彼は付け加えた。

「彼女は素直で聡明な女性です。ただ、私がここ数年、仕事上で見て来たところによると、ここいちばんというときに気が強い。腹が据わっている。そういう意味でもいい家庭をつくれる奥さんになると思います。仕事を辞めてしまうのは本当に惜しい」

 彼の本音だった。そのスピーチは万雷の拍手を浴びたという。彼が話し終えたとき、絵理さんが涙をぬぐうのが見えた。大勢の来賓を見ながら、道孝さんは、この結婚式を壊すことにならず、自分が救われたと感じていた。

「それから私は自宅に帰りました。妻はほとんど口を利いてくれなかったけど、先日、『本当にこのままでいいのね』と念を押してきました。もう他にいくこともありませんしね、心から『勝手なことばかり言ったりして、申し訳なかった』とあやまりました。私が妻に頭を下げて謝ったのは、結婚してから初めてかもしれません。妻もちょっと意外な顔をしていました」

 ぎくしゃくしながらも、元の鞘に収まりかけていた。ところが、坂本さんと結婚した絵理さんに子どもが産まれたという話を会社で耳にしたとたん、道孝さんの中で、何かが壊れた。

「時期が合わない。結婚して七ヶ月後くらいだったんですよね、子どもが産まれたのは。もしかした私の子なのではないかという思いがあった」

 真実を知りたい。自分の子ではないのか。道孝さんは、坂本さんと絵理さんが暮らす新居へ行ってみようと思い立つ。そんなことをしたらどんな噂になるのかわからない。理性も働いた。だが、絵理さんへの思いは止めることができなかった。

★思いをため込んで

 三ヶ月後、彼は平日に休みをとり、こっそりと彼らの新居近くへと行ってみた。ごく普通のマンションで、オートロックではなかった。入れたいが入れない。マンション周りをうろうろしていた。

「どのくらい時間が経ったのか分からないけど、『何をされているんですか』と声がして。はっと気づくと警官ふたりが立っていました。自分が不審者に見られたことを、ようやく理解したんです。マンションの誰かが通報したんでしょう。ひょっとしたら絵理かもしれない」

 その場から立ち去ろうとしたが、警官は交番に来いと言う。彼は一緒に行くふりをしながら、途中で駅へとダッシュする。逃げれば追うのは当然で、彼は駅改札を入ったところで、駅員と景観に取り押さえられた。そのとき、電車から降りてきて改札を通りかかった女性が呆然と彼を見ていた。絵理だった。

「絵理と目が合いました。彼女は立ち尽くしていた。私は思わず目を逸らしました。そうするしかなかった。そのまま交番へ連れて行かれ、結局、おおまかに絵理のことを話しました。年配の警官に諭されましたね。わかっていますよ、言われなくてもと逆上したんです。自分がいちばんわかってる。私だってこんなことをしたくてしているわけじゃない。

ただ、子どもの父親が自分かもしれないとは、私も言い出せなかった。その警官が私の肩に手を置いて、『あなたも私も、まだこれからですよ、人生』と言ったんです。その言葉にはっとした。もし本当に私の子なら、いつかは分かるときが来る。絵理が言いたくないなら、それを受け入れるしかない」

 警官を見ると、彼が「大丈夫」というように頷いていた。何もかも呑み込んでくれたその顔に、彼に励まされたという。

「社員証も免許証も見せましたから、その日は解放されました。次に何かあったらただじゃすまないだろうなと思ったが」

 人間は、思い詰めると視野が狭くなる。本当に一点しか見えなくなってしまうのだ。自分の立場も周りの状況も何もかも見えない。見えていないことを認識していない。だからこういった行動に出る。誰かがひょいと突いて、その人の周りに立ちはだかる壁に穴を開ければ、一気に周囲が見えてわれにかえることもあるのだ。

 あれから一年近くたつ今、道孝さんはようやく落ち着いた日々を送っている。先日、坂本さんが子供の写真を見せてくれた。一歳を過ぎた女の子は、絵理さんにそっくりだった。

「かわいなあと思わず言いました。坂本は、『絵理に似ているんですよ。でも耳の形が僕にそっくり。似ているところがあってよかったと思いました』と。なにげなく言ったことなんでしょうけれど、私には、『あなたの子ではないからね』という絵理の声が聞こえたような気がしました。真実はわからない。でも今は、私にできることは何もありません。もやもやした思いはありますが、それを抱えて生きていかなくてはならないだろうと思います」

 先に波瀾が待ち受けているかもしれない。だが、今は自分自身を保って仕事をしていくだけだと道孝さんは言った。

 真実を突き止めるだけがいいことはないのかもしれないこの先、DNA鑑定がもっと広く行われるようになっていくだろうから、それを考えると曖昧にはできないのかもしれないが、私自身も非常に複雑な思いに駆られる話だった。

思い出だけで生きていける

 以前、婚外恋愛の相手に突然死なれた女性に話を聞いたことがある。通夜にも葬儀にも出られず、形のあるものは何も残っていない。それでも、思いではあるから、その思い出を抱きしめながら生きていけると彼女は言った。

 人間は思い出だけで生きていけるのだろうか。それ以来、私はずっとそう考えている。思い出が強すぎれば日常生活が疎ましくなり、日常生活が煩雑になれば思い出も薄れていってしまうのではないか。

 アラフィフ男性たちは、そこをどう考えているのだろう。

「本気で好きだった人とつきあって三年で別れた。もう恋はしないと思う。あれが最後の恋だった」

 修羅場を見たしね、と彼は付け加えた。知り合いの宮崎和也さん(五十四歳)が恋をしたのは五十歳のとき。私は彼の奥さんとも会ったことがある。知的で素敵な女性だ。

 それなのに、彼は以前から、ちらほらと浮気をしていた、女好きなのだ。だか、それらは家庭に影響を及ぼしていなかった。五十歳のときその恋も、それほど深みにはまるとは思っていなかったようだ。相手は仕事関係で知り合った二歳年下の女性。

「ところがわからないものだよね。お互いどんどん好きになっていって。彼女は旦那さんが単身赴任で大阪にいた。ひとり息子はアメリカに留学してる。だからひとり暮らしだった。しかも彼女の家が、僕の帰り道の乗り換え経路に当たるわけ。だからつい改札を出て寄り道してしまう。彼女は結婚しているとはいえひとりで暮らしているから、独占欲が強くなっていてね。『奥さんとはエッチしないで』といつも言われてた。愛されてるなあって思ってた」

 彼女の嫉妬心が強まり、彼が帰ろうとすると、急に泣き出すこともあったという。男にとってこういう女性は放ってはおけないのだろう。彼は何度か泊っていったこともある。

「そうそこしているうちに妻は疑いを持つようになった。当然だよね。そんなとき、彼女の家いると旦那さんが帰ってきてしまった。『うちのは半年に一回くらい、東京の仕事のついでに帰ってくるだけ』と言ってたのに。彼女が時間を稼いでくれている間に、僕は身支度もそこそこに靴と鞄を持って裏庭から飛び出そうとしたらなんと、旦那さんが裏口に立ってて」

 配偶者が帰ってきて、マンションのベランダに身を潜めたとか、マンションの二階から壁伝いに降りたとか、そんな話は何度か聞いたが、一軒家の裏では配偶者に遭遇という話は初めてだ。

「僕は彼らの家の居間に逆戻り。テーブルの上には彼女の作った肴やらビールの瓶なんかがあって。本当にいたたまれなかった。穴があったら入りたいとはこのことだよ」

 彼女の夫は当時、五十代後半。彼女より十歳年上だった。大手企業の管理職で、物腰は穏やかだった。それだけにより怖かったと和也さんは言う。

「こういうことは困る。あなただって会社に知られると困るでしょう、と噛んで含めるように言うんだ。それを聞いていたら、なんだかむかむかしてきてね、『うちの女房に手を付けやがって』と殴られるならまだわかる。落ち着いて説教なんかしてきやがってと思ったら、彼女がかわいそうで黙ってやられなくなってさ。

『オレは彼女が好きなんです。別れる気はありませんから』と言っちゃった。ところが彼女は、『ごめんなさい、あなた、これは遊びなの』と泣きながら言うんだよ。呆れたよ、本当に。それで『そういうことだったのか、じゃあもういいよ』と立ち上がって玄関から帰った」

 自宅近くまで来るとメールが来た、彼女からだ。
「『さっきはごめんなさい。あなたを無事に帰すにはああいうしかなかったのよ』と。彼女の気持ちも気づかなかった、なんて愚かなんだ、オレはと地面にへたりこみそうになった」

 翌日、今日は会社を休んでいるという彼女の家に寄ってみた。
「顔が腫れててね、殴られたんだって。『別れたくない。私はあなたに捨てられたら生きていけない』と言われて、今度から外で会おう、それなら続けていけるって言っちゃった。結局、彼女に愛されているのが心地よかったんだよね。一ヶ月後、彼女の夫から会社に電話がかかってきた。近くにいるから会いませんかと。断れないよね」

 ふたりで居酒屋で飲んだ。彼女の夫も不思議な人で、妻のことはほとんど話さなかったのだそうだ。

「びくびくしていたのにさ、大阪での仕事のこととか、趣味の釣りの話なんかをのんびりしてて。最後は『つきあわせてすまなかったね』と奢ってくれて。握手までしちまった。何が何だかわからなかったよ」

 ところが、である。家に帰るととんでもないことが起こっていた。

「彼女の旦那から妻に手紙が届いていた。証拠写真つきだよ。探偵事務所に頼んだんだろうね。ふたりでラブホテルに入って行く写真があった。妻は半狂乱になって、オレは彼女の旦那の陰険さに声も出なかった。妻は何の罪もない。申し訳なくてたまらなかったよ。妻が『この人のことが好きなの?』と聞いてきたとき、思わずうなずきそうになったけど、『いや、つい勢いでというか成り行きでというか。たった一回だけの関係』と言い張った。妻があんなに取り乱すのを初めてみて、自分がいかに傷つけたかがわかって。それにあんな夫がいたら、オレと彼女の関係だって続けていけない」

 彼女と続けられないから、妻には悪いと思ったのではないのかと私は思わず言ってしまった。彼にとって、妻と彼女が同じ重さに感じられたからだ。

「妻は人生をともに歩んできた大事な人だよ。彼女は恋した人。まったく違う次元の話なんだよ、わかるでしょ、そのくらい」

 もちろんわかっているのだが、男の口から妻と彼女を天秤にかけるような言い分を聞くと、なぜかむっとしてしまうのだ。彼の奥さんを知っているからよけいに個人的感情が動いた。

 その後、彼は一度だけ彼女に会い、別れを告げた。彼女からたびたび電話やメールが来たが、いっさい、返信はしていない。それが彼のけじめだった。

「その後はひたすら妻のケアだよ。自分が悪いんだからしょうがないけどね。週末は家のことをしたり、妻の好きなものを一緒に食べに行ったり。妻は子どもたちにもばらしたんだよ。でもかえってそれがよかったのかもしれない。子どもたちふたりも二十歳過ぎてるから、冷静に受け止めてくれたみたい。まあ、本心ではわからないけど」

 それでも彼女を失ったのは、自分にとって相当、衝撃的なことだったと彼は言った。

★死んだ恋はよみがえらない

「恋という意味では、彼女のことが生涯でいちばん好きだった。わがままで嫉妬深かったけど、こんなにかわい女を手放したくないと三年間、ずっと思ってたもん、先のことなんて考えたことがなかったよ。今がすべて。だから恋なんでしょ」

 思い出だけでは生きていけないよ、と彼は静かに語った。
「あの瞬間だけがすべてだった。オレにとっていちばん大事な恋はもう死んだんだ。もう二度とよみがえらない。それを受け止めながら生きていくつもりはあるけどね」

 死んだ恋にしがみついてもしたがない。
 だがもちろん、いい思い出だけを心に、残りの人生を生きていくと話してくれた男性もいる。
「これは最後の恋じゃない。六十代になっても七十代になっても、恋のチャンスはあると思う」

 そう話した男性もいる。だが、五十代で大きく重い恋を経験した人は、みな「これが最後の恋だと思う」と言った。これ以上、年をとったときに、今と同じように重くて複雑な思いを抱えて恋をすることはできないはずだから、と。

 恋心を抱えて異性に接することはいくつになってもできる。だから実際には、七十代になっても、重くて激しい恋をする可能性はあるのだ。だか、五十代でその経験をした人は、今のところは「もういい。もう無理」と感じているのだろう。逆に言えば、「もう恋などしなくていい」と思うほどの恋をしたのだから、幸せでもある。

 恋は人生を充実させもすれば、狂わせもする。どちらが幸せかも決めつけられない。それは個々の判断だからだ。

 ただ、私はこの年代から上の男性たちが恋をしたいと言っていることに、もう抵抗感はない。恋は誰の身にも、ある日、突然降りかかってくるものなのだ。

 おわりに――人が人を思う気持ちに引退はない

 以前は、「恋したい」と言っている男たちに、理由のない抵抗感を覚えることがあった。「男が恋という言葉を口にするなんて」とか、「いい年して何を甘いことを言っているのか」とか思っていたのかもしれない。長年、恋愛や結婚について、多くの人たちに話を聞いてきたのに、なぜか、男が「恋したい」と口に出すことは快く思わなかったのだ。

 私自身も、従来の「男らしさ」「女らしさ」にまだ縛られているところがあるのだろう。「結婚生活において我慢している女性たち」と決めつけている面があったのかもしれない。だから、既婚男性が恋をしたというのを耳にすると、「これ以上、いい思いをしたいのか」と感じてしまったのだ。夫婦の内情は他人にはわからない。今の時代は、一方的に女性だけが我慢しているわけでもない。

 実際に恋した男たち、今も恋する男たちの話を聞いてみると、結婚生活においても社会生活においても几帳面にがんばってきた人が多かった。彼らが二十代のころには、結婚して初めて一人前」「だから身を固めなければ」という価値観のもと、大恋愛をしないままに結婚したケースも少なくない。

 そして中年と言われる年代になって、彼らは人生を振り返り、「心と心が行きかうような関係を女性と持ちたい」と体の奥からの声に突き動かされるのだ。話を聞いてみると、彼らが非常に繊細で豊かな感情を持っていることに気づいた。十五年前に取材したときは、恋したときの自分の心理などをうまく言葉にできなかった人が多かったのに、いつの間にか感情を的確に言葉にできる人も増えている。恋は、結果的に、彼らの感情を豊かにし、語彙(ごい)を増やしてもいる。好きな女性との関わりの中で、彼らはそう言うことを学ぶのだろうか。

 既婚者の恋に善し悪しを問うつもりはない。ただ、事実として浮かび上がってきた、彼らの恋を、私は結果的に「愛しいもの」と受け止めた。

 結婚したら遊びの恋しかない、浮気くらいならいいだろうと行動する男性もいまだにいるだろう。家庭を壊さないどころか、自分の感情さえ波立たない関係なら、確かに日常生活に支障はない。適当に浮気することで憂さ晴らしをして、「楽しかった」と思えるなら、それでもいいのかもしれない。だが、年齢が行けばいくほど、そのことによって何も得られないことを男性たちは知るようだ。

 後悔ややるせなさも含めて、本気で恋をした人たちは、遊びの恋を繰り返してきた人たちよりも懐が深くなっているような気がする。

 本気の恋だからこそ苦しむ。家庭と恋の板挟みになったり、相手の家庭を慮ったりして、彼らは神経をすり減らしていく。そして最終的には、「本気で愛した」思いだけが残る。それは決して、その人にとってマイナスにはならないはずだ。

 彼らがこれからも恋をするのか。それとも彼らにとって「最後の恋」だったのか、それはまだまだわからない。

 五十代で恋をするなら、おそらく六十代でもする可能性は高いだろう。人が人を思う気持ちに、引退はないと思う。

 人に聞かれたら困るような話をしてくれた彼ら彼女たちには本当に感謝あるのみ。彼らの社会的立場を考え、名前はすべて仮名にしてある。本人特定できないよう、状況等も一部変更していることを記しておく。
 二〇一四秋  亀山早苗
恋愛サーキュレーション図書室