亀山早苗著
セックスを回避したがる女たち
仕事、育児、家事などに追われて、性的な欲求が全くなくなってしまった、と嘆く女性たちも多い。
ある独身女性(三十四歳)は、次のように話してくれた。
「仕事が忙しくて、彼とゆっくりデートとている暇がない。やっと会えても、私自身はセックスせずに抱き合って眠りたい。でも彼はそうはいかないから。セックスに応じるんですが、一度なんか私、セックスの最中に寝てしまって、彼をひどく傷つけてしまったんです」
また、家庭をもつ、やはり三十代の女性も、育児と家事に多忙で、気力も体力もないと嘆く。
「それに夫との間で、もはやセックスをする気になれないんですよね。夫は子どもの父親であり、夫であって、私にとっては「男」ではなくなってしまっている。それでも夫は求めてきます。
拒否すると危険なムードになるから、一応しますけど、本音では、『風俗にでも行ってきてくれればいいのに』と思っているんです」
特に小さな子供を育てている女性たちは、一様に、性的欲求の低下を訴える。もともとセックスが好きではないと言い切る女性も。決して少なくない。
そういった女性たちにとって、夫が、よそに恋人を作るのは心情的に嫌だが、風俗に行ってくれることは大歓迎だという。自分が相手をしなくて済むのなら、それほど楽なことはない、と。
「だからといって、夫を嫌いになったわけではないんです。夫は大事な人だし、仲も悪くはありません。ただ、私にとって、セックスが負担になっているんですよ。まさに『義務』としかないものととらえるしかないんですよね。子どもが大きくなって、精神的に余裕ができたら、したいと思うのかなあ、とかすかに期待していますが…‥」
と、別の三十代既婚女性も話してくれた。
夫が、お金で割り切れる風俗に行って、すっきりして帰ってきてくれるなら、それはそれで気にはしないという。
そういう考え方の善悪を問うつもりはない。ただ、少なくとも、彼女たちは、愛情とセックスが必ずしも一致するわけではないと感じているから、夫が風俗に行ってもかまわないと思っているのだろう。
「だからといって、夫に、『風俗にでも行ってきたら?』とは、言えないところが辛いですよね。『あなたとはしたくない』と宣言するようなものだから」
ため息交じりに、そう言った女性の深刻そうな声が耳に残る。
男が恋に走ってしまったら?
それでは、風俗ではなく、普通の女性と彼が関係を持ってしまった場合、あるいはその疑いがある場合、女性はどう感じるのだろう。
私は、以前、一緒に住んでいる男性に、別の女性の影を見たことがある。彼にとって、彼女はまさにマドンナだった。だが本人は、「もう彼女のことは何とも思っていない」と常々言っていた。
あるとき、彼は、「明日から一週間、この部屋を出て行ってほしい」と言い出した。地方の実家に戻っていたそのマドンナが上京するから、彼が東京案内をするのだという。彼女はホテルに泊まるというのに、なぜ、私を追い出す必要があるのか。
それは、彼が、彼女を部屋に入れたいからだ。少なくとも彼女を部屋に呼ぶつもりでいる、あわよくばセックスをしたい、できるかもしれない、と想定しているからだ。
つまりは、浮気宣言されたようなもの。彼女とうまくいけば、私と別れたいと思うようになるかもしれない。まさに彼との関係において岐路に立たされた。
私は自分の荷物を見えない場所にしまい込み、一週間、京都へ行って写経をしたりしていた。今ごろ、彼は彼女を抱いているのだろうか、と、せつなく苦しい思いで身を切られそうだった。
一週間後、三キロも?せて彼の部屋に戻ってみると、私の大好きな苺が、冷蔵庫にひとパック、ぽつん入っていた。
帰宅した彼は、「すべて終わった。何もなかった」と言った。そんな言葉を私は信じたわけではないのだが、苺ひとパックで、すべて許した。彼は彼女を部屋に入れたかもしれない、ひょっとしたら、私たちが寝たベッドで彼女とセックスしたかもしれない。だが、最終的に彼は私を選んだのだ、と実感し、それ以上、追及する気にはならなかった。
女友だちには、「バカだね!」と、さんざん言われた。「そういう男はなんだかんだ言って、また似たようなことをするに決まっているわよ」と、きつい言葉を投げつけられた。だが、当時の私はそれでもいいと思っていた。彼を失うよりは。最終的に戻ってきてくれるなら、それでいい、と。
その後、彼とはその時のことが原因ではなく、別の理由で別れたが、今でも、もし好きな人との間で同じことがあったら、私はやはり受け入れようと思う。私自身が相手を好きである限り、相手がどんなことをしようが受け入れるだろう。私にとって恋愛というのは、自分が相手を好きかどうか、ということが基本なのだ。
自分と同じだけ、愛してくれなければ嫌だという気持ちはない。一緒にいる時間を作ってくれる以上、それは愛情だと判断する。たとえ相手が、都合のいい女だと思っているだけであっても、私が相手を好きならそれでいい。
だから当然、相手が他の女性と関係をもっていようが、結婚していようが、それ自体が恋愛の障害とはならない。
だが、もちろん、彼が他の女性と関係を持ったことで、愛情が冷めてしまう女性もいる。
「結婚を考えて一緒に住んでいた彼に浮気されて、すごく傷つきました。彼が土下座までしてあやまり、『魔が差したんだ、本気じゃなかった。もう二度としない』と言ったから、許してやり直そうしたけれど、結局、それから一年足らずで別れてしまったんです。どうしても、もう二度と彼を信じることができなくて」
田中麻里さん(二十七歳)は、そう話してくれた。当時の彼女の心理を、彼女自身に分析してもらうと、やはり「裏切られたというショック」が大きかったそうだ。
「私は彼が好きだったから、彼以外の人と関係を持ちたいなんて、思ったこともなかったです。でも彼は、私との関係が終わってしまうというリスクを分かっていながら、他の女性と関係をもった。
それは、私を軽視していることに他ならないと感じたんです。バカにされた、という思いが強かった。ただ、今になってみると、彼以上に合う男性に巡り会うのは難しいなという気もしているんですけどね」
もちろん、同性として、麻里さんの気持ちはよくわかる。本来、どんなに女性から証拠を突き付けられても、男には「していない」と言い張る義務があるとさえ思う。男の世界では、「女性の上に乗っているときに見られたとしても、セックスしていたわけではないと言え」という不文律があったはずだ。
男の正直さをあなたは愛せる?
最近は、追及されると、土下座して許しを請う男性が多い。嘘を突き通す強さがなくなっている。『正直』であること、『嘘をつかないこと』を身上としているわけではなく、自分の中に秘めておくべきことを垂れ流してしまうだけ。正直に告白することで、相手がどう感じるかという想像力もない。
ただ、彼は、決して彼女を軽視したわけではないと思う。そのあたりも、女性が男性を勘違いしている点ではないだろうか。
よく恋人や妻は、「白いご飯」にたとえられる。そして「勢いやはずみ」で関係を持ってしまった女性は、ステーキ。
「白いご飯ばかりじゃ飽きる。たまにはステーキにだって目が行く。だけど結局は、白いご飯がないと生きていけない」
というのが男の理論で、女性たちは、男の身勝手な話に目くじらを立てる。もちろん、そんな女性たちの気持ちはよくわかるのだが、一度や二度のことなら、様子を見てもいいのではないかと私は思う。
麻里さんのように、やり直そうと頑張ってもダメなら、それはしかたがない。だが、やり直そうと決めたのなら、妙なプライドは捨てた方がよかったのに、と思う。麻里さんは、最後まで「自分がバカにされた」という思いが抜けきれなかったという。
様子を見る間に考えるべきことは、「自分が本当に彼を好きかどうか」ではないだろうか。プライドを傷つけられたことよりも、他の女性と関係を持ってしまった彼、それを正直に告白してしまう彼、そんな彼を好きかどうか、そのことに問題を絞って考えた方がいい。そうでないと、麻里さんのように、未練を引きずることになりかねないからだ。
女性が他の男性と「したい」と思うとき
女性は、「愛情」と「セックス」を一致させたがる傾向が強い。だが、最近、少しずつでは、あるが、「愛情とセックスは別の場合がある」と考える女性たちも、増えてきている。つまり、恋人や夫がいながら、他にパートナーを見つける女たちが多くなってきている。
本来、付き合っている人がいない場合でも、セックスの欲求はあるはずだ。しかし、女性は「好きな人がいて初めて、セックスの欲求が生まれる」と信じている人も多い。
なぜだろう。
社会的に、そう信じ込まされてきたという歴史があるのではないか、と私は疑っている。男が考え出した神話なのではないか、と。
女性向け風俗店はなぜ流行らないか
たとえば、もし世の中にもっとたくさん女性向けの風俗店があって、必ず秘密を守られると分かっているなら、女性たちは案外、気楽に行ってみるのではないだろうか。
女性向けの風俗店がなかなか増えない、もしくは、一般に広がらない理由はいろいろありそうだ。ひとつには、女性が風俗店に行くという認識がないから、店はあっても客がなかなか来ないということ。
出張ホストなどは今もあるが、家に見ず知らずの他人を呼ぶのはリスクが大きすぎるということ。ホテルに行くには、トータルで払う金額が高すぎるということ。基本的に、女性はセックスしてお金を払うという歴史がなかったから、それだけで及び腰になる。
最近では、ホストクラブで大金を使い果たす女性もいるが、それは、「セックスに対してお金を払う」わけではない。ホストとの疑似恋愛に対価を払っているのだ。
そして、最大と思われる原因は、実は女性の相手をする男性の性的機能の問題。男は射精してしまったら終わりだから、店で待機していたとしても、一日に何人もの女性を相手にすることができない。
つまり女性版ソープランドを考えたとき、対応する男性が相当多くないと、客を満足させられない危険性がある。しかも、店の男性が、どんな女性に対しても、『勃起』して挿入できるとは限らない。これは女性が男性を相手にする場合との大きな違いだ。
さらに言えば、女性の多くは、男性のように、刺激を受けたらすぐにオーガズムに達する人ばかりではない。時間がかかれば、自然と店の回転率は悪くなる。本番なし、指やバイブレーターで女性を感じさせる店もあるらしいが、バイブで感じたら本物も欲しくなるのが女性の性。
本番なしと謳っていながら、女性におねだりされたら、つい勃起したペニスを挿入してしまう風俗ボーイも出てきてしまうはずだ。そうなると、「本番なし」は看板に偽りあり、となってしまう。法律的にも問題が生じる。
前述したように、今の男性風俗は、本番なし、短い時間で射精させるかわり、価格が安いのが主流。ところが、女性向け風俗には、それが通用しない。ひとりひとりがオーガズムに達するまで、サービスし続けなければならない店の男性たちも大変だ。
しかも、女性のオーガズムはわかりにくい。一度に何回も達する人の場合、どこでおわりにするかという問題も出てくる。それに長い歴史の中で、「女性を愛する人でなければセックスはできない」と。男女ともに、信じている人が多い。それらがもろもろの理由と重なって、女性風俗店はポピュラーにならないと考えられる。
「女は、愛していない男性とはセックスできないから」という理由だけではないはずだ。
女性が自らの性欲を認めない理由
男性用風俗店で、相手をつとめるのは女性だ。金のためとはいえ、彼女たちは愛してもいない男の性器を握ったり咥えたり、ときとして、セックスしたりしているわけだ。クイズ問題にもよく出てくるが、世界最古の職業は、売春だと言われている。つまり、女性こそが、愛してもいない男とセックスできる、と断言してもいいだろ。
「愛情とセックス」、という言い方をすると誤解を招く。もっとスレートに言うなら、「愛情と性欲」と言った方がいいだろう。女性としても、「愛情と性欲」が、一致しない場合があり、性欲だけがわきおこっているケースがあっても不思議ではないはずだ。
たとえば、今はなくなってしまったが、東京に、外国人がセクシーなダンスショウを見せる店があった。女性客が大挙して押しかけ、一時は鳩バスツアーも組まれていた。彼らは、官能的に客の目を見つめながら踊り、だんだん洋服を脱いでいって、最後は下着だけになる。
ショウの最中、何度かアトランダムに女性客を選び、舞台に上げて、女性の目の前で服を脱いで見せたり、手を取って体を密着させて踊ったりする。そういうときの女性客の顔は上気し、明から性的な「何か」を感じていることがわかる。
彼らは、最後には、下着の中にチップのお札を入れさせるのだ。女性客が、下着を履いた彼らの腰、あるいは太もものゴムを持ち上げ、そこにお札を挟んでいく姿には、性的なにおいがたちこめる。
また、テレビで陸上や水泳の大会があれば、女性たちは、「あの選手の筋肉がいい」とか、「私は長距離選手より陸上選手の肉付きが好き」とか、男性肉体美に話を咲かせる。性欲というのは、肉体の興味から始まるのだ。
女性たちにその認識があるかどうかは分からないが。男性たちが、女性についてあれこれ噂をするように、女性たちも男たちについて、好き勝手に品評会をしていることが多い。それも、実は男性よりえげつないことがある。ベースにあるのは、すべて「性欲」だ。
それなのに、なぜ、「性欲だけが突出する」ことを、女性たちは、自分自身のこととして、認めようとしないのか。なぜ「愛情とセックス」を厳密に重ね合わせようとするのだろうか。
愛してもいないのにセックスができる、と言ってしまったら、それは売春婦と同じだからだろうか。だが売春婦だって、ごく普通の女性たちだ。日本でも昔は、口減らしのために、少女たちが苦界に身を沈めたという歴史的事実がある。
そして、今の時代は、金のためだけではなく、自分の好奇心や性的嗜好を満たすために、風俗やアダルトビデオ業界で働いている女性たちもいる。適性など関係なく、どんな女性も、いざとなったら売春婦になれるはずだ。
本当は、女性たちは内心、怖いのではないだろうか。「愛していない男性とセックスして、感じてしまう自分」が。性欲や性感が、自分の心を離れてひとり歩きしていくのを、恐れているのではないか。
だから、それは知らなくてもいいことだと、無意識のうちに封印してきたのではないだろうか。そうして、自分の心の中で、愛とセックスを厳密に一体化させ、それが正しいと思い込もうとしているのではないだろうか。
つづく
第3 男と女の浮気の定義