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第13 セックスとマスターベーションの関係

本表紙 亀山早苗著

セックスとマスターベーションの関係

 ある二十代の女性が、彼の家に泊まりに行ったとき、彼がマスターベーションをしているのを見て、非常にショックを受けたと話してくれた。

「その晩、私とセックスしたんですよ。私はそのまま寝てしまったのだけど、彼は眠れなくて、どうやらエッチビデオを見ていたようなんです。夜中に、ふと目が覚めて、隣の部屋を見たら、彼がビデオを見ながら呻いていて…‥。

見てはいけないものを見てしまったという気がしたので、声もかけませんでした。でもそれ以来、事あるごとに、その光景を思い出して、私じゃ満足していないのかもしれない、と卑屈な気分になっていくんですよね。彼に言った方がいいのかどうか、ずっと迷っているんです」

 セックスとマスターベーションは、別のもの。相手に満足していないという理由で、マスターベーションをするわけではない。それは女性も同じでしょう、と言うと、彼女は、キョトンとしていた。どうやらマスターベーションをしたことがなかったようだ。

 アメリカの最近の調査では、八十五パーセントの女性が、マスターベーションをしているという結果が出た。おそらく、日本の数字はそれよりは下だとは思う。六割以上の女性がしていると、何かの報告で読んだことがある。ということは、三割以上がしていないということでもある。

 女性がマスターベーションをする理由はさまざまだろう。私が聞いただけでも、
「眠れないから」
「夜中に突然性欲を感じて」
「快感を得たくなった」
「ビデオで恋愛映画をみて触発された」
 などなど、多種多様だ。

ひとりエッチに関するモラル考

 ところが、マスターベーションをしていない人に、なぜしないのかと尋ねると、はっきりした理由が返ってこない。強いていえば、「そういう習慣がないから」だろうか。

 だが中には、
「彼がいてセックスしているのに、マスターベーションをするのは変だ」
 と思っている女性もいる。
 彼女は、恋人別れてひとりでいる時期は、マスターベーションをしたことがあるという。だが、恋人ができると、ぱったりとしなくなってしまうそうだ。

「どうしてだかわからないんですが、私の気持ちの中に、彼がいるのにマスターベーションをするのはおかしい、という思いがあるんです。セックスとマスターベーションが違うなんて、考えたこともありませんでした。だって性欲という意味では同じでしょう?」

 もちろん、セックスもマスターベーションも、原則としては性欲が行うものだろう。だが実際には、まったく違うものではないだろうか。セックスが。ある種のコミュニケーションだとすれば、マスターベーションは、より身勝手な快楽に浸ることができるものだ。

ひとりだけ想像の世界で遊ぶこともできる。つまりは、ひとりでするのと、ふたりでするのとは、たとえ原初的な動機が同じだとしても、家庭がまるっきり違うのだ。

「彼がいるときはしない」
 という人は、むしろ、セックスを、性欲のはけ口としか考えていないのではないだろうか。だから、相手がいて、性欲が満たされているはずなのに、マスターベーションをするのはおかしい、ととらえてしまうのだろう。そういう人こそ、セックスのときもコミュニケーションをとらずに、黙々とセックスを「こなして」いるのではないだろうか。

 女性がマスターベーションをするのはおかしいのだろうか。逆に、いろいろな意味で効用があるといわれている。

 まずは、自分の性欲のありようを知ることができる。どんなときに性欲を覚えるのか、それは、どういう感じで自分を襲ってくるのか、あるいは内部から湧いてくるのか。

そして、実際に手や器具を使って自分自身を愛撫するとき、どういう妄想を抱くのか。それはそのまま、その人の性幻想へとつながっていくはずだ。

 指の動かし方、力の入れ具合は、どのくらいがベストなのか。どうすると、いちばん感じるか。これはセックスのとき、彼に「こうして」と言える要素となる。クリトリスを愛撫するのが感じるのか、指や器具を中に入れたほうが感じるのか、あるいは、両方ないとオーガズに達することはできないのか。

 ひとりの時期にだけマスターベーションすると言った彼女は、
「自分を自分で慰めていることに、すごく惨めな気持ちを感じる」
 とも呟いた。彼の指の代わりに自分の指を。ペニスの代わりにバイブを使うと思うから、惨めな気分になるのだろう。

マスターベーションで、より自由に

 セックスとマスターベーションとは別、と認識を変えれば、惨めな気分になる必要はない。自人自身の性的感覚を知り、自分の性欲を満足させることはできるのは、問いも素敵なことではないだろうか。

 マスターベーションなんてしたくない、惨めなことだと感じる人がいるとしたら、そう思ってしまう原因は何か、自分の心の奥を覗いてみた方がいいような気がする。

何かが「自由」を阻んでいるのだ。その「何」は、おそらくセックスのときにも、壁となり得るはずだ。あるいはすでになっているかもしれない。

「性」というものに対して、臆する気持ちや自由になり切れない思いが潜みがちなのは分かる。だが、それは自分自身で作り出した「壁」なのではない。何度もいうように、社会や、周りの規範から押し付けられた価値観ではないだろうか。

 セックスにおいては、ふたりの合意があれば何をしてもいい。そして、マスターベーションは、自分一人の世界だから、より自由になっていい。想像の中では、複数の男に犯されたっていいし、次々と男を変えてもいい。

誰にも非難されないし、誰も傷つけない。自分の体をまさぐっているうちに、意外な性感帯を発見する可能性もある。

 マスターベーションをする前に、まずは鏡で、自分の性器をちゃんと見た方がいい。三十代半ばで、独身のある男友だちは、つきあいだして半年ほどたった彼女に、

「マスターベーションをしているところを見せて」
 と言って、白い眼で見られたと嘆いていたことがある。

「そのあと、いろいろ話をしてみたら、彼女、自分の性器を鏡で見たことがないって言っていました。だから、鏡を持ってきて見せてあげたんです。そうしたら、一目見るなり『えー、気持ち悪い』って、げんなりしたような顔をしていました。

僕自身は、あそこを舐めたいかどうか、というのが、自分がその女性を本気で好きかどうかの指針になっている。男って、そういうところがあると思いますよ。女性だって、本気に好きな人の性器じゃなければ口を近づけることができないでしょう? 

初めてみたら、女性器って確かにグロテスクだと思うかもしれないけど、男そんなふうには思っていない。むしろ、形状がどうあれ、愛しい女性の大事な場所だと思っているんです」

 その彼女、だんだん自分の性器をよく見るようになり、マスターベーションも、するようになっていったという。

「彼女がマスターベーションをするようになってから、僕たちのセックスもとてもスムーズにいくようになったんです。もちろん、それまでも彼女とのセックスは楽しかったんだけど、彼女はどこかセックスに対して自由になり切れていない、殻がるような気がしていた。でも、だんだん変わっていきましたね。この前なんか、一緒にラブホテルに行ったとき、バイブレーターを買ったんですよ。彼女、結局、それを持ち帰ってしまいましたからね。

でも、彼女がセックスに積極的になってくれたのは、すごく嬉しい。ほとんどの男はそう思っているんじゃないかなあ」

 マスターベーションで自分の体に慣れるということは、自分の性感を的確に知るということでもあろう。

 器具を使うのももちろん賛成だが、指を入れてみるのも大事な気がする。入れたときの指自体の感触、指が入っている膣の感覚を知るのは、とても興味深い。指を一本、二本と入れてみて、どんな感じがするのか。

そうやって慣れていくうちに、自分がある程度確実にオーガズを得られる方法が分かってくるはずだ。大事なのは、指にしろバイブレーターにしろ、「きもちいい」を通り越して、イキそうになったときに決してやめないことだ。

感じる自分を受け止められない

「私、マスターベーションはよくするんですが、実はセックスでもマスターベーションでも、オーガズムを感じたことがないんです。これ以上やると、達してしまう、という手前でいつもやめてしまう。セックスのときも、彼に、『止めて』と、本気で叫んでしまうんですよね」

 池内香世子さん(三十三歳)は、せつなそうに、そう話してくれた。
 何が彼女をそうさせたのだろうか。そこでやめなければ、今までとは違った感覚が得られるのに、それが怖いのだろうか。

「確かに、自分がどうなるのかという恐怖心があって、それ以上はダメなんです。そこを越えれば、何か違うものがきっと待っている、と言うところまでわかっているのだけど、越える勇気がない。彼のほうも、やめて、と言われたら、それ以上、できない、って言うし」

 彼女はなぜ、オーガズムを得るのを恐れるのだろう。未知の感覚を味わいそうになったとき、恐れを抱く気持ちは多少理解できる。ただ、女性がオーガズムを恐れる理由は、それだけではないような気がする。それを得たとき、自分がどういうふうに乱れるのか、それを彼に見られ、彼がどう思うか。そのことが怖いのではないだろうか。

 自制心や理性を失い、動物のように欲望に忠実になった結果がオーガズムだとしたら、それを見た彼が、自分を嫌うんじゃないか。そんな恐怖や不安が彼女の心の奥底にあるのではないだろうか。

快感を得る自由を他人任せにしてはいけない

 マスターベーションであっても、いったん、オーガズムを得てしまえば、次のセックスで得やすくなるのは分かっている。ひょっとしたら、彼にどう思われているか、という以上に、自分自身が、欲望の虜になるのが、怖いのかもしれない。

 確かに、オーガズムに達すると、女性たちは理性が吹き飛んでしまう。体も、自分のものであって、自分のものではないような動き方をするし、そのとき自分がどんな声を上げているのか、どんな顔をしているのか考える余裕もなくなる。だが、それを心配しても始まらない。

むしろ男たちは、そうやってオーガズムに達し、そこに没入する女性を見ることを歓びとしているのだから、不安に思う必要はない。自分が彼女をオーガズムに至らせることができた、と感じるのは、男にとっては自信につながる。

 達したときに乱れすぎる彼女を見て、それで嫌になった、嫌いになったというような話は聞いたことがない。万が一、そんな男性がいるとしたら、そういう男は、女性側から願い下げにしたほうがいい。

 自分の心も体にも、まだまだ未知の部分が残されている。オーガズムを得られたとしても、その快感は、もっともっと強まる可能性が大きい。凄まじいオーガズムに何度も翻弄されてしまいには失神してしまったという女性もたくさんいる。

かと思うと、ときには、どう頑張っても、オーガズムに達することのできない場合もある。相手のことを好きで、何のマイナス理由もないのに、オーガズムがやってこない。そんなときもあるのだろう。

 快感というものは、必ずしも自分でコントロールできるわけではない。女性の快感は、それほど、複雑かつ深いものなのだ。だからこそ、まずは自分自身で、把握できるところは、把握しておかなければいけない。自分の性感を、彼という名の他人に、任せきりにしてはいけない。

自由の果てにあった。不自由な感情

「セックス」と「自由」をめぐる、興味深い話を聞いた。
 小沢美冬さん(三十二歳)は、二歳年上の彼と五年間つきあっている。真っ白なシャツに、きれいなクリーム色のスーツを着こなした彼女、有名企業で営業の仕事をしているという。養子も話し方も、人を惹きつけるものがある女性だ。

 彼とは、ここ二年ほどマンネリになっていると感じていた。そのため、刺激を求めて、一年前から相手を交換するグループセックスのスワッピングパーティに参加するようになった。もともと、「お互いは自由な存在」と認めあっているふたりだが、それぞれ相手がいちばんだと思っていたから、実際に浮気をしたことはなかった。

 スワッピングパーティに参加し、相手を変えてセックスするのは、冬美さんにとっても彼にとっても刺激的だった。ふたりのセックスも、生まれ変わったように新鮮なものになり、「他の人とセックスして感じたとしても、やっぱり恋人の彼がいちばん」とずっと思っていたという。

 ところが、二ヶ月ほど前、そのスワッピンパーティで出会い、カップル同士で相手を交換してセックスしたその男性に、冬美さんは恋をしてしまう。

「自分でも不思議なんです。ああいう場所は非日常を楽しむ場所だし、どんなに楽しんでも、だれにも恋愛感情を抱いたことはなかった。それは私が、『恋とセックスは別』と比較的、割り切って考えていたから。

他のカップルと一緒にセックスしたり、相手を交換してセックスしたりすれば、私は嫉妬しますよ、彼が私に嫉妬しているから、私のほうも彼に対する愛おしさが増していった。

そうやって、かなり危うい橋を渡りながらも、ふたりの特別な時間を積み重ねてきたのに、私はたった一回セックスした人を、心から好きになってしまったんです。もちろん、その人に対しては、最初から悪い印象はありませんでした。

だからこそ、カップル同士で相手を交換してセックスできた。だけど本来、それはそれだけのこと、というはずなんです。お互い相手を交換して、セックスを楽しんで、しばらく、四人でたわいもない話をしました。

そして彼と、いざ帰ろうか、というとき、その人と、ばちっと目が合ったんです。私にとっては、すでに気になる存在だったけど、その人もまた、楽しみとしてのセックス以上に、私に特別な感情を持っていることが分かりました。

帰り際、その人が、自分の携帯電話の番号を書いたメモを、こっそり、そして素早く、手渡してくれて。それ以来、それぞれのパートナーには隠れて、ふたりで会っているんです」

 お互いに、結婚しているわけでないから、それぞれ、パートナーと別れてつきあうことは可能である。ただ、出会いが出会いだけに、非常に難しいと冬美さんは言う。

「ある種の趣味や嗜好として、私たちはスワッピンパーティで出会っている。通常なら、知り合ってデートしてセックスする、というパターンを辿るところを、いきなりセックスから、入っているわけです。

しかもそれぞれパートナーのいる前で、セックスしてしまっている。相手のパートナーも知ってしまっている。相手のパートナーの顔も知っているし、言葉も交わしている。ふたつのカップルは、『特別な趣味をもつ同士の遊びの一環』として出会って、セックスしているんですよね。

だから本当は、恋愛感情なんか抱くはずがないんです。なのに、私とその相手は、お互い好きになってしまった。彼と別れて、その人と付き合った方がいいということは分かっています。だけどお互いに、それを言い出せない。

ああいう場で出会ったために、本当の恋といえるのかどうか、分からない状態なんです。私たちには自由を楽しんでいるつもりでもいたけど、そこでパートナーでない人と恋に落ちてみたら、通常より不自由な立場にいるんじゃないか、と今は思っているところです」

この恋を信じていいのか

 パートナーと一緒に参加したスワッピンパーティで出会った男性に恋してしまう。確かに、これは。関係として複雑だし、女性の心理として、葛藤も大きいだろう。愛情とセックスを分けて考えていたはずなのに、突然それが自分の中で一致してしまったわけだ。

相手を素直に恋していいのか、とまず自分の気持ちを確認するのに時間がかかるに違いない。もしパートナーと別れてその男性と付き合うようになったら、今度は、その人と一緒にパーティに参加するだろうか。

「それも考えちゃうんですよね。私自身、そういうパーティに参加するのは楽しいんだけど、その人が他の女性とするのを見るのは、ちょっと辛い。今の彼とは、長年つきあって、もう信頼関係もできていたところで、そういうものに参加したから、関係は強くなりこそすれ悪いほうには変わらなかったけど。

ああいうパーティって、すごく難しいとおもいますよ。何か別なことで、少しでも信頼関係が揺らいだら、そういう嗜好があだになる。というかその嗜好のせいで、ますます関係が悪化すると思う。

今回、私の好きな人が、もし私と付き合うようになったら、ふたりでそういうパーティに参加したいと思っているかどうかわかりません。今は、その好きな人と二人で会う時間を大事にしていきたいと思っています。

これからどうなるのか‥‥。ある程度、時間と自然が答えを出してくれるのか、あるいは何か思い切って手立てを取らないといけないのか、それもわからない。私自身、その人のことがとっても好きだと思っているけど、

ひょっとしたら、一時的な感情かもしれない。向こうもそう思っているから、結論を出すのを躊躇しているのかもしれないし‥‥」

 カップのありようとして、冬美さんたちは自由な考え方を持っていた。「恋人同士というのはこうあらねばならない」というふうには、考えていなかった。だから、刺激を求めてスワッピングパーティに参加した。

ところが、個人の感情は誰にも予想がつかない。そこで出会ってセックスした男性に、冬美さんは恋をしてしまった。そして、自分自身の感情が、一時的なものかどうかわからずにいる。相手もまた戸惑い、そして困惑し、悩んでいるようだ。

それでもお互いの気持ちは止められず、ふたりはこっそりとデートを重ねている。デートでは、もちろんセックスの関係もある。

「セックスが合うんですよね。その人は、だから惹かれたというわけでもないんだけど、あんなセックスが合う人は初めてです。特に、フィット感が誰よりもいい。ふたりの体の間に流れる雰囲気という空気というか、それもとてもリラックスできるんです。

ただ、もし彼がスワッピングやら乱交パーティやらという状態でなければ、心から興奮することができないとしたら、どうしようかとも思います。私自身、スワッピンパーティは楽しいんですけど、本質的にそういう場所がなければやっていけないかと問われると、そうでもないような気がするんです。

本質の部分でそういう趣味をもった人は、きっとその世界から抜けることはできないでしょう? 私はそういう場がなくても、生きていけるようなタイプだと思うんですよ。

だから彼がどんなときでも、二人きりの関係では興奮できないとしたら、私はそれでもつきあっていけるのかなあ、と先のことまで考えちゃうんですよね」

 これはまさに「恋愛」なのだろう。だが、冬美さんは「恋してる」自分の気持ちを認めることができないでいる。出会い方はその後の恋愛観にも影響をもたらすものだろう。少なくとも「一対一」の出会いでなかったから、彼女の心理は複雑なのだ。

自由の裏にもリスクがある

 どんなセックスを好もうがかまわない、と私は思うのだが、それでも一般的にはセックスはふたりでするもの、という認識がある。他人のセックスをのぞきたがる、あるいはスワッピングを好む、などというのは、一般常識からは少し離れるだろう。

 そういう趣味嗜好が、本質的なものか、単なる一時的な興味なのか、今の冬美さんにとっては問題になっている。冬美さんは恋人に誘われて、興味本位でそういう世界に足を踏み入れた。だが自分では、いつでも抜け出せることができると思っている。

おそらくは今の恋人も、興味と好奇心が先立っており、本質的にその世界に深入りすることはないタイプなのだろう。

 だが、好きになってしまった人がどうなのか、冬美さんには、まだ判断がつかない。その人の心の奥底に、ふたりの関係だけで満足できないという本質が隠されているとしたら、自分がそれについていけれるのかどうか、自信がない。

 今の時代、自分が求めるものは何でも手に入れられる。他人の配偶者とだって、スワッピングという形で、お互いの合意の下にセックスすることができるのだ。

 のぞきたい人、のぞかれたい人、露出したい人、野外でセックスしたい人、縛られたい人、自分のパートナーを他の男性に抱かせたい人、‥‥。本当にさまざま趣味嗜好があり、満たそうと工夫さえすれば、それはすべて満たすことができる。

 だからこそ、自分の内部から突き上げてくるような欲求がないのに、ある種の世界に足を踏み入れてしまうと、冬美さんのような問題が起こったとき、自分の気持ちを整理しきれなくなるかもしれない。

もちろん、興味本位で首を突っ込みたくなることもあるだろうし、それが一概にいけないとは言えない。首を突っ込んでみたら、自分の本来求めていたものが、それだと分かることもあるのだから。

だが、予期しないことで、自分自身が戸惑い、そして揺れ、悩む可能性もあるということも、視野に入れておいたほうがいいのかもしれない。

「自由」は素晴らしいことだと思う。ただし、自由に行動すると、自分でも想像もつかない混乱に巻き込まれることもある。自由には、想像を超えた大きなリンクも内包されているということだろう。

つづく 第14章 解放