亀山早苗著
嫉妬 阿部定事件
ペニスが女を狂わせる?
ジェラシーの真実
男女の間で、嫉妬はつきもの。ところがこの嫉妬というのは厄介な生き物で、いったん自分の中で飼い始めたが最後、どんどん増殖していく。
そうしたら、もう自分の意志では止められず、あとは嫉妬に自分の身も心も乗っ取られ、いいように振り回されていくことになる。
もちろん、相手に対して愛情があるからこそ嫉妬するともいえるのだが、ときとして、人は、嫉妬そのものが目的であるような言動をとることもある。
私自身、二十代のころ、ひどい嫉妬に苦しんだ経験があった。相手が会社の同僚の話をしただけでも、それが女性だと分かった途端、急に胸が苦しくなる。まだ携帯電話などなかった時代だから、電話をして彼がいないと、それだけで、「きっと別の女とあっているに違いない」と体中が震えるような感覚に陥る。
夜だろと朝だろうと、タクシーに飛び乗って彼の住んでいるマンションの前で、何時間も待ってしまう。
相手がどうなだめてくれようと、嫉妬はおさまらない。何の証拠もないのに、「だれか好きな人ができたんでしょう」と半狂乱に近いような状態で叫びまくり、「冷静になれよ!」と。体を激しく揺さぶられたこともある。
今思えば、嫉妬は「愛情の裏返し」というよりは、「妄想」と結びつきやすいのではないか。
当時の私は、「自分がこんなに彼のことを好きなんだから、いつ他の女性が彼を好きになるかわからない。そのとき彼は新しい女性を選ぶに違いない」と感じていた。常にそういう不安があって、それはだれが何を言っても治まらない。しかも、ときおり発作のように、その不安が爆発する。
始末に負えない、と自分でも感じていた。少なくとも、その頃の私は、「愛情があるから嫉妬するんだ」と自分を正当化しようとしていたが。実際には自信のなさの表れでもあった。「彼に捨てられたら私は生きていけない」と、信じていたのだから。
そこまで好きだった相手と結婚したものの、結局は離婚する羽目になったとき、何よりショックだったのは、「どんなに好きな人であっても、自分自身の愛情が続かないことがある」と気づいたことだった。
同時に、「嫉妬」が、愛情と直結するのではなく、妄想のたまものであることも知った。
自分の気持ちだって変わるのだから、ましてや他人の気持ちなど、自分の力でどうにかできるものではない。離婚してそう思ったので、以前ほどの嫉妬に苦しまなくなった。
嫉妬するより、相手を丸ごと受け止めることがいちばんだと、理屈で思うようになっている。
俗に、女の嫉妬は、非常にしつこく質の悪いものだと思われている。そもそも、嫉妬という字だって、両方とも女偏だ。かたくなで、意地の悪いイメージがある。古くは、『源氏物語』に出てくる六条御息所、あるいは安陳清姫伝説など、嫉妬のあまり誰かを呪い殺したり、蛇になって追いかけたりするのは、いつも女と相場が決まっている。
「阿部定事件」に見る女の嫉妬
私が「嫉妬」必ず思い出すのが『阿部定事件』だ。これほど「正しい」嫉妬の仕方があるのか、といつもある種の感動を覚えてしまう。
日本が戦争に向かって突き進みつつあった昭和十一年、東京荒川の待合(今でいうラブホテルのような場所)で、四十代の男が殺されていた。彼の名は石田吉蔵、四十二歳。殺したのは彼の愛人、阿部定、三十二歳。吉蔵は料理屋の主人、定はその店で働いていたのだが、ふたりは、吉蔵の妻の目を盗んで深い仲となった。
ふたりは待合で会っていたが、妻のいる吉蔵を家に帰すまいとして、定は吉蔵を殺し、ペニスと睾丸を切り取って逃走。捕まったときには、吉蔵の褌と下着をきちんと身につけ、ペニスも睾丸も、肌身離さずもっていた。これが世にいう阿部定事件だ。猟奇的事件、魔性の女と世間は大騒ぎになった。
だが、『阿部定〈事件調書全文〉』(コスミックインターナショナル刊)を読むと分かるのだが、彼女は決して魔性の女でも、ただの淫蕩な女でもない。彼女がそこまでしたのは、吉蔵のペニスを自分だけのものにしたかった、ひいては吉蔵のすべてを自分のものにしたかったという、
むしろけなげな女心からなのだ。しかも、ふたりはセックスにおいて「まれにみる好相性
」だったらしい。裁判官でさえ、それを指摘している。だからこそ、離れられず、定の嫉妬も限界を越えたのではないだろうか。
家に帰したら、吉蔵は奥さんを抱くかもしれない、そうでないにしてもあの気の強い奥さんことだ、吉蔵を外に出さなくなるかもしれない。たった数日離れていても、嫉妬と焦燥で気が狂いそうになる、と彼女は事件調書で述べている。
ふたりは、ほとんど入浴もせず、何かに取り憑かれたように待合で、セックスばかりして過ごしていた。ある日、とうとうお金が底をつき、吉蔵はいったん家に戻ると言い出す。そこで定は「永遠に自分りものにするためには殺すしかない」と思い詰めるのだ。
私はこの事件の調書全文を読んだ時とき、ここまでセックスの合う男、惚れこむことのできる男に出会ってしまった定の焦燥感が、分かるような気がしてならなかった。
彼には妻がいて、自分は添い遂げることができない。これほどまでに「寝間が巧妙」な男を、他のどんな女ともさせたくない。たとえ妻であろうとも渡したくない。彼のペニスは、「私だけのもの」のはずなのに、と定は思っていただろう。
彼を殺せば、自分自身も快感を得られなくなる。だが、それと引き替えに、彼は永遠に自分のものになる。定が生きる糧にしていたのは、吉蔵と情とセックスだろう。
あえて愛とはいわないが、「惚れた気持ちとセックス」だったことは、間違いない。それを失ってまで、彼を永遠に自分のものだけにしたいという気持ちは、刺し違える覚悟といっていいのだろう。定は、それほど吉蔵に惚れこんでいたのだ。
彼女は十代のころから、男性経験が豊富だった。だから、うぶな女が初めての男に惚れこんだのとはわけが違う。とことん惚れるということは、刺し違えても構わないと思うことなのだ、と今でも感じている。
事件調書には、定が吉蔵を「かわいくてかわいくてたまらない」と思ったという表現が、何度も出てくる。年齢は定のほうがひと回り近く下だが、年齢に関係なく、男を「かわいい」と思った瞬間、女はその男から離れられなくなる。ここに、「男女の関係の本質」があるような気がしてならない。
現代は情報過多となり、男女の関係においても、どこか知性や理性で処理していこうとする傾向が強い。よく聞くのが、理想の恋愛を問われて、「一緒に向上していきたい」という言葉だ。
そして、理想の相手に関しては、「尊敬できる人」という。もちろんその気持ちも分かるのだが、そういう理性での表現ではなく、感情的に、「何があっても、とことんかわいと思える人」と一緒にいられたら、それが至福ではなかろうか。
ペニスをむき出しにして裸で寝ている男を、女が「とことんかわいい」と思ったら、惚れこんでいると言えるのではないか。そこには、尊敬だの向上だのという面倒なことは存在しない。ただただ、かわいいのだ、手放したくないのだ。
人間は、みんないつのまにか抜け目なくなり、あらゆることに対して、「メリット・デメリット」を考えるようになってしまった。いわゆる「損得勘定」だ。損得を顧みず、自分の心のままに生きること、損得抜きの男女関係を、人はよしとしなくなった。常に向上心を持たないと、生きていきにくい世の中になった。
だが、ひょっとしたら男女の本質は「一緒に堕ちていく」ことにあるのではないか。それが言いすぎなら、「一緒に堕ちてもいい」と思えるような関係と言ってもいい。そんな相手に巡り合える幸せを、私たちは忘れてしまっているのではないか。
定と吉蔵だって、状況が許せば一緒になって、案外、何事もなく仲のいい夫婦で生涯を終えられたかもしれない。現実に「堕ちた」関係になってしまったのは、状況が許さなかったからだ。
あるいは一緒になったとしても、定の嫉妬から、無理心中は、起こったかもしれない。だがいずれにしても、ふたりが「一緒に堕ちてもいい」と思えるほど、相手に惚れこんでいたことだけは確か。そんな相手に巡り合うことができるのは、僥倖(ぎょうこう)と言わざるを得ない。
定は、体だけ吉蔵に惚れたわけではない。全身全霊で惚れたのだ。だからこそ、嫉妬や妄想が自分の中で渦巻いて、どんどん苦しくなっていったのだ。それがこの事件調書を読むとよくわかる。
嫉妬からの解放
女の嫉妬は、ストレートだともいえる。突き詰めてしまえば、「このペニスを他の女のあそこに入れるな」という一点にかかっている。
「私も相手を殺して自分も死のうと思ったことくらい、嫉妬したことがあります」
と、笑いながらそう話してくれたのは、佐藤あゆみさん(三十六歳)だ。もちろん、今だから笑えることで、渦中にいるときには自分でもどうにもならない気持ちに苦しめられたという。
スレンダーなプロポーション、両頬にくぼむえくぼが、彼女を年よりずっと若く見せている。
あゆみさんは、二十代後半から三十代初めまでの五年間、職場の上司で、妻子ある十歳年上の男性と付き合っていた。彼とのセックスで、初めてオーガズムを得た。彼とはセックスすればするほど快感が深まり、失神したこともあるという。
「そうなるとひとりでいる夜が辛くて。今ごろ彼は奥さんとしている、奥さんもきっと私と同じような快感を得ている。そう思うと本当に気が触れそうになって、家を飛び出して、彼の家の近くをうろうろしたことがあります。
自分で自分の嫉妬に手が付けられなくなって、手首を切ったこともある。死のうとしたわけじゃないんです。ただ、血を見ると、ふっと我に返ることができるから」
彼のペニスを切り取ってしまいたい、とやはり思ったことがあるそうだ。
「こういう言い方をすると変な女だと思われるかもしれないけど、彼のペニス、本当にきれいだったんです。太さも長さも固さも、本当に私好み。私が慣れてしまっただけかもしれないけど、当時の私には彼のペニスは最高の宝物だった。セックスの前後には、いつも彼のペニスをいじって遊んでいました。
『本当にかわいい。これ、ほしい。置いていって』と口癖のように言っていたと思う。だけど、私だけのものではないわけですよね。彼は、『これはオレのもんだよ』って言
ったけど、実際には、私と奥さんが共有していた。
もちろん使う頻度は、奥さんのほうが高いでしょう。わかっているのに、辛くて苦しくて、頭の中が嫉妬だらけになりながら彼に抱かれていた。嫉妬しながらセックスすると、辛いんだけど、快感が増すんです。彼に激しく突かれながら、『奥さんにもこんなことをしているんだ』と言う考えが頭をよぎる。その瞬間、ものすごく強いオーガズムがやってくる。
だけど、あとになると、落ちこんむんですよね。そうやって嫉妬しながら達してしまった自分に対して。彼と付き合っていて、楽しかったのは、最初の半年くらい。あとはずっと嫉妬との闘いだった」
嫉妬から解き放されたのは、彼の妻が重病にかかって入院した。と聞いたとき。あゆみさんの心から「嫉妬」がすっと消えてしまった。彼は救いを求めるように、たびたびあゆみさんの元にやって来たが、実際には、なかなか勃起しなかった。
「彼は『仕事をしながら、見舞いに行ったり家事をしたりで、疲れているからなあ』と言い訳していたけど、私はそうじゃないと思った。やはり彼の気持ちの中に、病気の奥さんに対する罪悪感があったのでしょう。
もちろん、私にもあった。だから、奥さんが退院したと聞いたとき、私、自分から離れました。退院はしたけど、奥さんの病気は完治したわけではなくて、一生付き合っていかなくてはならない難しい病気だったから。
もう奥さんは、嫉妬の対象ではなくなってしまったんです。私は、妻という立場に嫉妬していたわけではなくて、同じ男を愛する女同士としての嫉妬していた。だから奥さんが元気でいてくれないと、嫉妬もできないんですよね。彼には病気の奥さんを大事にしてほしかったんです。
あちらで欲求不満だからといって、私の所にくる、という関係は嫌だった。やせ我儘かもしれませんが、私は、嫉妬することによって、彼に対する愛情を計っていたのかもしれません。嫉妬できなくなったら、彼と付き合っていくこと自体が、辛くなってしまったんです」
戦うべき相手が病気では、戦意も薄れてしまうということか。あゆみさんが言うように、「妻と愛人」という立場ではなく、「同じ男を愛した女と女」と考えていたから、嫉妬は強力だったのだろう。その嫉妬心が、彼女の愛情を下支えしていた。だから、妻が病気になってしまったら、健康な彼女は戦意喪失せざるを得なかった。嫉妬が、愛情にもたらす影響というのも存在するのかもしれない。
三角関係をどう考えるべきか
女の嫉妬は、わかりやすい。常に相手の女性に向くから。女は惚れた男を責めることができないのだ。「かわいい」男には、帰ってきてほしいから。たとえば、自分のパートナーが浮気したとき、
女性は相手の女性に怒りが向き、男性は、自分のパートナーに怒りを向けるといわれている。これは、男女の気持ちの違いを、よく表している話ではないだろうか。
つまり、男が浮気をしたパートナーの気持ち自体を責める。だが、女はパートナーの気持ちが自分から一瞬離れたことを認めたくないあまり、浮気相手が彼を「誘惑した」と思いたがる。だから、パートナーを責めずに浮気相手を責める。女性は、いつでも自分のパートナーに、自分だけを見つめていてほしいと願っているのだろう。
女性は、ときとして、自分の気持ちに?をつく。たとえパートナーが不審な行動をしても、「浮気はしているはずがない」と思いたがり、思い込もうとする。彼が他の女性と会っていても、「セックスをしているわけじゃないんだから浮気じゃない。きっと仕事の関係だ」と思いこむ。
揺るぎない証拠がいくつか出てくると、もう自分をごまかしようがないことを知るが、それでも、「セックスしていない」と信じたがる。だから、男も、「女性の上に乗っていても、セックスしているのではないと言い張らなければならない」のだ。最近、それができずに白状してしまう男が増えているが。
しかし、セックスさえしていなければ、ペニスがヴァギナに入ってさえいなければ、浮気ではないのだろうか。正直に言えば、セックスなんて、誰とでもてきると思う。誰とでもできるということと、実際に誰とでもするということとは、まったく別問題だが。
だから、理屈で言えば、パートナーが誰かとセックスしただけで「じたばた」する必要はないはずだ。それなのに焦燥感にかられるのは、「自分の立場が脅かされる」恐怖感、「自分の立場がないがしろにされた」怒りと関係があるのではなかろうか。
嫉妬の正体というのは、案外、そんなところにあるような気がする。もちろん、「彼のことが好き」という大前提があったうえでの話だが、「好きだから、彼の行動を全面的に受け入れる」という方法もある。
だから、嫉妬で苦しむのは、悲しみのせいではなく、恐怖や怒りによる方が大きいのかもしれない。純粋な愛情を男に抱いているとしたら、相手の女性もまた同じ男に、自分と同じように愛情を注いでいると理解できるはずだ、理屈の上では。
そう考えると、嫉妬というものは、やはり飼い慣らした方がいいようだ。相手が浮気したかどうか、はっきりしない場合は、特にそうだ。「浮気しているのではないだろうか」という想像をしないようにする。
そんな妄想が頭の中でわきおこったら、なるべく早く消す努力をする。彼との楽しい時間を過ごすのもひとつの手だし、自分自身、忙しくて、余計なことを考えないようにする必要がある。
不倫している、あるいは彼に二股をかけられていると分かっている場合は、自分の彼、彼と彼女の関係は、「別のもの」と割り切った方がいい。私は常々、三角関係というのは三角を結んでしまうから、問題が起こると感じている。
彼を挟んで、自分と他の女性がいるのは明らかだが、それを三角形にしてしまうからいけない。つまり、自分と彼女を線で結ぶ必要はないし、そんなことはしない方がいい。そうすれば、無用な嫉妬には悩まされずに済む。
嫉妬してみたところで、彼が他の女性との間を、いつ足り来たりしている事実。それを知っていながら、受け入れているのは自分なのだから。それが耐えられないのなら、別れるしかない。そうやって覚悟を決めたほうがいいのではないだろうか。
体を壊すほどの嫉妬心
では、恋人が浮気したことを白状した場合は、どうしたらいいのだろう。これがいちばん苦しいかもしれない。一度そういうことがあると、「またするかもしれない」と不安になるだろうし、セックスしていても「こんなふうに彼女ともしたのね」と苦しい気持ちになるだろう。
実際、恋人に浮気された中井麻理恵さん(三十五歳)は、体を壊すほどの嫉妬に悩まされたという。
「三年つきあっていたんです。お互いに結婚するつもりでいました。だけど三年前、結婚式の三ヶ月前に彼が、『実は浮気した』と。『自分の胸にしまっておくには、良心がとがめ過ぎて』と、言い訳しました。だけど聞かされた方は、たまったもんじゃない。
知らなければすんだのに、知ってしまったから苦しむ。彼は泣きながら謝っていましたけど、私は許せなくて、それから追及が始まってしまったんです。自分で自分を止めることができませんでした」
彼が浮気したのは、かつての彼女だという。偶然再会し、数回、関係を持ってしまった。彼は麻理恵さんと結婚するつもりでいたから、すでに関係は解消した、とも述べた。
だが、その告白を聞かされてから、麻理恵さんは、「何かに取り憑かれたように」彼を追及し続けた。
彼とはすでに一緒に住んでいるのだが、夜になると、麻理恵さんは彼を問い詰める。
「彼女とはどんなセックスをしたの?」
「彼女はどういう反応をしたの?」
「彼女はどんな声をあげたの?」
「彼女のあそこは私よりいいの?」
毎晩、同じ質問だ、彼は最初のうちは答えなかったが、彼女の常軌を逸した詰問のしかたに恐れをなしたのか、だんだん答えるようになっていった。
「彼が答えれば、それはそれで腹が立つわけです。たとえどんなセックスをしたの、と聞くと、彼は『普通だよ』と言う。『普通ってどういうこと? 最初は正常位なの? バックもしたの? 彼女は上に乗った? どうやって腰を振ったの? 彼女は一度のセックスで何回イクの?』って、矢継ぎ早に尋ねてしまう。彼はそこまで細かくは答えないんですが、それでまた、怒りがわいてきて・・・・」
どうして、そんな質問に答えてほしかったのか。答え聞いたら何かが変わると思っていたのだろうか。麻理恵さん自身も、今になると、なぜかわからないという。おっとりとした雰囲気の彼女から、そんな鬼気迫る状況があったとは、想像もできない。
「ただ、当時は聞かないと気がすまなかった。私は彼よりふたつ年上なんですけど、その彼女は彼より三つ下。ということは、私より五歳下なんです。だから、よけい嫉妬したのかもしれません。自分は三十歳を超えてしまった、でも相手は二十代.彼にとって、やはり若い方がいいのだろう、という恐怖感があったのは事実です」
そんな状態では、結婚なんてできない。レストランでのパーティのみというカジュアルな結婚式を予定していたのだが、一カ月前にキャンセルした。親には「延期」と伝えた。
毎晩のように追及し続けて半年後、彼女は突然、ひどい腹痛で救急病院に運ばれる。卵巣破裂だった。卵巣というのは、過度のストレスで破裂することがあるのだという。私は取材で、「卵巣破裂」を起こした女性に何度も出会っている。麻理恵さんもそのひとりだ。
「緊急手術をしました。目を覚ましたら彼がいたんですけど、『会いたくない。帰って』と、追い返しました。とにかくひとりでいたかった。二週間ほど入院中、いろいろ考えました。なぜ他の女性とセックスしたのか。
私はなぜ、身体を壊すほどのパニックに陥ったのか。実は、私が入院したのは産婦人科だったんですが、大部屋にすると周りには妊婦さんがいる。卵巣破裂と言うことを考えるとそれは可哀想だからと、彼が個室に入れてくれたんですって。
それは後で知ったんですが。そのおかけで、ひとりで冷静に考えることができました。私は、やはり一対一の関係を、いちばんだと考えている。だから、彼が、他の女性とセックスしたことがショックだった。
セックスは、究極の愛情表現だと思っているから。でも彼の中では、そうではないかもしれないということに気づきました。それから、半年間の私の常軌を逸した詰問に、なぜ彼は付き合い続けて来たのか、という疑問がわいてきたんです」
自分が相手を「信じる」こと
彼は、実は、毎日のように見舞いに来ていた。ただ、彼女は誰にも会いたくないと看護婦に伝えていたから、彼は、彼女の病室前のソファに座っては、いろいろと考えていた。彼女の嫉妬について、自分の浮気について。
「退院の三日前だったかな、彼が看護婦さんを通して、病室に入っていいかどうか尋ねてきたんです。そのときは、私も彼に会いたいという気持ちになっていた。
看護婦さんが、『やっと入室を許されたわね。婦人科系の病気は女性にとって、とても大変なの、分かってあげてね』と、彼に言っているのが聞こえました。私は、彼が度々、面会に来てくれていたことを知らなかったんです。看護婦さんには、『誰にも会いたくない』とだけ言っておいたので。彼と私、顔を見合わせたとたんに、同時に、『ごめんね』って・・・・・。
お互いにに相手を追い込んでしまった、という気持ちがあったんですね、それから、ゆっくりいろいろ話しました。彼としては、本当に軽い気持ちで関係を持ってしまった、と。だけど、その事実を、ひとりで抱ているのはつら過ぎて、つい話してしまったそうです。
ま、そのへんが、彼の精神的に弱いところなんですけどね。私の追求に耐えたのは、『麻理恵と一緒にやっていきたかったから』と、きっぱり言ってくれました。それを聞いた途端、『もうあんな異常な嫉妬に、自分を巻き込むのはやめよう』と思いました。嫉妬って、自分自身が生み出すんですよ。
そして、生み出した嫉妬に、自分自身が巻き込まれていく感じ。嫉妬が、固まりになって、ぐるぐる動き出す前に、何らかの対処をすることができたかもしれなかったのに、という気がします」
退院から半年後、麻理恵さんは彼と結婚した。結婚して約二年、彼とはうまくいっているようだ。
「最初のうちは、彼の一挙手一投足が気になりました。また浮気するかもしれないという不安があったから。だけど、そんなことを考えていてもしょうがないんですよね。二十四時間、見張っているわけにはいかないし。信じることも大事ですから。
だけど、以前とは少し、私の感じ方が変わったんです、前は『彼が浮気なんて、するはずがない』という信じ方。今現在は、ただ彼を愛して、一緒に過ごしていきたいだけ。夫といえども他人ですから、彼の気持ちを勝手に忖度してもしょうがない。
それより、自分の気持ちを信じよう、と。もちろん私が、彼を愛せなくなったら、関係は終るんです。関係が終わることを恐れるよりは、一緒にいる時間を精一杯、楽しく過ごそうと思うようになりました。それが明日につながるのだから」
相手をむやみに信じたり疑ったりするより、自分自身の相手への気持ちを信じる。そう思えたとき、人は初めて、嫉妬から少しだけ解放されるのかもしれない。
嫉妬を野放図にしておけば、どんどん大きくなる、身を任せると、体中を浸食(卵巣破裂やうつ病など、様々疾病を発症)される。だが、コントロールしようと決めれば、案外、おとなしくなってくれるものかもしれない。自人自身の意志さえ強くもてば。
つづく
第6 男の嫉妬はもっと複雑なもの