アラフィフというと、だいたい四十五歳から五十四歳くらいまでか。年月でいえば、一九六〇(昭和三十五)年から一九六九(昭和四十四)年。その上の還暦前の五十九歳までとなると、一九五五(昭和三十)年生まれまでとなる(二〇一四年時点)。 トップ画像 セックスレスに陥らないにはSEXは体と心両方の快感を求めるもの心さえ満足すればいと言うは欺瞞に過ぎない自身の心と体の在り様を知ることで何を欲しているのか、何処をどうして欲しいのかをパートナーへ伝えることでセックスレスは回避できる。

第二章 悩める現代のアラフィフ世代

本表紙  亀山早苗著

悩める現代のアラフィフ世代

 アラフィフというと、だいたい四十五歳から五十四歳くらいまでか。年月でいえば、一九六〇(昭和三十五)年から一九六九(昭和四十四)年。その上の還暦前の五十九歳までとなると、一九五五(昭和三十)年生まれまでとなる(二〇一四年時点)。

 昭和にすると三十年生まれ、西暦でいえば六〇年代生まれがメインのこの世代。「もはや戦後ではない」と言われたのが、昭和三十一年。東京オリンピックが昭和三十九年。ちょうど高度成長期に子ども時代を過ごした人たちだ。もちろん、私もドンピシャリの世代である。

 この年代、個人差もあるだろうが、一般的にはそれほど裕福でも便利でもなかった子ども時代を過ごしたと思う。家の中に、年を追うごとにひとつひとつ家電製品が増えていった。掃除機、冷蔵庫、洗濯機、電話、カラーテレビなどなど。東京オリンピックのときは、白黒の十四型テレビが後生大事に床の間に飾ってあった記憶がある。

 私が小学校のころ、テレビ番組でプレゼントなどあるときは、必ず、「住所、氏名、年齢、あれば電話番号を明記して」と言っていたものだ。まだすべての家庭に電話があったわけではなかった。家に電話がなければ、近所の家の許可を得て、「呼び出し」として記したものだった。隣近所との関係が濃くなるはずである。電話のたびに、いちいち、隣の人が呼びに来てくれ、「ありがとう」と隣の家に上がって電話を取っていたのだから。

 最後の家電である電子レンジが家に来たのは、高校生の時だった。七〇年代後半だ。
 家電製品が増えるたび、親は誇らしげだったように覚えている。「がんばれ、何でも手に入る」と信じた世代だ。

 そして八〇年代に、私は二十代を迎えた。学生運動は終わっていて、私たちは三無世代(無気力、無関心、無責任)と呼ばれた。女性の時代と声高に言われていたし、実際、男女雇用機会均等法が施行されたのも八〇年代。そんな中で仕事を始めると、すぐにバブルがやってきた。二十代後半は浮かれて過ごし、三十代とともにバブル崩壊。天国から地獄へ。

 私は大学卒業時からフリーランスで、しかも雑誌の仕事をしていなかったので、バブルの恩恵はほとんど受けていない。当時、広告関係の仕事をしていたライターやカメラマンは、かなり派手に暮らしていたようだ。にわかカメラマンもずいぶんいた。彼らは都内の一等地に事務所を借り、外車を乗り回し、そしてバブル崩壊とともに消えていった。

 そんな中で恋愛し、結婚して家庭を育んできたアラフィフ世代。戦後の大変な時代を、努力に努力を重ねて一つずつ積み上げてきた先輩たちと、生まれながらに家電製品は全部揃っていた下の世代との狭間の世代なのだと思う。心の中に、いつでも古い価値観と新しい価値観をもっていて、その間で迷い悩んできたのかもしれない。

「男女」についても同じだろう。旧来の「男とは」「女とは」という価値観を植え付けられつつ、そこから抜け出さないと。今の社会では受け入れてもらえない。どこをとっても、信条が中途半端なのだ。

 そんな彼らが、半世紀生きてきて、「恋をしたい」と口にしている。若いころ、恋愛が尊ばれ始めたものの、実際にはきちんと恋をしないままに結婚してしまった男性も多いかもしれない。私たちが二十代後半のころは、男たちの結婚理由は、まだ「身を固める」意識が強かった。結婚していないと一人前と見なされず、大手の金融や商社では、海外駐在や留学に行かせてもらえなかった。二年ほど付き合って、「そろそろ結婚した方がよさそう」というタイミングで結婚していく男女が多かったと記憶している。見合いや紹介での結婚も、そう珍しくはなかったはずだ。

 この世代の男たちは、恋とは縁が薄かったのかもしれない。マニュアル雑誌はたくさんあった。「彼女をデートに誘う方法」も、「初デートで行く店」も、「どんなタイミングで初キッスをすればいいか」も、何でも書いてあった。だが、「女性を心から愛する方法」や、「女性を大事にする方法」、「女性ときちんと語らう方法」は、学んでこなかった。

 新しい時代のマニュアルで楽しみながら、いざというときは旧(ふる)い意識で結婚していったのだ。だから結婚生活でも、自分の親のありようを踏襲しがちだったのではないか。親夫婦ほどではないとしても、やはり男は外へ、女は家へという意識はまだ抜けなかったように思う。

 私の友人たちを見ても、大手企業は職場結婚すると女性が退職するのが暗黙のルールだった。別の会社にいたとしても、子どもができたら、もう勤め続けることはできなかった。子どもを育てながら働ける環境がほとんどなかったからだ。近くに親がいるとか、当時まだ少なかった保育園に預けることができたとか、そんなラッキーな一部の女性たちが頑張って働き続けた。それでも、いまだに働き続けている既婚の友人は、ほとんどいない。結局、親世代と変わらず、せいぜいパートで働いて家計を助けているだけだ。

★男たちを取り巻く環境は激変

 だが、男たちを取り巻く環境は劇的に変わった。昔のように、頑張れは何でも手に入る時代ではなくなった。頑張っても頑張っても、思い通りにはいかない。バブルのころ、とんでもない給料をもらっていた同世代の男たちも、今では出向させられたり、早期退職を求められたりしている。運良く会社にいられても、サービス残業や休日サービス出勤は当たり前。

 しかも、親世代と違って、家庭で威張ることさえできなくなった。
 専業主婦の妻をもつ男友だちが、やたらと妻のことを愚痴っていたので、

「昔の男たちのように、誰のおかげで食えているんだと言ったことがある?」
 と尋ねたら、「とてもじゃないが、そんなことは言えない」と怯えたように話していた。周りにいた数名の男性も、誰ひとりそんなことは言ったことがないそうだ。それだけは言えない。心で思っているとしても、言ってはいけないと肝に銘じているそうだ。

 もちろん、それは正しい。私自身、そうやって威張り散らしている父親を、心の底で軽蔑していた。男が決して口にしてはいけないひと言なのだ。それでも、昔の男はそうやって怒鳴っていた。そして家族は黙るしかなかった。だから、彼らは家族に愛されなかった。

 そう、この「家族に愛される」「家族に捨てられないようにする」のは、私たちの世代の男の特徴かもしれない。

★妻の不機嫌が怖い男たち

 彼らからよく聞くのは、「とにかく妻の不機嫌が怖い」ということ。
「いちばん嫌いなのは、家に帰ると妻が子どもたちを怒鳴り散らしたり、家の中の雰囲気が非常に悪くなったりしていること。そういうときって、子どもたちに原因があるわけじゃなくて、たいていこっちにあるんだよね」

 ちょうど五十歳になったばかりの男友だち、相田大輔さんが嘆く。彼は、残業も出張も多く、多忙な仕事をしているのだが、夜は毎日のように洗濯とアイロンかけ、風呂掃除など担当しているのだそうだ。

「中学生ひとりと小学生ふたり、合計三人の子がいるから、妻は毎日、子どもの世話と食事作りで疲労困憊しているらしいんだよね。だから僕も家事をやらないといけない。自分なりにやっているつもりなんだけど、妻からみればまだ足りない。それでもいつも妻は不機嫌。ただ、子どもに当たり散らかすのはあまりにかわいそうだから、それだけはやめてくれと言っているんだけど、中学生の息子に訊くと、僕がいないとき、けっこう下の子をびしっと叩いたり怒鳴ったりしているみたい」

 子どもがケガをするほどではないが、いつも不機嫌な母親と共にいなければならない子どもがかわいそうだ。

 そのため彼は、週末、時間があるときは子どもたちを連れ出して一緒に遊ぶようにしている。
「妻はとてもまじめで厳格。自分がそういうふうに育てられたから、子どもが少しでもおかずをこぼしたりすると、烈火のごとく怒るわけ。そうすると家の中の雰囲気が悪くなる。もっとのんびり暮らしていこうよと、ときどき言ってはみる。でも彼女にとっては、何でも完璧なのが当たり前なんだろうね」

 妻の機嫌を悪くさせないために、夫たちは日夜、苦労している。
 最初にこういう話を聞いたのは、もう十年ほど前になるだろうか。せっせと「帰るコール」をしている男性がいたので、「ラブラブ夫婦でいいね」とからかったら、「そういうことじゃないんだよ」と、その人は深刻な表情になった。そこで初めて、私は「夫にとって妻が不機嫌になることへの恐怖」が生半可なものではないと知ったのだ。

 その傾向は今も変わっていない。いや、むしろ男たちの恐怖は増しているのではないだろうか。前出の大輔さんなど、玄関を開けて言った瞬間、妻の機嫌を測る癖がついているそうだ。

 個人的には、「なるべくいつでも上機嫌」であることは、大人として必須事項だと感じている。若いときはそうは思わなかったが、年を取るといろいろ経験する。いいことばかりではないのだ、人生。私などは自分でもお気楽な人生を送っていると思うが、それでも心配事や悩みごとは尽きない。夫や子どもがいれば、さらにストレスも増すだろう。それでも、だ。家族がいる喜びは、単身者より大きいはず。だったら、できる限り、楽しく暮らせばいいのにと思う。

「家でそれだけストレスがあると、どうしたって外の女性が素敵に見えるよね」
 大輔さんは、ふっとため息をつきながらそう言った。どうやら彼にも気になっている女性がいるらしい。現実的な恋には発展していないものの、職場にいる女性とたあいない話をするのが、今のところ何よりの気分転換になっているそうだ。

★居場所を求めて

 それでも、家で頼られるだけ、まだましなのかもしれない。
「職場にも家庭にも居場所がない」
 そう言ったのは、田所賢治さん(五十三歳)だ。結婚して二十三年、大学生と予備校生のふたりの息子を抱える。まだまだ学費がかかるのだが、二年前、勤め先の大手企業から傘下の小さな会社に出向させられた。転籍となったので給料はガタ落ちだ。特に仕事でミスをしたわけではないのに、「嫌がらせのような人事」だったらしい。

 ばりばり働いていた時とは違い、残業も少ない。自然と帰宅時間も早くなる。妻はいい顔をしなくなった。もともとしっくりいっていたわけではないから、より針のむしろのような状態だ。

「言外に、『この役立たず』と言われているような気がしましてね。私の気持ちをわかってくれるのは愛犬だけ。朝に晩に犬と一緒に長い時間、散歩しています。仕事が暇になった分、何か新しいことを始めようと思うのだけれど、気力がない。リストラされなかっただけよかったのかもしれないと思いつつ、なんでオレがあんな会社に出向させられているんだという思いも強くて」

 賢治さんの履歴を聞くと、びっくりするくらいのエリートだ。中学から私学、大学は日本でも最高といわれる国立大学、そして誰もが知っている有名企業へ。同期の中でいちばん出世頭だった。挫折を知らずにここまで来たのだ。それが五十の声を聞いた途端の転籍。問わず語りに、彼がこぼした言葉の端々から察すると、どうやら人事をめぐる派閥争いに巻き込まれた様子。会社員にはつきまとう悲劇なのだろう。

 プライドが許さないのか、彼は最後まで、自分が派閥争いに敗れたとは言わなかった。だが、今の会社で自分が陣頭指揮をとってやろうという意欲もなくしているようだ。

「転職も考えました。今までのツテを頼れば、どうにかなるんじゃないかと。だけどそうは世の中甘くないですね。このまま今の会社で定年を迎えるしかないのか・・・・」

 そんな彼に同情したのが、前の会社で部下だった女性。三十代半ばの由梨さんだ。彼が去った後の社内情報を逐一、教えてくれるらしい。

「一度、彼女を食事に誘ったんです。今までありがとうという気持ちで。彼女、私が転籍させられたことを非常に憤って、涙を流してくれたんですよ。これにはこちらが心を揺さぶられました。人はそういうとき、みんな静かに去っていくものだけれど、彼女は私を呼び戻すためにできることがあればしていくと言ってくれて。今さら人事は変わりようがない。でも、そう言ってくれる人がいることが救いでした」

 彼女はバツイチのシングルマザーだ。食事をしたときも、触れれば落ちんという風情だった。おそらく、自分が誘えばそういう関係になっただろうと賢治さんは言う。

 ただ、彼にはそれができなかった。今でも由梨さんとはメールのやり取りをしている。ときおり彼女から「食事でもいかがですか」という誘いがある。彼はその誘いに乗り切れない。

「自分が今、低迷しているという実感があるので、この状態で彼女に会うのは卑怯なような気がするんです。もう少し元気になったら、そのときは、という淡い期待はあるんですが」

 家にも職場にも居場所がない。そんなとき、人は誰かに縋りたくなるものだ。ただ、彼はそれをよしとしていない。

 もともと個人的な関係があったなら、おそらくよくも悪くも縋りついてしまうだろう。だが、彼の中にはまだ、男としてのプライドが残っている。

 大きなショックから立ち直ったとき、彼はきっと地力を発揮するに違いない。そうあってほしいと私は祈るような気持ちになった。

★相手の気持ちを測りかねて

 五十代になると、家庭も仕事も安定しそうなイメージがあるが、実際には充実しているのは三十代、四十代なのかもしれない。五十代でまだまだ気力も体力も意欲があるのに、閑職に追いやられたり、現場から外されたりという話をよく聞く。今まで一生懸命、組織のために頑張ってきたのに、最後まで安泰とはいかないのが今の時代なのだろう。世知辛い世の中だ。

 家庭もまた、子どもが大きくなることで、雰囲気やありようが変わっていく。子どもが中心で家族がまとまっていたのに、独立したり遠くに離れた大学に通ったりすることで、家族はばらばらになっていく。

「夫婦ふたりきりというのは気詰まりですね」
 安藤稔さん(五十八歳)は、苦笑した。長女は結婚、長男は就職で相次いで家を離れた。妻とふたりきりになって三年がたつが、いまだにどこかぎくしゃくしたものがあるらしい。

「家族四人で暮らしていたときはなんとも思わなかったんだけど、ふたりきりになると、家に帰りづらくて。妻が嫌だというわけじゃないですよ。だけど、何も話すことがないから、どうしたらいいのか分からない」

 ときどき、妻は友だちと飲みに行くと言って夜遅くなることがある。そういうとき、稔さんは早く帰宅して、ひとりでのんびりと過ごすそうだ。

「若い時は、妻と子供二人を連れて実家に里帰りすると、ひとりじゃ寂しいから飲みに行ったもんです。でも今は、家でのんびりするのが何より楽しみ。こっちが気詰まりなんだから、妻の方も私と一緒にいるのは鬱陶しいでしょうね」

 これ以上、出世する見通しもない。六十五歳定年まで、今の立場でやれるだけの仕事はしようと決めている。とはいえ、今後のことも考えて、一年前から楽器を習い始めた。

「昔からやりたかったんです。ジャズピアノ。難しけど楽しくてね、レッスンがないときでも練習させてもらえるので、けっこう教室に入り浸っています」

 他の生徒たちとも言葉を交える機会がある。稔さんは、同世代とおぼしき女性と、何度か顔を合わせるうちに話をするようになった。

「彼女はご主人に死なれて、子どももいないのでひとりきりなんだそうです。幸い、ずっとフルタイムで働いているから、定年までいて、あとは好きなことをしようと思っている、と。友だちも多そうだし、明るくて素敵な女性なんですよ」

 そう言ったあと、彼はふと言葉を切り、黙り込んだ。その女性に複雑な感情を抱いているようだ。

「このところ、ふたりで何度か食事をしたり、ジャズライブに行ったりしているんです。彼女が私に期待しているのがわからなくて、ちょっと戸惑っています。たぶん、趣味を同じくする友人だという意識でいいんだと思うんだけど、私の方がそれだけでおさまるかどうか」

 どうやら彼は彼女に恋心を抱いている。ただ、相手の気持ちを今ひとつつかみかねているのだ。

「恥ずかしいけど、私、まともに恋愛したことがないんです。だから駆け引きが分からない。好きだかといって一直線に突っ走るわけにもいきません。こっちは結婚しているんだから、そんなことしたら彼女に失礼ですよね。だけど結婚していると知っていながら、私の誘いを断らない彼女はどういうつもりなんだろう‥‥。考え始めると、どうしたらいいのか分からなくて」

恋する気持ちを把握していながら、どう行動していいかわからないのだろう。失礼ながら、私はこういう人には、友だち状態をつづけたほうがいいと言うことにしている。なまじ恋に突っ走ると、あまりいいことがないからだ。

★若い女性に弄ばれて…‥

 男たちはなにげなく「恋をしたい」と言っているが、実際、既婚でありながら恋に落ちるというのは非常に苦しいことだ。恋に恋をしているだけならいいが、相手は生身。自分も生身。しかも、どちらか、もしくは両方が結婚しているなら、簡単に恋に足を踏み入れてはいけないのである、本来は。

「私は今も後悔しています」
 辛そうにそう話してくれたのは、大野真一さん(五十四歳)。七歳年下の妻との間に、二十歳と十六歳の子どもがいるのだが、妻とはどこかしっくりいっていない。潔癖で完璧主義の妻は、若い時はそこが魅力的だったのだが、長年一緒にいるうちに、痛々しく見えるようになってきたのだそうだ。

「本人が辛いんじゃないかと思うんですよ。アイロンをかけなくていい洋服にもかける、家族で出かけた帰りに、外でラーメンでも食べて帰ろうと言うと、『家に帰って作る』と言い張る。それで自分が疲れてしまう。妻であり、母であることに完璧にあろうとする。周りも疲弊してしきます。何度も話したけど、彼女は適当ということができないんですね」

 真一さんも子どもたちにも、陰で適当に気を抜くが、それがばれるとおおごとになる。

「妻は家の食事がいちばんだと思っている。確かに彼女は栄養面では完璧。だけど人間ってたまにはジャンクフードも食べたくなるでしょ。下の子なんて、妻が作ったお弁当を、友だちの菓子パンと取り替えているみたいですよ。何でも完璧ならいいというわけじゃないんだけどね、彼女には伝わらない」

 正論を振りかざす妻に疲れ、真一さんはネットで知り合った女性と、二年前から会うようになった。三十代半ば、スポーツジムでヨガのインストラクターとして仕事をしていた。

「この女性がなかなか奔放で明るい女性。私が今まで会ったことのないタイプで、会うようになってから一気に惹かれました。とはいえ二十歳近く年が違う。私からは口説けませんでした」

 彼女は何を思ったのか、真一さんにやたらとアプローチしてくる。映画を見に行こう、食事に行こうと声をかけてくるのだ。行った先できっちり割り勘をするところから、彼は「私に興味があるわけではなく、ボディガード代わりなのだろう」と納得するようになった。

「あとから聞いたら、彼女は早くにお父さんを亡くしていた。だから父親のようなタイプかが好きなんでしょう。それを聞いて、私の娘のように接すればいいんだと覚悟しました」

 ところが、何度もあっているうちに、彼女は手をつないだり腕を絡めたりするようになっていく。酔った勢いでキスを迫ってきたこともある。

「私は自慢じゃないけど、モテるタイプではありません。女性に、しかも若い女性にそんなふうに迫られたら、どうしていいかわからない。曖昧な態度でいたら、あるとき、彼女が泣き出したんです。『私のことが嫌いなら嫌いって言って』と。そうまで言われたら、男としてどうしようもないでしょう。そのままホテルに直行しました」

 ふたりで会うようになってから、半年以上がたっていた。なりゆき上、そうなるしかなかったのかもしれない。だが、ここからが彼の思惑とは違っていた。

「こちらは結婚している。それでも、彼女を大事に思う気持ちは強かった。だけど、彼女からしてみたら、ただの遊びだったんです。肉体関係をもたないと、女として自分に魅力がなかったように思える。だから泣き落としで迫ったんでしょう」

 彼は、結婚しているという負い目を抱えながらも、彼女ときちんと付き合っていくつもりだった。だが、彼女は、そういう関係は鬱陶しいと言い放ったのだ。

「関係をもった翌日、なんとなく彼女の心理状態が気になってメールをしたんですよ。そうしたら『一度寝たからって、恋人気取りにならないでください』と。すごくショックでした。
『オレはきみのことを心から好きだよ』とメールしたら、『じゃあ、離婚できる?』って。それを言われたら、何も言い返せません。返信できずにいると、『私とのことは遊びでいいんです』と言ってくる。そうなるとやはり放っておけない。強がっているんだと思ったから」

 しかし、彼女は、最初から彼と真面目に付き合う気などなかったようだ。確かに結婚しているからなのか、あるいはただ付き合う男を増やしたかったのかは定かでないが。

「それから何度か寝たし、一緒に旅行もしたし、楽しかったですよ、ふたりでいると。私の居場所は、家庭でも職場でなく、彼女の元かもしれないと本気で思った」

 ただ、つきあいが続いていくと、彼の中に焦燥感が芽生えていく。なぜなら、彼女が彼だけを見つめているわけではないことが分かってきたから。

「私は彼女にとって大事な男ではない。それが分かると、かえって私の方が燃えてしまって‥‥。しつこくメールしたり、愛していると言いまくったりして、彼女がどんどん引いていきました」

 彼女の会社の前で待ち伏せたこともある。彼女の友だちを調べ上げて、自分との関係を暴露したことも。

「その友だちに言われたんですよ。彼女には長年付き合っている恋人がいる、と。上手くいかなくなると、別の男をつくるのが彼女のやり方らしい。私はターゲットにされたんですね。それでも私の心は冷めなかった。『ちょっと自分のしていることを考えた方がいいんですよ。若い女を追いかけまわしてみっともない』と、その友だちに言われて、私は思わず涙ぐみました」

 これ以上、しつこくしたら警察に言うとくぎを刺され、彼は彼女に連絡するのをやめた。たった半年程度の付き合いだったが、彼はひどく落ち込んでしまう。

 この年齢の男性は繊細なのだ。若い女性から見たら、「下心をもったオヤジが、ちょっとつきあったらマジになって気持ちが悪い」というところかもしれない。

 男がこの年齢で女性と付き合うときは、多くの場合、本気である。しかも、彼のように真面目に生きてきた男性が恋をするには、それなりの覚悟もある。責任上、結婚を解消しようとは思ってはいないが、恋には本気なのだ。

 真一さんは、それ以来、鬱状態に陥っていく。医者にもかかった。さすがに妻も心配してくれたそうだ。

「ところが妻に心配されると、かえって気が重くなって。あのころは本当に自分が自分でないような感じでした。ただ、これ以上、彼女に迷惑をかけてはいけない、自分もしっかりしないと仕事にも支障が出る、と言い聞かせて日々頑張っていたような気がします」

 あまりの辛さに、二週間だけ入院した。鬱状態ではあったが、鬱病ではなかったので、規則正しい生活をすることで、かなり自分自身を取り戻せたという。

「この年で恋をしたのは間違いだったのかもしれない。この傷は一生癒えないと思っています。もう二度と恋はしません」

 彼はそう言ってうつむいた。

 このあたりの繊細さが、正直言って女性にはないところだ。アラフィフ女性も、若い男性に弄ばれるような形の恋愛をすることがある。もちろん、そのときは惨めだと泣き叫ぶのだが、比較的、傷は浅い。うまく気分転換をして、さらに自分を鼓舞し、別の人生をスムーズに展開していく。女は本当に底知れぬ逞しさをもちあわせているのだ。

 かつて話を聞かせてもらった女性たちを思い出し、その言動や表情を比較してみると、真一さんがどれほど傷ついているかがよくわかる。

 それだけ男の方が「居場所を失う」ことによるダメージが強いのかもしれない。逆に言えば、居場所を求める気持ちもまた強いのだろう。

★男が恋に落ちるとき

 かつて私は、既婚男性が恋に落ちるのは。まず三十後半、次に五十歳前後と感じたことがある。三十代後半は、家庭を持っている男性なら、少しだけ落ち着いてきたころ。子どもも小学校に入り、もう夜泣きで眠れないこともなく、乳幼児特有の病気にかかる心配もない。仕事では、まだ先が見えない分だけ、必死に働ける年代だ。忙しくて時間が足りないとさえ感じるだろうが、忙中閑(ぼうちゅうかん)あり。こんなときこそ恋が忍び寄る。いわば、充実期のエネルギッシュな恋愛が待ち受けている。

 一方で五十歳前後は、繰り返し述べているように、もっと複雑な思いを抱えている。人生においては季節は秋。しかもそろそろ晩秋といってもいいかもしれない。職場でも家庭でも、充足感は得られない。体力的にも以前と比べて如実にきつくなってくる。男としての魅力についても、そうそう自信は持てなくなっているだろう。男性の更年期もあると聞く。それらすべてを鑑みると、この年代は、ひと言でいえば、「自分の居場所を求める恋愛」なのだろう。

 それを本人が意識しているかどうかは別として。もちろん、みんながみんなそうだというわけではなく、そういう傾向が感じられるということだ。

 旧い価値観と新しい価値観の狭間にいて、特に男性たちは戸惑ってもいる。
「日常的に、社内の女性たちとどうかかわったらいいかわからなくなった」

 男性たちからそんな声をよく聞く。言わずと知れたセクハラ問題である。とある大企業の管理職の男性は、「仕事以外の話をしないのが大前提」と言った。

「うちの職場はそれほどお堅くないので、前は『おはよう、今日もきれいだねえ』なんて軽口を叩いていたんですよ。ところが会社からお達しがあって、我々も研修を受けさせられたりして、『今日もきれいだね』はNGである、と。ちょっと元気のないように見える女性に、『大丈夫か』と声をかけるだけでもOKとは言い難いようで。

もちろん、仕事の打ち合わせを兼ねていても、男女がふたりでランチに行ってはいけないことになった。もう、そうなると部内の雰囲気がどこかということではなくなりますね。男たちは女性に嫌われないように、個人的に話しかけなくなる。下手に話しかけて社内の委員会に訴えられたら困るから」

 五十代半ばのこの男性は、結局、部内からは和気あいあいとした雰囲気が消えたと話す。実際、部下の女性からも、「行き過ぎでは」という声が上がっているらしい。

「ただ、一方で、くだらない親父ギャルを聞かされることもなく、朝からオヤジに話しかけてられて不愉快な思いをしないで済むようになった、若い女性社員からの声もある。このあたりはむずかしいですね。部内の飲み会も、一次会は二時間限定、二次会はなしていう取り決めができました。女性はお酌しない、男性の横に座れては言ってはいけないなど、細かく決められています」

 なんとも息苦しい話だ。もちろん、女性から男性へのセクハラも御法度だそう。
 自分の地位を利用した上で男女関係を迫るなど、明らかにパワハラ、セクハラと断定できるものもある。だか、多くは「あの人が『今日もきれいだね』と言うのはいいが、この人が言ったらセクハラ」と、受け手の相手への好き嫌いが入ってくるケースが多い。「当事者が嫌だと思えばセクハラ」なのだからしかたないとはいえ、それによって男性たちが去勢されたかのようになってしまうのは気の毒な話。

 大企業がそこまで細かく取り決める一方で、中小企業では、セクハラやパワハラの概念がないに等しいところもたくさんある。知り合いの三十代の女性は、ワンマン社長に愛人になれと迫られ、うまくあしらうこともできずに困っていた。会社で公にしたら、当然クビになる。

彼女はシングルマザーなので、働かなければ生きていけない。子どもの小学校入学に合わせてようやく見つけた昼間の仕事なのだ。そう簡単に辞められない。かといって、古希になろうとする社長の愛人になるのもまっぴらだ。社内に相談窓口もない。誰かに言ったら、社長の耳にも入るだろう。彼女らとって、いちばん大事なのは、そこでの仕事。社長の無理な言い分を、顔を引きつらせながらなんとか無視しているが、この先が不安だと話した。

 行き過ぎた管理をするのも社内の士気や雰囲気に悪影響がありそうだし、まったく配慮のない職場でも働きづらい。せめて社内でそういうことを話し合える環境があればいいのだが。

「前はうちの会社でも不倫のひとつやふたつあったんですけど、今はうわさすら聞かなくなった。恋愛している人たちが居なくなるはずはないので、おそらく水面下で進んでいるのでしょう。もちろん前だって、本人たちは秘密にしていた。それでも噂は漏れてくるものです。今は完全に潜伏している。そうなると、何かあったときに誰も対処できないんですよね。男と女がいるところで恋愛沙汰が起こらないはずがないんだから」

 前述の五十代男性の意見だ。いろいろなところでプレッシャーがあるから、男性たちはますます「恋」への憧れを募らせるのだろう。

★恋の初期に、はしゃぐのは男?

 また、男たちはきっかけさえあれば、一気に恋に走る傾向がある。恋に恋したこと自体に酔っているようにも見える。もちろん、女性だって冷静に恋を進めていくわけではない。ただ、「恋愛」と「自分」との距離感が、男女で異なるような気がしてならない。

「実は私は既婚者同士で付き合っているんだけどね」
 あるとき、二十年来の女友だちが、突然、そうカミングアウトしたことがある。

「恋愛が始まったばかりの男の人のはしゃぎようって、ちょっと不思議だった。実は私、婚外恋愛二度目なんだけど、前のときもそうだったのよ。まるで中学生みたいなの、いい年の男が。ま、可愛いんだけどね。自分でもいうのも変だけど、私はもうちょっと冷静だった。というか、好きだから覚悟して踏み込んでいるわけよ。でも男は覚悟がないままに、浮かれて恋に飛び込んでしまう。そのあたりに若干、違和感を覚えたわね」

 他の女性からも、似たような話は何度か聞いたことがある。男性の方が恋に免疫がないからだろうか。女性は現実に手の届く男性に恋をしていない時期でも、やれ韓流だ、やれジャニーズだと、常に疑似恋愛をしている。対象は人でなくてもいい。マイブームと称して、アロマにはまった中国茶にはまったり。常に自分の心が気持ち良くなること、楽しいことに没頭している。それは恋に似たようなものだ。恋心を駆使する状態にあるのが好きなのかもしれない。

 だが、男性はなかなかそういうことができない。AKBの追っかけは「オタク」と呼ばれてしまうし、いい年をして娘のような年齢の女性を追っかけるのはプライドが許さない。男性は、自分を客観視する習性があるからか、「みっともないことはできない」と思い込んでいる。女性は息子のような年齢の芸能人を平気で追いかけられるのだが。

 それゆえ、「恋に似た感情」は、結婚してから封印せざるを得ない。無意識のうちにそういう感情は押し込めるのだろう。

 だから現実に恋に落ちたとき、下準備ができていない。それゆえはしゃぎすぎたり、急に純になってしまったりする。恋心の扱いがうまくできないのだ。コントロールが利かないというよりは、はなからコントロールできない状態に陥る。

 恋に落ちた男性には、よほど慣れている人以外は、多かれ少なかれそういう傾向がある。だから妻にも露見しやすいのだと思う。

 初期の段階で妻に疑われたり見抜かれたりする場合、多くは「普段と違う」からだ。

「家で鼻歌を歌っていた。そんなことは今までなかったのに」
「酔っているときは『酔っていない』という夫がも『いやー、酔っちゃったよ』と帰ってきたときに怪しいと感じた」

「『ただいま』と言った声が、いつものと違っていた」
「急に『お前も大変だよな』と労りの言葉を口にしたとき、変だと直感した」
「季節を気にしたとき。『今年の紅葉の色づきはどうだろう』とテレビを見てひとり言を言っていたので、これは怪しいと思った」

「週末、よく買い物に行ってくれるようになった。前は頼んでも行ってくれなかったのに。おそらく外でメールしているんだと思う」――。

 ほんの些細なことを、妻たちは見逃さない。見逃さないのは、夫に対する愛情があるからだということができるが、実際には「自分に隠れて恋をするなんて許せない」のが本音、もちろん、そこに夫婦としての情愛があるのだと信じたいけれど。

 逆に、夫たちは妻の婚外恋愛には、なかなか気づかない。もともと監視する気などないせいもあるし、そこまで細かな変化に注意を払っていないのだ。

 つづく 第三章 恋愛感情とセックスに惑う 男たちの証言